草食伝

草食伝

高校教師戦

 葬式や結婚式の時、当家の人が
「本日は、ご多忙中のところご列席いただきまして、誠にありがとうございます」と、お礼のあいさつをしている。
それは、そうだ。
わざわざ、集まってくれてるのだから、主催者側が、お礼を述べるのが筋だ。

 ところが、学校の先生が
「みなさん、遊びでお忙しいところを、教室にご列席していただきまして、ありがとう ございます」と、頭をさげることはほとんどない。
それどころか、いばっているものまでいる。

 ひとりだけ、頭を下げた先生がいた。
高校の世界史の先生だった。
「みなさん、私の授業に出席していただいて、ありがとうございます」と、ふかぶかと頭を下げた。

俺は、とっさに「先生、苦しゅうありません。頭をお上げください」と言った。
古臭い言いかただが、歴史の先生だから、いいだろう。

その先生の授業内容は、なかなか密度の濃いものだった。
ただの公務員が、休憩時間と休憩時間の合間に、時間つぶしにやっているというような授業ではなかった。なかなかのものだ。
 ただ、俺にしてみれば、眠くなるということにかわりはないのだが。

 ある日、友達と図書室へ行ってみた。
図書室など、まったく縁がないのだが、“学校探検”のつもりで行ってみた。
 そこに、世界史の先生が、なにやら、分厚い本を広げて、調べ物をしていた。

そんな先生に「勉強ですか?」というのは、失礼な気がして、
「先生、ごくろうさまです。世界史の研究ですか?」と言った。
先生は「いやぁ、研究っていうほどのものではないんだが・・・。君達はここに、研究に来たのか?」と聞く。
「いいえ、俺達は、ただの探検です」
先生は、不思議そうな顔をして、「探検?」と聞く。
「はい、コロンブスやマゼランです。学校探検です」と答えた。
先生は「あっそう、探検も大事だね」と言っていた。
俺は「いえいえ、先生のような教師のほうが大事です」と言った。

そういえば、世界史に、皇帝につくか、法王のつくかを迷った“カノッサの苦悩”というのがあったな。
この先生をみれば、誰が大事かすぐわかったような気がするのだが。

 倫理社会の先生は、若いときに、肺の病気の手術を受けたせいで、肩の高さが極端に違う。片方のあばら骨を上に持ち上げたのだそうだ。
噂では、東大出身なのだそうだ。
それらの理由からなのか、笑った顔を見たことがない。

 最初の頃の授業は、性教育だった。
高校生の倫理を正すという意味で、性交は子供が産まれてくる行為なんだということを、熱心に教えていた。
その、授業中も、一度も笑ったことがない。

だんだん、俺の気分がつらいものになって、先生に言った。
「先生、たまには笑ってください」
 先生は、あいかわらず きびしい表情で「どういう意味だ」と言った。

「あのー、先生がたまに笑ってくれないと、若い頃の結核の苦労のせいで、教育にかけているっていう 思いつめてるっていう感じがして、こっちがつらいんですよね」
先生は「そういうことか。それなら、だいじょうぶだ。家では、たまに笑ってるから」と、はじめて笑顔をみせた。

 俺は、「そうなんですか、よかった」と、すこしほっとした。

 あんまり、ほっとしすぎて、それ以来、倫社の授業は寝ていた。
だいたい、ソクラテスだとか、釈迦だとか、友達でも親戚でもない人間が、なにを考えていたかなんて、俺には関係ないことだから。

 だが、テストで困った。
テスト前に徹夜で、教科書を勉強したのだが、答えが書けない。
優秀な先生に限って、教科書にない内容を、授業中に話している。
ノートをとっていれば、問題ないのだが、昔から、ノートはとらない性格で、しかも、寝ているのだから、答えが書けるはずがない。

 点数は、史上最低、クラス最低の13点。
ピンチだ。
通常40点以下は、追試になる。
しかし、本試験でも13点しか取れないのに、追試に簡単な問題が出ても、40点以上なんて取れるだろうか。
1科目落として留年か。かなり、やばいぞ。

 先生が、テストをかえし終わって「最低点の13点は誰だ?」と言う。
俺は、しかたなく、手を挙げた。

 先生は、俺の顔を見て「ああ、君か」と言った。
 俺は、「先生、追試ですか?」と聞いた。とりあえず、追試対策をしなければと思っていた。

 先生は、いつになく、おだやかな表情で「君には、追試はしない。倫社でよかったな。ほかの教科は気をつけろよ」と言った。助かった。







© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: