2004年5月


恥ずかしながら… 05月01日(土)
年末以来の大掃除をしてみた。と言っても、私が書斎がわりにしている一部屋だけであるが。私は掃除に限らず、洗濯、皿洗いは好きである。気分的に、自分の心まで「キレイ」になったように思えるからだ。まぁ、恥ずかしながら、錯覚であるのだが(笑)。掃除を終えて、部屋を見わたして自己満足に浸る。しかし、やはり以前から考えてはいるのだが、観葉植物が欲しい。ネコ君と共存できそうな観葉植物をもう1度探しに行ってみようと思う。
落ち着きを取り戻した部屋で、のんびりと読書をした。プロレス関係の書籍をまとめて、である。そしてつくづく、プロレスは生観戦が一番だと思った。
ついでながら、私のハンドルネームの「misawa」は本名ではない。プロレスラーの三沢光晴選手より勝手に拝借したのである。恥ずかしながら、入場曲のイントロが流れるだけで、感動と興奮で涙が溢れてくるくらい、三沢選手には思い入れがあるのだ。

シャーベット、あるいは… 05月02日(日)
久しぶりに、それなりに呑った。買ってきたばかりの日本酒の封を切って、味見だけするつもりであった。しかし、「冷や」で調子良く呑っていたら、一升瓶の半分くらいまで減ってしまった。
そして、ホロ酔い状態で近所の居酒屋に出かけた。お店では、ぬるめの「燗」を、ススメ上手のおかみさんにススメられるがまま呑る。ここのお店は、酒は一般的なものしかないのだが、つまみは安くて旨い。途中、テレビのスポーツニュースで競馬の結果、配当を知り、ピッチがあがる。・・・悔しくて、である(笑)。
う~ん、トータルで一升近くは呑ったようだ。今の私は、日本酒であれば、一升呑れば充分である。
居酒屋からの帰り、コンビニでメロンシャーベットを買う。酒を呑ったあとにはラーメンもいいが、友人たちには笑われるのだが、私はシャーベットや、「ガ○ガ○君」が好きなのである。オススメなんですけどね(笑)。

原因は? 05月03日(月)
くしゃみに鼻水、そして涙。ほとんど花粉症のような症状が出ている。今日1日でずいぶんとティッシュを消費した。ために鼻の下が痛い(笑)。この症状の原因が、やっと購入した観葉植物(ベンジャミン)であるなら、シャレにならない・・・。これが偶然であればいいのだが、少し様子を見てみるしかない。と言っても、慣れるしかないのだが・・・。
ネコ君は、予想通り観葉植物に興味を示したのだが、どうやら口に合わないようである。良かった・・・のかな。ネコ君には、いわゆる「ネコ草」を用意してあるのだが、それはそれといった感じで、他の植物にも手を出す。まぁ、仕方のないことではあるので、割と好きにさせている。おなかをこわさなければ、それでいいのだ。
と、ここまで書いている間も、ず~っと鼻がムズムズしている。あっ、鼻水が・・・。
汚い話で、申し訳ありません。

いくつかのスレ違い 05月04日(火)
午前中ちょうど出かけようとしていると、某県に住んでいるはずのTHより連絡が入る。「今から会えませんか~?」と。私が「どこにいるの?」と尋ねると、東京に遊びに来ていると言う。あきれて「そういうことは、前もって言うように」と、言いかけたが、私もそういうタイプなので、「ごめんね、またね・・・」としか言えなかった(笑)。しばし、電話で話しをしたが、元気そうで良かった。
沖縄旅行に行っていたYKが帰って来た。午後から、いそいそとお土産をいただきに出かける。頼んでおいたものがあったのだ。・・・しかし、彼はモノを間違えて買ってきていた。そういうのも、まぁ楽しくて良い。数百円のものとは言え、そもそも、私はお金を託していないのだし(笑)。
今日は、怪人TY氏の誕生日であるので、YKとともに一杯ごちそうになろうと連絡をとるが、氏は頭痛で寝込んでいた。頭痛のツラさは充分承知しているので、早期の回復を心のなかで祈る。
YKのところで、賞味期限を数ヶ月過ぎた缶ビールを発見した。そして、興味本位で呑る。そんなビールは見るのも、呑るのも初めてである(笑)。・・・1缶で充分であった。

幸か、効果。 05月05日(水)
朝帰り。久しぶりに、である。家に帰ってくるだけまだマシでしょ、なんて強気なことは言えない。新聞配達のバイクが何台か通り過ぎて行く。
体が冷えてしまって寒いので、そ~っと日本酒を呑りだす。調子が出てきそうなので(笑)、体が温まったところで早めに切り上げた。時間が時間なので、二日酔いになりにくい方法をとる(オススメすることができない方法なのでここでは書かないが)。そう言えば、美白効果があるという「L-システイン」は二日酔いにも効果があると聞いたが、どうしてなのかなぁ?。気になっている。
花粉症のような症状は弱まったものの、まだ続いている。この感じだと、観葉植物が原因ではないように思う。とりあえず、良かった。
想像しないでいただきたいし、人前では恥ずかしくてできないが、植物には話しかけるようにしている(笑)。話しの内容にもよるらしいのだが、植物にも人間にも「癒し」の効果があると、以前花屋さんに教わったのだ。・・・まだグチは言っていない。

花の色は~ 05月06日(木)
自分を「良く」見せようとすると、そのうち言動が苦痛になってくる。私は、恥ずかしながら背伸びをすることはあるが、そもそもどうすれば自分を「良く」見せれるのかなんて、わかってはいない。自分の長所なり短所なり、「ありのまま」を知ってもらえたほうが、怖いことではあるがありがたい。
考えるに、「自分は嫌われているのでは?」などと思っても、周囲は嫌ってないものだと思う。また、自分で自分のことを「カッコいいでしょ」などと思っても、周囲はそうは思っていない。・・・見てくれる人の価値観や審美眼にもよるであろうが。
世阿弥は『花伝書』で、「時分の花」(やがて枯れてしまう若さゆえの美しさ)と「まことの花」(修行し、鍛錬した美しさ)について書いている。「時分の花」が失われた時「まことの花」を手に入れていない者の能は下がる、「まことの花」を手に入れた者の能は下がらない、と説いている。
「時分の花」が苗だとすれば、「まことの花」は実だと思う。苗と実自体は別のものだが、根は同じものだ。苗から実への過程にある、全ての試練をいかに「糧」としていけるか。
誰かにではなく、自分が「ありのまま」の自分を認めてやりたい。そして「まことの花」となっていく。「糧」はありすぎるのだから・・・。

睨みあい 05月07日(金)
書きすぎたように思う。昨日の日記のことだ。日記に対してのコメントを日記でするなんて、愚かであるかも知れない。しかし、記憶から消えることがあるかも知れないから(できれば消えてほしいが)、記録しておこうと思う。
自分だけがわかる自分の調子の悪さ。表沙汰にしたくない調子の悪さ。調子が悪ければじっとしていればいい、書かなければいい・・・とは思ってはいる。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに」(小野小町)。私は自分の容色なんて、気にもかけていない。健康については考えてみたりするし、それなりに知識もついてしまったけども。健康情報は氾濫しているから、その中から信ずるに足るものを見分けていかなければならないが。
ただ、もの思いに沈んでいても、時は私に関係なく過ぎていくのはたしかである。どんどん尖って鋭くなっていく時計の針先・・・。

涙こそ流さないが、もらい泣きしてしまいそうなことが多い。尖って鋭くなった時計の針先と、睨みあっている。

きっかけ 05月08日(土)
なんだか蒸し暑く感じるので、窓を開けて眠ろうと思った。タバコを吸いすぎていたから、換気にもなってちょうどいい(笑)。ありがたいことに、心地良いやわらかな風が流れてくる。
少しすると、風のにおいに、なにかを思い出しそうになる。ぼんやりと空中に浮かんでくるのだが・・・。酔っぱらいながら帰ってきた日のことのような(いっぱいあるぞ)?、鎌倉で聞いたいつかのセミの声のような?・・・。似ているようだが、少し違うようだ。それに、その先になにかある。なんだろう・・・?。なにかが引っかかってしまって、もどかしい。酔っぱらえば思い出すであろうか?、セミの声はまだ聞けないだろうけど、鎌倉へ行けば思いだすであろうか?。

「それでもいいんだよ」。最近、心の底から、そして心を込めて言いたいと思った言葉。「言葉は心を込めなくても脳に伝わる。心を込めれば体中に伝わる。」とは、版画家の大野隆司の言葉。・・・心に伝わるように言いたい「それでもいいんだよ。」

帰り道なら知っている。 05月09日(日)
久しぶりに、SY、KNと呑る。短時間ではあったが、気持ちのいい酒だった。SYとは、それこそ毎晩のように呑っていた時期がある。私が結婚してからは、そうもいかなくなってしまったが。
詳しくは、また書くことにしようと思う。

このなん日かは、いつもにも増してぼんやりしている感じだ。日記にしても、ワケのわからないことが多い(苦笑)。意識したくはないが、やはり調子が違うのだと思う。

ただの拙い暮らしぶりを、スタイルなどとうそぶきたくはない。愚かなシナリオを真に受けて、いつまでも演じているわけにはいかない。そろそろ戻らないと・・・。

今少しだけ 05月10日(月)
このなん日かの、ぼんやりしている感じを「気だるい」と言うのだろう。隠れていたままの傷口が疼きだしているのだろう。いや、傷口に向かい合いすぎているのかも知れない。ニーチェの「誰であれ、怪物と戦う者はその過程において、自らが怪物にならぬよう注意すべきである。長い間、奈落をのぞきこんでいると、奈落もまたこちらをのぞきこむものだ」という言葉を思いだした(苦笑)。
たしかに、帰り道なら知っている。わかっているハズだ。目指すところもずっと変わってはいない。時間と競争してはいるが、道草をして、遠回りしてしまっていると思うこともある。ならば、この「道草」をムダにすることはしない。負け惜しみではなく、「道草」をしたからこそ、わかったこともあるからだ。
・・・今少し、変化に順応するゆとりが必要かもしれない。

ジャスミンの香り 05月11日(火)
ムシ暑さのせいか「気だるさ」はぶっ飛んでしまったようだ。う~ん、よくわからないが、良しとしておこう(笑)。相変わらず、天候の変化がモロに体に影響する。わかりやすいと言えばわかりやすいのであるが、やはり疲れる。
嘆いていても仕方ないので、ビールを呑る。カラっとした暑さならまだ良いのだが、ムシ暑く湿度の高い日にビールを呑りすぎると、汗の量が増えてしまう(笑)。ために、そこそこにしておく。
いただきもののジャスミン茶があるのを思い出し、ビールから切り替える。ジャスミン茶は好きなのであるが、最近は飲んでいなかった。
久しぶりに、ジャスミンの香りをゆっくり楽しむ・・・。気分は亜熱帯。

これはゲームじゃない 05月12日(水)
ひまわりの葉が4枚になった。開花まで、まだまだ先は長いが、このまま順調に育てたい。

国内外の痛ましいニュースや、呆れてしまうニュースに、デビッド・ボウイの「IT'S NO GAME(NO.2)」という曲を思いだす。
身の程知らずのことを言うならば、人間の生命は地球より重く、「生命の尊厳」、「人間の尊厳」なんてみんなわかっていることだと思う。だからこそ、人間の存在があってこその国家であってほしいと願う。

ひまわりの花言葉はいくつかあり、その中の1つに「あなたは素晴らしい」という言葉もある。
自分自身の心の中での出来事も、目の前にある様々なリアルな出来事も、「IT'S NO GAME」。しかし、対処してきっと解決ができるはず。気づいてほしい、あなたは素晴らしいということを・・・。

弱いのに… 05月13日(木)
なんとなく調子が悪い。季節も季節なので、いわゆる不定愁訴かとも思ったが、原因は持病の三半規管のようだ。
昨日は、版画家のMK君と呑る予定であったが、延期してもらった。調子が悪いのにヘラヘラするわけにはいかない。なによりも、そういう私を受け入れてくれるMK君のやさしさに甘えたくもなかったのである・・・。
弱いのに、強がる自分・・・。
MK君と呑ることを楽しみにしていただけに、心は痛み、気持ちは沈む。

MK君は南米を旅していて、最近帰国したばかり。彼が、私のために買って来てくれたというお土産のお酒も呑りたかったのであるが・・・(笑)。次に会う時はもう、お酒は無いような気がする。ちなみに、お土産のお酒は、イモムシが入っているウオッカらしい。「イモムシ酒」の正式?な名前は忘れました・・・。

雨の音 05月14日(金)
思いつくまま、手当たりしだいにCDを引っ張り出す。そして、ほんの少し酒を呑る・・・。
積み上げたCD。なにを聴こうとしているのか、改めて確認する。小島麻由美、ビョーク、柴田淳、Cocco、ジェットボーイズ、ナンバーガール・・・。安らごうとしてるんだか、どうなんだか・・・。
そんな自分が、おかしくて(笑)・・・。
張りつめたモノを、持てあましていることは自覚している。今日は、それぞれの楽曲に身をゆだねてしまうつもりである。

雨が降っても、私は私・・・。この雨をしのごうか、この雨に濡れてしまおうか、「空」を見上げながらいつも迷う。

地中で 05月15日(土)
古い友人OK氏より、彼のお子さんの成長具合を教えてくれる写真が届いた。お子さんは大晦日に誕生した。また、OK氏はお子さんの誕生と同じ頃、おばあさんを亡くされている。優しいOK氏の心の中は複雑であったであろう。
とは言っても、私には、他人の人生、ましてや大切な友人の人生を冷静に解説などできない。また求められても、申し訳ないがアドバイスもできない。
私の目に見えている現象など、たかが知れている。それに、私には悲しいかな「人の気持ち、心がわかる」能力などない。
キレイに咲いた花は美しい。しかし、その花の「根の活動」を知らなすぎる。もっと言えば、ホントはその花の「根の活動」ほうが尊く美しいであろうに・・・。

抱え、背負う。 05月16日(日)
今日は、義母の「謡」の催し物が某能楽堂で行われる。「謡」については、私もよくわかっていないのであるが。義母から送られてきた案内状を見ると、それこそ朝から晩まで、という長時間のものである。
催し物が終わった後は、義母たちと一緒に食事することになるであろう・・・。あれこれとイヤなワケではない。ただ、私の都合で動かせない大切な事が、同じ時間帯の中でもう一つあるので悩んでいるのである。それよりなにより、体調が悪いままなので困っている。

結局は・・・、悩むにしろ困るにしろ意味はなかったことになってしまった。体調の悪さゆえに動けなかった。・・・また大きなモノを抱えてしまったような感じである。はぁ~・・・。

言い訳になるが、なんだかんだ言ってもどうしようもなかった。
そして「精神の状態に関していかに精(くわ)しくても、それは思想とは言へぬ、思想とは一つの行為である」という小林秀雄の言葉を思い出し、それを悪く捉え、自縛の自爆状態になってしまった・・・。

…やっと 05月17日(月)
バーボンウイスキーをロックで呑る。暑い日は、たまにはコイツもいいものだ。シングルモルトのラガヴーリンにハマる前は、私にとってウイスキーと言えばバーボンだった。ラガヴーリンを呑り続けて17年・・・。お世話になっているバーがオープンしてからと同じ年数だから、よく覚えているのだ(笑)。そして、そのバーのマスターが、ラガヴーリンをススメてくれた。
そのバーで、一杯呑る度に、マスターと会話する度に大人になっていくような感覚があった。しかし、そこは若僧、無礼も失敗もある。マスターや、常連の方に礼儀、作法、そして文化を教わったとも言える。まぁ、基本は、楽しく遊ばせていただいていたのだが(笑)。

このなん日間は、持病に泣いていた。酒も少しだけ遠ざけて、大人しくしていた。いくつかの大切な約束を果たせなかった・・・。今日やっと復調し始めたような感じがある。空白の、この間のことも書き残していくつもりである。日記としてはおかしなことになるかも知れない。その時、自分がなにを考え、どう動いたのか・・・。いや、動けなかったから、それがまた悩みになったのであるが。とにかく、記憶は曖昧になるので、記録しておこうと思う。

とりあえず今の自分の存在、そして明日からの自分に乾杯しておく。

思い出したように 05月18日(火)
「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと想います。自分にないものを無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません」とは、画家の熊谷守一の箴言である。
自分を出すこと、自分を生かすことは難しい。そして「自分自身を生ききる」こと、「自分自身に生ききる」ことはさらに難しい。
おかしな話しではあるが、なによりも自分自身の小さな「我」が、大きく邪魔をする。であるから、間違いなく自分自身は在る、とも言えるのだが・・・。
現実に走っているからこそ、汗をかき、疲れもするのだ。汗を拭いて、水分を補給して、よろめいても、休んでも、ゴールに辿りつけばいい。必殺技も秘密兵器もない。あるとすれば、それらは全て自分自身の中。・・・気づけるかどうか。
守一の作品では「ネコ」が好きで、思いだしたように時々眺めている。

傘の中で 05月19日(水)
交差点での信号待ち。雨の中に佇んだまま、つい夢想してしまった。傘の中での数十秒・・・。

群衆の中で孤独な時が孤独なのではなく、孤独感を噛みしめられない時が、本当に孤独なのだと思った。
孤独感を噛みしめると、思いが深刻になるかも知れない。しかし、それは自身を鍛える大切な作業だと思う(苦しい作業ではあるが)。孤独感を噛みしめることで、それに見合った以上のプラスのものがあると思う。ある種、大きな希望を見い出そうとしているのだとも思う。

表面上の喜びでいいなら、お金で買えることもある。しかし、そうして手に入れた喜びはあっという間に使い果たされ、その後、逆に虚しさが生まれることがある。

孤独感という苦いカプセルを噛みしめる。
「交差点の信号」は青に変わった。

雨宿り 05月20日(木)
孤独感を噛みしめるには、勇気と忍耐が必要だと思う。だから、苦しい。誤解されることもあるであろう。しかし、自分を一歩深めるために・・・簡単には言えないが、やはり必要な作業のように思う。

いつまでも雨は降り続かない。しかし、申し訳ないけれども、いつ雨が止むのか私にはわからない。信じることは、一番簡単なようでいて、一番難しいこと。だからこそ、なにを信じるのかが問われ、大事になってくる。

あなたは間違っていないと思う。あなたはがんばれないのではなく、がんばりすぎてるんだと思う。

私にしたって、余分に傘を持っているわけではないし、軒先にしても広くはないのだけれど・・・。

7月10日 05月21日(金)
台風がそれたそうで、勢いのある青空が広がる。こういう日ばかりが続けば、気持ちは身軽。
久しぶりの二日酔い。と言っても、ピッチが早かっただけで、そんなに呑ったわけではないから、たいしたことはない。ほんの少しだけ頭が痛い。今日はゆっくり呑りたい。
昨日20日は、プロレス観戦仲間OMさんの誕生日であった。それで、そろそろ観戦をと、アレコレ考えてみた・・・。やはり、7月10日の「ノア」初の東京ドーム大会になるであろうか。・・・しかし、ものすご~く日が悪いのである。
う~む、悩む前に観戦をあきらめた・・・フリをしておこう(笑)。いえいえ、本当に観戦をあきらめましたよ(笑)。
来月、近所のH大学の学生プロレスを楽しませていただきます。

願い事ひとつ 05月22日(土)
他人を見当違いに悪く言うことによって、自身の優位を確認、そして自身だけの正当性を確認。なんて愚かで悲しいことであろう。
ビアスは言った、「“噂”。人の評判を抹殺しようとする暗殺者たちがお好みの武器(以下略)」と。あなたにも私にもそんな武器は必要ないハズ。
見当違い、誤解は仕方ないのか・・・。悪意のあるものをも正義だと言うのか。善人のフリして、自身を棚にあげての邪な言動・・・。
差異、異質への理解と寛容は、自身のことを深く知る上でも大切なことだと思う。なにより、あなた自身がそれを強く願っていることを私は知っている。もちろん私も一緒に願い、行動しよう。
喜びも悲しみも分かち合えるに越したことはない。今のためにも、明日からのためにも。

失敗しながらも 05月23日(日)
自分や、自分の周囲をウソやニセモノで飾り、固める・・・防御する。無気力になる、イライラする、刹那的な生き方になる・・・反応する。本能のままにしか生きられない、育った環境にしか適応できないのか。
いや、育ちや環境を「何とか」変えることはできよう。自身のカラを膨らませたり、破ったりしていくことも可能であろう。知識や教養を知恵にすることもできよう。だからこそ、自分を、人間をバカになんかできない。

「そこいらのれんじゅうみたいに、ブスブスとくすぶりながら、不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ、まぶしいほど真っ赤に燃えあがるんだ」
「そして、あとには真っ白な灰だけが残る……」
「燃えかすなんか残りやしない……真っ白な灰だけだ」とは、劇画「あしたのジョー(高森朝雄・ちばてつや)」の中の、主人公矢吹丈の有名なセリフ。

ひねくれるわけでも、開き直るわけでもない。リアルであれ、バーチャルであれ、暑苦しいくらい暖かい人々に支えていただいている(失礼!)。安心して?失敗しながらも等身大の自身を構築していこうと思う。感謝の言葉もない。

ハザマ 05月24日(月)
どうして、そんなに自身の価値観だけを押しつけようとするのか。その前に、本当に、その「価値観」とやらは自分自身のものなのか。土台が脆弱で、模索もせずに、ただなけなしの気合いで隠す自信のなさ。そういうものも「修羅の命」という。
自分自身の中のなにかを犠牲にするのは自由だが、他人の犠牲の上に自身の幸福を築いていこうとしているのか。
正しくありたいからこそ、自信を持ちたいからこそ必要となる、謙虚な姿勢、もっと広いパースペクティブ。
地に足がついていない、地に足がめり込んだまま動けない、頭がカタイ。そして、それを思い悩む時、心がイタイ。時計を持たない子どもではいられないが、頭と心が硬直したオッサンでいいわけもない。まだ大丈夫だと思う・・・。

書き直したって… 05月25日(火)
騒ぎすぎて少し疲れてしまう。正直でデリケートな「胃」の痛みだけでも、せめて麻痺させてやろうとボトルに手を伸ばす。
しかし、うまく眠れなくなりそうなので、止めた。もうこの部屋の中が、数えすぎた羊で溢れるのはゴメンだ。

一人念じているのは知っている。誰にも伝わらなくてバカバカしくなってしまっているのだろうか?。なんにもならないと思っているのだろうか?。

自分のために、自分で書いたシナリオなら、ただの通行人でいるわけにはいくまいて・・・。いや、それでもいいのかも知れない。演じきれればいいのだと思う。
もしくは、書き直しにしたって、アドリブだってアリだと思う。

名作 05月26日(水)
「人間も本当に低劣になってくると、他人の不幸を喜ぶ以外には、もはや何らの興味も持たなくなる(ゲーテ)」。最近、つくづくそう思うことが多い。
時に、考え過ぎると胃が痛くなってくる。酒で胃が痛むことなんてほとんどないのに・・・。おかしなものだ。
胃の痛みを麻痺させるための、酒・・・は呑らない。昨日も今日も、どうもこうも胃薬のお世話になっている。
「自分で作ったシナリオ」なることを昨日の日記に書いた。改めてよく考えると、私は書き直してばかりだ。ヘタをすると、過去に遡って書き直そうとしてしまう。意味がないのに。それに、あとがきを書こうと思ってしまう時もある。
私のシナリオは名作でなくてもいい。まぁ、それ以前に名作など書けるかどうか疑問であるが(笑)。

原動力 05月27日(木)
自己弁護ばかりしているようだ。バランスがうまくとれてない(そもそも苦手な作業であるが)。おとなしく酒を呑って、笑っていよう。

お恥ずかしい話しであるが、毎回見てるわけでもないのだが、NHK教育の「おじゃる丸」というアニメが好きである(笑)。ある時、甥っ子(5歳)が見ていて、なにげなく一緒に見たのであるが、ハマってしまった(笑)。
笑うタイミングが甥っ子と同じであった・・・。私が幼いのか、彼が大人びているのか(笑)。いや、番組の内容が素晴らしいのかも知れない。

笑いや癒しは、私にとって大きな原動力となる。
笑わせること、笑わされること、癒せること、癒されること・・・。ムズカシイことではあるが、心がこもってこそのものだと思う。
「事なかれ主義者」ではないが、愚かな誤解、疑心暗鬼は悲しくなる・・・。

お茶漬け 05月28日(金)
私は、寝相が悪い。ベッドから落ちることなんてしょっちゅうだった。ために、部屋のキャパの問題もあるが(苦笑)、ベッドで眠るのはムズカシイ。
目覚めたら、後頭部がなにやら冷たかった・・・。手をあててみると髪の毛が濡れていた。もしや・・・と思い、ネコ君を捜すがいない。鼻をクンクンしてみたが、手からはネコ君のそれらしいニオイはしなかったので、一安心。
周囲を見渡すと・・・、お茶が入っていた容器が寝ころんでいた。いつの間にか、ぶつけて倒してしまったのであろう・・・多分。眠る前にお茶を飲んでいたのだが、片付けなかったのがイケナイ。お茶が少ししか残ってなかったこともあり、面倒くさくてそのまま放置したまま眠ったのである。
はい、お茶が頭にひっかかってます・・・。ちなみに玄米茶でございます。

ミカタ 05月29日(土)
暑い。しかも、体調が悪いせいか、体温調節がうまくできないようだ。持病ゆえに、この時期は覚悟(というほどのものではないが)をしてはいるが、やはり鬱陶しくもあり、疲労も増してしまう。
後期ストア派の学者、マルクス・アウレリウスは「君が何か外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ」と言った。私の読み方が浅いせいもあるだろうが、「おいおい、簡単に言ってくれるなよ(笑)」と思った。しかし、見方、目線を変えてみることは大切であるとも思う。
缶ビールにしたって(笑)、真横から、真上から、斜め上から見るのではそれぞれ違う形である。
さて、私にとっての缶ビールとは、ご託を並べて温くなる前に、シンプルに呑るものである。

X(エックス) 05月30日(日)
相変わらず、胃が痛んでいる。今週から、友人と呑る機会が多くなる。その中には、過去に延期してもらったものも含まれている。体調を整えて・・・と言いたいところであるが、不明な部分もあるわけで・・・。無論、持病があるから日頃から対処はしている。とりあえずは、胃の痛みが治まってもらわないと。

考えあぐねていることがある。「どうするの?」と自分でツッコミをいれている。100%の答えはできない。せめて、少しでも独りよがりではない自己満足ができるよう、考え、行動していこうとは思っている。幸い、方程式はわかっているのだから。答えは、どんな値が入るかで変わってくる。いや、「どんな値を入れるか」と考えた方がいいのかも知れない。
算数は苦手であるが、身の上のXは、そのままでもいいが、解いてもいきたい。

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レス遅れております。申し訳ありません。

アジがわかれば 05月31日(月)
なんとなく酒がススマなかった。どっちにしろ量が呑める状態でもないから、ちょうどいい・・・のか(苦笑)。酒は楽しくても、悲しくても旨い、いや、「旨い」という表現は適切ではない。「味わえる」と言ったほうが良さそうだ。もちろん、酒の成分を分析してという意味ではない。
私を見守ってくれている周囲に関してみても、言い方は失礼だが「味わえる」、「味わい深い」方々が多い。感謝しているし、目標にもしている。「弱気なありがとう」は言いたくないが、「強気なありがとう」も言えない。たんに、「素直にありがとう」という気持ちである。しかし、それを表現しないのがイケナイ・・・。食えない自分を反省。
酒で失敗し、人で失敗し、そして酒で喜び、人で喜ぶ。この繰り返しの私・・・。


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