2016年08月02日
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≪青の洞門その2≫ 【今様】  罪を重ねし      網谷一才
  つみ   かさ      つぐな    た        ひがん  ほうしぎょう 
   罪を 重ねし 償ひに  立てし悲願の 奉仕行 

             なむかんぜおん だいぼさつ うべ  たま     わ   ねが
           南無観世音大菩薩  諾い給え 我が願い

民謡】青の洞門通れば響く今もまぼろし槌の音 昔偲べば禅海さまの影もうつろう鑿の痕

【恩讐の彼方に】
親の仇として追われる市九郎は僧侶(禅海和尚)となって羅漢寺を訪れた際、耶馬渓に赴き、人々の難儀を救うために洞窟を掘り始める。仇を討つ中川実之助もその姿に感動し、共に鑿を振るい21年後に貫通させる。2人は恩讐を超えた抱き合って完成を喜んだ。

s-羅漢寺・五百羅漢・手掘り洞門.jpg
1、羅漢寺             2、五百羅漢      
3, 現在に残ってる禅海和尚手彫りの洞門入口


s-菊池寛・仇討.jpg
1、罪の償いと大悲願の岩場を砕く禅海和尚像   2、作家、菊池寛   
3、仇と狙う中川實之助と出会う

s-三国川・競秀峯.jpg
1、30年の歳月を費やし完成させた説明   2.洞窟から見る三国川   
3、青の洞門全景(競秀峯)

※作家  菊池寛 (きくちかん)1,888~1948(明治21~昭和23)小説家・劇作家
本名は寛(ひろし)筆名寛(かん)。香川県高松市に生まれ京大英文科卒。在学中芥川龍之介・久米正雄らと第3・4次「新思潮」を発刊。戯曲「屋上の狂人」「父帰る」を発表。小説に転じ1918(大正7)「無名作家の日記」「忠直卿行状記」181年「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」など発表。一躍作家の地位を得る。のち、「文芸春秋」を創刊、同社長となり、文芸家協会会長など就任。1937(昭和⒓)東京市議会当選。1948(昭和23年) 病没。






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最終更新日  2016年08月09日 20時39分37秒
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