≪青の洞門その2≫
【今様】 罪を重ねし
網谷一才
つみ かさ つぐな た ひがん ほうしぎょう
罪を 重ねし 償ひに 立てし悲願の 奉仕行
なむかんぜおん だいぼさつ うべ たま わ ねが
南無観世音大菩薩 諾い給え 我が願い
【 民謡】青の洞門通れば響く今もまぼろし槌の音 昔偲べば禅海さまの影もうつろう鑿の痕
【恩讐の彼方に】
親の仇として追われる市九郎は僧侶(禅海和尚)となって羅漢寺を訪れた際、耶馬渓に赴き、人々の難儀を救うために洞窟を掘り始める。仇を討つ中川実之助もその姿に感動し、共に鑿を振るい21年後に貫通させる。2人は恩讐を超えた抱き合って完成を喜んだ。

1、羅漢寺 2、五百羅漢
3, 現在に残ってる禅海和尚手彫りの洞門入口

1、罪の償いと大悲願の岩場を砕く禅海和尚像 2、作家、菊池寛
3、仇と狙う中川實之助と出会う

1、30年の歳月を費やし完成させた説明 2.洞窟から見る三国川
3、青の洞門全景(競秀峯)
※作家 菊池寛
(きくちかん)1,888~1948(明治21~昭和23)小説家・劇作家
本名は寛(ひろし)筆名寛(かん)。香川県高松市に生まれ京大英文科卒。在学中芥川龍之介・久米正雄らと第3・4次「新思潮」を発刊。戯曲「屋上の狂人」「父帰る」を発表。小説に転じ1918(大正7)「無名作家の日記」「忠直卿行状記」181年「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」など発表。一躍作家の地位を得る。のち、「文芸春秋」を創刊、同社長となり、文芸家協会会長など就任。1937(昭和⒓)東京市議会当選。1948(昭和23年) 病没。