謬って文王 に載せ得て帰られ 一竿の 風月 心と 違う
おも きみ ぼくや ようよう のち ゆめ あ はんけい きゅうちょうき
想う君が 牧野 鷹揚の 後 夢は在り磻渓 の 旧 釣磯
詩文説明 (中国殷・周時代)
周の功臣、呂尚は、渭水の浜で釣をしていた処、たまたま猟に来た文王に見出され、その車に乗せられて心ならずも連れ帰られた。文王の子・武王が殷の紂王と牧野で戦った時、軍師として活躍。勝利の功により斉の国王に封じられたが、いつしか夢に見るのは嘗て釣りをしていた磻渓の磯辺である。
作者 佐藤一斎 (1772~1859)
幕府の儒官。名は旦。 一斎は号。安永元年、岩村藩家老信由の次男として生る。20歳で中井竹 山に学び、22歳林簡順の門に入り、34歳で塾長。天保⒓年、70歳時昌平黌の学統になる。門弟3千余名、朱子学を主としたが、私塾では陽明学を講じた。安政6年(1859)88歳で病没。
1、呂尚画像
2、3、太公望だ釣りをしたと伝わる魚釣台(陝西省宝鶏郊外)魚釣台

1、呂尚に「あなたこそわが父大公が待ち望んだ聖人だとわが師になって下さいと懇
願する西伯。
(上の魚釣台とレリーフを合成)
2、
牧野の戦いで紂王を破る。 (
写真は「図説「史記の世界」より(白黒写真に色
を付けてます
)
太公望呂尚
周代の斉祖。性は姜、名は尚。字は子牙、先祖は堯に仕え呂(河南省)に封じられた因で、呂尚の呼び名があるという。渭水の浜で釣りをしていた。たまたま狩に来た文王が出会い、彼こそが我が父「大公」が待ち望んでいた大賢人であると見抜き、彼を軍師として連れ帰った。
この話に基づき、彼を「太公望」と呼び、現在でも釣りを する人を「太公望」と表現しています
( 太公望が、その昔貧困に喘いでいた時、あいそをつかした妻は出て行ったが斉王になったので帰ってくると呂尚は水鉢の水をこぼし、この水をもう一度水鉢に戻せと言った「腹水、盆に返らず」(史記・十八史略))