はくい しゅくせい えい やまだほうこく
伯夷 淑斉を詠ず 山田 方谷
しょう き けいな つい じゅうい うちゅうぼうぼうたれ ひ し
商を 翦るの計成って竟に戎衣 宇宙 茫茫 孰か非を識らん
きみさ ちゅうげんいく しゅうぶ しゅんぷうふ お しゅよう わらび
君去って中元 幾 周武 春風 吹き老ゆ首陽の 蕨
詩文説明
人民を悪政から救うため殷
(
紂王
)
を伐たなければと周の大王
(
古公
亶父 )
以来謀を巡らしていたが、その曽孫武王が討伐した。茫茫たる広い宇宙にその非をを知り罪を鳴らした者はなかった。ただ、伯夷淑斉兄弟が去って後、中原本土には、幾人の武王が出現したことか。かってその命を繋いだ首陽山の蕨も、その後は春風に老いるばかりで、これを採る人もいない
(
節義の土が出ない )
。
※ 詩は武力をもって世を変えることの非と体を張ってそれを阻止する者がいないのを嘆く。

1 ,州王
(
発
)
殷の紂王を伐つ
2,
周の武王 3,伯夷像 4,淑斉像
(
「図説・史記の世界」

1、洛陽郊外首里山このあたりに伯夷、淑斉の廟があったという。
2 、殷王紂の墓と伝わる墳丘。河南省淇県。
3、発の父、西伯
(
太公望を採用した人文王・
)
が紂王に幽閉された菱里城遺蹟 。
(なお聖人
(
太公望
)
を夢見たという人は西伯
(
文王
)
の祖父、古公亶父。『
図説・史記の世界』
※
紂
(
殷王
)
は
1
婦人
(
妲己
)
の容色に惑溺して唯々その意に従い、淫虐の限り
(
酒池肉林
)
を尽くし、
贅沢三昧、意
に反する者には炮烙の刑を行った。『史記・十八史略)』
●酒池肉林=酒糟で丘を作り池には酒を流し池の周囲に肉林を作り裸の男女を遊ばせる)。
●炮烙の刑=庭に穴を掘り穴の上には油を塗った銅柱を立て罪人を登らせ、穴下には焚火を燃やし罪人は堪らず穴に落ち焼け死する。妲己は笑いながら見物。
武王はこの様な紂を征伐したが伯夷淑斉は「暴にむくいるに暴
(
武力
)
をもってする武王のやり方に聊かの得も認めないと抗議。信義を守って周の粟を食らわず」二人は首陽山に隠れ蕨を採って命を繋いだが遂に餓死した。周王
(
武王発
)
は「天道是か非か」と発した。
(
天は果たして善人の見方だろうかと
)
作者 山田方谷
幕末繭山藩士。名は球。字は琳卿。号は方谷。文化
2
年
(1805)
、備中阿賀郡西方村に生る。
5
才で新見藩儒、丸川松陰に学び、
21
歳で松山藩主・板倉勝職に召出され、藩校有終館会頭、
30
歳、佐藤一斎に師事、
40
才、藩財政元締、久坂玄瑞・河合継之助と友好、明治
6
年、岡山閑谷學の学事を督した。明治
10
年病没。享年
73
.