というのは、女性が「女らしくしなさい!」と言われて抑圧されるのと同様に、この国では幼いころから「男らしさ」も強要されている社会で。
わかりやすいところだと転んでひざを擦りむいた男の子に「男なんだから我慢しなさい」とか、重い荷物を運ぶのに「男だったらこのぐらい持てるでしょ?」とか。もっと代表的な例はおもちゃ屋でも「男の子のおもちゃコーナー」「女の子のおもちゃコーナー」のように別れていて。
しかし、痛みや苦痛、悲しみに耐える辛さは男女関係ない。こういった価値観での教育では、いずれ「泣き言をいうのは男らしくない」とか、「この辛い仕事に耐えてこそ一人前の男」のように言われるのが普通の社会になる。そして、「女は女らしく」という言葉と同様に、永遠に役割分担がなくならない。
NHKオンデマンドで「新・映像の世紀」を休みに見たのですが、第1次世界大戦、ヨーロッパでは男性が戦場に駆り出され、国内労働者の欠乏から、女性がそれまで男性の仕事とされていた炭鉱労働、工場での金属加工、バスの運転手、トラックによって戦地への弾薬輸送などという作業に従事された。これによって後の女性の社会進出、社会運動の権利(自分たちは男性と変わらない能力がある)という女性解放運動の足掛かりになった。
では、現代日本はどうか?日本のジェンダー指数は先進国で最低、今回の森会長だけでなく、当たり前にこの「男らしさ」「女らしさ」の苦痛はそこかしこにあり。漫画やアニメの世界でも、いまだにキャラクター性として女っぽい格好をした男キャラ、ホモネタはギャグキャラとして笑いものに描かれる、これが普通である、という認識を子供のころから植え付けている。こういうところも考え直さなければ意味がない。
というか、この「〇〇らしさ」って自分がやるのは勝手だが、他人に押し付けられるとつくづく嫌なものだ。
考えてみると、「もっと〇〇らしくしないか!」という言葉は、それを言う側の「使いやすくするため」の思考でしかない。男だったら俺の求める男の思考で動け、女だったらこういう仕事をしろ、それ以外にも日本人なら、この年齢なら、こういう趣味が好きを自称している奴なら・・・
全部、この言葉を言う側の勝手な要求でしかない。
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