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カテゴリ: 實戦刀譚

前回

  土肥原部隊舌の某部隊(隊名を失念)のある乗馬兵が、
 無銘の数打物らしい太刀をもって来た。刃まくれが三ケ所もあった。
 敵を相当に斬ったが実によく斬れて心地がよかったと、
 その兵も同道の戦友も語っていた。
 しかし、その刀は後で火のはいったものであろう、刃先に鑢(やすり)が
 らくにかかる程度になっていた。
 黙って急角度の、勘助ネタ刃という刃をつくってやった。
 その後、その兵の戦友と開封の路上であった時、「あれから又一人斬ったが
 一段と切れ味がすごかったそうです」と聞いて、自分は首をかたげた。
  榊原長俊の『本邦刀剣考』の中に、頼朝は戦ってササラになったような刀を
 陣中で自ら叩いて小刀で削ってまた戦った事が、平治物語に出ている事を挙げ、
 加藤清正の臣福西九郎太夫の、数度の軍功ある秘蔵の太刀で、
 その子が試し斬りをしたが刃が甘くてよく切れなかった事を述べ、
 「戦国遠ざかりて後は、放し討という事を武士の覚えに
 仕(つかまつり)たる事になり、又喧嘩の為ばかりの用に成たる故、
 武士の刀の切味の詮議をする事になりたるは、泰平の世の風なり。(中略)
 戦国には甲冑の上より打ひしぎ勝負を決めたる事なれば、
 あまりにて鉄利折れやすからんより鈍く曲がりたるかた益なるべし。云々」
 と書いてある。
  今度の戦争の姿をよく見ると、戦国時代の事情に一部復帰したようなところもある。
 彼我共に鉄兜をかぶっている事、金属性の装具携帯物の多い事、
 殊に支那兵の一部には薬盒帯を十文字に双肩からかけている事、
 それにゲリラ戦が多いだけに、彼我常に小格闘戦が多く、鉄兜を切ったとか、
 機関銃に切りつけたとかいった点から見て、そう考えられるのである。
  明治四年に廃刀令が出た。その後の軍隊では、洋剣の採用となり、
 日本刀は空しく鞘の中に錆びた。
 日露戦争には、日本刀の軍刀が相当に使用されたが、
 制式上片手持ちの軽いものが便利とされ、諸手用のは少なかった。
 それが、昭和九年に、形も実質も、もとの日本刀に復帰し、六十年振りで
 廃刀令は事実上の廃止となったわけである。
 今、戦地では、将校も下士官も乗馬兵も軍属も、皆長い日本刀を吊っている。
 前線では、昔のように帯刀しているものもある。
 この六十年の間に、日本刀刀身製作の伝統は失われなかったが、
 外装に至っては、大体欠伝の有様といってもよい。
  日本刀の復活は、刀身外装の両者同列同行でなければならない。
 しかるに、刀身はよいのが出来ても、外装の基本が、
 玩具の白虎刀の柄のようなヘナヘナしたものに、化学漂白の質の脆い鮫皮を巻き、
 機械製のくるみ糸で巻いた柄では何になろう。一撃で柄は折れ、
 しからずんば一戦で糸は切れてバラバラになってしまうのである。


  刃こぼれは、新刀より新々刀に、現代刀に多かった。刃こぼれの大きい刀は、
 もうちょっと焼きを戻したらと思われる出来に多かった。
 現代刀のそれは、所謂(いわゆる)あらみであった為かもしれない。
 幕士太田覃(蜀山人)の『半日閑話』中の武道秘歌中に、
 新身こそ討ち合の時折れやすし疵さへなくば古身よきなり、とある。
 どんなよい刀でも、新身のうちは比較的損傷し易いのは、どうも事実であるらしい。
  山西の支那兵器廠(しょう)で、日本刀を模造した支那将校の軍刀の
 押収したものを見た。なかなか巧みに模してはあったが、
 切れ味と鉄性は、昭和刀を少し甘くしたようなものであった。
 日本兵の用いている銃剣よりも劣っていた。
  日本兵の銃剣も、もう少し工夫を加えたらと思われたのは、宇野という軍曹が、
 あれに自分で刃をつけて、敵の首を一息に、鍔元をすりつける位に持って
 斬り落としたのを見た時であった。
  青龍刀には刃がない。丸刃であるが、それでいて支那兵は馘首一人も違わず
 だそうである。日本兵があれで斬ったがよく斬れたのを見た。
 『異説まちまち』という古書には、本多大内記が丸刃の太刀で罪人の胴を
 丸斬りにした記事があった。自分の研究のために、応永備前二尺七寸五分という
 大反りのあるものを吊ったりかついだりして持ち歩いた。
 鍔元一尺ばかり刃引きをし、その他は急角度の巾のせまいネタ刃としたもので、
 刃引きに近いものであったが、実によく斬れた。
 あちこちから借りに来て、二十二三は斬ったのであるが、何の故障もなかった。
 斬る部位については面部の傷は浅くともへたばるが、
 その他の部分では一撃で倒す事は困難であるとは衆説であった。
 昔、仙台の士で一本四五刃針形の手裏剣を打って、
 練達神の如しといわれた上遠野伊豆守は、
 「これで両眼をつぶすか、さもなくば面部を刺せば勝利はこちらのものだ。」
 と云っていたのも、先見の明というべきである。








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Last updated  2012年04月26日 22時20分28秒


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