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2011年12月21日
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カテゴリ: 實戦刀譚

定寸刀是非

  二尺二、三寸の刀を定寸刀としたのは、
 一体いかなる武用上の根拠があっての事か。
 『新刀辯疑』という古書には、
  其の故実は知らないが、唯尋常の手に合ふ頃合を以て法としたものであらう。
  但し人の望ある時は需に應じて法に拘らない。
 という意味の事が問答体に記されてある。
  細川三齋公は父幽齋公の言として、
  刀は草履穿きにて右手に提げ鋒先の地につかざる程に摺り上ぐべし。
 と記している。
  自分が試みにこの言に従って、通常の姿勢でやって見たところが
 『二尺五分の刀』が適度であった。自分の身長は五尺二寸である。
  はたしてこの刀で戦う気になれるかどうか。
  自分は、九ヶ月間弾丸飛び交う第一線を馳驅(ちく)して来た見聞と、
 周囲の事情から考えてみて、本当に戦おうとすれば、これでは心もとない。
 さらにこれよりも短い刀がよいという者のあるに至っては、それは論外である。
  戦線では長いから短くしてくれという者は一人もなかった。
 その反対に、短いからせめて柄を長くして使いたいといって、
 一尺七、八寸の刀に一尺二寸ぐらいの柄をつくってくれとせがんだ兵隊があった。
  何故であるかと、だんだん聞きただしてみると、
 接戦して切り結ぶ時には、不思議に敵兵の姿が大きく近く見える。
 充分踏み込んだと思って斬り下してみても、横に払っても、
 切っ先の届かぬ場合が多い。
 もう一寸長かったならばと思った事が何度もあった
 という事を語った者は一人や二人ではなかった。
 さらに追撃には、特にそう感じたという事である。
 かの戊辰役に、雄藩の侍がいずれも長刀強刀を帯した理由が
 これでうなずける事と思われる。
  刀の長さの問題は、特に研究を要する。
  第一線の戦闘部隊で三十歳までぐらいの壮年将兵中、
 剣道居合いなどに心得ある者は、いずれも定寸以上を要求していた。
 次に掲げる人たちは、腕も達者であり、力量もすぐれ、
 その用刀も各々がっしりしており、さらに若干長きを望むとさえいっていた。

   椎橋部隊  武木軍曹  二尺四寸一分
   同     飯塚曹長  二尺四寸三分
   同     山崎少尉  二尺四寸三分
   同     萩原中尉  二尺五寸五分
   入江部隊  遠藤准尉  二尺四寸一分
   同     片山少尉  二尺四寸八分
   千田部隊  池畑曹長  二尺四寸五分
   同     澤 准尉  二尺五寸八分
   石丸部隊  小八重少尉 二尺四寸五厘
   同     東條中尉  二尺四寸三分
   常岡部隊  安原曹長  二尺六寸五分
   同     林 少尉  二尺五寸五分
   岩田部隊  堀川軍曹  二尺五寸六分
   同     伊藤少尉  二尺四寸八分
   久野村部隊 安藤軍曹  二尺四寸八分
   同     緒方少尉  二尺四寸九分
   同     沖山大尉  二尺五寸二分
   近森部隊  服部曹長  二尺四寸八分
   同     三好中尉  二尺五寸六分
   河野部隊  石原少尉  二尺五寸一分     

  以上は軍刀修理班で修理をなしたもののうちの、
 蒙疆(もうきょう)各部隊中二十名を選んだだけであるが、
 これは自分の述べる事に、
 事実上の根拠のある事を強調せんがための引例とみてもらいたい。
  中には定寸刀でも長過ぎるという人々もあったが、
 それは多く年配の将兵か、
 さなくば会社銀行などに勤めていた志願兵将校、 
 直接戦闘に関係ない将兵中に多く、これは無理もない事と思われる。
  後に述べる事であるが、長い刀を効果的に使いこなすには、
 もちろん自己の力量修練などの自覚に俟(ま)つ次第であって、
 それが重要な条件である事をここではっきりさせておく。
 戦地の実際を見るに出征の時、識者からも刀屋からも、
 ただ定寸々々といわれて、そのまま持って来た刀が短くて
 手に合わないという人々が相当に多かったから、
 帰来(きらい)、自分はこの方面にも研究の手をのばしてみた次第である。
  次に磨り上げの事であるが、右様の見解から
 いずれも長い刀を惜し気もなく短くしてしまう。
 磨り上げ刀について、ある武術家のいった事であるが、
 形をつかったり居合いに用いるには、磨り上げ刀はどうしても使いにくい。
 振ってみてばかに調子の悪い刀は、ほとんど例外なく磨り上げ刀であると、
  『薫風雑話』という古書に、
  ……すべて太刀、刀の類を摺上げて用る者は必ず武運に盡(つき)ると。
  実に左もあるべきとなり。
  すべての太刀、刀を造るに其初劍匠の意に
  長さを何尺、巾を幾寸、重ねを何分、反(そり)恰好をかくかくと
  思究して切物業物にせんと精神を入れて打立るものにて、
  既に制しては靈のあるもの也。
  然るにそれを摺上げれば、その精神が脱けて死物になる道理なり。
  (中略)
  譬へば人の身長がすぎたりとて足首より切詰めるが如し、
  反離者になりて全體の釣合がちがひ用立つまじ。
  長きを好む人に用ひさすべし。

 昔は、心ある士人は決して磨り上げ刀を用いなかったという理由も、
 右のようなところから生じた事であろう。
  ただし大なる刃こぼれその他の疵のための磨り上げは、やむを得ぬ事である。
 こうした弊風は、足利時代の初期、徳川時代の
 泰平文弱の時に生じたものである。






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Last updated  2012年04月26日 22時59分34秒


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