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2012年05月30日
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カテゴリ: 實戦刀譚

物斬り四題

(一)

  その日は朝から黄河沿岸の某無名部落に待機していた。
 いつ何時前進の命令が出るかも知れないので、
 みんなあちこちの民家に すしづめ になって休養している。
  六月半ばの河南省は、内地の盛夏で油日照りという暑さだ。
 毎日半濁のぬるま湯みたいな水を飲んでいるところへ、裏の畑に、
 水瓜(すいか)らしいものが見えているという快報があったからたまらない。
 どっと押しかけて、てんでにぶらさげて来て十文字に割り、
 一口喰ってみるが、まだ早くて青臭く、残り惜しそうに眺めては、
 ゴロゴロと外へ投げて捨ててしまう。
 ラグビーのボールみたいな水瓜がせまい庭に四、五十ころがっている風景。
 あきらめかねた兵隊が一人出て来て、
 大きなやつを切ってみたがペッペッと吐き出し、
 「ええ癪だ」といいながら、いきなりそのひとつを拾い、空に投げ上げるなり、
 右手に抜いて持っていた牛蒡剣で落ちてくるところを、スパリと切る。
 その軽妙な物斬りぶりを、各自の室から眺めていた連中が、
 俺もひとつやってみようというので外に出て来たのが、
 そもそもためし切り会の動機となって、
 一仕事終わっていっぷくやっていた自分にも迎えが来た。
  下士官と兵隊だけで、どこからか分厚い机を探してきて台とし、
 青草をうんと刈ってきて、そいつを古電線でギュウとしめ、
 幾束かの巻き藁の代用品が立ちどころに出来る。
 直径四寸ぐらいな青草の束をいくつも台の上に置き、
 青水瓜を一個その上に据えて敵の首と見做(みな)し、
 Kという軍曹が陣中で製造した鉈のような 大だんびら でそれをズバリと切る。
 青草の試し斬りは、なまものであり、自然に水分を含んでいるせいか、
 藁束の比ではなくて、実によく切れる。
 精神作用というものは妙なもので、枯れた藁より、
 生き生きとした青草の刈りたてを切るのは、
 何となく生き物を切るような感じさえされて、
 軽い殺気に似たようなものが起こって来るという。
  次いで楊柳の小枝の束が出来る。それもザックリと切りこなす。
 しまいには、直径一寸内外の楊柳の幹を立てて置いてそれを斜めに切る。
  兵隊の中のある者は、自分の牛蒡剣で切る。刃がつけてあるので、
 よく切れはするが惜しい事に寸が足りないので、草束は半分しか切れない。
 楊柳の幹だと時に一刀で切れるが、多くは二太刀三太刀で、
 どれこもれも多少刃がまくれる。
  押収兵器の中に、ドイツ製の長い銃剣があった。
 刃物都市ゾーリンゲン製のマークがあって、
 真鍮製の柄の先が下の方へ適度に曲がっているから握るのに都合がよく、
 日本兵の牛蒡剣より三、四寸程長いが、これでやってみると、
 草束も切れなければ、木の幹も覚束ない。
 その筈である。日本のやつは、昔の刀の平造りでよく研げば髭でも剃れそうなのに、
 これはまた刃の部分がまったくの丸っ刃すなわち蛤刃というやつで、
 巾の広い樋があり、故に刃こぼれも刃まくれもせず、
 剣身自体も容易に曲がらないという原則には忠実な出来である。

  しかし、これこそは幾多の実戦の経験から生まれたもので、
 戦国時代頃までの日本刀の機構とまったく同一である。
 なるほど、草や木を切っては切れ味が悪いかもしれぬが、
 戦争には極めて強く、人間の“生き身”なら、これで結構やっつけられるというのだ。
  支那には銅剣使用の時代がずいぶん長かった。
 豆腐屋の包丁然たる あの 銅剣で十分 首が切れたのだ。そればかりではない。
 支那には檀の木で造り、刃に油をつけて焼いた鋭利な木剣もあって、
 術の巧拙にもよるというが、これでも人間を刺し殺したという。
 「鉛刀一割』という漢語もある通り、
 人間の身体というものは案外弱く脆いものである事は、
 竹槍の一突き、木剣の一打で息の根の止まるのを見てもわかる。
  実戦に用いる刀すなわち“戦う刀”は頑強な蛤刃に限る、
 と主張した一人の兵隊があった。
 その兵隊は、蛤刃というよりも、ほとんど刃の無い青龍刀と、
 このドイツ刀とを例にとって、日本刀の刃味なるものは、
 鉄兜をかぶり、金属性の混じる数々の装備をつけた敵とわたり合うには不適当だ、
 とまで極言したが、他の兵隊は挙(こぞ)ってこれに反対した。
  何しろ戦争のさ中の事とて、お互いに気のたっているところだからたまらない。
 論より証拠だ、実物についてためしてみよう。
 幸い苦力の中に、生かしておいてはよくない捕虜が一人いるから、
 あれを引っぱってきて、ここで試そうじゃないかといい出したものである。
 冗談だと思って聞いていると、ずいぶん没常識な人間もあったもので、
 二、三人の兵隊が、炊事に使っているその苦力をもらいに行った。
 もちろん断固としてことわられた。
 衷心(ちゅうしん)から帰順しているその苦力は、
 ある種の糧食現地調達の役目上、今ではなくてはならぬ存在であるというので、
 反対に炊事長の軍曹から大目玉を喰らって
 這々(ほほう)の体(てい)で帰って来たものだ。
  だが、蛤刃で闘える闘えないの論争は、相当長く続いたものと見え、
 折から急用で修理工場へと戻っていた自分のところへまでやって来て、
 最後の判決を乞うた。
  実のところ自分にもそれはわからなかった。
 元亀天正頃に使われた陣刀で、そのままよく保存されているものを、
 かつて見たことがあった。
 それは、いずれも恐ろしく ふくらんだ 蛤刃で、
 しかも?元から二、三寸は必ず刃をとめてある。
 このゾーリンゲン製のドイツ刀もまたまったく同じものである。
 剃刀のような一見切れ味のよさそうな現代研ぎの形式となったのは、
 徳川時代に入ってからの泰平がさせた事で、
 殿中座敷の喧嘩、素肌同志の果たし合い、打ち首斬首等に使われただけに、
 いつしか戦う刀の姿から、斬り据える刀の姿に変移してしまっているのだ。
 斯様に答えるよりほかにみちはなかった。
  ついつい妙に拗れ出してきて、
 結局押収の敵の鉄兜を試してみるというところまで発展した。
 洗面器のような形をした薄い鉄兜に、熱した泥を詰めて机上に置き、
 一人の兵隊が日本の牛蒡剣で發止と切ったが、
 多少凹んだだけで少しも切れなかった。
 ところが、代わって、ドイツ製の蛤刃刀に急角度の刃をつけて、
がつ と切りつけた兵隊の腕の冴えか、それとも重量があって長かったためか、
 長さ二寸、巾五厘截れて、鉄兜は鈴の口のように口をあけた。
 しかも日本の牛蒡剣には三分ほどの刃まくれが出来たのに、
 ドイツ刀は びく ともしなかった。
  自分は、ドイツの科学の進歩が、
 こうした原始的な兵器にまで及んでいることを恐ろしく思うと同時に、
 日本刀本来の性能のひとつが、ドイツのものになってしまっているように思われた。
 日本刀は、こうした実際を、数百年以前に於いてかつて発揮した事があったのだ。
  ことにこのドイツ刀の柄であるが、柄頭のところを下に曲げて、
 手だまりをよくしてあるのは、ドイツにおける創意かどうか。
 筆者はこれも上古の日本刀、
 今は国宝となっている正倉院御物『蕨手横刀』の柄の末端が、
 恰(あたか)も早蕨(さわらび)の如くなるものから模して造ったと考えるのである。
  我々の大祖が考案した、便利なこうした柄が、その子孫に用いられずして、
 ドイツの兵器に応用され、それが敵軍に売り込まれていたなどは、
 この際大いに反省しなくてはならぬ事のひとつであろう。
  試し斬りの会は妙な気まずさで幕を閉じた。






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Last updated  2012年06月01日 20時36分31秒


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