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テーマ: 實戦刀譚(65)
カテゴリ: 實戦刀譚

奇怪萬字剣



    明神老翁に現じて長柄の益あるを
    林崎勘助勝吉(重信の前名)という人に傳へ給う(北條五代記)
    勝吉長柄刀を差し初め田宮平兵衛重正と言う物に是を傳ふ。
    ……柄に八寸の徳、御腰に三重の利。(北条早雲記)
    遂に神授を念じ楯岡林崎明神に祈願し
    ……願はくは茲に妙諦を授け給へと赤誠無上の懇祈祷禱を傾け
    盡す事一百日す。果たせる哉満願の日應驗あり、
    奇怪萬字劍を夢想に見て即ち大吾す。(笹森氏、神夢想林崎流解説)


  学会の権威、俵工学博士が、日本刀の本質と、
 切れ味の神秘さとを科学的に究明せんがため、
 幾多の古名刀を犠牲として、多年実験的研究に没頭したが、
 結局、所期したような成果は得られずに匙を投げ、
 「分析して見ても、科学では解決の出来ない点がある。」と、
 学者らしい率直な表明をしている。古歌にある、
 「年ごとに 咲くや吉野の櫻花 木を割りて見よ 花のあるかは」で、
 遂にその神秘の本体は解き得なかったのだ。
  切れ味の神秘さが、日本刀の刀身に、
 単独に質的に存在しているとは考えられない。
 切れ味は刀の全体から、そして、刀と人と合致した時に出る、
 そこに神秘さがある。


刀柄の神秘性(一)

  刀の切れ味の神秘の一片鱗を、自分は刀の柄に見出した。
  日本刀の真生命は、帯佩(体佩とも書く)にやどり、そこから発揮される。
 自分のいう帯佩とは、刀身と柄とを主とした、
 装備全体の釣り合いをいうのであって、
 刀剣家や、刀鍛冶のいう刀身の恰好だけではない。
  昔は、やっぱり自分の考えているような意味であったと見え、
 『舊實祕錄』という古書に、六十余人を物の見事に斬った刀の事を記し、
 「……一尺八寸有之候總體佩丈夫なる道具にてありし」と記している。
  この帯佩とは、稍〔やや〕詳しく云えば、
 主として、刀身の重量と、長さ、広さ、厚さと、反りと、地刃肉の肉置きと、
 柄の太さ、長さの、八つの有機的な相関関係であって、
 こうしたものが、すべての小道具と一致綜合して、
 自然の“闘いよさ”を“味”として出す時に、それが使う人の腕前によって、
 不思議な切れ味を見せる。
  だから刀は、単に鍛錬の巧拙、
 刀身だけの利鈍のみを以て論ずべきものではなくて、
 刀全体としてこれを見なければならないのだ。
 本当の日本刀の観念は、刀全部の総合体であらねばならないのだ。
  東京帝大の整形外科医局長で、
 軍医として今度の事変に出征した伊藤京逸博士は、
 聞こえた剣客でもあるが、博士はまた筆者と同じ見解を実戦場裡から得て、
 敵を斬るという事の根元は、
 刀の柄を握る手のその“にぎり”にあるという事を発見し、
 『にぎり私考』と題して、豊富な医学的根拠から見た専門的な意見を
 雄山閣の『刀と剣道』誌に発表しているが、
 刀の切れ味の探求が、こうした畑違いの医科学的見地から出たという事は、
 俵博士が、工科学の立場から全幅の成功を収め得なかった後だけに、
 頗〔すこぶ〕る興味のある事である。伊藤氏はいう、

  どうすれば刃筋がよく立つかは、
  多くの傳書を繙〔ひもと〕いて見ても、
  結局“能々工夫あるべし”に終わっているのである。
  力線の方向に刃筋を立てる事、及び斬り下げて行く間に於て、
  刃筋を狂はす不慮の障害が蟠踞〔ばんきょ〕するとも、
  よく其の正しき軌を調整し行くには、
  右手の拇〔ぼ・おやゆび〕、示〔じ・ひとさしゆび〕、中指の三指が
  主體をなすのだと確信するものである。

 といい、

  腕力は第一、二、三掌骨から刀柄に移行する。

 と説き、

  日本刀の切れ味はさる事乍ら、兎角忘れ勝な刀柄に對する認識を深め、
  延いて日本刀全體を生かす所のものは、
  その人にあり、両手にあると認めた。

 と結語している。
  ちょっと横道へ外れるが、自分は従軍中幾多の実戦に直面して、
 敵を斬るには、押すか引くかの心持ちが、
 刀の打ち下しと同時に働かなければばらない事実を知った。
 帰還後、それを筆に口に発表し、現行竹刀剣術と併行して、
 そうした真剣の扱い方を修行せしめなければならない事を力説した。
  ところで、伊藤氏の『にぎり私考』を読んでいくと、
 まったく自分と同じそうした意見もあげている。
 若干敵人を斬撃して得た体験らしく、

  ……與へられた刀、その刀の切れ味を最も生かすには、
  引く心持が必要だと知ったのである。

 と書いてある。
 そうした実例として、自分がかつて、
 宇野という兵隊が牛蒡剣に刃をつけ、それを片手にもって
 敵の首を引き切りに斬り落とし事を挙げたのに対し、氏は、
 髯鬚の下士官が、脇差しを抜いて、右片手にスパッと落としてしまった、
 と記している。
 そんな実例まで符合しているのだ。
 氏が、梁佩蘭の日本刀長詩の一節、
 「人頭地に落つる事紙よりも輕〔かる〕し。」を引用している如く、
 日本刀の切れ味の不思議さは、首を落とすくらいならば、
 斬れすぎてかえって危ないくらいである。
  ここで最初からの柄の話に戻る。
 柄を握るには、手ぬぐいをしぼる心持ちで締めろ、と昔からいわれているが、
 氏は、斬撃完了の寸前にあたって、“引く心で絞り止める”事の必要を述べ、

  ……斬れ味と云つても、斬れない事ではなく、
  寧ろ斬れすぎる事を知って置かなくては、
  斬るという“冴え”は出て来ないであらう。
  日本刀の斬れ味の“スルドサ”を知らず、絞り止めを知らぬ帯刀者で、
  目的は達したが、自分の膝蓋骨をも切りつけて、
  面恥しげに治療を請うた者がある。

 と書いてあるのから見て、柄の妙用は、一方に、
 斬撃の度合いを調整するに役立つ事も知られるのである。
  筆者は伊藤氏とはまったく面識がない。
 然るに氏は、筆者がかつて、朝日新聞の学芸欄に発表した、
 『日本刀の切れ味』に共鳴している事を冒頭しているのであるが、
 筆者はまたこの『にぎり私考』からヒントを得て本稿を起こしたもので、
 共に、彼の徐州大合戦の実戦場裡から何物かを掴んで来て、
 こうした同巧異曲の体験を発表し合った事は、
 奇蹟であり、天佑であると信ずる。






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Last updated  2012年08月18日 02時00分10秒


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