FINLANDIA

FINLANDIA

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月
2025年07月
2025年06月
2025年05月
2025年04月
2025年03月
2025年02月
2012年09月12日
XML
テーマ: 實戦刀譚(65)
カテゴリ: 實戦刀譚

陣中わざもの帳


  長船祐定


  天下の大量刀長船、鍛冶屋千軒うつ槌の音に西の大名が駕籠とめる
 ……と唄われた長船の往時しのばるる業物は、
 その数において現存日本刀中の第一位であり、新古の祐定は、
 明徳應永から亨保にかけて同名を名乗った者が六十七人もあったというから、
 幕末明治へかけては八十人に近いものがあり、
 さらに同流祐平、祐永、祐包
(勹に巳) 等々を加えたら一類一百名に余るであろう。
  祐定一派は、古刀時代の二、三名を除いて、大量打ちでもまた名高かったから、
 相当世の中に流布したものと見え、陣中でも数においては第一位であった。
  自分は、蘭陵鎭の前野部隊で、昨年四月二十九日の天長節を迎えた。
 前野部隊長は、轟〔とどろ〕く彼我の実弾発砲中で、
 聖壽万歳の祝杯を挙げた後、修理工場へ見えた。
 部隊長の佩刀は、二尺三寸、上野大椽〔こうずけのだいじょう〕祐定で、
 切っ先に五寸ほど錆が来ていた。
 錆の原因については笑って答えなかったが、あとで当番兵の話によると、
 若干は斬ったとのこと。赤茶色の小錆の具合からそれとも頷けた。
 戦車の権威で、学究タイプだったが、時には猛然として闘将の姿を現じた、
 と部下の人たちはいっていた。
 十月初旬、自分は内地帰還の船の中で、
 同部隊長が中支戦線の花と散ったことを新聞で知って、
 哀悼の情切なるものがあった。 
  五月中旬、隴海線を遮断して、鬼神のように暴れ廻り、
 大黄河を北にして黄庄という小部落に背水の陣を取った土肥原部隊は、
 食糧弾丸欠乏の中で、暫時ではあったが我に数倍の強敵に包囲された。
 衛兵長川崎中尉は、この中にあってしばしば近寄る敵中に斬り込み
 わざものの新刀に三十人の血を吸わせたという。
 部下の内林上等兵の語るには、その時中尉は横山祐定二尺四寸の大だんびらで、
 一人は前額から鼻柱にかけて三寸余り斬り下げ、
 一人は後ろから追いすがりざま右肩から肋骨三枚目まで斬り放すのを見たが、
 いずれも一刀で息の根を止めたという。
  弾丸雨下中にその血刀を修理したが、
 敵を斬ること五十以上といわれるこの刀の損傷は、
 僅かに刃曲がりと、小刃こぼれ物打ち下二ヶ所だけで、強靭頑丈そのもの、
 弟子打ちに、師匠銘の数打ち物といった感じであった。
  数打ち物には、急迫した必要から、大大名などが、名ある鍛冶に命じて、
 切れる実用刀を打ち捲らせたものと、
 生活に窮した鍛冶が、奸商のため偽銘物の台を打ったのとふたつの場合がある。
 中尉の佩刀は前者の“切れることは無類”という中のものに該当している。
  同所で、敵を斬ること七人、鉄兜二つに切りつけ、一つを美事に截ったが、
 刃曲がりと小刃こぼれのみであった横山部隊伊代大尉の佩刀も、
 二尺二寸五分の無銘刀で、 くっきり とした五の目丁字刃と、
 特有の元反りその他の条件が横山祐定であることを示していた。
 同部隊の池田少尉所持の刀は、備前國長船祐定と銘のある二尺二寸ほどの古刀で、
 銃丸で刃の中央に疵を受けたほど奮戦し、一戦に敵五人を切り倒したが、
 切っ先五寸のところに、一分ほどの刃まくれと
 鋩子〔ぼうし〕の先に小刃こぼれがあったのみで びく ともしなかった。
  右の外、新古の祐定を揮って大小の戦闘に功名を馳せた勇士に、
 桑田部隊の田淵少尉、那須部隊の武井准尉、久野村部隊の關谷曹長などがあり、
 かの悲壮なる台兒荘白兵戦に、一瞬四人の敵を切り倒した
 福榮部隊秋田伍長の刀は、嘉永の裏銘のある祐包であり、
 赤柴部隊の高橋軍曹は、文明長船祐光で血戦した。
 その他の長船刀功名録は、北、中、南支とも相当の数にのぼる事であろう。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年10月18日 20時40分42秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: