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テーマ: 實戦刀譚(65)
カテゴリ: 實戦刀譚

偽刀談義


 関東の“草刀”


 野州〔やしゅう〕喜連川〔きつれがわ〕の野鍛冶で、
高山永吉という者がいた。
明治中葉頃の人で、鎌鍛冶が本業であった。
どうした打ち方でか、またどんな地鉄を使ってか、物凄く切れる刀を打った。
が、しかし日本刀熱の沈滞しきっていた時代の事とて、
世に現れずに、淋しく一生を終わったが、
当時宇都宮警察署長をしていた土肥國男という人
(目今東京の世田ヶ谷三宿に老を養っている)が、
隠れたるこの工人を発見して激励したので、
永吉は土肥署長の知遇に感じ、心魂を打ち込んで一刀を鍛えた。
二尺六、七寸、豪壮無比なもので、
土肥老は、その後日清戦役に抜刀隊士としてその日本刀を揮い、
思うさま清兵を斬りまくった。
 今度の事変に、○○○○○師団下の将士中、この刀を携行して、
恐ろしい切れ味に今更のごとく驚き目を見張った人達が少なくなかった。
自分も約三ヶ月この師団に配属して、
陣中でしばしば件の刀及び後に述べる下原刀を見た。
 高山永吉の刀については、笹沼という軍曹が『刀と剣道』誌に
「鎌鍛冶なので誰も高山の刀で人が切れるとは思はなかった
(中略)この刀で試みに草刈鎌を切つた二分程残してスパリと切れ、
刀の刃はほとんどこぼれない。
これはいいと思つて今度の事変に友人に二振もたせて行ったところ、
一刀は九人、一刀は十六人斬って何ともない。」
と書いている。
 永吉刀の特色は、青く澄みわたり、地肌綾杉風、刃紋は小乱れ、
一見末月山と見まがうものである。
こうした特色のある一刀を自分は先年土肥老から乞いうけ、
某氏に記念品として贈ったが氏の没後不明となっていた。
ところが最近見覚えのあるこの刀が、いつの間にか無銘にされ、
末波平として某所に愛蔵されているのに邂逅した。
刀のさし裏、鎺元から二寸程のところで地刃境に、
あるかなしかの疵が一つあった。その点が目じるしであった。
惜しいことで、こうしたものは、
やはり元の銘のままで百代に残して置きたかった。
自分はかくのごとき偽造変造者を、心から憎くうらめしく思う。
土肥老の揮った大刀は、先年近親の某に譲ってしまったとかで、
その姿は見られなかった。
これもやがて、無銘か偽銘の台にされる日があるように思われてならない。
 徳川時代に、“関東の草刀”とけなされ、
大村加卜あたりが、穢き肌物とこき下ろした頑刀、
八王子在下原の山本康重照重一類の鍛刀が、
やっぱり今度の事変で、これも恐ろしい“物斬れ”を見せて、
こうした各地の“草刀”が、一躍実用刀の舞台におどり上がった。
 新刀界一方の雄であった水心子正秀は、記録によると、
この下原鍛冶に師事して、刀匠としての手ほどきを受けたとある。
ところが、この数多い筈の下原刀は、
虎徹にもなり、繁慶にも化け、綱廣にもされ、近くは清麿にも直されている。
 下野鍛冶は、古くは春盛(奢盛とも書く)をはじめ、
日光街道に繁栄した徳治良一派等々も、下原一派と呼応して
“関東武士”の名に添うて“関東物斬れ刀”を世に出したが、
どれもこれも、偽物銘の台となって
姿を消してしまったのは慨〔なげ〕かわしい事である。
下野鍛冶の伝統を酌む刀匠の栗原氏一派が狙っている点は、
この下野刀の復興にあるというが、武州下原鍛冶に至っては、
八王子の在、恩方村下原(山本康重、康照、國重代々の地)
元八王子村横川(山本照重、照廣代々の地)
同村鍛冶屋敷(山本宗國、武藏太郎康國代々の地)共に
その子孫は帰農して、ただ墓所宅趾を存するのみ。
その作刀は、子孫の家々にも各二、三を所蔵するほか、
筆者の知っている限りは、官弊大社三島神社の宝蔵に、
この下原刀の雄偉長大な鍛刀振りがしのばれるのみであって、
他にはあまり所蔵されていない事を、関東のためになげくのである。






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Last updated  2013年03月06日 02時15分02秒


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