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カテゴリ: Needle Felted Animals


テモちゃんとこ春遠からじ 2015年01月14日
あきてもさんのブログ より)




フレンチブルドッグのテモちゃんフィギャア製作
ああ あたりまえに生きたい ささやかでいいから〜

さだまさし「生々流転」
(アルバム『昨日達…』『新自分風土記II〜まほろば篇〜』他 所収)





『長江』(DVD)







夢見の技術を考える Puls
「この感触は・・・・・・アムウ△イ、いや、“アドルフの画集”か」2

前回 からの続きです。
‘じわりじわりと追記する’ つもりだったのですが、
先週はじめ頃から、該当作品の暗黒面が次から次へとSNSで取り上げられていたので
そのまま残して本稿に続きを書くことにしました。

さて、「共時性」「箱庭療法」「神秘学」好きなら避けて通れない
我らが カール・グスタフ・ユング 先生も
一時期「権威」という “ペルソナ(仮面)” の誘惑に抗えなかったことも、
他山の石として心に刻んでおくべきでしょう。



 “一九三三年、ユングはタオの径(みち)に背を向け、ナチス・ドイツと結びつくような危険な回
 り道を選んだ。
  老子はこう言っている。

    大いなる道は歩きやすいのに、人はわき道を好むものだ。
    バランスが崩れないか、よく注意しなさい。

  不幸なことに、ユングは、ゲルマンの父祖の地に関わる影のコンプレックスに捕らわれている
 ことに気づいていなかった。そこは、一人の狂人が導く壮大な妄想の国となっていた。さらにユ

 そして彼は、影のエネルギーによって力を得た、政治力のあるペルソナの役割へと転落していっ
 た。ユングはドイツ人を基盤とする精神療法のための総合医学会の初代会長、そして『精神療法
 とその周辺領域のための中央雑誌』の編集委員になったのである。これらはどれも、かつて彼が
 フロイト派の国際運動の中で担っていたペルソナ的役割や誇大な地位と似ていた。それには重要
 な編集の仕事も含まれていた。問題はナチスの反セム人種的な立場だった。これらの医学組織と
 雑誌は、知ってかしらずか、ナチス運動と結びついたり影響を受けたりしていた。
  老子の言葉は、来るべき惨劇をうまく言いあてている。

    私が大きな悪を経験するのは、ペルソナをもっているせいである。

  ユングがタオイストの径(みち)からいかに外れていたかを示すために、二人の敬虔なユダヤ
 人の話をしてみたい。彼らは、オープンで敏感で受容的なユングという人に働きかけて、ナチス
 がいう天誅の真の性質を納得させることができるはずであった。この二人の敬虔なユダヤ人
 (エーリッヒ・ノイマンとジェームス・キルシュ)はどちらもユングとは非常に親密で、ユング
 にとってのレベとなりえたろう。レベとは、ラビであるレヴィ・マイアーが、自分の分析家であ
 るジェームズ・キルシュを呼ぶのに用いた語である。彼はジェームズ・キルシュを自分にとって
 のレベ(ラビのようなものだが、より個人的な霊的指導者ないし先生を意味する)と考えてい
 た。ユングの親友であったエーリッヒ・ノイマンは、ユングに対してレベの役割をとろうとした
 ときに無視された。ユングの「盲点」あるいは影の問題は、「失聴」あるいは心理的に何も聞こ
 えない状態になった。チューリッヒからパレスチナへ移住する前に、ノイマンはユングにナチス
 ・ドイツの危険性に気づくように嘆願した。
  後年、ノイマンの息子ミーシャはこう述べている。

    父は私にこう言った。自分はユングに、ナチスの運動の恐るべき危険性や、ナチスの残虐
    性と非人間性について納得させようとした。父はユングに、ナチスのイデオロギー、特に
    反セム的な思想や政策に対して率直に、そしてはっきりと意見を表面するように求めた。
    しかしユングの態度を変えるには至らなかった、と父は認めた。彼はユングにこう警告し
    た。もしユダヤ人の苦難の時期に沈黙していたならば、それはいつも思い起こされ、けっ
    して許されることはないだろう、と。ユングは、ドイツ人の集合無意識にの諸特性を信じ
    ていたので、その状況から何か肯定的なことが生じると言って聞かなかった。

  これはユングがエーリッヒ・ノイマンの言うことに耳を貸さなかったことの一例にすぎない。
 それはノイマンがパレスチナに行った後も続いた。実際、一九四四年に心(臓)の発作に見舞わ
 れるまで、ユングはユダヤ精神の意味(と魂)を受け入れることができずにいた。

  (中略)

  一九三三年から一九三九年まで、ユングは権力コンプレックスに捕まり、影に憑依されたよう
 な状態であったらしい。彼は、力と影に対する、奇妙だが人間らしい依存を見せた。
  荘子がはるか昔に記した言葉は、ユングの苦境を表現していた。

    私は、蛇が自分の皮に対して行なっている類の依存の仕方をしている。なぜ私がこうする
    か、ああするか、などわかりはしない。

  この文言は蛇、つまり癒しと死/再生のプロセスを象徴的に言及している。それはユングを新
 たに待っている何かである。しかし、残念ながら、それには一〇年を要することになる。

  (中略)

  ユングがかつてフロイトから決別し、自我イメージや同一性が死ななければならなかったよう
 に、「暗黒が光を生む」。
  ユングはもう一度暗黒の深淵に落ちなければならなかった。心(臓)と魂が衝撃を受けなければ
 ならなかった。危うく死にかけたのである。この臨死体験は、変容的なものとなった。ユング自
 身が『黄金の華の秘密』の註釈に、「神々は病気へと姿を変えた」と書いているように、今や、
 彼はそのことを、仏教徒やタオイストのやり方で直接体験することになったのだ。
 (後略)”

(デイヴィッド・ローセン著『ユングの生涯とタオ』創元社
  第二部 フロイト以後 第五章 東洋と西洋の結合    人生後半の危機の出現
  ユダヤ人の疑問 P.156 ~160
  心(臓)と魂の発作 P. 174 )






 “一九四四年二月のある日、ほぼ六九歳にならんとするユングは長い道のりを歩いていた。イン
 ドから戻って以来、定期的に散歩することは習慣の一つになっていたのである。突然彼は、自分
 の家から数キロメートル離れたところで、雪のためつるつるしている地面の上で滑り、倒れて、
 腓骨(ひこつ)を折った。幸い、なんとか苦労して足をひきずりながら最寄りの家にたどりつき、
 タクシーを呼んで医師のところへ運ばれた。チューリッヒ近郊の私立ヒルスランデン病院で治療
 を受けたが、患者になった彼は動けずに横たわっていなければならなかった。バーバラ・ハナー
 が報告するところによれば、「はじめユングはそのことを幸いに思い、錬金術の書物を読み耽っ
 ていた。だが、間もなく、彼の活発な体は活動できないことに反抗して、入院して一〇日ほど
 たってから、心臓に重い塞栓(そくせん)ができ、さらに肺臓にも二つできた。まったく不測の
 事態だった。エンマ・ユングはちょうど都市に出ていて、大変苦労して連絡することができた。
 彼女は病院で彼につきっきりだった。病院のもう一つの側翼部だが、非常に近いところに一室を
 得て、彼が家に帰れるようになるまでそこにとどまった。数週間、ユングは生死の境をさまよっ
 ていたのである」(Hannah 1982, S. 344)〔『評伝 II』168頁〕
  これはもちろん、外部から観察された事故だけの報告である。回想録でユングは、自分が内的
 に体験したことを、このうえなく深く心に奪われた者として鮮やかに描いている。それは、彼が
 心筋梗塞の結果陥った深い昏睡状態での体験であり、今やこの生から離れているという自覚と結
 びついた思いがけない壮大な諺妄と幻視であった。

   イメージはあまりにすさまじかったので、自分でも、死が近いと思ったぐらいである。わた
  しの看護婦は後で、「まるで明るい輝きに囲まれていたみたいでしたよ」と言った。これは、
  死にゆく人々に時折観察される現象だとのことである。わたしは生死のまさにぎりぎりの境に
  いたのであり、夢を見ていたのか、それともエクスタシーにあったのか、分からない。いずれ
  にせよ、わたしにとってきわめて印象的なことが起こりはじめたのである。(ETG, S.293)
  〔『自伝2』124頁〕

  ユングは、空高く宇宙に漂っていると思った。はるか下方、おそらく一五〇〇キロメートル下
 であろうか、地球が明るい青い光に包まれた球として見えた。大洋と大陸がはっきりと現れてい
 た。「わたしがこれまでに体験したなかでもっとも素晴らしく、不思議なものだった。」一つの
 寺院が浮かび上がっていた。かつて、セイロンのカンディーで見たものに似ている。彼はその聖
 域に足を踏み入れた。同時に、地上的なこと、これまでのことがすべて、ある苦痛なプロセスを
 経て崩壊していった。後には「わたしは存在する」という不変の同一性だけが残った。

   この体験でわたしは自分が極端なまでに貧しいと感じたが、同時に、非常な満足も覚えた。
  わたしが求めたり、願ったりするものはもはや何もなかった。わたしはいわば客観的に存在し
  ていたのだ。つまり、自分がこれまで生きてきたもの、そのものであった。・・・・・・何かがなく
  なったとか、取り去られたということに、もはや悔いがなかった。反対に、わたしは、これま
  での自分を今やすべて持っており、わたしにはそれしかなかったのだ。(ibid., S. 294)
  〔同書 126~7 頁〕”

  今や、自分が本来属しているものについに到達したという確信が彼の心を満たした。その前に
 彼は自分のこれまでの人生を「歴史的な断片」のように、より大きなコンテクトから切り出され
 た小さな一片として受け止めている。だが、このコンテクトの全体がどのようなものであるかに
 ついては、人は地上で身体的に生きているあいだは普通、何も分からないのだ。
  新たにイメージが浮かび上がってきた。それはいわば古代ヨーロッパから抜けでてきたかのよ
 うである。偉大なヒポクラテスの生誕地、コスの僧医である。この医師の原像にユングは自分を
 治療してくれている医師、テオドール・ヘンメルリ=シンドラーを認めることができた。彼はあ
 るメッセージをユングに与えた。あなた(ユング)は、この地球をまだ去ってはならない。地球
 上で人がそのことに反対している。だから、あなたは戻らねばならない、というのである。この
 メッセージが意識された途端、ヴィジョンは途切れた。

   わたしはものすごく失望した。今やすべてが無意味なように思われたからである。「落葉」
  の苦しいプロセスは無駄になった。わたしはあの寺院の中に入って、自分と同じ仲間に会うこ
  とを許されなかった。・・・・・・がっかりしながらわたしは、「また『ちっぽけな箱』に入らねば
  ならないのか」と思った。まるで、宇宙の地平の背後で三次元の世界が人工的に建てられてい
  るかのように思われたのである。この三次元の世界の中ではどの人間も自分一人で一つのちっ
  ぽけな箱の中にいる。そしてわたしは、これが価値あるものだと再び思いこまなければならな
  いのだ。人生と全世界が一つの牢獄のように思われ、わたしは自分がそれをまた、うまくでき
  ていると思うだろうということに、無性に腹が立った。・・・・・・(ibid., S. 295-6)〔同書
  128~9 頁〕

  事実、皆が待ち望んで回復が訪れた。だが、その一方で、ユングの主治医自身が重い病気に
 なって、間もなくして亡くなった。これは注目すべき共時的な出来事であり、その意味をユング
 はすでに自分の超常的な状態で見抜いていたように思った。ユングが後に共時的な出来事とか共
 時性の現象と読んだこの種の出来事はこれ以外にもいろいろあり、バーバラ・ハナーはチュー
 リッヒで起こったことを正確な知識に基づいて報告している。ユングが死と戦っていたとき、彼
 の女弟子の一人は生命に危険なインフルエンザを患っていた。彼女は危篤状態になった。彼女の
 言うところによれば、そのとき突然師の姿が見え、彼は彼女に、「わたしは地球に戻ることにし
 た。できるだけ素早く自分の体にすべり込みなさい」と言った。「もう一人の女弟子も、その年
 のインフルエンザに強く感染していたが、彼女は、自分の腕時計とベッドの傍にある目覚まし時
 計がちょうど同時に止まったので、恐怖に震え上がった。ユングがこの瞬間死んだのだという思
 いがもはや頭から離れなくなった。」(Hannah 1982, S. 345-6)〔『評伝 II』168頁〕だ
 が、一九四四年春の例の病気の数週間の固有に内的な出来事は、一連の幻だった。そのすさまじ
 いばかりの美しさと気高さをユングは回想録でも同様に暗示しようとしている。これらのイマジ
 ネーションは、神秘的経験の頂上体験(peak experience)に属しているため、適切に記述する
 ことはできない。宗教的伝統の象徴が表現手段として用いられねばならない。”

 ( ゲルハルト・ヴェーア著 村本詔司 訳 『ユング伝』創元社
  ヨーロッパを覆う夜:第二次世界大戦 P.279 ~281 )






 “東洋の諸民族は今日、彼らの精神的諸価値の急速な崩壊に脅かされている。そして、それらに
 とって代わったものは、必ずしも西洋精神が産み出した最良のものには数えることのできないも
 のである。このような観点からみれば、近代の預言者としてラーマクシュナとシュリ・ラマーナ
 の姿は、かつて旧約聖書の預言者たちがイスラエルの「不信仰」の民に対したと同じような、つ
 ぐないの役割をはたしているとみることもできるであろう。彼らは、彼らの同胞に対して、イン
 ドの年古〔ふ〕りた精神文化を思い起こさせているばかりでなく、それはまさに体現してもい
 る。こうして彼らは、西洋文明の新奇さとその物質的   技術的で商業主義的な俗世思考にとらえ
 られて、魂の要求を忘れてしまわないようにと、深い洞察にみちた警告をしているのである。政
 治や社会や知の領域にみられる息せききった力の獲得衝動は、みるからにとどまるところを知ら
 ぬ西洋的人間の魂の衝動をむしばみつつあるものだが、今やそれは、とどめようもなく東洋に広
 がってゆき、はかりしれない損失をもたらしつつある。インドのみならずして中国においても、
 かつてそこに魂が生き、仕えた多くの価値がすでに失われてしまった。文明の外面化は、一方で
 多くの災いを取り除いた。災いの除去はきわめて望ましく有益なものにみえるけれども、この進
 歩は他方、経験が示しているように、精神文化の喪失というあまりにも高い代償をもってあがな
 われたものである。きちんと整った、衛生設備のいい家で暮らすことは、たしかに大変快いこと
 である。しかしそういう技術は、その家に が住むかという問いに答えてくれるわけではない。
 また、外面的生活に役立つきれいな家と同じように、そこに住む人間の魂が、きちんとして清ら
 かであることを人生の喜びとするかどうか、という問いに答えてくれるものでもない。経験の示
 すところでは、外面的なものを求める人間は、たえず、もっと多く、もっと良いものを欲しが
 り、彼の先入観的見方に従って、それをいつも自分の外部に求めようとするものである。彼はそ
 のとき、外形的成果を得たからといって、彼自身の内面には何の変わりもないという事実を全く
 忘れてしまう。したがって、他の多くの人びとが自動車を二台もっているのに、自分は たった一
しかもっていないといって、わが身の貧しさを嘆くのである。たしかに、人間の外面的生活
 は、多くの改良と美化をもたらし得るものであるが、これらの事実は、内面的人間がそれにとも
 なわなければ、全く意味を失ってしまうのである。“必要なもの” で満足するのは、疑いなく、
 はかりしれない幸福の源泉である。内面的人間の要求はそこから出発するが、その要求は、外面
 的財貨によっては決してみたされることはないものである。現世の栄光を追い求める競争のため
 に、このような声が聞かれなくなるほど、内面的人間は、期待とは全く違った結果をもたらす生
 活条件のただ中におかれて、それが説明できない不運と理解されることのない不幸の源泉にな
 る。生の外面化はこうして、癒しがたい苦しみとなってしまうのである。なぜなら、どうして人
 間は、自分自身が生きてゆくことについて苦しまねばならないか、誰にも理解できなくなるから
 である。自分の欲に気づく者は誰もおらず、それを正しい権利だと思いこんでいるので、そうい
 う世俗的な精神的栄養が、最後にはたましいの平衡を失わせる重大な結果にまで導くということ
 について、全く考えもしないのである。これこそ西洋的人間の病であり、彼は、全世界を彼自身
 の休みなき欲望の中に引きずりこむまで、それをやめようとはしないであろう。
 (後略)”

 ( C.G.ユング著 湯浅泰雄・黒木幹夫 訳『東洋的瞑想の心理学』 創元社
  インドの聖者(1944)東洋の伝統が教えるもの P.215 ~ 217)


(つづく)






















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Last updated  2021年02月04日 20時56分26秒


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