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カテゴリ: 陽明学


彼〔かれ〕仏を知らずといえり。
吾が道を明〔あか〕さんがためならば、仏をも学ぶべしや。

 云う。彼と争わんがために学びば非なり。
其の上、儒仏の弁を好むは道を見ること大〔だい〕ならざる故〔ゆえ〕也。
《江漢〔こうかん〕以てこれを濯〔あら〕い、秋陽〔しゅうよう〕以てこれを暴〔さら〕す。
 皜々乎〔こうこう こ〕として尚〔くわ〕うべからず》
(江漢以濯之、秋陽以暴之。皜々乎不可尚)といえり。
玉の宝たることをしらば、石を以て是〔これ〕を乱るべからずといえり。
たとい仏学すること仏者にまさるとも、彼を非とせば、彼、仏を知らずとはいわん。
彼、仏を知るといわば、則〔すなわ〕ち吾子仏者ならむ。
仏者に儒学ひろ(博)くしたる者あれども、
其の道にあらざれば、心を用うることはしからずして、理〔ことわり〕を見ることあらじ。
人に説くべからず。
我、仏学せざれ共〔ども〕、形容〔けいよう〕行跡〔ぎょうせき〕を見て其の心をしれり。
しばらく吾子のためにこれをいわん。
仏学、流〔りゅう〕多しといえども、天台と禅とすぐれたり。
天台は高妙〔こうみょう〕なり。仏学はくわしき事禅にまされり。
しかれども、心に惑〔まど〕いあり。
禅は学あら(粗)けれども、近く心法に本〔もと〕付きて要を得たり。
惑いなきがごとくなれども、実はまどえり。

 問う。まどう所はいかん。

 云う。仏氏の学は死を畏〔おそ〕るるによれり。故にこれを云いてや(止/已)まず。
禅さとれりといえども、死を畏るるより悟りを求む。
聖学の徒、死生を昼夜とす。常なれば畏るべき所なし。故に死をいわず。

 問う。形跡(※形容行跡)はいかが見るべきや。

 云う。心〔しん〕・迹〔せき〕は形と影のごとし、わかつべからず。
仏氏髪を剃り人倫を棄〔す〕つるは、輪廻を恐るれば也。天道輪廻なし。
しかるを輪廻といえるはまどえり。
むかし、鬼物〔きぶつ〕を見たるという者あり。これ眼病〔げんびょう〕なり。
其の後見たる者なけれ共〔ども〕、伝えて恐るるは眼病を伝うるなり。
白石〔はくせき〕夜衣〔やい〕を見てばけものとし、
気た(絶)えたる者あるは、此の伝えなり。
其の惑いに狐狸〔ころ〕の乗ずるもあり。
むかし、釈迦、輪廻を見たるは、心眼病〔しんげんびょう〕なり。
後世の仏者、此の心病〔しんびょう〕を伝えて輪廻ありと思えり。
白石夜衣の狐狸ありて、其の信をます事あり。
故に出家してまぬかれんことを願えり。
真実道心の出家、もし輪廻なき理〔ことわり〕をしらば、
一日も出家に住〔じゅう〕すべからず。
たまたま儒学して輪廻にまどわざる坊主ありといえども、
或いは渡世のため、或いは其の家の名聞〔みょうもん〕などにひかれて、
学力すくなければ、こころならず終るもありと見えたり。





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Last updated  2021年03月05日 20時17分10秒


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