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Photo by jose.rperez67
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わが息子、貴彦と克彦に・・・・・・






プロローグ



 地中海の葡萄(ぶどう)色の海面に夜の帳(とばり)が降りた。
 西ドイツ籍の貨物船自由(フライハイト)号は、ハンブルグを出港し、ジブラルタル海峡を通り抜け、イタリーのジェノバ港に向っていた。五千トン級だ。
 初冬の海は、油を流したように穏やかであった。フライハイト号がたてる波で夜光虫が砕け散る。舷側(げんそく)の右手にアルジェリア、左手にスペインがひろがっている筈(はず)だが、闇(やみ)のために見えない。
 フライハイト号の船橋(ブリッジ)には、船長のエルハルト・リッペントロープ、一等航海士のロルフ・クライゼン、当直操舵手(そうだしゅ)のエルンスト・ワグネル、それに二等航海士のクラウス・シュミットの四人がいた。
 傲岸(ごうがん)な顔と巨体を持つ船長のエルハルトは太い葉巻きをくゆらせ、あと三人はパーコレーターから注いだコーヒーを時々口に運びながら、レーダーを覗(のぞ)いたり海図を読んだりしている。
 フライハイト号は、西ドイツ政府がイタリーの原子力発電所に売却した濃縮ウラン三百トンを積んでいた。
 濃縮ウランには核分裂を起すウラン二三五が約三パーセント含まれている。核爆弾を作るには濃縮ウランをウラン二三五の含有量が九十パーセント以上の高濃縮ウランに変えるか、原子炉の灰を再処理して抽出(ちゅうしゅつ)したプルトニウム二三九が必要になるが、それには厖大(ぼうだい)な資金と施設、それに頭脳と時間がいる。
 とはいえ、濃縮ウランが十キロあれば、計算上では、小型の核爆弾が作れると言われている。
 船長のエルハルトは、しばしば自分の腕時計とブリッジの壁に嵌(は)めこまれた水晶時計を交互に見た。

「予定どおりですな」
 金髪が色あせて白茶けている二等航海士のクラウスが呟(つぶや)いた。クラウスが記入している船位位置は実際よりずっと東側にあった。
 鼻が酒焼けした当直操舵手のエルンストも含めて、ブリッジにいる四人はかなり年をくっていた。
 四人とも西ドイツ内務省に直属する連邦海事秘密警察隊の退職者で、退職後もその組織と密接な関係を保っている。
 近づいてくる貨物船が、闇を通して肉眼でも認められるようになったのは半時間ほどのちのことであった。

 やがてその船はUターンすると、フライハイト号に並行した。二隻の間隔は約二百メーターであった。互いがたてる波で二隻は揺れる。
 一万トン級の船の甲板で閃光(せんこう)が次々にひらめいた。射ちあげられた照明弾は小さなパラシュートの花を開かせ、ゆっくり降下しながらあたりを明るく照らす。
 フライハイト号の船長が船内電話を使って機関室の操機士にエンジンの回転を落せと命じた。
 アイドリングするエンジンを空転させるフライハイト号に一万トン級の貨物船が接舷(せつげん)したのは、それから二十分ぼどのちのことであった。
 接舷のショックで舷側の鋼板は火花を散らして軋(きし)んだ。
 船名も船籍名も消された一万トン級の貨物船の甲板で数基のサーチ・ライトが目を剥(む)き、短機関銃や自動ライフルで武装した三十人ほどの男たちがフライハイト号の甲板に跳(と)び降りた。
 その男たちはプロの戦士の身軽さを持っていた。ヘルメットの下の顔はナイロン・ストッキングで隠している。ライフ・ブイのかわりになるフローティング・ジャケットをつけ、その上に締めた弾倉帯から、ナイフや拳銃(けんじゅう)のホルスターや手榴弾(しゅりゅうだん)を吊(つ)っている。
 葉巻をくわえたまま、フライハイト号の船長は船内マイクを使って部下たちに緊急招集の命令を出した。非常事態発生のサイレンのスウィッチも入れる。
 ブリッジの四人は後部甲板に出た。ニヤニヤ笑っている。
 移ってきた覆面姿の男たちは左舷に並んで自動銃を腰だめにしていた。
 真ん中の男のヘルメットは黒、その左右の二人の男のヘルメットは黄色で、あとの連中のヘルメットはオリーヴ・グリーンだ。
 船長のエルハルトは、黒いヘルメットの男の前に立った。
「今夜の接舷はちょっと荒っぽかったな、隊長さん」
 と、笑いながら言う。
 このフライハイト号は、西ドイツ政府がチャーターした核密輸船なのだ。
 アラブといがみあっているイスラエルは紛争当事国ということになるから、各国ともその国に核物質を輸出することは禁じられている。国際間協定を破ってひそかにイスラエルにウランやプルトニウムを輸出したことがバレたら、アラブ産油国の恨みを買って石油が入ってこなくなる怖(おそ)れがある。
 だがイスラエルは原子力発電に利用するほか、アラブとの次の大規模戦争で国家の存在が危うくなった時の切札として原爆を持つ必要がある。そしてイスラエルは、核爆弾を作る技術も設備も頭脳も持っている。
 そこで、西ヨーロッパの主要国とイスラエルの首脳のあいだで秘密会談がくり返された。
 イスラエル側は金(かね)と核爆弾製造のノウ・ハウを西ヨーロッパに提供し、西ヨーロッパ側はウランやプルトニウムをイスラエルに渡すという秘密協定が結ばれた。
 だが、ストレートな密貿易では、アラブに嗅(か)ぎつけられた時に言いのがれがきかない。
 そこでイスラエル側は、特殊工作機関の一つのモッサドの指揮下に核ジャック特別奇襲隊を編成した。核ジャックされる国とイスラエルの完全な合意のもとに、特殊奇襲隊は八百長芝居で核を入手するわけだ。
 イスラエルが特に圧力をかけた国は西ドイツであった。過去にナチスのユダヤ人大量抹殺と、ミュンヘン・オリンピック時にアラブ・テロリストがイスラエル選手団を虐殺することを阻止できなかった弱みを持つ西ドイツは、これまでに四百トンの濃縮ウランをイスラエルに渡している。
 イスラエルはその濃縮ウランをプルトニウムに変えて、すでに数十発のミサイル用核弾頭を作り上げた・・・・・・。
 フライハイト号の居住区や機関室から、甲板員や機関士など十名が出てきた。彼等も西ドイツ連邦海事秘密警察隊出身だ。
「この船の乗組員はこれで全員か?」
 黒いヘルメットの男が、船長のエルハルトにドイツ語で尋ねた。
「そうだが・・・・・・どうしてそんなことを知りたがる?」
 船長は呟いた。
「核ジャックをもっともらしく見せるために、全員を縛りあげないとな」
 黒いヘルメットの男が答えた。
「これまでは、縛ることまではやらなかったぜ、あんたたちは・・・・・・そういえば、あんたは新任のようだな。これまでの隊長と声がちがう。体つきも・・・・・・」
 船長は言った。
「これで全員なのか確認してみてくれ」
 黒いヘルメットの男は、一等航海士のロルフに向けて言った。
 ロルフは肩をすくめた。横一列に並んだ乗組員の前に出て、彼等の顔を眺(なが)めまわした。もとの位置に戻り、
「みんな揃(そろ)っている」
 と、答える。
「よし、威嚇(いかく)射撃をはじめろ」
 黒ヘルメットの隊長は部下たちに命じた。自分も、ウージー短機関銃の安全装置を外す。
「おい、おい、それはやりすぎと言うもん・・・・・・」
 船長の声は、ヘルメットの男たちの短機関銃やガリル自動ライフルの斉射を全身に浴びて途切れた。
 乗組員たちは悲鳴をほとばしらせながら逃げようとした。だがヘルメットの男たちの自動銃の掃射をくらって肉塊と化す・・・・・・。
 西ドイツ内務省はフライハイト号からの定時無線暗号連絡が絶え、こちらからの連絡にも応答がないことを知って、ただちに行動を開始した。フライハイト号で事件が起ってから半時間後のことであった。
 これも内務省直属の連邦国境警備隊第九部隊、つまり対テロ特殊部隊GSG9の精鋭三十名がチャーター機でスペインのバルセロナに飛び、そこの秘密デポに隠してあった武器弾薬を受取ると、三機の大型ヘリをチャーターし、海上捜索に移った。秘密裡(り)に行動する必要があったので、レーダーを持つ哨戒機(しょうかいき)をスペイン軍から借りるなどということは問題外であった。
 しかし、夜の海でフライハイト号を捜し出すのは困難であった。あとで分ったことだが、その船の灯火はすべて消されていたからだ。
 午前十時近くになって、GSG9のヘリは漂流するフライハイト号を発見した。甲板は赤黒いペンキを流したような血の海で、人影は見当らない。
 フライハイト号の甲板に降りたGSG9の男たちは、甲板の血に肉片や骨片が混っていることを知った。
 船艙(せんそう)もくまなく捜したが、船長をはじめ乗組員の姿は発見できなかった。海に沈められたらしい。そして、三百トンの濃縮ウランは消えていた。
 西ドイツ政府はイスラエル政府に激しく抗議した。
 イスラエル政府は、核ジャック奇襲隊員を乗せた貨物船イブラヒム号からの暗号無線連絡に不審な点があったため、奇襲隊長だけが知っている特殊な暗号を発信したところ、イブラヒム号からの応信が絶えた。イスラエルとしては現在情報機関の総力をあげてイブラヒム号を捜索中だが、その船がシージャックされた可能性がある・・・・・・と、答えた。
 それが、いまから四年前のことであった。


 七月九日。
 三連休が明けたその日、フランスの紺碧海岸(コート・ダジュール)のリゾート都市カンヌにあるクレディ・ナショナーレ銀行カンヌ支店では、支店長や役付きの行員たちが、待ちくたびれて騒ぎたてる顧客たちを必死になだめていた。
 地下では、行員やガードマンや警官たちが見守るなか、ダイアルを合わせても開かぬ大金庫室の特殊鋼の扉(とびら)を、呼ばれた金庫屋が酸素アセチレン・トーチで焼き切ろうと奮闘していた。石工たちは扉の脇のコンクリート壁と圧搾ドリルを使って格闘していた。
 午後になってやっと開いた大金庫室の扉は、何者かによって内側から溶接されていたことが分った。
 大金庫室のなかの銀行専用の金庫五個も、五千個の貸し金庫もすべて破られていた。
 床には貸し金庫から取出したらしいポルノ写真やワインやキャビアやフォアグラの空き壜(びん)や空き罐(かん)が散乱し、壁には「平和と愛(ピース・アンド・ラヴ)」の、鳩(はと)の足跡とハートのサインが着色スプレーでなぐり描きされていた。
 捜査の結果、複数の犯人たちは、下水道からトンネルを掘って地下大金庫室に達し、大金庫室の鋼鉄板をサンドウィッチした分厚いコンクリート壁を、圧搾ドリルと酸素アセチレン・トーチと油圧ジャッキで破ったものと分った。
 彼等が大金庫室の扉を内側から溶接したのは、“仕事中” の明かりやトーチの煙が銀行内に漏れないようにするためと、逃走時間を稼(かせ)ぐためであった。無論、彼等は指紋など残してなかった。
 被害総額は、貸し金庫の利用目的の大半が脱税用であるためにはっきりしなかったが、邦貨に直して、最低二百億、妥当な線で五百億と推定された。盗まれたのは現金と宝石と金(きん)やプラチナのインゴットだけで、足がつきやすい証券や手形や美術品などは床に捨てられていた。国宝クラスの古代中国の壺(つぼ)など便器がわりに使われていた・・・・・・。
 それから約一か月のちのパリ。
 ヴァカンス・シーズンの真っただなか、それも聖母大祭を含む三連休が明けたソシエテ・パリ銀行本店の地下大金庫が破られ、少なく見積っても十億フラン、当時の邦貨にして約五百五十億円が奪われていることが分った。
 犯行の手口は、カンヌの場合と同じであった。
 秋になってから、フランス国家警察の刑事警察局は、金遣いが急に荒くなったパリのトンネル掘削専門の小さな工務店の店主を逮捕し、得意の拷問に掛けた。
 片手の指三本をプライヤーでへし折られたその男はしゃべりはじめた。
 アンリ・クレモンというその男は、妻子を人質にとられてカンヌの銀行破りに加わったが、腹の虫がおさまらぬので、首謀者(リーダー)の警戒の目を盗んで百万フラン相当のアメリカ・ドルを猫(ねこ)ババし、それを何軒かの闇の両替え屋に持ちこんでフランに替え、憧(あこが)れであったフェラリ三六五GT四(フォー)と小さいとはいえ牧場がついた別荘を買いこんだのだ。
 そのアンリはホトボリが冷めるまで金を使うのを待てぬほど間が抜けている割りには要心深く、首謀者の顔写真を、ライター型カメラで盗み撮(ど)りした高感度フィルムと、首謀者の指紋と唾液(だえき)がついたポケット・ウイスキーの空き壜をアパルトマンのステレオのなかに隠していた。
 もし妻子に危害が加えられたら、その証拠物件を持って警察に駆けこむ予定であった。
 犯行後、妻子は十万フランの報酬と共に無事に戻されたが、アンリは万一のケースにそなえて証拠物件を廃棄してなかった。
 写真と指紋、それに唾液から判明した血液型によって、首謀者と目される男の身許が割れた。
 カンヌで小さな旅行代理店をやっているジョルジュ・クーペという男であった。
 ジョルジュは軍隊時代に婦女暴行罪で捕まったり、アルジェリア独立を許すドゴール大統領を敵とした右翼秘密組織O・A・Sに加わって武器を輸入した容疑で捕まったりしているので、警察の犯歴ファイルに彼のものが残されていた。
 ジョルジュは捕まったが、彼の自宅からも郊外の農園からも、銀行破りと結びつくものは何も発見されなかった。ジョルジュの預金残高もプチ・ブルとして平均的な額であった。
 警察は拷問に次ぐ拷問を加えた。
 ジョルジュは吐いた。
 しかし、奪った金をどこに隠したかを追及しても、ジョルジュは全額を、イタリー語で鎌(かま)を意味するフォルセという国際極右政治団体に献金した、犯行資金を出してくれたのもフォルセだった、と主張した。
 ジョルジュはまた、共犯数名の名をしゃべったが、捜査官が踏みこんでみると、それらの者はすべて国外逃亡済みであった。
 捜査の的は、南ヨーロッパから追放された極右の活動家を支援する秘密国際組織で本部は北イタリーのトリノにある、とジョルジュが言うフォルセの存在を突きとめることに絞られた。
 だが、イタリー、スペイン、ポルトガル、フランスの各治安警察は、そのような名の組織は現像しないことを確認した。
 そのジョルジュは、カンヌ地方裁判所の、日本で言えば検事に当る予審判事の取調べ室で尋問を受けている時、予審判事を縛りあげて窓から脱走した。窓の外にはホンダやスズキやヤマハの一リッター・クラスの高性能モーターサイクルが待機していた。
 その後、ジョルジュは地下にもぐった。
 予審判事はジョルジュの脱走に手を貸したのではないかと疑われた。取調べの際はジョルジュの手錠を外し、警護の警官は室内に入れなかった点が疑惑を深めた。
 その予審判事はジョルジュが脱走してから一週間後に暴走車に体当たりされて即死した。暴走車は数時間後に路上に放置されているのを発見されたが盗難車と分った。
 それが、いまから三年前のことであった。

 (つづく)





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Last updated  2021年05月02日 02時47分43秒


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