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2005.10.06
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固定しての安定はもろい。動きの中で保っていられる安定、不安定の中の安定というべきものが自然との真の調和であろう。
2005.01.10
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終わりだと思ったところが、本当のはじまりである。年が改まるに合わせて、これまでの自分に終わりを告げて、新しい自分をはじめよう。
2004.12.31
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お昼ご飯に何を食べようか、自分の身体に聞いてみる。頭で考えないで。何を自分の身体は欲しているだろう。食事は、身体と対話するよい機会となる。
2004.12.27
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今生きている時間は本当に貴重なものだ。人の一生などあっという間である。この世には真剣に自分を見つめることから目を背けさせる刺激が多すぎる。いちいち外界の些末なことに囚われていては大事なものを見る目を失ってしまう。常に本物を見続ける目、求め続ける心を持ちたいと最近特に思う。
2004.12.25
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心と身体は一体と言われているが、自分の身体が現在どのような状態にあるのかということには、普段あまり気づかれていない。身体を丁寧に感じてみると、確かに現在の心のありようも分かるのだ。
2004.12.20
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社会に上手く適応することが出来ず、家の中に閉じこもってしまう引きこもり。しかし、それはあくまで「その人がそういう状態にある」というだけであって、それがいいか悪いかということはまた別のことである。社会の価値基準というものは別に絶対のものではないし、必ず全てのルールにしたがわなければいけないというものでもない。むしろ、自分の声を大事にする感性のするどい人が、社会の価値に上手く合わせることが出来ずに、引きこもることもあるだろう。引きこもりというと、社会ではマイナスの概念として捉えがちだが、社会の価値に余分に揺るぐことのない篭(こもる)る作業はとても大事なことだと思う。内に向かうこともあることは人間にとって自然なことである。
2004.12.19
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死んでしまったらチャンスはないが、生きている限りはチャンスがある。どんなに生きることに望みが持てなくなってしまったとしても、生き続けることはやはり大事なことだと思う。目標が定まらないまま生き続けるということはたいへん苦しいことだが、乗り越えた時にはそれも貴重な経験となる。言い古された様なことではあるが、やはり大事なことだと思うのだ。
2004.12.18
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整体の野口晴哉という人の書いた「風邪の効用」という本がある。風邪は悪いものだと思われているがさにあらず。風邪は身体の浄化作用だという。身体に溜まった毒素を排出するために風邪を引き、熱を出しているのだと。風邪を引いた後でさらに元気になるということもあるし、一概に悪いものでもないのである。
2004.12.15
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本来、生きているというそのことが、不安定そのものだ。確証を持てずに、手応えがないまま生きるということは当然ありうることだ。というか、それ以外はないのである。ただ、それを直視するのが恐ろしいから人間はいろんなところで「安定」を求めるのだろう。「一寸先は闇」ともいうが、これから数日後に確実に自分が存在しているという保証もないし、身の回りの人もいなくなっているかもしれないし、会社もなくなるかもしれない。いや、仮に数日後は今まで通り存在していても、将来は今あるものは全て確実に消えてなくなってしまうのである。生々流転する姿が本来の事象のあり方、それは本来「不安定」以外のなにものでもない。自分が作り上げた幻想をいつまでも変わらずに「安定」させたいと思い込んではいないか。
2004.12.14
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アニマル浜口氏によって「気合い」が日本中、いや世界中に広まった。何をやるにせよ結局ことをなすには気合いなのだ。はじめから誰かの助けをあてにしてはいけないし、なにかとっておきの秘密の方法なんかに頼るのもダメだ。まず、己の中心から思い切り気合いを発してみる。すべてはそこからである。
2004.12.13
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大きな夢を持って「これがやりたい」というのもいいが、しかし、そのために何が今自分にできるのか真剣に考えてみる。結局どんなことも「自分にできること」の積み重ねしかないのだ。大きな「やりたいこと」よりも小さな「できること」の方がよほど価値がある。
2004.12.12
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生きていると思い通りにならないことはどうしても起こってくる。しかし、「思い通りにならない=自分は不幸」という思考回路は変えることができる。
2004.12.11
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完全な善人も完全な悪人も存在しない。人を悪い奴と決めつければ、おそらくどこかで自分も人から悪い奴だと思われるだろう。また、このうえない善人(そんな人がいるかどうかわからんが)と思える人がいるとしたら、後でとんでもない悪人だったことが分かってひどい目に遭うかもしれない。結局のところ、あらゆる善悪が人間一人の中に入っているのだ。
2004.12.10
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自分がたったいま側にいる人に何かしてあげられることはないか探してみる。
2004.12.09
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昔「空手バカ一代」という梶原一騎原作の熱い劇画があった。極真空手創始者の大山倍達氏の空手修行を記したもの。その中で大山氏が弟子の大山茂氏(同姓であるが親子ではない)を指導する場面がある。喧嘩に明け暮れる茂(以下敬称略)に倍達はこう問いかける。(細かい場面は覚えていないので多少違っているところがあるかもしれません)茂:「あいつらが喧嘩を売ってきたからやったんです」倍達:「では、もし相手が私だったら、お前はかかってくるか」茂:「そんな、先生ではかなわないから逃げます」倍達:「馬鹿者、それがすなわち私闘なのだ!」相手が強そうだ→逃げよう。相手が弱そうだ→やっつけよう。という思考パターンは、結局私の利益のために戦う「私闘」だと倍達は言うのである。戦うときは相手がどんな相手であれ戦わないといけないと。当然そこには覚悟が必要となる。普段から練っておかないととても使えないだろう。少しでも近づきたいものだ。
2004.12.08
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誰も行ったことのない道を、一人で行くのはしんどいものだが、しかし、既に敷かれている道だけを行くのはやはり面白くない。暗中模索。先もよく見えなくても、その中を進むことこそが生きているということだ。
2004.12.07
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叩かれても叩かれても立ち向かっていくのが、人間の原点だと思う。一度や二度の失敗などは失敗ではない。どのみち、たいしたことのないちっぽけな人間である。少々叩かれたくらいで、立ち上がれなくなるほど偉い存在でもないのだ。ときには、立ち止まることもあろうが、でもその経験を糧に立ち上がっていく。
2004.12.06
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認識の柔軟性を獲得していく過程が人間の成長であろう。
2004.12.05
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じぶんがたいへんなとき、しんどい時にこそ微笑みを浮かべる余裕が欲しい。
2004.12.04
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出会いによって、人生が開けていく。人との出会いは大切なものだが、でも、自分が磨かれていないとせっかくの出会いも生かされない。チャンスをものにするために日々自分を磨いていく。
2004.12.03
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死にものぐるいでもがいている姿というのは、何か見苦しいものだとどこか思っていたのだが、やっぱりそれって美しいんじゃないのかと思う様になった。命がかかると人間は真剣になる。真剣の姿こそが美しい。変に諦めきってしまうのはよくない。中途半端な諦めは真の悟りではなく、単なる逃げだ。
2004.12.02
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目の前に処理しなければならない問題が山積みされているとき、どうしても視野が狭くなってしまう。自分の達成したい目標はなんだろう? そもそも、そのために今やっていることは必要なのか? 大きな夢を描くことで日常で馴れっこになっている視点を広げることが出来る。人間の可能性を広げるのはやはり想像力なのだ。
2004.12.01
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魅力ある背中の人がいる。黙っていても背中が語りかけてくる。背中にはその人の人生がそのまま現れている。
2004.11.30
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自分の身体のことが分かってくると自然のことがもっとよく分かる様になる。当たり前のことだが、人間は生物なのだ。人間は生物であるということがいつの間にかわすれられてはいないか。
2004.11.29
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自分の境遇や不運を人のせいにしてはいけない。結局自分が原因なんだということが認められれば、次の道が見えてくる。
2004.11.28
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「自分はこれがやりたい」「今こう思っている」「人はこういっているが、でもこうじゃないのか」自分の中から沸き上がってくる情報を閉ざして否定するのはよくない。勿論それを全て人に話せばよいというものでもないが、でも、自分の中から沸き上がってくる情報以上の情報はない。それを否定すると人間は魂の自由を失っていく。極端な場合は洗脳されてしまうことにもなる。気をつけないと、しらずしらずの内に社会の常識や通念に馴らされてしまうものだ。
2004.11.27
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人生なんてまあこんなもんだよっていうのと、いやいや、こんなもんじゃないよ、もっともっとというのと、両方の声がある。そんな矛盾の中を生きていく。
2004.11.26
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生まれる時に意思を持って生まれてくる訳ではないし、死ぬことも自分の意志ではできない。自殺で自らの生命を絶つことはできるにせよ、でも、思うだけでは死ぬことはできないのだ。生命とは人間の意思をも超えたもっと大きな流れである。
2004.11.25
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「縁の下の力持ち」という言葉があるが、華やかな世界の裏では必ずその花を影で支えてくれる存在がいるものだ。本当のスターは自分がいかに影で支えてもらうことで存在しているかを知っている。また、それがそのスターの魅力をさらに増すことにもなる。
2004.11.24
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地中にある根っこが大きいほど、大きな花を咲かせ、沢山の実を付けることが出来る。花が咲き、身になるのも地下から養分を吸い上げているから。花だけ咲かそうと思っても咲かない。
2004.11.22
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人を傷つけるのを恐れるあまり、思っていることを言わないのはいかがなものだろう。自分自身も人を傷つけるのが恐かった。それは自分が傷つけられるのが恐かったからでもある。しかし、そのために真実を見る目が曇ってしまってはどうしようもない。
2004.11.21
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どんなことがあっても、感謝できる余裕があれば、新しいものの見方ができるだろう。
2004.11.20
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小さなことを一旦脇において心を天地に広げてみる。心が広がれば志(こころざし)も広がる。
2004.11.19
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それこそが、人生を彩り豊かなものとするからである。もし、その経験がなかったら果たしてどうだっただろう。
2004.11.18
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何か社会的に大きな仕事をやるというのは素晴らしいことだが、人間の素晴らしさは社会的な評価だけで決まるものではない。社会で認められなくても素晴らしい人というのはいるものだ。
2004.11.17
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熱くなりすぎていると流れを見切ることができず、うまく乗ることができない。覚めた目を持てば流れをつかむことができる。
2004.11.16
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焦ってジタバタしてもどうにもならないときというものはある。その時はじっと機が熟するのを待つ。そして、そのときになったらすぐに動ける様に刃を研いでおくのである。
2004.11.15
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妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)というのは低劣な情念と思われているが、でも人間の感情であることは間違いない。でも、それだけでは自分がどうにもならないことは確か。人の能力を妬むのはいいが、でも、結局は自分がいかに向上するか、問題解決するかということにつきるだろう。
2004.11.14
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柔軟な対応力を身につけるというのが人間の成長の証だと思う。例えば、人のちょっとした仕草や言葉遣いから相手の意図を読み取り、的確な言葉を返すとか。その場で最善の対応というものは常にある。場を読み取る力というのも柔軟に対応できる力があればこそ。
2004.11.13
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自分が体験したことにまつわることは、強烈に実感できる。感動の体験、孤独の体験、恐怖の体験、喜びを分かち合う体験、人にほめられる体験、裏切られる体験・・・でも、直接体験したことでないことでも、その人の実感を味わうことを可能にするのが人間の想像力である。どだい、体験したことしか実感できないのであれば、人間同士がお互いに理解し合うことは、絶対にないだろう。想像力は、自分の中にある体験を素材として、料理を作っていくようなものだ。その意味であらゆる体験が、料理の素材として活用できるのである。
2004.11.12
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上達の段階を示す言葉として知られている。徹底して忠実に学ぶ「守」、それを打破する「破」、そして上達の階段を上る「離」。段階を上がっていくためには、教えを忠実にものにしようとすることは不可欠だ。そして、そこにいつまでもとどまっていてもいけない。学んだことを活かしながらもそれを否定し、乗り越えていくのである。学んだことを破る思い切りのよさもまた必要だ。
2004.11.11
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「一生をかけても、尊敬するあの人の様になりたい」・・・でも、それだけだとやはり少し物足りない気がする。「一生をかけても、尊敬するあの人に追いつき、超えたい」という気概を持っていたいものではないか。先人の業績を十分に尊敬しつつも、それを乗り越えるのでなければ、人類は進化しない。その意味で人をむやみに神格化し、まつりあげてはいけないのだ。
2004.11.10
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この世界は、そのまま演劇の舞台の様なものだ。望むと望まないとに関わらず、人は役者として以外のあり方はしていない。人間の一生がその人の役柄。たとえどんな人生であったとしても。
2004.11.09
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「人に負けたくない」「人に馬鹿にされたくない」という思いが強すぎると外界と自分を分け隔て、閉ざしてしまうことになる。でも、人間のやることは全て結局は共同作業だ。いつの間にか、人と自分を敵対させる思考が身に付いていた。でも、それはもう卒業しよう。
2004.11.08
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優れたところもあれば、ダメなところもあるというのが人間である。どだい「優れた」とか「ダメ」というのが一つの価値基準に過ぎない。あらゆる価値観において優れた人間などいるはずもない。たかだか何十年かの経験、たかだか一人の人間の脳細胞である。完璧であるはずがない。間違いや欠陥があって当然なのであり、完璧な人間像を期待する方が無理というものである。ということは逆に考えれば、どんな人間でもなにかしら優れたところもあるものだということになる。
2004.11.07
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思い通りにならない人を受け入れられれば、思い通りにならなかった自分の過去も受け入れられるようになるだろう。それは忍耐とやさしさを同時に鍛えてくれる。
2004.11.05
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言いたいことが言えない、自由なコミュニケーションが妨げられている状態での「平和な世界」にどれほどの意味があろう。抑圧することによって平静になっている世界より、どんなに小さな声でも共感を持って聞き届けられる世界であってほしい。
2004.11.04
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人のあり方を変えようとしても難しい。それよりも自分が変わることだ。人のあり方に文句を言うだけで自分が変わることを忘れてしまっていないだろうか。
2004.11.03
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自分のやっていることが誰からも評価されないとしても、自分のやっていることに心から満足しているだろうか。それが、単なる自己満足かどうかは、自分の心に聞けば分かるはずである。
2004.11.02
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