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MUSIC LAND -私の庭の花たち-
「メビウスの輪」17
私は一体どうしてしまったのだろう。
なぜ、こんなところに居るの?
学校にいたはずなのに、千倉の海に居るなんて。
昨日、確かに信吾と来た。
途中、記憶を失って、病院に行き、
恩師にカウンセリング受けたけど、
それで元気になったはずなのに。
また、記憶を失ってしまったのか。
それにしても、こんな白いワンピースドレスは
持ってなかったはず。
ヒラヒラは嫌いだったはずなのに。
昔、母にこんな感じのワンピースを着せられ、
ペットのように連れ歩かれた。
「可愛いわね。お母さんに似て美人になるわよ。」
と褒められると嬉しかったが、
母が「そんなことないわよ。父親似だから。」
と笑って否定するのが哀しかった。
それだったら、こんなふうに着飾って、
一緒に歩かなければいいじゃないと思った。
そのうち私に飽きたのか、母は一人で出歩くようになった。
かえってホッとしたが、やはり寂しかった。
私が醜くて恥ずかしかったのかと思ってしまったのだ。
大きくなってから、「可愛い」とか言われても、
信じられなくなった。
自分でもそれほど可愛いとは思ってないが、
かといって醜いというほどではない。
人並みだとは思うけど、コンプレックスが抜けないのだ。
だから、目立つような、可愛らしい服は着たくなかった。
なるべくパンツルックや、スカートでもロングとか、
平凡な格好をしていたのに。
昨日は海に入るつもりで、
久しぶりにミニスカートを履いた。
信吾とのデートだし、少しは可愛い格好をしたかったのだ。
それでも、こんなフリフリではない。
どこかで買ったのだろうか。
学校に居たはずが、なぜ千倉の浜辺にいるのだろう。
バッグをまさぐり、携帯を出した。
そのとき、一緒にメモが出て、落ちた。
拾い上げると、そこには信吾の字で、
携帯の電話番号が書いてあった。
なぜ、こんなものがあるの?
電話番号なら携帯のメモリーに入っているし、
メモをもらった覚えもない。
急に不安になってきた。
信吾には知られたくない。
昨日のことだけでも、心配かけたのに、
これ以上こんな自分を見せたくない。
でも、私には他に頼れる人がいないのだ。
どうしよう。
そうだ。恩師に電話しよう。
「桜井先生お願いします。」
「桜井先生は、今外出中です。」
受付の冷たい声。
「そうですか。失礼しました。」
電話を切ってから、呆然とした。
親になど電話をかける気にはなれない。
どうせ二人とも私のことなど心配していない。
話したくもないのだ。
かといって、また信吾に迷惑かけるのも気がひけるし、
途方にくれてしまい、
浜辺に思わず座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
遠くから、信吾の声が聞こえる。
私は幻聴まで聞こえるようになったのか。
背筋がぞっとしたが、
振り向くと、信吾が駆け寄ってくる。
これは幻影ではないよね。
「信吾!」
思わず、叫んでしまった。
「幸恵、僕が分かるんだね。」
信吾が、抱きかかえて、立ち上がらせた。
「私、信吾が分からなかったの?」
不安が波のように押し寄せてきて、心臓が痛くなる。
「さっき、ちょっとね。」
言いよどんでるから、ますます気になる。
「どんな感じだったの?」
「うーん、別人みたいだったんだ。」
まるで信吾の方が悪いことをしてるような、
遠慮した物言いだ。
「解離性同一障害ね。
私だって、カウンセラーの端くれだから分かるよ。
昨日から、もしかしたらとは思ってたの。」
「そうか。そうだよな。」
諦めたように信吾はこれまでの経緯を話し出す。
「そうだったの。探してくれたのね。
ありがとう。それなのにもう一人の私が
信吾を冷たくあしらったのね。」
ついその女を恨みがましく思ってしまう。
それも私自身だというのに。
「仕方ないよ。その人は俺のこと知らないんだから。」
「そうよね。私だって、その人は知らない。」
私の知らないところで、もう一人の自分が人を傷つけている。
それも私の一番大事な人を。
「僕は大丈夫だよ。幸恵さえ無事ならそれでいいんだ。」
信吾は優しい。
でも、こんな病気の私がいつまでも信吾を束縛してもいいのかな。
結婚の約束をしたと言っても、まだお互いの気持ちだけだし、
体の結びつきはまだだから、縛られることはないのだ。
「信吾。私、一人になって、ゆっくり考えたいな。」
信吾をこれ以上傷つけたくない。
私は何をするか分からないのだ。
「どういう意味だ?」
「信吾にこれ以上迷惑かけられないし、
一人で治療受けたいから、少し離れよう。」
本当はそばに居て欲しい。
心細い。でも、頼りっぱなしだもの。
「迷惑なんかじゃないよ。俺がそばにいたいんだ。」
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、桜井先生だって、
カウンセリングは一人で受けるものだって言ってたでしょ。
私、信吾がそばに居るとつい甘えちゃうんだ。
カウンセリングだって、一緒に受けて欲しいと思ってしまうの。」
「だから、廊下で待ってるから。それもダメなら、
ロビーにいるよ。幸恵が居て欲しいところに居るから。」
必死で言ってくれる信吾がまぶしい。
このまま信吾の胸に倒れこんでしまいたい衝動に駆られる。
でも、そんなことしても、セックスさえ許せない私は
信吾に何もしてあげられないのだ。
まずは自分の病気を治さないと。
「きっと治すから。それまで待ってて。
ううん。いつになるか分からないから待ってなくてもいい。」
「そんなこと言うなよ。待ってるから。
だから早く治して、俺のところに戻ってこいよ。」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しい。」
涙が溢れてきて、信吾の顔がぼやけてきた。
覚えておきたい顔なのに。
また別人になったら、忘れてしまうのだろうか。
信吾が何も言わずに肩に手を乗せた。
しゃくりあげる肩を抑えるように。
いつの間にか夕焼けが暗闇に覆われ、
星まで見えるほどになった。
寒くなって、信吾の顔を見上げると、
夜空を見つめていた。
信吾こそ、遠い目をしているよ。
何を考えているのか分からない。
信吾の顔をじっと見つめていると、
それに気づいたのか、私を見た。
優しい包み込むような信吾のまなざし。
私の好きな瞳だ。
「待ってるから。焦らなくていいよ。
大丈夫。幸恵はきっと治るよ。
でも、たとえ治らなくても俺はそばに居るよ。」
「嬉しいけど、そんなこと言われたら、
治らなくてもいいなんて思っちゃうじゃない。」
「諦めちゃいけないけど、時間はかかると思うよ。」
「そうだよね。難しいからね。」
解離性同一障害の治療が難しいのはよく分かってるだけに、
段々不安になってきた。
治療がいつまで続くのだろうか。
そんなに信吾を待たせちゃいけないと思う反面、
一人で耐えていけるか自信がない。
体がガタガタと震えてきた。
「寒いのか?」
信吾が上着を脱いで、かけてくれた。
「そうじゃない。心が寒いの。怖い!」
思わず、抱きついてしまった。
信吾も抱きしめてくれる。
それでも震えが止まらない。
歯がかみ合わないほど、ガチガチ言ってる。
どうしていいかわからない。
気が遠くなり、耳鳴りが聞こえた。
私が覚えてるのはそこまでだ。
幸恵が倒れた。
俺の腕の中で。
震えが止まらなくて、抱きしめていたのに。
気を失って、眠ったように穏やかな顔。
このままそっと寝かしておきたい。
不安そうな顔を見るのは切ない。
いつまでも待ってると言ったけど、
俺自身だってそんなに強いわけではない。
ただ、幸恵を守ってやりたいから、
強くありたいとは思う。
このまま二人で永遠に眠り続けられたらと
不埒なことまで考えてしまう。
幸恵を抱きかかえながら、
俺まで、途方にくれていた。
幸恵が急に起き上がった。
不思議そうな顔で俺を見る。
「あなた誰?」
またあの女になったのか。
「さっき、恋人を探してた男ですよ。」
「そんなの知らない。」
今度はまた別人格か?
「あたし、なんでここに居るの?」
「さあね。」
どう対応していいか分からないが、
やけに子供っぽい。
「お兄ちゃんが連れてきたの?」
「違うよ。」
あやうく誘拐罪になるところだ。
「じゃあ、なんでここに居るのかな?」
「しつこいな。どうでもいいだろ。」
つい邪険にしてしまった。
「お兄ちゃんのいじわる!えーん・・・」
急に泣き出すから、始末に終えない。
「ごめん。悪かった。」
と慌てて謝ると、
「う・そ!」と舌を出した。
「こいつ、嘘泣きか。」
頭を軽くコツンと叩いた。
「痛いよ。だって、
お兄ちゃん構ってくれないんだもの。」
頭を大げさに抱えながら訴える。
結構可愛いな。
幸恵の子供の頃って、こんな感じだったのかな?
黙って見てると
「じっと見てると気持ち悪い。」
と言われてしまった。
「そうだな。」
「そうだよ。」
拗ねて、突き出した唇が誘ってるようにも思える。
ここでキスしたら、ロリコンかな?
ある意味いろんな幸恵に会えるというのいいかも。
こんな考えは不謹慎かもしれないが。
「何考えてるの?」
子供らしくない質問だな。
「何も。」
素っ気無く答えた。
「ふーん。お兄ちゃん、恋人居るの?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「だって、さっき恋人探してるって言ってたじゃない。」
「よく覚えてるな。」
「子供は大人より記憶力いいんだよ!」
やっぱり自分は子供だと思ってるんだな。
「そうか。それはすごいな。」
頭を撫でると、ニコッと笑った。
「私ね、詩を言えるんだよ。」
得意そうに胸を張った。
「何の詩だ?」
「学校で習ったんだけど、
草野心平っていう人が書いた
『秋の夜の会話』の詩だよ。」
「本当に言えるのかい?」
「本当だよ。聞いててね。
『さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずいぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだろうね
腹だろうかね
腹をとったら死ぬだろうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね 』
終わり。」
「すごいなあ。全部言えるんだ。」
「お兄ちゃん知ってるの?」
「知ってるけど、言えないなあ。」
「本当はね。この人の春のカエルの詩が
教科書に載ってたんだけど、
先生がこの秋の詩も教えてくれて、
あたしはこっちの方が好きになったんだ。」
「春の方が明るくていいんじゃないか?」
「だって、秋の方が泣けるんだもん。」
「泣けるのかい?」
「よくわかんないけど、
涙が出そうになるんだ。
でも、もう泣かないけどね。」
「なんで泣かないの?」
「だって、泣いたら負けじゃない!」
急にむきになった。
「そんなことないよ。」
「泣いてもいいの?
ママは泣くのは弱虫だって言ってたよ。」
「人前で泣くのは恥ずかしいかもしれないけど、
一人で泣く分にはいいさ。」
「お兄ちゃんも泣くの?」
「ああ泣くよ。一人の時はね。」
「ふーん。男の人も泣くんだ。」
「そうだよ。男だって弱いからね。」
なぜか、リトル幸恵の前では素直になれる。
いつもは幸恵に弱さなど見せたくないのに。
それにしても、幸恵は子供の頃から、
こんな哀しい詩が好きになるほど、
辛い思いをしてきたのか。
可哀想になって、抱きしめたくなる。
だが、子供だと思うとかえって出来ない。
つぶらな瞳で見つめられると辛いな。
「お兄ちゃんも覚えたら?」
「教えてくれるのか?」
「いいよ。
泣きたいときはこれを言うと、
かえって泣かなくて済むんだ。
お兄ちゃんもそうしなよ。」
そんなこと言われると、
かえって涙が出そうになるじゃないか。
幸恵と一緒に口ずさみながら、
詩を覚えた。
「そういえば、名前はなんていうんだ?」
「さっちゃん。」
「さっちゃんか。」
幸恵の愛称だろうな。
「そういえば、
『さっちゃん』
の歌があったよな。」
「うん。あたしあれも好きなんだ。
なんかあたしのことみたいでしょ。」
「幸子っていうのか?」
「ううん。幸恵だけど、さっちゃんって呼ばれるほうが好き。」
「じゃあ、さっちゃんって呼ぶよ。」
「お兄ちゃんの名前は?」
「信吾だけど、信ちゃんでいいよ。」
「信ちゃんか。でも、お兄ちゃんでもいい?」
「なんで?」
「あたし一人っ子だから、お兄ちゃん欲しかったんだ。」
「そうなのか。甘えん坊だな。」
幸恵は今でも俺にそんな感じだからな。
それにしてもいつまでリトル幸恵で居るんだろう。
連れて帰るにしては、誘拐みたいになっちゃうし。
そんなことを考えてるうちに、
幸恵はあくびをしだした。
さっきも眠ったのに、この病気は眠たくなるものか?
それとも子供だから、夜になると条件反射かな。
「お兄ちゃん、眠たいよ。」
「いいよ。寝ても。」
「だって、おうちに帰らないと。」
「お兄ちゃんがおんぶして連れて帰ってあげるよ。」
「おうちどこか知ってるの?」
「知ってるから大丈夫だよ。」
「そうなんだ。じゃお休みなさい・・・」
語尾が消えるように眠りについてしまった。
また起きたら、別人格になってるのかな。
幸恵をおぶって、レンタカーに戻った。
昨日といい、今日といい、
千倉の海は、鬼門かもしれないな。
ここだけではなくなるかもしれないが。
続き
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