山口小夜の不思議遊戯

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ヒロの留学日記・完

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ヒロの留学日記─最終章─




 そういえばたっちゃんである。

 もとはといえば、たっちゃんのコピーから始まったこの度の入院騒動だったが、僕はといえば、医学論文のコピーの存在もたっちゃんの存在もすっからかんに忘れていた三ヶ月間だった。
 ところがたっちゃんは忘れておらず、「おい、あのコピー読んだだろうね」と、またある日突然にメールを寄越してきた。僕は返事の電話で「えーと、読んだこともあったかもしれない気がする」と、誠に曖昧な答えをし、その場をやり過ごそうとしたのだが、「また嘘をつくっ」と即座に見抜かれ、あっという間に窮地に立たされてしまった。
 窮地に立たされたのを感じつつ、僕は沈黙していた。黙っていればたっちゃんの話題は次に移り、そのうち病院のこともコピーのことも忘れるだろうと思ったからだ。

 だがたっちゃんは沈黙している僕に向かって、その背後にいるべき飛雁に電話を代われと申し渡した。交代した飛雁はしばらく受話器に向かって何事かをしゃべった後、僕の背中をポンと押し、「たっちは(飛雁はたっちゃんのことをこのように呼ぶ)大腿骨壊死のことを心配してるんだよ。あの論文のコピーはそれについて書いてあったんだって」と言った。
 「ええーっ」である。そんな重要な内容だったとは早く言ってくれよ、などと思うのは自分勝手に過ぎるか。僕は即座にたっちゃんには大腿骨のことはおろか、手術、リハビリを済ませたことすら打ち明けていないことを飛雁に告げた。飛雁はさすがにあきれた様子で黙っていたが、今のところは心配ない、コピーは読ませておくから、とだけ言って電話を切った。

 そして、たっちゃんのコピーは無事に目を通される運びとなった。
 目を通すどころではない。熟読してしまった。それはステロイド剤の大量投与に付随して起こる副作用──特に僕が見舞われた大腿骨骨頭壊死についての報告と予後が特集されている記事だった。
 同時に、たっちゃんに対して申し訳ないと思う気持ちが湧いてきた。たっちゃんだけが、僕の副作用の発現を心配してくれていたのだ。これ以上、彼を心配させてはいけない。
 僕は国際電話をかけた。受話器の向こうから懐かしい友の声が聞こえると、僕はコピーを読んだこと、実はたっちゃんが心配してくれていた大腿骨壊死が起き、今はリハビリをしていることを正直に告げた。
 しばらくして、日本からEMSが届いた。中身はなぜか映画『踊る大捜査線』のDVDだった。コピーと同じ運命をたどらないように気を配るつもりだったが、いまだにDVDは開封されていない──僕はそういう男だ。

 こうして、ホーム・ドクターとともにこれからの僕の留学生活は順調に過ぎていくであろう──(と信じたい)。とにもかくにも、アメリカに留学して、すでに二年が経っている。久しぶりにスーツを脱いで、シャツにジーンズといういでたちで平日を過ごしている。しかも通学の足にはふたたび自転車を使っている。そうやって、昼休みに芝生に寝そべっているときなどに、ようやく好きなことをして暮らしているんだなぁとしみじみ感じるようになってきた。
 留学初期にも関わらず、僕はすでにこれまでにない色々な体験をした。
 僕のような有色人種には給仕したがらないくせに、怜子が微笑めばグラスワインをサービスするウェイターとか(姉貴註:怜子お姉さまはドイツ人パパと日本人ママのハーフで、黒髪に緑の瞳をしています)、しごく単純な英語を使ったのにわざと聞き返す店員など(その折には「あんたが僕と同じ時間だけ日本語を勉強したら、今僕が喋っている英語よりも上手くなると言えるのかい」と言い返してやったが)、人種差別めいた感情を被ることも体験した。

 また、今や世界中に氾濫している麻薬にまつわるアブナイ体験もある。
 あろうことか、ハーバードの寮でも、麻薬は一部の学生に常習されている。また、こともあろうにクリキントン元大統領の御自らの言葉で「麻薬は学生時代にやったけど、ぜんぜんヨクなかったよ」というお寒いコピーが添えられている政府広報もあるほどのお国柄なので、実際の麻薬にまつわる現場は、よほど憂うべき惨状なのだろう。

 ある日の深夜、僕は友人の部屋から戻ってくる折に、見ず知らずの学生が住む一室からチョコレートの匂いを嗅ぎ取った。誰かが本格的なココアでもいれているのだろうか、それにしても甘くておいしそうな匂いである。かの部屋は僕の部屋の階下にあったため、自室に戻ってからも、立ち上ってくるそのチョコレートめいた香りに僕はしばし酔いしれた。日本語の用法として「酔いしれて」いたのだが、だんだん本当に酔ったような感覚になってきた。

 頭蓋骨の中で脳が萎縮したような酩酊感がしはじめ、PCに向かう視界がぼーっとしてくる。貧血の症状のような吐き気や悪寒はなく、ただひたすら「いい気持ち」だ。頬を無理やり引き締めていないと、わけもなく微笑んでしまいそうなくらいに気分がいい。そうやって、くすくす、ふわんふわん、としているうちに、いきなり視界に英の顔が飛び込んできた。英は「ダメだよ、シロウトが大麻なんか吸っちゃ」と言いながら、ぴたぴたと僕の頬を叩いた。大麻? なにそれ? 僕、大麻なんか吸ってないよ。

 そう言うと、英は訳知り顔で少しだけ開いていた窓を閉め、僕をベッドに転がした。それきり、僕は朝まで気分よくひっくり返っていたのである。いわゆるバッド・トリップはしなかったようだが、麻薬どころか、麻酔や術後の痛み止めの、あの眠りという泥沼の中に引きずり込まれるような感覚ですら大嫌いな僕が、期せずして麻薬を体験させられてしまうというのも、アメリカ留学の危険な一面なのだろう。パーティに呼ばれて、行ってみたらドラッグ・パーティだったというのも、学生の間でよく聞く話だ。ともかく、以後は注意しなければならない。

 かようなくだらない体験から、今まで書き連ねてきたような珍しい体験まで各種あったが、ボーゲル教授に提出するレポートを製作中に新しい経済定義を見いだした感激など、素晴らしい体験も多かった。
 体験してみるという事は実に大切な事だと改めて思う。体験を通じて、今までわからなかった多くの事が見えてくる。自分が豊かになった証拠である。たとえそれがつらい体験でも、同様のことがいえるのだろう。体験の有難さとはそういうものだと思う。

 僕はまだ留学して二年しか経っていないから、この先僕の生活がどのようになっていくのか実に楽しみにしている。この新世紀が始まった不安定な世の中で、来世紀の人類の存続に期待をしないという声も聞く。二十五年以内に東アジアで大きな戦争があると信じるハーバードの教授も多い。
 しかし、この不安定な世の中に生きて呼吸している限り、二十五年後の事どころか明日の事さえどうなるかわからない。一日のうちにちょっとした事件が、まるで地雷のように仕掛けられているかのような状況にある僕にいたっては、一秒後の事さえわからない。でも生きている。生きているという状態は、もともと不安定なものなのだ。いつの時代も生命は不安定なものだったと思うが、こうして人類はまだ存続している。魚類が陸に上がり、鳥類が空を目指したように、困難な状況に敢えて挑戦し、自らを作り変えていく強い力が、どの生命にも宿っているような気がするのだ。

 二十一世紀の地球に何が起こるのか、それを一緒に体験しようじゃないか、と思う。来世紀が巡ってくる頃には、ここにいる誰もがもう生きてはいないのだとしても。今の僕には、二十一世紀の幕開けを一緒に体験した友人たちが、そばで生きていてくれればいい。
 考えてみれば、面白い時代に僕たちは生きている。こんなわけのわからない速さで、あらゆる事が進んでいく時代はなかなかない。どうせなら嘆くより、愉快に生きた方がよい。

 ボーゲル教授は最近、“JAPAN:Free,Fair,and Grobal?”と題した論文を米経済紙「ウォールストリートジャーナル」に発表したが、僕たち日本人が目指すべきメンタリティは、ボーゲル教授がここに説く三点と同じ文脈のなかで捉えられるのではないかと思う。
 すなわち、自由で公平、国際化たりえるか?──という大いなる提言である。
 友を救いたいと思って、本当に救える年齢と経験に達しているのが嬉しい、とたっちゃんも言う。日本経済の「第二の飛翔」がいつ起こるか、と世界から注目されている昨今であるが、この日本の「第二の飛翔」を実現するのは、僕たちの世代に他ならない。そして僕たちは、すでにその力を着けているのだ。日本の「第二の飛翔」は、少年期を脱した僕たちの人生の「第二の飛翔」と同義であると、僕は信じている。

 高齢化した日本では経済成長など追求しなくてよい、との声が聞こえる。しかし、経済成長を止めてしまえばどうなるか。他方で中国などの新興国では高度成長が目覚ましい。新興国が成長し日本が成長しなければ、やがて新興国は日本と同じ所得水準になる。つまり、経済力を相対的にみれば、日本は今なら優位に立つが、成長しなければやがて対等になってしまう。今は高所得国として経済大国の力に任せて原油や食糧などを大量に輸入できているが、新興国と同程度の所得水準になれば、それは通用しなくなるのだ。それでも日本は経済成長を追求しなくてよいだろうか。

 昨今の日本では、政権が経済成長戦略を強く打ち出していないことが第一に懸念される。一九九〇年以降、経済が低迷しているだけに、経済成長をどう図るか真剣に検討すべき時である。
 僕は先のレポートの課題を「世界各国の経済成長について」などというアバウトなものに決め、そのかわり過去数十年間における各国の経済成長をつぶさに観察してみた。そして、その結論として示唆されるべきは、長期的に見たとき、経済成長には技術進歩や体験による学習などを通じた生産性の向上が欠かせないということだった。それには、優れた教育が求められるのは当然として、経済成長を促す政治のスタンスや、法制度も作用していることが明らかである。目下の日本では、貧困層への政策に関心が集まりがちだが、経済成長が貧困層の所得を増やす事実も観測結果として示されている。経済成長を追求することと生活格差を是正することは、必ずしも矛盾するわけではないのだ。人々の生活をよくするための経済成長とはいかなるものなのか──各国の経済成長の事例を、今後とも時間が許される限り長期にわたって研究していきたい。

 ちなみに、この留学日記を今後も書き溜める計画はない。今回はこれにて読み切りである。便りのないのはよい便り、とでも思っていただいて、二年後、あるいは三年後になる帰国の一報まで、僕のほうはしばらくなりをひそめようと思う。僕? 僕は大丈夫。ただ、自分には緋路という友人がいたが、あいつはどこでなにをやっているんだか…そう時々思い出してくれれば、僕は十分にしあわせだ。

 失くした右大腿骨が帰ってくるわけでもないから、なにもかも元通りという完璧なハッピーエンドは僕には永久に望めない。でも楓は? 飛雁は? 
 自分が健常者ではないという信じがたい事実を受け入れ、生きていこうとするとき、人はそれと引き換えのように現実と戦う勇気を得ることができるのかもしれない。
 生きている限りあちこちにきしみが生じ、僕のような覚悟のない人間はすぐに弱音を吐いてしまう。だが、そうじゃない。人はこわれながらも勇敢に戦い続けるものであり、そのこころざしゆえに、人生は満足と感謝の中にありうる。ハッピーエンドは来ないってわかってる──それでも戦い、気がつけば欠けたところのない人間よりも強くなっていった人を、僕たちは知っているではないか。

 悪夢のような現実と戦う人間にとって、一番の強みは自分と、そして周囲にある命のぬくもりだ。
 それがわかっただけでも今回の留学は儲けものだと僕はひとりほくそ笑んでいるのだが、みんなはどう思う?


                  二〇〇二年十二月 風早緋路


 追記:ねえ、留学成果についての一時報告書なる七面倒なレポートを職場に送らなきゃならないんだけど、 これ送っちゃダメかな。


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