山口小夜の不思議遊戯

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2005年08月23日
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 昭和55年、7月21日。
 その日はなんだか火曜日だったような気がするが、日付を覚えているだけで充分だろう。小夜子は父親の転勤に伴い、横浜からここ、鳥取は相生村(あおおい:仮名)に越してきたのだった。

 小夜子の父は当時農林関係の役人であった。県庁に赴任することになっていたのだが、住まいは市街地から遠く離れた村を故意に選んだらしい。相生村での生活は、彼なりに農村についての理解を深めるための手段であったとのだろうと思われる。

 かくして、小夜子の家族は父親のとんでもない選択にあらがえず、大都会である横浜を後にした。小夜子はお受験して入った私立の小学校を捨てなければならなかった。妹はまだ幼稚園に上がる前だったからその弊害はあまり挙げられないが、ともかく、山口家の中で鳥取行きの影響を一番被ったのは、他ならぬ小夜子だった。あのまま私立聖ヨハネ学園(仮名)に在学していたら、小夜子は平凡な人生を歩めた、と断言できる。

 相生──そこは氏(うじ)でおおまかに分けられた、三つの集落で成り立つ村だった。
 鳥取にはいまだ相生のような集落が点在し、行政から格別の対策もとられないのをいいことに、独自のポリスを形成していた。
 そして、小夜子は八つ。早生まれだから、八つでも小学校の三年生だ。
 気の遠くなるようなこれからの義務教育の課程の初期にあって、教えられるということを知っていく年齢だ。しかし、誰もそうであるように、小夜子の場合も教えられる対象は、なにも教科書に限ったことではなかった。


 大自然を表わす自然と、人間の行為に使う自然、鳥取においてまさにこの言葉は表裏一体であった。

 小夜子の日常にさりげなく流れていた生きとし生けるものの生命力、生き死にの悠久のくり返し、それらは“よいこと”でも“悪いこと”でもない、すべての既成の概念を超えた真理だった──これが教育でなくて何なのだろう。

 ともかく、地球がまだ美しかった頃の物語だ。思い出す者もあるだろう。






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最終更新日  2005年12月07日 12時40分48秒
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