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ひーたん協力による外国人向け日本語教科書にみのりの写真が載った! 幼稚園のお泊まり保育とお正月の写真を提供してくれと言われて貸した写真なんだけど、解説がビミョ~に違っているような…(お泊まり保育じゃなくて給食の説明になってる:笑) お正月の写真には、実は霊体が写っている…のを知っているのは皆様だけ:笑。 (2007年1月7日の日記をご参照ください) 【日記の更新が遅くなってしまってごめんなさい─第二弾─】 夏休み中のことなのですが── その日、私たちは広尾の二期倶楽部でランチを楽しんでいました。 (↓こちらのレストランおすすめです) http://www.nikiclub.jp/hiroo/index.html 懐石風ランチを堪能した後、ガーデンヒルズの林立する道を広尾駅に向かって歩いていたところ、とある角に黒いワンボックスカーが止まっていて、歩道に若い女の人が倒れている光景が目に飛び込んできました。何事かと思って立ち止まると、女の人の少し離れた傍らには、携帯に向かって居丈高に叫んでいる強面の男性が。 「広尾だよ広尾! ガーデンヒルズって言ってんじゃねーか! 早く来いってんだよ!!!」 最近はとんと見かけないが、完全無欠の「そちらの世界のひと」のルックスをしている男性で…真っ黒なグラサンも、金の鎖(ネックレス&ブレスレット)もキマッています。 倒れている女の人の連れ合いとおぼしきその男性の剣幕とルックスに怯んでしまって、私は立ち止まったものの、駆け寄ることができませんでした。 すると、一同の中にいたヒカリが、わめいている男性につと近づき、 「救急車に電話してるの?」 男性は携帯から耳を離して、「なんだこいつ」というように一瞬ヒカリをにらみつけ、「おお」と短く返事をしました。 「だいじょうぶだから。ここの場所が詳しくわからないの?」とヒカリ。 「どこなのかわかんねーんだよ!」声を荒げる男性。 私がなすすべなく振り返ると、ヒカリの後ろに控えていたヒロが、そこに通りすがった初老の婦人に「ここはガーデンヒルズの何棟と何棟の間の道ですか?」と聞いています。女性が「あっちが○棟で、目の前のこれが□棟です」と教えてくれたので、「ガーデンヒルズの○棟と□棟の間だって」とヒロ。「ガーデンヒルズの○棟と□棟の間って言って」というヒカリの言葉を、そのまま「○棟と□棟の間の道!」おうむ返しに携帯に叫ぶ男性。 そう言っている間にもヒカリは「だいじょうぶだよ」と男性の肩をぽんぽんと叩き、次いで道に倒れて動かない女の人の横に膝をついて脈や顔色を診ながら、 「このひとはあんたの連れ?」 「連れだよ。お腹の中に赤ん坊がいるんだよ」 「ふぅん。それで、あんたはだいじょうぶ?」 「あ? あ、ああ…おれは大丈夫だけど…」 「だいじょうぶだからね」 ヒカリは女の人に向かってではなく、あくまでも男性に「だいじょうぶ」と言い続けます。「だいじょうぶ」とくり返されて、男の人が明らかに落ち着いていくのがわかりました。携帯に向かって「すいません、出動してくれましたか? もう出動した? すみません」と頭を下げはじめました。私もようやく身体が動いて、女の人の体勢を変えようとヒカリのそばに控えてみました。 ヒロがタクシーを止めています。 ワンボックスカーがあるのに──と思って見ていると、 「急病の人が倒れているんです。タオルを持ってますか?」と運転席に声をかけています。運転手さんはすぐにタクシーを止めてトランクを開け、「あまりきれいなものじゃないんだけど…」とあるだけのタオルを持ってきてくれました。 ヒカリと私とで(主にヒカリだが)女の人の頭の下と、身体を覆うようにしてタオルを使い、切迫した状況は変わらないまでも、できるだけの対応をして、あとは救急車の到着を待つばかりとなりました。 ヒカリが立ち上がり、再び「だいじょうぶ?」と男性に尋ねました。 「だいじょうぶです。すんません。ありがとうございます」と頷く男性。 「救急車来るって?」 「もう出てるって言ってた。ほんと、申し訳なかった。ありがとう。すんません」 女の人がワンボックスカーがありながら、なぜ道に倒れていたのかは謎です。 でも、それはともかく、あの男性の状況を前にして、一瞬もためらうことなく自ら進み出て、パニックに陥っている男性を落ち着かせ、事態を収束させたヒカリに、私は尊敬の念を抱かずにはいられないのです。私はふたりが動いたから動けただけに過ぎなかった。私はただただ、その男性の様子が「怖かった」んです。どんな外見をしていようと、どんな生活をしていようと、今そこで困っていることは確かなのに、偏見だけで私は身が竦んでしまって、その場に立ち止まって立ち竦むことしかできなかった。 倒れている女の人発見から救急車到着までのすべては、少し前を歩いていたほかのメンバーさえも気づかずに、先に行ってしまったくらいにスムーズに進んだ出来事でした。 二次会の集合場所にたどりつくと、なにも知らない先遣隊が「遅いねぇ。買い物でもしてたのかねぇ」と笑ってなじりました。 ヒカリが何も言わないので、私も笑って「ごめんごめん」と返しました。 ヒロも何も言いません。お店のソファにすっかりくつろいだ風に腰掛け、ヒカリの広げるメニューをのぞき込んで、ラインナップを読み上げてやっています。 このふたりは、以前にもこういう援助を、何度かしたことがあるのかな、と思ったわけなのです。 ======= それはそうと皆様、夏休みのご予定はいかがですか☆ 小夜子チームはシンガポール行きを考えていたところ、ヒカリのアドバイスにより、しお太のポリオの不活化ワクチンを待っていたところ、9月以降に接種との通知があり、今年は東南アジア方面は断念することに致しました; 来年こそ必ず!(二歳児の海外旅行はギリギリ旅費がタダだしv) そういうわけで、今年も南の島に行ってまいります。 七月末に山篭もり。八月末に与論島です。 皆様もどうぞ平安で楽しい夏休みを! 【メモメモ】 ・12月の発表会のためアドバイスいただいた選曲リスト。 花のワルツ アラベスク センチメンタル デュランのワルツ バームクーヘン(湯山) サンタクロースのおじいさん(シューマン) かわいい黒人の坊や(ドビュッシー) 連弾は鳥の人(ナウシカ)かオペラ座の怪人。 オペラ座の怪人は、ちと早いのでは…笑。 ナウシカの連弾をナウシカとアスベルのイメージで、とお願いしたら、 「ナウシカとミトのイメージなら」と返された(笑) ・オススメしてもらって最近行って気に入ったお店リスト。 小田急センチュリーサザンタワー20階レストラン「トライベックス=TRIBEK'S」 ランチ/サラダバー付2100円(税込み) デザートの20人限定クレームブリュレがベリーが入っていて絶品だった! スカイツリーや御苑を望める眺めが素晴らしいんだけど…入ってほしいのは男子トイレ。 ものすごい爽快なトイレタイムが過ごせるのではないかと(笑)。 それは行ってからのお楽しみ^^ http://www.southerntower.co.jp/restaurant/tribeks/ 沢村のベーカリー。7時から開店しているので、広尾に行くついでに朝食をv どれも間違いなしですが、アンチョビ入りのクロワッサンと、あんずとクリームチーズ入りの小さなパン、クランベリーとカスタードクリームのパイなどがおすすめです! 焼き立てのため、籠に並べられずに網棚に入れられるパンをチェックすべし。 http://www.b-sawamura.com/ 歌舞伎十八番『毛抜』を鑑賞した後、みのりが「ちい散歩展を見たい」と言い出したので銀座三越へ。9階のみのりカフェはクオリティが高かった! ジェラートもドリンクも、手作りスープやパンのトーストにも手を抜いていない。季節のブルーベリーとカマンベールチーズをはさんだトーストは絶品です。 http://minoriminoru.jp/ こどもの国にも一族で行きました☆ ここにもグルメが──兄貴たち家族がこよなく愛すソフトクリーム http://www.kodomonokuni.org/komap_1/milk.html
2012年07月11日
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真珠さんから『エマ』をお借りして読んで。早速にトピックスにしたかったんです。 でも、ステイタスや階級については、語るに本当に難しい。 レストランやホテルで大きな顔をしたいなんて、小さい願望すぎて人には言えない。 人生半分まで生きてしまってわかること──「お育ち」って思いの外、奥が深い。 今回はそんな「ステイタス」や「お育ち」について、正真正銘のお坊ちゃまの生態をつぶさに観察、斜め145°から考察の上、「お坊ちゃま言葉全集」として特集させいただきます。 【「すみません」の使用は控える】 ・呼びかけ 一般人「すみません」 お坊ちゃま「おそれいります」 たとえ相手がまったく礼儀のないような人間でも、「おそれいります」と話しかけよう。人は礼儀正しい方の前では、自然に礼儀正しくふるまおうとし始めるものだ。 ・ごめんなさいとしての 一般人「すみません」 お坊ちゃま「申し訳ございません」「失礼いたしました」 「すみません」では本来、謝ったことにならない。 ・ありがとうとしての 一般人「すみません」 お坊ちゃま「どうもありがとう」「ありがとう存じます」 すみませんはお礼の言葉ではない。「ございます」もお坊ちゃま言葉ではない。 ・お願いするときの 一般人「すみません」 お坊ちゃま「よろしいですか」「お願いできますか」 ウェイターを呼びたい場面では、目で微笑んで合図する。「すみませーん」などと呼びかけないこと。お坊ちゃまは存在感があるので、自分から声をかける必要がないことも多い。 ・「ございます」の使用は控える 一般人「ありがとうございます」 お坊ちゃま「ありがたく存じます」 「ございます」は「ごぜえます」の意味。 皇族などの「お言葉」をチェックしてみると、「ございます」は使っていない。 一般人「思います」「知っています」 お坊ちゃま「存じます」「存じております」 このほかの用例として、「お目にかかれて光栄に存じます」「お名前はよく存じ上げております」「わたしくは存じませんが」などと使うことができる。 【省略形の言葉の使用は控える】 一般人「ケータイ」「留守電」「デジカメ」 お坊ちゃま「携帯電話」「留守番電話」「デジタルカメラ」 流行語や省略形を多用しない。 一般人:「ピアノをちょっと」 お坊ちゃま「ピアノを少々たしなんでおります」 お坊ちゃまは語尾を最後まできちんと言う。 ちなみに、有段者くらいの心得を持っていても、お坊ちゃまは「将棋ですか。駒の進め方くらいは存じております」「書道などを致しておりますが、なかなか上達いたしませんので、先生もお困りになっていらっしゃるようです」などという独特の表現をする。ゆめゆめ額面どおりに受け取らないように。 【「わたくし」と「さま」】 一般人:「わたし」 お坊ちゃま:「わたくし」 ちなみに、お坊ちゃま言葉として威力を発揮するのは、仕事などの一般的な場面ではなく、私的な感情表現などとともに使われた場合。 一般人:「さん」 お坊ちゃま:「さま」 初対面の人には「さま」で呼ぶ。また、相手の身内を話題にするときも、一般常識的尊称だけでなく、「お妹さま」、赤ちゃんにさえ「さま」を付ける。 例「史桜さまはもう一歳におなりですか」 【親しき仲にも敬語あり】 お坊ちゃまは友達同士の輪の中でも、「どうぞおかけになってください」「ご都合はいかがですか」「いかが(お茶などをすすめるとき)」「ご覧になります?」「これ、いただきますよ」「ごきげんよう」などと、元気よく言っている。 さらにお坊ちゃま言葉上級者は 「する」=「遊ばす」 「仰る」=「仰せになる」 「聞く」=「承る」 「会う」=「お見上げ申し上げる」 「招待」=「おめもじ」 などと言い換えている。 また、ときには爽やかな甘えと笑顔で、ややカジュアルな言葉使いを有効に使おう。「お願い。土曜日はダメなんです。勝手言ってごめんなさい」 【とにかくゆっくりしゃべろう】 ・「お願いします。よろしいですか? あちらの薔薇を見せていただけますか。ええ、そちらのオレンジがかった…ああ、それです。それから、黄色のものもお願いできますか」 これを30秒かけてしゃべるのが、お坊ちゃま。相手も忙しいだろうからなどと気を使わず、じれったくなるほどゆっくりと話すこと。特に答えたくないようなことについては、否定とも肯定ともとれるような返事を、たっぷりと時間をかけてすること。お坊ちゃまはあまり断定的なことは言わないからだ。ただし、たとえお坊ちゃまでも頭の回転が速いお坊ちゃまは、いつもの三倍速で喋ることもできる。ようは、相手と状況に応じて速くもゆっくりも話すことができるのがお坊ちゃまで、速くしか喋れないのが一般人。 ・「ええ」でも「はい」でも二回以上重ねて言わない。 相手の話を聞くときも、話をせかされているように感じさせるような言葉遣いはしない。 ・紅茶とコーヒーの選択を聞かれるような場合でも、「私はコーヒー!」などとむしろ速く反応してしまうことを一般人は恥ずかしく思わなければならない。 ・感情的な場面でも、声高に話さない。たとえ、本音が出て「あったまくるなー」というセリフが出たとしても、ゆっくりと低い声で言えば、お坊ちゃまらしく聞こえる。 【沈黙と微笑】 「ただいま品切れです」などと言われた場合、「えっ、ないんですか? じゃあどれがあるの?」という反応は一般人がするもの。お坊ちゃまならばまず沈黙。微笑みながら沈黙して、相手に自分が困っていることを知らせ、相手がなんとかするようにしむける。困った時はまず沈黙。ただし、困ったようなかわいらしい微笑みを忘れてはならない。ちなみに、お坊ちゃまは何もできない人のことを指すのではない。お坊ちゃまこそがなんでも兼ね備えている人なのだが、それをあえて控えて、周囲が動くように仕向けられる能力を持ち得る人が、本物のお坊ちゃまなのだ。 何かを倒してしまった場合でも、素早く反応しようとするから「あっ、すみません」とペコペコすることになる。「おや」と三秒間、途方に暮れたようでいれば、だれかがどうにかしてくれるだろう。その後、「失礼いたしました」「おそれいります」などと悠然と謝る。 お坊ちゃまの上級者ならば、あわててハンカチを取り出したりせず、20万は下らない仕立て上げのスーツの裾で、倒した飲み物をすっと拭ってしまうという手もある。 【独特な否定形】 お坊ちゃまは明確な否定はしない。 お坊ちゃまから「よく考えておきます」と言われても、後で「あの話どうなった?」などと聞いてはいけない(ヒカリは音読するように)。もし本当に考えてから決めたい場合は、お坊ちゃまならば「承りました。けれども今は決めかねますので、明日、必ずお返事させていただきます」と言うからである。 ただし、この定義は外国人には通用しないので、早口で簡潔に結論から、特に否定は断定的に明確にしないと相手に勘違いされるので注意が必要。 意見を求められて、否定的なことを言わなくてはならないような場合にも、お坊ちゃまは本音の否定は言わないものである。自分ではなく、ほかの人の意見として言う。「みなさま、お困りのようです」「あまりよくおっしゃる方はいらっしゃらないようですね」 【お坊ちゃま用語実践編】 相手に反対のときや、依頼を断るとき 違います→「さようでございますか」 「どうでしょうか。むずかしいことで、わかりかねます」 「不本意な結果になるかもしれません」 嫌です→「よく考えておきます」 「わたくしには、合わないかもしれません」 「さあ、いかがでしたでしょうか。忘れてしまいました」 「なんのお話でしたでしょうか」 「お役に立てないかもしれません。あてになさらないでください」 「チャンスがございましたら」 そうは思わないです→「さようでございましょうか」 「ユニークなご意見ですね」 「そういうお考えもございますか」 「お好き好きですから」 【耳障りな言葉の言い換えリスト】 「礼儀知らずだな」→「はっきりしていらして」 「威張ってるよな」→「自信がおありで」 「ずるいやつ」→「世渡りにたけていらっしゃる」 「けちだな」→「合理的なことに徹していらっしゃる」 「グズ」→「おっとりしていらっしゃる」 「うるさいやつだな」→「いつもお元気そうで」 「デブ」→「体格のよい」 「ブス」→「お目立ちになる方ではいらっしゃらない」 「ヘンな格好!」→「個性的なご趣味でいらして」 「意地悪なやつ」→「悪意はおありにならないのでしょうけれど」 「仲が悪い」→「わたくしとはいまひとつそりが合いませんので」 「大嫌いなんだ」→(人)「わたくしは苦手でございます」 →(食べ物)「たくさんはいただけません」 「頭の悪いやつだな」→「性格は大変によろしい方です」 「やなやつ」→「あの方のことは、ほかの方にお聞きになってください」 「酷い目に遭った」→「みなさま、お困りのようでした」 「不味い」→「みなさま、お残しになっていました」 「たいした料理が出なかった」→「家庭的なおもてなしをいただきました」 「頑張るよ」→「全力を尽くします」 「頑張れよ」→「しっかり」「応援しています」 「面倒くさい」→「手がかけられませんので」 「やめれば」→「なさらないほうがよろしいかと」 「悪い」→「おすすめしません」 「やりたくない」→「わたくしにはむずかしいです」 「ぐちゃぐちゃ」→「すっきりとはしていません」 「○○さんは○○ができない」→「なさらない」 →「むしろ、○○の方が上手でいらっしゃる」 「○○は○○を知らない」→「関心をお持ちでない」 ちなみに、上記のお坊ちゃま言葉をお嬢様言葉に変換するには、語尾を「て?」「の?」「こと?」に入れ替えればよいそうです。なんと、語尾に「だよね」はNGらしい このままでは私たちは本当にお嬢様になってしまうかもしれません!
2012年04月18日
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もいっちょ作ってみたv ちなみにデザインは小夜子^^ 女子会+見目良い男子の会合の話題でも出ていたのですが、まずは三つ揃いの似合う男の話から。 3月上旬に久しぶりにヒロの独壇場を見に行く機会があり、スーツ姿で相変わらずかっ飛ばしている姿を拝むことができました(笑)。5人の基調講演の後、ヒロの司会で講演者たちによるパネルディスカッションが行われたのですが、「先ほど裏で○○さんにご自分の講演内容について一言“ほめる”ように言われたんですが、そうそうほめるわけにはいかないわけで…」と初っ端からヒロ弁で始めるものだから、オットとふたりして笑ってしまいました。ちなみに司会のヒロがホストでパネラーはゲストです。ちょっとは空気読んであげろよ日本人ならば(笑)。 基調講演も含めて、じーーーっとして聞いていると、今まで気にしなかったことなのに、弥が上にもその「口グセ」が耳についてくる。レジュメの端っこにメモまで取ってしまいました。読み返してみると、 ・要は、 ・と言っては悪いんですが、 これは言われたほうはかなりキツイだろ~。反省材料にすべし。 でも、その後の懇親会の立食パーティでは人だかりができてた(爆)。 そこに杖をついた老獪な教授もお出ましだったのですが、なんとな~く周囲から敬遠されているような雰囲気で…そこへヒロがさりげなく近づいてきて、耳元でなにやら囁きながら甲斐甲斐しい様子で外に連れ出したかと思うと、ほどなくしてひとりで戻ってきて、会場の面々に「教授はタクシーに押し込んできたので、皆さんこれからは心置きなく飲みましょう」と呼びかけ、大喝采の中、自ら率先してワインをあおっていた──ドイツワインを。 その後、BMWが迎えに来ていたようだから、安心してお先に失礼してしまいました(笑)。 サイドシートが倒してあって、そこに花束が置いてあったのは…目の錯覚だと信じよう 話は変わりますが、今回オットと同じ長テーブルで講義を聞くかたちで楽しかったv 小学生時代から、私は「気になるアイツ」と席を並べて勉強する、というのが理想というか、妄想の源であるのですが(笑)、だから私、職場恋愛ってすごく理解できる(と思う)。一緒に仕事したり、仕事したりしている姿を見るのが好き──ってよくわかる。みんなはどうなんだろ。 さてそれはさておき、中旬には待ちに待ったオフ会に参加することができました☆ 会場は二子玉川高島屋のバウムクーヘンカフェ。みのり&しおしお連れのため、ご迷惑をおかけすること必至でしたが、バウムクーヘン好きのみのりは大喜び! 最初に合流したのは、お向かいのライズにあるジル・スチュアートのお店で、まずMちゃんが私を発見して下さり、時を置かず真珠さんの懐かしい笑顔に出会い、その後、試着中だった透子さんと再会を果たし、旭陽さんとオルゴールさんをお迎えすべく高島屋に向かうことに。 ちょうどおやつ時で混んではいたけれど、人数のわりには意外とすんなり関を用意していただいて一安心。そういえば、席を移ったところのソファ席は、バウムクーヘンの形になっていたんですね! 今頃気がついた(笑)可愛かった☆ ここでご紹介! ようこそいらっしゃいましたMちゃん☆ Mちゃんというのは、旭陽さんの幼馴染みで、小夜子も一度お茶をご一緒させていただいたことがあります。今は小学校の先生をしていらっしゃる心優しき女性です。今回、5万近くするジャケットを大人買い! 小夜子も見習いたい──というか、かなり羨ましい(笑)。Mちゃんの春色のアウター、とっても似合っていらっしゃいました。真珠さんのお見立てだっけ? 今回の話題は後から合流する旭陽さんの恋バナメインで、私はとっても楽しかったんだけど、大人な話にみのり&しお太は爆睡zzz 助かった! 旭陽さんの事情は断片的にしかわからなかったのですが、恋に落ちてしまったことだけは手に取るようにわかった。二十代は暴れていなさい。面倒くさい恋愛こそが、女の「華」を作るのです。 ただし結婚の方は、まるで運命に導かれたように出会い、なんの障害もなくお付き合いが始まり、自然な流れでゴールインできる人がよろしいよ。自分の前に付き合っていた女のことなんかは、知らない方がいい。 これまで全然モテなかった男というのも難アリだけど、最終的には、お互いに生涯一人だけ、というのがかっこいいと私は思います。古風かな。 できるだけ遠いところからやってきて、おくてだけど、旭陽さんを大事に大事にしてくれる人が、結婚を決める人だと思います。そういう意味で、今回ミソが付くとしたら、彼女がいるのに旭陽さんの前に現れた男、という部分でしょうか。40年生きてきて思うに、男は浮気するかどうかは100か0なんです。浮気する星のもとに生まれたやつは必ずするし、浮気という言葉を自分の辞書に持っていないやつは一生しない。浮気に寛大な女性もいるけれど、私には無理。それこそ100ゼロです。旭陽さんはそのあたり、彼についていかにお考えでしょうか。 それから、恋愛において女子は相手を優位に立たせてはいけません。必ず、必ず彼に追いかけさせること。振り回したってかまいません。好いた女に振り回されることを、むしろ自分のエネルギーに変換できるような度量の大きな男の方が佳いではありませんか。旭陽と出会って、おれ変わった──なんて言わせたいよね。 二人が本格的にお付き合いすることになるならば、元の彼女のことはすっぱり切り捨て、どんどん二人だけの新しい思い出を作っていってください。ふたりの前にはふたりしかいないこと。これが私にとっての恋愛の大前提です。 とはいえ私、恋愛相談は愛、燦々とにもしたことがないなぁ(笑)。 こと恋愛に関しては、秘すれば花というのもあると思います。 そしてそして! ヒーローは最後に現れる──オルゴールさん登場!!! いろいろいろいろお話したかったのだけど、いちおうは初対面なのだから、あんまり根掘り葉掘り聞いちゃいけないかな、と柄にもなく遠慮してしまった小夜子なのでした(残念); 第一印象から、小夜子的には(おそらく皆の衆的にも:笑)パーフェクト! オルゴールさんは、外見、内面的にも最近は類を見ない好青年なのでした。 誰かに似てる!とも話題になったのですが、結局結論は出ず──会議中、終始爆睡していたはずのみのりが、帰途の車内で「はんにゃの金田くんに似てる」と言い出したので、すっ飛びそうになりましたv 後にオルゴールさんに打診してみると、似てると言われたことはないけれど、そう言われてみれば自分でも似てるような…とお返事をくださいました。みのり、グッジョブv 控えめな物腰ながら、きれいで率直な目線といい、みんなの笑い声に合わせて笑顔を見せてくださるあたたかさといい、きっと良きご家庭で育まれていらしたのだなぁと、心を打たれながらひたすら拝顔していたひとときでした。その輝かしいお顔の後ろに、「どうよ。いいやつだろ?」と言わんばかりの楓のドヤ顔が見えていたのは私だけ!? 帰り道は秋姫を馬車でお送りくださり、本当にありがとうございました。秋姫も感激しておりました。次回についても触れていただき、嬉しいです!!! 透子さん、ちょっと短めの髪型、とっても素敵でした! ちょうどショートの私も真似したいくらい!!! 花粉でお困りのご様子でしたが、それがまた憂いをともなってなんともいえないいい女の風情に…なんて、花粉症を知らない私が勝手なことを言ったらいけませんね; バッボ・アンジェロhttp://babboangelo.angelo-san.com/行こうね! イタリアのサッカー選手がこぞって訪れるだけあって、今、私が最もピッツァがおいしいと思うお店です♪ 真珠さん、今回は長く滞在してくださって嬉しかったです♪ オルゴールさんに奇策に…じゃなかった、気さくに声をかけてくださったおかげさまで、和やかな、そして火を噴くような会話の口火が切られることになりました。オルゴールさんとともに感謝しています☆ 真珠さんの集まるところに善男善女が集まる──次回も期待してお待ちしております♪ みのり似の姪御さんにも会いたいな! 二子玉川のピアレッテなどいかがですか? http://www.pierette.jp/ 【ゆうじろうさんにお会いしました!】 ということで、この日記の後半ですv お会いする前に、ゆうじろうさんからなんと12パックものイチゴをいただきました! ジャム用のイチゴも入れていただいたので、その場ですぐにイチゴジャムを作りました。 家中に春の甘~い香りが漂い、しあわせな気分になりました☆ イチゴは家族で楽しませていただいたのはもちろん、金曜日の三家族による鎌倉ハイキングに持って行き、土曜日には招待していた友人家族二組もお相伴に与りました。甘くてみずみずしくて真っ赤なイチゴに、みんな驚いていました♪ そしてお会いする当日、8時半という早い時間にも関わらず、わざわざ最寄り駅まで来ていただいたゆうじろうさん&みくまり! 本当にありがとうございました。 ゆうじろうさんとは7時半に開いているはずのお店で待ち合わせするはずだったのですが、日曜日は8時半開店とのことで、お待たせすることになってしまいました; 改札口には私が少し前に着いて、ほどなくしてゆうじろうさんかな~と思われる男性が現れ、開店前のお店の前に立った時点で「ゆうじろうさんですか」とお声をかけました。お写真の通りだったので、すぐにわかりました☆ その後、店内であらためてご挨拶をしながら朝食セットをご馳走になっていると、みくまり登場。みくまりにも朝食をご馳走していただき、恐縮してしまいました; 「なにも心配することないですよ」と言ってさらりと気を遣われるゆうじろうさんに、大人の余裕を感じました。 ゆうじろうさんは背が高く、鳥取の男性によく見られる寡黙な人かと思いきや声の大きな、実に堂々とした方でした。 寡黙って…前にsolyaさんがそう評していたんだもん! それはsolya兄がしゃべりすぎだったことが判明(笑)。solya兄を前にすれば、自然ゆうじろうさんの方が聞き役になってしまったのでしょう。 そしてゆうじろうさんの手は──まぎれもなく大地とともに暮らす人のものでした。 皆様、大関松三郎をご存じですか。「山芋」という詩を書いた少年です。彼は長じた後、第二次大戦で戦死しています。 私はこの詩を鳥取で学びました。 こぢんまりとした店内でふたり、バゲットと熱い紅茶を楽しみつつ、フランスパンをちぎるゆうじろうさんの手に松三郎の詩を重ねて見ることは、私にとって鳥取のすべての懐かしさを凝縮したようなあたたかいひとときとなりました。 そんなゆうじろうさんもバゲット好きというおしゃれな一面も☆ 時間は気にしていなかったのですが、かねてからお伝えしてあった時刻になると、頃合いを見て「時間ですね」と席を立つ、心遣いが細やかなゆうじろうさん。 自由が丘に向かうみくまりを送っていくために、一足先にお見送りした際、還暦を過ぎているとは思えない若々しい体躯とシックな黒のデイバックが都会の空気に自然になじんで見えました。 ゆうじろうさんの後ろ姿を見つめながら「鳥取の人に悪い人はいないんだよ」とつぶやいたみくまりにうなずく私。 ゆうじろうさん、ありがとうございました。 今日は鳥取は荒れ模様と聞いています。 どうぞお大切にお過ごしください──
2012年03月23日
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【同窓会レポート】─女子校編─ 2月11日建国記念日の土曜日、卒業以来20年ぶりに会う仲間を含む同窓会の幹事を無事に勤めてまいりました^^ 以下、この場をお借りして、同窓生に宛ててレポートをアップさせてください。 同窓生の皆様。以下の文章は仮名となっています。それぞれの文言に見当をつけてお読みください。 ─── 2月11日建国記念日の土曜日、卒業以来20年ぶりに会う仲間を含む同窓会が無事に開催されました^^ 以下、幹事のひとりである山口がレポートつかまつり~。 さて、同窓会のレポートと言いつつ、いきなりわたくし事ではありますが、しばしおつきあい下さい。 私は3,4年生時代を鳥取で過ごしました。5年生になる時、横浜に引っ越し、以来、実家となっています。5,6年生で通った小学校は、校庭がコンクリートで固められた都会の学校であって、私は土を忘れて放課後は塾通いにいそしみました。 しかし、中学で入学した聖マグダレナ女子学院は違った。主要な道以外は泥道で、雨が降るとグラウンドはねちょねちょに盛り上がった。土とはこういうものだった!と私は第二の古里、鳥取を思い出しました。 築山の池の周りにはモリアオガエルが鳴き、茶畑が山の向こうまで続き、クラブの帰り道では真っ白い富士山の方へと歩いて戻ったものです。 反抗期が落ち着き、高校生にもなると、地上とはこんなにも喜びに溢れていたのか!と思うほどにゲラゲラ笑い合える友と毎日のように教室でバカ騒ぎし、ペンライトを点けて夜更かしをし、以来、私のゲラゲラ笑いは止まりません。 転勤族の親のおかげで、幼稚園を2回、小学校を3回変わった私にとって、転入生意識というものはどこにもついて回りました。最初からみんなと仲良くなろうとするのではなく、靴箱などで一対一になった機会を逃さずに声をかければ、次第にクラスメート全員と仲良しになれるという「法則」も自ら体得していきました。今に至るも、この「法則」は私にとってとても有効なものですが、しかし、最初から最後までの6年間を自分の居場所にできた聖マグダレナは私の人生に不可欠な感覚であることも間違いありません。 それはともかく、同窓会のレポートでしたね。 男子なんているはずもない同窓会ですが、楽しみなことこの上なく私は当日を迎えました。 集まってみると、果たしてアラフォーの女ばっかりの、クラス会というよりは世の中で最も騒々しい集まりに過ぎない(笑)。 ぐるりと見渡せば、33+2(←二次会より参加)の懐かしい面々。受付には美人を選抜しておきました。 「よく来たよく来た。元気そうでなにより。早速で悪いけど会費7000円、先払いで」 「7000円! 高いって! そんなに持ってないよ! 3000円くらいなら払えるよ!」と叫ぶ人もなく、皆さまの裕福なこと頼もしい限り。 「あたしが水泳部だったの、覚えてた?」 「覚えてるよ! 溺れた猫みたいに泳いでたじゃん!」 「あはははは! おまえもな!」 これじゃ男子校と変わらない。 「聖マグダレナ時代の仲間たちは、もう感覚がきょうだいなんだよね…」 順ちゃんがしみじみと述懐しているのを嬉しく耳にしつつ、あまりの盛り上がりに、会場を出る時にはレストランで食事をしていた他のお客さん誰もいなくなってた; ひとつ自慢できること。 同窓会開催の準備をしている時、私は全員の名前をそらで打ち込めたよ。 例えばオスギ。 美穂と間違われることもあるのではないかと思うのだけど、名字に「江」が入っているから、港に「美しい帆」が浮かぶ、一幅の絵画のような素敵な名前だな、と覚えていたからこそ、美帆と直ちに変換できるのじゃ。 この度、不慣れな幹事連を盛り上げるため、秋の文化祭の手伝いに集まってくれた15名のみんなの間で同窓会の企画がにわかに持ち上がり、それじゃ2月17日とか、ハンパな日付じゃみんなもう耄碌してるからわかるめぇってことで、「建国記念日が覚えやすいんじゃない!」と賛同を得て、右も左もわからないまま始めた宴会計画。 エリコが会場探しに奔走してくれて、みんなそれぞれが知っている限りの同窓生を私の携帯アドレスに繋げてくれて、今回無事に同窓会を開催することができました。イグは20年前から今に至るまで学級委員だし、尽力してくださった仲間達の名前は枚挙にいとまがありません。聖マグダレナならではの実行力の伴う友情を誇りに思います。 折しも今年はオリンピックイヤー。 これから4年に一度、同窓会してみる? 今は良い時代で、連絡には一斉送信ができるし、会場さえ押さえれば当日最も懸念していたドタキャンも皆無で協力体制は万全だし、みんな裕福で会費に文句も出ないし、苦労なんてひとつもなかった。ただ、2月はインフルエンザやノロの流行る時節だし、天候にも懸念があるとのことで、次回からは季節の良い春か秋がいいかも。今回も出席を望んでいた10人ほどが自分や家族の発病のため欠席を余儀なくされてしまい、寒い季節に同窓会を開いてしまったことを申し訳なく思っています。 そこで私、プチ同窓会ならばいつでも承るよ。 みんなもそれぞれオススメのレストランがあるかと思います。 ちょこちょこ集まろうよ。 集まりたい仲間、繋がりたい人がいれば、山口の携帯の方に連絡してよ。 取り急ぎ、推敲もしないでレポート送ります。 エリコが今、画像共有サイトにて写真アップの試行錯誤をしてくれています。 私が二割増しに映っていますように──この作業が一番大変なんじゃないかな^^ 20年後の卒業アルバム完成の暁には、どうぞエリコをねぎらってあげてください。 (出席者の近況紹介:こちらはメーリングリストが読めないメンバーのためのレポートなので、近日中に削除する予定です) みずえ:垂れ目が可愛い。同じ学年のママ友になりたい。どお? まり:飲み友達を求めて、夜の街に消えて行った…大丈夫か。 イグ:二次会の席で、天井のスポットライトがイグにだけ当たっていた。 かっちゃん:北海道から飛来! 雪靴の女医さんがエレガントに変身v まや:コートを着てこの細さ!?とまりなにキレられていた。 サッコ:ジロと呼ぶのは私だけということを知った。みんなはなんて呼んでるの!? うーちゃん:頼りがいのある女将さんになった! 中3松で私と短歌を交換したの覚えてる? キャッシー:スクール水着が着られると思う。変わらない若さ。ロングヘアも見てみたい。 順ちゃん:整美委員。我が学年の良心。私を常に励ましてくれる、静かなるマリア。 ちの:眼鏡も似合うが、眼鏡をかけていない今も美しいと思うぞ。最近再会率が上がって嬉しい。 おいたん:お目々キラキラ☆ 前からきれいだったもんね…と誰かがつぶやいていた(まりなか?) まりな:ワインセラーの前で談笑していたら、誰かに似合う~♪とほめられてた。私のモチベーション。 さいとー:年賀状に20年近く旧姓を書いてくる。心配しなくてもみんなさいとーをおぼえてるって! 先輩:博子のことだが、先輩と呼ばない人もいる。ミニスカが眩しかった。 まき:エリコとお揃いのバッグを持っているらしい。フランスに行ったらしい。同窓会の影の立役者。 おすぎ:頼れる部長。サワホマレとは名前に「ホ」が入ってる以外、似てないと思うぞ。 彩:三人の子の立派な母となり、福々しい笑顔に癒され~。帝国ホテルに夫婦で泊まったらしい。 れーし:仙台にご栄転。愛、燦々とによろしく。色別対抗で俊足を誇ったが、スリムな身体は今でも充分速そう! おーちゃん:可愛いのに、黒ビールをこぼしつつ傾ける仕草が大人。昔も今もモテるんだろうな~。 なほみ:お母さんに似てきたような気がする。笑顔で単車を転がしていると聞いたが、今も!? かよちゃん:8ヶ月の超かわいい坊や連れ。お互い歩いて5分くらいのところに住んでいることが判明。 のま:臨月で参加! 予定日の二週間前だけど、もうすでに母の顔になっていた。 のむさん:可憐な姿を残しているのに、4人のお子がいるそうな。西先生の恐怖の体験談に全員戦慄。 北京:まーちゃんとも言う。イグと並んでいると、同窓会がハイレベルな集まりに昇格する。 ばんこ:痩せた痩せたと某ちーこが賞賛していた。羨ましい限りだが、どうすれば痩せられる? エリコ:実は同窓生と一番繋がっている。聖マグダレナを愛する気持ちに私もついていきたい! ちーこ:ふたりとも隠れ関西人だったことが判明!京都の邸宅はキャッツシアターくらい広いらしい。 みたさん:去年は松嶋菜々子を見る度に、みたさんを思い出していた。みたさんの方が聡明だが。 みき:娘との渋谷待ち合わせが気になるらしい。ちなみに私は佐保と渋谷で待ち合わせしたことがある。 ゆみこ:私を名前+ちゃん付けで呼ぶ貴重な友人。情に厚く、容姿も女子高生に戻ったかのように若々しい。 もりたん:来年度の幹事。もりたんといえば紺のトレパンに白いゼッケン、松組。 わかとも:来年度の幹事。色気が増したように思えるが、どこがと問われれば特定はできない。 聖子:同窓会は大成功!と打ち出したら、大聖子と変換されたのでそのまま送信してます。 文ちゃん:二次会からの聖子の登場にあまりにも嬉しくて笑いが止まらなかった。ほほ笑みの天使。 全世界の聖マグダレナっ子とご家族の皆さまの、この春の健康を祈り上げつつ── 山口拝 ----- 以下、普段通りの日記です☆ 最近応援しているお店「夢屋」さんv 武蔵小杉駅からすぐの福祉のお店です。 刺繍ハンカチにその場で無料で名入れしてくれる他、 画像のようにオリジナルのイラストを持ち込んでもオーケー。 娘の学校の母親サークルのタオルハンカチを作ってみました^^ なんと1枚300円! ぜひお勧めしたいお店ですv HP:http://homepage2.nifty.com/yume-ya/ 夢屋さんオリジナルのゆるかわデザインの刺繍も100種類以上! 電車など男の子デザインも豊富です。卒園シーズンにもおススメ☆ 【嬉しはずかし】 これもわたくし事なのですが、前回のコメントで触れていただいたので、あらためてそっとお知らせさせてください。 みのりが第57回青少年全国読書感想文コンクールで、都代表に選ばれました^^ 私自身、聖マグダレナ時代は夏休みに必ず出る読書感想文の宿題に「なぜ私は読書感想文が書けないのか」という題名の作文を原稿用紙に規定の字数で書いて提出していたので(6年間!)我が子に宿る「素直に読書して感想を書ける」素質に驚かずにはいられません(笑)。 なにより、この経験がみのりにとって今後の成長の糧となるものでありますように。 読書感想文コンクールHPに本年度の第57回分が更新された折に、またお知らせさせてください♪ 折しも本日は、はーやんの誕生日v どうぞ皆様、あたたかくてしあわせなバレンタインデーを! くまさんチョコをみのりがちゃっかり乗せちゃった! 透子さんありがとうございます☆
2012年02月14日
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2012年あけましておめでとうございます 穏やかな平和な年でありますよう──心からの祈りとともに 六本木のCHARLESTON&SONにて 9世帯総勢35名を超えるちょっと早めのクリスマスパーティ! みのりはポニョ(自称)に変身v 余興でイケメンマジシャンも登場して子供たちは大興奮☆ 【近況ご報告】 皆様、先日は楓祭に遊びに来ていただき、本当にありがとうございました。 そうこうしているうちにあっという間に年の瀬ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 しばらく更新が遅れており、恐縮しております。 実は兼ねてから愛用していた日立のPCがいよいよ廃盤になるというニュースを受けて、かくなる上はオットのお下がりのNECにスイッチしようということになり、一連の作業に手間取っておりました; 現在こうしてネットも無事につながり、新しい画面、キーボード、マウスに相対して覚束ない手つきで試行錯誤しております。 そしてただ今のところ、もっとも時間を取られているのが、にわかに持ち上がった聖マグダレナの同窓会企画! 会場を探していたところ、東京アメリカンクラブという未知なる会員制クラブに白羽の矢が当たり、紹介者同伴の上、詳細をAssistant Banquet Sales & Reservation Managerさんに伺うため、今週末にオット&みのりと潜入することに☆ ヒロいわく「僕もTACで同窓会をしたことがある」というまことに頼りになるお返事だったため、かなり期待して行ってまいりますv けどさ。 TACってなんだよ。 トウキョウアスレチッククラブかと思ったよ。 それからさ。 英語なんだよな。 誰が喋るんだろ。 レポートは後日、この日記の後半にて──ご期待下さい!!! 【潜入してきました!TAC】 ロシア大使館の真裏に1928年に設立された東京アメリカンクラブ。 ヒロに「ロシア大使館をスパイするために建てられたんだろ」と聞くと、 「ずいぶんとわかりやすい場所に建てるよねー」と否定はしない。 「あそこは地下通路で繋がってるって噂もあるんだよ^^」とも。 で、おそるおそる行ってみたところが、きな臭い噂とは打って変わって── ライトアップされた東京タワーの全身を見上げる好立地の、広々とした8階建ての大変モダンなビルでした。 ゲートを守る守衛さんからして青い目のイケメンで、身分証明書でも厳しく確認されるのかと思いきや、タクシーに乗った我々(主にみのり)に、ただにこやかに手を振って実にウェルカムな感じで迎え入れてくれました。 そして、明るいビタミンカラーのソファが幾何学的に組み合わさっているユニークなインテリアが設えられているロビーにて我らが同窓会のマネージメントをしてくれる担当者とご対面。なんとネパール出身の男性でした! ネパール…ネパール… 北京留学中にラオスの留学生と友人になったし、バングラデシュ人と結婚した友達もいるけど、ネパールの人と話すのは初めてになるかも; なにかネパールがらみで会話を育む話題はないかと必死にアタマをひねったところ、ありましたありました。 最近『雪男は向こうからやってきた』 という単行本を読んでえらく感動したのですが、確かその舞台がネパールだった! 読んでてよかった^^ (ちなみに皆様にもお勧めですv) 初対面の客にいきなり『雪男』の話題から入られてさぞかし当惑されたでしょうが、さすが会員制クラブに勤務するジェントルマン、そんな様子はおくびにも出さず一生懸命に話を合わせてくれました。 なんでも、東京アメリカンクラブには10を超える数のレストラン&バーがあり、フィットネスやスパも充実、もちろん子供向けのプレイエリア、プール、ボーリングやスカッシュ、ゴルフのコートもある、まさに知る人を知る総合エンターテインメント施設となっているようです。まるで学童保育に通うような気軽な様子でやってくる外国人の子供達の姿も多く見られます。おそらくTACの中にある絵画教室やスポーツ教室、音楽教室に入ったり、ライブラリーで宿題をしながら、仕事帰りの親と待ち合わせをしているのかもしれません。 パーティルームは少数収容から400人対応型まで豊富にあり、今のところ私たちが仮押さえをしているのは、30人~50人対応の、ごくシンプルながら天井が高くモダンな一室です。 子連れが多い場合は別途キッズビュッフェおよびキッズスペースを作り、子供たちが飽きないように大画面のDVDや手品師などの手配もしてくださるとのこと。 「もちろん、各国語を話せるマジシャンを手配します」との申し出に感激しつつ、 「全員日本人なので各国語への対応は大丈夫です…^^」とわざわざお断りしなければならないほどにグローバルなんだこちらの施設は!とちょっとビックリ。 TAC内のすべてのお会計も会員カードを提示した後、サインひとつで済むことも驚きでした。というか、施設内ではキャッシュは出回っていないので、同窓会当日も出席者から参加費を集めて、後日振込にしなければならないとのこと。キャッシュレスが徹底しています。 気になったのは後ろについて歩いている、うら若き男性アシスタント。 担当者さんと同じく東洋系の、すっきりした美青年です。 なにかあるとすぐに振り返って、こちらの青年に見積もりやらなにやらをブックレットから取り出させるのですが、ミーティングの最後の方で、ふと担当者さんの口からどう考えても日本人のファースト・ネームが呼ばれるのを聞いた…。 わああ! あんた日本人なんじゃん! なによりも、それを早く言ってくれよ!!! と、その場の全員が思った瞬間でした(笑) ベッツィ・ジョンソンのドレスでキメていったみのりも、行く先々で「ハーイ」と声をかけられたりして、ちょっとしたお嬢様気分が味わえて楽しい夜のひとときでしたv にしても気になる。 TACで小耳に挟んだ話。 神谷町にある有名なビル一棟がめっちゃ「出る」っちゅーんで、ミッドタウンができたときにテナントのほとんどがこれ幸いと引っ越しちゃったという噂…。 一棟全体に「出る」モノとはいったい何! (このご時世にミッドタウンに引っ越せるって、どんだけ儲けてんの!?) 同窓会をTACで開催するかどうか…は。 なにせ高いので、ペンディングです(笑)。 今年もリースを作ってみましたv サンタさんがお部屋にプレゼントを持ってきてくれるという 楽しいホテルプランにエントリーしてみました☆ ディナーの席にはマジシャンが来てくれて嬉しいサプライズ♪ 今、マジシャンが流行ってるの!? 皆様もどうぞよいクリスマスを!
2011年12月07日
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今年の夏、ひまわりの記事を目にする機会が多かったように思います。 青木が本になった時、表紙は編集者さんだけの秘密になっていて、私には決定版として届けらたのが、目にした最初だったのでした。第一印象として、ともかく「えっ!」と驚いたことを覚えています。なぜならば、私にとっての青木のイメージは、とにかく、11月のあの日、おんぼろ塾の壊れかけた扉の前に心許ないようにして立ち尽くしていた少女──どちらかというと、秋から冬のしんと冷えた空気の印象が強いのです。ところが、手にした表紙には、それはそれはきれいな空の青が映え、黄色いひまわりの花が咲き誇っていたのですから。 書いた私でさえ驚かされたこの印象的な表紙に目が留まり、吸い寄せられるように手に取ってくださった方もいることでしょう。いまでは編集者さんの判断とセンスにお任せして、本当によかったと思っています。抜けるように青い空と、明るいひまわりの花は、実は誰の心の中にもある、あの輝かしい季節の心象風景だと思うのです。 そして、この表紙に込められた意味を、更に深く知るときが今年、私の中にやってきたのでした。 【ひまわりは生きた証し】 東日本大震災の津波で児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の近くにある高台で、児童の保護者が植えた約200本のひまわりが8月に大輪の花を咲かせたそうです。高台は、子どもたちが津波から逃げようと目指したところ。ひまわりが我が子のように思えるという親御さんたちは、「強く育てなきゃいけないね」との思いを込めて世話をしてきたそうです。 ひまわりは、6年生だった娘の愛さん(当時12歳)を亡くした狩野あけみさんが、「生きた証しを残したい」と6月に種を植えたのが始まりで、学校周辺で我が子を捜し続ける母たちや、地域の人々も加わり、育ててきました。 その一人、福田みゆきさんは、周りから「ひまわり係」と呼ばれています。愛さんと同級生だった理沙さん(当時12歳)、3年生だった昌明くん(9歳)を亡くしました。狩野さんから誘われてひまわりを育てるようになり、子どもを捜しながら水をやり、雨が降ったり台風が近づいたりした翌日は、高台に出向いて無事を確かめました。 【土壌浄化とひまわり作戦】 今年4月、奇しくも楓の誕生日に載った新聞記事によると、福島第一原子力発電所事故で汚染した土壌の放射性物質をひまわりに吸収させ、細菌で少量化する計画を、宇宙航空研究開発機構の山下雅道専任教授ほか宇宙農業に取り組む研究者有志が進めているそうです。ひまわりを復興の象徴にと、福島県内でひまわりを栽培してくれる参加者も募っているそうです。 1986年のチェルノブイリ原発事故でも土壌浄化にひまわりや菜の花が使われました。放射性セシウムは肥料のひとつであるカリウムと性質が似ており、カリウムなどの肥料を与えなければ、ひまわりなどはセシウムを取り込みやすくなります。 収穫したひまわりは焼却処分すると煙が出て放射性物質が拡散する恐れがあるため、堆肥作りに利用されている「高温好気堆肥菌」でひまわりを分解させる計画です。この菌による分解で、ひまりの体積は1%程度となり、放射性廃棄物の量を減らすことができます。 ひまわりの種300キロはすでに確保し、世界的な生産地であるタイにも協力を打診。福島第一原発の半径30キロ圏周辺の高校を中心に校庭などに植えてもらう予定。 山下教授は「分解施設などはまだ計画中だが、秋の収穫を目指し多くの参加者を募集したい」と話しています。 ホームページ:http://surc.isas.jaxa.jp/space_agriculture/ (ひまわりが土壌浄化に効果があるかどうかは諸説あるようです) ─── 今回の東日本大震災で、一瞬にして我が家を、家族を、愛する人を、友人を亡くした方々を、無力な私は癒すことができません。ですが、私も26年前の今日、あってはならないことを経験した者のひとりです。今、私が言えることは、取り返しのつかないものを失ったとき、人はそれまでの自分がいかに恵まれていたかを強烈に知ることになり、その後の人生においては、どんな小さな出来事にも、通りすがっていくだけの人々にさえ、かけがえのないものへの感謝と思いやり、愛情を抱くことになるでしょう。これが本当の意味で、足ることを知るということ、すなわち人が生きていく上での唯一の希望、目的でもある、真の幸福を見いだすということではないでしょうか。 とくに災害で大切なものをなくされた方へ。 神はなにもかもを奪いました。でも、また新しい神様がやってきて、あなたの人生を丸ごと救ってくれることでしょう。あるがままに、ゆだねていれば。 Let it be.─楓訳─ When I find myself in times of trouble 僕が苦しんでいる時に Mother Mary comes to me 目の前にマリア様がきっと現れて Speaking words of wisdom, 知恵の言葉を授けて下さる "Let it be." 「あるがままに、ゆだねなさい」と And in my hour of darkness 暗闇にさまよっている時に She is standing right in front of me マリア様は僕の前に現れて Speaking words of wisdom, 知恵の言葉を授けて下さる Let it be. 「あるがままに、委ねなさい」 Whisper words of wisdom: 優しく囁きかけて下さる Let it be. 「あるがままに、委ねなさい」 And when the broken hearted people 悲嘆に打ちひしがれた人々にも Living in the world agree, やがて調和に満ちた世界が訪れる There will be an answer: きっとそこに答えが見つかるはず Let it be. あるがままに、委ねていれば For though they may be parted there is 離れ離れになった人々も Still a chance that they will see 再び会えるチャンスはきっと来る There will be an answer: きっと解決策が見つかるはず Let it be. あるがままに、委ねていれば And when the night is cloudy, 夜空が暗闇に覆われても There is still a light that shines on me, 一筋のひかりがきっと見つかる Shine on until tomorrow, 明日を照らす希望のひかりが Let it be. あるがままに、委ねていれば I wake up to the sound of music 僕が新しい目覚めの朝を迎える時 Mother Mary comes to me きっとマリア様が現れて Speaking words of wisdom, 優しく囁きかけてくださる Let it be. 「あるがままに、委ねなさい」 There will be an answer: きっとそこに答えは見つかるはず Let it be. あるがままに、委ねていれば Whisper words of wisdom: 力ある言葉を授けてくださる Let it be. 「あるがままに、委ねなさい」と Wonderful World 訳詩 特別企画:【楓による青木学院物語登場人物本名検定!】 ぜひトライしてみてね♪ 【本人が見たらきっと私がコロされちまう画像も公開中v】 連休最終日ですね! みんな良い一日を!!!
2011年10月10日
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手作りキルトの全体像ですv 日本とアメリカを行き来する悪友から(笑)まさかの手作りキルトをプレゼントしてもらって大感激! なんでも、大変有名なキルト作家さんの作品で、子どもの健やかな成長を願うおとぎ話の一場面ずつが描かれているとか。日本には紹介されていないストーリーもあるようで、時間をかけてひとつひとつのお話を探し、味わう楽しみもありそうです。 作家さんによるお品書きv ↑ ここにちょっと出ている緑のものが「豆」 私が小さい頃から「まめこ姫」と呼んでいるお話。 ジャックと豆の木 ラプンツェル 日本では紹介されていない『赤いめんどりさん』 小さいエンジンでもなんとかなるさ(こちらも日本未紹介) 私、手作りのキルトをいただいたのは初めてなのですが、手にとってみたときの、なんともいえない優しい質感、また細部に手の込んだキルトがされたお話のひとつひとつを眺めてみても、芸術であることがわかります。ちょっとデフォルメされたデザインも、アメリカのクラシックキルトの風合いを色濃く醸し出していて魅力的です。 貴重な芸術作品だけに飾っておかなければならないところ、我が家では早速しおしおのお昼寝の肌掛けに、もうちょっとで頑張れそうな寝返り用のカーペットにと、フル活用しています^^ しおしおも大のお気に入りといった感じで、毎日寝返りの練習に精を出している様子。7月25日のちょうど五か月の月誕生日(笑)に、くるんと一回転してくれました^^ 手作りのものって、子どもの心身と、大人の心身ともに健やかにしてくれるんですね。 皆様は最近、手作りしてみたものってありますか♪ さてさて。 昨日から来週月曜日まで、みのりがサマーキャンプに参加しているため、ちょっと侘しい(笑)ムラカミ家です^^ とはいえ、家の中から子どもがひとり減ったといっても、親の気持ちからすれば何ひとつ変わったことはありません。減った一人分、ラクが出来るといった感覚もありません。初めての経験であり、心境なので、私自身、自分の内面に何の変化もないことに驚いているところですが、ともかく、親からしてみれば、子どもが家の中にいようが、家の外にいようが、一人っ子であろうが、一人っ子でなかろうが、それぞれの子どもに対しては何ひとつ軽重のない親心を持っているということです^^ そうそう、親心といえば── ちょうどお盆の前なので、最近体験した不思議な話をひとつ、お話しさせてください。 キャンプの出発日も間近くなった先日深夜、私はいつものようにしおんの授乳の真っ最中でした。オットは寝室のちょうど真下にある、一階の書斎で勉強している様子です。 そのとき、ふいにベッドに対面しているドアがそーっと開いて、暗い廊下が見えたので、私は目を凝らして誰が入ってきたのか見ようとしました。 すると、みのりがそっと入ってきて、ベッドの足もとにしゃがみこんで、紙おむつが入っている箱のあたりをごそごそ、ごそごそし始めたのです。 しおんはおっぱいを飲みながらうとうと眠りに落ちるところだったので、私はみのりのたてるガサガサ音は非常に迷惑に思い、「みみ、しずかにして」としおんを起こさないようにひそひそ声で注意しました。 ところが、私の声が届かなかったのか、みのりは相変わらず紙おむつをごそごそ、ごそごそ…。みのりが紙おむつを探しているわけがないので、私は紙おむつの箱の近くにあるみのりの普段着入れに入っている服を探しているのかと思い、 「みみ、服はそっちの箱だよ」と声をかけました。なぜなら、パジャマを着て自分の部屋で寝入っているはずのみのりが、その日着ていた服をまた着直して(愛、燦々とさんからもらった花柄のタンクトップにデニムの半パンツといういでたち)、前に垂れてくる長い髪をかき分け、かき分けしながら、なにやらゴソゴソ探しているものですから、もしかしたら寝ぼけてキャンプに行くときの服でも準備しようとしているのかも、と思ったのです。 それも耳に入らないらしく、みのりはこちらを見ようともしません。 だんだんイライラしてきた私は、少し声を荒げて呼びかけました。 「みみちゃん! うるさいって!」 すると「はっ」とした様子で、みのりが振り乱した髪の毛ごしにこちらを見ました。 その顔は、みのりじゃなかったんです。 つまり、みのりの服を着た誰か知らない女の子が、私たちの寝ている部屋に入ってきて、何かを探す素振りをしていたわけです。 私は怒りがこみ上げ、 「ここはあなたの家じゃないし、私はあなたのお母さんではありません。あなたは自分のお母さんのところに帰りなさい!」と一喝しました。 女の子は私の顔を見つめたまま、そーっと立ち上がり、そのまま背を向けて廊下に出て行き、やがて部屋のドアが閉まっていきました。 前にもお話ししたかもしれないのですが、実はみのりがしおんと同じ月齢の頃、やはり同じような体験をしたことがありました。 そのときも、私はみのりに深夜の授乳中だったのですが、連日の寝不足に疲れ果てながらも「かわいいな」なんてわが子の顔を見つめていたんです。すると、私の左脇の中から、みのりほどの小さな赤ちゃんの手がすーっと伸びてきて、私の頬に触れようとしました。 みのりの手はちゃんと二本、抱っこされて私の側にあります。 「ああ、これは誰か別の赤ちゃんの手だ」と気づいた私は、 「あなたのお母さんのところに帰りなさい」と声に出して言いました。 すると、第三の手は、すーっとまた私の脇の方へと引っ込んでいきました。 主観的な考えなのですが、子どもが乳児の時に体験するこのような出来事は、ひとつには、赤ちゃんの側で母子の授乳の光景を「うらやましい」と思っている子いること、そして、私のように、母親の側もこの時期に母性本能が強く出て、わが子以外の「なにか」に反応する能力が高まるがゆえに起きてしまう事態なのではないかと、私は自己分析しています。 おっぱいを飲ませてあげている母親に、「わたしにもくれるかな…」と近づいてきてしまう赤ちゃんがいることは、考えてみれば痛ましいことではありますが、やはりその場できっぱりと断らなければ、お互いに良い結果にはならないのだと思います。赤ちゃんはやっぱり、自分の本当のお母さんと一緒にいた方がしあわせです。 今回はみのりくらいの成長した姿で現れてきましたが、やっぱり「優しくされたい」と思って出てきたということなのでしょう。授乳中の私の姿を見て、「おっぱいをあげているくらいだから、きっとわたしにも優しくしてくれるかもしれない」と、ふらふら入ってきてしまったのかもしれません。みのりの服を着ていたというところが、とても悲しく思います。みのりのふりをしていれば、きっと本当の娘を間違えて優しくしてくれると、かなしい知恵を働かせたのでしょう。 私はふたりの娘の母親であって、ほかの人のお母さんになってあげることはできないけれど、お祈りを捧げることだけはできます。 なにかの理由があって、私を母親と間違えてしまった赤ちゃんたちのために祈ります。 一日も早く本当のお母さんのところに帰って、夢の中だけでも親子が優しい気持ちで戯れることができますように。 後日談ですが──みのりでなかったとはいえ、長い髪の毛ごしに見えた幼い顔にぞっとしてしまった私は、早速みのりを連れて友人の美容室で髪の毛をバッサリと切ってしまいました! みのりだけ髪を切るのもかわいそうなので、私も思い切ってショートにお願いしましたv 「長澤まさみをイメージしてみた!」と切ってくれた髪形は、まさにカルピスのCMそのまんま(笑)。でも顔が違いますから! みなさま、私の顔をご存じの方は、おおいに想像して笑ってください^^ そういうわけで、今年の夏は節水のため、家族全員ショートにしました☆ シャンプーが楽でよろしい♪ カラダにピース!!! あ、そうだ。 今日の『世界不思議発見』はシンガポールでしたよねv 折りしも、友人家族が映ってます^^ 坂東さん付近で、男の子が足をブラブラさせていたら、そのへん一帯は友人家族です♪ みなさん、見つけてみてください☆ 一年後には絶対シンガポール行くぞ!!!
2011年07月30日
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姉妹でフォトフレームに収まるしあわせ 今日は透子さんとのデートの模様をお伝えしたいのですが、その前に、我が家が最近ハマッているデリバリーの話題をお話させてください^^ その本格インド料理屋さんが、デリバリーをしてくれるという話を聞いたのは半年前のこと。お友達のおススメで、我が家でも頼んでみることにしましたv ドキドキしながら電話してみると、出てきたのは現地の人と思しき男性。 「デリバリーお願いします。ベジタブルカレーと、チキンカレーとラムカレーとシーフードカレーと、ナンを三つ」 「ゴチュウモン ヲ カクニン シマス」というのは聞き取れたけど、 「Nabaratian,Bharta,Rogan Josh,Prawn Vindaloo,Three Nan──」 原語は知らんって! 「あ、それから、サモサを2個お願いします」 「Ni?」 「サモサ Two!」 「OK,Two Samosa」 鷹揚に言うと、「ジュウショ?」と聞いてきます。 「住所は、これこれここです」と言うと、 「イッケンヤ? ニケンヤ?」 一軒家はともかく、二軒家という呼び方があるのかはわからないけれど、 「一軒家です。二世帯なので、向かって左側のインターフォンを押してください」 「ヒダリ? ミギ? ヒダリ?」 それじゃ押しすぎじゃろ。信号渡るんかい! 「左!!!」 で、「全部でいくらですか?」と尋ねると、 「Ikura!?」とめっちゃ怪訝な声で叫ばれた! そりゃ全部イクラのカレーはないだろ; 「ハウマッチ!」とこちらも負けじと叫び返すと、 「チョット タリナイ…」との返事があった。 皆様、いったい何が足りないのでしょう!? その後、いったい誰が、そして何がデリバリーされてくるのかと怯えながら待っていたら、闇夜のサンコンさんのような人が、ものすごくおいしい「本格カレー」を間違いなく持ってきてくれました! 英語で注文した方が早いんじゃないかと思いつつ、面白くてその後も毎回日本語でチャレンジしてます。味もいいので、すっかりハマッてしまいました^^ で昨日、カレーを食べたいオットのたっての願いで久しぶりにデリバリーを頼んだのですが、おとくいさんの登録が完了したらしく、電話番号と住所を言ったら、こう返された。 「ムラカミ?(←呼び捨て)」 「惜しい!(←オットの返事)」 【透子さんとデート】自由が丘ランチ編 あの日から三週間も経ってからのレポートで大変失礼致します; 透子さんとしおんと私との三人でデートしたのです! 正確に言えば、「デートできたんです」(笑)。 三ヶ月の乳児を抱えたママならば、この言葉の意味がわかってくれるでしょう。 ほとんど新生児といってもいいBABYとの外出がデートとして成り立つのか。 今回は(いや毎回)透子さんに助けられての、大いなる気分転換デートとなりました。 透子さん、本当にありがとうございます!!! 実は二子玉川に鳴り物入りで出来た巨大商業施設、二子玉川ライズに入っているコート・ド・ルージュ ターブルを透子さんから提案していただき、そこでランチしたかった私。でも、開店したばかりで混んでいることが予想されたため、私たちが行き慣れている自由が丘で記念すべきしおん連れ初デートに挑戦することにしましたv 当日はお天気にも恵まれたので、私は自宅から自由が丘まで歩いていくことに。 おむつ、おしりふき等々詰め込んだママバッグをかつぎ、しおんを抱っこしていざ出発! 妊娠中から自由が丘などにはどんどん歩いていったので、懐かしくも気楽な道中です。 ゆるゆる歩いて、45分くらいで到着。 最初の目的地は、パンケーキを食べたいと言い出した私に、すぐに対応してくださった透子さんのおススメのお店js pancakeです。 ミール系はサーモンとアボカドのパンケーキ。 デザートはストロベリーのパンケーキをオーダーして、ふたりで仲良くシェアしましたv 食い意地の張っている私は、しおんを授乳させながらパンケーキに手を伸ばしたりして、透子さんには器用だと驚かれてしまった…笑。 以前、透子さんに「ぐりとぐらのパンケーキ屋さん」をご紹介いただいてから、自由が丘といえばおいしいパンケーキ!ということになっている私の思考回路。まだまだ開拓するぞv しおんのご機嫌も麗しいので、ほど近くに新規開店となったフレル・ウィズ自由が丘を覗いてみることに。 ハンズBEやファンシーな315円ショップミカヅキモモコ、かわいいお洋服たくさんのmotherwaysなどが入っていて、私は大満足! ちなみに、マザーウェイズでメンバーズカードを作る際、今年が平成何年なのかわからなかった私; 常なるクリアな透子さんと、お店のお嬢さんとに「「平成23年です」」とユニゾンで教えてもらったことに動揺したのか(笑)、しおんの誕生日を「平成23年6月7日」と書いてしまった! そしたら、またユニゾンで「「それって今日ですよね!?」」と指摘され、大汗(爆)。その上に書いたみのりの誕生日はちゃんと書いたのに~。どうした!? 私!!! さて、ハンズBEでは、素敵な模様の付いた3cmくらいの小さな封筒を見つけ、ママ友同士の小銭のやりとりに使うために即購入。みのりには「夏のおばけシール」とバブルバスの元を買いました。いずれも透子さんの目利きによるものですv バブルバスの元は、みのりが大切に保管していたアワアワお風呂の元を、先日私がそれとは知らずにひとりで使い果たして楽しんでしまったことから、なんとしてでも補充してあげたかったものです。これが意外に売っていなくて、ちょっと困っていたところだったので、ハンズBEに行けばこれからいつでも手に入れられると知って、ほっとしました。 だが、透子さんの指摘によると、「私は母の理不尽をいつも受け容れて今日まで来た」とのこと。確かに、みのりのバブルバスを使ってしまったくらいで、何日もドラッグストアの覗くたびにバブルバスを探すのは、母親としてどうよ私!(笑)。だって、私も透子さんと同じく、少なからず母の理不尽に耐えつつ、今日までやってきたわけだし。 考えてみると、最近の親って、私も含めてちょっと子どもに甘いよね。 少しくらいの理不尽ならば、「バブルバスがなくなったくらいで!」と言い飛ばして娘を強くするのも、親心かもしれません。 いやはや。この点に思い当たることができたことが、今回のデートの最大の意義というものでした。透子さんとのデートは、いつも物心ともに有意義な時間を過ごすことができる貴重な貴重な時間です。 どうぞこれからもよろしくお願いいたします^^ みのりも夏休みに入ります。 ライズで年齢問わず、女子会がしたいな♪
2011年06月22日
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みなさんこんにちは! お腹の中にいたときから見守ってくださっていた、私しおんです。 4月16日、愛、燦々とが我が家に寄って、その後仙台へと戻っていきました。 ミニ燦々との新しいクラスは「ひかり組」(笑)。男の先生だそうな。 がんばれ! ミニ燦々と!!! 【映画「うまれる」のご紹介】 本日は以前に話題にさせていただいた映画「うまれる」のご紹介をさせてください。昨年末、まだ妊娠中にみのりと観にいった映画です。 映画といっても脚本やセリフが用意されているわけではなく、完全なドキュメンタリーとなっています。本編の中では、「いのち」を見つめる4組の夫婦が登場します。 両親の不仲や虐待の経験から親になることに戸惑う夫婦 出産予定日に我が子を失った夫婦 子どもを望んだものの授からない人生を受け入れた夫婦 完治しない障害(18トリソミー)を持つ子を育てる夫婦 結婚して1年の伴 真和(まさかず)(31歳)、まどか(31歳)夫婦のドキュメンタリーは、妊娠6カ月から始まります。まどかは幼い頃に母親から虐待された辛い経験を持ち、中学生のときに両親が離婚。母親とは絶縁しており、自分が果たして良い親になれるのか悩みながらの妊娠生活を送っています。 母親との関係を消化しようと助産師の道を選んだのですが、いまだに答えは見つけられないようです。 一方で夫の真和も幼い頃から両親の不和を見てきたため、まどかに出会う前は結婚願望もなく、子供がほしいと思ったこともありませんでした。そのためか、今も父親になるという実感を持てず、妻のお腹の子を「自分たちの副産物」と言ってはばかりません。 このふたりが妊娠期間の10ヶ月を通して、実に豊かに、時にユーモラスに変化していく様子が、とてもほほ笑ましく、この映画に生き生きとした人間模様の彩りを添えています。 買ってきたベビーカーをたためなくて四苦八苦している夫の様子や、陣痛に苦しむ妻に寄り添おうとして慌てて足を蹴ってしまい、いつもは穏やかな妻から「馬鹿っ」と一喝されるような場面がたまりません。全国の新米パパから絶大な共感を呼びそうなこのご主人^^ みのりが最も笑ったのも、この夫婦のエピソードでした。渾身の出産シーンを見せてくれるのが、このカップルです。 生まれてきた娘のお世話をかいがいしくしながら、「お母さんも私のおむつをこんなふうにして替えてくれたのかな」とつぶやくまどか。母親との絆を再び見出そうとする、確かなまなざしがそこにはありました。 二組目は関根雅(まさし)(32歳)、麻紀(31歳)夫妻。その第一子は冬のある日、出産予定日に突然お腹の中で亡くなってしまいます。深い悲しみの中で、死産で生まれてきた娘と写真を取り、冬でも強く咲くがゆえに「椿」という名前をつける夫婦。小さな小さな遺骨は、母の編んだ毛糸の筒に包まれます。 ある日、夫婦のもとに「わたしがあなたを選びました」という本の著者である産婦人科医、鮫島浩二から手紙が届きます。手紙には、椿ちゃんからのメッセージが添えられていました── 現在は第二子、あやめちゃんが元気に誕生し、夫婦には再び笑顔が戻っています。 みのりが一番感じていたのは、当時私が妊娠中だったこともあり、お腹の子が万が一出産予定日にも亡くなってしまうことがあり得ること、椿ちゃんという印象的な名前──映画を見終わった後も、ふとした拍子に「椿ちゃん」とつぶやいていました。 三組目の夫婦の奥さんの方は、私の学生時代から仲良しの先輩の親友です。 松本哲(あきら)(40歳)、直子(41歳)夫婦は、妊娠8ヶ月のときにお腹の子が18トリソミーという障害を持って産まれることを宣告されます。迷わず産むことを選んだ夫婦は、虎大(とらひろ)ちゃんと出会います。 18トリソミーは染色体異常による重い障がいで、うまれること自体が難しく、うまれても90%の子どもが1年以内に亡くなってしまうのです。でも虎ちゃんは数ヶ月、NICUに入院した後、奇跡的に病院を退院し、家族との生活が始まりました。 立つことも歩くことも話すことも出来ない虎ちゃん。自分で食事を摂ることができないため、毎回の食事はチューブで直接、栄養分を胃に送っています。 明るく、元気でおおらかな松本夫妻は、虎ちゃんとの暮らしを心底から楽しんでいます。なにより、虎ちゃんがとてもかわいい! 一年もたないと言われていた虎ちゃんは、現在2歳になりました。今年2月に非常に危ない状態になったのですが、お医者様による10時間の蘇生で奇跡的に一命を取り戻し、4月に退院も果たしました。虎ちゃんを応援する千羽鶴の輪が、静かに広がっています。 そして、私がもっとも心を打たれたのは、子供を望んでも授からなかった人生を受け入れた東夫妻のドキュメントでした。 東(あずま)陽子(47歳)は、日本でも有数の不妊治療の病院、ミオ・ファティリティ・クリニックの管理部長です。陽子自身も30代のときに9年間、不妊治療を受けた経験があります。最初の3~4年は「ワクワクしていた」と語る彼女。やがて「ワクワク」は焦燥に変わっていきます。そんな彼女を、優しく支える夫── 今は子供のいない人生を受け容れながら、不妊治療の病院で力を尽くして働く彼女。 その病院には、東夫妻の受精卵が9個、冷凍保存されています。 何度体外受精を試みても、出産には至らなかった彼女。もう一回、もう一回、と貯めてきた受精卵が、あと9個。 試験管を眺めながら、彼女は言います。 「本当に子供が産めない年齢になって、本当に諦めがついたら、この子たちをひとりひとり私の胸で暖めて、旅立たせてあげようと思っているんです。今まで冷凍保存なんかして、長い間寒い思いをさせてごめんねって、抱きしめてあげながら見送りたいんです」 彼女はもう、母親なんですよね。 映画「うまれる」は、すでに上映を終えており、またとても小さな規模の映画だったために、皆様がご覧になれる機会を得るにはなかなか難しかったかもしれませんが、どうか心に留めておいてください。 東日本大震災の後、私たちはよりいっそう「いのち」を見つめる眼差しが深くなっているはずです。生み出すこと、育てること、生きることにおいて、女性には女性の役割があり、男性には男性の役割があります。そして、そのどれとして同じものはなく、それぞれの人々のそれぞれの生き様として完結していきます。 以下は前回の出産ドキュメントの中ではなく、こちらの日記で書こうと思っていた私自身のエピソードなのですが── しおんと一緒に退院するとき、初老のご夫妻と若い男性の三人連れとエレベーターに乗り合わせました。一階に着くまでのしばしの間に、初老の男性の方が声をかけてきました。 「退院ですか?」 「はい。そちらはご出産のお見舞いですか?」 「ええ。もうダメだと思います」 「…?」 「子供は授かりものなので──こればかりはね」 男性がつぶやくともなしにつぶやいたところで、エレベーターのドアが開きました。男性とその奥さんと、息子とおぼしき人は黙ったままお辞儀をして、一足先に外界へと出て行かれました。オットと私は何も言えずにただ黙礼して見送りました。 私は、産科にお見舞いに来る人の中にはいろいろな事情のある人もいて、軽々しく「赤ちゃんを見にいらしたんですか?」と尋ねてはいけないことを知り、自分を恥じました。そんな私に、「子供は授かりものなので」と穏やかに返してくださった、その言葉が頭から離れません。本当に子供は授かりものだから、神様におまかせしながらも、人は全力を尽くして子供へと愛情を注がなければならないと思いました。 虎ちゃん、そして私が退院時に出会ったご家族の生まれたばかりの赤ちゃんのために、どうぞ祈ってください。風薫る五月の、光さやけき六月の午後のいっとき、心を寄せてあげてください。
2011年05月25日
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うまく書けたかな? ─ヒロの手ほどきでみのりが書いた命名紙─ 【陣痛定着法および陣痛回避法について】 待ちに待ったそれは、2月25日の未明に来ました。 その2,3日前から前駆陣痛はあったものの、規則正しい本陣痛にまで至らず、微弱な痛みの波はあるものの小一時間程度ですぐに消えてしまう現象が続いていたのでした。予定日が21日だったため、もういつ生まれてもいい状態なのに──赤ちゃんを下に下げるスクワット運動も、血液の循環を良くするためのお散歩もガンバッテしているのに。そうだ、足を前後に大きく開脚して、上半身はボート漕ぎのようなストレッチをすると陣痛がつくって聞いたな。今日からやってみよう! こうして前日の一日をボート漕ぎをしながらやきもきしながら過ごすうちに、やはり噂通りこの運動はてきめんに効いて、それはやってきました。 いつも通り、みのりの就寝に合わせて前日の午後8時に寝た私は、翌25日の朝4時、お腹の収縮の痛みを感じて目が覚めました。しばらく起きて時計とにらめっこしていると、間隔はおよそ10分。それが30分経ってもおさまらない! とうとう来た!!! まだ余裕があると見た経産婦の私は、その後お風呂の追い炊きをつけ、お風呂を炊いている間にみのりのお弁当をやっつけ、朝食の用意をして、それからささっと入浴を済ませ、それでも午前5時でみのりの起床時間より一時間も前だったため、リビングのソファに仰向けになって、少し仮眠を取ることにしました。 ちょうどオットがトイレに起きてきて体調を尋ねてきたので、私は「早く起きちゃったからここで寝てる」と答えました。オットは納得したようで、あと一時間の惰眠を貪りに寝室に帰りました(実はこの時に私が「陣痛が来た」と正直に言っていれば、オットは病院に直行する気満々だったことが後に日記のコメント欄を読んで判明しました:笑) 午前6時、みのりがムニャムニャ起きてきました。 家族でいつもの朝食の食卓を囲み、オットがみのりを最寄の駅まで散歩がてら送り、帰り道には忘れずにお豆腐屋さんに寄って豆乳をもらって帰宅してきました(焦らないと決めたら徹底的に焦らないのがオットのいいトコロだ:笑)。この時点で午前7時半。 「じゃ、タクシー呼んで行きますか」 ふたりで頷き合い、五頭日である25日だけに朝7時台で少しずつ混みはじめた幹線道路を縫うようにタクシーに飛ばしてもらって病院に到着。時間は8時半。 一般受付の時間ではないので、いちおう救急の方に向かうと、すぐに5階の産科に電話をつないでくれて、自分で状況を説明しました。 「自分で歩いて来られますか?」と聞かれたので、「大丈夫です」と答えて陣痛対策グッズやら入院準備品などで大荷物を抱えるオットを従え、自分でもコロコロを1個転がしながらエレベーターで産科病棟に入りました。 兼ねてからリザーブしていた「水中出産用」の分娩室に案内され、しばし説明を受けてから荷物を開けて必要なものを整理し、私はNSTという胎児の心拍とお腹の張り具合を計測する器械をお腹に付けて陣痛の進み具合を30分ほどモニターした後、助産師さんから内診を受けることに。 「子宮口は2~3cm開いているというところかな。10cmの全開までにはもう少しかかりそうだけど、NSTでも7分間隔で微弱ながらも収縮が来ているようだし、経産婦さんなので、このまま様子を見ましょう」ということになり、 「お産を早めるために病院の中をどんどん歩いてくださいね。昼ごはんは出るけれど、朝ごはんを食べていなかったのなら、売店でなにか買ってきて少しお腹に入れておいた方がいいかもしれないし」とのアドバイスを受け、病院内のコンビ二に行って、ヨーグルトやおにぎりを買い込むことに。 分娩室に戻り、あんまり食べたくもないおにぎりをひとくち、ふたくち齧りながら、36時間かかったみのりのお産の時を思い出しながら、 「このぶんじゃ、今回もまだまだかかりそうかな。みのりの下校が2時半だから、学校まで母に迎えに行ってもらって、到着を待ってから立会い出産になるかも。金曜日でよかったね」などとオットと話していると、助産師さんがやってきて、 「あ。買ってきたんですね。あれから一時間くらい経っているので、また内診してみましょう」ということで内診を受けてみると、 「子宮口は5cmになってます。普通はもう少し痛がったり、会話してても息が詰まったりするんだけど。ちゃんと会話できてますよね。さよこさんは我慢強いのかな」などと感心しています。いや、ちゃんと痛いんだけどな。ただなんか…みのりの時もそうだったんだけど、隣の陣痛室に「キャー! 痛いーーーッ! 腰が割れるーーーッ!!! 死んじゃうーーーッッッ」というような絶叫系妊婦さんがいて、助産師さんたちに「ガーデンヒルズまで響いてるわよ」などとたしなめられている声がして、それはそれでほほ笑ましかったりもしたとはいえ、自分はなぜか「痛がる」のは「チガウ」と思ってしまうタチなのです(笑)。 愛、燦々とには「お産の世界に行っておいで」とアドバイスしたというのに、自分は「行けない」んです(爆)。まあ、その時になればお産の世界に行って「叫び倒す」もよし、「黙って堪える」もよし──自分に合ったスタイルならばすべてよし、ということで^^ 痛いかって? そりゃ痛いよ~!!! ところが、いつも不思議なのですが、我がオットなる者は、男でありながら実に有効な「陣痛逃し」のすべを知っているのです。本人になにゆえかを聞いても「わからん…」と自分でも首を傾げるばかりなので、それはまさに「本能的」としか言いようがないのですが、みのりの時は自らが分娩台に乗り、二人羽織りのごとく足を開いて後ろから私を挟み込み、顎で私の頭頂部を押さえつつ、陣痛の波に合わせて両手で私の尾てい骨部分を思いっきり押し上げ、赤ちゃんの産まれるペースを調節しながら、無事に産ませてくれたんです(笑)。だから、私としてはあまり痛みや苦痛を感じることなく産むことができました。 でも、お腹の子が同じ子ではないように、お産の状態も毎回違っていいはずです。 今回、オットが私にしてくれたことは、これもまことに痒いところならぬ、痛いところに手が届くというか──ちょっと恥ずかしいけれど詳しく説明させていただくと(笑)、まず私のお尻にテニスボールを挟んで、その上に乗っかる感じで座らせ、陣痛の波が来るとさらに自分が片手に握ったテニスボールで私の尾てい骨を渾身の力で押しながら、私の肩口をぐいい~と引き起こす感じで背中を反らせてくれて──この体勢が本当にありがたかった! ここで重要なのは、オットがテニスボールで私の腰を押すと言っても、それは男の人が汗をしたたらせながら押す、くらいの迫力で押してくれなければ陣痛の痛みに耐えうる援けにはならないということです。 それから、渾身の力で押されている産婦ですが、押されているだけでは上体が前のめりになっていって、うまく陣痛が逸れません。なので、オットのように片手で腰を押し、もう片方の手で産婦さんの肩を引き起こして、腰を押す力が拡散しないようにします。これが陣痛を逃す重要なポイントです。本格的な陣痛になる前ならば、テニスボールのほかに、低学年のドッジボールで使うような、ソフトで大きめのボールを持参して、それに座るようにして最初の弱い陣痛を逃すのがいいかと思います。私が持参したボールですが、別の産室とを行ったり来たりしていた看護師さんが、私のお産が終わったと同時に「あの…そのボール貸してくださいますか? あとで必ず洗ってお返ししますから…」と申し出たくらいです(笑)。 そうこうするうちに、時計を見ると10時30分。 間隔でも測ろうかとオットに時間を見てもらっていると、次の陣痛は10時35分から。 「五分間隔か…」と思っているうちに、すぐに陣痛が始まり、オットに腰を押してもらうことに。 オット「3分か2分間隔になってるよ」 わたし「ええ~。そんなはずないんだけど。それより腰押して~」 オット「また!? 間隔ないよもう」 あっという間に破水し(体の中で痛みもなく、ポンっと音がして水が流れ出るんです) 「今、破水しました。来てください」とオットがナースコールをしているのが聞こえます。 陣痛は強くなるとさすがに辛いものですが、30秒から1分で終わります。そして必ず間隔があきます。陣痛が引いたときにリラックスしてウトウトしたりできれば、次の陣痛も必ず乗り越えられます。私のリラックス法は、ハードキャンディを袋ごと準備しておいて、口の中に放り込むことでした。いつもはキャラメルとかが好きなのに、そういうソフトなタイプよりも、固い飴の方が陣痛を紛らわせるにはよかったみたい。なぜでしょう…不思議ですね^^ いよいよ娩出の時になると陣痛の間隔もなくなるので、辛さも最大値になるけれど、それはもうすぐそこに赤ちゃんとの対面の時間が迫ってきているから。耐えることは可能です。 「学校に電話して、みみを呼んで」 指示を出す私に、オットが携帯で学校と私の母に電話をして、みのりを早退させる手はずを整えています。 助産師さんが入ってきて、「あら! お産になるかも!」とにわかに色めきたち、 「先生を呼んできて!」と仲間に頼んでいるのを聞いて「まだお風呂にも入ってないのに~」と私もビックリ。 水中出産用のプールは目の前にあるのに、もはや辿り着けない──というか、誰も連れて行ってくれない(笑)。 「あ! もう赤ちゃんの頭が見えてきた。触ってあげて」初診から10ヶ月もの間お世話になった主治医の先生も立ち会って、足の間で強烈な存在感のある胎児の頭を自分で触ってみることに。 あったかい! ペコペコしてる! もちろん、首をカメのように突き出して、まだ頭骨が固まっていなくて柔らかく、産毛の生えた胎児の頭頂部を直接見ることができました。 「次の陣痛の波で生まれますからね~」と先生から声がかかり、直後、産声とともに長~いへその緒の尾を引いて赤ちゃんが生まれてきました。その瞬間を待っていたかのように、みのり登場(笑)。学校からのタクシーの中で着替えを済ませていたので、そのまま赤ちゃんを抱きとめることに。首に巻きついていたへその緒は、オットがさりげなく小指でぽいっと取ってあげています。そして写真をパチリ(その写真は前々回の日記をご参照ください^^) 結果、今回は赤ちゃんの生まれてくる力が強かったのと、前回みのりが道をつけてくれていたのが相俟って、分娩台に乗ってから10分ほどで生まれてきてくれました。おかげさまで安産だったと申し上げてもいいと思います。 テニスボール2個と直径20センチくらいのソフトなボールを1個。 ハードなキャンディ。 それに力自慢のオット。 これが私の陣痛逃しの必需品であり、おすすめグッズです! 参考にしていただければ、嬉しいです☆ (愛、燦々とはいかがでしたか?) そしてここが本日で一番重要! 愛、燦々とさん。お誕生日おめでとう。
2011年04月27日
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こだまでしょうか? はい、こだまですv 【虫の知らせ】 まずはじめに── この度の東日本大震災で被災された方々に 心からのお見舞いを申し上げます。 また、前回の日記のコメント欄では皆様から多くの思いやり、 被災地へのメッセージをいただき、本当にありがとうございました。 オットの話によると、あの良寛さんも、晩年に大地震に見舞われたそうです。その地震によって子供を失った友人に、良寛さんは短い手紙を送っています。 地震は信に大変に候。 野僧草庵は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候。 うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ。 しかし災難に逢、時節には災難に逢がよく候。 死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ 「地震は本当に大変なことでした。 我が草庵は何事もなく、親類にも死者なく、さいわいでした。 地震で死なずに永らえて、このような惨事を見るのはつらいことです。 しかし何事にも時節があり、災難に逢う時は逢うがよろしい。 死ぬときには死ぬがよろしい。 これが災難から逃れられる妙法であるといえましょう」 良寛さんは禅師だったため、このような境地を友人への手紙にしたためることができたのでしょう。今、実際に震災で家屋を失くされた方、家族を亡くされた方に、妙法だと言って良寛さんの言葉を伝授することは、なんびとたりとも到底できないことでしょう。 ただ、私のように節電や募金でしか被災地の方々に心を寄せることしかできない者にとって、また、停電や買占め、放射能の影響など、子育て中の少しだけままならない状況にある者にとって、良寛さんの言葉は確かに妙法になります。 とくに地震当日、帰宅難民になったオットとみのりを待っている間、私の心を平静に保ち、力強く守ってくれたのは、胸に抱いた新生児のぬくもりでした。この子が生まれて、子供を心配する気持ちは二倍になりましたが、二人分を心配するしあわせもはっきりと感じました。 たくさんの方々に励ましていただきながら、私は今日も明日も昨日と同じ子育てを続けていこうと思っています。 さて話は変わるのですが、前回のコメント欄の後半で、スーパームーンの話題をいただき、私も思うところがあって「この世のものとは思えないものは、やはり私たちが見てはいけないもの」なのだとの私観を述べました。 これに付随するものではないのですが、今回の地震の前兆として気になることを日記にしてみたいと思います。が、限りなく私見ですので、皆様どうか読み流してください。 阪神大震災で「件(くだん)」という妖怪の目撃談が語られたのを、私は当時興味深く聞いていました。 件というのは読んで字のごとし、人の顔をしているが、身体は牛のかたちをしている怪物です。この異形から「件」という名が付けられました。ずいぶん古い頃から凶兆を知らせる妖怪として知られていたようですが、近年では江戸はもちろん、明治、大正、昭和にかけても現れて、戦争の開始、敗戦などについて予言していたようです。 件には雌雄があり、雄の件は凶兆を予言すると、時を同じくして雌の件が生まれてきて、凶兆の回避方法を告げると言われています。また、件には知性があり、生まれてすぐに言葉を話し、予言をすると数日以内に亡くなってしまう、大変短命な妖怪なのだそう。 角川文庫に収められている『新耳袋』に、この件が阪神大震災前に現れ、何人もの人が目撃したという話が載っています。神戸に現れた件が歩き去っていった方角に、大震災を引き起こす原因となった活断層があったとか。 さて、この凶兆を告げる妖怪の話は皆様それぞれのご興味のほどにお任せすることにして、私がこのところ気になっていた「現象」についてお話させてください。「現象」といっても、とても個人的な──愛、燦々とにまつわるものです。 どこからお話を始めたらいいものか。 愛、燦々とと私は、お互いがお互いの人生の転機において、ほぼ100%の確率で「ピンとくる」というジンクスを持っています。それは出会ったばかりの中学生の頃から続いているもので、例えば愛、燦々とは、100%私の試験での合否を言い当てることができます。それは小テストの合否というよりも、大学の合格発表や生まれてくる子が女の子であるとか、そういった重要な事柄であればあるほど、見通しの確率は100%に近づきます。 一方、私は愛、燦々との試験の合否や人生の選択にまつわる予見というよりも、愛、燦々との身に危険が及ぶことを「察知」する能力があるようで、もちろんそうしょっちゅうあっては困ることなので、これまでに数回予知して注意を促しただけにとどまりますが、やはり私の方も100%の確率で「当たる」と言ってもいいと自分でも感じています。 第一回目は、私たちが中学生の頃、愛、燦々との家が全焼し、現場で彼女の姿を捜し求めているという夢を私が見たことからはじまります。この夢の光景は今でも思い出せるくらいなのですが、ともかく以来、私は愛、燦々とに「今後一生火事には気をつけるように」と口をすっぱくして言うようになりました。 すると、それから二、三年もしないうちに、愛、燦々との家がボヤになり、弟の迅速な通報で壁面だけを焼いて消火する、という事件がありました。さいわい、ボヤ程度で済みましたが、弟が煙の臭いに目が覚めて、すぐに通報していなければ危なかった状況ではありました。 次は地下鉄サリン事件で、私はこの事件の前に愛、燦々とと電話で連絡がつかないという夢を見てうなされたことがありました。すぐに愛、燦々とに「なにかあったらすぐにうちに電話をちょうだい。どんな用件でも、自分が電話した方がいいな、と思ったら躊躇しないで何時でもいいから電話かけて」と再三申し入れました。 サリン事件があった日、愛、燦々とは卒業式のために朝早くから地下鉄に乗っていました。私はテレビで事件のことを知り、すぐに愛、燦々との固定電話に電話をかけたのですが、彼女はすでに家を出ていて不在でした。愛、燦々とが乗っていた電車は、一番被害者の多かった丸の内線でした。当時はまだ携帯電話など普及していません。私は生きた心地もしないで、でもどうすることもできずにテレビの前に座っていたのですが、ほどなくして──本当に時間をおかずに家の電話が鳴りました。愛、燦々とが無事を知らせるためにかけてきたのです。その時も今回と同じく、公衆電話の前の長蛇の列に並んで、やっと私に無事を知らせるための電話をかけてきてくれたのでした。 「とにかく電話した方がいいと思ってさ」 愛、燦々との声は今でも忘れません。 私はあの時の電話を「いのちの電話」と称しています。 三回目は今回の震災です。 今回は前の二回と少し違っていて、なんというか「虫の知らせ」に近いものでした。 仙台に引っ越す前、今からちょうど一年前のことになりますが、愛、燦々とは荷物になるという理由で、大型の天然木の棚を一竿、私にくれると言ってきました。愛着のあるものなので、廃棄してしまうには勿体無いんだそう。 二つ返事で引き受けた私に届けられた棚は、とても立派なものでした。私は寝室に持っていき、本棚ではなくて、たくさんたまった自分のバッグ類を整頓して置いておく棚として使い始めました。 そのうちに妊娠し、10ヶ月後に出産したのは皆様ご周知の通りですが、出産後に退院してきた3月2日の夜半、私は小さな異変に気づきました。 寝ようとして静かにしていると、ミシミシッ、ミシミシッと音がします。 パキッと小枝が折れるような音も混じります。 私が頭をもたげてよく耳をすませると、それは寝ている私の左から──愛、燦々とからもらった棚が、あたかも地震で揺れているような音を立てているのです。けれども振動などはとくに感じませんでした。 その時は訝しい思いで眉をひそめたのですが、愛、燦々とが長年使っていたものだし、親友からもらったものなので、とくに障りはあるまいと、そのままにしておきました。けれども、一度音を立て始めると、ずいぶん長い間ミシミシ言っています。ずいぶんはっきりとした「徴」に、日記のコメント欄にも載せようかと思っていたくらいでした。 そのうちにオットも気づいたのですが、オットいわく、 「この子、愛、燦々とのところに帰りたがってんじゃないの(←小夜子が気に入らない、または本棚なのにバッグを入れられているのが気に入らないの意)」などと冗談交じりで言うものですから、それならなにも一年も経ってから不満を申し述べなくてもよさそうなものなのに…と思っているうちに、3月11日の地震があり、なにか関連があったのだろうかと首を傾げているところです。 震災後の今現在、棚の怪音は止んでいます。 皆様は身の回りで起きる「虫の知らせ」めいた現象を、どうお感じになっているでしょうか。 私は、日本古来の土地神の力を信じないことは、国の力も信じなくなったことだと思っています。 地震との戦いは人の仕業からもたらされる戦争とは違い、本当の意味での国の戦い、聖なる戦いです。土地の神様の力を信じて、私たち人間がさらに豊かな未来を創り出していくことができますように。 被災地への息の長い支援の輪を祈りつつ、 また自分に言い聞かせつつ──
2011年03月26日
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取り上げたる子 【2月25日 午前11時10分に生まれました】 皆様、おかげさまで先週金曜日に2920gの女児を出産し、おととい2日火曜日に無事退院してまいりました。たくさんのお祈りと励ましをありがとうございます! 感謝の涙とともに拝読させていただいております。お返事が遅くなることが予想されますが、どうかお許しください。 さて、当日の生々しいレポート(笑)はまた後日ゆっくりご報告させていただくとして、この子にとって初節句の本日は、ちょうどお七夜にも当たりますので、出産後の最大のイベント、命名について先にお知らせさせて下さいませ。 本日、出生届を出すに当たり、次女の命名は 「史桜」と書いて「しおん」に致しました。 私たち夫婦が共に美術史を専攻しているため、長女には美術史の「美」を、そして中国の修繕の女神様の名の「祝」で、秋生まれということで「みのり」と命名しました。 次女は美術史の「史」を、そしてこの日は全国的に春一番が吹き、気象庁から「桜の開花予想」が出されたことから、2月生まれとしては少し早いのですが、春の「桜」を。そして、読みなしは、カトリックでは「楽園」の意味の「しおん」にしました。常用漢字では当て字になってしまうので、私は「史苑」にしようと最後までぐずったのですが、中国の古い音では「しおん」と読めるとのことで、オットに従うことに致します(←めずらしく:笑) 生まれて一週間も経っていないので、まだなんとも言えませんが、今のところはみのりに似て、のんびり、おおらかな子です^^ 夜は時計のように3時間おきに起きるので、一時間授乳したとしても2時間はまとめて寝られるので、これを一晩で3タームとしてもトータルで6時間寝られるため、とても楽です。親孝行な娘で助かっています。 親が言うのもナンですが、目元がぱっちりしていて、鼻筋の通っている子です。そのうち「目がぱっちりしていて、鼻筋の通っている」写真を更新させていただきます(笑)。みのりは「私より美人だ…;」とすでに女の戦いに負腰です^^ そして、たった今オットから連絡があり、無事出生届を受理されたとのことでしたので、ご報告させていただきます。 今回の日記はどうしても皆様に直接ご報告を申し上げたく、更新致しました。 そうそう! 立会い出産を希望していたため、みのりは学校を早退させました。 3時間目と4時間目の間に私の母が迎えに行ったのですが、母の顔を見たとたん、みのりが、 「私の妹が生まれる!!!」と廊下で絶叫したため、2年生はともかく3、4年生までもが廊下に飛び出してきたとか(笑)。 その後はクラス全員がこぞってみのりのお帰りの準備を手伝ってくれたため(お弁当あっため器からもみのりのお弁当を引っ張り出して来てくれた子も^^)、1分で着替えて学校を飛び出してきたそうです。クラスメートのみんなにも感謝です。 その後は、学校からも近い病院のため、いったん下校してお着替えを済ませたお友達で、病室がごった返すことに──笑。お産が軽かったためお見舞いはまったく苦痛ではありませんでしたが、結果としてクラスメートの半分くらいがお見舞いに現れたことにビックリです♪ そうそう、ここだけの話、某歌舞伎役者のおヨメさんで、23日に出産された方とお隣同士の病室でした^^ お見舞いに来ていたお爺ちゃまにも会っちゃったv オットとみのりはエレベーターの中からちょうど一家と鉢合わせになったそうで、お互いに「おめでとうございます」と挨拶し合うことになり、すっ飛んでました(笑)。オットは思わずエレベーターの「開」を無意味に押し続けてしまったとか(爆)。 ちょうど出産の当日、みのりは「ごきょうだいは?」と聞かれたことがあったそうです。 「生まれて初めて、います!って答えられて嬉しかった」と満面の笑みで報告してくれたことが、親としてもとても嬉しかったです。 次回の更新も皆様からのメッセージのお返事もままならない状態で恐縮ですが、あたたくなった頃にまたゆっくりと出産エピソードなどのご報告をさせていただければと思います。 どうぞお楽しみに! ありがとうございました。 さよこ拝
2011年03月03日
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皆様、小角さまお見送りの折には、あたたかいメッセージを本当にありがとうございました。 実はその後、「えっ!」と驚くばかりの事実が判明いたしまして── 小角さまの葬儀は年齢も年齢だったため、「家族葬」というかたちをとりました。我が家で見送ろうかとも考えたのですが、さすがに段取りに通じている葬祭場の方がなにかと便利かと思い、他所でいわゆる通夜、告別式を行いました。このとき、深夜にも関わらず駆けつけてくれたBO様、火葬の後にも家まで同行し、お経をあげてくれてありがとうございました。読経というのは「お声」も大切な要素なのだと、このたび初めて気づかされました。この場を借りて、たくさんのご厚意に御礼を申し上げます。 そして「えっ!」という事実についてですが、小角さまの通夜の当日に、なんとお隣さんに「空き巣」が入ってしまったのです! オットと母が納棺のために家を出たのが午後3時。 私とみのりが通夜に参列するために家を出たのが午後5時過ぎ。 通夜、精進落としの後、全員が帰宅したのが午後9時過ぎ。 タクシーに家の前でとまってもらって、料金を払っていたオットが「あ。覆面だ」と一言。 私はすぐには気づかなかったのですが、お隣さんの家の前に覆面パトカーが停まっていて、さらにお巡りさんの乗る自転車が道端に駐輪してあります。 それでお隣さんになにかがあったことはわかったのですが、お隣さんには妙齢のお嬢さんもいらっしゃるので、それがストーカー被害なのか、いわゆる空き巣なのか、しばらくは想像するしかありませんでした。そしてこのたび、お隣さんが我が家に弔問にいらしてくださって、はじめて「空き巣」の報がもたらされた次第です。 それは金曜日の夕方のことだったのですが、家族が帰宅したときには、もう家中がひっくり返ったようになっていたとのこと。窓ガラスが切られていて、そこから入られたそうです。 実は通夜の日、「葬式を出した家には空き巣が入りやすい」とよく言われていることを懸念したオットが、親族のひとりを家に残しておくと言い張っていたのでした。白羽の矢が立った彼も「ソファで昼寝して待ってらぁ」と残る気満々だったのですが、我が家は(小角さまが「緊急通報」をお気に入りにしていた:笑)セコムにも入っているし、家中の明かりを点けていけば大丈夫じゃないかと私が押し切って、結局家にはひとりも残らず通夜に出ることに。 今考えてみれば、この家からは喪服を着て次々に人が出て行くし、町内会の看板には訃報が貼っていないけれど、おそらく今夜は通夜で誰もいないだろう──隣の家は金曜日の夜はいつも外出しているようだから、入るならばこの日だとばかりに、目星をつけていた者があるのでしょう。想像するだに、ぞっとするような話です。もちろん、我が家もターゲットのひとつだったのでしょうが、実際に入られなかったのは一重にセコムなどの「備え」を警戒したためと思われます。 まさかお隣が空き巣に入られるとは! 戸締りは怠りなく、戸締りを万全にしたとしても、さらにその上に警報などの備えを怠りなく、気を引き締めて一年を過ごしたいと胆に銘じています。 【透子さんとお年始デートv】 そして、本題はこちら☆ 透子さんとお年始デートをしました♪ 今回はみのりも一緒ですv 自由が丘駅前で待ち合わせをして、12時開店の猫カフェほっとに連れていっていただきました 珍百景にも出たムース(笑)。 美人のビビちゃんv(なんとなく…怜子さんっぽい:笑) ビビちゃんは壊れた猫じゃらしが好き☆ 今回、初めて体験した「猫カフェ」ですが、すごくお勉強になりました!!! 実は私、動物を「ケダモノ」と呼ぶロッテンマイヤーさんのような母に育てられたため、小鳥や金魚を飼ったことはあるのですが、動物っぽいものを飼った経験がないんです; なので、猫との接し方も、遊び方もまったくわからない! そこでスタッフの方が優しくアドバイスしてくださるには、「猫は完成されたおもちゃよりも、別用途のものをおもちゃとして遊ぶのが好き」というナルホド納得な習性を利用した遊び方。 たとえば、ムースは紙束を綴じる黒い紐を穴の開いたビニール袋の中から「チラ見」させると大興奮!!! といった感じです^^ 怜子さん似のスレンダー美人のビビちゃんは、壊れて半分取れかかった猫じゃらしを身体のまわりで回してあげると、ぴゅーんグルグルとついてきてくれます。 考えてみれば、オットは猫も犬も飼っていたし、奈良のシカでも何でもウェルカムなヒト。 愛、燦々とさんも「ニーゴ」と「チビニーゴ」がいたし、楓も松丸も猫を飼っていた。 私のまわりには、けっこう犬や猫を飼っている人がいるのに、これまでは私だけがなんだか動物やペットとは縁のない生活をしてきたのでした。 第二子が授からなかったら、みのりが十歳になったお誕生日にワンちゃんでも飼おうと思っていたところ、このたび思いがけなく妹に恵まれたため、我が家でペットを飼うのはまた先送りになりそう。なので、透子さんに連れていっていただいた「猫カフェ」は、これからオット&みのりの癒しの場となりそう! 私が休日にも授乳に追われている時分に、手のかからないふたりで連れ立って行ってくれたら──お互いにラクかも(笑)。 透子さん、楽しい場所をご紹介してくださってありがとうございました☆ それから、「猫カフェ」に『ワンピース』全巻が置いてあったとか! 私は全巻揃っていることに気づかなかったのですが、あのスレンダー美人の名が「ビビ」であることはそれに照らしてみればかなり納得です^^ ただ今、全巻貸してくださっている真珠さんにもありがとうございます! おかげさまで、ワンピースのキャラと思いがけない出会いができましたv 猫カフェを堪能した後、ランチへ──新しくできた舟和カフェも候補だったのですが、足の向くまま近場でフェルマータに入りました。 前に家族で行った時に混んでいて入れなかったお店なのでトライできて嬉しかったです♪ 石焼ナポリピッツァのお店なので、オーソドックスにマルゲリータとマリナーラ、本日のピッツァを注文。本日のピッツァの名前を忘れてしまったのですが、お肉ベースの味が思いのほかおいしかった! デザートは場所を変えてということになり、そのまま学園通りを上がってハリケーンミキサーに。 途中、ピーコックの前で「トモエ学園」の碑を見つけて、『窓際のトットちゃん』にすっかりハマっているみのりは大感激! ハリケーンミキサーは新鮮手作りシェイクのお店で、以前からぜひ行ってみたかったお店♪ チェーンなのかと思っていたら、こちらの一店舗のみとのこと。 お店のオーナーも2月に第二子誕生待ちで、我が家と同じ「姉妹」になるそうです。 あたたかくなって外出しやすくなったら、ぜひ我が家の第二子も連れて行きますねv その時には糖の値を気にせず、季節のオススメのシェイクを堪能したい! 帰りは暗くならないうちに──ということで、自由が丘駅前のデニッシュバーを透子さんにオススメいただき、オットへのお土産にお持ち帰りしました☆ デニッシュボールもオススメだそうですが、今回は焼き立てのデニッシュバーを選択v 私も一口食べてみましたが、外がカリカリ、中が濃厚なお味ですっごくおいしかったです! みのりの後にできていた行列に納得~^^ 透子さん☆ みのりともども、今回のデートにお誘いただき、本当にありがとうございました。 お天気も良くて、気温もおだやかで、おかげさまでとても楽しい一日でした。 またぜひよろしくお願い致します^^ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は2月1日(火)を予定しております。 パソコンの調子がにわかに悪くなり、突然電源が落ちてその後すぐに起動が始まったり、メールが送れなかったりするトラブルに見舞われております。 オットが自分のお古のPCを譲ってくれるというので早晩復旧する見込みですが、それまではコマ切れの更新となってしまうおそれがあります。どうぞお許しください。 それから、次回の更新で詳しくレポートさせていただきたいと思っているのですが、上映期間の終了が差し迫っていることが懸念されるため、こちらでお知らせさせてください。 映画うまれるをみのりと見に行ってまいりました。皆様にもぜひお勧めさせていただきます。わたくし事ですが、出演している虎ちゃんのママは、私が親しくしている先輩の同級生ということでご紹介いただきました。虎ちゃんママ、お声を聞いているだけで、すごく安心感が湧いてくる独特な声をお持ちです。もちろんママの雰囲気もパパの存在感もとってもあたたかいエネルギーに満ちていて──皆様にぜひお勧め致します。映画「うまれる」。
2011年01月17日
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新年あけましておめでとうございます ↑おはずかしながら、「妊娠生活」と掛けてますv 【新年早々、嬉しいニュース】 皆様、新年あけましておめでとうございます! 本年は例年に増して激動の一年が予想されますが、 今年も皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。 そして新年早々、我が家には嬉しいニュースが飛び込んでまいりました☆ これは本当にわたくし事なのですが、先日ブログに載せたみのりの詩を本人が新聞社に投稿したところ、12月27日(月)朝刊の「こどもの詩」欄に掲載されました! 「こどもの詩」に心当たりのある方は、ぜひ新聞をご確認ください^^ これも小角さまからの贈り物かな──v さて、年末はチーフこと青葵さんがご主人様とともにお手製の御節の数々を届けてくださり、おかげさまで我が家は笑顔で年を越すことができました。 折りしも、その日は仙台から愛、燦々とさんが寄ってくれたので、チーフご夫妻と愛、燦々とが一堂に会すという、我が家にとって記念すべき日となりました。 チーフ、愛、燦々とさんにも折鶴をくださり、本当にありがとうございました。 ドミニク・サブロンのラスク・ド・ショコラブラン、イマドキの言葉で言うとヤバイです~(笑)。あまりのおいしさに手が止まりません^^ 妊婦の体重制限を軽く忘れてます♪ 8日には透子さんとお会いできる予定☆ 今年も心待ちにしている出会いが目白押しです! 皆様の佳き一年を祈り上げつつ── 12月28日(火)32w1d おかげさまで9ヶ月に入りました! 毎度画面に入りきらなくてごめんなさい(笑)。1875gになりましたv 大脳、小脳、脳幹、心臓の四つの部屋も全部見えて一安心。 逆子も直り、頭を下にして安定しています。胎盤の位置も大丈夫。 家族でモニター越しに赤ちゃんを見るのはこれで最後かもしれません。 今度お姉ちゃんに会えるのは、生まれてくるときだね^^ 健診の帰り道、家族の念願だったヴィロンに行きましたv 狙いはもちろん「ヴィロンの朝食」。エシレバターをつけたバゲットが焼き立てクッキーの味がしてびっくり! おいしい~!!! ◆応援ありがとうございます! 次回更新は1月15日(土)を予定しております。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第22節をアップしております。
2011年01月02日
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なにコレ 神の手!!!? 【2010年ゆく人くる人】 皆様、更新が遅れてしまって申し訳ございませんでした。 わたくし事ながら、実はこのたび小角さまが雲隠れなさいましたので、 この場を借りてご報告させてください。 【みのりの日記】 わたしはおじいちゃんのとしを知りません。 おじいちゃんというのは、おとうさまのおとうさんです。おばあちゃんもおとうさまも、おじいちゃんが本当はいくつなのかわかりません。 ほけんしょうを見ると、「大正2年 97さい」と書いてあります。でも、おじいちゃんは、 「へいたいさんにとられるのがいやだったから、おやくしょに5さい足してとどけた」 と言うのです。 だから、本当は大正7年生まれで、今92歳なのだそうです。 97さいでも92さいでも、お年よりなのは同じなので、おじいちゃんはおいしゃさまに行っても「とてもお元気ですね」とほめられます。せも高くて、からだも大きくて、ついさいきんまでたいじゅうは80キロありました。おいしゃさまは、これまでじぶんがみてきたかんじゃさんの中で、3本のゆびに入るくらい元気な人だと言っていました。 おじいちゃんはとてもおもしろい人です。わたしの家がおひっこししたときに、おじいちゃんがあそびに来てくれるとちゅうでまいごになってしまいました。こうしゅうでんわでじぶんのいるばしょを教えてくれるのですが、めじるしになるものを「アリさんマークのトラック」とか、走っている車ばかりを言うので、おじいちゃんがどこにいるのかぜんぜんわからなくて、おとうさまがこまってしまったりもしました。 新しい家では、おじいちゃんとおばあちゃんと、わたしのかぞくでいっしょにくらすことになりました。それから、おじいちゃんはびょういんににゅういんしてしまいました。わたしは日曜日の午後はかならずお見まいに行きました。 おじいちゃんはお母さまのおなかをゆびさして、「そりゃあ男じゃ」と言いました。 お母さまのおなかの中には赤ちゃんがいました。でもびょういんでみてもらったら、「女の子」でした。 お父さまがおじいちゃんのことを見ていると、おじいちゃんはつばをのみこむように、せきばらいをしてから、もういきをすいませんでした。 おじいちゃんのことを、みんな「だいおうじょう」とか「おめでたいこと」とか「しあわせ」とか言うので、わたしもなんだかいつまでもかなしい気もちにはなりませんでした。学校も休まずに行きました。 おつやとおそうしきは金曜日と土曜日にしました。 ゆりの行列のために作ったゆりの花を、おじいちゃんといっしょに入れてもらおうかと思いました。でも、わたしはきょねんのゆりもだいじにもっていて、6年生までに6本のゆりをあつめるつもりだったので、おじいちゃんにあげるのはどうしようかなと思いました。そしたらお母さまが、 「2年生のゆりはおじいちゃんにあげたから、1本足りないっていうのもいい思い出になるんじゃない」 と言ったので、わたしは「それもそうだ」と思い、おじいちゃんにあげることにしました。 わたしが作ったゆりの花は、おじいちゃんといっしょにけむりになりました。 おじいちゃんのほねは、みどり色になっているところがありました。かそう場の人が、 「これはゆりの花のはっぱの色がついたんだよ」と教えてくれました。 おじいちゃんはほねが太くて、かそう場の人はこれまでにみてきた90年生きてきた人の中で3本のゆびの中に入るくらいしっかりしたほねですねと、おいしゃさまと同じようなことを言っておじいちゃんをほめてくれました。なんでしっかりしたほねかというと、のどぼとけはふつうの人のほねにものこるけれど、ほかにもむなぼとけというほねがあって、このほねがのこることはとてもめずらしいそうです。かそう場の人もひさしぶりに見たそうです。いろいろほめられて、なんだかおじいちゃんはえらいなあと思いました。 そのあと、わたしはホームのお年よりのクリスマス会で、歌を歌うボランティアをしました。お母さまたちにまざって「ふるさと」や「ゆきげしき」を歌うと、おじいさんやおばあさんたちは、わたしのことをじぶんの「おまごさん」とまちがえていました。 おじいちゃんにとって、わたしはさいごの「おまごさん」でした。家でもびょういんでも、いつも「みみちゃん、みみちゃん」とよんで、わたしがおへんじをすると「あいらぶゆー」と言いました。 でも、本当はおじいちゃんのさいごの「おまごさん」は、今わたしのお母さまのおなかの中にいる妹です。 おじいちゃんを知らない妹に、わたしはたくさんのおじいちゃんの思い出を話してあげようと思います。だから、わたしはおじいちゃんのことをわすれないようにがんばります。 おじいちゃんは、わたしの妹にも「あいらぶゆー」と言ってくれると思います。 ─── 以前ご紹介した小角さまネタです☆ 思い出になってしまいましたが── 【小角さまネタ8連発v】 【最近の小角さまネタv】 週末にディズニーのイベントがあったので、みんなで遊びに行きました^^ そこで参加型のクイズにて、小角さま孫娘を膝に大健闘☆ 軒並み全問正解の後、最終問題は「ティンカーベルは何者?」という質問。 小角さまは、思いっきり「蚊!」と答えていた。(正解は“物作りの妖精”) その場にいた一族全員が「このヒト、ご長寿早押しクイズで殿堂入りできるかも」と思った瞬間だった。 ─── 12月14日、30週、逆子ちゃんが直っていましたv 鼻の穴が貫通し、口元も見せてくれて──先生も看護師さんも 「お鼻の穴、かわいいですね~」と言ってくれるのですが、 我が子の映像ながら、ちょっとコワかった…^^ そうそう! 小角さまの最期の言葉「そりゃあ男じゃ」── 21世紀の精密機器をもってしても、やはり「女の子」でした(笑)。 小角さま…無駄に最期の言葉を…(涙); お弁当も二学期は本日で終了ですv みのりよ、なかなかママが作ってあげられなくてごめんね。 素敵なクリスマスを過ごそうね☆ 今年一年のすべての出来事に感謝を捧げます。 皆様、メリークリスマス! どうぞよいお年をお迎えください。 皆様、どうぞオットの父のことで悲しまないでください。 男性の九十歳代での大往生は、言うまでもなくめでたいことです。 年賀状もいただければ嬉しいです。 もちろん我が家も年賀状を用意しております。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は元旦を予定しております。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第21節をアップしております。
2010年12月17日
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楓ェ! なかなか見事じゃないかv 【会いたい人に会えた日─真珠さん&旭陽さん編─】 嬉しい出会いの日々が続きます! 今回のトピックスは、なんといっても「SEX AND THE CITY」 妙齢の(!)女たち四人で好き勝手にしゃべってまいりました(笑)。 で、このたびの「SEX AND THE CITY」の話題が行き着いた先は──ずばりオシャレ! 女のオシャレに関しては、興味のない人には世界で一番興味のない分野かもしれません; かく言う私もスタイリッシュには程遠い女だとは自覚しているのですが、身近にオシャレ番長が多いため、おかげさまで「もらいもん」が多くて助かってます^^ しかも、その「もらいもん」を着ていくと、必ず「おしゃれ~」とほめていただけるので本当に有難い! オシャレ番長よ、ありがとう!!! さて、私にとっての身近なオシャレ番長とは── みのりのコーディネーターは愛、燦々とさん。 私の髪型をなんとかしてくれるのは茶々さん(こちらのブログにも遊びに来ていただいている青葵さんと共通の友人で、お二方とも私のマイミクさんなので、mixiに入っていらっしゃる方はぜひご参照ください^^) そして、私にお下がりをくれるのは、ヒロの彼女兼お姉様兼母親の立ち位置を実に二十年にわたってキープする大人の女性、怜子さんです(←この人を「レイコちゃん」と呼べるのは、世界中探したっておそらくヒロだけだ…) ちなみに、怜子さんに憧れるだけでなく、怜子さんスタイルを真似ることのできるガッツとスタイルを持ち合わせるのはヒロの妹、舞雪子ちゃん☆(怜子さんも舞雪子ちゃんも身長170cm超え!) 舞雪子ちゃんがホテルに車で乗り付け、お気に入りのメニューのブランチをとり、髪を整え、ネイルも仕上げてもらってから美術館観賞やらデートやらにくり出す──という休日のパターンは、もはや私の見果てぬ夢でもありんす(笑)。 そういうわけで、今回のテーマはズバリ、「最近オシャレしてる~?」でした☆ 途中、渋谷西武にお買い物にくり出したのですが、これがかなり楽しかった! もっと早くに行っときゃよかったな~(笑)。 透子さんのおススメブランド、ポール&ジョー シスターでお買い物v 旭陽さんにとっても似合っていて、お買い上げになったのがコレだ! ☆ポールアンドジョーシスター☆フラワープリントがかわいい★2010AW新作!!☆PAUL&JOE SISTER☆フラワープリントチュニックワンピース(レッド・グリーン) んで、買わなかったけど(正:買えなかったけど←笑) 私がすごく気に入ったのはこちらの二点↓ どちらも色味はブラックに興味津々v サンタさん、私にもプレゼントください。 ☆ポールアンドジョーシスター☆2010新作♪後姿で、差をつけちゃおう!バックリボンコート(カーキグレー・ブラック)2010AW新作!!☆PAUL&JOE SISTER☆バックリボンポンチョコート(カーキグレー・ブラック) *送料無料*満天の星空のようなワンピース♪[PAUL&JOE SISTER/ポール&ジョー シスター]刺繍ワンピース(ブラック) そして、わがブログのオシャレ番長、透子さんの「自分磨きの隠れ家」を公開! アナスタシア 旭陽さんのお友達からのご紹介も載せちゃうぞv レストランフルトシ VIRON ヴィロンはたまに「びろん」呼ばわりされている友人がいるので(笑)以前から気になっているお店です^^ 今回は機会を逃してしまったけれど、近々ぜひ行ってみたい! 年末あたり、健診の帰りにブランチしたい!!! クロワッサン狂で、カイザーのクロワッサンしか認めないみのりを連れて行って感想を聞きたい^^ 【結論】 おしゃれって楽しい! おしゃれしている人がいると、まわりの人もテンション上がる! よって、女はおしゃれするべし!!! で、昨日は早速に「おしゃれ!」というか「こじゃれた」お店を発掘── イモラでランチしました☆ そして話題は変わるのですが、旭陽さんが日記に書いてくださった「母娘の距離感」について、私もはっと気づかされるところがあったので、こちらに徒然なるままに記してまいりたいと思います。 この教育が悪いのか良いのか、それは娘が成長してみないとわからないというサスペンスな部分はたぶんにあるのですが、我が家はパパが娘にベッタベタな分、私は実にクールなママというスタンスです。もちろん、私も誰もいない時には誰はばかることなくスキンシップとほめ言葉で猫っ可愛がりをしていますが、普段はおそらく娘には非常にマイペースな母親に見えていることでしょう。 私はなんというか…自分のことは自分で出来る子になってほしいのです。人は誰でもある程度成長すればなんでも自分のことができるようになるのでしょうが、今この時点でも出来ることはどんどん自分でさせていって、さらにはその「出来る力」を他のお友達のために使っていってほしいのです。 小さなことですが、レストランのオーダーから、「これはセットにできますか?」などというお店の人への質問から、マックのおもちゃを選んで注文することから、そのほかのお買い物から、物心ついた頃からともかくひとりで出来るようにしてきました。 家の中では、朝ごはんのトーストを焼くとか、夕ご飯のお米をジャーで炊くくらいのお手伝いならば幼稚園の年長さんの時には完了していました。 とかく都会は危ないとは思っていますが、ディズニーランドなどのロケーションでない場合は、トイレもひとりで行かせます。 誰かに出会ったときは、たとえ初対面でも自分から挨拶をし、お掃除やバスの運転手さんに大きな声でお礼を言い、贈り物をいただいたらお礼状を書き──子供にも出来ることで、しなければならないことに限界はありません。 娘にとっての母とは「なんでもやってくれる人」ではなく、「母なるもの」でありたいと、私はそう思うのです。 なにやら小難しく思い巡らせてしまいましたが、これからふたりの子の母となるあたり、最近は「母」についていろいろと考えるところがあります。 たとえばヒロのお母さん。 ヒロはその遠い記憶の中の母を「冷たい人だった」と感じているようですが、果たして本当にそうだったのか。 幼い子供たちを残していかなければならなかったヒロのお母さんが、「冷たい人」であったはずはないと私は思います。もちろん、ヒロの感覚を否定するつもりはありません。幼いヒロが感じたことはそのままに、お母さんの気持ちも私は考え続けていきたい。 ヒロのお母さんがその生涯の最期にヒロの「母なるもの」になろうとした時、その変化が偉大すぎて、幼いヒロの求める母親像と違ってしまったのだと思うのです。 出産の日まであまり時間は残されていませんが、あと数回の更新の中で、ヒロと心を合わせつつ「母」について思い巡らせていこうと思っています。 11月30日、28週、8ヶ月目に入りましたv 身体が大きくて画面に入りきらない~! 今回はめずらしく向こう側を向いていて、顔の表情が取れませんでした; 両足をピンと伸ばして…逆子ちゃんです;(←30週までには直ってほしい) 体重は1310gになりました。二週間前よりも500g増しです(驚) 先生によると、へその緒を自分でつかんで、苦しくなるとぱっと放して── そんな遊びをやっているそうです(笑) ◆応援ありがとうございます! 次回更新は12月15日(水)です。今年最後の更新となります。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第20節をアップしております。
2010年11月19日
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透子さんからの贈り物v レゴのキーホルダー 透子さんとの楽しい逢瀬の話題の前に、前回から引き続き、「見方によっては不思議な話」をひとつ──皆様はこの話、どうお感じになりますか。 楓の定期入れを落とした日、私は広尾に行っていたと書きましたが、いったい何の用事だったかというと、中高時代の寄宿の舎監だったシスターの「宗教講座」に行っていたわけです。娘の学校のママ友も参加したいということで、私は彼女と待ち合わせをして、講座の終わった後は広尾でランチをしようという計画を立てていました。 さて、午前中の講座が終わり、私とママ友は広尾の通りを麻布方面に歩いていました。私の食欲が回復していないということで、彼女が気を使って、おいしい野菜を出す「ハタノメグミ」というレストランに行こうと申し出てくれたのです。私は広尾は学生時代に6年間通った勝手知ったる街。ママ友は早稲田卒(←しかも法学部大学院!)なのですが、私の母校の大学の正門近くにご実家があるので、同じく広尾は目をつぶってでも歩ける街。 「ここのお寿司屋さんのちらしはおいしい」などと地元ならではの情報を教えてもらいながら歩いていると、なんと、そのママ友の実姉にばったりお会いしたのです! お姉様と私は初対面だったのですが、すぐに「一緒にランチしましょう」ということになって、三人でその先を歩いていると、横断歩道で赤信号待ちをしているときに、横に並んでいた女性が、「○○さんですよね」とお姉様の方に話しかけてきたんです。もちろん、見知らぬ方だったので、私はママ友と一緒に一歩下がった位置でふたりを見守っていました。どうやら、お姉様の学生時代のお友達に偶然出会われたようなのです。 すると、その女性はこんなことを言い出しました。 「私、これからご葬儀に行くんです──○○さん(お姉様のこと)は■■さんのことをご存じですか? 確かICUでご一緒だったと思うのですが…」 「■■さん!? 知ってます! 亡くなったんですか?」 「そうなんです。すごく急で…前日にも大学で講義をなさっていたそうなのですが」 「知りませんでした。ご葬儀はどちらで?」 「麻布教会で、まさにこれからです」 どうやらママ友のお姉様はICUを卒業されて、そちらでお知り合いだった方が亡くなって、今日これから麻布教会でその方のご葬儀があるようなのです。見れば、話しかけてきた方は確かに喪服を着ていらっしゃいます。 これだけでも偶然が重なったように思われますが、実は私もその■■さんのお名前を聞いたことがあるような気がしたのです。 「失礼ですが、■■さんって、高校は聖マグダレナ女子学院をご卒業されていて、今ならば44歳か43歳になっていらっしゃる方ですか?」 「そうです。■■さんは聖マグダレナ女子学院の卒業だと聞いています」 「私、■■さん知ってます! 私の6つ上の先輩で、大変お世話になったエンジェルさんの学年で──しかも寄宿生でしたから、よく存じ上げています。娘の一年生の時の担任の先生の奥様も、聖マグダレナで同じ学年だったと思います」 つまり、■■さんが急死されたことをまったく知る由もなかったふたりが(ママ友のお姉様と私)偶然に葬儀会場のある広尾で出会い、さらにご葬儀に参列される方に偶然に出会って詳しいインフォメーションを受けた──ということになります。 このようなことを、世に言う「呼ばれた」というのでしょうか。 その日のランチはとるものとりあえずということで、私たちはこれからご葬儀が始まるという■■さんのためにお祈りを捧げることにしました。 これも出会いのひとつと言えるのかもしれません。 ■■さんに感謝しつつ、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。 (前回の日記でお話ししたとおり、この後、広尾から2時台の電車に乗って定期を落としてしまい、私はあらたな偶然に見舞われることになります) 【会いたい人たちに会えた日─透子さん編─】 そしてここからが今日の本題です^^ 10月の初め──楓祭の直前に透子さんとランチしましたv 京都の川端道喜さんの銘菓「おいとぽい」を贈り物にいただいて感激! おいとぽいって、御所言葉で「かわいい」という意味なのですが、まさに箱を開けた途端に「かわいい!」と叫んでしまう愛らしさです。 みのりのお誕生日だったので、レゴのブロックに「MINORI」と名前の入ったキーホルダーをいただいてまたまた感激!!!(冒頭の画像をご参照くださいv) 透子さんは、よくぞこんなに心魅かれるプレゼントをいつも見つけてきてくださる──。下校してきたみのりも大喜びして、さっそく秋の遠足の水筒に装着完了☆ 透子さん、親子共々を魅了する素敵なプレゼントをありがとうございました!!! そして、みのりへのプレゼントを入れた透子さんお手製のバッグに飾られていた品の良いシール。 私も皆様にご紹介したい崇山堂の文具です。以前、銀ぶらしていた折にヒロに「ニューメルサの6Fにあるよ」と教えてもらってから季節ごとにデザインの変わる葉書きを求めにお店を訪れています。 夏は「お昼寝している雷小僧」にはまり、今は「風呂敷から逃げ出すどんぐりたち」と「秋祭できつねのお面を買う子供たち(←でも、もしかしたらきつねの子かも^^)」の画のはがきが気に入っています。 「柿」というめずらしい名字の友人に「田舎家の前に柿が一個だけ実っている」画の葉書きの存在を教えてあげたところ、「親にもあげる」と言って、まとめ買いをしていました(笑)。蒲田の駅ビルにも入っているので便利。通販もできます。 先日、甥っ子の七五三があったので、七五三の意匠のお祝い袋も遣って喜ばれました^^ 皆様もぜひ、サイトを覗いてみてください☆ 透子さんと私(&ヒロ)からのおススメです^^ 実はその日の朝、透子さんとお会いする前に非常にめずらしい、というか空前絶後の夢を見ていたんです。 楓から熱烈なラブレターをもらう、といった内容の夢で(笑)、本当ならば楓が絶対に書かないような文章がめんめんとしたためてある手紙を、私が目をまんまるにしながらも、じーっくり読んでいるという…。 ここで内容をお話しするのもナンだとは思いますが、ちょっとだけ── 「おまえの記憶の中からおれが消えていくのがつらい」みたいな、ありえねーフレーズを目にしたような気がします。で、「うわ。そんなこと考えてんだ!」などと夢の中で強く思っている私がいて──笑。 そこで、透子さんにお会いするや、「楓からラブレターをもらった!」と報告すると、透子さん間髪を入れず、「最後までちゃんと読みました? 手紙の最後に『うそぴょーん』って書いてあるはずですから」とまるでヒロのような見解を述べてくださいました 楓ぇ! 透子さんに一本取られたな!!!(笑) 【お久しぶりの不思議図書館ラインナップですv】 ・長靴をはいた猫 ペロー ・まほうつかいのノナばあさん トミー・デ・パオラ ・かん太さまのいびき 松岡京子 ・はらぺこピエトリン 剣持寛子 ・アリの腰の細いわけ 藤井和泉 ・ボンジーヤ 今西祐行 ・はじめてのおつかい 筒井頼子 ・赤ちゃん盲導犬コメット 井口絵里 ・ぼくの赤ちゃん リンドグレーン ・まよなかのぼうけん デュマ ・オバケちゃんシリーズ 松谷みよ子 ・みみちゃんといもうと 貴志まり ・かえるのエルタ 中川李枝子 ・赤い目のドラゴン リンドグレーン ・どんぐりのぼうけん ヘスコフ ・こっちゃんときたきつね 高橋けん ・魔女学校の一年生 マーフィ ・おたまじゃくしの101ちゃん かこさとし ・森おばけ 中川李枝子 ごめんなさい; 最近パパが腕によりをかけてお弁当作ってますv ガンバッてチャーハンなどを作ってくれています^^ (でも特別な日は、やっぱりママが頑張る!) 11月17日、都バス見学の日は──都バスで飛ばすぜィ!おにぎりv 11月19日、透子さんありがとう! 今日は「お遊び会」だそうなので─レゴのピラフ弁当v 11月16日、26週1日、引き続き7ヵ月です。 前回の仏像系の思惟顔から一転、今回はお目めパチクリv ポーズを付けて、歯を見せて笑ってくれたので、一同ビックリ(笑) ◆応援ありがとうございます! 次回更新は12月1日(水)「会いたい人たち」バージョンが続いて嬉しいv ◆フリーページに【Pi:e:ta】第19節をアップしております。
2010年11月15日
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戻ってきてくれてありがとう。 皆様、楓祭においでいただき、本当にありがとうございました。 今回も楓がたくさんの仲間たちを連れてきてくれました。 皆様、楓の手を取っていただき、ありがとうございました。 そして楓、ありがとう。 【会いたい人たちに会えた日v】─RENOMA編─ 皆様、本日は透子さんのお誕生日ですv 透子さん、お誕生日おめでとうございます! 今日はどんな素敵な一日を過ごされるのかな── 楓祭の直前に透子さんとランチをしました。 透子さんのお誕生日ということで、今回はその時の逢瀬の模様について日記にしたかったのですが、字数制限に遭ってしまったので、あえなく予定変更ということで──ちょうど最近、ちょっと不思議な出来事があったので、オンタイムでお知らせしたいと思います。 透子さんの記事は次回の更新まで楽しみにお待ちください☆ 前回の更新のコメント欄に、ゆうじろうさんが「またまた今日も奇跡があったでしょう」と書いて下さっていますが、ゆうじろうさん、確かにありましたとも! ええと── あれは透子さんにお会いした数日後のこと。 大学に用事があった私は、みのりの下校に間に合うように、広尾から14時10分台の東横線直通の菊名行に乗ったんです。私は空いていた座席に座って、中目黒で乗り換えることなく最寄の駅に着きました。 改札を出ようとして、定期入れ(正確に言えばパスモが入ったケース)が見つからないことに気づきます。バッグなどを大捜索しましたが、どうしても見つかりません。 広尾駅はパスモで入ったので、改札を通過する時は確実にありました。でも、直通電車が来て、すぐに飛び乗って、座って──降りるまでの間、まさかすられたとも思えません。だとすれば、やはり落としてしまったのか… ともかく、見つからないものは見つからないので、降りる駅の駅員さんに事情を話し、「駅や電車内での落し物について」という紙をもらって、その日は仕方なく帰ってきました。 で、家に着いてから「落し物について」の紙をよくよく見てみると── 直通に乗った場合(ものすごくローカルな話題でごめんなさい;)その手続きがものすごく煩雑であることが判明! なぜならば、広尾~中目黒は地下鉄が管理している範囲で、中目黒からこちらがわは東急電鉄の範囲なのです。となると、どこで落としているのかすらわからない私のようなケースは、地下鉄と東急のどちらにも問い合わせをしなくてはならず、さらにそのどちらもから「○駅から○駅までの○曜日の落し物は、三日後にどこそこの駅に集められて、何日まで保管」とめちゃくちゃ細分化された規約を言われてしまうのです! つまり、今日、落し物をして、すぐに気づいて知らせても、三日後にならないとしかるべき場所に落し物が集まってこないというわけです。そして、「しかるべき場所」がどこなのか、誰も教えてくれない! なぜならば、落とした本人すら落とした場所がわからないからなのです。だから、落とし主が地道に各駅に問い合わせていかなければならない。でも、落し物が駅員さんに届けられていなかったら──もし警察に届いていた場合、警察が知らせてくることはないでしょう。普通、定期入れに自分の住所や電話番号を書いている人は少ないと思います。私も同じく、身元がわかるようなものは、その定期入れには入れていませんでした。 パスモはチャージしたばかりで5000円相当が入っていたことも痛かったのですが、それよりなにより、私が定期入れを血眼になって探そうとするのには、ある理由があって── これを話せば皆様納得していただけると思うのですが(ていうか怒られるかも;)、実は私は楓の定期入れを譲り渡してもらって、今も現役で使っているのです。もとはといえば、私が楓の誕生日にあげた定期入れでした。つまり、なくしたのは楓の定期入れなのです。 そんな大切なものを普段に使うなよ!と思うむきもあるかと思いますが、こと定期入れみたいな小品は、使わないとどんどん古ぼけていってしまうので、とにかく私はボロボロになるまで現役でいてもらおうと、これまで25年間使い続けてきました。不思議なことに、たいして高級品でもないその定期入れは、四半世紀経った今もそれほど傷んでおらず、あの頃と変わらない姿で私のそばにいつもいてくれたのです。 またまた実は…のお話なのですが、これまでにも私は楓の定期を失くしたことがあって、その時も方々手を尽くした結果、あきらめた頃に──つまり半年後に──失くした時のバッグと別のバッグの中からひょっこり出てきたことがあったりもしました。 なので、今回も「もう二度と会えないかも」とはまったく思わなかったのですが、いかんせん、提示された「落し物を探す方法」がややこし過ぎたので、途方に暮れていたことは確かです。 ともかく、途方に暮れていても仕方ないので目を上げてみると──夜の7時ちょっと前になっていました。東急線の総合案内は19時に終了と例の「落し物の紙」に書いてあるので、私はとにもかくにも総合案内にすがることにしました。 ダイヤルして事情を説明すると、「落し物係」に回していただくことができました。 電話口に出てきたのは優しそうな口調のお姉さんで、終了間際ぎりぎりの電話だったにも関わらず、親身になって定期入れの詳細について尋ねてくれました。私も、ブランドがRENOMAであること、茶色の皮でできていることなど、私しか知り得ない情報をのべつまくなしに説明しました。 PCの画面を見ているようであったお姉さんは、ひととおり私の話を聞き終えると、「では、該当する落し物のデータがあるかどうか、確認してみますのでお待ちくださいね」と言って保留ボタンを押したので、私はすがるような気持ちで受話器から流れる音楽を聞いていました。 しばらくして、「お待たせいたしました」と明るい声。「あったんだ!」と直感しながら、「ありがとうございます。いかがだったでしょうか」と聞くと、「それらしい定期入れがありました。では、内容物と照合しますので、お客様のお名前をお知らせください」と嬉しい返事が。でも──名前? こちらの名前を言って、照合できるのか。私はパスモは定期としてではなく無記名で使っているので、私の名前を特定するものは入っていないはずです。 と、そこまで考えて、突然頭の中で何かが閃きました。 楓です。楓の名前の入ったなにかがあるはず。身分証明書とか、写真とか。 「和崎楓です」うわー。あいつのフルネームを口にするのなんて初めてだよ。 私は咄嗟に答えました。すると、窓口のお姉さんは、 「和崎楓さんですね。確認が取れましたので、どうぞ取りにいらしてください。保管している駅は中目黒駅です。こちらから連絡をしておきますので、明日から三日以内に取りに行ってください」 私は小躍りしそうになりながら、それでも忘れずに聞き返しました。 「名前が書いてあるものが、なにか入っていましたか──」 「銀行カードが入っていました。そちらにそのお名前が入っていましたから」 「えっ! 銀行カードが入っていたんですか?」 「はい。銀行カードと、それから千円札と…」 「はい? 千円札が?」 なんだか身に覚えのないものばかりの話が出てきて、驚くたびに向こう様に不審に思われそうなので、「本当に大切なものだったので嬉しいです。ありがとうございました」と何度もお礼をして、受話器を置きました。 もちろん、翌日の朝っぱらから取りに行きましたとも!!! それにしても、直通電車に座っていて、わざわざ中目黒で落し物をするなんていうことは絶対にないはずなのですが…不思議に思いながらも、中目黒の駅員室に行って問い合わせると、 「届いていますよ」との返答。 一日ぶりの、あの懐かしい定期入れをすぐに手渡してくれました。 ちょっと突っ込んで尋ねてみたくなった私は、対応してくれた若い駅員さんに聞きました。 「私は2時台前半の東横線直通電車に乗っていたのですが、この定期入れがこちらに届いたのは何時でしたか?」 「ええと、確認してみますね…(台帳をペラペラめくって)…こちらに届けられたのは、昨日の3時半ですね」 「え、じゃあ、時間的におかしいですよね」 「そうですね…でも、2時台前半の直通ならば、菊名で折り返して中目黒に停まる時間がおよそ3時半になるかもしれません。菊名から折り返してきた電車に乗って、そこで落し物を見つけたお客様が、中目黒で降りたときに届けられたのかも──」 「車掌さんではなくて、お客さんが届けてくれたんですか」 「ええ。昨日の落し物は私が応対しましたから。この定期入れも私が預かりました」 「届けてくれた人はどんな人でしたか?」 純粋な興味にかられて、私は聞いてしまいました。 すると、駅員さんは答えました。 「中学生か、高校生くらいの子です」 「男の子?」 「男の子ですね」 「服はどんな感じでしたか」 「制服を着ていましたから」 どこの学校の制服だった!? と喉元から出ましたが、聞きませんでした。 そういうわけで、めでたく手元に戻った楓の定期。 中には写真と、第一勧業の銀行カード、古い千円札が一枚。 そして私の5000円がチャージされたパスモ。 で、銀行カードなんですがね…莫大な遺産とか入ってないよねコレ(笑)。 11月10日、今日は先日の動物園遠足のメンバーでお弁当ですって^^ そういうわけで、キリンさんのピラフv 11月9日、♪のおにぎり弁当♪♪ 11月8日、試験休みが明けて、お弁当の日々が戻ってきましたv みつばちが飛んでるピラフです♪ 10月19日、22週1日目。おかげさまで11月1日で24週、7ヵ月に入ります☆ 右手をあげて皆様にご挨拶しております。顔は…地蔵系??? ◆応援ありがとうございます! 次回更新は11月15日(月)です。 ◆フリーページに第18節を更新しております。
2010年10月29日
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──楓からの挑戦状── というか、ご先祖からの挑戦状といった方が正しいかも。 テストが早く終わった者の暇つぶしのために、ご先祖が出題したものです。 案の定、楓はたちどころに解いてしまって、「暇つぶしになりゃりねーのな」とニヤニヤしていました。 皆さんは、楓に勝てるかな! (後ほど、私にはよくわからない楓の解き方&答えを載せますので、ご確認くださいv) 皆様、本日は雨の中をこちらに遊びにいらして下さってありがとうございます☆ 25周年はこの人に担当してもらう! 【彼の遺した言葉】by Champion 「N店にはなんでもある」 おれはよく、楓が遺したこの言葉を思い出します。楓というのは、二十五年前に病に倒れた、おれの友達です。いわゆる、夭折でした。二十五年も前といえば、これを読んでくれている人の中には、まだ生まれていない人もいるんじゃないかな。 小学校三年の時に大怪我を負い、三学期の三ヶ月間を全部入院していたおれは、遅れを取り戻すために四年生になって塾に通い始めました。その塾には、おれのような半分障害を持った子や、病気を背負った子、不登校の子、外国人の子などなど、様々な事情のある子供たちが集まっていました。今から思えば、塾とは名ばかりで、当時はまだめずらしかった、ある種のスペース的な場所だったのかもしれません。その塾に、まとまりようのない面々を一声で動かすことのできる、強烈な個性を持った子がいました。ただ個性的なだけでなく、ものすごく頭のいい子で、今でいえば太田光のようなお笑い系の頭の切れ方も、小学生ですでに持ち合わせているという、おそろしいほどの魅力を持った子でした。女の子たちがからかい半分で言ってくる心理テストとかで「お風呂に入るとき、どこから洗う?」という質問に、「おれ? 風呂から洗う」とか切り返してみせたり、鮮やかなものでした。 よく笑い、よく怒る彼から最初の洗礼を受けたあの時のことを、今でも覚えています。当時は障害によってまだ視力が定まらず、字も読みにくかったおれにも、先生はわけへだてをすることなくテキストの音読を指名していました。それでつっかえつっかえ目を凝らして読むわけです。どんどん見えなくなっていって、恥ずかしくて不安で、とうとうおれは読み進めることができずに止まってしまいました。そのとき、なんともいえない張り詰めた雰囲気の中、あの声が聞こえたのです。「生じる、くらいが読めねーなんて、バッカじゃねーの!」。あたりは水を打ったように静まり返りました。ところが、その荒っぽい声を聞いた途端、おれの目の前にはありありと「生じる」という文字が見えたんです。これを励ましと言わずになんと言おう。本当にその人のことを思う言葉は、時に激しく挑戦的なものであることを、おれは彼から教えられました。 おれたちはみんなそんな彼に心酔していましたが、おれが彼と個人的に仲良くなったのは中学に入ってからでした。お互いの家に行き来して、中学生にしてはなんで好きだったのかわかんない、サディスティック・ミカバンドが二人ともお気に入りで、よく聞いたりしていました。彼のお父さんに連れられて、本郷の方に古本屋巡りに行ったとき、おなかがすいて三人でウナギ屋に入ったのを覚えています。ウナギを食べたあと、道を歩いていて急にトイレに行きたくなって、コンビニとかがなかったのでまたウナギ屋さんに戻ってトイレを借りたんです。彼は大笑いして、「おまえはウナギを食べると出るんだな」と言いました。不思議なことに、この妙なクセは今も変わりません。 さて、タイトルにあるN店というのは、うちの近所にある舶来品がおいてある小さな商店のことです。 おれは母親が身体が弱く、中学に入ってからはとくによく入院していたので、そのたびに楓に呼ばれて、彼の家で食事の世話になったりしていました。驚いたことに、楓はお笑いや勉強の他にもオールマイティな才能を持った子で、メインからデザートまで、中学生にしてなんでも作ることができました(おれが他の友達にそれを言うことは口止めされていましたが)。もちろん、彼のお母さんもとても料理の上手い人なのですが、おれが呼ばれるときは、いつも楓とおれとでふたりして夕食を作っていました。 楓の言う耳慣れない食材の名前をメモ書きし、N店まで使いに走らされた。街道沿いにある大型のスーパーに比べれば、あきらかに品揃えは劣る。それなのに、楓は「N店にはなんでもある」とくり返すのです。 初めは半信半疑でしたが、果たしてたいていのものは手に入りました。おれは、自信たっぷりな楓の横顔を見ながら、「だけどさ、なんでもあるってワケないだろ」といつも無言でツッコミを入れていました。 「オーブンは裏切らない」 これも楓の言葉です。時間と温度さえ守れば、オーブン料理は絶対に失敗しないもの、だそうです。そう言いながら、自分の家族とおれとおれの父、総勢5人分のチキンやミートローフなどを完璧に焼き上げていました。 おれはそれを聞くたび「故障したときは、裏切るだろ」と無言でツッコミを入れてた! けれど、そばにいたときは笑ったり、ツッコミを入れていた言葉の数々が、いざ楓がいなくなると、なぜか心に響くようになりました。 他の友達は楓のこういう言葉を知らないでしょう。その代わり、おれが知らない楓の何気ない一言を思い出にしている。どうしてみんなが違う言葉を思い出すのか不思議な気もしますが、たくさんの思い出の中から、無意識に胸に響いた言葉を拾い上げているのでしょう。 今、おれはN店で買い物をするとき、「楓の言うとおり、なんでもあるねぇ」と心の中で楓に話しかけます。探していたものがあると、「な、おれの言うとおりだろ」とあの自慢げな声が聞こえてくるような気がして嬉しくなります。 オーブンを使うとき、「ほんとうにオーブンは裏切らないなぁ」としみじみ思います。ふっくらと焼き上がったハンバーグを眺めていると、楓と一緒に出来映えをしげしげと覗き込んでいるような気がして、楽しくてつい笑顔で後ろを振り返ってしまいます。 楓の遺した言葉に、おれが今も命を吹き込んでいるのだと思う。それがおれの生きる力にもなっています。楓といい、おれの母といい、生前に口数の多かった人は、思い出すよすがも多くなるものなんですね。 生まれつき心臓が弱かった楓は、そのために飲まなければならない薬の量は、おれが見て知っているだけでも一日で百錠を超えていました。中学に入った頃には更にその量が多くなり、薬をどんぶりに入れて、おはしでつまんで「おひとついかが?」なんて冗談を言ってみたり。薬でお腹がいっぱいになってしまって、せっかく自分で丹精して作ったご飯も入らなくなっていったんです。そしてとうとうある秋の日、彼が明日を越せないという連絡が入り、みんな病院に駆けつけようとしました。ところが、彼のお兄さんが、わざわざおれのところにやってきて言いました。「おまえは来ない方がいい」。結局、おれだけ病院に行きませんでした。翌日は体育祭でした。おれは学校に行き、彼のことを考えてぼーっとしたまま過ごしました。彼はおれが苦しいときに、いつもそばにいて自分ができる精一杯のことをしてくれました。けれどもおれは、死の苦しみの中にある彼のそばにいることができない。そんな自分の勇気のなさをひたすら感じていました。学校から帰ると、彼のお兄さんが来ていいました。「楓が死んだよ」。 彼のお葬式は、キリスト教式で、とても大きなものでした。彼は中学生だというのに、たくさんの友人や、医療関係者の方々が集まりました。あまりに立派なその葬儀が、おれと彼とを隔てました。ミサの間、おれはずっとN店のことを思い出していました。 【魔方陣の解き方と正解】 わかりません。 【魔方陣の解き方と正解】 ひーたんが9時40発で出たいということはわかった(注:右端のメモ) 10月29日、おばけちゃんとむわむわむ~v (明日は午前授業です☆) 10月28日、ハロウィンもうすぐ弁当v 10月25日、ちょっとピンボケ…うさこのオムライス弁当v(ドミグラスソース付きv) 10月22日、くまじゃないよv 近所のまんまるわんこです^^ 10月21日、くり帽子のお友達おにぎりv ってそれはともかく── まずい!初めてお弁当を忘れていった; 現在、パパが学校に向かってます ↑ありがとうございました。ただ今、無事に職員室に乗り込んだそうです(笑)。 10月19日、月夜?のたぬきさん^^ 10月15日、お月見だんご弁当v (学校でなぜかお月見祭りがあるんです^^) 10月14日、みのむしの梅じゃこ弁当v (ちょっとちょっと! 楓のお祖父ちゃんがみのりっつーのはホントか!?) ◆応援ありがとうございます! 次回更新は10月29日(金)、透子さんのお誕生日ですv ◆フリーページに【Pi:e:ta】第17節をアップしております。
2010年10月10日
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東京国立博物館の特別展「誕生!中国文明」にて オットが紀元前のレシピを発掘し、 自らパティシエとなって現代に蘇らせたお菓子が 商品化されることに(笑)。 今後は巡回展として、福岡、奈良でお目にかかりますv ──なにをやっても食っていける男です── 【あの人に会いたい…】 透子さんに会いたい。 もう先週になるのかな。9月14日にランチデートをすることをお約束していたのですが、ギリギリにまでなってから、やはりどうしてもつわりが明けないということで、泣く泣く延期をお願いしてしまいました。もちろん、透子さんはお腹の子と私の体調を気遣ってくださって、快く延期を申し出てくださったのですが、私はこれまでの人生において、ほとんどドタキャンをしたことがない人間なので、なんだかすっかり恐縮しています; 実は17日の金曜日にも六本木のミシュラン一つ星レストラン、ル・ブルギニオンのランチに行く予定だったのですが、それもあえなくキャンセルに…二ヶ月も前に予約を取っていただいていたのに! 火曜日と金曜日のことで、申し訳なさと残念な気持ちで胸がいっぱいです;; そういうわけで、本日の日記は透子さんとのデートの詳細についてご報告させていただこうと意気込んでいたため、代わりになる内容をまったく用意していなかったので少々焦っているところです。楽しい出来事があったといえばあったのですが… 【アリエッティを観に行きましたv】 おそるおそる、外出してみました。先日保護者会にも出席できたので、そろそろ遠出してみようかなと──家族も一緒なら安心です。まだランチやディナーを楽しめないのがすこぶる口惜しい。おいしいお食事付きならば、どんなに楽しい休日になったことでしょう! で、アリエッティですが、ポニョよりは「?」マーク抜きで楽しめて、家族でまったりと観られました。小学二年生の娘にも、しっかりと追える内容です(笑)。 ジブリを愛するあまり、アリエッティにもいちゃもんをつけようと思えばずいぶん長くなってしまいそうなので、今は自重します。一言だけ言わせていただければ、血湧き肉踊るジブリの世界で育った世代としては、最近の作品は見終わった後の一抹の寂しさが払拭できません。 ネタバレになってしまうかもしれないのですが、原作では男の子は亡くなるんですよね。アリエッティの物語が誰かに伝えられた時には、すでに亡くなっている──と言った方が正確かもしれません。いずれにしても、男の子は天寿を全うすることはありませんでした。もちろん映画と原作は違いますが、男の子が亡くなることを前提としているからこその物語だったように思います。映画ではラストに期待を持たせているのですが…。 印象に残ったシーンもあったけれど、個人的な感想としては、『だれも知らない小さな国』の世界観の方が好きです。小人たちは普通にしゃべっていたとしても、人間には聞き取れないくらいの小さな声で、しかも高速でしゃべるはず…佐藤さとるの世界にどっぷりとひたった、かつての読書少女は強く思うのでした。 映画を観た翌日、みのりの日記をこっそりと読むと──小さな詩が書きつけてありました。 きのう、小人が出てくるえい画を、家ぞくで見た 小さな女の子と お父さん お母さんが ゆか下にすんでいて 人間のものをかりてくらしている きょう、わたしは朝早くおきて れいぞうこをあけたり 一人で本を読んだり お父さまをこっそりおこしに行ったりした この家の中では わたしが小人みたいだな と思った 【小さな人といえば…】 むむむ、足の間のふたつの影──葉っぱのようなものが^^ 昨日、9月21日、健診に行ってまいりましたv 18週、五ヶ月になっています。おかげさまであと二週で六ヶ月になります。 そして小さなニュース! 皆様、私の中の小さな人は、女の子かもしれません 昨日は真正面からエコーに映ってくれて──これを見るかぎり、ばっちり女の子っぽいような気がするのですが、皆様いかがでしょうか!? 男のコのを見たことがないから、わかんないけど…笑; 【ビンゴに当たりまくりましたv】 そうそう! 楽しい出来事といえば── 皆様、突然ですが、ビンゴゲームを楽しまれたことはありますか☆ 今は結婚式の二次会の余興などで行われることが多いのかな^^ さて、9月11日の土曜日は、私の母校のOG祭があって、私は兼ねてから(つまり妊娠前から)ビンゴの係に命じられていたので、その前の週から商品の仕分けなどの作業に追われていました。つわりだ、つわりだと騒いではいるのですが、何も食べなければ何事も起こらないので(笑)、メンバーに助けられつつ、食事は断食を決め込んで作業に勤しんでおりました。 そして当日、午前、午後のビンゴゲームにおいて、各ステージ120名が参加するという盛況のうちに開催されました。 我が母校のOG祭のビンゴは、一等が当たる度に、前後賞ならぬ 「一等が出た人と同じテーブルの人みんなに当たるテーブル賞」と 「一等が出た人が座っていたテーブルの色と同じ色のテーブルに座っていた人に当たるカラー賞」さらに 「一等が座っていた席と同じ列の人みんなに当たる列賞」 という三点の「しあわせのおすそ分け賞」が設けられており、それに全員もらえる参加賞、これだけ当たる確率を高くしているのにそれでも当たらなかった人のための残念賞も加わって、毎回大盤振る舞いとなるのです。 裏方でせっせと賞品の指令を出す私のことを応援するために、オット&みのりも前の方の席に陣取って、午前、午後のビンゴに参加していました。 そしたらなんと! いきなりオットが一等の「グランドハイアット東京のペアお食事券」を当てた!!! このお食事券、すごく優れもので、グランドハイアットのすべてのレストランにて、スペシャルコースディナーの選択が可能とのこと☆ グランドハイアットにはミシュランの星付きのレストランも入っているので、仕分け作業の時から「これいいね~」と作業員全員で話していたものです。オットよ、よくやった! よくやったぞ!!! グランドハイアット東京のレストランお食事券v みのりがスタンディングビンゴで当てた二等の商品券v これは列賞のお味噌v みのりが午後のお子様限定ビンゴで当てた2等のコクヨワミーキラキラDX。 オットが午後に当てた3等のゴディバのアソートv これはテーブル賞の王様のラスク詰め合わせv カラー賞の源吉兆庵 陸乃宝珠v 参加賞 グリンベル デューミラン シャンプー2500円 いいお値段のシャンプーだけど、これまで耳にしたことがない名前… でも実際に使ってみると、すごく満足! 使い終わったらリピートしたいけど、 どこで手に入れればいいんだ──笑 さて、みのりが当てた「スタンディングビンゴ」ですが、皆様はルールをご存じですか☆ スタンディングビンゴとは、「一番運の悪い人を決めるビンゴ」です^^ つまり、参加者全員に立っていただき、読み上げられたナンバーが自分のビンゴ板にあった場合は座る、なかった場合はセーフで、そのまま立ってゲームを続けるというビンゴです☆ 私ってビンゴが当たらないのよね~というジンクスを持つ人に、特に参加をおススメしたいビンゴですv 今回のビンゴの賞品は、すべて企業のご協力により実現し、収益はハイチ地震の復興に全額寄付することになりました。とはいえ、なんだか…1000円の参加費の元が取れてしまって、いや、元が取れたどころか──という感じで、オットとみのりが持ち帰ったものを見て、お腹の子じゃないけれど、自分のアタマをポリポリ掻きたいような気持ち; 皆様にもこれらの賞品をおすそ分けしたいのですが、どうすればいいんだろう! 今日10月4日はみのりのお誕生日ですv 実は新学期に入ってから、パパが作っていたお弁当…^^ プレッシャーになるから、写真は載せないでおりました; 明日は遠足だから、なんとかしてママが作ってあげたいな 10月5日、今日は動物園に遠足日和v きりんの花子と仲間たち弁当^^ 10月7日、どんぐりんのおいなりさん弁当v(一日おきになる予感が…) 10月8日、クリ坊のおにぎり弁当^^ 今日は遠足のメンバーの打ち上げランチらしい(←詳細不明) それじゃ頑張って秋のお弁当、作って上げなきゃね☆ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は10月10日(日)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第16節をアップしております。
2010年09月22日
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おかげさまで15週目に入りました☆ 夏休みの最後の日、ふたたび家族で健診に行ってきました。 赤ちゃんは16cm。頭の大きさは3cm。 4ヶ月までは月数の二乗が身長と同じ換算になるそうです。 5ヶ月以降は月数×5=身長になるとか。 手足も長くなって、しきりに頭をかいていました(笑) 背骨もアバラも胃袋も見えて一安心。 男の子か女の子かは、まだわかりません。 男の子かと思ったら「それはへその緒の影!」とのことでした^^ 【たった一日の夏休み】 皆様、夏休みが終わっていきましたね。いかがお過ごしでしょうか。 夏の宿題の思い出といえば、あのいまいましい絵日記がすぐに浮かんできますが、アレは今現在でも各小学校で執り行われているのでしょうか。娘の小学校はありがたいことの絵日記の宿題は「五枚まで」と明記されているので、子でなくても本当に助かった!という思いがしています。 青木の連中の絵日記対策について思い返すに、 パターン1:「先生。おれ夏休み中入院していたので、絵日記、書けませんでした…うるっ」とコロシ文句を言って毎年逃げるやつ。 パターン2:絵日記のことなどすっかり忘れていたクセに、「先生。おれ、ニホンゴ書けへん」と、その場でもっともな理由をくり出すちゃっかりボーイ。 パターン3:夏休みが始まるやいなや、夏のすべての予想図を完璧な絵日記に仕立て上げ、8月は自由に生きる男。 パターン4:絵日記、自由研究の類はぜ~んぶママゴンにやってもらう。 パターン5:絵日記のかわりといってはナンですが、毎朝写経をしますね。 パターン6:毎日、きちんと絵日記を書きます。 皆様は上記のどのパターンに当てはまったでしょうか^^ さて、今年の夏休みはわたくし事ながら「つわり」の真っ最中だったので、いつもの南の島にも行けず、みのりには淋しい思いをさせてしまったかもしれません。 でも、みのりの小学校のお友達が、送り迎え付きでいろいろなところに連れ出してくださったこともあり、本当に助けられた夏休みでもありました。 それでもひとつくらいは家族で思い出を作ろうということになり、苦肉の策で都内のホテルに一泊することになりました。 これにあたり、「都内のホテル在住(笑)」のヒロにいろいろとリサーチしてみると、とにかくのんびりしたいなら、シェラトン都ホテルのシーリー社最高級ブランド「スターンズ&フォスター」のキングサイズベッドがおススメだという、こちらが思ってもみない観点からのサゼッションをもらいました。五つ星あたりを提案してくると思ったのに、足元見られたか(笑)。 で、ともかく都ホテルを調べてみると、夏休み中は「ファミリープラン」も開催していて、それによるとディナーをお部屋でとることができるそうな。何度もくり返して恐縮ですが、つわりの真っ最中でディナー中にもどうなるかわからない体調の私としては、願ってもないプランです。 そういうわけで、迷わず宿泊先はシェラトン都ホテルに決定! みのりの学校からも近いので、彼女にとっては勝手知ったる通学路らへん(笑)というロケーションも良し、夜には学校探検もできそうです^^ そして、先週末、最後の夏休みの思い出作りに、さっそく行ってまいりましたv ん~ん、いい眺めだねぇ(←ここんとこ森本レオ風) 私、本当に携帯の写真がヘタで申し訳ないのですが、お部屋の窓からは東京タワーやお台場のフジテレビ、羽田に行き交う飛行機などが眺望できました。横浜の実家のリビングからも、東京タワーや新宿副都心が眺め下ろせたため、私はかなりの夜景フリークです。今の自宅からは都心の夜景が望めないため、都ホテルのこのお部屋の眺望はとても気に入りました。 みのり&パパがホテル内のプールに行っている間に、私は同じくホテルの中の美容室でカット&ブロー。まるで舞雪子ちゃんのような午後を過ごしてしまいました(笑)。美容室でちょっと疲れても、お部屋に戻ってベッドに寝転がればいいだけなので、つわりの身には本当にラク。 プール大騒ぎ隊が帰ってくるのを待って、お部屋でディナーです☆ ファミリープランなので、ピラフやエビフライ、ハンバーグなど、お子様ランチ風の取り合わせですが、さすが都ホテル、どれも手を抜いていないお味がしました。 ディナーのメニューはこちら: ・チキンのソテー バーベキューソース ・海老フライ タルタルソース ・ハンバーグステーキ 照り焼きソース ・小エビのピラフ ナシゴレン風 ・夏野菜とフライドポテト ・シーザーサラダ(ツナ・チーズ・オリーブ入り) シーザードレッシング添え ・天然酵母パン 発酵バター添え ・ティラミスとフルーツ ・赤ワイン(ハーフボトル)←カベルネ・ソービニョンだった ・オレンジジュース(デカンタ) 都ホテルはみのりの保護者会の後のランチなどでよく使うのですが、どのレストランもとてもおいしいという印象があります。 これは1月のチーフの披露宴でも心底感じたことでした。実はチーフの披露宴で、こちらの都ホテルのお心尽くしのフレンチをいただいたのですが、これまで出席した披露宴の中でも群を抜く印象で賞味させていただいたことを、今も鮮明に思い出します。 ちなみに、ランチにおススメなのは、中華レストラン「四川」。担々麺や酸辛湯麺もおススメですが、私のイチオシは「雪菜肉糸麺」ですv それから、同じく都ホテル内にある日本料理大和屋三玄のカニクリームコロッケがおススメ! 夏に頑張った真珠さんにプレゼントしてあげたい、北方さんもおススメの、まさに逸品です。 そして、ディナーの後は夜のお散歩へ── 夜の校門(笑)。いちおう証拠写真にv そしてこれがヒロ絶賛! ナントカ社製(←うろ覚え)のキングサイズのベッドだ!!! 実際に体験してみると──そう、なんというか、確かに初めての寝心地。 ひとことで言うと、「いつ寝たのかわかんない」くらい快適な睡眠導入を得られました。 私は寝つきが悪いわけではないけれど、やはり初めての場所だと少なくとも30分くらいは「あーでもない、こーでもない」とイロイロ物思いにふけるわけです。でも、今回のベッドに横たわるや、気がつけば朝だった! 夜景を楽しもうと思ってカーテンも開け放したままだったので、都会のビルから昇るご来光が眩しくて目が覚めた…笑。 このベッド、オットみたいな「どこでも三秒寝」のヒトにはもったいないぜ さて、快適な睡眠の後は、朝食のレストランへ── どこにしようか迷ったのですが、ホテルマンに「お子様におススメです」と言われた通り、ビュッフェスタイルのブランチを楽しむことにしました。 イタリアのチーズや生ハムはもちろん、中華のお粥や点心、コーンスープもあって嬉しい! オムレツなどに添えられるケチャップに至るまで、既製品ではなくレストラン特製であるのがよくわかるフレッシュなお味です。それはケチャップというよりも、まるでボロネーゼ・ソースみたいv 個室風のお部屋に案内していただいたので、家族水入らずでゆっくりできました。 また、最近はテレビなどでよく特集されていますが、中国からの客人も多かったです☆ やはり中華コーナーが人気なのかと思いきや、皆さんお粥などには見向きもせず、トーストができるパン・デニッシュコーナーの方に漢語の人だかりが! パンケーキも人気でした^^ 思うに、デニッシュなどのパイ類も中華の点心に数えられるわけだし、しかもそれがホテルメイドでおいしいとなれば、何個でもいただきたくなるもわかります。それにしても、みんながみんな、大きなお皿に積み重ねては、何度も往復するくらいに気に入ったようです! 朝食の後は12時のチェックアウトまでみのりとパパはふたたびプールへv 私はお部屋に戻ってゆっくりと朝寝zzz 昨夜同様、いつ寝入ったかわからない快適な睡眠で──目が覚めたら11時45分! みのりたちは11時55分に帰ってきやがった!!! いやはや、ヒロおススメのベッドは本当に実力があった。 ベッドにはひとりにつき枕が三つ置いてあるのですが、例えばベッドに寄りかかったままテレビを見るとなれば、一度枕に預けた身体をちょっとも動かさないで、何時間でもちょうどいい角度でテレビを見ることができるのです。しかも、そのまま身体を動かすことなく、すーっと眠りに就くことができる。これが凄いんです。 深い眠りの後に目覚めた後も、倦怠感は微塵もなく、身体の凝りもまったく残りません。 こんなに快適なベッドを提供するホテルをどうして定宿にしないのか! 疑問をヒロにぶつけてみると、 「だって建物が古いから、壁が薄いんだもん」 との返事が戻ってきました。 これに対して即座にツッコめなかった私をお許し下さい コンラッドのベッドにも置いてあるという──憧れのグッズももらえました☆ 皆様の夏休みは素晴らしく充実していたこととお喜び申し上げます。 さあ! 新学期が出発しました! 乗り遅れないで、行くよーっ!!! ◆応援ありがとうございます! 次回更新は9月15日(水)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第15節をアップしております。
2010年09月01日
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これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和を築くための 【世田谷平和美術展】 私たち日本人は、8月に限らず、いつも先の戦争について思いを巡らすべきだと思うのです。そのよすがとなる時節はたくさんあります。12月の開戦の日、3月の東京大空襲の日、5月の沖縄占領の日、硫黄島玉砕、南方戦線壊滅、そしてそれぞれの地域の空襲の日── ただし、日本が敗戦した8月15日にとくに戦争について考えることは、決して無益なことではないでしょう。 実は私はまだ、みのりに「戦争」という事実があること自体を教えていません。 みのりが幼稚園の頃、まだ幼いうちに戦争の事実を伝えようと、沖縄の南部戦跡に向かおうとして──車を運転していたオットの方が、ある一定の地域に入った途端に「うわ。ここからは…よう行かれん」という事態にみまわれ、あえなく断念、という事件があってからというもの、子供に戦争を伝える機会を逃してしまっていたのです。 「ちいちゃんの影おくり」や「ガラスのうさぎ」「うしろの正面だあれ」など、子供向けの戦争の本もありますが、戦争に関してだけは、やはり絵本を読むだけでは理解が及ばないと思うのです。子供の心の中には「戦争」という概念すらないからです。 「戦争を知らない」ということは素晴らしいことですが、私たち戦争を知らない子供が身近なおじいちゃんおばあちゃんから「日本が戦争をした」ことを知ったように、わが子の世代もいつか「太平洋戦争」について知ることになるでしょう。ですが、その時には実際に戦争を体験した「おじいちゃん、おばあちゃん」から事実を聞くことのできる子供は、さらに少なくなっているはずです。「戦争を知らない子供たち」が、さらに「戦争をしらない子供たち」に事実を伝えていく難しさを、私たちは身をもって知ることになる世代に当たっているのだと思います。 こうした中で、私のチーフこと青葵さんが大きなきっかけを下さることになりました。 8月10日(火)から15日(日)まで世田谷美術館区民ギャラリーA室で開催されております「世田谷平和美術展」に青葵さんの連鶴の作品が出品されることになりました。 青葵さんによりますと、この美術展に出展することになったきっかけは、まさに「ご縁」そのものだったそうなのです。 青葵さんは今年の1月9日にご結婚されました。披露宴のお席にあった連鶴を、私は今でも大切に飾っているのですが、その会場には青葵さんお手作りのさらに大きな連鶴がテーブルに飾られていました。桃色の布の上に飾られてあったのですが、その布は、青葵さんが前日までいろいろと悩んだ結果、最終的に「これ!」と思って選んだものだったそうです。青葵さんのお母様の知り合いの織作家さんのもの、ということもあり、結婚式の日に更に暖かさをそえてくれるのでは、とお考えになってのことと伺っております。 そして、式の後、青葵さんのお母様がその織作家さんに、当日の写真をお送りしてお礼を申し上げたところ、その方が、鶴にとても興味を持ってくださったそうなのです。 和田薫子さんという方なのですが、その方は毎年この「世田谷平和美術展」に出展なさっていて、たまたま今年の事務局打ち合わせの時にその写真を持っていき、事務の方に見せたところ、「今年は、同時開催で『サダコと折り鶴』ポスター展もあるので、鶴も展示してはどうか」と事務局の方が話し合って下さったそうなのです。 そして、最初は、和田さんの織りの展示の一部にちょっとだけ置かせていただく、という予定だったのですが、和田さんから「お一人で一つコーナーをお持ちになってはいかが?」とご提案いただき、今回の出展の運びとなったと伺いました。 青葵さんはこの一連の出来事に、心底からご縁をお感じになっていらっしゃいます。 結婚式の時に、和田さんの布を使わなかったら。 今年の平和美術展の同時開催が『サダコと折り鶴』の企画ではなかったら──でも実際は、青葵さんは和田さんの布を選ばれ、平和美術展の企画は「折鶴」に関連したものでした。 きっと「原爆の子」のモデルとなった佐々木禎子さんが、どんなにか平和を皆様に祈ってもらいたいと思い、引き寄せたご縁だったのでしょう。 「原爆の子の像」といえば、こちらの日記のどこかに書いたかもしれませんが、聖マグダレナ女子学院の修学旅行先が広島と津和野だったため、行きの新幹線の中で沈黙しながらみんなで千羽鶴を折ったことがありました。出来上がった千羽鶴は、広島の原爆の子の像の前に捧げられました。禎子ちゃんの物語は小学生の頃に読んでいました。一緒に目を通していた私の母が「禎子さんとママは、同い年なんだわ」と言ったことが心に残っています。高校三年生でこの像を目の当たりにして、禎子ちゃんが生きていれば、ちょうど私たちくらいに成長した娘がいて、しあわせに暮らしていたはずなのだと胸がいっぱいになってしまいました。 青葵さんはおっしゃいます。 「これはなにか、平和への祈りを、私の小さな手の中から少しでも広げていきなさい、というお告げなのかしら、と思っております。この展示会は事務局の皆さまも本当にボランティアでやっていらして、新参の私としては、皆さまの平和に向ける思いにただ頭が下がるばかりです。そういう皆さまの展示に、多くの方に触れていただけたら、小さな動きでもまた少しずつ平和への願いが広がっていくことでしょう」 青葵さんは私の大学の同級生で、同じサークルで活躍なさった方です。そして、みのりの大先輩でもいらっしゃいます。大手広告会社のキャリアでありながら、ビーズ細工、書道、折り紙のプロであり、おせち料理もすべて手作りなさるというスーパーウーマンでいらっしゃいます。青葵さんのHNは家紋からお取りになっていらっしゃることからもわかるように、伝統の美をそのお姿からかもし出されている方です。 青葵さんの作品に触れるだけでも、私たちは心が洗われたような心地になることでしょう。 青葵さんの祈りを、禎子ちゃんの願いを、私たちもしっかりと受け止める夏にしたいです。 平和について、難しく考える必要はありません。マザーテレサも言っています。「平和はあなたがたの家庭からはじまる」と。 そして善き家庭に育まれた私たちの次の世代が、いつの世にあっても核兵器の前に折鶴を掲げて立ちはだかることができるように── 最後に、これはチャンピの体験なのですが、ぜひ皆様にご紹介したいお話です。 戦争と平和に関する番組で、チャンピがある特攻隊員の声を当てることになりました。知覧から飛び立つ前日に、若い父親が一歳になる娘に宛てた手紙を読む、というものです。 「素子へ 素子は御父様の顔を見てようく笑いましたよ。父の腕の中で眠りもしました。お父様はおうちを出るとき、素子の大好きなお人形をひとつ、戴いてきました。明日は御父様の乗る飛行機に、そのお人形も乗せていきます。ですから、素子と御父様はこれからもいつも一緒、ということです」 この手紙をOKが出るまで読み上げる作業は、頭がおかしくなるかと思うくらいつらいものだったと言っていました。収録が終わってしばらくしても、この手紙のことが頭から離れないでいると、ある不思議な出会いに恵まれたと言います。 それからしばらく経ったある日、チャンピが田舎の旧家を訪ねる用事があって赴くと、その家のご主人は学徒出陣で硫黄島にぎりぎりまでとどまった方だったのです。しかも、その碁仇として紹介された段々畑でじゃがいもを作っていたおじいさんはなんと、終戦の折、知覧の海軍の特攻隊にいたというのです。 「じゃ、じゃあ、植村眞久さんを知ってますか」 「知ってるもなんも。植村隊長だろ。だがあちらは帝大出身の将校さん、話しかけるなんてとてもとても。終戦直前、二十五歳の若さで部隊を率先して出撃されて…そういえばあんた、植村隊長に年格好が似てるの。とくに声がそっくりだ。隊長のことを切り出すくらいだから、親戚かなにかか」 「親戚とかではないんですけど…ちょっとご縁があって…」 「それより兄さん、その声でわしをモリモトと呼んでくれんかな」 チャンピが「久しぶりだな、モリモト」と声をかけると、おじいさんは両手で顔をおおってむせび泣きました。嗚咽の下から「隊長、御苦労様でございました」という言葉が何度も漏れました。 そのおじいさんとの会話は、それからずっと続きました。夏の初め、なんだか不思議な一日だったと、チャンピは言います。でも家に帰ったとき、なにかに癒されたかのように気持ちが持ち直っていたそうです。ご縁を結んでくれた植村隊長に感謝をしていると言っていました。 終戦のとき一歳ならば、植村隊長の一人娘の素子さんは、やはりチャンピや私の母と同い年です。その後幸せにお暮らしでしょうか── ◆応援ありがとうございます! 次回更新は9月1日(水)です。ひえー、もう学校が始まってまう~(←英弁) ◆フリーページに【Pi:e:ta】第14節をアップしております。
2010年08月14日
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7月20日、家族で健診に行きましたv 【小夜子による保健体育の時間^^】 興味ない方には世界で一番興味ないであろう「胎児」についての話題です。 実は私も自分の子供が生まれる前までは、「妊娠」やら「育児」のカテゴリーについては、まったく無関心でした。とくに妊娠に関しては、大人になってからしばらく経っても、「危険日」とは「セイリの最後の日から数えて14日目前後」だとばかり思っていたわけで、なにかの折にみんなで(まじめに)そういう話をしていたら、ヒロに「えっ! 危険日ってセイリが始まった日から数えて14日目あたりのことをいうんだよ!」と指摘されて、「えええーっ!!! そんな大事なコト早く言えよーっ!!!」とヒロの胸ぐらをつかんでしまったことがありました。ヒロにとっては、とんだとばっちりだったわけですが(笑)。そういえば、以前どこかで松丸が「中坊のとき、たっちゃんが危険日について聞きまわっているとなりで、ヒロはかなりの知識人だった」みたいなことを書いていましたっけ^^ 「危険日」のお話はともかくとして、「妊娠」「育児」については、皆様の将来にご自分の身やパートナーの身に高い確率で起こり得る出来事といえるでしょう。そこで、私のささやかな体験をこの場を借りてお話しさせていただければ、とても嬉しいです☆ また、これからご紹介させていただく出生の過程は、実は私たち誰もが通ってきた姿でもあります。私たちの最期の時の姿は、それぞれ皆違っていることでしょう。けれども、発生の時の姿は誰もが等しく同じです。私たちは皆、1mmの受精卵から発生し、一週間かけて卵管を通って子宮に着床し、8mmになり、2cmになり──10ヶ月後には50cmにもなって生まれてきたのです。 さて、はじめに、もしかして妊娠!?と思ったら、なぜ早めに産科を受診したほうがいいのでしょうか。今は簡単に調べられる妊娠検査薬が薬局で売られています。検査の結果、陽性の場合は100%妊娠していると確定できます。けれども、子宮に着床せずに卵管で着床してしまう子宮外妊娠の場合や、受精はしたけれど受精卵が育たなくて流産をしている場合も、同様に検査薬のみの判定では陽性として出てきてしまいます。子宮外妊娠も流産も、時間が経てば経つほど母体に大きなダメージを与えることになってしまうので、検査薬で陽性が出た場合はすぐにでも産科に行ったほうがいいのです。 さて、妊娠週数は最終月経の開始日を0週0日として数え、0~3週が妊娠一ヶ月、4~7週が妊娠二ヶ月です。最終月経初日から約二週間目に排卵、受精が起こり、この時にはすでに妊娠二週と考えます。ゆえに、妊娠0週と妊娠一週は妊娠していない期間なのです。妊娠二週目の受精後、さらに一週間をかけて受精卵は無事に子宮内膜に着床し、妊娠が成立します。これが妊娠三週目ということになります。つまり、予定月経が一週間ほど来なくて、妊娠に気づいたときには早くて妊娠5週、妊娠二ヶ月になっています。受精から266日の期間を経て、赤ちゃんは誕生します。今、私は8月1日現在で11週0日となっているので、妊娠三ヶ月の最終週を迎えたことになります。来週は12週になり、四ヶ月目に入ります。 これは6月29日、初診の際の画面です。妊娠6週2日目の様子です。 子宮に2cmほどの穴があいています。これが受精卵を包んでいる袋(胎嚢)です。これが映像で見えれば子宮外妊娠の心配はありません。赤ちゃんの原型である胎芽も、よく見るとうっすら映っているのがわかります。胎芽はまだ8mmほどの大きさしかありませんが、この影が見えることで流産の危険も回避されていることがわかります。胎嚢は見えても、胎芽がいつまでたっても見えないことがあります。そのときは、赤ちゃんの姿が見えるまで少し心配ということになります。 これは一週間後の7月6日の映像です。7週1日目です。 胎嚢もひとまわり大きくなり、胎芽もはっきりと写るようになりました。頭と胴体が離れているようにも見えますが、上の小さな○は卵黄嚢といって、いわゆる「たまごの黄身」に当たるものです。俗に「天使の輪」とも呼ばれています。そして下に写っている落花生のようなかたちが、胎芽ちゃんです。胎芽は胎盤やへその緒から栄養を受けるまでは、この卵黄嚢から栄養をもらいます。 胎芽は2cmに成長しています。一週間で二倍になったのです。 超音波検査では、落花生のくびれのような部分が、うっすらとパコパコしているのがわかります。心臓の拍動です。拍動が見えれば、また一安心ということになります。拍動が確認されれば、検診は一週間に一度から、二週に一度のペースになります。 4~7週では、脳や脊髄の神経細胞のおよそ80%がこの時期に作られ、目や耳の視神経、聴神経、脳が急速に発達します。心臓、肝臓、腎臓、胃などの臓器の分化も始まります。4~7週は器官形成期といい、最も重要な時期なのです。 子宮はふだんの鶏卵大からレモン大の大きさになりますが、外見上、おなかの大きさに変化はありません。胎児の爆発的な成長エネルギーによるものなのか、7週頃から「つわり」が始まります。12週以降、胎盤の完成とともに、次第につわりの状態はおさまっていきます。 そして、冒頭にもあげたこちらの映像は7月20日のものです。9週1日になりました。 妊娠8週から、いよいよ「胎児」と呼ばれるようになります。妊娠7週目までに人間としての姿を整え、大半の体の機能を整えた赤ちゃんの様子です。たった二週間で、手から足から生やしてきたのが見て取れます。これからの毎日は、8ヶ月後に母体から離れてひとりで生きていくための訓練期間です。 胎児ちゃんの下方から、細い線状のものが上がってきているのがご覧になれますでしょうか。 これがへその緒になる血管束です。 血液循環が始まり、心臓の拍動はかなりしっかりしてきて、超音波に乗せると一分間に140回もドックドックと打っているのが聞こえます。 子宮は握りこぶしくらい、オレンジ大になっています。下腹部に手を当てると、なんとなくふっくらと感じるようになります。胎児ちゃんの身長は二週間前の二倍、4cmになりました。映像では、ちょこちょこ身体を動かしている元気な様子が見えました。 8月6日の画像です。11週4日になりました。 画像の左端に規則正しく並ぶ白い点々の目印は、ひと目盛りごとが1cmを表しています。これによって、だいたいの胎児の大きさが測れるというわけです。胎児もだいぶ大きくなって、肩ができてきたのが見えます。こんなに小さいのに、肩まで揃えているのですね。身長は三週間前のおよそ倍。8センチになりました。 胎児の成長に問題はないにしろ、今回の健診で少し不安な指摘が。 前回の血液検査の結果によると、ちょうど三週間前に「風疹」に再感染した可能性があるとのこと。私は鳥取時代の小学三年生の折に風疹の感染歴があることと、中学時代にさらに予防接種をした履歴が残っていることを言うと、「感染したことがあるならば問題ないでしょう」という太鼓判を押していただきました。 風疹の感染で胎児に生涯の発生する率が問題となるのは、妊娠20週までの間です。この時期に母体が風疹に罹患した場合、胎児にもウイルスが感染し、心臓奇形などの先天性風疹症候群という障害を持った赤ちゃんが生まれてくることがあります。妊娠8週ごろでは50%に重度の異常が出るというデータもあります。私の風疹抗体価が「High」の数値に上がったのは9週目なので、ちょっとひやっとしましたが、小さい頃に罹患していることと、予防接種も済んでいるということで、たまたま巷にある風疹のウイルスと接触することがあって、それで抗体価だけが上がったのだろうという見解になりました。 私の身に思いがけず心配ごとが持ち上がったこともあり、妊娠中の感染症については、また別の日記で詳しく書かせていただければと思います。妊娠を控える女性にとって、とてもとても大切なことだからです。 さて、妊娠21週までに、なんらかの理由で妊娠が中断してしまうことを流産といいます。そのほとんどは妊娠初期といわれる12週くらいまでに起こっています。また、胎盤が完成する15週を過ぎると、流産の可能性はぐっと少なくなります。私の場合、15週を通過するまでには、あと一ヶ月以上あります。日常生活に臆病になることはありませんが、この時期はちょっと慎重に過ごした方がいいのかもしれません。 ちなみに、母子手帳は担当の先生から「もらってきてください」との指令が出てから、各自治体の出張所などに受け取りに行きます。ハンコも身分証明書も要らないので、手軽にもらえます。しかも、妊婦自身がもらいに行かなくても大丈夫なのです。我が家は一家をあげてもらいに行きましたが(笑)。母子手帳は各自治体でデザインが違うので、それもとても楽しみ^^ みのりの時はキャラクターではない図柄でしたが、今回いただいた母子手帳はミッフィーの表紙でした☆ 嬉しい♪ ご心配をおかけしている「ザ・つわり」ですが── つわりは妊娠に気づく頃から大半のママが経験し、胎盤が完成した後の妊娠16週前後まで続くといわれています。私にとってはあと一ヶ月も先のことになるけれど…いま最も自分の感情としっくりくる平原綾香の「Jupiter」をBGMに頑張っています!(透子さん☆ まねっこさせてください^^) 今はとにかくおいしいものをおいしく食べたい。そんなつわり明けの日を夢見て、毎日毎日、TVでお料理番組ばかり見て過ごしています(笑)。料理番組の特集がないと、3分間クッキングでもいいから料理の映像を見たい!と思ってしまうくらいにハマってます^^ みのりの時は「スプラッタ映画」だったんです; もうあんな映像、二度と見る気もありませんが…こんなおどろおどろしいモノ見たがるなんて、いったいどんな子が生まれてくるのだろうと思っていましたが、生まれてきたのはとってもおっとりとした、おとなしい気質の女の子でした(笑)。「つわり」って不思議ですね;; 皆様の応援が胸にしみます。きっと元気な子を産んで、ご恩に報いたいと思います。 いつかヒロのように「武勇伝」としてこの状況を綴れる日がくるのだろうか(笑)。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は8月15日(日)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第13節をアップしております。
2010年08月01日
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これはみのり誕生の瞬間の写真ですv 印象派の一幅の絵みたいでしょ(←親ばか) 【赤ちゃんができたみたいです】 みなさまーっ!!! 「おそるべし」とは長兄の口グセなのですが、まさに「長兄おそるべし」。 長兄ンとこが生まれると、ウチに赤ちゃんができる、というジンクスがまたもや現実となりました。 まだまだ安定した状態とはいえないのですが、皆様にはお知らせをしたくてこの日記を書いております。私もすでに38歳。第二子とはいえ、高齢出産の年齢に突入しております。今後どのような経過になっていくのかドキドキですが、無事に成長してくれるよう、どうかお祈りをお願い致します。 みのり誕生から七年もの時間を経て、なにがきっかけになったかといえば── 普段からおちゃらけ人生を驀進している長兄が、あるとき急に真顔になって、 「小夜。長い人生だ。もうひとり子供を産んで、もう一度苦労してみようや」 以来、この言葉がずっと胸に引っかかっていたのです。 みのりが小学校に上がり、子育てもひとつステージが上がった今、我が家は本当に安泰であるといえます。しかもみのりの学校は大学までのエスカレーター式。でも私自身はこのまま人生を守りに入っていいのだろうか。 長兄の言葉は、私の気持ちを揺らしました。もともと子供がほしくてほしくてたまらないオットについては、今後なにがあっても協力体制は強固に敷いてくれることでしょう。この上になにを迷う必要があるでしょうか。 自問する私に、天はすぐにはっきりとした答えをくれました。 そういうわけで、今年は大きな授かりものをいただきました。 今、とても嬉しいです。 しょっぱなから不思議な出来事もありましたv 初診の予約を取ろうとした日(月曜日)が、病院の都合で予約できなくて、翌日の火曜日にお願いしたら、なんとみのりをお腹の中で育てていた十ヶ月間のすべてを見守り、当日も取り上げてくださった先生がその日たまたま初診の担当で、オットとともに診療室に入った途端、お互いびっくりして声をあげてしまったという嬉しいサプライズがありました。 非常に大きな病院なので、医療チームも医師だけで20名を超える人数を抱えているのに、これはいったい、いかなる偶然なのでしょう。おなかの子の幸運と強運を感じずにはいられません。 ちなみに、みのりを取り上げてくれたこのお医者様ですが、総合病院ゆえに妊娠中の担当医と、出産当日の先生が同じになることはめったにないことなのです。みのりのときも、たまたま担当医の先生が当日当直だったため、妊娠から出産のすべてを見守っていただけたのでした。妊婦にとって、これほどの安心感はありませんでした。 みのりは予定日より一週間遅れて生まれたのですが、信頼する先生が取り上げてくれるよう、あたかも日付を選んで生まれてきたかのようでした。あと一時間でも出産が遅れれば、先生は当直から外れて、外来診療に出てしまうというギリギリの時間でした。これも不思議な偶然に導かれた出来事です。 夏休みが始まったので、来週火曜日にひかえる次回の検診からは、家族全員で病院に行ってまいります。 みのりには、今日、学校から帰ってきたら知らせるつもりです。おりしも、今日はオットも家にいるので、お昼前には家族で保健所に母子手帳を取りに行き、ランチをして我が家に新しい命を迎えるお祝いたいと思っています。 わたくし事ではありますが、今後とも詳しい経過をお知らせさせてくださいませ。 ふつうは安定期(五ヶ月くらい)になってから周囲にお知らせするのが一般的といえるのですが、毎日のメッセージのやりとりでここまで近しくさせていただいている皆様に、10月の楓の日を過ぎてから「実は…」などとご報告することは、はじめから私の選択肢の中にはありませんでした。やはり家族と同様、できるだけ早くにお知らせして、この先の運命を一緒に見つめていただければこの上ないことにお感じ致します。 これから母になる皆様に、父になる皆様に、私のささやかな体験が、男性と女性、より深くお互いを思いやることができる、よき材料となることができますように。 ありがとうございました。 皆様もどうかよいお休みを! 【不思議図書館ラインナップv】 『14ひきシリーズ』いわむらかずお 『神様への手紙』谷川俊太郎 『神様への手紙もっと』谷川俊太郎 『あおくんときいろちゃん』レオ・レオーニ 『ぽんぽん山の月』あまんきみこ 『わたしとあそんで』エッツ 『イソップものがたり』 『とべ! カエル、とべ!』カラン 『チロヌップのきつね』高橋宏幸 『チロヌップのにじ』高橋宏幸 『怪談』小泉八雲 『ねむっちゃだめだよ かえるくん』塩田守男 『ざしき童子のはなし』宮沢賢治 『はなをくんくん』クラウス 『王様と九人のきょうだい』中国の民話 『ピーマンマンとかぜひきキン』さくらともこ 『旅の絵本シリーズ』安野光雄 『やさしいあくま』なかむらみつる 『おさるのジョージ シリーズ』レイ 『びゅんびゅんごまがまわったら』宮川ひろ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は8月1日(日)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第12節をアップしております。
2010年07月16日
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【長兄の跡継ぎが誕生しましたv】 皆様、一緒に喜んでください! われらがリーダー、山歩きの長兄の跡継ぎがついに誕生しました!!! 6月26日、2875g、男の子ですv 長兄の家庭では、またイチから始まる子育てになりますが、この子とは今後とも長い付き合いになると思うので、その成長を楽しみに見守っていきたいと思います^^ なにはともあれ、めでたい。 さて、非常に有名な山岳部に所属していた私の亡き父ですが、思えば父が私に山を教えたのは、北海道の利尻富士のひとつだけでした。57歳で亡くなった父には、娘にゆっくり登山の楽しさを教える時間がなかったのです。 私自身もともとそれほど山やトレッキングなどに興味を持たない子だったので、機会はどんどん失われていったのでした。 そんな私に、徹底的に山を教えてくれたのが、みくまりの兄と、この長兄でした。 山にはあまり興味のない私でしたが、鳥取の分校の学級文庫に宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』という本があって、私はそれがとても気に入っていました。「なめとこ山の熊のことならおもしろい」とはじまるこの物語の冒頭で「ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ」と賢治は書いています。では、いったい誰から聞いたのだろうか、私はわくわくしました。 主人公の猟師、小十郎は熊を捕ると「熊、おれはてまへを憎くて殺したのでねぇんだぞ」と話しかけます。小十郎はある日、冬の狩りに出かけて、逆に大熊に狩られてしまいます。熊を狩っていた彼が熊に殺されてしまうのです。熊は言います、小十郎、おまえを殺すつもりはなかったと。そして、三日目の晩に小十郎の亡がらを熊たちが葬ります。 熊たちが小十郎の亡がらを囲んで、その魂を送るというラストシーンは、鳥取の山中を行く「渡り」の人々が獣を獲ったときに行う儀式と重なることを、私は幼いながらに気づいていました。 鳥取の里には、ある一定の頃合いに「渡り」の人々が入りました。 独特の文化を持つこの「渡り」の人と、村に定住する人々は、とても仲良しでした。 「渡り」の中には子供たちもいて、村の子供は年に数回だけ会える友人たちの訪れを楽しみにしていました。分校で、一緒に勉強をしたこともあります。けれども、彼らは村にいる間も山の中を好み、そうなると豊などは渡りの人々が来ると学校などそっちのけで、「牡丹」という名の同い年の少年と、渓流のこっちがわとあっちがわの大きな石に座って、何時間も語り合っていたものでした。 「牡丹」という名も、実は少年のほんとうの名前ではないのでしょう。 山の中では、自分のほんとうの名前を口にしてはいけないのです。 そのほかにも山での作法はいろいろあって、一口には言い表しがたいものです。 ・瀬戸物は持って行ってはいけない。 ・衣類にボタンをつけてはいけない。 ・歌を歌ったり、大声をあげてはいけない。 ・自分のものと間違って他人のものを使ってはいけない。 ・山言葉は厳重に守ること。 ・手拭いは使ってはいけない。 ・弁当は必ず一口残す。 ・人の真後ろに立って話しかけてはならない。 ・小便をするときは崖側ではなくて山肌に向かってする。 ・四つ足の動物の名前を呼んではいけない。 ・ある一定の音をさせないこと。 ・下着の色は必ず白。 ・お守りに刃物を持ち、一夜を明かすときは刃物を枕にする。 山の掟にあるように、山の中では通り名や屋号、あだ名で呼び合い、本名を呼んではいけません。鳥取の里での「本名」についての扱いのことですが、分校の先生でさえ、本名は呼びませんでした。本名を大切にすると同時に、人と「そうでないもの」を区別するためだと聞きました。ひとりで山に入った時、夕暮れ時にひとりでいる折、通り名ではなく名前で呼ばれたら、それは「神」か「魔」が呼んでいるのだから、返事をしない、振り向かないで一心に歩を進めること。ゆたが山で「ゆたか」と呼ばれたら、気をつけなければならない。すせりなが「あやいちろう」と呼ばれたら、それは「人でないもの」に呼ばれているのだと。 遭難したら助けて、と叫んでもいいが、迎えに来てと口にしてはいけないとか。 山で“ある一定の音”をさせると、それを合図に山が開いて“呼ばれる”ことがあると聞いたこともあります。熊鈴などは熊を避ける目的としてはあまり有用ではないばかりか、山中で“ある一定の音”を長時間鳴らすことにもなるので、あまりお勧めしません。 山で呼ばれたり引かれたりする時には後ろ髪を引っ張られるので、女の人は髪を切るか、男は坊主にすると魔除けになるといわれています。 四足の動物の名を呼ぶ場合には、しのよつ(鹿、四つ足の意)"とか"ふたつ(猿、二足歩行するから)"とか様々な隠語を使います。どうしてかというと、山の主や物の怪が動物と関係がある場合があるので、下手に名前を呼んで怒らせて、災いが降りかかるのを警戒しているのです。 特に中国山地には"主"と呼ばれる動物が多く集まるので、注意した方がいいわけです。ちなみに、鳥取は鳥の加護があるので鳥の名は忌み言葉にはなりません。 こうした禁忌事項に違反すると、山の人は寒中の雪山にもかかわらず、沢水で水垢離をとって身を清めなければなりません。 山言葉とは、山中で使用される独特の言葉で、たとえば槍を「なめ」、熊を「なべ」、米を「くさ」、雪を「ひた」などと言い換えます。 里の人も、山に入ると家や集落にいるときとはまったく異なった言葉を用います。山菜採りなどで山に入って、自分の家が見えなくなると、山言葉を使用しなくれはなりませんでした。 村の子供たちは、山言葉を「渡り」の人に教わります。親や兄弟から教わってはいけません。山言葉を教わる方は水垢離をとった上で、誰にも聞こえないようにして女性も遠ざけ、一対一で教わりました。 また、山の人は穢れ火というものを嫌い、祝言やお産、葬儀などがあった家の火で作ったものを口にしません。口にすれば、もう山はダメなんだそうです。 祝言は里ではおめでたいことですが、山の人は祝言火を最も嫌い、この火の通ったものを口にすると、まるまる一年、山には入れなくなるのだとか。次に嫌うのが産火で、山の人に子が産まれると、男の子なら48日目、女の子なら50日目まで人目から隠すとか。死火は七日、その場に居付かなくてはなりません。 里の人も、山の暦に気を使います。月の六日、日の七日はよくないとか、六日に山に入って九日に帰ってきてはいけないとか、山に入って不吉なことがあれば、いったん家に帰って出直したりします。「月の六日」というのは月頭の六日のことで、「日の七日」というのは、毎月の七日、十七日、二十七日のことです。 このほかにも、山に用いるリュックや道具などは、山に入る前に火打石を打って払っておく。ひとたび火打ち石を打ったものを人がまたいだり、蹴飛ばしたりすると山に入るのをやめる。また、山に持っていく食糧をみると、麺類は山入りが長引くといって嫌われます。 いっぽう、山の人の組織では「ふじか」と呼ばれる頭領の下、「ながら」「ほうじょう」「しのぼ」とそれぞれの階級に分かれ、その各々に役割がありました。「ふじか」は山の神の代理者とみなされ、絶対の権力を持ち、そのかわり朝は誰より早く起き、夜は皆が寝た後に沢で水垢離をとらなければなりません。「ながら」は「ふじか」の命令を下の者に伝え、「ほうじょう」の意を「ふじか」に伝える仲介者で、火の管理を担います。「ほうじょう」は食糧の管理や皆の道具や衣類の修理をし、「しのぼ」は獲物の分配を受け持ちます。 獲物の分配にも細かな作法があります。 これは「身取り」と呼ばれ、「ふじか」が水垢離を取ってから、獣の左足のもも肉(しんがめといいます)を切り取ります。49片切り取った後、それを7本の栗の木の串に7片ずつ突き刺します。その後、7本の串から肉片を1片ずつ取り、木の椀に入れ、それを左手に持ち、右手に持った栗の木の箸で肉片を取り、そのまま額にかざして「ゆとがえの唱え」をします。この唱え言は人に教えたりするものではないとされ、唱えるときにも人に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、自分の胸の中で思うくらいの気持ちで行います。この唱え言を知っているのが「ふじか」で、唱え言はいつか「ふじか」が次の「ふじか」へ、この人と思う人にだけ伝授していきます。 私がその場に居合わせた折、ちょっとだけ唱え言が聞こえたことがあります。 『コレヨリノチノ世ニ生マレ 良イ音ヲ聞ケ』 と聞こえました。 山の人は、山のものはすべて山の神様のものだと考えています。その山の神様のものである獣を獲り、命を奪うためには、どうしてもあるプロセスを経なければならない。それが山の掟を守ることであり、日常語とは異なった山言葉を用いたり、水垢離を取ったりすることで、ひとつの「行」をするのです。その行をしてはじめて山の神様から獲物を授かることができるのです。授かった獲物の魂は、山の神様に返さなくてはなりません。命ある獣の祟りが人間に及ばないように願い、魂を山の神様のもとへ帰すための術、これが「ゆとがえ」なのです。 獲物が取れた日の夜は、粳米を炊き、胡桃の木で小さな杵をつくり、それでもって椀の中で餅をつきます。それを「さんけい」といいますが、丸めたものを12個山の神に備えます。 中でも不思議なのは、冬眠中の熊の猟です。 熊は冬至の十日前に穴に入って、春の土用の十日前、4月10日時分に穴から出てきます。この冬眠している間に、母熊は雄と雌の一頭ずつを産みます。一頭しか産まないものもありますが、だいたい二頭です。子を産むのは冬眠中の節分の頃で、山の人は穴に入った熊を専門に獲って歩くこともあります。冬眠中の熊は、胆が太っていていいし、毛も柔らかくて揃っているためです。 ところが、子が入っている時分に猟をしたとしても、お腹の中に子が入っていたためしがないのだそうです。どういうわけか、これまで何十年と山の中で暮らし、何十頭と熊を捕ってきた人でさえも、子が入っていた熊を捕ったことはないし、話にも聞かないそうです。 熊は人間が来たなとなると、腹の中の子を山の神様にお願いして、出してもらって、自分亡き後、どこぞで育ててもらうようにするのだと、山の人は言い伝えています。とても不思議なことです。 いまだ山歩きに興味が持てない私ですが、大人になった今でも山の不思議には心をとらわれています。 長兄の跡継ぎとなる子も、いつか山の子になっていくのでしょうか── 7月14日、行こう!今年の夏も、水平線の彼方まで── 7月13日、パウル~^^ 7月2日、ちっちゃいハンバーガーズv ◆応援ありがとうございます! 次回更新は7月16日(火)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第11節をアップしております。
2010年07月02日
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【第二弾に続きます☆】 さて、真珠さんが楽天をご卒業なさってから幾日か経ち、ようやくボー然としていた気分が落ち着いてまいりました。ジュン兄貴、起爆剤投下ありがとう! 正解者の方には、もれなくジュン兄貴からのめくるめくようなプレゼントがあると思いますので、ふるってコメントいただければ嬉しいです☆ ちなみに、私は『ぽんぽこ』あたり、全滅でした; 初めての方に──ジュン兄貴とは、私の実家の三軒先の並びのおうちに住んでいた心やさしき兄貴です^^ 最初の記憶は幼稚園の頃(←ちなみにヒロと私は同じ幼稚園に通っていたことが後に判明。私の母が礼儀正しく利発なボンボンであったヒロと、若くて美人すぎるお母さんをちゃんとおぼえていた)、私が妹を連れてそのへんを歩いているときに、妹がジュン兄貴のおうちのサルビアの花を抜いてしまったのです。謝ろうと思ってドキドキしながらピンポンを押すと、出てきたのが少年だったジュン兄貴で(←当たり前だ)「いいよ。だいじょうぶ」と優しく言ってくれたことを鮮明におぼえています。 その後、成長した後は少々デキの悪い小夜子の家庭教師として、高校時代の三年間お世話になったことと、デキのいい小夜子の妹もその後三年間お世話になったことをここにご紹介させていただきます☆ ザ・理系のスレンダー美人のお兄さんです。皆様どうぞよろしくお願い致します^^ 数1、微分積分、確率統計、恋の因数分解など、どんどん訊いちゃってください♪ そして、この度は更新が遅れて大変失礼致しました。おかげさまでみのりの発表会も無事に終わり、ほっとしているところです。楽天は音源が載せられないのが残念! 「風の谷のナウシカより『遠い日々』連弾」をぜひ聞いていただきたかったです。 ラン、ランララ、ランランラン…の主旋律はオリジナルの曲が幼女の歌声で歌われるものなので、ピアノ歴一年の指使いがたどたどしいのはご愛嬌としても、伴奏の包み込むような深く透明な音が凄かった。この人は“遠い日々”にいかに愛され、育まれ、守られ、どれほどの輝きに満ちていたことだろう──誰もが心奪われるような演奏でした。ブラボー。そして、ありがとう。 6月12日、発表会当日、ミノリ イン ワンダーランド(爆) 更新が遅れて恐縮です。 【二回続けて部活についてのお話(笑)】 友達がアメリカに住んでいるので、たまに日本とアメリカを往復します。 飛行機の中でビデオを見るのですが、ハリウッド映画が多くて、好みの問題ではありますが、たいてい「……」ということになります。ところが先ごろ、海や帆船のシーンの多いある映画をつい二度も続けて見てしまいました。印象がさわやかだったのです。 なぜだろうとよく考えてみると、その映画には女の人がまったく登場しないんです。映画の血湧き肉踊るリズム感が、往々にしてラブシーンで停滞してしまうことがよくあります。もちろん、これは女性のせいではありません。映画を作る側が、ラブシーンを入れないと売れない、と信じているせいなのかな。んでもっておれの好きな映画といえば、どれもほとんど女性が登場しないものばかり。なんでだろ。今日はそこんとこ、考えてみようかな。 小学校時代の前半は、偶発的な事故で意気消沈していたおれでしたが、高学年にもなるとすっかり元気になって、塾にも入って毎日毎日、校庭や路上を走り回っていました。 いったい、どこでどう、なにをきっかけにそうなるのかはいまだに謎は解けませんが、塾で一緒になった他校の女の子が好きになりました。彼女は制服のある学校の生徒で、学校帰りにそのままセーラー服を着て塾に通っていました。 実は彼女と同じ小学校の子で、五年の途中で地方から越してきた子がいて、その子の方言とたたずまいが「ラムちゃん」にそっくりで、おれはその子にも憧れていて、じゃあおまえは制服が好きなんじゃないかって言われると返す言葉もないのですが。 で、誰に恋をしたかは言えません。当時を思い出すと、まさに30年近くの時を越えて、恥ずかしくなるからです。 ある日、塾の授業中に隣の席のしんかい君が、「おまえ、誰がすきなんだよぅ」としつこく聞くので、その女の子の名前をバラすはめになりました。しんかい君は、「えーッ、おまえ、あんなのがスキなのかよぅ」と驚きました。でも、そのうちに彼もその女の子が好きになってしまったのです。おれに言われて、じっと見ているうちにそうなってしまったのでしょう。ちなみに、しんかい君と彼女はその後に結婚しました。彼女の方が先にしんかい君のことを好きになっていたのを、おれは知っていました。そんなわけで、妙なきっかけを作ったおれに、彼女には感謝してもらってもいいくらいです。 んで、おれも高校生ともなると、心の中に薄く濃く、何らかの憧れの女性像が生じ始めたようでもありました。 実は、これまた小学校時代の同じ塾の女の子ですが、中学に入っても高校に入っても、偶然によく遭遇する子がいました。彼女とおれは中高ともに違う学校だったのですが、弓道部に入った彼女が練習している敷地が、たまたまおれの下校の通り道になっていたのです。 はじめのころは、「ああ懐かしいヤツがいるな」なんて思うだけでした。 そのうちに、彼女が練習している姿を遠くから確認すると、途端におれの内部からめらめらと元気がわき、一日の疲れは消し飛び、坂道を登るのにもスピードが上がるようになりました。でも急に早足になったりすると「挙動不審者」として目立ってしまいますから、じっと我慢します。こんなことを、毎日毎日くり返していました。 さて、おれは毎日、他校の部活の時間のたびに胸をもだえさせていましたが、なにしろ彼女に自分から連絡したことがなかったので、なにもしゃべることができないどころか、声をかけることもできませんでした。 ある朝のことを、おれは二度と思い出したくない。 その日、登校途中だったおれは彼女の姿をグラウンドではなく、校門の近くで見かけました。そして、おれはナニモノかに背中を押されるようにして、いきなり話しかけたのです。 「おはよう…」 「おはよう。さっきあたしの前あるいてた子がウワサしてたよ。制服、どこのだろって」 「そ、そう…」 「あ、急いでる? じゃあ、またね」 「んじゃあ…」 口の中はカラカラで、なにかの現行犯でタイホされたような気分でした。ほんの数秒なのに…。 で、さわやかならぬ結論ですが、心の中ではもはや女の子のことしか考えられないのに勇気も経験もない哀れな男子高校生は、その後、意中のその人から告白され、舞い上がって、自分の学校の校門付近で捻挫し、歩けなくなって友達のバイクに乗せてもらって早退したのはいいが、帰宅した家の中でも妄想していたら痛みを感じることすらできなくなって、病院に行くのも忘れて、足首が余計ひどく腫れ上がったり、キスのやり方もわからなくて洗濯機の角で練習してみたり、それどころか「赤いスイ~トピ~」じゃないけど、半年過ぎても手も握らなかったり、もうほんと、スマートな友人たちを傍目に、結婚まではバカバカしくも、青い春でした。 そんなわけで、映画やドラマに女性が登場しなければ、こんなふうな、数々の苦しみや恥ずかしさを思い出さないですむのです。そこには大海原と青い海しかありません。さわやかです。 最後に、経験がなくてもなんとかなったおれから、チーターのアドバイスよりはためになる一言。 世界で一番好きなひとは、地上を全部探す必要なんてありません。きみの周囲5mほどのところに、必ずいます。んねっ、チーター殿! 6月25日、次の試合もゴールを狙え!!! 6月24日、ウルトラマンの瞳キラリおにぎりv(行事のため量少なめ;) 6月23日、雨ですね…かたつむりのお弁当v(行事があるため、量少なめ;) 6月22日、三つ葉新──じゃなかったミツハニーのチーズおにぎりv 6月21日、父の日のお弁当v 6月18日、教科書のお弁当──くじら雲v 6月17日、ビミョ~だあ!!! ワールドカップを応援するオジサン(笑) 6月16日、オトコノコの気持ち…ハテナ…ふしぎね♪ 6月15日、ミシカ&ローランのまんまるおにぎりv 6月14日、70年代生まれ、おはようスパンク!っておぼえてる!?(笑) ◆応援ありがとうございます! 次回更新は7月1日(火)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第10節をアップしております。
2010年06月16日
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ヒロ、おめでと! 明日は一日授業参観の日で、更新の準備が整わないことが予想されるため、急遽一日早めて更新させてください^^ 以下、今回の記事は、一部『青木』の記述と相違している箇所が見られます。 どちらの内容が真実であるのかは、皆様のご想像にお任せいたします 【チータはチータ、ウサギはウサギ】 みんな部活頑張ってるかーい! おれの高校では、文科系と体育系の両方に所属しなければならなかったので、おれは陸上部に入って、毎日毎日すたこら校庭や道路を走っていました。インターハイや国体の予選などにも出場しましたが、別段どうというほど目立った成績はありません。しかし、足の速い人というのはいるもので、おれの友達のかざはや君などは、関東で何番という成績を楽々と残していました。予選で敗退したおれが決勝で走るかざはや君を応援すると、彼は走りながら笑って、手まであげてくれたものです。 このかざはや君は、小さい頃から速かった。 彼とは小学生のとき塾で知り合ったのですが、この塾の夏期講習では午前の授業が終了したとたんに、壮絶な短距離走が待っていたのです。 どういうことか説明すると、おれたちはみんなお昼に冷えたジュースがほしいわけなんです。とくに、当時ナウな感じがしたポカリは一番人気で、そのボカリを唯一販売している自販機が、塾から80メートルくらい離れた十字路の先にあるわけです。ところが、当時その自販機の近くでは新興住宅の建設ラッシュで、お昼ともなれば工事現場の若者やらおっちゃんやらが、こぞってその自販機を使用する。彼らに悪気はないものの、悪気があるのは同じ塾の女子たちで、男子が遅れをとったと見るや、「売り切れ」の表示が出るまで、ボカリ缶を出し続けるのです。それで、争奪戦になる。 おれたち男子は考えて、授業の終わりそうになる直前に、足の速い子上位3名にあらかじめ教室の中から靴を履いて準備してもらうことになりました。そのための予選会までやったんです。おれは惜しくも4位で補欠となりました。つまり、ただやみくもに走っているのではなく、選抜のフォーメーションで自販機まで駆けっこしていたわけですが、女子にもすばしっこい子がいるものです。おれたち男子がドアに近い前列を独占していたので、圧倒的に優位なはずなんですが、後方の女子はそんなハンデをものともせず、なんと自分たちの部屋の後方にある窓から飛び降りてリードを取ろうとしたんです。 すぐさま、おれたち男子はその昼休みに対策本部を設置しました。そして、おれは補欠だったものなので、脚の速い子3人が飛び出していくのを、アコーディオンドアをこじ開けて、補助する役を仰せ付かりました。ということは、俊足の3名よりも速く、ダッシュでアコーディオンを開けていなければならない。さいわい、おれの机はドアの近くにあったので、おれはこの大役を誇りを持って毎日敢行しておりました。 そのうち、女子はダッシュする役の男子が準備のために浅く腰掛けていたりするところを、自分たちの位置関係を逆手にとって、後ろから椅子の背を引いたりしてスタート時に転ばせたり、「そりゃ反則じゃね?」という作戦をとってきて、けっこうジュースの取り合い合戦も熾烈を極めた様相を呈してきました。 でも、そこは男。多少の遅れを取っても、工事のおじさんたちのラッシュに間に合えば、だいたいポカリをゲットすることができました。くだんのかざはや君はポカリを人数分ゲットできるだけにとどまらず、一本オマケに当たったりしてくれて、まことに運と才能に恵まれた、頼り甲斐のある人でありました。 いったい何が違うのでしょう? 特別な練習をすれば、かざはや君のように速くなるのでしょうか。それとも同じ練習をしていても、彼だけが速くなっていくのでしょうか。 かざはや君の脚が早くなったのは、一説によると、逃げ足のせいだったらしい。 小さい頃、かざはや君はピアノとバイオリンの練習が嫌で嫌で、先生が来るたびに塀から飛び降りて逃げ出していたんだそうです。あるとき近所を見回っているお巡りさんに見つかって、「坊ちゃん、塀に靴の跡を付けるの、やめてくれないかな。まぎらわしいんでね」と笑って諭されたそうです。けっこうやんちゃだったんですね。 さて、おれが、そんなかざはや君や、他にも足の速いながさわ君たちを見て、つくづく感じたことは、動物に例えるなら、きっとおれはウサギとかイヌとかだったのでしょうが、俊足の彼らはズバリ、チーターだったのです。 おれは幼稚園の頃から、おやじと毎日ジョギングをするという努力によって、「走るのが遅い」とか「運動神経が鈍い」自覚はしないで済みました。そして、なにより身体が自分の意のままに動くことへのよろこびを得ました。しかし、もっと身体の能力の高い人々に比べたら、比較にならないほどだったのです。 顔が違うのです。なんというか。 努力さえすれば何だって出来るようになる、というのは、本当です。でも、それは自分の中での話です。他人と比べたら、たいしたことはないのかもしれません。青春時代は、やはり努力が黄金だ、と信じる方がいい。でも、よく自分の顔を見なくてはなりません。 チーターは、見るからに走りそうな顔をしている。トラやライオンは堂々としていて、しかも攻撃的。ヒツジや馬はのんびり草を食べて、優しい顔をしています。 自分の中にひそんでいるものがなんなのか。 さて、高校生になったおれは、陸上部に属していたものの、一方で美術部にも所属していました。おやじが表具をしていたからでしょうか。ごくたまに、美術部へ顔を出したこともありますが、そこで絵を描いたことはありません。身体を使うことの大好きなおれは、絵を描くなんて「じっとしている」ものには耐えられなかったのです。 文化祭の直前になると、おれは大きなベニヤ板に、ペンキで何枚もの絵を素早く描き上げました。上手いなどとは思わなかったけれど、心に思ったことをそのまま表現している手ごたえはありました。 かざはや君はきっとこんなに素早く絵は描けなかっただろう、と今おれは思います。 ちなみに、かざはや君に言わせると、「速く走るコツは、さっきの一歩を忘れること」だそうです! 再見 6月11日、ステーキ丼の中に埋もれるタヌキとコブタv 6月10日、恋するまゆこちゃんv 6月9日、ジューンブライドというわけには…笑。 6月8日、パイレーツ オブ ブーちゃんたちv 6月7日、マリーちゃんに似てるかしら!? 6月3日、『ちいさいももちゃん』に出てくるお野菜たちv 金曜日は先生方の研修会のため、学校がお休みになります☆ 皆様も良い週末を! 6月2日、教室のお隣のお友達とv その名もひかりちゃん^^ 6月1日、授業参観日! おだんごヘアが可愛い担任の先生v 5月29日、遠足で水族館に行ったよ! スイスイ、フィジーのお弁当v ちなみに、mixiでハッピーアクエリウムやってます☆ 5月31日、火事でちょっと溶けちゃった!? 消防車写生会の日でーすv 祝!第一回刺繍部開催☆ 第一弾は、教室で机の横のフックにかけておくための辞書カバーですv 肩から提げるタイプのお弁当袋にも付けてみましたv りょうさんからいただいた抜きキャンバスでA4のバッグに刺繍してみましたv 三点とも校章部分にはお守りのかわりに極小のおメダイを縫い付けています☆ にしても楓…急に枝葉を伸ばしたねぇ^^ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は6月15日(火)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第9節をアップしております。
2010年05月31日
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↑↑↑ いったい誰が誰に見えます…か(笑) 【GW─抱卵中のトキを応援しに行くど~の旅─】 一族にとって─なによりトキにとって迷惑な主旨で始められた今回の旅行! のっけから渓流釣りで入れ食いを体験し、小一時間もしないうちにひとり6匹ノルマで食べなければならないほどの大漁に。イクラを餌にしたからなのか? けど、鱒にイクラってのもどうよ? 種が同じじゃないのか? 鱒も同属の子を躊躇なく食べるなよ─ それはともかく、私はもっぱら魚のノド奥に深く刺し込まれた釣り針を抜く、という外科的な作業を黙々と続けることに─久しぶりだったけど、うまくできましたv 「針外し」といって、金属製の小さめのヘラにちょこっと細工がしてあるだけの実にシンプルな道具を使うのですが、これがなかなか熟練の技をもとめられるのですよ^^ 絵に描いたような春の里川でマス釣りv それから、オットとともに延々捌く捌く─おしりの穴から刃を入れて()、喉元まで一文字に割き、喉から繋がって切れない器官は包丁で切り外す。ワタを取った後は背骨にそって指を入れて、血合いの部分を爪でこそげ落とす。これもけっこう熟練していないと難しいけど、川魚は鱗がないだけラクかな。隊長が「串刺し」と「塩振り」、「炭火焼き」を担当してくれて、見事ひとり6匹ノルマの鱒はそれぞれのお腹の中に収納されていきました…。 自分が釣った魚を目の前で調理し、その場で食べることは、まさにいのちを「いただく」こと。子供たちの「いただきます」の声が、その日から変わりました。よりはつらつとしたものになりました。 食べものといえば、山は山菜の季節を迎え、こごみの採り放題! こごみは塩を強めにしたお湯でゆがいて、おしょうゆとマヨネーズで味付けすれば完成v 山菜にはめずらしくアクがないので、作り方もめっぽう簡単です。 PAで寄ったお店で、ほんの一束が300円で売っていたのにびっくり 私たち全員がいちどきに食べた量は、その価格に見合わせれば一万円を超えていただろう(笑) 今回は食に恵まれた旅行で、旅先の道でみつけた「もちぶた」にも舌鼓を打ちました。 もちぶた「やまちく」さんのきれいな豚肉を買い込み、塩と胡椒だけで焼いてみた! オットが味噌にんにくを即席で作ったので、それをアテにしてもち豚に添えて食べました。脂が軽くておいしい~! 新鮮でやわらかい~! 聞けば、和豚もちぶた専用の屠場を使用しているため、他の豚肉が混じることが一切ないのだとか。徹底した品質管理は、なによりもこのおいしさが証明しています。 それから、お米との出会いも。 専業農家の関米穀さんから分けていただいた、30キロもの玄米がうまいのだ☆ 南魚沼郡のコシヒカリといえば世に轟く銘柄ですが、それをあえて玄米でいただく! ところが、炊いてみると玄米特有の「芯」もなく、ただただ自然の味がおいしい。 妊婦さんのために玄米をいただいたのですが、このおいしさならばお取り寄せしてもいいかも…今年のお歳暮は、5キロ分のコシヒカリ玄米にしようかな。 玄米でこのお味ならば、白米ではいかばかりか─都内のデパートに5キロ8000円で卸しているお米が、突撃訪問すると半額以下でもらい分けていただくことができますv お米は大量に炊いたほうがおいしいといわれますが、わたしたちはいつも十合単位で炊き上げます。このつやっつや、ふかっふかのごはんに、漁港で漁師さんからいただいてきた手作りのしおからと生たらこをぶっかけて、朝からおかわり続出! ではでは、日本の穀倉地帯を天から見てみようじゃないか! ──ということになり、彌彦のお山へ。その日はよく晴れて、佐渡まで見晴らすことができました。 登山の前に、霊験あらたかな彌彦神社で隊長の身重のツマの安産を祈願。 名前を「彌彦(やひこ)」にしよう!と一同イロめき立つ。 そのほか「八海山」からとって「八海(はっかい)」 名前は十五画がいいのと、隊長の名前が一文字なので「潤(じゅん)」はどうか。ならば「毅(つよし)」「輝(あきら)」もよかろうと、どんどん候補が─女の子だったらどーすんだ(笑) 跡継ぎモンダイが無事に片付きそうなところで、オットと私はひそかに子宝祈願^^ その後、景色のいい山奥のダムを通りかかったので、管理事務所に立ち寄ってみると、ほとんど団体客に見えたのか(笑)管理組合の人が100m地下の放水現場を見せてくれることに。エレベーターで1分30秒もかけて地下に降りると、目の前の人とも会話ができないほどに轟く水流が現れ、それが見る間に龍が昇るかのごとくぶっとい本流となってすっ飛んでいく。25mプールが5秒で空になる勢いだそうで、これが水門をたった20cm開けただけというのだから驚きです。最大120cmまで開けるとのこと。どれだけの迫力なんだろう。人間が巻き込まれたら、ひとたまりもなくバラバラにされてしまうでしょう。 思いがけずに社会科見学ができた午後もありました。 森の中で結婚式に遭遇したことも! あれは狐に化かされていたのか? でも確かにその場でもらった式次第も持ち帰ってきたし^^ 冬眠中のクマの穴に石を投げては遊んでいたら(良い子は決してマネをしないように!)突然現れた牧師さんと新郎新婦、親族、コーラスの人々──そして赤絨毯を踏んで写真を撮っているのは隊長ではないかっ! 学生時代はコールアカデミーに所属していた三兄と、お歌大好きな私が式次第に載っている「妹背を契る」の歌詞を見ながら地味にアンサンブルしているところに、コーラス隊の陣地に立って一眼レフのファインダーを覗き込みながら朗々と歌っているヒトが…隊長! 歌詞が思いっきり間違ってます それはさておき、嫁入りを見せてくださった皆様もどうか末永くお幸せに☆ くまさんの穴に石を投げて遊んでいたら…振り返れば突然のウェディング(笑) 温泉は有名どころ、秘湯、毎日入りました。 最後の日、「今日で最後だなぁ」と越後山脈を見晴らす露天風呂にしみじみつかっていると──楓の若葉がひらりとお湯の上に落ちてきた(笑)。 「出てけーっ」と柵の向こうに放り出してやりました! 【総括】←緋路さん風 今回! 隊長の頭上の空に写っていたUFOはなんだったのか… 当方夫婦共々PCのスキルがなく、ほかの世帯のように写真をアップできないのがもどかしいのですが(今回アップしている画像はすべてPCに送ってもらったものです。うちのは現像できたものをスキャンするしかない;)後日、未確認飛行物体が撮れちゃった画像をアップできればと思います。オットが撮ったスナップ一枚にだけ写ってたのよ~~~; 時間をおかずに入れ替わりでシャッターを押したはずのどのカメラにも写ってなかったのに、不思議なことです。ちなみに、隊長は学生時代にもUFOに追いかけられたことがある過去の持ち主です(ゆうじろうさん、イロめきたたないでくだされ)。とはいえ、隊長を追っかけるとは、宇宙人もセンスがいい。か~な~りいいサンプルが採れると思う。 ヒカリとハンドメイド競争!頑張っているミニ燦々にお弁当袋を作ってみたv 裏側にクロスステッチしてみたv GWのトレッキング用にみのりのお帽子も作ってみたv 5月28日、銀河鉄道の…昼!? 5月27日、梅雨っぽいですな~; かっぱのおにぎりv 5月26日、アイスクリーム弁当v こっそりアタリとハズレ付きです^^ 5月22日、運動会!ミッキーの応援により、かけっこで一等をとれたv 【不思議図書館ラインナップ】 ・きつねの窓 ・あかしろあおいち ・ちからたろう ・おしいれのぼうけん ・おにたのぼうし ・こどもになりたいぼくとおとなになりたいぼく ・ブレーメンのおんがくたい ◆応援ありがとうございます! 次回更新は6月1日(火)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第8節をアップしております。 ◆透子さんのお父様のために祈ります。
2010年05月11日
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年賀状の代筆はあやじくんv グッジョブ! 【イケメン仏像の結果ご報告v】 皆様、前回のイケメン仏像募集の記事にお応えいただき、本当にありがとうございました! おそらくは集合していただいた全員分、稿が割けるとのことです☆ (以下、地域・名称・時代は順不同) 東寺(京都)梵天 帝釈天 三十三間堂(京都)おれに似た菩薩(←誰だ) 永観堂(京都)見返り阿弥陀 宝菩提院願徳寺(京都)菩薩半跏 仁和寺(京都)長田晴山 金剛菩薩 念仏寺(京都) 阿弥陀 醍醐寺(京都)阿弥陀 六波羅蜜寺(京都)空也 大報恩寺(京都)千手観音 広隆寺(京都)弥勒菩薩 中宮寺(奈良)菩薩思惟 興福寺(奈良)阿修羅VS帝釈天 法華堂(奈良)月光菩薩 梵天(つか、法華堂全般) 安倍文殊院(奈良)阿弥陀菩薩 薬師寺(奈良)聖観音 山田寺(奈良)仏頭 秋篠寺(奈良)伎芸天 観心寺(大阪)如意輪観音 葛井寺(大阪)専心龍乗観音 石山寺(滋賀)如意輪観音 向源寺(滋賀)十一面観音 三井寺(滋賀)阿弥陀如来 長谷寺(滋賀) 十一面観音 長谷寺(奈良) 十一面観音 東慶寺(神奈川)水月観音 観音半跏像 永平寺(福井)一葉観音 青岸渡寺(和歌山)如意輪観音 臼杵磨崖仏(大分) 皆様だけのイケメン仏像、そっと教えてくださってありがとうございました^^ 【風邪気味の時に目を酷使すると咳に移行する─ひーたん says─】 今年の冬は格別に厳しかったような気がするのですが、皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。 すでに回復しているのですが、実は私、先月中ずっと調子が悪くて閉口しておりました。思えば二月下旬、某兄貴に連れ出されてスケートに行った日から風邪を引き込んだわけなのですが、それからずーーーっと体調がアップダウンを繰り返し、とうとう人生初の点滴を隔週で二回も打つことになるほど悪化してしまいました。お産のときでさえ点滴をしなかったのに~! ちょっとだけわかったこと…。 カンフル剤というか、元気を出すためにビタミン注射やにんにく注射をするのではなくて、症状を抑えるための薬剤を点滴で直接投与されることで、より感じてしまう身体の負担。 私は抗生剤と同時に気管支拡張剤を入れたのですが、これが合わなくて; 気管を無理やり拡げられる感覚に、帰宅後にも何度も吐いてしまいました。吐くのもつわり以来かも。少しだけ、少しだけでもヒロや楓の我慢を理解できたような気がした二週間でした。 で、なにがそんな体調の悪化を招いたかというと、私の天敵、しつこい咳に悩まされたからなのでした。以前にも愚痴を書いたかもしれないのですが、私は風邪を引くと必ず喉がやられて、それから咳に移行する、というのがいつものパターンで、この悪しき連鎖をなんとかして回避することが、今後の私の体調管理に関する至上命題なのです。 そういうわけで、「かかったかな~」と思った時点で、喉の違和感が痛みに変化しないよう、咳に移行ならないよう、いつも細心の注意を払って初期消火に努めるのです。 しかし、転がるように悪化していった場合は、ヒカリから「ジスロマック」という最強の抗生物質をもらって対処するのですが、今回、それがすぐに手に入らない状況にあったので(ヒカリが日本にいなかった!)町のお医者様を頼ることになり、「ジスロマック」を連呼したわりにそれが耳に入らないのか(もしくはあまり勧められる薬ではないのか:笑)ほかの抗生剤を服用しているうちに、最後には点滴で抗生剤を入れるところまでいってしまった──そのうちに、みのりまでがコンコン咳をするようになったのをみると、どうやら私が咳の風邪を移してしまったようなのです。 で、ヒカリに文句をたれると、彼いわく、 「咳の風邪にしなければいいんだ」と。 風邪を咳に移行させない方法があるのならば、今まで苦労してません! ところが、ヒカリはその方法があるのだと言う。 「今回の風邪のひき始めのとき、目を酷使してなかった?」 「酷使してた!」 酷使してたよ~。二月下旬から三月にかけて、PCに向かいっぱなしだった…(←原因は前々回のタイトルをご覧ください) 「風邪のひき始めに目を酷使すると、咳の風邪になる。だから、風邪を引いたな~と思ったら、目を使わないようにすること。PCもテレビも読書もいったん中止。三日も何も見ないでいれば咳になるようなことはない。目の刺激が咳を引き起こす元なんだ」 ほんとかよ~~~。 「ほんとだよ。おれ、喘息あるから」 確かに、ヒカリは咳込みたくないがために「声をあげて笑う」こともしないやつなので、咳のつらさはよくわかっているはず。 「だから喉の弱い人が風邪を引いたな~と思ったら、PCやら新聞やらTVやらを絶つ。それから目と鼻のあたりをあっためる。するとすぐに風邪は治る。咳にもならない」 神様仏様ヒカリ様。 それが本当ならば、私は今後一生、気をつけていれば咳から解放されるのでしょうか。 「それと、お母さんが咳をしているから、子供が咳をするんだ。お母さんの咳が止まれば、子供も咳をしなくなる。だから、子供はお医者さんに連れていかなくても大丈夫。──おれが咳込むと、ヒロも隣の部屋で咳をするよ。シンクロニシティっていって、人間って知らず知らずのうちに、好きな人の行動を真似するものなんだ」 なんだかどさくさに紛れてすごいコトを言ったような気もするが…いちおう拝聴しておこう。 ヒカリいわく「風邪は治っているのに咳だけが残っていること」は必ずしも身体にとっては悪いことではないのだそうです。 デトックスというべきか、咳をすることは排出作用にほかならないこと。ただ咳だけがクセになってしまっているのではなく、身体がなんらかの有害物質を「出そう」としているから咳をしているのだと──だから、身体が咳をしたがるのならば別に止めなくてもいいけれど、やっぱり酷くなると夜寝る時とかがつらくなるから、咳は早めに対処して残さないほうが良い、とのこと。 さらに、「女の人は1ヶ月に一度身体の外に排出できる機能が備わっているから、それにともなって有害物質やら不必要な物質やらを体外に出すことができるんだ。女の人って、セイリがあるから長生きできるんだよ」だそうな。 ヒカリの持論はともかくとして──皆様の中で、喉が弱い方、咳の風邪が後を引いてしまっている方、もしよろしければ、次回の参考にしていただければと思います。私も「かかったかな~」と思ったら、目と鼻を温めること、目からの刺激を避けること、ぜひ実行してみようと思っています! 【本日の不思議図書館のラインナップ】 赤いろうそくと人魚 がまくんとかえるくんシリーズ ぬいばりだんなとまちばりおくさん たんぼぼ色のリボン はじまりはイカめし! きつねのフォックスシリーズ ぼくはめいたんていシリーズ おばけになったアサガオのたね そして、わたくし事ですが── 七歳児がピアノで弾ける曲をご紹介いただければ嬉しいです☆ 発表会で弾く曲なのですが、先生が「なんでもOK」と言ってくださったのはいいが、私は音楽の世界に疎く、あまたの作曲家のそれこそ何千何万とある作品の中から「これ!」といったものを選び出すことができず、コマっております。 わたくし事で恐縮なのですが、この場を借りて、皆様のご意見をお待ち申し上げております☆ かろうじてアラフォーのあきこへフォーティのひかりより:アンチエイジングパスタ 真アジとズッキーニのペペロンチーノ ─生姜の風味を効かせて─ 生で食べられるほど新鮮なアジが手に入ったから、思わずおろしてしまった。おまえの好きなルッコラも散らしといたよ、今からアヤジと食べますだそうな。 リビングからの風景─満開の桜と芽吹く楓v 右は十月上旬によい香りを漂わせる金木犀の大木 4月30日、今日は遠足でーす! マグカップ イン まめゴマv 4月27日、明太子ごはんDEうずらちゃんのかくれんぼランチv 4月26日、ブロッサムのおめめキョロキョロおにぎりv お弁当用のもずくカップを見つけて即買い! 4月22日、ブルーナのおとこのことおんなのこv 4月21日、イナゴの佃煮じゃないよ、自然教育園のバッタだよv 今日はプチ遠足でした☆ 4月19日、グルミットのドキドキばくだんおにぎりv 4月15日、ボケちゃってごめんなさい; 生茶先生おにぎりv (↓以下、衝撃映像です! ご注意ください!!!) 一足お先にアラフォー超えvオットの最近の食糧はスズメバチの親から子に変遷した。 四十を過ぎたので、体調管理には気をつかってまーす ◆応援ありがとうございます! 次回更新は5月1日(木)です。 ◆フリーページの方に新しい連載を始めました。 【Pi:e:ta】第七節をアップしております。
2010年04月15日
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【Miracles do exist...】─ひーたんに尋ねたところ、この“do”はEmphasisだそうな─ さて、前回のコメント欄でゆうじろうさんにリクエストいただいた「最近のミラクル」についてですが、私にとって最強のミラクルがあったので、他事ながらご報告させてください☆ その前に──こちらのブログでは政治、宗教については触れないように心がけているつもりですが、昨今の娘の「オモイビト」などの話題によっては禁に触れてしまうこともあり、悩むところではあります。 どうぞ皆様、このテの話題を「宗教がらみ」ではなく、単なるシチュエーションと見ていただいて、その中で起きた偶然やら面白い出来事などをお楽しみいただければと思います。ご協力をありがとうございます。 先日3月27日に、わが娘のオモイビトの叙階式があり、家族で参列しておりました。 叙階式というのは、修道士が助祭に、助祭が神父に上げられる式典のことです。そして、この度はわれらが修道士少年が助祭(司祭への通過点の身分)に叙階されることになったのでした。 式典中、「終生独身でいること」などを「彼」が宣言して、薬指に指輪を嵌めるあたりでみのりが号泣したとか──そのあたりのエピソードはまあ青春のひとコマとして胸にしまっておいてくれということで、私が号泣してしまったエピソードは! 叙階式も無事に終わり、六十人を超える司祭団と百人余りの小神学校、中神学校、大神学校のメンバー、そのほか多くの人々が聖堂から退出していく中で、どこかで見たことがあるような顔が──頭の中のメモリーバンクをフル回転させていると、思いがけない結果がヒットしたのです。それは、 愛、燦々とのチャイだ! ごめんなさい。今日はたくさんの「用語」を使ってしまって。 「チャイ」というのは「チャイルド」の略で、まさしく「子供」という意味。 私たちの母校、聖マグダレナ女子学院では、中1の新入生ひとりひとりに高3の「エンジェルさん」というお世話役がつく「エンジェル制度」というのが設けられており、高3は卒業の一年間を中1の「チャイ」の世話をなにくれとなく焼いてあげるのです。それはもう、「守護の天使」と「子供」のように──ここから、「エンジェル制度」という名が付けられました。特に中1の寄宿生は、なにもかもが初めての集団生活の中で、エンジェルさんを姉のように慕うようになります。 かく言う私も、自分のエンジェルさんと、「チャイ」とは今でも年賀状のやり取りをしているくらい、その絆は双方が卒業してからも続くようになります。 私が叙階式で思いがけずに見つけたのは、なんと、愛、燦々とのチャイだったというわけです。実に中1だった頃の彼女の姿しか覚えていませんが、三十二歳になったであろう現在も、その当時の面影を確かに残しています。名前も覚えていたので、思わず声をかけると、向こうも私を覚えていてくれて、 「山口さん!」と聖堂の中で思いっきり叫んでくれました。 で、お互い「なんでこんなところにいるの!?」ということになり、私は「この度叙階された修道士少年に、娘が土曜学校でお世話になっていて」とかくかくしかじか述べると、愛、燦々とのチャイは信じられないことを告白してくれました。 「私はですねー、彼と旅行に行ったりしてたからv」 「私、フランシスコとか、好きなんですよ☆ で、彼もフランシスカン(フランシスカンというのは、中世イタリアのアッシジという街の、ある野放図な坊さんが開いた修道会ですv)だから、一緒にイタリアのアッシジを訪ねようかってことになってv 仲良しなんです^^ だから、今日も応援しに行こうかな、と思って♪」 ニコニコと、屈託なくしゃべる愛、燦々とのチャイ。 彼、というのはズバリ、今般叙階を受けた「彼」の名前です。 んんん…なにか深く聞いてはいけないようなことなのか??? その後、彼女は更に衝撃の事実をニコニコと語りだしたのです。 「山口さん。私、誓願を立てたんですよ^^」 さて、女性の場合、「誓願を立てる」とは男性の「叙階」と同義、すなわち「修道女」になったということです。 「どこの会で誓願を立てたの!?」思わず詰め寄ってしまった私。 「聖心会です。私、もうシスターって呼ばれてるんですよ☆」 満面の笑顔で誇らしげに言う、愛、燦々とのチャイ。 頭の中で事実がCンラッドしながら、とるものとりあえず愛、燦々との携帯に電話をかける私。パニックついでにワンギリをしてしまった私の携帯に、愛、燦々とがすぐにかけ直してくれたので、一連の出会いを報告したわけです。そして、愛、燦々とのチャイに携帯を渡し、めでたく「エンジェルさん」と「チャイ」の再会も叶ったのでした。 聞くと、愛、燦々ととそのチャイは、お互いに音信不通になっていたらしい。 筆マメとは言い難い愛、燦々とには、ままありえることだ。しかし、音信不通のさなかに、これほどの歳月の重さが隠されていたとは── 私とシスター・愛、燦々とチャイとでアドレスを交換し合い、この4月にもあらためて再会してランチをすることになりました。 今の時代、修道女の誓願を立てるということは並大抵のことではありません。だからこそ、私は私の身近に、シスターを志した方がいた、という事実に感激しています。ヒロ、これを読んでいるか。君のような人ために生涯を捧げて祈ってくれる人が、ここにも現れたのだ。 ──以上、わたくし事ではありますが、【Miracles do exist...】の顛末とは、こういうわけでありました。 修道士少年が結んでくれた、私たちの20年ぶりの再会のエピソードに一緒に驚いていただけたり、喜んでいただければ嬉しいです☆ 今回は私が絶不調だった折に聞いた【ヒカリの民間療法】について特集しようと思っていたのですが、これは次回のトピックスに回すことに致しますv それからそれから。 今回の話題のバランスを取るためにも── 突然ですが皆様、イケメンだなぁって思った仏像ってありますか? オットが募集中なので、この場を借りてお知らせさせていただきます。 アイドル系、セクシー系、癒し系、パンク系、なんでもOKです☆ もし印象に残る仏像がありましたら、ぜひ教えてください!!! 4月13日、パンの中からひょっこりと…ムック&ガチャピンサンドv 4月12日、まめうしくんとおしりおにぎりv 4月9日、オットがたけのこ掘ってきた! ハッピー・イースターたけのこ弁当v 【そして、もはやどーでもいースリランカ紀行】 ─前回のCンラッドの記事と併せてお楽しみください─ これがターンダウンの際にベッドの上にやってくるゾウくんv ホテルの名はCリドール。負けたよ── 紅茶入れの体裁は可愛かった… 夜には野象が水を飲みに来るというプール。 じゃあプールじゃなくて水飲み場じゃねえか! しかも横にはベッドが…おれにここで寝ろと? 翌朝、ベッドから周囲を見回したところ。 あたりは跡形もなく踏み均されていた…以上。 【不思議図書館ラインナップは──】 今週の木曜日、みのりひとりで不思議図書館に行ってきました☆ 前回、男の子からお誘いを受けたんです。 「もうみのりちゃんひとりでも来られるよね? 来週はお弁当を持って、ひとりでおいでよ!」 お母さんも手をたたいて大賛成の様子。 なので、お弁当をしょわせて、ひとりで行かせました。 図書館で、冒険しておいで──と。 借りてきた本は、 ・さっちゃんのまほうのて ・たねの旅 ・こんこんさまにさしあげそうろう ・おにたのぼうし ・にじいろのさかな ・スーホの白い馬 ・とびうおのぼうやはびょうきです 司書少年が読んでくれた本は、 ・きつねのでんわボックス ・おばあちゃんのおにぎり ・山のタンタラばあさん 『山のタンタラばあさん』が作った、よもぎのスカートにレンゲ草のブラウス。 その様子を絵に描いてハガキにしたものを、大切にいただいて帰ってきました。 残念ながら、来週は診察のため、図書館はお休みとのこと。 次回更新の日は、みのりの学校が始まっているため、今度は私が行ってまいります。 ちょっとだけこちらに記させてください。 司書少年は、差別用語ではなく生物学的用語としてのアルビノ(全身型のチロシナーゼ活性陰性型)で、現在は自宅療養中とのことです。 春が来ましたね! 待ちに待った春! ◆応援ありがとうございます! 次回更新は4月15日(木)です。 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第六節をアップしております。
2010年04月01日
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真珠さんへ──不思議の図書館に『チョコレート戦争』ありましたv 【真珠さんと旭陽さんと透子さんとの至福のデートv】 待ちに待った3月13日、イベントの前日という強行スケジュールをおして、真珠さんと旭陽さんがデートをしてくださいましたv 透子さんもジョインしてくださって嬉しかったです! ──というか、透子さんがいてくださらなかったら、この日は成立しなかったような…^^ 真珠さんから気の利いた雑貨店のウィンドウショッピングをリクエストいただいていたので、トウキョウにあまり詳しくない小夜子はやっぱり今回も「自由が丘」を選んでしまった! いつの日か、銀座とかご案内できればいいのになぁ… そこで颯爽と現れてくださった透子さん! 10時に待ち合わせできて、その後何時間でもお茶していられる「ルピシア」でランチタイムといたしました。ルピシアは何度もこちらの日記に登場したかと思うのですが、四種類の紅茶を何杯でもおかわりできることと、三種類のパンをオリーブオイル、ジャム、紅茶風味のはちみつで食べられること、二種類のデザートが選べること、これで1500円というコストパフォーマンス──で、やっぱりどうしても足が向いてしまいます。 今回もデザートには黒すぐりのパンプディングを所望したのですが、かわいい店員さんが「私が作ったんですv」と小声で教えてくれたので二倍においしかったです☆ 店員さんかと思ったけれど、パティシエでもあったのね! 一階のショップでは、ホワイトデーのプレゼントを選ぶ若者二人組が微笑ましかったです^^ 順番待ちのお客さんのあまりの多さに恐縮して、お店を出ることに──でも、ずっと居座っていても邪魔者扱いしないルピシアが好き☆ 雑貨を見たい真珠さんと旭陽さんの心に適ったのは、透子さんおススメのお店、サボンでした! こちらは以前、透子さんと小夜子デートでいただいた珠玉のアロマキャンドルを扱うお店。そしてなんといってもラッピングが素晴らしい! フランスのシガレットケースのような、金や銀の縁取りの付いたシックなケースに入れてくれるのです。私はいただいたケースをふたつとも時計入れにして、大切に使わせていただいております。HPではラッピングの画像が見られないのが残念! そして、翌日のホワイトデーは旭陽さんのお父様のお誕生日とのこと☆ 親孝行(パパっ子とも言う^^)な旭陽さんが気に入ってくださったのは、まゆ最中の蜂の家でした! こちらの最中はおいしい和菓子を食べ慣れているはずの鳥取のみくまり家族も絶賛したお墨付きのお店です。 私は今度黒船のラスキュもお試ししてみたいな☆ それから、さらなるトピックスとして── 透子さんの真骨頂をうかがわせる「テーブル モダン サービス・ジュウガオカ」にて二度目の至福なティータイムv 写真を撮るのを忘れてしまった…というか、お皿が来たと同時にみんなで食べてしまったというか…笑。画像をお店できないのが限りなく残念!なルックスの逸品をご紹介いただきました。その名は「パンケーキ」。 パンケーキに関しては一家言のあるオット(現在はスリランカにて添乗ややや便乗旅行中!)に近々必ず食べさせてあげたい! 見た目も本当にケーキ☆なパンケーキv 外はさくさく、中はしっとり…あまりの大きさにゆっくり食べても最後までふわっふわ! わたくし事ですが、オットがどんだけパンケーキにこだわっているかというと、知る人ぞ知るハワイの「エッグスンシングス」のお粉&ココナツシロップを取り寄せるくらい! (かく言う私も、いわゆるホットケーキミックス特有の「におい」が一切しないこちらのお店のプロダクツに毎回脱帽しているのですが…) こんなオットが、テーブルモダンサービスのパンケーキを食すや、何を言うか、今から楽しみで仕方がありません☆ 春休み中に絶対にリピートしようっと^^ ここで、オットのスリランカ行を前日に控える私がタイムアップになってしまい…泣く泣く家路につくことになりました; 「家の前に乗りつけられたら、思わず乗ってしまう車種は?」 「そりゃハマーだ!!!」(←真珠さん&小夜子ユニゾンv) 女子トーク炸裂の一日、本当に楽しかった! お天気も良くて、気分は最高でした☆ 真珠さんと旭陽さんのイベントも大盛り上がりだったようだし、夏のイベントも当たるといいなぁ。今度は現地にも駆けつけたいです! 透子さん、本当にありがとうございました!!! おかげさまで完璧な一日をともに過ごさせていただきました── 3月17日、今日は早お昼のため、おにぎり弁当ですv 一年間の線路、一緒に走れて楽しかったv これで一年生のお弁当の更新は終了致します。応援いただき、本当にありがとうございました! 3月16日、たらことチーズを入れたワンタンDEおばけのアッチv 3月15日、あっぷるちゃんのにこにこピラフv 3月14日はホワイトデーでした 皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか☆ ええと、我が家はオットがスリランカに行くため、見送りなどに忙しかったのですが、午前中の早い時間に「とある淡い期待を込めて」近所のある場所に行ってまいりました(笑)。 で、顛末はというと── まわりを意味もなくちょろちょろしているみのりを見つけてくれた心優しき修道士くんv 「みのり~! ちょっとおいで!」 と声をかけてくれました。いそいそと近づくみのりに、 「馬車に乗せてあげるよ!」と言って、ホールの方に移動。 傍観者の親たちは「???」だったのですが、修道士くんが引っ張り出してきたのは「手すり付きの台車」だった(爆) それにみのりを乗せ、キャーキャー言わせること五分。 十分後には、そこら中の子供たちが集まってきて、かわりばんこにキャーキャー歓声を上げておりましたv 修道士さま、ありがとう! 27日に叙階されるそうだけど(おめでとうございます!)あたしゃ今だに信じられないよ…なんだか…神様にあげたくなくなっちゃう(笑)。 ねえ、神様。なんで彼を召し出すの? 今に可愛い娘が現れて、小さな結婚式をあげて、玉のような子供が生まれて──そんな俗世のしあわせを彼が謳歌したっていいじゃない…なんて。これぞ老婆心ですね; 今週の不思議図書館のラインナップは── ・はれ ときどき ぶた ・ひょっこりひょうたん島 ・ぼくの犬 キング ・猫山 ・ゆめのなかへわすれもの ・ゆめみるトランク おまけですが──ホテルの窓辺から浜離宮を見下ろしたところ…だそうなv これがターンダウンの際にベッドの上にやってくるコンラッドベアちゃんv 毎晩抱いて寝ているらしいw ◆応援ありがとうございます! 次回更新は4月1日(木)です。 ◆フリーページの方に新しい連載を始めました。 【Pi:e:ta】第四節をアップしております。 大人になった緋路は過去に立ち向かって行くのでしょうか──
2010年03月15日
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オリンピックが終わっていきましたね── 先週金曜日は学校行事でシスターのお話があったのですが、「皆様、本日は真央を見たいところ、私の講座にお集まりいただき、ありがとうございました。真央が飛ぶのは一時半くらいらしいので、今日は早めに終わります」とあらかじめ宣言なさったので、一同、吹き出してしまいました。私にとって、このシスターはおかたいイメージだったのですが、一気に親近感が増してしまいました^^ 【Pi:e:taを消してしまった!】─おかげさまで現在は復旧しております─ 皆様、先週は大変にお騒がせいたしました; タイトルのとおり、【Pi:e:ta】を「消した」のは私です 当時は取り乱すあまり、状況をきちんとご説明できなかったので、この場を借りて詳細をお話させていただければと思います。 透子さんに教えていただいたことによると、フリーページには「主」と「属」の段階があって、「属」のページを削除する分にはいいが、「主」のページを削除してしまうと、下にある「属」のページもすべて削除されてしまうのだそうです! 私は最初、【Pi:e:ta】を『書店リスト』の「属」のページに更新していたのですが、『書店リスト』が「主」である必要がなくなったので、このページだけを消そうと思い、『書店リスト』に付属して付いている「削除」ボタンを押してしまったのです。 言い訳をさせていただくと、管理画面からは「主」のページにも「属」のページにも等しく見た目にも同じ「削除」ボタンが付いており、それを見れば誰もが「それぞれ独立した削除ボタンがあるんだな」と思って致し方のないレイアウトになっているのです。 確かに、「主」の削除ボタンを押した後、「このページを削除すると以下に続くすべてのページが削除されます」との震撼すべき注意事項が書かれているのに気がついたのですが、それは透子さんもおっしゃっていたとおり、ものすごく小さな文字で、しかも注意事項の一番最初に書いてあるわけではなく、ちょうど真ん中あたりにごくさりげない調子で述べられているだけなのです。 私の主観から言えば、もし、「主」を消してしまえば「属」のすべてが消えるように設定されてあるのであれば、その「削除」の重さはまったく違うものであるわけで、「削除キー」のレイアウトや見た目も、もっともっと変えてしかるべきだと思うのです。 もちろん、今回の「事件」のすべては私の不手際で起きたことです。バックアップも取らず、そのままフリーページに書き込むという作業の危うさを、身にしみて感じました。 実は『箱根』も同じように更新していたのです。なぜかというと、ひとつに、『箱根』を始めた折も折、PCがクラッシュするという惨禍に見舞われ、ブログに載せていた文章以外は全部おしゃかになってしまったことがトラウマになっていて…うちのPCは信用がならない、ブログに入れておくことこそが、文章が飛ばない唯一の方策だ!と思い込んでしまったのです。 また一方で私は更新日に間に合わせた後も、同じ節を何度も何度も書き直しております。なので、バックアップを取っていたとしても、それすら何度も更新しなければならなくなり、さらに悪いことには、フリーページとバックアップのどちらが最新の文章なのかすら自分でもわからなくなるほどに細々書き直してしまうので、ともかくフリーページだけで書き直しをして、すべての節が完結した後に、やっとPCに記憶させ、全章プリントアウトもしておく、という体制をこれまでとってまいりました。 今回も性懲りもなくフリーページに直接書いておりますが、新しくページを作る毎にいちおうのバックアップを取ることに致しました。完結の後、最終的にすべての節のバックアップを取り直そうと考えております。それまでは最後まで推敲、推敲です。 現在は便宜上、フリーページの最後尾に『Pi:e:ta』を置いてありますが、今後は、できれば文脈上、『失笑節』を「主」とするページの「属」の部分、『ヒロの留学日記』の後に順次収めていきたいと考えております。 『失笑節』は何があっても絶対に消さないので、以後、二度とこのようなミスのないようにするためには、これが最善の安全策かとも思われます。 さて、私が愚挙をおかし、コメント欄で大騒ぎをしていたちょうどその時、更新中の第三節を開いていてコピー&ペーストして送ってくださった愛、燦々とさん。 「今、第三節を読んでるよ」 あの電話がなかったら、私は自棄になっていたかもしれません。 第一節と第二節をPCに保存していてくれて、その日のうちにメールで送ってくれた松丸。 おかげさまで、当日中にそれまでの更新分を復旧することができました。これらの奇跡のような出来事に助けられていなければ、今後の意欲を喪失してしまっていたかもしれません。 そして、なんと第一節から第十節までの草稿を手元に置いてくださっていて、宅急便で送付してくださったオルゴールさん。【Pi:e:ta】はオルゴールさんの支えにより、完全に復活を致しました。本当に本当にありがとうございました。 それから、第十一節と第十二節を持っているそこの貴君。第十一節は届いたので、第十二節の到着をお待ちしています!!! それにしても今回、文書を保存してくださっていた方が全員男性だったことが、小夜子には大変に興味深い事実でした。 そして、バックアップを取ることを勧めてくださっていた透子さん。ご心配いただいた旭陽さん。青木ファミリーは強い絆で結ばれているので何があっても大丈夫ですねと言ってくださった真珠さん。本当にありがとうございました。青木は強い絆で結ばれているから、何があってもだいじょうぶなんだよ! あやじくん。 どうか皆様、今後とも青木ファミリーをどうぞよろしくお願い致します。 私もこのような騒ぎを二度と起こさないよう、心してまいります。 いつも支えてくださる皆様の有難さを胆に命じつつ── 【今週の不思議の図書館】 行ってまいりました不思議の図書館! リクエストいただき、ありがとうございます! 先週木曜日は男の子ひとりだけが迎えてくれました。 ほかにだーれもいなくて、あとからくる人もいませんでした。 私が出かけて行ったとき、男の子はソフトクリームを食べているところでした。 直接なめるのではなく、ウエハースにつけては一口ずつ味わっているようです。 「あ。こんにちは」と私。すると男の子は、前触れの言葉も季節の言葉もなく、 「食べる?」と言って、ウエハースにソフトクリームを一口乗せたものをこちらに寄越してきた (ええええっ!!!)(しかもいきなりタメ口!?嬉しいけどv)などと軽くパニック状態になりつつ、でも表情はまったく動じないふうを装って、 「ありがとう~! ちょうど食べたいな~って思ってだんだっ」とソフトクリーム載せウエハースを受け取り、 1.けど、これって直接なめちゃっていいの!? 2.このあと、ウエハースを返すのか!? 3.それともウエハースごと食べた方がいいのか? 4.なめたあとのウエハースを返したって、 「そんなきたねーものいらねぇよ!」みたいな会話にならないか!? 5.どーする小夜子! 助けて愛、燦々と! みたいな魂の恐慌を体験すること約一秒。 男の子が、「はい」と手のひらを出してきたので、ソフトクリームをなめた後のウエハースを思わず返してしまった! 男の子はといえば、私から受け取ったウエハースを使って、涼しい顔をしてソフトクリームを食べ始めました。 皆様。オトナの対応として、小夜子はこれで良かったのでしょうか ぜひアドバイスをお願いいたします!!! さて、今回お借りした本のラインナップは── 『グラタンおばあさんとまほうのアヒル』 『ならなしとり』 『あたまに柿の木』 『ゆめをにるなべ』 『ももいろのきりん』 『うさぎのくれたバレエシューズ』 『あのこにあえた』 「これは、先週読んだ『つりばしゆらゆら』のシリーズもの。これはみのりちゃんお気に入りの安房直子さんの本。これは『ぐりとぐら』の作者さんの本。これは東北地方の民話で、昔言葉そのままで書かれているから面白い本。これはおいしそうな本──」 ひとつひとつ、説明をしながら選んでくれました。 不思議の図書館。 今週も、行ってまいります。 【他事ながら──みのりの近況】 国語の学年末テストが返ってきたのですが── 質問:(ライオンとシマウマに関する弱肉強食についての長い文章があって) あなたはこの文章がわかりやすいと思いますか? それはなぜですか? みのりのこたえ: つよい人を見るとみりょくてきなので、わかりやすいとおもいます。 先生からいただいた印は──「○」でも「×」でもなく「!?」だった ちびまる子の担任似の柔和な先生、ごめんなさい!!! 今夜、オットと私とで、わが子がどちらの遺伝を強く引き継いでいるのか、よーく話し合いたいと思います! 3月12日、今週はおいなりさんの稼動率が高いな(笑)みのり似のカピパラさんv 3月11日、ちょこんと顔出すピーナッツ豆しばv 3月10日、おいなりさんを裏返して作ってみた!ご近所ワンちゃん─名前はモカv 3月9日、たれぱんだのおにぎりv かつをの角煮を隠し持ってます…笑 3月8日、トーマス、パーシー、ジェイムズ、勢ぞろいDEランチv 3月3日、桃の節句v ◆応援ありがとうございます! 次回更新は3月15日(月)です。 ◆フリーページの方に新しい連載を始めました。 【Pi:e:ta】第四節をアップしております。 愛、燦々とが指摘するに「緋路は子供でいられる時間が少な過ぎた」── この指摘をもとに、緋路の子供時代は今回の節で最後に致します。 この半年後、私は青木の階段の下で緋路に声をかけてもらって、正式に青木のメンバー入りを果たします。次節、第五節からは、大人になった緋路の話に入ってまいります。子供でいられる時間が少な過ぎた緋路が、最後に子供だった頃の物語。どうぞ手に取って読んであげてください。
2010年03月01日
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禁断のハッピーバレンタイン 【バレンタイン狂想曲】 はーやんお誕生日おめっとーっ!!! 今年もバレンタイン狂騒曲があなたのまわりで巻き起こっていたのでしょうか☆ こちらも四半世紀前となんら変わらず──折りしも今年のバレンタインデーは日曜日だったので、みのりはかの紅顔の修道士さまに手作りスイーツをお渡しすることができましたよv 前日の土曜日は気合い入りまくりでクッキーを焼いていて、土曜学校にも遅刻したため、面白がった仲間たちが当日の日曜日にもこぞって集まり、小さな恋のゆくえを見届けてくれました^^ ママたちも爆笑しながら応援してくれました(笑)。 「ど、どうぞ!」と言って、小さなラッピングを差し出したみのりの結果は── 「お! ありがとう」と言って受け取ってくれた美少年修道士。御歳花の十七歳。 アラフォー女の私が見る限り──「もらい慣れてるv」感じがしたぜ みなさまのバレンタインデーはいかがだったでしょうか☆ いいお話、聞かせてくださいw 差し上げたのはチョコキャラメルがサンドされたクッキーv しょうがないからオットは自分でハート型のチョコレートケーキを焼いた… そして側面にバナナの輪切りを貼り付けた やれやれ、男の手料理って感じだのう。 【不思議な図書館のつづきのお話】 さて、前回の日記でお話しさせていただいた不思議の図書館。 翌週はあっという間に過ぎて、気がつけばもう木曜日! 実はその日、千載一遇のチャンスで学校が午前授業だったので、帰宅ルートのついでにみのりを連れていっちゃったのですv 笑顔で迎えてくれた男の子は、今日は車椅子に乗っていませんでした。 娘の制服を見て「あ。...だったんだ」とぴたりと言い当て、「今日は来てくれてありがとう」と──「こんにちは」と小さな声で返す娘。 本棚いっぱいの児童書に目を見はるみのりに、「自分で選んでいいよ」と男の子。 そうしたら── みのりのやつ、戸惑いつつも、目の前にあった『子どもの上手な叱り方』という本を一番先に手に取りやがった!!! 途端に男の子は破顔一笑し、「みのりちゃんもお母さんに叱られることがあるの?」とからかうような口調でたずねました。みのりが照れ笑いをすると、「僕もお母さんに叱られるよ」とお母さんをふり返り、「ね! 僕、よく叱られるよね!」と元気よく言います。このやり取りを聞いていたお母さんも、「お母さんはみんな同じです!」とすぐさま笑いながら言い返してきました。 「みのりちゃん、上手な叱り方をお母さんに教えてあげようと思ってるの?」 うんうん、とにやにやしながら男の子に何度もうなずくみのり。 そういうわけで、『上手な叱り方』の入門書は、めでたく今回お借りする本のレパートリーの中に──笑。 それから、男の子は「これ、読んだことある?」と安房直子さんの『青い花』と『うぐいす』を出してきてくれました。 そうして、「お母さん、この本はどう?」「いいわねえ、とってもかわいい本よ」などと和やかに会話しながら『おじいちゃんは荷車にのって』と『小犬のピピン』『きつねの窓』『ありがとうゼノさん』を次々と── 「読んでいく?」と男の子。うん、とうなずく娘。 「じゃあ、こっちは借りる本にして──この本はどう? 面白いよ」と出してきてくれた一冊の本の題名は『花豆の煮えるまで』。 「僕が読んであげようか?」という提案に、うん、とうなずく娘。 そうしたら!!! 安房直子さんの『花豆の煮えるまで』──小夜という女の子が出てくるんです。 男の子がみのりに読み聞かせる静かな声に耳をすましながら…びっくりを通り越して、鳥肌が立ってしまいました。みのりは男の子と向かい合うようにして畳にぺたんと座り、百面相をして聞いています。安房直子さんの「そうなのだよ」「暮らしていたものでした」などという少し古風な言い回しが、男の子の雰囲気と声質に合っていて、なんともいえず、いいのです。 この男の子とは、どのような縁があるのでしょう。 なんだか不思議で仕方がありません。 ちょうど最後の頁にさしかかった頃に、ふと男の子が「あ、あみちゃんかな」と読みとめました。すると本当に、あみちゃん、という小さな女の子とそのお母さんが入ってきました。 『花豆の煮えるまで』が「おしまい」と閉じられると、私たちは立ち上がりました。 「本好きの子に読んでもらえるとね、本も喜ぶんだよ」 言いながら、男の子は七冊の本をみのりに手渡し、 「春休みになったら、またおいでね」と笑顔で手をふってくれました。 あみちゃんもみのりに小さな手をふってくれます。 みのりもふたりに手をふりかえしました。 帰り道、みのりがぽつんと言いました。 「私、お兄ちゃんと、妹がほしい」 翌週も図書館に行くことを楽しみにしていたら、木曜日の前々日に男の子からメールが入ったのです。 「こんばんは。今週の木曜日は祝日なのでこども図書館はお休みにさせてください。みのりちゃんもご家族で楽しく過ごされますように。学校がお休みになったら、図書館にも遊びにきてください。おまちしています。おやすみなさい」 そうなのでした。建国記念日だったのです; 今週、また不思議の図書館に行ってみます。 なんだかそのまま童話になりそうな、不思議な不思議な図書館なのです── 2月26日、学年末テストの日なのでがっつりと─チェブラーシカの塩カルビ弁当v 2月25日、ミニ燦々は遠足やで~♪ ちょっと英っぽいトラハムちゃん(笑) 2月24日、チェブラーシカのシナモンフォッカv 2月23日、ちょっとリップの色が濃ゆい…パエリャのおでんくん(笑) 2月22日、ふたを開けたら絵本の世界──はらぺこあおむしv 2月19日、ドラミちゃんにて、ドラえもんシリーズ完成☆ 2月18日、でた; ジャイアンのプンプンおにぎりv これは先日のドラえもんおにぎりv 2月17日、で、今日はのび太くんおにぎりv というかパパというか担任の先生というか…いろんな人に似てる(笑) 2月16日、ムックのコロコロおにぎりv 2月15日、チップ&デールのどっちから食べようか迷っちゃう~おにぎりv ◆応援ありがとうございます! 次回更新は3月1日(月)です。 ◆フリーページの方に新しい連載を始めました。 【Pi:e:ta】第三節をアップしております。 よろしければ、ぜひ支えてあげてください。
2010年02月15日
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今朝、娘を駅まで送る道々、受験生の親子の姿を何組か見ました。 男の子には、やっぱり父親がついていくんですね。青木のみんなもそうでした。 今頃は、試験が終わった頃でしょう。 みんな、ほっとしていることでしょう。 【先週木曜日に本当にあったちょっと不思議な話】 本、とは物語を含んだ書物であることは言うまでもないことですが、本との出会いというのも、すでにひとつの物語になっているのかもしれないと、最近しみじみ感じます。 前回のコメント欄で、オルゴールさんに本との出会いのエピソードを教えていただいたその日の午後、本当にあったちょっと不思議な物語─どうぞ聞いてください☆ まず最初に、二年前に引っ越したこの街の、少し奇妙な偶然について語らせてください。 以前の日記で、引越し先についてのエピソードを書かせていただきました。出会うべくして出会った物件だったのだと、私は今も信じています。 そして、娘が一年生に上がり、駅までの登下校の送り迎えをするようになったのですが、このルート上のとある家の表札に、スバリ楓の姓を発見したのです。 皆さまご存じのように、楓の姓はそうありふれたものではありません。調べてみると、361世帯しかない姓なのだそうです。楓は実父の姉(つまり伯母)夫婦に引き取られていたので、実父の妹尾姓ではなく伯母の嫁ぎ先の姓を名乗っていました。となると、全国に361世帯しかない姓の表札の主は、あるいは楓の伯母の嫁ぎ先の遠縁に当たる方なのかもしれません(意外に近い血縁者だったりして;) しかもこの家、どっかで見たことがある…; 「ねえママ。このおうち、うちとおんなじ!」 娘の指摘に、私も我が意を得たりと頷いた。 たぶん…施工会社が同じなのでしょう。家の外観から外壁まで、そっくり─笑。 歩いて五分以上離れているので、こちらの楓姓の方が双子の住宅に気づくことはないと思われますが、私にとってはすごく不思議で、親近感あふれる事実発覚、といったところですv 我が家は建売りではなく、注文住宅です。なのに、これだけ外観が似るということは、お互いの「シュミ」がとっても似ているのではないかと─しかも思いっきり楓姓だし。 こういうことって、あるんですね☆ さて、本題です。 その日、私は『オルゴール』という本のことを思いながら書店に向かっていました。 道すがら、とある家の前に今日も小さな看板がかかっているのを見つけました。それは、通りがかるときにいつも気になっている看板です。手書きで、「こども図書館」と書いてあって、毎週木曜日の午前中に掲げられ、午後の早い時間にはもうしまわれてしまうのです。 私はふと、今日は中に入ってみようと思い立ちました。 紹介者もなく、通りすがりに家の人を見たこともなく、ましてや知り合いでもない─でも勇気を出してドアの前に立ってみました。すると、いきなり玄関の扉が自動ドアのように左右に開いたのです。いえ、実際に自動ドアだったのでしょう。そして、その向こうにはさらに重厚な扉があり、中から人の声が─ 笑い声です。楽しそうにおしゃべりする声。 私は思い切って扉を開けてみました。 日が燦々と差し込む小部屋の中には、車椅子の若い男の子。中学生くらいに見えます。そして、その母親らしき人。二歳くらいの小さな女の子。その若いお母さん。 年上のお母さんが、小さな女の子に松谷みよ子の本の読み聞かせをしています。女の子のお母さんも笑顔で耳をすませています。 闖入者に、ふと絵本が読み止められました。 「はじめまして。こちらは図書館ですか? 本をお借りできるのでしょうか」 なんと言っていいのかもわからず、私はとりあえず声を出しました。 「どうぞどうぞ。本も借りられます。ここで本も読めます」 答えてくれたのは、車椅子の男の子です。 見れば、窓を除く部屋の三面いっぱいに設えられた本棚に、児童書が何百冊も詰まっています。 「娘が一年生なのですが、学校では一冊しか借りられず、公共の図書館も遠いので、こちらでお借りできれば大変嬉しいのですが─」 「一冊だけ!? それは少ないですね! うちでは七冊まで借りられますよ」 七冊!!! 一日に一冊読めるなんて! 「ぜひ貸してください。娘も喜びます。今、学校に行っているのですが、私がお借りしてもよろしいでしょうか」 「どうぞ。だいじょうぶです」 気がつくと、読み聞かせがいつともなしに始まっています。 「ここにご住所とお名前と電話番号…あと、Eメールのアドレスがあれば教えていただけると便利かな。こちらが急にお休みの日や、そちらがいらっしゃれないときなどにご連絡ができますから」 用紙とペンが差し出され、私は娘の名前を書き込みました。 「これはお嬢様の名前ですね」 笑顔で指摘され、私は慌てて「母・小夜子」と娘の名前の横に書き込みました。 惜しむらくは、娘の帰宅時間が近づいていて、ゆっくりとお話しすることができなかったこと。 「ごめんなさい。娘が帰ってくる時間になってしまったので、今日はこれでおいとまさせてください。初めてうかがったというのに、バタバタしてしまって大変失礼致しました。次回はぜひ、ゆっくりうかがわせてください」 「あ。もうお帰りですか─本は借りていかないんですか?」 「えっ、いいんですか?」 「どうぞ。一年生の女の子なら、あっちの本棚に入ってる本がいいかな…時間がないのなら、僕が選んでもいいですか?」 「お、お願いしますっ!」 さっと選んでくれた七冊は、 『こんとあき』 『きいろいばけつ』 『車のいろは空のいろ』 『雲のピアノ』 『ふしぎなかぎばあさん』 『ちいちゃんのかげおくり』 『マザーテレサのおねがい』 私は男の子の顔をじっと見つめてしまいました。 みのりはあまんきみこさんが大好きです。ミッション系の学校に通っているので、いきなりマザーテレサの本を読んでも、違和感をおぼえないことでしょう。 しかしなぜ、彼はみのりの情報を知ることなく、この七冊を不可分なく選んだのでしょうか。 「本の背表紙の裏にあるポケットからカードを出して、ここに置いていってください。これで手続きはおしまいです。期限を書き込むこともありません。来週までにみのりちゃんの箱を用意しておきますから、箱に入っているカードを借りていた本に戻して、返却手続きは完了です。次回からは同じ手順で本を借りていってください」 「ありがとうございます。来週、必ずうかがいます」 「ではお気をつけて」 私は大切な本を携え「こども図書館」を後にしようと扉に手をかけました。 「あら。かわいいわねぇ。見てくださいな」 見てくださいな、と声をかけられたのは私です。男の子のお母さんらしき婦人が、私にほほ笑みかけています。指先を、小さな女の子の方に向けて、私の注意をひきました。 「あのマフラー、かわいいわねぇ」 見れば、小さな女の子も帰り支度をしていて、いちごの柄のマフラーをお母さんから巻いてもらっているところでした。 「あら。かわいいですね」私もそれに和すと、女の子のお母さんもほほ笑み返してくれました。 「またお待ちしていますね」 「ありがとうございました」 それから本を抱えて走った走った──ギリギリセーフで娘をゲットし、三時過ぎに同じ道を帰ってくると、すでに「こども図書館」の看板は下げられていました。 魔法の家を訪れてしまったかのような、不思議な気持ちが今もしています。 でも、手元にある七冊の本と、男の子からもらった「会員証」が何より現実の証拠です。 そして、その日の四時頃、なんと私の携帯にメールが届きました。 「今日はいらしてくださり、ありがとうございました。 アドレス登録いたしました。どうぞよろしくお願いします。 新しい出会いに感謝」 来週、私は七冊の本を返しに、またあの家を訪れることでしょう。 春休み、娘を連れて、あの家の扉を開けてみたいと思います。 2月10日、ドラえもんおにぎりv 2月9日、とっとこハム太郎のキラキラおめめランチv ◆応援ありがとうございます! 次回更新は2月15日(月)です。 ◆フリーページの方に新しい連載を始めました。 【Pi:e:ta】第二節をアップしております。 よろしければ、ぜひ一緒に歩いてあげてください。 先日も七歳の男の子が親の虐待によって命を落としました。 子供が苦難に遭うとき、当の本人は苦しみを苦しみとして受け止めていないことがままある─ヒロのことを思うとき、そんな印象を強く持ちます。食べ物を与えられないことを苦しむのではなく、「お腹がすいたなぁ」「お腹がすいたなぁ」と死んでいく子供。ぶたれて痛かったことを、自分は愛されていなかったのだと理解するのは大人になってから。大人になれば、恨んだり憎んだりすることが、生きるエネルギーにかわることもあるかもしれない。ただ、それまでは、自分がなぜこういうめに遭っているのかということすら、疑問に持たない─逆に言えば、かれらは子供だから疑問を感じない。疑問にできないくらい子供なのです。 キリシタンの嫌疑をかけられて殺された与一のことを調べていると、自然、江戸の禁教時代のキリシタン史に触れることになります。 あるキリシタンの五歳の少年は、二度と手を合わせて祈ることができないようにと、親の前で両手首を斧で切り落とされる拷問に遭いました。でも、その子は刑の後、血のしたたる両手を掲げて、「お花みたいできれい…」と言ってじっと眺めたそうです。 一番小さい十字架を見つけて「あれがぼくの十字架?」と確かめ、そうだという返事を聞くや、駆け寄って自分が磔にされる十字架を抱きしめたルドビコ茨木など、幼いキリシタンの話は美談として語り継がれていることも多く、どこまでが事実であるのか疑いを要するところではあります。また、信仰に裏打ちされた行動を、そのまま一般論に結び付けてはいけないのかもしれませんが、かれらの一連の情動を鑑みると、ひとつだけ思い至ることがあります。それは、幼い心を持つ者たちは、自分の身の上にふりかかった苦難を、苦難そのものとして感じていないことです。苦難の意味するところ、それに至る原因、そしてそれを回避する術──これらはいつも、かれらの考えの外に置かれています。 助けを求められない、否、助けを求めることを知らない子供たちだからこそ、誰かが守ってあげなければならない。しかし、もしそのとき誰も守ってくれなかったのならば、未来の私たちが今、かれらの思い出の中で一緒に歩いていくことは許されるでしょうか。 私たちがしなければならないこと。しなければならなかったこと。これからは私のライフワークとして、長く考えていきたいと思います。
2010年02月01日
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皆様、新年あけましておめでとうございます 開運☆ジュン兄貴からのお年玉をどうぞ! ジュン兄貴のクロスワードが載った『クロスワード』をプレゼント ご希望の方はコメント欄か私書箱にお知らせください。お待ちしておりまーす 【今年はいつもと同じ年でありたい】 皆様、あらためまして新年あけましておめでとうございます。 毎年抱負などを語っている私ですが、今年はちょっと肩の力を抜いております。 今年は──いつもと同じでいきたい。 今年もみんなと一緒にいたい。 同じ一年をくり返すこと。これが私の年頭に当たっての願いです。 なにがあっても、なにもなくても、どうぞよろしくお願いします。 追:あ。でもひとつだけ具体的な目標を── 今年、絵本を書いてみたいです! 【寅(虎)について】 ところで、寅という字は飛んでいく矢を表しているそうですね。 昔の人は猛進していく虎のイメージを寅の字に当てたのかもしれません。 虎という文字もやっぱり形にかたどって作られたもので、虎かんむりと呼ばれる虎という字の部首は虎の皮の文様をあらわし、下の部首は虎の前足の形をあらわしています。 とらかんむりの部首に属す字は、オットの部屋にある大辞典には一〇二載っています。その中には必ずしも虎に関係のないものが大多数をしめており、たとえば、虜はとりこ、虐はむごい、などなどです。ちなみに、とらかんむりの最大画数の字は二十二画、虎に騰と書いて、トウと読み、意味は「黒い虎」だそうです。 トラという名の語源については『日本釈名』では「とらうるなり、人をとらうる獣なり」などと書いてあるのですが、これはいかがなものでしょうか。中国では虎は異名の多い獣です。昔、中国の陳・魏・宋・楚の地方では李父といい、江准・南楚の地方では李耳といい、西では伯都といったそうです。しかしこれらはほんの一地域の方言であり、中国全体に通じる比較的広い名としては、草冠に免じると書いて「ト」と読みました。この呼び名が日本に入ってきて、「ト」+「等(などという意の助詞)」を加えて、トラとなったのではないでしょうか。これはあくまでも私見ですが── さて、中国では虎は昔から神秘的な存在でした。枢星(すうせい)散じて虎になるといって、その前身はお空のお星さまだったのだそうです。また、雲は龍に従い、風は虎に従うとも言い伝えられています。青龍・白虎・朱雀・玄武はいわゆる四禽といい、霊妙不可思議の動物とされていて、四方にかたどられ、四季になぞらえられていますが、それによると虎は西にあたり、秋に配せられています。 中国では虎は陽の気を持つ動物であり、七の数字も陽の気であると考えられていたことから、虎と七が結びつき、虎は胎内にあること七ヶ月にして生まれ、首から尾までの身の丈は七尺だとされています。 昔の日本では丈夫な子供を望む人は産婦に虎豹勇躍の図を見せたり、子供のひきつけには虎胆という薬を用いたりもしました。男の子に虎太郎、虎之助、などという名をつけるのは、その子が勇猛ならんという親の期待がこめられているのでしょう。 虎を引き合いに出した喩えとしては、「虎の尾を踏む(危険なことの喩え)」「虎視眈々(隙をうかがっているさま)」 などが有名ですが、 古く中国で言われている「虎豹の駒(こ)は未だ文(あや)を成さずして食牛の気あり」という言葉は、偉くなる者は小さい時からどこか違っている、という意味の喩えです。同じ意味でも、日本でいう「栴檀は二葉より香ばし」などの優雅なものと比べると、大陸の趣はだいぶ違っているのが明らかです。 さて、人の噂も七十五日といいますが、その反対に、火のないところに煙が立って、いつしか噂が実となることもあります。これを「三人市虎を成す」と言い表します。 むかし、魏の鳳共(ほうきょう)は太子とともに趙の都邯鄲(かんたん)に人質にやられました。その間にいろいろ鳳共の悪口を言う者がいたので、鳳共は魏王に訴えて言いました。 「いま、一人の者が市の真ん中に虎が出たと言いましたら、王はお信じになりますか」 「信じる馬鹿がいるか」 「では二人が言ったらお信じになりますか」 「信じるものか」 「では三人が言いましたら」 「それは信じるよ」 そこで鳳共はすかさず、 「それです。虎がいるはずはないけれども、三人まで言うと市の虎ができあがる。衆口の恐ろしさはそこにあります。今、私を讒言している者どもは三人以上です。どうかその点をお考えになってください」 と申し立てたので王は感心して書き留めさせたという話から、「三人市虎を成す」という言葉ができました。 また後漢の班超は夷を攻めるのに夜を選ぶのが良策と考えましたが、時の王はそのことに危惧の念を抱き反対しました。ですが班超は「虎穴に入ずんば虎子を得ず」と若干の危険を犯さなければ功は立てられないと言って人々を諭しました。 ほかには「虎口を去って慈母に帰す」とは危険な場所を逃れて安楽の地に帰るという喩えですが、これは渡源の徐宣が光武帝に帰服した時の言葉です。 それから「虎の鬚をなでる」とは、権威のある人のご機嫌をやわらげ、やがては権者の勇猛を押える喩えですが、これは呉の朱桓の言葉から出ています。 そのほか、「虎の為に翼を附ける」といえば猛悪の人に権威を添える喩え、「虎を描いて狗に類す」といえば、豪傑を気取ってかえって軽薄に陥る喩え、「虎口を脱す」といえば、危険を逃れる喩え、「虎首を争う」といえば、功名栄達を争う喩え、また、「虎の豚を食うが如し」と言えば、弱肉強食の浅ましさを示す喩えです。 最後に虎の怖がるものと、虎より怖いものの例をあげてみます。 宋の蘇東波が雲安地方で実際に見たものだそうですが、ある時、二人の子供が川辺で砂遊びをしていました。そこへ一匹の虎がやってきて、子供たちに迫りました。ですが無心の子供たちはただニコニコしていて喜ぶばかりだったので、とうとうその虎は恐ろしくなって山へ逃げ去ったというのです。これと同類の話は朝鮮半島などにも数多く伝えられています。 「善く生を摂する者は陸行虎兜に遇わず、虎も其の爪を措く所無し」と老子も教えているとおり、疑心が暗鬼を作るのであって、はばかるところのない者には、おそろしいものなどないことの喩えとなっています。 つぎに虎よりも怖いものの話。 孔子が門人を引き連れて旅行中、太山のかたわらにさしかかると、ある墓場のわきで泣き伏している婦人があります。尋ねると、婦人は「むかし自分の舅にあたる人が虎に噛み殺され、夫も殺され、その悲しみの絶えないうちに今度はまた自分の大切な子供までが虎に食われたのです」と一身の不遇を物語りました。 驚いた孔子が、「ではなぜこの地を去らないのか。ほかに虎のいない地方もありそうなものだ」と言うと、婦人は「でもこの地は過酷な政治が行われていませんから」と答えました。 この話に感じた孔子は門人に向かい、「よく覚えておくがよい、これを『苛政は虎よりも猛し』という」と教えたとのことです。 折りしも、本年は寅年。 今日でも政治にたずさわる人々が耳を傾けるお話だと思います。 私見を聞いていただき、ありがとうございました。 1月29日、おもちゃのお弁当箱vマトリョーシカちゃんたち^^ 1月28日、まめうしくんとひめうしちゃん弁当v 1月20日、先日、ライオンキングを見てきました──レオの冒険弁当v 1月15日、「李徴v」と言ったらオットが「猫や」と爆笑した; ◆これまでのお弁当のバリエーションはこちらをご覧ください ◆応援ありがとうございます! 次回更新は2月1日(月)です。 ◆コメント欄でお知らせしたとおり、フリーページの方に新しい連載を始めました。 ただし、この連載は日記にリンクを貼らずにおこうと思っております。 どうぞフリーページから■Pieta■というタイトルを探していただいて、お読みいただければさいわいです。また、胸の痛む内容ということもあり、読み進めていただくかどうかは、謹んでお任せいたします。 このような事情ゆえ、リンクは貼っておりませんが、どうぞぜひこちらのコメント欄にはご感想をいただければ励みになります。もちろん、お読みにならないことを選択された場合も、本文の内容とまったく関係のない話題、今日の気持ちなど、これまで通りぜひお寄せください☆ ご協力をありがとうございます。 【更新の内容について】 子供たちを性的に虐待してはならない──多くの人にとっては言うまでもないことですが、残念なことにすべての人がそう考えているわけではありません。 そして、現代社会では少女たちだけでなく、少年たちもさまざまなかたちで性的虐待の対象となっています。しかし、性を語ることへの偏見、誤解や思い込みが根強い中で、少年たちの性被害が認知される機会は極めて少ないのです。 これまでの知識は、主に少女や成人女性の経験に基づくものであり、性的虐待を受けた少年の治療に関わる症例や臨床的知見は、諸外国を見渡してもごくわずかなものしかありません。被害者となった子供には適切なケアが必要であるにも関わらず、少年たちの多くは自らの被害経験を語る場すら持っていないのです。 少年の性的虐待のケースで特徴的なこととして、その大部分が既知の人物による虐待であることが、現在の調査では明らかになっています。特に近親者が関与している虐待の場合、被害者である子供たちに過度な罪悪感、恥辱感を引き起こしたり、法制度や治療機関がさらなる問題を誘発したりすることがままあります。これによって、かれらが自分の被虐経験を話したり整理したりする機会がきわめてまれなことになってしまうのです。 性的虐待を受けた少年たちは、自らの経験をどのように受け止めているのか。なぜ、それを語れないのか。誰が虐待者になるのか。そして、被害者となった少年をどのようにして支援していけるのか。 かれらに対して私たちが次に取るべき行動について、皆様とともに手がかりを探していきたいと思います。
2010年01月01日
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来たれ!勇者よ!─ジュン兄貴からの挑戦状第二弾─ いっとう早く解けた人には、ジュン兄貴からちゅーをプレゼントv ■クリスマスプレゼントですv■ ■ヒロの留学日記─最終章─■ 本日は松丸が寄稿してくれましたv 【集まれ、巽ファン!】 ─意外にキーパーソン。唯一、ヒロのお母さんを知り、楓の夢をたどる人。 ヒロ、おれ、せ、セイリがないんだ…と素っ頓狂な相談を、よりによってヒロにぶつける黒目がちの美少年。その名はたっちゃん。おれだけのアイドルのつもりだったのに、最近、青木を知るまわりの中年男(笑)と話していると、「おれもおれも」と語り出す奴が多いのは心外だ。たとえば、英のいわゆる外国人顔は東洋人の女の人にはえり好みがあるだろうし、楓や飛雁の容姿は個性的美人といった方がいい。ヒロの翳のある大人顔の魅力は、当時の元気印の女の子たちにはまだ理解できなかった。彼らに比べてたっちゃんのまるでキンキキッズの堂本光一くんのような、どっからみても美少年顔。少女マンガならば伝統のロマコメ形式の主人公に確実になれるところ、その言動があまりに姉貴の美意識とかけ離れているため、なかなか主役の座がもらえない悲劇の美少年! けど、実際のたっちゃんは、お約束のようなギャグを飛ばしつつ(憧れの美少年は下の毛をシャンプーしたらかぶれたとか。そしてヒロに相談する…いや実際、相談される方の身にもなってみろよ)、その美少年の思春期の叙情と青少年としての現実のリアリティが、同世代の男友達の絶大な共感を呼び、おれが知る限りは現在のところ人気はダントツの一位。 ベッカムヘアをしてみたかったのに、奥さんに反対されたから下の毛で決めてみたとか、「美少年でもひとりエッチをするのか?」という話題には、鶴見でも山の手に住んでる連中ならば思いっきりひくところを「おれ? しまくりだよ~」と間髪入れず言い放つ。この健全かつ天然な精神に、みんな幾度救われたことでしょうか。「おれ、保健体育の教科書に載ってた、初体験がゴーカンだったっていうケースのひとりかも」って悩んでるからみんな青くなったけど、なんのことはない、相手は今の奥さんだったり。「キミガヨってなに?」と聞く飛雁の横で、「危険日ってなに?」と聞き回っていたあの頃のたっちゃんは、たぶん生涯で一番暗~い顔をしてたな。今は笑いっぱなしだけどよ。さて、このテの話題だが──「おれは基礎体温をつけている!」と豪語していた楓やら、中坊のくせに危険日にやたらと詳しかったヒロについての見解は、またの機会に稿を割くことにしよう。 そんなたっちゃんだけど、小さい頃はお母さんを困らせたことがありました。それは、毎年の3月9日の夜中に、「こわいよー」と泣き叫ぶことです。怖い夢でもみたのかとお母さんが聞くと、「人がたくさん死んでくよー」と。そして朝まで眠れずに震えている。それが3月9日だけなのだそうです。つまり、たっちゃんは東京大空襲で幼くして亡くなった、とてもきれいな顔をした男の子の生まれ変わりなのでしょう。泣き叫んだりはしないけど、三十代も半ばを過ぎた今でも、3月9日の夜半になると、空から爆撃を受ける夢をみるそうです。B29に乗って機銃掃射を仕掛けてくる、赤ら顔の米兵の姿も毎年はっきりと見るのだそうです。 また、ヒロは小学生の頃、たっちゃんと一緒に下校していたとき、超低空飛行で飛んでくる艦載機の機影を一度だけ見たそうです。その艦載機は、ヒロたちの頭上をすれすれに飛ぶと、いきなり消えたそうです。それはヒロだけでなく、ほかの子供たちにも見えたそうで、当時はかなり話題になったそうです。 自分の前世をそういうかたちでおぼろげにも覚えているたっちゃんは、生まれる直前のことも覚えていて、そこでたっちゃんは「自分が誰として生まれるのかまだわからなかったから、心配で心配で不安でいっぱいだった」そうです。そこへ、どこからともなく少年たちがやってきて、たっちゃんのまわりを取り囲んで、「ぼくたつも一緒だから大丈夫だよ。一緒に楽しくやろう」と言ったそうです。たっちゃんいわく、自分を励ましに来てくれた子供が、今のおれたちなのだそうです。 不思議なことに、ヒロもこれと似た夢を子供の頃から繰り返しみていました。おれが思うに、たっちゃんとヒロはきっと前世で兄弟だったのでしょう。 たっちゃんがヒロの家にデジカメを忘れていって、返してもらった後にメモリーを見てみると、ヒロの入浴シーンが容量いっぱいになるまで延々と入っていたとか。そうやって他人で遊ぶのが大好きなヒロは、おそらくこのたっちゃんに出会って、はじめてこの稀有なイタズラの才能を開花させたのだろうと思います。 また、前世の場面にいた楓のこともはっきりと覚えているというたっちゃんは、唯一、算数のS級問題を二回、楓に先んじて解くことのできた頭脳の持ち主でもあります。たっちゃんが楓に乞われて計算式の解を黒板いっぱいに書いていくのを、ちゃちゃリストの楓がチャチャも入れずに「惨敗だ…」とつぶやきながら妙に底光りする目でノートに書き写していたのを思い出します。楓が唯一「ちゃん」付けで呼んでいる(つまり楓なりに敬意を表している)のがたっちゃんだったし、あるいはたっちゃんという勉強上のライバルがいたことによって、負けず嫌いだった楓の能力が最大限に引き出されたともいえるのかもしれません。 小樽出身で、親父さんが脱サラするのにともなって一年生で横浜に越してきたたっちゃんが使う、「でしょや」というかわいい北海道弁と、姉貴の「だっちゃ」というラムちゃん的鳥取弁は当時かなり流行って、今でも仲間うちで使っています。 本人は秘密にしていますが、たっちゃんはサッカーの評論家という副業も持っています。おれは、ヒロのために医学を志したのは、飛雁の方だと思っています。たっちゃんは、むしろ楓やヒロのお母さんのことが忘れられないのだと思います。楓のことがなかったら、彼は迷わずサッカーの道を選んでいたことでしょう。あるとき、たっちゃんは僻地医療への情熱を語る医学部の後輩に、「やめときなよ」と忠告していた。「おまえの地元で病気に苦しんでいる人を、まずどんな小さな人でもぜんぶ助けてから考えろ」と。 ちなみに、たっちゃんのファンがいかに多かろうと、彼の長男はおれの名前から一字を取っている。勝ったぜww 合掌 12月16日、えっ!? 今年最後のお弁当だった! ふわふわサンタさんのチョコレートパンv 12月15日、今日は寒くなりそう! 雪の日のミッフィーちゃんv 12月14日、ひつじのショーンも馬小屋へ急ぐ☆ 12月11日、ころころ雪だるまのクリスマスおにぎりv 12月10日、サンタさんのおうちを作ってみたv 12月9日、リサとガスパールの仲良しパスタv 12月8日、ぐるぐるうずまきのおにぎりニョロモv 12月7日、今日は日の丸弁当DAY─地球を愛そう─ with ぴよちゃんサンタのふりかけ入れ 12月6日、リースを作ってみましたv ─byみのり─ 小夜子も作ってみたv 12月3日、お砂糖でクリスマス飾りを作ってみた! ついでにおべんとう箱のお着替えも作ってみた(明日も作るよv) 12月2日、おせんべいにのせて食べてねv もんじゃ焼きDEさるかに合戦! ジップロック付ソースせんべい入れも作っちゃった(笑) 12月1日、お弁当も冬支度☆ボリスとバーバラのマフラー弁当v 本日からお弁当あたため器(?)に入れるそうです☆ ◆四月からのお弁当のバリエーションはこちらをご覧ください ◆応援ありがとうございます! 次回更新は、元旦です。 皆様、今年も本当にありがとうございました。 今はまだ早いので、クリスマスと年の瀬のごあいさつはまたあらためて── 小夜子拝
2009年12月01日
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来たれ!勇者よ!─ジュン兄貴からの挑戦状─ いっとう早く解けた人には、ジュン兄貴からプレゼントがあるかもしれませんv(←勝手に言ってる) さらに本日、秋野真珠さんのお誕生日! ■ヒロの留学日記─転の章─■ 更新が遅れてごめんなさい;; わたくし事ながら、昨日は七五三でした☆ さて本日は、おそらくジュン兄貴しか理解できない特集! 【ヒカリの計算方法─ヒカリの頭の中はどうなっているのかな?─】 文系か理系かと問われれば、ヒカリはまるで理系の男です。 また、ヒカリのような医療に関わる人は理数が得意でないと務まりません。 ところがヒカリに「白い花が三つ咲きました。黄色い花はひとつも咲きませんでした。今、花はいくつ咲いているでしょう」と聞いても「えっ?」と聞き返すのです。 とはいえ、人間の可能性は無限です。ヒカリも脳の回路にハンデがあることで、さまざまな思考回路を工夫せざるを得なくなり、そこに研究活動などで見せる独創的な発想も生まれるのではないかと思います。 ヒカリは二桁以上の計算は、一の位からではなく大きな位から先に計算します。 34+26の計算の場合、まず30と20を足して50にする。それから4+6を足して10。 50と10を足して、答えは60となる。 この計算方法ならば、三桁でも四桁でも、暗算で誰よりも早く正確に解ける。 逆に言えば、一の位からの繰り上がり、繰り下がりの計算は解けない。 【9をかけるとき】─10倍してもとの数をひく─ 45×9=45×10-45=405 【11をかけるとき】─10倍してもとの数をたす─ 45×11=45×10+45=4545 【10の位が同じで、1の位をたすと10になる数をかけるとき】 48×42=(20 16) V V 4×(4+1) 8×2 10の位の数と、それに1をたした数をかけて20。 1の位の数をかけて16。答えは2016. 同様に 37×33=(12 21) V V 3×(3+1) 7×3 ゆえに、37×33=1221 【1の位が同じで、10の位をたすと10になる数をかけるとき】 72×32=(23 04) V V 7×3+2 2×2 10の位の数をかけて、それに1の位の数を足して23. 1の位の数をかけて4.積が1桁のときは0をつけて04とする。 ゆえに、72×32=2304 同様に 84×24=(20 16) V V 8×2+4 4×4 ゆえに、84×24=2016 【ヒカリの独特な割り算】 ・2でわるときは、5倍して10で割っている。 30÷2 =30×5÷10 =150÷10 =15 ・5でわるときは、2倍して10で割る。 75÷5 =75×2÷10 =150÷10 =15 ・25で割るときは、4倍して100で割る。 ・125で割るときは、8倍して1000で割る。 【ヒカリの数字の見分け方】 ・2で割り切れる数→数字の下1桁が偶数。これはみんな知ってるよね。 ・3で割り切れる数→桁の数字をすべて足した数が3で割り切れる。 123は3で割り切れる。1+2+3=6 6は3の倍数だから割り切れる。 124は3で割り切れない。1+2+4=7 7は3の倍数じゃないから割り切れない。 ・4で割り切れる数→数字の下2桁が4で割り切れるか、00のとき。 124は4で割り切れる。124の下2桁は24.24は4の倍数だから割り切れる。 125は4で割り切れない。25は4の倍数ではないから4で割り切れない。 ・5で割り切れる数→下1桁が5または0. 125は5で割り切れる。 50310などの大きい数字でも、下1桁が5か0ならば5で割り切れる。 ・6で割り切れる数→下1桁が偶数で、しかも数字の和が3の倍数。 126は6で割り切れる。下1桁が偶数で1+2+6=9で、9は3の倍数だから。 128は割り切れない。下1桁が偶数だが、1+2+8=11で、11は3の倍数ではないから。 ・7で割り切れる数→簡単な見つけ方はない。7で割り切れる数字はいろいろあるから。 ・8で割り切れる数→下3桁が8の倍数か000. 3016は8で割り切れる。下3桁の016は8の倍数だから。 13824は割り切れる。824は8の倍数だから。 13724は割り切れない。724は8の倍数ではないから。 ・9で割り切れる数→数字の和が9の倍数。 8244は9で割り切れる。桁の数字をみんなたしてみる。8+2+4+4=18 18は9の倍数だから、8244は9で割り切れる。 8266は割り切れない。8+2+6+6=22だから22は9で割り切れないから。 ・11で割り切れる数→奇数桁の数の和と、偶数桁の数の和が同じか、その差が11の倍数。 26785の場合、奇数桁の和は2+7+5=14 偶数桁は6+8=14 どちらの和も14だから11で割り切れる。 26807の場合、奇数桁は2+8+7=17 偶数桁は6+0=6 17-6=11 奇数桁と偶数桁の和の差が11だから16807も11で割り切れる。 (上記は計算時にヒカリの頭の中で起きていることをわかりやすく記したもので、実際はこの方法でヒカリは瞬時に解を導き出しています) 自身も理系頭脳を持つ愛、燦々とさんが分析するに、ヒカリは「文系」という概念を持たない代わりに「数の構造、性質というものを先天的な知識として持って生まれた」ため、上記のような計算が頭の中で瞬時にできるそうです。 ヒカリが微分積分の計算をするときは、頭の中に小さな方眼を展開して、そこに点を打って組み立てていくそうです。公式に当てはめると正確な解が出ないのだそうです。 健常者、あるいは定型発達者である人々の方がこの世界に多いのは確かです。 けれども、「なんとなく」揃って生まれてきた私たちより、ヒカリのような人間に、「なにか」が倍増して補われることは、私たちもよくTV番組などの特集で目の当たりにする事実です。 恵まれていない部分を使って、人は奇跡を起こす。逆を言えば、不足している部分──そこからしか奇跡は生まれないのかもしれません。 ヒカリがハンディを持って生まれてきたのは、周囲の人々の「真心」がこの人に現れるため。私はそう思っています。 また、最近ではアメリカが先んじて「ハンディキャップ」という考え方をやめ、「神から与えられた挑戦を受けて立った者」という意味の「チャレンジャー」という呼称が広がってきているようです。 しかしながら、ヒカリをとりまく友人たちのASに対する思いは厳しいものがあります。 「チャレンジャーだからといって、周囲に不快な気持ちをさせていいわけではない。確かに人の気持ちを察することが難しい障害だから、普通ならば誰でもできるコミュニケーションをヒカリが不安なくひとりでできるようになるには長い時間がかかる。でも、障害があるからできない、仕方がないと問題行動を認めてしまっていては、ヒカリが社会に出ている意味がないと思う。定型発達者と共に生きたいのであれば共に歩み寄ることが大切で、ヒカリの方にも突拍子もない言動をしないような社会性を訓練していく必要がある」 友人であるだけに言葉は辛辣ですが、彼らはヒカリについて「あれができない」「これができない」とは決して言わず、「それはまだむずかしいみたい」とか、ヒカリに対しても「どう? むずかしい?」と、ヒカリが感じている「困難であること」を理解するように努めている様子が常に見受けられます。 ASは目に見えない障害ですが、定型発達者ではありません。 そして、目に見えない障害であるだけに、障害を抱えていても周囲から必要な理解と支援が不十分なまま、普通社会で生きていくしか道がないというのも実情です。 ヒカリと青木男子たちの「チャレンジ」は、これからもずっと続いていくことでしょう。 もし、皆さんがどこかに飲みに行って、そこでちょっと不思議な雰囲気を持った男性と、そのまわりを守るようにして取り囲むワイワイギャーギャー喧々諤々している男どもがいたら、どうか大目に見てやってください。そして、理解の眼差しを向けてやってください。青木の連中は、あなたの肩をたたいて「一緒の席につこうよ」と声をかけてくるに違いありません。 11月30日、ピングーとピンガの仲良しおにぎりv 11月27日、かきまぜて食べてねv 半熟キイロイトリのロコモコ弁当v 11月25日、トトロごっこが流行っている君へ──パンでもトトロv 勤労感謝の日に添えて──いつもお仕事お疲れ様ですv りんごじゃないから安心して食べてね☆ 白雪姫ランチv 11月20日、ひーたんのかぼちゃサラダとともに、 メイシーちゃんのカラフル弁当v 11月19日、ヒカリの燻製タマゴでしまじろうとはなちゃんの仲良しランチv ◆応援ありがとうございます! 次回更新は、12月1日(火)です。 ヒロの日記・最終章をアップして、今年最後の更新とさせていただきます。 さらに挑戦状第二弾も──マニアックなクロスワードがあなたを襲う! どうぞお楽しみに☆
2009年11月16日
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本日お誕生日の透子さんへプレゼント ■ヒロの留学日記─第二章─■ 私はASの人が好きです。 きちんと指示が理解できれば頑張れる人です。正直で努力家で、すぐれた才能を持っていても驕ることのない人です。障害とも呼ばれますが、障害とは、通常発達者との関わりのなかで浮かび上がってくる概念です。通常発達者が理解を示せば、ASの人たちの困難はほとんどすべてが解消する実例を、私は身近に知っています。 皆さんの身近に、引きこもりの若者はいますか。もしかしたら、かれらは我知らずASに苦しんでいるのかもしれません。 理解者に恵まれれば、ASの人は努力して才能を発揮します。 どうぞ、以下に載せるQ&Aに目を通していただき、ASの人特有の感じ方と周囲の友人たちの印象の相違に触れ、ぜひ理解者としての役割を、ご自分にも課してみていただければ嬉しく思います。 【ヒカリと周囲の友人に聞いた質問】・無口な方? よくしゃべる方? ヒカリ(以下:ヒ):普通、かな。 友人(以下、友):子供の頃の方がよくしゃべった。・涙もろいほう?あまり泣けないタイプ? ヒ:どうやったら泣けるのかわからない。 友:一度くらいは泣き顔を披露しろ!・「サリーとアン課題」はクリアできた? ヒ:クリアできた。 友:応用問題はクリアできませんでした。・学校の頃の、得意な教科、苦手な教科は? ヒ:英語の授業は日本語の勉強になった。 友:体育の授業でバスケやサッカーなどのルールが理解できなかった。・子どもの頃理解できなくて困ったルールや、 大人になってから知ってびっくりした世の中のルールは? 子供の頃理解できなくて困ったルール: 席替え。なんで席が決まってるんだ? 大人になって知ってびっくりしたこと: 5時10分前を、5時10分のちょっと前の5時8分頃のことだと思っていた。・どんな分野の仕事をしていますか? 研究医。場合によっては臨床も。・血縁者の中に、ASっぽい人はいますか? ヒ:母親は知りません。 友:父親がアヤシイ。・最初にASかもしれないと気付いたのは、どんなきっかけ? 何歳頃?その時の気持ちは? Docter Digreeに上がるときの面接で指摘されて。二十代前半。 ほめられたのだと思った。・ASの診断は下りましたか? 下りています。・WAIS-R検査を受けましたか?IQ値や言語性と動作性の有意差はどう? ヒ:WISK-3 IQ=138,言語性と動作性の有意差なし。 友:ちなみにIQはこの検査の最高値だった。 知能指数のみの検査だと、おそらくもっと高くなると思う。・併発・二次障害がありますか? その対処は?(処方箋・カウンセリングなど) LD(識字障害)・タイプでいうと、積極奇異型、孤立型、受動型、どれっぽい? ヒ:わかりません。 友:成長するにしたがい、孤立型から積極奇異型へ移行した。・どんな「こだわり」がありますか? 「勝ちたいこだわり」ってある? 友:競争意識皆無。天下御免のマイペース。 ヒ:勝ちたいっていうか、過程と結果が「=」で結べるかどうかにはこだわる。・常同運動、ロッキングはしますか? ありません。・記憶力はいい? 赤ちゃんの頃のこと今でも覚えてますか?どんなこと? 生まれてすぐに失踪した母親の顔を覚えている。今でも会えばわかると思う。・関節はユルい?固い? 身体はかたい。 ヒロと取っ組み合いの喧嘩をしてから、こっちの肩(左肩)に脱臼グセがある。・自分だけ感じる不思議な感覚ってある? 身体の一部が視界から見えなくなると、その部分の感覚がなくなる。 たとえば、手を後ろに組んだりすると両手の感覚が消える。・感覚優位はありますか?(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚) 友:本人は気づいていないけど、視覚と聴覚が優位だと思う。・好きな食べ物、苦手な食べ物は?(コーヒー、チョコ、ナッツ等は?) ヒ:好き嫌いはないけど、活造りとか、生きたまま食べるのが苦手かな。 細胞が分解されて壊れていくのが口の中でわかる感じがする。・苦手な音は? ヒ:ミ♯の音。苦手ではないけれど、やたらとはっきり聞こえる。 友:でも誰もが嫌う黒板を爪で引っかく音などは平気だったりする。・電話の音や、電話をかけるのは苦手? ヒ:電話の呼び出し音はミ♯だ。 友:苦手とは思っていないようだけど、下手くそだ。・苦手な服は?(タートルネック、ピタッとした下着は?) ヒ:着られます。・聴覚過敏と視覚過敏、どちらが強い? ヒ:聴覚かなぁ。色の区別はあんまりわからない。地下鉄路線図が読めない。 友:音楽の経験がないのに絶対音感がある。・反対に、鈍感すぎて困ったことはない? ヒ:ぶつけても気がつかない。ぶつかっても気がつかない。らしい。 友:沸騰している鍋の蓋が持てる。その後火傷しているのに(他人が)気づく。・恐怖症はありますか?何恐怖症? 恐怖症というほどでもないけど、TVの「ニュース速報」という字面と、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」という声は薄気味悪く感じる。・右と左は混乱しませんか? ヒ:「あっち」と「こっち」で事足りる。 友:右左の概念がないので、利き手もない!・人の顔を覚えられない? ヒ:周囲からは「はじめまして」を使うなと厳命されている。・どんな人が苦手? 苦手な男性のタイプ、女性のタイプは? ヒ:苦手なタイプはないけど、おれのことが苦手な人はいるんじゃないかな。 ・じゃがいもとさつまいも、豚肉と鶏肉、芸能人のあの人とこの人など、長い間区別がつかなかったものはありますか? 日本語の「今行く」と「今来る」の違いがわからない。 あと、「キウイ」と「キウリ」(←正:キュウリ) 芸能人はマイケル・ジャクソンしか判別できません。・声が大きすぎたり小さすぎたりして困ったことはありますか? ヒ:抑揚がなく、句読点の位置も違うと言われます。 友:「三時に集合だよねそれで、どこに行くの」というような喋り方をする。・フラッシュバックはありますか? つらい? 暴力や暴力シーンは苦手です。・自分は、ポジティブ?ネガティブ? ポジティブだと思う。・理論派か?情緒派か? 直感派かなぁ。・四角四面の物事を額面通りに考えるタイプ? あまり四角四面には考えないけど、自分で理解できないことは「言われた通り」にするようにしている。・ファンタジーは好き? おまえがファンタジーだと言われる。・あなた独自の計算方法がある? たくさんあるようなので、次回にまとめて話すのでいいそうです。・量の感覚がつかみにくい?たとえば? 「テキトーに買ってきて」の「テキトー」の量やら質やら。・時間は、守れるほう?遅れるほう? 守れるほうだと思います。いつも急いでいないんで。・正義感が強いほう? 考えたことがないけれど、自分の考える正義感には共感してもらえないかも。・割り込みをする人や「ゴミのポイ捨て」を見たら、どう思う? 何も思いません。 ポイされたゴミは拾って捨てに行きます。・定型発達者と「これは違う!」という異文化(あなたの考えや趣味)について教えて下さい。 感染細胞とキラーT細胞はそれぞれキャラが立っていて、 両者の間には、切ないドラマがある。・あなたの趣味は? 料理と掃除。・「これだけは誰にも負けない」というマニアックな知識を一発。 分母と分子の間の「-」は「括線(かっせん)」という。・「オタク」? 何の? B細胞 Th17細胞 Th1細胞 Th2細胞 T細胞 制御性T細胞 細胞傷害性T細胞 ・どんな本が好きですか? 通販生活・音楽の一曲リピートにハマったことは? Danjo. 二年くらい頭の中でまわっている。・見ていて飽きないものは? 国会中継。 あの人はあんなことを言ってござる──と思いながら見ている。・できれば在宅で仕事をしたい? 外で働くのは楽しいです。・カバンの中身を教えてください。常に持ち歩いている必需品って、ある? Albuterolと緋路の常備薬かな。・服装について、人から何か言われたことは? 君、白衣だと思って着ているのかもしれないけど、それトレンチコートだよ。 ・色や音付きの夢を見る? ヒ:願望がそのまま夢に出る。 友:怖ぇ・なかなかやめられない「儀式」って、ある? 歯を一本一本磨いてしまう。20分くらいかかるけど。・実年齢より若く見られる? 若く見られます。・対人コミュニケーションで、工夫していることは何ですか? 話している相手の目をじっと見続けてしまうクセがあると指摘されたので、 一分に一回くらい、相手から目をそらして背景を見るようにしている。 ・定型発達者と関わる時はどうなる? 変わりません。・血液型でB型と間違えられることがある? 実際にB型です。・あなたのリラックス法は? 凝った料理を作ること。パイがのった壺入りオニオングラタンスープとか。・最近失敗したことは、何ですか? 変わった苗字の人がいて、「ヘンな名前だね」と言ったらヒロに膝の裏を蹴られた。失敗したんだと思う。・男性、女性、どっちに生まれたかった? どっちでもいいし、楓の体でもよかった。・男性脳?女性脳? 男性脳です。・恋愛についてどう思う? 普通だと思います。・どちらかというと、異性に興味がなかった? 人に興味を持つとき、性別は特に意識しません。・異性と話せるようになったのはいつ頃? 昔から話せるよ。・女っぽい女性や男らしい男性が好み?中性的な人が好み? どちらかというと中世的な人(←字が違う。それともそのままの意味か?)・20代以上の方、思春期はどうでした? ヒ:今から思うとけっこう大変だったなと思う。 友:まわりが…な。・さみしくなるのはどんな時? ひとりでご飯を食べているとき。・親に言われて辛かった言葉は? むしろ自分の存在が親にとって致命傷だったんじゃないかな。 捨てなきゃならないほど辛かったんだろう。・親に言われて嬉しかった言葉、支えになった言葉は? 絵が上手いんだね。・理解者は周囲に居ますか? 悩みは、誰に聞いてもらってる? 悩みは靖幸や松丸に聞いてもらってます。・今の悩みは? 時々むしょうに緋路の血を啜りたくなる。・日本の社会福祉に一言。(法律、教育、行政など) アメリカで障害者のための料理番組に出てます。 卵は器にわたしたフォークの先端めがけて落とせば黄身を崩さずに割れるとか、理科の実験のようで面白い、と健常者の視聴者にも人気があります。日本でもそんな番組があればいいのにな。・定型発達の人に一言。 おまえも十分ヘンだ。・今の気分は? すっきりしました。 11月13日、一緒に笑顔でパパンダとパンちゃんv ◆応援ありがとうございます! 次回更新は、11月15日(日)ヒロの留学日記、ヒカリの計算方法とともに、 ジュン兄貴からの挑戦状をアップいたします☆ お楽しみに!
2009年10月29日
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「楓、死んでもきれい」とはーやんは泣いた。 みんなもその通りだと思った。 なんだか楓はあたしたちを悲しませないように、 まるで眠っているのを装っているかのように見える。 ■ヒロの留学日記■ 【第四回楓祭】 皆様、この場にお集まりいただき、本当にありがとうございます。 本日、楓祭も第四回目を迎えることとなりました。 どうぞ皆様おひとりおひとりが、青木学院のメンバーとして参加していただければ嬉しいです。 冒頭にアップした画像は、前々回のコメント欄でお約束させていただいた、楓の手による修正の入った「We are The World」の歌詞です。 楓は実に耳が良く、情報処理能力にも長けていたので、私たちは「厩戸皇子」とあだ名していたほどなのですが、1985年夏、英が日本発売前に手に入れてきた「We are The World」のカセットテープを聞いたときも、その才能は発揮されました。 曲を聞きながら、楓は歌詞カードを見ていたのですが、サビの部分を聞き終えるやいなや、愛用のシェーファーの万年筆をやおら取り出し、「こことここ、歌詞が違ってる」と訂正を入れたのです。 歌詞カードには、 「There's choice we're making We're saving out own lives」とあったのですが、 「There's a choice we're making We're saving our own lives」 楓はこう聞き取ったのです。 冒頭の画像をアップするにあたり、1985年以来初めて、「We are The World」の歌詞を検索してみました。すると、その歌詞は楓が直したとおりのものであることが判明しました。 「サビの部分を間違って載せるなよなー」と笑っていた楓。 あらためて、「厩戸皇子」の豊耳(とよとみみ)に感心する次第です。 さて、本日は楓祭の場を借りて、飛雁にもスポットを当ててみたいと思います。 自分からこのような企画をしておきながら、実は今日に至るまで、このような内容をアップすることに非常に逡巡いたしました。なぜならば、ヒカリに最も近しい友人が、強固に反対の意思表示をしていたからです。 ヒカリという人物の特性は、ある一定の名称でカテゴライズされるべきものではないと、彼は強く感じている。確かにそれは、すべての人格にも同じようにいえることだと思います。 彼は言います。「かわいそうだから助けてあげるとかじゃなくて、自分があのユニークな存在と一緒に成長していきたいだけ」 ただ、Kのご両親からいただいたヒカリの人となりについてのご指摘と、ご自分やご自分の家族をかえりみてのご相談が、「青木」の出版以来多く寄せられていることから、私はこの更新に踏み切ろうと考えました。ヒカリの友人も「実称ではなくて略称でならば」という条件で譲歩してくれました。どうか、皆様のご理解とご支援もよろしくお願いいたします。 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ヒカリは「AS(略称)」という生まれつきの発達障害を持っています。私たちははじめ、ヒカリのこの特性に気づきませんでした。当時は彼の識字障害ですら日本では知られているものではなく、ASにいたっては誰も耳にしたことがない障害だったと思われます。 しかしヒカリの場合は、識字障害が先んじているのではなく、ASに並存する障害として、識字障害(LD)が現れているのだと、最近でははっきりと診断が下されています。 さて、ASとはいったいどんな特性を持つ人なのでしょうか。私は専門家ではないので、愛、燦々とさんのご協力を得て、この記述を進めていきたいと思います。 ASは、知的な遅れの目立たない自閉症のことを指します。 自閉症とは、内気とか人嫌いなどの性格的なものを表わすものではなく、病気でもありません。発達心理学では、生まれつきの障害と考えられており、風邪のように一時的な治療で治るものではなく、愛情が不足して陥ってしまう心の病気とも異なります。いわば、脳の仕組みが通常発達者とは違う、ととらえていただければ真実に近いと私は考えています。 その上で、知的な遅れが目立たない自閉症は「AS」と呼んで知的な遅れのある自閉症と区別することがあります。ASのことを、「高機能自閉」という言葉であらわすこともあります。いずれにしても、ASの人はほかの人と変わらず、誰もがすぐれた能力を持っています。また、知能指数も一般の人より高い傾向があり、興味のあることには長時間集中できる特性も持っています。それゆえ、かれらの力を見出し、正しい知識をもって適切な支援をすれば、長じてから得意な能力を伸ばして研究者となったり、ある分野で素晴らしい才能を開かせることもあります。 ASには次のような特徴がみられます。 ASの人はほかの人がどう思うかを自然にわかることや、言葉に出して言わないけれどみんながわかっている決まりのようなものを理解するということがうまくできません。ですから、日本などのいわゆる「以心伝心」の伝統がある国では、非常に苦労を強いられることになります。 また、自分の気持ちや表情や身振りなどで表現してほかの人に伝えることもうまくありません。ところが、感覚については特に鋭かったり、逆に非常に鈍かったりもします。能力においてもばらつきがあり、ヒカリの場合、PCはすばやく正確に操作できるのに、TVゲームのコントローラーはまったく動かせない、字を書くのは相当苦心するのに、絵は素描のように美しく書く、などといった特徴があげられます。 ASの人はあまりほかの人と一緒に過ごそうとしなかったり、ひとりでいるほうが多いようです。けれども、自分からはほかの人に近づかないけれど、相手から誘ってくれば友人関係を受け入れる、ヒカリのようなタイプもいます。そのなかでもまず気の合う子と交流を深めることができれば、そのなかで自分と他人との関係を見直していくことも可能になります。特性を理解してくれる子と、友達を信じて頑張ってみようと思う気持ちがひとつになれば、ASの人には大きな成長が期待できます。 しかし、どうしても相手の気持ちを感じ取ったり、自分の気持ちをうまくあらわすことが難しいという特徴を持っているため、こちらが手助けをした方がいい場面も出てきます。 以下は、ヒカリの常に隣人であったヒロや松丸の行動から教えられた、具体的な対応のポイントを挙げてまいります。 話すときは曖昧な言い方をなるべく避けて、具体的に簡単な言い方で伝えるようにします。 一般の人「この本、どうだった?」 ヒカリ「別に」「わかんない」 ヒロ&松丸「この本、面白かった?」 ヒカリ「面白かった」 一般の人「どうやってきたの?」 ヒカリ「まず家を出て、富士見台というバス停に行き、 8時13分に臨港バスというバスに乗って──」 (主に何について聞かれているのかわからないので延々と話してしまう) ヒロ&松丸「バスで来たんだよね?」 ヒカリ「うん」 一般の人「どうしたの?」 ヒカリ「なにが?」 ヒロ&松丸「顔色が悪いよ。お腹が痛いの? 頭が痛いの?」 ヒカリ「そういえば朝から何も食べてなかった」 一般の人「修学旅行の班行動、どこに行きたい?」 ヒカリ「なんで行かなくちゃならないんだ?」 ヒロ&松丸「修学旅行中、おまえはとにかくおれについてこい」 ヒカリ「わかった」 ASの人の多くがそうであるように、ヒカリも知能指数が一般よりも高いので、「チビ」「デブ」「ハゲ」など「禁止言葉」を決めておくと、一度に覚えて、以後、絶対に使わないでいられます。自分の語彙から「消す」ことができるのです。決まりごとを律儀に守る「習性」があるので、「これは人間界での決まりごとなんだ」と教えれば、案外素直に聞き入れてくれます。もともと、悪意があったり、わがままな面があるのではなく、素直で人をだますということを知らない、ピュアな人なのです。 ヒロはヒカリのことを「ビジュアル・ラーナー」と呼びます。 ヒカリは文字や文章を見て内容を理解することは難しくても、写真やイラストなど、視覚的な情報で判断することは得意です。「今日は僕は帰りが遅いから、先に食べてていいよ」というメモ書きを見ても、意味はすぐに出てこないのです。 こんな場合、ヒロはヒカリがひとりで食事をしている画像をメールで送ります。すると、ヒカリは意味を理解して、それに従うことできるのです。 ところが、ひとくちにビジュアルといっても、顔文字や絵文字にしてしまうと意味がわからなくなるなど、ビジュアルに対する理解力にもばらつきがあるのがASであるヒカリの特徴です。 映画などを見ていても、ヒカリは主人公の気持ちになることが難しいのです。 ヒロが「シングル・フォーカス」と指摘するように、映画に出てきた「グラス」が「どこどこのレストランのグラスと同じ種類だった」などという部分だけを見て取っていることがあります。映画を見る前に、「ヒカリだったらどうする?」というように、自分に置き換えてみることをアドバイスしておくと、映画の内容を追えるようになったりもします。 また、ヒロはASについて、高機能「自開」とも言っています。 ヒカリの状態は「自分を閉じている」のではなく、逆に「開けっ広げ過ぎ」というヒロなりの感覚を持っているようです。 ヒロや松丸は非常にバランスの取れた性質を持っているため、ヒカリの特性と周囲の反応を瞬時に理解し、両者をうまくまとめるような言動が取れるのです。ヒロや松丸が誰に教わることもなく、自分たちで自然にヒカリを理解していったことに敬意を表します。 ただし、ASの人は人によってあらわれ方が違います。上記に挙げた特性が、すべてのASの人に当てはまるというわけではありません。また、手助けの仕方もそれぞれ違いがあることでしょう。 もし、皆さまの身近に、ヒカリのような「ちょっと変わっていて、すごく魅力的」な人がいたら、正しい知識をもって、理解をしてあげてください。そしてできれば、手助けをしてあげてください。 次回は「ヒロの留学日記」のつづきとともに、ヒカリ自身の「感じ方」「考え方」についてインタビューした記事をアップしたいと思います。 皆さまのご理解とご協力に心から感謝いたします。 ヒカリに関しての別の観点についてはこちらをご参照ください。 ←『ある日の青木学院』をお楽しみください☆ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は10月29日(木)、透子さんのお誕生日です☆ ◆去年の楓祭の折、チーフのご紹介で出会った天晴くんが、 無事に移植手術を克服されました。皆様の祈りとご協力に感謝いたします。 10月28日、ブルーナのキイロイトリの海苔佃煮べんとうv ◆お弁当の画像は順次こちらにも収めてあります☆
2009年10月10日
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静岡県三島市長泉町上土狩惣ヶ原の元締屋敷跡(現在は芦湖水神社) ■最終章 雁■ 【箱根用水物語─完結─】 本編をもちまして、箱根用水物語の最終章となります。 皆様、これまでの励ましを本当にありがとうございました。 一昨年1月20日の読売新聞日曜版の1面に、「清流戻る」と題された記事が載りました。 普段は新聞を溜め込んでしまう性分の私。ですが、このところ時間に恵まれたので、ふと積載された新聞紙の山から一部を手にとって読み始めたのが、この日曜版だったというわけです。 あれ、なんだか聞き覚えのある話だな、と既視感を覚えながら読み進めると、それはかつての恩人の活動を追った記事だったのでした。 それによると──静岡県三島市内の県庁職員、渡辺さんは、とある女性が源兵衛川にゴミ袋を投げ捨てる光景に遭遇しました。水面には無数のゴミが浮かび、川は無残な姿をさらしていました。 女性に抗議すると、「そう言うあなたは川のために何かしているのか?」と言い返され、二の句が継げなかったそうです。けれどもこの時、「昔の源兵衛川を取り戻そう」という思いが胸の中ではじけ、以降、週末には小学生のお子さんたちと川のゴミを拾い、ヘドロをスコップで掘り起こしました。 「うちの子供にとって、父親との思い出は川掃除だけ」と笑う渡辺さん。地域の力を結集しよう──ひとり清掃を続けながら訴え続けていると、もとより政治信条や個人の利害とは無縁な純粋な目的だけに、一年半ほどで足並みが揃いました。 青年会議所や市民団体はもちろん、役所までが腰を上げ、地元企業も協力。数年後には源兵衛川に清流が帰ってきたのです。 静岡県のJR三島駅近く。繁華街を流れる源兵衛川には今やハヤが泳ぎ回り、夏には無数のホタルが乱舞します。 さて、この渡辺さんこそ、その昔、私が中学三年生で"卒業論文"に「箱根用水」を選んだ折、県庁に乗り込んでいった弱冠14歳の小娘に対し、地域の知遇として対等にご尽力くださった恩人なのです。この記事に書かれる渡辺さんのお子様方は、当時はまだ賢くもかわいらしい小学生でした。私の"卒論"の発表会のため、わざわざご家族皆さんで"聖マグダレナ" までお運びくださったこと、今も心に刻まれております。渡辺さん父子のお姿は、お写真のかたちでこちらで拝見できます(芦ノ湖側隧道入口の写真の無帽の男性と少年)。 父が亡くなってからこの方、ご連絡を密にはしていなかったのですが、この時期に紙面上でお会いできるとは、本当に幸運なことだと感激しています。 20年前と変わらず、地域にご尽力され、結果を出し続けていらっしゃる渡辺さん。 思えば、箱根用水通水の時代から、この土地には偉大なる市民が多く生まれるのかもしれません。 そんな渡辺さんに、謹んで申し上げたいことが心の中にあります。 渡辺さん。源兵衛川のたもとで、「あなたはこの川のために何かしているのか」と渡辺さんに激しく問いかけたその女性──それはきっと、箱根の権現様だったのだと、私は信じます。 渡辺さんが清流を戻した源兵衛川は、その昔、矢倉沢の盗賊蒲生源馬が改心して源兵衛と名乗り、以後、箱根用水開削に尽力し、水車を作ってその整備に生涯を捧げた男の名前から取られていることは、この物語に伴走してくださった皆様には、すでに周知のことと存じます。 芦湖水神社が所蔵する古文書の中に、末鏡が収められています。 東に一閃の光あり。 島原より三十年のうちに、いまひとたりの若者があらわれて、 山と人とのえにしを結び直すであろう。 そのとき、国の東の雲は焼け、諸人の家、困難を極めるとも、 青き旗を立て、額に十字の徴ある若者が、山とつながる者を救い出すだろう。 深良の里を抱く国に住まう者たちよ。 おまえの土地は決して小さなものではない。 見よ。混乱の時代に、智慧を武器に戦う者が与えられた。 かの者の右の手には、調和の灯明が掲げられる。 それは暗黒の洞内に立つ、たったひとつの小さな灯(ともしび)。 その灯火はひとりひとりに分かたれて、やがて全道を照らすだろう。 誇るべくんば、汝、かの者をして誇らめ。 元締、友野與右衛門重之殿、友野與一郎氏之殿、りつ殿 矢倉沢、大友右京氏家殿、蒲生源馬あらため源兵衛 箱根権現、快長様、聖政様、菊丸さま、おせん 深良、大庭源之丞繁成殿、源之丞の女房おいねさん、佐吉さん、 繁蔵、繁蔵の娘、おまっちゃん、おまっちゃんの兄、吉蔵、 盲のおとら、おとらの兄、五助 山の民、八頭の君、交喙、あとり 仇役、将軍徳川家綱、母、お万の方、 大老酒井雅歌守忠清、妻お奈々の方、嗣子酒井河内守忠高 老中保科出羽守正行、勘定奉行妻木彦右衛門、同じく岡田豊前守 金貸、松村浄真、宮崎一兵衛 沼津代官、野村彦太夫 盗賊、八千代 細作、鵺、鳥吉 ありがとう、みんな。 そして、さようなら。 ■最終章 雁■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は10月10日(土)を予定しております。 ヒロの留学日記を三回に分けてアップしてまいります。 ヒカリ特集とあわせて、どうぞご期待ください。 なお、『箱根用水物語』の続編として、与一の生涯『水仁祀り』を 今後の更新に予定しております。 10月9日、小さくてもボリューム満点のおともだち☆ リッタ・ミムラのまんまるフェイスランチv 10月7日、スナフキンも冬支度べんとう☆ 10月5日、ムーミンの仲良しおにぎりv ちなみにうちの子は逆から眺めていて「タコとイカ?」と言った; 10月5日、昨日は十六夜…お月見弁当☆ 10月1日、秋の遠足弁当v 動物園に行ってきまーす☆ (柿のヨーグルトあえっておいしいですv ぜひお試しを^^) 9月30日、ねこのパンヤのランチ♪ パンヤだけどおにぎりですv 明日はトミンの日でお休みでーす☆ お友達のおうちにお呼ばれです^^ 9月29日、おかかDEリック☆ 学校やっと始まったぜ~~~ 9月28日、まさかの午前授業;; 明日は通常登校です! 健康な方も、そうでない方も、透子さんのキャンドルで癒されてください☆ 9月24日、なんと、来週月曜日まで学級閉鎖が続きます… 思いがけず十二連休ということで、勢い余ってもう一着挑戦v 9月18日、学級閉鎖のため、手芸などしてみるv 9月16日、てんとう虫のてんてんver.2のカレーランチv「北の宿から風」 ↑学級閉鎖&インフルエンザ発症のため食欲もなく、食べてもらえなかった(泣) 9月15日、しそご飯でちょっと和風に…チリとチリリのお花べんとうv 9月14日、ペネロペとアラジンのおにぎりv 9月11日、夏の終わりに…にこにこおそうめん弁当v 9月9日、しろくまちゃんの鮭弁当v 9月8日、ふわふわテディ・ベアのお弁当v 9月3日、中華に挑戦! パンダのかくれんぼ弁当v
2009年09月01日
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芦ノ湖側、深良側の境目から掘り出された岩 ■第三十章 あとりとおふう■ 【久米島旅行記】─終戦記念日に際して─ 先日、夏休みを利用して家族で久米島に行ってまいりました。 毎年、夏休みの旅行の際には、戦跡について考えるようにしているのですが、今回の久米島においては、驚いたことに、地元の方に戦争の記憶を伺っているうち、戦後の日本軍による島民の虐殺という事実を知ることになりました。 多くの日本人が、同じ日本人の兵隊たちに殺されたというのです。 沖縄の終戦は昭和20年6月23日です。この日、沖縄部隊司令官は米軍に降伏しました。この降伏の日から二ヶ月余、沖縄全土を暴風が吹き荒れたのです。暴風の主体は、米兵ではなく、日本兵でした。民間人の蜂起を恐れた日本兵によって、沖縄全土では約千人、小さな久米島だけで20名の人が殺されました。 久米島における虐殺は、本土の終戦よりも更に五日後の8月20日まで続けられました。ここでは特に、本土の終戦後に殺戮された民間人について記しておきたいと思います。 ─昭和45年8月18日の一家三人の虐殺について─ 明勇さんは、当時25歳。防衛召集で海軍守備隊に配属されました。そして6月初め、米兵の捕虜になって収容所に入れられたものの、米軍の久米島攻略に際して道案内として同行、米軍に対し、久米島は無防備の島であることを証明し、島は総攻撃の難を逃れました。 明勇さんは米軍と一緒に久米島に上陸。山中でうろうろしている島民に対し、「米軍は住民に危害を与えないから、抵抗せず、安心して山から下りて帰宅するように」と告げ回ります。そのために、米軍のスパイとして久米島部隊指揮官、鹿山隊長により、明勇さん、その妻、一歳の幼児を虐殺されてしまいます。久米島を米軍の艦砲攻撃から救った義人が、日本軍に殺されてしまったのです。 ─昭和45年8月20日の一家七人の虐殺について─ 谷川さん一家はいわれのないスパイ容疑で殺されました。その日、8月20日は旧盆入りの明るい月夜の晩でした。日暮れ前に村の人が駆け込んできて、「日本兵が殺しに来るから逃げろ」と知らせました。その日はささやかながら、長男一男くんの誕生日を祝っていた谷川さん一家は、驚いて逃げ出しました。 奥さんのうたさんと子供四人が逃げ遅れてしまいました。うたさんが赤ん坊を背負って、一男くんの手を取って逃げようとするところを、日本兵は後ろから日本刀で切りつけました。一男くん、七歳の長女綾子ちゃんと二歳の次女八重子ちゃんのふたりの姉妹も母親の遺体の上に引き据えられて惨殺されました。十歳の一男くんは、学校では級長をつとめる頭のいい子だったそうです。 夜11時過ぎに谷川さんと次夫くんが見つけ出され、谷川さんは首にロープを巻きつけられて数百メートル引きずられて殺されました。更に日本兵たちは、五歳の次夫くんを父親の遺体の上に投げつけ、遺体にしがみついて泣き叫ぶ次夫くんもろとも突き殺しました。 実際には、もっと惨い方法での殺戮があったのですが、ここでは上記のように表現するにとどめます。 戦後のマスコミのインタビューに鹿山隊長はこう答えています。 「われわれ隊は三十名しかいない。相手の島民は一万人いる。地元の住民がはむかってきたら、われわれはひとたまりもない。だから見せしめのためにやった」 虐殺した日本兵は、その後本土に帰還して軍人恩給を受給しています。 久米島のひとびとは、戦後、政府が新しい憲法を制定したときに配布された『新しい憲法の話』という子供向けの冊子を、今でも大切に保管して信じています。 「みなさんの中には、お父さんや兄さんが送り出された人も多いでしょう。ご無事でお帰りになったでしょうか。それともとうとうお帰りにならなかったでしょうか。また、空襲で家やうちの人を亡くされた人も多いでしょう。今やっと戦争は終わりました。二度とこんなおそろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか。 こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、悲しいことが、たくさん起こっただけではありませんか。戦争は人間を滅ぼすことです。世の中の良いものを壊すことです。だから、今度の戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。 この前の戦争の後でも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争を起こしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。 そこで、今度の憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。そのひとつは、兵隊も軍艦も戦闘機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「棄ててしまう」ということです。しかし、皆さんは決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 もうひとつは、よその国との争いごとが起こったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言い分を通そうとしなということを決めたのです。おだやかに相談をして、決まりを付けようというのです。なぜならば、戦をしかけることは、結局、自分の国を滅ぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手を脅すようなことは、一切しないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国と仲良くして、世界中の国が、よい友達になってくれるようにすれば、日本の国は、栄えてゆけるのです。 皆さん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度と起こさないように致しましょう」(原文のまま) こんな海と空が美しい島で、このような悲劇があったことを胸に刻まなければならないと、滞在中はずっと感じておりました。小島よしおの母方のルーツの島は、あれから64年の歳月を経て、今は南の楽園の様相を取り戻しています。 米軍も上陸したアーラ浜の夕日を見たくて、オットの運転するレンタカーで移動していたのですが、道を間違えたことに気づいたオットが、どうしたわけかいきなりバックで方向転換をしようとして、側溝にタイヤを落としてしまった折に、誰もいないかと思われた集落から次々に人々が出てきて、車まで出してロープで引っ張り出そうとしてくださって、さいわいにも、すぐにレンタカーは救出される運びとなりました。いつの間にか、応援の車も五台も集まっておりました。突然の出来事に泣きそうになっていた娘には、「こっちに小学生のお姉ちゃんがいるから、一緒にいなよ」と言ってくださって、ご自分の娘さんと引き合わせてくれました。 見ず知らずの、しかも通りすがりの本土からの旅行者に、ここまでしてくださったご親切のことを忘れません。お名前を──と伺っても、「そんなこといいから」と笑って手を振って、それぞれのお屋敷に立ち去って行かれました。 島の人が今でも大切にしている『新しい憲法の話』の中で繰り返し説かれている、理解し合うということについて、この旅行中に私は実体験として学ばせていただきました。 先日、Kのご両親とお会いした折、広島出身のKのお母様が胎児被爆者であることを伺いました。お母様は乳がんの手術をされており、Kもまた、腫瘍などの身体の不調に苦しんだ人でもありました。 己の不幸をさかしらに振りかざすな、とエボシさまに怒られてしまいそうですが、私の父も長崎で放射能を浴びました。直接被爆したのではないのですが、終戦直後に満州から引き上げてきて、しばらく長崎に留まっていたのです。その後、体調を崩した父は小学生五年生の一年間を病欠したので、楓のように学年がひとつ、遅れています。成人してからは元気そのものだったのですが、56歳で胆管ガンが発見され、三ヶ月近くの入院の末、急逝してしまいました。父の両親である私の祖父母も肺がんで亡くなっており、私自身、今後は検診などをこまめに受けるべしと、肝に銘じているところです。 話は変わるのですが、音から私たちの気づかない情報を得るという特異体質を持つヒカリは、「ヒロシマという響きが怖い」と言います。音に対して敏感なヒカリは、いにしえの日本人が感得していた言霊を感じているのでしょうか。ヒロシマという言葉に、今はどんな「言霊」が籠もっているのでしょうか。 なぜ戦争をしてはいけないかというと、『新しい憲法の話』にもあるとおり、戦争は誰の利益にもならないこと、人間を、国を滅ぼすことのみならず、孫子の代にまで戦禍が及ぶことこそ、私たちが最も戦争を忌避しなければならない理由であるかとも思われます。 誰のための戦争だったのか、そして誰が犠牲になったのか、よく考えなければならない。 愛、燦々とさんも、母方のお血筋が広島に関わったと聞いています。もし、万が一、広島のことで愛、燦々との遺伝子が傷付けられているようなことがあれば、私はさらに深く戦争を憎むだろう。戦争を起こしてはいけない理由は、私たちが大切な人のことを思いやる心の中を探せば、誰しもきっと見つけることができるはずだと思うのです。 いつか訪れる、そのときも笑顔で──■第三十章 あとりとおふう■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は9月1(火)●雁●です。 箱根用水物語の最終章となります。 皆様、これまでの励ましを本当にありがとうございます。 登場人物の全員で、皆様のお越しをお待ち申し上げております。
2009年08月15日
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深良側と芦ノ湖側からの掘り抜きがぴたりと合った場所をどんどんと呼びます。 轟音を響かせて水が落ちることから、この名が付けられたといわれています。 ■第二十九章 水、水、水■ 皆様、今回の日記は「ヒカリレポート」をアップしようと考えていたのですが、満を持して、秋以降、ヒロの留学レポートと併せて載せることに致しました。 オルゴールさん、共感覚について示唆していただき、ありがとうございます! ヒロのトピックスは「箱根」の完結後、10月以降になってしまうかと思うのですが、どうぞお許しください。 それというのも、私は今回の「ヒカリレポート」について、細心の注意を払ってまとめ上げたいと考えております。 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、最近、TVのニュース番組はもちろん、バラエティ番組でさえも、ある「発達障害」について特集を組んで、立て続けに放送しています。この「発達障害」について、最近になってやっと注目が集まってきたということでしょうか。通常発達者の理解を得るためという観点においては、非常に有効であると思われます。ありがたいことだと思います。 先週、あるニュース番組では、「発達障害」を苦に、今年五月、自ら命を絶った男性の五ヶ月間が特集されていました。 私はこの番組から目が離せなかった。それは前回の日記の「K」と同じ悩みを抱え、Kと同じ結果をたどった人の記録でした。 ここで指す「発達障害」は主に「高機能自閉、アスペルガー症候群(AS)、学習障害(LD)、注意欠陥多動(ADHD)」に分類され、ふたつ以上の症例を併発している人も多くみられます。 わかりやすい例を挙げるならば、チャンピオン及びジャンプ大好きっ子の英が「こいつはゼッタイASだ」(ちなみに英は「ADHD」の診断が下りています)と言って見せてくれたマンガ「DEATH NOTE」の「L」という登場人物は、私から見てもかなりの確率でASの診断が出るであろう人です。特徴的な姿勢、誰に対しても同じ調子の喋り方、一定の食べ物を食べ飽きるということがない、何ヶ国語も話せる抜群の記憶力と秀でた論理的思考能力、異常に高い知能指数──私の身の回りにいてくれるASの人と、特にたたずまいが似ています。 アスペルガー症候群を定義付けたオーストラリアのアスベルガー小児科医自身、「とても変わっていて魅力的な子供たち」と言っているように、私もASの友人に同じような気持ちを持っています。 ただ、TVの特集を見る限り、ASの人はその外見や言動がユーモラスに見えて、実は非常な葛藤を秘めているなど、いろいろな示唆を得たことも確かです。特にKについては、私はK特有の会話文などを、Kなりのウィットに富んだものと解釈していたのですが、もしかしたらK自身は心のうちでは様々な現実が思うにまかせず、苦しく思っていたのかもしれません。そう考えると胸が痛みます。 診断結果の降りていたKは、「青木」の登場人物としてのヒカリに特に親近感を覚えているようでした。そのヒカリも、彼がDocter Degree に上がる際、教授連から指摘を受けて診断を受け、その後、結果が下されています。(その時のことを、ヒカリ自身は「ほめてもらったと思った」と述懐しているのですが) ヒカリについても、万事に飄々としていてパニクらない、突拍子もないことを言ったりやらかしたりするけれど、それがけっこうグループの中では「切り札」になったりする…などなど、わたし的にはその人となりがかなり好ましく見えるのですが、愛、燦々とさんがヒカリについて「フツーの男の子だよ」と評していることからも、ヒカリがその宇宙人めいた外面の裏で、ひとり、周囲からは理解してもらえない不安などを抱いているのだとしたら──松丸が学区を超えてでもヒカリの入る中学に一緒に入学したこと、ヒロがヒカリを常に身近に置いて離さないように、ヒロや松丸にはヒカリの本当はあやうい姿が見えているのだとしたら。私の目は、本当に節穴だ。 ヒカリへのインタビューを含めて、二ヶ月後を目標にヒカリレポートをまとめてみたいと思います。カミングアウト的な内容になってしまうかもしれません。本人の意思を尊重しつつ、書き進めてまいりたいと思います。神から与えられてしまった高すぎる知性を、彼やまわりの人々がいかにしてコントロールすることに砕身しているのか──秋以降、気づきと理解をテーマにしたレポート「天は二物を与える」を、皆様に読んでいただければさいわいです。 (追記) 『青木学院物語』が3000部増刷、第三刷になりました。 応援してくださる皆様、編集者さん、出版社の方々、本当に本当にありがとうございます。『青木学院』の仲間たちはそれぞれに巣立ち、今はみんないい大人です。そして、それぞれの「番外編」「外伝」を作っていっています。どうぞこれからもこの小さな物語を末永くよろしくお願い申し上げます。 ─── さて、本日のトピックス。 隧道を通り抜けた水は、どこに向かうのでしょうか── 【本日箱根用水通水!─箱根用水のゆくえ─】 芦ノ湖に設えられた水門から、芦ノ湖側の隧道入口に水が導かれる。 甲羅伏(こうらぶせ:取り入れ口):芦ノ湖の水はこの穴から取り入れられる 板を落としたり上げたりして水量を調節するやり方は、当時から変わらない。 芦ノ湖側隧道入口 水門から取り入れられた水は、芦ノ湖側の隧道入口へと流れていく。 隧道へ入ってからの長さは、1.2803m 深良側出口:長い隧道を通ってきた水は、深良側の出口から姿を現す。 現在、この水の大部分は、三つの発電所に落ちていく。 小さな水路を流れていき、深良村を潤す。 (ちなみに、私が一番好きな写真ですv あとりが出てきそうでしょ☆) 黄瀬川は下流の十七の堰に分水する。水掛面積合計は527.165 ha 「堰(せき)」についての詳細は、後述いたします。 農業用水としての役割を果たした水は、三島市内を流れていく。 深良用水の農業用水としての役割と、生活用水としての役割 三島の湧き水は富士山の雪解け水だと思われているが、成分を調べると、 実は深良用水が引いてきた芦ノ湖の水であることがわかる。 地元でも意外に知られていない事実。 【堰(せき)について】─富沢穴堰と太郎右衛門堰を例として─ 隧道の完成によって、芦ノ湖の水を灌漑用として使用できることになりましたが、新田や畑成田を開発するためには、用水堰の整備が必要です。隧道を流下する水を田畑に取り入れる口を「堰(せき)」といいます。ちなみに、駿東地区の方言の特徴として、濁点の変化が挙げられるのですが、これに準じて「堰」も「せぎ」と発音します。土手は「とで」と発音します。 【富沢穴堰】 富沢穴堰と呼ばれる堰の注目すべき点は、黄瀬川の洪水時の最高水位と、雑排水を落とす穴の高さが一致していることです。これは昔の人の経験で高さを合わせたもので、現在も変わっていません。こうしておけば、どんなに洪水の時でも、水に浸からない穴があれば、堰からどっと押し寄せてくる水が排水口からどんどん出て行くので、田畑は水浸しにならなくてすむわけです。 【太郎右衛門堰】 350年間、五つの石の配置が変わっていない太郎右衛門堰。 一説によると、太郎右衛門というのは佐吉のことだとか。 石の配置を変えてはいけない理由は、上の記述をご参考ください。 1986年時の上郷、中郷、下郷の水配人 (300年もの間、世襲されています) 芦ノ湖湖水掛りの村を総称して、今も「井組」と呼ばれています。 三郷による三組の井組が結成されており、 上郷が富沢穴堰から引水する深良、岩波、神山、上々田、金沢、葛山、御宿、千福、定輪寺、富沢、一色の11ヶ村、 中郷は石脇、佐野、久根、公文名、稲荷、茶畑、二ツ屋新田、麦塚の9ヶ村、 下郷は伊豆島田、水窪、納米里、上土狩、中土狩、下土狩、竹原、本原、伏見、新宿の10ヶ村となっています。 元禄時代以降、沼津代官所の支配の下に水配人が選ばれていましたが、元文の頃からは上、中、下の三郷から正副二人、計六人が選出され、以後は世襲となり、毎年、堰、および隧道内の点検等を行っています。 皆様も深良の人々とともに喜んでください。 深良29ヶ村に、水が落ちました──■第二十九章 水、水、水■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は8月15日(土)●あとりとおふう●です。 見届けてあげてください──このふたりにも、別れの瞬間が訪れます。
2009年08月01日
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後ろの正面だあれ ■第二十八章 嵐■ お盆間近ということで、本日の日記はまず、最近身の回りに起きた出来事をご報告させていただこうと思います。 二世帯住宅をもとめて引っ越してきたのは、二年前の夏の日のこと。 斜めお向かいのおうちにご挨拶に行ったところ、私たちと同世代のママが出てこられて、すごく気さくに応対してくださって、とても嬉しかったことを思い出します。 このお宅には、小学校三年生になる名門校に通うお兄ちゃんと、私の娘と同い年(当時年中さん)の妹さんがいるとのこと。 目の前にある「公園で一緒に遊びましょうね☆」と言ってくださり、それからも今も、子供たち同士で誘い合って、いつも仲良く遊んでもらっています。ひとり娘の親としても、本当にありがたいことだと感謝しています。 最初にご挨拶した折、不在のご主人について「今、入院中なんだけど、大事ということではなくて、全然大丈夫だから心配しないでね」と話してくださいました。 それから半年くらい経って、「今、主人が一時退院をしてきたの」とご連絡があり、そこで初めてご主人様にも家族でご挨拶させていただきました。 それからまた半年。 お向かいの家の娘さんが、パパと公園で遊んでいたのを見つけて、うちの子も飛び出して行きました。木登りを教えてもらっていたようで、帰ってきてからもすごく楽しそうに話していました。お向かいのママいわく、やはり一時退院だったということで、ほどなくしてご主人様は病院に戻っていかれました。 それから間もなく。 私たちはご主人様の訃報を聞きました。 思い返すと、「木登りを教えてもらった日」が、お向かいのご主人様が娘さんと最後に公園で遊んだ日でした。わが子が一緒になってしまって、親子水入らずの時を邪魔してしまったことを、非常に申し訳なく思っています。 立派な方だったので、ご葬儀もとても大きなものでした。 落ち着いてからも、お向かいのママはお茶やおしゃべりのために家に呼んでくださり、変わらないお付き合いをしてくださっていて、本当にありがたいことだと感じています。子供たちもいつも仲良く遊んでいます。 そんな平穏な日々が続いていた先週の木曜日のこと。 娘をピアノのお稽古に送り出した帰り、私がひとりで家の前の道を歩いていると、今は小学校五年生になったお向かいの家のお兄ちゃんが、めずらしく公園で遊んでいるのを見かけました。 ひとりで高い木に登っているようなので、下から「お兄ちゃーん」と声をかけてみました。小学校高学年の男の子なので、以前のようにまとわりついてきたりはせず、木の上から笑って手を振ってくるだけ。もう10歳なんだからそれでよし。私も笑って手を振り返して、その場を離れようとして──ふと視線に気がつき、足を止めました。 お兄ちゃんのいる木の下に、男の人が立っていたのです。 普段着で帽子をかぶった、40代後半の男性です。 男の人は私と目が合うと、にっこり笑って会釈してくれました。 んん?誰だったっけ…と思いつつ、会釈をされたのでこちらも頭を下げようとして、唐突に思い当たった。 お父さんです。お兄ちゃんのお父さんだ! その瞬間、私は「ああ!」と叫び、ついで「こんにちは!」と思わず声に出して挨拶してしまいました。 そして、今度は親子水入らずの場面を邪魔してはならない、とその場を足早に通り過ぎました。木の上のお兄ちゃんからすれば、よほどヘンなヒトに見えたことでしょう。 夕食の段になって、私は先ほどの出来事を家族に話しました。 すると、「お向かいのパパを見てくる!」とやおら席を立って出て行った娘。 ほどなくして、「公園にはもういなかった」としょんぼりして帰ってきました。 オットいわく「そりゃあ心配だよ。子供はまだ、ふたりとも小学生なんだから」 お向かいのご主人様が亡くなったのは、去年の10月下旬。今年の夏は、初盆を迎えます。 オットは「あまりそーゆー力は鍛えないほうがいい」と言うのですが、こちらが「鍛え」なくとも、向こうの方から姿を現してくださる分には、きちんとご挨拶をしなければならないとも思います。 その夜の夢で、今度は私の亡き父がやたらと自己主張をしてきたのが面白かった。「おれだって心配している!」とあの人らしい対抗意識を見せてくれたような気がしました(笑)。 小学生で残された子供はもちろんのこと、30代になっても、自分の子は自分の子供。たとえ彼岸と此岸に隔てられていても、親は心配が尽きないものなのですね。 天国のパパは、君たちのことを愛している。 君たちにどんなことがあったって、パパの愛だけは君たちの中に残っている。 それは生きている親よりも、もっと深く、もっと顕著にあらわすことができる愛なのかもしれない。 【Kのご家族との語らい】 さて、こちらも親御さんの愛について── 去る6月の日曜日、一昨年4月に亡くなった友、Kのご両親のご希望で、玉香さんとともに会食のひとときにあずかりました。 Kというのは、ひょんなきっかけで『青木』を書いたノートを見せてからというもの、この物語を大好きになってくれた友人で、『ワンダフル・ワールド』の出版協力者の頁にも名を連ねてくれています。こちらのブログに何度かコメントをくれたこともあります。 Kは1972年3月25日生まれ、0型。 私は1972年3月26日生まれ、0型。 でも、Kは一昨年の4月7日土曜日の午前中に亡くなりました。 私は本日の日記で、両親の愛について考えてみようと思います。 手前味噌な話で恐縮なのですが、私の子供はユーモラスながら万事に控えめな子で、赤ちゃんのときからどんなレストランに連れて行ってもまったく困らされたことがない、いわゆるおとなしいタイプの子どもです。さらにぶっちゃけて言ってしまえば、親の希望した学校にすんなり入り、そこでも特にやんちゃをすることもなく、比較的厳しく思える学校の教育方針にも順応しているように見えます(今のところは)。 そんなわが子が、突然罪を犯したら──たとえば万引き、いじめなどを犯したならば、自分はそのとき、どんなふうに感じ、どんな行動をとるのだろう…Kのご両親と語らいながら、心の中でまったく別のことを自問していました。 思春期を待たずとも、今このときでも、もし、わが子が万引き(窃盗です)、もっと極端な例でいえば、殺人を犯したら、もしくは自分を殺す罪という意味で自殺をしたら、親である私は、なにをどう考え、どうしたらいいのか。 罪を犯すことだけは許せない、とか、なぜ罪を犯したのか、そこには子供だけでなく、両親にも問題があるかもしれない。罪を犯すに至るまでの原因を探り、両親で、また親子で分かち合いをしながら反省をしていく──これは親であるならば誰もが考えることであり、また親でなくても誰の口からでも言えることです。 でも、罪を犯したわが子を愛せますか。 それでもわが子を愛すのが、親の愛。 Kのご両親を見つめながら、そう思った。 Kが罪を犯したとか、そういうことではなく──この場合、子供の方が先に旅立ったとしても、とにかく、Kのご両親はKを愛している。 親の絶対的な愛を前にして、事実とわが子とは別だ、ということです。 事実とわが子とは別、ということが、Kのご両親は自然にわかっていらっしゃるから、親子の間に起きた事実に、いからない。子に問わない、夫婦で互いのせいにしない。いからない。怒りに心がはまりこんでしまうと、この世は地獄と絶望の世界になってしまう。 なぜわが子がこのようなことになってしまったのだろう──とことん考え、悲しむことは大切です。でも、そこに「なぜ」「どうして」「誰のせいで」などという「怒り」の感情を入れてはいけないことを、私は学びました。 この先、わが子になにがあったとしても、事実とわが子とは別。 もちろん、罪を犯すようなことがあってはいけない。両親のつとめとして、安定した家庭の中で育てていく努力を怠ってはいけないと思います。それでもどうしても、ままならない出来事は起きてくるものです。怪我、病気、いじめ、成績の伸び悩み──そのとき、事実とわが子は別。私はこのことを肝に銘じておかなくてはならない。 いわゆる「いい子」でない部分こそ、伸びる素となることは、自分自身の体験でも実証済みなのに、いざ「その時」になってみないと、自分が親としてどう考え、どう動くのかわからない。手前味噌な話で恐縮なのですが、私の母は、思春期の私のために特別に設けられた「個人面談」の席で先生が私の「小罪」を論う中、胸の内では「この先もずっとこの子を育てるのは私。先生はたった一時のこの子を見ているだけ」と唱え続けて、先生のお小言には平気な顔をしていたそうです。私の母の例を出すまでもなく、親としての余裕は、親であることの喜び、哀しみを重ねてきた人、皆が持ち得るものなのでしょう。 条件付きではない、事実と人とは別の、愛について。 私はまだまだたくさん考えなければならないことがあるようです。 平安期の歌謡集「梁塵秘抄」を鞍馬天狗の祖父と一緒に読んでいたときに、こんな歌を見つけたことがあります。幼い私に、祖父はこう解説しました。 「自分にはわけあって生き別れた息子がいる。生きていれば二十歳になっている。親もいなくて育った子だから、どうせろくな大人になってはいないだろう。ばくち打ちかなにかになって、身を持ち崩しているだろう。でも諸方の神様。どうか今日も、息子に、良い賽の目を出してやってください」 わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 負かいたまふな 王子の住吉西の宮 ばくち打ちに身を持ち崩した息子の姿を予想して、母親はそれでも、サイコロをふるときは、息子に良い目を出してあげてくださいと神々に頼む。これは母の愛です。 たとえは悪いかもしれないけれど、もし、この先にお向かいのお兄ちゃんや妹さんが何かを「仕出かした」としても、パパはふたりを愛している。ふたりに注がれるパパの愛は絶対です。 亡くなった親が残された子に示すような深い大きな愛を、また、残された親が亡くなった子供に与え続けるような愛を、私たちも今この場から実現していかなくてはならないと思うのです。 きみのためなら鬼にも蛇にもなる──■第二十八章 嵐■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は8月1日(土)●水、水、水●です。 一緒に見届けてください。 来ます。深良村に、水が。 お弁当を応援していただき、ありがとうございました☆ 7月15日、本日をもちまして一学期のお弁当は終了です☆ お弁当畑でニコニコ^^ てんとう虫のてんてんおにぎりv てるてるさんvひまわりのボタンありがとう!
2009年07月15日
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与一も出入りした息抜き穴跡 ■第二十七章 谷間の茶屋■ みなさま。 本日はみなさまのご意見をぜひうかがいたくお願い申し上げます。 もし、オットが岩波の近代文学全集を240冊、さらにルーブル美術館の全所蔵品を掲載した大型本八冊(テレビの両脇に見えている)、ルオーの全版画集を求め、それがいつのまにかリビングの書棚に陳列されていたら、みなさまはどのような対応をなさるでしょうか。 近代文学全集というも、漱石、鴎外、芥川、茂吉、志賀、露伴、鏡花、梶井、鈴木三重吉、寺田寅彦、須賀敦子という、か~な~り偏ったラインナップとなっております。ちなみに、わがオットの専門は日本の近代文学でも西洋美術史でもありません。 うちの今年の夏休みの資金は、いったいどうなってしまうのでしょうか。 もし、みなさまのなかで、私に免じて許してあげてほしいと名乗りを上げてくださる方がいらっしゃれば、私は謹んでその通りに致します。 そんなオットは許せねえ!今すぐ大喧嘩に発展してよし!というご意見もお寄せいただいてもだいじょうぶです。 さて、本日はひとりごとのような内容で恐縮なのですが、 【Hikari says】─「手をかけること」について─ 医療現場の最前線に身を置くヒカリの話を聞いていると、私にとって得るべき示唆を非常に含んでいることに気づかされます。 何気なく話している言葉の端々に、ちらりと顔を出す真実。 「人が亡くなっていくとき、あれをしておけばよかった、と一番後悔することはなんだと思う?」 たとえば、何々をして満足して、あるいは安心して亡くなっていった──という話はよく聞きますが、「最後まで後悔していた」というのであれば、会いたい人に会っておけばよかった、とか、家に帰りたかった、とか、もっと健康に気をつけておけばよかった、とか、私にはそういうことしか思い当たりません。 ところがヒカリが言うに、「死期をさとった人が、人生を振り返って後悔するか、しないか」の分かれ目は、ズバリ「大恋愛をしたか」という一点に尽きるそうなのです。実は私、これをヒカリの口から聞いたときは、不謹慎にも吹き出してしまいました; その「大恋愛」が成就したか、しなかったかは関係ない。 誰かを愛し、自分も愛された──その経験が「恋愛」として記憶に残っているかいないか、それが「人生を後悔する」分かれ道なのだそうです。 後悔を語る人は、「自分には大恋愛の経験がない」「恋愛をしておけばよかった」「本当は恋がしたかった」などと切ない言葉を残して逝くそうです。 自分の人生の最後に満足を得るには、成功や名誉の形跡ではなく、大恋愛の記憶さえあればよい、というわけです。 じゃあ、ヒカリに大恋愛の経験があるのかといえば──宇宙植物のようなヒトなので、彼の内面の動きはいちいち読み取りにくいところではあるのですが、愛、燦々とさんが彼を評して「いたってふつうの男の子だよ」と言うので、ヒカリもあれでいて激しい幸福感に襲われるような経験を持っているのかもしれません。 さらにヒカリは、人が最後に「自分が残せたなぁ」と満足に思うものは、財産でも経歴でもなく、「見ず知らずの誰かのためにしたこと」だけだと言います。 遺産はいつかなくなる。経歴は忘れられる。 でも、「見知らぬ誰かのためにしたこと」は、いつまでも地上に残るのだそうです。 たとえば、子供たちが遊ぶ公園。これは誰かが残してくれた土地の上にあるものなのかもしれません。 「見知らぬ誰かのために何かをする」ためには、自分が強くなくてはならない。 自分が苦しいとき、寂しいときは、きっと誰かが声をかけてくれる。手を差し伸べてくれる。 でも本当は、助けようとしてくれるその誰かが、自分になりかわって現状の人生をなんとかしてくれるわけじゃない。最終的には、自分の力で、自分の気持ちで立ち上がっていかなければならない。現況を打開していかなくちゃいけない。 仲間がいること、と、人は結局はひとりなのだ、というふたつの現実は矛盾しない。 自分を救うのは、自分でなくてはならない、と言うのです。 となると、人生の最後に、本当のしあわせ、安心、満足感を得ることは、家庭を持つ人、ひとりで生きる人、マイケル・ジャクソン、ミャンマーの極貧農、あるいは友野与一…どのような立場の人にも、等しくあり得る、ということになります。私はここに、ひとつの救いを見たような気がするのです。 ヒカリが小難しい表現を使って言ったわけではないのですが、少なくとも、私には上記にまとめたような内容を聞き取りました。 さて、ヒカリは「見知らぬ誰かのために」医療という手段を使うことができますが、私はどうすればいいのでしょう。それで──といってはナンですが、今般、「見知らぬ誰かのためになにかをする」ことについて、自分なりに行動してみることにしました。 ヒカリは医療行為の合間に、手術を控える子供たちに本を読み聞かせたり、術後の処置をしている最中にも、ママに手をにぎっていてもらう、看護師さんに好きな本を読んでもらうことなどをしています。彼の一連の医療スタイルは、子供の不安や苦痛の軽減を第一に考えているように見えます。 病気と戦う子供、障害を背負う子供を「大事にされるために生まれてきた人たち」を呼ぶヒカリ。 そんなヒカリには及ばずながら、私も自分のできることをさせていただこうと、このたび、活動を開始することにいたしました。 考えたのは、シーツの交換と、おやつ作り。 手術や治療、検査に行っている間にシーツを交換します。 おやつの時間に、手作りのものを出してもらいます。 私の姿は子供たちには見えません。 ボランティア──という言葉はおこがましくて使えない。 私は私のなかに欠けているものを埋めるために、手を動かしていたい。 地上に残されるのは「見知らぬ誰かのためにしたこと」だけ──ヒカリの言葉の真実を確かめたい。 こちらもある意味で双子ネタv 鳥吉の意外な正体とは──■第二十七章 谷間の茶屋■ 文中の「飛鳥井」という言葉に、蛇足ながら著者註を入れさせてください。 ずいぶん前の記述なので、本文の記述のこちらとこちらを、ヒント程度にご参考にしてくださると嬉しいです。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は7月15日(水)●嵐●です。 透子さん☆ あの「嵐」じゃなくてごめんなさい 追記:そうそう、ママさんたち同士よ!!! 「手をかけるということ」についてもうひとつ。 子供を叩いてしまうと止まらなくなる自分が怖いと悩む男の子のお母さんがいて、そのママのことを話したんです。 するとヒカリいわく、どうしても自分の感情をおさえきれなくなって、子供を叩いてしまったときのお約束──「叩いた手のひらを子供の身体からすぐに離さないで、そのままずっと子供の身体に当て続ける」といいのだそうです。 子供もママの手のぬくもりを感じていられるし、もし、ママが叩くのをやめたい、と思ってもやめられないでいるのならば、やめられない行動のパターンを少し崩してみることによって、行動そのものが変わりやすくなるのだそうです。そして、いつのまにかやめられている。 これを聞いて、こんなふうに思った。 ヒカリは親元から離れたところで育ち、幼い頃は今でいうネグレクトにあっていた子なのですが、そんなヒカリに出会い頭、思わず手を上げ、その手を離さずにさらに掴みかかっていったヒロがいたから──今のヒカリがあるのだと、私は信じています。 ヒカリは言います。 自分を手放さなければならなかった両親も、他人の子供を育てなければならなかった養育者も、「どちらも自分が望んだわけでもないのに、重い人生を背負わなければならなかった人たちだから…今はただ、お疲れ様でしたと言いたい」 【こちらは家族のために手をかけてみましたv】 7月14日、どんな色が好き? 赤い色が好き☆ 一番先になくなるよ、赤いクレヨン♪ 7月13日、リサとガスパールのボール遊びv 7月10日、元気なマドレーヌちゃんピラフv 7月9日、今日はマヨたまサンドだよv 7月8日、ジジDEランチv ◆よろしければこちらもチェックしてみてくださいv ブックカバー兼、図書館バッグ☆ 終わった後は、両手を使って思いっきり遊ぼう! 土曜学校用ポシェット☆ お弁当用きんちゃくバッグv 楓の愛用のシャツで作ったランチョンマットとポーチ☆ これは自分で買ってきた裏地v アンとダイアナのように、素敵なお友達に恵まれますように──
2009年07月01日
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甲羅伏と逆川水門 ■第二十六章 水車■ 新しい週の最初の日に、楽しい気分で─ 愛する旭陽さんの日記からいただいていた【愛用品バトン】、 実に半年以上の時間を大切にとっておいたバトン、 小夜子バージョンにアレンジして、アップさせてください☆●携帯電話 ゴールドに風神雷神の蒔絵。 初対面の方との目印に良い。●財布 自由が丘「私の部屋」オリジナルの黒いシンプルなお財布。 これがものすごく使いやすいv●車 お兄ちゃんの乗っているハマーがどうしてもほしい。 ちなみに。 ヒロはプジョー。 英はポルシェ。 ヒカリはヒロのお見立てでBMWに乗ってるけど、 本人は車種すら関知していまい。 (ベンツは誰も乗らないのはなぜ? 楓の手術痕に似てるからか?)●歯みがき粉 クリアクリーンのつぶつぶ感がすき☆●歯ブラシ DENTA APATOとロゴのある八角形の透明グリップのもの。 極細のブラシが触感良し。 愛、燦々とさんも絶賛してくれたけど、検索に引っかからないのはなぜ。●釣竿 太公望、松丸に聞いてくれ。●バイク 英に聞いてくれ。 あと、意外かもしれないけど、ヒカリもよく乗っている。 (↑自転車乗れない疑惑を背負いつつ)●マフラー よくぞ聞いてくれました! バチカンのスイスの衛兵と同じものです!!! ものすごく自慢です。●自転車 電動自転車です(笑)。 クリスマスの朝、玄関先に置いてありました。 サンタさんからのプレゼントです☆●かばん バッグならコーチを揃えたい!!! ロゴのあるは苦手だけど、なぜかコーチだけは別。●メガネ 愛、燦々とさんのGUCCIが羨ましくて、 夫婦でお揃いで買ってしまったv オットはヨン様と呼ばれるようになった(←不可)。●香水 愛、燦々とさんからもらったレイジースーザン。 ファンシーショップの香りがする☆ ヒカリはブルガリ・プールオム。 (↑風早舞雪子ちゃんからのいただきもの。ちゃんと使いなさい) ヒロはバーニーズニューヨークのROUTE DU THE。 英はドルガバのプールオム。●シャンプー 架月真名さんからいただいたグレープフルーツの香りはじける逸品。 大切に大切に使わせていただいてます。●ボディーソープ 前世紀に大流行した痩せる石鹸。 オット曰く「石鹸が痩せていく…」●洗顔料 新潟に行く度に買ってくるひのき泥炭石。●入浴剤 六本木ヒルズ内「TOUCH」のCOCOLO。 ヒロに教えてもらったアロマの逸品。 土とオレンジの香りがする。これ以上の美しい香りをかいだことがない。 それにしてもヒロはなんだってこう、スペシャルなものを知っているのだ! そしていったい誰と一緒にソレを使うのだ。●靴 ハナ・アンダーソンのクロッグスはほめられる●ブランド BVLGARIかなぁ。 ヒロがヒカリに「女の子に何か買ってあげるときはブルガリに入れ」 と言っているから(笑)。 ショーメのアトラップモアシリーズにも興味あり。 「私を捕まえて」という意を持つ蜘蛛のモチーフ。 『箱根』が完結したら、記念に買ってください。●リップクリーム オットはメンソレータムを使っている。 メンタムを塗らないと、講義中に唇から血が噴き出すという。 どんだけ激しい講義をしてるんだ。●ファンデーション 愛、燦々とさんからもらったヘレナをそのまま愛用。●ポーチ ヒロさま御用達、H TOKYOのトラベルバッグ。 商品を買うと、無料でくれるのだv●ストラップ グッチの携帯ストラップ。やまぐっちだからだそうだ。●サングラス CDの古めかしいものを母とお揃いで(笑)。●帽子 私は巨顔なので…; 小顔の愛、燦々とさんにあげちゃう。●薬 ヒカリからもらう最強抗生物質 ジスロマック(風邪をこじらせた時用) クラビット錠(持病の慢性盲腸炎用) ゼッタイ薬事法に引っかかってる!●タバコ オット一族、私一族ともに吸いません。 ヒロ&英はフランス製の煙草を愛飲。 ヒロはやめなさい。●酒 英のカクテル。 自作のカクテルに付ける、ヘンなネーミングがかわいい。 (作例)臨港バスの夕べ SEX ON THE めがね橋 総持寺ミルク●時計 1960年の頃の話である。 ひとに呼ばれた野暮用でフランスはマルセイユにやって来たものの、手違いから当人に出会えず、私(小夜子の祖父)はホテルの仮住まいのままどうしていいのやら戸惑っていた。雨ばかりの寂しい初秋だった。 外のレストランで夕食をとった後、フランス人の真似をして傘なしで歩いて、近くのカフェに入った。夜も遅いのに、たくさんの老人たちが騒いでいた。 カウンターでコーヒーを飲んでいると、身なりの貧しい小柄な老婆が少女のような声で話しかけてきた。 「なんとうるさいじゃありませんか。私はこんな下品なフランス人なんかじゃありません。モナコ人です。あなたはどちらから?」 「日本です」 「日本! 私は日本人には思い出があるのです」言いながら、彼女はカウンターの上にどさりと手提げ袋を置いた。傾いた口から、乾いて固くなったパンがカラカラと転げ出した。彼女は恥じたようにあわててそれを袋に戻した。 「なにか飲みませんか」と私は言った。 「ありがとう、じゃ、オレンジジュースを。私の母は世界初の女性新聞記者でした。小さな私は母に連れられて世界中を旅しました。日本にも行きました。帝国ホテルに泊まって、地下のお店で赤いキモノを買ってもらいましたよ。それはそれはきれいでしたよ」 目の奥にその赤いキモノが今もはっきり見えているかのように彼女は笑った。 「それから船でフランスに行くことになりました。1913年のことです。船の上で、私は二人の若い日本の男性と友達になりました。私はまだ小さかったから、とても可愛がってもらったんですよ。ひとりは貴族で、ナベシマという人でした。もうひとりは画家で、フジタという名でした」 一瞬、私は鳥肌が立った。画家というのは藤田嗣治ではないか。ナベシマというのは佐賀の鍋島家のことではないか。 「船の上で、私にこの時計をくれたのです」 老婆は腕からそれを外し、大切そうにかざしてみせた。オメガの小さな金の時計だった。 それにしても、いかなる巡り合わせだろう。果たして今やこの老婆は、身寄りのない貧しい老人の定番ともいえる大きな手提げ袋に、飢えから逃れるための乾いたパンをつめて歩いているのである。 「彼らは本当に素晴らしい人たちでした。あの船旅は私の人生の大切な思い出です」 夜ふけて、彼女を暗い路地の奥の老人用の慈善宿舎のようなところまで送っていった。 「また会いましょう」と言って別れたきり、再び会えないまま二十年が経っている。 先日、私は佐賀県の鹿島という町の古い大きな酒蔵に用があって呼ばれた。その折、すぐ裏手の竹林の丘の麓に、泰智寺という素朴な寺を見つけた。本堂の縁で涼んでいると、奥さんが出てきてお茶をいれてくれ、ここは鍋島家の菩提寺だと教えてくれた。 それで私はあの老婆のことを思い出した。二十年前の夜のことを話すと奥さんは、「ああ、それはきっとナオタダさんの奥様のひとり、セイラさんですよ」と言って、堂内に林立する巨大な位牌の中の、一番手前の小さなひとつを指差した。 「この方です」 雨が降ってきた。 あの日の夜のように。 帰宅した私は、旅行鞄の底に光るものを見つけて声をあげた。 それは、小さな金のオメガの腕時計だったのだ。 ── 現在、祖父から私がその時計を受け継ぎ、大切に愛用しています。 出かけるときには必ずつけているので、今度ぜひご覧になってください。●コンビニ 今はローソンだけど、鶴見ではファミマだった。 わかるヒトにはわかるだろう(笑)。●お茶 毎朝オットが丁寧に淹れてくれる日本茶が好きです。 夜のコーヒーもありがたい。 豆は椿屋珈琲店がお好みらしい。 紅茶はフォートナムメイソンのエルダーフラワー&シャンパン。 英が密輸してくる「VERT A LA MENTHE」も絶品。 ミントティーは飲みつけないのだけど、これだけは納得。●手帳 ペーパーブロンクス(桜さんと一緒だった☆)●ピアス 自分で開けようとして痛い目に遭ったからもう二度としない。 英とかヒカリって、どうやって開けたんだろう。●パジャマ 愛、燦々とさんにもらった「ゴージャス薔薇柄パジャマ」。 ビミョ~に似合っていない;●アクセサリー 今はミキモトをよく贈り物にします。こういうの、かわいいよね☆●ゲーム オセロは誰にも負けません。●まくら オットの胸。●パソコン NEC。文豪時代より。●目覚まし 娘のタックル。●音楽マスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナは世界一美しい! ──と楓が申しておりました。 ああ久しぶりのバトン! 書いていて楽しかった☆ ありがとうございます^^ バトンをお持ち帰りいただける方、ぜひ!!! ご自分のバージョンとして、好きな項目をアレンジしてアップしても♪ さて、本日の本編に登場する鳥吉(ちょうきち)の初出はこちらです。 箱根用水物語、最後の艱難─■第二十六章 水車■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は7月1日(水)●谷間の茶屋●です。 鳥吉の意外な正体とは─ 6月30日、そういえば多摩川のタマちゃんってどこいったの?弁当v 6月26日、しょくぱんまんさまーっ ◆よろしければこちらにもアップしていますv
2009年06月15日
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「犬下がり」痕役割を終えた後は、人間や資材があやまって落下するのを防止するため、瓦礫を積んで穴を封鎖してある ■第二十五章 水神■ 本日は一緒に企画してくださった透子さんと、現在を頑張る旭陽さんに捧ぐ、 『ヒロの留学日記』を三部に分けて掲載させていただこうかと考えていたのですが、突発的にふたつの報をいただいたので、勝手ながらこちらを優先させていただきます。まずは吉報から、 【本屋大賞2009に掲載されましたv】 本屋大賞(2009) 皆さま、どうぞご一緒に喜んでください! 楓が連れてきてくれたお友達からのお便りによると、2009年度版『本屋大賞』の「もういちど推薦! 発掘本」コーナーに『青木学院物語』がv 今、私は思わず楓と互いに手を取り合ってしまったかのような、嬉しさと気恥ずかしさで胸がいっぱいになっています。この方に出会えたこと自体が楓からの贈り物であることを、はっきりと確信した瞬間でもありました。 貴重な情報を本当にありがとうございました! 本屋大賞2007に載せていただいてから二年。 さらに応援してくださる方がいらっしゃることに感激しています。 どうか皆さまもよろしければ本屋さんで確認していただければ嬉しいです☆ さて、本日はもうひとつ、ぜひお話しさせていただきたいことを─ 【天才前衛学者の残像】 カラヤンがクラシックを殺した 艶やかなオールバックの髪を首の後ろで束ね、アルマーニのカラースーツのはだけた胸元には北斉時代の菩薩のごとく貴石が幾重にも輝き、手には女性器と蛙というエロスとタナトスを如実にあらわす装飾がなされたステッキを携えて彼は現れる。JRの電車内にも、子供らの遊ぶ公園にも。ちなみに、専らの移動手段はフォードのクラシックカーだったけれど。 先週末、私はオットからこの方の訃報を、茫然としながら聞いていました。 今をさかのぼること一ヶ月も経たない4月下旬のこと、家族ぐるみで都内の公園にてピクニックなどをご一緒した人です。というか、ご本人はオットが学生時代から仲良くしていた、実に尊敬すべき先輩でした。 二十年来の友人であるオットが悲しんでいないので、私も嘆くまい。 オットには“あいさつ”があったらしく、「あのヒトらしー」と、のほほんとひとりごちているのを横目にしつつ、だが私はかの人のことを今回の更新で取り上げずにはいられません。 本を出した以上、その内容に関する賛否両論はあって当然あってしかるべきなので、皆さまもぜひ、このリスキーなタイトルの本を手に取っていただければと思います。 去年末の新刊当時、どの本屋さんでも、平積みどころか二列三列の平積みになっていた話題の本です。 鎌倉に建つ、ラピスラズリ色の壁に金の縁取りの邸宅。 その一角の書斎の扉は、ロダンの「地獄の門」のレプリカとなっており、来客は以下のダンテの神曲による銘文に迎えられます。 Per me si va ne la città dolente, per me si va ne l'etterno dolore, per me si va tra la perduta gente. Giustizia mosse il mio alto fattore; fecemi la divina podestate, la somma sapïenza e 'l primo amore. Dinanzi a me non fuor cose create se non etterne, e io etterno duro. Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate' 我を過ぐれば憂ひの都あり、 我を過ぐれば永遠の苦患あり、 我を過ぐれば滅亡の民あり 義は尊きわが造り主を動かし、 聖なる威力、比類なき智慧、 第一の愛我を造れり 永遠の物のほか物として我よりさきに 造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、 汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 書斎の中には賽の河原のように積み上げられた石の数々。かの人は石のコレクターでもありました。 天寿をまっとうする──とよく言われますが、神の定めた寿命までもを自らの意志で決定しようとしたその神をも畏れぬ挑戦的な態度こそ、奇行をもって世界にその名を轟かせる、実にかの人らしい生き様でありました。 とはいえ、素顔の宮下誠さんは、外見上は妖気ぎらぎらではありながら、心は穏やかで優しく、私のような小娘が隣席しても面倒な顔ひとつせず、相手が誰であろうが「今この時の会話を楽しむ」というスタンスを何時間でも保つことのできる、はるかな余裕のある方でした。 京大進学を嘱望されるかの人のご子息もまた、私の心を放さない魅力にあふれた少年です。 どんなふうに魅力的なのかというと─ お父上に似て、髪の毛をびみょ~に長くしているのも私としてはかなり好ましいけれど(笑)、その言動がまた素晴らしい。 ピクニックの折、公園に着くまでの相当長い距離を恥ずかしがることもなくすすんで小学一年生のわが娘の手を取り、リードしてくれたお兄ちゃん。 そっとふたりの会話に耳をすませば… 「みのりちゃんさぁ、学校で嫌いな先生っている?」 ズルッ! 夫婦して吉本のようにずっこけそうになりました☆ 入学したばかりの娘に、「学校楽しい?」などといったちやほやとした赤ちゃん的会話を求めなかった君は最高だ! 娘は今、毎晩お兄ちゃんと、お兄ちゃんのパパのためにお祈りをしています。 ご子息と奥様のことは、宮下誠氏のご著書の謝辞に記してあります。 奥様は私の「悪友」でもあるので──今、私は何をしたらいいのかを自問しています。 先日、令夫人は開口一番、「今日のファッションのテーマは“蝉”」 「蝉ですか? 禅ではなくて?」 「よく見て! 蝉よ蝉!」 たしかに、その衣装は本当に「蝉」だった…(背中から翅が生えてた) このご家族、前置きなしに揃っていつも奇々怪々な風貌で現れるのだ。 とはいえ、絶品のカルボナーラをお作りになる令夫人もまた、夫である稀代の前衛学者にこよなく愛された人でした。 しばらくはそっと祈りを捧げるのみ。 世間の冷笑にさらされつつ、男どもは机上に旅し、迷宮を作る。 宮下誠は、おそらくケーゲルのアルビノーニ『アダージョ』とともに旅立った。 私たちも、しばらくは強く生きていこうと思う。 吉報と訃報。 宮下さんもまた、実に深く人生について教えてくれる人です。 私の小さな物語も、愛してくれた人でした。 今、吉報を喜んでくれていることでしょう。 どうぞ皆さまもこのご家族に心を合わせていただければさいわいです。 水、為政者、そして神までも敵にまわして、まだこれからも戦うだろうか─ ■第二十五章 水神■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は6月15日(月)●水車●です。 現在、箱根用水を動力とする水力発電所は三基を数えます。 6月12日、草原のパチリス弁当v 6月11日、ペンギンの双子ちゃんの魚つりv 6月10日、炎のように元気いっぱい!ヒコザルv(←英) 6月8日、みのり『青木学院物語』読了記念、楓弁v 黒く渦巻き、世界がざわざわと泡立った私たちの週末を救ったのは、娘の授業参観でした。 入学式以来の「きっちり」感で行なわれるのかと、夫婦ふたり、ビビリながら赴いたところ── 国語の授業などは思いっきり「みんなでダジャレを考えよう!」でした(笑)。 おとなしいはずのみのりが、「はいはいはーいっ」と大興奮で授業に参加していた…; 「○かつ先生(←担任の先生の姓)かつどんを食べる」 前回の習字といい、おまえはどんだけ「かつどん」が好きなんだ!!! 宮下先生ならば「センスあるね~」と言ってくれそうなので、泣きたいほどの話題の後にこのエピソードを入れさせていただきました。 それにしても最近の授業参観って、朝から下校まで、つまりお昼をはさんで五時間目までの長丁場なのね~ ◆お弁当の画像は、順次こちらのアルバムに収めてあります☆ よろしかったらぜひ遊びにきてください^^
2009年06月01日
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弟よ、左端の掛け軸、「眼の横に鼻血」って書いてある?(by長兄) 書いてねーよ!(by末弟) ■第二十四章 交喙■ 「天地人」を見ていない人には何のことやらまったくわからない──であろう、 【GW天地人行】 ──以下、意味不明な文章が並びますが、この文についての解説はぜひ黒井蓮華さんの日記をご参照ください←文責丸投げ── 里山をこよなく愛する長兄の号令一下、今年はGWに山中へと繰り出しました。 山渡る人々は、今年は五月と九月に越後は南魚沼郡付近を通過します。 越後は今、春たけなわ。山が笑い、つくしや杉の子が競うようにして生え揃います。春とはいえ、越後三山には残雪が残り、雪解け水の流れる小川は指を切るような峻烈な冷たさ。そんな中で鮎をとる「ヤナ」を作るための足場を組んでいきます。 梁漁(やなりょう)とは、川の中に足場を組み、木や竹ですのこ状の台を作った梁(やな)という構造物を設置し、上流から泳いできた魚がかかるのを待つ漁法で、弥生時代から伝えられているといわれているものです。 すのこは上流側に傾いて設置され、上流側では水中にあり、川下側では水面にあります。川の水はすのこを通って流れていくので、上流から泳いできた魚はすのこの上に打ち上げられるというわけです。 打ち上げられた魚を子供たちが「きゃーきゃー」いいながら、別の場所に張った「生け簀」の中に次々に入れていきます。 翌日の山歩きは、「物語はこの地から始まった」(byNHK)雲洞庵から板戸城まで。 雲洞庵に着いた途端、「わしはこんなところに来とうはなかった!」と墨書きされた手拭を額に結び、衆目を集める長兄。 「アンタが連れてきたんだろーが!」とすかさず全員からツッコまれる。 (世が世ならば、この時点でわが一族は連座の末、全員死罪決定──これについては前回のコメント欄後半をご参照ください^^) ツッコまれつつ首を傾げ、何を思いついたかアバウトな質問をしてくる兄。 「あれっ!? 小夜って“与六”を主人公にした物語書いてなかったっけ?」 「書いてねーよ!」“与一”だっつーの! 気を取り直して── 雲洞庵は、上杉景勝遺墨、武田信玄書状、直江兼続制札などなど、名だたる戦国武将の書簡多数を所蔵する宝物殿を惜しみなく開放しているほか、「座禅の格好をして写真を撮ってもいいよ☆」コーナーがあったり、重厚な歴史に裏打ちされつつも、善男善女に開かれた禅寺であることが好印象とともに伺えます。 さて、この雲洞庵において、わが子が最も食いついた事象は「桂の木」でした。 なんでも、雲洞庵にせまる山のきわに立つ女桂の大木と、庭園の池のほとりに立つ男桂の巨木の間には、四百年もの間、子供が生まれなかったそうなのですが、なぜか二十年前から突然にたくさんの子供が出来ました。女桂の前には今、子桂の木で林が出来ているほどです。 四百年の恋が実ったということでしょうか──感慨にふける娘。 お父さーん! お母さん☆と子供たちv それはともかく、「坂戸城が見えてるから、今から尾根伝いに登っていこう!」と言い出した兄を止められるものは三千世界に誰もない── ここで「天地人」第二回のエピソードについての所感なのですが、雲洞庵から坂戸城は「見えている」んですね。 五歳の男の子(与一ではなくて与六)が「わしはこんなところに来とうはなかった」と雲洞庵から雪の中を坂戸城のある自分の故郷まで「帰宅」できたというのは、TVを見ていて疑問に感じていたのですが、方向さえ間違わなければ、「あり得ること」だと感じました。 雲洞庵から坂戸城をのぞむ またぞろ長兄の号令一下、全員で移動している最中にオットが一歩先を行く私の肩を叩く。 「なに?」 「ここ、ここ」 立ち止まって、地面を指すオット。 なんとソコには、ほんまもんの樋口一葉さんが!!! 樋口与六に続き、樋口つながり!? 正真正銘の五千円札です。 「山の管理課に届ける?」などと言い出すオット。 ばかもーん。これは山の神様がくれたものだということがわからんのか! 山の管理課に届けようが、今はそんなモンどこにもない場所なので、とりあえずはオットがポケットにしまっておくことに── さて、その後すぐに「姉さん大変なことが起こりました!」 深山の崖の中腹を過ぎようというとき、 「助けてください…」という細い声が。 そーゆーコトにも慣れている一族なので、男たちが調伏師の顔をちらりと見合わせたところで、 「あ…足を…折ってしまって…」 と草むらから上半身を起こしてきたのは、トレッキング装備をした青年(←注:生きているヒト)。 そうとわかれば、こちらは歴代のガキ大将および副将をつとめあげた集団──ということは、怪我をした友人を背負って山を降りることなど、雑作もなくやり遂げてしまう気概を持っているヒトビトだということ。 ひとまず携帯が入る山麓まで降ろして、あらためて山岳救護を要請しました。 電話をしたのはオットだったのですが、 「あなたが怪我をしたご本人ですか?」と先方に問われ、 「いえ。怪我をしたのは○○さんという男性です」と答えると、 「では、あなたは○○さんとどのようなご関係の方ですか?」と聞かれ、 「関係っ!?──ええっと…わたしは……」 なぜか戸惑うオット(笑)。 ほどなくして4人のレスキュー隊員を乗せた救急の車が到着し、その場で男性に応急措置をした後、地元の病院に向かったようです。 車中から兄たちに向かって頭を下げる男性。 私たちも手を振って送ります。 思わず、声をかけていました。 「GWの初っ端にこんなことになってしまって大変だとは思いますが、これで厄落としになったと思えば──これからは、きっといいコトありますよ」 「この山の中で皆さんに助けてもらったことが、僕の最大の“いいコト”でした」 にこやかにそう言っていただけて嬉しかったです。 あの怪我の様子だと今は松葉杖だと思いますが、どうぞお大事に── 「じゃっ、も一回のぼろっ!」 山を見上げ、笑顔で振り返る長兄を誰かとめてくれ。 で、仕切り直した山登りの道中に、何度か人の出入りが。 物静かな青年が深山の中から忽然と現われ、同行の列に加わったりする。 「どちらからいらしたんですか?」と私が聞けば、 「僕は木こりです」などと答えます。 彼は子供たちにそっと声をかけると、ひときわ大きな木の幹を見せ、そこに疵が付いていることを確かめさせます。 「この疵は、熊の爪の痕」と木こりの彼は言い、 「大きな木に疵を付けておくと、それが二百年後くらいに木の洞になるから──未来の子孫のために、熊は毎年、これと決めた木に疵を付けていく。四世代か五世代の後、木の疵は洞となって、それが熊の冬眠の巣穴になる」 今、木に疵を付けている熊もまた、二百年前の先祖が付けた疵が洞になった巣穴で暮らしている。 考えてみれば、エコロジーとは地球環境に優しいだけでなく、未来に対しても優しいものであるべきだと思います。 私たちは、熊の循環性に学ぶべきものがあるようです。 さてさて。 そんなこんなで、山の管理事務所に5千円札を届けるのを忘れてしまった! 循環エコ、と言ってはナンですが──樋口さんを元手にして、「Forest Inn」という石釜ピザ&バリスタを備える本格イタリアンレストランで思いっきり豪華な打ち上げをさせていただきました☆ トマトクリームとウニのパスタが最高だった! 毎日温泉三昧の日々だったのですが、その中のトピックスとしては『天地人』第7話で兼続がお船のお伴で訪れた温泉地、大湯も入りましたv みんなより先に出たオットが、さらに先に出ていた姉に、 「バーに行ってくる」と言い残して立ち去ったまましばらく帰らないというので、すわ「神隠し」に遭ったかと大騒ぎに。 私は、「バー? めずらしいこともあるもんだ」などと思っていたのですが、探していた兄が、この温泉施設内に「バー」というもの自体がない!ということをフロントで聞きつけてきたので、またひとしきり物議をかもすことに。 結局、オットがいっていたのは「酸素バー」だったということで一件落着 (↑子供たちが「ゆんゆんが酸素マスク付けて意識がないようだ!」と言って見つけてきてくれた) 団体行動中における単独行動は厳に慎みましょう。 (長兄もグレートマッキンリーにおける単独登頂は厳に慎むべし。ニュースになりたくなければな) こちらは元祖、山渡る者──■第二十四章 交喙■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は6月1日(月)●水神●です。 天草四郎という少年も、こうして大人たちに「作られて」いったのでしょうか─ 5月29日、今日は授業参観! シェイミ(ランドフォルム)のお弁当v 5月28日、槙のむしくん、仲良くしてね弁当v プチトマトはむしくんのおかげで虫食いになってます☆ 槙の木というのは──娘が校内で「わたしの木」に選んだ木です^^ 槙の木さん、どうぞ十二年間、娘の成長を見守ってください。 ◆以下、順次こちらのアルバムに収めてあります☆ よろしかったらぜひ遊びにきてください^^
2009年05月15日
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先生っ! それ、波じゃなくて砂ですから! ■第二十三章 流れるものたち■ 【オーストラリアに行ってきましたv】 遅すぎた感が否めませんが;改めまして豪州行のご報告をさせてください☆ 「他人の旅行話なんて、こっちはちっとも面白かねぇや」 (と心の中でつぶやいたそこのヒロ! おそらくは君が正しい:笑) 今年二月から三月にかけて、われわれ三人家族と私の母の四人は、オーストラリアはクイーンズランド州、ブリスベンに行ってまいりました。 オットの仕事についていったかたちになるのですが、未亡人である私の母までもオットが連れていってくれたことに感謝しています。 もとは英文科の母。いつも気丈で元気な母ですが、母は外国でさらに元気が増すことに気づかされました。また、オーストラリアは私が結婚前に家族旅行をした思い出の国。母もスイートなメモリーの数々を、現地で楽しく思い起こしていたことでしょう。 さて、私たちの滞在先はこちらでしたv クイーンサイズのベッドが三台あって、キッチンもついているので充分快適です。バルコニーにも椅子テーブルが置いてあるので、朝食などはまさにリゾート気分☆ 白いオウムや、ジョージと呼ばれる爬虫類くん(←ヒカリではない)も、食卓を訪問してくれます。実は「ジョージ」については、出国前に黒井蓮華さんと「向こうで出会ったジョージと昼下がりのジョージに──なんてことになるかも」みたいなシュフ的会話をしていたことを知っているオット── ついたなり、レセプションのミスターに「うちで飼ってるジョージ、よろしくな!」と紹介されたときには「爬虫類かよ!」とおじさんによくわからないツッコミを入れていました(ジョージについてはこちら☆) 基本的にクイーンズランド大学と宿泊先「セントルチアガーデン」の往復をしていたのですが、学校帰りの夕方にはショッピングモールに寄って食材を買い込み、家族みんなでセントルチアまで歩いて帰る日々──本当に楽しかった。 官僚だった父が、本当はアメリカで「巨大スーパーマーケット」を開きたかったことなど、私が知らない父の一面を買い物ついでの四方山話の間に母から聞いたりもしました。 ブリスベンの人口は13万人で、オーストラリアでも第三目に位地する都市なのですが、広大な国土の上では非常に小ぢんまりとした街に見えます。 ブリスベン川という大河に沿って街が展開しているので、移動はCity Catという渡し船がもっぱらとなります。船の場合、行き先が「←あっち(ブリスベン市内)」と「こっち→(クイーンズランド大学)」の二方向だけなので、オットのような重度の「方向音痴」でもまず間違うことはありません。ありがたやありがたや。運賃も初回に「Go Card」という「パスモ」みたいなカードを船内で手続きの上、手に入れればいいのでベンリベンリ。 ブリスベン川に沿って、人工のラグーンが延々続いていて、子供連れの家族がのんびりと水遊びをしています。川沿いにはオープンスペースのレストランが軒を並べているので、子供たちの水浴びを見守りながら、優雅にランチしている夫婦もいます。 私は夕暮れのブリスベン市街を見ながら、リバーサイドでディナーと洒落込むのがお気に入りでした☆ 桟橋からシティキャットに乗ってしまえば、夜景を愛でているうちにセントルチアの岸辺まで連れて行ってくれます。 週末のアクティビティとしては、モートン島とゴールドコーストに行きました。 ゴールドコーストのDFSでは結婚十周年の記念として、普段は手も出せない「ブランド物のバッグ」をオットに買ってもらったのですが、娘の入学式前の保護者会の折、学校から「お母様方は紺か黒の上下で学校にいらしてください。入学式も同じです。ブランド品はお持ちにならないでください。ブランド品を身に着けるということは、“私は持っているけれど、あなたは持っていないでしょ”という意識の表明とみなします」と全員に向けてはっきりと指導があり、私は「きゃ~~~」とばかりに自宅に逃げ戻り、以来、“なけなし”のブランドバッグは箱からも出していないという状況です; 「お母様ルック」について、「なんで紺のスーツばっかり着てるんだろ。○朝鮮でもあるまいし」などと感じていた私ですが、「没個性の強要」というのは私の浅薄な考えであって、全員が同じ服を着ているからこそ滲み出る各々の「人となり」を大切にする校風は従うべきであることと思い直しました。 お! この話題にかこつけて─ 保護者会などの席では、なんとなく前列の席が最後まで埋まらないものですよね(笑)。 その保護者会の際、電車の遅延があったのです。 それで、十人くらいの方が遅れてしまったのですが、その方たちが席に着く前に、主事の先生が壇上に立ち、 「皆様、思いやりの心をお持ちください」とおっしゃるんです。 なんだろう…とぽかんとしていると、 「遅刻してきた方を最前列に座らせるおつもりですか。遅刻して恐縮している方に、さらに恥ずかしい思いをさせることは、思いやりのないことではありませんか」と教え諭していただき、本当に、席に着いていた全員が己の思いやりのなさに赤面しながら前列へと座り直した、という一幕がありました。 そうそう、我が家の時事問題が続いて恐縮なのですが─ 校舎のトイレは6年生が1年生のトイレを掃除するのですが、上級生のお姉様方がお掃除してくださるので、1年生たちもなるべくきれいに使おうとする、という態度がすでに徹底しているそうです。トイレットペーパーの芯が交換されないで、そのままになっていることは、まずないそうです。 上に立つ者が、下の者のために仕え、力添えをする。それゆえ、下の者は上の者に敬意を払い、自らの行動を律する──この流れが、マナーとともに自然に身につくのは、上級生、下級生にとっても互いに良いことだと思われます。 そこで、オーストラリア旅行を振り返ってみると、「トイレがきれい」という実に羨むべき事実が思い浮かびます。クイーンズランド大学構内だけではありません。ブリスベン市内、オーストラリア国内に至るまで、トイレが本当にきれいなのです。 掃除がまめに為されているのかもしれません。でもそれだけじゃない。 使い方がきれいなのだと思います。 つまり、オーストラリアは正しい躾をされてきた人々が暮らす国なのかもしれません。 トイレについては、本当に感心させられたことのひとつでした。 また、日々シティキャットなどで移動する中で、大学生らしき友人同士、恋人同士の会話のトピックスが、「今、勉強していること」に一貫していることにオット共々、感激してしまいました。 日本の電車の中では、若者たちはまず携帯を見込んでいます。 それが悪いというのではないのですが、ともかく、オーストラリアの若者たちは、携帯を「トランシーバー」の用途にしか使っていないことが逆に印象的でした。 そして、日常会話として「勉強していることを語れること」のしあわせを、日本の学生さんたちにも知ってほしいな、とうらやましく思った。 思うに、私たち日本人って、何においても「凝り性」なのですよね。 携帯だって、本当はオーストラリア他海外の国々でそうであるように、「トランシーバー」的な機能で充分なわけです。どこの国でも、黒くてちっちゃな機械のはず。 でも、日本人である私たちは、デコメはもちろん、携帯の本体をキラキラに「デコ」してみたり、クールでスタイリッシュなかたちにしてみたり──日本人って(いい意味でも悪い意味でも)凝り性 でも、久しぶりに海外に出て、日本人の素晴らしいところも見えてきました。 日本人は「個ではなく全の力」を出し切れる民族性を持っています。 私たちほど、「チームワーク」の力を発揮できる国民性を持つ国はないと思う。 ひとつではなく、全部の力を集結できたとき、恐れるべき国は日本です。 アメリカ在住の韓国人の友人が「青木」を読んで言うんです。 アメリカでも韓国でも、4、5人の友人が親友になることはある。 でも日本では20人からの友人同士が、それぞれの個性を発揮しつつ、全体のために尽くし、まとまった団体を作り上げることができる。そのことが実に興味深い──と。 「凝り性」と「チームワーク」 これが、久しぶりの海外で確信できた、日本人の特長であると思います。 あああ~。また小難しいことを書いてしまった。 コアラの生態に魅せられ、コアラサンクチュアリに日参していたオットをひきずっての帰国となりました。 そうそう! オーストラリアは気温46度! 帰ってきたらトウキョウは4度! その差、42度でした(←合ってる?) ◆応援ありがとうございます! 次回更新は5月15日(金)●交喙●です。 物語も怒涛の終盤を迎えてまいります。 ◆明日より長兄率いる一党とともに、 天地人の郷にて山渡る生活に入ります(助けて~)。 皆様、素敵なGWをお過ごしくださいvv 5月1日、ピカチュウと鯵の南蛮漬け^^ 5月7日、(ちょっと遅いけど)こいのぼり弁当v 5月8日、モンスターボール、ゲットだぜv 5月11日、ポピーさんと三匹のこぶた弁当v 5月12日、チューリップの妖精さん☆ 5月13日、チューリップ畑v 5月14日、ぴよちゃんたち☆
2009年05月01日
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箱根用水系統図(個人蔵) 友野親子が江戸幕府を前に示した絵図 久根村、茶畑村、佐野村、公文名村の名が読み取れる ■第二十二章 ようれ星■ 先週末は、学生時代のサークルの同期会がありました。 都内のフランス料理店を借り切ったものです。 ─とばかり思って参加したのですが、 わたくしめの「出版記念パーティー」をいうサプライズをいただきましたv 私、あんなに嬉しかったことは初めてです。 これまでに、受験合格やらプロポーズやら結婚やら、出産やら、子供の入園入学やら、それとは全然関係ないけど、気になる人からの「私のこと、好きなのかな」とか思わせる言動やら─そういった出来事で喜ばしいことはたくさんありました。 でも、それらはすべて、自分の努力の結果であるとか、または、「もしかして、そうなるかも」と予測がつくような出来事ばかりで、つまり、結婚をしたり、子供が生まれたり、入園入学をすれば、お互いにお祝いし合うのが「礼儀」でもあるわけで─ まったく予期せずにいただくものがこんなに嬉しいものだとは、初めての経験でした! オットも美祝も、びっくりしながらも本当に喜んでおりました。 まさに学生時代版の「青木」─私はいい仲間を持ちました。 感謝と感動の出来事が続いております。 【入学式で感激してしまったことv】 桜満開に咲く4月9日、わが子は入学式に臨みました。 私、入学式に感激してしまった。 自分で言うのもナンですが、いい学校だと思います。 というか、これから娘を通わせる学校について、親がそう思えることはしあわせだと思います。ここに心を込めてご報告させていただきます。 娘の通う学校は、厳しくもあたたかい──といった印象を受けました。 子供はもちろん、親もすべてこの学校のファミリーであることを校長様は強調されました。 「これからは競争ではなく、共生、ひとつの家族として、ともに歩んでまいりましょう」 家族なので、電車の中、学校の中で学年を超えて注意し合えること、注意されたら、自分がよりよくなるためにご注意いただき、その場で「ありがとうございました」と感謝できること、などをお話ししてくださいました。 また、挨拶については、私たち夫婦は、「自分からすることが挨拶」と子供に教えてまいりました。どなたかから「こんにちは」と挨拶をいただいて、「こんにちは」と言うのは、「挨拶」ではなくただの「お返事」なのだと言い聞かせてきました。それが、幼いながらも、相手の方に対する敬意と感謝のあらわれになると思っております。 ところが、この学校ではそれだけでは済まなかったのです! 「人からされる前に挨拶をしましょう」 これはなんとかクリアです。 「後ろ姿にも頭を下げて挨拶をしましょう」 これはすごい。というか、素晴らしい。 近くですれ違わなくても、お顔をちらりと見たら、心の中で挨拶をする。 これは私自身も新しく実践すべきことがらです。 私、苦手な人にも、心の中でだけは挨拶をする、というのは実践してきました。でも、確かにお顔を存じ上げている方ならば、誰でもに心の中ででもご挨拶をすることは良いことだと思います。入学式以来、家族で実践していることのひとつです。 これに準じて、 「校長様、先生方のお姿を見たら、その場で立ち上がる」 入学式の際も、5分前には全員着席、校長様が式場に入ってくるなり、全員起立。 壇上にお立ちになるのを待たず、お姿を見ればすぐに立ち上がる敏感さを、この学校の子供たちはみんな持っています。子供たちが保護者に対する礼儀もこれに準じます。学校では、 「ご両親は先生方と同じ、目上の方として接しなさい」と言われるようです。 上級生にもなると、「学校は昨日から始まったのですか?」とお尋ねすると、「はい」だけでなく、「はい。学校は8日から始まりました」と一文にしてお返事してくださいます。とてもしっかりとした印象を受け、受け答えをいただいたこちらも気持ちの良いものです。 さて、学校が始まって幾日か経ちますが、ちょうど昨日、担任の先生から授業の様子についてお話をいただきました。 音楽の時間になり、担任の先生と音楽の先生が交代することになりました。 授業が始まる前に、担任の先生は教室を離れて、そばで見守ることにしました。 始業のベルが鳴ったのに、音楽の先生はなかなか来ません。それは、本当にご用事があって少しだけ遅れたのであって、故意に遅らせたのではなかったそうなのですが、ひとりの子供が、 「どなたか、先生を呼びに行ったらいいんじゃない?」と的確な指示を出し、 ではどうするか、誰が行くか、などと話し合っているうちに、またひとりが、 「私たちがこうしておしゃべりをしているから、先生は来られないんじゃないかしら」と言い出し、「そうだそうだ」ということになって、みんなが立って、椅子を引いて、自分の席の横に起立して沈黙で先生をお待ちしていたそうです。 さらに、ドアに近い子供が廊下に少し身を乗り出して立ち、先生の姿が見えるや、 「先生がいらっしゃいました」と全員に声をかけたそうです。 それで、「遅くなってごめんなさい」と先生が前にお立ちになると、みんなで「お願いいたします」とスムーズに礼ができたそうです。 誰からも教えられずに、自分たちでその場を乗り切った様子を目の当たりにして、これが新一年生の姿かと、そばで見守っていた担任の先生は目頭が熱くなったそうです。 たった6,7歳の子供たちのこうした行動に、薄ら寒いとお感じになる向きもいらっしゃるかもしれません。でも私はこうした「厳しさ」を自然に教えてくださることは、わが子にとっては、「良いこと」だと思っております。 この先の長い人生で、学校という守られた環境の中だけではなく、社会に出て、目上の方にお会いするときに、「いつ立てばいいの?」と困るより、目上の方が部屋に入ってこられたらすぐに立ち上がる、と自分の中で決まっていれば、自信も湧き、相手の方にも良い気持ちを与え、そのことがスムーズなコミュニケーションの一助になるのではないでしょうか。 また、トイレや公園などでお掃除をしている方、ボランティアの方、警察官や駅員さんの前を通りすがるとき、こんなときは「こんにちは」「ありがとうございます」と言えばいいのかしら…なとど迷うより、絶対に「ご挨拶をする」と自分の中で「決まって」いれば、ヘンな気恥ずかしさなど吹っ飛んで、お互いに気持ちのいい挨拶を交わすことができるのではないでしょうか。 この学校に娘を通わせるようになって気付いたのですが、帰りの道々、地域の皆さんがほとんどといっていいほど、声をかけてくださいます。 「今、お帰り?」 「今日は早いのね」 道すがら、ガーデニングのお庭から、郵便受けを見に来た玄関先から、お豆腐屋さんのお店から──みんなが声をかけてくださる。 きっと、前にこの道を歩いた、この制服のお嬢さんが、そうやってご挨拶をしていった道のりと、わが子が行き帰りする道順が偶然に一致しているのでしょう。私の娘も、上級生がこの地域に残していった見えざる良き伝統を、しっかり守っていかせたいと思っております。 そんな厳格でありながら、あたたかい家庭の雰囲気を宿す学校の、もうひとつの面のエピソードとして─ 「失敗はカウントしません」と校長様ははっきりおっしゃいました。 「たった一度、忘れ物をしたからといって落ち込まないでください」 「きちんとすることだけが目的ではなく、忘れ物をしたら、次はどうすれば忘れ物をしなくなるか、という結果を導き出す過程を大切にしてください」とも。 また、子供が何か不満を持って帰ったとしても、 「なんでも喜んで受け止めるように導いてあげること」 「クラスが離れちゃった…」と不安そうにしていれば、「新しいお友達が増えるから良かったわね」と励ましてあげる──もしそれでも心配なことがあれば、すぐに担任の先生に子供が自分からご相談をすることなど、教えていただきました。 さて、心あたたまるエピソード、その2として─ 入学式の翌日の金曜日に登校したときのこと。 わが子はお隣のクラスの席に堂々と座っていて、探しに来た担任の先生に捕獲されたそうです(笑)。 (メールで「ゆんゆんの血」といってくださった透子さん、正解です!) 初日早々、先が思いやられる…と思いつつ、「あ。いたいた。こっちこっち」と探しに来ていただいた先生の姿を思うと、なんだか微笑んでしまいます。 そうそう、おおかたの想定外だったのですが、娘の担任の先生は男の先生でした! ちびまる子ちゃんの担任の先生そっくりの、優しい優しい先生ですv 朝はオットが送っていくのですが、ご心配のとおり、保護者認識カードを首から自分から下げていったはいいが、校門の前で「保護者認識カードがないっ!」と携帯から電話があり、「あなたの首から下がっています…」と答えたら、「あったーっ!」と叫んだまま通話が切れたり…そんなことは序の口で、ほかのお母様方からは、毎朝のように「美祝ちゃんのお父様にお会いしたわよ(笑)」という「(笑)」付きのメールが来ます。 電車の中やら、玄関の前やら…いろいろ奇行が目撃されているようです。私ももう笑うしかない…。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は5月1日(金)●流れるもの●です。 友野の最後の江戸行きとなります。 4月20日、おまめさんのラブラブウェディングバスケット弁当☆ 4月21日、ベレー帽ボリスの焼き鳥お弁当☆ 4月22日、名犬チーズの鯵フライ弁当v 4月23日、今日は遠足! ミルフィーユサンドイッチ☆4月24日、おめめキョロキョロまっくろくろすけのお弁当 4月27日、ピーナッツバターのサンドイッチv 4月28日、ハートのウィンナー弁当☆ 4月30日、今日は和風でタヌキさんv
2009年04月15日
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鑿痕 ■第二十一章 牢屋の内と外■ 【秋野真珠さん☆黒井蓮華さん☆透子さん☆まめさん☆愛、燦々とさん】 ──親友たちの群像── 3月28日からこの方、私にとっては連日、記念すべき日が重なりました。 まずは28日当日。あれからもう一週間近くになるのですね。 私の愛する透子さん☆秋野真珠さん☆黒井蓮華さん&お子たち☆まめさん☆愛、燦々とさん&ミニ燦々とお会いすることが叶いました! 黒井さん、並ならぬご尽力での取りまとめ役、本当に感謝しております。 黒井さんのまわりに、いつも人の輪が出来上がるのです。 深夜バスに乗り、よくぞいらしてくださった真珠さん&まめさん。 とんぼ返りで深夜にお帰りになったおふたりの、楽天メンバーへの深い愛情に、私はどうやって報いればよいのでしょう。 真珠さんとの初デートは二年前のこと。あの日を懐かしく思い出しました。ますます溌溂とした健康美人におなりですね☆ プラスイメージ満載の存在感は健在です! まめさん、可憐だ…(←五右衛門風) まめさんの素晴らしいところは、華奢で抱きしめちゃいたくなるほどかいらし(可愛らしいの英弁)外見とギャップが魅力の男前なキャラクター! そしてなんといっても、親友の作品すべてを古い古い過去に至るまで記憶し尽しているという、真珠さんの才能に対する敬意を、親しき仲にも大切に持っていらっしゃることが特筆されます。おそらく、真珠さんはまめさんの、この記憶に報いようと努力している場面もあるはず。互いの信頼と尊重の上に築かれた友情には、実に豊かな実りがあります。 手前味噌な話題で恐縮なのですが、わが愛、兼続(←黒井さん&小夜子で勝手に改名)に至っては、私は彼女に1985年以降、本棚一台分の原稿を手渡しているはずなのですが、おそらく愛、兼続はそのすべての内容を忘れ去っている! それが悪いとかいうのではなく、彼女はそういう人であって、そのような人の印象に残るにはどうしたらいいか七転八倒したなれの果てが今の私ということになります。友情、親友の形態もいろいろです(笑); 会合中に交わされたBLの話題も、愛、兼続はどこ吹く風といった風情でしたが、実際はヒロや英から直接的に相談されているのは唯一この愛、兼続であって、私のような「それでヒロ、そのときあんたはどんなふうになるの!?」と身を乗り出してくるようなヤツは、はなから相談役には抜擢してくれないわけで…笑。 それはともかく、まめさんが真珠さんがおぼろに覚えているご自身の過去の作品に関して、 「それは中学だかのとき、書いてたよ。今のあの話の下地になってる。私にはわかる」 こう断言した──これには痺れた。 こういう断定をしてもらえる真珠さんのしあわせを思います。 真珠さん、おめでとう! まめさん、ありがとう! 大人買いしていただいた「五感」のお菓子の数々は、おかげさまでオットもお相伴に預かっておりますv そしてそして。 私はこの方のことを特筆しなければ── 透子さん。 時間を逆回しにしてお話すると、その日、黒井さん親子をお見送りした後、私たちは午後10時まで「あーでもある」「こーでもある」と身を乗り出して話していたわけです。 真珠さんたちの深夜バスは「11時です(23時)」と聞いてはいたのですが、それが本当の「23時ぴったし」だとは考えなかった小夜子が悪い!!! 夜間になっていたためか、タクシーをつかまえるのに手間取ったのも影響して、23時に東京駅八重洲口に着くには、相当なタイムロスになっていたのです。 タクシー到着を待っている間、ふと、透子さんが真珠さんに言った言葉、 「大丈夫です。自由が丘までタクシーで行って、大井町線で大井町駅まで行ってJRに乗り換えましょう。大井町まで私が行きますから」 耳にしてはいたのです。でもその場の恐慌から、右から左に漏らしてしまって… 結論からご報告すると、真珠さんとまめさんはなんと23時の深夜バスに間に合った! これはひとえに透子さんの現地ナビのおかげです。 実は透子さんは途中の駅が最寄駅で、大井町駅まで行くにはずいぶんとおうちから離れてしまうのです。しかも時間は23時近く…。本来ならば、ホストの私がお連れしなければならないところ、透子さんは黙って、そして真珠さんだけにそっと「だいじょうぶ」と囁いて、その一日のすべてを全員にとって完璧な日にしてくださったのです。 ああ、私は恥ずかしい。透子さん、本当に素晴らしい方です。透子さんみたいになりたい、なりたいと憧れつつ、私はこのいやしい性分のまま生きるのでしょうか。 透子さんは飛雁の大きさに似て──大人で、聡明で、正しい人です。 この方と自由が丘を歩けたら、きっとみんな振り返る。 どこから見ても、都会を自在に翔ける敏腕オフィスレディ。 スレンダーなスタイルにぴったりなお洋服、お目めぱっちぱち、鼻筋すらりの令嬢の横に立てるよう、私も遅ればせながらジム通いを頑張ります(痛っ); そういえば飛雁ですが──先日、ヒロがアレクセイ医師のもとでの加療のため一時渡米する際、送っていった成田でヒロが「行きたくない」ってぐずったんですって。 「じゃあ行かなくてもいいよ」って言ってくれるかと思いきや、 「だめ。行ってこい」と即答され、ますます意固地になろうとしていたら、 「おれもついてくから」とパスポートを取り出され、思わずその肩に額を寄せてしまったそうです(←優しく抱いてやれ)。 愛、兼続もそうだが、飛雁もたいがいそういう動きをしてくれる。 そして、透子さん。透子さんに出会えたことは、私の生涯の宝となることでしょう。 今、私の娘は透子さんからいただいた可愛い外国の絵本に夢中。 オットと私はその様子に目を細めながら、桜の紅茶をいただいています^^ 透子さん、本当にありがとうございました。心から── それが土曜日のこと。 日曜日、Kの命日を前に、Kの親友と会いました。 Kというのは、このブログにも何度かコメントをくれた友人で、自ら選んだ死の9時間前と、45分前にPCから私のPCにメッセージをくれた人です。そのどちらのメッセージからも、私はKの最期の意志を汲み取ることができなかった。 Kの親友──Sと呼びます──Kはこの人にはメッセージを残さなかった。死の数日前に、桜の下を通りました、というような内容のメールはあったそうです。 Kの親友、Sは言います。 「どうして気付かなかったんだろう──どうして止められなかったんだろう──みんな原因や納得できる答えを見つけようとするけれど、結局、そんなものは見つからない。もしかしたら、本人だって、よくわかっていなかったかもしれないから。それでも、後悔したり、自分を責めたりしながら、その行為が、亡くなった人とつながるラインのような気がして、いつもそこに戻っては、苦くて苦くて、ほのかに甘美な考えにふけるんだ。それって、じつは甘美なんだ。だって、その人のことを考えていられるから」 「そんなことを何年も繰り返す。何十年も繰り返す人もいるだろう。自分はまだほんの数年だ。きっと一生、ぐるぐる回りをするんだろう。なによりも、自分でそう望んでいるらしいからね、ほんとのところ」 確かに甘美だよ。S。 Kよ、きみは残酷だ。 火曜日、娘の幼稚園時代のママ友達が遊びに来てくれました。 もう卒園したので、ここでお話ししてもいいと思うのですが── (以下、このくだりは後日、消去させていただくかもしれません。どなたかがどうのと言いたいわけではなく、ただひたすらにリーダーの人柄について語りたいという小夜子の意を汲んでいただければありがたく存じます) この方は、謝恩会「うた」メンバーのリーダーをなさっていました。 謝恩会前日、パンフレットを作っていたママ連にリーダーから連絡があって、 「お名前がひとり欠けていたのを思い出したので、もう一度刷り直してほしいの。お願い!」 第一刷版に名前が載っていたのは、リーダーと、サブリーダーともいうべき功労者。 リーダーには事前に原稿チェックもしてもらい、レイアウトしたものです。 パンフレットは120枚。もう出来上がっていて、きちんと二つ折りしてもいたのです。 実は、お名前を入れてほしいと言われた方は「うたメン」ではなくアンサンブルの側の方で、リーダー、サブリーダーという立場ではなかった方でした。 私も原稿に関わっていた者なので、「もう準備万端なのになぁ…」と思いつつ、「とはいえ、何ヶ月も尽力してくれたリーダーが言うことならば致し方なし!」という気持ちで打ち直しをし、結局、ひとりの名前だけ加筆するというのもナンなので、訳詩、編曲などで力添えのあったメンバーの名前をあらためて入れ直し、前日の五時までかかってレイアウト担当のママとPCでやりとりをしつつ、パンフレットを完成させたのです。 そしてめでたく当日を迎え、後日、全員で打ち上げパーティをし、あらためてこの火曜日にリーダーと私でお茶、ということになったわけです。 お茶会もたけなわ、という頃合い、リーダーがおもむろに口を開きました。 「実はね、パンフレットに自分の名前がないと言い出したのは、ご本人だったの…」 「えっ! 刷り直しはリーダーの一存じゃなかったってこと!?」 「そうなの。でも、私が本当のこと言うと、おおごとになるじゃない?」 リーダーはみんなに言い出し難き事を、自分が“言い出しっぺ”として片付け、結果、「うた」&「アンサンブル」メンバーの結束力に対して、事なきを得たのです。 あの時、誰もが「この忙しいときに、リーダーったら何を言い出すんだろう…」「しかも誰の名前を入れるって!?」とちょっとだけでも思ったはず。リーダーの提案を聞いた誰もがそう感じることを知りながら、リーダーは自分の“せい”にできた。 とはいえ、表立った反対意見も出ずに事が進んだのは、それまでのリーダーの働きが素晴らしかったゆえにほかなりません。 そのとき思ったことは、透子さんのこと。 透子さん、リーダー、私は学ばなくてはならないことが多いようです。 また、水曜日にいらした私の上司は、かつて妊娠中にご主人の重い病が発覚し、元気に生まれた男の赤ちゃんを見ることもなくご主人は逝去。当時、上司は30代。大きなお腹を抱えて、ご主人のお見舞いに行った帰りの駅で泣いたこともあったそうです。 上司は強く、そして心優しい女性です。ご主人が勤めていた会社からお声が掛かり、好待遇で仕事ができるようになり、バリバリのキャリアウーマンとして今に至っています。一粒種のご子息は、母の背中を見て育ち、立派に成人なさいました。 新年度に皆様にお会いできた意味を、今、かみ締めている私です。 みんなに、また会いたいな。 また、笑顔で会いたいな☆ こちらもお楽しみください── よっち、とうとうカミングアウト!?■第二十一章 牢屋の内と外■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は4月15日(水)●ようれ星●です。 ようれ星ってなに!? なんとなく不吉な…; オーストラリア滞在記もどうぞお楽しみに!!!
2009年04月01日
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