山口小夜の不思議遊戯

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2006年01月18日
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 小夜もその傍らに座り込み、いずれ豊がなにか話しかけてくれるものと思い、静かに待ち続けた。
 やがて彼が言った。

 ──どうしてもそうしなければならんのだな?
 豊の瞳は深い物思いの末の、智慧の残り火にきらめいていた。

 小夜も悲しかった。
 ──うん。
 彼女は静かに言った。

 豊は吐息をつき、なにかをこらえるようにぐっと顔をうつむけて、ひとりごとのように言った。



 言いながら、彼はふと、ふたりのはじめての出会いを、まるで昨日のことのようにはっきりと思い出した。激しく駆ける悍馬の背から見おろした、目を射るような白い肌の見慣れぬ少女。墓地に現われ、自分の名を呼びつつ鮮やかに去った者。

 なにかが動いていると、彼は知った。
 そのことがこの少年をひどく無防備に感じさせ、その瞬間、理由のわからぬおののきが背筋を這いのぼっていった。彼はこのとき本当の意味で外界と触れたのかもしれない。
 彼の背筋はぞくぞくしていた。

 今、目の前にいる少女が里に現われてからの出来事を次々と思い浮かべていきながら、彼は自分の心がどれほど動いてきたか──そのことに気づいて驚かされた。

 五月さやけき頃、精霊の森に誰に習わぬ神聖文字で書きつけられた少女の句を眼前にして立ちすくんだことも鮮明に思い出せたが、それも遠い昔のような気がした。ぼやけてはいないが、歴史のなかのように遠い出来事。

 あれは洗礼だったのだと、長い物思いの最後に彼は思った。
 あの洗礼を受けて、彼は長きにわたって周囲から閉ざされていた少年の世界から、外界の現実へと叩き出された。

 今も、ここに彼が目の前にしている少女は、里ではない、遠つ国からの者であると同時に、まぎれもない現実なのだった。傍らに彼女がいることで、彼は自分がこの世界から遊離していない、外界ともしっかりと結び合わさっている確たる存在であることを感じ取ることができた。

 彼はこれらのことの意味を理解しつつあった。
 いま感じていることと同じものを、いつも感じ取っていたのだ。

 しかし、これまでの感覚はただの種子でしかなく、地中に埋められて目に見えず、彼はその意味するものがわからなかった。
 だが‘大いなる精霊’は知っていた。‘大いなる精霊’がその種子を育んだのだった。‘大いなる精霊’が‘大いなる謎’のなかで、その種子に少しずつ生気を与えていったのだ。

 自分が感じた、心が動いている感覚。
 彼は少年であったので、敵や嵐、けがといったものを前にして感じるたぐいのおののきではないとわかっていた。 それはまったく身体的なものとは関係なかった。

 こうした心の動きは、相手に対峙したときに感じる、自分の存在感の強さに呼応していた。

 彼はずっと、彼女の瞳のなかをのぞきこむことによって、自分は何者なのか、何のために生まれ、生きるのか──そういった大いなる謎に対する答えのすべてを確かめることができた。

 この短い生のなかで、もっとも稀なことが起こったのだと、彼は思った。
 ‘大いなる精霊’が、自分たちをひきあわせたのだ。

 こう確信すると、豊はもう自分の考えをためらわなかった。

 ──それで小夜は、

 彼は口を開き、その名を呼んだ。まるで昔からずっとそう呼んでいたような、そんな口ぶりだった。

 この出会いのすべてがどんなふうに訪れたのか、その不思議に彼はめまいを覚えていたが、名を呼んだきりまた黙ったままでいる自分を気遣わしげに見つめてくる小夜を見ると、実際の年齢よりももっと小さな少年のように笑った。

 まるで外からの力に導かれるように、ふたりの頭がそっと近づいた。
 どういう経過をたどってそうなったのか、指と指がからみあった。

 ──これきりになるとでも、思っているの?

 彼女は黙ったままでいた。
 黙ったまま、じっと豊を見つめていた。一度手がふれてしまうと、もう身体のどこも動かせなかった。彼女の華奢な指は、ぴくりとも動かずに草と豊の手のあいだにおかれていた。

 そのとき、小夜に思わぬ僥倖がおとずれた。
 それは、蝶が花に舞い降りるかのような、自然な仕草だった。
 触感はなかった。あるのはただ、一瞬押しつけられ、吹き抜けていった風。

 ──・・・・・・・ちゃんと覚えた? 忘れちゃだめだよ。

 草原を風が渡っていく幽かな音のまにまに、彼のささやく声が混じった。

 ──これからおまえは広い世界でたくさんの人に出会って・・・・・・・最後にぼくを選びなさい。

 そうしてやっと、この言葉の意味を理解した小夜の意識がその場にもどってきたとき、豊は先刻しようとしていた草のじゅうたんに長々と寝そべるという贅沢なひとときを、すでに充分に楽しんでいるようだった。

 おぼつかなくも視線を落してきた小夜を、彼は草の上から見上げてくると、にこりとして言った。

 ──こうして時を過ごすのは、よいものだっちゃな。

 そうして、切れ長の目を閉じていくと、あっけにとられている小夜をそのままに、ほどなくして彼は健やかな寝息をたてはじめたのだった。





                                 ─第十章のおわり─




 残りわずかとなった‘知られざるやまとことば’シリーズ、おそらくは最後から三番目の更新です。

 【ちかい】誓・盟・誓盟・誓約・

 誓いの原点とはいかなる概念なのでしょうか。

 神前結婚式においては、必ず「誓詞」(ちかいのことば)が奏上されます。神々に生涯かけて睦まじく相互に尊敬し、援け合って暮らすことを誓うわけです。結婚のときだけでなく、人と人とが約束をかわすときに神仏に誓う形式をとるのは、古来の伝統的方式といえるでしょう。

 起請文(きしょうもん)と呼ばれる古来の契約書は、神仏に誓って約束を交わす形式となっています。この書式は、まず誓約事項を記した文言をしたため、つぎに差出者の信仰する神仏名を書き列ねます。そして、もし誓約を破棄した場合には、以上の神仏の罰を受けても差し支えないという旨を書き止めに記しました。

 この契約書に多く用いられたのが、熊野三山の発行する「牛王宝印」(ごおうほういん)と呼ばれる護符でした。三本足の烏が印刷されたもので、その裏側に誓約の内容を記しました。それゆえに、約束を破ることを、今日でも「宝印を翻す」というのです。

 さて、この「ちかい」(誓・盟)ですが、漢字の「盟」は血をすすって約束を固くするという意を持ちますが、日本語の「チカヒ」も「血交ひ」に起源を持つとされています。血盟、血判など強固な約束の意志を示すために身体を傷つけ血液で署名したり、血判を認めて誓約を交わしたこと関連する語です。

 漢字の「盟」は、明と血とからなり、神明に犠牲の血を供え、その血をすすって約束をする風習から出来たものだとされています。

 こうした約束に血液を用いる風に原点があるのです。


 明日は『鳥取物語』の最終章「風は東へ」●さよならみくまり●です。

 実は春までの時間など、残されてはいなかったのです。
 小夜の突然の打ち明け話に、かの心優しい少女は・・・・・・・。
 タイムスリップして、みくまりと一緒に小夜の語りに耳をすませてくれなんせ。

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最終更新日  2006年01月18日 04時07分11秒
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