山口小夜の不思議遊戯

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2006年07月04日
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『イカとタコ』第6節●水は曲者●

 「あったというほどのことではないかもしれませんが、」
 医師はそう言って、いったん言葉を切った。

 「──スリッパは気になりました」
 主人はビニール製のスリッパを履き、スリッパばかりか、絨毯にも濡れた跡がついていたという。
 「水びたしといっては大袈裟かもしれませんが、足もとはびしょ濡れでした」
 「夫人によれば、風呂を使ってそのまま応接間に来たという話でしたね」

 医師はそう言って足もとを眺めた。こげ茶色したビニールのスリッパだった。
 「ビニールのスリッパというのは、こういった医院や事務所で使うのが普通で、T家のような裕福な家で使うというのは・・・・夏場なら畳地やタオル地のスリッパを履くでしょう」
 「なるほど」
 この指摘は一理ある。主人の好みという話だが、常識的には医師の話の方が筋が通る。

 「それと気になったのは、妹の様子です」
 夫人は十三歳も年齢の離れた実の妹と同居していた。電気店を経営していた夫が事業に失敗して自殺し、二年前から姉のもとで暮すようになっていた。その妹がどうかしたか。
 「私が主人を見ているあいだ、妹という人は出てきませんでした。家の主人が死んだのかもしれないという大変な事態のときに・・・・」
 「寝ていたという話でしたね」
 「ええ、早朝の六時とはいえ、起きてこないというのは理解できません」
 「姉が起こしに行かなかったからでしょう」
 「それもあります。寝ていたなら、起こして相談するのが普通だと思うのです」

 「姉妹は今でもT家で仲良く二人きりで暮していますから、あの朝の妹の様子がなおさら解せないのです」
 「確か遺体を客間に移動するとき手伝っていますね」
 「ええ、その時に起きてきて、泣きながらこまめに動いてくれました」
 「変わった様子は?」
 「さあ・・・・それは何も感じませんでした。ただよく働いていて姉の指示にも従順でした」

 寝間着姿で手伝うわけはないが、化粧のあるなしは主人の死をどう受け止めたか知る材料にはなる。死に対して狼狽するのが普通で、早朝の念入りな化粧では死を予測していた可能性もある。
 「化粧までは見ていません」
 医師は首を振った。医師は遺体の観察が主で、妹までは目が届いていない。

 老医は気まずそうだった。姉妹に多額の生命保険が支払われた話も快く思っていないようだ。もともと“冷たいカルテ”の話なので、自分から訴え出たとはいえ静の訪問自体も意に沿うはずはない。それでもなお会ってくれるのは、自分の診断には責任を持ちたいという良心のあらわれなのだろうと静は理解した。
 訪問の目的も達せられたので、静は早々に医師宅を辞した。弟に伝えなければならない。
 豊がどんな反応を示すかも楽しみだったが、ビニールのスリッパが濡れていたという点を気にしていた医師の指摘が印象に残って頭を離れなかった。

 「水は曲者だから」
 豊がそんなことを口にした日があったのを、帰りの道すがら思い出していた。
 「水は事実を消し去り、判断を狂わせるから──」

 ───

 錦詩の研究室は最上階にあった。
 シャワーを浴びた豊はタオルを巻いただけの格好で、研究室のソファにひじょーに無防備な様子で腰掛けていた。

 (さーてと、つかみはOKってことなんだろうけど・・・)
 頬っぺたをぺちぺち叩いて気合いを入れる。
 自分のしていることが迷惑なのだとさえ気づいていなかったりもする、身勝手なストーカーに対して、いかに正体を隠し、絶妙な距離を保ちつつも知人関係になり、会話の流れで改心させ、解決の後は自分もいかにキレイにフェードアウトするか──。
 ものの本によると(←静兄がくれた)ベテランが手掛ければ、ストーカーは元の被害者からきっぱり手を引くばかりか、改心した後に今度は仕掛け人に付きまとうこともほとんどない。
 (ただし、バレたらやばいんだけどね)

 その時だ。キチネットとの境のドアが開く。
 「あなたの服、乾燥機に入ってるんです。どうせだから泊まります?」
 声をかけ、ペリエのビンを片手に錦詩が入ってきた。
 謝々──と答えようとして、さすがに躊躇う。とりあえず、様子見だ。
 「煙草吸っていい?」
 「・・・・ん・・・」
 肩すかしを食らったようにぼんやりと錦詩は答えたが、
 「私、吸わないから灰皿ないの。あっちの花瓶使ってください」
 出窓の方を指さす。
 ハンガーにかかった自分のジャケットから、豊は煙草を出した。深々と煙を吸い込む。ちなみに、彼は母国では喫煙の習慣はないが、大陸限定でフランス製の煙草を吸う。
 「・・・・はーっ・・・」
 脱力し、その場でひっくり返ってしまいたくなる。外は雨。でも自分はシャワー済みでソファに居る。ここで眠ってしまったら天国だろうが、探偵のイメージ的にはどうか。

 ぽつんと置かれた空っぽの花瓶に灰を落としていると、
 (おンや・・・・?)
 かすかな違和感がよぎった。
 王志軍の依頼を受けた時、ひっきりなしにイライ煙草をふかしていた。相当なヘヴィスモーカーと見た。あいつと研究室を共有しているなら当然、灰皿は存在するはずだ。付きまとうほど憎たらしいなら、灰皿を隠してしまうという手もあるが──それくらい錦詩の傷は深いのだろうか? ただ、こうなってくると自分がどこか別の研究室に連れ込まれたという可能性も拭いきれない。

 リノリウムの床を踏み、ヒョウのような柔らかな足が音もなく近寄ってくる。
 「・・・・っ!」
 冷たい手で肩を掴まれ、豊は飛びあがりそうになる。
 ヤバかった。仮にもストーカーに、平気で背中を見せていた。
 「なに考え込んでいたんですか?」
 「いや、別に」
 錦詩は笑っていた。意外に人なつっこい。
 「もう時間遅いし、私も泊まっちゃおうかな」
 (ん? 今夜はストーカーやんないって意味?)
 闇雲なアタックも報われることはあるんだ。たまに。
 「コンタクト踏んじゃってこめんなさい。この後は用事なかったんですか?」
 「あったといえばあったんですが」
 豊はふと傍らにあった今朝の日付の新聞を手に取った。さりげないふうを装って、記事に視線を落とす。
 「相談に乗ってくれって友人に頼まれて・・・・ま、向こうが先に酔っ払ったからしょうもないやつです」
 絶好のチャンスだ。豊は工作トークを切り出した。
 「相談・・・・なんの?」
 「いや、ちょっと別れた彼女にしつこく追っかけられてるってさ。どうしたらいいかって・・・・はははは」
 「ふぅん」
 「ちなみに先生ならなんてアドバイスしますか? おれ留学したばかりだし、人生経験も浅くて」
 「さぁ。私もわからないです、恋愛のことは」
 失敗なのかも。錦詩の涼しい美貌には何の翳りもよぎらない。
 秘密工作員としては、機会を見つけ次第さりげなくストーキング行為がNGだという自覚を促さなきゃならないのだが。

 そのときだ。
 錦詩に新聞を取り上げられて、豊は引きつった。
 先程と打って変わって、冷ややかに彼女は笑っている。睫毛が濃い影を落とした瞳で、真横から 豊の顔を見ている。
 「コンタクトしなくても新聞読めるんだ?」

 しまったぁぁぁっ!
 あまりに精神的衝撃が酷かったのか、がっくりとのけぞって、それきり記憶を失う豊。
 ・・・・やっぱり曲者だった。





                          次回は●睡眠グー●です。
                          寝るな! バカ者!!!


 本日の日記----------------------------------------------------

 皆さま、突然ですが、とうとうこの日が訪れました。
 どうか小夜子と一緒に喜んでください── 『タイトルが決定しました!』


ワンダフル・ワールド ─かけがえなき愚行─

 1980年代、横浜。風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた――

 タイトルが決定しました!!!(←もう言った)。
 アルファポリスの web にも公開されています。
 『青木学院物語』に馴染んでいただいている方に受け入れていただけるかどうか、私としてもドキドキしているのですが、下記の訳詩をイメージするときっと理解していただけると信じております。
 このタイトルの決定に、私はいっさい介入しませんでした。ゆえに、書籍と詩との直接リンクはありません。あくまでも私の中でのリンク、ということで。
 本日のみ、『青木学院物語』をお読みいただいた方、これからの方の別なく、むつかしい理屈は抜きにして、どうか小夜子とともにワンダフル・ワールドのイメージにひたっていただければと思います。

 ───

 緑の木々よ 赤いバラよ
 僕たちの心を癒すかのように存在してくれて ありがとう
 それを感じることのできる喜びを 僕はかみしめている
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう

 空は青く澄み 雲はあくまでも白く
 まぶしい昼は祝福をもたらし そして夜の闇は僕を休ませてくれる
 僕は 心から叫びたい
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう

 虹の七色は 空をふちどり
 行きかう人々をも 輝かせている
 ”やぁ、どうだい?”とみんなが 仲良くあいさつを交わす
 僕は感じる 世界中のみんなが
 互いに”だいすきだよ!”って メッセージを送りあっていることを

 赤ちゃんたちが泣いているね
 彼らが育っていくことが 僕には楽しみなんだ
 みんな 僕が今まで過ごしてきた以上に
 たくさんのすてきなことを きっと学んでくれるのだろう
 僕は 自分に呟いてみる
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう・・・と

 緑の木々や 赤いバラは
 僕たちのために 咲きほこり 輝いているんだね
 僕は それがどういうことだか わかったように思って 今はとても幸せ
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう

 空は青く冴え 雲はあくまでも白く
 祝福に満ちた日々をありがとう 夜の闇が僕に”お休み”とウィンクしてくれる
 僕は 心から 感謝している
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう

 赤ちゃんたちが泣いている だけど 僕は安心している
 みんな 幸せに育っていくだろう 僕は 心から信じられるから
 みんな 僕が今までやってきた以上に
 たくさんのすてきなことを きっと学んでくれると思う
 たそがれの中で 僕はひとり 呟くんだ
 ああ 世界は なんて素晴らしいんだろう・・・と

 ───

 次回更新は7月6日(木)、タイトル決定までの四方山話について。
 本日はタイトルについての話題を大切にしたかったので、タイトル決定までのお話はあえてアップしませんでした。次回、詳しく申し上げたいと思います。


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最終更新日  2012年04月02日 17時46分25秒
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