ガーゴーゴー 『今日の気づき』

ガーゴーゴー 『今日の気づき』

2005年11月25日
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新聞記事に津田勉氏の文が載っていた。

長い文なので、勝手に思いっきりはしょってみる。


まず、大前提として、この記事は
『靖国』の議論をより客観化した視点でとらえるために『なぜ戦死者の慰霊が仏式ではなく神式でおこなわれるようになったのか』という切り口に焦点をあてたものだった  ということを記しておく。

まず、津田氏は
明治2年6月「東京招魂社」⇒現在「靖国神社」
という成り立ちから導いた結論として
『靖国神社の原形は「招魂信仰」だ』 としている。

そして、その 「招魂信仰」を明治期に流行らせることになったモデルが長州藩

   その長州藩といえば、「奇兵隊」でも有名。
   実は、その「奇兵隊」の戦死者の魂を招魂して祭祀する施設として
   すでにいくつも作られていたらしい。

   その「奇兵隊」の有力なパトロン(経済的に援助する人)の一人が
   「白石正一郎」という勤皇の豪商だったという。

   勤皇の豪商白石正一郎さんは、   
   自分の家の祖先霊を全て仏式から神式に改宗したほど 
   徹底した神道信仰を持っていたらしい。


  1、パトロンの経済力には逆らえない⇒パトロンの神道信仰に合わせる
  2、尊皇攘夷(天皇と日本古来の文化を尊び、外国をものを追っ払え!)
   の考えを持つ長州の志士たち⇒外来の仏式を嫌い、日本古来の和式を望む
  3、寺請制度(徳川幕府が仏教を道具にしてコントロールしていた)
   ⇒徳川憎し!⇒仏教憎し!
  4、戦死者は戦場近くで埋葬するしかない
   ⇒奇兵隊で祀るには奇兵隊屯所近くでの
   「招魂」という形式を取らざるを得ない


長州藩といえば倒幕の中心となった藩。もちろん、明治政府の重要なポストをしめることになる。 いわば時代のヒーロー

だから、 長州藩の弔い方が明治政府の弔い方の手本

その長州藩は、「神式の」招魂社をたてていた と。

この流れを受けての靖国神社


異国の地で「国難」のために命を落とした人々。
カラダは戦場近くで埋葬するしかない。
「せめて魂だけでも」  ⇒ 明治以来の「招魂社」 ⇒ 「靖国神社」

というわけか。


長州藩は、江戸時代の終わりの方(1863年)に攘夷戦争でアメリカ&フランス軍艦と戦い、戦死者を出している。まさに「国(長州)」のために「命を落とす」経験をしているわけだものねー。








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最終更新日  2005年11月28日 22時51分09秒
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