ワンコにインコ、そしてお買い物

ワンコにインコ、そしてお買い物

2006.11.13
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カテゴリ: ワンコ


最近、自殺が増えていまふ。

他人を殺すのと同じくらい、自分を殺すのはいけないことなんだよねきっと。

このワンコのおもちゃ、押すと、ぷーっと鳴ります。情けない音で、笑えます。こんなのを見つめているだけで、和みます。

自殺する人はみな、たった一人でいきます。
なぜ自殺するかというと、そこへ追い込まれるからです。

原因は、他人。
でも、実際に、殺すのは、自分です。

いじめた人が殺したのも『同然』つまり、いじめた人が殺したのではありません。



せっかくその人のそばを離れたのに、一人になったときこそ、その人と直面してしまいます。
せっかく離れたんだから、こんなおもちゃにでも慰められて、自分の時間を大切にすることが、
できればいいのに、できなくて、また明日学校へ行けば、また会う、またいじめられると思うと追い詰められるのですが、追い詰めているのは、自分です。

そいつの目の前で、おまえにいじめられるのが苦痛だから、死にたいと思うけど、死ねないから殺してくれと言ったら、どうなるんでしょうか?

いじめる人は、ただ単に、気晴らしをしているだけ、だとしても、その気晴らしの犠牲になって死ぬと思っても、それでもいいからもう死んでしまいたいと、そういえるほど、それほど、追い詰めれられているから、死んでしまえる。

追い詰められるとは、世界が狭くなることです。
狭くなっているということは、ゴールはひとつしかなくなっているということです。
これ以上いじめられたくない。
しかし、不可能だと思っています。ありえないことです。いじめられないなんて、想像できないことです。相手がいなくならない限り。相手を変えることは不可能だと思えます。

本人にできることがあるとしたら、自分が変わることです。変わるためには、どうしたらいいのでしょうか?

本人にできていなくて、今すぐするべきなのは、自分を大事にすることです。


彼らが見つめているのは、いじめてくる相手だけです。たとえ、一人になっても見つめています。
一人になったら、自分の趣味に没頭するのが一番いいのです。笑えばいいのです。

死にたいときにできないのは、楽しい笑いです。楽しく笑うと、驚くほど気持ちが軽くなります。

しかし、自分の趣味に没頭したり、一時的に笑ってみたり、そんなのは、問題を全然解決してくれないと思えます。現実として、その一人の楽しい時間が終われば、また苦しみが待っているとわかっている、だから、そんな気になれません。でも、長い道のりですが、解決への道です。

あなたという人を表現するあなたの表情を、一人の時間の喜びや楽しみ、達成感、そういったものが、明るいものに変えていきます。それが大事なのです。あなたの人生の中に、どれほど笑った時間があったか、子供の輝く目で夢中になって何かを見つめたか、その量が、あなたを変えるのです。


いじめる人々の標的はいつも、自分を大切にできない人なのです。いじめる人は、本能でそれを見つけます。それは、彼らも自分を大切にしていないからかもしれません。

愛するということはどういうことか。自分の心を注いだものをこそ愛するのです。注げば注ぐほど好きになり大事になります。大事なものをたくさん持っている人は幸せです。失うのが悲しいのは、注いだ自分を失うからです。

大事なものをたくさん持っている人は、大事なものを、そして自分をも守る力も同時に備えていきます。
自殺に向かう人は、他人にいかりを向けるより先に自分を追い詰めます。いじめる人は、それを見抜くから、いじめるのです。反撃してこないとわかっているからです。

いじめ始めて、反撃しないという履歴がすでにできてしまうと、それを覆すのは困難です。
築かれた関係は、ゼロには戻りません。それを知りながらそれを求め、死ぬしかないと思えてきます。

できることをしないで、あきらめているのが自殺する人の選ぶ道です。なぜなら、望みが高いからです。少しマシかもしれないことを試みたりしません。いじめてくる人とは、いじめが始まった時点で、壊れています。いい修復はありません。「多少マシかも・・」で十分なのです。
ボイスレコーダーで、いじめの現場を録音したっていうニュースを聞きません。
相手の目の前で携帯で110番した人はいないのかしら。

また、できることをしないで、できないことを見つめがちです。新しいことに挑戦する力を失いつつあるからです。辛いことだけを見つめていると、生きる力を失っていきます。

ひっそりと死を選ぶのは、屈辱を受けているからで、屈辱を受けるのは、やはり、自分を守る強さを持たないと見抜かれているから。

・・・・・・なんていうのは、ほんの一例にすぎません。
ありとあらゆるケースがあって、この通りではありません。簡単な解決もありません。いじめる人は心が弱い。中毒のようなものです。
いじめをした人は、停学させるのが妥当と思われます。中毒というか、儀式にはまってしまっているから、一人にさせるのが大事です。罰というより、その中毒のような儀式から抜けさせてやる助けのためです。学校に戻ったら、一風変わった目で見るのが大事です。
ああいうことをした子だ。。という目です。好きでやったんじゃない、周りに巻き込まれたんだという場合も、それを知っている目で見ることです。

他人の目に気づかせるためです。他人の目を意識して生きることは、とても大事なことです。一方で、いじめられた子も、いじめられた子だという目で見られるのです。それが現実です。
でも、それでいいのです。
それをみんなで飲み込んで、受け入れて、過去のものにしていく。
大事なのは、今です。
相手のいない自由な時間を大事に、そして、いじめられたいじめたことを過去にしていく。

なんて思った休日の午後。





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最終更新日  2006.11.13 16:06:11
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