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やっぱり東京文化会館はいいな~。5階正面中央の特等席で、見えないオケから湧き上がる演奏を聴きながら、久々の「コッペリア」を堪能しました。荒井祐子のスワニルダが抜群の安定感とおきゃんさで出色。熊川扮するフランツの浮気根性にカンカンになって起こるところが、とっても可愛らしかった。2幕での「人形ぶり」が大きな見所だが、荒井は「人形のふりをしている女の子」を演じている、という感じで、なるほどそうだ、本当に人形になってしまったわけではないんだ、とそこは新しい発見だった。それとともに、このプロダクションの楽しさと美しさが際立った。群舞の構成が見事なのだ。上から見ていると、舞台の上に何度も花が咲くようだった。それには、Kバレエ全体の力が上がったということもいえる。踊りがとても揃っていて、ドリーブの音楽が生きていた。男性の跳躍も高い。とても安心して観ることができた。男性でいえば、橋本、浅田、宮尾などは他の日に主役を持つので出ていない。女性も、松岡、東野が出ていないが、それがあまり気にならなかったというのが本当のところ。プリンシパル級での数少ない出演者としてジプシー役で1幕のみ踊った遅沢は、やはり目を引くし、3幕「祈り」の浅川紫織もよかった。私が注目していた松根花子が久々に登場。怪我をしていたという話も聞いていたが、もう大丈夫なのだろう。1幕はジプシー役で遅沢と組み、3幕では「時の踊り」のメインダンサーだった。今回は、ハッとするほどの切れ味は感じなかった。次回に期待したい。熊川は、もう演技がおちゃめで、他愛のないストーリーに強弱をつけ、観客を沸かせていた。ジャンプは抑え気味とはいえ、最後にでっかいのを一つ跳んでくれて、やってくれるな、という感じである。最後は拍手なりやまず、カーテンコールの回数も久しぶりにすごいことに。つくづく、幸せをくれるダンサーである。このKバレエの「白鳥の湖」はどんなものになるのか、見たい、と思ったので、幕間にロベルタ・マルケスと浅田良和の「白鳥の湖」チケットを買った。
2010.10.02
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石橋貴明が司会で、「ナンバー1に憧れてその道で精進し、ナンバー2にまでなったが、 ナンバー1にはなれなかった人物に聞く」というコンセプトの特番。「ナンバー2」となったのは、そのまんま東改め東国原宮崎県知事、彼のナンバー1は、ビートたけし。島倉千代子、彼女のナンバー1は、美空ひばり。日本女子バレーボールチームの柳本監督、彼のナンバー1は、世界の名セッター猫田勝敏。3人の話とも、とても面白かった。特に中味が濃かったのは、そのまんま東。とんねるずのタカさんと東とが、とても仲がよいこともあって、表面的には「知事」「石橋さん」と距離を置いて話を進めていても、この20年を一緒に疾走してきたその歴史が知らず知らずのうちに話の中に浮かび上がる。たけしという師匠について、たけしの番組のレギュラー、たけし軍団の番頭役にまでなった東と、師匠につかず、「とんねるず」として新境地を開いていくタカさん。東はとんねるずの活躍を羨望のまなざしで見ていたけれど、タカさんも、「コンビは結局お互い足りないものがあるから補い合っている。 その意味で、本当に独り立ちはできていない」と自分を振り返る。「たけし」をナンバー1、というコンセプトで話をしながらも、東が芸人の道に見切りをつけたそのきっかけがタカさんが野猿として出場した紅白だったという話が、この対談のクライマックスだったような気がする。野猿を率いて、あの「紅白」で「芸人」としてマックスのパフォーマンスをしているタカさんが、たけし軍団を率いて真ん中に立つたけしに見えた、と東。「たけしさんにしても、所さんもさんまさんも、とんねるずもダウンタウンも、 自分の名前を冠にした番組を持って、その番組を維持し続けるということは、 並大抵のことではない。 私には、これはできないと思った」なるほどなー。本当にそうだと思う。やりたいことを極め、そしてあきらめをつける。そのことを、そのまんま東は自分の中できちんと語る言葉を持っていた。「芸人としてがんばった、とはいえ、実のところ、僕は最大限の努力はここではしていない。 今度(政治の世界)は、それをやろうと思っている」本当の、自分のフィールドを見つけた者が持つ自信と自覚を、言葉の中に感じた。たまには、マジメなタカさんも、いいもんです。
2008.04.05
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今朝、何気なく立ち寄ったKバレエカンパニーのHP。9/18に更新されていたカンパニー内の昇格発表。この前のファンクラブのサマーパーティーで、宮尾俊太郎のソリスト昇格などは先に知っていたけど、他にも「ドン・キホーテ」のエスパーダで非常に評判が高かったニコライ・ヴィユウジャーニン、花売り娘の白石あゆみ、くるみ割り人形のアラブの踊りが印象的で、その後様々な役に抜擢されている浅川紫織など、実力どころが昇格(=昇給)を手にしている。順当順当。その下に新メンバーの発表、そして、退団。・・・ん??なんと、芳賀望の名前が!残念だなあ。怪我が尾を引いたのかなあ。一旦復帰してからは、演技も大きくなって中央で映えるようになったんだけど。康村和恵・芳賀望は、一時期のKバレエを支えた、立役者だった。彼らがいたから、熊川はKバレエの「ラプソディ」を天下一品に仕上げられたし、ヴィヴィやキャシディなど、ロイヤルの元メンバーがいなくてはどうにもならない、といった感を払拭することができた。芳賀の退団の理由は知らないけれど、とにかくこの二人がカンパニーを去ることは、ちょっと寂しい。(康村は、休団)でも、それだけカンパニー内の競争が激化しているという頼もしさも感じる。いきなりメールダンサー花盛りになってしまって、どんなものにも、波というものはあるんだとつくづく思う。新国立劇場で隣になった女性も「この前初めて見て、輪島さんの大ファンになって、今日も来たんです」と言っていた。Kバレエ=熊川という図式は、崩れつつある。熊川の復帰までに、カンパニーはまた、新たなファン層を形成するかもしれない。それがまた、熊川の闘志に火をつけるかもね。そうそう、明日21日、テレビ朝日の「徹子の部屋」に熊川哲也が出演します。昨年は、サマーパーティーの後に出演した「はなまるカフェ」でパーティーと同じような話をしていたので、今回も、近況を話してくれるんじゃないかな。サマーパーティーに行けなかった人は、必見です。
2007.09.20
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先日、最終回を終えた「銭ゲバ」については、二度ほど書いたが(、1月20日、3月16日)、第9話で完結したことについて、打ち切り説が流れている。同じ時期のドラマ「神の雫」が低視聴率で打ち切りだったというのはニュースなどでも触れられていたけれど、「銭ゲバ」もそうだったのか?一説に、あまりに暗い内容に苦情が殺到、二説に、格差社会や派遣切りなど、 企業を悪者にする点からスポンサーがつかず資金不足、など、いろいろ噂は出ているが、定かな情報には行き当たらなかった。しかし、「え? なんで自殺?」の説明不足を考えると、多少中を抜いて最初の構想より短くしたという可能性は考えられる。スポンサーが足踏み、というのはなんとなくわかるが、「暗すぎる」というのはどうだろう。暗いという点では、今日最終回を迎える「ありふれた奇跡」のほうが暗いだろう。ちがうか、あれは「地味」か?人間っていうのは、難しいものだなー。毎日のように殺人を扱ったドラマが放送され、あるいは派手なアクションシーンでたくさんの人たちがいっぺんに死ぬ場面が横行し、そういうものにはそれこそ不感症になっているのに、「銭ゲバ」で人間の奥底の悪のようなものを見せられると苦情が来たり、それに抗しきれなくなったりするものなのかしら。私は、椎名パパがてっきり風太郎の上をいく「悪」になって風太郎を揺るがすもんだと思っていた。そういう「悪よりすごい悪」は、テレビドラマにはなじまないってことかしら。そういえば若いとき緒方拳主演ということに惹かれ、「復讐するは我にあり」を映画館で見たんだけど、これでもかっていうくらい殺伐とした映画で、なーんか、「どうして見ちゃったんだろう」みたいな気持ちになったことを思い出す。私がお金出して見た映画の中では、これと、今は「相棒」で大ブレークの水谷豊主演「青春の殺人者」が殺人現場に居合わせましたっていう辛さでは双璧です。その人によって耐えられる「悪」って違うのよね。「冷酷殺人不感症」になっちゃったのは、私のほうなのかもしれません。
2009.03.19
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人は成長する。人は進化する。数年前、やみくもに「自分流」を貫いていた中川晃教の歌い方は影をひそめ、役に対する深い洞察を経て、そこで悩み、はじけ、望み、苦しむ男は、彼にしか表現できぬ「ヴォルフガング」だった。「中川ヴォルフと井上ヴォルフはまったく違う」というリピーターファンたちの声を聞いて、どうしても見たくなった中川バージョン。だが冒頭の私の印象は、「ちがう二人が演じながら、ここまで同じなのか??」という感慨だった。井上ヴォルフを見て自分の中にできていたヴォルフガングの像が、ちっともぶれない。裏切られた感じ、肩透かしをくった感じ、「そうじゃないのに」という感じがないのだ。これは、はっきり言って驚きだった。初演の千秋楽、それまで中川ヴォルフをあえて見ないようにしていた井上芳雄が中川のヴォルフをみて「あっきーは自分と同じことを伝えようとしていると思った」と感激した、という話がパンフレットに載っていたが、その井上の気持ちが、非常によくわかった。もちろん、二人の歌い方はまったく違う。内なる泉からあふれ出てくる爆発的な水流を何とか抑えながら、豊かな声量で舞台をさらってしまう井上に対し、中川はまるで囁くように、観客一人ひとりに語りかけるように歌う。中川の「僕こそミュージック」を聴いていると、放課後の教室に片想いの先輩と二人きりになって、彼が独り言のように語る人生の悩みを、自分一人に打ち明けられたような気持ちになってくる。どんなに彼が音楽を愛しているか、何をどうしたって、自分にはこれしかないんだということが、音楽に出会った歓びと、その素晴らしい音楽に自分の力は見合うのかという苦しみとが、ここまで哲学的に、ここまで深く心にしみこんでくるとは・・・。不意打ちをくらった。そこから3時間、私は中川ヴォルフからまったく目が離せなくなった。彼はハリボテのピアノでも、きちっとモーツァルトの曲を弾いていた。彼が必死にペンを動かし譜面を書いているとき、それは「ふり」ではなく、本当に作曲をしているようだった。すべてが、モーツァルト。前回不調だった市村レオポルドも、今回は彼らしいたっぷりとした声を披露。息子ヴォルフに対する悲痛なほどの愛情も、非常によく現れていた。思うに、父子のかけあいは、中川との方がバランスがとれているのではないだろうか。それは、身長の問題とかではなく、中川ヴォルフが父親に対して求める愛情の形が、ものすごく共感できるからだと思う。男爵夫人が「星から降る金」を歌い(涼風真世、たつきさんに負けず劣らず朗々と歌い上げる。絶品)、それでも市村レオが「家族を捨てることは許さん」とかたくなな場面、中川ヴォルフは「早く行こう」と袖を引くアマデ(ごめん、この日の子役確認せず)を根気よく説得するようにやさしくなだめて父を見る。直後に歌う「いつか時が来たら、僕は出て行く」は、井上の時は、自分を離さない父親に対する憎悪のような感情が先に出ていたけれど、中川は逆に、「今はその時期じゃない」と、自分で踏みとどまったいる様子が出ていて、父親への愛の深さがものすごく感じられた。中川ヴォルフを見ながら、頭の中には井上ヴォルフが常にある。そこで聞く「影を逃れて」。ふと、中川ヴォルフにとっての「影」とは、井上ヴォルフではないかと思った。「自分の定めを 拒めるだろうか? 殻を破り、生まれ変われるのか? 自分の影から 自由になりたい」井上芳雄の声は、天分である。自分ではない、何か違うものが井上ヴォルフを突き動かしている。凡庸な父にも、がんじがらめのザルツブルグにも、彼の暴走は止められない。井上が「メジャーとマイナー コードにメロディーも…」と歌う時、その開放弦的メジャーな音楽は、無垢で、まっさらで、天から降ってくる。しかし中川が「リズムにポーズ 響くハーモニー フォルテにピアノ 紡ぐファンタジー」と歌えば、それは彼が必死に努力して、最高の音楽を作り上げる道のりを感じさせる。「ぼ・く・こ・そ、ミュジーイーック!」井上ヴォルフにとっては、自然な言葉だ。中川ヴォルフは「・・・になりたい!」の気持ちが背後にこだまする。だからこそ、最後の最後にこの歌がまた歌われるとき、中川が「僕こそ…」といったまま終わってしまう、その幕切れがなんと哀しいことか。物語の冒頭、天童ともてはやされた昔と同じ服を着たくて買った金モールのついた赤い服を、父に怒られ捨てられてしまうヴォルフ。その赤い服を、中川ヴォルフがカーテンコールに着て出てきたとき、私は「よかったね…」と思ってしまった。長いこと、そう、一生をかけて手に入れたかった赤い服。「僕こそ、ミュージック」井上ヴォルフの時は、何も感じなかった。当然すぎるほど、その服は似合っていた。彼はこれからも、ミュージカル界を邁進するだろう。そして、中川は?来年はミュージカルを離れて音楽活動に専念するという。「自分の活動を5年、10年というスパンで考え、今しかできないことをやろうと思う」と中川は話す。彼は、自分の影を逃れられたか?自分の殻を破ろうとしているのか?自分を知るということは、苦しいことである。しかし、それなしに成長はない。彼が、いつ、なにに触発されてここまで成長したか、私は知らない。「トミー」も「エレンディラ」も見ていないことが、今さらながら悔やまれる。自分の力量を理解し、その力量を最大限に生かす手法を手に入れ、まるでヴォルフガングのように音楽と対峙した中川晃教のこの舞台に、私は心から拍手した。久々の、スタンディング・オベイジョン。天使の歌声だけでなく、人間の苦悩の中にも、神は宿ります。
2007.12.13
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この前、CNNのドキュメンタリー番組「Revealed」で、熊川哲也が特集されたことをお伝えしました。Webサイトでは、放送されなかった部分も含めてインタビューの全容が、「Q&A」という形で載っています。とっても内容が濃いので、ご紹介したいと思います。(英語の得意な方は、サイトを見てくださいね)熊川哲也、アンソニー・ダウエル、モニカ・メイスンの3人について、それぞれインタビューが行われていますが、インタビュアーがもっとも力を入れて質問しているのは「熊川哲也の英国ロイヤルバレエ団退団事件」についてです。(以下、アンソニーの言葉はweb上の英語を私流に訳しました。地の文は私の言葉です)あえて「事件」と書くのは、これは日本人が考えるよりずっと、大変なことだったから。当時イギリスの新聞「デイリー・テレグラフ」は、第一報を一面トップで報じたくらいです。当時の芸術監督アンソニーはいいます。「地獄に突き落とされたかっていう気分だったね。だって、シーズンの途中だったし、その上彼は数人のダンサーを一緒に連れて行ってしまったから。あの時の傷は、まだ完全には癒えていないよ」とアンソニー。よっぽどショックだったんでしょう。でも、彼はオトナ。こう続けます。「もちろん、私とテディの間では、すべて許してるけどね。彼が自国でカンパニーを立ち上げることがどんなに重大なステップアップだったかは理解している。しかし私に言わせれば、メジャーなカンパニーと契約中で、もう踊るスケジュールが決まっている時にやる決断じゃない」そうでしょう、そうでしょう。彼のファンである私だって、その年10月から「Mr.Worldly Wise」に出演すると決まっているのを蹴って直前に退団するって、どういうこと?…と思ったくらいですから。「Mr.Worldly Wise」は、トワイラ・サープが熊川のために振付けた、というくらい、彼なしでは成り立たない演目なのです。「ここが自分に合わないと思ったら、出るのは自由だ。それは私もわかる。 でも、やり方っていうものがあるでしょう」たしかに「まだ傷は癒えてない」感じ。でも、そんなアンソニー、どうして今、Kバレエの名誉総裁をやったりして熊川と仲がいいんでしょう??「最初彼が立ち上げたKバレエと今とでは、実際かなり形が変わっています。 現在のKバレエ団は、正直賞賛に値するし、私は彼が成し遂げたものが誇らしい。 彼は今、(ダンサーだけでなく芸術監督として)逆の側からもバレエ団を見ています。 そして、かつて私が芸術監督として経験した「問題」も、経験しているでしょうから、 (自分がやらかしたことの重大さにも)気がついているでしょう。アンソニーは、名誉総裁を引き受けた経緯を、こんなふうに説明しています。「彼が私に名誉総裁になってくれと頼んできた時、 私はKバレエにとって、マーガレット王女のような立場なんだ、と思いました。 ロイヤルバレエはずっと王女を名誉総裁に戴いていましたし、 テディはそういうものがほしかった。 私はとてもうれしかった。「出奔騒動」のあんな怒りの後で、こんな光栄なことが起こるなんて。 アドバイザーとして関わってくれ、という頼みだったけど、 今じゃ舞台に上がることもあって、これがまたとっても楽しいんだ」インタビュアーは、熊川のケガについて、次のような質問しています。「ケガしたダンサーが戻ってきたとき、パフォーマンスに影響がありますか?」「これは彼にとってはじめての大きなケガです。 彼のバレエキャリアにおいて、ものすごく遅くに訪れた。 大きなケガの後、どんなふうにカムバックするか。そこに、たくさんの「調整」があります。 どうやって戻るか。たくさんのことが頭をよぎるでしょう。 きっと彼はうまくやりますよ。私は、「禍転じて福となす」と考える方なんでね。 これはバレエ団にとっていかに観客が大切かを知るチャンスなんだ。 いつか熊川も主役を踊れなくなる。 Kバレエはとてもいいプロダクションをもっているのだから、 (ダンサーとしての)熊川がいなくても、このカンパニーのクォリティが観客を魅了し、 それがずっと続くことを願っています」 他にも、アンソニーが彼を見初めた時の話などが載っています。詳しくは、Webまで。明日は、自身も高名なダンサーであり、アンソニーが芸術監督時代、その片腕として熊川を指導したモニカ・メイスンのインタビューの概要をお届けします。アンソニーよりずっと身近で熊川を見てきたモニカの意見には「なるほど~」と思うこと多々あり。また、アンソニーとともに組織の苦悩にもつきあっていたので、「電撃退団」の裏側がもっとあらわに「Revealed」です!
2007.12.19
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歌舞伎座が閉場してから、歌舞伎は新橋演舞場で観るようになりました。横長の歌舞伎座の華やかさに見慣れていると、新橋はちょっとこじんまりというか、舞台装置が詰まりすぎな感じがするときがあります。でも役者は一回り大きく見えたりもしますから、演目によっては迫力も出たりします。これは一長一短。それより気になるのが、どうにも「熱」が足りないところ。なぜか散漫な空気が漂っているように思える瞬間があるのです。それは「さよなら公演」の1年、特に最後のほう、チケットをとるのも大変で、熱気に溢れていたためで、単にそのフツーではない熱がさめた感じでいうなれば今まで歌舞伎を見たこともない人も押し寄せた、「さよなら公演」の歌舞伎座の、特異な雰囲気に比べたら、ということだろう…と私は最近まで思っていました。けれど先日「錦秋十月大歌舞伎」を観に行って、いやそうじゃない、これは大変なことが起こっている!と危機感を覚えたのです。「どんつく」という演目を観ていたときでした。魁春扮する白酒売りが、チャッという音とともに花道から出てきたのですが、なんと、誰も「拍手」をしない。魁春ほどの役者が出てきたのに、一体どうしたことか。「拍手」という文字をみて、首をかしげた方もいらっしゃるのではないでしょうか。普通、歌舞伎といえば、拍手でなくて掛け声です。まず一番の変化は、演舞場では掛け声が少ない。その分、拍手は多い。たとえば私を例に挙げれば、私は拍手はしますが掛け声はかけない。掛けられないといったほうが正しい。大向こうでないと、絶妙なタイミングで粋な掛け声は難しいもの。だから、無難な拍手で盛り立てるわけです。「無難な拍手」は登場のときより、退場のときに起こります。退場する人には、どんな役の人にも拍手がわいてしまったりもします。みんな、いつどこで誰に拍手していいものやら、わからないのです。歌舞伎座での「さよなら公演」では、観客が拍手のタイミングを今か今かと、それこそ前のめりになって待っていた。その拍手を先導し、コントロールしていたのが大向こうの掛け声だったんですね。また大向こうの人たちも、競ってご贔屓さんの屋号を叫んでいました。たくさんいらしたものです。でも、歌舞伎座の大向こうの方というのは、3階B席とか4階幕見席に陣取っていらっしゃる方が多かった。演舞場に幕見はないし、3階も非常に席数が限られていて、チケット代も高めです。つまり、15,000円あれば、1階席で1回見るのではなく、2500円や3000円あるいは1000円切った幕見の席で10回も15回も観に来ていた方々が演舞場には頻繁にはお見かけできなくなった、ということではないでしょうか。でも大向こうの会の方々は木戸銭御免であるという話も聞いています。そうだとしたら、お金の問題じゃないですよね。じゃあ、どうしてなんだろうな~。わかりません。でも、歌舞伎座のときより掛け声が減っているのは明白です。3階席というものは、花道での出来事をほとんど見ることができません。だから大向こうは、正面の舞台上での登場や見得を切る場面はともかく、花道からの登場では「チャッ」という音をたよりにタイミングを見計らい、それで声を掛けていたはずです。登場した人の顔を見てからではなく、誰がどのタイミングで登場するかを知り尽くしている人たちが舞台上の役者さんとともに、会場の雰囲気をどれほど作っていたか、そこに私はようやく気付いたのでした。俳優さんたちも、掛けられるはずの声が聞こえないと、さびしいことでしょう。だからといって、大して歌舞伎のことも知らない私が野暮すぎる掛け声をするのは掟破り。私はせめて拍手で、盛り立てていきたいと思います。自分は舞台上の歌舞伎だけでなく、あの掛け声と一体となった「歌舞伎」を楽しんでいたのだな、と改めて「歌舞伎」というエンターテインメントのインタラクティブな仕掛けに気付いた、というわけです。演舞場に来たら、みんなで、せめて臆せず拍手しましょうね!拍手のタイミングくらいは、一生懸命考えようと思います。
2010.10.27
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今日二つ目の日記。今朝アップした日記に、「外国バレエ団の来日公演を観たんだけど、あんまり上手いと思わなかった…」というコメントをいただき、意見を求められました。その方が私に意見を求めたもう一つの理由は「私はロシアバレエが苦手だった」という日記を書いたからでもあります。今までいろいろバレエを見てきました。もちろん、熊川がらみが多いですが、他のバレエも機会があれば見てきました。ただ、私はバレエを習った経験がないので、「あそこのバレエはこうで、ああで」と専門用語を使ってしっかり分析することができません。理論的な裏づけがない。そこは私の大弱点です。そんな私ですが、一生けんめい自分の意見や経験を、まとめてみようと思います。1.熊川哲也のバレエを見続けている人は、少なくとも男性プリンシパルの技術的な面では、 世界最高峰のものを知っている。…彼にはできるが、他の人にはできないもの、あるんですから。好き、嫌いはあるけど、「熊川は下手」と思っている人はいません。昔は「一人で踊ってなさい」などと言われてましたが、最近ではパートナーを生かすパフォーマンスもできるようになりましたしね。2.熊川哲也が好きな人は、英国ロイヤルのバレエをよく見ている。→好きになる。イギリスはやっぱりシェイクスピアの国といいましょうか、全幕ものは特にストーリーが素晴らしいです。バレエからドラマチックな感動を受けるのが当然になっている身には、淡白すぎるバレエってあるんです。よく言われることですが、熊川再振付の古典は「わかりやすい」。単にストーリーを単純にしたということではなく、「理由付け」「感情の出所」を丁寧に表現しているのだと思います。メイキングのDVDを見ると、その場面をどういう気持ちで作っているか、よくわかります。踊りだけでなく、マイムを多用して、語るように場面をつないでいきます。どんな踊りも、踊りとして美しいだけでなく、そこで踊られる意味があり、必然性がある。だから観客も、ダンサーとともにお話に入りやすいのだと思います。でも、多くのバレエは、まず「踊り」ありき。プリンシパルの超一流のパフォーマンスさえあれば、観客はやんやの喝采です。それは、オペラのアリアもそう。リクツじゃなくて、「スゴイ」ものは人をひきつけますから。そういう意味では、若かりし時の熊川も、そこが魅力だったはず。ストーリーになんら関係なくても、「ラ・バヤデール」のブロンズ・アイドルが賞賛されるのは、まさにこのためなのです。フシギですよね。ただ何回ピルエットを回れるか、どのくらい高く跳べるか、そんなことばかり追いかけていたように思われていた熊川が、「踊り」だけでなく「物語」をこんなに大切にしているなんて。最高の技術が、最高の音楽と最高のストーリー、そして最高の美術をほしがっている。それが、Kバレエのパフォーマンスなのです。3.Kバレエのクウォリティは高い。立ち上げの頃はいざ知らず、今はバックも揃ってきました。音楽との調和を大切にする熊川がディレクターですから、その点もマル。Kバレエに移籍したダンサーが最初にビックリするのは、「こんなに早いテンポで踊ったことがない」「こんなに複雑なステップをいろいろ入れたことがない」の2つ。そんなKバレエの動きになれてしまった私は、他のバレエ団の全幕コールドを見て、「フォークダンス?」と思ってしまうこと、ありました。グラン・パ・ド・ドゥでも「そこ、歩くだけ?」とか。決して「早い」とか「技巧」だけがすべてではありませんが、「できる範囲で」ではなく、常に上のレベルを追求しているという緊張感がKバレエにはあるような気がします。その上お手本がロイヤルで、舞台装置も衣装も超一流。私たちが高いおカネを払って劇場を満杯にするおかげで、そういうものを発注することができるのです。億ですよ、億!(エヘン!ファンの力ですよー!)こうしたKバレエが一つのものさしになっているので、それより見劣りのするバレエ団はあってしかるべきです。ヴィヴィアナは、絶対ダイヤモンドつけてオデットを踊ったと私は確信してます。遠くからでもよく輝いていた。ダイヤモンド、とまではいかなくても、プリマくらい、もう少し衣装にお金かけてあげて、と可哀そうになってしまうパフォーマンスもありました。知らないうちに、私たちの目は肥えているのです。4.バレエには「好き嫌い」がある一流バレエ団にはそれぞれのよさがあり、合う、合わないは上手い下手とは別次元としてありますね。私が「ロシアバレエはちょっと…」と思ったのは、何度見ても寝ちゃう、という経験があったから。(全幕)パフォーマンスとパフォーマンスの間に流れが感じられなかった。つまり、ストーリー性よりダンサー個人の能力や表現力が重視された作りなのでは?……などと、自分で勝手に解釈して避けておりました。でも、「ロシア」といってもいろいろあるし。あと、演目もいろいろあるので、すべてを見ずに結論を下した私はおバカさんだったかも…と、ロパートキナを見て思ったわけです。ロシアでも、ゲジミナス・タランダは好きでした。彼が「ジゼル」で見せたヒラリオンは、最高だったし、他のものも。またロイヤルに移籍したイレク・ムハメドフや客演したアスィムラートワも好き。だから「ロシアが…」じゃなくて、その演目、演出、だったんでしょうね。パリのオペラ座のロミジュリも、バヤデールも、私はロイヤルのものほど感動しなった。それは、好みなんだと思います。ただ、オペラ座のモダンはすごいと思いましたね。体の使い方が尋常じゃない。ストーリーのないものに、身体が起承転結を作るんです。また、ルグリの表現力と技術には、いつもまいります。やはり、個人の能力は抜群、という人が多いのではないでしょうか。5.たまに遭遇する「やる気なし」の外タレいやいや来たのかもしれませんが、明らかに実力を出し切ってないダンサーがいます。この前、かーなーりー有名なダンサーが王子役やってて(ロシア人ではありません)、石投げてやろうかってくらいフヌケなパフォーマンスで、全幕ものでしたが拍手もせずに帰りました。一緒に行った友人も憤慨してました。日本のバレエ団への客演でしたが、稽古でやる気をなくすことでもあったんでしょうか。相手役の女性がプロの踊りを見せてくれたので「金返せ」まではいかなかったけど。その日だけの問題ではなく、身体もしぼれていない感じでした。熊川は、若いとき「Dancer of No Execuse」つまり「言い訳しないダンサー」と呼ばれていたことがあります。足が痛かろうが風邪をひいてようが相手役が気に入らなかろうが長旅で疲れていようが、舞台の上では何事もなかったように「どうだ!」とばかりに最高のパフォーマンスを披露する。そういう熊川流に、私たちは慣れているので、日々の調子が上下する人とか、「どうしたの?」って思うダンサーは、いっぱいいると思います。……長くなりました。異論のある方、たくさんいらっしゃると思いますが、私なりに正直に書いてみました。みなさんのご意見をぜひぜひコメントしてください。ロシアのバレエのよさも、たくさん知りたいと思っています。オススメのDVDとか、来日演目とかあったら、そういうのもコメント残してくださるとうれしいです。
2007.12.20
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「族譜(チョッポと読むらしい)」は、私に韓国映画の扉を開いた作品です。 朝鮮半島が日本に併合されていた時代、「創氏改名」を迫られた由緒ある家の家長と、役所の職員として半島に住む日本人青年との話です。 原作は日本人の梶原季之。監督は韓国のクロサワ的存在、林権澤(イム・ゴンテク)氏です。 「何でうちは日本の苗字にしないの? 学校でうちだけだよ」と無邪気に訴える孫の言葉に、悲しく微笑む家長の表情。 創氏改名をさせる立場にありながら、何とか由緒ある姓を残す手だてはないかと奔走する日本人青年。読み方だけを変えて、とにかく姓を残せないかと上司にかけあうも、「日本にはこんな漢字はない!」と一掃されてうなだれてしまいます。 家長はとうとう姓を日本風に変える決意をしますが、同時に「長く続いた族譜(家系図のようなもの)に終止符を打つのは、ご先祖様に申し訳が立たない」といって自ら命を絶ってしまうのです。 私がこの映画でもっとも震撼としたのは、ラストシーン。 家長の野辺送りを遠くから見守る主人公の後ろ姿に、テロップが流れます。 数年後に日本が負けて戦争が終わり、その後、創始改名以前にすべての族譜は戻された、というものです。 家長の死は一体何だったのか? 何のために命を捨てたのか? 主義主張を守り抜く美しさを描きながら、 最後にその虚しさをつきつけた、林監督という人に 私はものすごく惹かれました。 以後、私の「林詣で」が始まります。 ずい分たって韓国の留学生たちと会う機会があり、映画の話になりました。 みな「林監督」のことは知っていましたが、「族譜」は知りませんでした。 日本人の原作ということで、韓国では上映されていなかったのです。 そんな環境で、これを撮った監督の心とは? ますますのめりこむ私でありました。 1978年製作のこの映画は、日本でも上映されていないそうです。私が見たのは、NHK教育テレビででした。 同じようにNHKで見た人のHPがあったので、改めてびっくりしてしまいました。その人は1983年に見たらしいのですが、私もその時かなー? その後朝日新聞の週末版にこの映画が特集された時の記事は、大事にとってあります。 林権澤監督については、映画評論家・佐藤忠男氏の著書韓国映画の精神がオススメです。
2007.07.08
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ちょっと前までは、日本のミュージカルといえば「劇団四季」しかネームバリューがなかったけれど、最近は、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「モーツァルト」「エリザベート」など、帝国劇場でやるミュージカルが熱い。この帝劇、お隣りのシアタークリエ、そして東京宝塚劇場、と日比谷のこのあたりって、東宝系の劇場でかためられています。学校と劇団が直結している宝塚は別として、東宝系の他のプロダクションは、基本オーディションです。劇団としての囲い込みがない分、ある程度実力が認められれば自分の好きな舞台を選ぶことはできますが、逆にいえば「どうやったら力をつけられるか」が問題。以前もちょっと書きましたが、今の演劇を底支えしているのは、俳優座とか文学座とか、そういうところで基礎を仕込まれて羽ばたいていったベテランさんたち。映画やテレビの世界でもそう。かつて映画会社は、どこでも「ニューフェイス」などといって、自前の俳優を採用しては、「明日のスター」を育てていました。テレビはそういうものがないので、斜陽になった映画界から映画に育てられた人たちを引き抜いては使い、そのおかげで、ある程度の質を保つことができていました。今、テレビドラマの質が急激に落ちている背景には、「テッパン」を優先して既に人気のあるマンガなどを原作に作り、シナリオライターにオリジナルの本を書く場を与えないこととともに、俳優の質の低下が関係していると私は思っています。主演助演級には実力者を据えたとしても、脇に素人同然の人たちが多すぎる。「どこかで養成された人」がいないわけではないけれど、そういう実力者を使わなくてもドラマはできる、少なくとも、ま、これくらいでいいだろう、と思っている現場に私は問題があると思います。ジリ貧のテレビ界に追い討ちをかけるようなこの大不況で、制作サイドはものすごいコストカットを強いられていて、いよいよ「質の維持」は困難になっているようです。自前の養成システムを持っていないということは、それほど危ういこと。「栄光の持続」「長い繁栄」のために、「教育」「育成」が絶対に必要な投資であるのは国にしても、演劇にしても、同じことなのです。その意味で、今注目したいのが「東宝ミュージカルアカデミー」。東宝が設立した、ミュージカル俳優専門の養成学校です。3年前に作られ、現在は4期目。「将来の日本のミュージカルを支える若き才能を育成すること」を目的とし、「レ・ミゼラブル」のコゼット、エポニーヌ、マリウス、アンジョルラスや、「ミス・サイゴン」のキム、クリス、トゥイ、「エリザベート」のルドルフ、「モーツァルト!」のヴォルフガングなど若い世代の活躍が期待される役柄への抜擢も含め、ミュージカル界の底上げを図ろうとする画期的な試みです。東宝ミュージカルアカデミー(TMA)は、たった1年のカリキュラムだし、月謝も高い(*1)。宝塚のように、「ここを卒業すると必ず劇団に入れる」という保証もない。卒業しても自分でオーディションを受けまくるしか手立てはなく、翌年アドバンスコースに進めるのは成績優秀者だけ。けれど、アドバンスコースに残れれば月謝は免除されるし、卒業生の中には、すでに東宝ミュージカルやその他の舞台で、アンサンブルや役付きで活躍している人が出ている(*2)。山田和也、山口ひで也、前田清実といった、現在帝劇やクリエのプロダクションに関わっている人たちが指導者なわけだから、「今、どんな役者が求められているか」を肌で感じることができる、というわけ。豊洲にある練習場には、帝劇と同じような舞台装置をしつらえたスタジオもあり、今かかっているプロの俳優たちも稽古に来る。そういう雰囲気の中でプロ意識が高められ、目標が身近にあることで意欲も増すだろう。何より、同じ目標を持った若者がそれも全国から選び抜かれた30人あまりが、力を合わせつつ切磋琢磨する1年が、彼らをきっと大きくする。このTMA、年に1回の卒業公演は既にものすごい人気でなかなか観られないのだが、最近「試演会」を積極的に催すようになった。「俳優は、お客様に見てもらうことで成長する」という面を重視した結果のようだ。ニール・サイモンやチェーホフ、シェイクスピアなどの1シーンを集めた第一回試演会には行けなかったのだけれど、見学した人の話では、入学からわずか3ヶ月でこれだけのものが出来るのはなかなかのもの、とのこと。私が観たのは、7/20海の日イベントで、いろいろなミュージカルの1シーンをつなげる形のもの(4期生)のほか、卒業生による演劇(「父と暮らせば」より)、オリジナルミュージカルやダンスなどを披露。何の装置もない平場のスタジオの一角を舞台とし、あとはお客さんを入れる中、音源はピアノとラジカセ、みたいな手作り感で、文化祭的ノリだった。まずは、はちきれんばかりの若さが眩しい。特に四期生は、前へ前へという意気込みが目に見えるようだ。個々の実力、という意味では、もちろんまだまだ。特に、セリフのクリアさ、表現力は人によってかなり個人差がある。あえて一人ひとりをフューチャーする作りにしてあるので、たった3ヶ月でも、うまくて目立つ人あり、拙くて目立つ人あり。けれど、アンサンブルの見事さには舌を巻く。歌の力強さ、ハーモニーの美しさ、舞台を動き回るその自然さは、すでにある程度の水準に達していると思う。卒業生の演目の中では、「オリジナル」という点に注目したい。もちろん、著作権の問題などがからむから、という理由もあろうが、大きなプロダクションのコマとして使えればそれでいい、という養成ではなく、演劇というものをまるごと学ぶチャンスを与えられている。演劇とは、そこに人がいればできる奥の深い芸術だ。帝劇は大掛かりな舞台装置があって、マイクがあって、衣装もすごくて、そういうもののパーツとしてではなく、「そこにあなたがいればいい」という力のある役者をこの学校は育成しようとしていると思った。「東宝ミュージカル」アカデミーではあるけれど、卒業生の活躍の場は、きっと広がるに違いない。舞台の基礎のすべてを学びながら、自分にあった表現の場を模索できるいい修練の場になるだろう。一度観ただけでは、名前と顔はなかなか一致しないが、これから何度も観る中で、未来の大スターの最初の1歩の目撃者となりたい。*1 本科でも資質によっては、全額免除から3割免除まで学費の減免あり。*2 7/20は姿を見せていないが、卒業生のうち、 藤田光之、岡村さやか、竹内晶美は、素晴らしい。 特に、 小柄ながら感情がほとばしる圧倒的な歌唱力の岡村は、すでにスターのオーラあり。 竹内の美しい歌声は、これぞ正攻法。どんな舞台にあってもこういう人はほしい。 卒業生の活躍の場については、こちらに一覧表あり。 この前見た「ミス・サイゴン」のジジ役・池谷祐子も1期生なのね~!
2009.07.23
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