ガムザッティの感動おすそわけブログ

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gamzatti @ Re[1]:「ムー」「ムー一族」(05/28) ひよこさんへ 訂正ありがとうございました…
ひよこ@ Re:「ムー」「ムー一族」(05/28) ジュリーのポスターに向かってジュリーっ…

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gamzatti

gamzatti

2008.08.08
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カテゴリ: 音楽
阿久悠のすごいところは、多作だという点。

10分15分で書き上げ、それが大ヒットしたこともしばしば。
演歌からアイドルの曲、ウルトラマンタロウもピンポンパンも高校サッカーのテーマソングも、
みーんな阿久悠の作詞だ。
組んだ作曲家もそうそうたるメンバー。遠藤実がいて、浜圭介がいて、大瀧詠一もいる。

「子どもの頃に体験したディズニーの衝撃」が出たり
「自分の中にある日本人の郷愁」が出たりして、
この幅の広さがある、と自らが語るフィルムや

NHKの歌謡コンサートの「阿久悠特集」 は、非常に見ごたえがあった。

「なつメロ」と切って捨ててしまわれてもしかたのないはずの、
今から30年も40年も前の歌。
そうした「仕込み」だけではそうそう盛り上がらないはず。
この番組を支えたのは
第一に、
その「歌」自体が今も名曲としての輝きを失っていないこと。
第二に、
自分の持ち歌を、何十年も経って歌う歌手たちが、
みなとてつもなく「うまい」ことだ。

都はるみ 「北の宿」
「津軽海峡冬景色」
尾崎紀世彦 「また逢う日まで」
山本リンダ 「どうにもとまらない」

オープニングに4曲聞いただけで、ここ何年かの紅白歌合戦の何倍も充実。
歌の魅力ももちろんだが、
この感動は「ナマで歌った歌手たちの実力」あったればこそ、ではなかったか。


今は少なくなったナマオケをバックに、ステージで歌うとはどういうことか、
「おじさん」「おばさん」ではなく
第一線の現役でステージを何十年と続けているプロ中のプロのパフォーマンスは、
「隔世」などという言葉を吹き飛ばす珠玉の芸術だった。

逆説的に「現役」の凄さを感じさせたのは、

森昌子の 「せんせい」
石野真子の 「狼なんか怖くない」

こんなことを言っては失礼かもしれないが、
今回の番組でもっとも期待はずれだったのは、森昌子である。
阿久悠は森の再デビューに際し、
「もう歌のうまい昌子はいらないよ」と言った、というエピソードが披露されていたが、
「もはや歌のうまい昌子はいない」が正しい。

日本の演歌界を背負って立つと少女の時から誰もが確信していた声は、そこになかった。
「せんせい」という歌にこめるべき「心」もなかった。
他の全員が「現役」なのに、彼女だけは「なつメロ」だったのだ。

対して、石野真子。
歌う前、私は彼女のことが一番心配だった。
だって、「今歌手じゃない」人は、彼女だけなのだから。
しかし。
30年前と同じような赤いフリフリのワンピースをまとって、
彼女は「アイドル歌手・石野真子」だった頃を再現したのだ。
楽しかった。
うまかった。
森昌子の「せんせい」より数倍感動した。
なぜだろう。

石野真子は「現役」の「女優」だからだ。

80歳の森光子が、18歳の役を演ずるように、
石野真子も、17歳のアイドル歌手を演じた。
キラキラの笑顔で、てらいもなく大きな身振り手振りで。
観客が、自分に何を求めているかを知り、その「求め」に応じて最高のパフォーマンスをした。

やっぱり「続ける」ことは、偉大だ。
年輪は、ウソをつかない。実感した。
ささきいさおは言うに及ばず、小林旭の声量にも感動した。

圧巻は、北原ミレイの 「ざんげの値打ちもない」
・・・といっても、若い人たちには「ミレイ」も「ザンゲ」も「?」かもしれないが。
私だって、
この曲が流れていた頃は子どもなので、
その時は「暗い歌だ~」「暗い人だ~」と、好きでも何でもなかったし、
歌詞の意味も、歌の織りなす世界も、出てくる「女」の人生も、
なーんにもわからなかった。
ただ、
「ざんげの値打ちもない」といえば、「北原ミレイ」であり、あの人の不景気そうな顔がセットだった。

それが、ヒットということであり、「時代」を作った証拠であったろう。

5番まであるという歌詞のうち、「どこにも残っていない」という4番も含め、
北原ミレイは、
14歳で「愛というのじゃないけれど、私は抱かれてみたかった」女が、
男でどんなふうに苦労して、最後に
「ざんげの値打ちもないけれど、誰かに聞いてほしかった」のかまで一気に歌い上げた。

一編の映画を見たと同じ充実感だ。

北原ミレイは、他の曲でテレビに出たところをほとんど覚えていない。
しかし、
彼女がずっと歌い続けてきたことは、彼女の「のど」が証明している。
真一文字の薄い唇を、少しだけ開いたような口元からしぼり出される、
NHKホール全体を揺るがす声量。
その声の厚み。深さ。艶。そして鋭さ。
暗い酒場の片隅の、古いピアノの傍らでシャンソンがとどろくような、
情念が情念を呼び込むような歌声は、
阿久悠の歌詞が生んだ世界を、あっという間に「リアル」にした。

メロディが、いやリズムが先行、「歌詞」がドラマを持たない歌が増えたように思う。
「歌謡曲」には、ドラマがあったな、と
ふと、そんなふうに思った1時間ちょっと。

阿久さん、たくさんの歌を、ありがとう。
そして、
歌い続ける歌手の人たち、ありがとう。





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Last updated  2008.08.08 08:17:22
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