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このころよく黄色いくちばしから紹介状をもらっていた。黄色いくちばしの未熟医師に限って 紹介状で略号を多用する。 よく医療を知っているといいたいのかしれないが、紹介状の目的は相手に患者の問題点をわかってもらうことだ。それを、MSだのLCだの略号だらけの紹介状で満足している。 DMといえば糖尿病だが、皮膚筋炎もDMだから気を使ってDM(糖尿病)と記載する。脳外科でMSといえばまず多発性硬化症だ。でも僧帽弁狭窄症かもしれない。一般人ならマイクロソフトか。論文をかくときでも略号をその論文の最初に書くときはXX(XXXXXXXX)というふうに略号のフルタームを書くものなのだ。それは”相手に分かってもらう”の一言につきる。このように紹介状1通で相手に未熟なことがわかってしまうので黄色いくちばしたちは注意することだ。
2018.07.25
いつもの手術をいつものように終了するのは難しい。同じ疾患だからといって全く同じではない。簡単な手術では 説明も簡単だし 危険度も少ないからそのような説明をしている。だから 何かあると悲劇的な結果をまねくことがある。その日も慢性硬膜下血腫の手術を行った。内服の情報が全く欠けており調査を指示して手術室搬入。 局所麻酔の手術。 大きめの血腫なので急に血腫を抜くと血圧がさがることがあり、十分に輸液(点滴で塩と水分を入れる)をいれながら、少しづつ血腫を抜く方針ですすめた。血腫内圧は15cm水柱。血腫を抜き始めると血圧が低下してきた。 輸液を早めつつエホチール(交感神経α刺激剤)投与。ま、いつもならこれで血圧は上がってくる。そのうちに輸液も入るし手術も終わる。ところが 今回は全く効かない。幸いにして患者さんの血圧以外の状態はほとんど変わらないが、このままではまずい。一体なにがおこったのか、焦った。薬の詳細が帰ってきて 結構な高血圧で 利尿剤 Caブロッカー ARBほか多めのαブロッカーが投与されていた。簡単な手術と言って、患者さんをショック状態にするわけにはいかない。幸い手術室には緊急時使用する薬がそろっているので、ドーパミンのシリンジ持続投与を指示。輸液も多めに投与して血圧がまともになった。患者さんは何事もなく 7日後に退院したが、局所麻酔の時は麻酔科の先生は同伴しないので 術者がすべて管理する必要がある。簡単な手術だからこそ落とし穴が待っている。薬の情報はよほど急がない限り十分に集めて手術に臨む必要がある。
2017.03.11
救急で意識障害の患者が運ばれてきた。アルプスの少女ハイジにでてくる”おんじ”のような80台の男性。救急隊からは意識300の触れ込み。これは救命できないかもしれないと思いつつ挿管やら人工呼吸器やら再チェックしつつ待機していた。到着し診察意識 E1V1M5 GCS で、JCSで100 よくあることだ。片麻痺なく瞳孔は縮瞳。 バビンスキー反射なし。すぐルート取りながら 血糖値測定して40mg/dl やっぱりなあー。意識障害があったら何でも脳外科に運んでくるこの地方の悪い風習は直らないのかと思いつつ。ついてきた夫人に糖尿病があるんですねと聞くと、”いいえ、ありません。”血圧の薬だけです。とのこと。薬の手帳も持っていて、アムロジピンの内服のみ。50%Tz40CC静注 血糖値の補正を行いつつ諸検査やMRI/Aを行ったが、積極的所見なし。血糖値の補正とともに意識 E4V4M6にまで改善した。何にもないのに低血糖とはねえー インスリノーマでもあるのかなと思っていたらしっかりした家族が来て、その男性は夫人に出されていた糖尿病薬 ダオニールとキネダックとボクリボース を 飲んだらしい。痛み止めだと思っていたらしい。おそるべし おばばの薬。なお、薬の効果が切れるまで しっかりブドウ糖を投与しつつ観察をした。ひ と の く す り を の ん で わ い け ま せ ん
2016.02.10
長く臨床をしているといろいろなヒトに出会うものだが、この時は本当に参った。家族が話があるというので、何事かと思ったら、”貴方の病院の請求額はおかしい、リハビリテーションをしたからといってこんなにかかるはずはない。請求は20万ちょっとだが、私たちとしては半分しか払わない。”といった御意見をまくしたてられた。まあー払おうと払うまいと、僕にはほとんど関係はないが、それでも院長先生とともにこの病院を盛り立てていこうと誓った身でもあり。”そうですか、言いたいことはわかりましたが、当院としては不正な請求をしているとは思わないので、払わないといけないものは払ってください。支払いについては事務長と相談してください。”とのみ申し上げた。不景気もここまできたか。学校の給食代とか払わない輩もいるが、勝手な意見を言って医療費を値切る輩がいるとはびっくりした。金がないなら支払い限度額もあるのでそういう手続きもしたらいいのに、そういう努力もせず、一方的な意見を医師に吐くなどもう下品きわまりないが、言ったもの、やったもの勝ちなんだろう。院長先生も、医療費を払わない人もいるが、まさか病院が訴訟を起こすわけにもいかないとの御意見だった。 僕らスタッフとしては電気代、物品代金など1円を大事にして節約しているのに、このようなおヒトのためにそういう努力が無になるというのは本当に残念だ。
2015.07.18
基本振り返り型のブログであるが、ある程度検証実験の目鼻立ちがついたので意見する。あとからの批判にはなるが、どうしても私見を述べておきたい。STAP細胞について、小保方氏は200回以上作成に成功したというが、それは本人にとっては事実であろう。けれども、ここからは推論だが、間違った手法で1度できてしまった環境を保存しておき、本人の間違った手法で実験をすればそれこそ何回でも同じ結果がでる。細胞の実験は生体動物実験とくらべ、環境を整えやすく、保存も可能で、positiveな結果を得やすいのだ。たった1度だけ自分の思うような結果がでた材料を冷凍保存し、それを何度も使用することができるということだ。それを何度も行ったことにすれば、統計学的客観性があるように見える。これは研究者としての倫理の問題である。これからさらなる追試が行われて、STAP細胞ができなければ、上記の疑いは非常に高くなる。尊敬するアリストテレスは紀元前4世紀に生き物の状態を注意深く観察し、ミツバチやホタルは草の露からも生まれ、ウナギ・エビ・タコ・イカなどは海底の泥から産まれる。とした。17世紀には小麦の粒と汗で汚れたシャツに油と牛乳をたらし、それを壺にいれ倉庫に放置することにより、ハツカネズミが自然発生すると言う実験結果を発表したものもいて、信じている人も多かった。後からみたら、”なにいってんの?このポンスケ”であろうが、それは上記の実験や観察の追試が行われて、またその他の結果が加味されて、最終的に真実があきらかになったからだ。したがって小保方氏がSTAP細胞を信じることは決して悪いことではない。小保方氏の非常にまずく救いがたく、致命的な点は、1:本当なら世紀の大発見のような結果を、客観的な目で、それまで以上に慎重に確かめもせずに世にだしたこと。2:その上司または同僚に真摯に相談をしていないこと、もしくはその上司と同僚もポンスケだったこと。もし、僕が同じ結果をだしても、DrOやHが一目みて却下するだろう。教授にも論文を見てもらうことになってるし、結果の発表を同僚の前で発表討論もするが、そこまでたどりつけもしないだろう。論文にすることにもならないだろうが、もし論文を書いて、その論文の写真や文章に切り貼りなんか1箇所でもしていたら、すぐDrOに看破され、僕は八つ裂きにされるだろう。天下の理研にそういう研究者はたくさんいるはずである。そう考えると、小保方氏には大事なことを相談でき、かつ本人のために批判もしてくれる人物がなく、孤立無援で独創的な実験に陥っていたといわざるを得ない。STAP細胞が完全に否定されれば、彼女の名前の入った論文は今後しばらく受理されることはないだろう。
2014.08.31
院長あてにくも膜下出血の手術後の患者さんの御家族から手紙がきて、僕も見ておくようにと、回ってきた。手術が失敗しているとか、院長は手術後一度も病室に来なかったとか、僕がエレベーターであった時に冷たい態度をとったとか、こちらとしては全く身に覚えもない恨み節がつづってあった。悲しい内容だ。 もう3年たってしまって、請求権が消滅し、裁判が起こせないから手紙を書いたというのだ。ま、おそらく裁判をするつもりで弁護士のところに行ったのだろう。そしてもう時効であるとか言われたか? この患者さんは急性期水頭症のない、くも膜下出血 多量出血の重症(グレード4)で、早期手術の適応がないと診察医が判断。待機手術を選んだ方である。 その頃日本では軽症の患者さんについては早期手術(72時間以内)が主流であったが、この患者さんについては診察医師の判断で14日以後の待機手術となった。もちろんこの際、手紙を書いてきた御家族には十分説明をして、手術の必要性危険性、しない場合にどうなるか、早期手術と待機手術の比較、詳しく文書で行い家族に選択してもらっている。同意もばっちり取っている。患者さんの御家族がこの治療を選んでいるのだ。待機手術というとゆっくり待つという感じで楽なようだが、それなりに大変(患者さんにもスタッフにも)。はっきり言って、72時間以内に手術をした方がよっぽど楽だ。待機手術では14日間、部屋を暗くして、場合によっては鎮静剤を使用し、意識もうろうの患者さんに褥瘡ができないように2時間置きに体位変換をし、シモの世話を24時間体制で行い、拘縮予防のリハビリテーション、全身の管理、血圧の管理、栄養の管理も行う(もちろんこれを行うのはすべて当院の医療スタッフと僕の仕事である)。その後血管攣縮というくも膜下出血特有の不幸な合併症で中等度の麻痺が出現し、最終的にやや改善したが杖歩行となった(手術の合併症ではなく、この病気の合併症なのだ)。重ねて言うが、手術は病気による麻痺が出現して落ち着いてからの施行であり、手術前後に症状の悪化はない。くも膜下出血は発症すれば40%の人が死亡か重度ねたきりになる病気だ。もとの生活に戻れるひとは25%程度。これは病気全体の頻度で、この患者の年齢で、ましてや来院時の重症度が高い場合は患者さんがもとの生活に戻れる確率はより少ない。つまり、医療サイドとしてはこの人は杖歩行ができる家庭内自立の症例で、かなり幸運な症例といえる。しかしながら、患者さん・御家族にとっては”手術したのにこんなになった。手術が失敗した。手術が遅れた、めんどくさいから待機した”の印象なのだ。 もう一度言うが、それを言うなら待機手術の方がよっぽどめんどくさい。逆に裁判を起こしてくれてもよかった。その場合本来こちらが正当性を示す必要はまったくない。裁判では訴えた方が自分の主張の整合性をしめす必要があるからだ。こちらには治療の正当性を示す資料はバッチリ用意してある。リハビリ病棟も含め、医師の診察はほとんど毎日行われている。もちろんエレベーターの中でうんぬんの下りについても全くない。裁判の中でしっかり主張することができてよい。・・・裁判しても勝てないーそういう判断だろう。そのような判断で、選択肢として患者さんの御家族が取った唯一の行動が今回の手紙の送りつけということだと思われるのだ。DrHが言っていたことを思いだした。”どんなに説明していても、どんなに努力しても、結果が悪いと患者・家族に恨まれる。”医療サイドとしては満足な結果が得られていると思う症例でも訴訟のリスクがあるということを肝に銘じなければならない。
2014.05.30
現状について事務方と話をする機会があった。実際にかなりの人材がぬけており、立て直しが必要との見解で一致した。首(解雇)をかけても、現状のできていないところを勇気をもって指摘していこうと決心した。それが、病院に対してできることだろうと思えたからだ。なお、その話をした事務方も後日退職をした。
2014.05.15
人員ががどんどん抜けてゆく中、ネットを調べているとブラック企業の特徴というコラムが目に止まった。毎年大量の採用をしている会社=毎年人が辞めているということか年齢構成が偏っている会社=層の厚みが無い。社員に会社情報の開示をしない会社=秘密主義福利厚生に力を入れていない会社などだそうだ。なかでも一番見分けやすい特徴はなんといってもいつも社員の募集をしている会社らしい。あくまでも一般論であり、非常に厳しい仕事をこなすところには当てはまらないと思う。逆にそういうことを書かれると、本当に頑張っているところでの募集が非常に難しくなり、困るなあと思った。
2013.04.27
降圧薬を2重に投与したという医療過誤が発生。投与したかどうかわからないけど、クスリが残っていたので投与したという。幸いにしてカルシウムブロッカーであったため、正常血圧よりも低下することはなく、事なきを得た。”クスリを投与したかどうかわからない時は、安易に再投与してはならない。”という病棟内規則を作った。
2011.12.08
ある新しい患者さんに対してMRIを検査していたら、操作パソコンのトラブルで途中で機械が止まってしまった。MRIの機械はGE製で全く問題はないが、操作部のトラブルはある程度時間がかかるようだった。検査としてはおおむね終わっていた(あとMRAのみ)、患者さんには検査室からでていただいて検査の説明となった。しかし(検査技師が途中ですが、終わりますと申し上げたらしく)検査は途中でやめており、ちゃんとできていないから、この検査にお金は払わない。と 患者さんのご意見。お名前をみると X XXと まあーちょっと日本人には珍しいお名前であの国の人?一応 検査はほとんどすべて終わって、ただ1つMRAができてないだけであり、MRIだけでも料金は発生しますよ。と丁寧に申し上げたが、そっちのミスで途中でやめたんだから、こちらは払う義務ないよーの一点張り他の患者さんを待たすわけにも行かないからはい、あなたの言いたいことはわかりました。当院としては請求を出しておきます。あなたが払うか払わないかはご自分で考えてください。と申し上げた。ひと段落したころに事務のXXさんが、どうかしましたか?だってー早く来て下さいよ、次から速攻よびますからねってお願いしといた。
2011.10.10
外来主任が不思議そうに言う。先生の患者さんは予約日の予約時間にきっちり来ますねーーー。なぜでしょう?いやぁーありがたい。たいしたこともできないのに、いいお客さんに恵まれて本当に幸せなんだなあーと。なんでもないようなことに幸せを感じていないと、この仕事はもちません。
2011.05.15
当院のレセプトの査定が帰ってきた。プレタール(大塚製薬)の査定!適応と認められないという判断である。この薬は発売時は閉塞性動脈硬化に対する適応があり、その後2003年4月に「脳梗塞(心原性脳塞栓症を除く)発症後の再発抑制」の効能が追加となった。査定された数人の患者は脳梗塞の患者で発症後の再発抑制に用いていた。それなのに査定とは!?しかもこの薬結構な値段だから高額の査定となる。いったい何が起こったのだろう?こういうときは復活のお願いができる。どう考えても査定は間違いだが、こういうときに鬼の首をとったように審査委員会への批判をしてはならない。こちらの目的はあくまでも請求の復活だからだ。あくまでも目的を達成するため丁寧に再審査をお願いする。こうだ当患者は病名にもありますように脳梗塞の発症後の再発抑制を目的にプレタールを投与したもので、保険請求上矛盾はないように愚考いたします。審査員会の再考をお願いもうしあげます。2ヵ月後、全ての査定が復活し、請求どおり認められた!
2011.01.07
現在の病院に就職させていただいて3年が経過した。この2007年の春 就任当時に手術させていただいた脳出血の患者さんが死亡した。手術後は左の手足が不自由なものの、まずまず話もできていたし、反応も良かったが、その後は徐々に活動性が低下してゆき、肺や膀胱などの感染症をくりかえした。最終的に尿路からと思われる感染症が悪化して、血圧が低下した。今までは医局から大体3年ごとに就任先を決められていたし、6年近くいた病院は3時救急の超急性期病院だったから、手術した患者さんをその病院で長く見ることはなく、長くても6-10ヶ月でリハビリテーションを主とする病院に紹介をしていた。論文などでも主に手術の効果・転帰は3ヶ月から6ヶ月で語られることが多く、手術した患者さんが予想以上に良くなったりするととてもうれしかった。一方で、同じ患者さんを長く見ると結局同じというデーターは教科書的には知っていた。しかし、わかっていても自分の目の前で事実が進行すると、なんとも悲しいし、辛い。最近のデータ(ミネソタ大学)で脳卒中後の患者さんは5年余りの間に半数以上が死亡し、94%もが再入院するとの発表も見られている。脳の病気にならないようにする普段の生活習慣がとても大事であることを認識しつつ、発症してしまった患者さんが2度とひどい目に会わないように勤める毎日だった。
2010.11.20
3人目のDrが退職して常勤医2人となってしまった当院。仕事量は予想どおり増加。面倒みるところが増えたから、外来行って、XX1病棟行って、XX2病棟行ってと行くところが増えた。昔一人で脳外科医長をしていたときと少し似ている。まあ今回は医局から”ひまやろ”など、失礼きわまりないご意見もうけることはなく、仕上げないといけない論文や研究もないし、想定以上の仕事量ではないから、頑張るしかないが、追い込まれているような感じは抜けない。どこかゆっくりできる場所を見つけてのんびりするのも考えないと心が折れそうだなあーって思っていました。
2010.11.16
なんとなくわかっていたが、3人目のDrが退職した。外科を専門とするDrだから、何かと頼っていたが、もう頼ることができない。これで当院のDrは院長先生と僕だけ。この状態でこんないそがしい病棟を切りもりできるんだろうか?すぐに新しいDrが来ればいいが、おそらくそれは無理だろう。冬がきて脳卒中の患者さんも増えるのに、来年の春まで体がもつだろうか?など不安な日々を暮らすことになっていた。
2010.04.17
救急指定病院だから、救急患者の対応をしないといけない。本当は気はすすまないが、これが仕事だから、四の五の言ってやらないと。やるときはやるんだなあーって思ってもらう必要もあるしね。その日はくも膜下出血の患者さん。左の内頚動脈瘤の破裂だが、意識混濁もなく、全身の状態も良好。手術で治療することになった。また血を見ないといけないか・・・好む好まないは別にして当然のように手術助手に入ってお手伝いをしていた僕。全身麻酔し、開頭して顕微鏡を導入問題の内頚動脈瘤は視神経の外側にあるから、場所も見つけやすい。脳も腫れ上がってなく、順調すぎるほど順調にすすんでいった。破裂した動脈瘤を同定して、動脈瘤の首根っこにクリップをかけた。その瞬間、激しい出血!!動脈瘤が首根っこから裂けて、飛んでしまったのだ。内頚動脈に穴があいて激しく出血・・・話には聞いていたが、ここまで激しいとは!!こういう場合助手である僕は太目の吸引管で出た出血を吸引して 視野の確保をするのだが、術者はなぜかなんとか自分で押さえ込もうとしていた。脳は腫れて来るし、血圧は下がってくるし 麻酔科の先生に露出した頚部で左頚動脈を圧迫してもらうが、出血は下火にならない。これはダメかもしれない、ダメかも・・・そのとき思い出したのは学会で児玉教授と安藤先生の言葉心臓が止まる直前に最後のチャンスが来ます。/児玉南海雄教授あきらめたらそこで試合終了だよ。/安西先生 術者も(出血が)止められない・・・何とかならないか・・・ておっしゃってるので、”先生心臓が止まる前に最後のチャンスが来る”って、児玉教授が言ってましたよと申し上げた。実際、出血により血圧が 低下し、出血量が低下。そのおかげで視野が開け、なんとか修羅場を脱出。止血し血圧ももどり、術中死をまぬかれた。あれから3年経つ 患者は今年の秋に近くの施設に転医。あの時あきらめていたら、あの患者の未来はなかったろう。僕は命のやり取りをする職場にいることを改めて実感させられる出来事でした。
2009.10.21
できればしたくないアンギオだが、ほかにしてくれる人も居ないので、しかたなくしているアンギオ(脳血管撮影)。検査がおわって、動脈に入っている管をぬき、その部位の止血を行う作業がある。検査中はヘパリンという抗凝固剤を用いているため、通常の状態よりは血が止まりにくい。他院のレセプトを見ていると、プロタミンというヘパリンの拮抗剤をもちいて中和する行為を行っているところもある。しかし僕は原則ヘパリンの中和は行わない。自分が刺したところをしっかり見極めて、その血管を押さえすぎないようにしっかり押さえ10分以上待つ。これを厳格に守っている。通常の検査なら大抵は5-6分で一時止血するが、止血できたかなーどうかなーって見た時に出血するとまた押さえないといけないから、体力を消耗する。なにより針を刺したところに皮下出血ができて、しばらく綺麗にならないからみっともないし、患者さんも痛がる人がいるから。検査も手術も仕上がりがとても大事。
2009.02.25
その日も大嫌いだが、仕方なくやってるアンギオ(脳血管撮影)夏はそれでなくても暑いのに、放射線を防ぐ鉛のプレテクターを付けなければいけない。それが暑くて重くて嫌だって・・・いう潜在意識がそういうインシデントを呼ぶのだろう。準備して、さあ(仕方ないから)やりましょうか・・・って言うとナースみっちゃんが、先生放射線プロテクターつけてませんよ だって。あぶないあぶない、みっちゃんに介助してもらっていて正解だよ。どうりで今日は体が軽いと思ったさ。
2009.02.16
アンギオ(=脳神経外科では脳血管撮影を指すことが多い)この検査は、脳神経外科の検査のなかで、もっとも患者さんがつらい検査の一つ。患者さんは大げさな器械の上に乗せられて、通常意識のある状態で(局所麻酔で)下肢または上肢の太い動脈に管をいれて脳の血管を造影される(造影剤を入れる時、ちいさな花火が散るような感じや、熱い感じを体験する)。現在はこの方法が主流だが、僕が医師になった頃は直接首の血管を刺して脳血管撮影を行う方法もあった。もちろん、この恐ろしい検査を何度もやらされた(いや、させてもらいました)。作用反作用の法則で、検査する僕もつらい。重たい鉛のプロテクターをきて、その上から清潔なガウンを着て(暑い!)、首には甲状腺を守る鉛のマフラー、目にはめがねの上から放射線を防ぐめがねをつける。暑がりで、体力のない僕はそれだけでふらふらしているのに、血が嫌いなのに動脈から出る血を見ないといけないし、神経をつかう検査しないといけない。おまけに介助するスタッフはころころ変わるから、その指導しながらの検査だし。いや、ちゃんとしてますよ、仕事ですからね!正直したくないけど、患者さんに本当に必要な時はしかたがない。この病院には他にする人もいないし。はあーでも、この検査だけでも誰かやってくれないかなあ。院長先生(脳外科医)がしたくないのもよくわかるから、お願いもできないし。MRIの技術が進んで、この検査をする必要がなくなることを祈っているのに、最近は動脈瘤の処置までこの検査の延長の血管内手術でするようになってしまって・・・なくならないのでしょうね
2009.02.11
”アンギオ(脳血管撮影)はしてないんですか?” 三次救急にくも膜下出血の患者を運んだら、若い脳外科(らしき)Drが責めるような口調でそう聞いてきた。Drには各々方針がある。ちゃんとした理由があれば、その方針にしたがって診療しても責められるようなことはないのだ。君はどれだけ救急をしてきたんだ。その黄色いくちばしで何をいってるのかと思ったが、みんなの前で恥をかかすのも気の毒だ。敬意を込めて、出来るだけいつもの大きな声は抑えて搬送前にご連絡しましたように、患者さんの発症は2時間前ですので、発症6時間以内のアンギオは危険というデータに基づき、まだ行っていません。MRI/Aでの血腫の分布、動脈瘤の位置・大きさからほぼ中大脳動脈瘤の破裂でよいと思います。家族が当院に来るなり先生の勤めれている病院への転送を切望されたので、血圧を厳重に管理しながら迅速に連れてきたわけです。当院では誠に残念ながら再出血した場合麻酔専門医に直に全麻をかけてもらって手術と言うわけには行きません。僕は全麻かけることできますが、専門でないため院長の許可がでないし、先生の施設のあるこの地域でそんな冒険をするのは患者さんに迷惑でしょう。以上の理由で血管撮影は手術を行う先生の施設で落ち着いた後に行われるのが良いと判断し、敢えて超急性期である現時点では行っていません。先生が今すぐアンギオをする必要と思われるなら先生のご判断で家族に十分なインフォームドコンセントを行った後にどうぞ先生ご本人が施行されてください。・・・と申し上げた。暫くしてから黄色いくちばしの指導医をしている僕の後輩のDrが来た。”先生よろしくね”と声掛けたら”お疲れ様でした、紹介・搬送ありがとうございました。”とてきぱき動く看護士が3人、麻酔医らしき先生が1人、脳外科医が2人 ベッド周りにモニターも豊富。さすが3次救急。くやしいけどうちの病院とは設備も人員も違いすぎる。家族が希望するのも当然のことだ。うちの地域の3次救急は断わらないから、本当にありがたい。黄色いくちばし君も、もっと研鑚を積んでいいDrになるよう心から応援している。
2009.02.06
パラパラと医師会報をみていたら、以前勤めていたXX市立病院のことがでていた。12人いた内科医は半減脳外科医は全員退職(3人から0人)救急患者を受け入れることも困難になったという。残念なことだけど・・・まあそうなるでしょう。僕ら脳外科医だけが重症の救急患者沢山みてたしなあー 当直室には風呂がなく、100mはなれた古い病棟の地下にお寒ーい共同の風呂があって、そこに入れと!入ってもすぐにお湯がでないから風邪ひきそうだった。それでも僕らは力を尽くしたつもり。責任は強く感じるが、僕の移動は市立病院の上層部が大学(医局)に要請したことらしいから、しかたないでしょう。最後の一人になった脳外科医は辞める間際に酷使されて倒れたとか倒れないとか?新しい医師に来てほしければ、今からでも遅くないから、そこに居て本当に一生懸命働いてくれている医師を大事にすることですね。そういや何時だったかXX市立病院の責任者たるXX市長が救急患者の受け入れを、うちの病院に頼みにきていたっけなあ・・・
2009.02.01
常勤医の僕は月に何度も当直に入らなくてよい環境の当院。当直の時は当直室に泊まる。当直室について思うに、医師を招聘するにあたって、当直室と医局はとても大切な場所だと思う。当直しながら比べてしまうのは、X1病院の当直室。医局(病院の最上階にあり、ワンフロアーで院長先生の居住スペースともつながっている)の一角にあって、医局の施設・・・テレビ、ビデオ、冷蔵庫、コーヒーメーカーなど全て使用可能。お風呂は大きく、ベッドもダブルサイズ。つまりこの病院は当直にくる医師にたいしての礼節をわきまえている。この当直室を見たら、医師ならだれでもこの病院で働きたいなあと思うだろう。最悪だったのはX2病院の当直室。トイレ+汚物処理室のすぐわきにあって、狭く寒・・・まあー二つの病院の中間くらいがうちの病院の当直室か、大学から来てくださってる先生たちが、ホッとできて、まずまず休めたらいいなあと思いつつ、僕もまあまあゆっくりさせてもらっていた。もっと当直室をデラックスにしたら・・・まだ見ぬ新しいDrも来たくなるんではないかなあ・・・
2009.01.31
夏井先生のあたらしい創傷の治療を参考にして、頭のあまりひどくない傷の縫合の時に 傷はできるだけきれいに洗浄して、傷の中に汚いものを残さないようにして、過度の消毒は行わず、丁寧にナイロンの5-0針で縫合するようにした。出血が止まっていたら、サージェットというサランラップのような透明のシールを貼って、はがれたらよく洗うようにお願いした。お風呂にも入って、きれいに縫合部を洗ってよいことにした。ただし、傷がはれてきたり、違和感があったりしたときは再度診察してもらうことに。内服の抗生剤はよっぽど汚い傷でないかぎり処方せず、あんまり汚い傷の場合は破傷風のトキソイドなども投与を考えることにした。傷の経過はとてもよい。ガーゼをはがしたり、消毒薬で痛い思いをさせないから、患者さんもとても喜んでくれる。頭も洗ってよいと伝えているので、抜糸の時、傷回りもとても綺麗。問題は、傷が感染した場合に、いままでの方法を採らなかったからではないかと責められると辛いか・・・でもどう見ても傷の仕上がりもとても綺麗なんだが・・・どうしたものか・・・
2009.01.12
こんなに何度も切って・・・君はいったいどうしたいんだい?櫛の歯のようにたくさん並んだ切り傷・・・今回の傷・・・僕は精一杯縫ってみせるから・・・殆ど・・めだたなく縫って見せるから・・・もう切るのはやめてほしい。彼女は力なく首を振る。そうだよね、はじめて会ったおっさんの言うことなんか聞くわけもないか・・・悲しいね・・・
2008.12.08
苦しい時、信じてくれている人がいるのは幸せだ。本当に大切なのは苦しい時の信頼だ。 何かあったからという理由で、後足で砂をかけるように出て行く人材は残らなくてよい。その境地に達しないと、つらすぎて仕事をつづけられない。因果応報か?僕もあの病院で同じようなことをしたじゃーないか。だから、今同じことをされているんだと思うしかない。一方的かもしれないが、僕を信じてくれる人材が1人でもいるなら、そして、こんなボロボロな僕を頼ってくれる患者さんたちがいるかぎり、その人たちのために尽くす義務がある。仕事を終え、一人になると空しくなるが、患者さんの笑顔を見せてもらって、また明日頑張る気力をもらっていた・・・
2008.11.29
救急当直明けで手術して、次の日は血管撮影を2件 そして明日も手術。病棟はバタバタしてるし。久しぶりに少しだけ脳神経外科医に戻ったような・・・いつもはNO外科医だもんね取り返せない過去をとり返せるような・・・・・・でもこんなのバリバリの脳神経外科医から見たら普通以下も以下ですよ。こんなので忙しいっていってたら、優秀な師匠達にしかられるでしょ。
2008.11.12
医師は退職するし、ナースも退職するし、新しいメンバーは入らないし、入っても続かない・・・一応病棟を任されているから、僕にもかなりの責任があると思い、いろいろ相談にものるのだが・・・自分としては自分なりに努力しているつもりでも、なかなか思うようにいかないこともある。この歳になると、間違ったことに足を踏み入れていても、それに全く気がつかなかったり、それを修正するようガツンと注意されることもなくなる。当たり前のことだが、自分で自分のしりをふかないといけないのだ。それにしてもこれは本当に僕の責任なのか・・・退職者があとをたたず、家でも休まらない日々が続いていた・・・
2008.05.06
かけだしで2次救急のお手伝いをしていた20年くらい前、深夜は実質Dr二人、できる検査と言えばレントゲンと、CTと、ごくかぎられた血液検査のみ。それでも脳出血や骨折、交通事故、心筋梗塞、虫垂炎、ふぐ中毒など・・なんでもありで患者を受け入れていた。救急処置ベッドがいっぱいならCT室に直接運ぶなどしてやりくりしていた。でも、今はそれが恐くてしかたがない。重症の患者がきていたら、二人目なんてとても受け入れは不能だ。(今はDr一人の当直)なぜなら、患者さんの要求するレベルが高いから。そしてDrへの信頼が薄いから(これは僕の責任もあるが・・・)マスコミのスポンサーは多く企業だ。医師をどんなに叩いても、スポンサーが降りるなんてことはない。もし、車のリコールに関してスポンサーを叩いたら?もし化粧品のアレルギーの被害にスポットを当てた番組を作ったら?そんなことありえないから。さらにマスコミは神業的Drの技術をセンセーショナルに報道する。こうして医療は崩壊していくんだなあーと思いつつ、やっぱり明日も自分のできるかぎりのいい仕事をやろうと思い、でも自分のできないことはできる先生にお任せしようと思うのでした・・・ 夜桜2026さん、これでよろしいですか?リクエストありがとうございました。
2008.03.03
レセプトを見るのが僕の唯一の得意技だから、レセプトの様子はけっこうよく見ている。自画自賛をして申し訳ないが、うちの病院の医事は、ほんとうによくやってくれる。(いやいや、婦長さん、ナースたちも本当に頑張ってくれますよ。)医事がここまで頑張ってくれる病院も少ないです。まあー僕が審査員ということもありますが、それでも査定率が本当に少ない。いかによく気をつけて見てくれているかと言うことです。医事の仕事は単調で辛いものです。給料も看護職ほどはよくない。それでもレセプトによって、病院は医療報酬を受け取るわけで、全ての利益の源は彼らの仕事にかかっています。つまり、彼らのしてることは、病院業務の中でも非常に大切な仕事なんです。できる医事なんか、へたぁーすると妙なDrよりよっぽど大事。ほめすぎたかな?・・・ということで、僕も彼らの努力に報いるため、一生懸命病名を検討したり、コメントつけたり、必要のない検査を出さないようにしています。
2008.01.02
審査をしていると、明らかにこれは間違っているが、査定(減点)してしまうにはあまりにも酷だろうという事例にぶつかる。そういうときには審査員から、こういう点についてはどうか?というコメントをつけてレセプトを医療機関に返却する。返戻という。はっきり言うと、こういうことは異例なことである。医療機関は十分レセプトを点検するように指導しているし、おたがいに後悔がないように返却してもう一度チャンスを与えているのだ。しかるに、”この薬は・・・における・・・に対する予防に対しておこなっているもので、使用するのが常識である”など、横柄なコメントが帰ってくることがある。僕に言わせりゃー、”常識を知らないのは先生、あなたではないですか?”ってこと。先生、保険診療をするなら、薬の適応をよく知って使ってください。薬の中で、・・・の予防っていう保険適応のある薬は非常に少ない。特に返戻をするような値の張るくすりには予防の適応のある薬なんてまずないってこと、これこそが常識ですから。せっかくのレスキューのチャンスを横柄な態度で無にするのは残念ですね。
2008.01.01
他の病院から逃げて来た僕がいうことではないが、この病院が栄えていくためには、何よりもこの病院で技術を磨いたスタッフが必要だと思うようになった。この病院のやりかたを理解し、この病院に愛着をもって働いてくれるスタッフだ。幹部の人たちは、けっこういい人がそろっているので、下からの生え抜きの人材が成長すれば、とてもよくなるように思えた。しかし、現実はなかなかうまくいかない。業務量は多いし、要求される責任は重いし、経験のない=癖のついてない新しい人がなかなか定着しない。看板のある大きな病院に居た頃は、黙っていても新人が入ってきて、忙しさに耐えるまたは迅速に処理できる人材が残っていって・・・といういい?循環があったが、なかなか難しい。
2007.12.01
やっぱり、予想通り。クレームというか・・・誰からとは言えないが・・・来ました。でも、査定がおかしいのではという内容ではなく、くも膜下出血術後に出血して、再度開頭した、何とかしてもらえないかという内容。まあ、査定はされてもしかたがないという考え方に立脚しており、良心的ではある。 しかし、後からつけてきた理由で、審査結果を変更することはできない。さらに、かなり厳しいことをいえば、くも膜下出血で手術するなら、破裂脳動脈瘤の病名も必要である。手術は脳動脈瘤ネッククリッピングなんだから・・・・。高飛車に来ているわけではないので、そこまで厳しいことは言わない。”そういう(術後再出血の)事情があるのなら、レセプトを出す際に、コメントをつけるか、病名をつけるべきである、残念だが提出後の変更は原則認めない。”として、査定した手術を復活させることはお断りするしかなかった。本当に残念な結果だ。このように、どんなに有名な病院でも、保健医であるからには、その規則に従って医療をし、請求をしなければ、報酬が受け取れない可能性があることを知っておく必要があろう。
2007.10.10
審査担当の医療機関に包括医療を適用した病院が入ってきた。包括医療では、出来高制の医療のレセプトと異なり、こまごました薬品や処置、検査の明細はあがらない。病名が何個かあって、手術のある/なしがあり、手術に必要とした物品は別請求となる。見るところがたくさんないので、審査は比較的楽。これから先、このような審査が増えたら、審査員の数は半分に削減されるだろう。脳外科の審査員も2人もいらなくなるだろうなあと思いつつ、審査していた。 と、妙なレセプトを見つけてしまった。主たる病名はくも膜下出血。手術あり。まあ、手術ありは納得する。ネッククリッピング術という70-80万円の手術だ。しかし、次の日に、開頭血腫除去術が算定されている。これに対する病名は、皆無・・・同日にネッククリッピング術+開頭血腫除去術という組み合わせは成り立つ。くも膜下腫血の原因が、中大脳動脈瘤の破裂の場合(この医療機関は破裂動脈瘤の病名もない)は脳内に血腫ができることがときにあるのだ。この場合は主たる手術=ネッククリッピング術のみの請求となる。しかし、このケースでは明らかに次の日の手術となっており、考えられるのは、術後出血による再開頭である。これも時にはあることで、納得しないわけではない。だが、算定するならその説明のコメントが必要だ。最低でも病名(術後出血とか)が必要だ。僕には想像できても保険者は納得しないだろう。 即断はよくないので、この症例は置いて他のレセプトを通覧してみた。やはり、この医療機関には誠実な態度がみられない。保険適応を無視した請求があちこちに目立つ。独自の判断で種々の治療をされているようだ。そこで、今回はこの開頭血腫除去術の請求を査定した。名のある病院だ。どんなことになるか・・・
2007.10.01
大学医局から同門会費の請求が来た! 去年の無礼な対応にたいして、退会で静かに応じたのに、昨年と今年の会費を払ってくださいとのこと。事務に任せているにしても全くずさんな管理体制だ。こんな状態では会費の使い道だって、(ほぼ知っているが)・・・だろう。すぐ医局に電話して、丁重にお断りをした。去年、去年の会費支払いの義務が発生する前に、退会の意志を伝えているはずだと。・・・その後は請求はない。もちろん手違いでしたの一言もなし。出身の医局には強い愛着がある。このような医局になってしまったのが、とても悲しい。
2007.09.24
ge5999の審査は厳しいという。医学的な必要性もあるのだろうが、保険を払う側としては適応をしっかり把握した処方をするべきと考えているのだと思う。実際処方して大変な副作用(たとえば全身の皮膚が剥げ落ちるような)がでたとき、救済されるのは適応症に対して処方された場合のみだ。ロキソニンという鎮痛薬がある。この薬の保険適応は大きく以下の三つ1. 下記疾患並びに症状の消炎・鎮痛関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、肩関節周囲炎、頸肩腕症候群、歯痛2. 手術後、外傷後並びに抜歯後の鎮痛・消炎3. 下記疾患の解熱・鎮痛急性上気道炎(急性気管支炎を伴う急性上気道炎を含む)どうです? どこにも頭痛とか片頭痛とかの効能はないでしょう?でも実際、脳外科では頭痛の病名で多く処方されている。頸肩腕症候群の中の1症状だというDrがいるが、厳密にはそれはだめ。それならちゃんと頸肩腕症候群という診断をつけないといけない。厳密に言えば以上の病態について、この薬を処方した時のみ、保険診療(現在三割負担)で請求できるのだ。しかも、この適応に応じで投与した場合に副作用がでた場合のみに副作用の救済措置もとってもらえるのだ。ある意味有名な医師が私は医療をしているから保険請求は事務方がするのだとおっしゃったとか。その人には保険医を降りてもらうしかないでしょうね。
2007.09.15
汚い術後の創をみました。某有名病院で脳外科の手術-慢性硬膜下血腫の手術をしてもらったとのこと。 約5mm幅の脱毛になっていて、まだ痂皮がついていた。電気止血ピンセットで強く焼いて、比較的太い糸でぎゅっと縛るとこういう創ができやすい。もちろん手術は失敗ではないです。しあがりの問題。DrHのお言葉を思い出した。”最後まで気を抜いてはだめ、最後の皮膚の縫合など、表面の処理は特に大事””というか表面がとても大事。患者さんは良くなったらそこだけを気にするよ”どんな医師が手術したんだろう? 簡単な手術だし、有名病院ではやっぱり経験の浅い先生かな? 僕が研修医の時に同じ手術を初めてした時、最後の皮下と皮膚表面はオーベンのDrFが縫ってくださって、僕は糸結びでした。糸はわざと4-0の細いナイロン糸で、ぎゅっと縛ったらプチッと切れていたのを思い出しました。そうすることによって、創が綺麗に縫合でされるように工夫していたのです。みなさま、有名な病院で簡単な手術をする時は、70%程度の確立で、その有名な先生は執刀しません。それを念頭に置いてください。
2007.09.05
2005年1月1日 おそらくDrになって初めて元旦を自宅で迎えた記念すべき年になったのではないでしょうか? 研修医の時は大学か、外の病院の当直。大学院の時もやっぱり外の病院の当直。3次救急のときは手術室にいたり、ICUに泊まってたり。まあ元旦ていったって、一年の内の一日にすぎないし、人のために働いているんだから、それでもいいかなーと思っていたが、実際大晦日から元旦を自宅で過ごせるのはやっぱりありがたかった。ありがたい思いをさせていただけたのは、僕の代わりに病院の当直をしてくださった大学のDrのおかげです。本当にありがとうございました。今日も自分の身を削りながら働いていらっしゃる全てのDrに敬意を払います。そして、くれぐれもお体を壊さないように願っています。
2007.09.02
病院全体の忘年会とは別に、小さな料亭にDrWに招待していただいた。ここは大学時代にも一度DrYSと3人で宴会をした思い出の場所。あの時は、玄関に一期一会の文字が掲げられていて、感激した。ここにDrYSや、DrTが居ないのが残念だ。町から遠く離れ、静かな環境で旬の食材をいただく。”手術を患者さんのご家族にも見えるようにしたい”とか”月に60人の入院があったらいいね”とか目標とか、計画とか、話し合った。”僕は欠点だらけの人間ですよ、こんな人でよかったんでしょうか?”とお聞きすると。”頑張ってくれてるよ、それに・・・” ”人間誰しも完璧な人はいないよ。”と。そうなんですね、確かにそうかもしれない。だから、その人のいい所をみてあげて、そこを伸ばすようにしないといけないのだなあーとそして僕も、自分のいい所を伸ばす努力をしないといけないのだなーと思いました。もちろん欠点を直す努力も忘れずに。
2007.08.28
この病院に入って初めての忘年会。お約束の挨拶をしましたよ。”皆様の仲間に加えていただいて、ありがとうございました。院長先生とは大学病院で最高のトリオを組んだ仲でした。いつか手伝ってといってくださったていたことが、本当のことになって、とても嬉しいです。こうなったら、みんなでこの病院を脳外科ではこの都市1番の病院にしたいと思います。”って、かなり酔っていたのもあって、すごいことを言ってしまったなあー。
2007.08.25
歓送迎会の場で、スーパーナースマンSと歓談した。 身体能力が高く(筋トレなどで鍛えている)、それでいてナイーブな感性を持ち、外来、救急、病棟をそつなくこなす。手術の介助の経験もあるという。前から一度ゆっくり話をしたかったスタッフだったので、とても光栄だった。彼は正看護師だが、他にも色々な資格をとって、都会のもっとすごい救急病院で働きたいと夢を語ってくれた。僕がとっくの昔に捨ててしまった情熱を、思い起こさせてくれるようなひとときだった。これから就職を考えている(若い)男性諸君もこの職業を考えてくれるとうれしい。ことナースという職業は女性が向いていると思っていたが、男性もいいなあと思ったからです。
2007.08.19
現在の病院に就職するころ、注文していたハイブリッドカープリウスが、やっと来てくれた。だんだん気に入ってきた直列6気筒のマークIIとお別れしたが、この先進技術の車に乗る嬉しさで、よしとすることにした薄情な僕。ほんとうはホワイトが良かったのだが、周囲の意見にほだされて、他色のGツーリングを選択。感触は まっ、トヨタ車風で、ほとんど80点。タイヤがミシュランなのが気に入ってる。乗り心地はタイヤで少しかわるだろう。ブレーキのタッチが気に入らないが、これも高級車とは比べたらいかんでしょうね。ハンドルはFFだから、まあこんなもの。もう車の尻を振りまわすのは怖くてできないから、これでよし。静かなのかというと、タイヤのノイズが入ってくるしエンジン音が入ってくるので、やっぱりそれは前乗っていた車の方が静か。もちろん停車中はプリウスの方が静か。困るのは歩行中の人や自転車、特にバイクの人には、プリウスが近づいてくるのが分からないこと。エンジンが停止して結構なスピードで走っているとき、前を普通に横切られることが度々あった。また、停止していて、スタートするときが、分からないらしく。前に出ようとする瞬間に直前を自転車で横切られることもある。ロードノイズの大きくでるタイヤに買えようか・・・トヨタにはこの静かな車の危険性について、メールを送った(おせっかい)したら、ちゃんと返事がきたね。燃費だが、病院には10Km以内の通勤距離でいわゆるチョイ乗り。これで夏は15km/l冬は13km/lだ。カタログと比較すると30km/lとあるから、ちょっと不満だが、まあ今までの車はハイオクで8km/lだったから、よろしとした。
2007.08.15
僕はもう破門されているが、昔、DrHとは強い師弟関係で結ばれていた。師匠のDrHは僕をやさしくも、厳しく、鍛えてくれた。それは箸の上げ下げに注文をつけるような細かいご指導だった。(実際左手で箸を使う練習も指導された。)反抗することも少しはあったかもしれないが、医療のみならず、精神、体ともに医療から離れたときも、僕がどのようにあるべきかについてまで身をもって、辛抱強く教えてくださった。今ある横綱をみるに、あの方に横綱の資格はもう無かろう。・・・悲しいことだ。今までも、戦い方がよくなかった。立ち会いの張り挿し(相手を殴ってからまわしを持つこと)とか、ほとんど殴ってるような張り手。姑息な足取り。さらに完全に死に体になっている相手に対する駄目押し的な技など、美しさの微塵もない。勝ったら勝ったであの表情。木鶏を知らないのか!!横綱は勝つだけではダメなのだ。もちろん本人の人格もだが、師匠である親方はもっと、しっかり指導しないといけなかったと思う。小さなことを許しているから、こんなことになってしまったのではないか。くらべることができないほど非凡な才能をもった力士だけに非常に残念に思う。
2007.08.12
待ちにまったタチウオの季節が到来した。県都の海で、タチウオを釣りますかぁということで、冷凍キビナゴを買って、夕日が落ちるころ、空港近くの堤防へ出陣。こちらでの餌は、生きたドジョウがおすすめというが、生きた餌を使うのは僕のポリシーに反するので、使わない。・・・・う、なんと、これはいけない。まったく当たりなし。なんてことだ、ここより一寸離れた海では、連戦連勝だったのに・・・というか、5匹までなら自由に釣ることができたのに・・・う・腕が鈍ったのか・・・忙しくてしばらくできなかったからなあー強いショックをうける。一回だけ一寸した当たりあり、しかし、それっきり。隣のボウヤに2匹も釣られてしまった。くーっ!でも冷静に、場所は間違ってない。餌が悪いか?仕掛けが悪いか?それともやっぱし腕(T0T)ボウヤの仕掛けは浮きの仕掛けだ。やっぱりこちらでは、浮き釣りでないとだめなのかなあー。ぐったりして夜の海を後にしました。
2007.08.08
その日 院長先生からめずらしく急いでる風の電話。”先生、今年の大学の同門会に出席どうするかって大学から電話来たよ”僕は大学に会わせる顔もなく、おそらく破門と思っていたので、”いかないことにします。合わせる顔もないし”と言うと”そう言わずに、来るかどうかって聞いてくれてるんだから、行くことにしなよ”と院長先生。それで、迷ったあげく”出席します”の返事とした。翌日、医局長から電話があったらしい。”今年は院長先生も僕も同門会には来るな”という内容だという。なかなかおもしろい趣向だった。それなら、確認なんかしなけりゃーいいのに。すぐにメールで医局長に確認。”同門会に参加しますか、どうですか、早く返事をくださいとおっしゃっておきながら、出席しますというと来るなというのはどういうお考えか?”返事はあまり納得のできるものではなかった。こういう仕打ちをどうしても理解することができなかった。それで、同門会を退会することにした。そのほうが、審査員としても、より平等な立場で審査ができてよいと思った。考えてみたら、大きな病院の脳外科部長は、DrHも含めて殆ど僕の先輩。なんせ最年少の審査員なんだもの。身内が身内を審査するなんて、おかしいですよね。少なくとも切れる関係は切っておかないと!
2007.08.04
三人目の医師は某公立病院の院長先生だった方。うちの院長先生と同じ旧帝大系の卒業で、僕よりも院長先生よりも大先輩。公務員として、公立の病院で長として長く勤めただけあって、学ぶことが多い。感情や周囲に流されない静かな心。やさしい気持ち。激することなく、臆することなく、協力できることは協力し、無理なことは相手に失礼のないように断る。出来ないことと出来ることを的確に把握して、出来ないことはできる人にまかせる。そういうことがごく自然にできる人でした。
2007.08.02
DrHはもう一つお言葉をくださいました。”世の中は思うようにならないのが常”それを自己中心的な思いや、自己の損得で対処すると現実と乖離した時には苦しみとなるというのです。掛け値なしで人に尽くせば尽くすほど、時間は取れられるけれども心は軽くなり、自分のこころが安らいでくるのだとおっしゃいました。僕は心の狭い人間だから、DrHのようにはとてもなれませんが、そういう努力をしていこうと思ったのでした。
2007.07.31
新しい病院に就職して、DrHにご挨拶のメールを送った。君にはここ(三次救急の施設)は向いていないと思うというお言葉をいただき、DrHのもとを去って約三年の月日が流れていた。でもここに来てやっと、”君にはいまのところがよい場所”と言ってくださった。そして、メールは”今の時と場所を大切に、そして肩の力を抜いて仕事と生活を楽しんでください”と締めくくられていた。
2007.07.30
審査は先生の良識にまかせてしっかりやったらいい。急性期病棟を中心に管理してくれたので良い。外来は午前中のみでよい。週休2日で。・・・と公立病院で勤めていた時以上にゆったりとした待遇。でもあの時は指導医Kもいたし、参謀のDrTもいたから、それだけでも楽しかった。大事な急性期病棟を全面的に任せていただいたが、たまらない忙しさではなく、審査も十分やれる。危険も冒したし、犠牲もだいぶん払ったけど、思い切って帰ってきてほんとうによかった。
2007.07.25
予想どおり、DrWの病院から大学医局からお手伝いに来ていたDrはみんな引き揚げ。とはいっても、その頃、常勤医は院長先生だけで、お手伝いは非常勤。したがって僕が常勤でくれば、資格の面ではなんとか埋め合わせもできるだろう。大学が、大学人事として僕を派遣したと認めてくださると、もっといいのだが・・・大学とのつながりは弱くなったが、非常勤の当直のアルバイトだけは、大学医局から何日か来てもらえることになって、ホッとした。大学とのつながりはとても大事だ。僕のせいで大学との関係が悪化しているのだから、いつ何時、”ge5999はもう首にしたから、もう一度大学医局の皆さんお願いします”と院長先生が言っても、うらむようなことはしないと決めといた。
2007.07.22
この年2004年春。DrWのご好意により、DrWの病院に就職しました。DrWは大学と上手くいかなくなるのを承知で、僕を拾ってくれました。ずーっといっしょにやろうと言ってくれました。DrWは、世の中に完璧な人など何処にもいないものだといってくれました。僕はこの人の為に必死で頑張らないといけないと思いました。
2007.07.20
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