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なんか知らないけどTwitterでこの曲をめぐるリプライが次々と……フォロワーさんには意外とさだまさしファンが多いのね(爆)……ということで、歌詞全文を読めるようにしてみました。中学時代に聴いて大好きだった曲の一つ。残念ながら、自分でテニスをすることはありませんでしたが。確か高校時代に体育の授業で渋々テニスをやらされた時にラケットにかすりもしない空振りを繰り返した末やっとラケットに当たったと思ったらコートのフェンスを高々と超えてしまったことも……以来私はしばらく、クラスメートから「トマソン」 ←わかんねーだろお(爆)という、不名誉なニックネームをいただいたのでした(泣)まあテニスの話はどうでもいいのですが……この曲はものすごく面白い構成になっていて、さださんがラジオのDJに扮して片思い中の少年のハガキを読みその子を励ます曲をラジオで流す……というストーリーになっています。一つの曲の中に、ハガキを投稿した男の子の心情をうたうさださんらしい美しいメロディーラインのバラードと、劇中歌(?)とでも言うべきなのか、DJのさださんがラジオでかけたとびきり陽気な曲と、一粒で2度おいしいというか、全く違うテイストの曲が二つ含まれている。さらに曲を発表した当時なら「さだまさしのセイヤング」今なら「今夜も生でさだまさし」(おい)で聞かれる、さださんの軽妙なトークまで楽しめてしまう。ファンにとってはこんな贅沢な曲はない!当時曲づくりを始めたばかりだった私は「世の中にはこんな曲もあるのか!」その遊び心にあぜんとしながら、すっかりこの曲に魅せられたのでした。実はきのう、仕事で少し敗北感を味わう出来事がありました。ちょっと落ち込んでいた時に、ふとこの曲の歌詞が頭に浮かんだのでした。 ポイントはわずかに0-15 1点リードを許しただけ まだまだ勝負はこれから Tennis Boy最近はほとんど思い出すこともなかった曲なのですが、どうしてこんな時、不意に記憶の底からこんな言葉がよみがえってくるんだろう。そう。まだまだ勝負はこれから。歌詞はこちら↓0-15?さだまさし?歌詞情報?-?goo?音楽
2011年08月09日
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なんと!ここをほとんど放置しているうちにアクセス数が40000を超えていました……!というか、40004になっている!自分でキリ番踏む私(-"-;)ともかく、ありがとうございました!……まずまじめに更新しなくちゃ(爆)
2011年05月02日
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最近のけっこうなお楽しみのテレビ番組はNHKが月1回くらいのペースで夜中にやってる「今夜も生でさだまさし」(-"-;)まあ、中学時代に慣れ親しんだ深夜放送、あのままの雰囲気をテレビで再現したなんともゆるーいトーク番組。実際、さださん自身、文化放送で深夜番組のDJをやっていたもんね。本人も番組中で「23歳からはがきを読んでいる」と豪語してましたが。まあトーク(落研出身とあってほぼ落語の域に達しているおもしろさ)の中にごくたまに息抜きに歌が入る(それでいいのか!)構成なんだけど先週末の放送で、ほぼ番組の最後で歌われたのがこの曲でした。イラン・イラク戦争の勃発を受けて書かれた曲だと記憶しています。当時は当時なりに思うところはあったわけですが、今聞くと、さらに重い……あまりここでこんな話はどうかとも思うのですが、ちょっとだけ触れておきます。この曲の書き出しは「桃花鳥(トキ)が7羽に減ってしまったと 新聞の片隅に」この辺でもう時代感があったりするわけなのですがこの曲の発表当時に高校生だった私は実際、それから20年以上を経た今日本にトキがまだいるなんて思っていませんでした。本当にそう遠くないうちに絶滅してしまうんだろうな、そう思っていました。今でもトキのニュースは新聞を飾ります。つい先頃も放鳥をめぐる新潟発のニュースがありました。今でもトキの話題が国内をにぎわせてくれていることがうれしい。何よりも新潟・佐渡で頑張っている関係者の皆さんに心から敬意を表するとともに日本からトキがいなくなってしまわぬよう協力を惜しまない中国の皆さんにも 心から感謝したいのです。番組でさださん自身がこの件に触れていたことが私は嬉しかった。ところで、少し話は変わりますが「他国の戦争」に対する日本の小市民の心象風景を描いたこの作品、戦争以外についても今日のさまざまな事象を当てはめて考えることができる歌詞だなと思っています。ここではあえて触れませんが……この曲の主人公たち、これはこれで精一杯生きているのでしょう。今を生きる私たちとそう変わらない、ささやかな善人の思い。でもこういう思いの一つ一つが集まってできる「空気」が間違いなく「前夜」を作っていく。自分には何の責任もないと思っているうちに。今は何の「前夜」なのだろう。いつも温かいさださんの言葉はこの曲に関する限り聞き手にある種の刃を向けているように私には思えるのです。歌詞を知らない方には「何のこっちゃ」みたいな話ですね。良かったら読んでみて下さい。何だったら曲も聴いてみて下さいね♪歌詞はこちらからどうぞ
2010年11月30日
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職場の同期の仲間が東京に戻ってきたげその歓迎会の名目で飲み会を開いてくれました。ま、歓迎会は完全に名目ですな(笑)でも楽しかったです。店も最高においしかったし(←確実にまた太る……)福岡も負けず劣らず楽しかったけれど、やはり所帯が小さいので飲み会も後輩の慰労とか、逆に上司に慰労されるとかが多くて同世代の仲間とただわいわいやる、といった飲み会は意外と少なかったものだから……。こういう仲間、いいですよね。どうも今の職場の空気や与えられた仕事になかなかなじめない中、ほっとするひとときでした。会話のはしばしに自分も含めて「ちょっとトシとったよね」みたいなものも感じなくもなかったけどそう、まだ まだ まだやれるよ。この歌のように。「Best Friend」歌詞はこちら(Thanks to UtaTen)
2010年11月11日
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関係ないけど、ほんとに久しぶりにこのブログをいじってみて、5年前に書いたこんな記事を発見しました。「唇よ、熱く君を語れ」~渡辺真知子まさに今の自分の置かれた状況そのもの。要するにうちの職場はまったく良い方向に向けて変わっていないということなのか(-"-;)でも、もう職場でも上の人より下の人の方がずっと多くなった今、私にはそれを何とかする責任があるはず。今の私みたいに、もの言うことにも疲れてしまったような後輩たちの思いをすくい上げて息苦しさを少しでもなくしていくことが必要なはず。私自身のためにも。考えてみたら、きょうは職場のまだ若い後輩の頑張りにこちらが励まされる場面もありました。こういう若い人の気持ちを折らずにすむよう、ささやかながらサポートしていきたい。そんな思いを強くしながら、もう寝なきゃ。明日早いんだった(-"-;)
2010年11月03日
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1カ月前に福岡から上京した時は、まだ夏服だったのに……明日は早朝からの勤務なのですが、自宅に持ち帰った仕事が終わらず、まだこんなふうにパソコンに向かっています。もしかしたら少し風邪気味なのか、妙に底冷えしてきたので、思わず先日買ったばかりの暖房をつけてしまいました。今から使っていて、本当にこの冬を乗り切れるんでしょうか>自分
2010年11月03日
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・・・なるものが楽天ブログにあることを今日初めて知り、試しに導入してみました。設定できるのはただ一つのキーワードだけ。ならば、げそのアカウントを登録すれば、自分のツイートが表示されるのかな。ということで、やってみたらこんな感じです。どうでもいいけど、つぶやきの時間軸がめちゃめちゃ。。。これどういう基準で並ぶんだろう?ま、それもそれ。そもそもつぶやきなんだから、読んで下さる皆さんがげそのどの言葉に出会うのか、というのも、言ってみれば一期一会だよね?ということで、メリットとデメリットがどんな感じなのか良くわかりませんが、しばらくこのまま表示してみようかと思います。お楽しみいただければ幸いです。気が向いた方はフォローしてね(爆)
2010年11月02日
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東京に戻ってきて1カ月。仕事があまりうまくいっていないからなのかな、最近、空き時間に昔自分が書いた歌の整理などをして過ごしています。iPhoneのメモアプリとネットを同期させて言ってみれば「デジタルげそ詞集」を持ち歩くようになったというか。いまの私の半分くらいの年齢でしかない幼い頃の私の言葉になぜか励まされたり、逆に「成長ないんだな」と思い知らされたり……困ったものです。もうちょっと、前向きにならないとね。歌詞の一部はこのブログでも読めますので(左側のほうを見てね)お時間のある方はどうぞ♪
2010年10月28日
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メールでブログが更新できる?
2010年07月04日
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というわけで、なおもげその「iPhoneを音楽で満たそう」運動は続きます。本日仕込んだのが さだまさし「ADVANTAGE」STARDUST REVUE「HOT MENU」「艶」の3本。もはや自分が何のCDを持っているか分からなくなっているげそはさださんのこれを見つけた時は感動しました。この曲が聴きたかったからです。特に2番の歌詞が(ってきのうから2番ばかりだなあ) 誰も傷つけず 傷つけられずに 生きてはゆけないか 悲しませずに 苦しませずに 生きてはゆけないか 上手すぎずに 下手すぎもせず 生きてはゆけないか きれいでもなく 汚くもなく 生きてはゆけないか 誰かが僕にささやいた 捜しているうちは届かない 「まんまるなしあわせ」はそばに居る お前の中にある もしも僕のでこぼこが とれたらいつか会えるだろう 「まんまるなしあわせ」と呼ばれてる 僕に会えるだろう (詩・曲 さだまさし)きょうはあまり注釈をつけずただこの歌詞のように生きていきたい。決してそのように生きていけないからそう思うんだろうけど……歌詞もさることながらだけどちょうどこの曲は私の大学時代に発表されたのですがギターが普通の美しいスリーフィンガーのように聞こえるのにどうしてもコピーできなくて。この曲で私は初めてオープンチューニングなるものの存在を知りほんのちょっとギターの弦の張り具合を変えることがこんなに音の表情を変えるものか、と舌を巻いた記憶があります。そういう意味でも忘れられない曲です。さて、さださんは自分の曲にたいていライナーノート(本人は「注」と表現している)をつけています。「もともと作者が注をつける事自体、蛇足なのである。 こんな『さだ』も僕の中に棲んでいる」このアルバムの最後にさださんはこう書き残していますがおかげさまで 私も自分がかつて書いた曲にはその時々でいちいちライナーノートをつける癖がついたものです。このアルバムのライナーノートにこんなことが書いてあるのに気がつきました。おそらく、今読んだのでなければこれほど印象に残ることはないだろう、そんな言葉ってありませんか。これも 大学時代に読んだ時にはほとんど気にならなかったのですが……当時のさださんが思い描いているものと今の私が思い描くものはまるで違うのですが重さを増すばかりだった心に一筋の救いになるような言葉でした。自分自身があとで読み返せるよう 転記させていただきます。「ただ最近、レコードの限界について考えない事はない。 というのは、かつてレコードはひとつの文化だった時代がある。 その頃は、最大最高の表現形式のひとつであったろう。 現在は少し違う。 レコードそのものは少しも文化ではない。 レコードを通じて実現できた夢は、 このままでは、もうほとんど組成しないだろう。 『音楽』を音盤に固定さす事によって生み出された文化は、 大きく変化したのだ。 これが我々の手にしている『事実』である。 然かし、『音楽』は『真実』である。 レコード文化と共に音楽が消え去るはずがないものなのだ」……消え去るはずのないものを、私も残したい。そんな思いを強くしたげそだったのでした。
2010年04月22日
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もういいや。前に同じ歌で書いたかどうかなんて、気にしてたら始まらないっ!あたしゃ書くぞっ!最近TwitterやりたさにiPhoneを導入したのですが、考えてみたらこれはもともとiPodだったわけで。もったいない。この愛すべき機械をもっと使い倒そう。げその大好きな音楽で満たそう。ってなことで、きのうあたりからひまをみて少しずつCDの仕込みに入ってます。それできょう仕込んだのが中島みゆきの「パラダイス・カフェ」1曲目に入っているのがあの「家なき子」の続編の主題歌だった「旅人のうた」です。なんか、まったく違うジャンルで今の自分と妙に気持ちが合うんだなあ。特に2番の歌詞が。 西には西だけの正しさがあるという 東には東の正しさがあるという なにも知らないのは さすらう者ばかり 日ごと夜ごと変わる 風向きにとまどうだけ 風に追われて消えかける歌を僕は聞く 風をくぐって僕は応える (詞・曲 中島みゆき)みゆきさん本人の思いとは全く別かもしれないけどこの歌詞が何のたとえに見えてしまったかはむしろTwitterの方に答えがあるかもしれないなあ。もう15年、同じ歌を歌ってきました。風の強いときも、弱いときも、どんな向きで吹いているときも。そしてそれはこれからも変わらない。風に追われて消えかける歌を、私は聞くぞ。一緒に歌うぞ。あの東の方で、泥まみれに輝く仲間とともに。
2010年04月21日
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ああ、例によってまたすっごく久しぶりです(笑)実はきょうは私の誕生日。もう今後は絶対に年齢を数えないぞ!と言いたくなるようなトシになってしまいました。先日さだまさしさんのコンサートに出かけて全然その気分が抜けていないので「やっぱきょうはさださんの Birthdayか Happy Birthdayでいこうか♪」と思っていたら、何と両方ともすでに書いてる(泣)よし。同じさださんでも、ちょっと趣向を変えよう。そんでもって、この曲です。「わい なんばしょっと?」全編長崎弁によるラップというすさまじいことに挑戦したこの曲、4年ほど前にNHKの「みんなのうた」で使われて人気が出たけれど、この曲について最近、新聞にこんなことが書いてありました。昨年の春の甲子園で、さださんの出身地・長崎県代表の清峰高校が県勢初の全国制覇を果たしました。決勝戦の相手は、あの菊池雄星投手を擁する花巻東高。この試合で決勝打を放った選手が打席に立った時、アルプス席からこの「がんばらんば」が流れてきたのだそうです。そして会心のタイムリーヒット。彼は「あの曲がなければ力を発揮できなかった」と試合を振り返ります。そして、この言葉を聞いたさださんは「作り手として最高に嬉しい」と語ったといいます。さださんが良い歌を作ることで、清峰高校の選手たちに勇気や元気が与えられる。逆に、清峰高校の選手たちが甲子園で頑張ることで、さださんも勇気と元気が与えられる。誰かが一方的に与えるのでなく、それぞれの人がそれぞれの「人生の持ち場」で頑張ることで、周りの人たちに思いもかけない良い影響を与えることができる。それが自分の力になる。いい話だなあ、と思いました。個人的なことを言えば「作り手として最高に嬉しい」というさださんの言葉は、かつて彼のような人を目指して曲づくりに励んだ者として素直に共感できました。(同列に並べる気かおい)私が自分の「人生の持ち場」でしっかり生きていけば、誰かに勇気や元気を与えることができるだろうか。そういうふうに生きていきたい。さあ、今年も1年、がんばらんば!
2010年04月20日
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いやびっくりしました。突然やってきた楽天さんからのメール。30000アクセスを突破したというではないですかっ!こんなに長い間放置状態であるにもかかわらず、たまに遊びに来てくれていた人もいたんだな。もう、とにかく感謝、感謝です。考えてみればここは仕事にかまけて、学生時代の自分を失わないように、そんな思いで立ち上げたはず。気がついたら、仕事にかまけている。失いかけたもの、もう一度取り戻さなきゃいけないよ。30000アクセスのお知らせとは、そういう忠告だったのかもしれません。あるじ不在のこのブログに遊びに来ていてくれた方、本当にありがとう。良かったらこれに懲りず、また時々訪ねてきてくださいね。
2010年02月09日
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川村カオリさんが亡くなりました。ついこの間、テレビのドキュメントで、懸命にライブに臨む姿が取り上げられていたのに。「ZOO」だとか「翼をください」だとか名曲を遺した彼女だけれど私が一番好きだったのが「神様が降りて来る夜」。音楽好きな少年が、ひとりぼっちで(たぶん)窓の外の夜空を見上げ神様に向かって語りかけるストーリーです。「一番高い場所から僕らを見おろしている」神様に 退屈じゃないのかって 心配になるのさ 他人の毎日ばかりをみている毎日と、余計な? 心配をする少年。 弱いから こっけいだから 人間っていいのさと語りかけます。 Hey 神様 運命の糸を操れたって 神様 一週間であきてしまうだろうそして、少年は神様にこんなお誘いをかけます。 もっとまともになりたけりゃ 今夜 ライブハウスに連れて行くよ当時の自分の心情をストレートに歌ってくれた、という思いでした。失敗しようが、つらい思いをしようが、恥をかこうがこの手で選んだ人生を もがきながら生きている。全知全能であることよりそんな風に生きていることの方がずっと素敵なことなんだと。。。歌詞もさることながらまるで声変わり前の少年のような彼女の中性的な魅力にぴったりの曲調も好きでした。そんなあなたが私よりも若いあなたがそんなに早く神様になってどうするの!残念です。でもあれかな、こんな曲を歌った彼女なんだから、そう遠くないうちにまたこの地上に降りてくるかもしれない。その時は私が歌うことにしましょうか。 神様が降りて来る夜 今日は ベランダで望遠鏡をのぞこう(詞・曲 高橋研)神様が降りて来る夜 川村カオリ 歌詞情報 - goo 音楽
2009年07月28日
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朝の「とくだネ!」で作詞家・石本美由起さんの訃報を取り上げていました。 「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」「矢切の渡し」など昭和の名曲を数々残した石本さん。「矢切の渡し」がレコード大賞を受賞したのをリアルタイムで覚えている世代だけに、感慨深く見ていたのですが、恥ずかしながらこれを見て初めて知ったのが、子供の頃によく見ていたあのアニメの主題歌が、石本さんの作詞だったこと。 ♪ひとつ 人より力持ち。。。 そうです。あの「いなかっぺ大将」の主題歌「大ちゃん数え歌」。そうか。これも石本作品だったのか! 小さいころ、普通によく歌ってたなあ。。。 ずっと後になって、あの歌を天童よしみさんが歌っていたのを知ってかなり驚いたのですが、きょうさらに驚いたのは、彼女があれを歌ったとき、まだ中学生だったこと。 「いなかっぺ大将」の大ちゃんの姿は、もしかしたらそのまま、演歌歌手を夢見ていた(んだろうね?)幼い天童さんの姿そのまま(いや、決して、容姿が。。。ということではなく。。。)だったのかもしれません。 今になって当時の子供番組を振り返ると、制作にかかわった当時の大人たちの思い、視聴者である子供たちへの思いだけでなく、大人としての自分たちの思い。。。のようなものが番組の中に息づいていることに、時々はっと気づかされます。 なんか訃報から話がどんどんずれてしまいましたが、これも頭が回転するそのままの速さで文章が書けるポメラのせいかしら(笑) 何はともあれ、石本さんのご冥福を心よりお祈りします。「歌は世につれ」という言葉を見事に体現した方であったと思います。安らかにお眠りください。
2009年05月29日
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珍しく夜9時台に家に帰ってきました。一つの仕事を乗り越えて、なかなか「次」に進むエンジンがかからない。だんなは「自分の病気のせいで、おまえも疲れているから」というけど、そういうこととも違う気がする……ふと玄関前に置かれた赤い小さな折りたたみ自転車に目が止まりました。福岡に来たばかりの頃、だんなと二人で近くの自転車屋さんで衝動買いしたしろもの。海に比較的近いこのあたりは土地がなだらかで、ひざが弱い上に体が重い(←こっちの方が深刻)げそでも自転車をそれなりに扱えそうだと思ったのです。でも、その直後にだんなの病気が発覚。何だかんだとあたふたするうちに、自転車はほとんど放置されている状態でした。……ちょっと乗ってみようか。人けも少なくなった夜の街を走りました。何も考えず走りました。とりあえず走っている間は、妙な不安も、焦りも、消えた気がしました。どんな形でもいいから、1日の最後にこんな時間を作って、新たな気持ちで次の朝を迎えたい。そんなことを感じました。なぜか思い出したのがこの曲です(笑)夜を往け 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽
2009年04月06日
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珍しく少し早めに家に着き、報道ステーションなどぼーっと見ていたら、お天気お姉さんがきょう入社した新人さんでした。えっ。すごい大抜擢!新人さんの割には、見た目にはさしてあがるふうもなく、落ち着いて天気予報を読んでました。明るくさわやかで好印象。「これから研修を受けながら、頑張っていきたい」みたいなことを、最後にあいさつしていました。私も20年前はああだったんだろうか?……たぶん違うだろうな(-"-;)その天気予報のバックに流れていたのがこの曲(前振りが長すぎる!)のピアノアレンジバージョンでした。「旅立ち」に似合う曲だと思います。作詞・作曲の桑田佳祐さんがどう思って書いたのかはよく知らないけどサビの部分の遠く 遠く 離れゆくエボシライン……というところを聴くと、これまで大事にしてきたもの、自分を大切にしてきたものを背に、新たな舞台に向け前を向いて旅立っていく、そんなイメージがわいてきます。10年ほど前、社費留学で米国に短期留学した時、飛行機が飛びたつその瞬間にこの曲が自分の頭の中を流れましたっけ……。お天気お姉さんもきょうが社会への旅立ちの日。かなりいいスタートを切れたようですが本当に厳しいのはこれから。今の明るさを忘れず、古舘さんにいじられてもめげず(?)頑張ってほしいと思います。きょう4月1日、いろんな形で旅立ちを迎えた方がいらっしゃると思います。すべての人生に、幸多からんことを。 「希望の轍」歌詞はこちら(Thanks to Utaten)
2009年04月01日
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明日も仕事だというのに、NHKで深夜放送された「熱血! オヤジバトル」を見てしまいました。ゲストにスターダスト・レビューが出ていたので(笑)「熱血! オヤジバトル」というのは平均年齢40歳以上のアマチュアバンドによるコンテスト番組。すでに10年以上の歴史があります。実はNHK福岡放送局の制作なんだよね。何の因果か福岡に来てしまった私。この番組の収録のことも、スタレビがゲストで来ることも知っていたけど、仕事で行けなかった(-"-;)というわけで、テレビ観戦(?)となったわけです。歌ってくれたのは、彼らの一番のヒット曲となったこの曲。遠い昔のことさ 夢で見たんだ……(作詞・林紀勝、根本要 作曲・根本要)懐かしいこのメロディー……。ヒットしたのは大学に入ったばかりの頃。根本さんの突き抜けたような高音のボーカルと、サビのコーラスの神々しいまでの美しさに心底魅了されました。最近CMソングにも使われ、また頻繁に耳にすることになり心底うれしいです。最初の「遠い」を聴くだけで、「いつか彼らのようになりたい」と音楽活動にのめり込んだ当時の想いがよみがえります。スタレビのことは、実はデビュー前から知っていました。以前にも書いたかもしれませんが、中学2年の時、初めて自作の曲をポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)に応募し、あえなくテープ審査で落選した時、悔しさのあまり「どんな人が審査を通ったのだろう」とグループ全員で地方予選を見に行ったのでした。東京・中野サンプラザで行われた関東甲信越大会。そこで、静岡県のつま恋で開かれる本選への出場資格を得たのが彼らでした。当時は「ジプシーとアレレのレ」というすごい名前でしたが、およそ「夢伝説」とは違うコミック調の歌でステージ狭しと踊りながら(確か農作業姿で!)歌うそのパワーに圧倒され「……こんな人たちにはかなわない」と落ち込んだ記憶があります。さまざまな意味で彼らは歌にかけていた時代の自分を鮮やかに思い起こさせてくれます。その彼らが「オヤジバトル」のゲストに来るなんて。気がつけば、そんな音楽への想いをあきらめて就職して20年。今や私はもちろん、かつて私と1度でも一緒にバンドやグループを組んだことのある人は全員この番組の出場資格を得てしまいました(-"-;) ↑あっさり年齢層を明かすこの潔さ(爆)20年も職場の第一線で仕事をするとは思わなかったけど、それもたぶん、この福岡で終わりでしょう。普通に考えると、あと2年もすれば東京に戻ることになると思います。そしてその時はたぶん、もはや一線ではなく、管理職になってしまっている。音楽と同じように夢を持って取り組んできた仕事だけど、果たして同じような想いを持ち続けていけるだろうか。最近、そんなことに悩むことが増えました。ちなみに「オヤジバトル」の番組HPには、こんな言葉が紹介されています。 <仕事に、家庭に、人生に、様々な悩みや思いを抱えて生きるオヤジたちが奏でるサウンドには聞く人の心をザワザワさせる「何か」がある。プロのコンサートでは決して感じることの出来ない「何か」がオヤジたちの音にまとわりついている。(中略)音楽を心の支えに、それぞれの人生をしっかりと生ているオヤジたち。(後略)>まあ私はオヤジじゃなくておばちゃんなんだけど(笑)今、当時の仲間と音楽ができたら突っ走っていた当時とは違うどんな「何か」を奏でることができるのだろう。ふと、そんな想いが頭をよぎるげそなのでした。「熱血!オヤジバトル」公式HP
2009年03月29日
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なんかここに書き込むのも久しぶりです。季節はいくつ回ったんでしょうか?今、福岡にいます。長かった東京暮らしも一段落、夫婦ともどもの転勤で去年の秋、この地にやってきました。福岡といえば、おそらく最近全国に届いた大きなニュースは「全国で一番早く桜が咲いた!」ということでしょう。というわけで安直にこの曲をタイトルに選びました(笑)実はこれ、初めての携帯からの投稿です。書きなれないので、少しずつ書き足していこうかと。。。++++(ここから追加)++++なぜこの歌を思い出したかというと……半年前に福岡に転勤になる前、同期入社の仲間が開いてくれた送別会の2次会で「そういえばこの歌を歌ったなあ」と思い出したからです。歌は「聴かせた」と思うのですが(爆)同期たちからはさんざんなツッコミが。「おまえ、今は秋だろっ!」……ごもっともです。ついでに「おまえ、これは送る側の歌だろ。送られる側のお前が、何で歌うんだっ!」……そうかなあ。これは卒業式で別れ別れになる友への歌だと思うから誰もが「送り送られる側」なんであってどちらが歌ってもいいと思うんだけどな(笑)あれから半年、本当にこの歌が似合う季節になって同期のみんな、私は予想以上に大きな試練にも見舞われているけど、とにかく元気に、ここでやっています。全国で最も早く桜が咲いた、この西の街で。この曲については4年前にも書いたことがあるので、良かったらついでに読んでね♪ http://plaza.rakuten.co.jp/geso0602/diary/200503210000/
2009年03月21日
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投稿てすとです
2008年12月16日
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長く放置状態だったここのことを こんなニュースで思い出すことになるなんて。。。 ショック大きいです。 誰か嘘だと言ってほしい。。。
2008年05月19日
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今夜もまだ仕事です。以前この曲についても書いたなあ。。。と思って過去記事をチェックしてみました。2年1カ月前、05年4月27日。。。ああ そうだったな。今とは全然状況が違うけど、慣れない仕事で むちゃくちゃ忙しくてまいっていたころに書いたんだった。この曲に どんなに励まされたことか。あなたもきっと最後まで 病に負けないで頑張っていたのだとげそは信じています。坂井泉水さん心より ご冥福をお祈り申し上げます。
2007年05月28日
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もう 止められない狂い始めた歯車はああ 救い給え 迷えるこの世をもう 見えはしない見せかけの平和の裏側がああ 救い給え 愛なきこの世を力をください昔あなたが 石をパンに変えられたように狂った時代はこの地球(ほし)さえいつか殺すだろうああ 救い給え 夢なきこの世を力をください昔あなたが 海を歩き渡られたようにいま 何ができるこの目で この手で この声でああ 照らし給え 我ら行く道をああ 護り給え 我らが未来を大学4年の秋、最後の学祭のトリで歌った曲です。げそにとって、事実上人前で歌った最後のオリジナル曲。。。すでに就職が決まっていました。
2007年04月17日
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なぜ自分がここにいるのかに思いをはせる。こんなこと 許されちゃいけない!
2007年04月17日
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コートを着た人をまるで見なくなった学生街何時の間にか春が訪れたらしい柔らかな色の服に目を奪われていると彼らの袖はすぐに短くなるだろうそんなことを言いながら あなたは不意に大きなゲバ文字のビラを拾い上げる「安保世代はもう古いさ」と 誰かが笑っているでもこれを書いた奴の年は 俺と同じくらいはみ出したって構わない落ちていっても構わない時代遅れと片づけられる言葉をはみ出したって構わない落ちていっても構わない言わずにいられない奴がいる生きてる以上 俺は歴史を確かに作っている世界を覆す力にもなるはずだけど俺が何を言おうと 世界は変わりゃしない誰かの心さえ動かせやしないんだどうせ何の力もない男ならば下手な夢など見て 身を滅ぼすよりもとにかく無事に この世の中渡っていかなければ今は他人のことを考える暇はないはみ出したって構わない落ちていっても構わない言ったところで何にもならない言葉をはみ出したって構わない落ちていっても構わない言わずにいられない奴がいる奴の言葉が正しいのかどうかは知らないがでも俺は こんなビラを書ける奴がうらやましい秒針だけの時計で生きなきゃならない時代ひと回り1分だけの流れから秒針だけの時計で生きなきゃならない時代俺は抜け出せやしないビラを細かくちぎり捨てて あなたは歩き出す募金箱抱えた人をやり過ごしながら少しだけ前屈みのあなたの背中に向けて私は声をかける「ねえ 桜を見に行こうよ」……二十歳の春の想いです。桜を見に行こうよ。何かに焦り、無力を感じ、あきらめが支配しそうな思いに包まれながら私はきっとそれに抗いたかったのでしょう。今年の桜も美しいです。東京は花冷え。寒々しい空に凍えながら咲く姿がことのほか愛しく感じます。
2007年04月02日
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音楽とは全然関係のない話だけど……このブログの両端に並んでいる「掲示板新着」とか「コメント新着」とかいうコーナー。ほかの皆さんのブログを見てるとみんな幅がきれいに揃ってる。どうしてげそのはこんなにガタガタなのか(-"-;)本人の性格をよく表してるとも言えるのだけど(爆)あちこち見ても、揃え方が分からない……どなたかお分かりの方、教えてくださいっ!そういえば先日書いた「曲のキーが下がって聞こえる」問題。いろんな曲を注意深く(街を流れる音も含めて)聞いてると、ちょっと気になる傾向がありました。昔から知っている曲には あまり違和感がない。違和感を感じたのはこの間書いた「全力少年」(スキマスイッチ)のほか「流星ミラクル」(いきものがかり)とか割と最近の曲。逆に「道化師のソネット」(さだまさし)とか「はるかな旅へ」(ゴダイゴ)とかは、殆ど違和感がなかった……もしかしたら、キーは下がったのではなくさほど昔でない時期に気付かないうちに「上がっていた」のかも。それが元に戻っただけなのか?しかしそれにしても↑この曲のラインナップの何と脈絡のないことか(-"-;)
2007年03月29日
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それは断続的に1週間ほど、風邪で寝込んだあと、久しぶりに出社した会社で電話をかけようと受話器を取ったときでした。ツー……いつも聞き慣れた電話の音がおかしい。プルルル……という呼び出し音が、心持ち低い気がする……。「誰か私のいない間に、電話をいじったのかな」その時はあまり気になりませんでした。その数日後。げそははっきりと、異変を認識したのでした。電話だけじゃない。聞き慣れた音楽のキーがおかしくなっているのです。みんな半音から4分の1音くらい、微妙に下がっている!山手線の発車メロディーも。NHKのニュースのテーマ音楽も。中にはあまり気にならない曲もあります。露骨に気になる曲もあります。こんなことってあるんだろうか。「どうってことないじゃん、日常生活に影響ないんだから」と言われるかもしれないけど、流れる音がいちいち何か気持ちが悪い。自分に何が起きたのか分からず、げそは今、かなりの衝撃と混乱の中にいます。風邪で熱が出たせいだろうか。でもインフルエンザほどの高熱ではなかったと思うし、風邪なんて今まで何度もひいてきた。鼻をかんだ時に鼓膜を痛めたんだろうか。でも、鼻をかんだことだって今まで何万回とある。。。耳鼻科で聞いてみたい気もするけど、うまく説明する自信がない。。。誰か同じような経験をした方、いないかなあ。治し方ってあるんだろうか。感覚の問題だから、しょうがないんだろうか。とりあえず、これを読んでくれた方の中に分かる方がいたら教えてほしいのですが。。。ここ数日いろいろな曲が耳に入ってきた中でげそが一番違和感を感じたのがタイトルにした「全力少年」でした。とても大好きな曲なのですが、げそはずっと、キーはE♭だと思っていたのでした。今はどう聞いてもDにしか聞こえない。みなさん、この曲のキーはどっちなんでしょう?
2007年03月21日
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4月末の某日。私はとうとう、かつてのバンド仲間が待つスタジオに足を運びました。10数年ぶりでしょうか。本当はずっと不安でした。当時の私からみたら、今の私はまるで「あの世」に行ってしまったようなもの。音楽は本当に、あの頃と同じように私を迎えてくれるだろうか。その不安は、8割が杞憂に終わり、2割は的中しました。地下(それも並大抵の地下ではなかった!)のスタジオの空気は、学生時代に吸っていたものと全然変わっていませんでした。何より 仲間の誰もが昔と全く変わっていなかった。それが何より嬉しかった。まあ……多少の見かけの部分はともかくとして……。 ↑人のこと言えないし(-"-;)自分でも驚いたのですが、ほとんど事前準備もないまま飛び込んだのに、すべての曲を指が憶えていました。(言い忘れましたが、私はキーボード担当です)けっこう簡単に時空は超えられるものだな。一瞬、そう思いました。でも。1時間もたたないうちに私はあっさりと「越えられない壁」にぶつかりました。応用が利かないのです。当時演奏したことは、簡単に再現できる。当時「あの時ああ演奏すれば良かった」と感じたことはそのまま憶えていてそれを修正することもできる。でも、全く新しいものを作り出す力が、明らかに枯れていました。演奏したのはすべて、仲間が学生時代に作ったオリジナル曲でしたが、例えばアレンジし直すとかいうことができるのか、不安になってしまいました。それでも、ほとんどぶっつけ本番でステージに上がった瞬間、冗談抜きで本当に胸が熱くなりました。たぶん、学生時代最後のライブでもこうはならなかったんじゃないかと思うほどに。内輪と言ってしまえばそこまで。でも、ステージに駆け上がって来んばかりに盛り上がる客席の後輩たちの姿に、私は本当に感極まっていました。20分……とても短かった。 名もない歌にやわな生命(いのち)を捧げたLong long time あこがれは無情な影だと言われ 去りゆく友達(とも)が残した旅の地図は 夏の空に溶けていった (詞・曲 桑田佳祐)3回目にしてようやく曲の紹介に行くわけですが(笑)今回取り上げたサザンってのは学生時代のバンドがそのままプロになったわけでメンバーを入れ替えずに(1人辞めたけど)ここまで同じ仲間で第一線で活躍し続け私たちの子供の世代にまできちんとその音楽が届いている。ある意味 あの頃の私の理想型でした。さて この歌には「大人になるための裁きを受けて」というフレーズがあります。遙か遠い入社式の日。望んでいた会社だったはずなのに「夢を捨てて、ただの会社員になるんだなあ……」そんな敗北感を心に抱きました。しかし いつしかその仕事の中にもそれなりの夢を見つけ少しずつ自分は「違うところ」へ流れていった……そんな自分を否定したくはない。せつなさを抱えたまま、前に進むしかない。あれは一夜の夢、同じ立ち位置には もう戻れない。そんなことは百も承知でいて、それでも私は「やっぱりもう一度舞台に立ちたい」そう思ってしまうのです。
2006年05月27日
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「そろそろ始動します」2カ月ほど前、懐かしいバンドメンバーから練習日時を決めるためのメールを受け取った時、仕事はまさに泥沼の状態にありました。たとえつらい仕事でも、それが意味のあることだと心から思えるなら、「やれば何かが必ず良くなる」と信じられるのなら、どうにか耐えられるだろう。すでに私には、それが分からなくなっていました。にもかかわらず「これって違うのではないか」「もっと他にやるべきことがあるんじゃないか」そんな言葉が他の誰にも通じない。……だったら、どうして私を責任者なんかにしたんだ!好きだったはずの仕事に、夢も希望も見えなくなっていました。こんな時にステージに立つのが良いことなのかどうか。大事な他の仲間に迷惑をかけないだろうか。迷いを少し残したまま、それでも私は参加の意思を返信しました。ただ1日だけ「この日だけは練習を避けてほしい」と添え書きをして……。私はその日にかけていました。ここまでつらかったけれど、逃げなかった自負はある。立ち直れるとしたら、この日の仕事の結果次第だ。そこで結果が出せたら、自信を持ってステージに立てる。そして結果は出ました。それまでのすべてを吹き飛ばせるようなものではないけど、少なくとも、自分自身が「やり直せる」と思える結果が。火事場のような職場の喧噪の中私は少し感極まっていました。そんな状況が落ち着き「よし、これで本当に、ステージに立てるぞ」ということに思いが至った時、初めてのスタジオ入りは1週間後に迫っていました。……すいません。また仕事に戻ります。
2006年05月23日
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こんな日が来るなんて、夢にも思っていなかった……。半年間、ごぶさたしました。げそです。おとといの日曜日、学生時代の仲間たちと、銀座でライブに臨みました。所属していたサークルの20周年記念ライブ。それは内輪の小さな集まりに過ぎないかもしれません。それでも、舞台にあがったのは10数年ぶり。PAとか、シールドとか、アンプとか、リハとか、私の中ですでに半ば死語と化していた言葉がみんな、鮮やかに甦りました。前回、ここに書き込みをしたのが去年の10月。ちょうど職場でとある小さな部署の責任者を押しつけられた(泣)頃です。まだ体調不十分で、再入院もしただんなを心配しながら、元気で良いけどやっぱりまだちょっと頼りない3人の部下を前に途方に暮れたことを覚えています。そして年が明け……だんなの方は順調に回復してきたものの、仕事の方は 過去最大級の苦境に陥ってしまいました。ただ忙しいだけなら、いくらでも耐える。頑張ってみせる。でも、その仕事は私にとってつらい以外の何ものでもありませんでした。仕事を通じて、自分が大切にしてきたもの。守りたい、育てたいと思ってきたもの。すべてを自分自身の手で傷つけ、壊していくような仕事でした。なぜ、こんなめぐり合わせで私がここにいるんだ。できれば逃げ出したい。誰か他の人にお願いしたい……。でも、やがて考えは変わりました。どのみち誰かがやらなければならない仕事です。その仕事に何の思い入れもない人に任せるくらいなら、私自身の手で それを引き受けよう。痛みをともに感じながら……。桜の花が散るころまで、心はずたずたでした。とても抽象的な表現になってしまってごめんなさい……。ライブの話が舞い込んできたのは、ちょうどそんなさなかでした。ずっと迷いました。私は本当にステージに立てるんだろうか。時間的にも、精神的にも……。すみません。また仕事です。続きはのちほど。
2006年05月23日
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「涙そうそう」のコメントを書いていてそのままの気分でこれを選んでしまった私(爆)THE BOOMを初めて知ったのがこの歌だったから私はしばらく 宮沢和史さんは沖縄の人だと思いこんでいました。何かのインタビューで彼は実は沖縄出身ではなくだから 沖縄戦をうたったこの歌が当初地元の方にはなかなか受け入れてもらえなかったと書いてあったのを見ました。自分のようにのほほんと育ってしまった者がこのようなことを言うと張り倒されてしまうかもしれないけど筆舌に尽くしがたい痛みや苦しみを味わった方が「他人にわかったような顔をされたくない」と思ってしまう気持ちごく一部だけかもしれないけれど何となく 分かるような気もします。でも結果として今 この歌は時間も超えて 距離も超えて多くの方々に愛されている。生まれが違っても「沖縄の心」を見事に表現した宮沢さんもそして 生まれが違っても彼の歌を受け入れた沖縄の皆さんのその心も素敵だなあと思いました。そしてこの歌はさらに距離を超えてついにはアルゼンチンでまで流行してしまったわけで。歌詞の哀しさがどこまで伝わっているかは分からないけど心のこもったメロディーって言語も超えてしまえる。極めて月並みな表現だけど「だから歌とはすごいなあ」と 素直に思えてしまうのです。1人1人の受け止め方はさまざまでもとにかく それぞれの人の中に何か温かいもの あるいは熱いものを少しでも残していけるようなそんな仕事ができたらと つくづく思います。最後になったけれどこの歌で一番好きなフレーズを。 海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を (詞・曲 宮沢和史) *おまけ この投稿が「今も心に残っている歌」の 2222番目になってました。 確か1000番も踏んだんだよねえ(^^) 明日いいことあるかな(爆)
2005年10月06日
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ここ数日、仕事の波が途切れた時に思い出してしまって困る光景があります。この秋 地方に転勤していった先輩の送別会です。とても優秀だったけど同時に 死ぬほど厳しい先輩でもありました。私だけでなく仲間の誰にでも厳しくてどんなプランを上げても 片っ端から蹴ってしまうしどれだけ真面目に仕事を仕上げてもダメ出し以外の言葉をほとんど覚えてない。人格攻撃されてるのかと思ったこともあり日々腹が立つか くさるか へこむかをひたすら繰り返していました。そんな先輩だったから転勤の報を聞いたときは部内に 惜しむ声と同じくらいにどことなくほっとした空気が流れた気がします。そんな先輩の送別会。1次会は何事もなく過ぎ2次会になって和やかに盛り上がりいよいよお開きという時に「最後だから、お前、歌えや」と部長に勧められ カラオケのマイクを握った先輩は歌い終わった途端そのエコーがびんびんかかったままのマイクでいきなり私の名前を呼んだのでした。はい?「ちゃんと人の歌聞いてろっ!」なんて おどけて言われるのかなと思い何げに顔を上げると「ありがとう!」……自分の中で一瞬 時間が止まってしまいました。先輩の口から聞くとはまったく想像もできなかった言葉……。それはまるで最後の最後に飛び出した逆転満塁サヨナラホームランのようでした。私は 先輩の力になっていたんだ?足手まといではなかったんだ?彼はたった一言でそれまで私を苦しめてきた数々の言葉をすべて吹っ飛ばしてしまったのでした。人に喜ばれるということがこれほどまでに感動できるものだったなんて。振り返れば 今の私が半年の苦行を経て 少しは成長できたかと思えるのも先輩にさんざんしばかれてきたからこそだった。動揺して言葉を失いお礼の気持ちを十分に伝えることもできなかった。そんなこちらの思いを知ってか知らずか先輩はその一言だけを残しさっさと転勤先に消えていってしまったのです。 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ (詞・森山良子 曲・BEGIN)作詞の森山さんが亡くなったお兄さんをうたった歌に自分の思いを重ねるのは少し違うのかもしれないけどだいたい まだあれから1週間にしかならないのだけどあの恐ろしい(?)声が職場から聞こえなくなり何ともいえない空洞が自分の中にできた気がします。あれだけ私たちのことをしばきあげながら本当はずっと 応援してくれていたんだ。励ましてくれていたんだ。今になってやっと 素直にそう思えるのです。
2005年10月04日
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「……ってまた演歌かいっ!」と仰る方もいるかもしれないけど一応この歌、作詞・作曲は小椋佳だから(^^)中学、高校と演劇部にいた私は「芝居」をテーマにした作品がけっこう好きで自分でも一時期 そういうものを多く書いてきたんだけどなんといってもこの曲が好きなのは1番の最後にある この2行。 けいこ不足を 幕は待たない 恋はいつでも 初舞台確かに色恋ざたにおいても「さすが小椋佳! けだし明言っ!」というところですが社会人なんてやっていると色恋に関係なく「けいこ不足を 幕が待ってくれない」局面に多々出逢うものだからそのたびにこの台詞が妙に心にくるんだなあ。4月からの半年間、いままで経験のない分野の仕事を突然任されさらにその分野で過去の担当者も経験したことのないような事態が雪だるま式に押し寄せてきてもう誰に頼ろうにも頼れず大根役者のまま舞台の幕が開きもう何が何だかわからないままアドリブの芝居を半年間 延々続けていたのでした。しかし外の人にとって そんな裏事情は関係のないこと。「引っ込め! 大根役者っ!」そう言われてしまえば おしまいです。自分の芝居にどんな劇評が書かれるのかまだよくわからないけどようやく今日からこれまで多少は経験のある「慣れた舞台」に戻ることになりました。ほっとしたのもつかの間。「分かってると思うが、今度はチームの責任者で戻れ」えっ……?どこまでも けいこ不足は幕を待ってくれません。気が重いです。
2005年10月03日
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病院に着いた時、だんなはいつもより元気そうに見えました。正直、今回の入院は治療というより、リハビリのためのもの。外来でリハビリすることもできるのだけれど、どうしても時間が細切れになってしまい効率が悪いので「短期集中型」で毎日みっちりリハビリを入れるため入院したようなものです。「合宿免許を取るようなものだ」お互い、そう言っています。第三者がみればもう、後遺症がどこにあるのかほとんどわからないほどに回復している。だから、私でさえ時々「いつものだんな」の感覚で話をしてしまう。でも、脳のことなんか本当はわからないんだよね。普通に話しているようでもしかしたら 自分が本当に話したいことをすべて思い通りに話せているのかどうか わからない。何げに仕事の愚痴を話していても愚痴が言える仕事ができる私が今のだんなには たぶんうらやましいんだろう……。「本当に 仕事に復帰できるんだろうか……」だんなのつぶやきが痛い。 So, you don't have to worry, worry 守ってあげたい あなたを苦しめるすべてのことから (詞・曲 松任谷由実)そうできたら どんなに良いだろう。守ってあげるだけの力は 決して十分にはないけれど自分がいることが少しでもだんなの不安を取り除くことの力になれれば。今はただ それだけです。
2005年10月02日
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10月の声を聞いたからではないけれど、ようやく帰ってくることができました。休んでいた2カ月、ほんとうに疾風怒濤の日々でした。仕事でも家庭でも 一種の修羅場を経験し見方によっては「充実していた」とも言えるしほかの場所からみれば「最大の危機」だったかもしれない……ほんとうに 何とも言えない2カ月でした。少し落ち着いてこの2カ月を振り返りたくさんの絶望も見たけれど自分の中に希望の芽も見ることができたこのトシにして何ですが確かに わずかとは言え自分が成長したのだと感じます。この間のことはおいおいここに書くこともあるかもしれませんがご心配の方もいるかもしれないのでだんなのことだけを少し……。だんなは軽い脳卒中でした。しかし、現地での発見が早かったこともあり、後遺症はごく最小限ですみそうです。ただ、日常生活はほぼ問題がないものの気をつけていると まだ 軽い言語障害と右手の麻痺を感じます。地方への転勤は取りやめとなりだんなは今 帰国して都内の病院に入院しリハビリに励んでいます。久々に仕事も休み。きょうはお見舞いに行ってきます。ご心配いただいた方本当にありがとうございました。私の力になりました。嬉しかったのは2カ月全く何も書いていなかったにもかかわらず少しとはいえ ここに遊びに来てくれていた方がいらしたこと。「書き続ける責任持てないし、もうやめようか……」と思ったことも何度もあったけれど、久しぶりに見たアクセス記録に勇気づけられました。ほんとうに ありがとうございました。これからもまた休み休みのいい加減な更新が続くかもしれませんがどうぞよろしくお願いします。
2005年10月01日
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また長い間ご無沙汰してしまいました。だんなが倒れてしまいました。ちょっくら フィリピンまで行ってきます。
2005年08月04日
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ど……どうして?(涙)このトラックバックも受けつけられないだろうか……最近は仕事にかまけてとってもさぼり気味だけれど私がここまでブログを続けていられるのはるなさんのおかげだった。作ったばかりのころから遊びに来てくれてだんなの単身赴任の愚痴にも励ましをくれて……ほんとうに どうもありがとうございました。またこっそり ここにも遊びに来て下さい。そして心の整理ができたら是非また 私が遊びに行ける場所を作って下さい。待っています。どうかこれを読んでいてくれることを……。るなさんからのメッセージここにおいでのみなさんの多くが彼女のサイトのファンだったと思うので……
2005年07月24日
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……というわけで恒例の日曜日です。というか自作の場合は初めからパソコンの中に記録してあるからコピペだけで日記の更新ができて楽なんだな(爆)+++++++++++++++++++++++++++++++++++++誰でもいいからいつも一緒にいてくれる人がほしかった精一杯陽気に振る舞い偽りの私が生まれた偽りの姿が真実(ほんと)の姿と信じられた今はおどけることを義務づけられて生きてるようなもの笑われ馬鹿にされ飽きられ捨てられる私は道化役者せめて笑っていればみじめな自分を隠し通せるだろう偽りの私を粉々に砕いてくれる人がほしかった例えば嘘の私とならば 話し合える友も真実の私を感じてくれる友にはなりはしない吐く息すべてがため息になる今日この頃笑われ馬鹿にされ飽きられ捨てられる私は道化役者せめて笑っていればみじめな自分を隠し通せるだろう真面目な話をすれば笑われて冗談にされる頼られることはあっても頼れる人は誰もいない今は誰にも会いたくないよ私はおどけることに疲れた傷を癒すこともできない私には誰も気づきはしない笑われ馬鹿にされ飽きられ捨てられる私は道化役者せめて笑っていればみじめな自分を隠し通せるだろうそうさ 笑っていなけりゃ生きてる価値などない人間だからどうせ おどけていなけりゃ生きてる価値などない人間だから++++++++++++++++++++++++++++++++これもげそ好みの「役者もの」なんだけど今までのやつよりずっとストレートに暗い(-"-;)曲の方も ものの見事に「どフォーク」だし。「こんな歌 絶対受けないだろうなあ」と思っていたら、いざ「どんこう列車」のライブで演ってお客さん(ほとんどが同級生)にアンケートをとったら「私もわかる! その気持ちっ!」という感想が多数入っていて作ったこっちがたまげたのを憶えています。
2005年07月24日
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この日記を書き始めた頃は「東京は大雪だ」なんて言葉もあったのにとうとう梅雨が明けてしまいました。しかし私の仕事はいまだに夏休みがいつ取れるのかさえわかりません。当然ながら後輩に夏休みを約束してあげられるわけもなく最近 何だかこちらへの視線も冷たい気がする(-"-;)そりゃあ 夏休みを一番ほしいのは私だってばさっ。この夏が フィリピンで過ごす最後の夏になるわけだし。それに今回は だんなと休みをくつろぐというより来るべき帰国に備えた準備もある……。帰国した先での家探し(涙)も必要だろうし。そんな折にこんな歌詞が目に止まるんだな。 夏が来る きっと夏は来る 頑張ってるんだから 絶対来る (詞・曲 大黒摩季)歌詞をよく読むまで気付かなかったんだけどこれって「目指せ結婚」の女の子がもがきながら頑張ってる歌だったのね。描かれる世界がとても日常的で「この人って作詞すごい上手いわあ」と 改めてうなずいちゃったりしたんだけどとりあえず歌詞の内容とは全然無関係に「頑張ってるんだから 絶対来る」というフレーズに 妙に共感してしまった私……別にいいんだけど このあとこんな歌詞が続くのね。 恐がられても 煙たがられても 諦めない・悔しいじゃない・もう後には引けない一瞬 不幸にもこんな先輩を持ってしまったあの後輩たちの顔が頭をよぎったりしたけど(爆)ええい そんなものはぜんぶ振り払って……確かに もう後には引けない。げその仕事史上 最も暑い夏がやってきそうだけど頑張るぞっ!……時々ちょっと怖いのはこのさい夏休みが消え失せても構わないかもという気持ちになっている自分だな(-"-;)
2005年07月19日
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先週の日曜からきょうまで「今も心に残っている歌」を1回しか書いてない……まずい(-"-;)++++++++++++++++++++++++++++++++++私の心の中で生まれた優しい言葉が口から出ると こんなに軽いふざけた言葉に変わる信じていると そばにいたいと素直に言えずにいつしか遠い あなたの姿に心は縮んでいく悲しみを涙で洗い流すなんてきっと私には 似合わないだろうね鏡に向かって情けない自分を笑い飛ばしたらまた戻っていこう 風の中へあなたのいる街へあなたの前で いじけてみせて悲しい顔してまるで優しさをねだるみたいな自分にあきれ返る悲しみに沈んだ私の顔なんてきっと あなただって望んではいないね鏡に向かって情けない自分を笑い飛ばしたらまた戻っていこう 風の中へあなたのいる街へ ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++高校2年の時の作品。いちおう恋の歌的なテイストを持っているんだけど歌詞の感じといい曲調(ここでは分からないわけだけど)といいどうも前作の「ゆうびんやさんのうた」に似てるんだな(-"-;)早くもネタ枯れし始めていたのか>げそ
2005年07月17日
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日曜日に「復活した!」と書いておきながらまた3日休んでしまいました。仕事が忙しいのもあったけれど、それ以上にまいってしまうことがあったのです。だんなの帰国命令が下りました。この日が来るのを3年以上待ち望んだはずでした。でも……帰国する先は東京ではありませんでした。東京に近いといえば近いけれど、一緒に暮らせる土地ではなかったのです。独りに負けず頑張ってきた結果がこれなんだろうか。天を恨みました。これ以上、家族を犠牲にできない。仕事を辞めてだんなの街に移る選択肢も一瞬頭をよぎりました。「まだそれはやっちゃいけない」だんなに止められました。確かに 自分の仕事はいまものすごく佳境に入っています。自分の間尺に合わない仕事とはいえいま投げ出すことが いいことだとは思えない……。それにいま一緒に暮らしても仕事がこんな状況ではどのみちふたりの時間をじっくり作ることは難しいかもしれない。これまで年に1度くらいしか会えなかったのがこれからはその気になれば月に2回くらいは会えるかもしれない。ものごと 少しでもいい方向に考えよう。そう思えるまでに 少し時間がかかりました。帰国命令があったことを知らせてくれただんなからの携帯電話の着メロになっていたのがこの曲です。 染まりゆく空に包まれて 永久に語らう夢を見た (詞・曲 久保田利伸)独身時代まだこの人と結婚すると思ってもいなかった頃似合いもしないのに カラオケでよくこの曲を歌っていましたっけ。いつか必ずこんな日が私たちにも戻ってくる。落ち込んではいられません。やがて来るその日まで 今の苦境から逃げずにこの正念場を乗り切らなくっちゃ……。あまり明るい話でなくてごめんなさい(-"-;)
2005年07月14日
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窓の向こうの街の景色に紅く彩を添えるゆうびんやさんのちゃりんこがきょうもそろそろ通る頃街のみんなは彼の届ける手紙だけを待って届ける彼の名前すらも知らないことさえ気づかないだけど手紙を開ける街の人の笑顔を見るといつも彼はきっと 手紙にのせて何か 素敵なものを運んだと思うそして次の家へとちゃりんこ転がす姿を見るといつも私もいつか 風にのせて何か 素敵なものを運びたいと思う私のうたうこの歌があの手紙のように確かに あなたの手元に届くようにきょうも時の流れの中を赤いちゃりんこ走らせて歌う私の顔なんて誰も知らなくていいから++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ということで ただいま戻りました♪またいつ休まなければならなくなるかわからんけど(-"-;)これは高校2年になったばかりの頃のもの。どうもこの頃は「私はこんな歌うたいでありたい」みたいなことを書いた歌ばかり目立つなあ……それにしても 郵政民営化が実現したらこの歌の前提って狂っちゃうのかしらん(爆)全然関係ないけど Yahooメッセンジャー導入しました。お持ちの方はどこかで見かけたら声かけてみてください(^^)
2005年07月10日
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NSPの天野滋さんが亡くなったと……かなりショックです……ここで本当なら「夕暮れ時はさびしそう」あたりで日記を書くべきところだけど突然のことでショックが大きくて考えがまとまらないのと明日は仕事の方もむちゃくちゃ大変なので今夜はこれで見送りたいと思います。そういえばここでも「処女航海」(クリスタルキング)の作詞が天野さんだってちびぱく庵さんに教えてもらってすごくびっくりしたのがつい最近のことだった……心よりご冥福をお祈り致します。
2005年07月04日
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……って、もう十分休んでるか(爆)ボーナスシーズンだからなのか何なのか、妙に仕事が立て込んだ状態が続いています。割と短い期間ですむかな、と思い気楽に日記の更新を休んでいたのですが、どうもまだまだかかりそう。仕事で帰宅が遅くなっても書き続けていたのは、これを書くことで自分の心を「仕事モード」から素の自分に戻す楽しみがあるから。でも とりあえずいましばらくは仕事に集中しないといけないみたい。何より 仕事を終えたらできるだけ睡眠を取りたい(-"-;)ということで しばらくお休みすることにしました。たぶんあと10日くらいでおさまる気はするんだけど……もしおひまだったら昔の日記に気に入った曲などあったらそこに足跡など残してもらえたらとても嬉しいです(^^)では おやすみなさ~い♪
2005年06月29日
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総務部長 辰則さんじゃないけれど、仕事に煮詰まってくると「ああ、もう一度ライブをやりたいなあ」という思いが今も断続的に 心をよぎります。そしてどこかで「ちょっと無理だよなあ……仕事も忙しいし(-"-;)」なんて 自分の心にブレーキをかけてしまいます。しかし こういう話を読むと「そうだその気になれば ライブなんてどこでもできる!」と 思わず目からウロコが落ちそうになります。寺内タケシさん 29日に「国会ライブ」……記事中の加山雄三に反応してしまった私(爆)ここで「君といつまでも」を選んだらあまりにもベタ過ぎるので彼の歌で個人的に一番好きなこの曲を取り上げました。 海よ 俺の海よ 大きなその愛よ 男の想いを その胸に抱きとめて あしたの希望を 俺たちにくれるのだ (詞・岩谷時子 曲・弾厚作)初めて聴いたのは子供の頃だったと思いますが、この サビの雄々しいメロディーラインが私は大好きでした。メロディーだけで歌詞がなくても「海をうたった歌だ」と分かりそうな感じがいい!ちなみに ご存じの方も多いだろうけど作曲者は加山さん自身です(前述のアレはペンネームなのね)言わばシンガー・ソングライターのはしり?私にとっては俳優の「若大将」よりミュージシャンの大先輩……という感じでした。 海に抱かれて 男ならば たとえ破れても もえる夢を持とう書かれた時代の問題なのかもしれないけど女だって夢を持っていいよね。夢破れて 傷つくことがあってもそれを恐れずに大きな夢を持つことが難しくなって破れても傷つかずにすむサイズの夢をあらかじめ探してしまうような時代……さもなくば夢が「金儲け」と同義になっている時代……それだけの時代じゃ 何か淋しいよね♪そういえば全然関係ないけど私も中学時代にギターを抱えて歩いていて友達のお母さんに「あんな不良と付き合うんじゃない」と言われていたそうです。別にいいけど寺内タケシさんの時代より10年くらいあとだよ?それも持っていたのはアコースティックギターだよ?どういう感覚で批判してたのかわからん(-"-;)
2005年06月21日
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きのうの「1/2の神話」で、タイトルの表記が間違ってました。ちびぱく庵さん ご指摘ありがとうでした(^^)そういえば きのうの日記のコメントに返事を書いていてヘボやんさんのコメントの中に「大人でもない 子供でもない」と書いてあったのが 妙に気になってます。こういう歌い出しの歌あったよね?確かアイドル系で……これももしかしたら「17歳のうた」だったような。でも曲が思い出せない……誰か憶えている方この日記へのコメントで教えて下さいっ!さて……東京は梅雨の晴れ間。暑くも寒くもない 気持ちのよい1日でした。最近デスクワークが多くて身体に根が生えた感じだったのだけどお昼に久しぶりに 外での仕事がありました。仕事を終えて 遅めの昼食をとりふと思い立って そこから職場まで歩いて帰ってみました。車も激しく行き交う東京の真ん中でたいしてなごむこともないかと思っていたけど途中1カ所だけほとんど車の通らない長くゆるやかな坂道を上るところがあります。歩く視線の先に 青空が目に入ります。きれいだ……。心の中の湿り気が静かに乾いていくような。何か自分が洗いざらしのシャツか何かになって物干しざおの下ではためいてるようなそんな清々しい気もちを思い起こしました。何だか先日も青空のうたを選んだような気もするけど梅雨どきは何度選んでも良いよね。ということでもう1曲。 空を見なよ 雲が流れて行く その先には 何があるか 知らないけれど 目の前には ただじっとこっちを見て うなずいてるおまえがいる Mm…… 同じ気持ちで 明日へ向かおう (詞・まこと 曲・はたけ)この最後の一言が好きです。「同じ気持ちで 明日へ向かおう」だんなに 「恩師」に いま働いてる仲間に 友達に今そう言いたいな。ちなみにこの曲は 歌い出しのこの一言も好きです。 答えはいつか出るから 逃げることはしない
2005年06月20日
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「17歳」っていう年齢にはみんな何かしら 独特の感情を持つんだろうか。子供のころ南沙織の「17歳」という歌が印象に残りすぎてしまったせいなのか自分自身が17歳になった時「17歳の自分を形に残したいっ!」という気持ちがとても強かったのを憶えています。16歳のときも 18歳のときも そんなことなかったのに。それで先ほど投稿した「あと2年と少し待てば」を書いたのだけど……考えてみたらあの当時私の同世代の人たちがこぞってやたら「17歳のうた」を歌っていた気がします。尾崎豊からシブがき隊に至るまで……そして 最も私の印象に残ったのがこの曲。なぜって……例によってタイトルなのだな(爆)「1/2の神話」「あと2年と少し待てば」というのも当時としては相当考えたタイトルのつもりだったんだけどこれにはまいりました。 半分だけよ 大人の真似 あとの残り 純粋なまま (詞・売野雅勇 曲・大沢誉志幸)という歌詞は正直「ちょっとベタ過ぎるんじゃないかな」なんて 生意気なことを思っていた私でしたが「神話」っていうのが良かった。今振り返っても2度と触れることのできない何か特別な日々のような気がする……。考えてみれば「どんこう列車」の活動が一番燃えていたのも新聞に出て一躍「街の有名人」(?)になっちゃったのも初めて恋人ができたのも演劇部で役者として最後の舞台に立ちひとつの夢を失ったのもぜーんぶこの1年間のことだったわけだ(遠い目)みなさんはどうなんでしょう。「17歳」って やっぱり特別な1年でしたか?
2005年06月19日
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心配いただいてありがとうございました。何とか一段落しました。思ったほどひどい状況にはならずにすんだみたいで……でもこれから夏休みまで断続的にひどい状態は続くかもしれません。そもそもげそに夏休みはあるのか?だんなからも「それで、夏はフィリピンに来れるの?」と すでに怪しまれているし(-"-;)まあとにかく日曜日なので……(爆)+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++あいつはいつも 何故だかぼくよりよくできるあいつはいつも 女に囲まれ生きているぼくは何だい ほんとにしがない歌うたいこれぞと誇れるものなど何にも持っちゃいないあと2年と少し待てばやけ酒だって飲めるのに愚痴の苦さものどの奥に流し込めるのに惚れたあの娘は ぼくより優しいあいつに惚れて仲間たちは ぼくより強いあいつのそばへどうせ強くも優しくもないさ ついでに金もないおまけに顔まで悪いときたら 救いようがないあと2年と少し待てばやけ酒だって飲めるのに愚痴の苦さものどの奥に流し込めるのに仕方がないから今夜は水で我慢して早いうちに布団かぶって寝てしまおう勉強したって 優等生にはほど遠い家出したって ぐれてやるにはまだ遠い道を外れる勇気も 実はないくせに言葉ばかりが空回りして 空しいねあと2年と少し待てばやけ酒だって飲めるのに心底酔って我を忘れ 楽になれるのに仕方がないから今夜は水で我慢して早いうちに布団かぶって寝てしまおう+++++++++++++++++++++++++++++++++++ということで、げそは高校2年、17歳になっています。「『17歳のいま』を形にしたい!」ということで作ったのがこれ。本人としてはこれが高校時代の代表作の一つのつもりなんだけど(爆)
2005年06月19日
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あした早いらしいので 今夜はお休みさせてください。というか あすから週末にかけて仕事が佳境に入るのでもしかしたら何日か ここを空けてしまうかもしれません。窓はいつでも大きく開けておくからもしよかったら 過去に紹介した歌の日記にでも散歩してもらえるとうれしいです♪それでは……おやすみなさい☆
2005年06月14日
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きのうの話をもう少しだけ続けさせて下さい。高校時代 演劇部員だった私は1年生の夏秋の学校祭で演じる「スパイものがたり」の稽古のため那須高原に合宿に出かけました。演劇部というと文化部のようですが、合宿の内実は まるで体育会系。朝はマラソンで始まります。役者の端くれなのに体力はからきしなかった私は他の仲間についていくのが精一杯でした。そして おいしい空気をいっぱい吸っての発声練習室内での舞台稽古と続きます。私はこの時点ですでに自分が役者として全く能力がないことがいやというほど身に染みて分かっていました。同級生も 先輩も上手過ぎる。中学時代にどろぼうの役で主役を張ったこともある私だけど女役はまるでだめ。何をどう演じても「女」になれない自分……しかし、この芝居はミュージカルだったのだ。私にとってのアドバンテージは「ギターが弾けること」それしかなかった。稽古がすべて終わった夜に私はおもむろにギターを抱え「歌いながらの芝居」に苦労する仲間の役者さん達とひたすら歌の稽古の相手を続けたのでした。やがて 稽古なんだかただのおしゃべりなんだかわからなくなってきた真夜中。「外に出てみようよ」誰かの一言で私たちは そっと合宿所の外に出てみました。満天の星でした!「星の隙間に夜空が見える」という感じでした。芝居で太刀打ちできない私の劣等感も歌がうまく歌えない 友達の悔しさも何もかもを毛布のように優しく包み込んでくれそうな銀河がそこに横たわっていました。あれほどの夜空をそれから後も私は見たことがありません。 見上げてごらん夜の星を ボクらのように名もない星が ささやかな幸せを祈ってる (詞・永六輔 曲・いずみたく)今は亡き坂本九さんの1960年代の名曲。九ちゃんではなく平井堅バージョンで紹介するのは彼の「Ken's Bar」というアルバムの中でこの曲がカバーされているのですがその中で 九ちゃんとの疑似デュエットが実現しているから。いわば「一粒で二度おいしい」曲になっているからです。2、3年前の紅白歌合戦でこの「疑似デュエット」をステージ上でうまく再現してたので憶えている方もいるかもしれませんね。亡くなった人とのデュエットも可能にするのだから録音技術とはすごいものだと思いますがきれいに音を重ねるにはきっと相当の苦労があったでしょう。平井さんとスタッフの この曲への思い入れを感じます。どんなに見上げてもこの東京じゃあんなに美しい夜空には出逢えないけれどつらいと思ったときにはあの那須高原の星空を思い出したい。九ちゃんも今は あの無数の美しい星たちの中で今度は「見上げられる存在」になってこの歌を空から聴かせてくれているかもしれません。
2005年06月13日
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