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デザインとは何か。デザインなんて分からないなんて人もいる。デザインというのは、文化であり、付加価値だ。同じものが、デザインによって他の何かに変わる。物質が同じで、グラム当りの価値は変わらないのに、モノは別物に変化する。芸術になることもある。芸術になれば、価値はいくらでも跳ね上がる。デザインによって、モノは他のモノに変わるのだ。建築は一つのいい例だ。そのデザインによって、ごみにもなれば、芸術にもなる。物質としての値段は、例えば10億円だとしよう。その価値が、デザインが悪ければ、ごみ同然になり、マイナスにもなるのだ。つまり、取り壊しの値段だけ引かれることになる。片や、それが芸術になり、それは本来、経済価値に跳ね返ってくるはずなのだ。(建築の設計料は最低3%であるが、お金の出し手の理解が深くないため、それは、単純作業の人件費に消えてしまうことがほとんどである。大きな建物の場合は大きなお金となるが、住宅のデザインともなれば、ほとんど経済ベースに乗っていない。)このようなモノの本当の価値を決めるデザインだが、日本の社会ではまだまだ、軽視されている。建築のデザインに払われる対価は、余程の有名で営業上手なデザイナー、建築家でも微々たるものだ。日本人は世界的にも文化先進国になりつつあるが、このデザイン価値の重要性が分かり、それに対価をきちんと払うようになるまで、100年はかかるのではないかと思う。デザインは非常に手間がかかる。諸条件を脳にインプットした上で、数々のブレイクスルーを経なければ、上質のデザインは出来上がらない。それも、かなりの才能を持った人が何年も修行を積んだ上で身に付く一種の神がかりなのだから。本来、ヨーロッパでは、デザイナー、建築家の社会的地位は、弁護士、医者と同等かそれ以上である。ところが、日本ではどうか。建築家の卵は貧乏な生活を送っているうちに、誇りを忘れ、その価値が分からない人間の言いなりになって、自らの価値を落としてしまっている。日本の街はどうか。デザインを理解する人間が少ない。文化度がなかなか上がらないのだ。それゆえ、再開発にしても、街にしても、お金お金の問題がほとんどになり、本来あるべきデザインや、地域のあり方、まちづくりのあり方について、理解が少ない。このような状態を少しでも打破していかなければいけないと思っている。本当に良いデザインとは、人々を幸福にし、それによって豊かな文化生活を送ることが出来るようになるものだ。デザインが経済と分かれてしまってはいけない。デザインに対し、付加価値が払われ、それに対する理解を深めていくことは、日本が21世紀に世界の中で生き残っていくための一つの戦略でもあるだろう。特に建築・ランドスケープは我々が暮らす場所、生きる場所なのだから、そのデザインは本来最優先されるべきなのだ。ただし、誤解はいけない。ごちゃごちゃした、独りよがりのものをデザインと勘違いしてはいけない。良いデザインは、上品で、シンプルで、思想があり、哲学があり、リーズナブルだ。美しいことと、機能性、そしてそれ以上の何かがそろって初めて良いデザインになる。それは、誰が見てもいいものだ。もちろん、良いデザインには、歴史を大事にする思想、土地、地域を大事にする思想がなくてはならない。それは、我々日本人が、受け継がなくてはいけない哲学、思想を受け継ぎ、我々の子供たちに誇りを持って伝えていけるものでなくてはならない。それは、場所、街、国によって、全く違ってくる。バックグラウンドによって、姿を変えるだろう。それは、結局、我々の生活の質を極限まで上げていくことなのだ。
2004.09.25
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デッサンがうまいと思うのは、レオナルド・ダ・ビンチだ。それのみでうならせるだけの実力がある。自分の一つの理想である。それから、ラファエロ、レンブラント、ピカソ、雪舟。そして、感動するのは、フェルメールだ。フェルメールの絵は、自分を幸せにしてくれる。きっと、世界中の人に幸せな瞬間を送りつづけていることだろう。複製でも、感動する。ミルクを注ぐ女は、驚異的な絵である。幸せな時間を留め、その幸せが充満してくるようなイメージがある。幸せと言う時間が止まっているのに、注がれているのだ。ターバンの少女もすばらしい。絵というものの可能性を超えていると思う。芸術は、時間を止め、人生を止めつつも、至福の時間を注いでくれる、人生の糧だと思う。
2004.09.04
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井上ひさしの脚本のみを上演するこまつ座の演劇は最高に面白い。これは井上ひさしの脚本が面白いというのが根本にあるのだろうが、演劇と言う手法を借りて更に面白さが増していると言うのが印象である。演劇の手法としての良さは、もちろん、ライブであると言う迫力、身体感など、本、映画には絶対に無い面白さである。井上ひさしと言う人は、そのことをかなり良く理解されているのだろう。音、りずむ、言葉、光など、駆使できる全ての手法を使ってくる。劇場もその面白さが最大に活きるであろう規模のところしか使わない。300人くらいだろうか。井上ひさしの吉里吉里人を読むと分かるが、爆笑ものの面白さの上に、ほろっと涙するような感情が生まれるのだ。表現するということに特異な才能を持った天才であると思う。ちなみに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もこまつ座の作品でありかなり面白かった。このホームページもあやかりたいところである。http://www.komatsuza.co.jp/
2004.08.20
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