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2007.05.27
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カテゴリ: 西南戦争
本日は久し振りにトレ-ニングへ行きました。

何人かの方からも心配いただいておりますが体調が完全ではありませんのでセ-ブしながらのトレ-ニングでした。もっともそのうち身体を鍛えていくなかで復活すると思います。

さて本日は久し振りの西南戦争について書き記します。


政府軍に比べ物資の量・質共にはるか劣る薩摩軍ではありましたが熊本隊の協力に加え、明治維新の立役者たる誇り・度胸で田原坂周辺では当初、政府軍を圧倒したのです。

しかし戦局打開のため山縣有朋(後の総理大臣)参事は虎視眈々と戦略を練っておりました。

3月13・14日頃は戦局が益々激しくなり政府軍は 警視庁の巡査・約900名を選抜し抜刀隊を編成 したのです。薩摩軍の抜刀攻撃に対し政府軍も抜刀で対抗するということですね。

実はこの抜刀隊編成にも思惑があったのです。抜擢された巡査の大部分は仙台・山形・青森・東京出身者でした。つまり先の戊辰戦争において薩摩軍に苦い水を飲まされた旧藩出身者であれば 薩摩軍に恨みを晴らす 意味でもその闘争心は何倍にも増すということなのです。



これまで薩摩軍の気迫に圧されていた農民出身の “にわか兵” とは技・心身共に全く異なるのであります。

3月15日は西南戦争始まって以来の大激戦となりました。

田原坂本道においても政府軍は惨敗しているのです。

この頃の面白いエピソ-ドがあります。

両軍が塁(とりで)を挟み会話をすることがあったらしいのです。

政府軍兵士が「このところ激しい戦いが続いたので少し休まないか?」と薩摩軍兵士に語りかけると薩摩軍兵士は「そうだな、賛成だ。」と応じるのです。

更に薩摩軍兵士が「そちらには食物がある。酒だってある。少しわけてくれないか?」と問うと政府軍兵士が餅を投げてあげるという何かほのぼのとした光景が随所であったのです。

このエピソ-ドは田原坂での戦闘の激しさと戦いに明け暮れる兵士の虚無感を表しているのではないでしょうか。でも薩摩軍はこの光景を 桐野利秋 さんに見られなくて良かったですね。
万が一見つかろうものなら、 真っ先に斬られていたかもしれません。



記述しておりますが田原坂は一見しますとなだらかな田園地帯です。当時の写真と見比べても地形はそれ程変わっていないです。

しかし坂の幅は狭く結構、急斜面でした。横は2m位の高さの森林で下から進行してくる敵を観察し飛び掛るには絶好の場所との印象を受けました。




   写真は“三の坂”です。
   下るにつれて“二の坂”
   “一の坂”になります。

画像35 010.jpg









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Last updated  2007.05.27 22:53:24
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