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2007.11.17
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昨夜は が降りました。気温が低くはなかったので 湿った雪 でした。とうとう本格的な冬の到来です。(12月生まれで冬が好きな私には過ごし易い季節ではあります。)

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昨日は札幌パ-クホテルで 清水誠一道議会議員 (帯広選挙区)のセミナ-が開催されました。講師は 中川義雄参議院議員 でした。 中川参議 「今、私が思っていること。」 と題し ハゲタカファンド批判・地方軽視の政治を批判 されました。更には真の保守政治による改革の必要性を訴えられました。突如、「 平沼赳夫



では前回の続きといたします。


西郷南顕彰館 南洲神社 に隣接しております。本館は 昭和52年 建設着工されました。その建設費用は 西郷隆盛 先生を敬愛する全国の方からの寄付でまかなわれたそうです。

構造は二階建てですが決して大きな建物ではありません。

余談ですが本館駐車場から眺める桜島も絶景です。城山頂上から眺める桜島の美しさはいうまでもありませんがこちらは城山よりも低位置にありますのでちょうど自分の目線で眺めることが出来ます。

西郷先生 達のお墓もこの高さに位置します。 西郷先生 たちは桜島をご自身と同じ目線で眺めておられるのです。特に “他人に対し偉ぶらず自身と同じ目線で接された” 西郷先生 にとっては格好の場所であるのかもしれません。

こちらは 西郷南顕彰館

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西郷南顕彰館 入場料 大人100円 です。今のご時世で安い入場料であると私は考えます。せめて150円~200円が妥当かと勝手に思っております。

因みに私はこちらの会員ですので入場料は無料です。

私は毎年、こちらに入館しております。5回も入館していると、どこに何が展示されているかが頭の中に入っているのです。



それは恐らく 西郷先生 の遺品を近くで眺めることにより、今は存在しない西郷先生に触れているかの錯覚を味わいたいからなのかもしれません。

しかし今年は例年とは異なったイベントが開催されておりました。


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「西郷南洲生誕180年」を記念して 秘蔵の刀 の展示です。

その内容は何と、 西郷先生 首を刎ねた刀 なのです。つまり 西郷先生 介錯 を務めた 別府晋介 さんが握り締めていた刀です。

私はその刀を見るまでは「さぞや長い刀なのだろう。」と想像しておりました。

しかし実際は刃渡り約60cm~65cmの決して長刀とは言えぬ代物でした。

私はその刀を眺めながら考えました。“首を斬る際に痛みを感じさせず一瞬で事を終えるには仕損じは許されません。そうであるならば長刀は介錯には不向きでむしろ刃渡りが短い方が良いのかもしれない。”

次に 辺見十郎太 さんが西南戦争時、戦地で使用されていた刀を見学することに。こちらは前記の刀とは全く異なり驚くべき長刀でした。その長刀に解説なされていました。内容は下記の通りです。

辺見十郎太 指揮刀 。 新納武蔵守を祭った大口神社に奉納してあった刀を 辺見 が西南戦争の時、持って行った無銘・128cm」


この解説から判断しますと、 辺見 さんは本長刀の使用目的を敵を斬るためではなく、部下の闘争心を鼓舞するために馬上から振り回すために使用していたのかもしれません。

まさに闘将・ 辺見十郎太 のための刀でしょう。

この長刀に驚き前を離れずにいましたらすぐ側に館長の解説を真剣な眼差しで聞いていた初老の男性に気付きました。

よく見ますと 京セラ・稲盛会長 でした。想像していたより背が高く歳をとられていました。

そういえば今朝の風呂で似た方に会った気がしましたがメガネをかけていなかったので判りませんでしたが。

午後からはこの 稲盛会長 の講演を聞くことになっています。何を語られるのか楽しみにしつつ 西郷南洲顕彰館 を後にしました。

その講演まで時間がありませんでしたので昼食は後に延ばすとして “西郷南洲翁終焉の地” に向け車を走らせました。

こちらは読んで字のごとく 西郷先生 が亡くなられた場所の 跡地 です。ということは 別府晋介 さんに首を刎ねられた場所です。城山の麓に位置するのですが 西郷洞窟 からそれ程離れていない場所です。

西郷洞窟を発ってから弾丸の嵐のなかを下山しましたがさほど長い距離を歩いていないのです。いかに政府軍の攻撃が激しかったのかが理解できます。


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私はこちらも毎年、必ず訪問し石碑に手を合わせます。

実はこの場所は 西郷先生 が亡くなった場所ではないのです。実際の場所は石碑が建っている場所より少し城山よりの位置だそうです。






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Last updated  2007.11.17 14:52:40
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