ぎょう乃介雑記

ぎょう乃介雑記

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2006年09月24日
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カテゴリ: 古典日記

別名:曼珠沙華(マンジュシャゲ)

日本中に分布していて、人里近くの道端、墓地、田のあぜ道などに群生しています。
古くは中国から渡来してきた植物だそうです。


万葉集には「いちし」という名前で歌われています。


   (寄物陳思)

巻11 2480「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻を [或本歌曰 いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば] 」

   (柿本朝臣人麻呂之歌集出)

訳「道の傍らに生えているいちしの花のようにはっきりと、みんなに私の恋するあの子の事を知られちゃった、ああ、どうしよう。[或る本には、はっきりと人に知られちゃった。ずっとずっとあの子の事を考えていたので]とある」



例えば、


   (正述心緒)

巻11 2604「思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ」

訳「私のことが浮かんできちゃって、声を出して泣いても、決して人にばれちゃうようなへまはしないでね」


巻4 688「青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな」

   (大伴坂上郎女)

訳「青々とした山の後ろにかかる真っ白な雲は、とても目立つように、私と顔を合わせると、ついつい笑顔になっちゃうから、人にばれないように気をつけてね。」


世間から隠していたのが恋人なのか、それとも夫婦となっても隠すものなのか、不明ですが、夫婦の間柄と言っても「妻問婚」というシステムでは、男女の気が変わればいつでもその関係を解消できたし、その不安定さが逆に、二人の間をさらに緊密にし、二人の関係の維持に全力を傾けていました。
ですから、「恋しなむ」・・・「恋焦がれて死んでしまう」が、今以上に現実もを持った言葉だったのです。

では、現在のような夫婦より恋人に近いかというと、やはり夫婦は夫婦です。


   (問答)



   反歌

   3315「泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣ひづちなむかも」

   或本反歌曰く

   3316「まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば」

   3317「馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我はふたり行かむ」



母が残してくれた形見、私の鏡ととても薄くていきれいなショールをあわせて持っていって、馬を買ってください、あなた」


   反歌

 「泉川を渡る所は深くって、私の大切な夫の着物が濡れてしまうじゃないか」

   或本の反歌にはこうあります

 「鏡を持っていたとしても今の私には役に立たないわ、あなたが徒歩で苦労をして通勤しているのを見ていると、涙で化粧もできないもの」

 「馬を買ったとしても、おまえは徒歩だろう?、それなら石を踏んだとしても、私はおまえと一緒に徒歩で行くことにするよ」


※まそかがみ【まそ鏡】
(語源未詳。「ますかがみ」の変化、また、「まそ」は「ますみ」の変化などというが疑問)
鏡をほめていう語。立派な鏡。

※あきつひれ【蜻蛉領巾】
トンボの羽のように、薄く織った布で作った美しい白い布で、古代、首から肩に掛けて左右へ長く垂らし、装飾用とした。上代の婦人装飾具の一つ。

長歌と2首の反歌が女歌、最後の反歌が男歌の問答形式になっています。
互いが相手のことを気遣った夫婦愛の鑑みたいな歌で、なんとも考えさせられる?歌ですね。自分の財産までも相手の為に使おうと思うことは、一緒に暮らしているからこそ出来ることで、そこに夫婦の原点があるのかもしれません。

この長歌は新婚夫婦の歌でしょうか。
結婚して何年かたった夫婦の間では中々言えないなんじゃないかなぁ、「石を踏んだっていいさ、おまえと一緒なら・・・」。
どうです?






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最終更新日  2006年09月24日 06時45分48秒
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