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何か涙が出る。17歳になった娘が、最近アルバイトを始めたのだが、そのアルバイトで稼いだお金を使って、母親に誕生日プレゼントをあげたのだ。しかも、一切出し惜しみすることなく、かなり思い切った買い物をしたと思う。金額や、商品そのものはどうでも良い。私はこの娘の心意気が嬉しく、涙が出そうになる。お母さんバイトのお金でおめでとう㊗️-- Tsunehiro Nonaka??????@gmail.comSkype: mrmonaka
2021年03月16日

娘が3日間の学校のキャンプから帰ってきました。友達の家にお泊りをすることはありましたが、三日間、親元から遠く離れたところで宿泊するのはこれが始めてでした。三日間、雨が降っていましたが、娘の感想は「すごく楽しかった!」でした。娘の笑顔は曇り空の中の日本晴れでした。キャンプの中身に、12メートルもの高さからロープみたいなもので、急降下するようなアクティビティーもあったそうで、直前まで恐怖でいっぱいだったのですが、実際やってみると楽しかったそうです。恐怖や不安というのは、頭の中で観念的にこしらえたもので、実際にやってみると、恐怖や不安は幻想であったとわかるわけですが、娘はそういう貴重な人生体験をしたようです。私の小学生のころは、飯ごうをつかって、みんなでカレーを作ったりしたものですが、娘の学校では、食事は全てキャンプ場のスタッフが用意したそうです。日本と違って、オーストラリアでは火や刃物を子どもに使わせることにはとても神経質になっているのかもしれません。そして、今回娘ははじめて寝袋で眠りました。私でさえ、寝袋で眠ったことはないのですが、娘は親がしていない体験までしてきたのです。帰ってきた娘は一回り心も体も大きくなったように感じました。でも、ソファーに横になったとたん、ぐうぐういびきをかき始めました。その後、娘は12時間ぐっすりと眠りました。おかえりなさい!そして、ありがとう!オーストラリアより愛と感謝をこめて!野中恒宏
2014年03月29日
早いもので、わが娘も9歳になった。 月日のたつのは早いものだ。 朝は自分でシャワーを浴び、 自分で髪の毛をとかし、 自分で学校へ行く準備をし、 自分でぱくぱく朝ごはんを食べ、 にこにこしながら学校へいく。 と書きたいところだが、 最後の「にこにこ」以外は、なかなかそうはいかない。 娘は気がつくと、メルヘンの世界に行ってしまう傾向がある。 いまごろ、着替えが終わっているころだなあと思って部屋にいってみると、 一人で踊っていたりする。 朝の忙しいときになかなか心の余裕があってよろしいと思うが、 現実はそれをよしとしない。 時間さえ許せば、しばし娘のダンスを見つめていたいところだが、 ここは一番娘のダンスをやめさせ、食堂にほおりこまなければならない。 その後、いくつもの現実とメルヘンの間で何度もかけひきがあり、 ようやく学校に行くことになる。 こんな朝の何気ない一こまも 娘が大人になったとき、懐かしくなるのだろう。 いってらっしゃい! 今日も笑顔でがんばれ! On Wed, Aug 7, 2013 at 10:29 AM, >wrote:
2013年08月07日
私に似たのか、娘がトイレの中で主目的以外のことをするようになった。読書、描画、歌、独り言、風船、人形など様々だ。先日はホワイトボードを持ち込んで一人講義。嘘のようだが本当だ。我らにとってトイレは捨てるだけでなく、人生の楽しさを拾う場なのである。
2012年10月13日
娘が他のクラスメイトたちとともに、老人ホームを慰問し、そこで合唱をしました。多くの方々が喜ぶ顔が目に浮かびます。自分の孫の姿を重ねた人もいたでしょうし、昔の自分の姿を重ねた人もいたでしょうし、今の自分の中にもある「子ども」を共鳴させた人もいたでしょう。娘も見知らぬおじいちゃんとおばあちゃんと楽しいときをすごしたようです。年齢を超えたちょっとしたワンネス体験でした。子どもらの歌声届け秋の日に見知らぬ子どもなじみの歌に
2012年05月22日
8歳の娘が学校の朝のマラソン練習に参加したいといってきた。希望者だけの練習だが、先日のマラソン大会での達成感や自己肯定感がさらに成長したいという思いに結びついているのだと思う。走り続ける娘の姿に私も励まされた。そうだ 。私も走ろう。人生の道のりはまだ長いのだから。
2012年05月21日
娘が学校のマラソン大会で泣きました。涙の訳は自分の努力に対してだそうです。自分に対して愛と感謝の思いを抱き始めている娘に私が感謝したいくらいでした。ところで、私はかけっこが大の苦手。普段も走らずに歩こうとする私。親が抑圧していることを子どもが表現するというのは本当でした。
2012年05月11日
まだちょっと残っているハチミツを使い切らずに、新しいハチミツのふたを開けて使おうとしたら、娘にこういわれた。「ダンスと同じで最初のステップをきちんと終わらせないで次のステップにいっちゃだめなの。ハチミツも最後まで使わなきゃだめ」 娘は親よりも悟っているようだ(笑)。
2012年05月10日
娘といっしょにスターウォーズのクローンウォーズを見た。娘は、クローンの兵士が上官の命令でも、間違っていると思って、それに自らの判断で従わなかったシーンがよかったそうだ。「やっぱり間違っていることはやっちゃだめだよ」と娘。娘が親の命令にも従わないことがある理由がわかった(笑)。
2012年05月10日
8歳の娘が初めて友達の家にお泊り。自分から泊まりたいといったが、泊まる直前になったらべそ顔の娘。歩けなかった娘がハイハイから立ち上がり、歩き始め、いまや舞台の上でダンスをするようになり、今度は親元を離れて友達の家に泊まるようになった。大人になっていくのは何ともビーターチョコだ。
2012年05月07日
子どもと一緒にローラスケートのリンクにきています。アイススケートや乗馬の時もそうでしたが、いるのは圧倒的に女の子たち。ラグビーやクリケットでは圧倒的に男の子たち。男性性と女性性ではエネルギーの表現方法が違う傾向にあるということか?
2012年05月06日
娘のバレエのコンテストが終わった。子ども同様に親もかなりエネルギーを使う一大イベントだ。中には自分の娘のために舞台の背景の絵や小道具まで全部つくる親もいる。それゆえ、舞台の上で創造される様々な「宇宙」は実に多くの人々の意識が反映していて興味深い。宇宙は私たちの意識でできている。
2012年04月30日
8歳の娘がバレエに熱中している。踊っている時は我が子であって我が子ではない感覚になる。それは娘が完璧な調和の中にすっぽり入り込んでいるというような感覚。そこには泣きべその弱い側面も、強い口調で口喧嘩する側面も消えてしまっている。ただあるがままに、流れるままに踊っている美だけがある
2012年04月24日
娘のバレエの先生が泣いたそうだ。聞くと、娘のダンスに感極まって泣いたらしい。娘はダンスを通じて愛を表現できるようになったようだ。愛の前では私たちは言葉を失うのだ。そして、私たちが行き着くところは、究極は愛に感謝することだけなのではないかと思う。
2012年04月12日

イースター休みを利用して家族でスリーモンキーズ(見ざる、言わざる、聞かざるの標識で有名な喫茶店、兼レストラン)にいきました。ここは私たちが結婚パーティーを開いた思い出の場所。ここに娘とこれたのは時空を超えた無常の喜び。
2012年04月09日
6歳の娘が「今日ちょっと面白いことがあったんだよ」といってきました。どんなことか聞いてみたら、「今日お母さんに怒ってくれてありがとう、といったの。おもしろいでしょ」といってきたのです。娘にはいつも「ありがとう」と感謝の気持ちを表現するようにいっていますが、そのことを覚えていて母親にそういったそうなのです。娘のニュアンスからは、普通は怒られることは嫌なことで、感謝なんかは普通しないが、ありがとうといったら面白かったというのが感じ取れました。親が怒ることによって、寝坊しなかったり、栄養のバランスのある食べ物が食べられたり、友達関係の悩みを解消できたり、宿題を忘れなかったり、礼儀作法などが身についたり、いろいろな利点があるので、そのことに気がつきはじめたのかもしれません。お母さん怒ってくれてありがとうおかげで私成長できた
2010年10月10日
娘が歯医者に行ってきた。今日が最終日だった。3回の歯の治療は5歳の娘には相当応えたろう。それでも娘は泣かずに頑張ったそうだ。私はそんな娘がますます愛おしくなり、思いっきり抱きしめた。わが娘痛い注射をされたけど痛みに耐えて喜ぶ笑顔
2009年11月10日
5歳の娘が足にけがをしてから、しばらく歩けない日々が続きました。私と娘が自転車に二人乗りしていたときに、娘が左足を内側にまげたとき、ガチッと車輪にひっかけてひねってしまったのです。娘は悲鳴をあげました。すぐに病院に連れて行き、レントゲンをとりましたが骨には異常がないとのことでした。でも、娘はしばらく歩けませんでした。私は娘に百万回謝りました。昨日、娘が「みてみて!」というので、娘の方向を見てみると、何と二本足で歩いているではありませんか! 私はわが目を疑いました。それまでは、ハイハイをするか、一本足でケンケンをしながら前に進むのがやっとだったからです。昨日、娘が二歩足で歩き始める前、娘は私と会話を楽しみ、本を楽しみ大笑いを何度も繰り返していました。足の痛みなど考える暇がないほど、私と娘は何度も何度も笑っていました。そんな矢先、娘が二本足で歩きはじめたのです。「うれしいからなおったんだね」私はそういいあって、喜びを分かち合いました。やはり、エネルギー状態が高いとその他の領域(娘の場合は足)にもその影響を与えるのだということが如実にわかりました。喜びの効果はすごいと思いました。昨日起こった小さな「奇跡」です。お父さんみてみてみてあるけるよなおったのはねうれしかったから
2009年07月08日

5歳の娘の通う学校のクラスでは小鳥を飼っています。毎週末に誰かが預かって面倒を見るのですが、今回は娘の番になりました。これまで魚以外ペットを飼ったことがなかった娘は興味深深です。娘はよほどかわいいのか、鳥かごの近くから離れようとせず、近くで毛布をかけて床に横になり、寄り添うようにいっしょにいます。鳥は「鳥目」といって夜になると目が見えなくなるんだよ、というと娘は「うそでしょう?」といって信用しようとしません。私もそういわれると自信がなくなってきました。本当に見えないのかしらん?夕方になってあたりがだんだん暗くなってくると、娘はしきりに「まだ鳥は目が見える?」ときいてきます。私が「まだだいじょうぶだよ」というと、「何時から見えなくなるの? 教えて」といってきました。「暗くなったら見えなくなるんだよ」というと、「何時から見えなくなるのか教えてほしいの」といってきました。子どもの考え方というのは面白いものです。週末は小さな家族増えました娘喜び鳥かご添い寝それでは、また。ブリスベンの冬空よりモナカ寅次郎
2009年05月22日
5歳の娘と二人でショッピングセンターで昼食をとっていたときのことです。私が先日、娘の友達といっしょに動物園に行ったときのことを話していました。いっしょに動物園にいったのは娘の親友で、とてもシャイな女の子です。彼女のお母さんによると、私の娘が到着するまでは、娘のその友達はどんな動物にもほとんど興味をしめさず、ただ静かに歩いていただけだったそうですが、娘の姿を見たとたんにすぐに明るい表情になり、二人で動物園の中の様々な動物に興味を示し始め、とても楽しいときをすごせたという話をしたのです。実際、娘の親友と母親は娘に大変感謝していました。その話をしていると、娘が下を向いて目をこすりはじめたのです。「どうしたの?」ってきいたら、「うれしくて涙がでてきちゃった」といってきました。5歳の子どもでも感謝のすばらしさは心の底からわかっているみたいです。それでは、また。下向いて涙がでたのうれしくて感謝の親友娘も感謝
2009年04月15日

5歳の娘とヨーヨーで遊んでいました。昔懐かしいおもちゃなので、私は年甲斐もなくふざけて「これはお父さんの!」といって、独り占めにしようとしました。すると、娘はこういったのです。「それはお父さんとわたしのよ」わたしはてっきり、「それはわたしのよ」というと思っていたのですが、娘が何ともバランス感覚のある大人の答えをしたので、私自身恥ずかしくなりましたが、娘に対しては誇らしい気分になりました。独り占め父さんそれはよくないよ二人で楽し揚々(ヨーヨー)かなそれでは、また。遠くオーストラリアの空よりモナカ寅次郎
2009年04月14日
娘とときどき私の勤務する学校に行きます。先日も学校の主催するディスコに行ってきました(そうです。オーストラリアの学校では学校がディスコを主催したりするのです:驚)。すると、まわりに集まってきた生徒たちが、「かわいい」「かわいい」という言葉をいっぱい私の娘に投げかけてくれたのです。帰りの車の中で、私が「いっぱいかわいいっていわれたね」といったら、「誰がそういってたの? 名前教えて」と娘がいってきました。私が2,3人の名前をあげると、「ほかには?」「ほかには?」と聞いてきました。かわいさや美しさというのは、他の人が決めるものでもなく、また、人間のもつ美しさというのは誰の中にもあるものです。娘には、他の人がなんといおうと、いうまいと、そんなことには関係なく、自分の中にある美に気がついてほしいと思いました。「かわいいね」まわりの人はいうけれどほんとの美はねココロの中に
2009年04月10日
オーストラリアの学校ではディスコがあります。信じられないかもしれませんが、学期末などに学校がディスコを主催するのです。今日、5歳の娘といっしょにディスコに行ってきました。そうです。私が勤務する学校でディスコがあり、仕事もかねてですが、娘といっしょに参加したのです。マウントアイザにいたときは、学校のディスコには一度も行きませんでしたが、やはり、生きる姿勢の基本の一つを「すべてのことにイエスという」というものをすえたいと思い始めたので、とにかくいくことにしました。はじめは、娘はおとなしくして踊ろうとしませんでした。でも、しばらくすると、娘は身体を自然と動かして楽しそうに踊りだしました。なぜ子どもから大人までディスコが好きなのか?それは身体を動かし、ノリノリの音楽を聴き、「いま、ここ」に集中することは純粋に楽しいからだと思います。でも、真に「いま、ここ」に集中できれば、大音響の音楽もダンスもいりません。外側に左右されずに、内面の深いところに幸せを見つけることができます。ノリノリで踊り続ける娘を見つめながら、静かなところで自分の内面に幸せを発見してほしいと思いました。ノリノリで踊り続けるわが娘ココロの奥底幸せ踊るそれでは、また。もう秋かなあと思えるブリスベンよりモナカ寅次郎
2009年04月08日
昨年、ディズニーのキャラクターのアイススケートショーを観てから、すっかりスケートに魅了されてしまった娘は今年からアイススケート教室に通いはじめました。はじめは、氷の上で歩けなかった娘が、今では氷の上でよちよち歩き始めた姿を見ていると、産まれて初めてよちよち歩きはじめたあのころのことを思い出しました。地面の上であろうと、氷の上であろうと、立ち上がって歩くためには、それこそ人一倍の努力が必要です。氷の上で立ち上がろうとしている娘に思わず手を差し伸べたくなりましたが、そこは娘の成長のためにもグッとこらえました(涙)。娘は今ふたたび新たな地平を歩きはじめようとしています。努力が結びつこうとしています。もう一度歩きはじめたわが娘氷の上の努力の結晶
2009年02月26日
「絶対結婚しないの!」 娘はそういって、怒ったような顔を私に見せました。テレビであるカップルの結婚式の様子を紹介しているのをみて、「いつか結婚するんだねえ。お父さん、お母さんありがとうございました、とかいって誰かと結婚してその人といっしょに暮らすんだよねえ」と、私が何気なくいったときの言葉でした。「お父さんとお母さんとずっといっしょにいるの! 絶対、絶対だれとも結婚しないの!」 ここまで愛されていてうれしい限りですが、こればかりは将来変更必至の約束だということは明らかです。娘が結婚するときは、今日のこの言葉を思い出して涙ぐむんだろうなあと今からセンチメンタルになっている馬鹿な父親がここに一匹おります。 「ぜったいに結婚しない」ありがとう将来忘れる悲しさ胸に
2009年01月03日

話は今年のクリスマスにさかのぼります。年に一度くらいはちょっと大きなおもちゃを買ってやりたくなります。そこで、クリスマスに思い切って前から娘がほしがっていたものを買いました。ドーラのお家。ドーラというのは、こちらで人気のアニメの女の子のキャラクターで、娘はもう夢中なのです。そのドーラの二階建てのおもちゃの家が昔からほしかったのです。テレビでも盛んに宣伝していました。私はこの家を買えば、自分自ら家を管理する視点(整理整頓、自分なりの部屋の模様づくりなど)も学べると思い、購入を決断しました。しかし、買ってみてびっくり。家の中にはほとんど何も家具がありません。登場人物の人形もいません。おもちゃの箱にはたくさんの家具や登場人物のおもちゃの写真もいっぱい家の中にある様子が写っています。しかし、実際はそうした細々したものは別売りだったのです。よく観ると、見えるか見えないかの小さい文字で、こうした部屋の細部のおもちゃは別売りだと書いてありました。やられた、と思いました。即座に返却しようと思いました。しかし、娘の喜び様といったらそれはすごいものがあり、文字通り飛び上がって、踊ってその喜びを表現していただけに、娘にはなかなかそのことを言い出せませんでした。そこで、ワイフが名案を思いつきました。てづくりの家をつくる。というものでした。既製のおもちゃの家よりも自分たちの手でオリジナルな家をつくろう、そのほうが娘も喜ぶに違いない、そう考えた私たちは近所の文房具屋で厚紙を買ったりして、準備を整えました。そして、娘にその提案をしたら、案外簡単に受け入れてくれました。娘も箱の表紙の写真と中身の違いにがっかりしていたようです。さあ、いざおもちゃとはいっても家をつくるというのは意外と大変。壁と床のサイズがあわなかったり、一階と二階のサイズがちがってしまったり。。。。。でも、苦労の結果できた家に娘は大喜び。近所の1ドルショップで買った小さなテーブルやいすをつかって、そして、自分なりに壁や部屋の中に色を塗り、オリジナルな家ができました。家族で協力して家を建てた喜びは一生忘れないでしょう。この調子で、本物の家も自分たちの手でいつか手に入れたいと思いました(苦笑)。 手作りのお家に娘は大喜び家族で協力なんでもできる
2008年12月30日
「やった! おねえちゃんができた!」4歳の娘がそういって喜びました。実は、ワールドビジョンという国際的な子ども支援団体を通じて、コロンビアにいる見知らぬ5歳の女の子のスポンサーになったのです。これから毎月少しずつですが、その子に金銭的な支援を送り、その子だけでなく、その子の住む地域も支援していくのです。4歳の娘にもこれからその子を助けていくんだということ、そして、その子とこれからなかよくなっていくということがわかったようです。娘は前から「赤ちゃん(妹)がほしい」といっていましたが、今回は図らずも「おねえちゃん」ができたわけです。 血のつながりや国境をこえて、つながりあえるんだということを学ぶいい機会だと思っています。 娘はうれしくて、2通も手紙を書きました。 これからはうみのむこうにおねえちゃんはなれていてもつながる心
2008年12月28日
4歳の娘が朝から飛び上がって喜びました。そうです。今日はクリスマスです。朝、居間にあるクリスマスツリーのところにプレゼントを見つけた娘は、「お父さん! これみて! サンタクロースがきてくれた!」と大喜びでした。娘は箱を一つひとつあけて、「うれしい」「(サンタさん)ありがとう」を連発していました。1歳のときよりは2歳、2歳のときよりは3歳、3歳のときよりは4歳と、年を重ねるごとに娘のクリスマスに対する思いは強くなってきました。それに応じて、私やワイフの芝居も熱が入ってきました。「サンタさんがちゃんとほしいもの聴いてくれてたんだね!」とか、「ちゃんときてくれてよかったね」とか、私たちも真剣に娘の世界の中で話しかけました。しかし、実際、サンタがいるかどうかなんていうのは、本当はたいした問題ではないのかもしれません。大切なのは、私たち大人が普段子どもたちからもらっている笑顔や大切な人生な教訓への恩返しと考えることだと思います。そして、子どもたちにとっては、贈り物をもらうことと、それに感謝の気持ちを示す大切な機会だと思います。それに、クリスマスは大人も子どももファンタジーの中で生きることのできる年一回の大切な機会だと思います。様々な厳しい状況が進行する今日の激動する世界。せめて、心の中だけはファンタジーをもっていたいものです。 クリスマスうれしさいっぱいとびあがり娘といっしょにさあファンタジー
2008年12月25日
4歳の娘はときどきドキッとするような質問をしてきます。先日も車の中でこういってきたのです。「お父さん、どうして(わたし)まだいきてるの?」 娘なりに深く人生を考え始めた証の質問。いいかげんに答えてはいけないと思い、運転をしながら真剣に考えました。「それはね。花(娘の名前)もみんなも今よりもっと幸せになるためだよ」すると、娘は「みんなってだれ?」ときいてきました。「お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、そして友達とか。花がみんなをもっと幸せにするんだよ。そして、花ももっと幸せになるんだよ」 すると、娘は「えっ。花がみんなを幸せにするの?」と不思議そうな顔。「花のおかげで、みんな幸せな気分になったりするんだよ。これからももっともっと幸せな気分になろうね」今回の娘の問いかけには一生かけて答えていこうと思いますが、娘には幸せになるためには、みんなとのつながりの中で生きているということに気づくことが大切だということをわかってほしいと思いました。 わが娘生きてる理由考えたみんなといっしょに幸せつくる
2008年12月15日

クリスマスが近づいてきました。我が家でも少しずつですが、飾り付けをしてみました。 イエスキリストの誕生を表現する人形たちも飾りました。中央に産まれたばかりのキリスト、そして、それを囲む人たち。私が4歳の娘に「真ん中にいるのだれ?」と聞くと、「かみさま」と娘。「じゃあ、周りにいる人たちはだれ?」ときくと、「ええと、これがおとうさんで、これがおかあさんで、あとはわかんない」と娘。「まわりにいるのもかみさまなんだよ」というと、娘は不思議そうな顔をしました。そして、「神様はどこか遠く上の方にいるだけじゃなくて、どこにでもいるんだよ。心の中にもいるんだよ」というと、「お父さん、へんなの。かみさまはあそこにいるのよ」といって娘は空の方を指差しました。そして、「心の中にはいないのよ」といってきました。「心の中にもいるんだよ。目に見えないけどいるんだよ」というと、「ふうん、へんなの?」といって面白がるような表情を見せてきました。4歳とはいえ、一定の「神様観」ができあがっているのでちょっと驚きました。私が最近様々な文献や講演で学んだ内容を総合すると、私たちの身体は宇宙をつくっている構成物質(素粒子)と同じものからできていて、その素粒子は究極はエネルギーで、「破壊されてなくなったり、何もないところから産まれたりせず、絶えず様々なものに形を変えている」そうです。これは神様の定義と共通するところがあるようで、その意味で、神様はいたるところに存在する、というわけです。私は神様という言い方よりも、宇宙の知性という言い方のほうがすきです。私たちの生活は目に見える世界だけでなく、目に見えない世界ともいっしょに存在しており、その目に見えない世界では絶えず宇宙の知性が私たちを導いているということに確信をもっているからです。こうした考え方は何も真新しいものではないと思います。 日本では古くから生きとし生けるすべてのものに神をみるアニミズム信仰がありました。故三波春夫氏は、「お客様は神様です」といいました。歴史上の様々な芸術は自然の中に神聖なものを発見し、それを感動的な芸術作品に仕上げてきました。4歳の娘にここまでわかってもらうのは難しいと思うので、とりあえず、娘の中に「????」という疑問をつくってもらうことにしました。将来の人生や宇宙の理解の土台にしてほしいと思いました。でも、まあ、強制するつもりは毛頭ないので、娘なりに理解してくれるのを気長に待とうと思いました。 かみさまはこころのなかにもいるんだよいつもどこでもおまえを導く
2008年12月05日
4歳の娘は週に一度水泳教室に通っています。ですが、最近ちょっと消極的です。昨日も「プールいくのかなしいの」といって泣きそうな顔をしていました。娘の「プールに行く→やだ」というパターンを変えなければいけません。そこで、最初にチョコをあげました(ちょっと邪道ですが:笑)。すると、そこで娘の表情に笑顔が戻りました。プールに入ると、同じくらいの年の子が泳いでいるのを見て、私は「みてごらん。みんな楽しそうに泳いでいるよ。だれも沈まないよ。花の身体にはいっぱい空気がはいっているからプクプク浮くんだよ」といいました。そして、娘に「プクプク浮きます。プクプク浮きます。ときどきぶくぶくオナラします。プールはこわくない。おかあさんはこわい。」と5回くらいいわせました。そうすると、娘はニコニコしてプールに入っていきました。不思議と娘はこれまでためらっていた飛込みや長い距離の泳ぎもその日はできたのでした。だれでも自分の中にマイナスのパターンをもっていますが、それを壊してあたらしいパターンをつくりあげれば、新しい行動が産まれるということを娘が証明しました。これから成長していく過程で様々な不安が娘の中に起きるかもしれませんが、どんどん新しいパターンをつくって乗り越えていってほしいと思いました。 それでは、また。*ほんとはねおよぐのぜんぜんこわくないたのしくなればなんでもできる
2008年12月01日
娘に自分の仕事ぶりを見せるのは親として喜びの一つです。今日は4歳の娘を一年間を締めくくる表彰式のセレモニーに連れて行きました。一年間がんばってすばらしい成果を収めた生徒たちを表彰するセレモニーです。私の仕事は舞台横のドアの前に位置して、せいとたちの出入りを管理することと、日本語の授業で特にすばらしい成果をおさめた生徒に記念品を渡す役割でした。慣れない環境で、はじめてみる人たちに囲まれてはいましたが、みんなから「かわいい」といわれ、娘もまんざらではない様子(笑)。でも、基本的には不安なようで、私にいつも寄り添っていました。そして、私が舞台の上に立って、最優秀生徒に記念品を渡す番になっても、娘は舞台の袖に隠れて私のことをじっと見つめていました。セレモニーが終わって、私は娘がさぞ退屈しただろうなあと思って、恐る恐る「ちょっとだけ楽しかった?」と聞いたら、「いっぱいたのしかった!」という答えが帰ってきました。 人生を最大限に生きる子どもの本質が言葉となって表現されたわけですが、私たち大人にも大きな示唆を投げかけるものだと思います。どんなちょっとしたことでも最大限に楽しむ。これって結構大事だなあと思いました。わが娘いつでもおまえ最大限どんなときでもどんなことでも
2008年11月27日
4歳の娘が私の机のところにやってきて、「ちょっとシークレットがあるから」といって、耳元に口を寄せてきました。聞くと、「赤ちゃんが3人できたの」といってきました(笑)。そして、娘はお母さんの役をやっているようでした。「さあ、お父さんねますよ」娘はそういうと、ベッドに子ども用の毛布を敷いて、枕を二つ並べました。「さ、ねますよ」と娘。1分ほど横になると、「赤ちゃんが泣いてる。いかなきゃ」といって娘が起き上がりました。そして、そのあと戻ってきて、2分ほど横になると、「朝ですよ。おきてください。いそがしいんですから」と娘がいいました。私たちが口癖のようにいっている「忙しい」が娘に伝染したようです(笑)。娘はこうした「お母さんごっこ」をこのごろよくやります。そのたびに、おもちゃの赤ちゃんを抱えて、あっちこっち忙しそうに動き回ったりしています。そして、真剣な顔をして「本当のあかちゃんがほしいの」といってきたりします。遠く日本やコロンビアから離れて暮らす私たち家族。娘にとっては、もう一人妹か弟がほしいというのは大人以上に切実な願いなのかもしれません。そろそろ真剣に二人目を考えなければいけない時期かもしれません。 ままごとで母さん演じる娘かな思いは本物赤ちゃんほしい
2008年11月09日
4歳の娘がちょっと熱をだしました。いつも走り回っている娘が今日に限ってはだるそうにしていました。それでも娘はいつものようにバレエ教室に行って、最後までがんばりました。私ならうちでごろごろしていただろうに。家に帰ってからさすがに熱があがりました。娘にできるだけ多くの水分を与え、解熱剤を与え、ゆっくり休ませました。ちなにに、病気というのは、身体がその人の人生について何か大切なメッセージを送っているんだ、ということを読んだことがあります。つまり、その人が、身体、感情、知性、人間関係、お金、精神、などなど様々な人生の領域で大切にしていない、焦点をあてていない、あるいは愛していないことを気づかせてくれるのだそうです。娘は普段からがんばりやで、毎日私たちの家庭の仕事を一生懸命に手伝ってくれます。保育園や遊びで疲れているのに、いろいろ皿洗いや庭の草花に水をあげることなどをしてくれます。私が疲れているから休んでなさいというと怒るほどです。だから、今回の熱は「ちょっと休んだほうがいいよ」というメッセージだったのかもしれません。また、最近、私の仕事が忙しくて十分にいっしょに時間をとってなかったので、「もっともっと子どもに愛情を」というメッセージだったのかもしれません。私はできるだけ娘によりそい、薬を与える傍ら、食事を与え、話をしたり、いっしょに娘の好きなバレーのビデオを見たりしました。そして、幸い、夜になって娘の熱が下がりました。私と娘がメッセージにこたえたので、症状が消えたのかもしれません(笑)。 わが娘すべてに懸命熱が出た今日は特別パパとおやすみ
2008年11月08日
4歳の娘がよく怖がります。家の中の灯りのついていない部屋に行くことも怖がりますし、夜一人で寝ることも怖がります。娘を元気づけようと、「おばけなんかないさ、おばけなんかうそさ♪」という例の歌を歌ったら余計にこわがって泣き出してしまったこともありました(苦笑)。そういえば、私も子どもの時分怖がりで、一人でお風呂に入るのも怖かった記憶があります。母親によれば、指に塗る赤い薬をみて泣き出したこともあったそうです。私のそうした怖がりのところが娘に遺伝したのでしょうか(笑)。子どもは純粋な存在で原始的、根源的なものにまっすぐに反応するといわれているので、私に感じない何かを感じているのかもしれません。いずれにしろ、人生にはお化け以上に怖いことがいっぱいあります。しかし、人生をより充実したもにする秘訣はそうした恐怖や不安にいかに打ち勝つかにあると思います。私には答えはありませんが、ひとついえることは、人間は一人で生きているのではなく、その他の人々の支えの中で生きているということで、その認識の中で不安が克服できるのではないかと思います。娘はより充実した人生を送るための第一歩をふみだそうとしているのかもしれません。 こわいけどとうちゃんかあちゃんついてるよ一人で眠る娘をみつめる
2008年11月07日

4歳の娘がこのごろ、庭の花によく水をあげてくれます。以前は庭に花などはなかったのですが、先日、日本とコロンビアからそれぞれおじいちゃん、おばあちゃんが来てくれて、庭に花を植えていってくれたのです。毎日娘は思い出したように、「あ、お花に花をあげなきゃ」といって、重いバケツをもちながらもくもくと水をあげています。おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出が花という形になっているようで、そうした思いを大切にしているような感じすらします。おじいちゃんもおばあちゃんも遠い国に帰ってしまったけれども、この地球という同じ大地にしっかり足をふみしめて生きているということを思い出させてくれる花でもあります。地面の下の根っこはひょっとして日本とコロンビアとつながっているのかもしれません(笑)。今日も庭の花は静かに私たちを見守ってくれています。水をあげみんなとともにいきていくとおくにいてもつながるいのち
2008年11月06日
このごろ毎朝、4歳の娘が決まって言うのは、「お父さん、学校いかないで」という言葉です。私といっしょに遊びたいのに、学校に出勤していく父親に対していう言葉です。そして、いつも怒ったような真剣なまなざしでこう聞かれます。「どうしていくの?」ここで「働かなきゃならない」とか「お金がいるから」というような答え方はしたくないと思っています。やはり、娘には職業というものは単に金銭的な観点だけでなく、生きがいや生き方のような本質的なものに結び付けてほしいと思っているからです。では、4歳の子になんとこたえるか?いつも頭を悩ませるのですが、私がよくいう答えは、「たのしいから」「生徒たちにもっと日本のことをしってもらいたいから」「生徒たちがもっと学びたいから」というようなものです。どこまでつたわっているかわかりませんが(実際言葉では私の意図は伝わっていないでしょう:苦笑)、いつも私がそう答えるたびに、「うん、そうか」とうなづいてくれるやさしい娘。言葉云々よりも、やはり父親の背中というか、仕事をがんばっている姿をみせることが一番大切かなと思っています。行かないでいっしょに父さんあそびたい背中みてくれがんばる父ちゃん
2008年08月28日
4歳の娘が台所で「くさい! くさい!」といいだしました。「おとうさん、おならしたの?」と娘。違うよというと、「お母さんかな?」と娘。再び違うよ、というと、「たくあんがおならした!」そういうと娘はたくあんの入れ物に顔を近づけて確信を得たような表情をしました。考えてみれば、たくあんのにおいはそのにおいに近いかもしれません。娘も擬人法というか比喩を使って物事を表現できるようになったかと感慨深くなりました。娘がコリコリたくあんを食べてます。たくあんとおならのにおいにているね違う二つをつなぐ娘よ
2008年08月25日
先週から日本人のプレイグループに参加するようになりました。参加メンバーをよく見ると、旦那さんがオージーで、奥さんが日本人というケースが多いようでした。毎週違った公園に集まって子どもどおしを交流させようというわけです。でも、親どおしのおしゃべりや情報交換もわりといいなあと思いました。そして、何よりも日本語をしゃべれるのがうれしいです。娘もそのプレイグループがお気に入りで、今日も行く前から早く行きたいといっていました。ひんぱんに日本にはいけませんが、日本人のコミュニティーの中で何か日本人や日本文化の大切な部分を学んでもらえるきっかけになればいいなあと思っています。やはり、私との交流と日本からのビデオだけではカバーできない何かを学べるんじゃないかなあと思っています。私自身、日本を出るときには日本のいやな部分しか目に入りませんでしたが、今は日本のいいところも目に入ります。日本を離れて8年。ようやくバランスをとりもどした感じです。日本語でプレイグループあそべるよ日本文化をすこしでも
2008年08月23日
4歳の娘が最近、「恐竜はどうして死んじゃったの?」という質問を繰り返ししてきます。私は娘にもそれなりにわかるように、説明し、そのたびにわかってくれるのですが、次の日になるとまた同じ質問をしてくるのです。ときには同じ日に二回聞いてくることもあります。よく観察すると、どうやら娘は自分の不安を払拭したくて、何度も確認をとっているようなのです。つまり、娘にとっては恐竜というのはその名のとおり怖い存在で、絶対に目の前に現れてほしくないのです。そこで、絶対に自分の目の前に現れないことに確証をもちたくて、何度もそれを確認してくるようなのです。今日も娘に同じ質問をされました。そこで、ちょっと違う答えをしてみました。「恐竜まだいるよ」と私。「えっ!」とものすごく驚く娘。「とかげやワニは恐竜の仲間だよ」と私。「でもこわくないよ」と真剣な顔でその恐怖心を消し去ろうとする娘。悪い父親です。すると娘は、こういってきました。「どうしてワニが恐竜の仲間なの?」今後しばらくはこの質問を毎日されそうです(苦笑)。ちなみに、小さな子どもの心の中には生物の原始的な側面がどこかに残っていて、だからこそ、恐竜に非常に盆間に反応するんだ、という説をどこかで呼んだことを思い出しました。こわくないだってとっくに死んじゃったトカゲもワニも怖くないのよそれでは、また。遠くオーストラリアの空よりモナカ寅次郎
2008年08月08日
4歳の娘が突然私にむかって、「結婚してくれ」といってきました。「どうして結婚という言葉を使ってきたのか?」「どうして男言葉なのか?」「どこでそういう言葉を学んだのか?」などいろいろな疑問が巻き起こりましたが、あまりに自然な問いかけに「お父さんと結婚したいの?」と」きくと、「お父さんとお母さんと結婚したい」といってきました(笑)。どうやら、娘にとって結婚というのは大切な人と愛情いっぱいの関係になることであるというようなことは理解しているようですが、まだ制度のレベルでは理解していないようです(笑)。でも、そのうち、見ず知らずの男を連れてきて、「この人と結婚したい」とかなんとかいってくる日がくるのでしょうか。それでは、また。無邪気にも父さん母さん結婚したい真剣眼(しんけんまなこ)笑顔忘れる
2008年07月27日
散歩していたら、4歳の娘が周囲の木を眺めながら「どうして木は上にのびるの?」ときいてきました。そこで、私は「それは太陽が大切なエネルギーをくれるからだよ」といいました。あらためて考えてみると、わたしたちは日常生活に追われて空を見上げたり、太陽をみたりしませんよね。太陽は心身ともに大きなエネルギーを地球上の私たちにもたらしてくれます。太陽のおかげで動植物が育つ側面が大きいことは否定できない事実です。娘のおかげで、その単純でも大切なことを再認識することができました。わが娘ぐんぐん育て木のように輝く笑顔太陽のよう
2008年07月11日
4歳の娘と散歩していたら、「どうして大きい家と小さい家があるの?」と質問してきました。そこで、「お金をいっぱいもっている人が大きい家をもていて、あまりもっていない人は小さい家をもってるんだよ」ととっさにこたえました。将来でっかい家にすみたいと思っている私としては、とても大切な質問でした。あらためて有効にお金をためて、大きな家にすみたいと思いました。娘は今住んでいる家が大きくて大好きといいました。なんとつつましい娘なのでしょう。幸せだ小さい娘と暮らす日々小さい我が家大きいハート
2008年07月10日
4歳の娘とはじめてスケートに行きました。娘も私もなれないリンクで、あっちこっちさまよっていました。娘も産まれてはじめてのスケートに必死でした。そして、こういたのです。「怖いけど大好き!」なんと正直で正確な自己表現だと思いました。物事には二つの側面があり、両方を認識することによって人生がより充実したものになるということを娘なりに表現しているのだと思いました。はじめてのスケートしたのこわいけどとても大好き輝く笑顔
2008年07月09日
4歳の娘はよく赤ちゃんの翻訳をしてくれます。今日家に遊びにきていた友人の1歳にも満たない赤ちゃんがなんでも口にいれてパクパクやってしまうので、私がそれを止めようとしたら、娘はいいました。「早く歯がほしいからかむの。だからやらせてあげて」なるほど。歯茎に刺激をあたえると、歯が出やすくなるのか。娘が1歳のころもそういえば、よくなんでも口にいれていたっけな。今は全部歯がはいそろいましたが、それでも、いまだに何か食べ物以外でも口にいれてしまう娘でした。歯がほしいだから毎日パクパクよ乳児の心理的確見抜く
2008年07月08日
4歳の娘が最近前髪を切りました。これまでは真ん中から二つに分ける感じだったのですが、今は前髪がおそろいになりました。前髪一つでずいぶん印象がかわるのだなあと思いました。娘も気に入っているようで、鏡の前でニコニコしながら自分の髪型をみつめています。そういえば、最近服装やもちものにずいぶんこだわりを見せるようになりました。シャツやスカート、外出用のバッグ。。。。ちょっと前は、そこらへんにあるものを着せればよかったのですが、今ははっきり「いや!」といいます。先日は、耳にピアスをしたいといってきました。実は産まれる前に、ワイフと話したことがあったのですが、ワイフは乳児の段階で耳に穴を開けよう派でした。私は耳に穴を開けるかどうかは本人の意思に任せよう派でした。結局、娘はピアスを空けたいと意思表示をしました。「耳に穴が開くとき、痛いけどいいの?」といったのですが、娘は平気といいました。痛い思いをしてまでファッションにこだわる姿勢は私には到底理解できませんが、娘にとっては、そういう痛みを超えたところに喜びがあるのかもしれません。痛くても私は耳に穴開ける大人の痛みを体験したい
2008年06月17日
先日、家族で近所のショッピングセンターに行きました。時刻はちょうど5時をまわりかけていたところだったので、いろいろな店があわただしく閉店の準備をしていました。そのうちの一つがドーナッツ屋で、売れ残ったドーナッツをいくつもの紙袋にいれはじめました。興味があったので、「それ安く売るんですか?」ときいたところ、「どうぞ、もっていってください」と無料で二袋もドーナッツをくれました。一つの袋には二つのドーナッツが入っていたので、合計4つもドーナッツをもらいました。ほんの20分くらい前には、1個日本円で最低200円もするドーナッツを買おうと行列ができていたのですが、わずかな時間差でただでもらえたのです。何か得した気分になりました。4歳の娘も目を輝かせて「ちょうだい!ちょうだい!」といって、ドーナッツをほおばっていました。その晩、娘がもがくように泣き出しました。何がどうしたのかわからなかったのですが、娘が何かをはきそうなそぶりを見せたので、はかせたところ、さきほど食べたドーナッツの成れの果てがでてきました。娘はそれをみて、「もう絶対ドーナッツは食べない!」と大きな声でいいました。「そうだね。これからは果物みたいな甘いものを一杯食べようね」と私はいいました。ただほど高いものはない、とはよくいったものです。無料のかわりに苦しい思いをするという代償を払うことになったのですから。世の中はやはりバランスよくできているなと感じざるを得ませんでした。ドーナッツ二度と食べない絶対に娘の決心いつまでもつか
2008年06月15日
4歳の娘は毎週ピアノ教室に通っています。日本のスズキメソッドを採用したピアノの個人教室で、いつも先生のポジティブで愛情豊かな指導には心から感謝しています。娘も毎週楽しみにしているのですが、やはり4歳という年齢ではコントロールできないことも多々あって。。。。昨日、ピアノ教室に行く直前娘は眠ってしまったのです。何とかピアノの時間には起きたのですが、どうも眠気眼でレッスンを受けることができませんでした。せっかく娘のために貴重な時間をさいてくださっている先生を前に私もワイフも生きた心地がしませんでしたが、先生は、いつものように温かい視線を娘に投げかけながら、大丈夫ですよ、といって、また翌日(今日)着てくださいと時間を調整してくださいました。そして、今日。こともあろうに、またレッスンの直前に娘はすやすや眠ってしまったのです。そのことで先生に電話したところ、やはり温かい声で、「そのくらいの年齢ではよくあることで、そのこと自体は全然問題ないですよ。私たち大人にできることは何度でも時間を調整して子どものために学ぶ場をつくってあげることですから」という、またまた心のこもった言葉をいただいたのです。鈴木メソッドの創設者である鈴木慎一氏は、愛を基調にした音楽教育を提唱していたわけですが(詳しくは「愛に生きる」(講談社現代新書)をお読みください)、そうした鈴木氏の愛情が時代をこえて、国境をこえて、言語の違いをこえて、今、私の娘に注がれているのだなと思わずにはいられませんでした。そんな親の思いをよそに、娘はいびきをかいて眠っています。鈴木氏の深い愛情海を越え時代をこえて娘にとどけそれでは、また。遠くオーストラリアの空よりモナカ寅次郎
2008年04月22日
娘が4歳の誕生日を迎えました。朝一番に、ワイフといっしょに「お誕生日おめでとう! 4歳になったよ!」といいました。娘は眠い目をこすらせながら、自分の体をじっと見つめて、悲しそうにこういいました。「大きくなってないよ。。。。どうやったら、大きくなれるの?」娘は4歳の誕生日になったら、体もグンと大きくなると思っていたのでしょう。子どもの考えることというのは真っ直ぐで好きです。「少しずつ大きくなるんだよ。一生懸命、本読んで、スポーツして、歌って、踊って、お話して、そうしていると大きくなるんだよ」「ふーん」娘はわかったようなわからないような表情をして、そういいました。私は娘が成長について質問したこと自体が大きな成長だと思いました。いい質問はいい答えを生み出すからです。娘はこれからも自分の成長に多くの質問をもって、さらに成長していくのでしょう。おめでとう!どうしたら大きくなるのわからない大きな疑問成長したね
2008年02月05日
先日、朝、私がシリアルを床にこぼしてしまいました。3歳の娘もよく床にこぼすので、親としては絶対にやりたくないことの一つだったのですが、こぼしてしまいました。娘がこぼすと、私たち親は注意します。時には怒ってしまいます。今回は私がこぼしました。私はすぐ娘に謝り、こぼしたシリアルを拾い集めました。娘の反応を待ちました。すると、娘はニコッと笑顔を見せて、「大丈夫よ。怒っていないから」といってくれました。娘の心の大きさに感動した朝でした。大丈夫だれでも失敗するからね娘の心意外に広大
2008年02月01日
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