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作詞:村上実 作曲:山木康世 編曲:瀬尾一三 歌詞前大きくのせたから今回はひかえめに発売年:1975(昭和50)年2月21日 2nd single 1975(昭和50)年6月1日 2nd album『ふたり乗りの電車』に収録 1976(昭和51)年11月21日 『歳時記』(best album) 1978(昭和53)年11月1日 『THE BEST ふきのとうベストVol.1』 1980(昭和55)年7月21日 『LIVEアンコール やさしさとして想い出として』 1984(昭和59)年11月21日 『ふきのとうライブ 日比谷野外音楽堂』 1987(昭和62)年10月21日 『緑輝く日々 日本武道館LIVE』こうしてみると、たくさんのアルバムに収録されていて特にコンサートでは、お客さんと皆で一緒に歌った歌ですね。。♪南風吹いたら 吹き流し流れて~5月になったので、この歌にしてみました。春らしい明るい気分になる詞。作詞は、当時の事務所の社長だった竹内氏(のペンネームらしい)から詞を渡されて、元の歌詞に♪この街に慣れようと 泣き笑い覚えて 変わらぬ暮らしに 季節を見つけた~この部分、東京に暮らし始めての心境を山木さんが詞を付け足して、メロディーを完成させたそうです。『録音当日アレンジャーの瀬尾一三氏は春の日のように暖かいサウンドを創った。冒頭からハープアルペジオ。長い冬が終わって待ちわびた春の雰囲気を見事に表していた。間奏での大空を突き抜けるようなエレキのフレーズ。「白い冬」のときに感じた感動とは違う感動をミキシングルームで感じていた。 しかし、これは「白い冬」よりは売れないだろうと感じた。でもこちらの唄の持つ雰囲気の方が僕は好きだった』(山木康世・「新しい朝」より)アレンジはロボやビージーズ風に…と瀬尾氏に注文、とありビージーズはともかく、ロボってどんなの?と思って探しましたYouTube - 片想いと僕 Loboやさしい雰囲気が似ているでしょうか。YouTube - 南風の頃 ふきのとうゴールデン☆ベスト ふきのとう ALL SINGLE SIDE-A COLLECTIONS ←ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)
May 1, 2010
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作詞・作曲:細坪基佳 編曲:瀬尾一三発売年:1979(昭和54)年5月21日 7thアルバム『人生・春・横断』収録 1980(昭和55)年3月21日 LP『ふきのとうLIVE/風をあつめて…』 歌詞「沫雪」と書いて「あわゆき」と読みます。読めへんやろー! と怒られそうですが…まぁまぁ。。辞書にも「泡雪:泡のようにやわらかく消えやすい雪。」あまり使われない字として「沫雪とも書く」と注釈があります。万葉集にも出てくるそうです。私はいつも「飛沫」とか打って変換させていますが…(辞書登録するほど、しょっちゅうは使わないので)「泡雪」よりは、「沫雪」のほうが趣がありますか。。。?タイトルも色々苦労して、考えていらっしゃるのでしょう。私は「あわゆき」と聞くと、「淡雪かん」を思い出してしまう。卵白を泡立てて寒天で固めて作るお菓子ですが、ご存知でしょうか。。。?私の母は家で菓子など作らない人でしたが、小さい頃、近所のおばちゃんでこれをよく作ってくれる人がいました卵黄も火を通して裏ごしして、その淡雪かんの上に散らしてあって、白と黄色の、きれいな卵色をしたお菓子だったのですが、私は、あんまり、それが好きでなかったことを思い出します。。。今も、あんまり、食べたいとは思わないなぁ。。。話が脱線しました。。^^;歌の「沫雪」のほうですが、すぐにとけてしまうはかない雪に「愛した人」の思いをたとえて、あの人の愛も、あの沫雪のように流れていった…哀しい歌です。♪薄ら陽(うすらび)と 空のはざまを舞い …というところが、美しくて好きです。こういううっすらとした雪は春先にふるもののことを言うそうですが歌詞にも「春を待ちきれないまま」とありますし。雪の多い北海道の人ですから、雪に対して、こまやかな表現が感じられるような… 気がしています私は、上のライブ盤がCD化された『ふきのとうLIVEプラスワン』(2000年)で初めてこの曲をきいたので、ライブバージョンの歌が、とても好きです。スタジオ録音のものとは、サビの声の伸びがちょっと違うような。トークも非常に楽しいです。 もう再販されないのかな…『ふきのとうGIFT BOX』では『冬』のdiscに収録されています。 このジャケ写真、同じ時のですね 試聴はこちら
Oct 8, 2007
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京都府の中丹文化会館です。桂米朝一門会の落語は、割と頻繁に(年1回程度)来てくれます。毎回行けるわけではありませんが、私は今回で3,4度目ぐらいかな?(前回は米團治さんの独演会で地獄八景亡者戯だったのでとても印象的だった) 桂吉弥さんは初めてなのでぜひ生で拝見したい!と思いチケットとりました。 二人会なので米團治さんと吉弥さんがメインなのですが、最初には若手の桂團治郎さんで「看板のピン」というサイコロ博打の噺、次には米團治さんで「青菜」という噺。さすが師匠の貫禄。お酒の飲み真似などもとても楽しかったのですが、やはりこの方は品があり、面影が亡き米朝師匠にも似てきはりました。 続いて吉弥さんで「茶の湯」という噺。この方は2007年の「ちりとてちん」草原兄さんでご出演以来、TVでは度々ご活躍を拝見するものの、私がまだ生の落語をお目にかかったことがないもので、楽しみにしていましたが、見た通りの、可愛げのある落語をなさるかたでした。 中入り(休憩)をはさみ、吉弥さんで「短命」という噺。美人薄命で…という内容。 トリは米團治さんで「天王寺詣り」という、大阪の四天王寺さんが出てくる噺なので上方落語にしかないという。多くの演目は東西どちらもあったりするそうですけどね。 落語は好きですが、全然マニアではないので、スタンダードな噺だそうですけど私は初めて聞くものばかりでした。毎回どんな噺なのかなと、楽しみです。 今回は最後に米團治さんが、本日の演目を教えてくださり助かりました。そうでないと、これまでは演目もわからなくて、話の内容から想像してネットで調べてましたからね(笑) そして1年後に、ここの同じ会館で、米團治さんの会が決まりましたと報告(わーい) なんと還暦の記念だそうです。お若く見えるがもう還暦なんですねー。ぜひ行きたいと思います。桂米朝[三代目]/THE 米朝(CD+DVD)(CD)にほんブログ村
May 27, 2018
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「メリークリスマス」作詞曲:山木康世 試聴はコチラ♪街はクリスマス 銀世界だ…でもこれは 一人ぼっちの哀しいクリスマスソング淋しいメロディーの山木ワールドです先日のライブでも、歌ってくださいました山木「無理な歌詞が何箇所かありましたが…」というのは「早いもので二つ年をとったね」が「三十ぐらい年をとったね…」ということと、「やせた君は…」。。。。。。。。。。最後に「メリークリスマス」というささやきがステキなのですが、ライブでは「♪ビルの谷間に~」と同じメロディーで歌われてました。。♪石油ストーブに体寄せて 僕はちぢこまって…これもね…以前は灯油のファンヒータを使っていましたが前住んでいた所は、結露がひどくカビが大量発生して…もうそれで懲りて、今は電気の床暖・エアコンのみで3度目の冬です電気が使えなくなると、支障が出てしまうのですが…(そのことにはあまりつっ込まないでね、コックン)石油ストーブに体を寄せるという光景は、汚いクラブの部室を思い出させる、遠いものになってしまった。
Dec 24, 2006
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小田さんソロバージョン(2001年)もありますが、80年代サウンドも好きなのです。これ聴くと、夏も終わりかな…ていう気がします詞・曲:小田和正 (1988年)【送料無料】スティル・ア・ロング・ウェイ・トゥー・ゴー価格:3,066円(税込、送料別) ←ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)
Sep 4, 2011
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ぽかぽか陽気の中、地域の春のまつりがあり、鼓笛隊を先頭に、子供みこしなどが町をパレード。今日は暑かったね~…私も、小学校の高学年のとき、鼓笛隊で小太鼓たたいてました…これはその当時の昔の写真 やっぱり季節は春でした こちらのほうが、「昭和の日」っていう感じでしょうか…
Apr 29, 2007
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マンドリンにも当然のことながら、色々なメーカー(製作者)があります。私が今持っているのは、大野という楽器です。(なぜかメーカーという言い方はしなかった・・・)これは何の写真かというと、マンドリンはギターと同様、穴(ホール)がありその中から胴の内側を写してみたものです昭和63年製作 大野政廣 というサインが見えます。当時は私のいたクラブはカラーチェという種類のばかり使っていました私も最初はそれを使っていたのですが、中国ブロック合同演奏会というもので他の学校との交流がありそこで見た広島大の学生達の「大野」の楽器に惹きつけられました。何というか、音が太くて良いしヘッドの先が渦巻いてるのもかっこいい。それから・・・1年半ぐらいたったかな・・・毎年、1年生は秋の定演前に自分の楽器を購入することになっていました懇意にしている広島の楽器屋さんが販売の為色々用意してきていた中に、1本「大野」が混じっていました。。。私は4年だったので、欲しい!と思いながらその時は見送ったのですが数日後、「あの楽器まだありますか」と確認してから衝動買いしたのでした。4年ももう終わろうという時期に、友人からは「アホちゃう?」という目で見られ親に借金しながらローンを組んだのでした。お金がなかったため、あまりグレードの高いものは買えませんでしたが大野手工マンドリンには他にも素晴らしいのがあります。「大野があるんやったら北別府や小早川とかもあったらええのになぁ」とK君。 →そんな楽器はありませんので念のため。 →でも「落合」ていうのはあります。 野球ネタ失礼・・・私が持っていたのと同じカラーチェ、楽天さんにもあるじゃない。と思ったのも束の間、売切れでした・・・山木さんが使うような、こんなのもあります。
Sep 27, 2006
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踏切のそばに咲く コスモスの花がきれいですね~詞:武田鉄矢 曲・歌:山木康世 ←ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)
Oct 22, 2011
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11/23の今日は一日「小田和正」三昧には、たくさんのリクエスト曲の他に、各界からの、そしてアーティストお仲間からのメッセージが多く紹介されました。小田さんが古稀を迎えられて、70歳おめでとうございます的な色合いが濃かったようにも感じました。アーティスト:武田鉄矢さん、鈴木雅之さん、大竹しのぶさん、さだまさしさん、坂崎幸之助さん、財津和夫さん、等々。そしてその最後に、あろうことか、かつての盟友・鈴木康博さんからのメッセージ。大のオフコースファンで知られる番組進行の阿部渉アナウンサーがインタビューをとってきたようです(阿部アナGJ)。以下、ヤスさんのシーンを、うろ覚えながら記録しておこうと思います(詳細は若干違っているかもしれません)。阿部:(小田さんについてどのように思われますか?…みたいな直球質問だったような)鈴木:ヒット曲をたくさん出されててよくネタがつきないなぁと感心して見てますけども。とにかく集中力がすごいんだなぁと。それからもう声がね。あの声を聴いただけでああ小田さんだとわかるから、それが悔しかったですね。ああいう声の持ち主は、天から授かったものなので、うらやましかったなぁ。阿部:最初に知り合われたのは電車の中でいたずらしている小田さんだったとか?人柄は?鈴木:まあ明るいですよ。冗談好きだしね。割とこう、なんだろう、人を惹きつけるカリスマ性はあったような気がします。しばらく小田とも会ってなくてね。NHKっていうのはすごいですね(こんな風にいきなり取材のオファー来るなんて!というニュアンス←阿部さんがすごいと思う) 前にも名古屋のNHKだったけど、プロデューサーが小田に手紙を頼んでね、それで小田からホントに手紙をもらったんですよ、だから小田に借りがあるんですよ。阿部:100年インタビューで(小田さんが)鈴木さんから色々教わったと仰ってましたが?鈴木:それは、僕も色々教わった。僕は音楽の教育を受けていないから、五線譜とか。小田はコーラスとか合唱団やってたでしょ、だからいろいろ教わったし、それはお互い様ですよ。阿部:今ふりかえってどう思いますか?鈴木:もう、宝物ですよ。音楽に情熱をもってやれてるし、ほんとにオフコースの頃はいろんなことが勉強になった。それを今、いろんなことに活かしていけるか。どれだけ長くやっていけますかね。何があるかわらかない、声が出る限り、やり続けられるかと思いますが。阿部:リクエスト曲をお願いします鈴木:ああ…そうですね、「ひとりで生きてゆければ」が好きでした。時代でしょうね、オフコースをやり始めて、中々、日の目をみない、努力が報われないというか、でも悲壮感はなかったですが、その頃の気持ちを詞にできているというか、まとまった曲でしたね。まあ、好きでした。阿部:「ありふれた幸せに背を向ける勇気がほしい」という…(スラスラと歌詞が出てくる阿部アナ)鈴木:よくご存知で!(さすがはオフコファンの阿部アナ) これからどうなるかわからないという中で、覚悟というか、詞に出来るのはすごい力だなと思いましたね。阿部:小田さんに何かメッセージは鈴木:もう、僕も70に…まだなってないですけど、やっぱり声がかすれてきたり、ステージとかそれなりに気を遣うところもあるので、がんばっていきたい。お互いそれぞれのアーティスト活動を頑張りましょう、ということです。(以上でヤスさんの録音メッセージ終了)小田:いやぁ~…すごいのを録ってきましたね。ビックリです。あり得ないですね。これはもう消化するのにしばらくかかりますね。「ひとりで生きてゆければ」を挙げてくれたことも含めて。オレはすごくあいつから学んできた。あいつがオレから学んでると思わなかたし、そんなことも初めて聴いたし。いやぁ~~、びっくりしましたね。阿部:あの頃のことを宝物と仰ってましたね小田:宝物だよね。阿部:今回のきっかけとして、NHK名古屋放送局の番組に小田さんが鈴木さんへ手紙を書いたのを覚えてます?小田:覚えてないね、あるの? (小田さん本日覚えてないこと多すぎでした・笑)阿部:洋楽、聖光のこと、キラキラした思い出を…嬉しく思っていますという…小田:あぁー、書いた書いた!笑 「ひとりで生きてゆければ」も意外だね、そういう評価をしてくれていると思わなかったから。勿論、バンドの意思として書いているわけだけど、その詞について語ったこともないし。ああ、届いていたんだな、と。もう40年くらい前でしょ、40年以上だね。阿部:ご自身の中ではどういう評価を?小田:本音だけで、本音を歌にしたという。ヒット曲を意識してなかったし、若いし、若いからこういう曲になるんだね。よっぽど器量をもっていれば、ポップな曲になるんだろうけど。本音だから。その頃、残したものだから。ありふれた幸せに背を向けるしかなかったんだよね、強がりで。阿部:では、1976年「ひとりで生きてゆければ」。(曲が流れる)(この後に、ヤスさんの新曲「縁もゆかりも」も流れました。すごくいい曲だった) ︙番組の最後に、小田:今日はアーティストの方々や視聴者の皆さんからとっても大切なものをいただきまして、これをなんとか形に変えて、できるだけ早くお返ししなくちゃいけないとつくづく思いましたね。どうもありがとうございました!阿部:また「いつかどこかで」!(ちゃっかり曲のタイトルを使う) 小田さんもお元気で小田:君も元気でね。 (終了)ヤスさんがオフコースを脱退以来、公の電波にのってこのような内容はほとんど聞かれなかったのではないのかなぁ。貴重です。「言葉にできない」のスタジオ生演奏むちゃぶりの時に「ヤスのメッセージといい、NHKは結構強引だね!笑」と小田さんに言われてしまいましたが、このくらい強引でないと、引き出せなかったインタビューでしょう。でも、別に嫌な印象はなかったと思う。あれ以来、周りが気を遣いすぎて、こういうこと聞くのを勝手にタブー視して何十年も過ぎてしまい、誰も切り込めなかったのではないかな。そういう意味では立場を利用したファン代表の阿部アナGJと思いました。ここでヤスさんがはっきりと「お互いそれぞれのアーティスト活動を頑張りましょう」と仰ったのが、良かったと思います。☆今日は一日小田和正三昧プレイリスト☆(NHKのサイト)にほんブログ村ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)
Nov 24, 2017
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大河ドラマべらぼうの中で流れる劇伴を、オーケストラ仕立ての音楽で聴くコンサートでした7月には東京で開催され(東京フィルハーモニー交響楽団)、私が行ったのは8月の神戸国際会館でした(大阪交響楽団)。 ゲストには花總まりさん、映美くららさん、珠城りょうさん元宝塚の方々が揃い踏み。神戸だけのゲストとして、チェロ奏者の宮田大さん。席がなかなか近くて、しっかりお顔も拝めました(書いているのは11月終わりなので)ドラマも佳境に。もう最後の方ですが、まだまだ驚きの話運びで楽しんでいます。大河ドラマ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 完全版 第壱集DVD BOX [ 横浜流星 ]人気ブログランキングにほんブログ村ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^)
Aug 10, 2025
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