はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2012.08.17
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テーマ: 家庭菜園(61486)
カテゴリ: ショーガ
  • 110しょうが.JPG



2年前のショーガ
03月21日 hcで種ショーガの買物 大ショーガの種800gの物 980円
04月25日 発泡スチロールの箱にいれている分 すこし発芽してきているのもある
05月05日 g22の畑に植え付けした 20個
06月06日 畑の雑草取りをしておく
06月13日 また 雑草取りをしておく
06月19日 20個のうち やっと 2個の発芽を確認 遅いなあ  ?? また雑草だらけ
07月04日 15の発芽となった
07月08日 発芽したのは17本となった あと3つがまだ

07月25日 3-4本目の芽も出てきている 雑草でマルチをしておいた
08月15日 雑草の追加のマルチをしておいた 水が不足気味 やや元気がなさそう
08月22日 晴天が続いて高温の猛暑がつづく かなり水不足が弱ってきているようだ
08月25日 水曜の朝の5時に水遣りに行く
08月29日 日曜にも水をたっぶりとやっておく
09月05日 またまた水をたっぶりとやっておく
09月12日 またまたまた水をたっぶりとやっておく
09月19日 葉も黄色くなってきているので収穫をした  かなり小さい 匂いのみ


水不足でショーガさん 弱って葉も黄色くなった
ショーガの匂いはブンブンしているが 掘り出してみると小さい

8-9月と猛暑が続き 降雨もすくなく水が不足

気温も高すぎ 水も極端に不足したので こんなに小さいショーガになりました





昨年のショーガ
03月20日 hcで大ショーガ800g-980円のを買ってきた これは昨年と同じだなあ
04月23日 芽がついてきている  そろそろ発芽用の箱にいれよう
04月24日 庭で 発泡スチロールの箱にいれて しばらく暖かくして発芽させよう

05月22日 発芽したショウガ24個 m-07の畑に植え付けた
発芽用の発泡スチロールに保管して 5月に芽は見えていた
24個 全部 m07の畑に植え付けておいた
06月05日 発芽はまだしてこない  そろろそかなと期待していたが あと10日かかる
06月17日 2本の発芽 確認した  これで 安心だなあ
07月17日 なんとか無事に育っている
08月14日 猛暑が続いているので やや夏バテになっている感じ
09月10日 やや不良だけど 何とか かんとか という感じ そろそろ 収穫時に
09月18日 全部を収穫しておいた  雑草に囲まれた割には なんとかなったかな


ショーガ  やや 夏バテ気味だったけど 香りが良いのが収穫できた 良しとしよう




今年のショーガ
hcで ショーガの種 売り出し中
03月04日 大ショーガの800gのもの 1つ 買ってきた
03月11日 家の庭で箱にいれて芽だしをしておく

今年も ショーガ 作ろう
04月22日 芽もすこしできてきているので畑に移動した 4つを12個に分割して植え付けした
芽が出るのは6月くらい かなり先になる
06月03日 やっと発芽してきている まだ1本だけ
やっと 発芽したあーーーーー
07月01日 発芽下のは7-10本くらいになっている
08月01日 その後もあまり育っていない
08月12日 うーん 残っているのは4-5本だけ 小さいまま

今年のショーガ 雑草にまけて さっぱり
残っているのは4-5本だけ


東日本大震災 3月11日発生
08月17日は 既に524日後となった

武田さんのブログ


対立の構図 対立は恥ずかしいこと(理科系)

人間には「対立」というのがある。自分の意見が正しくて、相手が間違っているという論理をたてるのだが、理科系の私にはなかなか理解ができない。もし自分が「何の意図もなく、先入観も無い」状態で、相手も「ウソをついていない」場合は、「違う意見になる」ということがあり得ないように思うからだ。
多くの人は「そんなことはない。事実、この世は意見が違う事ばかりだ」と言われるだろう。でも「理科系」の私には「意見が違う」と言うこと自体がおかしいように思われるのである。
第一の問題は、自分が正しくて相手が間違っているのか、自分が間違っていて相手が正しいのかは、自分とその相手がいくら議論しても決まるものではなく、お釈迦様に聞いて見なければならない。「なぜ、ご自分のご意見が正しいと思うのですか?」と聞くと「私がそう思うから」という自信たっぷりの方がおられるが、ある人間が「正しい」と判断したことが「本当に正しい」かどうかは本人には分からないはずだ。
「自分の生きているうちはごまかせる」というぐらいはいけるだろう.
・・・・・・・・・
この「対立の構図」で整理をしてみたいと思っているのは、このことではなく、第二の問題:「意見が対立するというのは、分からないことか、隠していることがあるから」ではないかということだ。
自然科学(普通には科学ということが多い)は「自然現象を解明する」ことが主な仕事で、ついでに「それを応用して工学、農学、医学などを発展させる」という仕事もある。自然現象というのは太古の昔からある原理原則で成り立っているので、「人間が分からない」ということがあっても、「意見が存在する」と言うものではない。
たとえば、かつて人間は「宇宙の中心は地球だ」と信じていて、科学もそれを支持した。でも、これには前提があり「人間の目で見る限りの空」ということであり、かつ「ある種の星(後に惑星であることが分かるが)が逆行することがあること、太陽は往復運動をするはずなのに毎日東から出てくる・・・などはまだ解けない疑問として残すという仮定に基づけばということである。
しかし、望遠鏡が誕生すると「地球は太陽の回りを回っていて、太陽も宇宙の中心ではない」ということがわかる。でもそれも「望遠鏡でみるという前提つき」である。でも今のところ、それが科学なので「地動説」に異議を唱える学者はいない。
ガリレオが「地動説」を唱えたとき、有力な科学者がガリレオに反撃を加えたのではなかった。聖書を信じる教会が彼をバッシングした。科学者は事実を明らかにしようとしているので、ガリレオの地動説が事実ならそれは進歩であり、なにもバッシングする対象ではないからである.
ダーウィンが「進化論」を唱えたとき、それにバッシングを加えたのはこれも牧師であって科学者ではなかった.もし科学者がダーウィンを批判するなら、ダーウィンのデータの科学的な解釈に誤りがあるか、あるいは自分がダーウィンと同じように世界一周をしてきて、つぶさに生物の生態を観察し、反論をしなければならない。
でも、科学者は基本的には「自然を明らかにする」と言うことだから、反論をしても意味が無い。「そんなこともあるのですか!」と感心するのが普通だ.
・・・・・・・・・
科学の論文というのは、実験データ(理論でも良い)を示し、それを整理し、専門家なら誰でも合意できないと結論にならない。実験や理論で合理的と(誰もが)判断できる段階にないと結論は出せないのだ。それまでは単に「酒場の独り言」にしか過ぎない.
私たちは良く仲間や学生と飲んで話をする.その時には「あのデータはこんな風に思うのだけれどどうだろうか?」と話す。そうすると、そこで議論になり、不足が分かり、研鑽を積む.私たちはただ「自然を明らかにする」というのが目的だから、別にいがみ合う必要などない。
若い頃から私がやってきた分離工学、資源、材料などの分野で、「科学的論争」などはなかったし、まして「バッシング」などを経験したことなかった。議論して私が不十分だったら、頭をかきかき再登場するだけである。
ところが、忘れもしない1998年のある学会で、私と学生が「リサイクルは資源を余計に消費する」という計算結果を発表した.そうしたら、私は会場から「売国奴!」とバッシングを受け、学生は攻撃を受けて真っ青になって帰ってきた.その頃、私はリサイクルでお金をもらっている訳でもなく、先入観もなく、ただ社会がリサイクルを始めようとしていたので、それを分離工学と材料工学の手法を使って解析したに過ぎなかった.
正直言って、当初はなにを非難されているのかということ自体が不明だった.そこで、慌てて関係した文献を調べ直してみたら、やはり学問的に計算しているものは「リサイクルは消費を高める」というものがほとんどだった.
ただ、当時、「ライフサイクル・アセスメント(LCA)」という新しい学問の手法が登場して、私たちのような伝統的な学問で計算した結果と違っているものもあった。そこで、LCAで計算している人と何回も研究会をしたが、結局、どちらが正しいかはなかなか分からなかった.新しい学問は大切なものだが、まだ未熟なので、これまでの学問と内容を合わせるということができなかった。
それでも、お互いにバッシングするとか、そういうことは無かった.ただ、伝統的な学問で計算するとリサイクルは資源を余計に使い、LCAで計算すると有効な場合があるということがわかり、「研究を続けましょう」と言うことになっただけだった.
・・・・・・・・・
ところが、そのうち、雲行きが怪しくなった.私が書いた最初のリサイクルの本は「フランケンシュタインの息子たち」という題名が、出版時には「リサイクルしてはいけない」となった。私がフランケンシュタインを出したのは、自分が科学の力で作ったものが、自分を襲ってくる(フランケンシュタイン博士が作った怪物が博士を襲う)ということと、現代の環境問題が類似であるという解釈を題名にしたのだった。
それからというもの、私も世の中の動きに巻き込まれ、対立の中に入っていく。それから程なくしてある本に「武田邦彦はウソをついているのか」という題名がついたとき、「ああ、科学者でもウソをつくとみんなが思っているのだな」ということを知った.(平成24年8月15日)

そうだ

はた坊






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最終更新日  2012.08.17 03:04:38
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