はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2014.01.22
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カテゴリ: 大根
  • だいこん (2).JPG





昨年
m-06の畑の収穫
01月20日 7本の収穫をした
01月27日 7本の収穫をした
02月03日 10本の小物の収穫をした
02月10日 04本の小物を収穫した
02月17日 残りの物5本などを収穫した これにて m-06は終了 33本


m-06の大根 只今33本  01月20日より2月17日までで 終了
g-10の大根 只今36本  11月11日から1月12日までで 終了



m-20の畑の収穫
01月06日 6本の収穫をした
02月24日 6本の収穫をした
03月03日 8本の収穫をした
03月09日 小物10本を収穫した
03月16日 小物20本の収穫をした
03月23日 小物3本の収穫をした  これにて 終了


在庫の大根はこれで なくなった
11月11日から3月23日までで 大根89本と小物で33本の収穫をした



春の大根  開始

次は春巻きの大根を種まきしよう

04月28日 発芽してきている  
05月03日 畑に移動した  みずやりして 無事に育っている
05月11日 雨のあと 大根は元気になっている 無事だなあ
05月19日 そのごも 順調に大きくなりつつある
06月02日 まあまあ 大きくなりつつある


m-08の畑で 元気に育ちつつある

okだ  これで ok

昨年は6月11日より収穫している
来週くらいから 収穫できるかも 

06月09日 収穫をした  が トウがたっているので 全部を収穫 つまり 撤去

あらあら 先週まで 順調だった大根さん
今週に 畑にいってみると トウ立ち していた

あらあら あらあら 不思議だなあ
あきらめて 全部を収穫しておいた これにて 終了なり


今度は夏大根
種まきをしよう
06月23日 夏の大根の種まき m-20の畑にしておいた
06月23日 庭のpotでも 種まきをしておいた
06月26日 発芽してきている
06月27日 全面に発芽した
はやいなあ  発芽した  日曜には畑に移動しよう
06月29日 m-20の種まきしたのも 発芽してきている
06月30日 g-10に庭のpotの苗を移動した

夏の大根 あちこちに植え付けている
07月27日 なんとか 育ちつつある

根っこは細い  夏だから こんなものかな  ???
08月04日 だいこん 小さいが 収穫してみた

ちいさいなあ ほそい  ごぼうのようだ
ブロの百姓さんにきいてみたら 夏でも 大根は育つとのこと

と いうことは 失敗なり  品種が違うのか 手入れもしていないので こんなものかな
?? まあ 漬物にしてみよう







09月01日 hcで 大根の種をかってきた  ついでに 庭で種まきをしておいた
09月01日 間違って 聖護院蕪でなくて 大根の方を買ってしまった まあ ええか

今年も大根の種まきを開始 まずは16potsx2=32potsで育ててみよう
09月01日 大根 聖護院大根 ともに 庭で 弾ねきをしておいた
09月04日 発芽 畑に移動 ともに32potsづつ m-08の畑に移動した
09月08日 その後も無事 生育中 okだ ついでに 苦土石灰をまいておした

大根 第二弾の種まきも開始
09月08日 大根の第二弾の種まきを開始 16x2=32potsを種まきした
09月13日 発芽している  これも 畑に移動しよう
09月15日 畑に移動した g-22の畝に植え付けた

大根 第三弾の種まきもしておいた
09月16日 庭で種まきをしておいた 16potsx2
09月22日 畑に移動した m-06に16pots m-07に16pots 分散して植え付けた

大根は no1-32pot no2-32pots no3-32pots total 96pots
聖護院大根は no1-32potの種まきをした
これだけうえたらokだ

育ち具合は これからだ  今のところは 無事に育っている

まあ これだけ種まきしたら かなり育つだろう

10月05日 一か月が過ぎた 聖護院大根  いい感じに育ってきている
10月05日 大根の方も 一か月が過ぎている  こちらも いい 感じ
10月06日 2番目の大根 g-10の分も まあまあ 生育中

10月13日 m08の畑の大根のねっこ かなり見えるようになってきた
10月20日 m008の畑の大根のねっこ 50日でこれくらい
10月27日 1本 ためしで 収穫した  まあまあ

初の収穫なり
これから どんどん 収穫しよう
11月02日 2回目の収穫をした 5本なり
11月09日 3回めの収穫をした 4本なり
11月10日 4回めの収穫をした 聖護院の大根  かぶらみたいだなあ
11月16日 5回めの収穫をした  聖護院のも すこし大きくなりだした
11月17日 6回めの収穫をした g-22のもの 2本 太くなってきている
11月24日 7回目の収穫をした 4本なり
11月30日 8回目の収穫をした 4本なり 曲がりくねっている
12月01日 9回目の収穫をした 3本なり 根っこが2本あるのも
12月07日 10回目の収穫をした  3本とも まっすぐ いい 感じ
12月08日 11回目の収穫をした 丸大根5本なり
12月14日 12回目の収穫をした 丸大根5本
12月15日 13回目の収穫をした 4本 今回も短いな
12月22日 14回目の収穫をした 4本 まあまあ
12月23日 15回目の収穫をした 4本 良い感じ
12月28日 16回目の収穫をした 4本 いい感じ
12月29日 17回目の収穫をした 丸の5本 やや小さくなってきている





今年
01月04日 18回目の収穫をした 2本 曲がっているなあ
01月05日 19回目の収穫をした 丸4個
01月12日 20回目の収穫をした 4本
01月13日 21回目の収穫をした 丸7本
01月18日 22回目の収穫をした 5本




東日本大震災 3月11日発生
1月22日 既に2年と10か月と11日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から20年
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている


武田さんのブログ


普通の歴史「横糸編」 日中問題か、日日問題か?

「2014011814161416.mp3」をダウンロード
日本と中国の問題のうち、第二次上海事変からの日中戦争や大東亜戦争の問題は、日本と中国の間のことなので「日中問題」と言えば言えるが、その本質はそうではないと思われる。

たとえば、「南京虐殺」という日中問題は、もともと戦争は1937年暮れから38年初頭にあり、それ以後、日中間で問題になることはなかった。しかし、1981年に朝日新聞出版がだした本多勝一の著書が創造したものだ。それを読んだ日本人が「南京で虐殺があった」と思ったことによって、始まった事件だから、日中問題というより、日本の中の反日日本人の問題、つまり日日問題である。

この「本多捏造事件」と呼ぶべき犯罪がなかなか打ち消されないのは、
1)世界で自分の国が非難されることを積極的に言う人はほとんどいない、
2)特に世界で自分の国が非難されることをねつ造していう人はいない、
3)世界で自分の国が非難されることを、良く調べないで宣伝する国民はいない、
という現実があるからだ。

1937年、中華民国軍が上海に国際条約に基づいて駐屯していた日本軍を攻撃し、第二次上海事変が起こった。戦火は拡大し、敗走する中国軍を追って日本軍が上海の近くの首都南京まで進軍し、南京を攻略したのが南京事変である。

もともと、国際条約を破って日本軍を攻撃してきたのは中国軍であり、日本軍が南京を攻撃する前に南京にいた中国一般人の人口が20万人、戦後の調査で同じ20万人だから、南京虐殺は事実ではないのは明確である。

ところが戦争が終わって36年たった時に、朝日新聞の記者の本多という男が上海に2泊三日して中国人3人にあい、その体の傷と「日本軍が中国人を殺した」という伝聞をもとにねつ造したのが「南京虐殺」である。

だから本当は問題にならないのだが、上の3つの世界常識があるから、瞬く間に世界に広がった。サッカーの国際試合でもなんでも、自分の国を応援するのが普通で、自分の国が負けて喜ぶ人というのは滅多にいない。よほど心がねじれている人に決まっている。

というか、言われた方がキョトンとしてしまうだろう。女子ソフトボールで、日本とアメリカが金メダルをかけてオリンピックで戦って日本が負けたら「こんなうれしいことはない」と日本人が言ったとするとそれを聞いたアメリカ人は「なにか策略があるのかな?」とむしろ警戒するだろう。

本多記者の一連の活動を見ると、日本人なのに日本に深い恨みがあり、それを朝日新聞が話題性が強いので、戦後の「反日ブーム」の先兵として利用したということと考えられる。戦前、野球を日本に導入した早稲田大学と慶応大学を「つぶすぞ」と脅し、アメリカとの戦争に反対した新渡戸稲造に「自決しろ」と促したのは朝日新聞だった。それが戦後、アメリカに占領されると高校野球を主催し、アメリカとの連携を支持した。それが朝日新聞だ。

でも、日本が負った傷は深かった。それはこの本多捏造事件に日本の知識人が応じて日本バッシングを始めたからである。当時、日本は左右の思想対立が残っていたので、やや不利に立っていた知識人が自らの名誉挽回のために「日本人でありながら、架空の事件を作って日本を批判する」ということを大々的に始めた。

これでは中国はもちろん、諸外国もねつ造かもしれないと思っても、それに乗るだろう。「日本が侵略戦争をした」とか「戦争犯罪があった」などというのも同じで、日本人が日本を貶めるために作った話だが、それも外国から見ると信じられないと思う。

日本の国会は戦後、「戦争犯罪はなかった」ということでいわゆる戦犯を釈放することにし、それに社会党、共産党も同意して全会一致で決議した。もちろん日本は民主主義であり、国民の代表が国会だからそこで全会一致で決議していることを、後に日本人自身が覆すというのは実に奇妙なことである。

このようなことを考えると、まずは日本国内で本多事件はどうだったのか、日本は誰と戦ったのか、日本の中になぜこれほど強い「反日感情」を持つ日本人が多いのかを議論しなければならないだろう。

私のブログは「日本国民の意思の統一のためには」、「事実を共有し」、「誠実に自分の意見を開陳し」、「日本の子供たちのためにベストな方法を合意する」ということに尽きる。

(平成26年1月14日)武田邦彦

ふむふむ

はた坊





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最終更新日  2014.01.22 03:13:06
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