はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2015.01.22
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今年の秋
また hcで 高菜の種をかってきた

9月から 種まきをしよう
08月31日 庭で種まきをした
09月04日 発芽してきている
09月06日 畑に移動した G-03の畑の畝に植え付けた

弾四弾の種まき
09月21日 また 種まきをしておいた
09月25日 発芽した


第五弾の種まき
09月28日 またまた 種まきをしておいた
10月05日 発芽した
10月12日 畑に移動した M-06の畑に植え付けをした



第一陣のタカナ 4株 g-03 まあまあ 大きくなってきている 収穫しても よさそうになってきている
第二弾の    15株 g-07/09も そろそろ 成長してきている
第三弾の    0株 m-20のも ちいさいが 無事だったが なくなってしまった
第四弾の   10株 m-06のも ちいさいが まあまあ 無事
第五弾の    4株 m-07のも ちいさい すこしだけ 無事

合計で33株がある 大きいのは4株で そろそろ 収穫できそう

11月09日 大きいのは収穫できるサイズになりつつある  追肥をしておいた

11月29日 2回目の収穫をしておいた
12月06日 3回目の収穫をしておいた
12月13日 4回目の収穫をしておいた
12月23日 5回目の収穫をしておいた
12月31日 6回目の収穫をしておいた

01月18日 8回目の収穫をしておいた


タカナの在庫

第一陣のタカナ 4株 g-03 まだ 収穫できる
第二弾の    10株 g-07/09  これもやや小さいが 収穫できている
第三弾の    0株 m-20    雑草にまけてなくなった
第四弾の    0株 m-06     雑草にまけてなくなった
第五弾の    4株 m-07    まだある すこしだけど 無事
合計で  18株くらいはある まだまだ 収穫はできそう




東日本大震災 3月11日発生
1月22日は既に3年と10か月と12日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から21年目に
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている

武田さんのブログ


最期の一撃 第七話 プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の衝撃

七つの海を支配したイギリス東洋艦隊は日本軍の航空機攻撃であっけなく壊滅した。当時、戦艦の脅威になる航空機攻撃は九六式陸攻のような水平爆撃機ではなく、雷撃機や急降下爆撃機だから、航続距離はせいぜい350キロしかない。

シンガポールの近くに基地を持たない日本軍が戦艦を撃沈させるほどの攻撃はできないと思っていたし、イギリス軍司令部にはすでに真珠湾攻撃の報が入っていたが、

「東洋の小国のオンボロ飛行機で真珠湾のアメリカ軍をやっつけるはずはない。あれはドイツ空軍がパイロットを乗せ日の丸をつけてやったのだ」

と話していたと記録されている。アジア人が航空機を操縦でいるはずもなく、まして白人をやっつけることなどあり得るはずもないと信じていたのだった。

イギリスのチャーチル首相も、イギリス旗艦の沈没の報を受け、艦長は救助の士官に”No thank you”と言って艦と運命を共にしたことを知って、「生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった」と慨嘆した。

チャーチル回顧録には、この両艦のシンガポール派遣について「私がシンガポールにプリンス・オブ・ウェールズを派遣するよう主張したのは、まるで「羊を殺させに行かせたような」ものだった。私はその報に接した時に部屋で一人であることに感謝した。この広大な海で日本は強力で、我々はどこでも、弱く無防備であった。」と述懐している。

その後、チャーチルは気を取り直し、その日の内に議会で報告した。ラジオはイギリス全土に放送し、新聞もその日の夕刊に一面トップでマレー沖の奇跡を報道した。一方、ドイツは自分たちがソ連に攻め込んだのに日本が参戦してくれないので、イライラしていた。だからこの2隻の戦艦の撃沈は大いにドイツを勇気づけた。

しかしヨーロッパ人は執念深い。プリンス・オブ・ウェールズが撃沈されてから7年後、戦争が終わってから3年後の1948年。日本水泳の古橋、橋爪が揃って未公認世界新記録を出したのを知って、イギリスは二人のロンドン・オリンピックへの参加を認めなかった。その時の通達の最後には「われわれはプリンス・オブ・ウェールズを忘れない」とあった。

私たちも原爆を落とされた「広島・長崎を忘れない」なら、アメリカを拒否しなければならない。日本人のあっさりしたところ、自虐性と、イギリス人の粘っこさの違いだろう。しかもプリンス・オブ・ウェールズは正規の戦闘で敗北したのに対して、広島・長崎は一般市民を殺戮する目的で行われたものだ。それを日本人が「過ちは二度と繰り返しません」と主語のない意味不明の牌を建てていることに私たちはよくその世界的な意味を考えなければならない。

また日本人がマレー作戦、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈を知らないのは占領軍、連合軍の戦後の教育にあるが、正しい歴史認識を持つためには、日本にとって敗北だけではなく、意味のある勝利も知らなければならないのは当然でもあり、さらにそれをアメリカやイギリスが隠したい気持ちも理解しておく必要がある。

余談だが、このマレー沖の奇跡の立役者の一人、イギリス東洋艦の発見を打電した帆足少尉は翌年3月台湾沖で戦死した。戦場での原則は「生きるか死ぬかではない。何時で死ぬかだ」と少尉は言ってたというけれど、まさに戦争とはそういうものである。

(平成26年12月30日のちに修正)ふむふむ

はた坊





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最終更新日  2015.01.22 02:11:03
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