全48件 (48件中 1-48件目)
1
すっかり日記をサボってしまい申し訳ございません。私11月19日に2歳の誕生日を迎えました。骨髄移植をして、2年が無事に過ぎました。長かったようで短かった2年間でした。いろいろなことがあった2年間でした。髪の毛がすべてなくなり、少しずつ出て来た髪が細くて縮れていて去年は大変なことにウイックを作りました。今年は3回入院してしまいました。肺炎・ウイルス感染・帯状疱疹(今でも痛みが有ります)でも今こうして生きていられる事に感謝感謝の毎日です。病気になる前は、元気でいるのが当たり前、命と言うことを深く考えていませんでした。でも病気になって、入院していろいろな方々の生き様を見るに付け、また自分が侵された病気の事を考える事で、命の大切さや生きる事の価値を深く考えました。多くの方々が私の病気を治そうと努力してくださり、多くの方々の献血のお蔭で今こうして日々過ごすことができます。家族が私の事を支えてくれました。ありがとうございました。
Dec 11, 2006
コメント(4)
平成16年10月21日木曜日 まだ昨日からの雨が降る中はっち(主人)が洗濯物と食べ物と帽子・ひざ掛けを持ってきてく れた。 夜中台風が去っても雨はまだやまず。 ひざ掛けは温かい。 これからは風邪が大敵です。 せき(;`<´)・:∴ コンコン!!をしている人が見舞いに来るので気をつけなくては。 この病棟は血液内科だけでなく、内科の病気の人も一緒に入院しているので、特に見舞い客も 手洗い・マスク・帽子などの装備もいらなく自由に出入りしています。 厳格な病院は血液内科は入り口のチェックがあって、装備をしてからでなくては入れないよう なところもあるようです。 白血球が1000を切っている人も大部屋にいます。 見舞いに来る人も充分注意をしてもらいたいものだとつくずく思いました。 ごめんなさい。せっかくお見舞いに来てくださる人に愚痴を言ってもしょうがないですが、そ ういう事情を抱えている人もいると言うことも分かってください。 今日は耳鼻科の検診です。 特に異常なしでした。またこれで1つクリアーしました。 あと胸のレントゲンがありました。 昼はうどんでした。最近食事が美味しく感じられず、本当に参っています。 鶏肉がパサパサで油身がまったくないので、やめてもらったら、豆腐ばかりになってしまいま した。 豆腐もまだ冷奴ならよいのですが、エビだの野菜だのあんかけになっていて、それが毎日のよ うにでると、見るのもいやになります。 しかたないので、カップスープだの持ってきてもらって食べていますが、移植に向けて、痩せ なくてはいけないし、体力もつけなくてはいけないし、自問自答しています。 主治医に聞いたら、「少しくらい食べなくても問題なし」と言われてしまいました。 まあ深刻にいわれるよりは良いですけどね。 でもそんな先生が大好きです。 10月22日金曜日 日が経つのは早いもので移植日を、0日とするとDay-28日です。 採血の結果 ヘモグロビン7.6 血小板59000 白血球1600 好中球592 体重は順調に減っています。 腎臓の機能が低下しているので水分をたくさんとらなくてはいけないそうです。 薬の副作用だと思います。 昼頃皮膚科に行く。手が荒れてしまったので、診てもらうためです。 かびではないかと心配しましたが、ただの手荒れで、クリームを塗るように言われました。特 に移植には問題なし。一安心しました。 3時30分頃教授回診がありました。これも特に問題なし。
Sep 25, 2006
コメント(2)
平成16年10月20日水曜日 私は検査はありませんでした。 ドナーの実妹が血液検査・レントゲン・心電図の検査のため来院しました。 実父が主治医の説明を聞きたいと言うことで、一緒に来ました。 妹がドナーになることに親として心配があるので是非主治医の話を聞きたいと言うことでした。 私と妹・父で主治医の話を聞く。 骨髄液を採るときに危険はないのか。どのような方法で採るのか。 私も妹がドナーになってくれると言ってから、ある程度インターネットで調べましたが、主治医 から聞くのは初めてでしたので、先生も「充分に安全に注意して行うのでお任せください」言っ ていただいたので、父も安心したようでした。 妹の体の異常がなく、無事に骨髄液が採れることを祈るばかりです。 骨髄液は1000ml採るそうです。1回に1~5mlくらいずつ採るそうですので、先生がたも重 労働のようです。 今日は台風がきて雨や風が酷いのに小さい子供を連れて、1時間以上もかけて病院に来てくれま した。 ありがとう。本当に感謝です。 また、私のこと妹のことを心配して来てくれた父にも感謝です。 その時の私の日記にはこんなことが書いてありました。 この病院のクリーンルームから皆生還している。後は運を天に任せ、自分の治癒力を信じ、先生 方病院のスタッフを信じ闘うしかない。 ドナーの妹には元気になってから何かをしよう。家族には元気になって早く家の事が出来る様に なりたい。 皆みんなありがとう。 ドナー(提供者)の準備と骨髄採取 ドナーの方が健康であり、安全に麻酔をかけられることを確認するために検査が必要となりま す。その検査とは、一般的な採血および心電図・レントゲン写真・呼吸機能検査などです。ま た、患者さんとの血液型の比較(ABO型以外の血液型)のための採血もさせていただきます。 そのほかに、移植の約2週間前に骨髄採取に備えてドナーご自身の血液を採取保存させていた だきます。これは、骨髄採取の際に輸血が必要となることが多いのですが、他人からの血液で はなく安全なご自身の血液を輸血するためのものです。また、この時期には麻酔専門医の診察 も受けることとなります。 入院は、一般的に採取の1~2日前となっています。前日には麻酔医の最終的な診察があります (通常夕方に来棟します)。麻酔は原則として全身麻酔を行います。ときに、手術室へ行く前に 浣腸をかけて腸の中を空にすることもあります。 麻酔導入薬を注射して意識が薄れてから、口から気管に柔らかいプラスチックの管(気管チュ ーブといいます)を挿入して麻酔ガスと酸素を送り込み人工呼吸器で呼吸をコントロールしま す。尿道に細い管(尿道カテーテルといいます)を差し込んで尿を外へ導くこともあります。 麻酔による事故は全くないわけではありません。はっきりしたデータはありませんが、数万件 に1例の死亡例が報告されています。もちろん、最大の注意を払って行うことはいうまでもあ りません。 骨髄液は採取しやすい腸骨(骨盤骨)から採取します。骨盤の背中側のベルトより少し下 の部分で骨髄穿刺針を皮膚の上から刺して注射器で吸引して採取します。骨盤の背中側 左右で合計4~8カ所くらいの皮膚の穴から、1回に数mlの骨髄液を注射器で吸引します。 同じ皮膚の穴から何回も方向を変えて刺すことになりますので、全体としては100回 以上針を刺すこととなります。
Sep 13, 2006
コメント(2)
平成16年10月14日木曜日 今日からイトリゾールを朝2錠飲む。 イトリゾールは真菌(かび)予防の薬です。 歯の消毒に行く。抜糸は1週間後と言われる」。まだ痛みがあるので」、痛み止めの薬と抗生 剤を飲む 10月15日金曜日 朝、採血をする。 9時半に骨盤腔のMRIに行く。これは子宮筋腫が移植に耐えられる状態か見るためです。 筋腫が結構大きくなっているようですので、念のためMRIをとりました。 後で結果を聞きましたが、筋腫は落ち着いているので移植は大丈夫と言うことで安心しまし た。 昨日から飲んでいるイトリゾールは鼻に臭いがつくような気がして、気分が悪くなるので、 ジフルカンに変えてもらう。 イトリゾールの方が効き目はあるそうです。 ジフルカンにしても、寝ると臭いが有るような気がする。困ったものです。 薬のせいではないのでしょうか。 採血の結果 ヘモグロビン 7.2 血小板 47,000 白血球 1,600 10月17日日曜日 口が開けにくい。 唇が乾きやすい。リップは欠かせない。 10月18日月曜日 今朝から左の耳の辺りが痛い。唾を飲み込むと、のどだか耳だか分からないが痛い。 主治医が居なかったので他のドクターに診てもらうが、赤くなっているわけではないので、 大丈夫だろうと言うことで、特に治療の必要なしと言われる。 良くうがいする事。 奥歯の抜糸をすればよくなるかもね。 ネオーラルが1日3粒から2粒になる。 移植する前にはゼロにする。 いよいよ移植1ヶ月前になる。 不安とでも良くなって元気になりたいと言う思いと複雑です。 10月19日火曜日 親知らずの抜糸をする。抜糸ごの穴に物が詰まらないように良くうがいをするように言われ る。抜糸してもまだ肉が上がってくるのに1ヶ月くらいかかるそうです。 採血・採尿の検査 採血の結果 ヘモグロビン 6.7 血小板 17,000 白血球 1,700 腎臓の機能(クレアチニン)が少々低下しているので、水分をたくさん取るように言われる。 2時20分から血小板20単位、4時から赤血球2単位の輸血をする。 今更じたばたしてもしょうがない採血の数値です。移植して絶対に良くなる。 薬の説明 ネオーラルの付いて 再生不良性貧血の体では造血機能がTリンパ球の働きで低下しています。 シクロスポリンはこのTリンパ球の働きを抑える薬です。 シクロスポリン(ネオーラル)は朝夕、1日2回飲む薬で、白血球、赤血球および 血小板のすべての造血能を回復させます。 【特徴】 ◆抗生物質に由来する標準的な免疫抑制薬 ◆免疫系のリンパ球に特異的に作用 ◆臓器移植後に用いるほか、免疫系がかかわる病気にも有効 【注意】 ●注意事項や副作用について十分説明を受けておく ●持病のある人は医師に報告 ●服用中の薬を医師に報告 ●妊娠中の人は医師に報告 ●決められた用法用量を厳守 ●体に異常を感じたら、すぐに医師に連絡 ●定期的に検査を受け、効果と副作用をチェック ●グレープフルーツジュースは控える ●うがいや手洗いをしっかりすること(感染予防) 【効能】 ●次の臓器移植における拒絶反応の抑制/腎移植、肝移植、心移植、肺移植 ●骨髄移植における拒絶反応及び移植片対宿主病の抑制 ●ベーチェット病(眼症状のある場合) ●尋常性乾癬(皮疹が全身の30%以上に及ぶものあるいは難治性の場合)、 膿疱性乾癬、乾癬性紅皮症、関節症性乾癬 ●再生不良性貧血(重症)、赤芽球癆 シクロスポリンは朝夕、1日2回飲む薬で、白血球、赤血球および血小板 のすべての造血能を回復させます。 ●ネフローゼ症候群(頻回再発型あるいはステロイドに抵抗性を示す場合) ●全身型重症筋無力症(胸腺摘出後の治療において、ステロイド剤の投与が効果不十分、 又は副作用により困難な場合)(ネオーラルのみ) 【副作用】 ●腎障害(発熱、頻尿、尿が少ない、血尿、むくみ) ●血圧上昇、多毛、歯肉肥厚、熱感、吐き気 ●ふるえ、しびれ、頭痛、めまい、耳鳴、混乱、もうろう ●肝臓の異常(だるい、吐き気、皮膚や白目が黄色くなる) ●血液の異常(発熱、のどの痛み、だるい、皮下出血) ●感染症(発熱、のどの痛み、皮膚の発赤・水ぶくれ) ジフルカンについて 真菌(カビ)を殺菌するお薬です。真菌が原因の病気に用います。 【特徴】 ◆アゾール系 ◆それほど強力ではないが、副作用は少ないほう ◆吸収がよく、肺や髄液に高濃度に移行 【注意】 ●アレルギーのある人は、医師に報告しておく ●腎臓の悪い人など持病のある人は、医師に報告 ●服用中の薬を医師に報告(飲み合わせの悪い薬が多い) ●妊娠中の人は医師に報告 ●指示された期間は、きちんと飲み続けること ●定期的に検査を受け、副作用をチェック 【効能】 真菌血症、呼吸器真菌症、消化管真菌症、尿路真菌症、真菌髄膜炎。(有効菌種は省略) 【副作用】 ●吐き気、食欲不振、腹痛、下痢 ●発疹 ●肝臓の異常(だるい、吐き気、皮膚や白目が黄色くなる) ●血液の異常(発熱、のどの痛み、だるい、皮下出血) 副作用が強い薬がこれからも多く飲まなければならないので、主治医は採血の結果や 私の状態をよく見てくださいました。 特に肝臓や腎臓の機能が下がらないように注意していました。
Sep 11, 2006
コメント(0)
平成16年10月1日(金曜日) 入院しました。採血8本・便・尿・レントゲン・心電図の検査 主人が荷物を持ってくるのが大変なので、洗濯以外は持ってこなくて良いように、とにかく いろいろな入院グッズを持ってきました。 移植する時もっていくものも用意したので荷物が一杯になってしまいました。 10月2・3日(土・日曜日) 2日間の外泊許可をもらいました。検査もないし病院にいてもなにもすることがないので、 外泊しました。 主治医ももう退院までは外泊は出来ないかもしれないので、許してくださいました。 10月4日(月曜日) 朝9時帰院。今日は何も検査なし。いたって元気 同じ病室の方々皆さん親切で暖かく迎えてくださいました。 それに、マコが一番最初入院した時に白血病で次の日に同室に入院されたOさんが、移植 をして4人部屋に移られて、またマコと同室になりました。 それもマコにとって心強かったです。 移植の先輩としていろいろ伺いたかったのですが、まだあまり具合がよくなくて、お話でき る状態ではありませんでした。 あとの2人の方々は60代で血液の病気でしたが、それぞれ病気が違うので、治療が違いま した。 10月5日(火曜日) 心臓超音波(地下1F)・採血・採尿 今日は血小板と赤血球の輸血(午後2:30~8:00) 輸血に5時間半縛られてしまいました。 採血の結果 ヘモグロビン<6.7> PLT(血小板)<22000> WBC(白血球)<2000> 10月6・7日(水・木曜日) 検査なし 入院していると検査はいやなのですが、なにもないのも退屈です。 10月8日(金曜日) 呼吸機能検査・採血 呼吸器の検査は結構苦しいです。思いっきり吸って、それから、吐いてはいてと言われる ので、最後まで息を吐く事が結構大変ですよ。 5・6回いろいろな呼吸器の機能検査をしました。 採血の結果 ヘモグロビン<7.0> PLT<53000> WBC<1800> ヘモグロビンも血小板も5日に輸血したのでまだ大丈夫です。輸血なし 10月9日(土曜日) 昼頃主治医のT先生と主人と3人で今後の予定などの話がありました。 移植に関しての進め方とかリスクの話です。 なぜかお腹が張る。 10月11日(月曜日) 「骨髄移植の第一ランド開始」明日、親知らずの抜歯及び歯垢除去の為、11日と12日 の二日間で血小板の輸血予定ですが、10時~14時迄病室に居ましたが、血小板届かず、 私帰宅後16時より開始、5単位までは順調に入り、その後15単位入れ始めて15分位 したら凄い震えがして、看護師さん:先生が来て、中止したら震えおさまり次に寒気、微 熱出ました。(38.1度) とにかく輸血をして初めて震えがきたので自分でビックリしてしまいました。これから輸 血が出来なくなったらどうしようとかいろいろ考えてしまいました。 ネオーラル(免疫抑制剤)を4カプセルから3カプセルにする。 なぜネオーラルを減らしたかと言うと、移植するまでに0にするそうです。 10月12日(火曜日) 14時30分血小板開始するが、本日の抜歯明日に変更、本人ヤル気充分だがガックリ落 ち込むが、無事に抜歯終わるまで、冷静に気持ちを前向きに方向転換させました。 血小板の前の点滴(アレルギーを除く)のため一日中体がダルク消灯のとき、今日でなく 良かったと思う。 歯のレントゲンを撮る。輸血 血小板20単位 赤血球2単位 アレルギーを除く点滴を血小板の前にしましたが、この点滴は体をだるくし眠くなるので 辛いです。 採血の結果 ヘモグロビン<6.5> PLT<39000> WBC<1300> 10月13日水曜日: 朝でも未だ体がダルい。 本日胸と腹のCT有る為ゆっくり寝ていた。朝ご飯抜きです。 まだ昨日の点滴の薬聞いてるみたいです。 私は、ドナー保険について、担当医よりコピー貰った。主治医は血縁者の場合はあまり保 険をかけないと言っていましたが、妹は結婚していて夫も子供も居るし義父母も同居して いますので、やはり同意していただくためには保険に入った方がよいのではと思い、保険 の契約をすることにしました。 保険代理店 (株)厚生会に連絡する、掛け捨てで、2万5千円で万が一の場合1億円保 障との事後遺症でも最高1億円又入院でも1日5千円が180日との事でした。 昨日親知らずの抜歯が出来ませんでしたので、今日抜歯しました。 抜歯は根も深いし痛みがあったわけではないので、しっかりしている歯だったぶん大変だ ったようで、先生も汗だくで大奮闘していました。 少し出血していましたが、ドクターがこのくらいなら大丈夫だと言うことでほっとしまし た。先生有り難うございました。17時に終了。 18時40分、麻酔が切れてきて少し痛くなるかもしれないと言われ、担当医より処方の ロキソニン:サイトテックを1錠ずつ飲みましたら痛み止めが効いてきたみたいです。
Aug 31, 2006
コメント(7)
骨髄移植 平成16年8月にいろいろ考えた末骨髄移植をする事を決心いたしました。 骨髄移植は私1人で出来るものでは有りません。ドナーがいなくてはいけないのです。 骨髄バンクと言う名前をきいたことがあると思います。ドナーが居ない方はバンクに 登録してドナーになっていただける方を探します。 それには白血球の型(HLA)が一致しなければなりません。 【HLAとは】 HLA(Human Leukocyte Antigen)とは、日本語で「ヒト白血球抗原」といい、両親か ら遺伝的に受け継がれる白血球の型のことである。様々な型があるが、移植の際に一致 してないといけない型は、A座、B座、DR座の3種類。それぞれの種類に2つずつあるの で、計6座のHLA型が一致させなければならない。 HLA検査は、一次検査と二次検査があり、それぞれを「Class-1」・「Class-2」と呼ぶ。 Class-1をパスしないと、Class-2は受けられない。 Class-1ではA座・B座(4種類)の適合度を検査する。 Class-2ではDR座(2種類)を検査する。 HLA型が一致する確率は、兄弟姉妹で「4人に1人」とかなり高い適合率といえる。 しかし、それ以外では数百人から数万人に1人と非常に適合率が低い。 【適合の確率】 兄弟姉妹 25%と最も適合する確率が高い 一卵性双生児 100%適合する 父・母(親戚) 1%以下の適合率で、極めて稀である 他人 0.01%~0.0001%と極めて低い 【各移植の許容不一致数】 骨髄移植 1座不一致まで可(5/6以上適合) 末梢血移植 1座不一致まで可(5/6以上適合) 臍帯血移植 2座不一致まで可(4/6以上適合) ※許容不一致に関しては、表の内容より不一致の場合でも移植を行うときもある このようにドナーを探すことは、なかなか大変な事です。 私の場合はたいへんラッキーなことに実妹のHLAとすべて一致しました。 私の場合年齢(当時48歳・移植時49歳)ということを考えて、血縁者間移植 でなければ出来ないと言われていましたので、本当にありがたいことにドナーが いてくれたことで、こうして移植を早く出来元気になることが出来ました。 ドナーの実妹の事やクリーンルームの空き具合を考えて11月19日を移植日に しようと決まりました。 移植する前に私の体の検査と親知らずの抜歯がありましたし、私の体重を10Kg くらい減量しないと、抗癌剤の量も増えてしまうので辛くなってしまうといわれ、 ダイエットと検査のために、10月1日に入院することになりました。 ドナーの妹もHLAの検査の為2回・自己血を取るために2回・体の健康検査の為 に1回ほど外来に来てもらうことになりました。 4歳と2歳の子供がいましたので、病院まで1時間かけてきてもらうのも大変な事で また、移植の時に4日ほど入院してもらわなければならないので、申し訳ないと思い ましたが、妹は私を助ける為に一生懸命になってくれました。 こうして、移植までの準備が整いました。
Aug 30, 2006
コメント(0)
平成16年3月~9月 退院してから1週間に1度の輸血生活が始まりました。 マコの病院は、内科の処置室と言う部屋にベットが8台くらい有って、そこで輸血や、点滴をし ます。 自分の体の幅と同じ位の狭い狭いベットで、カーテンで仕切られています。 輸血の時間は赤血球が大体2時間半くらい、血小板も2時間半くらいの計5時間です。 5時間と言う時間をどの様に過ごしたらよいか。 本を読む。 音楽を聴く。 寝る。 マコは狭いベットで寝ているのは嫌だったので、ベットに座って音楽を聴いていました。 宇多田 ひかる ササンオールスターズ minmi チューブ 小田 和正 CHEMISTRY DA PUMP それからマコの大好きな坂本 冬美 いろいろな音楽を聴きました。 それに、お昼もおにぎりとお茶を買ってそこで食べました。 マコと同じ様に輸血をされている方もいらっしゃいましたが、大体の方はベットで横になってい ました。 先日テレビを見ていましたら、輸血をしている場面がでました。 とっても素敵な椅子でリクライニングになっていてリラックスできるようでした。 病院によっていろいろなんですね。羨ましくおもいました。 平成15年12月のATGの治療で6ヶ月間が治療の成果が出るかのリミットだと主治医に言われ 「希望を持っていこうね」と励まされながら待っていました。 6月になりとうとう主治医から「骨髄移植」の話が出ました。 骨髄移植をするか このまま輸血を続けていくか 2つに1つの選択です。 移植だけは避けたいと思っていた私は大変ショックを受けました。 先生を信じて輸血で数値が上がってくるのを待っていたのに、なんか不信感がつのってしましま した。(先生ゴメンナサイ)今は命の恩人です。 「家族と良く相談して決めてね」と言われはっちとも良く話し合いましたが、なかなか結論が出 ませんでした。 私が決心できたのは、処置室の何時も輸血でお世話になっていた看護師さんの言葉でした。 「先生が移植と言うだから、マコさんは移植が出来るからそう言ってくださったのよ。体力も有 るし、移植をしたくても出来ない人もいるのよ。先生の言葉を信じて」 後ろから後押しされてマコは移植をしようと決心しました。 今でも会うと必ず声をかけてくださいます。A看護師さん有り難うございました。
Aug 24, 2006
コメント(2)
平成18年8月21日(月) 今日は大腸の内視鏡の検査の日です。 まず検査までの流れから(これはあくまでもマコが受けた病院のことです。受診されている 病院の指示に従ってくださいね) 前日から検査食を食べます。(普通の食事は出来ません) マコの場合は病院で大腸検査の食事がセットになって売っていましたのでそれを購入しました。 それはエニマクリンと言うものでグリコからだしているものです。 内容は、朝食⇒白粥(レトルトですので温めるだけ)・鰹ふりかけ・味噌汁(顆粒) 昼食⇒味付け粥(レトルトですので温めるだけ)・すまし汁(顆粒) 間食⇒エネルギー補給飲料(粉のジュース)・ビスケット(甘くて美味しい) 夕食⇒ポタージュスープ(粉をお湯でとく) ◎朝食は白粥でふりかけをかけてなんとか食べる。マコはお粥が苦手なんです。でも温かい うちになんとか流し込む。 ◎10時にコップ1杯以上の水を飲む ◎昼食は味付け粥でしいたけのだし汁で煮たような味がした。 ◎午後3時にコップ1杯以上の水を飲む ◎間食はコナジュースとビスケットのおやつを食べる。味の無いビスケットかと恐る恐る 食べたら、これがなかなか美味しかった。ジュースは良く粉が溶けなくてあまり美 味しいとは思えなかった。でもなるべく全部飲んで食べてくださいと書いて有った ので、それに従いました。 ◎夕食はコーンポタージュでこれはなかなか良い味でした。 夜7時までに食事を済ませる。 さあいよいよ、下剤の登場です。 これからがどうなるのか、大腸検査を受けたことが無い人は不安になると思います。 入院中に話は聞いていましたが、体験してみないとわからないですよね。 なるべく詳しくお話したいと思います。 まず、夜の7~8時の間にお腹一杯になるほど下剤を飲みます。 マグコロールPを2袋2000ml入りのペットボトルに500ml水を入れ良く振って混ぜ合わせます。 そしたら、1800mlになるまで水を追加して軽く振ります。マコは冷たい方が飲みやすいの で、朝作っておいて冷蔵庫で冷やしておきました。 その1800mlの下剤を1時間の間に200ml位ずつに分けて全部飲みます。 味はポカリスエットのような感じで飲みにくくはありませんが、最初はなんだこれなら楽勝だと 思ったのですが、如何せん量が多すぎます。 だんだん嫌になり、半分くらい飲んだらお腹は一杯になるし、気分もあまりよくなくでも飲まな ければ、と必死になって1時間で飲み干しました。 下剤だから、飲んでいるうちにトイレに行くようなのかと思いましたが、まだこの段階ではトイ レにはいきませんでした。 午後8時にもう飲めないほど飲んだのにまたコップ1杯の水を飲む 午後9時プルゼニド2錠(マコは2錠でした)とラキソベロン液を1本水に溶いて飲む。ラキソ ベロン液は消毒くさいようなあまり良い感じがしませんでした。 さあこれからトイレにこもります。9時に飲んだ下剤は強烈のようです。 飲んだら直ぐにトイレに直行です。 これからあまり綺麗な話ではありませんので許してくださいね。 お腹が痛くなるのかなと思って不安でしたが、お尻がなんか変な感じになりました。 慌ててトイレに。いままでお産のときに浣腸をしましたが、それよりもすごいような気がしまし た。いきなり、ジャー・ジャーと茶色い液がお尻から。 最初はその勢いに驚きました。また、どこで、区切りをつけてトイレから退散したらよいのか、 悩みました。 でも30分も座っていたらお尻が痺れてしまい、とりあえず出ることにしました。 でも10分もしないうちにまた、トイレに。これを2~3かいくらいしたところで、なんとか おさまりました。まだ透明な液にはなっていませんでした。 その日は徹夜かなと覚悟していましたが、横になったら何時の間にか寝てしまいました。 翌朝5時に目が覚めてトイレに行ったらまた下痢が。 いよいよ大腸検査の日です。 朝下痢をしましたが、まだ透明な液にはなっていませんでした。 病院に行ったら浣腸かなと不安になりながら行きました。ハッチが病院まで車で送ってくれまし た。朝から頭がボートしてしまい、検査時間の9時の予約ぎりぎりに病院に到着しました。 急いで受付を済ませ、内視鏡室へ、直ぐに検査着に着替える。 上は長い白の寝巻きのようなもので、パンツはお尻のほうに切り込みが入っていてそこからお尻 を出すようになっていました。 丁度内科外来でお世話になった看護師さんが内視鏡室に移動になっていましたので、ラッキーで した。 全然緊張することもなく、部屋に移動。まだ透明な液体になっていないというと、ドクターが 「大丈夫だよ。液で洗いながらやるから心配しないで。」と言うのでそのままベットに横にな る。 最初は先生にお尻を向けて、横になる。ドクターが話しをしながら内視鏡を入れていくので、入 れるときは全くといってよいほど痛みは無い。 逆にもう入っているんですか。と聞いたくらいです。 それから、どんどん内視鏡を入れていく。曲がり角になった時に少し違和感が。 今度は体制を変える。上向きになって膝を立て、左足の上に右足を乗せて足を組むようにする。 「お腹がはってガスが出たくなったらどんどん出してね。」とドクターは言うがお腹は張ってい るがガスは出ない。 体をドクターの方に向けたり、又上向きになったりしながら、検査が進んでいきました。 ドクターはカメラを見ながらマコに「大丈夫。腸の中は綺麗だよ」と言ってくださったので安心 しながら、内視鏡はドンドン大腸の中を進んでいく。とうとう小腸の入り口まで到着する。 マコの大腸と小腸の境は曲がっていたらしい。「内視鏡が入りにくい。」と言うので、どうかし ていたのかとドクターに聞いたら、「曲がっているだけだよ。」と言うので、「先生、マコの へそが曲がっているからですか。」と笑いながら聞くと「個性的だと言うことで、心配なし」 とドクターも笑いながら答えたいた。 小腸の入り口辺りがポリープとかが出来やすいそうで、良く診ていたようです。 さあいよいよ帰り道です。腸のひだひだを伸ばす為に、空気を送り込まれて、お腹がますます張 ってきた。内視鏡が大腸を戻ってきました。 少しずつ腸を見ながら戻していました。自分ではなにも感じません。 ドクターも不安を感じないように、いろいろ話かけてくださりながらやって下さいますので、心 配はありませんでした。 最後に肛門のところを良く見て終わりました。抜いた時もまったく解らなかったくらい痛くなか ったデス。 30分くらいで検査は終了しました。 大腸の中をキレイニしたので、もっとお腹がぺちゃんこになるのかと思ったら全然変わりなし でちょっとがっかりする。 なにも異常なしと言うことで本当にほっとしました。 すぐに食事しても良いといわれたので、帰りに倒れたらいけないので、飲み物とおにぎりを2個 買って食べました。これがマコの大腸内視鏡検査の報告です。長くなって読みにくかったかもしれませんが、大腸検査は、前日が大変ですが、検査はそんなに苦痛はありません。
Aug 22, 2006
コメント(8)
1週間に1度の輸血 平成16年3月14日退院から、1週間に1度の外来で輸血をしていました。 マコの場合自分で血液を造る事が出来ない病気なので、赤血球と血小板の輸血です。 赤血球のヘモグロビンは6以下にならないように(正常値は12~16)、 血小板は20000以下にならないように(正常値150000~400000) 輸血をしていました。 赤血球は濃い赤色をしていますが、血小板は薄い黄色をしているんですよ。 赤血球は減少すると、貧血になることは知られていますが、働きは肺で酸素 と結合して体内の各組織に酸素を届ける働きをしています。 赤血球に肺で酸素を取り込む機能を与えているものがヘモグロビンです。 ヘモグロビンの生成に必要な原料となるのが鉄で、その多くは老化して破壊 された赤血球から再利用され、足りない分は食物から補充されます。 でもマコの病気は鉄が足りない鉄欠乏貧血ではないので、鉄分の多い食物を 食べてもだめなんです。 血液を造る骨髄の機能がダメになってしまったのですから。 かえって赤血球の輸血を頻繁にしていると鉄分が蓄積されて、体のさまざま な機能を低下させてしまうようです。 赤血球輸血はマコの場合2単位していました。2単位と言うことは2人の善意の 献血によっていただいたものを輸血させていただいたと言うことです。 血小板とは、血管が傷付いた場合傷口に蓋をして、出血 を止める役割をしています。 ですので、マコの場合病気が分かったとき、歯茎の出血や鼻血、それから紫斑が 出ました。例えば、頭を打ってしまったら中で出血が止まらず生死に関わる事 になってしまうわけです。 血小板は寿命が7~10日しかないため、長期保存が出来ません。保存が3日し か出来ません。 マコは1回に20単位の輸血をしていました。20人の方々の献血です。 10単位・15単位・20単位とありますので、マコは一番多い輸血をしていました。 1週間に赤血球2単位、血小板20単位で22人の方々の献血に 本当に本当に感謝の日々でした。 こんなに輸血をしなければ生きて行く事が出来ない病気があることを少しでも 理解していただき、多くの方々に献血の御協力を是非是非お願い申し上げたいと 思っています。 血液が足りないと言うニュースを聞くたびに、心が痛みます。マコは献血が出 来ません。 家の子供達も献血をしているようです。皆様のご理解を御願いいたします。
Aug 17, 2006
コメント(0)
マコの第1回の入院⇒退院まで 平成15年11月の入院からATGの治療を経て、1月からは自分で血液を作ることが出来ますよ うに、祈る日々でした。 ^ヾ☆ ヾヽ( -^ #)流れ星さん、にお願い♪ 白血球を上げるグランが注射になり(注射になったということは、量が減ってきたということです) 始めは毎日注射をしていました。 毎日⇒1日おき⇒2日おき⇒3日おきとじょじょに間隔があいていきました。 輸血は赤血球も血小板も相変わらず1週間に1度していました。 ゲランは皮下注射ですのであっという間に終わりますが、輸血は点滴のハリを毎回刺さなくて はいけませんので、だんだん刺す所もなくなってきてしまい、毎回苦痛でした。 グランが注射になったこともあり、外泊しても良いと言われたときは嬉しかったです。 でも帰ると言っても、外をふらふらする事ができないことと、病院に戻らなくてはいけないの がなんか寂しくていやでした。 それでもマスクを3重にして外泊した時の喜びはいまでも思い出すと嬉しくて、ここまで良く なったんだと感無量でした。 ( *^-^)_∠※PON!。.:*:・'°☆。.:*:・'°★°'・:*オメデトウ♪ こうして1月・2月を何とか乗り切っていきました。 3月になり、病状も落ち着いてきたので、外来での治療が出来ると言う事で退院しても良いと 言われたときは、最高の喜びでした。 これで、退院して外来での治療になり必ず良くなってくると信じていたからです。 赤血球も血小板も白血球も必ず上がってくる。自分の力で血液を造ることができるようになる と信じていました。 主治医も希望をもって治療しましょうと言っていましたので、主治医の言葉を信じていました。 家族も皆そう思っていたと思います。 でもこの病気はそう簡単に良くはなりませんでした。 難病なんですよね。治療が困難な病気だったのです。それを6ヶ月先に思い知らされました。 こうして、待ちに待った3月14日に退院することができました。 病棟のスタッフの先生方・看護師の皆様・病室の皆様 ありがとうございました。 感謝感激ひなあられ~ パッ ∵゜ へ(´▽`*) (*´▽`)/゜∵ パッ
Aug 11, 2006
コメント(2)
今日からマコの再生不良性貧血の闘病記を再開させていただきます。 なぜ、始めたかと言うとマコも病気になった時にこれからどんな治療をして、どのような経過を たどっていくのか、すごく不安になり、インターネットでいろいろ調べました。 なかなか再生不良性貧血の患者さんのホームページがなくて、あっても少人数なので、もっと病 気の不安をもっている方々の微力でも力になりたいと感じたからです。 マコも入院している時に同じ病気の人はいませんでした。血液内科と言うと白血病の方が多く、 治療の仕方が違うので友達にはなりましたが、治療の話は出来ませんでした。 やはり同じ病気の方の体験記は貴重ですね。つくづく感じました。 とにかくマコの入院していた大学病院でも何年に1人いるかどうかと言う再生不良性貧血の患者 です。 まして、48歳と言う年齢でどのように治療していったらよいのか、スタッフの先生方や看護師 さんもいろいろ考えてくださったようです。 そんなことで、また闘病記を再開させていただくことになりました。 今までの闘病記の経過 平成15年11月4日 再生不良性貧血の疑い有りで某大学病院に緊急入院 検査の結果再生不良性貧血であると告知 平成15年12月11日 ATG治療を受ける 平成16年1月2日 個室から大部屋にデビューする ここまでが今までの闘病記です。 平成16年1月 ようやく白血球の中の好中球が500を越えて大部屋に移りました。 ヘモグロビンと血小板は相変わらず低空飛行です。白血球も白血球を上げる点滴を 24時間していましたので、白血球を上げるグランの点滴がなくなることが当面の目 標です。 赤血球と血小板の輸血は1週間に1度くらいの割合でしていました。 ATGの効果は6ヶ月くらいを目途に考えるようです。ですから、6月くらいまで様子を見て 効果が出ないようだったら次の治療を考えると言うことのようです。 1月の末くらいにCVカテーテルが限界になっていましたので、抜いてしましました。 グランの点滴もようやくジョジョに量が減って注射にすることになり、当面の目標を達成 しました。 皆さんお見舞いに行って特に内科病棟に行って、カーテンをしっかり閉めている人を見る と思います。 人と話したくない人も居ると思いますが、お見舞いに来る人の風邪などの感染を避ける為 にカーテンを開けたくても開けられない人も居るんですよ。 お見舞いに内科病棟に小さい子供さんを連れてきたり、風邪を引いて咳をしているのに マスクをしないでお見舞いに来る人。 マコ達血液の病気で白血球が下がっている人から見たら、大げさな話かもしれませんが、 「殺される」くらいの気持ちになったこともありました。 ちょと過激な言葉で申し訳ありません。 ですのでマコはしっかりとカーテンを閉めていましたが、お部屋の人とはカーテン越しに おしゃべりしていました。
Aug 10, 2006
コメント(0)
来週は関東地方もようやく梅雨明けするようです。 マコは暑いのは嫌いです。 でも夏なのにここまで梅雨が開けないと、いささか太陽が恋しいです。 明日晴れてね ( ^-^)ノÅ←テルテルボウソズ 夏はどのお店に入っても、スーパーに行っても、そして病院に行ってもクーラーが利き過ぎてい ませんか。 なにか羽織るものを持っていないと体がおかしくなりそうになりますよね。 サブッ!( ((-。-) ))ブルブル... まして病院は病んでいる人々が行く所。もう少し患者のことを考えてくれても良いのではないか なと思うのは私だけでしょうか。 外に出たときの暑さと部屋の中に入ったときの寒さの温度のギャップについていけない私は、病 気の為なのか、歳をとったせいなのか。 悩んでしまう今日この頃です。
Jul 28, 2006
コメント(6)
入院中に歯が痛くなってしまい、病院の中の口腔外科に行きました。 イタイのイタイの飛んでけ~ (T痛T)(( ^o^)ノ〃 .。.:・* ミ痛彡 病院内の口腔外科は椅子も古くて昔私が行っていた、痛い・・・痛い 歯医者を思い出させてくれるので、とてもいやなんです。 でも痛いし、思い切って行きました。 研修医のネーム・・・もしや痛い・・・やだー・・・ 案の定レントゲンが無理やり口の中に押し込められるし、えー・・おえー・・・となりそうに やっぱり虫歯だったようです。 なにもしてないよ(;^^)r(^0^;;)その音が痛い・・・ でもここで虫歯の治療は嫌だ。 「かかりつけの歯科に行きますので治療はしないでくだサーい。」 では、歯の神経が死んでいるか・生きているかの検査をします。 でも、ここまで来たんだからしょうがないか。と思い口をあーん 痛かったら手を上げて下さい。 「びびー」手なんかあげる余裕ないよ 頭からつーんときました。 2回そんなことをされて、もう一度やろうとするから、「もう、やめてください」 でも先生、「お願いします。もう一度させてください」 丁重にお断りいたしました。 そんなわけで退院してからかかりつけの歯科に行きました。 やっぱり虫歯でした。 でも注射も痛くないし、次何をやるか説明しながら治療してくれるので、怖くないし、良かった v|◎-_っ・|ノ☆*★感謝ダョ★*☆ヽ|・c_-◎|v そんなわけで、今日は2回目の治療に行きました。
Jul 25, 2006
コメント(0)
今回の入院は24日間でした。 6人部屋の住人の方々は皆さん良い人で、直ぐに私も皆様方と溶け込む事ができました。 (゚o゚)ヨ(゚ロ゚)ロ(゚、゚)シ(゚・゚)クo(_ _)oペコッ♪ 内科病棟の入院は長い人が多いので、同室の雰囲気は結構入院している時に大事なんです。 (・_・)/\(・_・)ナカマ! 入院してから4日間は高熱があったので、あまり皆様とお話することが出来ませんでしたが、 熱が下がってからはそれまでのうっぷんを晴らすが如くコミニュケーションを取りました。 高熱中は食事も出なくて、病院の美味しいとは決して言えない食事が待ちどうしかったこと。 ようやく食事が出たときはもう感激しました。でも思ったほどは食べる事が出来ませんでしたが。 それと言うのも私「おかゆ」が大嫌いなんです。 我儘ですいません。ですので、普通のご飯を出していただきました。 ((^^)) ゆるしてちょんまげ♪ 入院すると点滴はだいたいつき物ですよね。 注射だぜっ!! (メ▼▼)ノ0=|⊃―; ☆ ブスッ!!( ̄血 ̄;)うっ! これがなかなか私の血管は入りづらいので、いつも難題です。 曲がっている、奥に入っている、見えにくい、腕が太い、 何回も刺すと入るところがなくなってしまう。 なのに研修医の先生はよく失敗して下さるのでますます刺す所がなくなってしまう。 そんなことで今回も点滴の針には悩まされました。 そう言う人は結構多いみたいですね。 とにかく何はともあれ退院することが出来ました。 \(∇⌒\)☆ア☆リ☆ガ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/
Jul 24, 2006
コメント(2)
マコの1ヶ月間 ごめんなさい。日記を愛読してくださっている方々にご迷惑をおかけいたしました。 m(*- -*)mス・スイマセーン 実はまたまた入院してしまいました。 5月に退院したばかりで、6月にまた入院とはおもってもいませんでした。 3週間の入院で今は自宅療養しています。 また日記を始めますので宜しくお願い致します。 (m。_。)m オネガイシマス
Jul 23, 2006
コメント(0)
今日今は空が曇っていますが、これから雨がたくさん降るようです。 :::( ^^)T ::: 雨だ 梅雨だから雨が降らないと困るけれども、災害になっている地方の方々もいらっしゃるようで、降り過ぎるのもこまったものです。 今朝ナメたけの入ったびんを発見。朝食のおかずにしようと思ったのですが、よーく考えたら何回もびんを開けようと挑戦しましたがとうとう開かなくて、半年間そのままになっていたことを思い出す。でももしかしたら開いてくれるかもと思い、またまた挑戦。・・・・でも・・・・やっぱり開かない。そうだ・・・はっちに輪ゴムをフタに巻くと開くと聞いたなと・・・・早速・・・かなり遅かったが・・・・ところが・・・なーんだ・・・・すんなりと開いた。あまり力も入れずに・・・今までなにしていたの。それをはっちに言ったら、俺の言うことを素直に聞かないからだと言われてしまった。OK━承諾━許可━採用━ヽ(●´|`●)ノ━採用━許可━承諾━OK♪素直なマコになります。 **************************** 平成16年1月 忘れもしない1月2日です。主治医から朗報が。ヤタ━━━━━━ヽ(´●_`*)ノ ━━━━━━!!!!なんと個室から出ることに。4人部屋の窓側で明るい部屋が開いたから今から移ります。待ちに待ったその言葉。いきなり・・はい・・今から・・荷物の整理・・・一杯で大変でしたが、さっさと袋に詰め込んで、大部屋に・・・・窓側で外が見えて、明るくて、空ってこんなに綺麗だったんだ・・・・感動・・・感動 こんなにうれしかったことは、子供が生まれた時いらいかしら、と思うくらいうれしかったです。 オメデトクラッカー (*゚◇゚)_∠※☆PAN! 挨拶しようとしたら、隣の人しか居なくて、お向かいさんの2人はお正月で外泊中でした。こうしてようやく大部屋デビューしました。
Jun 15, 2006
コメント(3)
今日はダイエット体操の日です。朝9時のバスに乗り、揺られて30分で駅に着きます。マコの一番近い駅は歩いて15分なのですが、体操教室は違う路線の駅なので、バスで30分も乗らなくてはいけません。10時より教室開始。今日もやるぞー。ファ━━━p(´∀`*)━━━イト!!鏡張りの部屋なので、自分の姿を見るたびに ●~*≡≡☆ヘ(` ´ )ミ アタァーーック!! したくなる。一つの動作をするたびにあっちも・・・こっちも・・・痛い・・・痛い ☆⌒Σ(≧◇≦)ゝイテッ!少し体を動かしたら汗が (゚◇゚oi)汗タラリ・・・・ 76歳の人もやっているんですよ。私の亡くなった母と同い年の人です。もうビックリです。今日も良い 、ヽ`(゚●_゚a)、ヽ`…(汗) かきました。****************************** ★♪ 平成15年12月末 ♪★とうとう今日はクリスマスイブ。病院はなんにもないんですね。病院によってはキャンドルサービスじゃないですが、イベントがあるみたいです。マコの入院している病院はイベントなど皆無です。義妹がクリスマスリーフを持って来てくださいましたので、少しクリスマスを味わいました。 @(´・ェ・`)@ ショボーンテレビをつければクリスマス一色で、入院患者はなんとも辛いです。 (^O^)♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!早く良くなるぞ・・・・・と思っていました。でもまだまだ体はダルイし、薬は減ってこないし、輸血も結構しているしこのころは結構辛かったと思います。でも個室から出ると言う目標があったので、なんとか自分の気持ちを奮い立たせていました。
Jun 14, 2006
コメント(5)
今日も曇り空 毎日うっとうしい曇り空や雨降り・・・ 太陽さんはどこに梅雨だからしょうがないですが、こう毎日鉛色の空を見ていると、気持ちまでめいってきますね。 明日晴れてね ( ^-^)ノÅ←テルテルボウズ 今日も朝ウォーキングに行ってきました。行く時は少し涼しかったのですが、歩いているうちに体がどんどん温かくなってきて、帰って来たらどっと汗がでました。たかが30分のウォーキングでも少しは効果があるのかなまあやらないよりは増しだなくらいに思っていないと、後でがっかりなんてことにもなりかねませんから。 ※(∀`*)※ファイト※(*´∀)※ファイト※(*´∀`*)※ガンバレッ!昨日から干している洗濯物今日乾くのかな お洗濯♪(*^∇^)o┏凹凹┓♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★♪ 平成15年12月 ♪★ずーと日記をさぼってしまい分かりにくくなっています。申し訳御座いません。前回はATGの治療が終了したところまででした。なかなか白血球が上がってこないので、グランの白血球を上げる点滴はずーとしていました。相変わらず睡眠障害がつづいていました。 おやすみっ♪{[(*^-)(-^*)]}うん♪おやすみっ♪カビ予防の飲み薬の為口の中はいつもにがいような、変な感覚がずーとあり、なにを食べても美味しくないのには困りました。しょっぱいような感覚もあるので、甘いもの(飴やクッキーなど)を少しずつ食べたりしていました。なにかずーと口の中がおかしいと、だんだんそれが当たり前のような気持ちになってしまいます。2週間位して嬉しいお知らせが・・・・・個室から1日2回くらい廊下に出ても良いと言われる。好中球が500を越えたからです。 o(^-^ )oo(^-^)o( ^-^)o ヤッター病棟を1周して、給湯器からお湯をもらう。このどうと言うこともないことに、何故かものすごい感動を \(@^0^@)/やったぁ♪入院は拘束されることが多いので、普段なんということもないことが、出来なくて辛い思いをすることがたくさんあります。でも何故か普段はつまらない事でも感動する事が多いのに驚かされる。 Σ(゚□゚ノ)ノエー!Σ(*゚◇゚*)ウッソー!Σヾ(*゚○゚)ノホントー! 病棟から見る外の景色が新鮮に感じられました。瞳もうるうるしてしまいました。
Jun 13, 2006
コメント(4)
最近日記をさぼってしまって、見てくださる方々にご迷惑をおかけしています。 m(¬0¬)m アーゴメンゴメン はっちがしばらくの間マコにブログを任せると言うので、マコの日記にさせていただきます。 よ(^0^)ろ(^◇^)し(^▽^)く(^ο^)ね(^ー^)主治医に痩せるように言われ、先日も「ダイエットします」なんて言いましたが、なかなかダイエットができません。ダイエット教室に2ヶ月前から行っています。夏が終わるまでに5Kg痩せる宣言しました。食事は制限はありませんが、よくかんで食べること。1回口に入れたら100回噛む。・・・・・これがなかなか難しいんですよ。50回くらい噛むとなくなってしまうんです。でもよくよくかんでかんで・・・・ ※(∀`*)※ファイト※(*´∀)※ファイト※(*´∀`*)※ガンバレッ!それから、ゆっくりな運動ですね。激しいのは出来ないので。でもゆっくり息を吸って・・・吐いてするのも結構汗かくんですよ。1時間の体操教室ですが、リフレッシュします。歩くと股関節とか膝とか腰とか痛かったのですが、痛くなくなってきました。骨盤がずれていて痛かったらしいです。後は朝20~30分はや歩きで、ウオーキングしています。30分て結構歩けるんですよ。7時前に行くのであまり人も歩いていないし、気持ちがよいです。こんな事をしていますが、まだ成果が出ていません。少しずつ頑張ります。 ウキウキ♪o(^-^o)(o^-^)oワクワク♪
Jun 12, 2006
コメント(4)
★♪ 平成14年2月 ♪★ はっちの日記 リハビリを始めてから2週間もすると、周りの環境にも慣れてきて、まだ2月だと言うのに短パンとアロハシャツで通う日々が続きました。平行棒の場所でも、車椅子から立ち上がる時に、以前よりだいぶ楽に立ち上がれるようになりました。始めのうちはPTさんも側についてよく見ていてくれましたが、次々に患者が来るので、良く見てくれなくなったので、他のPTさんに声をかけて遊んでいたら、しっかり見られていて、メニューを増やされました。つぎの目標は、車椅子で無く、歩いてリハビリルームまで行かれるように、病室に帰っても自主リハビリに励んでいました。体操に使うチューブの紐を、ベッドの柵に取り付け、横に寝ても運動が出来るようにしました。もうこのくらいになると車椅子で病院内を自由に行けるようになっていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★♪ 平成15年12月 ♪★ マコの日記 ATGの治療が5日間無事に終了いたしました。 白血球が下がり、好中球が下がっていきました。好中球が500以上にならないと個室から廊下に出ることが出来ません。好中球は体外から細菌などの異物の侵入があったときに最初に攻撃を加えます。 ( ((≪☆★BOMB!!★☆≫)) )好中球は白血球のなかでも細菌と闘う大切なものです。それが下がると言うことは、どんなものでも体の中に入ってきたら、闘えないので受け入れてしまうということで、大変危険な状態なのです。ですから、外と閉鎖されたところにいなければならないわけです。ドクターに「2週間くらいしないと上がってこない」と言われました。白血球をあげるグランという薬を24時間ズート点滴していましたが、なかなか白血球は上がってきませんでした。ATGの治療で一番辛かったのは副作用もですが、それよりも個室から出ることが出来なかったことです。明るくて綺麗な部屋でしたらそんな事は思わなかったのですが、薄暗い電気で、外の景色も見ることが出来ないところでしたので、精神的にたいへんでした。相変わらず夜寝る事ができなくて、でも昼間寝てしまうと悪循環になるので、狭い部屋を点滴台を持ってぐるぐると歩いていました。ベットのところに座って居る事が出来なくて、と言うのもATGの副作用だと思うのでですが、ベットの枕元にある大きな空気清浄機が、なぜか私には変な臭いがするようで、余計にベットにいることが辛かったのを今でも思い出します。椅子がいくつか置いてあったので、椅子に座ってボートしたりしていました。とにかく起きていなければと常に思っていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★♪ 平成18年6月2日(金曜日) ♪★ マコの独り言。 もう6月になってしまいました。5月は五月晴れと言う日が今年は少なかったですね。5月は私は好きな季節です。花粉の時期も終わり1年で一番気持ちの良い季節です。でも今年は晴れている日が本当に少なくて、残念でした。お花も色とりどりと咲いています。バラを見に行きたいと思っていましたが、5月はいろいろと忙しくとうとう見に行けませんでした。6月は梅雨になりうっとうしい日が続くのでしょうか。
Jun 2, 2006
コメント(2)
★♪ 平成14年2月 ♪★ はっちのリハビリ開始 リハビリ始めて1週間後リハビリの先生が素敵な人なので、リハビリの時間以外にも、ベッドの横の柵に手を掛けて、下に落としたものを拾う、スクワットのようなことを独自でしていました。始めのうちは、しゃがんで下のものを取ろうとすると、太ももの力が無いので、腕を使ってどうにか上がれましたが、1週間もしたらかなりすんなり取れるようになりました。 ファ━━━p(´∀`*)━━━イト!! もちろんリハビリルームでも、毎日床に横になり1.5Kgの重りを両足首に付けて、膝を曲げずに真っ直ぐ上げる運動を30回を3セットずつメニューをこなしました。腕の方も鍛える為、吊り輪の様になった機会で、うでを上げる練習もしました。★♪ 平成15年12月 ♪★ マコのATG治療 ATGの化学療法が始まりました。これでしばらく個室の部屋から出る事ができません。外のことが何もわからず辛いですね。看護師さんがちょくちょく来てはくださいますが、なかなか話をする暇がありません。マコはあまり副作用はありませんでした。一度心臓のあたりが苦しくなったことと、2人の息子が見舞いに来てくれた時に気分が悪くなりもどしたこと(マコのそんな姿を見たくなかったのか、それから1度も見舞いに来てくれませんでした。)、口の中がまずいような、苦いようになったこと、それから寝ていて胸のあたりが押されているような感覚があること、それから不眠ですね。まああまりないといっても、強い薬を体の中に入れるわけですから、全くゼロと言うわけではありませんが、食事が取れて、尿が出て、熱がなく、痛みもなく、なんとか耐えられるのでオーケーですよね。CVカテーテルから入れるため、点滴がもれることはありませんので安心です。それにカテーテルを入れてあると、採血もそこから取るので、針を刺されることはありません。 それだけでも苦痛が一つクリアーされます。そんなことで5日間のATG治療が終わりました。でもこれで治療が終わったわけではないんですよ。ATGの治療をすると白血球が下がります。これを正常の白血球まで戻さなくてはいけないわけです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★♪ 平成18年5月23日(火曜日) ♪★ マコの外来日 今日は退院後初めての外来日です。病院に着くとすぐに採血室に行き、採血をします。今日の採血の結果 ヘモグロビン 12.2・・・・良かった 白血球 3700・・・・すばらしい 血小板 121000・・・・もう少し 炎症反応 0.41・・・まだ少し高いけど後は肝臓の数値が少し高いようです。脂肪肝なんだそうで、ドクターが「ダイエット」をするようにと言うことです。これがマコにとって一番の難題なんです。次の外来(1ヵ月後)までのは少しでも痩せなくてはだめですね。自分の体のことなので・・・・・・
May 23, 2006
コメント(7)
★♪ 平成14年2月 ♪★はっちの食堂デビュー今日から車椅子で初めての食堂デビューです。以前検査入院の時に1週間ですが来ていましたので、雰囲気はわかっていましたが、今回は長期になるので、一番良い場所を取ろうと秘かに考えていました。なにが良い場所かわかりますか。それは真正面でテレビを見ながら食べる事が出来るところでーす。私達のテーブルは、男3人、女2人でかってにチームを作ってしまいました。整形外科病棟の食堂は全ての人が内臓に関係ないので、病院のおかず以外の、おばチャン達がが持ってくるおしんこが、当たり外れがありましたが、順番に回ってくるので一つの楽しみでした。たまに美味しいのが来た場合、他のテーブルには回さないで、私達のところで全部食べてしまったこともありました。★♪ 平成15年12月11日 ♪★マコのATG治療開始中心静脈用カテーテル(CVカテーテル)とはこのカテーテルは糸で固定されます。固定している糸は皮膚の新陳代謝により皮膚から抜けてしまうので、数ヶ月に1度固定し直します。カテーテル(インジェクションプラグが取り付けられている側)は皮膚の外に露出しています。カテーテルも入り12月11日から5日間のATGの治療の開始です。再生不良性貧血の治療法としては、1.蛋白同化ステロイド療法、2.免疫抑制療法、3. 骨髄移植、4.サイトカイン療法、5.支持療法があります。免疫抑制療法とは造血幹細胞を障害しているリンパ球を抑えて、造血を回復させる方法です。シクロスポリンまたは抗胸腺細胞グロブリン(英語の頭文字をとってATGあるいはALGとも呼ばれています)という薬を使います。ATGは(抗胸腺細胞グロブリン)ヒトの胸腺細胞をウマに注射し、その血清を集め たもので、注射薬です。ウマさんv|◎-_っ・|ノ☆*★感謝ダョ★*☆ヽ|・c_-◎|vALGはウマではなくウサギです。副作用としては、発熱、関節痛、血小板減少による出血が起こります。マコはウマさんの助けを受けました。ATG治療を行いました。注射液といっても皮下注射をするのではなく、点滴で1日12時間かけて5日間の治療です。
May 20, 2006
コメント(7)
マコの入院で思ったこと。家庭の主婦が入院すると、普段こまめに家事を手伝ってくださるご主人は別ですが、そうでない家庭はもう大変です。マコの家は下着すら何処にあるのか分からない状態なんです。もう前回2回の入院でだいぶ理解はしたようでしたが。食事の用意が一番大変だと思います。毎日外食と言うわけにもいかないので、はっちが頑張って作ってくれたようです。聞くところによるとマコより上手だとか。ご飯の炊き方もご飯の硬さがはっちの方が上手だとか。子供達が言っていたとか。?今回はゴールデンウイークの真っ只中で、仕事も休みで、また、短い入院でしたので何とか乗り切っていただけましたが、2ヶ月・3ヶ月になると、仕事と家事は大変だと思います。それに病院の洗濯機で洗うより家で洗濯してくれると言って、2日に一度くらいの割合で病院に洗濯を持ってきてくれました。本当にはっちには感謝しています。 Thanks ☆☆**v(o^▽^o)v**☆☆ Thanks子供達も洗濯を干したり、取り込んだり、ゴミ出ししてくれたり(ゴミ出しはマコが初めて入院した時から子供達が交代でやってくれています)、料理の味付けをしてくれたり、買い物を手伝ってくれたり、いろいろはっちの手伝いをしてくれたようです。マコは「もう入院することはないだろう」、と思うくらい体の調子も良くなっていました。でも油断禁物だったのですね。子供は風邪でも、私は肺炎までなってしまいました。もう家族に迷惑を掛けたくないですが、人間いつどうなるか分かりませんね。無理をしない・焦らない・ゆっくりゆっくり
May 16, 2006
コメント(11)
★♪ 平成18年4月25日~5月9日までマコが肺炎になって。4月26日は少し熱が下がりました。夜は今迄良く寝る事がだきなかった為か、5時間くらいぐっすりと眠る事が出来ました。 昨日から午前と夕方の抗生剤の点滴をしました。肺のレントゲンとCTを撮りましたが、やはり肺炎であると言われました。 肺のあたりが痛い分けでもないのですが、せきとたんと熱があり、聴診器を当てても雑音が聴こえると言うことでした。 でも普通の肺炎と言うことで、私の病気はカビからくるカリニ肺炎というとても怖い肺炎があるのですが、それではないと言うのでほっとしました。よかった。主治医は10日くらい点滴をすると肺炎が良くなってくると言うことで、もうゆっくり治すしかないと腹をすえました。 マコはどういうわけか食欲だけはありました。気分は悪くなかったからですが、入院時からしっかり食べる事が出来ました。 いただきま~す・・・・・・・食べないと早く元気にならないもんね。と言うことで、2週間の入院生活は始まりました。マコは4人部屋の廊下側でしたので、廊下を通る人が何故か覗いていくんです。カーテンを閉めておけばよいのですが、寝ていて暗いし、息苦しいし、孤独感もあるし、嫌でしたので、カーテンは閉めておきたくありませんでした。それに前の入院の時は、白血球が下がっていたので、カーテンは絶対に閉めておかなければいけませんでしたので、今回はどうしても開けておきたかったのです。でも、よいこともありました。向かいの部屋に毎日見舞いに来る方とお話できたり、他の部屋の方々との交流もできました。入院は辛い事も多いですが、病気仲間 トモダチ もできますよ。前に入院していたときのお友達も外来に来たからと、お見舞いに来てくださいましたし、入院していた時の友達が又入院していて、病院で同窓会?もしました。2週間前に退院したばかりなのに又入院になってしまった人と、1年以上入院していて、年末にようやく退院できたのに、4月に又入院になってしまった人と、なかなか病院とさようならが出来なくて、辛い思いをしている方々です。大学病院は4月や5月に入院するべきではないようです。何故 研修医・・・・・研修医・・・・・点滴の針が1回ではまずさせません。マコは前の入院の時1人の研修医に8回点滴の針を刺され、とうとうさせなくて、とんぼの短い針で、この病院では抜き差しと言っていましたが、2時間ひじを曲げられないで輸血したことがあります。その時の経験から医師には、まず刺す前に「血管出にくいです。でも1回で入れてくださいね」と言うことにしています。医師にとっては嫌な患者だと思いますが、私のような病気の人は血小板が低いので、失敗されると、青あざになりそのあざがなかなか消えません。マコは1年以上消えないあざがあります。でも怒ったように言うと、研修医も体に力が入ってしまうので、会話をしながらお願いしないとね。でも1回失敗したら、誰でもすごい慎重になりますよ。なかにはとうとう刺す場所が見つからず、上のドクターを呼びに言った医師もいました。研修医の先生は大変ですね。でも研修医の先生は皆さんマジメで、でも楽しいドクターばかりでした。ドクターの皆様入りにくい血管でゴメンナサイ そしてありがとうございました。点滴針をずっと刺したままにしておいて、点滴の時だけそこから入れる「ヘパロック」を8日間、と抜き差しのトンボの針で点滴(これは1回ごとに針を抜きます)を8回と後は炎症反応がだいぶ下がってきたので、飲み薬の抗生剤でした。そして15日間の入院生活にピリオドを打ちました。ドクターの皆様、看護師の皆様、同室の皆様ありがとうございました。ありがとうございました
May 15, 2006
コメント(7)
★♪平成18年4月~5月マコの入院物語は4月25日から始まりました。(´_`。)グスン 20日ころから熱が38度くらい下がったり、上がったりしていました。子供が風邪を引いていましたので、うつったのかな位にしか考えていませんでした。 ( ((≪☆★BOMB!!★☆≫)) )主治医の外来が火曜日なので、火曜日まで長引くようだったら病院に行こうくらいに簡単に考えていました。ところが、日曜日の夜急に熱が39度以上に上がりました。これではいけないと思い、日曜日の夜中もう月曜日になっていましたが、私のかかりつけの病院の救急外来に電話しましたら、「すぐに来てください」と言われましたので、はっちに車で連れて行ってもらいました。直ぐに血液検査とレントゲンの検査をしましたが、風邪だろうと言う事で、薬をもらい帰りました。もしこのまま良くならないようだったら、主治医の外来にかかるように言われました。たぶん私の病気が病気なので、簡単に薬が出せなかったからだと思いますが、一般的な風邪薬だったようです。月曜日はずっと39度以上熱が出て下がる気配なしでした。 ブッ!( ((-。-) ))ブルブル...火曜日朝直ぐに病院に行きました。予約ではありませんでしたので、直ぐには診ていただけませんでしたが、内科外来の知っている看護師さんが、主治医に聞いてくださって直ぐ診ていただけるということで、お願いしました。 v|◎-_っ・|ノ☆*★感謝ダョ★*☆ヽ|・c_-◎|v主治医に今までの経過を話し、血液検査とレントゲンを撮るように言われ、体がしんどかったですが、地下までエレベーターで行きました。結果を聞いたらこれは直ぐ入院しなければいけないと言われ緊急入院と言うことになりました。なんで薬を飲んでも全然熱が下がらなかったかと言うと、解熱剤がなかったからといわれ、なんで解熱剤くれなかったのー腹がたちましたが、救急外来の先生は怖くて出せなかったのだと思いました。解熱剤は血小板を下げるので主治医ではなければ無理なんだと納得しました。それからまた地下まで行って心電図をとりました。心電図はすぐには撮れませんでした。「急いできましたか」と私の状態も知らず聞くのでこの人何考えているの、急いでこれるわけ無いでしょう。歩くのがやっとなのにと心の中で叫びました。クルクル(・_・)( ・_)( ・)( )(・ )(_・ )三ヾ( ・0・)θ☆キーック!それから内科外来まで戻り今度は車椅子で病棟まで連れて行ってもらいました。同室の皆様(゚o゚)ヨ(゚ロ゚)ロ(゚、゚)シ(゚・゚)クo(_ _)oペコッ♪直ぐにベットに横になり熱を計ったら40度を越えていました。フラフラ(((=_=)))フラフラ何が辛いって寒いことと、体中が痛いことです。頭はいたくはありませんでしたが、早く熱を下げてもらいたかったです。今回は血液内科の方ではなく、内科でしたので、今までの主治医ではなく新しい主治医がつくことになりました。でもずっと診ていただいている主治医も毎日来てくださり、今度のドクターと話し合ってきめていただいているようで、安心しました。なかなか解熱剤をくれないので熱が下がらず辛かったです。夕方になりようやく飲み薬の解熱剤をもらいました。さすが解熱剤様。(人´∀`o):ぁ.*゚::リ.。:が..と*.ぅ゚:..(o´∀`人)体が少し楽になりました。痛いと自然にうなり声をあげているのですね。びっくり痛みがなくなってきました。これがマコの入院物語の始まりです。
May 11, 2006
コメント(2)
★♪平成18年5月9日(火曜日)すいません。しばらく~(=^‥^)ノ☆ おやすみしてしまいました。マコが肺炎になり2週間入院していたからです。今日退院することができました。入院は何回やっても嫌なものですね。でも今回の入院は先の見える入院でしたのでまだ、なんとか早く退院する事が出来ました。ドクターや看護師の皆様ありがとうございました。少しずつ入院のご報告も兼ねてブログを再開させていただこうと思います。これからもよろしくお願い致します。
May 9, 2006
コメント(11)
★♪はっち⇒平成14年2月 リハビリを始めて4日がたちました。今日は装具屋さんが来る日なので、新しい装具を楽しみにしていました。調整は寝たきりのときに1度してあるので、今日から食堂デビューが出来ます。昼食後の昼の時間に、装具屋さんがきました。装具の付け方を教えていただき、嬉しくて、ほかの病室にも見せに行きました。気分的には仮面ライダーのように\(\o-) → (-o/) ゝ ヘーンシン! → \(〇¥〇)/カメーンライダー! 変身です。どのような装具か説明しますね。チョッキのような胸までのタイプで、前を金で止めて、あごを支える金具が付いています。後ろ側は、頭を固定するパットに金の棒で背中と一体になっています。ベルトが2本出ていて、おでことあごを支えます。食事の時には、あごの金具がワンタッチで曲がるように作られています。リハビリに行く姿は、2月の真冬なのに、スニーカーと半ズボンに半そでのアロハシャツで行きます。気分はナンパしに行く気持ちでした。ウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪リハビリルームに行くと、全員パジャマ姿で、暗い感じですが、気分だけは真夏のビーチボーイです。とにかく目立つのが好きなのでしょう。 ▼-▼ヾ( ☆_☆)\/\/\/\/\/\☆ キラーン!気分が明るくなるとリハビリメニューも確実に消化できました。それ以来スリッパは絶対にはかないで、いつでも外に遊びに行けるようにスニーカーでいるのは私だけでした。★♪マコ⇒平成15年12月 水虫も治り、子宮筋腫も大丈夫と言うことで11日からATGの治療を始めることになりました。その前にカテーテルを動脈に入れそこから点滴のルートをとることになりました。ドクターの都合で、午後7時から来るということで待っていると、私の素敵な主治医の先生と、インターンの先生の二人がきました。これは前に話しをした白血病の女性も入れたので私も簡単に入ると思いました。腕のひじの反対側、だいたいが採血を取るところから細いカテーテルを入れて、肩から心臓に近い所まで通していきます。すぐに終わると思っていましたが、私の場合肩までは行くのですが、肩から先がつかえて行きません。1回目ダメ・・・・ (×。x)イタッ 2回目ダメ・・・・ @(´・ェ・`)@ ショボーン 3回目ダメ・・・・ フラフラ(((=_=)))フラフラ 私も冷や汗タラタラ (・_・;A ふきふき・・・・・ ドクターも (;^_^A アセアセ・・・とうとう腕からのカテーテルは無理なので、胸からのカテーテルにすることになりました。うでからの方が入れるとき痛くないので、ドクターは選択してくださったようですが、入らないのであきらめました。次の日胸からのカテーテルを入れました。昨日の時間から比べると嘘の様に早く終わりました。昨日のカテーテルより太いですが胸からなので、直ぐに心臓の近くまで行くので短いものです。しかし、自分の皮膚にカテーテルを止めるため縫いつけるので、それが痛かったですね。でも入ったのでほっとしました。こうしてようやく治療が始まりました。*****************************★♪平成18年4月20日(金曜日)家族4人で風邪をひいていました。はっちは普段の行いが良いのでひどくならない内に良くなりました。ハー( ̄ー ̄?).....??アレ??マコは普段の行いが悪いのか、1日熱が出て寝ていました。p(*^-^*)q がんばっ♪
Apr 22, 2006
コメント(10)
★♪はっち⇒平成14年2月 3回目のPTからは車椅子でいけるようになりました。初日だけは、篠原涼子似の美人ナースが連れて行ってくれました。(@⌒ο⌒@)b ウフッもちろん帰りにも迎えに来ると言われていたので、あこがれの売店に行く為に、小遣いももちろん忘れず持ちました。今日の首固定もお風呂用の白いポリネックだけです。充分注意するように師長に言われて行ったら、PTさんに連絡がついていました。最初は筋力測定の為に、腕や足の曲げ伸ばしうぃ重点的に計りました。次の日に完全な装具が出来るので、今日は平行棒のような通路の端に車椅子を置き、バーの端をつかんで、車椅子の前に立ち、いわゆるスクワットをしました。5回×5セットです。少し車椅子で休憩してから、PTさんが付きっ切りで平行棒をゆっくり歩くリハをしました。1往復したら休憩5分、それを2セットで今日のリハは終了です。帰りにPTさんから病室に帰ったら無理せず休憩してくださいと言われました。昼食後普段なら昼寝の時間ですが、美人のPTさんに誉められたくて、ベットの柵につかまり、床に落としたボールペンを拾う深いスクワットを自主トレでしました。始めは1度座ったら立てないぐらい重かった体が、誰の手を借りずに出来てきましたので、誉められたい一心でバカなはっちは頑張りました。★♪マコ⇒平成15年12月 とにかく一人は寂しかったので、まだ個室に入ってすぐに治療をしなかったから、今までいた病室を訪問していました。入院してから一ヶ月くらいたっていたとはいえ、知っている人はほんのわずかでしたので、ほとんどは病室で音楽を聞いたり、ラジオを聞いたり、テレビを見たりして時間を過ごしました。相変わらず不眠は続いていました。私は入院前の何年か前子宮筋腫でしたので、入院してから治療に耐えられるかMRIの検査をしました。婦人科のドクターに見ていただいたら12センチの筋腫であることが分かりました。Σ(゚□゚ノ)ノエー!Σ(*゚◇゚*)ウッソー!Σヾ(*゚○゚)ノホントー!筋腫は手術が出来る状態ではないし、うまい具合いに良い場所に安定した形で収まっているので、このままの方が良いと言われました。治療には耐えられると言うことでホットしました。ヾ(☆▽☆) アハアハ治療日を決めようとしたときに今度は足の水虫を発見。ョック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック今度は皮膚科で足を見てもらいました。やはり水虫でした。そんなにひどくはありませんでしたが、治してからでないと、カビ菌なので、治療を始めることが出来ないと言われ、一週間治療が伸びてしまいました。@(´・ェ・`)@ ショボーン自分ではなるべく早く治療を始めて、とにかく早く家に帰りたかったので、かなり落ち込みました。こんなことをやっていて、治療が伸び伸びになって治療が出来ないのではないかと不安になり精神的に辛かったです。それにもう1つ50肩で左腕を勢い良く動かしたり、前に出したりすると激痛が来る時があるので、どうにかならないか、整形外科も行きました。今はどうすることも出来ないと言われてしまいました。こうして治療を開始する前にいろいろありましたが、ようやく入院してから1ヶ月と1週間で治療を開始することになりました。
Apr 20, 2006
コメント(6)
★♪はっち⇒平成14年2月 術後1が月が過ぎ、傷口も綺麗にふさがりましたので、今日は美人ナースに連れられて、ストレチャーに乗せられ、入浴にいきました。 ウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ストレチャーの場合は、1人で入れる人の後に入るので、悪友の視線をいっきに集めます。あんなところはしっかりと隠していました。ストレチャーから湯船に移動して、エレベーターのようにゆっくり湯船に入りました。悪友が5人も寄ってきて、女性のような声で「お兄様お流ししましょう」と遊ばれました。 只今 \( ̄ ̄)/ 参上!!5分もつかっていたら、湯船から上げられ、ナース2人がかりで体を洗ってもらいました。1ヶ月ぶりのお風呂は大変気持ちよかったです。この日を境にパンツの着用を許可されました。やはりパンツを穿くとようやく生きていると実感しました。 ♪♪♪ d(⌒O⌒)b♪♪♪サンキュ*****************************平成18年4月18日(火曜日)今日仕事中に明け方ずーとPCで遊んでいるので、眠くなりました。ウトウト(〃´`)~o○◯・・・携帯でメールをしていたら、ちょっといきずまり、ちょっと椅子に座ったら15分寝てしまい、携帯を落として目が覚めました。こんな姿をマコに見られたら、怒られるので、その後はシャキッとしていました。話をするのが好きなはっちは、近所のおば様が買いに来ると、40分でも1時間でも話ができます。このごろ70近いおじちゃんのファンも出来、話をしに毎日来ます。 ウルトラマン o(o|o)/
Apr 19, 2006
コメント(4)
★♪はっち⇒平成14年2月初旬 先日の抜糸より1週間後、残りの抜糸をしました。 頭の中は糸で縫ってあったので、糸を抜かれる感じがありました。傷口から取っていた管も取って、担当医がもう少ししたらリハビリを開始しようと言われ、PTにオーダーを入れてくれました。それから数日後、ストレッチャーに移動し術後初めて病室から出ることが出来ました。天井が変わるだけでもこんなに気持ちよいものかと、初めて知りました。リハビリの先生はどんな先生が担当してくださるのかと考えていましたが、男でなければラッキーと思っていましたら、美人のPTさんが「今日から私が担当します」とかわいい声で言われ、自分の顔が赤くなるのが分かりました。 ♪((O(〃⌒▼⌒〃)O))♪わくわく名前・性別確認後、この病院では斜面台と言う、寝たきりの人を起こすための、ベットに寝かされました。20度くらいまで上げましたら、違和感はないのですが、足の筋肉が落ちたのか、足がグンと重く感じました。その後35度くらいまで上げてもらいましたら、肘掛にグット力が入るほど、足の筋肉が落ちていることに気が付きました。 フラフラ(((。o)))((((゜o。)))フラフラこの日は30分くらいそれをやってリハビリを終了しました。 ♪♪♪ d(⌒O⌒)b♪♪♪サンキュ★♪マコ⇒平成15年12月 そうして個室に移りました。個室は窓がほんのわずかしか開かない。ガラスがクモリガラスになっていて、外の様子が全然分からない。おまけに電気が薄暗く、あまり綺麗な部屋ではない。お風呂が付いているけれど使った形跡がないくらい汚い。トイレは便座が冷たいので、早速カバーを買ってきてもらいました。おまけに部屋が何故か変な匂いがするので、ファブリーズをシュシュとフリカケそれでも、匂いは消えません。お見舞いにくると洋服に匂いが移ってしまったようです。それにスゴイ乾燥するので、タオルを濡らして下げて置いたり、床に水をまいたりしました。なんか病気より部屋にいることの方が苦痛に思われるようでした。文句ばかりで申し訳ございません。( ^.^)ご( -.-)め( _ _)ん( -。-)ね( ^.^)でもこの病院の良いところは、看護師さんが良い人ばかりで、親切にしてくださいました。それにもちろん血液内科のドクターの方々が優しいことです。主治医ともだんだんとコミュニケーションがとれるようになってきました。 (●^o^●)v こうして私の一ヶ月の個室生活が始まりました。とにかくこの時の個室生活が、個室を出た後もしばらく部屋の前の廊下を歩くことが出来ないくらい辛いものでした。考えるだけで、胸が苦しくなったのを覚えています。⇒
Apr 18, 2006
コメント(6)
★♪はっち⇒平成14年1月 隣の個室のおじさん(怪獣)は、やはり頚椎で緊急入院したのですが、★ 後で聞いた話しによると、家で酒をがぶ飲みして、ベットの角に頭をぶつけて頚椎を損傷したらしいです ★夜中でも「たすけて~ たすけて~ ころされる~」と雄たけびをあげていました。 ボカッ(*▼▼)ノ゙☆(*△☆)イタッ 看護師さんは暴れるので「ごめんね。ごめんね」と言って押さえつけていたらしいです。 後でよく聞いたら副師長のお父さんでした。2日後私はうるさいので4人部屋に栄転することになりました。ベットが術後専用から普通病棟のベットに変わるために、6人の看護師さんがデートしにきてくれました。4人でベットの上に立ち、2人はベット下でサポートしシーツの4角を持って移動させてくれました。 まだ私はゆかたを上からかけているだけなので、一度に6人の看護師さんから「あんなところも、こんなところも・・・・」見られてしまいました。 看護師さんの平均は26歳くらいでした。4人部屋に移った2日後、傷口の抜糸を半分から下だけ行いました。ホチキスの針のようなもので止めてあったので、簡単に取れました。この頃になると、傷口からの膿も出なくなり、カテーテルを抜くことになりました。尿道カテーテルも抜きたいと申し出たら、1日様子を見た後抜くことになりました。若い看護師さんが来て、ゆかたをめくられてはずかしかった。どのように抜いたかは見ることが出来ませんでしたが、体からまた1つ解放されてすーきりしました。★♪マコ⇒平成15年12月ころ 私の治療はなかなか始まりませんでした。まだドクターとコミュニケーションがうまく取れていなかったので、なぜかなんで治療をしてくれないのか聞けませんでした。そうしているうちに11月の末になり治療をするので個室が空いたから移りましょうと言うことになりました。また治療はATGというもので、大変高い薬なので、難病の特定疾患の申請をだして下さいと言うことで、はっちが保健所に行き申請用紙をもらってドクターにすぐに書いてもらいました。年末で早く申請しないと今年中に申請がおりないと言われ、ドクターにおおあわてで書いてもらいました。特定疾患の申請は、生計者の納税証明書(はっちの)と、住民票、ドクターが記入した書類、保険証の4点がそろわないと保健所は受理してくれません。書類の中に書いてある言葉が難しいので、解らない事はムリに書かないで、保健所に持って行って、聞きながら書いた方が間違いありません。今回1回で受理されたので良かったのですが、中には2~3回やり直しをする人もいるようです。ドクターも私のような患者は始めで、申請をしたら病気をしたときまでさかのぼって特定疾患扱いになると言われましたが、実際は申請用紙を受理した時からと言うことでした。(これは埼玉県の話です。各市町村によって違うので良く確認された方が良いと思います)
Apr 17, 2006
コメント(6)
★♪はっち⇒平成14年1月術後3日が過ぎたら、ボート天井を見ていたら、天井の模様の数を数えていた。何もしないでいると、筋力が落ちたり、関節が曲がらなくなるので、膝をまっすぐしたまま、足を上げるリハを教わりました。5本指で食べるご飯も慣れたので、ホークを使って食べるようにしました。本当は麺類禁止のはずが、なんと付け麺が出てしまいました。ストローでつゆを先に飲んで、口に麺を入れて、口の中でつけ麺にして食べていました。術後の経過は順調で、以前聞いていた術後3週間の激痛の繰り返しは私にはきませんでした。どうしても痛くて我慢する事が出来なくて、1回だけ座薬の痛み止めを入れました。痛み止めはこれが最初で最後でした。ドクターもナースもこんな患者は始めてだと驚かれました。 毎日くるご飯は、おにぎり2個に分けてもらい、塩ごまふりかけをかけて食べていました。まさしく、魔法の手です。尻もかき・・・・・お腹もかき・・・・・頭もかいて・・・・・食事のときはフォークの代わりもする、すばらしい右手です。 キラキラビーム(/★_★)/…━━━━━☆)★♪マコ⇒平成15年11月末ようやく入院生活に慣れてきましたが、相変わらず不眠は続いていました。 こっくり(-_-)(_ _)(-_-)(_ _).こっくり どうしたら眠る事が出来るのかもう分からなくなっていました。マコは入院する前は不眠を知りませんでした。布団に入ると直ぐに眠れましたので、病院生活とのギャップに退院するまで戸惑っていました。(・・?))アレ((?・・)アレレ・・・毎日眠れないともう寝ようと考えないようにすることが良いかなと思い始めました。寝ようとするとストレスで余計に眠る事が出来ません。もうどうでもいいや、眠れる時に寝ようと考えました。ですから、昼間でも寝られそうな時は横になって布団の中にいました。病人なんですから、当たり前の光景ですが、輸血をするくらいしか今やっていることはないので、それ以外はやることありません。さっさと治療を開始して退院したいと私は思っていても、ドクターは「慌てず治療していきましょう」とのんびりしています。のんびりしているわけではなく、私に一番良い治療方法を考えてくださっていたのですが、その時の私の心境は、早く・・・早く・・・しかありませんでした。あせらず・・・・・あわてず・・・・・我慢せず・・・・・・これは私のメール友達で移植の先輩からいただいた言葉です。 ♪♪♪ d(⌒O⌒)b♪♪♪サンキュ *****************************★♪平成18年4月16日(日曜日)はっちは今朝はなぜか午前1時に起きましたが、PCのスイッチを入れたら、止まらなくなり7時までPCの前に座っていました。 (; ̄ェ ̄)_|[PC]| 検索中・・・買い物のあと花屋さんに行ったら、かわいい「けいとう」の花が売っていたので買いました。その「けいとう」は、赤・ピンク・黄色・オレンジのとても可愛い花が咲いています。「けいとう」は大きい花のしか見たことがなかったので、その可愛さに直ぐ購入しました。昼食は味噌ラーメンを食べに行きました。七味をたくさん入れて食べたら2人でむせてしまいましたが、体がとても温まりました。
Apr 16, 2006
コメント(8)
★♪はっち⇒平成14年1月何の記憶もなくはるかかなたから、私を呼ぶ声が聞こえました。 ~ヘ(´ー`*) ミミカシテ…はっちさん はっちさん と聞こえたので、ドクターの名前を答えたら、みんなの声が「(*^▽^)/★*☆オメデト♪ 」と聞こえました。そこからまた深い眠りに入り、どこをどうストレッチャーに乗ってきたのか、記憶がありませんが、気が付いたら個室に入って酸素マスクをされていました。一晩中私の側に付いていてくださったナースの人が、血管の細い私の採血する時ミスなく出来る、プロ中のプロのTナースさんでした。酸素マスクを付けられていると、想像以上にのどが渇くのです。水を何度も要求しましたが、その度に優しく「コットン」に水をひたして、唇をしめらせてくださいました。時間が経つのが遅いのでラジオを付けてもらい、ナースともいろいろとお話をしました。 ありがと~☆ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ☆ベットは、術後用のマットが引いてあるので体は痛くなりませんでした。首の傷口から膿のような液体を出すためのチューブが出ていますので、かなり念入りに液体の色や量を調べていました。尿については、カテーテルバルーンが入っているので、放尿感もなく、不思議な感じでした。初めてのことなので抜けるか・・・抜けるか・・・・少し引っ張ってみましたが、後でナースに聞いたら無駄な努力と笑われました。 o((*^▽^*))o ゲラゲラゲラ翌日マコが来た時に朝食が出ていました。おにぎり2個と簡単なおかずが出ていたので、お腹が空いたのでおにぎりを1個食べたら、ナースに見つかり術後直ぐの人は、そんなに食べたらいけないと怒られました。 。(~Q~)。はっハラ減った・・・検査入院の時に、同じ首の手術をした友人から、術後の激痛話を聞いていましたので、私なりに覚悟をしていましたが、不思議な事に痛みは全然ありません。 (゚ーÅ) ホロリ 頚椎の手術をすると、ほとんど天井を見ている状態ですが、首自体は何も固定しません。砂袋を頭の両脇に積み重ね、寝返りが出来ないように固定されています。回診に時に、初回は5人掛かりで左右各15分ずつ体位を変えてもらう時が、唯一の横の景色を見れる時間でした。 ワーイ♪♪\(^ω^\)( /^ω^)/♪♪ワーイ 頚椎の術後の食事の仕方について ??(・_・*)(*・_・)(*~^~)/? 食事の時は、ベットの頭よりアーム状に伸びた大きな鏡を見ながら、移動テーブルを胸の位置にセットして、まるでバックミラーを見ながら食べる感じです。この鏡とは1ヶ月お世話になるとはその時は想像もしませんでした。とにかく慣れるまでは手づかみで食べるのが一番でした。この鏡で時計を見ると、逆回転するので、違和感がありましたが、1ヶ月もするとタメライモなく正確に時が読めるのが不思議でした。 m(^._.^)m ドレドレお通じはなんと寝たまましたのは始めてですが、「ちりとり」のようなものを尻の下に差し入れて、違和感がありますが、タメライモなくでました。 ォィォィ(;・・)ツ☆その後ナースコールを押すと、なんとあこがれのナースなりたての「加護 あいちゃん」似のナースがやって来て、私のばばっちいお尻をふいてくれました。ウレシイ・ハズカシイ :*.;".*・;・^;・:\(o^▽^o)/:・;^・;・*.";.*:サンキュー!
Apr 15, 2006
コメント(0)
★♪はっち⇒平成14年1月8日とうとう来てしまいました。手術の日の朝のことです。昨晩夜歯磨きをしに行ったら、22歳の若いナースにつかまり、浣腸されてしまいました。カップ麺の時間くらい待ってと言われましたが、ドウニモトマラナイ・・・・・( ((≪☆★BOMB!!★☆≫)) )マコが来る前に点滴のルートを左手の甲の親指に近いところから取りました。マコが来た時に、一休さんとマコのラブラブショットを撮りました。 (≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪ 私の前に2件のオペがあったので、時間がくるまでドキドキでした。ストレッチャーに乗り、別室に移動しました。なんの注射が分かりませんが、すぐに寝てしまい、手術が終わるまで気が付きませんでした。注射は麻酔を導入するもので、この注射で寝てしまう人も珍しいし、大変痛い注射だそうですがこれを痛がらない人も珍しいと看護師さんが言っていました。ですから、はっちは別室から手術室に行く時も、寝てしまっていて何も分からないまま手術が終わってしまったので、良かったです。それから手術が終わって出てくるまで8時間・・・・・・・待っている方は4時間くらいと聞いていたので、今か今か、どうしてしまったのか、長い長い時間でした。★♪マコ⇒平成15年11月私の入院した次の日に入院してきた30代の人は、白血病でした。早速次の日から抗がん剤の治療に入りました。抗がん剤治療すると髪の毛が抜けてくるそうです。黒髪の長い髪の彼女の気持ちを思うと辛いです。3日目くらいで、白血球が減少して個室に行きました。私は入院してまもなくで、どう声をかけてあげれば良いかわからなくて、個室には1度も行きませんでした。でもその後大部屋になった時は、よく部屋を訪問しました。入院しているといろいろなことを抱えこんでしまうようです。不安ばかりが先に立ってしまいます。私もいろいろ不安ばかりでしたが、はっちにそんなことでは病気と戦う前に病気に負けてしまうと言われました。病気に勝つには、気持ちを明るく前向きに。分かってはいてもなかなか出来ません。同室の人に挨拶はちゃんとする。おはよう。検査行ってらっしゃい。調子どう。出来ないことをお手伝いしたり、散歩を一緒に行ったり、コミュニケーションを取るよに心かけました。マコは入院したからほとんど夜眠れませんでした。ですから、昼間寝なくてはと思いましたが、それも眠れなくてこの時期は辛かったです。周りのガタガタする音や、ナースコール、たまに叫んでいる人も・・・・・。挙句の果てにナースがストレス解消なのか、壁にステンレスの台車をガタンとぶつけるし、前の病室の方は、夜中に何回もナースコールを押して、その度に看護師さんに怒られて、そう言う声を聞くとドキドキしてしまって、ますます寝る事ができませんでした。夜勤の看護師さんは少人数で重労働、頭が下がりますが、(;人;) オ・ネ・ガ・イ もう少し静かにしてくださ~い。
Apr 14, 2006
コメント(0)
今日は血液について少し分かっていただけたらな思います。皆さん血液と言うと何を思いますか。あって当たり前のもの。色は赤。血管で体全体を回っているもの。心臓で血をきれいにして送り出している。あって当たり前だから、あまり深く考えたことがないですよね。私もそうでした。血液がなくなったら・・・・血液が出来なくなったら (@’ω’@)ん?血液は大きく分けて、血球(細胞)成分と血漿成分とから成っています。血球(細胞)成分がその中の45%を、そして血漿成分が55%を占めています。 組成は、 血球(細胞)成分(全血中の45%) 赤血球 96% 白血球 3% 血小板 1% 血漿成分(全血中の55%) 水分 91% 血漿蛋白質 アルブミン 3.85% グロブリン 2.8% 凝固因子 0.35% 無機塩類 0.9% その他 酸素・各種ホルモン等 1.1%なんか難しい聞きなれない言葉もありますが、赤血球・白血球・血小板は聞いたことがあるのではないでしょうか。ではどんな役割をしているのでしょうか。 赤血球・・・・酸素を体の組織に運搬する 白血球・・・・顆粒球・リンパ球・単球に分類される。 顆粒球:::生体防御系に関与する。細菌などと闘う 好中球⇒55% 好酸球⇒3% 好塩基球⇒0.5% リンパ球:::免疫の機能に関与します(細胞性免疫を担うTリンパ球、液性のBリンパ球)。 細胞の表面にヒト白血球抗原(HLA)が存在する 単球:::免疫能に関与します。 血小板・・・・・・出血時の止血に関与します。 血漿・・・・・・・・浸透圧、免疫、血液凝固に関与します。血液は人間にとって生命を維持する上でなくてはならないものですが、あまり日常生活において考えることは少ないと思います。たまには感謝の気持ちもこめて、このようなことを考えること ?c(゚.゚*)エート。。。 も大切かなと思います
Apr 13, 2006
コメント(6)
★♪はっち⇒平成14年1月7日いよいよ明日が手術の日なんです。聞いて下さい。先日の脱毛を終えたツルツルの頭でお風呂から出で、落ち着かないので、大部屋に挨拶に回ったら、おばあちゃんがお坊さんと間違えて、拝まれてしまった。手術を乗り越える為にみんなの力をもらおうと、ツルツルの頭をなでなでしてもらって、歩いていました。そうしないと寝付けないような気がしたからです。。o@(^-^)@o。ニコッ♪もう次の日が手術となれば、ベットの上で鏡を見ながら食べるご飯も、看護師さんが Σ(・ω・ノ)ノ! びっくりっ! するほど上手になりました。尿瓶は2種類から選べます。私がえらんだのは、安楽尿器と言う尿瓶でした。この尿瓶はとっても便利なんです。床にタンクが置いてあり、ホースがベットまでつながっている。そして先がシャンパングラスのような形をしています。それでベットの柵にかけられるようになっています。手術前から愛用していますが、たくさん出ても大丈夫です。さ~明日は手術だ・・・(*^o^*)ドキドキ(*゚O゚*)バクバク★♪マコ⇒平成15年11月8日8日夜主治医のドクターから病気の説明をうける。マルクの結果と血液検査の結果で「再生不良性貧血」に間違えないと言われる。20年前だったら20パーセントの生存率であったこと、このまま治療しなければ命が危ないことを言われる。レベルが軽症・中等症・重症・最重症の中のもっとも重い最重症であることを告げられる。今まで想像もしたことがない余命と言う言葉を聞いてショックを受けてあとはなにを言われたか覚えていない。病気の説明された紙を主人が持っていってしまい、なんかもっと悪いことが書いてあったのかなと余計に不安になる。それはしばらくしてドクターにもらう。冷静になってからだったので、告知の時より落ち着いて自分の病気を理解できた。白血病との大きな違いは、癌細胞があるかないかである。癌細胞はないので、抗がん剤治療はありません。45歳未満だったらこれだけ重症だと骨髄移植が第一選択だと言われましたが、私は当時48歳で移植は第二選択になりました。ATG治療と免疫抑制治療を併用することになりました。どんな治療なのかは明日説明します。これからが私の闘病生活の始まりです。ショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック*****************************★♪平成18年4月11日(火曜日)今日どんよりした曇り空でした。暗い気持ちになりがちなので明るいことを(・・*)。。oO(想像中) たいな。ちょうど女性のお客様が来たので、世間話をしていたら、40分も話してしまいました。~~ц、、(^.^)ハイ、コーヒー3杯も飲みましだ…
Apr 12, 2006
コメント(2)
★♪はっち⇒平成14年1月4日今日は新しい怪獣をご紹介します。Fさんは、1年以上入院している、元暴走族。Kさんは、術後モウロウとして、尿道カテーテルを抜こうとした変なおじさん。Sさんは、ポータブルトイレに座ったら立ち上がれなくなった、超文句を言い、お菓子をいつもぼりぼり食べているおじさん。の4変人(はっちも含めて)の集まりです。特にFさんは、坊主頭なのに、男性看護師に頼み、頭のてっぺんをハート型に残していて、回診の時いつもドクターに怒られている、寝言のうるさいやんちゃなアンちゃんです。初日の昼飯から寝てご飯を食べる訓練をさせられ、ベットから鏡を見て食べるのは、ちょっと難しい。こぼすと首の後ろまでいくので、これをなんとかしなければ・・・2日後手術用の体を洗う為の準備に入る。綺麗なヘアースタイルなのに、バリカンで丸坊主にされた後すぐに、お風呂場に拉致され、上半身全部に脱毛クリームを塗られました。あれよ・あれよ・と言う間に、坊主にされた髪の毛でも、アカすりでこすると、根本から抜け落ちるので、ビックリ (*0*;)☆ ウキャー!!脇毛はビックリするほど、バ・サ・バ・サ落ちました。これほど、しっかり抜ける脱毛クリームに怖さを感じました。 く(""0"")>なんてこった!!★♪マコ⇒平成15年11月5日入院の3日前から1日に一個ずつ首のところにオデキが出来て、今は四個になりました。なんだろうと思っていましたら、白血球の中にはリンパ球と好中球と言うのがあって、だいたい半分くらいずつになっているのが普通ですが、入院時は好中球がゼロでした。好中球とはどんな役割があるのかと言うと、体の中に入ってきた細菌と戦う白血球が好中球です。それがゼロと言うことは細菌と戦う能力がないと言うことです。ですから首のデキモのも自分で治す力がないと言うことです。人の体はどれ一つとして、多くても少なくとも何か支障がでるものなんですね。ですからすぐに抗生物質の点滴をしました。これはすぐにはよくならなくて一週間くらい点滴が続きました。マルクは6日の朝再度挑戦。太い針なので昨日よりさらに痛く、骨に刺されるときも、ずんという感覚がとても嫌でした。取った骨髄液をナースが落としそうになったので、冷汗ものでした。 アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー細胞も取ったので骨をかりかりしている感覚がありました。イヤな感じは今も忘れられません。明後日に家族に病気の説明があるので、来てもらうように言われました。*****************************★♪平成18年4月10日(月曜日)眠くて椅子に座って仕事をすると、携帯を持ったままウトウトしてしまいました。 ネチャダメ!(。・x・)o――<―_・).。oO *パチッ!昼過ぎからパラパラ雨が降ってきました。寒いし・雨だし・なんか憂鬱な1日でした。
Apr 11, 2006
コメント(5)
★♪はっち⇒平成14年1月4日に入院なので年末にあわてて床屋に行き、初めて短いスポーツ刈りにしました。お正月も落ち着かなくソワソワして、4日の入院の日が来ました。もうここまで来ると、早く手術を終わらせて早く家にける事だけしか考えられませんでした。病室は4人部屋で、と説明があり、今度はどんな怪獣がいるか楽しみでした。事務員さんに病棟に案内され、病室に行く前に体重を量ったら75Kgもありました。ゲ・ゲ・ゲ・ゲ・ゲ・・・・・★♪マコ⇒平成15年11月5日翌日5日、初めてのマルクの検査です。午前9時ドクターが来る。看護師さんと二人です。うつ伏せになり緑の消毒済の布を背中にかけられる。腸骨から取るので、オシリとウエストの中間当たりに麻酔をかけられる。何回も麻酔の針を差し、上から麻酔がきくように押さえる。それから骨髄液を取る針を指して痛くないか、聞かれる。痛いと麻酔を足してくれる。して、1・2の3で骨に針をさす。それから1・2の3で針を抜く。針を入れる時はぐっと強い力で押さえつけられ、抜く時はすごい力で引っ張られました。(これがみなさん嫌な感覚なんです)でも残念なことに私は太っていて短く細い針が届かなくて、骨髄液が取れませんでした。また再度明日やることになりました。もう痛い検査二回もやるの。ドクター私何か悪いことしましたか。 神様お許しを...( TーT)m ((^─^))マル♪*****************************★♪平成18年4月9日(日曜日)午前中は食料品の買い物に行きました。車で20分くらいのところに安いお店があるので行きます。まだ11時だと言うのにレジはフル回転、店内も狭い中混んでいて、買い物をするのも大変でした。買い物は格闘技ですね。野菜売り場は重いし重労働です。 ヾ(☆o☆):ヲホホホホホホ・・・・買い物のお陰でマコは元気になっています。今日はマコの妹の子供が小学校1年生になるので、入学祝いを持って遊びに行きました。とても花が綺麗で明るい家なので、おばあちゃんやお母さんとたくさんお話をしました。我が家もつい先日までこんな感じだったのに、今ではヒゲをはやしています。時の経つのは早いですね。帰りには野菜をたくさんいただいて帰りました。その後の予定がないので何時もの疲れがでたのか、暖かいところで日向ぼっこをしながら、ウトウトしてしまいました。
Apr 10, 2006
コメント(4)
★♪はっち⇒平成13年12月私が病院が嫌いなのは、なんといっても血管が細くて、中のほうにあるらしく、献血の看護師さんにも拒否されるくらいの細さです。そう思ったらやはり入院病棟の看護師さんは大変上手でした。ただ手の甲とか、手首の辺りの血管からでも採血が出きると言うことを知りました。ヘパロックと言うことが分かり安心して手術できるよと言われた時には、なら手術も怖くないと思いました。検査入院の期間も終わり、手術用の自己血と装具作りの為に、3回病院に通いました。自己血は太い血管のある内股からとりました。装具は胸より頭の先まで全部型を取りました。これで年内にやることはすべて終わりました。★♪マコ⇒平成15年11月入院初日の不安な気持ちは今でも忘れません。それを思い出すと胸が苦しくなってきます。入院された経験のある方なら誰しもそうだと思います。これからどうなるのか?どんな治療をするのか?いつまで入院するのか?不安で不安で・・・・・・・それと病室の方々と上手くやっていけるかな?これはすぐにクリアーしましたが。明日はマルクという検査です。腸骨に直接針を刺して、骨髄液を取るそうです。なんか考えただけでも痛そうです。ドクターに「痛いですか」と聞いたら、「大丈夫よ。痛くないように麻酔するから。」さらりと言われてしまいました。「お産より痛くないですか?」と聞いたら、「私お産したことないから分からない」お産は何十時間も痛いけど、10分くらいだからと自分に言い聞かせました。*****************************★♪平成18年4月8日(土曜日)今日は久しぶりの義父と義父の妹夫婦と私たち夫婦で飲み会です。何年ぶりかの飲み会なので、わくわくどきどきしました。。 o@(^-^)@o。ニコッ♪お昼から始めて6時まで、話が終わりませんでした。はっちは運転があるため、お茶にしました。やはり年配の人との会話なので、あっちが痛い、こっちが痛いと言う話で、会話が途切れませんでした。
Apr 9, 2006
コメント(4)
★♪はっち⇒平成13年12月私の部屋の6人の猛獣達を紹介します。Aさんは、75歳の自営業でオペ用のハサミを作っている職人さんです。一見頑固じいさん、良く話をするとやっぱり頑固じいさん。Bさんは、塗装屋のガテンのお兄さん。昔ヤンキーだが、ハートの熱いバイク好きの頼れる弟と言う感じ。Cさんは、同じ頚椎のオペ先輩。運送屋のおやじで、頚椎のキズを見せてくれて、しっかり恐怖心を植えつけてくれた兄貴って感じ。Dさんは、弱電気関係のエンジニア。家に趣味のサボテンだらけの優しい同僚と言う感じ。いつもパソコンで(ウ・フ!)別の意味のPCの楽しみを教えてもらいました。Eさんは、もと日本水泳の強化選手。病院から通販を買うのと、夜病院を抜け出してコンビニのお使いをしてくれるアスリート兄貴。Fさんは、検査入院できた優しいおにいさん?私はっちで~す。以上の6人のドタバタ物語は次回に続きます。★♪マコ⇒平成15年11月4日その日主人と義父が帰って一人取り残された後の寂しさは、今思い出してもウルルンときてしまいます。私の担当医が現れました。先ほど外来でみていただいたK医師ではなく、とても若い女医先生だったのに驚きました。見た目は二十代半ば、インターンだと思いました。でも本当は名医でした。これからずっとお世話になる素敵なT先生です。よろしくお願いします。*****************************★♪平成18年4月7日(金曜日)とても朝寒くて体が「こわばる」ほどの違和感がありました。どうにか仕事場に着き今週も今日で終わりなので、頑張るしかないと思いました。嬉しい事に今日はMIXIのアクセス数が500を超えました。この世界に入れた事により、私の生活は充実したものに変わりました。mei05&O-samuさん夫婦に出会えた事が嬉しく感じられる一日でした。
Apr 8, 2006
コメント(10)
★♪はっち⇒平成13年12月初めての入浴はドキドキ・ワクワクでした。同室のお兄ちゃんがお風呂は美人がサポートしてくれると言ったので、ルンルンして行きました。着替えを台車に乗せて後から行くと、爺さんの隣しか椅子がなくて、座ると看護学校の生徒さんが私の体を洗ってくれました。看護学校の生徒さんも冬なのに短パンに半そでのTシャツ姿がまぶしくて、「こんなにサービスが良いならズートいても良いかな」なんて思いました。頭を洗った後のお湯を流してくれる容器は、家庭用のごみバケツでした。これは腰痛の原因にもなると思うので本当に頭の下がる気持ちで、胸が熱くなりました。★♪マコ⇒平成15年11月4日その日は一応入院になるかも知れないということで、簡単なパジャマと洗面道具は用意して行きましたが、まだ足りないものがあったので翌日持ってきてもらうことにしました。私が入院するかもしれないと聞いた義父が私の検査の途中から駆けつけてくださったので、売店で簡単に手に入るものは買ってきてくれました。とにかくこの病院は迷路のようなので、この病院に通院している義父がいたことは助かりました。私達は右も左も分からないので、今自分がどこのへんにいるのか検討もつきません。病院は継ぎ足し・継ぎ足しで大きくしたようです。お見舞いに来てくださる人も大変です。*****************************★♪平成18年4月6日昨日は前日とは違い、晴天でした。でも、風があって寒さを感じました。今は寒くなったり、暖かくなったりの繰り返しで、体がついていきません。安定した気温になってもらうと体が楽になりますよね。はっちと話をしていたら、過去の栄光を思い出しているんですよ。「重いものを持って3階くらいまで階段で持っていけたのになあ」なんて。今は買い物の袋もマコが持ちます。だって、袋を持ったためにバランスを崩して転ぶ方が怖いです。マコが退院してきたらほっとして、入院中にやってくれた事をはっちはしてくれなくなってしまいました。はっち曰く「マコのリハビリだ」と言うんですよ。でも怪我をされたらマコが困るので、マコもリハビリ・リハビリと思っています。
Apr 7, 2006
コメント(6)
★♪ はっち⇒平成13年12月初め検査入院の日、初めての入院でその時の体の状態は、左足はほとんど引きずっていました。6人部屋の真ん中のベットで、パジャマに着替えたらこれで帰れるのか心配になりました。回診の時には、先生や看護師さんなど皆さんから、入れ替わり立ち代り神経の感じるテストをされました。夜は人のいびきで寝られず、トイレに行くのも長い距離を歩くのが苦痛でした。色々な検査をしましたが、初めて手術室に入る検査は今でも忘れません。筋肉の病気に疑いがあり、左腕の筋肉の細胞を取る手術でした。初めてつけた「T字帯」一人出来た浴衣、どちらを前にして良いか分からなかった。車椅子で手術室へ・・・思ったよりドキ・ドキしなく、音楽が流れている手術室は快適でした。★♪マコ⇒平成15年11月4日病室が空いていることを確認してから、心電図とレントゲンを取る。今までサカサカ歩いていたが、車椅子に乗るように言われ、初めてはっちに押してもらう。はっちが入院していた時は私が押していたが、今は逆の立場になり、気持ちが複雑でした。この日から四ヶ月以上家に帰れないとはこの時はまったく想像していませんでした。検査室から戻り看護師さんが迷路のような廊下を通り抜け6階の四人部屋の病室にいきました。70歳くらいの二人の御婦人ともう一つのベッドは空いていました。今日から何日ここにいなければならないのか本当に不安で不安でなりませんでした。******************************★♪平成18年4月5日(水曜日)今日は雨雨は嫌いじゃないけど・・・やっぱりたまにはね。でも私が出かける時はやめてね。あー水色の雨雨雨降れ降れもっと降れこぬか雨降る御堂筋雨がやんだらふる~い皆さんはどんな雨の歌が好きですか
Apr 6, 2006
コメント(8)
平成18年4月4日(火曜日)昨日はマコの外来日でした。病院に行くとまずいつもの採血室へ。3本取られました。何回も針は刺されていますが、慣れないものですね。6週間ぶりの病院です。病気になってこんなに病院にこないことは初めてなので、なんか新鮮に感じられます。主治医のT先生お久しぶりです。いっそうドクターが美人に見えます。 検査結果 赤血球 364 ヘモグロビン 12.5 白血球 3400 血小板 130000血小板以外は正常値になりました。血小板も正常値が150000以上なので、あともう少しです。ファイト!ただ、中性脂肪が高い・・・・痩せないと・・・でも痩せない・・・病院の大変美味しい??食事を食べても痩せないこの体・・・・どうしたら痩せるのでしょうか?病気に気が付いた歯の治療を主治医がしても良いとの事。早速病院の帰りにかかりつけの歯科に。2年半ぶりに歯の治療です。病気の事を歯科の受付で説明する。治療していただけるとの事。良かった。「今日しますか」え・・・心の準備が・・・私歯科大嫌いなんです。でもここまできたら、覚悟を決めてお願いします。直ぐに名前がよばれました。ちょうど患者さんが途切れた時に行ったようです。運が良かったみたい。キーン・キーン 何回聞いても嫌な音ですね。自然に体の力が入ってしまいます。終わったらびっしょりと汗が・・・でもこれでようやく歯が入ります。詰まってしまって左はあまりかめませんでした。入れ歯はやで~す。
Apr 5, 2006
コメント(8)
★♪はっち⇒平成13年11月末仕方なくマコに連れられ病院に行きました。その時の体の状態は、ほとんど左足は上がらず、車に乗るときにも太ももを腕で上げなければ、車内に入る事すら出来ませんでした。病院に着くとあれよあれよという間に、レントゲンとCT,MRIと検査が進みました。午後には結果が判明し、ことの重大さを指摘され、検査入院の予定を有無を言わさず入れられました。MRI画像で見ると、人体を縦割りにした場合、頚椎の髄液の流れる部分がすでに砂時計状態でした。その時判明したもう一つの原因が、普通の人より小脳の位置が下がっていたので、運動機能に障害がでる可能性大でした。「なんでもっと早く病院に来なかったのか」と叱られました。★♪マコ⇒平成15年11月4日ドクターが大学病院のドクターに電話している内容は、「まだ48歳なのでなんとか助けてあげてください。」え!私本当にそんな重病になってしまったのでしょうか?とにかく入院になると思う。すぐに病院に行くように。紹介状を持ってはっちと二人でタクシーで大学病院に行きました。私はまだそこでもまだ入院じゃないよねと思っていました。血液検査をし、昼飯を食べてくるように言われたので、食べてから1時になったので、診察室の前で待っていました。呼ばれましたので、私が一人で診察室に入っていくと、一人で来たのか聞かれました。主人と来たことを告げると呼ぶように言われ、二人で診察室にはいると、「再生不良性貧血」に間違えないと思う。すぐに入院してもらわなくては危険なので、今開いている病室を探しますからお待ちくださいと言われました。*****************************★♪平成18年4月3日(月曜日)朝から晴天ですが、一日強風が吹いていました。昨夜の強い雨で桜も散ってしまったのではないかと心配です。このごろちょっとリハをさぼり気味のはっちは、歩くときのストレッチなどしないと、いつ転ぶかわからない状態です。立ったときに足の指に力が入らない為、足先が上がらないのでマコがはっちに靴下をはかしずらい。実はマコははっちに何から何まで着せています。甘やかしすぎ?でしょうか
Apr 4, 2006
コメント(12)
★♪はっち⇒今回転んだには衝撃的なものでした。歩道の点字ブロックにつまずいた時に、左手をついたら肩まで一気に電気が走る感じがありました。勿論右手は出さなかったので、右のオデコも点字ブロックにぶつけました。不思議な事に今回も骨折はしていませんでした。妻が側に居ましたが、今回だけはすぐに立ち上がる事はできませんでした。平成13年の10月に今度は仕事が終わって家に帰る為、階段を登り始めたら、途中で左足が階段を踏み外して、荷物を持っていたので体ごと前に倒れたら、ちょうど目と目の間を階段の角にぶち当て、かなりな出血がありました。頑固な私は今回もマコの言うことを聞かず、自分で治す事に勝手に決めました。そのときのキズはまだ残っています。そのお陰で病院に行く事を決心しました。★♪まこ⇒検査を受けたのが金曜日でした。翌日は結果が出ないと言われましたので、火曜日に病院に行きました。何故月曜日でなかったかと言うと文化の日でたまたま祭日でした。休日の間にインターネットで「血小板減少性紫斑病」のことを調べました。入院治療しなければいけないこと。難病であること。この場になってもまだ自分が病気になったことが信じられなくて、と言うのもまったくと言って良いほど元気だったからです。私は入院なんかするわけやいと思っていました。火曜日に病院に行くと私より前に来ていた人がいるのに何故か一番で呼ばれました。電話したのに出なかったから、具合悪くなって入院してしまったと思って市内の総合病院に電話をかけてくださったようです。「大変な病気になっているよ」とドクターが青くなっていました。血小板が減少するだけでなく、血液の白血球も赤血球も減少してしまう、「再生不良性貧血」だと言われました。すぐに血液内科のある病院を紹介するから、今すぐに行くように言われました。N大学病院、T大学病院、J大学病院、S大学病院どれを選ぶか?その中の一つにしました。*****************************★♪昨日の感じた事♪★ 平成18年4月2日(日曜日)スタバでコーヒーを飲んでいたら、ブルちゃんが3頭とゴールデン君が1頭私達の前でしっぽを振っていたのでとっても癒されました。マコはまだ免疫が弱いので動物に触れませんが、ガラス越しにみたワンチャンにはとても可愛かったです。帰りに聞いた小田和正の曲は夫婦で聞き入ってしましました。 ★♪マコ⇒小田和正の曲は人との出会いを大切にする、心に残る歌が多いです。私は無菌室に居たとき、辛かったときに音を小さくして聞いていました。
Apr 3, 2006
コメント(8)
★♪はっち⇒平成11年頃より足が弱るといけないので、朝近くの公園に1時間ずつほとんど毎日のよう行きました。歩き方は徐々に左足が重点的に上がらなくなり、どうにか体で持ち上げる状態でした。歩く姿は自分では真っ直ぐ歩いてるつもりですが、マコが毎日見ていましたので説明します。★♪マコ⇒はっちの歩く姿は、後ろから見ると、左肩が上がり、右の腰が極端に水平より上にあがって、さらに左足が上がらない為、足首が外側に傾いていたので、スニーカーの底が極端に斜めに減っていました。他の方から見たら重病の人に見られたので、会う人全ての人が、「はっちに頑張ってね頑張ってね」と言っていました。はっちは「頑張って歩いているのに、これ以上どうやって頑張ったらよいのか」と私に泣き言を言っていました。★♪マコの昨日の日記の続きです。♪★ 平成15年10月末足にたくさんの紫斑が出来てなんだろうとは思っていましたが、痛いわけでもないのでほっておきました。しかし、はっちがオカシイカラ病院に行った方が良いと言うので、近くの内科に行きました。ドクターが私の足を見るなり、これは大変な病気だと言われました血液検査をして見なければハッキリした事は言えないけれども、「血小板減少性紫斑病」ではないかと思うと言われました。私は聞いた事もない病名に、人事のようでした。ドクターは血液内科に居た事があったそうで、すぐに血液検査をしましたが、その病院には検査室がないため、すぐには結果がでませんでした。 続きは明日また書きます。 遊びに来て下さい。お待ちしています。
Apr 1, 2006
コメント(12)
★♪はっちが本当に左腕の引く力が弱くなったかなと感じたのは、19歳頃でした。コック見習いを始め魚屋、やおや、ラブホのメイク色々職業を変えて27歳で会社設立この時は少しずつ進行していました。30歳ギリギリで結婚し40歳で足に異常が現れ始め、月に1回は転びました。★♪マコ⇒平成15年10月ころ急に、青あざがぶつけたわけでもないのに出来なかなか消えませんでした。それから歯茎の出血がなかなか止まらなくなりました。歯科にあわてて行きました。詰めていた歯がダメになっているということで、詰めていたものを取りました。それからがますます、歯茎の出血がひどくなり、次の日止血止めにもう一度歯科に、そして痛み止めをもらいました。この痛み止めが私の病気に拍車をかけたようです。痛み止めは血小板を下げる働きがあるようで、急激に血小板が下がってしまい、足に紫斑がたくさんできました。別に痛いわけでもないのでそのままにしていました。続きは又明日書きます。マコの骨髄移植については、再生つばさの会の過去ログにまこりんの移植日記と題して書き込みしています。過去ログの2004年9月頃からケセラセラとマコリンのハンドルネームで投稿しています。よろしかったらのぞいて下さい。 http://www.xyj.co.jp/tsubasa/ 再生つばさの会
Mar 31, 2006
コメント(0)
今まで何時始めようか、悩んでいましたが思っているだけでは始まりませんよね!私と妻の病気を通して、過去と現在の状態を混ぜた♪あくまでも私から見た日記です。出来るだけ退屈させないように致しますが、沢山のコメントお待ちしておりますので 宜しくお願いします。
Mar 30, 2006
コメント(6)
全48件 (48件中 1-48件目)
1
![]()
