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座敷には2人の段飾りが。笑仲のいい親子だったけどここまで仲良くしなくてもと、思いつつここまでもひーばーさんに持っていかれる舅に笑いが出たり「ばーさんにはかなわんにゃぁ」なんていつも言ってたなぁと思い出したり。家族葬だったからなのか土地柄なのかじわじわっと人が焼香に来てくださいます。舅に会いに来てくれたのにひーばーさんも亡くなってるのに驚かれたり^^;ただ、来て下さる方で施設に行ったことがある方は『まずは“のれんちゃん?”って聞かれるんよ 生活の大半一緒にいたからね』と、言われる。そっかぁ・・・・・・・・・。段々と落ち着いてきて年金などの手続きのため集めた書類“ひーばーさんが生まれてから亡くなった記載までの戸籍”電子化前は手書きで、生まれてからだからワタシが初めて手にする婚前の戸籍もうね、記載すべてが歴史書!天保14年生まれの方が載ってるし!天保って江戸時代だよ!!(ばーさんが生まれた年に77歳だから載っててもよい。笑)すごいなー。。。末っ子のひーばーさん、もうみんな故人で男子がいないからかこの戸籍を開くことはもうないかもしてない。しんみり眺めたさ。ずっと“元の性格が悪い”って思ってたけどとがって生きなきゃいけない時代だったのかな。末っ子だし母子家庭だし常に先制攻撃してなきゃいけない?・・・。「ひーばーさんが生まれ変わったらどんな世界になってるやろうね きっと想像もできないすごい時代になってるよ」と、話したことがあるけどひーばーさんは「極楽浄土でおとーさん(夫)と姉妹兄弟とみんなで楽しく過ごすから 次の世界はかまん(いらないの方言)」そう言ってた。うん。だったら攻撃しなくてもいい普通の自分でいれるんだね。ひーばーさんの本四十九極楽浄土へ到着?ずっと帰りたいといってたあの日にかえれるかな?かえれたかな?会いたい人に会えれるかな?会えたかな?沢山のことここに垂れ流しにしてすみません。タイトル『ババア戦記』にしとこうか?<え今は仏になったババア戦記。(真剣)さ、私の介護記事はここまで。皆様ありがとうございました。次回は私が介護されるときか?!そういえばひーじーさんが亡くなったのは50歳舅が発病したのは49歳鬼門?!旦那50歳前後気をつけなきゃ?!
2015年09月08日
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95歳ホント長生きしました^^そのまま自宅へ5年前の7月に家を出てから5年ぶりの帰宅。さぁそこで身内会議だ。ひーばーさんはずっと葬儀屋に積み立てをしてたのでかなり立派な葬式ができる感じなんだけど舅の葬式から約2週間・・・今回ひーばーさんの葬式をしたとして来る方が村の老人会の方々 きっと今までお世話になった歴代の施設の方々 主人の会社の方々。 ひーばーさんは末っ子なので姉妹両親は存命してなく・・・つまり、舅の葬式と同じ方が来る。舅の四十九も済んでないので・・・ねぇ。なんて言うと姑も次男君も『世間の人には2回目でもひーばーさんにとって 一生に一度で最後で 今までたくさんのことをやってきたんだから (地域のお世話など) 葬式くらいはきちんとしてあげたい。』・・・ごもっとも(ーー;)でも、意外なことに反対したのは長女さんだった。『そりゃちゃんとしてきた人だしきちんと見送りたいけど 人様にひーばーさんは 手間とらせてまで見送ってほしいとは思わないわよ。』その一言で家族葬が決定しました。ばーさんの子、とその子(孫)とその子(ひ孫)。顔なじみな身内だけ^^時間だけはあったので棺の中は四国まいりのお札やお花や三味線の免許?きれいな着物に履物きっとこれらで重くなったはず。笑身内食事も気取らず飾らず仕出し屋の弁当のほかにマクドナルド山盛り。笑葬式だけどスナップ写真撮りまくったりまぁ長寿だしあるいみお祝いよね^^ただ1つ気になるのは遺影・・・84歳の時。ワタシに取ったら憎たらしいことばっかりされた時期でも子や孫にしたら優しい言葉をかけてくれたいつものおばーちゃん。う、うん。手を合わせるたび忘れてたことを思い出す。。。リッツカールトンにランチに行く前日に梅をつけるしそを絞らされ真っ赤かな手で飛行機乗ったなぁ・・・「明日はお休みいただいて留守します」と言ったら炎天下の中、急がない草むしりを今すぐと言われふらふらになりながらやったなぁ・・・ってむかむかむかいやいや、折角仏さんになったんだ。なむなむ。←
2015年09月08日
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ひーばーさんが食事がのどを通らなくなったと連絡を受けてから身内総出で身辺整理。笑ひーばさんが施設に入って5年憎たらしくて腹立つことしか言わなかったクソババアだった。という記憶だけで洗濯物を届けてベットで転がってる時に思い出話したりワタシを自身の妹と間違って話したり太った私を気遣って「腫れてるから早く帰り」と言ったり穏やかな時間が流れこのクソババアにどんなことされたのかなんてきれいに忘れてました。晩年はいつ行ってもいびきをかいてて寝ててその顔は穏やかで仏さんのよう^^なんだけどさー残った時間にココ読み返して『そうだったーー!!!』なんて怒りふつふつ。舅の時はもっと日記つけておけばよかったと、思うけどひーばーさんは日記なんて付けず、読み返さない方がよかったのか?なんて思ったり。それでも力いっぱいいじめられて(?)育った上息子は今時珍しいくらいの打たれ強い子に育ちました。その感謝を伝えに上息子を連れて施設に面会。普段平日昼間に私が1人で行くので上息子はほぼ5年ぶりの再会。もちろんひーばーさんは爆睡中『生きてるうちに触っときよ(笑)』そうした翌日息を引き取りました。
2015年09月08日
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田舎なのでご察しの通り自宅通夜 葬式だけは葬儀場をお願いしました^^; 葬式を終えて一通りの行事が終わったら 連絡してなかった昔なじみさんなどが 新聞を見て来てくださったり・・・ 人足が絶えることがなく寂しさを感じることもなく 在りし日の故人を思うこと多々 ただ当たり前なんだけど 誰が話すのも病気をする前の舅との話。 兄弟は自分たちが大変だった頃のまだ結婚前の話。 長男次男が話すのも病気をする前のお父さんの話 そうだよねー^^ ワタシが嫁に来たときはすでにすり足で 笑顔を作るのに苦労してる状態だったもんな。 こーゆうとき反則!!と思うのは 居ない時にしゃべった家族への思い話 これは本当にじわじわくる。。。 7月8日 歌が好きだったけど病気になり歌を控え 詩吟をあきらめ趣味をカラオケに変更 亡くなった当日も1曲多めに歌わせてもらって ホントよかったね。 なんて話してたけど デイサービスの方が持ってきてくださった 七夕の短冊 『吟が詠みたい』 姑もワタシも言葉でなかった。 そんな時ひーばーさんの施設から電話 2日に舅がなくなってばったばたで 気にはなってたけど連絡もせず 6日の支払いの日が超えたための連絡?と、思った。 『~日ほど前から食事がのどを通らなくなりました。』 え?なんて言った? そんな感じ。 ―――――――― 続きはまたいつか(合掌)
2015年09月06日
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いろんな映画やドラマで多少の知識はあった。 けどいざその立場に立ったらどうだろう。 姑は夫が亡くなった訳なんだけど 警察から事情徴収~身内へ連絡。 長男(私の夫)が葬式屋との打ち合わせ 次男が葬式時に使ったりする遺品や遺影の写真選びなど ワタシは3,4日にする予定だった作業を必死でこなす。 20時前に119に電話して一気に時が流れた。 最後に挨拶をして葬式屋さんが出ていったのは4時。 数時間後には通夜開始なのです。 おしゃれな人だったので良い着物を 骨壺も素敵なものを ただ、病気が長かったので写真がなく・・・ 唯一あったのが5年前に撮った次男の結婚式 「写真がある」ただそれだけで 画質いまいちだしこっち向いてないし 舅らしくないんだけどこれしかない。 結局それが遺影に。 納棺の時葬儀屋さんに 『一緒に入れるものは?』と聞かれ全員がびっくり! 用意してませんでした!笑 慌てて常備薬、リハビリ用の。。。 って死んだら病気から解き放たれるんじゃ?! んじゃカラオケの歌詞カード、詩吟の本 って安心したら 『お洋服でもかけてあげれば・・・』 ってないない!!余所行きがまずない。 あわててキレイ目なリハビリな服を リハビリ用の靴を・・・ って折角なのに病院に行く格好ばっかり。 でも私が知ってる舅なのです^^; お葬式は想像以上に盛大でした。 舅の同級生、村の老人会の方々 今までお世話になった歴代のデイサービスの方々 主人の会社の方々。 焼香してくださってる間 その方と舅とのことを思い出し ワタクシすすり泣きから号泣。笑 普通の舅と長男の嫁な関係じゃ無かったよね。 嫁に来て17年 たぶん普通の嫁より一緒過ごした時間は長い。 大号泣で出棺時親族並びに私いませんでした^^;
2015年09月06日
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舅はパーキンソン病でした すでに発病20年超え いろいろなサイトを読み漁り 病院で似たような歳のパーキンソン病の方と会いましたが この病気にはマニュアルはないんだなぁ・・・。と。 7・2この日は 普段通りデイサービスに見送り 「散髪と毛染めがしたい」というのでお金を託し すっきりとした姿で帰ってきた。 『帰りにもう1曲歌いたいっていうから歌って帰ってきました』 ワタシだったら“明日にしてください!”って言うよー笑 と、思いつつ追加1曲のカラオケがかなり良かったようで ご機嫌で帰宅。 家業が忙しい時期というのもあって 夕食は舅の大好きなお店のいなりずしを準備。 19時からのTVが見たいというから 部屋のTV前の椅子に移動。 その間、舅の後ろのテーブルでご飯食べたり コーヒー飲んだりなんだーかんだー TV番組が終わってCMになったとき 姑が声をかけたら ・・・寝てる? いやちがう。 そこからゆすっても呼んでもたたいても 舅は目を開けることはありませんでした。 自宅だったので救急車からの警察 そして当番医さんも来て・・・ 死亡推定時刻が19時。 椅子に座ってすぐだったってこと。 家に全員いて誰も気づかなかったこと。 でも 今まで散々大変だったのに 寝てる以上に穏やかな顔をしてること。 本当に不思議。 あ、ずっとずっと検索しまくってたけど 結局やっぱりうちも 死因はパーキンソン病とは全く関係ないことでした。
2015年09月06日
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日記突然止まったのは 時代の流れで(?)mixiに行ってました。 さらにそこからゲームアプリ三昧になってて 数年抜けてる感じです^^; この日記後は ひーばーさんは施設→施設→施設で 舅はショートステイ→デイサービス→ショートステイ そんな感じでワタシも手が離れた感じでした^^ 今振り返っても この日記を書いてた時期が 本当に1番辛かったなぁ・・。 ボケてるけどボケてないときもあって 老人なんだけど言葉にまで攻撃性があって ワタシの愚痴なんて小さすぎて誰も聞いてくれなく (世の中の人は介護度で大変さを判断するよね) 久々に登場して自分のブログを読み返して あのまま続けてちょこちょこ書いておけばよかった なんて思いつつ。。。
2015年09月06日
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