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奈良ホテル デラックス・パークサイド 奈良ホテル 徹底紹介シリーズ 第3弾以前はパークサイドデラックスツイン と称していた、本館の最も奥まった位置にある部屋にです。今回も、泊まった、素晴らしかった・・・などのありきたりの滞在記などではなく、できるだけ客観的なレポートに徹します。記載内容は2020年10月現在でのもので、すべて個人の見解です1:奈良ホテル 本館の フラッグシップルーム デラックス・パークサイド は51.2平米と、インペリアル・スイートに次ぐ広さを誇る部屋です。もちろん、インペリアル・スイートのハーフサイズともいえるデラックス・クラシックも43.7平米とかなり広く、開業以来の客室なのですが、この部屋の唯一最大の欠点は、扉を開けたすぐ前にベッドがデーンっと見えてしまうことで、あまりおすすめできません。デラックス・パークサイドは、本館の1階と2階とに各々1室しかなく、かつ「飛鳥」(1階150号室)、「天平」(2階250号室)と、ルームナンバーのほかに固有の室名を冠称していることでもわかるように、特殊な用途と異常ともいえる室料が設定されているインペリアル・スイート は別格として、奈良ホテルのフラッグシップ・ルームといってよいと思います。ルームキーも 室名つきですね。もっとも、こちら↓もですが・・・こちらの「飛鳥」は、ひきこもりテツ は宿泊経験がありません区分としては「パークサイド」とはなってますが、本館の最も奥まった位置にあって構造的にもなかば独立した部屋で、かつ3方向に窓を開口していますから、タウンサイドの両方に面しているといってよさそうです 引用 Google map 3D公式ページでも三方を窓に囲まれた開放的で明るく、奈良ホテルと奈良の文化を融合させたシンボリックな内装です。と紹介されています。から、別格の存在であるを除けは、「奈良ホテルに泊まるならココ!」という、フラッグシップともいえる部屋です。ただ、さすがに人気のある部屋ですから、休前日などはなかなか予約がとりにくく、ひきこもりテツ も、正倉院展会期中の休前日宿泊では3年越しでの確保となったしだいです。2:もとは 昭和3年に増築された 共同トイレ・浴室 奈良ホテル刊「百年のホテル」によれば、デラックス・パークサイド は、1909年(明治42年)の奈良ホテルの開業時にはなかった部分で、1928年(昭和3年)に増築されたと記載されています。それも、客室としてではなく共同トイレ、共同浴室として建設された、とあります。一方、竣工時の平面図が、「TOTO通信」に掲載されています各階の赤丸が現在の天平、飛鳥にあたる部分 引用:TOTO通信単純に号室番号が記載されている場所が客室であると考えると・1階 51~73号室(60号室欠) 計 22室・2階 1~33号室(4、13号室欠) 計 32室全部で54室あるように見えます。一方、開業時の客室数は62(「百年のホテル」)とされていますから、数が合いませんし、赤丸で囲んだ部分が昭和になって増設されたところですから、TOTO通信の図面は、竣工時となってはいますが、開業時のものではないことになります。いずれにしても、当時は洋室(ツイン)が、今でいうコネクティングルームのように数室単位でつながっていて(下図)、 1階客室(拡大) 引用:TOTO通信数室単位でバス、トイレを共用するようになっていたようです。下図の2、3号室は、現在のデラックスクラシックですが、こことて当時は2室での共用。65号室に至っては独立していてバス、トイレがありません。そんな構造ゆえに、共同トイレ、共同浴場(といっても家族風呂ほどの大きさ?)が用意されていたわけですが、後年になって共用施設として東棟が増設されたのでしょう。下図は、増設された東棟の共同トイレ、浴室の平面図を現在の平面図と比べたものです。現在の150号室が、デラックス・パークサイド(1階「飛鳥」)です。 1階客室、東棟(拡大) 引用:TOTO通信/現行の館内案内図なお、この東棟は、地形上本館よりやや低い丘上の斜面を削平して増設したのでしょう、本館廊下から5段の階段で下った形でつながっています。話がそれました・・・で、時は下り、関西では1970年(昭和45年)の大阪万博の旅客需要増を目当てにさまざまな施策を講じるようになります。奈良ホテルでも昭和40年代に入って、新館の建設や本館客室の改修を行うようになりました。その際、全館の冷房化と客室内へのバス、トイレの設置が完了するに至りました(「百年のホテル」)。これに伴い、東館1、2階の共同トイレ、浴室を客室に大改修しました。これが「飛鳥」、「天平」です。当時は和室として改修されましたが、もともと独立棟で給排水設備は整っていましたから工事は大規模ながら順調に進んだものと思われます。4:和室を洋室に 奈良ホテルのシンボリックルームに話を「飛鳥」、「天平」に戻します。2013年(平成25年)、この2室が現在すがた、洋室に再改修されました。当時の取材記事このあとに続く、THE BER(昼間はティーラウンジとして営業)の改装孤児とともにJR西日本系列の大鉄工業㈱ による改修工事の施工を行いました。なお、もともとは客室ではありませんし、さらに和室から現在の姿になったのは平成の末期ですから、調度品には古いものはありませんし。もとよりマントルピースはレプリカです。ヒーターもありません。5:室内のご案内それでは、250号室「天平」をフォトレポートしましょう。みなさんご存じの通りの風景をみながら2階へ奈良ホテル「なら」ではの絵画、備品を眺めながら、ひたすら通路を進みます。2階のどんつき、静寂そのものです。室内です。平面図は公式サイトからお借りしてます。続いてトイレ、洗面、シャワーブース、バスルームです。絨毯から灯火、絵画などのパーツですタウンサイドから、鹿の親子上掲写真の中からいくつかを・・・・6:室内点描
2020/11/14
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奈良ホテルにいつか泊まってみたいという方!これから宿泊予約をしようと思っている方!必見・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 250 天平(本館2階 デラックス・パークサイド 51.2平米)奈良ホテル 徹底紹介シリーズ 第2弾111年の歴史を誇る奈良ホテル一度は泊まってみたい・・・と思っていらっしゃっる方は多いと思います。ところが、いざ計画を立て、どんなホテルかしら?どんな感じ?から始まって、どの部屋を予約しようかな、でもどう違うの? とネット検索してもステキ! レトロ、天井高かっ、部屋狭まっ(笑)とかマントルピースが、絵画が、つるはしが・・・ばっか写真も玄関、ロビー、大階段、食事(なぜか朝食ばっか)などインスタ的なのばっか。口コミや旅行記にしても単なる主観、部分的な見聞や感想にすぎないものばかり。結局、肝心の欲しい情報にたどり着かない!!!という事態に陥ることが多いんじゃないでしょうか。そこで、ひきこもりテツ は、奈良ホテルの関係者でも常連客でもないですが、一人のファンとして、史実や現状にもとづいて、一部は推測を含めてそんな方々の参考になればと思い、以下、書いてまいりたいと思います。上記を踏まえ、ご興味を抱いた方のみお読み進みいただければ幸いです。かなりの長文ですが、あなたの知りたい、あるいは知っておいてよかった・・・ということがきっと書いてあると思います。なお、奈良ホテルに泊まるには本館か新館か? だけは無回答です。ひきこもりテツは、少なくとも客室について新館には全く興味がないので、本館客室のことしか書きません。また、奈良ホテルの歴史、開業以来のあゆみについては 百年のホテル や 公式ホームページ に詳しく掲載されていますから、そちらをご覧ください。本稿の、年号の表記がある史実に関する記述はすべてから引用しています1:平面図にみる開業(?)時の奈良ホテル昔の平面図です。なかなか興味深いです出典:TOTO通信1階2階ここで注意したいのは、TOTO通信では「竣工時」と記載されていますが。明治の開業時には図面右端の、短い通路でつながった東棟 は存在してません。東棟は昭和3年の増築ですからその増築以降の図面ということになりますね。引用:大和名所写真帳どちらの写真でも樹木に隠れて見にくいですが、東棟(左端)は存在してないように見えます1:そもそもパークサイド、タウンサイドって何?>現在奈良ホテルの本館客室は、パークサイド、タウンサイドと分けてプランや室料を設定しています。東西に走る廊下を挟んで北側に雁行して並ぶ客室がパークサイド。南側がタウンサイドです。一部の例外を除き、偶数の部屋番号がパークサイド、奇数がタウンサイドです。現在のサイド別の客室区部と室数です。ネット上の宿泊記では、・パークサイドなのに木々しか見えない・・・・タウンサイドなのに駐車場しか見えない・・・といった不満めいた感想を書いている方が多いですが、そもそ「サイド」であって、「ビュー」ではありません。要するに「~側に面している」だけのことです(屁理屈)。確かに、昔は上掲写真のように荒池から望むホテルはからは木々も育っていなかったので部屋から見渡す奈良公園とか若草山、興福寺五重塔、市街南部の眺めはよかったでしょう。「百年のホテル」でも、若草山の遠景がばっちりの写真が載っていますが、樹木が成長した現代ではもはやビューは望めません。1階は、あえて言えば、朝には「鹿ビュー」、やたら早起きの宿泊客が散歩している「ジジババビュー」がせいぜいかな。なお、1階の3室は、デラックス・ガーデンビュー。「庭ビュー」ですよ!ある意味、正直なネーミングですね。2階とて、インペリアル・スイートからでさえ興福寺の塔が三重にしかみえませんし、最東端のデラックス。パークサイド(天平)からは四季亭の屋根、五重塔は辛うじててっぺんの相輪が辛うじて~ほとんど何かのアンテナにしかみえません。もちろん敷地内の木々、桜やもみじなどかに四季の移ろいを感じることはできます。荒池の対岸「うな菊」2階からみるパークサイド面です。これじゃあね・・・2:客室グレード、バリエーションからのおススメはどっちサイド?あえて、ひいき目にいえば、奈良ホテルは景色を楽しむのではなく、室内や廊下の調度品、美術品など館内にこそビュースポットがあるんです。ただ、貴賓室の位置や開業時からの構造からみれば、やはり「パークサイド」ということにならざるを得ないかもしれません。客室のバリエーションも豊富。200号室のピンから、スタンダード・ツイン&ダブルまで。スタンダードも、25.5平米と27.3平米の2種類と、タウンサイドより広い。タウンサイドは、3種類だけです。スタンダード・ツイン&ダブルは21.8平米1種類だけです。たた、開業時からの客室はタウンサイドのほうが多いです。33:創業時の客室数は52明治42年10月の開業時には、客室数は52だったと「百年のホテル」には記されています。TOTO通信の平面図で、番号が付された、客室とおぼしき部屋の数を数えると1階 51~59、61~73 22室2階 1,2・3、5~12、14~33 31室 で、全部で53室となります。この差はわかりません。先述の通り開業時にはなかった東館が載っている平面図ですから後年の変更、増減があってのことかもしれません。それにしても、この数字が部屋番号だとすれば、1階が50番台、2階が0番台ですというふりかたは不思議ですね。(ちょっと国鉄っぽい)。また、4号室、13号室が欠番なのは、日欧の忌み数を避けたのでしょう。昔の面影を残す部屋はどこ?これについては後述(10)します。4:ラウンジの撤去と移築~大和文華館、文華ホールに健在!上記平面図や古い絵葉書には、玄関の東側に、南に張り出した棟があったことがわかります。これはかつてパブリックスペースだったラウンジで、昭和40年代、大阪万博を見込んだ大改修計画の一環として撤去されたそうです。TOTO通信/公式ホームページからこのラウンジ棟は解体撤去されたあとも廃棄されることなく部材が保管されていたため、後年、大和文華館の 文華ホール として移築され、今も現役バリバリで活用されています。ラウンジがあったところは、宿泊者用の駐車場になっていいます。奈良ホテルは当時 都ホテルが経営していましたから、同じ近鉄系ということで大和文華館への移築が実現したのかもしれません。5:マントルピース、スチーム暖房の終焉~今に残るホテル名物開業からわずか数年後の大正3年、全館がセントラルヒーティング化されました。さらに2017年以降の耐震化工事に際して順次エアコンでの空調となりました。ひきこもりテツ らしくいえば、ストーブ列車が蒸気暖房になって、さらに冷房化された・・・っていう感じです。奈良ホテル名物として名高いマントルピースとボコンボコンヒーターのうち、マントルピースのうほうはオリジナルのものをモニュメントとして残しているもの、後年に製作されたレプリカかのいずれかです。要するに、大正3年以前から存在していた客室であれば、そのマントルピースは「当時もの」、それ以降の改修等で生まれた客室はレプリカ・・・ということになるはずです。あとはリニューアル室、新設室でもほかから移設した客室もあるようです。左上から時計周りに、フロントロビー、三笠、桜の間、三笠、インペリアル・スイート寝室、同リビング、デラックス・パークサイド天平(250)、デラックス・ガーデンビュー(117)このうち、右下の2つがレプリカですね。250、117は、ともに昭和43年の、共同浴室便所の客室化改修工事で誕生した部屋ですから、当然に、あとから作った飾りものです。ただ、1階のデラックス・ガーデンビュー(115~117号室)と、デラックス・モダン(123,125、223,225)とには、レプリカ枠内に現代ものの「炎がゆらぐファンヒーター」が入ってます。いくつかの燃え方の設定ができ、楽しいです(すぐ飽きますが・・)スチームヒーターのほうは、パブリックスペースや廊下、つい最近まで現役でしたから客室など、あちこちでみかけますし、すべて「当時もの」といってよいと思います。もちろん触っても大丈夫。「ボコンボコン」奈良ホテルの冬の風物詩も過去のものとなってしまいました。左から三笠入口、2階廊下、インペリアル・スイート 6:バス、トイレは共用&共同だったTOTO通信の平面図で、興味深い点が2つあります①客室とは独立した浴室、便所がある□で囲んだ2か所です。このうち先述した東棟は昭和3年に増築された部分で、廊下、通路に囲まれたほうは開業当初からのものと思われます。それぞれ1階、2階にあります。②連続した客室内に浴室、便所がある□で囲んだ3か所です。並列3室または4室の1か所ずつ、浴室、便所と思われる場所があります。これらの客室は、図面上では室内間には通りぬけできる扉があるように見えます。現代風にいえば「コネクションルーム」でしょうか。こちらも各階にあります。そのほか2階だけの間取りとして、2・3号室も室内に扉があって、浴室と便所が真ん中にあります。「百年のホテル」には次のような記述があります。客室数は52室で、宿泊客が4~5室使用するコネクティングタイプとなっていました。そのためバス、トイレも4~5室に1つしかなく、共同浴室・共同トイレが別に設けられていました。当時は今のように家族とかカップルで1部屋・・・などという用途ではなかったわけで、海外からの賓客、軍人一行、文人墨客ばかりだったんでしょう。7:共用バス、トイレ時代の面影が残る客室①インペリアル・スイートなお、上図大階段の右にある 1「寝室」、1「應接室」も、2、3号室同様の構造のように見えます・ここは貴賓室ですから2間私使用ゆえ「共用」ではないですが、構造としては当時のままです。斜めになった扉や連結扉が残り、今でも当時の面影が非常に色濃く残っています。別記事奈良ホテル 徹底紹介シリーズ 第1弾から一部再掲します。平面図で、マントルピース部分が斜めに欠きとられてますが、ひきこもりテツ 貴賓室ゆえホテル従業員が室内に入って薪をくべたりできないので廊下側から作業ができるようにしていた名残ではないかと想像しています。だだ、昔ながらの間取り=広さですから、インペリアル・スイートとはいうものの、水回りが狭いですね。バス(シャワーつき)と洗面、トイレがユニットルームの如く1つにまとまっているというのも、現代ではスイートらしくないです。前述の通りマントルピースは当時物。衝立や箪笥など多くの調度品は開業時のものではありませんが、かなり古いものがとにかく一杯置かれてます。普通のホテルだったらこのような歴史的調度品は、別室に展示して「お手を触れないでください」としそうなものが、奈良ホテルにはたくさんありますね。②デラックス・クラシックは共用バス、トイレを専用化&増設した間取り大階段の西側にあるかつての2、3号室は、現在の212、210号室ですが、現在の平面図(現在、チェックイン時に宿泊者のみにフロントで配布しているものです)と比べてみると210が旧共用部分を使い、212のほうは給排水設備を追設していることがわかります。③デラックス・トラディションは共用バス、トイレを専用化&隣は・・・?デラックス・トラディションは、1、2階に2室ずつあります。下図でいえば、2階の56号室、現在の232号室です。昔は54、55、56号室で1つ浴室、便所を共用していたようですが現在は232号室(旧56号室)が当時の設備を使っていて、他の2室は各々の室内にバス、トイレを設置しています。ひきこもりテツは230、232号室の入室(宿泊)経験がありませんので、設備の形、位置を推測する形で間取図を作ってみました。232が当時の水回りを取り込んで、バスルームには窓がつき開放的な感じでしょう。31.9平米という、奈良ホテル本館の中では広いほうといえる デラックスルームです。一方の230号室は水まわりが一体となったユニットルームを廊下側に追設しています。こちらは27.5平米で スタンダード・ツインとされています。いずれも開票時からの部屋ですから、マントルピースは「当時もの」のはずです。デラックス・トラディションと隣り合うスタンダード・ツインはお得?デラックス・トラディションは各階2室、132、136、232、236号室ですが、その隣の130、134、230、234は、開業以来の窓に面した浴室を隣室に取られていて、廊下側のせまいほうを充てられてはいるものの、居室部分の広さは、グレードがスタンダード区分なのに、デラックス・トラディションと全く同じということになります。サニタリースペースの大小、設備の違いをどうみるかですね。公式サイトの、デラックス・トラディションとスタンダートツイン(27.3平米)の客室写真は、同じものを使ってます(掲げている絵も、布団のシワも同じ)。ただ、スタンダート・ツイン(27.3平米)の平面図は明らかに上述した部屋とは違いますから、この4室のほか、各階にもう1室あるほうの平面図だと思いますが、こんどは、スタンダート・ツイン(27.3平米)と、スタンダート・ツイン(25.5平米)とは平面図が全く同じです。話がややこしくなるので、これについてはのちほど・・・8:共同バス、トイレの撤去で新設された客室①デラックス・ガーデンビュー 1階の奈良公園側に3室あります。客室改装時は和室で登場しました。②デラックス・コンフォート2階の奈良公園側、デラックス・ガーデンビューの真上にある3室です。ともに39平米と、インペリアル・スイート、デラックス・クラシック、デラックス・パークサイド(飛鳥、天平)に次ぐ広さ(細長い)を誇ります。③デラックス・モダン1階の①、2階の②の向かいに各階2室ある、タウンサイド唯一のデラックスルームです。123、125、223、225室に次ぐ広さです。これらはいずれも昭和43年の大規模な改修工事で客室として誕生したものです。本館の真ん中にあった共同トイレをつぶして、外壁位置はそのままにパークサイド側に各階3室を新設、一方のタウンサイドの共同浴室をつぶし、のちにエレベーターを追設するスペースを除いて、同じく3室を新設しています。下の写真の子屋根が乗っている部分がまさにここで、その名残と思われます。yahoo!地図/TOTO通信逆に1階では旧51~53号室をつぶして、ブライダル需要に応えるべく「蓬莱の間」を設置しています。元々がトイレと風呂だったので、その給排水設備を生かして各室内に専用トイレとバスを収容するには好都合でしたが、木造の古い建物の水まわりを改修することは、かなりの大がかりな工事であったでしょう。このとき、今のデラックス・ガーデンビューが和室として登場したと、さきほど書きましたが、2018年には耐震補強工事に伴いって洋室に再改装、供用を開始されました。当初は「ガーデン・デラックスツイン」と呼んでいました当時のニュースリリースは こちら和室だったころの平面図 改装後の平面図近畿日本ツーリスト/公式サイト④デラックス・パークサイド51.2平米と。本館ではインペリアル・スイートに次ぐ広さを誇るプレミアムルーム。1階が飛鳥(150号室)、2階が天平(250号室)という固有の室名が冠されています。ここも昭和43年に和室に改修され、さらに2013年には洋室化されました。一連の改修工事と同様JR西日本系の大鉄工業㈱の施工です。大鉄工業㈱の施工現在の公式ホームページに掲載されている間取り図と比較すると興味深いですね。本館東端の斜面を削平して増築したため、通路から階段5段分低いなっています。その昔、タオルを携えて浴室へ・・・なんていう雰囲気が彷彿できそうですね。フロントロビーからは遠いですが、離れのように独立性が確保され、何よりも三方に窓が開口した開放感は、インペリアルスイートに勝るとも劣らないプレミアムルームといえましょう。このお部屋の詳細は別記事をご覧ください。9:現在の客室構成現在公知となっている部屋番号入の平面図に、一部推測を交えて部屋タイプ名を充ててみました。注意。免責事項本図と現況とに齟齬があった場合は現状を正とし、当該齟齬のために閲覧者が損害等を蒙った場合理由の如何を問わず ひきこもりテツ は免責とします。また当該情報をもにホテルあたは旅行業者等に問い合わせる等の行為はお慎みください。また奈良ホテルでは自らが客室を特定して販売するものでない限り宿泊者による事前に客室番号、宿泊階等の指定は受けていません。1階廊下を挟んで上に雁行して連なるほうがパークサイドです。DG:デラックス・ガーデンビューDM:デラックス・モダンDT:デラックス・トラディションSD:スタンダード・ダブル 25.5平米 /タウンサイドは 21.8平米ST:スタンダード・ツイン 25.5平米 /タウンサイドは 21.8平米STL:スタンダード・ツイン 27.3平米DP飛鳥:デラックス・パークサイド2階 DCL:デラックス・クラシックIMP:インペリアル・スイートDC:デラックス・コンフォートDP天平:デラックス・パークサイド 上記以外は1階と同じ以下不詳点です。①デラックス・コンフォートは2階に3室あるはずですが、222号室のみ客室扉の位置が異なり、区画の一部が業務用室に割かれていることあら、39.0平米未満であると推測されます。したがって222号室はデラックス・コンフォートではないかもしれません②スタンダード・ツイン 25.5平米と、同 27.3平米とは、公式サイトによる部屋数と合っていません(総数は一致)。③ダブルとツインは、寝台と寝台灯の移設等によって入替が容易なため現況と異なる場合がありますこれら不詳点および誤記について、直近の数か月間で実泊経験のある方からの情報提供に期待いたします10:開業以来の客室はどこ?いままで紹介してきたことにまとめです。開業以来客室として稼働してきた部屋は、1階は128~148、2階は228~248です。ただしこれらのすべての客室に開業以来のマントルピースが存在していか否かは不明です。また後年に客室化された部屋でも古い什器備品が存在していることもあるかもしれません。以上、お読みいただきありがとうございました。参考に供せれば幸いでございます。以降はおあまり役にたちませんので読まなくて結構です蛇足1:アインシュタインのピアノ桜の間はフロント・オフィスの背後にあって、昼間は15時前後にやたら集中するチェックイン客の順番待ち的用途になっていますが、見るべき調度品、美術品がたくさんあります。特に、旅行記や口コミで皆さん紹介しているのがこれ。旧大鉄局庁舎で発見され奈良ホテルに里帰りしたときは話題になりました。里帰り時のプレスリリース博士が2泊したとき弾いた・・・写真の通り事実なんですが。博士の服装をご覧ください。コート姿ですよ。どうみても来館、退館時に立ち寄ってちょこと弾いた(触った)としか思えませんね。たまたま写真が残っていたからそう紹介したんでしょうが・・・蛇足2:囲碁、将棋ができるテーブル同じ部屋にあるのにあまり紹介されないのがこれ・・・・碁石や、駒が引き出しに入って・・・残念ながら打っている御仁をみたことはありません。私はともにたしなみがないので打てませんが。ただ、今年実見した時は奥のほうに片づけられ使えないようになってました。痛みが激しくなりすぎたんでしょうか。蛇足3:煉瓦片が無造作に耐震補強工事で出てきた煉瓦たち。無造作に山積みされていますが、廃棄しないところをみると、いずれ何らかの形で整備、保存公開するのではないでしょうか。経営が苦しい地方私鉄ではバラストを缶詰にして売ってますから、ここでも袋詰で売ればいいのに・・・とオフィスの人に言っときました(笑)・蛇足4:もったいない調度品執筆中・・・・・
2020/11/10
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まる2日で巡る大和十三佛霊場マイカー、レンタカーで満願を目指しましょう単に全部まわりました とか、こういうお寺でした・・・・などという旅行ブログとか トリップアドバイザーなんぞに にいくらでも載ってるような感想は書いていません。ですから基本的に写真も1寺社1枚しか載せていません。車で巡ろうという方の参考に供すべく、各寺社の駐車場や所要時間(最短)を記載しております。東京在住の ひきこもりテツ は、10月末、3泊4日で奈良に行ってまいりました。実は、今回の目的は・・・1:奈良ホテルでどうしても泊まってみたい部屋があるとにかくこれがメインです。ただ、この部屋というのは2室しかなく、早い時期に予約しないとなかなか取れないので、何月何日の予約はまだできないのかしら?と、ほぼ毎日気にしていました。できれば予約開始直後にとらないと・・・ひきこもりテツ にとっては、かつての 北斗星のロイヤル みたいなものです。で、よし始まった!空いてる! と予約できたのは3月になってからでした。新型コロナの災禍の本格的な幕開けの前です。なぜ11月に予約したかというと、奈良に行くにしても、もはや修学旅行コースのトレースなどはもう飽きたし・・・せっかくだから・・・2:正倉院展の時期に行こうこれが「ついでの」目的なんですが、当然に正倉院展の期間中は奈良市内のホテルは早く埋まってしまいますし、上記のような部屋にしようとするものならライバルも増え、鼻息も荒いですから。ところが、部屋をおさえたものの、今に至る新型コロナの影響で やっぱ中止かな? と悶々と過ごすこと数か月・・・そこで。3:大和十三佛霊場巡りでもしようか・・・いわば、2の代替案にすぎなかったわけです。時は流れて・・・9月下旬になって正倉院展も日時指定ながら無事開催がきまり、チケットも希望日時で幸い確保できましたので、結果として、目的が3つ揃ったことになります。早くも「満願」達成ってなわけです。でも、いざ調べてみると 大和十三佛霊場巡り は、奈良市街地からけっこう離れていたり、あちこちに散在したりしてますから、電車バスなどではとても3泊ではまわりきれない・・・ 當麻寺公式サイトから(加工) 緑の線は西名阪道ということで、レンタカーで回ることにしました。高速道路 西名阪 を使えば、その南ゾーンは1日、北ゾーンは2日で回り切れそうです。というような経緯でした。大和十三佛霊場めぐり は「巡礼」か、「スタンプラリー」かひきこもりテツは、今回は「スタンプラリー」と割り切りました。十三佛をおまつりされている寺社の中には、山の中にある、境内が広い、堂塔が多いなどで拝観に多くの時間を要するところもありますし、そうそう頻繁に行けるところでもないので、まずは踏破することだけを、今回は目指しました。スタンプラリー気分で回るなんぞ、各寺社のご本尊様や十三佛様には申し訳なく、ご利益もいただけないことを覚悟のうえです。でも、巷の御朱印コレクターにもそんなノリの人、多いんじゃないかな。単にブームに乗ってるとか、集めだしたら止められなくなった・・・当初の予定では・・・1日目 十三佛霊場1東京から京都まで新幹線。京都から奈良まではワケあり※でJR。奈良駅の駅レンタカーをスタート地点として、西方向にある霊山寺から市街地に戻るルートで4社。※JRの往復割引を適用させるため奈良を通り越して高田まで買って往復1割引。近鉄特急は使わない(ケチくさい)。なお、レール&レンタカーは使わずに4日間借りっぱなしで15800円という35%引キャンペーンで車を借りる。2日目 十三佛霊場2ホテルから天理まで南下して香芝インターまで西名阪。南西方の當麻寺から反時計回りで當麻寺からおふさ、文珠院、長岳寺。最後はホテル至近の新薬師寺で5社。3日目 十三佛霊場3同じく、天理から法隆寺まで西名阪。1、2日目の中間にある信貴山から矢田寺。最後は大安寺。一旦ホテルに戻って※円成寺で「満願」。※息子が大学の4限がオンライン授業なのでホテル室内で受講。ひきこもりテツ だけで円成寺へ。よって息子は満願にはならない。34日目 正倉院展ゆっくりチェックアウトして、息子は前日同様2限がオンライン授業のため昼食を予約したお店に先着。部屋をお借りして受講。ひきこもりテツ はGSに寄って満タン、車を返して徒歩で昼食場所に合流。その後正倉院展をみて夕方JR奈良駅に戻って帰京。このように、実質2日半で満願を目指すというもの朝食なしでなるべく部屋でくつろぎたい (さすが ひきこもりテツ!)ですし、帯同する息子も超ネボスケでグータラ大学生なので、ホテル出発は10時ときめています行程中の Pは駐車場の有無、JAFは会員証提示で拝観料割引あり ということです。各寺社での滞在時間は境内の広さ、見どころの多少を考慮、移動時間はGoogleのルート検索で「多くかかるほう」で予定しました。ホテルに近い新薬師寺、大安寺は道路混雑などによって当日入替、組替を想定しました。経由ルートは事前に熟慮しましたが、土地勘がないので基本的にはカーナビの選択に任せることにしました。ただ、近鉄奈良駅、東大寺、奈良公園周辺は通らないように組み合わせをきめています。それでは出発!いつもはKクラスしか借りないんですが、今回は奮発してSクラスにしました。今回のお供は「フィット」。後方モニターもついてます1:霊山寺 ~第十番 阿弥陀如来 駅からひたすら西を目指し ほぼ予定通り、30分ほどで到着しました。大きな山門(鳥居)の前にずいぶんと大きな無料駐車場があります。山門前の事務所で拝観料を支払い、境内の寺務所で御朱印を受け付けています。お参りを済ませ、御朱印をいただくだけなら車のドアツードアで20分もあれば十分でしょう。巡礼の最初のお寺ですから、寺務所で無料の屏風をいただき、税別1,000円のガイドブックを購入しました。2:寶山寺 ~第一番 不動明王生駒山の中腹にあって、下界の眺めが良いです。生駒駅方面から上り一方の道を経てスカイラインの旧料金所の先、ヘアピンカーブを2つ過ぎた先に駐車場があります。ここも、お参りを済ませ、御朱印をいただくだけなら車のドアツードアで20分もあれば十分でしょう。3:長弓寺 ~第九番 勢至菩薩 駐車場は門前横の細い道を入ってすぐのところにあります、長弓寺の塔頭、薬師院の受付で御朱印をいただけます。本堂だけお参りして、ドアツードアで15分ほどです。4:西大寺 ~第二番 釈迦如来東大寺に対する「西の大寺」です。本堂前の東塔跡の大きな基台がかつての大寺であったことを偲ばせます。近鉄大和西大寺駅至近で市街地にあります。カーナビでは「西大寺保育園」で検索すると迷いません。大きな有人の有料駐車場があります。本堂内にある拝観受付で御朱印をいただけます。拝観料も同時支払になります。ドアツードアで15分ほどですここまでで今日の予定は消化しました。16時終了予定でしたが、各寺社の滞在時間を最小限にしたこと、生駒駅周辺や奈良市街地では土曜渋滞に巻き込まれましたが、想定未満のレベルだったので予定より1時間早くまわることができました。そこで、山を上って円成寺に行くことにしました・・・が・・・西大寺駅脇の踏切が「開かずの踏切」だったため、一気に時間を浪費。諦めて、急遽、近場の大安寺、新薬師寺にいくことにしました。5:大安寺 ~第十三番 虚空蔵菩薩かつて大伽藍を誇った古刹。今はもはやその面影はありませんが、静かな佇いです。参詣者用駐車場が境内脇にあります。本堂に参内せず、外からのお参りだけなら寺務所でいただく御朱印代だけ、時間も15分あれば大丈夫です。6:新薬師寺 ~第七番 薬師如来夕方だったためか門前の受付は無人で、本堂内で拝観料を支払い、堂内の別の場所で御朱印をいただくようになってました。この時点ですでに本堂に入ってますから拝観料の徴収はしかたないです。商売うまい!駐車場は真向かいの月極駐車場の2区画だけが参詣者用ですが、満車の時は近くにある「入江泰吉記念奈良市写真美術館」の指定駐車場(コイン式)を使えばよいでしょう。寺からコインパーキングまでは徒歩2分ほどです。ここは広いです。運よく門前の駐車場に駐められて、本堂内をひとまわりだけなら所要15分。これで1日目は終了。十三寺中、すでに6つをお参りできました。2日目です7:當麻寺中之坊 ~第六番 弥勒菩薩ここに限らず、大寺で複数の堂塔がある場合、それぞれに御朱印がありますから注意しましょう。写真は本堂・曼荼羅堂ですが、塔頭のひとつである中之坊は東大門から入ってすぐの鐘楼の先です。ここでいただけるのが十三佛巡りの御朱印です。建物に入った正面に受付がありますが、黙っていると拝観料も取られてしまうので、事前に申告しましょう。「御朱印だけお願いします」ってね。駐車場は東大門の直前左にある20台ほど収容の民営のものが便利ですが、対面斜め駐車なので満車だと切り返しができません。初心者はきついかも。ドアツードア 最短で所要20分。見どころが多そうなお寺なので滞在時間を多くとっていましたが、半分で終えました。8:おふさ観音 ~第八番 観音菩薩その名の通り観音様です。写真のように本堂を囲むように庭園のようなものがあってこじんまりしたところですが、花と庭で有名だからか、年配女性が多かったです。本堂の受付で御朱印だけでもいただけます。ここは親切にも公式サイトに無料駐車場の場所が詳しく載ってます。でも道も駐車場も狭いので運転が下手な方はやめたほうが良いです、また、数台しかキャパがないので駐められるか否かはまさに運。運転する方だけ邪魔にならない場所に待機して空くのを待つか少々離れたコインパーキングに入れて歩いたほうが無難かもしれません。最短所要15分。9:安倍文珠院 ~第三番 文珠菩薩「智慧の文殊さん」で本堂前には写真のように合格祈願の絵馬であふれています。東京では無名な学校名が書いてあったり、学業のものではないものもあったりと他人事のように見てました。駐車場は表山門が面した通りのではなく、北側の細道を東に入った先にある境内の駐車場(有人有料)が便利ですね。御朱印は本堂脇の受付で。本堂や金閣浮御堂などにはお参りでせず、外から本堂だけのお参りだけなら最短所要15分。10:長岳寺 ~第四番 普賢菩薩大和三山を背に国道169号を北進。大神神社の大鳥居や箸墓、黒塚など数々の前方後円墳を横目に進みます。無料の専用駐車場はトレイルセンターの先にある路地から入りますが、周辺にもそれなりの施設があるので駐めているのは参拝者だけではないような・・・2、3分歩いた本堂手前の拝観受付で御朱印がいただけます。「拝観はしません」と言い切れば御朱印だけでも行けます。外からのお参りだけならドアツードアで15分ほど。ここまでで、昨日同様予定時間より早く進みました。次の予定だった大安寺は昨日お参りしているので、明日、息子のオンライン授業中にひとりで行く予定だった円成寺に行きました。時間に余裕があったのでカーナビの選択通り市街地を経由してみました。大仏殿や博物館前の道路は例年ほどではないにしても人出はかなり戻ってました。駐車場さがしのウロウロ車も多く結構な混雑です。11:円成寺 ~第十二番 大日如来そんな場所から抜けて、ツーリングバイクに伍して山に向かうこと15分。市街地の喧騒とは別世界のような円成寺に着きます。参拝者駐車場は看板も備えた県道沿いにあるのでわかりやすいです。キャパは十数台でしょうか。結構混んでる・・・市街地より標高が高いので、すでに鮮やかに色ついた紅葉をみながら受付へ。境内にはカメラを携えた年配夫婦(←どこにでも出没する)がやたら多い。ここで御朱印もいただけます。本堂の拝観だけなら駐車場往復で30分もあれば充分。なお、円成寺の往復で、カーナビで下図のグレーのルートが出ても選択しないことをお勧めします。市街地の渋滞回避はできますが、全舗装ながら東側半分はクネクネ道でメッチャ狭いです。もちろん昼間でもハイビーム点灯は必須。途中で対向車に出会うと、どちらかが後退したり、崖に乗り上げたりしてやり過ごさなければなりません。運転が下手な方はやめたほうが良いですこうした道が大好き!ってな方はぜひアタックしてみてください。面白いっちゃ面白いです。2日目もすいすい巡って、15時半には奈良ホテルに帰着できました。残るは2つ。明日の昼前には終わりそうです。3日目いよいよ満願です昨日同様、天理まで下って西名阪を法隆寺インターまで12:信貴山玉蔵院 ~第十一番 阿閦如来あいにくの霧雨・・・信貴山真言宗総本山朝護孫子寺の3塔頭のうちの 信貴山大本山玉蔵院です(よく理解できてません↑)写真は本堂で山の斜面にせり出すように建っています。阿閦(あしゅく)如来がいらっしゃるのは三重塔(写真右)です。玉蔵院の寺務所で御朱印をいただけます。とにかく石段ばかりです。観光Iセンターの手前に駐車場がありますので、カーナビでは玉蔵院の電話ではなく観光Iセンターの番号で検索すると迷いません。駐車場は有人有料で前払い。所要時間は最短で30分、本堂などあちこちお参りするなら1時間以上はかかります。いよいよ金剛山寺、矢田寺です。アジサイ寺というほうがしっくりきますかね。途中、法隆寺の真ん前を経由しますが、目もくれず矢田寺へ。13:矢田寺 ~第五番 地蔵菩薩本堂です。ここまで来るには・・・↓この階段をみただけで「めげ」ます。駐車場は里山の一本道を進み、門の手前の民間のものを使います。オフシーズンなので、無人で料金箱投入制でしたが、あじさいシーズンは手前の駐車場など客引をしてるんじゃないかな?中には混雑の具合で料金を変えるというとんでもないところもあるようですね。ひきこもりテツ が行ったときは一台もいなく、参詣者もゼロでした。本堂に向かって左奥の南僧坊の寺務所で御朱印をいただけます。御朱印を押しながら「あら、満願でございますね」と、記念品をいただきました。本堂までたどり着くのは大変ですが、ドアツードアで健脚の方なら最短所要25分。霊場巡りをするような方(笑)ならその1.5倍ですかねそそくさとホテルへ戻ります。息子の午後のオンライン授業のため、少し早く(それでも9時過ぎ)出て、戻ってきたのが13時すぎ。部屋の清掃も、「少々早く戻ります」とあらかじめ言っておいたので、清掃も完了していてすぐに入室できました。ほかの部屋は廊下にリネン類が山積になってましたが、さすが奈良ホテルは一流だな。というわけで。満願でございます!はい、お疲れさまでした。ふりかえり結果的に、今回 ひきこもりテツ は、2日半で満願となりました。今回は、朝をゆっくり、オンライン授業の都合などの事情で 霊場巡りに充てる時間に制約がかかりました。しかし、改めて検証してみると、3日目にはみだした、信貴山玉蔵院を2日目の當麻寺の前に、矢田寺を初日の霊山寺の前に入れることによって、2日間の中にねじ込めたかな?と思います。車での巡礼ならばまる2日で 満願踏破はできる!と判断いたしました。 霊場会公式サイトから(加工)上図を見ても、エリア、ルートとしても合理的と考えます。御朱印をいただく以上、拝観(受付)時間に縛られますし、どこを拠点(宿泊)とするか、また、大阪方面からいらっしゃるか・・・などにもよりますが、少なくとも、これはスタンプラリーだと割り切ればよろしいかと思います。ご注意:屏風はハンコを押していただくだけです。文字書きはありません今回御朱印をいただいた無料授与の屏風には、あらかじめ13寺社名が印刷してありますから、各寺社で御朱印(ハンコ)を押していただくだけです。寺社の方が毛筆で書くところはないです。したがってハンコをいただくのに時間は1分もかかりませんでした。本格的?な御朱印帳にまっさらの状態から書いていただく場合、お預かりになったり待ち時間が生じることもあるかもしれません。例祭や名物の花などの見ごろでは混雑を覚悟しましょう寺社の例祭など行事や、矢田寺のあじさいなど参拝客のみならず、観光客が集中すると昨今の御朱印ブームからしても行列になったり一旦お預かりになったりして思わぬ時間を要することがあるでしょう。当然に駐車場も混雑します。最後までお読みいただきありがとうございました
2020/11/07
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これは、昨年運行された 52席の至福「クリスマストレイン」に乗車したときのもので、何と11か月も前のことです。クリスマス運行4年目となることしは、随分と運行形態が変わりターゲットが完全に若いカップルや女性グループになっちゃいましたし、何よりも 天皇誕生日が祝日でなくなってしまったったってのがサラリーマンであるひきこもりテツには 致命的でした。したがって2019年の「52席クリ」には出陣しておりません。では本文ひきこもりテツは テツといえでも国鉄、JR専門でして、いわゆる民鉄(私鉄)には興味がありませんしかしながら通勤や普段の移動では使わないものの、自宅からの直線距離で最も近いのが西武新宿線です。で、あの「52席の至福」の運行初日の乗車に当選しちゃったものですから、機会があるごとに運行日やルートのチェックはしていました。2017年には、運行2年目となった「クリスマス・トレイン」に乗車し、2018年は、家内が友人とのクリスマス会をやるというので軽い気持ちで「おい、お父さんと2人で乗るか?}どういうわけか愚息が賛同したので、またまた「クリスマス・トレイン」の乗客と相成ったしだいでございます。父子家庭でクリスマス・・・と相成りました。愚息にはカノジョはまだいません・・・←カワイソスギ16:35 入線です。入線後ほどなく開扉。入口に敷くマットをもってご挨拶。定番の風景ですね。座席は4号車(下り先頭車)と厨房を挟んで2号車。各々指定された号車からの乗車です。ひきこちりテツは4号車前で受付をしてから乗ります。両開ドアの横に、クリスマスツリー。ん。去年のよりひとまわり大きくなってる・・・指定された席に着いて・・・落ち着きのないひきこもりテツはすぐに降りて先頭へ。運転士さんがシャッターを押してくださいました。運転士さんよれば、西武遊園地までは「素直」にいくそうです。素直・・・というのは、52席の至福は いったん戻ったり、こんなとこ停まるんだ(運転停車で乗降はできません)って感じのダイヤなんですが今回はストレートに目的地に行く順当な経路だそうです。・・・と、あれっ、扉しまっちゃいました。運転士さんはまだホームにいるのに。ひきこもりテツは びびりましたが、再開扉の連絡をしていただき4号車から無事乗車。何事もなかったように席につきます・・・休日とはいえ、2面3線しかない行き止まり駅ですから、そそくさと10分ほどで発車。発車後すぐに クリスマストレインならではの、ウエルカムスパークリングワインがサービスされます。愚息は・・・未成年なのでコーラで乾杯3号車の厨房にちょいとお邪魔しました(許可を得て撮影)去年より、またまたグッズが増えてますねサービス精神旺盛なフタッフさんです。ご苦労様です西武遊園地駅につきました。トナカイさんに誘導されて入園今年は観覧車です。一般のお客さんは結構並んでいて、20分待ちくらいかな?このツアーの参加者は「ファストパス」のような優先乗車ができるのですがそれでも5分くらい待ちました。愚息が幼稚園のとき、月1で遊びに来ていたなつかしい景色です。おそらく息子は10年ぶりくらいじゃないかな昨年のクリスマスとテインは、ジャイロタワーへの乗車でした。乗車時間そのものは、観覧車のほうが長かったかな。夏はプールだったところかな?その後は30分ほど園内の自由散策でした。メインストリートを一周することにしました。人通りは少ないですね。なつかしの「パイレーツ」(←だったっけ)円運動と振り子運動・・・酔っ払い・・・集合時間ちょっと前に駅に戻ります。車掌さんと記念撮影。スタッフさんに撮っていただきました。フラッグは運転初日の時にいただいたもの。毎回持参してます2号車のアテンダントさんですホームから。白熱灯の車内ってとても暖かみがありますね復路は肉料理からですおきまりの「イチローズ・モルト」未開封ボトルをちょっとお借りして撮影。通常はグラス売りだけで、ボトル売はしていません。これもまたおきまりの、ストレート と ロックをオーダーしました。ストレートを口で転がして香りを楽しみオン・ザ・ロックで味わいます。デザートです。のんべのくせに 甘党の ひきこもりテツ は、まさに至福です。クラリネット。所沢から、こんどは池袋線にはいります。
2019/11/30
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キハ81です決してスマートではなく、精悍なマスクというわけではないですが、味のある顔をしています。新宮電化前、1970年代の紀勢本線は ディーゼル王国ともいえる内燃機関車両の牙城で、機関車といえばはDF50だらけ、旅客車はキハだらけ・・・といえる状況でした。そもそも紀勢線本線として全通したのが1959年(昭和34年)と比較的新しい本線とはいえ、風光明媚な観光路線的需要も多く、伊勢、鳥羽などの古くからの観光地を目的地として、かつては東京から直通する優等列車も設定されていました。公社時刻表(1975)名古屋から関西本線、伊勢線(→伊勢鉄道)を経て(伊勢線は紀勢本線の起点駅、亀山は経由しない)、阪和線から天王寺に至る特急も設定されていて、それらは80系(キハ82)での運転でした。紀伊半島、特に「南紀」と呼ばれるエリアは、関東圏の伊豆にあたるような、関西・中京圏の伊豆のような、風光明媚な観光地、ハネムーン目的地としての位置づけからか、特急においてのグリーン車需要が旺盛だったようで、編成も、80系基本編成(7両)中2両ものキロ(グリーン車)を連結していました。公社時刻表(1975)そんな路線に、1960年 北オクに新製配置され「はつかり」としてデビュー、ヨンサントウでは秋アキに転じて「いなほ」+間合い「ひたち」)と、各々東北本線、奥羽本線の電化開業によって列車自体が電車化されて働き場所を失ったキハ81が転じてきます。1972年のことです。このとき、いなほに使用されていたキハ80系のうち、天ワカに転じてきたのはキハ81 1,2,3,4,5,6キロ80 3、4キハ80 11、12の総勢10両だけでした。この時点で、はつかり用に製造された26両キハ81 6両キロ80 5両キハ80 12両キサシ80 3両のうち、すでに キロ80 1、2 はキハ82の、5 はキハ80の 900番台に、キサシ80 1、2、3 はキシ80の900番台に改造されており秋アキには来ず、キハ80 1~10 のうち、3、4、6は いなほ用に回らず北オクから大ムコ(5は一旦大ムコから秋アキに短期間いたあとに函ハコ)に、その他は天ワカには行かず、函ハコ(おおぞら、北斗)、札サウ(北海、オホーツク)に転じています。1D 新宮それから新宮電化までの5年間、キハ81 6両は、10両編成3本の先頭としんがりに組み込まれ、天王寺から名古屋まで、紀伊半島をぐるっと半周するロングラン専用として就役することになります。1D くろしお5号名古屋 9:50-18:13 天王寺2D くろしお2号天王寺 9:10ー17:42 名古屋ちょうど中間点にあたる新宮で出会うダイヤでした。新宮 1D 13:36着ー13:43着 2D 13:42着ー13:47発まず1Dが到着。運転士が交替します。タブレット授受があるのでもちろん2人乗務ですねホームの有効長の関係で先頭車がホームからはみ出してます。ほどなくして2Dが到着。6両中4両が同時に拝めるという何とも贅沢なひとときですタブレットを持ってますね。左(2D)の キハ81 3 は、京都鉄道博物館で保存されてます。1Dもしんがり10号車がホームからはみ出て停車。タブレットをもらった2Dがすぐに発車していきます。客用扉はホームギリギリにかかってました。この日の1Dの10号車はトップナンバー2Dが名古屋を目指し発車していきます。時計では定時です。ひきこもりテツのカメラバッグも写ってます 1976年夏の新宮駅でのひとこまでした。翌年の新宮電化では、西側の電化区間は381系化され、キハ81は全廃。非電化区間は「南紀」名古屋発着としてキハ82で残りましたが、天ワカの余剰車の一部を転属させて「ひだ」を受け持っていた 名ナコ 担当になりました。以下、この前後、数日にわたってあちこちで撮った1D、2Dです。ひひこもりテツは、実は高校時代、鉄研にいましたので、その1年生のときの夏合宿の場所が紀勢本線だったんです。鉄研なのになぜかテントを貼っての「キャンプ合宿」でした。あらかじめチッキ(←懐かしき「死語」)で新鹿駅にテントを送っておき、大垣夜行347Mと各停を乗り継いでいったと記憶してます。すでに架線用のポールが立ち並んでいます。 1976 湯川なつかしの くるくるキャッチャー。かっちょええです。天ワカに転じてきたとき、現場からはあまり歓迎されなかったとききます。中途半端に高い運転台なので、タブレット授受のとき、いちいち乗務員扉のところまで降りていかなければならなかった、ということもあったのかもしれません。
2019/05/06
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最近、ひきこもりテツ はどうも新幹線づいているようで・・ふと・・・1987 シンデレラ・エクスプレス 河合美佐何とも幻想的・・・懲りすぎ?でも、遠距離・・・こういう世界があるんだ・・・と自分に置き換えても、どうもピンと来なかったなあ。やや説明的に過ぎる・・・現実世界に戻る・・・東京駅 日曜日の21時じゃ、上りの降車客でまだまだ混雑してるはずだから。100系1988 クリスマス・エクスプレス シリーズ「ホームタウン・エクスプレス」 深津絵里クリスマス・イヴ・・・鮮烈な印象を与えたCMでした意図的に濃いメークだったそうで去る100系。1989 X'mas EXPRESS'89 牧瀬里穂2作目は「これから逢う」シチュエーションもうこれは牧瀬里穂に尽きるこの場面で切ったことが成功。来る100系スダカンさん・・・https://dot.asahi.com/wa/2015121600029.html?page=11990 X'mas EXPRESS'90 高橋里奈前半と後半の心のありようの対照がすごすぎるハッピーエンドだと、どうも余韻が残らない1991 Xmas EXPRESS'91 溝渕美保4作目とになると・・・ストーリーも、演出も煮詰まりすぎた感じに1992 Xmas EXPRESS'92 吉本多香美もうそろそろ・・・が決定的になった。クリスマスのメッセージカードに貼る写真を撮って証明写真ボックスから出て、乗車するホームで一目散に走る・・・出会いがしらに男性とぶつかっても謝りもせず・・・同じく男性とぶつかった牧瀬里穂は、深々と頭をさげ・・・これはすれ違いざまの接触だから男性にの前方注意義務違反駆け込み乗車(デッキに寄りかかってすぐに扉が・・・)鏡の前で表情作り・・・車掌さんに怪訝な顔で見られ、怪訝な表情で返す・・・この身勝手な振る舞いのおかげでこのシリーズは終了・・・?ひきこもりテツ は男性ですから、このストーリーはどうも・・・1992 シンデレラ・エクスプレス 横山めぐみ5年後の遠距離は「のぞみ」で・・・最終時刻も少し遅くなって・・・21:18 のぞみ303号 湿っぽさがないのがいいかも300系2000 クリスマス・エクスプレス2000 星野真里8年ぶりの復活。しかし、もはや時代は「携帯」・・・携帯があと20年早く出ていたら、いまの40代、50代のひとたちの人生は、きっと違うものになっていたに違いない。700系の時代第1作、第2作から、早や・・・昭和も、20世紀も・・・もう次はないよ・・・と宣言したかのようなJR東海は、「そうだ 京都行こう。」へ移行
2018/11/25
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奈良ホテル 徹底紹介シリーズ 第1弾奈良ホテル インペリアルスイート 間取り図つき世界的観光都市 奈良。明治42年開業以来 110年の歴史を誇る名門ホテル「奈良ホテル」過日、たまたま宿泊する機会を得ましたので、本館2階「インペリアルスイート」を紹介いたします。泊まった、素晴らしかった・・・などの宿泊記ではなく、客観的なフォトレポートに徹します。本稿は、2018年10月現在の客室の状況等について個人的見解に基づき記述したものです。現在とは設備、備品等が異なっている場合がございますのであらかじめご承知おきください。また記述内容の正誤等について奈良ホテルにお問い合わせするなどは業務の妨げになりますのでお慎みください。ますは奈良ホテルの概要を・・・本館の玄関(左は新館、宴会場への入口)建築概要 所在地 奈良県奈良市高畑町 建築主 鉄道院 設計 辰野金吾+片岡安/辰野・片岡建築事務所 河合浩蔵(現場監理) 敷地面積 21,618㎡ 建築面積 3,523㎡(新館含む) 延床面積 12,532㎡(新館含む) 階数 地上2階(本館) 構造 木造(本館) 竣工 1909年 いまも明治期の建物はもちろん、古い調度品の多くが現役で使われるなど、戦前戦後を通して「関西の迎賓館」として国内外の賓客を迎えた風格を今に伝えています。玄関 現在、耐振改修工事が行われています菊の間 現在は夕朝食時に、メインダイニング「三笠」のサブルームとして使われています桜の間今はロビー室として使用。アインシュタインが弾いたピアノや平成の大時計が置いてあります。(絵葉書の写真が左右逆に刷られているのがわかりますね)インペリアル・スイートについて本館2階 インペリアルスイート (公式ホームページ、TOTO通信 から転載)客室概要 部屋タイプ ツイン 広さ 87平米 定員 1〜2名 設置ベッド 幅110cm × 長さ190cm 2台 その他 スイート、特別室・貴賓室、コーナールーム客室設備 テレビ / 衛星放送(無料) / 電話 / インターネット接続(wi-fi、有線) / 湯沸かしポット / お茶セット /ドリップコーヒー / 冷蔵庫 / ミニバー / ドライヤ / 洗浄機付トイレ / 加湿機能付空気清浄器 建物、部屋の位置黄色に囲った部分が本館2階にあるインペリアルスイートです(YAHOO!地図) 北↑ 3D(Googleマップ) ↓北2階階段ロビーにあるジオラマ新館が土地の起伏を巧みに利用して古都の景観を損なわないように増床したことがわかります。では、部屋に向かいましょう(滞在中の昼夜における撮影が混在しています)1階ロビーですフロントを左にみて、正面の大階段を上り、吹き抜けの2階ロビーに上ります。(平面図は公式ホームページから)大階段をのぼって2階に・・・大階段下は明治期は「読書室」、今は「ザ・バー」。銅鑼は階段踊り場に展示されてます。2階ラウンジです上手の「200」号室が「インぺリアルスイートです。本館2階平面図(部屋のドアに貼ってある避難誘導の案内図を加工)廊下を挟んだ上が荒池方向のパークサイドの部屋、下が玄関方向のタウンサイドです。竣工当時の貴賓室竣工時の平面図(拡大 TOTO通信から)現在のインペリアルスイートと、位置や間取りは変わってません。左手前がベッドルームの扉(封鎖)です。上掲写真の2つめに扉。こちらが入口です。中央が消火器とホテル名物「つるはし」です。ここから大階段方向への振り返り・・・間取り図です・・・・ホテルの公式ホームページには、なぜかインペリアルスイートの平面図だけが掲載されていませんので、自作してみました。家具などの調度品の配置は2018年11月時点のものです奈良ホテル編「百年のホテル」によれば、インペリアルスイートは1990年に全面改装されたとあります。その後、ベッドなども更新されているようです。スイートルームで、ベッドルーム と リビングルームとに分かれているのはどこのホテルも基本的には同じのようですね。それこそ、開業当時は「貴賓室」でしたから、現代のように 新郎新婦が結婚式や披露宴後に泊まるとか単なる金持ちが泊まる・・・っていうのとは用途が全く異なっていたのでしょう。リビングのほうは、ベッドサイドの電灯スイッチを見ると「パーラー(応接間)」と書いてあります。扉。ドアノブの位置から、いかに天井が高いがわかります。さて、重厚感あふれる木製の扉を開けてみましょう。ロビーや廊下の赤じゅうたんに慣れた目に、正倉院文様の鮮烈な青が!そして格子天井の高さが・・・第1部 パーラー(応接間)上図の D→C→B→A です。デジカメのスイングパノラマを2枚つないでみました部屋に入ったときにまず目にする室内風景です。御簾下の段差はなくなっていますが雰囲気は昔のままのようです。特に左にある棚は塗り直されつつもそのまま使われているようです。屏風絵も同じものですね。さきほどの棚が右に見えます。マントルピースの形は変わっていますね。今はもちろん火は焚けません。昔の壁と床はどんな色だったのでしょうか・・・では部屋の写真を一気に・・・扉に向かって時計回りでぐるりと一周してみます以下パーツです。稼働はしてませんプラズマクラスタの空気清浄器堂本印象 「畝傍山」 →堂本印象美術館マントルピース長期滞在に便利な小物収納刺繍です。戦前の部屋の写真にも写ってました御簾月ヶ瀬・井ノ蔵倉ファームのかぶせ煎茶 気宇ダイヤル式の電話 古いものではありません貴重品袋はフロントに預けます。部屋には金庫はありません。右側は暖房器具UCC DRIP PODこの部屋では冷蔵庫内のドリンク、ドリップコーヒーは無料(ご宿泊時にご確認ください)沸騰してもボコボコいいません天袋の窓を開ける棒照明はすべてLED電球。エアコンは天井埋め込み。よく効きます冷蔵庫裏からWifi飛ばしてます。ライティングデスク脇の窓からの眺めです内窓のロックを解除して引き上げ(軽いです)るもの。外側は外壁の木枠を模したつや消しアンバー第2部 ベッドルーム ベッドルームです。E→H→G→F です。ベッドルームの写真を一気に・・・こちらも時計回りで神州第一 横山大観大観には富士山を描いた作品が多いですが、連作の一部なのかどうかは存じません。SEIKO製(現代のものです)ヒーターは非稼働何とも古風です。いわくありげな衝立これまたレトロというかクラシックというか、ベッドは数年前に新調されたようです目覚まし時計が何とも・・・もちろんLED永田春水 花鶏見た目、上村敦之さんのかと思いました。浴室、洗面室用の換気、暖房用スイッチ。このギャップがこちらの絨毯は別の文様ですベッドルームからパーラー方向興福寺五重塔。中金堂は鴟尾がわずかにみえます第3部 サニタリー(洗面・浴室) アメニティ 石鹸(固形) / ボディソープ / シャンプー / リンス / ハミガキセット / カミソリ / シャワーキャップ / くし / タオル / バスタオル / バスローブ / 浴衣 / スリッパ /水回りは完全にリニューアルされています。バスローブはベッドルームのクロ―ゼットに置いてありますスチームは稼働していません。洗面所内は通常のエアコン暖房と換気扇です。開業以来の「間取り」のままですから・・・以下 浴槽に浸かった状態での目線で・・・第4部 その他2018年11月現在のメニュー、価格です。その時点での記録として載せておきます。ティーラウンジ本館メインダイニング「三笠」オードブル、スープやエビフライ、ビーフカツレツ、ハンバーグなどのアラカルトメニューも用意されてます。新館 日本料理「花菊」ルームサービスにゅうめん 「花菊」から届けられます。純米大吟醸「豊祝」オリジナルラベル8・・・売店でも売ってます「ザ・バー」オリジナルカクテル「マントルピース」それをオーダーして、シャカシャカ・・・この日のバーテンダーはMさん2020年まで対診補強工事をやってます・・・以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。徹底紹介シリーズ 第2弾 デラックス・パークサイド は こちら
2018/11/07
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抜かれるイライラを快感に、忍耐力もつく...「こだま」「こだま」を 一瞬のうちに抜き去るN700A のぞみ勤務先の業務柄出張などで新幹線を利用することもなく、たまに家族旅行をするにしても行先のせいもあって、東海道新幹線に「こだま」乗る機会など皆無に近いひきこもりテツですが、昨年、小田原から東京まで、上りの「こだま」に乗る機会がありました。小田原から乗車後、なかなか発車しない・・・なぜと思ううちに一瞬車体が揺れ、車窓を白い物体がかすめて ZZZZZ・・・ (いびきではない)そうか、のぞみの通過待ちか!で・・・・まだ発車しない。何?3分もしないうちに、また ZZZZZ・・・そう、また後続ののぞみに抜かれたわけ・・・ひきこもりテツはテツですが(意味不明)、新幹線というものには幼児期の一時期(たぶん)を覗いてまったく興味がなく、単なる「移動手段」という程度の意識しかありませんでした。今にして思えば、開業以来0系ばかりという面白味のない電車がただかっ飛ばしているだけで変化がない・・・ってことが原因かも?最近でこそJR東日本のグランクラスという身の程知らずの特別車両に意識して乗るにことはあるとしても・・・でした。で、この小田原での「2本抜かれ」と、その「こだま」がたまたま700系の運用だったので、東日本管内では 北斗星、カシオペアを最後に絶滅して久しい「喫煙車」があったこと・・・と、東海道新幹線に少し興味をもったしだいです。そうなると、探究心が旺盛なひきこもりテツは、「こだま」って、いったい何回のぞみに抜かれるのかな?などと考えて、ついつい調べたくなってしまいました。50年前と変わらない?・・・こだまの所要時間 東京駅では、ある日の朝の時間帯に東京を出発する「こだま」を例に時刻表から調べてみましょう。「ジョルダン」から11月2日(連休前の金曜日)でみてみます。臨時便も含め、1時間に14本と、事実上の細大運転本数になってます。いわゆる12-2-2ダイヤで、1時間あたり「のぞみ」12本で、「ひかり」「こだま」は各2本しかなく、「こだま」に至ってはうち1本は名古屋止まりです。それにしても、東海道新幹線では、ほはやそのほとんどが N700系なんですね。では、8時56分発の「こだま641号 新大阪行」を調べてみます。えきから時刻表から途中の15駅にまじめに停まって所要時間3時間54分。新幹線開業時こそ5時間かかっていた「こだま」。その後4時間10分になりましたが、50年後もほとんど変わっていません。1975年3月、新幹線博多開業時、ほぼ同じ時間帯に走っていた「こだま221号」の時刻です。(この時すでに三島駅が新たに開業ー1969年ーしていました。)公社時刻表からこの間、品川(2003年)、新富士、掛川、三河安城(1988年)が開業しました。このほか旅客駅ではありませんが、米原・京都間に栗東信号場が、京都・新大阪間に鳥飼信号場があります。前者は、在来線の草津線との交差付近にあって南びわ湖駅として開業させる予定であった場所の近く、後者は新幹線の鳥飼車輛基地です。東京から新大阪まで15回も抜かれる こだま本題です。こだま641号の時刻表です。まず、名古屋からの ひかり502号が、8時40分 15番線に到着します。これが 折り返し こだま641号になります。2018年10月現在、所定はN700系です。東京を発車して、品川、新横浜までは前後ののぞみ、ひかりとともに雁行で走ります。品川、新横浜ともに上下各2線をもつ島式ホームですが、現在のダイヤでは全列車が停車するのでこの2駅での、こだまの待避はありません。小田原は上下のホームが対向して、真ん中を通過線(本線)が貫いています。さっそくこの駅で、東京駅を4分後、7分後に発車したのぞみ213号と、ひかり465号の2本に立て続けに抜かれます。この間わずか5分停車です。次の熱海は9:44着。50分弱かかってます。ここでは1分停車ですが、熱海駅は東海道新幹線では唯一、待避線を持たない駅ですから抜かることは絶対にありません。海と山に挟まれた狭隘な地形ですから、待避線を設ける余裕はもともとなかったのでしょう。次の三島では、のぞみ19号、161号と、やはり2本ののぞみに道を譲ります。三島駅は小田原駅と違い、1本の島式ホームの各々外側に通過線があって、海側をのぞみが駆け抜けていきます。新富士駅は小田原駅同様、真ん中が本線です。ここでも2本ののぞみに抜かれます。さすがに停車するごとに2本の通過待ちってのは精神衛生上よろしくはないですね。静岡です新駅の設置は「こたま」の、のぞみの待避目的?
2018/10/22
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夜のとばりに寝台列車のテールマークが遠ざかっていく・・・はまなす 新札幌テツならずとも旅情と哀愁を感じるシーンですね。もはや、日本全国どこを探しても寝台列車は・・・あることはあるんですが昭和時代から続く「客車の前後にテールマークがある」スタイルのものは特急では「あけぼの」「北斗星」、急行では「はまなす」を最後に日本の鉄路からその姿を消してしまいました。 上野 上野 札幌特急では「あけぼの」「北斗星」、急行では「はまなす」を最後に日本の鉄路からその姿を消してしまいました。では せめて自宅でその雰囲気を味わえないか・・・蒐集癖のある ひきこもりテツは 必然的にそう考えるわけですがまさか本物の客車はもとより、車掌室部分のカットモデルを手に入れる・・・オハネフ25 2 苗穂工場この写真に映ってる部分だけでも売ってないかな・・・ってのは現実的でない・・・(考えることそのものがばかばかしい?)この車両、今は 茂辺地 で保存されてます。で、最も手っ取り早い方法で、テールマークのレプリカを入手しようとトラステック・ファンさん で、あけぼの、北斗星、日本海 のレプリカを購入。注:トランステック・ファンさんはすでに閉店されてます次に、フレイトライナーさんのオリジナル商品として販売されている前面・後部愛称幕表示器用パネルの 後部愛称幕用14系・24系客車 黒色Hゴム 後部愛称幕用14系・24系客車 グレー色Hゴムを購入。ここまでは難なくそろえることができました。こんな感じです。それなりに雰囲気は味わえるのですが、どうも何かが足りない・・・そう、光らないんですね。とはいっても、本物の前面幕表示器をヤフオクなどで入手しようとしても、とにかく高いし、汚い。そもそも、でかいしバックライト(蛍光灯)がある以上奥行きも相当なものになるので壁面に埋め込まない限りあまりにも不格好。何とか、きれいに壁面(せめて床に立てかけ)に飾ることができないか?で、ネットで探し回って、たどり着いたのがこれ!LEDトレース台 薄型 トレビュアーB3 本来の用途は、裏から光を当てて、製図やアニメ原画のトレースや、フィルムチェック、製品検査用で、もとより平置きで使用するものです。B3サイズでは、外形寸法 575mm x 454mm 透写面 515mm x 364mm で、一方、前面愛称幕パネルは外形寸法 610mm x 410mm 透写面 489mm x 338mm です。サイズ的にはなかなか・・・で、こうなります。なんか一昔前の薄型テレビみたいですね。パネルのほうがやや長辺が長く、短辺が短いですが、点滅スイッチと光量調節スイッチ部分が隠れないので操作性が損なわれません。点灯します・・・いい感じ!本体重量は3.2㎏あるので、壁面に掛けるときは十分に対策を講じましょう。ひきこもりテツは 防音仕様のツーバイフォー壁なのでネジがかまないためジョイント金具19型U TK19-U6ACを2個、50mmの皿ネジ2本で各々壁に固定、厳重な強度を持たせたうえで本体を立てかけています。効果はテキメン。夜汽車の雰囲気を居ながらに、かつ、お安く再現できました。パネルと幕は両面テープでの仮止めなので、いろんな幕に差し替えて楽しんでます。幕テツの皆さん、是非おためしください。
2018/09/30
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飲み放題!1時間のグランクラス乗車でモトはとれるか?■ご注意(2022年5月追記)JR東日本とJR西日本では2022年10月1日から北陸新幹線「はくたか」グランクラスでの専任アテンダントによる供食サービスを中止しシート営業のみに変更します。「かがやき」の供食サービスは残しますが、軽井沢には停車しません・・・東京から軽井沢まで、北陸新幹線 「はくたか」の グランクラスで飲み放題?北陸新幹線「はくたか」で、東京から軽井沢まで、たった1時間だけですが「グランクラス」に乗車して、10,000円(運賃を除く)という、超バカ高い特急料金を払っても、そのモトを取れるか?と、何とも馬鹿げた実証実験を ひきこもりテツは、やってまいりました。気軽にプレミアムなひとときが過ごせるのがグランクラス魅力JR東日本のグランクラスは、2011年3月から、当時は新青森まで開業していた東北新幹線の最速タイプ「はやぶさ」のE5系から営業を開始した車両です、従来の特別車両(グリーン車」の概念とはおおきく異なるコンセプトで設計されたばかりでなく、座席の大きさ、広さ(前後左右のクリアランス)はもとより、アテンダントによる供食サービスの提供などが大いに話題となり、注目されました。その後、北海道新幹線 新函館北斗開業におけるJR北海道H5系や、2015年に開業した北陸新幹線(金沢)では、JR西日本、東日本の共同開発となるE7系W7系にも採用されています。ひきこもっている割には、新しもの好きで、何よりも見栄っ張りなひきこもりテツ が、このグランクラスに興味をもたないはずはなく、すでに何度かの乗車体験をもっております。・・・といっても4回だけですが2014/5/6 新青森 6:17 ー 東 京 9:23 はやぶさ4号 往路は「北斗星」、復路が「はまなす」のお名残り乗車の帰路和食と洋食2016/1/2 東 京 8:36 ー 金 沢 11:32 かがやき505号往路(和食)。三が日だけのお正月メニューでした2016/1/4 金 沢 18:51 - 東 京 21:19 かがやき514号復路(和食) 2016/11/20 新青森 15:17 ー 東 京 18:32 はやぶさ60号和食。カシオペア紀行(青森)の帰路どれも無料で供される軽食の写真ばかりで、いかに飲み食いが目的の乗車したことがバレバレですがね・・・いずれも乗車列車の始発駅から終着駅までの乗車と、すべて3時間前後の乗車でしたので、軽食、おつまみ(ケーキ、おかき)にフリードリンク(大半がアルコール)で十分にモトをとったと思っております。グランクラス・・・おひとり様の旅行にぴったり 普段はひきこもっている ひきこもりテツ は新幹線、とりわけJR東日本が運行する新幹線に乗ることがあまりありませんので、グランクラスに乗ろうにもその機会自体がありません。で、今回家内が静養を兼ねて5日間(皇室かよ!・・・?)軽井沢に滞在することになりましたので、その後半だけ(2泊)ひきこもりテツが合流することにしました。軽井沢・・・北陸新幹線・・・!!! グランクラスに乗れるじゃん!それに、グランクラスのシートは、A列が一人席ですから、隣席の「人種」に左右されることなく、ゆったり、くつろげるなあ・・・「あさま」のグランクラスは ’シートサービス’ だけ北陸新幹線で軽井沢まで行くには、「あさま」で行くのがスタンダードですが、長野止まりの「あさま」には グランクラスは連結されていますが、いわゆる「シートサービス」だけ、要するに、NRE(日本レストランエンタプライズ)のアテンダントによる供食サービスがありません。ただひたすら、あのバカでかいシートにひたすら身をゆだねて座ってるだけです。おまけに車内販売も、2016年3月から廃止されてますから、まったくもってつまりません。ビジネスの「移動」ならともなく、レジャーとしての利用には味気がなさすぎますね。ひきこもりテツは、当然に「あまさ」ではなく、軽井沢に停車する「はくたか」のグランクラスにしました。アテンダントサービス(おしぼり、軽食、ドリンク)+アメニティ(スリッパ、アイマスク、レンタル毛布など)という、フルバージョンの「特典」がついてます。料金の比較です。東京~軽井沢(特急料金のみ)・普通車自由席 2,800円・普通車指定席 3,520円・グリーン車 4,860円・グランクラスB 7.950円(シートサービスのみ)・グランクラスA 10,000円グランクラスはシートマップで座席位置まで指定すべしまずは、座席を確保します。早起きはしたくないが、昼前には軽井沢に着いていたい・・・となると、軽井沢に停車する「はくたか」では、555、557、559号の3本に絞られます。夏休み中の金曜日ということで、ある程度の混雑が予想されましたし、ひきこもりテツは、グランクラスに乗るときはいつも座席位置を決めていますので、念のため乗車日の3週間ほど前に、えきねっと で予約しました。が、意外にも 3本とも 1A が空いていましたので、はくたか559号 にしました。その時のシートマップの状況(再現)です。お二人様が1組だけ・・・・乗車に1週間前ではどうなったでしょうか・上から、はくたか555、557、559号です559号の1Aはひきこもりテツですが、もう一人のおひとりさまが、どんつき6Aをとってます。この方は、終点の金沢まで乗るようです。何でわかるかって?ひまさえあれば誰でも容易に推定(ただし、確度100%ではない)可能ですが、ここでは書きません。ところで、ひきこもりテツはなぜ1Aにしたと思います?北陸新幹線の編成です。グランクラスは、常に金沢方、下りは先頭、上りは最後尾になります。下りの場合は、1番、上りでは6番が、進行方向に対して車内での最後列の座席列ということになります。この位置のメリットは、「後ろに座席がない」・・・その理由は詳述しませんが、ひとつだけ・・・これ↓ができることです。下り「かがやき」 1BC (アテンダントさん撮影)上り「はやぶさ」 (アテンダントさん撮影)あ、同じ服着てる!上り「かがやき」 6A/BCいかにもモノ珍しさでグランクラスにのったぜって感じで、バカバカしいですが、ほかの(前後)の乗客が写り込むことがないので、プライバシーや肖像権上の問題もなく、なにより迷惑をかけません。後ろに人がいないので、電動シートも、気兼ねなく何度も、頻繁に動かせます。いよいよ出発です。ときは、8月のある金曜日。まずは東京駅の ビューゴールドラウンジ へ少し早めに東京駅に到着、わざわざ途中下車をして八重洲中央口から改札を出ます。目指すは、ここ。JR東日本の「ビューゴールドラウンジ」に寄ります。ここは、我々庶民にはふだん縁がない空間で、利用できる条件は2つ1:ビューゴールドプラスカード または JALカードSuicaCLUB-A ゴールドカードの会員であって、かつ ①当日の東京駅発の新幹線、特急のグリーン車を利用する または ②ラウンジ利用券を所持している2:当日東京駅発の「グランクラス」を利用する条件が結構きびしく、敷居が高いですね。おまけに対象となる人の同伴者(同伴者自身が上記1、2を満たしていない場合)は入室、利用はできますが、なんと、3,240円かかります。貧乏症のひきこもりテツが同伴者だったら、こんなお金払うなら、もう1本早い列車にして、売店でその分いろんな物を買い込みますな・・・ひきこもりテツは、当然のことながら、普通のビューカード(定期券機能付き)しか持ってませんから、利用条件2で、利用します。逆に考えれば、家族でグランクラスに乗るときは間違いなく無料で利用できわけです。下り(東京駅発)のグランクラス指定券を持っているときだけの、見逃せない「特典」です。「おはようございます。いらっしゃいませ」フロント(受付)には3人の女性が待機していて、グランクラスの指定券を提示すると、席に案内してくれます。・・とその前に写真を撮っていただきました。奥はレセプションルーム(一般利用者は入れません)まるで御上りさんですね。手を前で組んでいて、妙にかしこまっていて自分でも笑えます。平日の9時過ぎということで、先客は2人だけで、物音をたてるのもはばかるほど。東京駅の喧騒とはまったく無関係の特別な空間で、独特の空気感が違います。着席後すぐに飲物(無料)のオーダーをとりにきます。ひきこもりテツはアイスコーヒーをリクエストしました。マドラーを兼ねた細いストローです。近くのテーブルにトレーを置いたうえで、いちいち、お手拭き+水、ミルク&ガム、コーヒー+お菓子、サービスドリンク・・・と5往復して、サービスされます。これはもう、一流ホテルのラウンジをも凌駕する業務フローで、恐縮というか、何ともむずがゆくなるシーンです。これが無料のサービスというのですから何とも・・・このラウンジ、東京ステーションホテルが運営しているときけば、納得です。こういう接客業で、ひきこもりテツが印象に残ってるのが2つ、いずれも勤務先が主催する取引先との会合の打ち合わせのときです。・上野精養軒応接室でお茶を出されたとき、女性社員がローテーブルのお茶を置くとき、ただ腰を曲げるて出すぼではなく、いちいち膝を床(絨毯)につけて出していく。(ストッキングの摩耗が早そう・・・なんて心配になっちゃいました)・オークラ東京レクチャー方式の会議で、ひととおり机と椅子を並べたあと、目視だけでなく、最前列から最後列まで、ロープをを貼って寸分違わずの整列させ、直線を確保。どっかの国の軍事演習みたいに、たて、よこ、ななめが完璧に揃ってる。これには恐れ入りました。ビニールに袋に入っているのが、「期間限定」でいただけるというお持ち帰り用のドリンクです。水、アップルジュース、お茶からのチョイスです。お茶をいただきました。旅行などで新幹線を利用する場合、ホームの売店などで車中での飲物やおつまみを調達、今回するなどで、発車時刻まで結構せわしなく過ごしてしまうものですがビューゴールドラウンジのおかげで、気持ち的にも余裕をもって乗車することができました。ソフトドリンクを馳走になり、ペットボトルのお茶までいただいたので、ホームでのお買いものはいっさいなし・・・てのも初体験でした。もちろん、喫煙コーナーで一服していくことは忘れませんでしたがね(笑)。喫煙ルームで折り返し入線を見届け、車内清掃中におきまりの前頭部撮影です。 10:25はくたか559号は、金沢からの かがやき504号(10:20着)の折り返しで、西日本車(W7系)での運用です。この日の編成は、金沢開業後の2015年9月に増備された 最新鋭の W11(日立笠戸製)編成でした。 10:26 11号車寄りのデッキです。古都金沢にちなんだのか、東北・北海道系統とは異なる「和」テイストのデザイン(飾り柱)です。「春」をイメージしてます。 10:32車室寄りの通路は「夏」と「秋」。運転台側のデッキは「冬」のイメージなんだそうです。この和テイストの意匠、どこかで見たような・・・そう「花嫁のれん」の車内(1号車)、車体のデザインに通じるものがありますね。 2016,1 金沢モトをとるタイムテーブル冒頭から「モトをとる」と騒いでいますが、そもそも何でとろうというのでしょうね。・グリーン車 4,860円・グランクラスB 7.950円(シートサービスのみ)・グランクラスA 10,000円この料金差を考えると、まずは、グランクラスのシートのみとアテンダントサービスの差額、2,050円が、目標金額になります。もちろん、さきほどのラウンジの利用料に相当する部分は、シートサービスだけのグランクラスでも利用できることから除外して考えます。このうち、無形のサービスは「満足料」として無視して、無料で供される飲食物の対価がその差額よりも多くなれば「モトをとった」と考えることにしてます。はくたか559号の時刻(所定)と、乗車前に考えていた ひきこもりテツ のタイムスケジュール(笑)です10:32 東京発10:38 上野発10:58 大宮発 軽食(和食)+白ワイン 熊谷~本庄早稲田間 赤ワイン 11:12 高崎発 (軽食完食)日本酒11:39 軽井沢着 これだけです。少しペースを上げればウイスキーもいただきたいのですが、さすがに真っ昼間(いや午前だ)からチャンポンはまずいし無理な計画はやめよう・・・白、赤、+何か・・・は、ひきこもりテツのグランクラスにおける定番的順序です。当然のことながら、軽食も前半はオードヴル、さっぱり系+白、後半ががっつり系+赤 と、おつまみとして食す順番も考えての「自己満足」2016年のお正月。下り「きらめき」です。時系列で、白、赤、ロゼ・・・。最後のロゼは、アテンダントさんの「期間限定の・・・」にまんまと乗ってしまいました。ロゼなど、本来ワインでは邪道なのですが・・・「期間限定」に弱いひきこもりテツの 悪い本性があっさり出てしまいました。 10:3410:32 定刻に発車。何と満席です。車内アナウンスでは、普通車、グリーン車とも指定席は満席だそうです。数日前~当日で、どどっと埋まっていったんでしょうね。皆さん懐の深い座席に埋まっていて見えませんが、数席の空席しかありません。のちに、上野、大宮からの乗車で、すべての席が埋まりました。上野発車後、アテンダントさんが各席におしぼりを配りつつ、軽食メニューのオーダー(和食、洋食、サンドイッチ)、おつまみの要不要、ドリンクのオーダーをきいていきます。ワインはことしの7月からリニューアルされています。東京ステーションホテルのソムリエが監修してます。ひきこもりテツは、お決まりのコース まずは 和食+白ワインをお願いしました。あれ、白ワインにしては壜形が・・・!?アテンダントAさん「白ワインには、スパークリングタイプもございますが、いかがいたしますか?」ひきこもりテツ「ん~ん。ではスパークリングで!」おっと、しょっぱなから計画が狂った・・・大宮駅到着前に運ばれてきました。アテンダントさんの業務スケジュール的には東京、上野乗車の客への配膳完了の目安が大宮着までに・・・なのでしょうか。 10:54ま、食前酒ということで。これ↓ でした。山形、高畠ワイナリーのシャルドネの微発泡。国産にしては全然甘ったるくなく、シャルドネ種独特の鋭角な風味が炭酸の刺激によっていっそう重心の低い味わいを醸し出しています。和軽食のお品書きです次に赤ワインをお願いします。1Aは、12号車の業務用室に(アテンダントさんたちのサービス拠点(いわゆる車販準備室)に近いので、他のお客さまの御用聞きをするごとに往来があるので、わざわざコールボタンを押さずとも、目線を合わすだけで、すっと立ち寄ってくれるので、すぐにオーダーを伝えられます。ひきこもりテツ「赤ワインをお願いします。軽井沢で降りるのでペース上げて呑みますんで」アテンダントBさん「かしこまりました。でも、ご無理なさらずに、お水とかもございますので。お降りになるときもお気をつけて・・・」このように「宣戦布告」しておく客も多いのでしょう、慣れたものですね。 11:06信州、井筒ワインのメルローです。軽食のおかずを肴に・・・・車窓は・・・桶川あたりでしょうか。そういや、飲み食いに忙しく、外の景色はほとんど見てませんねえ。ちょい冷えすぎてますが、国産メルローは、総じて軽やかです。口に含みながらスッって鼻に香りを送り込むと、爽やかさだけを感じます。高崎着のアナウンスです。列車と同様、ほぼ予定通り(意味不明)。日本酒をオーダーします。と同時に、下車前のトイレに席を立ちます。・・・とデッキに出たとたん、日本酒をトレイに載せて業務用室か出てきたアテンダントさんと鉢合わせしてしまいました。アテンダントCさん「あ、では、お席に戻られた頃にお持ちしますね」ひきこもりテツ「すいません。ついでに写真撮っていただいていいですか」 11:22デッキでパチリ。また手を前に組んでますよ!この酔っ払い・・・平日のグランクラスは前日、当日に、一気に席が埋まることが多いそうで、和食、洋食のオーダーも、過去のデータを踏まえそのバランスを考慮しながらも余裕をもって積み込んでいるそうです。それでも終着前の短区間のお客様では、まれに希望に添えないときもあるそうです。で、「所用」をすませ席に戻ります。ひきこもりテツ の元にすぐに、日本酒を持ってきてくれました。このタイミングは・・・さすが。 11:24宗玄。珠洲の酒造メーカーの純米吟醸です。軽いです。体中にすでにアルコール分が染み渡っているからでしょうか。「まもなく軽井沢です」堺正幸アナの車内放送をきくころに、丁度呑み終わりました。ごちそうさまでした。12号車からはもう1組の男女も下車していきました。彼らはモトはとれたんでしょうか。以下は最後の「ふりかえり」まではタイトルとは関係ない駄文です。よろしければおつきあいください。家内と合流してホテルにチェクインするまではフリータイム。ひさしぶりに、ひきこもりテツは 撮り鉄 することにしてました軽井沢駅到着後、ひきこもりテツは7分の乗り換えで、しなの鉄道に小諸まで乗車します。新幹線ホームからわざわざ、一旦出場。旧軽井沢駅舎まで降りて行って、そこのしな鉄改札で硬券乗車券を購入してのりかえ・・・小諸では駅撮りや近くの歩道橋上で、しな鉄115系やJR小海線のHIGH RAIL 1375 などの撮影をし、アルコール分を蒸発させました。ひきこもりテツ にとってひさびさの「線路際立ち」となりました。8221D湘南色(S3)と初代長野色(S7)との並び。169系に次いで、しな鉄の115系も、そろそろ世代交代の時期です。766M 645M767M(S3)8222D 770M 643M770M 軽井沢軽井沢でのEF63との並びは、もろ国鉄ムードです。旧駅舎も しなの鉄道の駅舎(地平)として現役復帰しました。駅舎はやはり駅舎であってほしい狭いが天井の高い待合室。左は改札口、右はカフェ駅舎内の窓口で硬券も売ってます。(区間限定)1時間のグランクラス乗車でモトはとれたか?では、当初の目的は達せられたでしょうか?当日の戦利(?)品です。このほか、「スリッパ」も乗車記念に持ち帰れます。物理的には、ビューゴールドラウンジとグランクラス車内でサービスされた商品に、それぞれ「それを自らの意志で対価を支払って購入した場合、総額がいくらになるか」で測定できますが・・・アイスコーヒー 450円お菓子 50円ペット茶 130円パウンドケーキ 100円おかき 80円和軽食 800円スパークリングワイン 650円赤ワイン 500円日本酒 450円合計 3,210円 うーん???みなさまも是非お試しあれ。呑ん兵衛なら間違いなく満足できるはずです。もっとも、モトをとるとかとらないとか、みみっちい話というか、せこいですかね。ま、所詮、ひきこもりテツ は小市民ですから・・・・・・・・・お読みいただきありがとうございました本文中の運賃、料金、価格は2018年8月時点(消費税率8%)でのものです
2018/09/02
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1115両。国鉄史上 同一形式最多の製造両数を誇るD51今もJR西日本と東日本で各1両が、現役で本線走行ができる状態にあります。ひきこもりテツ は世代的に辛うじて 国鉄蒸気機関車の終焉 に間に合い、最晩年ではありましたが、北海道、山陰で最後の活躍をするD51に逢いに行くことができました。D51 737(岩一) 1974,8 幌別D51 118(遠) 1974,8 遠軽機関区同じD51なのに、何か違う・・・・そう、煙室扉についているナンバープレートの位置が違うんですね。煙室扉の中心(ハンドル)と 扉の蝶番 の位置関係で比べてみるとその違いは歴然。下にある 737のほうがやや鈍重にみえるのに対し、上に寄っている 118は軽快というかスマートというか・・・でも貨物機としてのD51らしさ、というか力強さという点では737のほうがD51らしいといえましょうか。この位置の違いの理由は、予備の標識灯をひっかけるためのフックの位置によるものであることは明らかですね。このフックは北海道内のSL特有の装備といえるようで、それを避けてナンバープレートが下に寄っているカマが多かったようです。プレートの位置は、SL7の表情にずいぶんと影響するものだと思います。こんな記事もあるくらいです。このC61は東北で活躍したカマなのでフックはないですが、C61と⑳との間にスペースがないのは現役時代と同じですが、D51のボイラを使用した改造機ですから、左の位置のほうが安定感があるよう思います。出典:朝日新聞デジタルC61 20号機は、D51 1094のボイラーを流用して動輪3軸の下回りに載せた改造機ですが、外観上はD51のナメクジに似てますね。プレートの位置の違いをひきこもりテツが意識するようになったのは、あの「ニセコ」で復活したC62からです。C62の現役時代は、ひきこもりテツ は小学生で、まだテツではありませんでしたので、動いているC62は、梅小路の2号機と、SLニセコ号として復活した3号機しか見たことがありません。元D52の太いボイラに4ケタのナンバーがやけに小さく見えますし、かなり下についているので、重厚感は圧倒的でした。1988,7 小沢ー倶知安 2号機の写真はスキャンしていないので、16番ゲージ(天賞堂)で代用。ちょっと下すぎたかな?D51の実車の話に戻します。前掲の 118 のようにフックが下にあって、ナンバーが上に寄っているのは少数派だったと思います。15号機です。フックの上がプレートですが、近接して取り付けられているので、118ほど上ではないですね。ナメクジは、プレートが下にあると逆にカッコ悪そうな気がします。D51 15(岩一) 1974,8 岩見沢フックのすぐ上。このカマはプレートの天地サイズがわずかに大きいです。D51 53(岩一) 1974,8 登別では、話を戻して、フックの下にプレートがある多数派のカマはどうでしょう。何のデータも根拠もありませんが、苗穂工場に保存されている 237号機の・・・煙室扉の上部蝶番の中心線がプレートの下辺にある・・・を、ここでは基準と勝手に決めて比べてみます 2015,8 苗穂工場追分機関区の扇形庫に並ぶ764(追)と 349(追)です。ほぼ同じような位置ですが、ギースル煙突装備の349のほうがわずかに下か。あくまでも「感覚」ですが、双方ともD51としては低めかしら? 1975,8345 と、828です。828は、D51と828との間に半角(?)スペースがなく、縦幅が太くプレート自体は不格好ですが、位置はいいですねえ。(828の煙室扉が少し開いてます)追分区は転車台に正対してカマを収容するので撮影には好都合でした・・・あの焼失事故さえなければ・・・・「北の梅小路」になってたかも???では、ひきこもりテツが 1974年の夏、冬、1975年の夏に渡道したときに撮影したD51を番号順にみていきましょう。104(岩一) 栗丘165(岩一) 赤ナンバーなのでカラーで 栗丘260(岩一) 栗丘333 3の文字が微妙に右に傾いています。 追分白老駅前に保存されていますが、字の傾きはそのままに・・・ 349(ギースル煙突に交換された最初の1機) 追分367 苫小牧フレートがやや太めで等幅フォントですね484(追) 追分565(追) 追分566(岩一) 栗丘733(追)(ギースル煙突) 追分 夕陽にギラリと光ったナンバーとデフレクタが印象的744(岩一) 栗丘 室蘭本線ではC57に伍して一部の客レをD51が牽いてました。767(追)855(岩一) 煙室扉変形機 栗丘915(岩一) カマボコ 栗丘943(北) 遠軽1085(岩一) カマボコ 追分すでに休車になったにでしょうか、キャブにロープが張られてます。プレートはついたままですがペンキ書きではないですが、テンダーに・・・1119(追) ギースル煙突、カマボコ 三川1149(岩一) カマボコ 岩見沢朝の岩見沢行の客レはD51に重連でした。1160(岩一) カマボコ 追分上掲のうちではなんといっても 855号機が特徴的ですね。1160(D51ブービー機。ラストナンバーの1つ前)と比べてみます。煙室扉が丸くなく、上部が扁平になって、手スリも直線になっています。前灯直後の給水温め器(円筒)のボイラーへの埋め込み部分がそのまま扉の形に反映してます。855号機の 廃車解体時の写真 があって、その構造がよくわかります(よくもこの場面に遭遇され、撮影されたものです)。カマボコドームなど造作の簡略化、デフレクタの木製代用などの戦時設計が「珍車」を生んだわけですが、この切り欠きとフックの存在が、結果としてナンバープレートの取付位置が「もうここしかない」というほど低くなってしまったようで・・・16番では、フックがややオーバースケールなのでどうしてもナンバープレートが下気味になっちゃいます。左から、開放キャブ、密閉キャブ(ギースル煙突)、密閉キャブいずれも現役時代の実車を見たことがあるナンバーにしました。828の天地サイズ大きめ、等幅フォントという特徴的なプレートが忠実に再現されていて、泣けます。とにかく、北海道のD51は、SL終焉期にマニアが大挙して渡道し、個人のホームページやブログで写真が公開されていて、切り詰めたデフレタや断面が細長いギースル煙突、密閉型に改造されたキャブなど特有の装備がたくさんあって興味深いです。
2018/08/13
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今日はワンマン化に際し新製車体に載せ替えられた7000形です。7000形(初代)は、1954年から56年にかけて、3次93両が製造された系列で、荒川線には3次型に分類される7055~7093(39両)のうち、7079,7080,7085,7088,7090~93の8両を除く31両が集結していました。唯一の電車庫となった荒川車庫にいた62両のちょうど半分が7000形。荒川に来なかった8両は、すべて柳島車庫(江東区)の廃止と運命を共にしました。荒川車庫 7000形(31両)7055,7056,7057,7058,7059,7060,7061,7062,7063,7064 7065,7066,7067,7068,7069,7070,7071,7072,7073,7074 7075,7076,7077,7078,7081,7082,7083,7084,7086,7087 70897000形はワンマン化に際し、廃車による飛び番号を、昇順で7001からふりなおしたため、7001~7031の連番にされました。写真にはワンマン化前、ワンマン化改造後の番号を併記しておきます。7067(→7013〉 7007(←7061) 荒川車庫前左がオリジナル、右がワンマン改造後。上回り(車体)を新製のうえ載せ替えていますから、見た目は完全な「新車」です。台車などの足回りは種車のものをそのまま利用したとのことですが、サイド写真でも辛うじて台車が同じにみえるくらいで、よくは確認できません。7056(→7002) 荒川車庫前7031(←7087) 飛鳥山こんな大規模な改造工事ですから、車庫内では施行できず、アルナ工機に搬入しての工事だったのでしょう、このおかげで工事期間中は所要両数に足りず、前回書いたように6000形が日中の運用にもさかんに使われるようになったわけですね。ツーマン時代の7000形車内「写真捜索中」ワンマン化された車内 当時の路面電車としては画期的な優先席、ホームのかさ上げなどのバリアフリー化」でした。運転席にも車掌カバン。運転士も前扉で運賃を収受していたんですね。古風(?)な運転時刻表。出庫ー三ノ輪行ー早稲田行(三ノ輪、早稲田間の所要は47分)降車ランプがバスっぽい、ワンマン化後の運転台(後部)。マスコンは種車の流用でしょうか、「日本車輛」という刻印がみえます。この頃はまだピューゲルの電圧計がついてました。7016(←7070) アルナ工機の銘版と行先対照表昭和30年12月製造とありますが、元番号の表記は見当たりません。7071(→7017)妙にうらぶれた雰囲気の終点、早稲田電停(1976年)若い車掌さんがしばしベンチで一休み・・・でしょうか。遠方に見える「村田温灸院」は今も健在ですが、早稲田の停留所自体がそのあたりまで移動(西)しています。荒川線の最若番だった7055(→7001) 大塚駅前その最若番が、新7000系のトップナンバーに・・・荒川車庫(敷地外から)稼働車輛数の確保や地上設備(ホームのかさ上げなど)工事の関係でワンマン化は2段階にわけて実施されたので、その間には、ワンマン車とツーマン車が入り混じっての運転で、見ていても、乗っても楽しい時期でした。7067(→7013)、7016(←7070)、75097027(←7083) 荒川車庫(敷地外から撮影)7070(→7016)屋根はすっきり、ピューゲルだけ。もちろん冷房などはありません・・・7060(→7006)信号待ち以外、比較的車の流れがよい飛鳥山ですが、この写真では結構な車の量ですね。右 7062(→7008)7008(←7062)飛鳥山にはここならではの道路標識が軌道内通行可・・・標識どおり、ほんとに枕木があったら走りにくそう7055(→7001) 巣鴨新田7070(←7016) 雑司ヶ谷7066(→7012) 荒川車庫前
2018/04/04
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昭和40年代、モータリゼーションの隆盛と高度経済成長の陰で、一気に路線縮小に向かった東京都電。1967年から始まった路線の廃止は、わずか5年の間、7次に及ぶ「撤去」で事実上全廃ともいえるような、ものすごい勢いで進められました。都電撤去の推移第1次 1967年12月 第2次 1968年2・3月 第3次 1968年 9月 第4次 1969年10月 第5次 1970年 3月 第6次 1971年 3月第7次 1972年11月昭和47年の撤去後に残ったのは、27系統の一部 王子駅ー三ノ輪橋32系統 荒川車庫ー早稲田でした。27系統は、もともと 赤羽ー王子駅前ー三ノ輪橋 でしたが、第7次撤去で、王子駅前ー赤羽の区間が廃止されたため、実質的に 早稲田ー大塚駅前ー王子駅前ー荒川車庫ー三ノ輪橋 という、単一の路線といえる「行って来い」での運行となりました。これが、のち(1974年)に系統番号から「荒川線」に改称されたゆえんともなったわけですね。都電荒川線の車両たちその後、東京都が、都電(荒川線)の恒久存続を打ち出し、路線の多くの区間が専用軌道(自動車が乗り入れない、見た目普通の鉄道路線と変わらない)であって、路線中に、大塚、王子、町屋という鉄道路線に接続するという好条件を背景にして、今も「唯一の都電」として、城北地区の「都民の足」として走り続けています。第7次撤去後、唯一の都電の「ネグラ」となった荒川車庫(電車営業所)には、3形式62両の車がいました。もともと荒川車庫にいたもののほか、廃止された都内各所の電車営業所から比較的経年が浅い車両たちが集められたものも加わったものです。6000形 (13両)6063,6080,6086,6152,6181,6189,6191,6209,6210,6211,6212,6213,62197000形(31両)7055,7056,7057,7058,7059,7060,7061,7062,7063,70647065,7066,7067,7068,7069,7070,7071,7072,7073,70747075,7076,7077,7078,7081,7082,7083,7084,7086,708770897500形(18両)7501,7502,7503,7504,7505,7506,7507,7508,7509,75107511,7512,7513,7514,7515,7516,7518,75206000形 7000形 7500形 荒川車庫前 1977●6212 1951,8,1 交通局工場製造 1981,8,13 廃車 三田車庫ー青山―三ノ輪ー神明町ー荒川(1970,3)~乙6212に改造(1977)このうち6000形は終戦直後に製造されたものだけに、当時すでに製造後30年近く経過していたため、所要両数が少なくなるデイタイムには7000、7500形が主に運用に就いていて、平日朝夕のラッシュアワーの時間帯のみ6000形も運用につくというパターンが長く続いていました。車庫で昼寝をしている6000形 1976 荒川車庫(敷地外から撮影)手前のレールはトラバーサーのもの●6063 1949,3,19 富士産業製 1978,4,27 廃車 青山車庫ー大久保ー南千住ー神明町ー荒川(1970,12,28)●6080 1949,3,19 新日国工業製 1978,4,27 廃車 青山車庫ー大久保ー駒込ー荒川(1971,3,18)向かって左の6080は1962年の更新修繕によって行先表示が大型化されています。こうした中、荒川線が、バスと同様、「ワンマン運転」化されることになった際、既存の7000形31両全車と、7500形の18両中16両がワンマン対応のために改造されることなって、順次これらの改造工事のため、通常運行に必要となる(所要)両数が一時的に不足することから。経年による老朽化と構造上の問題から改造工事の対象から外され、完全ワンマン化後に廃車されることとされた6000形が、「つなぎ役」として起用されることとなったのです。6000形にとっては、まさに「最後のご奉公」で、戦後の経済復興とともに増大した旅客に対応して、名実ともに路面電車全盛時代の支えてきた彼らが、大車輪の活躍をするステージが用意されました。 荒川車庫から三ノ輪に向け出庫起伏の多い山の手の専用軌道から、城北、併用起動の飛鳥山を経て下町の風情が残る町屋、三ノ輪までを快走する6000形が、休日の日中でさえ多く見られるようになったわけです。 雑司ヶ谷の坂を下る6000形目当ての乗車でしょうか・・・結構な乗車率です。冷房がなくても、前面窓の開閉ができるのでここちよい自然の風が入ってきます。 飛鳥山の併用軌道を快走 荒川車庫前●6086 1949,3,8 日本鉄道自動車工業製 1978,4,27 廃車 青山車庫ー南千住ー青山ー三田ー巣鴨―神明町ー -大久保ー三ノ輪ー駒込―荒川(1970,12,24)1966年の更新修繕では、側窓のアルミサッシ化、行先表示の大型化とともに、黄色と赤の「都電カラー」に変更された車です。9つの車庫を渡り歩いたという最多記録(?)保持車です。当時、SLロス、旧型電機ロス状態に陥っていた、高校生だったひきこもりテツは、とりわけ路面電車マニアってわけではなかったのですが、カメラとカセットデンスケ(死語)を抱えて、お手軽な「近場テツ」(ひきこもりの前兆?)として、通うようになったのも、ごく自然な成り行きだったように思います。無論、ひきこもりテツ は、世代的には、銀座通りを走る都電を知らない世代ですが、無骨ともいえる3枚窓の重厚な6000系は戦後の「都電の顔」として、軽快なイメージの7000形、バスみたいな7500形とは明らかに異なった、風格さえ感じさせる外観で、とても魅力的に感じたものです。 首都高が頭上を跨ぐ「東池袋四丁目」王電時代は「水久保」、都電池袋線の電停名に合わせ「日出町二丁目」そして1972年に現在の停留所名になりました。あの、忌まわしき「新住居表示」による弊害といえる名称変更ですね。●6211 1951,8,4 交通局工場製造 1981,8,13 廃車 三田車庫ー青山―三ノ輪ー荒川(1970,3)~乙6211に改造(1977) 学習院下 西に傾きかけた陽光に6181とサンシャイン60が映えます●6181 1950,9,9 日本車輛本店製 1978,4,27 廃車 南千住ー大久保ー荒川(1967,9,26)アルミサッシ化されておらず、客用扉と窓桟が直線で好ましいスタイル 飛鳥山●6219 1950,12,27 帝国車輛製 1978,4,27 廃車 三田ー青山ー三田ー荒川ー柳島ーー荒川(1967?)ワンマン化は1977年10月と1978年4月の2回に分けて段階的に実施されました。ガタンゴトーン・・・1372mm軌間とどっしりとした6000形で安定性抜群の快走ぶり?車歴引用:江本廣一 東京都電6000系(ネコ・パブリッシング)
2018/04/02
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今回は クハ181新潟車 車号鑑定です。「とき」です。1977年 西川口ー蕨間 塚越陸橋あたりでの撮影ですこのアングルなら側面の車号を読めるはずなのですが、相変わらずのピンボケで判読できません。特徴としてバックミラーの柱がみえ、スカートのタイフォン孔がまんまるです。ショートスカート+丸孔という組み合わせのクハ181は・・・・41、42、43、44、45 5両が該当します。どれも上越特急用に新製されたクハ161からの改造・改番車です、この写真を無理やりズームアップしてみると丸いタイフォン孔の周りにわずかな盛り上がり(縁どり)がみられますので、該当する車は44、45のいずれかということになりますが、それ以上決定的な車号特定ができません。そこで、この2両について、ネットでググってみたところ、スカートの自連カバーの塗り分けの具合と、撮影年月が同時期にの写真ではそのキズ(凹み)のつきかた(模様)が同じ写真がアップされているのを見つけました。その写真は「クハ181ー44」とされていました。この車は同僚の45とサシ181-43とともに、当初161系として発注、製造されながら 181系として落成した車両で、最も早く「181」を名乗ったことになります。次は1974年の5月、赤羽付近での撮影です。見事なピンボケ、ブレブレです。客用扉の向かって左にみえる洗面所の窓が小さい(幅)ことから、クロ151(→クロハ181)からの改造車であることがわかります。改造にあたってはボンネット(正確には乗務員扉より後ろ)部分を残して客室部分を新製して接合した際、オリジナルの台枠はそのまま使用したため、クロは車体長がクハより500㎜短かったものがそのまま外観上の特徴として残ったものです。短さのしわ寄せが車端部の便洗面所の部分に来たというわけです。オリジナルのクハと比べてみましょう。上が上掲写真、下は クハ181-1 1974年5月 軽井沢駅に到着する、下り「そよかぜ」です。「そよかぜ」のクハは、外気取り入れ口が1つで、屋根上に押込型のベンチレータがなく、運転台直後のユニットクーラーも扁平なので、ずいぶんとすっきりとした印象です。では鑑定です。クロ改造のクハ181は50、60番台です。クハ181-53 ←クロ150-3 (サロ180-3の改造車。事故車クロ151-3代替)クハ181-56 ←クロ151-6クハ181-61 ←クロ151-11 ここまでが、クロ時代の元番号+50で付番クハ181-62 ←クロ151-4 なぜかここからは 61からの続番になります。 以下の3両は強いて言えばクロハ経由で元番号+55・・・????クハ181-63 ←クロハ181-8 ←クロ151-8クハ181-64 ←クロハ181-9 ←クロ151-9クハ181-65 ←クロハ181-10 ←クロ151-10では、53、56、61、62、63、64、65 のどれでしょうか。消去法でいきます。ショートスカートである・・・・ 65でない少なくとも助士席側のバックミラーがない・・・53、56、61でないタイフォン孔が内側に寄った長丸である・・・56、61、62、63でない消去されなかったのは 64 だけである。64と断定するに足る外観上の特徴はこの写真からは見当たりません。で、またまたネット上の 64とされる写真を探しましたが、同時期の撮影のものが見つからず、スカートの損傷具合からの特定はできませんでした。しかしながらクロ改造車でこのスカート、タイフォンは64だけですので間違いないと判断しました。続いてこんなアングルで撮ろうなどと思うってのはボンネット車ならではです。とき・・・新潟車・・・ロングスカート・・・いわずもがなの 65 です。少し前までは帯なしだったようですが、帯入ロングってのは確かこの車だけだったはずです、1975年11月24日 上野駅7番線での撮影です。ひきこもりテツ には珍しく撮影日が明確なのは、この日は、奥羽本線の全線電化完成により485系化された、181系気動車特急「つばさ」の最終日で、同じネガに収まってましたので。ついでにです。クハではない、キハ181キハ81「はつかり」以来、汗の涙のDC特急のお守りに終止符を打つ尾久客車区の検修の方々の思いがこもった特製の「ごくろうさんでした」の惜別プレートが印象的です。尾久から添乗してたのか、上野駅に参集したのかは知りませんが、職員の方々が入線後線路上で記念撮影や、ホームに群がるファンのカメラを預かって線路上からベストアングル?の写真を撮ってあげてました。このプレートは確か発車時には外され、ヘッドマーク周りのモールはそのままで発車していきました。
2018/03/02
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前回の続きです今回の写真は1973年夏ごろの撮影です。時期的には長ナノに移管される10月より前の「あずさ」で、すなわち 新ニイ の車ということになります。そもそも、新潟から長野に移管されたときに、移管により不足する「あずさ」用の181系は、新潟からの転属車もわずかながらありましたが、その多くは最後まで山陽筋(向日町配置)で働いていた181系を改造のうえ長野に転属させて充当しました。クハでいえば初回に写真を掲載した5、11のほか、クロハ181ー1、2、5を改造した、クハ180-43、54、55がそれです。「あずさ」運用の長野持ち替えによって、「あさま」との共有運用になったわけですが、結果として「あずさ」の新宿方の先頭車がクハ180になってしまい、さらに食堂車なしの編成になってしまいました。「あさま」のサロ2両またはモロユニット入り8両編成にモハユニットを追加した10両編成が「あずさ」というわけです。能書きが長くなりました、写真です。八王子駅です、逆光でスカートが半分が写ってないという「駄作」ですが45年も前の駄作もいつしかほどほど貴重な記録にはなったかもしれません帯なしであれば 必ずロングスカート といえたのですが、ロングスカートであっても帯あり・・・という例外は後年の 65 でありましたが、1073年当時はまだ帯がなかったかもしれませんので、一応候補に入れておくことにしましょう。で、新潟車で該当するのは クハ181- 4、7,9,10,12, 65あとは写真をみながら消し込んでいきます自連カバー前面赤塗りつぶしでない 4、7,9,10,12, 65バックミラーがある 4、7,9,10,12, 65前照灯縁が赤塗りつぶしでない 4、7,9,10,12, 65これで候補が 7 だけになりました。でも自連カバーや前照灯の縁色は永久不変ではないので確定できないとしても、ボンネットの開口蓋、屋根上のホイッスル、わずかに見えるタイフォン穴の形状から、「ほぼ間違いない」という枕詞を冠したうえで、クハ181-7 といえます。
2018/02/28
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前回に続き ひきこもりテツ が中学生のときに自ら撮影した「あずさ」の写真から、いまさらながらの「車号鑑定」をしようと思います。いかんせんピンボケ写真が多いばかりでなくネガの保存状態もよくないのでカラーネガをグレースケールに変換してますから、いくら拡大しても、シャープネスを高めても車両側面のナンバーすら読めないものばかりですから、ボンネット周りの特徴からの推測にすぎませんし、誤認もあるかもしれませんのであしからずご容赦ください、では、まず1枚目上り列車の後追いで、場所は新道北踏切(東京起点25.099㎞)で三鷹電車区のすぐ近くです。1975年クハ181です後年の改造とかではない初期車オリジナルの特徴がよくわかります。ボンネット上の蓋(開口)がない 1~6ライトケース下の外気取入グリルが1つ 1~6運転席に四角いデフロスターがある 1~4スカートが短い 1、2バックミラーが両方ある 1スカートのタイフォン穴が丸 広間隔 1撮影時の 1 配属区 長野ということで クハ181-1 と断定できます。「トップナンバーに間違いありません。いやぁ~名車ですねえ~」これは簡単ですね2枚目同じく新道北踏切。1975年」小判型のタイフォン穴、短いスカート・・・候補多すぎ?当時の長野配置 1, 2, 3, 5, 11. 107 消去法でいきますライトケース下の外気取入グリルが2つ 1~6でないスカートが短い 3, 5, 11でないよって 107107の特徴から念押し予備ワイパーあり、前照灯縁が赤塗りつぶし、スカート短い、タイフォン穴小判、両端寄り・・・・「107に間違いありませんねぇ~」三鷹電車庫跨線橋からの 107です。ボンネット開口が1つ、バックミラー両側残存、予備ワイパーありはい、どうみても 107 でした。鑑定にあたって参考にしたものは、同業者様のブログ、ホームページにアップされていた写真のほか鉄道ピクトリアル 2005年09月号 151・161・181系電車Ⅰ 2005年10月号 151・161・181系電車Ⅱ 2008年10月号 こだま形電車50年 2017年06月号 特急「あずさ」50年交友社 国鉄車両配置表 1970年代 鉄道図書館などでした。
2018/02/27
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中央東線の特急「あずさ」の運転開始から52年。この間、運用に就いてきた車両は、名車 181系から 三鷹東京地下駅乗り入れ A-A基準だけが取り柄の 183系 三鷹電気釜の顔をした 横軽協調用の189系 場所失念JR時代になってからの E351系 八王子と続き、いよいよ今春「スーパーあずさ」のE351系をすべて置き換える形で、E353系が本格デビューします。思えば、181系が「あずさ」から完全撤退したのが1975年秋ですから、すでに40年以上経過しているわけですが、ひきこもりテツ の地元の路線を走る特急として、今でいう「撮り鉄」の最初の被写体であったのが、181系でした。長ナノ「あさま」との共通運用化でクハ180が「あずさ」に!1975年春、181系最後の牙城のひとつ、長野運転所の「あざま」が189系化され共通運用だった「あずさ」だけが残ることになりました。1973年、あずさの受け持ちが「とき」の新潟運転所から長野に移ってからは「あさま」と共通化されたことで、10両編成は維持されたものの食堂車がなくなり、上り方の先頭車が横軽通過(EF63連結)のための クハ180になってしまいました。当然、181系(旧151系)オリジナルの先頭車といえば、自連カバーをつけたままのクハ181が「本流」でありますから、被写体としてはクハ181が先頭になる下り列車がターゲットとなります。とはいえ、このときすでに「あずさ」の半数以上の列車が183系化されていましたから身体(と三脚)は「新宿方向」を向いていても、後追いや手持ちではクハ180も撮ってはいましたけど・・・ハザ2両連結の181系1975年3月の公社時刻表です。グリーン車マークが2つ並んでいるほうが181系です。運用列車は下記の通りで、所要3編成でした。いずれも夜間は長ナノ、西ミツ駐泊。なお6001M、6018Mは季節列車の6000番台設定ですが、運転実績ほとんどなかったようで、当時泥沼化していた労使関係の悪化により深夜早朝の検修、乗務の要員を確保しえなかったため幻のスジだったそうです。 松 本 新 宿 4M 10:00 → 13:30 11M 17:39 ← 14:00 16M 18:15 → 21:456001M 10:21 ← 6:40 6M 11:00 → 14:33 13M 18:39 ← 15:006018M 19:22 → 22:52 5M 12:45 ← 9:00 8M 13:40 → 17:12 15M 21:44 ← 18:00「こだま」の片鱗が残っていた ロングスカート、帯なしの クハ181当然、181系(旧151系)オリジナルの先頭車といえば、自連カバーをつけたままのクハ181が「本流」でありますから、被写体としてはクハ181が先頭になる下り列車がターゲットとなります。1975年3月の改正以降、長ナノには5両のクハ181が配置されていました。 クハ181- 1、2、3、5、11、107車番からもわかるように、このうち若番4両は、クハ26→クハ151を経てきた、生粋の「こだま」としてデビューした車、11も、サンロクトオ改正の12両化を期に増備された弟分です。彼らは、こだま はもちろん、つばめ、富士、はと などのヘッドマークを誇らしげに掲げて新幹線開業前の東海道本線を疾駆した経験を持つ超エリート車両でした。今なら博物館入り級のものが何気にホームに置いてあった・・・ 1975,2 岡山駅(485系に使用していた頃)ひきこもりテツ が撮りテツを始めた直後に高校受験のため休戦を強いられ(SL終焉まで)再開した直後の1975年秋には「あずさ」から181系が撤退してしまいましたので、最後の最後まで運用についていた、1、5、11だけが辛うじて被写体になっていました。クハ181-1栄光のトップナンバーです。スカートは短くされ、横帯も入っているので100番台っぽくなっていますが、ボンネット上の換気口がなく、前照灯下の外気取入グリルが1つしかないという、最初の6両だけの特徴をもっています。四角い熱線デフロスターがついているのは、1~4だけでした。おそらく東海道から撤退した時期が早かったから寒地対策として施行されたのだと思います。クハ181-1 は生まれ故郷の川崎重工兵庫工場で保存されています。近年 誕生時の クハ260001 に復元ざれたそうです。クハ181-5帯なしロングスカートです。あずさへの運用にあたり中央東線のトンネル断面(架線高)の関係でちょん切られてしまって屋根上の前灯がないのが玉にキズですが、こだま型らしさが残っていた車の1つです。なお、スカートの穴(タイフォン)が丸いのはロングスカートのまま終焉を迎えた車では、この5だけでした。クハ181-11これも帯なし、ロングスカートです。上掲の5よりも、ヘッドライトがやや大きいように見えますが、これはライトケースの縁ががシルバーに塗られているためで、お目目ぱっちりでこれがクハのオリジナルだそうです。以上3枚 三鷹ー武蔵境 1975年撮影なお、クハ181-11は、鉄道ピクトリアル№766の記事での分類表や、ネット上での写真を拝見すると、自連カバーが赤一色で塗りつぶされているはずなのですが、鉄道ピクトリアル№766では、181系最終日の下り方に連結された写真では赤とグレーと塗り分けられている写真が掲載されていて それが上掲写真と同じくややいびつな塗り分けであったことから クハ181-11 と同定できたしだいです。ボンネット特急の世界へようこそひきこもりテツは、かつて、「ボンネット特急の世界へようこそ」という、クロ151様の 151~181系の記事に薫陶を受けておりましたし、鉄道ピクトリアルの特集記事を執筆された氏の記事を食い入るように読んでいたものです。上記3両の車号も、ピンボケ写真やろくに記録も取らずにただシャッターを押して撮り貯めてきただけの「ずぼらテツ」としては、上掲写真の「車号鑑定」にあたっても大いに参考にさせていただいたものです。次回はもう少し181系「あずさ」の写真をアップして、わずかながら「あさま」、「とき」にも言及してまいります。
2018/02/25
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四季島の キャンセル待ち が「当たった!」そもそも抽選には外れていたので「当たった」というのは変ですが、キャンセル待ちを希望したら、キャンセルが出たようで・・・・といっても、念願の四季島に乗ってきました!なんぞという自慢話ではございませんのであしからずお許しくださいませ・TRAIN SUITE 四季島皆さまご存知、JR東日本の「四季島」過去3回、WEBでの申し込みをしていますが、2回はかすりもせず「外れ」何とも勿体をつけた封筒に、何ともそっけない文面のハガキ大の厚紙が・・・外れならメールで十分なのに、わざわざ封書にするってのが四季島なりのプライドか・・・・てか、この経費もウン十万もする旅行費用に入ってるんでしょうかね。またか・・・で、昨秋募集分に応募した(自身3回目にして)、キャンセル待ち になりました。それも 「001番」うーん、惜しい・・・・!とはいえ、そう簡単にキャンセルなどする人はいまい・・・って感じで「キャンセル待ちなど、結局外れと一緒じゃん・・・・「1、2ヶ月経って、四季島のことはすっかり忘れていました。もちろん、この期間中、新たに次の日程帯のツアー募集をやってたのですがキャンセル待ちになっている以上、安易に申し込む気にもならず・・・・キャンセル待ち枠の設定のしかた(想像)1回(単位)の募集枠が10日程分だったとして、各々スイート15室、四季島スイート(メゾネット)、デラックススイート(フラット)各1室の 17室だから170組が当選。そして10日程ごとに、キャンセル待ち希望者に、00案内の優先順位を001番から割り振っていきますが、ここでは、もはや、部屋タイプの希望は考慮されないのではないかと推測します。そもそも、001から何番までキャンセル待ちにするのかは知る由もないですが、3桁用意しているという何とも思わせぶりな付番のしかただこと!ひきこもりテツ の場合、日程は問わずに、「四季島スイート(メゾネット)」のみしか申し込まなかったのにある特定の日(ここでは墨ヌリしています)を指定されて、「001」になってます。「日程」を指定し、さらに「部屋」も限定してのキャンセル待ちなのかしらね・・・時は過ぎ・・・・・・・・・・・・・キャンセル待ち客への案内は電話で・・・今日、自宅にJR東日本の四季島のツアーデスクから電話がありました。家内が応対し、折り返し ひきこもりテツ から連絡する旨を伝えて一旦切って、勤務先にいた ひきこもりテツの携帯に 家内が連絡してきました。「どうやら、キャンセルが出て順番が回ってきたようよ・・・」と浮かない声「浮かない声」って?ですって?∵勝手に同行者にさせられた家内にとっては、 決して朗報ではなかった・・・(笑)特に、亭主がテツで、奥方がテツに興味どころか、理解すらまったくしない夫婦だったら、十分にありげなシチュエーションじゃないでしょうか。ツアーデスクに連絡してみると、要するにキャンセルが1組出たので、いかがですか? っていう用件。どうだ、キャンセル待ちした甲斐があっただろ!というタカビーさは感じられない。しかし、ひきこもりテツ は 辞退 しました。四季島の乗車機会を放棄? もったいない!びこうず「で、メゾネットにキャンセルが出たんですか?」「申し訳ございません。 今回は一般的なスイートタイプのお部屋でございます」「・・・・」→ひきこもりテツは、ここで、正直一瞬迷った・・・がしかし、果敢(笑)に辞退。17室あるうちの15室を占めるスタンダードな部屋タイプだったから・・・「すいません。あくまでもメゾネット狙いでしたから今回は辞退させていただきます。せっかくの機会をいただきましたが、キャンセル番号2の方にお譲りします!」もちろん、電話での返答だから1日くらいは回答保留(猶予)ということもできたはずなんdすが、もし翌日まで寝ないで(笑)考えてしまうと妥協しちゃいそうな気がするし、何より、当日の参加者の中で、いかにも「私たち 四季島スイート なの!」なんてのがいたらムカつくからね。ひきこもりテツのプライドが許さん・・・・・・・・・?????????????????????????????????????????????????????????????????????????実は、ひきこもりテツ は、こんな風に申し込んでました(申込リプライメール)要するに、日程は不問であるが、メゾネットタイプ(1室しかない)じゃなきゃ乗らないよ・・・ということ。メゾネットじゃなきゃイヤだっ!!初志貫徹・・・わがまま ってわけです。ウソかホントか知りませんか、「もし四季島スイート メゾネットタイプにキャンセルが出ましたら、改めてご案内いたします・・・」だって!出るわけないじゃん・・・と思いながらも「ありがとうございます。吉報をお待ちしています」ひとり45万円のメゾネットに散財する覚悟だったのに、32万円(スイートの1泊2日コースのお値段)払って後悔するより、とりあえず 出費0 でまたの機会をを狙う方が楽しみとして先延ばしできるからね・・・希望の部屋タイプでなくてもキャンセル待ちは回ってくる(推測)メゾネット希望でも、ほかの部屋タイプにキャンセルがでれば、そのグレードを問わずキャンセル番号順に案内される・・・ということはわかりました。
2018/01/09
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JR東日本の251系電車は1990年のデビュー以来、30年近くの長きに亘り、「スーパービュー踊り子」専用車両として伊豆急行線乗り入れの特急として不動の地位を確立しています。H3編成 伊豆急下田その斬新なマスクと、運転席直後の展望席、特に下り列車で先頭になるグリーン車の1号車の展望席3席(2列席1-A、1-Bと、1列席1-C)のうち、2列席は、いわゆる「10時打ち」してもなかなか取れないことも少なくなく、人気の高さでは、JRの定期運転の特急として随一のものでしょう。さらに、2007年に内外装のリニューアルがなされたときに、3列9席だった展望部分が2列6席になって、通常のグリーン席同様、前後のクリアランスが格段に広くとられ、リクライニングシートへの換装、フットレストの新設(2列目のみ)などのグレードアップされたことも人気に拍車がかかったものと思います。もっとも、展望席2列6席あるといっても、階段状の段差があるとはいえ2列目では前面展望はほとんど期待できませんから、やはり1列目!に限ります。中途半端な2列目は比較的指定席が確保しやすいですが、1列目が取れないのなら、思い切って別の日に旅程をずらして1列目のゲットに再チャレンジするか、いっそのこと、むしろ静粛さが期待できる2号車にして次回のリベンジに懸けた方がよいかもしれませんね。「スーパービュー踊り子」グリーン展望席のとり方いつも仰々しいタイトルで恐縮ですが、何のことはない、「10時打ち」しかないです。平日ならほどほどゲットしやすいのですが、「同業者」が一人でもいれば油断は禁物。特に休前日や土曜日の下り、それも新宿や東京の発時刻が早い列車では、ライバルが激増することは必至ですね。もちろんJR東日本や旅行会社(代理店)に「強力なコネ」がない、ひきこもりテツ のような一般庶民には、これしかありませんね。それも、「えきねっと」のシートマップでの選択では、座席を指定する画面に遷移するまでに10数秒ほどの時間を要するので、手際のよい「みどりの窓口」のマルス打ちにはかないません。1-A、1-B の並びを狙うなら 窓口1番乗りでの10時打ちただ、旅行会社(代理店)の社員と顔なじみで多少の無理がきくような関係である方や、前受けをしてくれる「みどりの窓口」を利用できる方は、少しだけ確率が高まるかもしれません。以前、まだ展望部分が3列あった時代に、ひきこもりテツは、一度だけ「コネ」というほどではないですが、普通でない手段を使ったことがあります。勤務先で、社用での航空券やJR券の手配を一手に引き受けていた某有名旅行代理店に、「絶対に取れ!」と頼んだことがありました。「これでぇ~すっ!」明らかに10時打ち(0001)してますね。その時の写真です。まだJR東海車が熱海以東にも乗り入れていた時代でした。なお、ひきこもりテツ の経験上、1人席(1-D)のほうは、A+Bの並びよりも、比較的取りやすいといってよいかと思います。横並びでなくてもよければ、1-D、2-D という縦列ってのもありかも。おひとりさま、や 3人でなど奇数人数ではグリーン車を利用しての旅行が少ないのか、展望席指向がないかは存じませんが。もはやラブラブではないベテラン夫婦で、かつ、亭主だけ「テツ」で、奥様が「展望席は落ち着かなくてイヤ!」というときに、この配列はなかなか好都合ですね。・・・↑ ウチのことです(笑)「スーパービュー踊り子」グリーン 展望席・・・・・・・・・・・・・乗車当日にゲットした話前回の記事↓「スーパービュー踊り子」予約 その1 グリーン車&ラウンジ で、乗車当日に展望席の指定席がとれたことを書きましたその顛末をご紹介します。滅多にあることではないとは思いますが、「こんなことがある」ってな程度でお読みください9月17日、秋分の日をからめた3連休の中日に、下田に行くことにしました。それを決めたのが2週間前、何とかお目当てのホテルを確保し、レンタカーも予約。あとは往復のJR・・・で、ひきこもりテツとしては、やはり スーパービュー踊り子で行きたいが、早く出発してあちこち見てまわる予定ではないので東京駅を11時に出る5号にしました。指定券発売開始後2週間が経ってました。その時の空席状況ですえきねっと シートマップ画面(再現) □ が空席案の定 かぶりつき 1-A・Bは売り切れ、3人家族の ひきこもりテツ では、横並びでも取れません。決して発時刻としては早くないのに、さすが3連休の下り列車って感じですかね。2人席は1列しか残ってません伊豆方面行のグリーン車ならではの埋まりかたですね。そこで、ひきこもりテツ は ○の席にしました。1列席を3席、うち1席は号車違いです。1号車の3-Dにしなかったのは、家内のたっての希望です。「前なんか見たくないし、階段(ラウンジへ通じてる)脇じゃ落ち着かないからイヤ」とのことなんで・・・1号車 1-D ひきこもりテツ1号車 2-D 息子2号車 2-A 家内と相成りました。とはいえ、家族旅行としてはやや異質な「陣形」ではあるので、その後思い出しては、えきねっと のシートマップを覗いてみて、3人横並びの席が空かないか、を探る日々が続きました。予約画面からシートマップまで行くのって結構面倒なんでけどね、それでも居ながらにしてリアルタイムで空席状況が見られるのはなかなか面白かったです。・・・いよいよ出発日も近づき、1人席の空席も埋まって行ってましたから、もういいか・・・とあきらめて出発当日の朝を迎えました。それでもなお、未練がましく覗いてみると、・・・・・・・!!! 異変が起きていました。当日の画面(再現) 存在しないC列は加工して消してあります何と。1-B が空いているじゃありませんか!!キャンセルでしょうか?ひきこもりテツ は、急きょ家内を説得して、家内の2号車の席を、この1-Bに乗変(指定席の変更。1回まで手数料無料)しようと考えました。ただ、えきねっと での予約分をすでに発券してましたから、最寄りのJR駅のみどりの窓口で乗変するしかありません。家を出る直前まで空席を確認し、最寄駅まで20分。2号車の指定券を示して、みどりの窓口氏(女性だった)に、「すいません。1号車1-Bが空いてるはずなんですが、この席から変更したいんですが・・・」と言ったら、怪訝そうな顔ひとつせず、テキパキと叩いて「それでは、本日のスーパービュー踊り子5号、1号車の1番B席に・・・」2分で終了。「これでぇ~すっ!」この結果1号車 1-D ひきこもりテツ → 1号車 1-B 1号車 2-D 息子 → 1号車 1-D 2号車 2-A 家内 → 1号車 2-D となりました。めでたし、めでたし・・・・家族違反も回避できました(笑)と思ったのは ひきこもりテツ だけで、息子や家内にとっては単なる「いい迷惑」1-D 2-D巷では、指定席は2日前(払い戻し手数料が変わる直前)に、マルスに戻されることが多いので・・・とか言われていますが、これは事実。ひきこもりテツ にも経験があって、北斗星の開放B寝台から、キャンセル待ちしていたヂュエットが取れたのも2日前・・・てなこともありましたし。さらに、今回のように「当日でもあきらめるな」っていう教訓が加わるわけですね。それにしても:::1-B なんでキャンセルしたのかなあ?1-A どんな おひとりさま なのかなあ?興味は尽きません・・・それでは、いざ東京駅へ。いよいよ乗車。またまた意外な展開が待っていた ・・・・・・・(続く)
2017/12/30
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2018年「52席の至福 クリスマストレイン」運行アナウンスが11月14日にでました。昨年より1か月遅いですね。これじゃクリスマス予定をとっくに立てちゃっている家族、ファミリーも多いでしょうからどうなんでしょう。以下は2017年度(2年目)のものです。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++12/23 本川越発 西武遊園地経由 西武新宿行フォトレポート風にひきこもりテツは、抽選で当たった昨年4月の運行初日(ブランチ)以来の乗車です。本川越発、そして上りディナーは初体験でした。1番線 16:27(所定)に入線してきます。当日は3分ほど遅れての到着でした。ひきこもりテツ は2号車でした。開扉後すぐに乗客の受付、案内がはじまります。スタッフの皆さんサンタ帽をかぶってますね。4号車のエントランスにツリーが。ささやかながらうれしい演出ですね。両開扉とのアンマッチが非日常的で妙に素敵!クリスマスらしく、ウエルカムドリンクはシャンパンです。運行初日は2号車のご担当だったそうです。3号車のカウンターで物販のサンプルが飾ってあります。ロゴ入りのピンバッジ、タンブラーを売ってます。コースターのデザインも変わっていたのですね。日の短い12月はあっという間に日が暮れます。秩父線と違い車窓からの風景も単調です・・・というかほとんど家並みしかみえませんね。上石神井まで上って下り本線に折り返し多摩湖線入ります。本川越)16:35発)から 西武遊園地(18:03着)までの間に、メインディッシュが手際よく供されます。運行開始時にはメニューになかった、イチローズモルト 52席の至福 オリジナルボトルです。撮影用にとお願いしてテーブルまで持ってきていただきました。赤いローソクは電池式の豆球がプラスチック片を炎のゆらめきにように動かすもので、自宅から持ち込みました。小細工がすぎた演出だったかもしれません(笑)このボトルはいよいよ年内には底をつき、新しいデザインのものがメニューに載るそうです。楽しみですね、イチローズモルト ストレート と オン・ザ・ロックです。何れも1,200円と、良心的なお値段です。呑んべえの ひきこもりテツ は、ウイスキーや焼酎を水などで割るのは大嫌いなので・・・シングルモルトならではの深みと香り、予想以上になめらかでした。あっという間に西武遊園地駅に到着運転士さんも乗客サービスに徹していらっしゃいます。小平から乗務されたそうです。小旗は運行初日に芦ヶ久保駅でいただいたものを持ち込みました。トナカイさんです。西武遊園地は西武鉄道のスタッフの方の先導で、ジャイロタワー搭乗のあと、園内を一周します。ジャイロタワーから起伏の多い丘陵地にある遊園地ならではの変化に富んだイルミネーションが圧巻です。実は ひきこもりテツ もサンタ帽を持ってきてました。やけに持ち込み品が多いって!スタッフさんのと同じ? 100円ショップの?いえいえ、ひきこもりテツ のは、ヨドバシで220円という高級品ですっ!あっという間の50分園内散歩でした。52席の至福に戻ります。3号車の厨房です。クリスマストレインオリジナルのケーキです。通常メニューのデザートとの入れ替えです。2号車に遠征しました。ここにもツリーが。ケーキ&ミニコンサートです。52席の至福の旅も、西武新宿を目指していよいよラストスパートひきこもりテツが運行初日の乗客だったことを訊きつけて当日4号車に乗務していらした4人のうち2人が、今日も乗務されていて、担当の2号車から駆けつけてくださいました。乗客冥利に尽きます。写真を撮っていただいた4号車のスタッフさんも入っていただきました。下に方にサンタ帽が写ってますが、実は家内です。この際、断腸の思いで、トリミングしました。これで被写体の平均年齢の上昇が回避されました・・・(痛っ!)西武新宿に到着しました。マル着(19:35)えす。スタッフの皆さん、ありがとうございました!乗客を降ろすと、あわただしくホームを空けます。さらば4009F。また乗るね
2017/12/26
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12/23、12/24運転 52席の至福 クリスマストレイン下りブランチ 送り込み、営業運転駅撮り上りディナー 営業運転乗車 したときの記録です。西武新宿への送り込み~西武新宿(客扱)~小平までのダイヤ(所定)です。分未満は省略しています第351電車(4009F 4両)武蔵丘 出庫所 沢 4番 7:37- 7:41 東村山 5番 7:43- 7:52 待2620(急行)小 平 7:56- 7:59 待2620(各停)田 無 8:04東伏見 4番 8:08- 8:11 上石神井 4番 8;14 転線・入庫4→7→1→9 出庫 9→1上石神井 4番 9;51東伏見 1番 9:55-9:59 待2311(急行)田 無 3番 10:03 転線 3→4→2第354電車(4両)田 無 3番 10:10 武蔵関 10:16 2017,12,23上石神井 10:17鷺 宮 10:23中 井 10:30-10:34 待2316(急行)西武新宿 2番 10:42 西武新宿 10:43 2017,12,23 西武新宿 10:47 2017,12,23第251電車(4両)西武新宿 2番 10:47鷺 宮 11:01上石神井 11:05東伏見 1番 11:08-11:11 待2645(急行)田 無 11:13 田無 11:16 2017,12,23小 平 1番 上り本川越発)は、上石神井まで上ってから西武遊園地に向かうダイヤでした)(続く)
2017/12/24
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えきねっと「トクだ値」の怪 Part 2前回の続き?です。2018年1月3日 上越新幹線 下り とき、Maxとき 東京発 新潟行 の指定席を購入すべく、えきねっと で 指定券発売開始日の、いわゆる 10時打ちを 試みたときのものです。ひきこもりテツ は、所用で 弥彦駅まで行きます。東京から燕三条までの指定券(おとな3枚)を購入しました。年末年始でも、年が明けてからの下り ですし、上越新幹線の速達タイプの列車でもないので、発売日当日であれば指定席が取れないことは絶対にないはずです。しかし、トクだ値 を狙うとなれば 状況は異なります。ただでさえ「いったい何席分の トクだ値 の枠 があるの!」っていうほどの「ケチ助」ぶりに、何度も怒り心頭にさせられてますから。トクだ値が取れない・・・と文句をいうのは簡単ですが、それなりに周到な準備をして予約を試み、それでも取れなければ 文句をいう あきらめることにしました。で、まずターゲットとする列車と、トクだ値の設定状況、料金を確認しておきます。もちろん、×だった時には次に何を狙うか・・・は頭に叩き込んでおきます。ひきこもりテツは、画面を見れば一発でわかる状況として第1希望を設定しました。第1希望の1 Maxとき315号の グリーン車 トク35 3枚 Maxとき315号の 普通車 トク35 3枚第1希望の2 とき313号の グリーン車 トク30 3枚 とき315号の 普通車 トク30 3枚これらが選択画面で × の表示だったら第2希望 Maxとき315号の 普通車 トク15 2枚 (シートマップ指定) Maxとき315号の 普通車 障害者割引1枚 (指定席のみ通常購入で、シートマップ指定)(第3希望以下省略)ということにします。そこまでケチるか! っていう算段ですね。あとは、発売開始時間の5分前には、ログインしたうえ「予約」ボタンを押せる状態にしてスタンバイしておきました。で、10時ジャスト・・・例によって回線キャパオーバーで何度か戻って、2分後には列車選択画面に遷移しました。その時の画面です(再現イメージ)発売2分後でこのザマですよ2分でこんなに×(売り切れ)になるの?超人気の観光、イベント列車でもない、ただの新幹線だというのに・・・そもそも ○ が少ない・・・△だって、どうせ1ケタ台の席数だろうしトクだ値の列車ごとの設定数を、JRの内部事情に詳しい方、こっそり教えてくれませんかねえ(笑)ある程度想定(予想)はしてても さすがに怒り心頭第1希望-1 は 画面をみて すでに × では、事前申込しておけば取れたのでは・・・おそらく ノー 多分3席分など、もともと事前申し込み枠として与えていないでしょう。第1希望-2 は △だったので もしや・・・と予約画面を進めてみたのですが。予想通り、この画面。要するに △ではあっても、3席分は×ってこと。じゃ、2席なら・・・やっぱね。△っても、結局は1席かよ・・・で、第2希望で・・・決着。時すでに10時10分。新幹線の指定席ごときでこんなにストレス感じるとは・・・結論・・・トクだ値 が取れなくても怒り心頭にならないよう、最初から トクだ値 など 狙わない・・・・(笑)なお、今回は おとな3人のうち、一人がJRの 障害者割引精度に該当するので、トクだ値を利用したのは二人分だけというやや特殊なものでした。だから、一人分は指定席券のみの購入しながらもシートマップを併用してトクだ値分の2人と席を並べました。トクだ値+シートマップ指定の併用効果はhttps://plaza.rakuten.co.jp/hibikingyo/diary/201609140000/障害者割引の乗車券は、指定券の発見引取時に駅の窓口で本人が手帳を提示のうえ、別途購入します。以下、トクだ値 で購入するときの留意点です。障害者、学生割引の対象者がいる場合は乗車券つきのトクだ値 は 必ずしもおトクに にはならないので注意しましょう。また、トクだ値 は、その列車と同区間の乗車券のみがセットされるので、その駅が乗車駅、最終下車駅と異なるときは、前後区間の乗車券を別途購入するなどの手間がかかることにも留意しておく必要があります。今回の場合、トクだ値は東京都区内から燕三条までの乗車券がついてます。ひきこもりテツは中央線の 都区「外」の駅 から 弥彦(燕三条から弥彦線のりかえ)まで乗車するので、都区「外」の駅 から 西荻窪 まで と燕三条 から 弥彦 まで の乗車券を別途購入します。また、障害者割引の1人分は、指定券だけの通常購入なので都区「外」の駅 から 東京、燕三条 経由 で 弥彦 までの通しの乗車券を購入(5割引)することになります。トクだ値 の利用区間部分以外の前後の運賃を加算するとおトク度が少々減る・・・・また、トクだ値は、発券後の変更、払戻などには特殊なキマリがありますからご自身でよくお調べのうえメリットの有無をご判断ください。
2017/12/03
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恒例の「ジャイアンツ・ファンフェスタ」に行ってまいりました。ここ数年は午前中にシーズンシート契約者向けの「オーナー感謝祭」、午後に一般向けのファンフェスタというパターンが定着してます。ひきこもりテツ は まさに「巨人、大鵬、卵焼き」の世代ですが、決して熱狂的なファンではありません。一応有料会員になってはいますけど、年に数回~10数回ってとこかな。今シーズンは順位が順位でしたから・・・この少なさそれに、橙魂ユニ、ビジターユニ、TOKYOシリーズなど、何かしらのオリジナルグッズが配布される時にしかいかないという、根っからの巨人ファンからど突かれそうなスタンスを貫いております。こんな ひきこもりテツですから、ファンフェスタも、チケットが入手でき事前応募イベントの「サイン会」が当たった場合に限り、それだけのために参加しているという、合理的というか、とんでもない「えせ巨人ファン」でございます。で、ことしは、森福投手のサインをいただきました。ひきこもりテツ は、3回目のA列だったのですが、隣のB列が大竹投手、C列が菅野投手でした。毎年どの選手が自分の列に着席されるか、並んで待っているときはドキドキワクワクです。ひきこもりテツ は、2010年からひたすら「サイン会」を希望してハガキで応募してますが、はずれる年もあります。今までの戦績は2010 66 田中大二郎さん2011 48 矢野謙次選手2012 51 古城茂幸さん2014 40 加藤健さん2017 19 菅野智之投手2018 13 森福允彦投手このうち2011年までは愚息がサインをもらってます(当選ハガキを持参した本人、1名しか会場に入れません)会場内で撮った写真をみると、すでに引退されたり、例の事件でいなくなっちゃったり・・・懐かしい顔も 以下の写真は2011~2016年のもの昨年、サインをいただきました。握手していただいた手が、デカかった。野間口さん、お疲れですかねいい選手だったんですが・・・日ハムで頑張ってますね。交流戦で札幌行って、そのまま残っちゃったみたいでした。お人柄の良さが・・・あ~あ・・・いぶし銀の中継ぎだったのに彼を見ると書きたくなる 歴代ドラ12008 大田泰示2009 長野久義2010 沢村拓一2011 松本竜也 2012 菅野智之2013 小林誠司2914 岡本和真 2015 桜井俊貴2016 吉川尚輝2017 鍬原拓也 もうサイン会にお出になることもないな・・・杉内さんは。2015年のドームでのイースタン戦以来お目にかかってまあせん。18番が1軍にいないっていうの・・・かつてあったかしら?まだまだバリバリです。しかし、相変わらずグラウンドイベント中のフィールドの混雑はすごすぎますね。
2017/11/23
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と、いっても、グリーン車の指定席を予約したのではございません。グリーン車の座席そのものでございます。ほんと、おバカだねJR東海鉄道倶楽部 というサイトができたことを、Twitter を通じて昨日知りました。JR東海浜松工場直送で700系の廃車発生品を販売するそうで・・・最初はへぇ~・・・って感じで何気にサイトを除いてたんですが。ムクムク、めらめらと購入意欲が湧いてきました。ひきこもりテツ は意外に守備範囲が広く、部品テツでもあるのですが、いかんせんひきこもってますから、長野とか大宮(もとの国鉄工場)でのイベントがあって部品販売もあるって聞いても出かけるすら起きない、まして整理券制だったり、何時間も行列なんて・・・当然、購入手段としては中古品専門業者のネット販売やネットオークションに頼ることになります。で、JR東海鉄道倶楽部は、その決済をJR東海の いいもの探訪 で行うというので、昨日のうちに会員登録をしておきました。もちろん購入手続をいち早く済ませるためです。さらに自宅から勤務先のメールアドレスにアドレスを送信して、今日の正午(販売開始予定時刻)に備えました。数分前から仕事そっちのけ(笑)でアクセスを試み、狙っている商品画像上のマウスポインタが「てのひらマーク」になるのを待ちました。社内からかかってくる電話も「ごめん。いまテンパッてるからこっちから折り返す・・・」で斥けて。「テッパッてる」に偽りはない・・・・12:00ジャスト。よし、つながった!(昔の電話予約を彷彿とさせる高揚感・・・)一気に購入手続きまで進みます。ゲット!12:01には ’【JR東海:ご注文確認メール】お買上げありがとうございます‘という自動送信のリプライメールを受信してました。その後も興味本位で見ていたのですが、700系普通車の2列座席(限定4脚)が早々に「SOLD OUT」だったかな。3列席(4脚)は、さすがにホームユースに転用するにしても持て余すのか販売開始から10分ほどでも買える状態にあったようでした。でも、そもそもの絶対数が少ない(1編成に2席?4席?)運転席座席(2脚限定) が一番早く売れたのかもしれません。とにもかくにも 何にしても収集癖がつきまとう テツ根性 と、限定○個 にすぐ乗ってしまうオヤジ(オババ?)気質のなせる業でございました。あちこちのネットニュースで、ネタにされてますが、どうやら ひきこもりテツ もその片棒をみずから担いでしまったようです。鳥肌モノのお宝、第一弾は瞬殺!!新幹線の座席や銘板、即完売売り切れも続出!あ~あ。買ったのバレたら大変だろうなあ。どこに置こうかな?どうやって固定しようかな?商品到着まで悩みつつ過ごす日々。で、これが届きました。フローリングに固定するわけにはいかないので、コンクリートブロックの上に置きました。リクライニングを倒すとひっくり返るので、AVラックがストッパー代わりです。こちらは本物の700系座席です。C52編成あたりまえですが、そのまんまですね
2017/10/12
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突然ですが、キハ82です。1960年。「はつかり」で颯爽とデビューした、特急気動車キハ81でしたがすでにキハ55で実績のあったDMH17系エンジンを改良して採用しはしたものの、長編成、長距離連続走行という特急としても過酷な条件下では不具合が多数生じたため運転開始早々初期故障が頻発、床下機器から火を吹いて運転中止になるなど、新聞の見出しでははつかり、がっかり、事故ばっかり・・・ と揶揄されたりしての苦難のスタートでした。翌年のサンロクトオ改正では、そのエンジン改良型し、前面貫通スタイルとしたキハ82がデビュー、全国の非電化区間へのの特急網の拡充への嚆矢となるに至りました。くろしお 1976 新宮北海道です北斗 1977 上野幌オホーツク 1974 網走まだ湧網線があった時代。腕木信号機が壮観ですね。北斗 1977 大沼北斗 1977 落部おおぞら 1974 社台おおぞら 1977 江別キハ82 86 カットモデル 2015 北海道鉄道技術館(苗穂工場)苗穂工場では前頭部が保存され、運転台に入ることができます。現役時代そのまんまですね・・・・紀勢線です暖地型のタイフォンカバー。まるで排水口のよう・・・こちらは現役バリバリの運転台。ハンドルも付きっぱなしです。 1976 新宮「くろしお」の折り返し中に運転席に入れていただいたときにテツ仲間が撮影したものです。現代ではこんなことは絶対に起き得ませんね。・・・よき時代でした乗せていただいた運転台から「はい、チーズ」若かりし頃の ひきこもりテツ です。 1976 新宮「くろしお」は、観光・ハネムーン需要が大きい路線の特急として、キロが2両連結されてました。続いて山陰線です1974年夏 ご多聞にもれず、SLを追っかけて山陰本線、倉吉線に行ったときのもの。対向列車から&駅撮りだけですが・・・はまかぜ 1974 養父あさしお 1974 駅不詳まつかぜ 1974 米子高山本線です。旅行ついでの駅撮しかありません 1973 名古屋すでに絵入りマークの時代 1988 名古屋 キハ82 101 保存車 2016 メモリアルシップ八甲田丸車両甲板切れ長のライトケースがとてもチャーミングですね。 貫通型というデザイン上制約が多い形状なのに、クリーク4号と赤2号の塗り分けも含めて秀逸なデザイン、ボディです。
2017/10/02
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乗車日当日に展望席をゲット!ひきこもりテツは 9月の3連休のうちの日~月を利用して伊豆急下田まで行ってまいりました。たった1泊での家族旅行ですが、のんびりと温泉に浸かっておいしいお魚を食べて・・・という趣向です。今日は、旅行のことではなく、往路に乗車した「スーパービュー踊り子」のことを書きます。伊豆半島への鉄道によるアクセスは、東伊豆、南伊豆へは JR+伊豆急行線、そして中伊豆、西伊豆へは JR+伊豆箱根鉄道(駿豆線)がありますが、前者では「踊り子」、「スーパービュー踊り子」、後者では「踊り子」で、東京駅発着が多数設定されています。特に伊豆急行線に乗り入れる「スーパービュー踊り子」は、湘南新宿ライン経由で池袋、新宿(大宮)発着もあって便利ですし、特に下り列車では土休日や行楽シーズン真っ盛りのピーク時などで、朝のいい時間帯に設定されているので、たいへん重宝します。251系「スーパービュー踊り子」、185系「踊り子」 2017,9,18 伊豆急下田「スーパービュー踊り子」に使用されている251系は、1990年のデビューで、1985年に登場した伊豆急の「リゾート21」に呼応したかのように、海沿いを走る鉄道ならではの車窓を満喫できる「観光特急」に特化した設計と、何よりもその斬新なスタイルが話題になりました。その後、内外装のリニューアル(2002年)を経て、登場以来四半世紀を経た今でも、古さをまったく感じさせない、JR東日本の代表的車両であり続けています。”スーパー・・・”を名乗る特急は数あれどスーパー「ビュー」は踊り子だけ!「スーパーはくと」、「スーパーあずさ」・・・停車駅の少ない速達タイプ、特殊な運転性能を持つなどで通常の特急列車の愛称に「スーパー」を冠した特急はあちこちにありますが。さらに「ビュー」がついちゃってますね。横(海)のビュー&前(展望席)のビューが売り物ということでしょうか。但し、来宮から先(伊東線)と伊豆急行線内は単線で、列車密度もそう高くありませんから、踊り子にしてもスーパービューにしても、他の列車を追い抜くことはあまりありません。むしろ、対向列車(特急)とすれ違うために客扱いをしないで(運転停車)駅に停まることが多いです。乗るならグリーン車!「スーパービュー踊り子」は、10両編成で登場以来「全車指定席」を堅持していて、うち下り方2両がグリーン車です。それも4人個室が3室(2号車階下)と、2+1列の座席(1、2号車階上)という贅沢なものです。クロ251-1 2階がグリーン席、階下は専用ラウンジ 8009M 2014,8 伊豆稲取 3人家族の ひきこもりテツ家 とっては2列+1列(横並び)の座席がある特急はとてもありがたい存在なのですが、単なる移動手段としての特急だけではない魅力が「スーパービュー踊り子」にはあるんですね。 8009M 2014,8 伊豆稲取座席表です。伊豆急HPに掲載されている座席表に、車両のサイドビューを添えました。ひきこもりテツ はサイドビューの写真を撮っていないので、模型(Nゲージ)の写真を貼ってみました。1号車2人席(A、B)が海側になります。1人席は、D。1号車はC席が欠番(欠席?)になります。1号車の特長といえば、なんといっても 1、2番のAB、Dの、2列6席は運転席に向かって階段状になっている、いわゆる「展望席」の存在です。展望席部分は、デビュー当時は3列9席あって、座席の前後間隔が1,000㎜と、他の座席に比べるのかなり狭く、おまけに床の構造上、座席が回転できないという、グリーン車らしからぬものでしたが、2002年のリニューアル時に、2列6席化されてシートピッチも1,300㎜に大幅に改善されました。展望席部分です。1、2番席に窓が3つあるのは、登場時の座席配置の名残ですね。3005M 2017,9 伊豆急下田もちろん階段状の床ゆえにあいかわらず回転することはできませんが、展望席でわざわざ逆向きにする人はいないから・・・とにかく広いです。 1-D席2号車です1号車とは座席の並びが逆ですね。海側が1人席(A)、山側が2人席(C、D)です。2号車はBが欠「席」です。なぜ1号車と並びが逆なのでしょうか?答えは簡単、2号車の階下席の通路の高さを確保するためです。下図をご覧ください。2号車の階下には、4人用のグリーン個室があります。これを海側に配置するとなると、山側が通路になります。その上(2階席)の床をカサ上げ(眺望の確保のため)して座席を置くとなると1人席分では幅が足りず、こちらに2人席を置かざるを得ないからです。2階席の海側です。 4-A席とにかく、広く、ばかでかいシートに身をゆだね、アテンダントさんのウエルカムドリンクとおしぼり(紙ナプキンですが、SVOのロゴ入りのオリジナルです!)サービスがあるというだけで、もう十分なプレミアム感がありますね。「スーパービュー踊り子」に乗る機会があったら、ぜひグリーン車をご利用ください。1号車14名、2号車37名という座席定員で、静かな、ゆったりとした時と車窓の眺めを満喫してください。グリーン車に乗ったらラウンジへ!1号車に階下には、対面ソファーを配したラウンジがあります。ここがまた、ひきこもりテツ のお気に入りの場所です。簡単な調理ができる厨房もあります。NREのグリーンアテンダントさんはここを拠点にサービス業務にあたっています。厨房とラウンジの間にはお土産、おつまみを揃えた売店コーナーもあります。このラウンジ、普通車(3号車以降)のお客さんには、グリーン車への立ち入り(見学)を遠慮するようアナウンスされているので、実質的にグリーン席のお客さま専用といえるものです。もちろん、普通車の乗客には、5号車に売店(カウンター)が用意されていますし、普通車はハイデッカー(高床式)ながら2階建てではないので天井高が」十分に確保されていますから、それなりのグレードは確保されてます。清々しい空気が漂うラウンジ。開店前のバーのよう 3005M 東京駅発車前食堂車の片鱗がうかがえる貴重なフリースペースその昔、特急列車のほとんどに「食堂車」というものが連結されていました。さらに、食堂車は今でいうグリーン車(昔の1等車、2等車)に乗客専用という意味合いが強く、普通車(3等車)の乗客が食堂車に行くにしてもほとんどの特急列車では、グリーン車を通り抜けることがないよう編成が汲まれていたほどです。現代でいえば、食堂車こそないものの、東北、北海道新幹線のグランクラスやグリーン車が編成の端に連結されていて、普通車の客がトイレに行くにしてもこれらの車両を通り抜けることがないとう考慮されているのも、上等車の静粛性を確保する意味合いがあるのだと思います。食堂車も、最近まで北斗星やカシオペアでも連結はされていましたが、もはや夕食は時間を区切っての予約制というものになってしまっていましたす、フリーで利用できる朝食も、早朝から揺れる車内で数十分も並んでやっと・・・と本来の「食堂車」では、もはやなくなっていました。一方で、指定席そのものが食事場所になって、軽食や懐石料理、スイーツなどを味わうこと自体を目的(売り)にした列車が全国的に登場したりしてますが、これとて「食堂車」とは似て非なるものです。その点で「スーパービュー踊り子」のラウンジは、レンジアップという簡易な調理ながら、ビーフカレーや崎陽軒のシウマイが用意され、食べたいときに、その場で(座席へテイクアウトも可能)あたたかい料理が供されるというシチュエーションは、ほんのわずかながらも、昔ながらの食堂車のエッセンスが感じられる、貴重な存在だと、ひきこもりテツ は考えております。食材(ウエルカムドリンク類)はアテンダントさん自ら搬入します 3005M 東京駅なお、カレーは売り切れたり、もともと用意していない列車もあるようなので、乗車時にアテンダントさんに確認しておきましょう。生ビールはサーバーから供されるのでキーン!と冷えてます。 3008M 伊豆稲取これは 上り 伊豆稲取から乗車したときの写真。グリーン車に乗車する場合、号車にかかわわらず、2号車の1号車寄りのドア(ドアに窓がついているのが目印)から乗車することになっており、アテンダントさんが出迎えて、車内改札(車外か・・・)と案内をしてくれます。ひきこもりテツ ’生ビールあります?’男性アテンダントさん ’よぉーく冷えたのご用意してますよっ’・・・だって夕方のラウンジではさらに いい雰囲気。上り、特に遅い時間帯の列車のラウンジは総じてすいています。コーラで乾杯っ!上りのラウンジは、旅の心地よい疲れを癒すには絶好の場所夜は 白州で乾杯っ・・・あっ顔赤い!酔ってる? いえいえ、海水浴帰りの日焼けですぅ・・・なんだ、呑んでたのは お父さん(=ひきこもりテツ)だったのか! 白州のオンザロック・・・ダブルで2000円也くれなすむ東伊豆の海が今宵の肴です・・・展望席の愉しみ「スーパービュー踊り子」のグリーン車に乗車する場合、「展望席」を確保するという選択肢が当然に出てきます。ついつい運転席の後ろに陣取る習性のある「かぶりつきテツ」はもとより、お子さま連れやカップル(ご夫婦)でも、一度は展望席に乗ってみたい・・・と思う方は少なくないと思います。ここでは、ひきこもりテツ の展望席体験を・・・冒頭に書いたように、今回乗車した「スーパービュー踊り子5号」では、1号車1ーB席を確保しました。いうまでもなく運転席直後の「通路側」の席です。確保というより、当日に朝に乗変(席番だけ)して移動しただけですがこの顛末は こちらさらに、埋まっているはずの1-A「海側」が、伊豆急下田まで空席のままだったので、思いもよらず「かぶりつき席」が事実上の独占状態でした。時刻です東京駅9番線に上野方から入線してきます。特急の入線も、もはや田町からでないのが淋しい・・・1ーB席に座って、いざ出発ひさしぶりのかぶりつき乗車で、ちょっと緊張してしまいました。この時点で1-Aは空席でした。品川か横浜から乗ってくるのかな?しばらくしてNREのグリーンアテンダントさんがウエルカムドリンクのオーダーをとりにきます。もともと確保していた1ーDに陣取った愚息は アップルジュースひきこもりテツは ウエルカムドリンクはコーヒーにしました。もちろん、この時に有料のアルコール類、カレー(既述)やサンドイッチなどの軽食のオーダーもできますが、シートサービスは、グリーン席のお客さんひととおりウエルカムドリンクがいきわたったのちになります。電車に乗ると(除:通勤電車)朝からでも呑んじゃう ひきこもりテツは、今回は下田からレンタカーを借りて運転しなければならないのでホーム売店で買ったノンアルコールビールで我慢しますさっそく 東京駅の「祭」で買った 花善(大館駅)の「鶏めし」を食します。これから伊豆に行こうってのに、東北の名物駅弁かよ・・・へへっ。津軽海峡も越えてしまいました・・・よく食うな・・・てか、展望席に座った ひきこもりテツ、 この先いろいろ「忙しい」ので早めの腹ごしらえをしとくわけです。いよいよ「お仕事」です。身を乗り出して、パチリっ(擬音古すぎ)そう、まずは運転時刻表をチェックします。通過駅の時刻、途中駅の着発番線などがバッチリです。大幹線だけあってひたすら突っ走ってます。こちらは伊豆急線内のものですJRとはずいぶんと体裁が違うんですね。単線の伊豆急行線内での、で対向列車と離合するための運転停車をどこで行うかってのは市販の時刻表でも十分に推測できますが、これでばっちりですね。下は、ひきこもりテツ が作った時刻表です。市販の時刻表の乗車列車の時刻と、対向列車の時刻をみながらおおよその時刻を推定して作成します。双方の列車が通過でも単線の場合はどこかの駅(信号場の場合もある)ですれ違うわけですから1、2分の誤差を承知のうえであれば比較的わかりやすいです。↓は追い抜き Ⅹは交換(すれちがい)です、いかにも「かぶりつき」テツって感じで、自分でもバカバカしいことやってるなって思います(自嘲)。横浜発車後は、熱海までノンストップ。結局1-Aには誰も乗って来ず。これで伊豆急下田まで展望席を独占できることがほぼ確定しました。気兼ねなく「テツ」できますね(意味不明)根府川では、小田原発伊豆急下田行の、伊豆クレイル を抜きます。伊豆クレイルはここで8分ほど(当時のダイヤ)運転停車をしています。この線区にデビューしてすでに1年が経過していますが、先入観があるせいか、常磐線乗ってるような錯覚に陥ります。ひきこもりテツは、明日の上りで この 伊豆クレイル これに乗ります。熱海駅です。普通列車に充当されている「キンメ電車」来宮駅の先で東海道本線を右に分けて伊東線に入ります。宇佐美251系同士のすれ違いも あと数年 でしょうか・・・伊東ここから伊豆急線になります。今日の運転士さんは女性ですね。2分停車なのですばや(動画からのキャプチャ)く交替します。「本日はご乗車いただきましてありがとうございます」と、誰に、というわけでもないようですが、窓越しにグリーン席に向かって一礼、挨拶をされていました。これにはびっくりしました。信号喚呼 とにかくかっこいいです。真後ろに陣取っているとなおさら、テツならずとも ついつい復唱真似しちゃいますね。通勤電車のかぶりつきでこれをやったら・・・富戸ともに運転停車です。この日は台風接近のため天気が悪かったので、肝心の左側の眺望(海ってこと)は残念なものでしたが、逆に前面展望は逆光にならずまずまずでした。youtubeでこの列車(少し前で現行ダイヤではありませんが)の全区間の前面展望をアップされている方がいらっしゃいますのでご参考に→コチラ海と、前面展望を良い光線状態で満喫するには午前中の上り列車がいいのですが、スーパービュー踊り子の上りは、10号車(普通車)が先頭になりますし、休日下りの小田急ロマンスカー並みの「うるささ」(特にお子さま方の!)なのでオススメしません・・・・最後におまけ伊豆急下田駅電留線での並びです。左から、マリンエクスプレス踊り子、伊豆クレイル、スーパービュー踊り子 です。三役そろい踏みって感じでしょうか。ニッポンレンタカー伊豆下田駅前営業所のレンタカープール(2階)からの撮影です。これを撮りたさに、レンタカーをここで借りたといっても過言ではありません。撮影上の注意!!当然のことながら、事前に許可をいただいて撮影しました。このアングルの写真はネット上でもいくつか見られますが、私有地であることを認識し良識ある行動をしましょう。どんな状況でも事務所の方に事前に許可をいただいてください。なお、フェンスに足をかけて顔を出すという、かなり危険な場所です。よって、お子さまが見られる状況ではないです。事務所の方によると先日も転落してケガをした輩がいたそうです。列車ダイヤを確認し、タイミングを推測すればいろいろな組み合わせの並びが見られるはずですし、頭が揃っていますから、公道上(マリンエクスレスの右横)からでもバッチりです。この写真は、翌日の昼すぎに、レンタカーを返却したあと、伊豆クレイルの乗車前の撮影です。これでホームに185系が入っていたら文句ないですね。で、やっちゃいました時間差で撮影した2枚をつないで実現!1??? ↑繋ぎ目とまあ、伊豆の旅は、テツにとっては 行く途上、帰る途上でも、十分に楽しいですね。
2017/09/23
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先月、当ブログでKATO「だいせん」ナハ11、ナハフ11 所属区の謎・・・?というタイトルで座席車の車番が、プロトタイプとされる時期には宮原(大ミハ)にいなかったことを書きましたが、本日、予約注文していた関西家電量販店から、車番を変更して発売する旨の連絡がメールで来ました。*********************************************************日頃は、○○をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この度ご注文頂きましたカトー10系夜行急行「だいせん」につきましてメーカーより一部仕様変更(形式・車番変更)についての連絡がございました。■対象商品(N) 10-1449 10系夜行急行「だいせん」7両基本セット(N) 10-1450 10系夜行急行「だいせん」7両増結セット■変更内容一部車両の形式・車番が下記の通りに変更になります【7両基本セット】 9号車:ナハ11-42→ナハ10-2310号車:ナハフ11-3→ナハフ11-1【7両増結セット】 5号車:ナハ11-41→ナハ10-105 6号車:ナハ11-2→ナハ10-58 7号車:ナハ11-3→ナハ10-60 8号車:ナハ11-45→ナハ10-10※このメールは対象商品の一部もしくはすべてをご予約頂きましたお客様に送信しています。ご了承頂けます様お願いいたします。また今回の変更により、一部商品のお取り消しをご希望されます場合はお手数ですが、「お取り消しご希望の商品名」を明記いただきました上でご連絡を下さいますようお願い申し上げます。*******************************************************座席車6両すべてが変更になっていますね。ナハ10と11は、後年の改造による個体差においては外見上はまったく同じですから、レタリングだけ変えれば済むわけで、メーカーにとっては現段階での変更には何ら問題はなかったがゆえのこの時期でのリリースをしたのだと思います。そもそも、マニアのどなたかか、自社内からの指摘か何かがあって変更したものと想像しますが、ひきこもりテツとしても安心したというか少しうれしく思ってもおります。では再度 1971年版の国鉄車両配置表(交友社)で確認してみましょう。もっぱら「きたぐに」の運用に就いていた電暖車を避けてのSG車から採られていますね。これならまったく問題なしですところで、「きたぐに」といえば、上掲の配置表のうちナハ10 2019ナハ10 2106の2両が、あの 北陸トンネル内で起きた大惨事 のときに連結されていた車です。こうなったら、同じ時期をプロトとした全車大ミハ所属の、食堂車組み込み最末期の「きたぐに」の製品化を期待したいのですが、いくらKATOさんといえども、オシ17 2018という、出火元車両そのものの番号で製品化してしまった「前科」がありますから、「きたぐにセット」は出しにくいかもしれません。
2017/09/15
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*************************************************追記・・・その後KATOから車番変更のアナウンスが出ています*************************************************こちら↓https://plaza.rakuten.co.jp/hibikingyo/diary/201709150000/?scid=we_blg_pc_lastctgy_1_titleKATOから 旧客時代の「だいせん」が発売されます。今まで書いたことはありませんが、ひきこもりテツは、実は模型鉄でもあります。ひきこもっているテツであれば当然かもしれませんがね。特に10系寝台車+43系ハザを含む旧客編成が大好きなので、編成ものにはメがありません。10-1449 10系夜行急行「だいせん」 7両基本セットカトー KATO (Nゲージ) 10-1449 10系夜行急行「だいせん」7両基本セット 10-1450 10系夜行急行「だいせん」 7両増結セットカトー KATO (Nゲージ) 10-1450 10系夜行急行「だいせん」7両増結セット大阪発の夜行ということで、関東在住のひきこもりテツにとっては乗車体験もなくコレクションとしても本来は守備範囲外なのですが、スユニ60、マニ35、マニ61がNゲージのメジャーメーカー初の製品化(完成品として)であって、また1970年代前半の旧客寝台急行ということで、早速関西系の某家電系ネット通販で予約しました。製品の編成ですマニ61-211(▲上りのみ)/スユニ60-29(▽下りのみ)ワサフ8003マニ35-63オロネ10-5スロ54-2037オハネ12-41オハネ12-27ナハ11-41ナハ11-2ナハ11-3 ナハ11-45 ナハ11-42ナハフ11-3 KATOのインフォメーションによれば~昭和46年(1971)頃の宮原客車区、出雲客貨車区所属車がプロトタイプ~とされています。まず編成を確認してみます。手許にある、弘済出版社時刻表1971年8月号では 荷▲・郵荷▽・荷・荷・Aネ・ロ・ハネ・ハネ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ ▲米子→大阪 ▽大阪→出雲市この前後の公社時刻表 1970年8月と1972年2月号((JTB時刻表復刻版戦後編4所収)でも、全く同じ記載がありますので模型の編成再現としては間違いないようです。その後、1972年3月(新幹線岡山開業)改正号では、ハネが増えて4両、ハ(座席)は3両減って3両になっています。この改正でのハネの増結は、「だいせん」の旅客需要が特に寝台車では旺盛で、東京発「出雲」と同様、慢性的に混雑していたものと想像はしますが、実状として「つるぎ」の特急(20系)化で旧客ハネの需給に余裕が出たため、余剰車を「だいせん」に充当した・・・ということだと思います。次に、車番とその所属区をみてみます。マニ61-211 大ミハスユニ60-29 大ミハワサフ8003 大ミハマニ35-63 米イモオロネ10-5 大ミハスロ54-2037 大ミハオハネ12-41 大ミハオハネ12-27 大ミハナハ11-41 門モシナハ11-2 門モシナハ11-3 米ヨナナハ11-45 米ヨナナハ11-42 門モシナハフ11-3 門モシ前述のように「1971年の編成、車両がプロトタイプ」と謳っているのですが、ナハ11の3両とナハフ11が、当時は門司客貨車区の所属です。念の為1969~1972年の国鉄車両配置表(交友社)をみてみました。1969年 1970年 1071年 1972年 この4両、4年間門司を動いてませんね。いくらなんでも天下の宮原が他の区所から車両を長期に借り入れる・・・とは考えにくい。うーん。これは謎ですねえ。肝心の宮原には、この時期、ナハ11は1、44の2両だけで、ナハ10は24両も配置され、そのうち8両が電暖車として「きたぐに」に使用してたとしても、当然「だいせん」の座席車には 蒸気暖房の16両のナハ10がもっぱら充当されていたはずだから、ナハ10で出したほうが自然かななんて思ったりします。もっとも、ナハ10は「日南」で既出ですし、概観上はナハ11と同じだから。ひきこもりテツにはこれ以上の検証をする知識がありませんから、もっとすごいツッコミや、解説、考察をどなたかがネット上にお出しになるのを待ちたいと思います。
2017/08/08
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「大雪くずれ」といっても雪崩のことではありません。この「大雪くずれ」の実物を見た人は、もう50歳をとうに達している御仁たちくらいでしょう。これが「大雪くずれ」です。C58 139 1527レ 石北本線 呼人 1974,12,281974(昭和49)年当時、札幌・網走間を結ぶ、気動車急行「大雪」があって、その夜行だけは客車急行として、寝台車やグリーン車を連結していました。国鉄から蒸気機関車が消えようとしていた1970年代、特急はもとより急行列車を蒸気機関車が牽引する機会がほとんどなくなっていました。1970年時点では、呉線経由の「安芸」、函館本線「ニセコ」が最後の蒸気急行(定期)としてマニアの注目を一手に背負っていましたが、その後、蒸気の活躍場所が急速に狭められるとともに、最後の蒸気機関車の牙城となった北海道で、その中で夜行ながら急行列車の末端区間で普通列車としてでありながら、荷物車はもとより寝台車やグリーン車を含む堂々たる編成を牽引しているカマがあるときけばマニアとしてはいてもたってもいられなくなるわけです。この急行「大雪」の編成をそのまま引き継いで普通列車となった編成をC58が牽引したことから、1527レ、1528レのことを「大雪くずれ」と呼んでいたわけですね。編成です公社時刻表 1975年3月号から全区間走破するのは荷物車と1~8号車で、普通列車区間となる北見・網走間は9、10号車は連結されません。なお、荷物車は北スミ所属のマニ60(北東航2)。青函連絡船に載せられて渡道、はるばる網走まで走ります。郵便・荷物合造車は旭川客貨車区(旭アサ)のスユニ61。3号車は車体中央の扉を挟んでA寝台とB寝台が同居している「オロハネ」の元祖オロハネ10。その他のB寝台は所定ではスハネ16、オハネフ12、グリーン車はスロ54、座席車がスハ44、スハフ45と、北海道(酷寒地)仕様の500番台が並ぶ魅力的な編成です。なお、北見切り落としの2両のハザは北見客貨車区(旭キミ)のスハ45、スハフ44で、同区では「大雪」の運用だけのために配置されていた「優等客車」でした。交友社 国鉄車両配置表(1975)から時刻です公社時刻表 1975年3月号からこの普通列車の区間、すなわち 北見・網走間だけ、DD51から引き継いで、北見機関区所属のC58が単機で牽引します。517レ 下り 大雪5号札幌 22:15 ー 05:42 北見 06:15 ー 07:53 網走北見・網走間 普通1527レ518レ 上り 大雪5号網走 20:33 ー 22:07 北見 22:17 ー 06:13 札幌北見・網走間 普通1528レひきこもりテツ は、上掲の写真(1527レ)を撮影した日の夜に、北見から岩見沢まで、1528レに乗車しました。もちろん、宿代の節約と撮影効率向上のためです。北見駅のホームで入線する1528レを、そして網走から牽いてきたC58が切り離されて機関区へ帰っていくシーンを8ミリ撮影しました。残念ながらその時のフィルムは紛失してしまいましたが、スハフ44から切り離されて去っていくC58の、構内灯に照らしだされた白煙と赤い尾灯が何とも印象的で、40年以上経った今でもまぶたに焼き付いています。その時の指定券です。ちなみに1973年頃(未確認)までは旭川・北見間はD51による牽引で、1971年の時刻表(弘済出版社)では、しっかりSLマークが記載されています。ダイヤエース時刻表 1971年7月号から(下り)冒頭の写真ですが、ハエタタキとその電線が編成にかかってしまい、煙の加減は文句なしですが、わずかに西に流れ、マニ、スユニに続くB寝台車がかろうじてみえるものの、その2両うしろの肝心のオロハネが煙にかくれてしまいました。
2017/07/17
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かつての国鉄路線には、ある特定の区間だけで列車の牽引を担う、いわゆる「専任」機関車がいました。その代表格が信越本線 横川ー軽井沢間にある碓氷峠 のヌシ EF63です。ひらすら、国鉄最急の上り勾配路線(下り列車に対して上りの片勾配・・・)のシェルパとして地道ながらも非常に重要な任務に徹していたEF63も、長野(当時)新幹線の開業とともに1997年9月をもって路線自体が廃止されてしまったため、専任機関車ゆえのあまりにも特殊すぎる装備が多かったがために他所への転用もできす全機廃車になってしまいました。あれから20年今日は横軽廃止のときのことではなく、それよりさらに四半世紀前のことを書きます。ということは45年前か・・・(やおら感慨にふけっていたり)上野から臨客「軽井沢54号」(「下りなのに偶数」号だった時代)で横川着。機関区を訪問して、軽井沢まで往復しただけの日帰りツアーでした。同行者は中学1年のときのクラスメイトのI君。国鉄職員の息子でした。17号機 若かりし、ひきこもってなかった頃の ひきこもりテツ ですEF63といえば、軽井沢方の2エンドが特徴。電車、気動車、客車、貨車と横軽を通過するすべての列車の坂下側につくため双頭連結器(密連、自連、密自連に対応)や数多くの車種につなぐジャンパ栓を装備したスカートがいかめしいです、横川方の1エンドです。このころはまだ、あの不格好なコーリニアアレイアンテナも未装備でEF63のマスクも、両エンドともすっきりしてましたね。18号機、4号機、13号機ですこのうち18号機は碓氷峠鉄道文化むらで保存(静態)されています。避雷器の位置が18号機だけ真ん中にあるのがわかります。いわゆる1次型と2次型との、識別しやすい特徴ですね。よくみると、13号機だけ前面の警戒色(クリーム色)の塗り分け位置が高いですね。13号機だけナンバープレートのすぐ上に窓まわりのブルーが来てます。貫通扉取っ手(凹部)の上端に塗り分けラインがあるように見えます。上の写真の右横にいた14号機との並びです。13号機と14号機とが1次と2次型との境です。テールランプの形状も異なっているのがよくわかります14号機は状態が悪く、横軽の廃止を待たず、試作的要素の強かった1号機とともに、1986年に除籍されています。15号機。全検直後でしょうか。ピカピカですね。9号機です。このカマは、撮影した2年後、脱線転覆事故により廃車されてしまいました。同じ事故で廃車された5号機です。手前の車両は特急電車の嚆矢となった181系のEF63との連結用装備をもったクハ180です。このアングルだけでも、181系の秀逸なデザイン、形状がわかります。1973年時点では、EF63は21号機までしかなく、3次型の製造はその翌年に2両、そして事故廃車となった5、9号機の代替として24、25号機が1976年に登場します。上の写真の列車の発車シーンです。バックミラーとJNRマークが印象的です。カメラを向けると・・・笑顔と あご紐をしっかり締めてきりっとした表情の車掌さん。いすれも国鉄マンとしてのプライドと気品、やさしさに溢れています。この組み合わせ、たまりません・・・横軽「通過」専用ともいえるEF62です。若番も健在な時代、横軽を通過していた貨物列車もありました。軽井沢(矢ヶ崎)での撮影です。横軽でだけは、天下の181系も完全に脇役になりさがったアングルですね。この時代はこんなところにいても緊急停止されなかった・・・169系を押し上げてきたEF63が軽井沢の平坦区間にかかろうとしています中1の坊主2人だけでは、機関区や駅撮り、近場での撮影しかできずじまいですが石の上ならぬ、引き出しの中のネガフォルムも半世紀近くの時を経ればどんな駄作でも貴重な記録にはなるんでしょうね。
2017/07/15
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今日はいよいよ、札幌駅の行先表示で「上野」が見られる最終日です。2015年8月思えば まだ地平ホームだった札幌駅に 「上野」行先表示が初めて表示されたのが 1988年。 寝台特急 北斗星牽引するDD51も最初は「一般色」でした1989年7月没個性だった24系25形を当時としては望み得る最高の設備を備えた「ロイヤル」に改造し、東海道口のブルトレの復権を目指して採用されたシャワールームやロビーも連結。ロイヤル(オロハネ25 503 東日本車) 1988年7月ブラウン管モニタが懐かしい。写っているのは当時の大河ドラマ「武田信玄」!ウエルカムドリンク 当時としては最高のおもてなし食堂車に至っては種車がもはやなかったなか、電車特急の車両を改造し、さらに思いっきり豪華な食事を提供する「グランシャリオ」が用意されるなど、分割民営化したばかりの東日本、北海道のJRの共作(競作?)でした。グランシャリオ(東日本車) 当初は4+4席海峡御膳今昔(ルームサービス) ↑1989年 ↓2015年あれから29年。青函トンネルを通る寝台特急が、青函連絡船の使命にピリオドを打たせましたが、今後は同じトンネルを通る新幹線が、寝台特急の息の音を止めたことになります。廃車を待つ北斗星用車両とDD51 2015年8月 苗穂工場推進運転や、客車を牽く機関車が2回も交換されるなどという、「今日」まで存在した運転形態は、もはや永遠に過去のものとなろうとしています。伊達紋別 特急が特急に抜かれる (定期列車時代)苫小牧(上り)恵庭(下り)
2017/02/26
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定期運行終了後も募集型ツアーとして津軽海峡を越えていたカシオペアもいよいよ今日の下り、明日の上りでの札幌往復のラストランを迎えます。カシオペア紀行 上野来年以降は四季島による北海道乗り入れがあるでしょうが鉄道による「庶民的」なコストで、札幌駅に直通することができなくなります。北海道新幹線とて「新函館北斗」までですから、乗り換えなしで札幌へ行けるのは今日が最後だった・・・ということですね。今日は ひきこもりテツなりに「カシオペア・メモリアル」として記録します。写真は今回の 海峡越えラストラン のものではありません、道内の牽引がDD51だったときのものです 念のためカシオペア オリジナルボトルカシオペア塗装、トワイライト塗装があったらよかった・・・・札幌駅で「上野」という行先表示は、新幹線が到達するまで見られませんすでに「トワイライト」が消えていました 2015年8月ディナーコースの デザートですスペシャル弁当苫小牧
2017/02/25
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若いころの ひきこもりテツ は、前にも書きましたが、撮り鉄 兼 音鉄でしたので、カメラ機材一式のほか、録音機材も携行していました。高校に入ってからは、大学の附属高であったという気楽さもあって、テツ魂がピークであったと同時にオーディオの世界にの首を突っ込み、その余勢をかっていわゆる「ナマ録」の世界ににも参入していた時期がありました。テツ+ナマ録=音鉄・・・じつに明快(単純)ですね。残念ながら、蒸気機関車の現役時代はモノラルのラジカセしか持っていませんでしたので、ステレオ録音を始めた1976年頃の「対象」は、旧型電機、路面電車、そして連絡船となっていました。そのから35年・・・当時、カセットテープに録音したものを、自己満足的にデジタル化した際に、もっとも「聞き入って」しまったのが青函連絡船です。今日は、その中から、1978年7月、3泊4日(うち車中泊2泊)で渡道したときの連絡船のアナウンスをご紹介します・・・といっても、船内アナウンスのほんの一部を、文字化しただけですが・・・************************************************************銅鑼の音~蛍の光♪ピンポンパンポン皆さま ご乗船ありがとうございますこの連絡船は松前丸 松前丸です乗務している船長は 「たかうらきよまる」私は直接皆様のお世話をします責任者の事務長「まつおまさはる」です よろしくお願いします今日の津軽海峡は穏やかなほうですからどうぞごゆっくりおやすみくださいこのあと係員が連絡の列車と船内のご案内をいたします♪ピンポンパンポンご乗船の皆様 本日のご旅行たいへんお疲れさまでございます。この連絡船は青森を19時25分に出航いたしまして、函館には23時15分に到着いたします。それでは函館から連絡いたします列車をご案内いたします。東室蘭、千歳まわり札幌行き急行 すずらん4号 は函館を23時40分、3番のりばから発車いたします。終着札幌には 6時08分の到着です。小樽、札幌まわり滝川行普通列車 函館を 23時51分 4番のりばから発車いたします。終着滝川には9時56分の到着です。(以下略)************************************************************ひきこもりテツ 「今日の津軽海峡は穏やかです・・・」が、なぜかとても「好き」です。上野 10:30 25M はつかり3号青森 19:01 19:25 27便 松前丸函館 23:25 札幌 23:40 1217レ すずらん4号
2017/02/06
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昭和50年代前半、まだ東北新幹線がなかった時代は、まだまだ首都圏から北海道へ行く交通手段としては、まだまだ鉄道(国鉄)が主流でした。上野から特急に揺られて8時間、八戸あたりを過ぎた頃でしょうか、青森からの連絡船接続のアナウンスののち、車掌が「乗船名簿」を配りに来ます。「いよいよ終着。乗船するんだな」長時間乗車に疲れた気持ちが、いやがうえにも高ぶってきます。「あおーもりっ。あおーもりっ。長らくのご乗車 お疲れ様でした。終着 青森です。連絡船にお乗り換えの方は進行方向前のほうへ・・・・」檜山丸(一岸)何とも特徴のあるイントネーションでの駅名の連呼と、この駅ならではの乗り換え案内。車両甲板に貨車を積み込む入換機関車のホイッスルや控車の小気味よいジョイント音。連絡船が発着する駅ならではの喧騒です。そして乗船。当時はすでにテープ再生となっていた銅鑼の音、そして蛍の光。客席からも聞こえる 汽笛・・・・
2017/01/29
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ひきこもりテツは関東の出身で在住ですが、なぜか「北」への思い入れが強いようです。北といっても、日本におけるもので、朝鮮半島での南北とか地球全体(半球)での区分ではないので念のため。国鉄の営業用蒸気機関車(今も全国で多数運転されているJRのイベント、展示用蒸気機関車とは異なる)が、北海道でその終焉を迎えたことも影響していますが、それを追って渡道するときには、必然的に津軽海峡を青函連絡船で越えなければならないという事情はあったにせよ、テツであっても、国鉄が所有、運行する「船」にも当然、興味の矛先が向いた・・・といえましょう。その頃、すなわち昭和40年代後半から50年頃というのは、連絡船による旅客、貨物の輸送量がピークに達していながら、オイルショックや、国鉄運賃の相次ぐ、大幅な値上げ、空路の拡充などのアゲインスト要因が次々と起き、連絡船の役割も徐々に縮小していく転換点でもありました。この時代には、青函航路には7隻の車載客船と、6席の車両渡船が就航していました。すなわち前者が津軽丸、八甲田丸、大雪丸、摩周丸、松前丸、羊蹄丸、十和田丸後者が渡島丸、十勝丸、日高丸、檜山丸、石狩丸、空知丸という陣容です。渡島丸型は、津軽丸型にくらべわずかに全長が長く、客室がないこともあってとてもスマートでかっこいいです。写真の空知丸は、車両渡船としては唯一、連絡船の終航まで活躍していた船で、ひきこもりテツがカメラに収めた唯一の貨物船でした。ひきこもりテツは、当時、これらの船名が、きっちりと区分けされているこに気付きました。つまり、車載客船は、津軽海峡を挟んで、北海道が4つ、青森が3つの地名(地域)、名勝にちなんでいること、車両渡船のほうは、すべて北海道の支庁名から採られているんですね。もちろん車両渡船は、いわば貨物船(貨車しか積まない)ですから一般客は乗れませんからなじみは薄いんですが、東京の人間にとって、「支庁」という行政区分になじみがなく、また耳慣れない地名ゆえの憧れというか、気になるというか・・・そんな感情をいだいていたものです。支庁名は、道内の方には至極日常的にきく身近なものなのでしょうが、内地の者にとって、北海道への旅行中にテレビやラジオの天気予報でいしかり、そらち、しりべしち地方おしま、ひやま地方いぶり、ひだか地方・・・と聞くと、ついつい、今風に言えば「萌え」てしまったものです。車両でいえば、客船が0番台、貨物船が1000番台・・・みたいな感じでカチっと別れているのが国鉄っぽくていいですね。ま、尤もこれほど明確に分かれたのは、各々、津軽丸型、渡島丸型という近代化船がそろい、すべて3時間50分で青函間を走れるようになってからですから昔からってわけじゃなかったんですけどね。上図には連絡船の船名に使われている支庁を赤枠で囲んでありますが、さすがに道南地域の支庁名から採っていることがわかります。根室丸や釧路丸では青函連絡船っぽさがないし、宗谷丸では南極に行っちゃいそう(笑)ですし、昔の稚泊航路になっちゃいます。では、胆振、後志はどうでしょう。場所的には十勝、日高よりふさわしいのに航路開設以来、青函航路に就航した船の名前に採用されたこともないようです。やはり、いブリ、シリべし・・・地元の方には申し訳ありませんが語呂がよろしくないのかもしれません。一方の車載客船はどうでしょうか。他の5隻に比べ大雪、摩周は、ちょっと遠いような気がします。北海道の超有名な山(系)、湖ですから、まあ許容範囲といえるかもしれません。もちろん道南の地名で、まさか洞爺はもう使えないでしょうし、支笏では語呂が良くない・・江差なら・・・おっとこれは補助汽船か!有珠、樽前・・・ちょっとねえ・・・ところで、乗船経験のある方なら「あれ、石狩丸と檜山丸に乗ったことあるけど」っておっしゃる向きもあろうかと思いますが、これは国鉄末期に、耐用年数を迎え老朽化した津軽丸、松前丸を終航させた代替船として、当時余剰気味ながらも経年の浅かった貨物船を改造してキャビン(客室)を追設したものなんですね。上が空知丸、下が檜山丸(改造後)です。平べったい貨物船に、ドーンと旅客収容部分を乗せたことがよくわかります。本船に寄添って来てるのは青森側の補助汽船「ふくうら丸」です。今日はここまで。お読みくださいましてありがとうございました。
2017/01/22
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以前、花嫁のれん の指定席のとり方を紹介しました。http://plaza.rakuten.co.jp/hibikingyo/diary/201609180000/ひきこもりテツは ことしのお正月、昨春開業した北陸新幹線の初乗りを兼ねて1月2日から2泊3日で金沢に行ったのですが、その中日(なかび)の3日に花嫁のれん1号 に乗車しました。テツ的にみれば、金沢・和倉温泉間という短距離で、キハ48を改造したくらいで「特急」扱いとするのは少々高飛車な気もしますが本来であれば、せっかく 花嫁のれん に乗るのだから、全区間(和倉温泉まで)乗車して、車内イベントやお食事メニューを堪能すべきだったのですが、和倉往復では一日つぶれることと、どうしても行きたいところがあったので、花嫁のれんは羽咋で下車しました。行きたかったところは 千里浜なぎさドライブウェイ大昔、勤務先の取引先の会合で和倉温泉(加賀屋の雪月花!!!)に行ったとき通ったのがここでした。その時は団体の貸切バスでしたから、一度は普通の車で走ってみたいと思っていました。ただ、ひきこもりテツ は、テツの中でも「飲み鉄」なので、ペーパードライバーの家内や未成年の子供を帯同しての旅行は、どうしても鉄道利用が多くなり、レンタカーもよほど公共交通機関が乏しい地方でない限り使いません。そこで今回は、定額でおトクかつ短時間で効率的に名所旧跡をまわれる駅から観タクンを利用しました。羽咋駅発着で、千里浜なぎさドライブウエイを貸切タクシーで走っってもらえるという、まさに ひきこもりテツ の希望にドンピシャのコースです。クーポンは、みどりの窓口で購入でき、タクシー自体は予約なしで指定駅に常駐している車(個人タクシーを除く)に乗り込むだけ・・・というとても気軽で便利なものです。で、このコースには、気多大社 と 妙成寺 の拝観が入っていました。北陸の方には申し訳ないのですが、ひきこもりテツ は、このふたつの寺社のことを知りませんでしたので、調べてみましたら、気多大社は能登國の一の宮であり縁結びにご利益がある、妙成寺はものすごい歴史と伽藍をもつお寺とのことでした。ちょうどお正月のお参りになる・・・と、期せずしてものすごい行程になったわけです。地図を見ても、コース的には効率よくまとまってます。昨年の出雲大社(元日発の「サンライズ出雲」に乗車)に続き、縁結びの神社詣でとなり、いやがうえにも期待が高まりました(このトシで何の縁結びを?)。しか~し、このような寺社にお正月、それも三が日に2時間でまわれるの?と不安になり、まずは羽咋駅に常駐している タクシー会社 にメールで問い合わせをしたところ、とても親切に教えていただきました。お正月で寺社周辺は渋滞するが、コース、時間とも大丈夫。また「駅から観タクン」でも、改札口まで運転手さんが迎えに来ていただけるとのこと。で、羽咋駅到着時刻(花嫁のれん)、帰りの列車(上り「能登かがり火6号」)などをメールでお伝えしておきました。当日、金沢駅のみどりの窓口で「観タクン」のクーポンを購入し、花嫁のれんに乗り込み、車内イベント(お正月ガラポン抽選会)にもギリギリ参加でき、羽咋で下車。改札口では運転手さんが「ひきこもりテツ 様」のカードを持って待っていてくださってました。1月とは思えない暖かい陽気でしたが、生憎風が非常に強かったので、肝心の千里浜なぎさドライブウエイは高波のため閉鎖!近年、砂浜が浸食され渚自体がかなり痩せているそうですが、確かにこの高波では車が対面で走れる幅では、とてもありませんね。運転手さんが駐車場で待機していただいている間に、レストハウスでお土産を購入。「観タクン」のこのコースでは、6300円ですが、なんと1,000円分のお買物券がついて、さらにここの売店では「お煎餅プレゼント特典」あって、ほんとにおトク。運転手さんに暖かいお茶の差し入れをして出発。気多大社へ・・・ん!「ありゃ、こんなところから・・・」運転手さん。初詣の車の渋滞が!!道路には人通りがまったく無いのに、確かにこの車の列は何なんだって感じ。タクシーは渋滞に巻き込まれる前に、踵を返し、別の道に・・・「ありゃ、ここもか!」と今度は脇道だかあぜ道かだか、はたまた農家の裏庭かって感じの狭い「通路」をくねくね進み・・・方向感覚もへったくれもなくなった ひきこもりテツ一家を乗せたタクシーは・・・わ。神社だ! やっとまともな道路に出たと思ったら、鳥居が眼の前に・・・駐車場待ちの車の脇を、いかにもタクシーだぞ・・・ってな感じで進み、駐車場の警備員と何やら二言三言・・・で到着。運転手さんとひきこもりテツの携帯番号をお互いに知らせ「参拝が終ったらどこそこで待ってますから電話ください」さすがに境内は広く、それなりに初詣客は多かったのですが、それでも拝殿まで10分ほどの行列で済みました。意表をつかれたのが、拝殿へ向かう行列が一旦手水舎の方に折れ、また拝殿へ向かう神門のほうに行列が続いていったこと。都会じゃ、律儀に手水舎で清める人は行列に並ぶ前に行くか、列から外れるかのどちらかですが、ここでは皆さん必ず清めてから参拝するんでしょうか、割り込みや手水舎スルーという人がいない!これにはびっくり。運転手さんから教わった菅原神社(合格祈願の絵馬がズラリ・・・東京ではお目にかからない高校や大学名がズラリで、なかなか面白い)にも参拝して、おきまりのおみくじ(地元の中学生が折って作り、「みくじ合わせ」(ひくときのためにランダムする)もする習わしらしい)をひき、干支の開運置物を購入して、運転手さんに電話して車に。妙成寺へ。途中、貸切タクシーならではの、運転手さんからいろいろなお話を伺う中、なんと運転手さんはこの気多大社で挙式をされたとのこと。あの「超 抜け道」詣は、まさに地元ご出身の運転手さんならではのものだと実感。もしかしたら、限られた時間での乗車ゆえの運転手さん指定があったのかもしれません。妙成寺は、ふだんは500円也の拝観料がかかりますが、お正月なので拝観料無料。第一声「うへ、広い!すごい!」とにかくすごい規模の伽藍。それもすべてが古い(江戸初期建立の重文指定だらけ!)。これは壮観。境内を一周するだけでかなりの時間が必要でしたが、お約束の時間の関係で早々に駐車場へ。帰りの特急に乗る10分前に、計ったようなタイミングで無事羽咋駅に帰還。千里浜は走れませんでしたが、気多大社、妙成寺が素晴らしかった(語彙が乏しくて恐縮ですが、これしかいいようがない)何より運転手さんのがんばりに、ただただ感謝です。オウチタクシー(有限会社邑知観光)さんには、後日、丁重にメールで改めて御礼を申しあげました。そのメールにさらに返信をいただくなど、対応が素晴らしいです。羽咋、いや、石川県観光の白眉といってよいと思いました。兼六園や、茶屋街、県立美術館、そして最終日に高速バス往復という強行軍でいった白川郷ももちろん悪くはなかった(どこもかしこもインバウンド多すぎ!)ですがね・・・お正月(に限らず)金沢から和倉、能登島、七尾、輪島にお越しの節は、ぜひ羽咋観光もご検討なさることをおすすめします。
2016/12/11
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ノートパソコンはもちろん、ビジネスでもタブレット端末、スマホは必需品ですが、それらへの電源供給や充電にかかせないのが100V用コンセントです。新幹線や特急列車ではだいぶ普及してきてはいますが、1席1個というのはグランクラス程度でしょうか?しかし、あくまでもその用途を「電気カミソリ」用に限られていましたが、特急寝台客車に1970年代からでしょうか、洗面所に「カミソリ」用コンセントが用意されるようなっていました。カシオペアの客車は1999年の製造で、全室がA寝台ですから、室内に洗面所(+トイレ)があって、当然にコンセントが用意されています。もっとも、カシオペアより1年早くデビューしたサンライズ出雲・瀬戸用の285系電車には、洗面所のないB寝台個室にもコンセントがついていて、こちらは「カミソリ、ドライヤー専用 For shaver・dryaer only」という表示があります。 サンライズ出雲・シングル 2015,1カシオペアのコンセントで消費電力が大きいドライヤーが使えるかどうかはしりませんが、少なくともスマホや、デジカメなどバッテリーの充電に使用しても問題はないはずです。しか~し、コンセントは1口しかありませんから、これからカシオペア紀行に参加される方は、2口か3口の「電源タップ」を持参されることをおすすめします。ただし、JR側としては決して推奨はしないでしょうしから、あくまでもご自身の判断と責任でと、お願いしておきます。ひきこもりテツは、寝台列車に乗るときはいつも3口のタップを持参していました、しかし、コンセントに直につなぐタイプでは洗面ミラーを開ける(中にハブラシや石鹸、コップが入ってます)を開けるときにタップ本体と充電器が干渉してしまいます。では、3mほどのコード付きのタップではどうかというと、枕元やテーブルにスマホを置き、充電しながら使える利点がありますが、洗面所の扉を少し開けた状態でコードを通すので騒音(臭気?)気になります。そこで、折衷案として、ひきこもりテツが 北斗星のツインデラックスを利用した時に使っていたこれがおすすめです。北斗星のツインデラックス室内には、乗客に供するコンセントはありませんでした。しかし、テレビモニタにつないであるコンセントを外して差し替え、スマホやタブレットを充電していました。元はブラウン管モニタを順次液晶モニタに交換していった段階で、コンセントが露出するようなった「おかげ」でした。
2016/11/27
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YouTube に当日の車内放送をアップしましたのでお聞きいただければ幸いです。第1弾は 上野駅発車後の案内放送ですJRの車掌さんではないので何か舌足らずというか垢抜けしないというか当日の録音機材(笑)です。ICレコーダをセロテープで壁面に貼り付け、スピーカー上にマイクをぶら下げ風防ならぬ壁面との緩衝材でティッシュペーパーをかましてあります。同乗者には毎回大変不評な「設備」です。
2016/11/26
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ありふれたタイトルで失礼いたします当日の受付で渡される乗車証です。号車、個室が指定されています。展望スイートを予約した方以外は当日までどの部屋が割り当てられるかはわかりません。まして、普通のカシオペアツインでは、1階室か2階室かはたまた車端室かは、まさに運次第ということで。スイートのプランや、青森下車後のツアーが付いたプランでは、ダイニングカーでの夕食(洋食、和食はプランによる)と朝食がセットになって、乗車証にその時間帯が○印で記されています。なお、ツアー参加なので、ウエルカムドリンクや弁当の配布は各室ごとに「○○さまでございますね」とアテンダントさんはきちんと把握していました。ディナータイム1回目(1時間)は、加温調理中心ですぐ供食できる和食「カシオペア御膳」に充てられるのは、定期運行時代と同じですね。2、3回目の洋食終了後(21:45から)パブタイムの設定があるのも同じ。カシオペア紀行では、1、2号車のスイートはすべてダイニングカーでの洋食がついていますが、おそらく、4号車には和食付ツアーの客をまとめているのではないでしょうか。既述のように、ひきこもりテツは、ツイン室内で食するスペシャル弁当が夕食でした。発車後しばらくして、NREのアテンダントさんが各室にウエルカムドリンクを運んできます(「つぶいりオレンジジュース」1種類のみ)。この時、夕食時のドリンクオーダーを訊いていきます。スペシャル弁当は、18時すぎから各室に持ってきてくれますが、全個室に配るにはどうしても1時間はかかってしまうそうです。したがって、車販(ワゴン販売)や12号車の売店は配食が完了したのちの19時頃から営業するとのアナウンスがあります。弁当は上野(多分)で、5号車と8号車にある業務用室(車販準備室)に積み込みます。ひきこもりテツは9号車でしたので、上の写真にように18:27に来ていただけました。ひきこもりテツはカシオペア乗車は2回目ですが、前回はダイニングカーでの洋食でしたから、このスペシャル弁当は初体験です。ロゴ入りの風呂敷もいい記念になりますね。ペットボトルのお茶がついてきます。ワゴンサービスと売店で買えるグッズの数々です。カシオペア紀行の車内販売は、定期運行のときより売り上げが多いそうです。お話を伺ったワゴンサービスのおねえさんは、最終運行の2日前に常務されたようで、さすがにその時はグッズ類は売り切れ続出だったそうです。ところで、この日は、20時すぎの時点で12号車の売店と、そこから下ってくるワゴンでは早々とアイスクリームが売り切れてしまい、あわてて1号車から上ってくるワゴンを6号車まで遠征、迎撃して(笑)ゲットしました。果報は寝て待っててもいいですが、車販は寝て待っていてはダメですね。先客は同じ目的で9号車から来たオバちゃまで、お互いの健闘を讃えあいました。弁当プランでは、パブタイム以外でダイニングカーは利用できませんので、室外での居場所は ミニロビー(5、9号車。自販機あり)と12号車のラウンジだけです。ミニロビーというより、一昔前のロネの喫煙室みたいですね(当然カシオペアは一部の号車の個室内を除きパブリックスペースは禁煙)深夜1時、さすがにこの時間ではラウンジは閑散としてました。青森止まりでは列車の進行方向は変わりませんから、ラウンジは常に機関車に面することになります。スイート個室の方は室内の専用シャワーが使えますが、6、10号車の共用シャワーは使用できません。シャワーカードの販売もありません。が、施錠されていないので「見学」は可能でした。定期時代の北斗星、カシオペアで何度もシャワーを使いましたが、床に敷かれたシートタオルが濡れていて、抜け毛が絡み付いてついてたり、ヒーターが妙に効きすぎていて脱衣室がムンムンしてたり・・・ひきこもりテツはあまり好きではありませんでした。ま、もともと朝風呂派なので前夜23時で一旦終了したあとメンテされた翌朝6時枠を買ってましたけど。朝食です。でかでかとお値段が入って。無粋ですね。受付時に配布される引換券で、7時から売店かワゴンサービスで受け取ります。ドリンクチケットは定期時代のものにシールを貼ってますね。
2016/11/25
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10:51に 青森駅3番ホームに到着したカシオペア降車後はフリーで、お時間がある方は、ホームから今まで乗ってきたカシオペア客車が入換用機関車に牽かれてホームから去っていくのを見届けることをお勧めします。車内放送では、乗車票を駅出口の改札に示して一旦出場する(改札外に出る)ようアナウンスしていますが、青森から有効な乗車券を所持していれば、そのまま乗り換えても差し支えありませんし、ネックストラップがついた乗車票は記念に持ち帰ることができます(出場時の改札でも回収されません)。上野から長躯青森まで牽引してきた機関車(EF81)は、そそくさと客車から離れていってしまいますから、わざわざラウンジカーの方に駆け寄って「あら、もういっちゃった・・・」では残念すぎなので、上野駅で十分に撮影しおいて、EF81への未練は棄てましょう(笑)お乗りになった客車の前でお名残りの記念撮影をしたら、跨線橋を上って1.2番線のホーム(青い森鉄道線です)に移動しましょう。こんな写真が撮れます。上野駅と異なり、ほぼ直線のホームなので編成全体が撮影できます。カシオペアのダブルデッカーの客室窓が並んでます。上野や札幌駅構内では絶対にできなかった自然光下で撮れるのがいいですし、何より青森でDE10に牽かれるカシオペアなど、定期運行時代には基本的にはなかったはずですから臨時運行ならではの光景です。ところで、ここには写ってませんが、この日の展望スイートのお客さん、毛布をぐちゃぐちゃに丸めたのまま下車したようで、窓越しにはそのだらしなさが丸見え。品格のなさを感じてしまいました。1等車(死語!)に乗るにはそれなりの「ひととなり」であってほしいものです。カシオペアが青森駅構内に進入するとき、引き上げ線にはすでにDE10(ディーゼル機関車)がスタンバイしていてその横をカシオペアが通過しホーム3番線に入ります。 右の列車は 11:01発 蟹田行の津軽線331M11:03 カシオペアの牽引のためDE10が動き出します、連結シーンです。この日の牽引機はDE10 1763。 区名札には「盛」が入っています。 青森車両センターが今春、盛岡車両センターに統合され、その青森派出となって車両配置がなくなったのですが、掃車用にもっぱら青森に常駐しています。カシオペアのホームにはたくさん人がいますが、通路が狭いうえに誘導の職員さんの邪魔になるので、なかなら思い通りのアングルでの撮影ができません。一方、3番線のほうは数人しかおらず、お互い譲り合いながらも自由なアングルで撮影していました。出発を待ちます。なかなか出ませんねえ・・・で、そろそろ発車という頃合いを知る方法です。上写真の黄色いマル内を拡大してみます。本線の列車ではないので、入換専用の信号機に注目しましょう。2灯並列が色灯信号機でいう「停止」。これが斜めになれば「進行」です。11:20 甲高いホイッスルとともにカシオペアが動き出します。ひきこもりテツは動画で撮りましたので、そこからキャプチャして、12両すべてを並べてみました。カシオペアツインをメインとした4~11号車は見た目はみな同じに見えますが車端部(台車上の平屋部分)のレイアウト(窓割り)が微妙に違いますので、ついでにご紹介しておきます。では1号車から・・・1号車 スロネフE26-1 展望スイート1、メゾネットスイート3、車掌室2号車 スロネE26-1 メゾネットスイート3、カシオペアデラックス1(台車上)、共用トイレ3号車 マシE26-1 階上にダイニング、厨房 階下はスタッフ用休憩室など4号車 スロネE27-101 カシオペアコンパート(車いす用ツイン、台車上) ツイン上下各4+車端ツイン+車掌室 下線部は11号車までの共通仕様なので以下は「共通仕様」と略記します5号車 スロネE27-402 業務用室、共通仕様、ミニロビー(窓上下寸法が大きい) 業務用室はNRE女性従業員用休憩室6号車 スロネE27-302 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、シャワー室7号車 スロネE27-202 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、共用トイレ8号車 スロネE27-1 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、業務用室 業務用室は車販準備室、貯蔵庫9号車 スロネE27-401 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、ミニロビー10号車 スロネE27-301 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、シャワー室11号車 スロネE27-201 車端ツイン(エキストラベッド付)、共通仕様、共用トイレ12号車 カハフE26-1 ラウンジ(床下は発電機など)、売店・業務用室
2016/11/24
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今回の青森行きのカシオペア紀行は、スジが立っているのに、途中停車が多いのが特徴です。東北新幹線開業前の 栄光の1列車(便) 1M~1便~1D という乗り継ぎでは、上野から札幌まで16時間50分かかっていました。カシオペア紀行では、それよりも2時間近く余計にかかって、それも青森までで です。1M はつかり5号の青森着は 上野から8時間15分後、0時15分でしたから、カシオペア紀行は、それより20分遅発というハンデはあるものの、はつかり が青森に到着した時刻には、なんとまだ仙台にいます。それにしても遅いですねえ・・・というか、遅いんじゃなくて、走っている間は普通に速いんですが、途中駅で停まりすぎなんですね。では、カシオペア紀行の運転時刻です。カトー KATO 10-1441 EF81 95 + E26系「カシオペアクルーズ」 基本セット(4両)巷での撮り鉄情報のほか、ひきこもりテツが乗った日は終始ほぼ定時運転(遅延なし)でしたので、乗車中のラップタイムとしてメモしておいた時刻を挿入してあります。なお、実際のダイヤグラムは存じませんので、数分のレベルでズレがあってもご寛容のほどお願いいたします。運転停車で、扉は開きませんが、郡山、福島、仙台、盛岡、八戸着の時刻は、発車後の車内アナウンスで「参考」として案内されていましたので、その時刻だけ赤にしてあります。15:35 入線(13番線)入線シーンを動画で撮る方には14番線からの撮影をお勧めします。車両の下回りまで入りますし何より特徴的な2階建ての客室側を撮ることができます。13番線側は外見的に単調な通路面の窓が目の前を通り過ぎるだけですし、とにかく人が多過ぎ。下りの「客車列車」入線時しか見られない推進運転士さんの姿も、現時点ではカシオペアだけになってしまいました。こういうシーンも記録しておきたいですね。この日の牽引機は EF81 81(田)長らく北斗星色だったカマですが 2014年、お召列車牽引時の塗装が復活しました。連結器のシルバーも素敵、ピカピカです。惚れ惚れする美しさです。それにしても カシオペアの定期、不定期運転が終了したあと、専用塗装機まで用意された後輩格の EF510 がJR貨物に売却されたのち、大先輩の老兵 EF81 が再びカシオペアの牽引にあたるとは・・・リネンの積み下ろしでしょうか。こんな風景も夜行ならでは・・・16:05 開扉16:20 上野発16:43 大宮着16:45 大宮発時間が時間だけに学校帰りの学生や、サラリーマンも、しっかりカシオペアの運転日、時刻を把握しているようで、さかんにスマホやデジカメで撮影してました。きっと「大宮駅。カシオペアに遭遇」などとツイートするんだろうな。ところで、1階室の方は居住まいにご注意ください。ホームと1階室の窓が同じレベルです。好奇の視線が注がれますので、カーテンを閉めないで着替えたりしないよう注意しましょう。17:23 小山宇都宮17:46 宇都宮着17:50 宇都宮発18:28 黒磯黒磯といえば・・・年配のテツなら、交直セクションとか、九尾釜めしを真っ先に連想します。もちろん、EF58 から ED75への交換なんか、記憶の彼方です。尤も、今では黒磯を跨いで走る列車自体、その設定がないんじゃないかな。1977年2月 123レ 黒磯 EF58 69 宇 → ED75 87 長19:13 郡山着19:15 郡山発ここまではかつてのカシオペアのスジですが・・・19:21 郡山発後個室内モニタ。ナビでは常に進行方向が上になります。いまどこ?には便利です。19:44 松川着21:10 松川発いよいよ足取りがおかしくなってきます(ダイヤ通りではありますが)。相当な長時間停車です。こういう停車を「テツ」たちは バカ停 と呼んでるようです。21:24 福島着21:31 福島発21:32 福島(あぶくま急行線)22:13 大河原着23:45 大河原着 有名(?)な「大河原のバカ停」ですね。どこかできいたような駅・・・あとで調べたら 船岡ー大河原 の東北本線屈指の名撮影地 船岡桜の最寄り駅でした。時折、コンテナ貨物や普通列車が車窓をかすめ、ホーム上を 何か(多分三脚)をぶら下げた「撮りテツ」が歩いているのがみえますこれだけ停車してても邪魔にならない待避設備があるからこその大河原停車なのですね。いつまでたっても流れない車窓に、そろそろ飽きてきました。ここ2年で、北斗星(2回)、はまなす、カシオペア(今回)を堪能してきた愚息もとうに飽き気味。並んででもパブタイムに行けばよかった・・・・親への反抗心(?)から「テツ」にはならなかった彼が大人になったとき、もはや「寝台列車」ということばは「死語」と化し、記憶の彼方に消え失せているでしょう。この日は、予定21:45からのパブタイムの開始が20分も早まってました。ディナー3回目が早くひけたのかも?これからお乗りになる方はより一層早めに並んでおくといいかもしれません 0:14 仙台着 0:18 仙台発 0:16 仙台東京から350キロ。行程の半分弱まで来ました。ここまで8時間。新幹線なら1時間半です。もっとも、長距離輸送が国鉄の独擅場であった昔にはこんな列車もありました寝台急行「新星」 上野23:41 ~ 仙台6:0110系寝台車8両にオユ1両(下り)で、昼間の「ひばり」とはまた違ったビジネスでの需要は旺盛だったんでしょう。もしそんな時代に、ひきこもりテツ が サラリーマンで出張族だったら・・・終業後に一杯ひっかけて 上野へ、ホームでカップ酒やサキイカを買ってスハネ16に乗り込み・・・いざ仙台へ・・・(翌朝口臭そう!) なんてそれにしても、夜行列車の窓からこうした深夜の人がいないホームを見るっていう体験は、もう体験する機会もないだろうな。仙台を出たあと、愚息とともに最後部12号車のラウンジカーに行ったのですがそのことは後日に回すとして・・・またまた停車 0:46 鹿島台着 1:40 鹿島台発なんとなく都会の郊外にありそうな駅名上下各2線あってともに待避ができる駅のようで時折コンテナ貨物がビューんと通過していく以外、まったくの静寂。それみしても1階室は視線が低く、へんな感じ 3:24 一ノ関着 4:50 一ノ関発 5:20 北上着 5:27 北上発決して眠くはなかったんですが、明日(今日だ!)にひびくので無理して眠ることにしました。したがって、一ノ関、北上の発着は知りません。 6:06 盛岡着 6:25 盛岡発 6:26 盛岡6時50分頃に「おはよう放送」があると昨夜の「おやすみ放送」でアナウンスされていたので、目覚ましを6:30にセットしてましたが結局、盛岡到着前に起きてしまいました。もちろん、揺れる寝台車では眠れない・・・のでなくて、テツの気性が眠気より優ってしまっているだけ。それにしても仙台の先で眠り、盛岡で目覚める・・・新幹線だったら40分ですから、知らない人に話したら うたた寝くらいにしか思われないはず。この カシオペア紀行では 4時間眠ったことになるのですがね。盛岡から先は、第三セクター IGRいわて銀河鉄道線 になります。 6:42 好摩 7:26 二戸 7:33 金田一温泉7:34 金田一温泉駅でいうと、金田一温泉までが IGRいわて銀河鉄道。ひとつ先の目時駅からは青い森鉄道の線路を借りて走ります。7時にはダイニングカー(一部の朝食付ツアーの客のみ)、売店、車販も始まります。 7:56 八戸着 8:05 八戸発 8:07 八戸 8:23 三沢 8:44 野辺地着 9:20 野辺地発さて、いよいよ青森に向けラストスパート!・・・・・しません 9:21 野辺地 9:42 浅虫温泉着10:20 浅虫温泉発 9:38 浅虫この風景は、まだ新幹線がない時代、長躯、上野から特急に揺られてきて、いよいよ終着だな・・・って時に見える景色でした。乗船名簿も配られ、連絡線に乗るぞ・・・と実感できる景色です。ひさしぶりに味わう感覚です。 10:51 青森10:51 青森着マル(定時)着です♪青森ぃ駅は雪のぉ中ぁ~・・・ではありませんでしたが、駅から連絡船が見えるのは青森ならではで、いいですね。動いてませんがああぁ、それにしてもヤレヤレです。駅員さんが掲げてくれている横断幕の前に勝手に許可をいただき立ちはだかって・・・はい お疲れ様でした!それにしても、青森行のカシオペア紀行、下りだけの片道ツアーで、尾久へは奥羽、羽越周りで回送されます・・・回送は当然無収入ですからその分ツアー代金が高いんだねえ・・・なんて思ったりして。次回は別の観点から、もう一度 上野駅から青森駅までをリプレイします。ただし「バカ停」のことはもう書きません(笑)
2016/11/23
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ひきこもりテツが乗った青森行のカシオペア紀行は上野発 16;20青森着 10:51 でした。なんでそんなに時間かかるんや・・・は後まわしにします。で、上野発16時台の東北本線 いえば、50才代以上で、鉄道+連絡船による渡道経験をお持ちの御仁であれば ピン と来ると思います。そう、栄光の列車番号 1M を背負う はつかり5号 のことです。(5号=1975年時点での号数)いわゆる 1M~1便~1D という 王道の接続ですね。 公社時刻表 1975年3月号1M はつかり5号 583系1便 青函航路 津軽丸型車載客船1D おおぞら1号 キハ82系上野発 16:00 札幌着 8:50 この接続パターンについては、いすみ鉄道の鳥塚社長がブログで熱く語っていらっしゃいます。そういや、鳥塚社長って私と同い年だったな・・・最末期のSL(蒸気機関車)を追っかけていた 若き頃の ひきこもりテツ も 1M、1便、1Dにお世話になった口です。ひきこもりテツ 中学2年の夏、冬のSL撮影行のときのものです左が1D、右が1M。手元に残っているのは残念ながら別々の日の指定券で、1Dでは東室蘭で降りてしまっていますが。道南~札幌圏までなら、ビジネスでもレジャーでも、とても都合のよい時間帯でした。そういえば、一昨年 カシオペアが単独運転していた頃の時刻上野発 16:20 札幌着 9:32とも、ほぼほぼ 同じですね。列車そのものの役割は全く異なりますが、結果としては、東京・札幌を結ぶにはベストな時間帯ということでしょうか。ところで、1Mのマルス券は 1974年12月25日から31日まで、夜行2泊、道内夜行1泊、旅館3泊で、中学の級友と2人での室蘭、石北、湧網、釧網への撮影行でした。その級友とは・・・この方です!進む道が全く違ったこともあり、中学卒業以来お逢いする機会がいまだにありません。ただ、石破さん、前原さん とは異なり、彼はもはや「テツ」ではないようですね。
2016/11/22
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11月19日(土)夜行一泊で青森まで往復してまいりました。往路はびゅうトラベルサービス主催の カシオペア紀行(団体列車扱い)復路は新幹線 グランクラス で青森滞在時間はわずか4時間。新幹線でとんぼ返りというとんでもない行程で「疲れに」いってまいりました。カシオペア紀行(青森行)の時刻は 上野発 16:20青森着 10:51なんと、18時間半。同じ時刻に東京を出る はやぶさ27号 なら、新青森に19:37分に着くというのに、何とも馬鹿げた列車ですね。いかに「乗ること」だけを目的にした列車であるかがわかりますし、ひきこもりテツは まんまとその誘惑に乗ったわけですが。室内備え付けのパンフ、受付で配布される乗車記念証、記念品(ステンレスボトル)北斗星も、カシオペア(定期)も廃止され、もう上野駅13番線から列車に乗り込むことはないと思っていましたが、よもやの実現となりました。ここ数回、津軽海峡冬景色 や 青函連絡船 のことを書いていましたが、実は、今回のカシオペア紀行の予告(予習)編でもあったわけです。♪上野発の夜行列車から降りたときから青森駅は撮り鉄だらけ東京に帰る時間までは誰も無口でカシオペアの写真を撮っている息子とふたり連絡船に乗り(動いていない)凍えそうな懐具合に泣いていましたああ 津軽海峡を越えない(青森止まり)カシオペア紀行数日かけて備忘録的な乗車記を書いていきますが、以下予めのおことわりです①展望スイートでもなく、メゾネットでもなく、者端室でもない、ただのA個室の1階です②ダイニングカーでの夕朝食でもなく、自室内閉じ込めでの弁当です③パブタイムにも行っていません④青函トンネルをくぐらない青森止まりのツアーです。当然牽引機の交換もありません⑤終着青森に着いたらそこで解散。あとは勝手にどうぞ・・・という行程ですですから、自慢話にすらならないレベルでしかないことをご了承下さい。以上事前告知条項をすべて了承の上次にすすむ・・・・はい、いいえ (笑)
2016/11/21
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青函連絡船を語るとき、どうしても避けられないのが「洞爺丸台風」です。洞爺丸など 沈没した5隻の連絡船のことは多くの市販書籍や国鉄(当時)部内発行の出版物から知ることができますが、もっとも簡潔かつ平明に記された冊子(ブックレット)があります。函館市青函連絡船記念館「摩周丸」の指定管理者特定非営利活動法人 語りつぐ青函連絡船の会 が発行している「台風との斗い」 300円こちらから購入できます。いるか文庫ライブラリーショップ 当時の運航ダイヤ、函館港内の様子が非常にわかりやすい図で示されていて、奮闘のすえ力尽きた5隻や、何とか持ちこたえた僚船の動きも的確にとらえ理解しやすくできています。是非多くの方に手に取っていただきたい、名冊子といえるものです。タイトルは、洞爺丸台風の翌年、1955(昭和30)年に、国鉄 青函船舶鉄道管理局から刊行された「台風との斗い(青函連絡船遭難体験記録)」からひいたものと思いますが、「闘い=たたかい」を「斗い」と書くあたり、いかにも国鉄らしいですが、ひきこもりテツが(もう30年前のことです)連絡船終航のころに読んだ、「青函連絡船ものがたり」 (坂本幸四郎著)の中にも出てくるこの出版物をいつか読んでみたいと思っていたところ、2011年になって 語りつぐ青函連絡船の会 が 復刻、我々一般人の目に触れる機会を与えてくださいました。沈没した連絡船のうち、洞爺丸だけが一般の乗客を乗せていたがゆえに多数の方が亡くなられましたが、他の4籍でも多くの国鉄職員(乗組員)などが殉職されました。国鉄が起こした事故ゆえに、生存者のみならず、一家の大黒柱や最愛の息子を失った遺族でさえも、被害者である前に、加害者でもあるという立場ゆえ世間の冷たい視線や、乗客の遺族らから罵倒、批判を浴びて、肩身の狭い立場で苦しまれていたはずです。そんな中、この本の出版に協力されたことは特筆すべきことと考えます。いろいろな意味で、読むのには少々覚悟が要りますが、この冊子をお読みになって洞爺丸台風のことついて興味を持たれた方は、ぜひ「復刻・台風との斗い」もお読みになっていただきたいと思います。
2016/11/06
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竜真知子作詞 あずさ2号津軽海峡・冬景色 と同じ、昭和52年のヒット曲です。 1976,4 新桂川橋梁(猿橋-鳥沢)183系こちらは、時刻と列車名が ずばり出てますのでありがたいです・・・(意味不明)♪新宿発の 特急列車で 私は私はあなたからっ 旅立ちますぅ~ これだと、あずさ何号か?とかで大変でした。 ♪八時ちょうどの 特急列車で 私は私はあなたからっ 旅立ちますぅ~ これだと、上野発の「あさま」かもしれませんし、さらに何号か?でもっと大変。信濃路へ行く下りなのに、2号? 何で偶数なの・・・はここでは書きません。ひきこもりテツ は、つきあっていた男性のせいで「季節に取り残された私」が、本当にあずさ2号に乗ったのか? について気になってしかたありません。冒頭で「あした私は・・・」ですから、あずさにはまだ乗っていないし、あなたから旅立っても、まだいないのです。なぜ、そんなことを気にしたかというと、あずさ2号 の時刻なんです。ますは、あずさ2号 の運転時刻を確認します。当時の「あずさ2号」は、8時に松本に向け新宿駅を出ます。松本から先は6000番台の季節列車として白馬まで延長運転されていました。いつごろ、どこまで乗るのでしょうか、「春まだ浅い」3月下旬か4月上旬にであろうと思われます。東京では東中野の菜の花の盛りが終わり、桜が開花し始めたころであることは確かでしょう。「信濃路」長野県でも、松本やそれ以前の駅ではない。旅立ちというには近すぎます。やはり春休み期間の延長運転期間で、その停車駅の、信濃大町か白馬までいったんでしょう。車窓左手に広がる北アルプスの峰々はまだまだ雪(残雪でない)を纏っている時季ですが、まさかスキーの予定はなかったでしょうね。 2009,5 八方池から(実際はもっと雪が多い季節だったでしょうが・・・) 通勤、通学客に はなはだ迷惑な あずさ2号ひきこもりテツ の最寄駅の一つが 三鷹です。高校時代の3年間、三鷹から武蔵小金井まで電車で通ってました。もしこの女性が「明日」乗っていたら、日曜日でない限り、ひきこもりテツ は三鷹駅の上りホームで、この女性と距離的にかなり接近していたことになります。もちろん、あの名車181系を駆逐した183系など興味もなく、ただただ、くそ忙しい(単に遅刻か滑り込みセーフかの瀬戸際・・・)通学時間帯に通過する特急を苦々しく見送っていました。そんな あずさ2号でした。現在では、この列車のスジを スーパーあずさ5号がトレースしてますが、状況は同じです。ただ、ひきこもりテツ の乗車方向は逆になり、阿佐ヶ谷駅あたりですれ違っているだけで、たまに E351系のミュージックホーンを聞くくらいの存在ですけど。 2015,5 スーパーあずさ5号 立川では、この女性が乗ったとして、どんな感じか・・・まず、新宿駅8時といえば、通勤ラッシュのまっただ中、新宿駅に行くまでも大変、いざ発車しても、高尾までの通過駅と、特に立川、八王子の停車駅では、通勤通学客の冷たい視線を浴びまくります。そもそも通勤電車のスジに割って入っているから、せいぜい特快レベルの走りでしかありません。183系のシートも決して心地よいとはいえません・・この女性が、同行の男性を通路側にして見る車窓風景は 過去からの旅立ちのイントロダクションにしてはあまりにも陳腐です。さらに、主人公のシチュエーションが読みにくすぎます。・一人旅ではない・新しい彼氏と一緒で、逃避行でなく旅である・今の男からの逃避行ともいえるが、何日かでまた都会に戻ってくる新しい彼氏には、今の男の存在を告げないだろうし、その逆も同じ、しかし二股でもなく、「乗り換え」までにはまだ至っていません。主人公の心を映すことが多い「天気」はどうでしょう個人的な先入観にすぎませんが、青森=雪 山陰=曇天 日本海=荒波・・・というイメージだけでいえば、「信濃路」を目指すからには、さわやかな晴れでしょうね。小仏、笹子を超えてから、おそらく甲府盆地に入る後で・・・この女性の心情を映すかのように多少天候の変化があり、小雪も舞うかもしれませんが、多分松本に着くころには天気は安定、早春らしい安曇野の景色が・・・とそんな中を走る あずさ2号 に身を置く彼女・・・どうも想像がつきません。歌詞では、新しい、同行の男性のことが全く描かれていないので、なおさらです。そういう意味で、私は何らかの理由で、この女性はあずさ2号には乗らなかったと思うことにしました。I
2016/10/30
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阿久悠の作詞による 津軽海峡・冬景色昭和52年の大ヒット曲で、歌詞には「青森駅」「(青函)連絡船」 が描かれています。テツ というのはすぐ、実物というか、理屈というか、実際に存在するものに比定したがる習性があって、実物との相違、矛盾、考察不足を著しく嫌うようです。西村京太郎の一連のトラベル・ミステリーを、テツたちがあまり好まないのは、そんなところに理由があるのかもしれません。ひきこもりテツも例外でなく、「上野発の夜行列車」とは、具体的に何か?と考えたことがあります。結果的には巷で言われているように、この曲の発表当時のダイヤで検討すると、急行「八甲田」であろうと思っています。「あろう」というより、「あってほしい」と「そうでなければおかしい」との中間でしょうか。情緒的な観点からのみでいえば、・昭和50年前後では、すでに上野から青森に直通する普通列車はないから、特急か、急行 であろう・とはいえ車内設備が整った寝台特急ではなかろう=「ゆうづる」「はくつる」ではない・男と別れ、北へ帰る女性が、20系、24系の寝台や583系の寝台、グリーン車から降 り立つ姿は颯爽としすぎて、想像しがたいし、特急は連絡船との接続が良すぎて(降車か ら乗船まで20分)、無口ではあろうが息せききった小走りになってしまう。、当然海鳴 りを聞いている余裕はない。・臨時、季節列車は繁忙期の運転だから、駅や連絡船は混雑している時期で、歌詞からもそ ういうシチュエーションは想起しにくいよって、急行「八甲田」、「十和田」のいずれかであろう。 候補 八甲田 6:15着 十和田2号 9:07着では、そのどちらか?・八甲田説・・・夜行列車を降りた時・・・イメージとしては、遅い冬の夜とはいえ、少し は明るくなっている早朝~朝の時間帯の到着であるはず。十和田2号では少々遅い。・十和田2号説・・・八甲田と連絡船5便の接続が、1時間15分もあって、「北へ帰る」に は流れが良くない。十和田2号と7便は43分接続でしっくりしている。さあ、困りました。ひきこもりテツ は、八甲田説を採ることにします。やはり、夜行列車から降りる時間帯としてイメージに近いですし、長い待ち時間は、連絡船待合室の窓際に佇み。心の片隅に残る未練を打消し、ついに青森駅まで来てしまって、海峡を渡ったらもう後戻りはできない・・という決意を固める時間として費やした・・・と考えることとします。人目をはばかるように、冷たい椅子に腰かけて ロバパンをかじり テトラパックのよつ葉3.4牛乳 を弱弱しくすすっていたかもしれません。 1988,3,6 青森駅1番線ついでにいえば、当時の八甲田は、旧型客車(まだ12、14系化されていない)で、上野発時点では寝台車の連結はないし、かといってグリーン車(スロ62)であるはずもないが、覚悟の旅立ちであれば、指定席は確保していたでろうということで。 1988,3,5 青森この主人公の女性は、連絡船ではどこに座っていたのでしょう。もちろん、寝台、グリーン指定席であってはなりません。当然、普通席でも、桟敷ではなく、椅子席ですね。カモメが凍えるくらいの寒さではまさかデッキではないでしょうし、この季節に女性がが一人で甲板に出ていたら、はたからみてもヤバすぎますから。たまたま隣に座っていたオジサンに教えられた竜飛崎を、息で曇った窓ガラス越しに見たわけです。勿論、道内出身と思われるこの女性は、連絡船は何回か乗っているはずでしょうが、連絡船から見える景色には疎かったんでしょう。船内にいても風の音が胸をゆするほど聞こえるのでは、相当時化ていたのでしょか。もしや時化で揺れて、女性の巨乳がゆすられたのでしょうか?・・・いかんいかん歌詞では、連絡船が陸奥湾を抜け、竜飛崎を交わすあたりまでしか描かれていませんが、「私は帰ります」というこの女性は、どこへ帰るのでしょうか。「北へ帰る」という以上、函館はもちろん、江差や長万部、倶知安などの道南ではいけません。100万都市札幌近郊でもダメです。帯広、釧路、根室、網走はすこし方向がズレます。旭川、名寄、北見・・・内陸でもないような。支庁所在地はいけません。紋別、摩周、尾岱沼、羅臼・・・いい線ですが、どうにも「オホーツクに消ゆ」っぽい。まきこ さんではキャラ的にも合いません。いっそのこと、宗谷本線の名寄以北ということで。駅でいえば、幌延、天塩中川・・・いいですねえ。 1977,2,13 上野駅「八甲田」話は変わりますが、歌詞は一貫して、主人公の目線で、気持ち、思いが語られていますが、自分の乗ってきた列車のことを、「上野発」の 「発」 と言っていることばが、どうも客観的というか、第三者的にすぎているように思えてなりません。もちろん、上野「から」の夜行列車 でも説明的すぎますし、肝心の「上野」を抜いてしまうと、東北本線の一直線に北に向かう感がなくなりますし、途中の大宮あたりから乗りこんできたように考えてしまいかねず、興ざめです。難しいですね。ふと思いついて、一旦青函連絡船から離れて、次回は「あずさ2号」について書きます。・
2016/10/28
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昨日の青森での写真つながりで。1988年3月。青函連絡船終航1週間前、青森駅のホームから撮ったもの。津軽丸型車載客船7隻のラスト船として1966年11月に就航した、十和田丸です、この前年、国鉄の分割民営化で、連絡船の管轄も国鉄(青函船舶管理局)からJR北海道(函館支店)に引き継がれました。その際、船籍港も東京から函館に変更されて、このような表記になりました。 1988,3,5 25便 十和田丸 青森駅1番線から「東京」を塗りつぶしてその横に「函」「館」、TOWADA MARU に続くTOKYO が消されているのがわかります。 十 和 田 丸 東函 京館 TOWADAMARU TOKYO青函連絡船の母港は、やはり函館なんだ・・・と強く印象付けられました。当時の2岸には、現在、メモリアルシップ八甲田丸がいますが、 八 甲 田 丸 青 森HAKKODAMARU AOMORIま、しかたないですね。もう連絡船じゃないし。JRになって煙突のファンネルマークも、JNRマークからJRに変わりました。 1988,3,6 6便 摩周丸函館駅 連絡船待合室から JRになってから、もう30年になりますが、いまだにこの JR のロゴは、どうも好きになれません・・・煙突の形状からもJNRのほうがしっくり・・・と思うのですが。個人的なネガスキャンですが、なんだか連絡船に乗りたくなってきました。無理か・・・
2016/10/23
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自分の「トシ」を考えると、そろそろ、所有物の「容量」縮減でもしておこうかと、最近、昔撮った写真(ネガ)をスキャンしてJPEG化しております。「終活」というわけでもないですが、いつ廃棄されてもよい「デジタル遺産」化しておいて損はないと考えたのと、撮影直後はたいしたものじゃないな、とプリントしていなかったものでも、さすがにウン十年経ったことで貴重になったモノを撮影していないかという期待も込めてのこと。よく、モノの整理をしていると、ついついそれに見入ってしまい、整理どころではなくなりそのモノにまつわって想起される思い出に浸ってしまう・・・とい経験は皆さんにもあると思います。ひきこもりテツ もその口で、「ひきこもりではなかった」時代の写真(駄作ばかり)に、見入ってしまいました。その1枚です。 1988年3月5日 桟橋跨線橋青森1岸 153便 檜山丸にコキを押し込んでいる DE10です。当時としては何の変哲もない写真ですが・・・ん 1536?その26年後。 1536です。 2014年5月5日 青森駅(動画キャプチャ)上り「はまなす」を 青森車両センターまで回送するところです。DE10 1536 1971年新製 川崎重工兵庫。新製配置 青森以来、現在に至るまで青森を離れることなく働いています。今春、青森車両センターが盛岡に統合されたので、現在の所属は盛岡車両センターとなって、青森派出にいるようですが、ずっと、ひたすら、入換、小運転という DE10 らしい仕事に徹していたんですね。決して主役ではありませんが、40年を超える活躍のおかげで、日本海、あけぼのの廃止で、青森駅などで、にわかに撮り鉄たちの被写体となる機会が増えていたことでしょう。かく申す私も、連絡船の終航、はまなすの廃止に乗じて訪れたときにこのカマを期せずして2度、撮っていたことになります。連絡船がなくなり、「はまなす」もなくなってしまいました。1536にはまだまだ頑張ってもらいたいです。
2016/10/22
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この写真の撮影場所、時期を確認しておきます。撮影日は定かでないのですが、ネガ(モノクロ)の前後の写真から、昭和51年であることは間違いありません。赤丸部分がここです。撮影方向は北東。青丸は有名な玉川上水橋台。今は「ぎんなん橋」がかかっている場所です。国土地理院 1/25000 吉祥寺 (昭53) (平28)つぎに、3つの引込線の敷設、廃止時期を確認しておきます。・浄水場引込線 1924年(大正13年)3月 給水開始同時期に敷設?~戦時中線路撤去~再開?・中島飛行機引込線 1943年(昭和18年)10月敷設~終戦までに廃却・国鉄グリーンパーク線 1951年(昭和26年)4月開業~翌年休止~1959年(昭和34年)10月廃止航空写真(出典:国土地理院)を時系列で確認します。 A:浄水場引込線(Bへ)と中島飛行機引込線(Cへ)との分岐 C:中島飛行機引込線とグリーンパーク線(Dから)との合流 E:橋台(1)昭和23年 (2)昭和32年 (3)昭和36年 (4)昭和51年(1)浄水場、中島ともすでに線路が撤去されているようですが、線路敷は完全に残っており、 写真の陰影の感じでは盛土がなされているようです。(2)グリンパーク線が敷設され、もう撤去された状態のようです。AーB間の敷地は民間に 売却されたのか、南北に貫く道路を挟んで、東側は線路敷に沿って、西側は線路敷とは 関係なく建物が建ち始めています。(3)(4)建物が増え、もはやAーB間の線路敷のトレースがしにくくなっています。ひきこもりテツが撮影したのは、ちょうど(4)の頃です。航空写真を拡大してみます。冒頭の写真の右に白いコンクリートの土管が積まれているのが見えますが、この航空写真にもそれらしきものが見えます。残念ながら橋台の有無は判別できませんこれで写真の撮影場所が特定できました。左の橋台は昭和18年敷設の中島飛行機引込線、右のは昭和26年開業のグリーンパーク線のものであると断定できますね。 Google MAP浄水場、グリーンパーク線ともに遊歩道として整備されてはいますが、都道調布保谷線(4車線)が割って入るなど、周囲の環境は時代の流れ以上に変わってしまいましたし、何よりも武蔵境から分岐していた浄水場線と中島線、そして競技場線の接続、関係が語られることがないのはとても残念です。
2016/10/02
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仮掲載中です国鉄武蔵野競技場線跡は、遊歩道になって久しく、また、個人による廃線跡探訪の記事もネット上にあまた存在しているようです。しかし、線路敷の多くが遊歩道として残っているだけですから、そのトレースと、玉川上水の橋台(最近、真上に橋が架かってしまい、それすらみえにくくなってしまいました)と、「工」と刻まれた境界杭が紹介される程度で、深みがありません。そこで、仮公開をしながら、表題の3つの路線との関係を時系列に整理していきたいと思います。以下に掲げる写真は昭和51年、武蔵野競技場線の実地踏査(というほどのものでもないですが)したときのものです。このたった5枚の、それもモノクロ写真から、どう話を展開していくか自身が決めかねているくらいですが、所詮ブログなんぞは自己満足の世界なので、備忘録程度と考え、参考になるという方がいらっしゃればそれでよいかと考えてます。本線から分岐する武蔵野競技場線。駐車している車が時代を感じさせますね。橋台 左:浄水場引込腺から分岐した中島工場引込線のものと推測 右:武蔵野競技場線のものと推測この橋台については宮脇俊三編「鉄道廃線跡を歩く」(1995初版)でも、記述はありません。いわゆる「廃線跡探索ブーム」になる前に撤去されてしまったのでしょう。いろいろググってみましたが、この橋台を撮影したと思われる画像や、それに関する記述がなかなかみつかりません。しかたがないので、自分でしらべるしかないようですね。左側の橋台のほうが古いように見えます。それにしても、多分後年かさあげされたのであろう道路のレベルと橋台の位置関係が興味をそそります。武蔵境の駅から、左の橋台を通って武蔵野競技場前駅まで列車に乗車したという方にお話を伺ったことがありますので、後日ご紹介しますが、真偽のほどは?左は非電化だったはずですし、三鷹からは電化されていた武蔵野競技場線に入れた時期があったからこそ「乗車」できたんでしょうが、そんな「時期」があったんでしょうか?ま、何とも興味深い話ではありますが・・・有名な玉川上水を跨ぐ橋台です。当時は知る人ぞ知るものでした。今は「ぎんなん橋」なんぞとかいう変な遊歩道橋の下に隠れちゃいましたね。枕木です。1本だけ埋まってました。周囲の畑の所有者(地主)さんにお話を伺っていますのでいずれご紹介します。アメリカンスクールです。米軍宿舎、消防署とともに、昭和48年に日本へ返還されました。その直後、武蔵野市立第四中の校舎改築工事中、この建物をそのまま、仮校舎として使用していました。この敷地に地下壕があって、好奇心旺盛な生徒たちの格好の探検場所になっていました。その辺のお話もさせていただくつもりです。なお、追記の途中では本記事を一旦削除することもございます。オリジナルの写真はこの5枚だけです。
2016/09/25
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