
昨日はこんな風に見える予定だった富士山・・でも
快晴よりもさらに麗しい祝福の雨がわたしたちを潤した
「なぜなら、私の名のもとに二人あるいは三人が集まっているところでは、彼らのただ中に私がいるからである」
マタイ18:20
Y姉妹とともにE姉妹のところへ♪主がその名の中へと引き寄せてくださった交わり。それを実感する交わりだった
それぞれに経験の中で味わった主の麗しさに共に浸る。
降る雨さえ心地よく感じ、ふと会話が途切れるその時も、もはや気を使う必要すらいらなかった。言葉以上の喜びが静かに流れていたから。
交わりの余韻というには言葉が足りませんが、主によって引き寄せられたあの必然、交わりの中心が主である幸いな時間は、心の中に広がる甘さ、その喜びが消えることなく内を満たしています。
第一の天はわたしたちのただ中からすでに始まっており、主がすべてであることを分かち合う喜びも、その前味に与っているのだと思わされて、喜びが止まりません。
わたしたちがそれぞれに今も経験しつつ、そしてこれからも経験する十字架といのちの喜びが増し加えられるほどに、交わりさえも成長し、その深みを増して行くこととますます主に期待しています。
このような交わり、少し前には想像すらしていませんでした。
それぞれまったく違う場所、環境の中にいながら、主によって手を引かれ集まることができた不思議さ。私のような者が・・とおののきながら集った弱さの中に現される主のいのちの甘さ。主をもっと経験したいという願いは、わたしたちの中でさらに増していった。
主がここにいる。深い喜びは消えることがない。
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