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2008年10月23日
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カテゴリ: 伊豆箱根鎌倉の旅
『また、凶だ。』おみくじを見つめる喜楽さまに 私は自分のおみくじを見せました。

ここにも凶が出ています。 

それに面白い事に 私たち以外にもちょうど私たちと同じくしておみくじを引いた人たちが

周りにいるのだけれども 3人の人が凶が出た、大凶が出たと言って知り合いにそのみくじを

見せています。

結局 その場では5人の人たちが凶のおみくじをひいて 顔を見合わせることになりました。

『前回に比べるとずいぶん 頼友さんの波動は変わったけれども でも まだ歓迎されていないか、、、』

そういって喜楽さまが しょうがないなあといった感じで私たちを促して階段を降りていかれました。

この場所は 鎌倉の 鶴岡八幡宮

先月の伊豆鎌倉ツアーの時にここを訪問した時のことは あえてブログに取り上げませんでした。

でも 今日なら取り上げても良さそうなので 何が起きていたかを書いてみようと思います。

10月にこの鶴岡八幡宮を訪問した折は 私たちは頼朝さまとの魂の交流という点においては

実に散々な目にあいました。

喜楽さまが 引かれたおみくじは 一回目が凶、 それでもう一度引いてみられたら

それも凶。 

私のほうは吉でしたが おみくじを渡してくださった若い巫女さまからは 剣による

攻撃のエネルギーを受けました。

これらは ここのご祭神である 源頼朝さまから来ているエネルギーがなしていることです。

今まで廻った 平氏や源氏、それから奥州藤原氏ゆかりの場所では それなりに

皆がその時代を懸命に生きて 亡くなった今はもう敵も味方もなく 共に生きて学びあった



この源頼朝さまだけは 別で 今もなお 閉鎖された重くて ねとっとした否定的な

エネルギーの覆いのなかにこもっているような感じなのです。

それが 今回2回目の旅となって 江ノ島での弁財天の学びが様々なことを教えてくれています。

源頼朝さまという人を見ていくにあたっては 

時を同じくして伊豆に流されていた京都の 高雄神護寺の文覚上人

見た上で 2人の交流の中で頼朝さまが なぜ 源氏の旗揚げにいたったかということを

考えねばならないという観点に達しました。


きっと歴史に詳しい方ならば 「源頼朝と文覚上人については 日本史通の人であれば 

良く知っている事柄」と言われるかもしれませんが 実は本で読んで知っているのではダメで 
本当に生き生きとその人の思いを感じ取ることによって その部分に光がはいることになるのです。

伊豆で篭っていた頼朝さま もともとこの方のエネルギーは 外に出るような快活なものではなく

人間に対しても 心から信じるということができないような生い立ちがあるようです。

本来ならば 伊豆でずっと静かに学問などに親しみながら 人生を送るということが

良かったのかもしれません。

それが そうはいかなかったようで 勿論源氏の頭主としての責任、重圧、それに

加えて 破格に激しい気性を持つ文覚上人に見込まれて 彼からどんどん戦いのエネルギーを

内ではなく外に向けるように仕向けられていった感じがあります。


おそらく人を信じて心を打ち明けて誰かに相談するという事も少なかったかもしれません。

彼は愛すべき心優しい身内や彼の信奉者を使った後で排除する動きをしています。


木曽義仲さまたちや 源義経さまたち 奥州藤原氏の人々や 秋山氏などの配下の武将たちまでも 

頼朝さまの命に従って 頼朝さまのために戦ったにも関わらず 何かの難癖をつけられて

頼朝さまに滅ぼされているのです。


前回 鶴岡八幡宮を訪問した時は この源頼朝さまの性格が 私には心地よく感じられなくて

鎌倉一体、江ノ電沿線にまで渡るこの閉鎖的な、ねとっとした苦しい彼のエネルギーに辟易したのですが

今回は 文覚上人とのからみにおいて 頼朝さまの苦しいお心がだんだんと理解できるように

なりました。

私たちは 彼の思いを理解するために鶴岡八幡宮から彼の墓に至る道をずっと 時代背景と

頼朝さまの心中について 話し合いながら歩いていきました。


こちらが鶴岡八幡宮の裏手にある  源頼朝さまの墓所 です。

源頼朝墓1.jpg

彼の墓所の前にたって 頼朝さまのことについて話していると 段々と私の心にわきあがってくる

感情がありました。

頼朝さまの感情とやっとリンクしたと思いました。

喜楽さまにそれを 言うと彼ももう その感情のエネルギーをキャッチされているようで

うんうんとうなずいておられました。

その後の私は 墓の前で おいおいと泣き出してしまい その泣き出している私の横で

喜楽さまとkasumiさまは その時の時代がどういう時代であったか どういう風に人々は

動き その中で頼朝さまの動きがどういうもので どういう影響を与えたか。

どうすれば 良かったのかなど しみじみと まるで頼朝さまに話して聞かせるような

感じで冷静にお話されていました。

その横で 私はおいおい泣いており やがて観光客の人たちがやってくると

墓の横にそれて 泣き顔をみせないようにしておいおいと泣いていました。


その間 頼朝さまや この地に集まったゆかりの霊たちにたいするヒーリングの

エネルギーは宇宙からずっと注がれていたようです。

源頼朝墓.jpg

私も一生懸命 癒しのエネルギーが流れるように祈りました。


源頼朝墓3.jpg

すこしづつ私の中の頼朝さまが癒されていき 愛の中で抱かれているような感じが

伝わってきました。

頼朝様の中のインナーチャイルドの部分が少し溶けたような気がします。

源頼朝墓2.jpg


この後、私たち3人は すぐ近くの 永福寺跡 に行きました。

この場所は頼朝さまが奥州平定(文治五年(1189))で犠牲となった源義経や藤原泰衡らの霊を

供養するため、奥州の地でその美しさに驚愕した中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを

まねして作られた大きな寺なのですが 応永十二年(1405)の火災による焼失以後は

再建が行われず、江戸時代の初め頃には廃寺となってしまっています。

この場所は今 史跡公園として整備中だそうですが この地にたってみると

実は本当にこの地で 奥州を平定した時に亡くなった方たちの冥福を祈ったのだろうか

ひょっとしたら その後も立ち上がってこないように呪詛しつづけたのではないかという

疑いの感情が上ってきます。

当然のことながら 呪詛したほうは 自分が発した念により縛られて 封印されて重くなって

自分自身苦しむ事になるのです。

かつて私が 過去生において行った呪詛は 今の私にもその影響を残しており それを

解除すると自分も楽になるというのを 自分で体験しているので 頼朝さまも文覚上人も

そうなるといいなあと思いながら この地が癒されるように 宇宙から癒しと感謝と祝福の

エネルギーが降りてくるように祈りました。

鎌倉永福寺跡.jpg


さて この日のメインイベントを終えて 私たちの足取りは軽く、といっても

前を歩く喜楽さまとkasumiさまの足取りは軽くても 私の足取りのほうは よたよたなのですが

それでも 心は晴れやかです。

kiraku kasumi.jpg

「やっと ここまで来たか 頼朝さまと心を合わせるファーストステップにたったなあ。」

という安堵の気持ちで 駅に向かいました。







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最終更新日  2008年10月23日 19時20分11秒
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