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出ているので留守番電話入れておいてくださいm(__)m
2016/10/10
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息子の第一希望はかないませんでした。 うん、やっぱり入試は厳しいです。
2010/03/09
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息子が「DEATH NOTE」読みたい~と言う。中学の時から読みたかったけど、何か無性に読みたくなったと。買い物のついでにブックオフに寄ったら、満面の笑みで「12冊セットで1000円やった〓。」帰って来てから4時間以上、時々「面白いわ」とかいいつつ、読み切った!発表が近づくにつれ、どんどん自信がなくなってきて、「やっぱり無理かな~〓」「合格最低点上がるかな~〓」と、言っても仕方の無いことをぼやいてばかりいた。久しぶりに受験のことを忘れて漫画に没頭できたようだ。今は他のことは考えられないかもしれないけれど、ありきたりなことばだけれど世界は広くて、人生は長いよ。あと3日。
2010/03/06
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今日は主人の勤める大学の3月入試でした。主人の勤める大学は偏差値50~65くらいというところでしょうか。まあ、中堅女子大で、学部によっては結構評価が高く、国公立の滑り止めにもなっています。3月入試を受けると言うことは今まで私大の入試に失敗してきたとか、でも、浪人はできない!とか、結構追いつめられた子が多い。何度か、いろいろなパターンの入試監督をしてきた主人ですがいや~今日の入試にきていた受験生は今までで一番「しまって」いたそうです。必死で答案用紙に取り組む姿を見つつ、「苦しいだろうけれど君らのやっていることには意味があるんだよ!頑張れ!頑張れ!」オーラを送っていたそうです。私大は現在、いろいろな入試方法がありAO、学校推薦、自己推薦、センター利用、そしてまあ、昔ながらの一般入試。皆さんはご存じでしょうか。大学は「どういう入試方法で入ってきた生徒が、その後4年間でどのような軌跡をたどるか」を完璧に把握しているそうです。全ての生徒の成績その他がデータ化され、どういう入り方をした生徒の成績が伸びているか、ちゃんと分析もされています。当たり前のようですが一般入試、特にこの、ギリギリで入ってきた生徒は例年なかなか良い生徒が多いそうです。結構初志貫徹できず、心ならずも・・・という感じで入学してくる生徒も多いと思うのですが、やはり、大切な節目で修羅場をくぐって、家の事情その他で「腹をくくって」来る子達は強いそうです。逆に、推薦その他であまりにも早く入学の決まってしまった子は一般入試の生徒に比べて、やはり元々の成績も良くないし、一番伸びる時期にもう決まってしまっているわけですから、なかなか難しい子も多いようです。じゃあ、一般入試だけにしろよって思うけれど私大経営はなかなかそうも行かないのですよねえ。主人の大学はデータ分析の結果、AO入試はやめたそうですが。でも、私大の先生達って結構「この子どうやって入ってきたのかな」とか、見ているようです。友だちは大学附属の高校からの内部進学ですが「明らかに内部進学生は差別されている(=バカだと思われている)」と言ってました。先日息子の卒業式でも女の子が一人壇上で貧血を起こして倒れました。息子に、「あの子かわいそうやったね」というと、「あいつまだどっこも決まってへんからなあ。きっといっぱいいっぱいやってんで。」その話を聞いた主人が「ウチ来てくれたらいいのに」というと、「オタクを落ちたんですけど~~。」だって。どこか決まったかな。まだまだ受験期間は長いです。
2010/03/02
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息子、無事高校卒業いたしました。昨日より、小学校3年生の次女が「耳の下が痛い~」あわてて今日の9時前にいつも行ってる診療所に駆け込み、「今日、息子の卒業式なんです~」と言って、大急ぎで診療していただき、酷くなったときの頓服をもらって家まで帰り帰宅していた長女に次女を託してタクシーを呼んで高校までダッシュ!(タクシーが)何とかギリギリセーフで式に間に合いました。息子にとっては楽しくてたまらない高校ではありませんでした。クラブの顧問ともどうしてもうまく行かず2年の秋に退部したこと。その後、修学旅行実行委員長、新入生ウェルカム委員、文化祭のクラスの責任者などハタから見れば充実した高校生活でしたが本人は中学生のような管理される扱い、勉強よりもとにかく学校行事、充実した高校生活を強要されることに、ずっと反発していた3年間でした。「塾なんか行かなくても大丈夫です」と、ずっと進路説明会で言っておきながら、結局授業も全く受験には対応できていなく。世界史は12月の冬休み前の補講で何とか最後まで行って結局一度も演習もなかったというていたらく「塾に行かなくても大学受験を突破した先輩達は別に学校もいらんかった人たちなんやろう」とは息子の弁。でも、卒業式はとても落ち着いて、子どもたちの工夫もある、良いものでした。結局数えるほどしか来なかった高校で、校長先生の顔も覚えないままでしたが、高校ってそれで良いんだよね。もう、子離れするときだもんね。息子はその後、夜に中学の時のクラスの同窓会がありました。ずっとゴルフで頑張って、関西でもトップになった友だちが東北福祉大でゴルフをすることになりその送別会も兼ねていたそうです。(まだ入学前なのに3月4日からオーストラリア遠征に行くんだって!やっぱり世界が違うよねえ。)久しぶりにあった友だちの中で進路の決まっていなかったのは息子ともう一人国立大学を受けた友だちのみ。大学進学、美容師などそれぞれの進路のある中で一人異彩を放っていたのは劇団四季に入った同級生の女の子。中学卒業と共にバレエで米国に留学した彼女は昨年、劇団四季の入団テストに受かり、今東京で一人暮らしをしているという。そういえば、合唱コンクールでも彼女の歌声はクラスを引っ張っていたもんなあ・・「もう、メッチャオーラあったで!!!」息子も、頑張っている友だちにあって楽しかったようだ。みんなはこれからオールでカラオケ、お酒も入るようだが、むすこは、「まだ進路も決まっていないし、一応後期も申し込んでいるし」と、よい子の時間に帰ってきた。まあ、あんまりそれには行きたくなかったと言うのもあるようだが。「これから発表までどういう風に過ごしているか、神様も見ていると思うから、ちゃんとしておくねん」だって。会話の端々に「あ~受かりたいなあ」「あ~決まってて欲しいなあ」と合いの手が入るが、やっぱり試験が終わってから本当にホッとしているのがよく分かる。もう、祈るしかできないからね。
2010/02/27
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昨日無事2次試験を終了した息子。出来は、「2次試験だけなら定員に入る自信はあるが、センターのビハインドがあるので、ビミョー」とのこと。しかし、「これが僕の実力やと思う。」と言うことですから、本人なりに納得のいく試験だったのでしょう。とにかく健康で時間に間に合って忘れ物もなく試験が受けられてよかったよ~~~
2010/02/26
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今日の夜から、旦那さんは職場の人たちと火曜日までスキーです。2月も後半、大学のテストも入試も終わって比較的時間が自由になるのです。最初、水曜の夜に帰ってくると言うので、「えー?だって次の日K(息子)の試験だよ」ていうと「別に僕することないやん」と言う。することないけど?だから?というワタシの気持ちが顔に出ていたのか、1日帰りを早くして、火曜日の夜に帰ってくることになった。「奥さんの言うこと聞いとかないと」と、同僚にも言われたと言っていた。違うんだよなー。わかってないなあー。息子の人生の分岐点。今までの泣いたり笑ったり。で、この今、なんでわざわざスキーに行こうということになるのか、行って楽しいのか?ということなのです。「行ったらあかんのやったら、言ってくれ」と言うのですが、別に頼んでいてもらわなくてもいいのです。むしろ、居ないならそのほうがワタシは楽かもしれない。でも、居たくないの?気にならないの?別に、ずっと横で貼り付いておけという訳じゃないけれど長野まで、片道何時間もかかる、しかも天候条件によっては(車だし)帰れないところにわざわざ行かなくても良いんじゃないのかな?私が病気になったらどうするの?万全を期すって、お金を払うことだけなのかな?スキーの好きな主人とは、これまでもなんどか諍いがあった。特に、初めての子どもが出来てお腹が大きいときや、子どもが6ヶ月の時も、スキーに行った。スキーで楽しむのは良いことだと思うけれど納得いかなかった。結婚するまで、子どもが出来るまでは私を誘って、何とかして一緒に行こうとしていたのに、子どもが出来たら、何とかして私を置いていこうとする。結局スキーに行きたかっただけで、私と行きたかった訳じゃない訳やね。「行っても良い?」と聞くのが一番ハラが立った。これで、わたしが「イヤだ」と言ったら、そこでもう私が嫌がったから行かなかったと言うことになってしまう。私は、スキーなんかどっちでも良かった。むしろ、この状態の私(特に子どもが半年の時)を置いて、スキーに行きたいと言うことが行きたいと思ったと言うことの方がショックだった。(まあ、そのころは可愛かったわけです)その時のスキーは大変楽しかったらしく、その時のメンバーを招いて、ウチで思い出会をしようと盛り上がったという話を聴いて、「私はそんな集まりに居ても、一人だけついて行けなくて楽しくないから、子ども連れてどっか出かけてるね。」といったら、ものすごくビックリしていたので、(結局思い出会は流れた)私も大喜びで、みんなに会いたいと思っていると思ったのでしょう。私も、お母さんと同じ様に、子どもに関わる父親はあんまり好きではありませんが、むしろ、昔ながらの仕事一筋のお父さんとか嫌いじゃないですが、子どものこの大変なときにわざわざスキーに行かんでも・・・と思うのは、心が狭いのかなあ。ただ、主人の居ない日曜日、みんなは結構リラックスしています。本当、「僕なんか居ても関係無いやろ」と言ってたけど、だからこそ、居ないと行けないんじゃないの?居場所、無くなるよ?
2010/02/20
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関西の私立大学はほぼ合格発表が終わりました。いわゆる関関同立を国立の滑り止めに受けている子は多く、息子もセンター利用と一般入試の両方で合格。一応今は2戦2勝です。(滑り止め2つは一番少ないそうですが)最近は合格発表はネット。携帯から見られるため、勉強をしている高校の進路資料室で今日も確認したそうです。一人だけ、絶対確実だったのに、落ちている子がいた。彼は、一人で部屋に残って、泣いていたそうです。息子と模試の校内でのトップ争いをしていて、センターも英語は9割を超えていたのに、息子と同じ化学と、もう一つ難化した政経を選択していたところから思ったような成績が取れなかった。本当に力はある子なのに、うまく回っていない感じがします。今までは全員「センター試験アカンかった。」(それも情けないが)という同士で、一緒に頑張っていたけれどここに来て、それなりに行きたい私学に受かっている子と、納得できないところにしか受かっていない子と、結果のだせていない子と。それぞれ、温度差が出来てきているのだと思います。ここからは、本当に一人一人、孤独な戦いですね。それぞれが特に息子の友だちはみんな、本当に努力していた子ばかりだったので何とか、良い結果が出るよう、祈るばかりです。
2010/02/17
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私大入学金振り込みました。主人が息子に「万全を期しておきたいから、振り込むけど良いか」と言って、ものの1分で決定しました。その後、主人の居ないところで息子は「そんなコトされたら、行かなしゃあなくなる。30万も払わせて、その上予備校代も出して下さいとかよう言わん。」と不服そうでした。それならそうと父に言ってくれよ。「国立受かったら、お釣り来るやン。あと少し、頑張って見返したり。」というしかありませんでした・・・・。
2010/02/16
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高校生で「ぼくらの時代」に出逢ってから、ずっと中島梓さん、栗本薫さんのお話と一緒に生きてきました。(変な言い方ですが、そうだったのです)とは言っても、私は代表作とされる「グイン・サーガ」は全く読んでおらず「魔界水滸伝」シリーズやボーイズラブものももう一つ合わなかったので栗本薫ファンとしては亜流かなと思います。私の好きなのは伊集院大介もの、ぼくらシリーズ、六道ヶ辻シリーズ、そしてSF長編、短編です。彼女のSFを読んでから、「火星人ゴーホーム」「1984年」ブラッドベリなどに出逢いました。そして、中島梓名で書かれた評論、エッセイもだいすきでした。どんなに軽い始まりで書かれていても、そのエッセイは最後は現代社会の病巣や、問題点を鋭くえぐるものとなるのです。何度も線を引いて、ボロボロになるまで読みました。「息子に夢中」は、育児エッセイの氾濫にげんなりしていた私も未だに自分の育児のモットーとなる言葉が満載でした。そして、また、難病ものには絶対に手を出していなかった私ですがこれを読んで、大げさではなく私の出逢ってから31年の価値観形成に大きな役割を担ってくださった梓さん、薫くんとお別れなんだなあと 実感しました。癌が転移して、亡くなるまで最期まで本当に最期まで書き続けた梓さん。この本は「余命1ヶ月の・・・」(読んでないけど)などの難病ものを期待して読むと、少し物足りないかも知れません、淡々と、食べた物、身体の様子、思うことを記録しておられるからです。新聞の書評にも「決して悲愴な闘病記ではなく、作者の『こんな面白い体験を書かずには居られない』という作家としての性のようなものを感じる」と書かれていました。梓さん、長い間、ありがとう。あなたの本にどれだけ私は勇気づけられたか分からない。最期まで、こんな本を遺してくれてありがとう。できれば、最期の伊集院大介、読みたかったです。(「転移」の中には何度か執筆している様子は出てきましたが、完成したという記述はなかった・・)
2010/02/14
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昨日、後期に出願した地方国立大学の受験票が届き、え~!前期の方が近いし、速達で届くはずなのにまだ来てない???ひょっとして何か不備が???と、とにかく小心で小心で仕方のない受験生の母です。よく考えれば「12日頃に発送」と冊子にも書いてあるし、多分後期受験の方が早くに出されたのだと分かっていても・・・。無事、受験票が届いて、とりあえず一安心。大丈夫だと分かっていても息子のセンター利用私学の合格の知らせは本当に嬉しく、(少なくとも自己採点くらいの点は取れて居るんだと確認できたし)受験票が届くまであ~ちゃんと学部の番号は間違えずに書いたか、返信用封筒に切手は貼ったかととにかく心配で心配で仕方がない受験生の母心理。一つ一つクリアして、あとは一般受験の私学の合格通知とそして、第一志望の合格通知が欲しいです後期受験の大学の近くのホテルに予約も入れ、払い込み、合格発表の日では3日前になってしまうのでキャンセル料が取られるんだけれどどうか、キャンセル料(何なら全額でもOKよ)を払わせてください~~~という気持ちの私であります。
2010/02/13
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唯一センター利用で出していた私学に合格しました。インターネットで合格の確認はしていましたが、風雨の中、速達で夜8時過ぎに桜の印刷された合格通知が来ると、あー良いもんだなあと単純に嬉しくなりました。特に、主人は、自分の出身校であり、学部も同じということで、もう決まったような雰囲気が漂っています。(そこの教員をしている友だちにもさっそく報告していた・・・)息子は、そこの学部を一般入試でも受験しているのですが、発表は17日。そして、今回合格の出た入学金の振り込み期限も17日。もし、一般入試で落ちていてそれが分かってから振り込み期限まで2時間くらいしかない。「どうする~?振り込んでおく?」と聞くと「一般入試で入れたら考える。センターの方は振り込まなくて良い。」と応える。でもそうしたら、間に合わないこともあるし・・・。「一般入試で落ちるようだったら絶対勉強が足りないって事やから、もう一年頑張る。それより何より第一志望に受かる!」そうおっしゃいますけれどねえ・・・。内緒で振り込みしてしまおうかと(でも、そのあげく行かない!と言われると30万円ムダになってしまう・・・)迷う母です。
2010/02/10
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ロザンの宇治原君の事を書いた第2弾。相方菅ちゃん(なぜか菅君ではなく菅ちゃん)の「京大少年」。宇治原家では決して勉強しろと言われることはなく、ただ一つ、言われた事がこれ。 「人の話を聞くときは 相手の目を見てしっかり聞く」 支援員として小学校に行き始めて実感したことがこれ。人の話を聞ける子は強い。学校の授業なんて・・・と思っておられる保護者の方は多いかも知れないけれど何せ子どもたちは毎日毎日ほとんどの時間を小学校で過ごし、沢山の授業を受ける。教え方、方法など、勿論先生によっていろいろだけれど先生だって、ムダなことを教えている訳じゃない。例えその先生の授業が指導書どおりでも、あんちょこ頼みでも、毎日毎日先生の話をちゃんと聞けるか聞けないかでは理解しようとして頭を使いながら聞くか聞かないかでは長い間にものすごい差が出来る。イヤ、もう小学校の1年生、2年生から凄い差が出ている(と私は感じる)授業を見ていても、ちゃんと聞いている子は、顔つきも違うし、何か指示したときの反応も違う。2年生くらいでも公文や塾に言っている子もいて計算やちょっとした知識などはそういう子のほうが得意だったりするが、その子の性格にもよるんだけれど「人の話を聞いているより自分が知っていることを見せたい」感じの子どもだと全然聞いていなくてう~ん大きなお世話だけれどこのままだとちょっとしんどくなるんじゃないかなあと思うときがある。逆にそれほど才気煥発という感じでなくても人の話、先生の話だけでなく友だちの発表なども目を輝かせて聞いている子は伸びていくのが明らかに分かる。そして、勉強の苦手な子どもは、聞き下手が多い。聞いても分からないのか?聞く習慣がないのか?ここを聞かないと!と言うところが聞けない。わざわざせんせいが「大切だよ」というメッセージを送っていても、もうそのメッセージ自体聞いてなかったりする。入学前に早期教育とか、そこまで行かなくても小学校の先取りを幼稚園の内にさせておきたい親は多いようだけれどただ一つ、しっかり聞く経験をさせてあげることが一番大切ではないかなと思う。学校の授業を聞いていたら、こんな事が分かるんだ!新しいことを知るって、こんなに面白いんだ!と思えたら、聞くことが楽しくなるんじゃないかな。先取りして、「な~んだ、学校なんて、知ってることばっかりしか教えてくれない~」みたいになる方が、長い目で見たら、損だなあと思うのです。そういえば、この間、東大生タレントの八田亜紀子(だったっけ?)さんの通知票に先生のコメントが、「あまりにも一生懸命話を聞いてくれるので、こちらも実りのある話をしなくてはいけないと姿勢を正すような気持ちにさせてくれる。」みたいなことが書いてあったそうです(息子談)。こちらが一生懸命話を聞けば、やっぱり話す方もそれに応えてくれる。そういうものなんですね。
2010/02/02
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センターで思うような結果が出なかった息子ですが、とりあえず前期は最初の希望どおり地元の国立大に後期は地方の国立大教育学部に出願終了しました。最初はセンター試験の科目間の不公平ばかりぼやいていましたが、「要は、僕の勉強が足りんかったンや。ホンマに勉強してるヒトやったらちゃんと取れる良い問題やったと思う。」と、殊勝なことを申しております。好きなテレビが付いていようが、次女がゲームをやっていようが切り換えてさっさと勉強しに向かいます。(当たり前か・・・)こういう感じだと、まあ浪人しても安定して勉強してくれるんじゃないかなあ・・・。(最悪の場合ばかり考える気の弱い母)
2010/01/27
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今年6月から特別支援教育支援員として働いています。小学校の中で、学力、他の生徒との関わりなどいろいろな困難を抱える子どもを支援する、まあ、補助教員のような仕事ですが、私の配属された小学校は規模のわりに支援学級に所属する生徒が多く、一学年2~3クラスの学校なのですが、難聴・肢体・情緒・知的低学年・知的高学年の5クラスがあります。とはいえ、特に難聴以外のクラスの子どもたちは情緒と知的、肢体と知的など障がいが重なる場合も多く先生達も4人で4クラスを担当しているという感じです。私は普通学級にいる発達障害の子どもの補助にはいると同時に支援学級の子どもたちが交流学級で授業を受ける(図工・書道・生活など)の補助にも入るので、支援学級の先生や生徒との関わりがやはり多いです。この小学校の校区には知的障がいの子どもたちの施設があります。そこの施設は元々かなり重度の知的障がい児の宿泊を伴う施設でやはり一般家庭では自立への訓練やケアその他が難しいのです。ほとんどの子どもたちが特別支援学校に行っていました。しかし、最近この施設から地域の小学校(つまり私の配属された小学校)の支援学級に通う子どもが出てきています。つまり、そんなに障がいは重くないのに、家庭では生活できない子どもたち。その中には親が虐待をしていたり、児童相談所が「親には養育できない」と認定した子どもたちが居ます。学校で接している分には別に普通(普通って何なんだ!ということはおいておいて)のちょっと(だいぶ)勉強の出来ない子という感じで、ふざけるし、言うことは聞かないけど、甘えてきたり、とっても可愛いのですが・・。でもふっと。ただでさえこの社会に生きていくハンディを負っている子達が親からも・・・と思うとやりきれない思いを感じます。と同時に連絡帳に子どものことを細々と書いてきてくださる施設の先生方や、とにかく今できることをと毎日授業に気を砕く先生方を見ていると最前線だなあと思うのです。
2010/01/26
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嘘です。浪人したくありません。でも、もし、第一希望が叶えられなかったらどうするか。なかなか思うような結果が出なかった息子の友だちも、みんな揺れているようです。当たり前ですが、「親に悪い(特に経済的な面で)」とみんな言っている。この辺はやはり公立高校ですよね。イヤ、ずっと公立で、そんなに親に負担をかけていないのに、みんなええ子やの~と思います。浪人せずに、行ける私立大学に行くか。(学費高いよねえ~)浪人するか。(予備校って、1年分前払いのトコがほとんどだよね~。学割もなかったり)地方の国公立に行くか。(仕送りしてもらったら、結局私学の方が安いよね~)そりゃあ、近くの国立に現役で行ってくれるのが親としては一番有難い。でも、勿論子どものために何でもはさせられないけれど、出来る限りで頑張らせたい気持ちはあるのです。重松清さんの「とんび」文字通り、「とんびが鷹を生む」のとんびなのですが、父一人子一人で息子を育てる切ない物語が結構泣かせます。 「幸せになりんさい。 金持ちにならんでもええ、 偉い人にならんでもええ。 今日一日が幸せじゃった思えるような 毎日を送りんさい。 明日が来るんを楽しみに出来るような 生き方をしんさい。 親が子どもに思うことはみんな同じじゃ。 それだけなんじゃ。」もし、君がそれで納得できるというなら、またがんばれるというなら、いろいろクリアしなければならない問題はあるけれど第一志望を通して欲しいと思っている。「とんび」でも、東京の大学に出て行く息子が、「苦労をかけてゴメン」というと、父親は答えるのです。 「アホ、苦労すんのが親の仕事じゃ。」
2010/01/23
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センターリサーチ帰ってきました。最もその前に息子はいろんな所をバンザイシステムで確認済みでしたが。返す返すも悔しい。化学以外は全て偏差値60以上。1個だけ出していた私学のセンター利用も国語・英語・数学1A・現社・数学2Bでの得点となり、A判定。主な地方国立教育大、地方国立大教育学部もA判定。でも、第一志望だけがD判定。2次で今までの模試の結果を記入してもやっとC判定。でも・・・何か、今年は頑張るそうです。浪人覚悟で、2次にかけようと思っているようです。一応、私学は合格している見込みだし、一般入試も申し込んでいるので、受けに行って、特待生狙おうかな(学費が半額になる)と、捕らぬタヌキの皮算用していますが、でも、本心はやっぱり第一志望を通したいようです。姉(京大一本、保険無しで綱渡りのような受験をした)も、「まあそう言うやろ」と、クールな返事。彼の場合、希望学部が微妙に教育学部とは違うので教育大などに変更するのがどうも納得いかないようです。そして、一応行ける大学がかなりありそうと言うことで行く行かないは別にして、自分の勉強も意味があったんだとちょっと自信もついたようです。本人のしたいようにするしかないですねえ。とりあえず、2次試験、頑張っていただきましょう。
2010/01/22
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結局息子は、化学以外はセンターはそこそこだったようで、化学を受けるまでは高校でも文系の中ではトップクラスの成績だったのですが、化学で生物受験組にマッハの速度で抜かれ、只今PTSD中です。昨晩は私もみんなの点数を聞いて、「あ~~あの子にもこの子にも勝っていたのに、なんで???」と、3時頃から一睡も出来ませんでした。フラフラする頭で支援員の仕事に出かけます。特別支援教育支援員=いろいろな困難を抱える子どもたちを学校内で支援する、お助けマンのような補助の先生です。私の場合、大変ハンディキャップの子どもの多い小学校に配属されたこともあり、支援学級の子どもたちが交流学級で授業を受ける(主に図工や体育・家庭科、書道、生活などが多い)時に支援に入ったり、あと、支援学級にはいるほどではないけれど診断の出ている子どもの授業の支援にはいることが多いです。仕事の間は本当に体力勝負だし、(突然教室を出ていく子もいる)子どもたちと接しているときは真剣勝負なので、全く息子のことは忘れています。さて、今日から最後の期末テストの息子。帰ってきて「Mのお母さんには絶対言わんとってや」と言いながら、センター残念友だちのMくんとK君とボーリングに行ってきてん」と、教えてくれました。一緒にいてもセンターの事を話すばかりで集中して勉強できないし、そしたらここで一発心機一転や!と。3人で大騒ぎしながらボーリングをして、帰ってきたそうです。しかし、そんなこと黙っておいて良いのに(^_^;)・・・。でも、ウチの息子が母に何でも話すのは有名なのか、M君にも「お母さんに話しても良いけど、俺のお母さんにだけは伝わらないようにしてくれ」と言われたそうです。受験で又、ちょっと良い親子になれているのかな。でも、やっぱりこの受験は君の受験。ここでどう転ぼうと、どういう選択をしようと君の人生。母も、今晩からはしっかり寝ます。
2010/01/19
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文系科目終了時点では何とか8割近くに行きそうかなあと思っていたのですが、今日の化学は撃沈でした。今年は特に数1と化学が難化したようです。数学は得意だったから稼ぎたかったのですが、まさかの数2Bよりも低得点・・・・。化学に至っては何とか5割。今まで模試その他でも7割は取っていたので、本人もボー然。同じく難化したと言われている現代社会で8割5分取れたのがまあ救いですが。これではボーダーよりも低いかも知れません(生物が今年はものすごく易化したらしく、生物をとっている人が多い文系では不利なようです。)息子はずっと2次の方が得意だったので、なんとか巻き返したいと思っているようですが、リサーチ次第では志望校変更もあり得るビミョーな点数となりました。う~~~~ん、やっぱり受験は厳しいです。センター試験が終わってすぐの時間に「もう、出家します」というメールが来て、生きた心地がしませんでした。泣いてるんじゃないか、とか、ちゃんと帰ってくるんだろうか、とか。よく考えれば、数々の修羅場をくぐってきた息子ですから、私よりよっぽどしっかりしているんですがねえ・・・産みの苦しみとなるのか???
2010/01/17
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息子は無事、センター試験に出かけていきました。とりあえず、風邪もひかせず、事故にも遭わず、試験を受けたと言うことでまず第一関門クリアと言うことになるのでしょうか。最近、毎日テレビのCMで泣かされています。関西電力のCM。アンジェラ・アキの「手紙」の流れる中、沢山の中学生の笑顔、がれきの積み重なった町、その中で、電気工事をしている人たち、ルミナリエの写真を撮って笑っている中学生達。15歳の君へ君がいたから 前を向けた。君がいたから がんばれた。君がいたから 泣くのをやめた。15年前のあの日、傷ついた町で、私たちの背中を押してくれたのは生まれたばかりの君たち。「この子達の未来を 照らし続けるんだ」あの日の思いを胸に、今日も。君たちがいたから15年でここまでこられた。君たちこそが 希望の光。 そりゃあ、泣けます。あの時、本当に私たちは不安でいっぱいだったけれど同時に、毎日のように復興していく町の様子を見ることが出来た。腰まで水に浸かりながら地面に潜ってガス管工事をしていた人。24時間、本当にずっと工事をしていた電車の高架下。いろいろな県から、見たこともないゴミ収集車が持っていく瓦礫。お風呂に入れなくて、道は波打っていて、本当に不便で、悲しかったけれどそれでも、昨日通れなかった道が今日通れたり、昨日までガスの来ていなかった友だちの家が「ガスが来たからお風呂においで」と言ってくれたり。確実に、元の生活を取り戻そうと休まずに働いている人たちがいた。沢山の優しさにも出逢った。時間と共に、そんな毎日の出会いが、私たちをいやしてくれていたと思う。震災の後、ずっと「明日」が来るのがこわかった。今日は何もなかった。幸せな一日だった。でも、「明日」には、この全てが変わってしまうかも知れない。目に見える物全て変わり果ててしまうような不幸が来るかも知れない。震災の前の日、自分が何をしていたか、はっきりと覚えている。そして、その次の日、本当に考えてもいないことが起こり、全ての景色が変わった。でも、それでも毎日明日がやってきて。私は本当に寝るのがこわかった。あの時5歳だった娘は成人式を迎え、あの時3歳の誕生日を迎えたばかりだった息子が今、センター試験を受けている。影も形もなかった次女が生まれ、もう9歳になる。「明日」が来てくれて良かった。この15年、毎日明日が来て、勿論いろいろな事があり、辛い死にも出逢ったけれど、それでも。「明日」が来続ける限り、希望がある限り、みんな、歩き続けるだろう。
2010/01/16
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さあ、センター試験です。一昨日、塾の最後の世界史の授業、最後に重要語句がちりばめられたプリントが配られ、その真ん中に先生が大きく 最後まであがけ!と書かれていたという。塾の応援メッセージには、 ねだるな! 勝ち取れ!下宿している長女からも息子にメールが入る。 「フツーにやったら大丈夫やで。 一生に一度のことやから、楽しんでおいでね。」沢山のお守りも持っているが、何より、力のある言葉達。受験があったからこそ出会えた、心に響く言葉達を胸に。思いっきり、自分をぶつけて来てください。
2010/01/15
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センター試験まで後4日です。息子は高校の先生方とそりが合わず残念ながら「恩師」と呼べるような存在はないようですが、その分、2年生から通った塾の先生方にお世話になったようです。塾の先生方。大学受験の塾の先生と言えば、それなりの学歴もある方が多く、その方々が塾の先生になるには、なかなか面白い人生経験をお持ちの方も多い。その先生方が勉強だけではなく、ふと話す人生論は結構胸に響くことも多いようです。息子が化学の先生から聞いた、センター試験の極意です。試験中は君らが神様!君らの書いた答えが正解だ!いろいろ不安に思うこともあるし、迷ったり、分からないことが沢山あるでしょう。でも、今まであんなに努力してきて、あんなに一生懸命勉強してきて、さあ、これが答えだとかいた、その答えが全て。あなたの、これが、「答え」自信を持って書いてください。・・・・・・ただし、出題者の答えは他にあるかもね。
2010/01/12
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長女の成人式でした。先月に前撮りも済ませていて、その時に着付けに必要な物もそろえていたので何だか緊張感が無くて・・・ちょっと朝にあわててしまいました。長女は私が着た振り袖を着てくれて、作ってくれた私の母(おばあちゃん)も、大喜びです。(しかも、微妙に私より似合っているぞ・・)前撮り、当日の着付けと物いりですが、無事、子どもの成人式を迎えられたことに今まで娘に関わってくれた全ての方々に感謝でいっぱいです。主人とも昨日、お互いに「ご苦労様」を言い合いました。成人式なんていらんのちゃう?・・・と思っていましたが、何らかの節目というのは、あっても良い物なのかも知れませんね。(お金はかかるけど)
2010/01/11
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もうすぐ成人式ですね。新成人になるウチの長女、一浪で決まった友だちもこの年末年始に掛けて集まりが多くあり、あまり交流のなかった友だちの消息も沢山聞くことが出来ました。娘が帰ってきてしみじみ言ったこと。「私立中学受験って、意味あんの?」相変わらず私立中学受験日にはクラスの半数近くが受験に出かけ、3年生の次女の周りは塾選びで騒がしいこの環境で、なかなか言えないことなのだが。中学で別れた友だちとはあまり接触の無かった長女は私立中学に進んだ友だちの進路があまりにしょぼい(すいません、こんな言い方は良くないって分かっています。が、あえていいます)と、ビックリして帰ってきたのだ。以前にも書いたが娘は小学校3年生から男子に混じってサッカーをしていた。3年生の2月、一斉に始まる塾選び。ウチも一応受験戦線に参加しようとしたがあまりの勉強量(まだ4年生になるとこなのに)と、公立に行ったら人生終わる的な塾の説明に恐れをなし、3ヶ月(早すぎ)での戦線離脱となった。その時サッカーをしていた12人のウチ家の都合で一人は卒業と共に引っ越したが、後、9人は私学の中学に進んだ。受験体制にはいるため、5年生でほぼチームは空中分解。まあ、ウチも女子バスケと掛けていたのでこれ幸いという感じでサッカーからは身をひいたが・・・。受験組の狼藉は、予測していたことだが凄かった。学校は休むし、受験勉強が大変だから学校の宿題を出すなと先生にねじ込むし、(おかげでうちの娘の学年の宿題は「出来ない人はしなくても良い」びみょーな物になってしまった)受験しない親からは、「もういっそ受験する子としない子にクラスを分けて欲しい・・・」(ふたクラスしかない学年だった)という意見が聞かれるほどで。受験した9人の内、第一志望に入ったのは2人のみ。一人は超難関校に。もう一人は大学までエスカレーターの伝統校に。後は「何回受けさすねん」状態で、わらわらと中堅受験校に決まった。そして、6年後。公立に行った2人はストレートで京都大学に。超難関校に行った一人は、京大はダメだったけれど、後期で同じくらい難しい国立の法学部に。そして、中堅校に行った7人の内、分かっているだけでも5人は浪人。浪人して結局マンションが買えるくらい(それも新築・・・)お金のかかる医大や歯大に行った子も多い。これって、たまたま?たまたま公立に行った2人はたまたま行きたいところにいけて私立組はうまく行けなかっただけ?世の中の人は、私立中高一貫校のこが、良い大学にはいると「やっぱり私立でないと」と言って、公立から偏差値の高いところにはいると「その子が出来たから」という様に思う。でも、そうかな??ここへ来て、いろいろな子どもの友達の進路を見ながら思うこと。今まで私は、勉強するのは悪いことではないし自分の中学受験の経験は未だによかったと思っているから、友だちにも「ウチは中学受験はしないけれど、受験を否定しない」と言ってきた。でも・・・ひょっとして中学受験って、今の中学受験のシステムってものすごく子どもにとって害があるんじゃないの?と思うようになってしまった。勿論、「公立がすべて程度が低い」と言いきるのと同じくらい「私立中学受験が間違っている」と言いきるのもくだらないことだと思う。でも、このサッカー部の例だけでなく、あまりに私立中学進学組の「その後」は????と思うことが多かったのだ。途中退学したり、結局何浪も重ねていたり、いじめられて半分近く不登校だったり。勿論、公立中学にもいろいろな子どもがいるから公立に行っていたらバラ色の中学生活があったとは言えない。娘がいろいろな友だちを分析したところはこうである良い中学受験の条件(1)第一志望の学校に行っている。 ダメだった場合は公立に行く気で、あまりいろいろ受けていない。(2)あまり早くから勉強させていない。小学校低学年から塾に行ったりしていない。(3)小学校生活を普通に送っている感じがした。 受験前に延々学校を休ませたりしていなかった。(4)お母さんが高学年になっても何かのほほんとして、必死な感じがしなかった。だそうです。勿論、進む大学だけが教育の成果じゃないし、私学ならではの特色ある教育で人間性が磨かれたのかも知れない。でも、小学校の時点であのお母さん達の求めていた物は「学力」「良い環境」だったと思う。(その後変わったかは知らないけれど)そして、こういう情報はやっぱり外に出ないね。私学でうまく行かなかった子がどれだけ多いのか公立でも普通以上に学力を付けている子がいっぱいいることも塾の先生は絶対言わないね。不安ばかりをあおる。(少なくとも、私の聞いた説明会ではそうだった。)来週、センター試験と同じ時に京阪神の中学受験は行われる。次女の小学校では又いろいろな狂想曲が奏でられているらしい。全員が受かる受験なんてあり得ないのだからせめて、良い受験であって欲しい、子どもたちのこれからにプラスになる経験であって欲しいと願う。それは、自分の息子のセンター試験にしても然り。勿論結果を出して欲しいけれど彼の将来のために勉強したこと、全ての経験が彼のこれからを築く礎となるよういのるばかりです。
2010/01/08
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実は、お気に入りにさせていただいていたブログの方達にはケイタイから結構近況を見せていただいていたのに自分は全くアップしていませんでした。一生懸命書いていた頃を思い出して、どうしてもそうだ、あの時の方々に、多分一番お知らせしておかねばと思って、勇気を出して、書くことにしました。一昨日、コンビニの前に車を停めたら、ちょっと毛を染めたおにいちゃんが窓を叩くじゃないですか。そう、中3の夏、一時保護所に行く代わりに2ヶ月我が家に里子となってきてくれた「彼」でした。「彼」は、定時制高校に行き、そこで3年半、バスケットとアルバイトと、ちょっぴり勉強も両立させ2年間定時制高校の全国大会のベスト4に残り、個人で表彰もされてその写真は「月間バスケットボール」のページを飾ったのです。4年間かかる定時制高校の単位も3年半で取り終え、本当は専門学校に行きたいんだけれどお金がかかるし(スポーツトレーナーになりたいと言っている)次が決まらないと言っていたのがこないだの春。そして、この春、バスケットで結果を出してきた彼は専門学校の入学料全額と授業料かなりの割合免除されて入学が決まったという。2年前に転居して市内の端と端に離れそれでもバイト先が主人の勤め先と近いことから元気でやっているのは知っていたが。兄は高校もすぐやめてしまい、2度目の結婚(二十歳になるうちの娘と同じ年なのに)の噂までは聞いていたがその後は噂も聞かない。お母さんも、まあ何とかやっておられるのか、とりあえず「彼」が一緒に住んでいるらしい。一人で、何もかも一人でよく頑張ったねえと。でも、彼の性格故か定時制高校のバスケ部顧問もとても彼を支えてくれ、また、中学時代の顧問の先生も練習を見に行ったこともあったらしい。本当に、よく頑張ったねえと。誘惑の多い家庭環境でいろいろな子がいる学校でそれでもやっぱり自分を持って頑張れる子はいる。絶対絶対
2010/01/07
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大分の不正採用の話で元々の話の発端となった先生の1人(といっても本人は知らなくて裏工作が無くても合格だったらしいですが)が自主退職されたそうです。まあ、こんな状況で両親とも逮捕されているわけですから本人の名前とかも丸わかりなわけです。そんな中で仕事を続けていくのも結構たいへんでしょうから、仕方ないかなあとは思いました。ここからどれだけの退職者が出るのかわかりませんが(校長・教頭不在の学校も沢山あるようです)まあ、法に反した人はそれなりの処分を受けなければならないと思うしそれなりの再発防止策が必要だとは思いますがよく言われる、「子どもの真っ白な感受性を汚して」とか、「子どもたちに恥ずかしくないのか」とか、そういうのはどうなのかなあとは思っているのです。週刊朝日に武田鉄矢さんが(私苦手なんだけれどね)「子どもって大人が思っている以上にタフで大人がどうこう言う前に、自分たちで物事の良し悪しをジャッジしているものなんですよ。そしてその直感は大人達よりよっぽど正しい」と言われていて、私も何となくわかります。息子が中2の時、信頼していたバスケ部の顧問の先生が処分を受け3ヶ月間居なくなったことがありました。はっきり言ってうん、熱心のあまりとはいえ、ちょっと子どもたちには言えないなあと言う感じの内容でしたので、先生方も親たちも「何でおらんかわからない」「言えない」という態度を貫きました。そのお蔭でその先生はめでたく復帰されてからもとくに口さがないPTAの間ではなんかよく分からん噂なども流れておりましたが・・。子どもたちも、何となく処分を受けられたらしいことは勘づいていたと思います。でも、子どもたちは先生を無条件で、いえ、それ以上で受け入れました。「どうしていなかったの」とは聞きませんでした。叱られたとき、「自分かてなんやねん」とは言いませんでした。この人には欠点もあるらしいし、色々な面もあるようだ。でも、この人の言うことは正しいし、多分まわりのどの大人より信用できる。何より、この人についていったら自分が成長できる。クラブだけではなく、先生が処分を含めて2年間持った学年の生徒達も先生が転任で学校を去られるときは号泣の嵐でした。確かに法律に違反することは良くない。でも、子どもたちはそんなことだけは見ていない。何一つ悪いことはしないけれど良いことも何もしない大人達を沢山見ている。息子はこのニュースを見ながら「○○(中学の時の英語の先生。やる気ナッシング)なんか金積んで先生になったんかな~。でも、そこまでのやる気すらなさそうやしな~。何で先生になったんやろう??」と言っていました。子どもたちは、まあ、良い気持ちはしないだろうけれど思っているよりずっとしたたかで強いと思う。色々裏があろうがそれは大人の世界。子どもたちはそれよりもまっすぐに向き合ってもらえないこと、もっと、本質的なことで傷つくと思う。あまり、子どもの純粋さとか、子どもをダシにして先生達をせめるのは好きじゃない。悪いことは悪いこと。それで良いと思うのです。
2008/07/24
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今日は2時間目と3時間目の間の25分休みに読み聞かせをするお当番でした。図書ボランティアがウチの小学校に発足してからかれこれ15年ほど。色々ありながらも結構活発に活動しています。25分休みに1年生が50人ほど。それと宣伝していたのでうちの娘とその友だち。2人で読みました。もう一人の人はイソップ物語から、「ライオンとネズミ」わたしは梅雨のシーズンと言うこともあり木曽秀夫さんの「まさか?のかさ」(サンリード)何のことはないナンセンス絵本ですが、最初ざわざわしていた子どもたちがし~んとなって、かさが色々な形になっていくのを面白がってみていました。休み時間の読み聞かせは軽い、どちらかというと楽しい題材を選ぶことが多いです。こんなに「面白いだけの本」も、沢山あるんだなあと言うことを知って欲しいなあと思って。図書ボランティアのほかのお母さんには「お笑い担当」と思われているかも(^_^;)。
2008/06/25
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東北の地震から一週間が経ちました。わたしは阪神大震災の被災者でした。めちゃくちゃな揺れ、大切な生まれ育った街の変わり果てた姿、今まで当たり前だった全てのことが覆された毎日でした。1週間後に大阪の友だちの家に5才と3才だった子どもたちをつれてお風呂を借りに行きました。阪急神戸線が動いていなかったので宝塚まで主人に車で送ってもらってそこから阪急線に乗って豊中の友だちの家まで行きました。お風呂は気持ちよくて、友だちと喋るのも本当に楽しかったです。帰り、どう見ても風呂上がりのめちゃめちゃ被災者の3人連れで電車に乗っていると向こう側からサラリーマン風の男性2人の会話が聞こえてきました。「地震、大変やったなあ」大変やった・・・・もう、過去形なんや・・・・・・・水もガスも出ず、洗濯も料理もままならず勿論幼稚園もなくて新聞もテレビも地震のことばかりで見覚えのある名前が亡くなられた方のリストの中に見つけられる日々。いったいこれからどうなるんだろう?「明日」を信じて生きていくことが出来るようになるのかな?不安と悲しみの毎日のすぐ隣の市ではもう地震は過去形なんだ・・・・・結構ショックだったことですが、同時に、自分たちがしっかりしようとも思いました。今まで自分がそうだったようにどんなにみんなが支えてくれてもやっぱりこの場所を立て直すのはこの場所に住んでいる人たちでしかないんだろう。それは、当たり前のことなんだと。地震のニュースはなくなっていってもきっと色んな傷跡はいつまでも残っていく。それを一生懸命埋めていこうとする人びとがたくさんいる。あの頃のことは決して忘れないけれどでも、あの震えるような恐怖、絶望は色んな人たちとの復興の過程で、希望へと変わってきたように思います。(言っちゃいけないって言われるけれど)被災地の方々頑張って下さい!!!
2008/06/21
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教養委員になってくじ引きをひいたら見事選考委員を引き当ててしまいました。これだけはやりたくない委員なのですがまあ、何事も修行!経験!と思い、来年度役員決定まで頑張ります。選考委員経験者の友だちも何が苦痛と言って「あの人はこうこうだからダメ」「あの人って実は問題があるんだよ・・」みたいな聞きたくない色んな人の評判を聞かされるのがとっても嫌だったと言ってました。だいたい、くじ引きで決まって対して顔も広くない普通の委員が色んな人のうわさ話を持ち寄ってもどうしようもないわけです。その人にどの役員が向いているのか、お互いの相性はどうなのか・・・そんなこと、やってみなくてはわからない訳なのです。動き出すのは2学期からですが意識を高めるため?なのか今学期に一応顔合わせをすることになりました。わたしは役員経験者でもありますし選考委員としてのスタンスは 何となく自分なりに考えています。こういう言い方をすると抵抗がありますが「役員(いわゆる執行部)は基本的にPTA会員であれば誰でも出来ます」ただ、自分がやろうと思っていただけるかどうか。やる気がなければ無理だろうなあとは思います。その課程をお手伝いするのが選考委員かなと。手続きとしては2学期半ばに推薦・立候補のアンケートを採り、それに従って声をかけていくというのが基本ですが実際にはなかなか名前も挙がりにくいようです。現役員や選考委員が「この人はどうだろう」と、名前を挙げることもあるでしょう。とにかくその人達一人一人とお話をしてやろうという気になっていただくこと。役員の必要性、出来るだけ色々な方に役員を経験して欲しいことなどを誠意を持ってお話しすること・・・それが選考委員の役割かなあ・・・・と思っています。気持ちよく、普通に、選考活動が出来るよう、まずは委員同士の意志統一が出来たらいいなあ。
2008/06/20
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ラストフレンズ、とっても話題になっていますねえ。全く見ずに、今になってフジテレビの戦略にはまり、再放送をだだだだ~~っと見せてもらっています。上野樹里ちゃんと瑛太くんの演技がとっても良いのとなかなかそれぞれのキャラクターが背景も含めてちゃんと描かれているので人気になったのかなあ?長沢まさみちゃんも、いかにもなイラッと来る演技で、これはやっぱり上手いと言うんだろうなあと思います。この話の中で長沢まさみの受けるDVが幹になっていると思いますが、加害者の恋人(錦戸くん)の背景もしっかりあって、単なるボーリョク男には描かれていない。だからこそ、恋人も殴られながらも彼の寂しさがわかりなかなか離れていけないところも、上手に描いてるなあと思います。でも、逆に言えばちょっと美化されているというか、「彼も苦しんでいたけれど悪いひとじゃなかったの~」「彼も傷ついていたの~」みたいな結論だとちょっと違うなあと思うのです。(特に死ぬって所が、何だか、それで済むのかよ!と思う・・・)私の中高時代の同級生は3年前にDVで殴り殺されました。高校の時からずっと追いかけていたミュージシャンに彼に家庭があることを承知でずっとついていき仕事のパートナーのような形になりましたが彼と結婚することは出来ずでもずっと一緒に住んでいたようです。私も彼女と一緒に彼のコンサートなどに行っていたのですが、私はやっぱりあっという間に違うことに心が行くようになり彼女とは一緒になることはなくなっていました。彼女が亡くなって1年後の同窓会で彼女の大親友がお墓に参ったこと、一人っ子だった彼女の年老いた両親の手紙などをみんなに聞かせてくれたのですがそのとき、とても印象的だったこと。彼女の親友は、彼を悪く言うことはなかったのです。むしろ、彼に同情しているようにすら(絶対にそうは言わなかったけれど)感じられました。裁判でも一切弁明せず全ての罪を受け容れて服役している彼。しかし、そのような裁判では詳細がわからずご両親は自分の娘の死の理由が知りたいと民事訴訟を検討しているといっていました。そのことに関して多分2人の色々なこと全てを知っているだろう親友は「彼女にも本当に色々なことがあり、心を病んでいた。勿論、殴った方が悪いけれど色々なことが表に出ると、ご両親も傷つかれると思う。」というのです。DVというと、鬼のような旦那とか弱い女性のようなイメージを持っています。勿論誰でも殴るバカ男もたくさんいるのだろうけれどそれぞれの不幸な出会い、タイミング、状況でそういうサイクルに落ち込んでしまうことも多いのかもしれません。だから、「殴られる女の人にも原因がある」なんて(例えそういう場合があるにせよ)トンデモ意見が出ることもあるのです。(確かにドラマを見ていてもイライラすることがある・・・・さっさと逃げろよ!とか。)殴る彼も第三者からはとても魅力のある人間であることもあるのでしょう。最近の大きな事件でも犯人の孤独な状況、大変な生活、家庭環境などがこれでもかと報道され何処か、加害者の情状酌量を認めさせてしまうような心境にさせられることがあります。結局、「本当に悪い人なんていない」なんていう、とっても陳腐な結論になってしまうのかもしれません。だからこそ、「罪は罪」として、認めさせなければいけないのだと思います。どんな悲惨な育ちをしていようが、どういう状況にいようが、人のかけがえのない命を絶ってしまったこと。相手をとんでもない恐怖に陥れてしまったこと。大きな傷を与えてしまったこと。その一点において全ての人が裁かれるべきなのではないでしょうか。本当はいい人だとか、向こうにも悪いところがあったとか、勿論聞いてあげることは必要だけれどしたことはしたこととしてしっかり受け止めさせることが必要だと思いました。どんなに愛があっても殴ったらアカンと言うことです。(でも私そういえばちょっと体罰賛成派だったなあ・・・)もとい、人間性を否定するような暴力は絶対にアカンと言うことです。どんなに寂しい生い立ちだろうが、彼女に悪いところがあろうが彼女を殴る権利はないと言うことです。今は「デートDV]と言うものが言われており、交際相手の居る女子高校生の34%(2007年ウィメンズネット・こうべ調査)20代の女性の23%(2006年内閣府調査)が交際相手から身体的暴力、大声で怒鳴る・無視・束縛・メールチェックなどの精神的暴力、避妊しない・セックスの強制などの性的暴力を受けているという調査もあります。私の違う友だちは長い間ご主人の恫喝に悩んでいましたが「こんな事を見せていて、娘が同じように彼から怒鳴られるようになったら」と思うと勇気がでて、ご主人と徹底的に話し合って良い方向に行っていると言っています。私も男の子と女の子と両方の親として色々な愛の形があるだろうし、色々な関わり合いがあるだろうけれど故意に傷つけたらアカンし、傷つけられる時は逃げないとアカンと。教えていこうと思っています。
2008/06/19
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またまた空けるよねえ・・・・・フェイドアウトかと思いました。10日ほど前、私たち夫婦の恩人とも言える方が亡くなりました。私たちは大学時代あるボランティア活動をしていましたが特に主人は学生の指導に当たられるその方にとても影響を受けて、卒業論文をその方の協力の下に書きました。(ハンディキャップ児の指導についてのようなものだったと思います)卒業してからもその方のお呼びがあれば協力させていただきその方が長を勤める所の研修なども請け負っていましたし、年に1・2回は2人で飲みにも言っていました。私は活動がその人とは重ならず、直接指導を受けることはなかったのですが主人を通してお話は聞いていました。夏休みじゅう、学生を指導してずっとキャンプ場におられ毎晩のように学生達を飲みに連れて行って人生を語られ、葬儀は彼の指導を受けた元ボランティア達であふれかえり棺はキャンプソングで送られました。でも・・・・・その方はあまりにお仕事を、学生達の育成を大切にしすぎて私たちが卒業してしばらくした頃、離婚されました。その前から息子さんはずっと家の中で暴れていて主人は何度か相談にも乗り、おうちの中の穴ぼこ(暴れた跡)も見てきました。その後息子さんも社会人になられ、元奥さんが引き取られた2人の娘さんも社会人になり、その方がいよいよ危ないと言うとき、久しぶりに顔を合わせてきょうだいはお互い、顔がわからなかったそうです。離婚された後、本当に憑かれたように学生の育成に取り組まれ、酒量も増えられて、何度も体をこわされ主人が言うにはまるで死に急ぐように不摂生の後の入院をくり返しやっと還暦を迎えた時の訃報でした。たくさんの大学生をボランティア活動を通じて育ててこられたことは本当に素晴らしいことです。入院されて、いよいよかと言うときにはその、元ボランティア達がシフトを組んで泊まり込みまでしたそうです。でも、だからこそ、自分の体を大切にして欲しかった。ご家族が本当にお父さんを必要としていたときだけでもおうちを優先させてあげて欲しかった。子どもさん達は最後まで元学生達で溢れていたお通夜、葬儀をどう見ていたのかな。早すぎる死を悼みつつ。
2008/06/17
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今日はPTA総会でした。委員なので参加したのですが、最初って昨年度の活動の報告ですよね。その後に担当委員さんが感想をひとこと述べられるのですが・・・5役が泣く・・・・「私なんかミスばかりでみんなに迷惑をかけていたのにみんな暖かくて・・・」「私のようなものにも役員が務まってうれしい」挙げ句の果てに会長の挨拶も「去年の今頃は自分になんかつとまらないと思っていたけれどみんなが助けてくれて1年間出来ました。本当にサークルのような楽しい活動でした。私は小学校が大好きです」と言って泣く・・・(でも、今年度も引き続き会長なんだけれど)わからん・・・・・・・PTAとはそういうものなのか?よっぽど何か大変な年だったわけでもないのに・・・(とやっていない私が言うのは大きなお世話ですが)そんなに謙遜しなくても良いのにねえ・・・。私はもっとあっさりしたPTAが好き。仕事を淡々とこなしていきたい。で、その中でちょっとでも得るものがあったら良いなと思う。子どものためになる活動が出来たらいいと思う。少しでもみんなが勉強する機会をもてたらいいと思う。そんな、出来るとか出来ないとかPTAって、そんなたいそうなものなんでしょうかねえ・・・。
2008/05/23
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2年生になって組替えがあって次女はK子ちゃんと同じクラスになりました。K子ちゃんはウチと途中まで下校コースが同じせいもありしょっちゅうウチに遊びに来るようになりました。お母さんはパートにでられていて同居しているおばあちゃんが彼女を見ておられるのですが本当、毎日のようにウチに直接来るので流石に遠慮されてあんまり行ってはいけないと言われるようです。「(次女)が来てって言うから約束してしまったから行かないと」と言って出てきたり、(そんな約束はしていない)5時を過ぎてからおうちの人の目を盗んで「遊びたい」と電話してきたり、ちょっと困っていました。先日、私に用事が出来てしまい出かけなくてはいけなくなったときにまた遊びに来たので「4時までしか遊べないけれどいいかな」と言ったら、「私も4時までだからいいよ。」というのです。4時を過ぎたので「おばちゃん送っていってあげようか」と言うと、「お母さんが迎えに来るって言っていたからいい」と答えます。4時15分になってもお迎えがないのでお母さんにメールしたら「え~お邪魔してたん知らんかった!今仕事終わったとこやねん!ごめんね~」だって。4時までしか遊べないことも、お母さんが迎えに来ることも全部嘘だったようなのです。その時から、どうもこいつは要注意やなあと思ってたのですが・・・昨日、学校の公衆電話から(校区が広いこともあり、学校内に公衆電話があります。テレフォンカードを持ってくることは許可されています。)次女が「K子ちゃんが遊びに来たいって言ってるんだけれど」と電話をしてきたので、「ちゃんとお母さんかおばあちゃんに連絡して良いよって言われたら来てもらいなさい」と言いました。しばらくして2人で帰ってきたので「ちゃんとお家に電話した?」と聞くと「したよ」と言うのでずっと遊んでいたのですが・・・実は電話をしておらず(本人曰く、したけれど通じなかったと言うのですがこうなるとそれも信じられない)その日お休みでウチにいたお母さんはいつまで経っても帰ってこないので学校まで探しに行き、そこで同級生が違う子と遊んでいたと言ったためその子の家に電話したり、もう、大騒ぎになっていたのです。で、ひょっとしたら・・・とウチに連絡をくれて、ウチにいることがわかったのでした。よその子ですが流石に叱りました。K子ちゃんは涙ぐんでいましたが、お母さんが迎えに来られたら「私はずっと(次女)といたのに、他の子と遊んでたなんて、嘘をつかれた」とか、「ここでお母さん私を怒ったんだからおうちでは怒らないでね。」とか・・・大人をナメとるんか!お母さんもとにかく子どもが無事だったと言うことでもう一つぴりっと叱らないのです。今朝、次女にしばらく、少なくとも今週中はK子ちゃんを家に連れてこないように言いました。あちらのお母さんやおばあちゃんに心配をかけたことですしわたしも嘘をつかれてとても不愉快だったしウチに来ていてもおうちの人に嘘をついて来られているかと思うととても喜んで遊びに来てもらえる気持ちにはなれないと。娘も昨日のどたばたでちょっと萎えたようで納得していました。次女は今日は早速ほかの子と遊んでいました。、もう、こわ~いお母さんのいるウチにはあんまり来たくないと思ってくれないかな・・・。
2008/05/21
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今朝、ウチの前を学校と反対の方向に歩いている中学生を観ながら、ああ、今年もトライアルウィークの季節がやってきたなあと毎年のことですが涙ぐんでしまう私です。 上の娘が小学3年生の時、副会長をしていた私は 市内のPTA協議会連合会に参加していました。市内を6ブロックに分けた1つのブロックの幹事校だった私は幹事校会議に出なくてはならずたまたまその他の幹事校が全て中学の副会長さんだったせいもあり一年間、その年始めて実施された「トライアルウィーク」の話題一色でした。 知事さんのひとことで始まった試みでしたが前の年の神戸少年殺人事件からみんな、中学生に対して本当に危機意識を持っておりその推進力は凄いものでした。「絶対に事故を起こしてはいけない」という使命感の下事業所に見回りに行く先生方の代わりにPTAがずっと連絡先として詰めている学校もありました。 「こんな短期間職業体験をして何がわかるの」「1週間まるまる授業が抜けるだけでなく、その前後にも時間を取られて勉強がどんどん遅れていく。」「形式だけで工夫が見られない」色々文句を言う人も出てきました。 でも、私はやっぱり最初の役員さん達のものすごいご苦労を思うと、先生方が走り回っている姿を見ると、それがどーした!と言いたくなる。 あの、1年目。一番多く寄せられた感想は、事業所の方からの「今時の中学生は怖いとか、自分たちの時とは違うとか思っていたけれどそんなことはなかった。ものすごくいい子達だった。」という感想でした。「キレる14才」と言われ、なんか、遠ざけられていた子どもたちが認められて、なんて嬉しそうだったこと・・・ それから、中学と地域がグンと近くなった気がします。それだけでも、トライアルウィークって、ものすごく意義があるんです。
2008/05/19
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娘が大学生になって1週間くらいのある日。「ゴールデンウィークに東京へ行くのを許して欲しい」と言いだした。それって、やっぱり、彼に会いに行くんだよねえそれって、やっぱり、日帰りじゃないよねえ・・・それからの私と主人の思いの千々乱れたこと・・・私と主人にも色々それなりに(学生時代からの付き合いだったので)親に言えない思い出もあり今時まさか「結婚するまでキレイな身体」とかも言えず私はこの3年間の2人の付き合いを見ていて本当、付き合い出すまでは???と思うところもあったんだけれど学校が離れてもずっと頑張って、お互い凄い受験校に行きながらずっと運動系のクラブも続けてデートの時は必ず「S君と行く」と言って行くところとか、勉強が疎かになるどころか励まし合って勉強していたことも本当、応援していたんですよ。家にも何度も遊びに来てくれて次女など自分の彼のように慕っていて長男の高校受験の時も色々励ましたり勉強を教えてくれたりして、うん、高校生の付き合いとしては本当に安心してみていられる2人だったのです。しかし。。。。泊まりを許すかと言われれば・・・何でウソついて、何処か東京に行った女友達の家に泊まることにしてくれないの???="とすら思ってしまったバカ母の私なのでしたが・・・色々話し合い・・・一泊だけ、許しました。彼と一緒に渋谷に行き、アルタに行き、都庁に行ったのにたどり着かずハンバーグを晩ご飯に作ったそうです。彼も苦学生でビックリするような仕送りで頑張っているのも知っています。2人でウィルコムを契約し電話代がただになるようにして毎晩電話しています。(2年使うと機器のお金も相殺されてただになるんですが・・・2年続けるつもりなのね・・・。ただ、もし続くのならこれからも東京に行こうとするだろうし、その度に嘘をつくのも、つかれるのも辛いしねえ・・・。私の母には「なんて甘い母親や」と叱られました。(私のした悪事は母は見抜いていたのだろうか・・・)私も、それこそもし彼が東大ではなく無名の大学に行っていたらこんなに簡単に(簡単じゃないけどね・・・)許しただろうかと自問自答することもあったりして・・・。本当、子どもが大学に入っても子育ての悩みって尽きないものなんですね・・。
2008/05/18
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昨日に引き続き小学生の携帯について。今日、小学生の2割(でしたっけ?)近くがしらない人とメールしたことがあると言う調査を小耳に挟みましたが。実は今日、ウチの小学校でも休み時間に女子トイレで隠れてメールしていた女の子が見つかり、みんな学校にいるときなのに、誰と?と言うことになって問いつめられたら・・・あったことのない中2の男の子が相手だったそうです。その学年は去年の1週間の自然学校にも携帯を持ってきていた子がいたそうですが。そういう話を聞いていつも思うことはいったい親は何をして居るんでしょう?どうして自分の子どもが携帯を持って学校に行っていることが分からないのでしょう?私は携帯を持たせてしばらくは置き場所を決めて自分の部屋ではメールをしない(メールをするならリビングでする)と決めていたので今家に子どもたちの携帯があるかどうかすぐわかりました。こういう世の中ですから携帯を持つ年齢が下がってくるのは仕方ありません。しかし、ちゃんと親の言うことを聞かせる。自分の管理下に子どもの携帯をおかせる自信のない人はやっぱり持たせるべきではないと思います。子どもに携帯の色々な機能を使うことを我慢させる、それをさせるためにはまず、親が色々な我慢をしてたくさんの時間を使い子どもに教えていくべきでしょう。便利さを共有するためにはそれなりの犠牲も払わなくてはいけないと思います。 しかし、一日のメール件数が50件の中学生とかがたくさんいるそうです。娘がそれを聞いてひとこと「あ~時間勿体ない!!」
2008/05/16
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今年、全てのDUTYをすましてしまおうと目論んだ私は人権教養委員と子ども会世話役をお引き受けしています。子ども会というのは「預けている内はいいんだけれど役員が回ってくるのが嫌」と、敬遠されがちですがそもそもその発想がおかしいと思うのです。加入している親みんなで運営する。世話役は、たまたまその年のまとめ役に過ぎず本来全部の親が関わるものだと思います。と言うわけで去年まではなかったのですがまずは親の顔合わせ会をすることにしました。忙しい時期、午前中にも拘わらず半分近い保護者の参加があり、盛況でした。自己紹介・昨年度の反省・今年度の事業予定とお手伝いのお願いなどの議題が進んでいく中今年、こちらから特にお願いしたのは「子ども会の行事に携帯電話を持ってこないで欲しい」と言うこと。ウチの小学校校区が結構不便なこともあり小学校でも塾デビューが携帯デビューという子どもが多いです。(少し時代が違うとはいえ高校生になるまで持たなかったウチの子どもたちは偉かったとしみじみ思う・・・)子ども会でも、解散場所からみんな「お母さん~迎えに来て~」と電話をさせる親が多いので、行事になるとみんなが携帯を持ってきたそうです。昨年度のバスツアーの時はバスの中でみんなが画像やデータをやりとりしたり寝ている子の寝顔を撮ってみんなに送ったり携帯を持ってきていない低学年の子は加われないし役員さんは「なんだかなあ・・・」という感じだったとか。そういえばうちの娘も子ども会や青少年愛護協会の行事に行くと「私も携帯が欲しい~~~」とむくれていたのはそういうことだったのね。ボウリングの時にはある子が携帯電話をトイレに流してしまい配水管を詰まらせて賠償問題に発展しそうになったとか。どうしても連絡が取りたい場合は役員の電話を貸しますのでと言うことで携帯は持ってこないという約束にしました。みんな、守ってくれますように。
2008/05/15
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私の図書ボランティア歴はかれこれ12年ほどになります。月・水・金の2時間目と3時間目の間の25分休みに図書室を空けて貸し出しボランティアとお話ボランティアにわかれて子どもたちにもっと本に親しんでもらおうという試みです。総勢40名ほどのボランティアが活動しています。お天気の良い日はなかなか集まりませんがまあ、子どもの生理的には当然のことかなと思っています。いつも図書室にいてばかりの子は、それはそれで心配だったりします。そんなデューティーの活動とは別に我が校の図書ボランティアの一大イベントが「読書集会」。1年生から4年生までの子どもたちにそれぞれ授業時間を1時間頂き、色々なお話をします。近隣の小学校も結構図書ボランティア活動は盛んなのですがこの10年ほどでものすごく変わったなあと思うことは読書集会がおかあさんたちの発表会化しているのではないか?ということなのです。ペープスアートを作り、背景に凝り、それぞれのお母さんが配役を担当し、読書集会の前1ヶ月ほどは世話役を中心に学校に貼り付いて準備をします。昨年は「スイミー」をみんなで作りました。海の背景を筒状にしてくるくる回してそこを糸でつり下げられたスイミーが泳ぐというものすごく良くできた作品でした。その他、今までに作ったペープスアートだとか、OHPを利用して、各学年4つほど色々なお話をしました。子どもたちには、とても楽しいひとときのようです。でも・・・・私は何だか、コレは読書集会なのか・・・?と思うときがあるのです。私は本が好きです。好きな本が映画化やドラマ化されるのはあまり好きではありません。自分の中の世界がこわされてしまうように思うからです。本の中にある少しの挿絵と自分の想像力だけで果てしない世界が広がるのに形にされてしまうとそこだけに限定された世界になってしまいます。以前は地域の人たちが自分の選んできた本を読む、たったそれだけが「読書集会」でした。プロではありませんからみんな悩みながら、一生懸命練習して自分たちの選んできた本を読みました。子どもたちも一生懸命聞いていてくれました。お母さん達に特有の「やり出したらとまらない」「どうしてもサービス過剰になってしまう」特徴が現れているように思います。私は今から10年前(・・・年を感じるぞ)3年生(ちょうど上の娘の学年でした)の読書集会が当たったのでもう、迷いに迷って吹田のクレヨンハウスまで本を探しに行きました。そこでそのころは結構珍しかった落語の本を見つけました。子ども向きですが、絵本ではなく、読み聞かせ用です。それを練習して、練習して、本番に望みました。結果は大好評。「さらやしき」と言う落語でしたが大ブームになり、娘のクラスは3学期のお楽しみ会に有志がその落語を紙芝居にしました。娘が「お母さんの落語よりずっと上手にできたよ!!!」と言ったとき、こんなに嬉しい、光栄なことはないと思いました。それ以来、ずっと中学年で落語を読ませていただいています。今は「にほんごであそぼ」等のテレビ番組もあり、子どもたちが落語に接する機会も沢山ありますがやはり生で聞くのは違うようです。(って、別に落語じゃなくて、それを読んでいるだけだけれど)去年は4年生でやったのですが感想文でも一番人気でした。どんなに手間を掛けて、たくさんの人の手の入ったものでも一人のシンプルな読み聞かせに叶わないことがある。そこには子どもたちのものすごい想像力があるからだと思うのです。海の背景はそこにあるだけだけれど小さな絵本なら、その向こう側にある無限の大海原を想像することが出来る。勿論、「観劇会」や「人形劇」ならそれはそれの魅力があると思います。しかし、これは「読書集会」なのですから・・・と思いつつも、まあ、たくさんのお母さんが関わるのは良いことだし・・・「一人で読むなんてとんでもない」と言われるお母さんも分担したら読んでもらえるし・・・。と、意見をするところまではなかなかいけない私です。
2008/05/13
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娘が大学で3年ぶりに同級生F君と再会した。小学1年生からものすごく仲良しでいつも2人でつっこんだりぼけたりしていたためそこのお母さんと「将来は吉本に入れて夫婦漫才をさせよう」と相談していた。娘が小学3年生から紅一点で入ったサッカークラブにもF君は居て、クラスが離れても6年生までずっと仲良しだった。しかし、そのサッカークラブは同学年13人の中10人が私立中学を受験し、一人が留学するというとんでもないところで5年生になって塾が厳しくなってみんな辞めてしまう。娘とF君が残ったが、娘もミニバスが中心になり、娘の学年のサッカー部は居なくなってしまった。何度も書いているが、娘の通っている小学校は約半数が私立中学を受験すると言う異常な(と私は思う)小学校で私立中学の受験日は授業が成立しないので学年みんな(元々2クラスしかない)で外給食を食べたりゲーム大会をしたりする。5,6年生になって少し多めの宿題を出そうものなら「ウチの息子を殺す気ですか(塾の宿題が多くて大変なのに」おかしいぞと先生に電話が掛かってくる。下校前には校門前に塾に送っていくための保護者の車が並ぶ何だか漫画のような小学校である。そんな中で、高学年になると受験しない子どもたちも本当に色々なことを我慢しなければいけない。娘のミニバスも4年生の時には10人以上いたのに5年生になると5人になってしまい、下の学年を入れてやっとチームが出来ていた。娘とF君は地域の中学に通い、娘は国立の附属高校、F君は今私の息子の通っている市立高校の理数科に進んだ。F君は高校でフットボールを始めてずっと最後まで続けた。大学ではもうしないと言っていたが先日F君は京大ギャングスターズの監督から「個人的に会いたい」と言われ、スカウトされたそうである。(そりゃやるしかないよねえ)娘を公立中学に行かせると決めたとき他の保護者から「公立で良いと思って居るんだけれど公立中学からじゃ進学が心配」と何度も言われた。でも、こうやってちゃんと進学できた。私立中学に進学することは悪いことじゃない。サッカーの友達もそれなりの進路を歩んでいるようである。国立の医学部に進学できた子もいるらしい。でも、公立でも大丈夫だと、それだけは声を大にして言いたい。小学校のあのときしかできない色々な遊びの時を満喫できたことを今はとっても良かったと思っている。フットボールの応援、行こうかなあ~
2008/05/12
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1年3ヶ月ぶりの日記です。全く何をしていたんだか・・・実は、日記を書いていない間、主人がサンフランシスコに在外留学しており、毎日のように家の様子をメールしたり、スカイプで長電話するので日記を書くという行動がそれで満足してしまってブログは全くお留守になってしまっていたのでした。今日から全く一年生で始めるつもりで頑張ります!まずはこの一年間で、子どもたちは一番上の娘は、父親のいない一年間荒れもせず頑張り、京都大学に現役合格しました。2時間くらい掛かるのですが家から通っています。中学の同級生で、高校生活3年間、付き合い続けた彼氏は、なんと、東京大学に合格してしまい、ただいま遠距離恋愛を頑張っています。息子は第一志望の私立高校に不合格の後、この市では結構評価の高い市立高校に合格しました。バスケットの先生がとっても良いと言うのに惹かれて行ったのですがこの先生と合わず、苦労しています。相変わらず将来の夢は中学のバスケ部顧問です。下の娘は近くの公立小学校2年生になりました。全然家にいない姉・兄を気遣う我が家の接着剤です。私は今年度子ども会世話役・人権委員会委員(初めてのヒラ委員で嬉しい・・・)・相変わらずの図書ボランティア・なぜか卒業しても続けている中学校PTAコーラス・近所の公立幼稚園の子育て支援プログラムの先生と、今年はどっぷり学校、地域に浸かっております。写真のアップの仕方も絵文字の使い方も全部忘れておりますが、少しづつ勘を取り戻していけたらいいなと思っています。よろしく~~~
2008/05/11
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色々検討してdocomoのSO903iの黒を買いました。SDカードにPCから音楽がいれられるやつです。アドレスは自分の名前・好きなNBA選手の名前・そして、この間不合格だった高校の受験番号。この悔しさを忘れないために。だそうです。結構彼の回りはダメだった子もいて、やっぱりなかなか15の春は厳しいです。初めての挫折の子どもも多く、この経験がそれぞれ生きたらいいなと思います。とはいえ、中学受験とダブルで同じ学校にフられている子もいます。きついだろうなあ・・・と、思います。さて、最近困っているのは、テレビが面白くないこと。私は、何と一度も「あるある大事典」を最初から最後まで見たことがありません。健康法に全く興味が無かったのでだからあの騒ぎの時もそっか~みんなちゃんと信じていたんだなあ・・・と感心するくらいでした。だから、腹も立たないし、そんなものだろうとクールに構えていたのですが。ヤラセも当然あると思っていたし。(経験から)しかし、あんなやってもいない実験を報道したり言ってもいないことを字幕で伝えたりという手口が明らかにされるとものすごく白けてしまいます。そこまでやっても何のチェックもはいらんのなら他の番組でも多かれ少なかれ全くないわけがない。とにかく全ての番組(ニュース/ドキュメンタリーは特に)で、いくらでも捏造の仕方が思いついてしまう私。そりゃあ、ヤラセはあるとは思っていたけれど最低限の線は踏み越えていないって何となく信じていたんだなあ・・・ものすごく性格が悪いと思っていたけれど結構信じやすかったのね・・・と、新しい自分を見つけたような気分です。ドラマしか見るもんないわ~~~でも、今回は何だか食指が沸かず(実生活の方がスリリング)結局定番の「華麗なる一族」しか見ていません。鈴木京香さんの役は何と、私の母の先輩がモデルだそうです。(実際に凄い人だったそうです)母の時代の人も懐かしがってみんな見ているようですね。何だか今日はとりとめがなかったなあ・・・ちょっと心がお疲れです。と言うか、あ~くたびれたって感じ。
2007/02/14
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残念ながら、息子は不合格でした。応援してくださった皆さん、ありがとうございます。息子もちょっと落ち込んでいましたが、もう、次に向かっています。息子曰く「あのね、ラモスはね、ドーハの悲劇の後に『神は我々から取り上げたのではない。与えたのだ。』って言ったんだよ。」本当に。素敵な未来を与えてもらったと思えるように。ガンバレ!
2007/02/11
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2日間に渡る息子の入試が終わりました。社会を除く4教科。90分ずつの試験で、へとへとになって帰ってきました。出来は・・・?色々言っていましたが、あすの発表で全てがわかるでしょう。う~~~ん、険しい道なのは、わかっていたことですから。息子の受験で、私も色々なことを学びました。何より思ったことは、「勉強でも何でも、自分でやろうと思ってすることにかなうものはない」ンだなあと言うこと。何度となく勉強しない息子を叱りつけ机からまっさらのワークブックを見つけて激怒し、もうクラブも辞めてしまえと叫んだこともありました。それでもふくれるだけだった息子。それが目標が出来てから買っても買ってもなくなる大学ノート。ゲームにも見向きもせず、あれだけ好きだった「月刊バスケットボール」すら読まなくなった。息子は元々小学校の懇談などでも「良い子」「素直」などとは言われていましたが「賢い」と言われるタイプでは有りませんでした。中学受験の盛んな私の地域では、こういう子は中高大一貫の私学に進みます。私も何となく、彼は、そこに入れたら御の字のタイプだろうと思っていました。多分、中学受験をしていたらその学校に行っていたか、それとも不合格だったか・・・中学に入ってからも私は何となく彼はその学校に高校から入って楽しい高校生活を送り、エスカレーターで大学に進めばいいと思っていました。周囲も何となく彼はその私立高校に・・・と思っていました。私の中では彼の進路はそこに行けたら大成功だと思っていた。子育て大正解!だと思っていた。いつの間にか自分の中で子どものゴールを決めていたのです。でも、息子はその高校を受けるのを拒みました。良い先生もいて、施設も素晴らしく、何より父親が学んだ、理念の素晴らしい私学。でも、「自分は大学受験にチャレンジしたい。」と言い張り、1.5次だけでも願書を出したら・・という勧めも断って。その高校なら余裕で合格できる成績を残して。もし中学受験をしていたら、彼はこういう目覚め方はしなかったでしょう。(もちろん、素晴らしい教育を受け、違うところが目覚めたかもしれませんが)彼が今回受験した高校の附属中学はそれこそ「賢い」「小学4年から塾通い」の子どもたちが行った中学です。小学生の時には、いえ、半年前まで彼に受験させようなんてゆめゆめ思えなかった所です。それが自分の力で学校を決めて苦手の英語は塾の先生を捕まえて勝手に1ヶ月補習をさせて拾得し(それが11月だよ~~~遅すぎるよお~~~)模試の結果がどんなに悪くともめげずとりあえず入試が終わってからも「歯が立たなくはなかった」(・・・微妙だ・・・)という感想を残せるほどになったこと。子どもは、親の思いもよらない所に伸びていくのかもしれない。知らず知らずの間に親は子どものレールを敷いているのかもしれない。伸びようとする子どもにストップをかけているのかもしれない。私はそんなことはないと思っていた。のびのびと子どもを育てているつもりだった。確かに早期教育をさせたり、受験をさせたりはしていなかったけれど頭の中では思い切り子どもの限界を決め、「この子はこういう子」と決めつけて育てていた。息子は中学校で素晴らしい先生に会い、塾の先生と接して友だちと話す中で私の殻をこわしてくれた。子育ては難しい。本当は「信じて待てること」。「信じて待てるだけの本当の力を子どもにつけること」が大切なんだろうな。受験が終われば息子もやっと「携帯デビュー」。色々頭の痛い日々が始まりそうです。明日の発表まで、しばし、静かな我が家です。
2007/02/10
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・・・・明日はとうとう息子の本命受験です。バカ難しい超進学校を受けると突然言い出して半年あまり。いつあきらめるか、いつ先生から「無理だからやめろ」と言われるか。半信半疑で眺めていたのに、いつの間にか願書も出し、受験票も頂いてきました。半年前と比べると、格段に実力はついたとはいえ合格圏内にはほど遠い模試の結果です。そりゃあ、出来たら結果を出して欲しい。でも、私の気持ちは「正直、結果はどうでも良い」と思っています。難関校を受けると自分で決めて、彼は本当に変わりました。人に頼らなくなりました。勉強時間も何倍にもなりました。(それまでが少なすぎ・・・)他人のことをあれこれ言わなくなりました。冬休みの冬季講習の時に「勉強、むっちゃおもろいで!」と言うようになりました。(やっとわかるようになったらしい。)とても険しい道でしたが、半年前との彼との変わりように親の方が戸惑うほどでした。一日だけ有った元旦のお休みの日。幼い従兄弟や妹の相手を思い切りしてくれて、みんなが帰ってからまた2時頃まで机に向かっていました。いくらでも彼の入れる一流私立高はあるのに彼はどうしても今の志望校が良いと頑張りました。冬休みが終わって塾の志望校別のクラスの中で上のクラスにはいることが出来ました。(最初は下のクラスのドンケツだったけれど)彼の志望する高校にはいるために中一から特訓する塾があります。その塾は、2月は毎日朝9時から授業がありだから、彼と同じ学年のその塾の子はずっと学校を休んでいます。そういう子が何人かいるために学校の雰囲気も乱れてきていて30人あまりのクラスの10人以上が勉強のために休んでいるクラスもあるそうです。息子のクラスは「全員出席・全員合格(どこかにね)」が、目標なので一人も休んでいないそうです。息子に、「休んで勉強したい気持ちになるでしょう」と聞いたら、「学校休まんと勉強するんが美学でしょう」と答えました。言うじゃん!受験勉強を始めてから半年の彼の成長は本当に、親として、信じられない、出来すぎたお話しって感じです。(それまでがひどかったのか・・・←特に勉強に関して)これで、合格したらそれこそ出来すぎたお話しなのですが。でも、決して成績がものすごく良かったわけでもない彼がここまで出来ると言うことは「ドラゴン桜」も、まんざら嘘ではないのかなと思うほどです。本当に、本人がやる気になれば出来るところは結構有るのかなと。子どもに教えられた半年間でした。悔いの無いよう、頑張って!!!
2007/02/08
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昨日の日記の続きで会長のことを主人に愚痴ると、主人は、「今は仲良し世界やから仕方ない」という。中学の修学旅行で子どもが嫌がっているから部屋割りを変えてくれと先生に電話する保護者がいるという。別にものすごい不良だとかメチャメチャいじめられているとかそういう理由もないのにただ、この子と一緒ではウチの子は楽しくないからと言う理由らしい。大体、もし子どもが修学旅行の部屋割りで愚痴ったら「そんなこと我慢しなさい」つーのが親だと思うのですが。そんな、嫌な子と一緒の部屋で自分の子の旅行が楽しくなかったら可哀想とか思うんだろうか。学校という社会の中で、色々な子と接して色んな思いをしてこそ、学校に行く意味もあると思うのだが。なんか、めげてしまっている私であります。私がおかしいんかなあと思ってしまうわ。
2007/01/21
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あ~~~知らない間に時は過ぎ・・・あっという間の一ヶ月。幼稚園のコーラスの練習も始まり、生まれて初めての指導&伴奏。父母の会の大行事「おもちつき大会」の企画。加えて次年度の役員選考とここへ来て毎日のように幼稚園お残りの日々。先日、やっと会長が決まりました。この次期会長Aさん、色んな人に打診してもいの一番に名前の挙がるダントツのド本命。もちろん一番にお願いするが、断られる。そこで、色々な方に当たるが転勤の可能性大だったり、色々な理由で断られる。で、冬休み前にもう一度お願い。冬休み中考えますと言うことで新学期そのお答えを待つ。と、冬休み明け一番に断られる。あちゃああ~~~と言うことで、急遽、まだお願いしていなかったBさんにお願いに行くと、ちょっと考えたいと言うことでお返事を頂く。これは、ひょっとしていけるかも。。。と思っているとAさんから今の会長さんに電話でBさんとは一緒に仕事が出来ないので(Aさんは副会長ならしても良いと言っていた)Bさんが会長になるなら私は役員はしない。Bさんが断られるなら、会長を引き受けても良いです。じゃあ、何で今まで断ってたんだか。今更Bさんを断るわけにも行かず返事を待っているとBさんが断ってこられたので(ここにも何か裏がありそう)Aさんに落ち着くこととなった。決まると、Aさんは父母の会役員7人の内5人を自分の今のクラスから選びメチャメチャ張り切って毎日過ごしておられる。昨日、私が有る幼稚園ママと話していたら、したり顔で、彼女に「Aさんも色々ずっと悩んでたからねえ・・・色々相談にも乗ってたのよ。」と言われものすごくかちんと来た。そんなことを他の何人かのママからも聞いたのだ。もし、引き受ける気が最初から無かったんなら、そんなことを軽々しく相談するべきではない。幼稚園歴も長いのだからどんな仕事があるか、どれくらいの仕事量かなど先刻ご承知のはずだ。彼女にお願いしていることが評判になったら自分が断ったとき、次に引き受ける人は嫌な思いをするではないか。私も一度、断り続けたことがある。2ヶ月断り続けたが一度も「考える」とは言わなかった。「絶対に引き受けられない」と言い続けていた。そして、そのことは絶対に誰にも言わなかったし、相談もしなかった。(その時は役員さんの方が口が軽く私が断り続けていることは何故かみんなが知っていたが)仕事は出来る人だと思うし、引き受けたからには一生懸命される方だと思う。でも、この方のやり方はあんまり好きにはなれないなあと私の個人的な意見だ。彼女の元で役員でなくて良かったと思った。もちろん、誰と一緒なら出来ないとか、するとか、そういうことは申しませんが。これから、またそういう流れの中に入っていくんだな。正直言って、長女の時よりも保護者の「仲良しだけで集まる」傾向はものすごく増えているように感じる。まあ、私は今更仲良しも何もないですが。私の仲良くなる人はやっぱり同じ「一人でも平気なの」タイプなのでお互いにべたべたはしないので・・・。実は私友だちいなかったりして・・・
2007/01/20
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先週の水曜日です。息子が、給食も食べずに早退してきて、「しんどい、気分悪い、しんどすぎる」と、そのままベッドに直行していきました。熱はないと言うし、保健室に行ったわけでもないというので、どうもおかしいなあ・・・と、部屋を覗きに行くと、「学校が重い、空気も、何もかも重い・・」涙目で、それだけ言って布団をかぶる息子。一週間前からの万引きやら色々で疲れ果てているようなので、これはもう、早い冬休みに入っても良いかあ位の気持ちでいると、担任の先生からK君おかしかったんですけれど・・・と電話。(一応、担任の先生に言ってから早退してきたらしい)こんな事言って、寝ているんですが・・・「わかりました。ちょっと様子聞いておきますね。」と言われる。後で先生からは電話があり、嫌なことを言う女の子とかなりやり合ったらしい。結局その日は塾も休み、ゆっくりして早めに寝る。次の日、休むのかなあと思ったら、「体育がソフトボールだから行く」と言うことでまあ、たいしたことじゃなかったんだなと一安心。次の日のクラスは結構大騒ぎだったらしい。息子について事情徴収されていた子。何だかみんな妙に息子に気を遣い、息子は色々迷惑をかけた子に謝って回ったと言っていた。帰ってきて、「偉い騒ぎになっとったわ。」と言いつつ、ちょっと嬉しそうな息子。「それでもなあ、僕何も悪いことして無くてもやっぱり自分のことで先生に呼び出されたりした子には謝るで。こんなこと言うて良いンかなあとか、色々僕のことで悩んでくれとるもんなあ。そやけど○○は、自分が悪いことして、そのせいで俺らが呼び出されたりしても『どない言うて叱られたん?』とか、『俺は思うてたより叱られへんかったで』とか、そんなことしか言いよらへん。結局先生達も、あいつに反省させたり出来てへんのちゃうん?」「そんなん、反省してるかどうかなんて誰にもわからへんし、例え今凄く反省しててもまたやったら同じことやろ。それは、○○君がこれから一生かけて見つめていくことやン。そやけど、別に俺は反省してないなんてこと、あんたらに言わんでも良いよね。ほんまに腹黒かったら、反省してるふりだけしてたら良いねんもんね。何であんたらにそんなこと言うンやと思う?」「ガキやからや!」「ホンマやなあ、きっと、そんなことでも言うてあんたらに相手してほしいねんで。ガキのスカートめくりと一緒や。でも、スカートめくりは大人がやったら犯罪や。人間には正しいサインの出し方という物があるよ。小さいウチは喋るのも下手やし、色んなサインで周りの人に気づいてもらう。でも、間違ったサインの出し方にいつまでもみんなが反応していると、サインの出し方の間違いに気づけないよね。」「だから、難しいけれど、出来たらそんなこと言うて来てもみんなが無視できたら一番良いン違うかなあ。まさか、○○君も四六時中嫌なことばっかり言うてるわけちゃうねんから、普通にしてるときに、普通に接することが出来たら、○○君もあ~変な技使わんでもみんなと普通にいられるってわかって来るやろからね。でも、無理したらアカンよ。嫌なときはいややって、ちゃんと言うし、喧嘩もしてええねんよ。そういうこと教えられるのも子ども同士の付き合いだけやねんからね。○○君のことで、なんでやろうとか、どうしてあんな事言うンやろうとか嫌な気持ちになるよりは、スカートめくりやと思って、無視した方が楽かなと思っていうてるだけやで。」「そうやなあ、おれは、みんな色々よってきてくれて、先生に聞かれたときこんな風に答えたでとか教えてくれたけれど、みんな○○に寄りつかんと、知らん顔してたもんなあ。」「それは、それだけのことしてんから当たり前やけれどただ、あんたもそれで味しめて何度も早退したりしたら、誰も心配してくれへんようになるし、それはやっぱり間違ったサインの出し方やねんで。」「そんなことわかっとうわ!」自分は何故ちゃんと校則を守るのか。何故頑張るのか。色々な友だち、適当に、勉強もせずフラフラしている子達を見るにつけ、自分の位置・自分はどうしていくのかが揺らいでいるように思っていた。問題を起こせば、周りが騒いでくれる。何度も話を聞いてくれ、親もその子のことでかかりきりになる。しかし、ちゃんと、普通に普通のことをやっている子はともすれば忘れられる。ちゃんとやって当たり前になる。それはとても素晴らしいことなのだけれど、不公平に感じられることもあるのもわかる。誰かに認められるためではなく自分のために。誰かに喜ばれるためではなく自分の喜びのために。誰も知っていなくても、自分は知っているのだから。
2006/12/21
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う~~~ん、昨日一日、煮えくりかえっておりました。最近、主人にも「凄くアグレッシブ(攻撃的)になっていないか?」と聞かれ、だって、万引き事件とか万引き事件とか万引き事件とか腹の立つことが沢山あるんだもん!という感じなのですが。一昨日は一昨日とて幼稚園からピンクのお手紙。要は、「お母さん達の企画したクラスごとの集まりをやめてくれ」という内容。実はうちの幼稚園、年度初めに「クラス委員さんにお母さんの集まりなどを頼まないように。」「クラス全体・各部でのお食事会・お茶会などはお控え下さい」と言われている。でも、みんなやりたい。特に、子どもと一緒にクリスマス会やお別れ会。何かの代休の日には公園に集まって、お弁当を食べたりもする。その中で、誰を呼んで、誰は呼ばないで・・・と言うより、クラスみんなに声をかける方が、大変だけれどある意味トラブルがない。だから、委員以外の人が発起人になったり、手紙を回すときも「これはあくまでも私的な物で、強制ではありません。(当たり前だ)」等の文言を入れ、お弁当を頼んだり、おやつを用意したりするのが恒例になっていた。その手紙には、「残念なこと」として、あんなに集まりをやめてくれと言われているのに、複数のクラスでクリスマス会が企画されており、且つそれがクラス委員の名前で出されていることが書いてあった。(でも、クラス委員に頼むなとは書いてあったが、自分からするなとは言われていないぞ)・・・・・・・・・・・そんなの、クラス委員に注意すれば良いんじゃないの?口頭で。出したひとわかっているんだからさ。幼稚園全体にわざわざピンクの紙で(いつも今時ざら版紙なのに)配るほどのことなのか?でもって、これは幼稚園の委員の問題。委員の、いわば不祥事。ならばまず、役員会になにがしのおしかり、ご意見があってしかるべし。突然こんな手紙出されちゃあ、立場無いではないですか。役員を引き受ける時、「幼稚園との橋渡し」と言われていたのは、あれはウソかい。わしら(あ~幼稚園ママとは思えない品のなさ!)、講演会やらお話し会やら移動動物園やらもちつきやら行事の下請けかい。「役員会として、幼稚園との橋渡し役をきっちり務められず、結果、幼稚園の信頼を得ることが出来ずこのようなプリントを全父母の会役員に配られてしまった」責任を取って、辞任しますって、黄色いプリントでも配ろうかなあ。大体、何でコミュニケートしないのかなあ。どうして言っても言っても言っても言っても「クラスごとの集まりの禁止」は守られないか。そのわけを知りたくないのかなあ。わたしゃ、そんな集まりは全然要らんと思っているがしかし、そういう集まりを企画することでお母さん達が色んな事を考えたり、知恵を出し合ったりするのはなかなか良い勉強だと思っている。まあ、お母さん達による幼稚園ごっこって感じかな。幼稚園も禁止禁止と言うだけで、何でダメなのか説明がない。本当は最初の役員会ででも何でダメなのかちゃんと聞いておけば良かったのだが、あんまりそういうことをしっかり聞いてしまうと却ってやぶ蛇というか、もう、何が何でもダメ!という感じになってしまうかもしれない。幼稚園も、実は大人に「見て見ぬふり」で、でも、幼稚園側は一切責任を負いませんよ~と言うことで「禁止です」と言っているのだと思っていた。そしたら、本当に禁止だった。(今までのはばれてなかったのかな?それはそれであまりにわかって無すぎるが・・・)「派手なつきあいはおやめ下さい」とか言うけれど、私は、今、親として一番大切なことはどのように子どもを育てるかはっきりした指針を持つ、持とうとすることだと思う。みんなが派手に付き合っておろうが、ウチは付き合わんと決めたら付き合わん。付き合いたければとことんやる。まあ、浮かない程度に付き合っておく。どれも、生きていくために大切な知恵だと思う。何でも何でもみんなに合わせていたら、絶対に破綻する。幼稚園ママのつきあいなどはそのためのものすごくいい訓練場である。みんな一緒が好きな幼稚園ママ達の中で私はこれはするけれど、これはしない。そういう何か、自分の意見を持つ訓練が出来る。幼稚園が、そこまで関わらなくて良いと思う。むしろ、出来るだけそういう場を提供して欲しいくらいだ。「親育て」のために。まあ、そこまで求めるのは気の毒だから、せめて、外では勝手にやらせたら良いんじゃないかな?
2006/12/10
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30点満点の30点です。つまり満点。と言ってもウチの息子ではありません。・・・いえ、ウチの息子も勿論30点です。漢字検定準2級はダテではない。息子の教え子です。一ヶ月に一回漢字テストをする息子の学年。問題もわかっているのですから、ほとんど満点に近いのですが、クラスごとに、25点以下の子の数を争っています。先月は、25点以下が3人もいて、1組に負けました。その中で一人、4点という子がいました。その子が息子の教え子です。「せっかく合唱コンクールで優勝したのだから、この勢いで漢字テストも優勝だ!」と言うことなのか何なのか。次の漢字テストまで一ヶ月。期末テストの日以外はずっと、毎日10分、息子と、彼と、誰かが放課後残って勉強。何と、前回の7.5倍という驚異の伸び!(あ~~~息子の模試もこれくらい伸びない物かしら)他に残る子は色々変わったらしいですが、息子は委員会の日以外はいつも残って、彼と一緒に勉強したらしい。「あいつ、最近は、授業中にノートも取ってるで」3年の今からで、多分普通科の高校は無理かもしれないけれど、彼もちょっとは「やったら出来る」と思ってくれたらいいね。「僕、やっぱり先生に向いてると思うわ」甘いかも・・・あんなに素直な生徒ばかりじゃないよ。
2006/12/09
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息子は、今日は同じ塾で男バスの2人と一緒に呼ばれて学年主任の先生に話を聞いてもらったようです。学年主任の先生はおばあちゃん感覚の先生でどちらかというと行け行けどんどんではなく良いよ~よくやってるよ~頑張ってるよ~という感じの指導で、物足りない面もありましたが。このようなときにはそういう癒し系?の方が良いようで。子どもたちも思いの丈を聞いてもらったようです。学年主任の先生は○○君の言動に対して彼らの前で「許せん!」「信じられん!」と、ものすごく怒ってくれたようで、それを聞きながら彼らは少し落ち着いたようです。息子自身「万引きは悪いことやとわかってるけれど、僕自身の中ではあの後にあいつに『あんまり叱られへんかった』とか『お前らはどうやって叱られたん?』とか聞かれた方がものすごく腹が立ってン。いまの俺らにそれを言うンか!!!って。法律に違反しなくても許せんコトって言うのがあるねんなあ・・」「でも、あいつが『あんまり叱られへんかった』って言ってたのは(顧問の)先生のことで、今日は、学年の先生にメチャメチャ叱られてた。でも、(顧問の)先生が叱らへんって、ある意味、一番怖いことやで。見捨てられたって言うかなあ・・・叱られへんって言われても、全然うらやましないわ・・・」 「もう、絶対許さへん思うてたけど、目の回り真っ赤になってる○○見たら、もうええかなあ・・・僕まで無視せんでも良いかなあと思うようになったわ・・・何かなあ・・・ええ気分のもんちゃうしなあ・・・」一昨日まで、「高校行かすな!内申に書いたれ!」と荒れ狂っていた息子が、聞いてもらって、落ち着いている様子が面白い。でも、あれだけ怒れたから、落ち着いたのかとも思う。正直、○○君のご両親には納得のいかないことも多いがでも、そういうご両親だからこそと言うところもあり、そこまで私も関われないというのが本音である。息子からは、他の子達の万引きの話は一切でない。「彼」のことも知っているのか知らないのか。でも、知っているとしても、いまは彼が話したくなるまで待っていようと思う。聞いてもらうことは大切だけれど、自分の中でしっかり熟成させる思いも大切だから。ところでウチの気の強~~~~いお姉ちゃん。私と先生達の電話を聞いて、色んな事をわかり。「そんなん、絶対先生になんか言わへんに決まってるやン。(さてはあんたも色々あったな・・・)そんなことで(息子)が叱られるなんて全然おかしいわ!」そして、息子に、「あんたなあ、卒業式で絶対泣いたらアカンで!こ~~~~んな中学こっちから喜んで出ていったらあ!!いうて、笑いながら卒業すんねんで!」・・・・おっとこマエである。息子の方が、「でも、友だちと別れるのは悲しいし・・・」と、煮え切らない。とりあえず、我が家は安泰に向かいつつある。先生達、がんばってえ!!(ヒトゴト?)
2006/12/08
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