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皆様、ごきげんよう(笑)。お付きあいの長い方は、もうお気づきですね。ひよきちが「 ごきげんよう 」などと口にする場合たいてい何かあった時であります。「・・ごきげんよう 」と、元気なく微笑むひよきちの左足には大きめのガーゼが巻かれ部屋の中を移動するときには「 いててて 」と独り言ちつつよろよろよろとしております。ものの15分も立ってはおられませぬ。・・・夕暮れ時、家の前の溝にはまり( 何してたんだ )左足の弁慶の泣き所をざっくりと切り、両足首をねじり、そのまま道路に倒れ伏したひよきち。散々ではありましたが、頭を強打しなかっただけでも有難いことです。あれからかなり日数は経っておりますが、場所が場所だけにやはり痛い(涙)。日常生活にもかなり支障が出ております。完全に良くなるまでまだまだ時間はかかりそうですが何とか、頑張ります。 b(*`◇‘ ) 慌ただしい年の瀬、どうぞみなさまお身体にはくれぐれもお気を付けくださいませ。
2020.12.22
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多忙ゆえ、日記もなかなか更新できません。仕事・家事・義母の病院付き添い。加えて自身の体調不良。体力の無さを気力で補っている感覚。これから年末にかけ、さらに忙しくなってゆくのでしょう。・・・この「ひよきちわーるど」も20年目に入りました。この間に、本当にいろいろなことがありました。恙なく、この空間にいられることに感謝です。2001年10月、35歳だった私へ。現在、2020年10月、54歳。文体も、日記の内容も、そして私自身も変わった。でも・・自身の核となるものは変わっていないように思う。そして たぶん、これからも変わらない。この空間にこんなに長くいるとは思ってもみなかった。随分、遠くまで来たのかな。これからも この場所で、ずっと生きていく。 2020.10.30
2020.10.31
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時は晩秋。腹痛の起こったのが春3月であったことを思えばなんと長い時間が過ぎてしまったことだろう。地元の病院でどれほど無駄な時間を費やしたことか。そのことを深く後悔しつつ神戸の病院へと向かう。診てくださったのは副院長先生だった。診るなり 先生は「 これはひどい、炎症がかなり広がっている。 」と仰り私の顔をご覧になりながら「 今まで痛かったでしょう。すぐに手術をしてあげますからね。 」と言ってくださった。・・・思えば 十数年も前、口腔外科を一度受診しただけの患者が 紹介状もなく、何の予約も無しにいきなり病院にやってきて「 手術をしてください 」とお願いしているのである。常識で考えれば あり得ないことだった。・・確かに紹介状のことも気になって仕方なかった。しかし 紹介状を書いてもらうにしても一度は「 診察打ち切り 」と言った外科医のもとに、そしてあくまで「 ただの虫垂炎だ 」と言い続け「虫垂が破裂したからといって、何がどうなると言うの?」と言い放ったその外科医に紹介状の依頼をしなければならないのである。そしてその外科医とて、毎日外来の診察をしてるわけではないのだ。一通の紹介状をもらうのに 一体どれだけの労力と時間を必要とするのだろう・・・と暗澹たる気持ちになった。そして その間にも、一番最初に診断してくださった内科医の「 虫垂が破裂したら取り返しのつかないことになるんです 」との言葉が常に心にあった。痛みは日増しに強くなり、夜、一睡もできない日さえ出てくるように。こうしている間にも、いつ虫垂が破裂するか分からない。そんな縋るような思いで、神戸に向かったのだった。診察室で 激痛に苦しむ私に「 痛かったでしょう 」と寄り添ってくださりすぐに手術の手筈を整えてくださった先生のことを、私は、生涯忘れない。・・・どんなに有り難かったことか。診察を終え 病院を出た私の前に広がっていた南京櫨の並木。その美しさに息をのんだ。紅、黄色、橙、緑、黄緑の葉が風に揺れまるでおとぎの国のようだ、と思った。足元を見れば、駅まで続くムービング・ウォーク。断続的に続く痛みのため、普通に歩くことさえできなくなっていた私にとってそのまま駅まで運んでくださる設備は本当に有り難かった。見上げれば「 大丈夫だよ 」と言ってくれているような秋の樹々。そして 私の切実な願いを受け止めてくださった副院長先生。こんなにも温かな病院があっただろうかと、目頭が熱くなった。
2021.02.18
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ふとカレンダーを見れば、何と2ヶ月も日記を更新できないでいました。義母の入院・仕事・体調不良とただただ慌ただしかったこの日々。また、この楽天にて日記を更新していきたいと思います。
2021.04.18
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3月3日の日記( I see your true colors)を受けてちょっと自分を改造してみようかなどとそういう気持ちにもなってきた。今回の改造計画案の「骨子」はそう、「色」である。ちょっとずつ黒やグレーといった色からパステル風に脱皮していこうではないかという(40を前にした女性がこんなこと 目指してもよいのだろうか。)無謀な(そしてちょっぴり心躍る)計画ではある。いきなりパステル風に変身し、周りを驚かす結果となってしまってもいけないのでまずは家の中で変身を開始することにした。いつもはストレートの髪をひとつに纏め上げいわゆる「ひっつめ髪」にしている。「日本女性は さらさらの黒髪でいなあかん。」との頑固な夫の意向(笑)で髪にはパーマをあてず染めてもいない。ま、まず この「ひっつめ髪」をば中止してみてはいかがであろう。そこでカチューシャなるものを引っ張り出してくることになった。ついでこの眼鏡を外してみようではないか。ひよは極度の近眼で眼鏡がないと実は何も見えないのだけれど。そしてたんすの中からモスグリーンの上下を取り出してきた。まずはこの無難な「モスグリーン」から始めてみようという企てである。そして徐々に「パステル」へと移行していく計画である。スカートの裾が「更紗模様」になっていてこれはこれでよいのではなかろうか。え・・・後は夫の帰りを待って彼の反応を見てみようというわけである。ふっ。ちょっと楽しみ。「似合うよ。」なんて言ってくれたらやっぱり女性として嬉しいよね。そして その何時間かあと。ちょっぴり胸をどきどきさせている私の耳に「ただいま。」との夫の声。ちょっぴり心も軽やかに更紗のスカートをなびかせて玄関にお出迎え。彼は「お!?」と言い私をじっと見つめていた。彼はやさしく微笑みながら「あ、分かったぞ!」と言って私の髪に触れるのである。「一体何がわかったのだ?」といぶかしむ私に彼は こう言うのである。「冬物の服、みぃんなクリーニングに出してもうて 着るものないねやろ?」「だから言ったやんか。 慌てて全部出してもうたらあかんでって。」「そんな薄い服着て 風邪ひいてまうで。」・・・・私は ちょっと 呆然と(笑)していたかもしれない。そんな私に彼はなおも「追い討ち」をかけるのである。「あ!ほら!ここにあるで!」「お前、いっつも眼鏡をあちこち置いて 探し回っとうもんなぁ。」「今日は俺が見つけたったでぇ。」彼は 私の「企て」など一切知らぬままいと優しき笑みでもって「はい。もうなくしたらあかんで。」と言いつつひよに眼鏡を手渡してくれるのでありました。ありがとー。
2004.03.09
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同じ県内に住む叔父が亡くなったとのこと。知らせを聞いたのが夕刻で私はすぐさま家を飛び出し2時間半かけてそのお宅に駆けつけた。優しい叔父だった。幼い頃 私が関西に遊びにくるたびに大阪城につれていってくれた。今でも 大阪城に行けばあの頃の叔父が笑って待っていてくれそうな気がする。
2004.04.05
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つい先ほど、滋賀の検査から戻って参りました。結果はいつもの如く「グレー」。今度は卵巣と肺のあたりに腹水出現。半年後に再検査です。ただ、今回は「要経過観察」とあり以前のように「再発か?」とは書かれていませんでしたのでそれだけは、ちょっと安心かな。滋賀での検査となりますと、いつも早朝7時前に自宅を出その日の夕刻に帰宅、という日帰りパターンとなります。しかしよく考えてみれば・・その時間帯はちょうどラッシュアワー、おまけに神戸・大阪・京都・滋賀と4つの県をまたぐことに。今回はコロナのことも考慮に入れ前日のうちに滋賀県入り、病院近くの宿で前泊し、検査に臨みました。ビジネスホテルのシングルに入り、荷物を解き夕食は近くのお店のテイクアウトを利用、パソコンも何も持っていきませんでテレビもみることなく夜の8時半過ぎには床につきました。早すぎるかな?とも思いましたがやはり心身ともに疲れ切っていたものでしょう、途中何度か目を覚ましたけれども、翌朝の7時半までぐっすり。・・・いつもは「野菜を買わなきゃ!果物も!チーズも」とバタバタ数件のお店を走り回りアイロン掛けなきゃ!クリーニングを取りに行かなきゃ!もう夕方!洗濯物を取り込む!仕事がまだ終わらない!新聞集金も!草木の水遣り!お皿洗い!繕い物!とわずか数分の時間さえも無駄にするものかと躍起になって日々を過ごしていたけれど出来る限り細く長く生きていくためにはこんな風に「空白の時間」をすごすことも大切なのだ、と改めて思いました。でもね、1人はやはり寂しい (*`◇´)ノホテルの部屋の窓から見える山々の姿に感動してもそれを伝える相手がいない。夕食のテイクアウトにしても自分のものだけを買うのは、つまらない。自分の日々の暮らしは、と言うよりも自分の人生は もう家族なしにはあり得ないのだ・・・と家族の大切さを、改めて痛感。今日の検査結果には、うーん、またこの半年間、いろいろ心配しなければならないなと思いながらも心に何か「重し」がなければ、私の場合、駄目なんだろうなと。重しがあるからこそ1日1日をものすごく大事にできるのだろう。常に病気のこと、生死のことを考えていなければならないのは辛いけれど絶対に自分には必要なことなのだ、と。・・・そう思いながら 電車の窓から見上げた山科の森。緑鮮やかで力強くてこの大自然の力が、きっと、私の中にも隠されているんだと思う。 山科の杜は語りぬ 生き抜けと いのちのちから湧き立たせよと
2020.06.23
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