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Saturday, July 1, 2024 晴れ 早朝散歩。 土曜日でしたが、出張が入りました。午前8時前、T君が迎えに来てくれました。県内某市を訪ねました。某団体の記念式典でした。その組織、音楽隊を持っています。演奏がありました。この後、装備車両のパレードがありました。大きな重機が轟音を響かせての行進は迫力がありました。その合間を縫って,多くの燕が会場を舞いました。 セレモニーの終わって,立食パーティーに移りました。大きな体育館に,先の音楽隊が出迎えの演奏。 大勢の招待客に混じり、杣夫も参加しました。鏡割りなんぞも有り、樽酒を馳走になりました。が、名刺交換に勤め、料理や酒をガツガツやること能わず。暑かったですが,背広を脱ぐこともできません。汗をかきました。 帰宅は午後3時。草刈り機を背負い、野菜畑の周囲をチャチャッ。豌豆の類が終わったので、それも片付けました。それを軽トラの荷台に載せ,縛るの図。アルコールが入っているので、山へ捨てにいくのは明日にしました。 今日の写真は立葵です。この色合い、ショッキングピンクというのでしょうか。そろそろ終わりかな。 おまけはスーパーの広告です。先日、マルハゲの煮付けをアップしましたが、その際、それは地方名、標準和名はカワハギのことをnkucchanに指摘されました。ということで、こちらではご覧の通り、ハギはハゲなのです。 今日の一首 由布岳の麓に駐す大隊は海峡波の高しを憂いSunday, July 2, 2024 晴れ 早朝散歩。写真はその切り取りです。1枚目は梅雨入りが近いことを予感させる色合いのアジサイです。 こちらはガクアジサイ。 いつもと違うコースを歩きました。70分。この花はガウラという名前です。群生でした。 栗は花真っ盛り。独特の甘い香りが漂っていました。 午前7時の朝ご飯は、炊きたての鶏飯と胡瓜の漬物。おかわりをしました。 この手のご飯、残りを直ぐさまおにぎりにする妻です。 日曜日でしたが,今日も仕事が入りました。ネクタイを巻いて、某コンクールの表彰式へ向かいました。午前中で終了。家に戻って,昨日始末した豌豆の類を父の山へ休めに。 昼になりました。妻不在につき、チキンラーメンと上記おにぎりをパクつきました。缶チューハイを1缶。写真は無しです。 少し午睡のあと、地下足袋を履きました。チェーンソーで薪を玉切りました。汗をかいている最中、妻が戻ってきました。梅を穫りたいの、でも高みにあって無理なのよ,なんとかして頂戴、そう切り出されました。それじゃーと、梅の木を切ることに。杣夫の肩あたりの高さを目安、5本ほどをやっつけました。 今年は不作でした。それでもこれだけを収穫。 それを終え,野菜に水を遣って,今日が終わりました。なんだか疲れたな。 今日の写真は,蜘蛛が巣を拵えるの図。地下足袋を脱いでぼんやり見上げたところに、でした。これも渡世ではあります。 今日の一首 霞み罠張り巡らせて渡世するその日暮らしのなんと悲しき
2024年06月02日
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Friday, May 31, 2024 雨のち曇り 午前4時起床。朝の散歩は無しでした。 写真は胡瓜の浅漬けです。茄子はまだですが、こちらはぼつぼつ生り始めました。 夜に浅漬けの素と一緒、浸けておくと,格別の朝です。これ、好物なんです。ご飯の進み、出っ腹が一層出ます。 午前8時前出社、午後5時退社。 今日は5月31日。弊社業界にあっては出納閉鎖の日でもあります。昨年度末の入出金、今日が締めの日なんです。不安視の入金あり、胸をなで下ろしました。この日は別に某案件の締め切り日でもあり、お客様のあって,あれこれの依頼あり。難儀でした。が、仕方ありません,杣夫の仕事はトラブル萬相談でもありますから。 帰宅時、雨はあがりました。革靴を脱いで,やっぱり止めだ、飲まずにやっちょられん、ウイちゃんをグラスに1cm、グビリやりました。シャワーを浴びて湯飲みに冷酒を並々。当ては昨日のイサキ刺し。冷蔵庫に寝かせていました。脂の乗って格別でした。昨夜は醤油にでしたが、今夜はポン酢で。 こちらはアラの煮付け。昨晩、妻が夜鍋、煮てくれていました。味の染みていい感じでした。写真にはありませんが,大きな白子を腹に持っていて,それも一緒、煮付けてくれました。口中に蕩けました。 カープ対パの金満戦をぼんやり観戦。大瀬良が好投するも惜敗でした。うーむ、モイネロの投球が素晴らしかった,仕方ないかな。 さてもネタ不足。ということで先日、職場の若い連中に話したことを以下に。 「今欲しいものを50,並べきったら若い証拠だよ」 皆さん如何?もう随分前に何かで読んだか聞いた内容です。「足るを知る」とは正反対、欲望の話だな、という野暮なことは言わないでください。 ということで,それじゃー今の杣夫は何が欲しい?うーん、断捨離モードに入ってオーディオは処分、高級車には興味なし、酒精は酔えばいい猿酒で満足、ファッションには元々疎いし・・・。欲しいものと言えば古くなったスマホの買い換えと,触ったことのないMacです。先日、緑寿の誕生日、妻に伺いを立てました。却下即座。一言「足るを知りなさい」ということで、あえなく。尻尾を巻きました。うーん、物以外だったら、今欲しいものは自由時間だけだな。 今日の写真はシノーポリのヴェルディ序曲集です。「運命の力序曲」大好きです。オケはウィーンフィル。全曲をNHKFMで聴いたことがありますが、映像無しでは如何とも・・・。舞台はyoutubeにありますが、字幕付きを見つけること能わず。 今日の一首 梅雨入りに麦ハンサコの煮付け食い逝きし友がき海の釣行
2024年05月31日
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Wednesday, May 29, 2024 快晴 このところ、毎朝午前5時過ぎから早朝散歩です。写真は農協の苺選果場あたりから生目山の稜線を眺めるの図。吸い込まれるような空の青、写真左上の中天に下弦の月が懸かっていました。 県道木立色宮線の方に歩を進めました。写真は、大野谷を流れる川の水面です。ここはスッポンが棲んでいます。杣夫が酔散の営業をしていた若い頃、県の水産専門員に小さなそれを10匹程貰い受け、堅田川に放流しました。それが再生産、流域に広がりました。ということでその支流にも、なのです。いつか捕まえて食べたいな。 途中に生えた茅が素晴らしい。これ、野菜畑の敷き草に格好です。よし、今日は夕方、ここへ刈りに来よう。 朝食は豆ご飯です。妻が収穫のグリーンピース。炊く折り、その鞘と,予め昆布を浸けておいた水で炊飯とのこと。手が込んでいる。微妙な香りというか塩気と相まって美味しかったです。おかわりをしました。 午前7時半出社、毎日、日中はコンチクショウメンです。午後5時半退社。 予定通り、草刈り機を積んで今朝の場所に向かいました。一回しした後の竣工写真です。 満車になりました。 先ずは里芋の畝を覆おう。 こうしておくと,雑草の生えるのを防ぐことができます。 茄子や胡瓜、ピーマンやオクラのそれにも敷き込みました。遮光、水分の蒸発防止となり、秋に野菜の終わって枯れたそれを鋤き込むと土に返ります。 終えてシャワー。今夜の当ては肉ジャガと鰹タタキ。前者のスナップ豌豆とジャガイモは,毎度の自慢話、拙宅菜園産です。カープの大勝に気分最高。Thursday, May 30, 2024 午前5時起床。晴れ。 今日も散歩。写真は近所に咲くタイサンボクです。この花、真っ白です。開いた時の大きさは小さなドンブリ鉢ほど。原産国は北アメリカ。花言葉は「前途洋々」「威厳」だそう。よくわかりませんや。 沖田は早期米の緑が濃くなってきました。 国道388号沿いの山は,朝日を受け,濃い緑を醸しています。目に優しいなぁ。 朝ご飯は今日も豌豆ご飯。昨日の残りを妻がおにぎりにしておいたのでした。 それを食べて出社。午後6時前帰宅。 革靴を脱いで鞄を置くと、やっ!キンキンバチバチの魚だ。シンクの中に特大イサキとチダイ。これ、山向こうの漁村に暮らす友だち、TさんとMさんからの頂き物でした。今日の日中、拙宅梅林の梅を収穫にやって来、その折の土産にと置いていったのでした。感謝感謝。 早速包丁を持ちました。チャチャッ。刺身、塩焼き、煮付けに。 焼き物は鮮度がいいと割れます。うーん、格物です。 大分・杵築にある中野酒造の智恵美人で流しました。バタンキュー。 今日の写真はチダイの口奥にあった釣り針です。釣物ということが判ります。豊後水道の急流に揉まれた天然鯛、美味しくなかろうはずがありません。これを食すことのできる幸せ。がしかし、残念ながらカープは逆転負け。寝るとしよう。今日の一首胸いっぱい五月の空気吸い込みて下弦の月を愛ず朝やよし
2024年05月30日
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Tuesday, May 28, 2024 本降り、夜来の雨が昼過ぎまで残りました。 午後、大分出張でした。早昼(妻手作り、いつもの野菜弁当)をし、正午過ぎに会社を出ました。行き帰り、大野川や大分川が増水、濁流でした。写真は帰宅時の震災機大橋から番匠川を撮りました。逆光のため、水面の色合いは判りませんが、ここも濁っていました。 帰宅してロードバイクに乗りました。今日も数キロだけ。リュックに生産森林組合の書類を入れ、UのKちゃん(副組合長兼会計)宅へ向かいました。それを手渡し、とんぼ返り。シャワーを浴びて冷酒を1合。今日が仕事の妻は午後7時前帰宅。それまで鯖缶を当て、凌ぎました。流した酒は三楽20馬力ロック。 プロ野球は今日から交流戦です。ツール・ド・フランスを観戦のため、先日、Jsportsオンデマンドに加入しました。このサブスクは、サイクルスポーツだけでなく、プロ野球やラグビーも見ることができます。今夜はカープ対オリックス戦にチャンネルを合わせました。床田好投、2対1、辛勝。いいぞいいぞ。勝率で阪神を上回り、セ・リーグ単独首位です。しかも金満は負け。気分のよい夜になりました。写真はジロ・デ・イタリアの18ステージ、パドヴァに向かうイタリアの田舎道です。美しいなぁ。今日の一首屋根叩く豪雨の音に起こされて丑三つ時に一人まんじり
2024年05月28日
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Wednesday, April 15, 2020 午前6時半起床。3時前に一度床を離れたのですが、寝が足りていない。冴えていない頭では小説家の真似事はできません。二度寝。写真は朝ご飯のホットサンドです。あまりパンを食べない杣夫ですが、これは美味しかったです。妻が妙な器具、先に鉄板の付いた鋏のお化けのようなものにそれを挟んで焼いてくれました。珈琲を淹れる当番は私です。 晴れ。午前午後とも書斎に籠もりました。途中、TELあり。山向こうのTからでした。高校の同級生、潜水の漁師です。昨日、茹でた筍をあげました。律儀です、潜って獲ったナマコを持ってきてくれました。どうですか、この赤。最高級品です。 口の部分をカット、腹に包丁を刺すとドロッ。内臓が溢れ出ます。コノワタです。クックックッ、これが美味いんだ。腸の中身を押し出し、塩水で洗いました。生殖腺も込みです。 酒を打った後、塩麹を塗しました。今夜の当てはこれで決まりです。 身のほうは内側のけん腸膜をスプーンで剥がして水洗い。その後、好みの厚さにスライス。私は2個と3個に分け、1cmほどの厚めと妻の好み3mmほどの薄目に切り分けました。こちらも塩水でもみ洗い。打ち上げて酒を打ち、酢と出汁醤油を加えて出来上がり。夜のお勤めを待つばかりです。 夕刻、ランと野菜の水遣り。以下はその切り取りです。拙宅のベルビアナ、いよいよの感です。これ、和名はオオツルボ。花言葉を調べると、辛抱強さ、我慢強い、多感な心、哀れ、寂しい、寂しさ、変わらない愛、隠れた価値、冷静、不変、恋の呼びかけ、志操堅固、美は常に新しい。色々あるものです。なんともはや、です。月桂樹には「栄光」という花言葉があり、人口に膾炙しています。が、この花のよう、数多あるとどうもヨクワカラン。 庭に咲き始めた紫露草です。この花、秋まで咲き続けます。向こうにピンボケの赤は躑躅です。 大根の植わる横に菖蒲(アヤメ)の蕾が膨らみました。拙宅にあっては菖蒲(ショウブ)に遅れること2週間です。 いつもストレッチをする目筈橋。そこにタマがやってきました。おいで、おーよしよし。近づくとゴロリ、この態です。雌ではありません。雄です。 林道の取付に3~4反の田が10枚ほど広がります。そこを最後の仕上げ、KのYさんが田植え機に乗っていました。声をかけました。この田の広さは?どのくらいの時間で終わります?3反、2時間、と返してくれました。 田んぼ脇の農道に軽トラを停めてあります。その荷台に並ぶ青苗。瑞々しい色合いです。これがお盆前後に黄金色。稲穂を垂れます。 向津留の農道を戻りました。おっ、苺は粒が小さくなっている。そろそろ終わりだな。水を切ってやめるとき、また無料開放してくれないかな。 こちらは鬼灯のハウスです。 苗を植え、根元に肥料を撒いていました。稲同様、盆を控えた時期に朱く熟れ、出荷されます。収穫は一気です。大人数を投入しての人海戦術。その際は人手不足となります。 家に戻り風呂。今日の湯船は熱かったです。ヨガに行くという妻を見送り、夜のお勤め。これこれ、これがいいんです。地酒飛翔のにごりを併せました。 午後8時過ぎ、妻の戻るまで焼酎を舐めながら松山千春を聴きました。青春にワープ。バタンキュー。今日の一句微風(そよかぜ)に杯の急ぐや赤海鼠今日のラン6km今日の酒冷酒2合 焼酎ロック2 今日の写真はとくし丸です。以前、一度取り上げました。今日、ランの途中に行きあわせ、品揃えを再取材。ここ、小平地区には毎週水曜日、巡回するとのこと。以下に照会します。1枚目はフロントの姿です。移動スーパーと書いてあります。軽トラを改造。 右側側面です。野菜や果物が並んでいます。 その下に保冷ケースが2つ。 蓋を開け、中を覗いてみました。惣菜が詰まっていました。別の二つには巻き寿司や稲荷、おにぎり、漬物や梅干しのパックなどです。 次は後面。缶詰、瓶物、インスタント食品などがぎっしり。キャラメルやポッキーなど菓子類も。 続いて左側側面。2/3を冷蔵庫が占めています。残りの部分に洗剤や歯磨き、手袋など日用品がぶら下がっていました。 こちらが冷蔵庫です。要冷蔵の食品が数多。肉類や牛乳、ヨーグルトなんぞです。 よく見ると刺身用の鰺も並んでいました。 軽トラ横にこれが並べてありました。お菓子やパンの類いです。うーん、とくし丸、侮れません。
2020年04月15日
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平成24年9月18日(火) 午前5時起床。台風一過、青空が広がりました。 午前中会議、午後はデスクワークでした。 夕方、運動公園へ。ラン12km。1時間あまり走りました。パークウェイ線や墓地横の小道、芝生の多目的グラウンドへの上り坂など、アップダウンを中心にしたコースを頑張りました。別府・志高湖の難コースを想定しての仕儀です。中4日空けての練習でしたが、足は軽かった。途中、犬を連れた美しい女性が散歩していました。恥ずかしい話ですが、ピッチが上がりました。細道の脇には彼岸花が咲き始めていました。汗をかきましたが、クールダウンの時は暑さを感じない。暮れる時間も早くなった。午後7時になると暗いです。秋のつるべ落としです。冬至まであと3ヶ月。あっという間に寒くなります。今日はランパンにノースリーブのシャツでしたが、しばらくすると、北風の吹く中、懐中電灯を片手に持ってのランになります。あぁ、嫌だな。 左手がひどく腫れました。手の甲がパンパンになり、握りしめてグーをすること能わず。蟻酸は強烈です。今日は肘の方まで広がりました。普段、右手で左手首をつかむと、親指と中指の先が接するのですが、今日は2cmほど空いています。腕時計のバンドを締めることができません。このアリ、種類はヤマアリのようです。家の周りにいるブラウン色の奴ではなく、少し大きめにして黒いのが特徴。調べるため「ヤマアリ」で検索したら「谷あり」がヒットしました。なんだい、どうなってんだ。ネットにからかわれてしまいました。 今日の写真も私の左手です。刺されたところのてっぺんが破れ、汁が出始めました。甲が突っ張り、箸を持つのが辛い。あっ、そうです、私は左利きです。ペンだけは右ですが、あとは全て左手。
2012年09月18日
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平成27年6月19日金曜日 午前4時半起床。夜通しの雨でした。このところ、降ってばかりです。午後になって止みました。太陽は顔を見せません。厚い雲に被われたままでしたが、夕刻、道路は乾きました。 夏はほぼ毎日、ミキサーでこさえた野菜ジュースをジョッキ一杯が朝食です。今日はご飯でした。アジのミリン干しにキュウリの漬け物。昨日、妻が父母へ届けたカワハギの吸い物が残っていたからでした。味噌汁でなくの朝も悪くありません。 終日デスクワークとミーティング。写真は昼休みのキンノジです。書類と格闘しています。見上げた姿勢ですが、普段はこうではありません。昼行灯2号です。休み時間も仕事をするなんて、どこか悪いのでは?いえいえ、彼は今夜、飲み会。花金なので残業を厭い、食事もそこそこに、なのです。乾杯の時間に遅れたくない一心でした。酒を飲むためなら何でもするかんまんごしです。余談ですが、昼行灯1号は私です。 もう一枚、今日の弁当です。出来上がったキュウリの辛子漬けが美味しかったです。 宴会には私も誘われました。夜に些事を抱えていたので、断りました。行きたかったな。会社が引けて、駐車場までの道すがら、喫茶ランブルに寄りました。コーヒー豆とシュークリームを買いました。写真は店内三題。一枚目はネズミモチ(?)です。この時期の花はこんな装いが多いです。 二枚目はヒマワリ。いろいろな種類がありますが、この手もわるくありません。ゴッホというと大げさですが、この形を見ると何故か連想してしまいます。 三枚目は玄関の台上に飾ってある焼き物です。どれも上手に出来ています。 運動公園へ向かいました。ラン8km。Kさんと出くわしました。久しぶりに並走してもらいました。走りながらの話題は、先日、阿蘇であった100kmマラソンのことでした。雄大な景色を眺めながらだと、気持ちいいのだろうな。惹かれますが、体重80kgの私には無理です。帰宅してシャワー。飲む前に私用を片付けました。午後9時、遅くなりました。妻はコーラス似出かけて不在。南部美人のぬる燗をゆるり独り酒。当てはシメサバとモズク。ラタトゥイユもありましたが、日本酒にはミスマッチ。ワインを抜栓しようか迷いました。我慢し、冷酒で流しました。午後10時、自爆就寝。 今日の一句露冷えに愛猫背中丸めおり今日の写真はそのトラです。
2015年06月19日
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平成29年6月3日(土) 午前4時に目が覚めました。頭が重かったです。二日酔い。特効薬ソルマックを飲みました。再び横になりました。枕元にipadを置いています。ラジコを聴きながらウトウト。床を離れたのは午前6時でした。終日晴れ。 今日は何もしないぞ、と決めました。休養日にしよう。朝ご飯を食べてタンノイの部屋へ。Bachの無伴奏ヴァイオリンをヴィクトリア・ムローヴァで。締まって深い弓使い。グリュミオーやシェリングの艶めかしさとは対極をなす演奏。 おーよしよし、トラ、お前も聴きに来たのか。ブラッシングしてやろう。写真はムローヴァを楽しみながら悦に入るの図です。「あなた、音楽ばかり聴いていないで少しは手伝ってよ、玄関に積んだ本を何とかして、床の間の平積みもよ、本、増えるばかり、一体どうするのよ、それと階段に置いたお酒もよ、屋根裏に上れないわ」 片付けを始めた妻にあれこれを言いつけられました。拙宅には酒瓶用のサイドボードがありません。普段使うことのない隠し扉、屋根裏に上る階段を棚代わりに使っています。ウイちゃんや焼酎を並べています。セラーもありません。ワインも其処へ。泡や白は飲む折に冷蔵庫へ。ということで片付けろと言われても、じゃーどこに置くのか。本も然りです。あと2年、退職したらサンデー毎日、上手くするから今日は勘弁してよ。足の踏み場を確保することで、なんとか誤魔化しました。 とその時でした。ピーンポーン。宅急便でした。届いたのはこれ。タイミングが悪い。階段に並べようとして、叱られました。仕方ない、1本を冷蔵庫へ。残りは段ボールに戻し、クローゼットの部屋に置きました。「早めに飲むから我慢して」というと、呆れられました。何せ二日酔い、潤んだ目ですから。 午後、父にお客様がありました。築山にある梅の木の実を穫りにでした。手伝うよう父に言われました。襤褸に着替えました。しかし、本人が加勢無用とのこと。午前中整理した瓶の中から梅酒5年ものを一瓶あげました。口に合うといいんですが。野良着に着替えたので、何かすることはないか。ん?薩摩芋が与太っている。妻が昨日、サポステの利用者さんを招いて皆で植えたのでした。それが台無しになってはいけません。水をやりました。 胡瓜にウリバイを見つけました。野郎ども、ではあります。捕虫網を持ち出し、捕まえました。10匹余りを殺しました。茄子につく椿象(カメムシ)とあわせ、おっかけっこが始まります。実が生りはじめたので農薬散布は法度。退治のあれこれ、面倒ではありますが、沢山獲れたら快感に似たものを感じるから不思議です。 着替えてラン。いつもの林道コースを走りました。昨日番匠川の水神に敬意を表しました。今日は木立川の水神に挨拶をしよう。足をそちらに向けました。堤防の先に百鬼(なきり)というところがあります。そこに祠があって早川水神を祭っています。その外壁に多くの水神が寄せられていました。この辺りの河川改修をした折、祀る場所に困ってのことなのか。 祠の中を覗いてみました。水神が女性とは聞いていましたが、なるほど、そうでした。ちなみに神前幕を寄贈は丸和鮮魚さん。時々父に魚をくださる方です。余談の余談、そういうわけで此処の水神は、漁の神様でもあるそうです。以前、大入島の漁師が魚を持ってこにやって来ていたと、石間のTさんが言っていました。更に余談。Tさんは以前、漁協の組合長でした。酒を一滴も飲まずの延縄漁師にしてパチンコ好き。いまどうしているのかな。 家に戻ったら、妻が拙宅の梅を穫ろうと声をかけてきました。陽が傾いていました。短パン、汗もかいていました。覿面、蚊に刺されます。妻を説得。それを理由に断りました。シャワーを浴びてこれを抜栓。シュワーッ。堪りません。 当てはこれでした。黒い葉っぱのようなものはバジルです。拙宅菜園に出来ました。茄子も混じっています。これは隣のおいちゃんが作った初生りです。バタンキュー。今日の一句水神の寄りての空は空梅雨か今日のラン10km今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 スプマンテ2/3本 赤ワイン180ml今日の写真は昼に食べたメロンです。甘かった。これで二日酔いが治りました。
2017年06月03日
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平成29年6月11日(日) 午前3時半起床。雨音に目が覚めました。今日は完全休養だな。朝ご飯、昼ご飯を挟んで午後1時まで読書、Amazonビデオで映画を1本。 新聞が天皇生前退位の法律成立を報じていました。もっぱらの関心事は元号です。私、今、中国の歴史を読んでいます。「中華の揺籃」の項、覇者登場から交代にかけてのところは、史記と詩経の引用が目立ちます。平成の次も四書五経の中から引かれる筈です。繙(ひもと)いてあれこれ予想するのも楽しみの一つです。 午後、雨が止むと、疼き始めました。仕方のない性です。野良着に着替えました。チェーンソーを積んで波越向けになりました。写真は津志河内集落の先に咲いた菖蒲です。趣味人が水田の一部に植えたのでしょう。この時期、緑一色の中にあって目を楽しませてくれます。 途中、親方の家に寄りました。昼寝をしていました。妻からのお菓子をあげたら、その場で袋を破ってパクパクやり始めました。「やめーいかんごつなったらおまい、腹が出てしょーがねーんじゃが。こりゅーみてみーの。パンパンじゃーが」といって太鼓腹をポンポン叩きました。「ほいてからの、いっぺん、おまいん作る鯵んさしみゅーくいてーがのぅ。いるーみていいいろじゃーっちおもーんよ。こんだぁたのむわい」 今度いつかを約束しました。写真は私がチェーンソーを回し始めて、様子を見に来てくれた彼です。この姿を見ると、腹は目立たない。 やっ!でかいナメクジだ。気持ち悪いな。 痛い!山椒の棘に脹脛をチクリやられました。振り払ったらプーン、いい香りがしました。 1時間半、脇目もふらずに汗びっしょり。下を向いての作業でした。チェーンソーの木屑除けゴーグルに内側から玉汗の落ちて、拭うのが面倒でした。荷台を満車にして暫し佇むの図です。野鳥の囀りが喧しい。 次の写真は帰り道の波西橋です。風情あり。 帰り着いて荷を梅林下の囲いに下ろしました。切り出し現場は、今日で一応の始末がつきました。チェーンソーはしばらく休みだな。夏山には犬も入らないと言いますから。 作業中、ずっとRCCを聴きました。カープは楽天に連敗。残念。さあ走るか。着替えてランシューズを履きました。カメラン。写真は小中尾前のイチゴハウスです。株分け作業たけなわです。 おっ!トンボが舞い始めた。 幾枚か撮った中から飛行中のものをトリミングしてみました。 こちらもいい感じです。 しばらく進むと幼馴染み、KのTくんが作る花卉です。ハウスの中に入って撮したかったのですが、本人不在。防虫ネット越しのショットになりました。 いつもの折り返しに近づいたところに蜻蛉が交尾。何とも妙な格好ではあります。 折り返してKのS兄宅横を通りました。ややっ! トマトを植えたところに烏を吊してあるぞ。なるほど、これ以上の対策はないな。効果的目だろうな。でも、吊す烏を捕まえるのが大変だ。 家が近づいたところでMのKちゃんとばったり。次の写真は彼の連れた犬です。名を聞いたんですが失念。それにしてもよく吼える。 シャワーを浴びました。太腿の痒みに目をやりました。茶毒蛾にやられていました。 そういえば今日のラン、蜻蛉の交尾を見ていて、虻に後頭を刺されました。その時の傷みはチクリではなくチクーリ。そこも痒い。撫でたら瘤のように腫れました。効くかどうか判りませんが薬を飲まないといけません。プシュッ。写真は今日の当てです。ワインを抜栓。パンと一緒に流しました。バタンキュー。今日の一句黄金の中揺籃す蜻蛉かな今日のラン6km今日の酒アサヒスーパードライレギュラー3缶 白ワイン赤ワイン各90ml今日の写真は今が盛りの立葵です。茄子や胡瓜もこれだけの元気があればいいんですが。蜜集めに忙しい蜂です。ナメクジもこの蜂も渡世には変わりありません。私もその一人です。
2017年06月11日
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平成28年10月7日(金) 午前3時半起床。晴れのち曇り。朝の散歩は30分。未だ秋冷の候ならず、半袖半パン姿のスタスタ坊主。以下は途中の切り取りです。 拙宅の生け垣は茶です。花が咲いていました。アスファルトに落ちて、それを知りました。 中川牧場隣に生っていた富有です。ガブリやってみました。悪くない。 ススキです。台風一過、雄蘂をつけていました。 藪に可憐の青。アサガオに似た小振りです。 父の秋野菜が芽を出しました。大根だろうか、白菜だろうか。 終日、中会議室に缶詰。9月上旬以来検討の設備投資計画、とりまとめは最終段階に入りました。夕刻、一応のケリがつきました。ドラエモンと韋駄天は猶居残り。午後6時前、会社1階にあるATMで弾を込めました。花金です。妻はコーラスで不在。加えて明日から3連休。はめを外す条件が整いました。突っ込む先は言わずもがな。 キリンの首を切った後は大分の銘酒西の関をぬる燗で。ここの銚子はバーナード・リーチ絶賛の民陶小鹿田焼(おんたやき)です。先週に突っ込んだはし本もそうでした。 先ずは鯵フライ。サクサクホクホクでした。 おっ、後をつけてきたのかdatelineとキリノスケが相次いで入ってきました。嘘です。私が誘いました。写真は手酌の図。マニアワンのだそうです。 以下は彼等の注文した肴です。先ずはメサバ。酢を見せただけの締まり具合がよろしい。 キリノスケがハマグリの酒蒸しを注文。天下の清流番匠川の三角洲で穫れた地物です。美味い。 dateline、ここに来たら決まって注文の出汁巻き。これがまたいい感じです。彼曰く、ここのが佐伯一。 私はアジ寿司を。鮮度がよすぎて旨味に欠けるような。でもこれはこれでよいです。 〆は鮨。ここに来たらやっぱりこれを食べて帰らねば。しかし、ありがたくを通り越して怪しくなっていました。よく覚えていない。カメラの記憶を辿りました。 さて、そのつね三、隣に男性が座っていました。おしゃべりの私です。話しかけました。5年前、親戚に招かれ佐伯にやってきたとのこと。左官です。勤める会社が木立の休耕田を借りて稲を栽培しているそうで、田植えや刈り入れの折はそれを手伝うとのこと。出身は宮古島。言葉のアクセントでそれと判りました。やさしいしゃべりでした。サザエの刺し身を食べながら彼曰く、沖縄のサザエはもっと柔らかい、一応佐伯の方が美味しいと言っておきましょうか、島には川がないので鮎はいない、海と沼だけ、泡盛は飲まない、黒霧が好き、制度が変わり、古酒は100%のものだけをそう呼ぶことになった、今までは古酒を新酒に少し混ぜただけで古酒と呼んだ、これから値段が跳ね上がる、泡盛といえば宮古島は赤ちゃんが生まれたら一升瓶を買い、床下にとっておく、成人して抜栓が風習だ、度数の強いものは誰も飲まないよ、抜ゲーム用だ・・・。いい感じの青年でした。今日の一句蛤や口を開きて秋の夜今日の写真はつね三の大将です。鰻の骨は煮物です。サービス品ですが、硬そうで、手が伸びませんでした。もったいないことをしました。もう1枚はスッポンです。番匠川の支流堅田川に棲んでいます。私、若い頃は産の営業をしていました。試験放流をしたものが再生産をおこなっているようなんです。小奴、鍋になるんだろうな。いい面構えではあります。
2016年10月07日
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Saturday, May 22, 2021 曇りのち晴れ 22.5℃ 14.1℃ 午前4時起床。サンデー毎日だったら、あと2週間ほど我慢のできる頭髪でした。働き出して鬱陶しいのはいけません。早めに天井を張り替えることにしました。道路を隔て、会社の真向かいにある千円カットに突っ込みました。午前9時、刈り上げが終わりました。理髪店を出て、ん? 私の机がある階に蛍光灯が点いているぞ。週末も仕事のようです。お疲れ様。 とって返し、午前は書斎にぼんやり。ブログを書いているところに、朝のパートから戻った妻が、富永一朗の亡くなったことを教えてくれました。チンコロねえちゃんで一世を風靡の漫画家です。幼少期から旧制中学時代までと、戦後の一時期を佐伯に過ごしました。市は、縁の地ということで、まちの中心を通る国道の一部に彼の作品を焼いた陶磁版を設置、イチロー道路と名付けています。 富永氏は成績優秀なるも幼い折に父と死別、母は訳あって出奔、祖母の家に暮らしました。ウィキに「経済的理由から大学進学を断念したこともあるが、台湾の台南師範学校(現在の国立台南大学)が無試験かつ学費無料であることを知り、同校に入学・・・」とありました。 ここで余談です。私の義伯父Tさん(亡くなって10年以上になります)が小学校の教員でした。昨年だったか、伯母葬儀の折、彼の話が出て、従兄に、義伯父がその師範学校に入学、鹿児島から船に乗って台湾に渡った話を聞いたのです。彼の家庭も、経済的に恵まれなかったとのことでした。富永氏の訃報をして急、親近感を覚えました。 余談の余談です。私の母が実家の話です。母は兄2人、姉5人の末っ子でした。うちの1人が前述義伯父に嫁したのです。それはそれとして、二人の兄のことです。長男は結婚して男子をなすも直ぐに出征。戦死しました。時代が時代です。残された女性と次男が結婚。家を守りました。時は流れ、その女性は高い、兄弟姉妹の6人も相次いで死亡。次女M伯母と私の母が存命なだけです。 前置きが長くなりました。本題は長男の嫁、その夫人のことです。結婚する前、彼女は台湾で日本語の教師をしていたのです。出身は佐伯も佐伯、私の住む木立です。台湾に渡った理由、動機は不明です。後に本土・佐伯へ戻り、先に書いた運命を辿ったのでした。小姑たちが嫁いだ後は、目の不自由な義母(私にとっては祖母)を介護、看取りました。晩年は胃の病気に難儀したようでした。私、退職後、小説家の真似事、手始めは彼女の生涯を戦争に絡めて描こう、そう決めていました。以来、日本の台湾政策についての時代考証が日課でした。ネット上にある論文や記事を漁りました。親戚に聞き取り取材を始めよう、そう思った矢先、リーマンへ復職話。真似事は能わずストップ。暫くお蔵入りとなりそうです。 以上、富永一朗をしての余談、台湾関連の話でした。 閑話休題。 昼をした後、久しぶり、自転車に乗ろうか。ロードバイクのエアを確かめ、着替えて出発。コースはエコセンター番匠を折り返し、岸河内・青山廻り。以下はサイクリングの切り取りです。1枚目は出発して直ぐ、築良田の農道に何か落ちているぞ。 近づくと、カラスヘビでした。ニョロリの季節、いよいよです。 番匠川の河口に着く頃、青空が覗き始めました。 沖に停泊の貨物船が旅情を掻き立ててくれました。右は竹ヶ島。灯台があるだけの無人島。国有地です。 川を上り戻し、堅田川の右岸をペダリング。南中学校辺りから高速道路の高架にかけ、麦畑が広がりました。 こちらは岸河内の水田を潤す水を取水の頭首工です。堅田川の支流・大越川に設置。手前に鮎の遡上を助ける魚道を見て取れます。実を言うとこれ、私が酔散の営業をしていた頃、今から30年余り前、自ら設計したものです。人の道には暗い杣夫ですが、酔散だけに、魚の道には些か自信があったのです。 こちらは堅田川の本流。春先までは枯れ川でしたが、この時期は流れが戻るのです。 2時間のサイクリング。にいい汗をかきました。家に戻ったら親方が梅採りをしていました。本人は食べないけれど、二人の娘さんが好物。毎年、漬けて送るのだそうです。収穫を終え、一緒、お茶をしました。帰りに九条太葱を掘ってあげました。これまで野菜に限らずあれこれを貰うばかりでした。まさか親方に自分の作ったそれをあげるようになるとは。なんとなく嬉しかったです。 彼を見送って、襤褸に着替えました。里芋に追肥、土寄せをしました。次いで枯れ草でその畝を覆いました。こうしておくと土の乾燥が進まず、雑草の蔓延りを防ぎ、夏を乗り切ることができるのです。 おっと、もう5時か。NのRさん宅へ。彼との散歩も1週間ぶり。ホオジロの里までをぶらぶら1時間あまり。次の写真は行き遇わせたMさんです。辣韮(らっきょう)を収穫、水洗いの途中でした。 こちらはマジックアワー、櫟と青空のコントラストに浮かぶ月齢10の月です。この日のそれは「宵月」と呼ばれます。まさしくではあります。 風呂を浴びての夕食は肉料理。娘が誕生祝いに父の日プレゼントを上乗せ、ホアグラハンバーグ特製デミグラスソースセットを送って寄こしたのでした。 ならばとこれを抜栓。バルバレスコです。イタリアワイン。これは長野に単身の義弟が長芋と一緒、恵送の逸品です。彼にはブルックスブラザーズのスーツのお下がり(といっても私にはオニュウにしか見えませんが)を何着も貰いました。ごっつぁんになります。いつか彼の暮らすまちを訪ねたいな。文学館や美術館、記念館の多い土地柄と聞いたことがありますから。 今日の一句 宵月を若葉の染めて梅雨晴れ間 今日のラン サイクリング40km 今日の酒 アサヒスーパードライ大瓶1本 赤ワイングラス2 冷酒2合 SAPPOROゴールドスターレギュラー缶1 今日の音楽 AmazonMusicで昭和歌謡を10曲ほど。次いで竹内まりや、ユーミン。 今日の写真は勝手口の先に咲き始めた立葵です。左は一人娘。どちらの赤もいい色合いです。
2021年05月22日
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Monday, August 15, 2022 晴れ午後夕立 西南西の風平均風速2.0 36.1℃ 25.0℃ 降水23.5mm 今日はポカ休。午前4時起床。夜の白んで、野良着に着替えました。家の周囲、生垣の茶に葛が巻き付いています。それを取り除こう。午前6時前、取り付きました。作業は陽の昇らぬうちが肝心です。それでも汗びっしょり。午前8時前、そろそろやめようかと思った矢先、スズメバチに左手人差し指の根元を刺されました。茶株の中に巣があったのでしょう。手袋が赤と黒のコントラスト。それがいけなかったのでしょうか、はたまた彼らの巣が茶株の中にあったのでしょうか。ゴム手の指にしがみついてきて、2匹並んで尻から針を差し出しました。チクリ、やられました。振り払おうとしても指を締め付けるよう、しっかりつかんで落ちません。2匹を右手で握りつぶしてやりました。刺し跡を吸いながら、急いで家の中に戻りました。ステロイド系の軟膏をぬりました。 作業はそれを潮、止めました。刺された跡が痛い。仕方がない、今日は高校野球を観て過ごすか。幹部を冷やしながらテレビの番をしました。 昼食はコシヒカリの新米を炊飯。粘り気と香りのあって、うん、新米はいい。腹の膨れ午睡。目の覚めて走ろうか。ランの格好に着替えました。家を出る折、これを干すよう頼まれました。玄関先の庭石に置きました。野菜は太陽に当てると、味が濃くなります。これ、また揚物になるのかなぁ。 おっ、一転にわかにかき曇り、でした。雷もなり始めました。急がねばなりません。最前に干したゴーヤを取り入れなければ。二階の窓も締めないと。 やっ、小中尾集落への道に長いものがあるぞ。 そろり近寄ってパチリ。焼けたアスファルトが気持ちいいのか、逃げません。車に轢かれるなよ。 おっさん、急がないと雨が来るぞ。 雨はすぐそこでした。霊峰尺間は煙って見えません。何とか間に合いまいした。家に戻った途端、ザーッときました。 シャワーを浴びてプシュッ。パソコンに向かっていて、ピンポーン。散歩仲間のRさんがやってきました。まあどうぞ、引っ張り上げ、缶ビールを手渡しました。座り込んで小一時間談笑。酒に強くない彼です。妻も飲むだろうということで、これを抜栓。長崎・佐世保の酒です。西瓜を配っていて、おつりにこれをいただきました。発砲系、アル度8%です。甘口。ありがとうございました。 彼を見送って夕食。私は白波ロック、妻は上の酒を。出てきた当てはこれ。また茄子だ。 大分県の代表・明豊高校は愛工大名電に惜敗。夏が終わりました。 今日の一句夕立の叩くトタンはボレロかな 今日のラン5㎞ 今日の酒SAPPORO黒ラベルレギュラー缶2 発泡酒猪口3 白波ロック正味2合 今日の音楽なし 今日の写真は蜂に刺された左手甲です。腫れました。 痒いのか?痛いのか?byトラ。
2022年08月15日
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Monday , April 22, 2019 午前4時起床。曇りのち晴れ。 借りた本を終えていませんでした。返却日を2日オーバーして読了。午前中、図書館へ。月曜日の午前です。利用者が少なかったです。高齢者とご婦人が数人だけでした。とって返し、紅茶を入れて読書。昼をしたら眠くなりました。ここ数日、ずっと動き詰めでした。疲れが出たのでしょう。NHKFMのクラシックカフェを付けっぱなしにし、畳にゴロリ。忽ち寝入って30分。スッキリしました。「あなた、ご飯が炊けたわよ」 ああそうだった。鰺寿司をこさえるんだった。酢を打った後、杓文字でシャリを切りながら団扇で扇ぎました。頃合いの温度になって、さてと、握るか。昨日、酢で締めた鰺の皮を剥ぎました。 寿司職人を真似るのは初めてです。次回はもっと上手に出来そうです。バラ寿司は妻が妻がこさえました。当然、筍が入っていました。 さてと、夕食の前に一っ走りするか。着替えてランシューズを履きました。以下はカメラン。1枚目は松の雌花です。春の季語です。 昨日も書きましたが、山々は黄金色。椎の花です。 アップにしてみるとこんな感じです。谷間の道はその香りが充満。甘く、艶めかしいです。その蜜を以前、養蜂をしているTさんに貰ったことがありますが、絶品でした。 小中尾のダムに続く道はこんなです。滅多と人に行き遇わせません。最後の人家を過ぎて猶2km奥に入ったところです。陽の落ちてこの辺りを走る折は寂しく、お化けが出そうで怖いです。 堰堤の天端に着きました。渡る風にさっきの椎香が混じっていました。 ここは蕨が出ます。1週間ほど前、妻が蕨狩りを気にしていました。でもこの通り、すでに闌けていました。 こんなのばかりならいいのにな。 次の写真はタンポポ。以前にも書きましたが、この花、年がら年中咲いては種子を飛ばしている。 家に戻りました。昨日、蕾だった菖蒲が今日は開いていました。 今日の当ては先ほど握った鰺寿司とホウボウの煮付け。写真は後者です。身が芯詰まり、旨味より食べ応えがありました。刺身にすればよかったかな。 流した酒は秋田・仙北郡美郷町、栗林酒造の純米吟醸生「春霞」です。栗林の生は格別です。これは無濾過と思わせる芳醇でした。 トラが晩酌に付き合ってくれました。今日の一句蕨狩り其所に此処にと青天井今日のラン10km今日の酒冷酒2合今日の写真は隣家に飼われるマックスです。メタボです。棚の上にこれがありました。上の写真、よく見たらこの一つを噛んでいます。
2019年04月22日
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平成27年5月8日金曜日(続き) 京大にきたら、覗こうと決めていたところがありました。ここです。 展示テーマの一つは「送粉者」でした。昆虫のことです。突然ですが、ヒトはセックスにより子どもをこさえます。どの動物も同じです。植物然り。しかし、根の生えて移動できないし、動きが取れません。セックスできません。従い、生殖活動は助けを得なければなりません。そこで昆虫が登場します。植物の生殖器官は花です。おしべからめしべに、如何に花粉を運んでもらうか。そこで、花の色や形と匂いを工夫、昆虫を蜜に引き寄せるシステムをこさえました。見事というか、驚くばかりです。脳のない植物に猶「意思」を感じました。これらは「進化」の結果です。自然の仕組みを解明する学問は素晴らしい。研究者は楽しいだろうな。でも、ジャングルの調査は御免だな。虫に刺されそうだ。 アカデミックな空気を感じて、大学を後にしました。裏口を出たら、百万遍の交差点。ここは高校駅伝の舞台です。街並を目に焼き付けました。ぶらり曲がり、出町柳駅の方へ向かいました。この辺りは住宅地。新しい建物が多かったですが、中に古い民家もありました。高橋和巳の小説に出てきそうな居家でした。清貧を送る大学の老教授が住んでいそうでした。燻った二階屋があると、つい足が止まりました。しばし眺めては、このひっそり家屋に下宿、本まみれの学生生活を送りたかった。写真は京大史料館の中に再現してあった三高の学生下宿部屋です。 閑話休題、叡山本線の始発駅が近づきました。目当ての一つ「柳月堂」に突っ込みました。 知る人ぞ知る名曲喫茶です。1階はパン屋ですが、広い2階は別世界。ディープなオーディオが並んでいました。見たこともないトーレンスのプレーヤーが目を引きました。透明感のある女性が、席に案内してくれました。 腰を下ろした時はドビュッシー、次いでシューベルトのSQが流れました。歩き通し、錦市場でひっかけたこともあり、ウトッとなりました。10分間、記憶を失いました。写真はメモ整理途中の図です。 散歩に火照った心は、コーヒーが癒やしてくれました。落ち着いたところで再出発。出町柳駅をやり過ごし、鴨川を渡りました。下賀茂神社へ向かいました。参道は「糺の森」と言われています。鬱蒼が鳥居まで続きました。樹種はエノミが多かったです。ガイドブックはここを神々しいスペースと紹介しています。が、私には、薪の山に見えました。取り付けも足場もいいので、始末が楽だな。 写真は下賀茂神社の山門です。京特有の真っ赤な色をしていました。
2015年05月12日
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平成28年11月21日(月) 午前4時起床。薄曇りに下弦の月がぼんやり。午前5時半、着替えて朝ジョグ。7km。中3日休みました。加えて出張して飲んでばかり。にじみ出る汗から酒の匂いがしてきそうでした。走り終えて朝シャワー。サッパリしました。ご飯と味噌汁が美味しかったです。 月曜日は朝一の役員会。その後もミーティングが続きました。あっという間に暗くなりました。残りの書類をやっつけ、新聞をチェックし終えたら、誰もいませんでした。何時もは残業の若い連中は、一昨日昨日のイベントに疲れが出たのでしょう。加えて、キリノスケなんぞは昨夜に打ち上げをしたらしく、私の目の覚める2時間前まで飲んでいたらしい。朝の1分スピーチで今日が厳しい戦いのことを話しました。お疲れさん。 午後7時前、会社を後にしました。真っ直ぐ帰宅。湯船に浸かりました。本日ノンアルコール。飲み疲れでした。 書くことが無いので新聞記事を。昨日の日経に新書のベストセラーが載っていました。1位は奇しくも応仁の乱。先般「ピエール・パトラン先生」のことを書きましたが、別の関連で新聞紙面に同じ事件の文字を見つけると、なんだかオムニバス映画のようで、嬉しくなります。⑧の本は取引先のある京都府綾部市のことが書かれています。そのまち、訪ねたことがあります。読まなくても内容を推し量ることが出来ます。これらは、例えば旅した後に、そこがテレビに出るような感じに似ています。弊社には、関連の関連は関連ではないという言葉がありますが、こういった関連が関連を呼ぶのは悪くないです。 もう1枚はDVDの宣伝。BBCのドラマ「刑事フォイル」です。NHKで放送がありました。嵌まりました。最後の数回を放映せず、割愛になりました。残念でした。全部見終えたかった。これも20日日曜日の日経からでした。Amazonプライムビデオを探しました。ありませんでした。早く寝ます。お休みなさい。今日の一句朝シャワー澱を流して香の物今日の写真は昨日のB-1グランプリが盛況を伝える朝日の記事です。写真の人、あの箸トロフィーを持っている。
2016年11月21日
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椎の花が一気に咲き始めた。この香りが春風に乗って鼻腔をくすぐる。艶めかしいな。朧の月とフェロモンの取り合わせはいい。
2008年04月20日
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平成26年4月5日(土) 午前4時半起床。曇り、夕方雨。 今日は恒例佐伯春まつりの日でした。明日までの二日間、城山の麓が賑わいます。弊社社は協賛しています。私も端くれで加勢をしました。人力車の係でした。乗車希望の人からお金を貰い、乗車券を渡す仕事でした。券には予定時刻を書き込みます。車は一台です。概ね6分間の運行時間です。割り当てを鯖読みし、時刻の差配しました。写真は前口上を述べる車夫です。 曰く「春まつりは日本全国数あれど、ここ豊後佐伯のそれが一番、魚も日本一!さあ皆さん桜吹雪を楽しんでください、いく春を楽しんでください、1回大人500円子ども200円、今日を明日の限り、わたくしめも力一杯人力車を引いてまいります、どうぞよろしく御願い致し候・・・」東京・浅草から招いたナイスガイでした。岡崎屋惣次郎さんという方でした。あれこれを訊きました。この人力車は170万円、飛騨高山で制作されている、浅草には元締めが10軒くらいある、佐伯春まつりには何度も来た、某旅館に投宿、あるとき、車を組み立てていたらおっさんが隣に立ってあれこれを訊いてきた、うるさいなと思いながらも相手をした、次の日、開会式の舞台でその人が挨拶をした、市長さんだった、今回佐伯を後にしたら熊本を回って金沢へ行く、道中はハイエースだよ・・・。お疲れさまです。 午後はゴミ拾いをしました。火バサミとビニール袋を持ちました。会場内をウロウロ。地元物産(食べ物中心)の販売とテキ屋がずらり並んでいました。来客の足下や植木の根にいろんなものが落ちていました。ビールの空き缶、クレープやフライドポテトの包み紙、ビニールのジュース容器、多かったのは焼き鳥や正肉の串、食べ残しのたこ焼きにフライドチキン・・・。千円札もありました。 キンノジ一行はフワフワの係でした。ユニークな形をしています。送風機で膨らませます。中に子どもを入れてジャンプさせて遊ばせます。これ、アメリカ製とのこと。50万円だそうです。 今夜は菊姫行列と竹灯がありました。写真は灯の入る前です。竹の中にローソクがあります。 もう一枚、キムタク似のIです。へんてこりんなツナギを着ていました。竹灯関係者のユニホームだそうです。片方にこれまたへんてこりんな耳栓をしていました。なんなんだろう。 夜、キンノジと二人、取引先の接待がありました。午後6時、まつり会場を後にしました。いつもの暖簾つね三へ案内しました。カツオを所望。送りでしたが、なかなかよろしい。 長話になるかと思いきや、早い席立ちでした。見送って後、今度は隣にK高校化学の教師が座りました。奥さん同伴。今日が誕生日とのこと。大将が白を抜栓しました。相伴に預かりました。酒に合わせようとタマネギとタラノメの天麩羅を注文。前者が甘い。 旦那が泡盛を差し出しました。これもおこぼれを。ロックが美味しい。 まだ飲み足りないというキンノジを人質に残し、妻の運転で雨の中を帰宅。近所の奥さん二人が乗っていました。妻一緒に竹灯と菊姫行列を見たのでした。家に着いて、彼女たちはストーブの火にあたり、茶をして帰りました。私の淹れたコーヒー、美味しかったかな。疲れました。シャワーを浴びてバタンキュー。今日の一句在を問う浅草だよと胸を張りシャルドネで新玉流し春送る今日の写真は朝一、交通指導員が団結と今日の仕事を頑張るぞ、記念撮影をしていました。
2014年04月05日
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平成24年4月29日(日) 午前4時半起床。外気温14℃。 リヒテルの平均律を聴きました。南風の入る居間でまどろみました。空気は少し湿気を帯びています。昨日のニュースが沖縄の梅雨入りを伝えました。夕方には奄美大島も入梅した、過去2番目に早いとも。九州北部も早まるのかな。 午前中、落成式に出席しました。私の住む地域の公民館が完成しました。集落は120世帯ほどです。今年、地区役員のお鉢が回ってきました。その関係で末席に。神主さんがやってきて祝詞をあげました。区の新旧役員全員が集まりました。「かしこみかしこみ」が終わり、私も玉串を捧げました。打つ柏手に気持ちが引き締まります。 これが終わりると、小中尾の公民館へ会場を移し、宴会になりました。私はそこで折を受け取り、帰宅しました。出席しませんでした。午後に、地元神社の総代会があるからでした。写真その折です。父母に届けました。 午後、神主さんの自宅に総代が集まりました。決算と予算を審議しました。ここでは折りに加え吸い物が出ました。カワハギのお汁でした。60過ぎの神主さんですが、この吸い物は氏の母親の手によるものです。ミツバの風味がよかったです。折はボリュームがあり、半分残しました。発泡酒や焼酎も振る舞われましたが、私はお茶にしました。夕方、走るつもりでした。 帰宅して馬。これは如意。うきうきし、さあランだ。出かける準備をしていたら、またもや地獄からの呼び声。父がやってきて「手伝え」と一言。今日もつかまりました。鍬一本でマルチシートを敷いていきました。汗ばみました。ということで走ること能わず。汗のかきついでに草刈機を背負いました。これも小一時間。 鍬を使いながら思いました。疲れません。若い時分には息が上がって腰も痛い、という仕儀になり、休み休みの作業でした。しかし、ランニングのおかげか、連続作業にも疲れない。腰も痛くならない。野良仕事は嫌ですが、こういう仕儀に、なんとはなしに嬉しさを感じました。 草を刈り終えて夕闇が迫りました。最後に兄夫婦の飼うビーグルと遊びました。太ってざまのない犬です。いい性格でかわいい。首輪の回りを掻いてやると、目を細めます。 暗くなってシャワーを浴びました。プルトップを引きました。2本。妻作り置きの煮付け(ヤズ)を宮城の純米吟醸「ATAGONOMATSU」で流しました。甘口。腹が空き、続いて出来合いのサンドイッチ。CHIANTIを抜栓、ゆるりと一人楽しみました。 夜も平均律がよろしい。リヒテルのタッチが深いです。千葉で地震とニュースが報じまた。娘息子にTELしました。大丈夫でした。妻からは京都に着いたとのメール。一安心です。 今日の写真は深いバッハにうっとりするトラの図です。猫畜生に音楽のわかるはずはないとお思いでしょうが、そこは飼い主と一心同体、会話こそすること能わずですが,BACHの深い精神性は共有できるのです。
2012年04月29日
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平成24年3月7日(水) 午前4時半起床。終日曇り。寒さが少し戻りました。 調べ物が有り、いつもより1時間早く出勤。終日デスクワークといきたかったのですが、なにやらかにやらの雑用が重なり、仕事はすすまなかった。 夕方、運動公園へ。ラン8km。週末から週明けにかけての酒がやっと抜けました。 昨日だったか、震災に遭った松原の流木でこさえたヴァイオリンのことが話題になっていました。1周年を迎えるにあたり、鎮魂のためにこの楽器が演奏されるのだそうです。今日の新聞は演奏家はイヴリー・ギトリスと報じました。30年前、五反田の「ゆうぽうと」で読響との共演を聴いたことがあります。バッハの無伴奏は有名ですし、タルティーニの悪魔のトリルはもう感涙もの。その日はチャイコフスキーでした。この人選、さもありなんです。うれしいのとは少し違いますが、うむと頷きたい気持ちです。 今日の写真は、先日入った店「悦」のデザートです。ワンランク上のスイーツでした。
2012年03月07日
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平成27年11月9日月曜日 午前3時半起床。目は2時に覚めていました。早くに床を離れたら、日中、眠くなります。瞑って1時間半我慢しました。午前5時半、歩こうと思いました。ザーッときたのでやめました。ティーバッグを楽しみました。写真は出勤前、家の犬走りをのそりのイモリです。そろそろ冬眠かな。 ほぼ2週間に2回、重役会議があります。今日がその日でした。いつもより早めに出勤。準備をしました。議題が少なく、忽ち終了。以降はデスクワーク。ハンコ押しに専念。夕刻、某者と喫茶ランブルで待ち合わせました。仕事上のある案件を依頼したのでした。快諾していただきました。 その方は女性でした。私と同世代。地元の高校を卒業後、東京の大学に進学。その後、外資の航空会社に入社。客室乗務員として勤務のあと、スイスに留学。再就職は時折テレビコマーシャルをやっている国際機関でした。貧困、内戦、時にはその両方に苦しむ人たちをサポートする仕事に就きました。アフリカや東アジアで20年近く働いた後、某大学の大学院で社会文化環境学を修めました。先日、APUでやっていた世界報道写真展を見た折、「実に容赦無き年」という言葉に出くわしましたが、彼女は、そのような時代にあって、地域社会に残るポテンシャルになお素晴らしいものが残っているという切り口の本を出しています。数年前、故あって帰省。親戚筋に古民家があり、その再生に取り組んでいるとのこと。そこを、外国人旅行者を相手の民宿であったり、地域おこしのサロンとして利用してもらうのだと話しました。 仕事の話が済んで、諸外国の話をあれこれ聞きました。ルワンダでは映画になったホテルに宿泊したとのこと。虐殺のあった1年後だそうでした。ウガンダのスーパーマーケットは外国相手とか、ザンビアのビクトリア瀑布は下から飛沫が噴き上がってくるというような話も。面白かったのはバンダのことでした。ネパールでのことです。毛沢東を支持する地下組織があり、政府を混乱させているのだそうです。バンダとは、その組織が国民に何月何日は車を利用してはいけないと呼びかける行為です。見つけたらテロを行う、その場ではなくてもナンバーを控え、後日襲撃をする、という威しを伴います。実際、そうするのだそうです。言わば粛正を伴う、国全体に対するゼネラルストライキの呼びかけなんでしょう。政府は無視せよと宣伝するんだそうですが、国民は報復を恐れて車に乗りません。政府の無力を誇示するためだと彼女は言いました。普段、排ガスのため、カトマンズの空は霞んでいるそうです。バンダの日は一転、澄んだ空気になるとのこと。反政府組織ですが、環境破壊を止めるのに役立っていると笑いました。 私はウィンナコーヒーを飲みました。彼女はココアでした。写真は囲んだテーブルです。あっという間に過ぎた1時間でした。 暗くなって家路に。途中、鯵を買いたくなりました。ぐっと我慢。帰ったらゴーヤチャンプルーが待っていました。冷凍しておいた苦瓜を使ったのだそうでした。これが最後とのこと。でも、最後最後といいながら、きっとまた出てくるんだろうな。黒霧で流しました。 今日の一句彼の国に井戸掘る女ワイン好き今日の写真は届いた文藝春秋です。なんだか興味を覚えなくなりました。中身が変わったのではなく、私が歳を取ったからでしょう。年間購読をしていますが、次回の更新はないな。
2015年11月09日
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平成28年1月21日(木) 午前4時過ぎ起床。一番にすることはトラにネコカリ。次はブログ書いて本を飛ばし読み。寒かったですが、ジョグ混じりのウォークを40分。戻って後に遅い配達の新聞を飛ばし読みというのが毎朝のルーチンです。 朝ご飯は久しぶりのパンでした。その横で妻がバラ寿司をこさえました。 これは弁当になりました。漬物と、保温容器に入った味噌汁付きでした。小エビの風味がよかったです。 朝一、たて込んだミーティングを終えたあとは、別室籠もりの最終日。昼前に終わりました。午後はハンコ押し。未整理の書類を納まるところに納めました。 夕刻の花火は聞こえませんでした。嘉風不如意。安美錦にはたかれたようでした。真っ直ぐ帰宅。途中、セブンイレブンに寄り、甘いものを買いました。即風呂もルーチンです。 今日はビールを飲みたくなりました。プシュッ。うん、美味い。ちなみに普段は最初から焼酎若しくは日本酒です。 今日は聴いたラジオのことを。私、未明の散歩走りはラジコを聴きながらです。NHK第一、STV、NHKFM、岐阜チャン。それぞれ気分によってチョイスです。今日はNHK第一でした。昨日の投稿に対し、寄せられた声が紹介されました。昨日、それを聴いていませんが、アナウンサーの口ぶりから窺い知るに、その内容は、次のようなものでした。 「日常ののあれこれについて主人に話しかけると、彼はつまらん話をするなと偉そうに言うのです、成り立たない会話に寂しい思いをしていいます」 これに対し、今日の放送は、リスナーから寄せられたアドバイスの披露でした。「ご主人がそういう態度なら、会話の相手を彼に求めず、週に1回、あめ玉とおにぎりを持って半日散歩に出かけては、近所であっても知らない風景に行き遇わせるし、公園のベンチには同世代の人が座っているかも、疲れたらコンビニの100円コーヒーも気分転換になりますよ」とか、「伴侶がいるだけでよしと思わねば、ひとり暮らしの私は、食卓に向かうとき、ひとり芝居を演じます、男の人と自分、二人の会話を楽しみます、デートだったり、深刻な悩みだったり、そうして寂しさを紛らわしています」別の人は「主人が自閉症になった、それも彼の性格と思うようにして寄り添っているが、疲れて今後のことを思うと折れそうになります、お互い、それぞれの伴侶ですが、頑張っていきましょう」ある男性は「数年前、病気の妻を見送りました、今年は息子が倒れ、一ヶ月の闘病後に逝きました、葬儀を済ませ、これも定めと思い、暮らしています、あなたも元気を出して」。人それぞれでしたが、皆、件の投稿者を励まそう、暖かい思いが籠もっていました。星空の下だけに、ほっこりしました。今日の一句冬空に数多の人の想いあり今日の写真は、日刊水産経済の記事です。1月5日付けのものです。見てのとおりイワシ資源の変動に関する学説です。学生時代、私も水産資源学を囓りました。専攻はイワシの系群解析でした。そのことを知ってか、かつて部下だったI君が送って寄こしたのでした。読んで、やっぱり時空間サンプリング、遠洋漁場学が専門、上野先生の考え方は連綿と引き継がれているなと思いました。
2016年01月21日
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平成27年4月18日土曜日 午前6時起床。二日酔いでした。頭が重かったです。妻にその旨を言われました。図星でした。が、そこは見栄っ張り。「全然」と見得を切りました。でも鏡を覗いたら、目が散っていました。晴れ。 「明日は雨よ、野菜畑は今日中に始末を終えてね、わかっていて」午前8時、襤褸を着ました。重い足を引きずり、薪ストーブの灰と牛糞を撒きました。 トラクターに乗って攪拌。マルチを敷きました。2時間かけ、なんとかノルマを果たしました。 一息ついたところへkusuhito氏がやって来ました。長男のK君を連れていました。それじゃーと、裏山へ筍掘りに。数本しか出ていませんでした。小中尾へ廻りました。こちらは掘り放題でした。K君もがんばりました。ついでということで、タラノメの穴場を覗きました。一家族分は優に収穫できました。 家に戻り、竈と釜を出しました。火を焚いて湯がきました。写真はタケノコの皮を剥くK君です。 kusuhito氏親子の来宅目的は、薪取りでした。午後、波越の山で再会することを約し、見送りました。昼を馳走するとよかったのですが妻不在。野菜の苗を買いに農協へ出かけたのでした。後で聞いたのですが、親子はつね三に突っ込み、鯵寿司ごまだしうどんセットを食べたとのこと。私はサッポロ一番味噌ラーメンとギョニソで腹を満たしました。インスタントであっても二日酔いにはいいんです。 山行の準備をし、待ち合わせ場所へ。こんなところを分け入りました。春です。新緑の若芽が目に優しかったです。 写真は樫の大木です。kusuhito氏の姿をしてその大きさが判ります。 狙い通りの方向に倒すことが出来ました。その際、花粉が飛びました。写真では判りませんが、花をつけていたのでした。 親方のユンボが加勢に来てくれました。先日、杉を倒した駄賃がこれです。重機があると製木・玉切りは忽ちです。 あっという間の仕儀。2時間足らずのうちに始末が完了。kusuhito氏のルノーも満車になりました。 家に戻りました。妻が煮た筍を水に漬けてくれていました。これと野菜畑に出来た新玉葱を土産に持たせました。K君、一日仕事でした。楽しんでくれたかな。 「あなた、まだ畑仕事が残っているわよ、それに茶畑の看板を頼むわね」もう一畝こさえ、マルチシートを張りました。その後、支援学校の生徒たちが茶摘みにやって来るという茶畑に、手作りの看板を立てました。ボロボロになりました。地下足袋を脱ぐのが億劫なほど疲れました。文庫本を持って長風呂。一汗かきました。こうなればもうプルトップを引くしかありません。麒麟の首を2本落とし、黒霧を5勺、燗ピンを1本倒しました。プロ野球の結果をチェックしました。カープはドベゴンズに惜敗。ふてくされバタンキュー。今日の一句薫風に燕の並び見下ろされ今日の写真はそのツバメです。のろのろ仕事をする私を「なにやってんの」という感じで眺めていました。可愛いかったです。
2015年04月18日
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午前4時半起床。外気温17℃。雨。朝の定番、バロックの森。前にも書いたが、NHKFMの音は素晴らしい。毎日、新聞を読みながらの鑑賞だけれど、本当はじっくり構え、瞑想で対峙したい。ながら族になってしまうともったいない。午前、午後ともデスクワーク。朝一番、懸案事項に新たな展開あり。作戦の練り直しが必要。昼食は妻の弁当。夕方プール2,000m。まだ左足ふくらはぎにつっぱり感。少しの痛みあり。走りたいが我慢我慢。昨日に続き本日もノンアルコール。島崎藤村と柳田國男の関係。肉親の事業へ口添えを頼んできた藤村に絶交を突きつけた柳田。いい話だ。彼が貴族院書記官長をしていたのは驚き。ウィキの年表を見ると、柳田は南方熊楠や折口信夫との関係があった。宮本常一とは一線を画したのかも知れない。彼の民俗学のテリトリーには漂泊民、非稲作民、被差別民、同性愛の分野が欠けていたが、逆にこれが彼の潔癖性を伺わせる。一方でインテリゲンチャーの自ら作る垣根になっていて、民俗学へ求められる普遍性の一部を欠落させているのだが。インド映画「大地のうた」1955ドゥニ・ディドロ 18世紀フランス思想家、著述家とジャン=フィリップ・ラモーの甥クラウザン奏者ジャン=フランソワ・ラモーとの交際。このコラムを読んで、折しもバロックの森でクープランの曲が流れる偶然性。リゾットを食べたくなった。やっぱりニューヨークフィルの平壌公演はあるのだ。
2007年11月06日
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平成30年5月8日(火) 午前4時半起床。終日雨。気温が上がらず肌寒かったです。 朝一、急な協議が入りました。その後デスクワーク。午後は親会社、あるいは同業他社に出向社員の帰社報告会。かつて部下だった女史、親会社の役員に褒められたことを副社長が披露。嬉しい一コマでした。二人とも一年、お疲れ様でした。その後、近づく会議の打ち合わせ。午後3時前、近隣のホテルへ向かいました。親会社の出先機関と弊社幹部の意見交換会がありました。午後6時前、会場を移し、懇親会に突入。私はウーロン茶で乾杯。左隣に座った防災担当の方に南海トラフ地震に備えた机上訓練の必要性を説かれました。相手方にたまたま土壌研究のエキスパートがいました。紹介してもらいました。右隣の席は農業の専門家。彼女はみかん学校という柑橘栽培の入門講座があり、年12回開講することを教えてくれました。地元の蜜柑農園をフィールドに使うそうです。へーっ、面白そうだな。通ってみたいな。興味本位、茶の栽培に関するあれこれを訊ねて見ました。ちょうどその会場に土壌の専門家がいるということでその方を紹介してくれました。Kさんでし。彼曰く「茶葉の緑が薄いのは窒素の不足です。チャノキは花卉に通常施す肥料を用いない。もっぱらアンモニア態性窒素がよろしい。硫安だよ。1反に40~50kgの量を散布するといい。但し窒素分が50%の硫安ならその倍の量をだよ。もちろん根に直撒きでよい。茶の葉を収穫した直後と秋、欲を言えば芽吹きの時にも少しね。剪定も大切だ。刈った直後と秋が基本。」なるほど。来年の収穫に備え、今年は茶の木の根に硫安を撒こう。このほか、茶の製造方法には蒸して発酵を止める方法と窯煎りの2種類があり、持ち込んだ農協のそれは前者だったとのこと。一昨年まで本匠のまたぎO氏が営んでいた製茶工場は後者。前者は淹れると緑色が勝ち、後者は少し茶色を帯びるとも。味はどちらがいいというものではなく好み。いやはや大変勉強になりました。余談です。彼の出身を訊いてみました。鳥取とのこと。大学もその県にある農学部を卒業。以来ずっと研究畑を歩いたそうです。「鳥取や島根は小さな県。にも係わらずそれぞれに農学部がある。翻って大分県にはない。地域mの農業振興を考えると農学部の有無は大きい。大分大学にも地域密着型の農業関連学部設置が望ましと思う」なるほど。 話し込み、忽ちお開きの時刻になりました。まっすぐ帰宅。帰宅してハンドルを持たねばならぬ野暮用あり。会場ではノンアルを貫きました。 今日の一句庭先に湿りの続く蛇苺 今日のランなし 今日の酒冷酒1合 今日の写真は緑を3枚。1枚目は昨夕に刈った梅林下です。さっぱりした朝になりました。 次はその手前、草むらに見つけたヘビイチゴ。赤がとても印象的です。 最後は咲き始めた紫陽花。これを見て昨日が奄美大島の梅雨入り。例年よりも早いとの報道に九州北部はいつか、ソワソワの気持ちになりました。
2018年05月08日
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年が明けて、新聞記事に深夜放送のことが取り上げられている。記事の内容はおおかたノスタルジックだが、私も中、高、大の頃を懐かしく思い出した。中学の頃はラジオ大阪のバチョン。浜村淳のジョッキーは鼻につくと言われたが、私は好きだった。市井の人間を取り上げ、ぬくもりを感じさせた。ブルース・リーのことがよく話題に上ったことを覚えている。ニニ・ロッソのトランペットがよく流れた。この番組は中学2年の時、交通事故で両親を亡くしたKちゃんに教えられ、聴き始めた。彼の家は集落の一番高台にあり、電波の受信条件がよかった。私の家は北東方面に山が迫り、しかも電線が上空を通り、雑音が混じるため、彼を羨んだ。彼はいいラジオも持っていた。小型のパナソニックだが、電波を受信するとチャンネルを指す針の先が赤く光った。私のはソニーのラジオで価格は彼のものより高かったが、デザインは彼の方が勝っていた。高校に進学すると、クラシックを聴き始めた。ウィーンフィルが来日し、ベートーベンの4番を振るベームを聞いたのもこのラジオだった。蔵の2階を使っていた兄が福岡の私大に進み、高2の時からは其処が私の部屋になった。夜、蔵を抜け出し、Kちゃんの家に行ったら、深夜、家からTelあり、急いで帰ったら父にビンチャクを20枚張られた。蔵の2階は昔、叔父の部屋でもあった。当時は白紙がないので、叔父は受験勉強に新聞紙を使ったという。朝になると、階段の下に英単語や漢文の書かれた新聞紙が何枚も放り投げられているのを見たと父が話してくれた。私もまねようとしたが、ラジオが邪魔をし、其処までは出来なかった。叔父は父の期待を叶え、福岡のK大へ進学した。閑話休題、高校を卒業して札幌に住んだら電波の入りがよく、HBC、STVをよく聞いた。デーブマンというジョッキーがいて、毎夕、ヒットチャートを流していた。リスナー参加型の番組で、その日のランクを電話により当てさせるようなことをやっていた。1日1回、途中にブランデンブルグ協奏曲5番を流したが、これはボーナスゲームの合図だった。高田みづえの「硝子坂」がよくかかったことを覚えている。東京に就職したら、何よりもジェットストリーム。城達也の声に痺れた。魚市場に勤務していたので、午前0時に聞くことが出来ず、エアチェックして、会社が引けたあと、晴海埠頭をジョギングしながらウォークマンでこれを聴いた。「遙かなる雲海の・・・」のナレーションは、羽田空港を離発着するジェット機がすぐ近くを通過する埠頭の風景とよくマッチングした。此処では多くの船も見た。係留中の運輸省航海訓練所のホワイトシップを船内旅行させてもらったり、南極観測船しらせを眺めたり。ソビエト船籍の客船が出港する場面にも出くわした。デッキにアンプを持ち出し、バンドがロシア民謡をばりばり演奏しながら岸壁を離れていく様子は圧巻だった。
2007年01月08日
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平成29年3月21日(火) 午前3時半起床。夜来の雨は朝のうちに小降りとなりました。昼前に雲が切れ始めました。会社の窓越しに南の方を見て、この湿りで一気に緑が増すだろうな。ほったらかしにしている熊野神社下の水田は、雑草が伸ぶだろうな。その前に、枯れ草を刈って燃やさないといけないな。山菜はもうすぐタラノメの季節だ。親方の山に椎茸盗みがてら行ってみようか。そうこうしているうちに4月も半ばとなったら筍の季節だな。たくさん掘って大釜で茹でよう。嗚呼、これから先も週末はしばらく野良が続きそうだ。写真は特に関係有る無しは別として、薪ストーブ、畑の土焼き、水田の枯れ草などに火をかけるマッチです。これ、拙宅には常備ですが、一般家庭には見かけなくなって久しいと思います。 ちなみにマッチにも愛用があるとすれば、私の場合はこれです。つね三に突っ込んで、ベロンベロンにならない折は、カウンターの端に積んであるこれを鷲掴み。ポケットに突っ込みます。 終日デスクワーク。珍しく、ミーティングのない一日でした。年度末を控え、ハンコを押す書類は多かったです。定時過ぎ、会社を後に。真っ直ぐ帰宅。ラン6km。いつもの平日に戻った感がありました。 新聞各紙の読書欄をチェックしていて、日経にこの記事を見つけました。東山魁夷の記念碑的大作「唐招提寺御影堂障壁画」の展覧会が茨城県近代美術館で開催中とのこと。この蒼が懐かしい。昨年、九州国立博物館で観ました。ただただ呆然でした。実際に訪ねた土地や目にしたものがこうやって新聞に取り上げられると、記憶が蘇り、いい気分です。行った観光地がテレビ放映される感覚に近い。それはそれとして、4月からは豊田市美術館でもとのこと。名古屋の皆さん、これは外せませんよ(余計なお世話かな)今日の一句魁夷展蒼やよしよし旅の空今日の写真はネタ切れ。トラも休養日。ということで手に取ったシュリーマン「古代への情熱」です。学生時代、教養の講義で文学だったかの老教授が絶賛。先日、ブックオフにあれこれ注文の際、何がきっかけか思い出しませんが、ついでにと購入しました。トロイア遺跡発見の話ですが、内容はそれだけにとどまらず、彼の生い立ち、波乱の生涯を描いています。老教授ではありませんが血湧き肉躍るの一冊でした。
2017年03月21日
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平成28年9月14日(水) 午前4時起床。曇り時々雨。特有の蒸し暑さが和らぎました。曇天のため、日射しもありません。雨続きの予報ですが、暑かった夏のことを思うと、一息つくの気持ちになります。 小会議二日目でしたが出席に及ばず。設備投資のヒアリングに廻りました。居残りの心づもりでした。思わぬポケットが生じました。ノー残業デーということもあり、定時過ぎに退社。よし、今日は走ることが出来るぞ。真っ直ぐ帰宅。家のポストを覗きました。宅急便の不在連絡票が入っていました。連絡を入れたらすぐに届けてくれるとのこと。それを待ちながら弁当箱を洗いました。スポンジを使っていて、つい焼酎に手が出てしまいました。気がついて、あっ、走るんだった。結局、宅急便は妻の帰宅を過ぎ、暗くなってから届きました。彼女に託せばよかった。後の祭り。その時は鯖缶が開き、出来上がっていました。早くに帰宅するのも考えものです。写真はその当てです。つまみの王様です。ちなみに横綱はギョニソです。 さて、週も半ばになると、書くことに事欠きます。そんな折は、今、目に見えるものを取り上げたらいいと、荒川洋治氏が書いています。氏は現代詩作家です。日記のつけ方を記した新書があります。「日記をつける」岩波アクティブ新書。先だっては否和見現代文庫にも収録されました。お薦めです。余談でした。 ということで顔を洗おうと洗面台に向かって目に入ったのがこれです。鏡台の上にありました。ふーん、化粧をしながら英会話のレッスンか。少しは話せるようになったのかな。一緒に海外旅行をして、話せない私を尻目にうまくやってみせ、見下げてやろうという魂胆だな。まずいな。今日の一句雨を受け流れる樋や柿熟れる今日の写真は玄関のランプと鉄器小物です。台の楠は、私が倒したものを友人が手造りです。鉄器のうち、鮎は文鎮です。
2016年09月14日
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平成30年4月11日(水) 午前4時起床。晴れ。未明の外気温が10℃を超えていました。火を焚かず。 午前中デスクワーク。11時過ぎ大分空港向け。上京しました。写真は大分空港2階ロビーに下がった優勝をお祝いの垂れ幕です。全国制覇はあっぱれです。大分のハンドボール界は宮崎大輔を輩出しています。もともと強豪県なのです。 遅い昼は空港レストランで。おっ、大分の銘酒が並んでいるぞ。一杯ひっかけるか。 いけません。今夕、渋谷近くの取引先を訪問の仕事があります。カツカレーにしました。ちなみですが、ここのお店は大分の窯「小鹿田焼き」を使っています。 フライトは曇りがちでした。水平飛行になって地上の景色は見えず。 東京の空も黄砂の影響か霞んでいました。写真は羽田に降りる直前に写した東京湾アクアラインの空気抜きです。 時刻が下がりました。午後5時を過ぎての会社訪問です。丁寧な応対を頂きました。5人と名刺交換をしました。各人のそれに出身地が書いてありました。その会社は地方の物産を取り扱います。営業の際、話のきっかけにうってつけです。合点がいきました。中の一人は北海道・渡島地方の某町生まれ。若い頃近くのまちに住んだことがある、いいところですね、そう話しました。この仕事について自分のまちのことを話題にしてくれたのはあなたが初めてだ、と返してくれました。まさにきっかけではあります。何が嬉しいのか判りませんが嬉しかったです。写真は訪ねたビル、その会社の入る某階からの景色です。こんな眺めの毎日だとさぞかし気分がいいだろうな。 話が弾み(いえ、出身地のことではなく仕事のことですよ)、長居しました。写真は帰りがけ、振り返って見上げた会社のビル。弊社の2倍あまりの高さです。 宿に荷を解いたのは午後8時前。急な出張で娘息子と合うこと能わず。仕方ありません。TELして声を聞きました。どこから電話をしても同じことですが、近くまで来ていると違った親近感、距離感の無さを感じるから不思議です。遅い晩ご飯は近くの立ち飲み。 先ずはトリビー。 オススメを、とお願いしたのですが、注文を取る若い女性は首を傾げて応じてくれませんでした。それじゃ~一番注文のあるものを。これが出てきました。揚げパスタでした。 ついで味噌マヨキャベツ。これ、なかなかいけました。 前者を残しました。勘定は締めて580円。1ラーを下回る金額でした。所要時間20分。 もう1軒「馬力」という店に入りました。ホッピーを注文。 コブクロとシロ、それにマルチョウを当てに流しました。ナカをもう1杯もらい、ホッピーを注ぎました。こちらの勘定は2ラー強。滞在時間30分。センベロ酒場は楽しいな。 明日の午前も仕事です。ホテルに戻りました。すぐ近くにセブンがありました。ふらり入店。物足りなかったからでしょう。これを仕入れて部屋で打ち止めの儀式。今日の一句雑踏に生きる我が子の切なさよ今日のランなし今日の酒生中1 ホッピー(金宮2合) 冷酒300ml今日の写真はおしょろ丸航海の航跡図です。アップし損ねたので。平成30年4月12日(木) 午前5時起床。晴れ。朝シャワーの後朝食。どこもバイキング方式です。お代わりをして腹一杯になりました。生卵をおいていません。スクランブルエッグをご飯にかけて醤油を垂らしました。泊まった宿はチョコレート菓子メーカーが出資のホテル。朝食時、同社製品を食べ放題と謳っていましたが、朝からはちょっと・・・。宿泊客は思いのほか青い目の人が多かったです。写真は窓から見たスカイツリー。高所恐怖症の杣夫です。どうしてこんなものを態々建築したのかわからない。 今日は霞ヶ関方面を2箇所表敬訪問。それぞれで1時間ほど懇談。お偉いさんから名刺を頂きました。次の写真は訪問を終えての帰り道、地下鉄の入り口付近から撮った建物です。今、日本中の注目が集まっています。この先、どうなるんでしょうか。 羽田に向かいました。帰りの便まで少し時間があったので、立ち飲みに突っ込もうか。でも勤務中です。意味不明ですが李下に冠を正さず。せめてなにか美味いものを。空港ロビーを物色。結局、えい、ままよ。いつものパターンとなりました。 この後、ラウンジで読書。1冊読了。次の写真は機内から。新入社員教育の季節です。空港で働く人達も例に漏れません。少しの時間、観察しました。よそを向いてうわの空の若者もいたようです。頑張れ。 離陸して箱根の上空。芦ノ湖はカルデラ湖です。上から見て外輪をよく見て取れました。 富士山上空を通過。雪を被っていました。乗客が少なかったので、客室乗務員が声をかけてくれました。「お客様、あいにく富士山の真上を通過したので見えませんでしたね」杣夫「いえ、半分見ることができました。ありがとうございます」カメラを手に窓外をずっとのお上りさんに見えたのでしょう。綺麗な方でした。スチュワーデス、大方は長い髪をクルリ丸めてピン留めですが、この人はボーイッシュ、短いヘアでした。ちょっと蒼井優に似ていました。行きはJALでした。帰りは全日空。忽ちANA党になりました。女性の笑顔に勝るものなしです。写真はその富士山です。 おっ、名古屋上空だ。目を凝らすと、点ではありますが、南極観測船のオレンジが見えました。訪ねた折のことを思い出しました。nkucchan、mamaさん、禁玉さん、ももさん、このまちに住んでいるんだな。落下傘で降りてみようか。 この後畿内、大阪、瀬戸内を飛行。瀬戸大橋が手に取るようでした。家島が見えてきました。石の切り出しで有名です。大阪城の石垣も、幾分かはここのものです。私、この島を訪ねたことがあります。ここの石を海の中に沈めると、海草の付きがよくアワビ・サザエの繁殖にいいという報告があました。酔散の営業をしていた折、それを目的に購入、使ったことがあるのです。 それにしても瀬戸内は島々の多いこと。しかも大小のそれぞれ、殆どに集落が点在。島の生活はどうなんだろう。一所一所を訪ね歩き、其処に住む人の話を聞く旅を頭の中に描いて、勃然、その気がムラムラ膨らみました。旅情ではあります。 午後5時半、大分空港に降りました。弊社に戻ったのは午後7時過ぎ。留守した間に溜まった書類に目通し。帰宅が遅くなりました。いつもはシャワーですが、今日は妻が湯を張って待っていてくれました。湯船に浸かり弛緩。焼酎のお湯割りを流しました。忽ち廻りました。バタンキュー。今日の一句瀬戸の島伝い伝いて日の暮れる今日のランなし今日の酒白波1合 麦1合今日の写真は私の住む佐伯・木立の公民館グランドです。地区の野球チームでしょうか、照明をつけて練習中。この光が消えるとあたりは漆黒。都会の明るさとは無縁の鄙です。
2018年04月12日
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平成29年12月11日(月) 午前5時起床。終日晴れ。強い北風でした。先々週だったか、黄金色をしていた熊野神社の銀杏は、1枚の葉を残さず。一気に冬本番となりました。 新聞休刊日。面白くない朝でした。 リーマン仕事は判子押しの合間、明日に控えた小会議の準備。二日間、開かれます。会議以外、仕事の懸案は残っていますが、今週、それを終えると、肩の荷が下りた気持ちになります。帰宅途中、見え始めた星を数えながら、そろそろ賀状に取りかからないといけないな、大掃除とはまではいかないけれど家の窓ふきは私の役目。本の整理もしないといけないけれど、それは2年後だな。退職してでいいや。梅の木の本格的剪定と合わせ、先送りです。それに週末は山仕事もあるし。なんと言っても冬山のあの冷えて凛とした林間の空気、白い息を吐きながら木を倒していく無心。なんだかランナーズハイに似た感覚です。 帰宅して大風に折れました。懐中電灯をつけてのランは止め。シャワーを浴びて、あっ!日本酒を切らした。ふなぐちはありますが、それを燗には出来ません。仕方がない、焼酎のお湯割りにするか。白霧と白波を1合ずつ。それで打ち止め。 一杯やっていたら、海老輸入会社を個人経営する友人KからTELがありました。歳暮の礼に託けて、双方近況話。同級生の大方が定年前後になった、その話ばかりという内容でした。「2浪3浪の奴らは既にリタイア、自適もいるが再雇用で頑張っている者もいる、自分は70まで現役で頑張るよ、年明け、商談で九州を回るよ、その時訪ねるね」私「そうか、70までか。それなら、俺が退職して後、お前がインドやバングラディシュに買い付け出張する折、足手まといにはならないから連れて行け」そう言いました。二つ返事が返ってきました。嬉しいな。インド洋の漁村廻り、今から楽しみです。 年賀状の話が出たついで、思い出したことがあります。先月、NIKKEIの好友抄にマツダ専務、菖蒲田清孝氏が書いてた話です。友人にオムロンの竹林一さんという方がいて、その方からの賀状に「やりたいこと100連発」を書いてあったという内容です。「毎年の大晦日に翌年にやりたいことをまとめて書き出す。7割は実現するよ」実際にやってみると、そのとおりだったとのこと。「やらなくてはならないことのみを書くのではなく、自然と思いつくことをつづる。仕事のこと、家族のこと、友人のこと。自分と向き合いういい機会だ」なるほど。大晦日に酒をかっくらってグーグー寝てしまうよりずっといいな。 このところ、音楽はアルテックを中心でした。今日、所用でオーディオの師匠を訪ねました。当然、音楽談義の立ち話。ハイレゾのことについて、簡単な説明を受けました。上には上があるものです。野球はピッチャーが9割、オーディオはスピーカーが9割、と思っていました。しかし、野球に戦術があるように、オーディオにも先端技術に依るさらなる高みがあるようです。師匠の話は、或る意味、ハイレゾはレコードの音に共通するものがあるという内容でした。それならばと、オーディオルーム、タンノイの部屋へ行き、その話を思い出しながら耳を傾けました。アシュケナージのラフマニノフ。冬の夜にいいマッチングでした。トラがやってきて膝の上に乗りました。テレビの煩いバラエティ番組に閉口したんだな、おーよしよし。頭を撫でてやりました。お休みなさい。今日の一句木枯らしに芋焼酎と肩すぼめ今日のランなし今日の酒芋焼酎2合今日の写真はJRAから届いた親展です。年末年始の競争日程を案内でした。中に来年1年間のスケジュールもありました。東京優駿は5月27日。その頃は梅がそろそろ収穫期、梅雨の走りで湿っぽい頃です。あと半年先。あれこれ考えると、1年は長いようでもあるし、短いようでも。
2017年12月11日
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平成30年8月18日(土) 午前4時起床。曇り、午後晴れました。昨日に続いて暑さ一服。 早起きしてきた妻が「あなた、今日は菜園の始末をするわ。手伝ってね」 そうしました。草刈り機で伸びた雑草を刈りました。エンジンを背負ったついで、刃をビニールのそれに替え、梅林下の露草も始末。飛び散った緑が前掛けにびっしりくっつきました。写真はそれを洗い流すの図。 ピーマンを支え続けた女竹にアマガエルがちょこん。おい、どいてくれよ。ここも始末するんだから。 生き物ついでにもう一枚。広げたマルチシートを剥がす際、逃げ惑うショウリョウバッタを捕まえました。トノサマバッタと違い、面長です。コオロギも、と思いましたが、すばしっこくて難儀。遊んでいる場合ではないということでやめました。 一段落しての水分補給は冷えた西瓜。妻と競争でワシワシ。うーん、甘露甘露。真桑瓜も腹の中に収まりました。冷えた瓜の類いは暑気に格別です。身体も冷えました。 さてと、新米ができたということなので盛岡ぶどう園へ。ここの葡萄は評判なんです。ついでにそれも買おうか。 ここには時折すれ違うバーニーズマウンテンのマメリちゃんがいます。案の定、お利口に店番をしていました。おーよしよし、頭を撫で、首回りを掻いてあげました。 盛岡ぶどう園、カボスも栽培しています。これ、万能調味料です。輪切りにして各種料理に絞って掛けたら風味一変。勿論焼酎との相性もよい。夏はカボスハイ、涼しくなるとお湯割りに、です。結局コシヒカリの新米と巨峰、それにカボス、全種類を求めました。ちなみにお米は5kgが5ラーでした。 家に戻りました。先日、兄が築山の剪定をしたんですが、その枝を蒟蒻畑に突っ込んでいました。そんなところに無体は草刈りの段になっていい迷惑。引っ張り出して燃やしました。エンジン式ブロアーが活躍。風を吹き込むと忽ち火が大きくなりました。生の枝葉であってもよく燃えます。この煙は蚊遣りになってよいです。 トラクターに乗りました。オクラを除いて猫の額を耕耘。茄子と苦瓜はまだ元気なのでそのままにしました。「あなた、鎌が切れないの」研ぎました。紫陽花の剪定を始めた彼女、続いて「剪定ばさみもだめなのよ」手に取りました。刃が錆びてこれも切れ上がっていました。中心のネジをはずしました。そこも錆びて万力の世話になりました。写真は研ぎ終えた図。ネジ加減は微調整が必要です。試し切りした妻曰く「剪定ばさみのこの音、久しぶりよ。心地いいわ」よかったです。 昼はインスタントラーメン。刃物研ぎに機嫌をよくした妻がこさえてくれました。いつもは自分で作る素うどんならぬ素ラーメンです。今日のは菠薐草のトッピング、玉子をとじ、胡麻もたっぷりのサッポロ一番塩ラーメンでした。 腹の落ち着いて、さてと、今日はビンディングペダルの感触を確かめよう。輪行することにしました。新調のシューズも初おろし。コースは堅田経由青山を蒲江方面へ。轟トンネルを抜けた先が道の駅かまえ。高山海岸を走って入津湾へ。畑野浦峠を越えて帰着のコース。二つの峠越えがあります。ビギナーの私にとって70kmは少し難儀かな。 出発して、すぐ、右のクリートに調整の必要あることが判りました。困りました。このまま我慢して行くか。あっ、そうだ、丁度波越のあたりでした。親方の家に寄ってみよう。「親方、六角レンチを貸してくりーの」家にひっくり返っていた彼が起き出して、納屋からこれを出してくれました。あったあった、これは助かる。早速調整を済ませました。 次の写真は轟峠のトンネルです。三軒茶屋からの登りは厳しかった。足がパンパンになりました。 ここを抜けると海岸までペダルを踏む必要なし。一気の下りでした。道の駅かまえに寄り、自販機で冷たいお茶を1本。嗚呼甘露甘露。写真は私の愛車です。 ここからは海沿いを走りました。高山海岸から深島を望むの図。ここはダイビングのスポットです。蒲江港から船で25分。周囲4kmの有人島です。大分県の最南端。最近は飼猫が増え、猫島として有名です。人口は20人ほどですが深島食堂という名の店があります。気持ちのいい眺めでした。 高山トンネルを抜け、入津湾へ出ました。典型的なリアス式海岸です。小さく突き出て引っ込んでの海岸線を右に左に。写真は楠本に咲いたブーゲンビリアです。パチリ取っていたら人の声。菜園畑におばあさんが二人、野菜の出来加減を評し合っていました。普段の会話でしょうが、まるで喧嘩をしているような言葉遣い、しかも大声。女性をしてこの荒いこの浜言葉、残したいです。 下り松付近から望む横島、その向こうは鶴御崎です。九州最東端。♪豊後鶴御崎男の港~、鳥羽一郎の歌う「男の港」の舞台です。その2番にはこうあります。 踊る銀鱗しぶきの華に 親父ゆずりの腕がなる 照らせ男のこの晴れ舞台 ありがとう水の子の灯台(あかり) 豊後鶴御崎男の港その水の子灯台は半島の遙か彼方。見えません。映画「喜びも悲しみも幾年月」が舞台です。 県道は畑野浦の集落を避けるよう、山側を走っています。敢えて旧道、家並みの中を進みました。漁村の風情が残っていました。漁協、小さな雑貨屋、惣菜の店、ガソリンスタンド、医者や歯医者の看板も。そのどれもが時代を感じさせます。1週間前、盆に帰省した人たちも都会に戻ってなのでしょう、その閑散ぶりが妙に実感できました。そこでH先生に遇いました。短パン半袖Tシャツ。帽子をかぶってランの恰好でした。彼はドクター。90近くの年齢です。彼の娘とは孝行の同級生。背の高く、髪の長い美人でした。孝行の折り、英語が得意で何かの英語弁論大会で優勝、その賞品を見せてくれたことがありました。英語レッスンの教材、レコード盤でした。東京の有名某女子大に進学、田舎にあって医者の娘、才色兼備は高嶺の花。遠くから眺めるしかありませんでした。先生は父と懇意にしています。その関係で自転車を止めて挨拶しました。お元気ですね、そう声を掛けたら、もう走れないとと笑って返されました。君はT君の次男だったよね、うちのK子と同級生の。今、家に帰っているよ。そうもおっしゃいました。そうか、会いたかったです。 畑野浦峠も厳しい登りでした。途中、片側はガードレール。下は深い谷。高所恐怖症です。いけませんでした。トンネルに辿り着いて輪行はここでほぼ終わり。そこを抜けたら一気の下り。ペダルを踏まずに拙宅へ到着しました。写真は私の足です。日に焼けました。ちなみにユニホームはサガンの所属するボーラ=ハンスグローエモデル。格好いいでしょう。 やっ、もうこんな時刻か。急いでシャワーを浴びて、まちに繰り出しました。今日はアマチュア無線クラブの年次総会。仲間は全部で10人ほどいるんですが、なんやかやあっておっさん3人だけの出席。会場は「肴や はじめ」でした。若い夫婦で切り盛りの小さなお店でした。 先ずはビールで乾杯。うーん、沁みる沁みる。輪行の疲れが顔に出ている杣夫です。 次の写真は向かいの二人。左がN氏、右がI氏。両人とも電気と電波の知識は半端でない。何れもその筋の学校を卒業しています。必然、話題は深く専門的。ついて行けません。当方、飲むだけです。幸い、酒は充実。 メニューも豊富。 最初に登場のお作り。キビナゴがいい感じでした。 冷酒をやって貰おうか。ぐびっ、うん、いい酒です。 私もですが前の二人も健啖。鰺フライ、蛸カラ、コロッケ、出汁巻き玉子、新秋刀魚の塩焼き、ミニステーキ、あさりバター、モツァレラチーズ、とり天、チキン南蛮・・・。勝手放題の注文に飲み放題。次の写真はその中からの1枚です。 もう一杯日本酒をやって貰おうか。飲んだことのない「雪男」。ラベルもその通りでした。 〆にI氏と一緒、ワインを3グラスか4グラス飲みました。N氏はビール一本槍。多分ジョッキ7杯は飲んだはずです。あー食べた食べた、飲んだ飲んだ。酔い覚ましに津ね三へ顔を出すとするか。よっ、大将、久しぶり。写真はそこで開栓の日向木挽です。 やっ、N氏、ここでもビールをやっている。美味そうに飲む顔がいい感じです。I氏と私は焼酎ロック。 大将、安くて美味い当てをお願い。これが出てきました。鰻肝です。 おっ、身うるかだ。日本酒に変えたいところでしたが、焼酎を飲みあげないと帰れません。何を頑張るのか判りませんが頑張りました。 とその時でした。若いお兄さん風の3人組が入店。大阪弁でした。大将に鰤の寿司とごまだしうどん、それにだし巻き玉子を注文。そのやりとりで、内の一人がFくんと判りました。以前、妻が小学校の教師をしていた頃の同僚Fさんのお子さんです。今、何をしているのかい?訊いてみました。なんと、吉本興業に所属の芸人さんでした。連れの二人もそうとのこと。へーっ、そうなんだ。写真に一緒、収まりました。頑張れよ。 帰宅は午後10時半。バタンキュー。今日の類語は雪男、その語尾一致 大男、下男、美男、間男、色男、東男、九州男児、雨男、嵐を呼ぶ男、一代男、隠し男、寺男、伊達男、嫡男、醜男、旗本退屈男、優男、益荒男、山男・・・まだまだありそうです。ブロ友4人兄弟はそれぞれどれかに該当しそうです。間男もいるんだろうか。今日の一句秋団扇暖簾の中に揺れており今日のラン輪行75km(峠越え2)今日の酒生ビール中3 冷酒1合 グラスワイン3 焼酎1合今日の写真はオクラの花です。違う種類なんでしょう、実は赤っぽいです。気味悪くて食べたくないとは妻の弁。まだ小さいです。大きくなるのが楽しみです。
2018年08月18日
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平成30年11月19日(月) 午前3時半起床。夜来の雨が出勤時まで残りました。午後は晴れました。夕刻、親方にTELしました。彼は午後、山に入り、昨日倒した杉20本の始末を終えたとのこと。私はビルの中で仕事。山中の彼が羨ましい。 前後します。午前は某業界プレゼンの審査。午後は弊社幹部と親会社幹部の合同勉強会がありました。個々人のスキルアップか、理念の共有か、どちらを念頭に置いてのものか、私にはよく判りませんでした。歳を取ったということでしょうか。それはそれとして、新しい分野に進出の場合、所謂専門家が必要だということが講師の弁、底流にあることは分かりました。それだけは頑首。方針だけ決めて、後はよしなに、ではダッチロール必定。その意味ではもっともなことです。今、担当する子会社の案件がその道を辿ってきましたから。講師のおっしゃるとおりでした。 夜は講師を囲む懇親会でした。外せない野暮用があり、これを欠席。そちらに回りました。写真は昼に食べた弁当です。今日は炊き込みご飯でした。 とっぷり、日の暮れて帰宅。妻が「お帰りなさい」に続け、嘉風の負けたこと、日産のゴーン会長が東京地検に事情聴取されていることを教えてくれました。驚きました。彼のこと、今回の容疑とは別、生い立ちと経歴を日経コラム「私の履歴書」で知りました。日産の業績をV字回復させた辣腕経営者としての評価をしての掲載だったのでしょう。それが逮捕確実とのこと。晩節を汚すとはこのことです。ここで余談です。私の履歴書に登場する人物は功成り名を成した方かりです。しかし、その後、ゴーン氏と同じよう名誉失墜、名声地に墜つの人もいます。金丸信がそうでした。余談の余談です。同様のこと、小さな晩節汚しは私の周りにもあります。例えば隣町で長い間町長をした文人肌の方が、別の人の選挙応援でたまたま僅か数千円の飲食を数人に供したことで逮捕・起訴されました。たったそれだけで、というと語弊がありますが、綻びはあっという間、好事魔多しの出来事ではありました。今日の一首愛猫が暖の恋しき秋の朝温み求めて布団を被る大根に箸先スルリ入る夜の晩酌嘗めて木枯らしの吹く秋天の熟柿に竿を差し上げてこれは我がものそれは烏よ今日の類語「辣腕」 やり手、凄腕、豪腕、剛腕、凄玉、敏腕、骨のある、出来る、切れ者、実力者 これらの表現自体、特に悪いということではありませんが、「清廉潔白」とは相容れないようです。今日のランなし今日の酒麦焼酎ぶんご太郎1合 今日の写真は晩酌の図。私のまちの蔵、ぶんご銘醸の焼酎、そのなもぶんご太郎。オーソドックスな麦の味です。 今日の当て。拙宅に出来た大根でこさえました。右は猪の煮込みに白菜を加えたもの。 隣のおばちゃんがバラ寿司をこさえたそうで、裾分がありました。全部食べて満腹。 おまけにこれが出てきました。
2018年11月19日
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平成31年3月9日(土) 午前6時起床。晴れ。 昨晩、依って帰宅。それなのに猶冷酒をやりました。飲み助の悪いところがでました。午前中、頭が重かったです。朝のうち、母からTELあり。今日が祖父の命日、湯布院に暮らす叔母がやってくるとのこと。昨日、父にカメラのフィルムを買ってくるよう頼まれたのですが、彼女を迎えてのためなんだ。合点がいきました。さて、今日が特別の法要ではなく、叔母のやってくるのはたまたま魔の差して、のようでした。祖父は私の生まれる前に他界しています。多分昭和20年代前半でしょう。70年ほど経っています。写真でしか顔を知りません。父にフィルムを届けたら、叔母はご主人と一緒するそうで、父に「酒を一本持って来い」と言われました。惜しかったのですが、鍋島の生をあげました。写真は父の庭、築山の白木蓮です。咲き始めました。 風邪気味「医者に薬を処方して貰うわ」妻は出かけました。午前、ぼんやり読書。昼を回って手持ち無沙汰。明日、日曜日は仕事です。加えて雨模様。自転車の練習は今日しておくに限ります。軽い昼をして、着替えました。写真は数日前に届いた秋冬春、スリーシーズン用のユニホームです。私のロードレーサーはキャノンデールですが、こちらはトレック。ファッションにこだわらない杣夫です。 木立から番匠川河口へ。今日は坂を入れませんでした。以下は道中の切り取りです。1枚目は後1kmで河口というところです。大潮は昨日まで、今日は中潮でしたが、潮干狩りの人がちらほら。ここは蛤がでます。 おっ、堤防の法面に何か描いて入るぞ。バイクを降りて正面に廻ろうかと思いましたが、ビンディングシューズなので面倒。そのままやり過ごしました。 河口に出て来ました。竹が島や三栗、左に四浦半島が見えました。 突き当たり、エコセンター番匠(清掃工場)のところで竹ヶ島を望遠にしてパチリ。向こうにうっすら見える稜線は愛媛県南予、宇和島市辺りです。水平線の一番左に写っているのが水の子灯台。映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台になりました。 コンデジを背中のポケットに押し込み、水分補給を。ところが、しまった!ペットボトルを忘れてきました。まずい。財布を持っていません。番匠川を遡り、本匠の大水車までと思っていたのですが、途中、稲垣橋で折り返しました。30kmに届きませんでした。 帰宅して風呂。妻の言を入れ、早めに晩ご飯。写真は今日のガソリン男山です。燗にしてみました。 当ては米水津名産の丸寿司。小鯵を頭のついたまま開いて酢で締め、握っています。紫蘇の葉でくるり巻いてあるのが特徴。頭からガブリが美味しいです。これ、昨晩の送別会にM君が持ってきて、帰りに手渡されたのです。3パックも。話が跳びます。私の妻は小学校の教師でした。初任地が米水津の色宮小学校でした。そこで担任した一人がMくんなのでした。昨日、彼が彼の母親に、今日、F(妻の旧姓)先生の旦那さんの送別会がある旨を話したところ、それじゃーF先生にこれを届けて、ということで託かったとのこと。未だ、覚えていて、気を遣ってくれること、妻は幸せです。M君、有り難う。美味しかったです。 書くことがないので先日木曜日に紹介した同僚Kさんが話の続きです。業務用冷蔵庫を所有、日本酒の一升瓶を30本ストックは前述しました。以下は翌金曜日、会議の前の僅かの時間、立ち話をした内容です。「ああ、Tさん(私のこと)、おはようございます。えっ、また酒の話ですか。いえいえ、とんでもない。私も好きですから構いませんよ。そうですね、月曜から木曜までは我慢しているんです。その代わり、週末はがっつりやりますよ。勿論家飲みですがね。生酒専門です。ただし、それを燗にする時もありますが。やり始めると5合や6合ではききません。一升空きますね。その折り、『やわらか』は外せませんね。ええ、チェイサーのことです。二日酔いはしませんよ。悪い酒は覿面ですが、純米酒は身体に優しいんです。合わせる料理をこさえるのも厭いませんよ。魚を捌くのが得意というか、嬉しくて。パスタなんぞもつくりますよ。うちは一族皆日本酒好きでしてね。正月は本家に親戚筋20人ほどが集まって酒盛りをするんですが、大晦日から三が日、毎日12~3本が空になります。えっ、お薦めですか?そうですね、島根の『王禄』や香川の『凱陣』などは私の好みです。注文はネットショッピング中心ですが、保冷剤を入れた大きなクーラーボックスを車に乗せ、福岡辺りまで買い出しに行くこともありますよ」 うーん、自宅で一晩に一升か。凄いなぁ。亮さんといい勝負かもしれない。今日の類語「ファッション」 被服、服装、衣装、装束、ワードローブ、身ぐるみ、コスチューム、服飾、装い、出で立ち ワードローブとは個人や劇団の所有する衣装全体のことをいうそうです。ふーん、そのことをしてブログ4兄弟の長男、nkucchanを思い出しました。彼はオシャレです。nkucchan邸のワードローブ、凄いんだろうな。余談です。兄貴の後にマルコス元大統領夫人の話を持ち出して失礼かと思いますが、それはそれとして彼女のワードローブ、靴だけで3,000足を上回ったとか。ハワイに亡命して後、マラカニアン宮殿の奥の院にカメラが入って、明らかになりました。上には上がいます。今日の一句菜の花や寒の戻りに色締まり雨毎にキャベツの玉の膨らみて瓜畑老父の打てり鍬の音今日のラン無し ロードレーサー25km今日の酒燗酒2合 冷酒1合今日の写真はネタ切れにつき数日前のものを。手に取ったイレーヌ・ネミロフスキー「フランス組曲」、捲っていて栞紐に気づきました。この図です。製本してまだ一度も使われた形跡なし。書店の本を手に取った時の状態でした。2012年発行ですから、これまでの7年間、誰も手にしなかったのか、佐伯図書館では私が最初だな。そう思うと嬉しくなりました。それとは別、よかれと思い購入した本が誰にも借りられず埋もれていくこともあるんだな、そうも思われ、この辺りは小説の切り口になりそう。
2019年03月09日
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Tuesday, November 5, 2019 午前4時起床。快晴。 未明の外気温は、放射冷却現象のこともあって10℃を下回りました。拙宅は荒ら家です。冷気が忍び込んできていました。寒さに耐えかね、今期初、ストーブに着火。炊き始めました。こうなることを予想、昨日、薪を室内に運び込んでいたのでした。写真は待ってましたのトラです。 朝一、農業用マルチシートを軽トラに積みました。父の畑で使い古したものがかなりの量、ありました。 産廃処理業者向けになりました。リーマンの時代、其処の社長さんにはお世話になりました。弊社、男女共同参画の取組を広めるのも仕事でした。私が担当したとき、審議会のメンバーにY社長をお願いし、快諾頂いたのでした。彼に白羽の理由は、経営する会社の女性比率が当該業種にしては随分高いためでした。過去に幾度か訪ね、事務室は言うに及ばず、現場に快活、働く女性たちを見て、いい感じを覚えていたのです。今日は彼に遅ればせ、退職したことを話し、その節のお礼を言いました。笑顔がとても素敵でした。勿論、女子社員は今日もはつらつでした。写真は持ち込んだマルチシートと我楽多です。3ラーあまりの料金でした。この後、父の家の家庭ゴミをもう1車満車にして、清掃センターへ。産廃でないのでこちらは1/6ラー、100円でした。(ラーとは岐阜県多治見市の極一部に流通の仮想通貨です。固定相場制を敷いています。円換算すると1ラー=600円。)次の写真は市経営のゴミ処理工場玄関から佐伯湾を眺めるの図。すっかり冬の色になっていました。 家に戻ったら妻不在。父母をカットに連れて行ったようでした。午後2時頃に戻ってきました。その間、昼を食べずに大蒜を植えました。球根が父の作業小屋にぶら下がってあるのを認めたからでした。それを土に突っ込みました。順調に育てば来年は大蒜三昧です。写真は昼前、野良の合間に食べたカステラです。隣家のK君が長崎旅行の土産。抹茶がいい感じでした。 遅い昼をした後は豌豆の畝作り。トラクターで一掻きした後、耕運機を使いました。幅1.2mを2本。マルチシートで覆いました。しみったれの杣夫です。そのシートはこの夏、父が西瓜畑に使ったもの、再利用です。写真は作業中の一枚。途中、妻が顔を出し「その幅はいけないわ、もっと狭くして頂戴」こちとら汗をかく身。船頭の手戻り指図に苛つきましたが、グッと我慢。顔に出さぬが肝心です。 勝手口からまたもや顔が覗きました。またかと思いきや「あなた、Uさんが釣鰺を持ってきてくれたわ。宜しくね。そうね、数が多いから南蛮にするわ。私の実家、母にも刺身をお願いね」 チャチャッとやっつけました。釣ったばかりの鮮度抜群。まさにキンキンバチバチでした。魚の新しければ新しいほど庖丁が切れます。今日がそうでした。 今日はこれで打ち止め。湯船に浸かった後、これを当てに白波のお湯割りを流しました。テレビでWBCをやっていましたが、途中で落ちました。バタンキュー。 写真をもう一枚。妻の夜なべです。収穫した生姜を刻みました。これ、佃煮になるそうです。庖丁が切れるので助かると言ってくれました。いい気分です。今日の一句朝冷えにストーブ焚きて猫達磨今日のランなし今日の酒黒白波お湯割り4今日の写真は猫2枚。1枚目は野良です。家の周りに居着いているバイカルに模様がよく似ています。時々見かけます。名前を付けてなければ。こちらはトラ。窓外にその猫を認め、威嚇の大声を出していました。尻尾が狸だ。札幌旅行その2(Thursday, October 31, 2019) 二日目は午前1時に目が覚めました。この時刻に起きても為す術無し。木賃宿併設24時間営業の大浴場に浸かりました。水を飲んでも一度ベッドへ。 朝ご飯を食べた後、ホテル前の電停から市電に乗ってA先生宅へ向かいました。写真は札幌市電です。緑色は昔からですが、最近はピンクの同型やヨーロッパのトロリーバスも走っています。 先生の家は藻岩山の麓にあります。山腹は紅葉が終わりを迎えていました。某電停を降りて徒歩5分が先生宅です。 連絡をしてありました。午前9時、部屋の中から窓越し、外を覗いていました。目の合うなり、おいここだここだ、口のそう言っているのが判るよう、手を振ってくれました。待っていてくれたのでしょう。グッときました。再会は何年ぶりでしょうか。居間に案内され、積もる話を1時間。先生は卒寿、ペースメーカーを埋めて遠出能わず、不如意の生活と伺っていました。お目にかかって何の何の、教官時代と変わらぬ怪気炎でした。安心しました。曰く「おー、よく来たな。葉書で知ったが文学館に行くのかい。お前も好きだなぁ。奧さんは元気か。そうそう、先だっては柿を有り難う。好物だ。家内と美味しく頂いたよ。果物の見た目、器量が悪いなんてとんでもない、いい味だった。うん、ストーブはもう早くから焚いているよ。寒いんだわ。それに座ってばかり、動けない。ゴミ出しに300m歩くのがやっとだよ。朝、新聞を1時間かけて隅から隅まで読んだ後はテレビだ。ただな、1時間で飽くのよ。その後は何もすることがない。この身体、もうよくなることはない、よくて現状維持だ~。それはそうとお前は佐伯だったな。札幌にやってくると聞いて調べたよ、お前のまちを。私の兄が海兵出で、佐伯に入港したこともあると聞いたことがあるぞ。随分前、お前の家に泊めて貰ったときは失念していて、先日思い出したんだ。兄かい?戦死したよ。ところで仲間と連絡は取り合っているのか?HやSには会うのか?そうか、今回は会わないのか。まぁそれもいい。Sはこないだ、訪ねてきてくれたよ。道の水産部を退職し、札幌の某会社に天下っていると聞いた。Hはお前より年上だろう。一浪と留年で一緒の学年になったんだよな。彼の両親が交通事故死したときは、俺の教え子に弁護士がいて、世話を焼いたよ。泣き寝入りせずに済んだ。相手には刑事罰が下った。いろいろあったなぁ。ところでお前の先輩、Aはまだ広島に住んでいるのか?築地のKも退職したんだろうな。高松のMは父親の後を手伝っているそうだ。お前たち野球部の連中は全部顔と名前が一致するよ。がよかったなあの時代は。印象深い。函館の金成はまだやっているんだろうか?ああ、代が変わったんだったな。ウンウン、昔話は楽しい。それにしてもこの年になると、便りが少なくなる。死亡通知ばかりだ。俺が最後に死ぬんだわ。香典を包んでばかりで、もう元は取れない。畜生め。腹いせに俺は葬式をしないよ。家族に厳しくそう言っている。誰にも連絡してはいけない。新聞掲載もノン。遺体は白百合会行きだ。医学部への献体だよ。教官だったんだから当たり前。最後の勤めだ。えっ、もう帰るのか?だめだ。10時までいろ。そう急ぐな。一日中居たってかまやしないんだ。こうして座っているだけなんだから。(ここで電話着信音、奧さんに向かって)おい、電話だ。誰からか判らないが、多分お前だ。早く出ろ・・・」 先生の話は止まるところを知りません。切りがありません。 教官と学生の関係だった頃、先生の口癖は「偉くもないのに威張るな!」でした。私たち教え子は先生の前に出ると「はい」しか言えなかったです。でも、その時の心地いいことといったら。 先生は面倒見のよい方でした。所謂親分肌。面倒をかけ、お世話になり、手を煩わせた教え子は数知れず。今日もそのエピソードを幾つか聞かされました。例えば教え子の一人は某野球部監督だった時、相手打者のホームランをファウルと主張、審判を殴り謹慎、その彼を弁護に奔走、処分が緩み、別の高校に移動させ、其処の監督に据えたとのこと。彼はみるみる手腕を発揮、道内の高校を6度も甲子園に導いたとのことでした。余談です。その彼は先月、79歳で死亡。明日、先生は奧さんに付き添われて彼のお別れ会に出席するとのことでした。 先生は札幌一中卒です。後輩に作家・渡辺淳一がいたそうです。5年の時に彼が入学してきたとのこと。優男だったようで、野球部且つ硬派の先生は「優男で女の尻ばかり追いかけていたからぶん殴ってやったんだ」そうです。他にも少女人形が物知り話をする番組のナレーターアナウンサー女子のNHK入局、札幌オリンピックの際、選手の健康診断で女子フィギアスケーターメダリスト担当・・・。数え上げればこれまた切りがありません。写真は先生とのツーショットです。教え子、世話になった輩がこの写真を見ると、きっと羨ましがることと思います。 10時を回り、そろそろ先生、と言うと、途端、顔が曇りました。名残惜しそうでしたが、其処は恩師。「よし、また来い」。玄関を出、寒い中、奧さんと道路まで見送りに出てくれました。藻岩山からの吹き下ろしに雨交じり、雪になりそうな空模様でした。曲がり角までの100m、3回振り返りました。杖をついた姿が少し傾いていました。後ろを振り向く度、先生の顔はくしゃくしゃ、崩れていくようでした。私も同じでした。辻を曲がる直前、私、被っていた帽子を振りました。涙が零れました。今生の別れという言葉が過りましたが、それは押し殺しました。また会いに来るぞ、折に触れての便りは欠かさずを誓いました。写真は先生ご夫婦です。家の周囲はマンションでした。先生宅だけが意固地のよう、庭に花を植え、がんばっていました。いかにも、の様子です。 電停までの道は足が重かったです。 電車に乗って、地面から伝わるゴトゴト感に、気持ちを変えることが出来ました。中島公園通で下車。公園内に足を踏み入れました。途端、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできました。終わり前の鮮やかさでした。写真にはありませんが、ナナカマドの実が赤い。 今回の訪札目的はこの催しを訪ねることでした。 特別展「保阪正康の仕事」を見るためでした。加えて常設展とアーカイヴ第3期「八木義徳と北海道」もやっており、杣夫としては是非とも訪ねなといけない内容でした。八木は何を隠そう、同窓、酔散の先輩なんです。樺太旅行中に宿泊費を踏み倒し、肉体労働で支払いをしたとのエピソードが退学理由とか。後、稲門を潜り芥川賞作家となりました。従軍作家として大陸にいたとき、その通知を受けたとのこと。受賞作は「劉廣福」。一人の中国人労働者を描く快哉小説です。知らせを聞いた時、その隊にいた少尉、日本百名山の深田久彌にお祝いとして煙草を貰ったそうです。後年、読売文学賞や菊池寛賞も受賞。 さて、保阪正康氏は歴史評論家です。多数の本を出版。半藤一利とともに昭和史の研究は他の追随を許しません。展示内容はとても充実したものでした。年表や時々の時代背景は学芸員の手によるものでしょう。構成が素晴らしい。 氏は札幌東高校卒業後、同志社大へ進学、院に進みました。其処を卒業後、一時期北海タイムスで短期アルバイトをした後、朝日ソノラマに入社。結婚し、まだ幼い子どもを抱えてジャーナリストとしての独立を決心。以降は承知の通り、膨大な著作を残していきます。以下、展示会の印象を。 先ずは氏の勉強ノートが凄い。整理した昭和5年のノート、実物がありました。几帳面の楷書、万年筆の筆跡が歴史に向き合う真摯の姿勢を醸していました。整理の緻密さには気魄迫るものがありました。几帳面のスケジュールは文化手帳。それぞれの事件が取材メモも幾つか。東條カツ(英機の妻)を取材した折のそれもありました。取材に臨んで氏はアピカのA4ノートを使用でした。横書き。 展示の文中、幾つか語録を拾ってみました。「社会の価値観が揺らぐとき、奇異な事件や事象が起きる」「年表の一行を一冊に」「同期が至純ならば全ての行為が許されるという誤った感覚が(昭和の)主軸」「(取材方法は)第一次円(肉親)、第二次円(同僚部下親友)、第3次円(仕事、趣味など社会的関係)、~枠組みをそっくり~取材対象を絞り証言を集めていく」 何れも含蓄ありです。勉強になります。 文学館は「昭和陸軍の研究」朝日新聞社を渾身のライフワークと位置づけていました。まだ読んでいません。 没頭するも途中で疲れ、中休みを入れました。トーストと珈琲の休憩時間。それが昼ご飯。風花が舞いそうな天気でした。 戻ります。この展示に合わせ、氏の語るインタビューもありました。1回が30分ほどの内容でした。E・H・カーの言葉「歴史はしがらみの中にある」を引用、紐解き、解き明かすため、何故その事象が生じたのか、時代背景と必然を考証すると話しました。当たり前のことですが、氏の口が語ると重みを増します。 来た甲斐がありました。再度書きます。勉強になりました。 頭を整理し、常設展とアーカイヴのフロアに。前者は、北の大地に関係した作家を時系列に並べて紹介していました。引かれたものを以下に。「虹と雪のバラード」は河邨丈一郎作であったり、岡田嘉子のことを書いた本は「半丁国境」西木正明だったり、千島列島が舞台の佐々木譲「択捉発緊急電」だったり。樺太文学というジャンルのあるのを知りました。斯様、執筆の動機を駆られた作家たちの列伝が続きました。岩波文庫「アイヌ神話集」の知里幸恵に送った金田一京助の実物葉書がりました。19歳で夭折の女性をして、アイヌ文化が風前の灯火であることを痛感。残念です。他に小林多喜二の自筆や伊藤整の色紙、「丹下左膳」は北海道出身の作家長谷川海太郎が林不忘のペンネームで書いたことも。原田康子の自筆は小さな文字。渡辺淳一のそれにはA先生が言っていた通り、女ったらしの感じを覚えました。 アーカイヴの方は八木義徳。「クッタラ湖」や「海霧の街で」は北海道の色が濃い。特に前者はヒメマスの移植がストーリー。酔散を勉強した当方、興味ありでした。八木の従軍は先に書きましたが、記者としてです。徴兵は赤紙に依りますが、従軍記者としての召集令状は「白紙」と呼ばれたそうです。その名の通り、白い色をしていたとのこと。知りませんでした。余談です、今日出海や林芙美子も従軍作家でした。 北海道立文学館の常設展、維新以降の潮流を展示です。その流れとは別、私はアイヌ文学に惹かれました。金田一の葉書とは別、数多の資料を前にし、カムチャッカ、千島列島、北海道、それぞれに暮らした少数民族の内地同化政策が悲しさに思いが至りました。ここで深掘りは出来ませんが、哀しい宿命です。写真はここの入館チケットです。うち、特別展は11月7日までの開催。惜しいなぁ。 今回の文学館訪問、最後に昭和を理解する本として保阪氏が10冊を挙げています。それを以下に。「回想10年」吉田茂「西園寺公と政局」原田熊雄「侍従長の回想」藤田尚徳「側近日誌」木下道雄「失われし政治」近衛文麿「戦中派不戦日記」山田風太郎「レイテ戦記」大岡昇平「太平洋戦争」小島襄「昭和史1926-1945」半藤一利 最後にメモを。保阪氏は唐牛健太郎との交流あり。父との対立もあり「所詮人生はそのようなものだと思う」との言葉には親子であっても・・・。諦念じみたものなのか。 腹一杯になりました。今日は終日、ここで過ごしました。立ちっぱなしの鑑賞は疲れます。次の写真は求めた書籍です。福岡在住の元新聞記者Sさんにリクエストされていました。購入し、この後、コンビニから発送。 文学館を出て、やっぱり来てよかった、と思いました。繰り返しになりますが、保阪氏のものの見方と真摯な求道研究、八木義徳の人となり、北海道文学の歴史、何れにも深いものを感じました。次の写真は一杯になって漫ろ散歩の道すがらです。展覧会の重さ、A先生との別れ、それぞれが相まって溜息が出ました。この紅葉にちょっぴりアンニュイでした。 木賃宿に戻り風呂を浴びました。湯船に浸かり、またも溜息。重ね重ねです。札幌が産んだ保阪正康は、今現在、最高のジャーナリストの一人です。 さてと、今日はA先生に会ったし、文学館にも遊んだ。心地好い疲れです。癒やす必要無しですが、夜の部に出撃しなければなりません。ラインに「札幌の予報は寒いわ。おでんを食べて温まって」と妻からの頼りもあって、スマホで「おでん」を検索しました。「なすの花」という店がヒット。何々、茄子?私は日本一茄子を食べる男(自称)です。訪ねないわけにはいきません。 暖簾を潜ったら、私と同じ年頃かと思しき女性がやっていました。おばんざいの店です。 セットを注文。出て来た突き出しがいい感じでした。真ん中はブリ。これを当てに日本酒を3種。このところ、ヤズの水揚げが増えた由。これも美味しかったです。 スガキを貰いました。佐呂間産だそうです。厚岸の方は大粒だけれど、こちらも美味しいよ、そう説明してくれました。 最初の一杯は注いでくれました。 ママさんは札幌近郊出身。親は牧場経営、自分も家畜の世話をしたと話しました。あれこれあって廃業。土地を切り売りして糊口を凌いだとのこと。娘さんが海外にワーキングホリデー、それが自慢のようでした。店名の由縁を訊きました。咲いた茄子の花は必ず実になるから、と返ってきました。写真は干した杯と猪口です。北海道の地酒も奥が深い。 いい気色で勘定を済ませました。少し歩いてみおうか。次の写真は札幌のランドマーク、髭のおっさんです。今日はリニューアルなのか、掃除なのか、足場が掛かっていました。 夜風に冷えました。もう一軒、狸小路の「いなり」に突っ込みました。大衆酒場です。 中はコの字カウンター。多くのお客さんでごった返していました。機転の利くテキパキのお姉さんがよかったです。 ここのビールはサッポロ赤星の瓶。おおっ、甘露甘露。同席したとなりのお兄さんが手持ち無沙汰。横目に窺うと、年齢も体型も私の息子に似ていました。親しみを覚え、声をかけしました。函館住まいのリーマン、札幌に出張とのこと。明日帰函。奧さんは道南、日本海側にある某神社の娘さん。自身は札幌出身。今は婿殿として楽しい生活らしい。土産にお義父さんへ酒を買って帰るといいよ、そう言うと、酒は祝詞の折毎頂くので、奥さんの実家には有り余るほどある、よって不要、飲んで減らしてくれと何時も言われている、とのこと。大笑いしました。羨ましい。意気投合、酒を酌み交わしました。 彼が席を立ったのを潮、私も今日はこの辺で堪えてやろうか。勘定をしました。 でも今夜も〆のラーメンを外すわけにはいきません。新ラーメン横丁の「いそちゃん」を覗きました。ここは数年前、妻と訪ねたことがあります。札幌ハーフを走った折でした。塩味が忘れられなかったのです。 一口啜り、おお、この味だ。ほのぼの感ありでした。時刻が早いのか、客は私一人。ママさんと世間話をしました。塩ラーメンの店を問えば「いそちゃん」と返ってくる、そう言うと嬉しそうな顔をしました。私もそう思います。満腹になりました。 ホテルに戻り、文学館訪問のことを整理。SAPPOROクラシックを飲みながらでした。今日の一句藻岩山何故に時雨るか此の日をば今日のランなし今日の酒不明今日の写真は札幌コンサートホールKitaraです。中島公園にあります。以前、其処は学生野球の聖地、中島球場がありました。其の跡地にが開館しています。この旅行中、札響の演奏を聴きたかったのですが、叶いませんでした。 もう一枚は街中にあった本別のポスターです。亮さんがお兄さんが農業を営んでいます。来夏辺り、一ヶ月くらい野良の加勢をしながら其処に過ごすのもいいな。おさんどんと毎晩の酒があればアルバイト代金は不要。働きが悪いから追い返されるかも知れないけれど。
2019年11月05日
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Saturday, April 11, 2020 午前3時半起床。晴れ。 朝のうち、野菜に水遣り。午前9時半を過ぎて親方の山に向かいました。杉の枯れ枝を持ち帰るよう、父に言われていました。写真は軽トラの荷台にそれを親方のユンボが積み込むの図。満載にしてくれました。 ロープで押さえ込むよう縛ります。次の写真は煮崩れしないかチェックする親方です。 家に戻り、指定の場所にそれを降ろしました。早めの昼をし、午後は生姜の畝に被せる茅を切りに。昨日、走って鹿の角付き髑髏を見つけたところです。軟らかい枯れ草が繁茂していました。これだけを刈って積むのに10分。私、こういう作業は手早いのです。 生姜を植えたところに被せていきます。この作物は乾燥を嫌がります。このところ、晴天続きです。散水しても、覆いが無ければ直ぐに写真が通り、乾いてしまいます。こうしておけば幾分かの解決になるかと。 茄子や胡瓜の為に張ったマルチシートサイドにも敷き詰めました。草が生えませんし、雨の折りも泥濘まない。野菜の終わって後、鋤込むと土の一部になります。一石三鳥です。 山に入ったついでとうことで、タラノメの穴場を覗きました。今シーズン最後の収穫をしました。でも天麩羅にする予定はありません。つね三の大将にTELしました。二つ返事でした。よかった。妻が実家に行く用事あり。途中、店に廻って貰いました。この時期です。お客さんがあるといいと思いはするものの、複雑です。 数日来、裏山の竹藪が気になっていました。ハンディチェーンソーを持ち、登りました。立ち枯れたり、倒れて折り重なっている孟宗を2m前後に切って山に積みました。足場は悪いですが、斜面なので立っている竹2本を受けにすることができます。1/5程を始末。今日はこの程度で堪えてやろうか。帰りに幾本かを持っておりました。これ、筍を茹でる燃料に持って来いです。火力が強いのです。 夕刻、親方がやってきました。午前に訪ねた折り、農協で購入してもらっていた液肥を受け取るのを忘れました。態々届けてくれたのでした。外のベンチに腰を下ろして世間話。山に入って休憩の時にはしない家族のことを互い、問わず語りでした。内容は書くこと能わずです。人は生きていく上で悩み多き、ため息をつきました。でも仕方の無いことです。 彼を見送って風呂。妻は実家へ。遅くなるまで戻ってきません。陽のあるうちにプシュッ。といっても今日はキリンののどごし生。500ml。妻の筍仁義が途中、お釣りに貰ったものです。 当ては作り置きの筍料理。 もう一品ありました。 何だか物足りません。フランスパンを焼き、冷蔵庫から口の開いたテーブルワインを引っ張り出しました。チーズに干しぶどう。それでも口が寂しい。イノホルをチンしました。これは白波のお湯割りで流しました。やっと人心地になりました。 1人酒の最中、映画を1本。「ある殺し屋 KILLER FRANK」題名の通り、主人公は強盗殺人請負人です。一匹狼。生い立ちをしての性格がストーリーの締まりをよくしています。好き嫌いの分かれる内容かもしれませんが、10点満点中6点。 それを見終えて、娘息子とLINE。2人ともコロナ禍にあって健気に生きています。親馬鹿ですが急に愛おしくなってしんみり。こういう夜は強い酒を抜栓するに限ります。そうしました。今日の一句コロナ禍を我が子二人が泳ぎおりコロナ禍に八重の咲く道五月晴れ酒を飲む田舎の膳に及ばざり海峡の町で業火の番をして今日のランなし今日の酒発泡酒ロング缶1 ワイングラス2 白波お湯割り2 ウィスキー3ショット今日の写真は咲き始めた薊です。この色合い、紅紫でしょうか。こちらは八重桜。竹の鼻に咲き始めました。好きなんです、この色。蕾は緋紅です。開くとふっくらした柔らかさになります。
2020年04月11日
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Tuesday, June 2, 2020 午前4時起床。晴れ。太陽が顔を出したのは四日ぶりです。 雨模様に胡瓜の整枝は法度です。受け売りですが、切断面の乾きにくく、腐れが入りやすいのです。その蔓、伸びて2mの高さになっていました。青空の下、今日がチャンス、主蔓の先端を鋏でチョッキン。これをすることにより子蔓が伸び、収量が増えるとのこと。判り難いにくいですが、写真の地面側切断断面に吸い上げた水の玉が出来ています。 野菜畑の見回り以外、午前午後とも書斎に。小学館・昭和文学全集に五味川の不掲載をして、手がかりを探すことに執着。ネットや手持ちの書籍を漁りました。理由らしきものは見つかりませんでした。 6名いる編集委員の人となりや言動にも思い当たるようなことはありませんでした。敢えて述べるなら、その一人、磯田光一の昭和文学を俯瞰する長文「昭和文学史論」に五味川の名前を認められていないことかと。恣意的に感じます。余談ですが、この全集には澤地久枝氏の作品も載っていません。この辺りにそれを知る糸口があるのかもしれません。 あれこれ調べていて「引揚げ文学」なる言葉を知りました。五味川、戦争、文学・・・、関連用語を並べて検索し、立命館大学国際言語文化研究所の紀要をヒット。朴裕河(パク・ユハ)氏の寄稿「『引揚げ文学』に耳を傾ける」に行き当たりました。一部を引用します。(以下引用) 日本の敗戦後、中国大陸や朝鮮ほかからいわゆる「引揚げ」をしてきた人の数は650万人に及ぶという。その半分は軍人たちで、残り半分が民間人であった。そのうち旧「満州国」を含む中国地域から100万人、朝鮮からおよそ70万人が引き揚げている。この数は、短期間に共通の体験をした人々の数としては膨大なものと言えるだろう。 しかし、戦後の日本社会において「引揚げ」のことが十分に注目されてきた形跡はあまりない。むろん、既に成田龍一が指摘しているように、ベスト・セラーになった藤原ていの自伝的エッセイ「流れる星は生きている」(日比谷出版社、1949)をはじめ、引揚げ体験は手記の形式を借りて数多く書かれ、何度かは注目されてきた。 しかし、その体験の重大さに比べて、「引揚げ」や「引揚げ物語」に関する日本の戦後の思想・学会における注目度は、「終戦」や「原爆」などに比べるとあきらかに低い。「流れる星は生きている」や引揚げ=帰還出来なかった元軍人の物語である「人間の条件」(1955)などがベストセラーになることはあっても、「引揚げ」という集合的体験-植民地・占領地からの帰還-が学問的な考察の対象となることは最近まであまりなかったのである。例えば90年代以降に日本の政治・思想・運動界を揺るがした「慰安婦」問題は、現代日本社会に大きな衝撃を与え、「戦後」が未だ終わっていないことを明らかにしたが、同じく植民地・占領地の「被害」体験である「引揚げ」が内地においてそのように受け止められることはなかった。(以上) 引揚げ文学か。知らなかったな、この語句は。朴裕河氏は「帝国の慰安婦」を書いた学者です。日韓両国に問題作との受け止め方多しですが、固定観念・先入観を排し、丁寧な考証をしたスマートな論を示した書です。それにしても「引揚げ」のことはそれとしてこの引用文、いみじくも五味川「人間の条件」をその金字塔として認めています。この辺りにも不掲載のヒントがあるかと。 午後3時、サイクリンの格好に着替えました。タイヤの空気圧をチェック。木立内をぶらり漕ぐ折はヘルメットを被りませんが、今日は国道・県道を走る予定でした。被りグラサンをかけました。番匠大橋で折り返し、堅田街道を廻って戻りました。写真はその切り取りです。1枚目は高畑井堰です。小中学校が夏休みになると、近くの子どもは此処で泳ぎます。水の蒼さに清流を感じます。頭首工の中ほどに魚道を見て取れます。それをしての余談です。私、酔散学を囓りました。魚河岸を辞め、田舎に戻り営業畑をしていた折、幾度か魚道の図面を引いたことがあります。設計の基本は各段毎のプールを可能の限り深くすることと、魚道の下流端を頭首工エプロンの阻壁と同じくし、かつレベルを水位を考慮、できる限り低く設定することです。言うまでもなく、飛び跳ねる魚の助走路、その距離を確保するためです。遡上する魚の最大遊泳速度10Lの法則(魚の全速力は秒速、体長×10で求めることが出来るのです。50cmの鮭は最高1秒間に5mの速さで泳ぐことが出来るのです)に則ってのことなのです。 下流を振り返りました。佐伯市のランドマーク城山と天下の清流番匠川のコラボ写真です。上岡辺りからのショットです。 折り返して右岸沿いを下りました。国交省が河川敷と堤防の草刈りをした後です。寄せられた草は、TELすれば無料で配達してくれます。先日、拙宅も4トントラック3台分を分けて貰いました。(再掲) 午後6時前、夜のお勤めを始めました。写真は当てと舐めたジンです。今日の一句空掴む胡瓜の袖を鋏切り今日のランサイクリング30km今日の酒ウイスキー2ショット ジン1ショット 麦焼酎ロック1今日の写真は守宮です。今年も玄関の上に姿を見せてくれました。安心です。屋根裏に入り込むなよ。トラに食べられるぞ。
2020年06月02日
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Wednesday, December 16, 2020 晴れ 7.9℃ 0.3℃ 午前4時起床。夜明けは風が幾分弱まります。今日もそうでした。が、日中は北西が吹き通しました。寒かったです。調べて亮さんの住む釧路は-0.4℃の-10.1℃、こよなくさんと陛下の暮らす夕張郡は-6.1℃の-9.5℃、しかも積雪69㎝です。真冬日だ。比較にならぬ寒さです。 今日も終日書斎に過ごしました。妻は野暮用(コーラス・実家)で出かけて不在。午前、午後と2回、独りのお茶をしました。六花亭のカステラがいい感じでした。 読書と音楽。新潮現代文学80巻は第31巻までやってきました。福永武彦です。「忘却の河」と「海市」。何れも長編です。福永は名を知るだけの作家、読んだことはありません。前者を読み始めて、私にはどうもいけません。フランス文学者の散文的小説は以前から向きが悪かった。今日のそれにも馴染めません。新聞の記事、10行を読んで面白くなければ、その記事は読む人にとって無意味、というようなことを聞いたことがあります。全集読破という満足感を得るためだけに不向きの分厚い本のページを捲るのは如何なものか、自問しながらでした。 本に倦き、音楽を聴きながら焼き芋をこさえました。前にも紹介しましたが、これが拙宅の焼き芋鍋です。ブリキ製の簡単な仕様です。価格は確か1ラーほどだったかと。洗った芋を並べました。 薪ストーブの熾火を七輪に入れ、これを掛けます。 火加減にも依りますが40分ほどで蓋を開け、芋を180°回転させます。反転、上を下に、です。更に40分経つとこんな感じです。水分が跳び、皮が分離、ところどころに甘み成分の汁が滲み出ています。 割ってホクホク。 皮がペロリ剥けます。どうですか、このねっとり感。食べて大げさですが蜜のような甘さです。これをこさえると、安上がりの妻は菓子店でケーキを買わずに済みます。 さてと、陽の傾いたことだし、寒いけどサイクリングをしようか。防寒ウェアに着替えました。強い北風の中、青山・岸河内往復コースをやっつけました。向かい風・横風に難儀。追い風になると時速40km近くのスピードです。道路の凹凸に要注意でした。段差に気づかずハンドルに体重を掛けたままだと、最悪、衝撃で手が離れ転んでしまいます。写真は小島付近の市道です。中央の彼方は霊峰尺間山です。 西日に私の影が伸びました。 輪行1時間、寒さに少し汗ばんだだけでした。帰宅して風呂。芋焼酎のお湯割りをこさえ、嘗めて暖まりました。今日の当てはロールキャベツとこれ、紅しぐれ大根です。親方に貰ったものは全てサラダにして食べました。親方、まだある?以下無用のことながら NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました。取材対象は東京・青山にあるイタリアンレストラン「プリズマ」。シェフ斎藤智史氏のポリシーを紹介でした。1日に4組の客のみ。前菜からデザートまで独りで賄う厨房をカメラが捉えていきました。画面に「ギリギリが扉を開ける」「崖っぷちで集中力こそが限界を打ち破る」という字幕が流れました。画面の変わり、幾人かのイタリアンシェフが登場、彼を真似できない、お手上げだ、という意味のインタビューも。ネットで調べたら一人あたりの料金は60ラー~70ラーが相場のようです。入ってみたい気もしますが、先ずは着ていく服に困る杣夫です。今日の一句焼き芋や蜜の味して冬景色今日のランサイクリング30km今日の酒芋焼酎お湯割り正味3勺 赤ワイングラス3今日の音楽シベリウス フィンランディア 交響曲第4番 第5番シベリウス 交響曲第6番 第7番 タピオラ 以上 カラヤン フィルハーモニア管今日の写真は木立小学校の遠景です。午前、知人宛の葉書を出しに近くのポストへ散歩途中、パチリ。手前左の木は葉を落としていますが、宿木は猶元気です。さてもの校舎、私の通った折(50年あまり前)は木造でした。娘息子は同じ場所に建て替えた鉄筋コンクリートの校舎へ通学。10年あまり前、それも老朽化、取り壊されて改築。歳をとると言うことはこういうことでもあります。
2020年12月16日
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Thursday, December 17, 2020 晴れ 8.6℃ 0℃ 午前4時起床。このところ朝食はNHKの朝ドラ「おちょやん」を見ながらです。チャキチャキの大阪娘が主人公です。杉咲花さん、嵌まり役です。加えて茶屋の女主人役に篠原涼子さん。日本髪がよく似合います。「派遣の品格」とは異なる美しさです。イメージが変わりました。 午前9時、地下足袋を履きました。親方の山へ向かいました。写真は家を出てすぐ、熊野神社横に獲物を探す鳶です。木立はカラスが多いけれど、鳶も結構な数が生息しています。拙宅の上空はしょっちゅう空中戦です。裏山に塒があるようです。滅多と行き遇わせない熊鷹を見つけると、思わず見入ってしまいます。鳶は年がら年中です。興味を惹きません。が、ほぼ同じ大きさの猛禽類です。稀少かそうでないかで興味の有る無しに分けるのは、思えば気の引けることです。 波越の奥に着きました。枯れ芒が広がっていました。人工物を認めません。時代劇の果たし合い、或いは木枯らし紋次郎の舞台にいいかと。 倒木、今日は頑張りました。一部に羊歯類に覆われたところがありました。急斜面のこともあって、チェーンソーと玄能を持っての移動に難儀。それでも、杉の途切れるところ、雑木との境まで切り上がりました。後数本残し、親方の今日はこのくらいにする?との言葉に、キリがいいので始末を終えよう、そう返しました。それがいけませんでした。藪漕ぎの最中、滑って肩を打撲。足を捏ねました。写真は竣工図です。この斜面は終わりです。チェーンソーがよく切れました。 次の写真は、親方のくれた今日の駄賃です。下仁田葱、どんな味がするんだろう。楽しみです。 野菜を自慢しながら、私の持参した焼き芋を頬張る親方です。蜜柑もポケットに忍ばせていましたが、それは嫌いだそうで、受け取りませんでした。 帰宅は正午を過ぎました。木屑塗れ汗まみれでした。シャワーで流しました。昼ビーは我慢。遅い昼をしていたら、キンノジがやってきました。彼曰く「今日はポカ休。それはそうと自宅をリフォームをする計画。薪ストーブを入れたいんだ。施工はまだ先だけど、薪を乾かす必要があるから、先にそれを手当てしたい。ついてはチェーンソーや薪のことをあれこれ訊きたい」とのことでした。 チェーンソーの機種、刃の研ぎ方、イヤーマフのついたヘルメットやスパイク足袋の必要性、薪に向きの良い木の種類、乾燥に要する時間・・・。知ったかぶり、教えてあげました。明後日、土曜日の夕刻、暖まりに来たいというので二つ返事。彼は自宅から7kmを歩いてくるといいました。いけない、手に提げた酒瓶を割りかねない、車でやってきて帰りは代行運転に任せるのがいい、そう言いました。 彼を見送り、ランの格好に着替えました。走り始めて3km、いつもの折り返しを過ぎた辺りから右足首がズキンズキン。痛み始めました。途中から歩行に。家に帰り着く前はひどい痛みに足を引きずりました。 風呂を浴び、プシュッ。夜のお勤めは揚げ物が当て。自然薯の冷凍に海苔を巻いたもの、南瓜コロッケ、イカリング、全部妻が下ごしらえして冷凍していたものでした。芋焼酎のお湯割りで流しました。 食べ始めてピンポーン。宅急便でした。福岡に住むSさんが豚まんを贈ってくれました。妻はご飯を装うのを止め、早速味見。チンをしてパクつきました。好物なんです、この類いを。一つやっつけ、残りは個別にラップ、冷凍です。有り難うございました。 食べ終えて足首の痛みが増しました。何かに掴まらないと歩けないほどでした。まずい、捻挫か剥離骨折?加えてひどい悪寒も。さらにまずい。先日、つね三の鍋がせいでコロナウィルスに罹患?妻が患部、足首の両側にに経皮鎮痛消炎剤をペタリ張ってくれました。葛根湯を白湯にといてくれもしました。それを飲んで横になりました。今日の一句冬田道烏の寒し農夫の背今日のラン3km今日の酒SAPPOROゴールドスターレギュラー缶1 芋焼酎お湯割り正味1合今日の音楽小品オムニバス(シベリウス、グラナードス、ヴェルディ、プッチーニ、リスト、ウェーバー他) カラヤン フィルハーモニア管今日の写真は波越へ向かう途中の光景です。来年の稲作に備えてか、早くも準備の耕耘です。トラクターの後をカラスとダイサギが追いかけて漁虫の図。もう一枚は木立・角道~岡山にかけての雑木山です。ヤマザクラが多く混じり、春には見事な千本桜となります。この通り。おまけはトラです。居間に薪を運び込む折、サッシを開けます。外の空気が流れ込みんでそれをクンクン。出してやれないのが可哀想です。
2020年12月17日
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Tuesday, October 18, 2022 晴れ 西北西の風平均風速3.3 21.8℃ 16.0℃ 午前4時起床。 午前7時半出社、午後6時過ぎ退社。 朝、玄関を出がけ、見送ってくれる妻に声を掛けました。彼女、今日、白内障手術を受けるのです。目の霞みをして眼科医を受診。それほどまでのことはないと言われました。症状が気になるので、セカンドオピニオンを受けました。突然緑内障になる恐れの拭い去れない、そう言われ、思い切ることにしたのでした。 夕方帰宅。その経過、様子を訊きました。手術は痛くも痒くもなかったとのこと。点眼麻酔をし、眼球に針を差し込んで水晶体を破壊、それを吸い出し、新た、代用のレンズを入れたそうです。雑菌に感染してはいけないということで、顔にピタリ張り付いたゴーグルのようなものをしていました。3日間、洗顔できずとのこと。怪しかった手元の文字が術後にははっきりと、だそうでした。先ずは祝着です。 戻ります。午前は週一開催の定例会議。 昼前に会社を出ました。大分市へ向かいました。一人、社用車を駆って、でした。久しぶりの外出です。いつもはコンビニのサラダ、nkucchanに言わせるとウサギの餌が昼食ですが、今日は贅沢をしよう。Sという高級(?)回転寿司に突っ込みました。しめて3.5ラーほどを食べました。 腹の膨れ、Rホテルへ。今日はそこで大分大学理工学部50周年記念事業式典があるのでした。私は社長の代理。学長や学部長の挨拶、知事の祝辞もありました。皆さん異口同音、1964年、大分市が新産業都市に認定されて以来、製鉄・石油化学のコンビナートに技術者を送り込んできた大学の貢献を強調、今後も引き続き地域発展に寄与する人材輩出を期待、と仰いました。その通り、弊社にもこのOBが何人も働いています。 式典の終わり、講演会がありました。講師は相田卓三氏。ノーベル賞発表の季節になると、マスコミに名の上る高分子化学分野の第一人者です。知る人ぞ知る有名人。演題は「研究者人生を選んだ理由とこれまでを振り返って」。1時間を3つに分け、生い立ちと師との出会い、ラボ(研究室)の空気、主な研究の概要、それぞれを平易、分かりやすく話してくれました。冒頭、大分県佐伯市の出身を話しました。私のまちだ。それまで知りませんでした。以下はその抄録です。(生い立ち等) 中学までを田舎に過ごし、高校は県内随一の進学校・大分上野丘高へ。3年間、下宿生活を送った。横浜国大工学部に進学、縁あって東大の院へ進んだ。院生時代、難儀のテーマを選択、2年間は鳴かず飛ばず、結果が出ずに倦んだ。ある時、深夜の実験室に光明が射した。その時は震えた。それまで自分は、滂沱の映画を見ても決して泣かない、感動を表に出さない人間と思っていたが、実験器具の示す結果を手にする折、震えが来た。この感動をして、初めて研究者の喜びを知った。振り返ると、それはひとえ、指導教官に恵まれたことあってのこと。我々研究員は指導者100人のなかから師を選ぶことはできない。たまさかの出会いにより、運命が決まると言っても過言ではない、指導者の人格により、歩む世界が決まるとも言えよう。私はその意味で幸運だった。素晴らしい恩師に巡り合った偶然に感謝する。何だか結婚と同じような感じかな。(ラボの空気) 院生時分の研究成果あって、助手に採用された。以後、教室を持つようになって次のことをモットーとした。Be optimistic 楽観視、楽しくBe interactive 相互関係を見つめてBe independent 中立・独立 公平な目でDon’t be passive 受動的・消極的はあかんDon’t be exclusive 閉鎖的・排他的になるなEnglish for all. Meeting official Language 英語は地球語 ラボの会話はすべて英語で通した。 新人にはやったことのない研究テーマを求めた。ラボのしきたり、決まり事などは設けない、いわゆる雑巾がけはさせない、みな平等。論文発表の際は、ラボの権威を振りかざさず、書いた本人に花を持たせた。オープンディスカッションに英語を用いたのは留学に備えて。私のラボは院生を最低1年、留学させることにしてある。出発前、直立不動・上下関係にピリピリの若者が、戻ってくるなり教授の私に向かって握手を求め「やー、久しぶり」。人格が変わり、日本人とコスモポリタン、二つのパーソナリティを備え持つ人間に成長する。大学は学生を大切にしなければならない。私はこれまでアカデミアを変えるつもりでやってきた。彼らにアンビシャスを持たせてあげたい。大学教員の最大のミッションは、人材育成だ。私の部屋はノーノック。常々、ノックをせずに入ってこい、敷居は低い、その姿勢を心がけている。(主な研究の概要) ~素人、門外漢の私が書いても、意味不明になります。きちんと伝わりませんから、省きます。概ね、次のようなことではありましたが。高分子結合の制御には磁場が重要な要素になること、海水から真水を作ることは理論上ごく簡単、今の500倍の効率で水を流すことのできる管を作ることができる~ (最後に) 基礎研究と応用研究は対峙しない。応用研究は未だ存在しない基礎分野の発掘を可能にする。早く工学部と医学部をなくすべき(理工学部が代わりの役割を果たす時代となった)。技術力がなければ日本は凋落。 とまあ、以上のような内容でした。いい話でした。氏の講演は大分大学理工学部のホームページにアップされれるようです。興味のある方はどうぞ。https://www.st.oita-u.ac.jp/ceremony/ceremony.html 余談です。来賓の方々は多忙なのでしょう、同業他社、私と同じ立場の方々も式典が終わると、こぞって退席。私は予定のないことを幸い、残りました。いい話を聴くことができました。聞かずじまいの皆さん、残念でした。写真は式典の始まる前、会場の様子です。 夕日の奇麗な時刻、東九州自動車道を南下。一度社に戻り、残務整理。午後7時前帰宅。夜のお勤めをしながら、アマゾンプライムで映画「ドライブ・マイ・カー」を観ました。途中で寝落ち。今日の一首深々と更けゆく秋の夜長には今際の際の恩師を想う今日のランなし今日の酒三楽20馬力ロック正味2合今日の音楽バッハ カンタータ オムニバス今日の写真は帰りの高速道路です。九重連山に落ちる夕日がいい色合いでした。
2022年10月18日
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Wednesday, May 4, 2023 曇り一時小雨 南南東の風平均風速2.1 21.6℃ 16.2℃ 82-69% 午前4時起床。休みの続く夜明けの時刻、新聞と珈琲は至福です。その時間を過ごしました。引き換え、昨日、終日野菜畑に過ごした妻です。夜鍋のこともあって、起きてくるのが遅かったです。鯖の開きを焼き、一人朝食。 午前9時前、野良着に着替えました。写真は植え付けの胡瓜と茄子他です。 棚を拵えないといけません。鉈を持ち、骨にする女竹を切りに。場所はMさん宅近くの木立川支流。長靴を履き、慎重、滑る法面をそろり降りました。藪の中です。蝮に注意。其所に生えている女竹の根元を鉈で一刀両断。スパッと切っては法面に立て掛けるの図。 50本ほどで堪えてやろう。法面はブロック積み。少しの凹凸に長靴の爪先を掛けて、これまた慎重、道路に戻りました。やれやれ。女竹のウラ(葉のついている先っぽ)を鉈でカット。軽トラに積み終えました。 家に戻り、これを引っ張り出しました。YAMAHAのインバータ発電機。規格は2500です。これ、3年前、安倍政権がコロナウィルス蔓延に対する緊急経済対策として配った10万円を元手、購入しました。電源のない青空作業や、地震・風水害で停電の折も役立つはずと考えて。家の側壁にコンセントもありますが、この手のマシン、時折、エンジンをかけ、慣らし運転をする必要があります。今日、思い立ってのことでした。 こうして丸鋸で長さを揃えます。 そのあとは皮を鉈で剥いでいきます。この作業が面倒くさい。 写真は竣工図。長い方は胡瓜の縦軸。短い方は茄子の支柱。このほか、長尺のもの(胡瓜の横軸)と短い行灯用(植え付けたあと、風や虫を避けるために筒状の紙で苗を囲むのですが、その四隅に差し込む短い竹槍:本日最初の写真参照)とを拵えました。 上の作業、昼を挟んで午後2時までかかりました。さてと、次は茶の棚に伸びた葛を始末。鎌を持って茶株の上に這い出た蔓を始末。午後4時、一通りを終えました。これで茶摘み機を回して、異物(葛の葉や茎)混入を防ぐことができます。写真は作業中、目にとまった昆虫です。初めて見る形と色合いです。 ランの格好に着替えました。走り始めて、肋骨や腰回りの筋肉が痛いというか、違和感がありました。昨日のツール・ド・国東がせいでしょう。ちょっと走ったところにK製材があります。其所にRさんがいました。走るのを止め、一緒、散歩しました。次の写真は木立橋付近に行き遇わしたHさんの運転する軽トラ荷台です。新ダイワの草刈り機を何台も摘んでいました。彼は天下の清流番匠川の河川敷、其所の草を刈るチームの親方です。この手のマシン整備、一手に、ではあります。これから、先端の穴にグリースを注入するとのこと。私もそのうち、です。 家に戻りました。さあ、風呂だ。トレーナーを脱いで、やっ、腕が陽に焼けているぞ。これも昨日の所為です。 湯を掛けたらヒリヒリ痛い。ボディをシャンプーし、湯船に浸かりました。痛みで両腕は浸けること能わず。参ったな。風呂から出て、真っ赤の図。 夜のお勤めは残っていた南蛮、それに蛸刺しと餃子がつきました。プシュッとやったあとはジントニック。締めに芋焼酎のお湯割りを流しました。バタンキュー。今日の一句女竹切る河床の匂い梅雨趨る今日のランなし今日の酒SAPPOROゴールドスターレギュラー缶1 ジントニック1 芋焼酎お湯割り1今日の音楽なし今日の写真は玄関先の鉢に咲き始めたクジャクサボテンです。も一枚は芥子。裏庭の花壇に満開です。先日掲載のそれとは雄蕊の色合いが異なります。おまけはサニーレタス。僅か3株ですが、毎日食べてもこれだけで十分の量あります。
2023年05月04日
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Wednesday, June 1, 2023 相変わらず出張多しです。コロナ明けが理由でしょう。先月29日は今月3回目の上京。1泊2日でした。用件は3つ。サイクルを活用したまちおこし関連イベントへの参加と挨拶、社会保障分野における事前領域研究に関する情報提供関連会議(なんだか難しい)と懇親会、市民大学へ講師への挨拶。 嬉しいことがありました。目的の一つ目、サイクル関連イベントの会場でJSPORTS・ツール・ド・フランスの解説者、飯島誠さんを見かけ、話しかける機会のあったこと。彼は元オリンピック選手。シドニー、アテネ、北京に出場、北京ではポイントレース8位になりました。自転車の世界では神様。お願いし、ツーショットに納まっていただきました。現在、彼はブリジストンサイクルの市場開発課長です。その肩書の名刺を頂戴しました。写真は彼との一枚です。 この後、自転車活用推進議員連盟の皆さんと皇居一周しました。 次の写真は私が借用のロードバイク。同じくブリジストン社製。ギアチェンジは自動、ブレーキは油圧ディスク。快適でした。 こちらはサイクルバス。客席の下腹に自転車を20台ほど収納可能とのこと。いろいろあるものです。私のまちにも都会からこのバスを走らせたいな。このイベント、国会議事堂前が会場でして、自転車関連の会社がブースを設けていました。 ホテルでシャワーを浴び、スーツに着替えました。午後5時、同業他社の社長や副社長、幹部の集まる会議に出席。意見交換を行いました。白熱議論の後は懇親会。持参した50枚の名刺は既に底をつき、相手様から頂く為体(ていたらく)。格言「出張には名刺一箱(100枚)を別に持つこと」 それはそれとして、会の趣旨に賛同企業の皆様、立食パーティのスピーチがとてもお上手。田舎者の私もさせてもらいましたが、井の中の蛙のこともあって、いつもながら挨拶下手を感じました。写真はそれとは関係ありません。昼を抜いて自転車に乗ったため、午後遅くの会議前、ホテル近くでラーメンを掻き込みました。なんとも変わった味でした。油そば(チャーシュー)だそうです。 会議・懇親会には部下が二人同行。会の跳ね、労う為に1軒誘いました。適当を探しましたが、平河町界隈には少ない。おでんと焼き鳥の店に突っ込みました。次の写真は飲み比べセット。お猪口3杯が1.5ラーです。酔いません。水ナスの浅漬けがいい感じでした。 食べ飲みを終え、コンビニへ。写真は求めたアルコールです。ホテルの部屋で飲みなおしの図。 翌日火曜日は東大のキャンパスを訪ねました。市民大学講師を引き受けていただいた相田卓三先生への挨拶です。私のまち出身、高分子化学の権威です。私、昨秋、大分大学理工学部の記念講演を拝聴。その際の講師が先生でした。化学者への道、ラボの素晴らしさ、海外留学などを語りました。その内容をぜひ地元の高校生へ聴かせたいとの思いから、ダメもとでコンタクト。僥倖にも玉信を頂きました。ということで来る7月8日、佐伯市しろやま桜ホールにて午後2時開演です。 余談です。ウィキによると先生の経歴に改めて瞠目。数多の海外学会・大学に招待講演。今回、報酬不要、気遣いなく、とまで言ってくれました。 余談の余談です。次、ノーベル科学賞に日本人が選ばれるとするならば先生だろうとは巷間囁かれている話。 大学を後にしたのち、帰りの飛行機出発時刻まで間がありました。東京駅のインターメディアテクを冷かし、銀座に回りました。 日動画廊を覗いた後、新橋から羽田へ。チェックインを終え、出発ロビーに向かっていたらなんと吉田類さんだ。なんでもNHKの番組取材で島根に向かうとか。ファンです、酒場放浪記を録画、毎晩一緒に晩酌させていただいています!ツーショットに納まっていただきました。 大分空港着は午後5時。佐伯着は午後7時前。つね三の後に開店の「彩喜」に突っ込み、疲れをいやしました。写真は鯵のナメロウ。熱燗を2合で打ち止め。帰宅してバタンキュー。 おまけ。旅行用の老眼鏡、片方のレンズを失いました。会議の際、書類を見るのに難儀しました。 妻への土産はこれにしました。北海の幸。
2023年06月01日
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Saturday, March 9, 2024 昨夜の深酒がせいで、今朝は頭が少し重かったです。朝は珈琲とロールケーキで済ませました。さてと、やっと週末がやって来た。其の儘になっていたレコードの始末をしよう。買い取り屋から送られてきた段ボールを組み立てて箱にしました。それに手当たり次第、詰めました。嗚呼、これも手放すのか。 これ、名盤なんだけどな。 モーヤンのオペラも聴くこと能わずとなります。 嗚呼、松山千春のライヴ、これ真駒内のリンクが舞台です。札幌のハーフマラソン大会を2度走りましたが、スタートゴールが其処でした。懐かしいなぁ。尿漏れの治まって練習再開したら、またその大会を走ることができるかなぁ。それはそうと、今の千春は別として、彼の歌が私の青春なんです。 10箱、詰め終わりました。約600枚かな。まだそれ以上の枚数が残っています。もう一度、10箱を取り寄せしないといけません。ちなみに箱の取り寄せとこちらからの送料は全部無料。買い取り屋のHPにアクセスしたら、自動的にヤマト便へ連絡が行き、本日午後に集荷がありました。後日、査定結果の連絡があり、杣夫の口座に入金があります。ラーメン3杯、つまり3ラーくらい(2,000円程度)になるといいな。無理かな。 前後します。箱詰めをしている最中、豚まんが届きました。嗚呼、届いたか。ところがです、えっ?2箱も?取り寄せたのは1箱でした。それが何故か2箱。送付元を見ると、も一つは福岡在住・Sさんの奥様から妻宛に、でした。なんたる偶然。有り難うございます。箱に「豚まん屋さんを知っている人は知らない人よりもHAPPYだと思う・・・」いいキャッチコピーです。 中にぎっしり。これ、妻の大好物なんです。 ということでもう1箱の話。ホワイトデーが近づきました。義理チョコといえども、紳士はお礼を疎かにすべきでありません。加えて杣夫は見栄っ張りかつ変化球好みの天邪鬼です。クッキーなど月並みを避け、10個入りの豚まんを1箱、返すのです。このチョイス、いい案と思いませんか。 陽の傾いた夕刻、レコードを見送った後、Rさんと散歩しました。彼の年齢は72。歩きながらの話題はもっぱら大相撲。宮城野親方はどうなるんだろう、琴乃若は優勝するだろうか、角番の貴景勝は・・・。 家に戻ってチャイコフスキー。タンノイだけは残してあります。Amazonmusicでオムニバスを聴きました。風呂を浴びたところに妻が戻ってきました。実家に豚まんの裾分けをした後、友人とお茶をしてきたそう。杣夫への土産がこれでした。 チャチャッ。どうですか、身の透明感。言うことはありません。燗酒の後は黒糖焼酎のロック、締めにアイラモルト。バタンキューでした。 内臓と腹骨、それにこれがトラの分です。
2024年03月09日
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Tuesday, May 21, 2024 昨晩から今朝にかけ、頓服を2回飲みました。体温計が40度近くを指して、飲んで下がり、暫くしてまた上昇の繰り返し。節々が痛く、頭痛あり。咳も時折出ました。食欲無しでしでした。午前、妻の運転で掛かり付けS内科を訪ねました。ドクターが鼻の穴に綿棒を挿してサンプル採取。即コロナとの判定。S先生曰く「Tさん(私のこと)、判っていると思うけど5類につき、強制力は無いけれど5日間は出社停止だよ。奥さんとは別の部屋に過ごすこと。ところで投薬はどうします?これも5類につき、自己負担になったため、いい薬は高いよ。10万円。三割負担だから、あなた、それを希望すると3万円の負担が生じるよ。ああ、そうですか、頓服で凌ぎますか。それも選択肢です。それじゃー気をつけてね」 持ち合わせなく、クレジットカードもここは使えませんでしたから。 そういえばこの秋に始まるコロナワクチン接種、65歳以上の高齢者は2,500円が相場と聞きました。若い人はワクチンそのものの実勢価格16,000円とも18,000円とも言われています。うーん、大変だ。写真はこれで間に合わせよう、そう決めたロキソプロフェンです。家に戻り、夜間を含め、都合2回服用しました。熱のアップダウンが続きました。 ということで終日、床に伏せりました。 ネタ切れです。熱の下がって調子のいい折は横になった儘、ラジオを聴きました。「中高生の基礎英語in English」 です。これ、前にも書きましたが、通勤の行き帰り、車中に流しています。からっきしですが、少しずつ耳にこなれてきたような感じもします。 最近、便利なものを見つけました。「らくらじ2」というスマホソフトです。NHKのラジオ番組、語学を中心に一部録音できます。最前の番組も対象です。ラジルラジルは1週間を過ぎると聞くこと能わずですが、これを使うと、それを過ぎても復習可能。といっても私、したことはありませんけど。今日の一首悪寒してコロナに感染熱の出て思うところは幾人殺め
2024年05月21日
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Monday, May 27, 2024 曇り時々雨 午前4時起床。 午前7時半過ぎ出社。1週間ぶりでした。終日、身体も頭もなんとなくぼんやりした感じに過ごしました。コロナの後遺症かな。一応、マスクをしました。 午後5時過ぎ、真っ直ぐ帰宅。途中、北側、番匠川上流方向は物凄い黒雲でした。同僚が線状降水帯の話をしていたけど、心配だな。 その雨は降らず。靴を脱いで、疲れがどっと出ました。病み上がりのせいではなく、本日持ち込まれた案件がせいでした。 妻に早い夕食を頼み、風呂を浴びてプシュッ。その後、白ワインを1杯。長椅子に横、ジロ・デ・イタリアにチャンネルを合わせました。途端、日中のあれこれが消え去り、ロンバルディアの景色が流れる画面に引き込まれました。レースの大勢は決しています。後は風景を楽しむだけです。(この図、杣夫は現実逃避なのかな) ちなみに今日は18ステージ。パドヴァがゴールでした。番組の解説者はブリジストンの飯島誠氏。 懐かしいなぁ。昨年5月、杣夫は東京で開催の某イベントに参加。皇居を一周する催しに参加しました。その際、彼を見かけ、ツーショットをお願いしたのです。 飯島氏はシドニー、アテネ、北京、オリンピック3大会の日本代表でした。その北京ではポイントレース8位入賞。Jsportsの番組、ツール・ド・フランスの解説者として活躍しています。知る人ぞ知るではありますが、自転車乗りにとっては神様です。 エヘヘ、その折の秘蔵写真です。(再掲かもしれません) 今日の一首 宮城はペダルの重し九段坂千鳥ヶ淵に伯父眠りけり
2024年05月27日
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Thursday, December 26, 2019 午前4時起床。終日雨。 午前10時前、小降りになって友人宅へ。彼の奧さんが病気。野菜を持って見舞いがてらでした。不在。玄関にそれを置いて、図書館に回りました。これまで毎年、年末年始は休日が続くので、普段の倍の量を借りていました。今年はサンデー毎日。普段暇人の杣夫ですが、歳の暮れから正月にかけては忙しさが増しそうです。それなのに去年までの癖が出ました。写真はその一冊。文藝春秋編「私の死亡記事」です。 この本、新聞に自分の死亡記事が掲載されるとするならば、という仮定の下、本人にそれを書いてもらうという企画です。出版は2000年です。作家を中心100名余りのそれを掲載。前書きに「死亡記事や人名辞典の記述をもって『客観的評価』がなされ、誰も疑問を抱かない。しかし本人がどう思っているかは別問題。それならばいっそ本人に作品や人生についてかいてもらおう」とありました。「時代を隔てても価値をもつ貴重な資料になり得る」とも。読んで、ちょっとそれは大上段に構えすぎと感じました。大方は自分の死をユーモアに表現したり、奇を衒ったり。加えて自尊心も見え隠れします。貴重な資料とは言い難い感じです。そんな中、阿川弘之のそれが出色でした。読者と関係先への家族からの挨拶という形をとっています。その後段を引用します。 「当人は無論軍務上の偉勲などたててをりませんし、文筆の方の行跡を誇示する意思も無かつたと存じます。要するに、自分のことではありませんでした。略歴を求められると『敗戦の翌年海軍より復員、初めて書いた短篇を志賀直哉に認められ、以後作家生活に入る、それだけでいいよ。つけ加へるとすれば、新仮名遣ひなるものを一切受け入れなかったこと、右翼も嫌ひだつたが、左寄りの時代風潮を嫌悪し、その風潮に便乗した文筆家たちに軽蔑の念をかくさなかつたこと、ぐらゐかね』といふのが口癖でございました」 100人中、人それぞれの考え方なり文章ではありますが、得意げの透けて見えるそれらの中にあって、その孤高は際立っていました。 私、彼の「雲の墓標」を好きです。仄かに思いを寄せる女学生の暮らす家を上空から見下ろす特攻訓練兵の気持ちを切なく描写のシーン、思い起こして胸に迫ります。 夕刻、雨の合間を縫ってウォーキング。HBCの番組「夕刊小川」を聴きながらが楽しいです。今日の話題に、年末になると夫婦喧嘩が増えるという調査結果の紹介がありました。原因は大掃除に関係するとのことでした。コメンテーターの大学教授は、そもそもこの忙しい時期に併せて箕帚なんぞしなければいいとバッサリ。御意。ということで拙宅も掃除のその字もしていません。ガラス拭きも年の明けてからだな。 歩く途中、本降りに行き遇わせ、ずぶ濡れになりました。写真は雨に煙る木立野と麦畑です。これから北風が強まるとのこと。明日は晴れかな。 もう一枚、ツグミが寒そうにしていました。体型はずんぐりむっくり。アメリカの戦闘機ムスタングという愛称もあります。 これからコーラスの忘年会という妻を見送って湯船に。冷えた身体にお湯の心地よさ、至福でした。冷蔵庫から引っ張り出したのはこれとこれ。当てのイノホルは鍋にたっぷりあります。さあかかってこい。 九平次にはこれを使いました。あっ、気が付いたら一升が半分に。 おっと、ストーブの火が小さくなりました。冷えてきました。居間の外に積んであった薪を室内に運び込みました。おいトラ、外が気になるのか? 夜のお勤めを一通り終えた後、ビデオに録った「主任警部モース」を見ました。第1話がイマイチだったので、後は見るともなしに、でした。それが段々面白くなって、第4話になると、放送を楽しみに待つよう、となりました。願わくば吹き替えでなく字幕で見たい。 喉が乾きました。しかしイノホルは食べ詰まりました。鯖缶、ギョニソもノン。そうだ、海苔があった。ウイちゃんでそれを流しました。 いい気分になってきたぞ。妻不在をいいこと、久しぶりに自爆。一発芸です。今日の一句検索に移動張旭に書風を鞭撻遙かなり今日のランなし ウォーキング6km今日の酒日本酒3合 ウィスキー3ショット 今日の写真は朝日に掲載、伝・吉備真備書です。彼の師は張旭だったそうです。去年だったか読んだ「中国書道の至宝」に顔真卿反骨のことが書いてありましたが、張旭は彼と交わり、王羲之に対抗しました。その弟子真備のそれを見ると、見事な楷書です。真備の実直さを感じます。この書、当時の役人が墓碑銘の末に添えた署名だそうです。冒頭に紹介した文春の本が死亡記事だったので、思いがけずというか偶さかではありました。 余談です。吉備真備は遣唐留学生として入唐。帰国し重用・左遷を経て57歳で再度入唐しました。帰国後も冷遇。全て恵美押勝によるものです。それが押勝乱心をきっかけ、追討軍を指揮しました。その後、平城京の右大臣に上りつめましたが、晩年、同じ留学を経て唐に仕え、帰国叶わず大陸に没した友人阿倍仲麻呂を遙かに想う彼の気持ちは如何ばかりだったのでしょう。丹赤の真備です。別れた後、海の向こう、洛陽との間に交誼はきっと続いたはずです。そんなことをあれこれ考えると、そそられます。
2019年12月26日
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