THE PASSION AND THE BLOOD

THE PASSION AND THE BLOOD

2007年10月01日
XML
カテゴリ: ひとり言
むかし子供のころおもちゃの兜を被って僕もチャンバラをしたのを覚えている。
○レンジャーとか戦隊もののヒーローたちと同じカッコの出来るおもちゃがよくデパートに売られていた。
持っている奴はヒーローで持っていない奴は悪役である。
子供たちが必死になっておもちゃを欲しがり、おもちゃメーカーはニンマリである。

日本の兜はとても綺麗だ。
だいたい源平時代から、兜は鎧と一体となり、装飾が華美になってきたらしい。
戦場で英雄のように麗しくありたい。
そんな子供っぽいけど純粋な一生懸命さが僕には見え隠れする。
だから古代の戦士たちは死ぬときはきちんとした格好で死にたいとかよりも、

そしていつか兜の前立てに自分がどんな存在であるのかを主張するようになって言ったのではないだろうか?

クリスチャンの兜のことを「救いの兜」と呼ぶ。
クリスチャンが戦うのに一番初めに身に着ける武具だ。
兜は頭を守る。
鉄砲が入ってくる前は、戦場での主役は弓矢と槍だった。
古代の剣術に面打ちがないのは、兜を刀で打ち据えても、壊れるのは刀だからだ。
(どっかの時代劇で兜割りなんていう必殺技があったが・・・)
そして、兜を付けていない戦士を討ち取るのは簡単だ。
頭部への一撃は戦士への致命的な一撃を意味する。
「兜を脱ぐ」とは日本では敗北を意味する言葉なのだ。


救いの確信といっても良いかもしれない。
それは始めの愛であり、
十字架によって救いを受けたというはっきりした思いだ。
自分が何者かであることを示す矜持でもある。


自分がどんな方法で救われたのか?

救われた自分はどんな価値があったのか?
自分は今もそれを覚えているだろうか?
救いの兜は今も誇り高く我が頭上に美しく輝いているであろうか?

時々自分で愕然としてしまうときがある。
十字架を自分がどこかに忘れて生きている時があることを。

あんな自分を愛してくださったのに!

常在戦場は戦士の生き様
身には前垂れを纏うとも、心には兜をつけよだ。
決して解いてはいけない兜の緒
狡猾な悪魔はいつもその瞬間を狙っている。

十字架を思い浮かべて胸が熱くならないような
まるで兜もかぶらず戦場をほっつき歩く戦士にはなりたくない。

神様、神様どうか私を哀れんで、私の思いにいつも十字架を啓示してください。
一人でも多くの魂を勝ち取るために戦うならば、
この兜もなしに戦うことなど決して出来はしないのですから。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年10月01日 17時39分00秒
[ひとり言] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: