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牧師がつくるHP牧師自らが教会のHPを立ち上げる。なんでも自分でやりたがる訳ではないですが、簡単にいえば他にできる人がいなかったわけで・・・・いいHPがほしい。かっこいいやつ。神様なんとかしてください・・・・「自分でやりなさい」と神様の声が・・・ (=¥=;誰かをまっていてもだめだ・・・・もう自分でやるしかない。とはいってもHTMLも知らなければ、JAVAだの、フラッシュだの、クラウドだの、Ajaxだの。「はぁ?」でございます。デザインセンスもなし・・・・我ながらHPを製作できる遺伝子が体の中にどこにも入ってなさそうである。しかし人づてに簡単に作れるHP製作ソフトを耳にしたので、早速購入してやってみる。。。お勧めHP製作ソフト BiND3「おお、快適、快適!」自分にもHPができてしまうではないですか。神様ありがとう。ためしに義父のパン屋のHPを立ち上げてみた。「うむ。なんとかなっている・・・・」ベーカリージローのHPすこし自信が出てきた。調子にのって教会のHPも作ってみた。AGAPE CHURCHのHPすばらしい。自分でHPをつくれば、自分の思いをそのまま伝えられるし、すばやく更新も可能だ。自分の気持ちができるだけ伝わるように作ってみよう。つっこみどころもまだたくさんあるが、ITに強い牧師みたいでカッコイイ教会のHPがなくて困っている牧師のみなさんにぜひお勧めしたいソフトです。
2009年10月21日
10年間の教会生活はたくさんの愛する友達との思い出がつまっている。永遠に残るたった3つのものである信仰と希望と愛、その中で一番美しく、一番価値がある愛。そして人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていないなら人が持てるもので、友情ほどこの世にあって麗しいものがあるだろうか?友情は地上には稀で、もっとも純粋であるがゆえに壊れやすいけど。イエス様が地上を見たときにもっとも麗しく、好ましいと思われるのが友情ならば、僕はかわらない友情を信じる。僕を愛してくださったイエスキリストは誰よりも僕の友であって下さる。聖霊様の助けがなければ決して貫くことができないけど、自分を裏切ったユダに向かってすら「友よ」と呼ばれたイエス様のようになりたいから。たとえ傷ついても友情には僕から奪いつくすことが出来ない喜びがあるんだ。愛は戦いだ。信じ続ける戦い。傷つけられても赦す戦い。傷つけてしまっても赦してもらえると信じる戦い。助けてほしい時に助けに来てくれると信じる戦い。疑いや悪い噂との戦い。その人生が神様によって祝され、変えられることを信じる戦い。愛するという戦いをやめない戦い。命を懸けるのは半端じゃできない。僕はこの戦いを精一杯戦い続けた。負けてしまったこともあったけど、戦い続けた。だから僕も誇り高く叫ぼう。「愛している!」と。友達など決してできなっかった僕が、神様によって友達を与えられた。神様が傷ついても全力で僕を愛し続けてくださったように、みんなもどれだけ僕を愛するという「戦い」を戦ってくれたことか。昨日僕と友達だったから、今日も明日も友達でいよう。そういって誰かの言葉や悪意から、僕を守ろうとしてくれた友達。ありがとう ありがとう場所はちがっても僕とこれからも共に歩いてくれるみんなこれからもこの戦いを共に戦ってくれるみんなありがとう ありがとう皆の顔が見られなくなるのは辛いけど、それもあと40年位だから。僕の友達はみんな「愛と真理の戦友」だから。いつまでも、いつまでも永遠に仲良くしてください。
2008年05月05日
今日で10年以上通った教会を最後にする。こんど僕は川口の父と母の教会に呼ばれて、一緒に教会を開拓をする。僕が神様と出会って以来、僕の心にはっきりと示されている啓示がある。それは、イエス様の十字架だ。僕にはイエス様の十字架がどんなに痛かったのか、どんなに苦しかったのか、どんなに悲しかったのか、どんなにひどい侮辱だったのか、どんなに大きな犠牲だったのか、それがどんなに大きな愛だったかを少しだけ知っている。それなのにイエス様がすべての人の罪を許すために十字架にかかられたのに、それを信じないで生きている人が本当にたくさんいるんだ。まるで両手で救い上げた水が、指の隙間からこぼれていくように。多くの人々が自分の罪に気がつくことすらなく、神様の愛に背を向けて生きている。その最後は地獄だぜ。こんな自分が愛されてしまったのに。こんな自分が赦されてしまったのに。だからどうにか伝えたい。あなたのために死んだ人がいる。あなたのために死んだ人がいる。あなたのすべての罪を赦すため、あなたを孤独の中からすくうため、キリストが十字架で死んだのは、あなたを愛してるからだって。たとえ自分の牧師に勘違いだっていわれても、すべての人にお前には無理だといわれても、たった一人になっても僕は進むことにした。自分の中にある、熱い思いがこらえられないから。俺がやらなきゃ誰がやる!いま胸にたぎる熱い思い。その気持ちを言葉にするなら、まさに初陣の心地だ。
2008年05月04日
むかし子供のころおもちゃの兜を被って僕もチャンバラをしたのを覚えている。○レンジャーとか戦隊もののヒーローたちと同じカッコの出来るおもちゃがよくデパートに売られていた。持っている奴はヒーローで持っていない奴は悪役である。子供たちが必死になっておもちゃを欲しがり、おもちゃメーカーはニンマリである。日本の兜はとても綺麗だ。だいたい源平時代から、兜は鎧と一体となり、装飾が華美になってきたらしい。戦場で英雄のように麗しくありたい。そんな子供っぽいけど純粋な一生懸命さが僕には見え隠れする。だから古代の戦士たちは死ぬときはきちんとした格好で死にたいとかよりも、敵を威嚇し、自らの恐れなきことを象徴するために、兜を華美にしたんじゃないだろうか。そしていつか兜の前立てに自分がどんな存在であるのかを主張するようになって言ったのではないだろうか?クリスチャンの兜のことを「救いの兜」と呼ぶ。クリスチャンが戦うのに一番初めに身に着ける武具だ。兜は頭を守る。鉄砲が入ってくる前は、戦場での主役は弓矢と槍だった。古代の剣術に面打ちがないのは、兜を刀で打ち据えても、壊れるのは刀だからだ。(どっかの時代劇で兜割りなんていう必殺技があったが・・・)そして、兜を付けていない戦士を討ち取るのは簡単だ。頭部への一撃は戦士への致命的な一撃を意味する。「兜を脱ぐ」とは日本では敗北を意味する言葉なのだ。救いの兜とは十字架の啓示だ。救いの確信といっても良いかもしれない。それは始めの愛であり、十字架によって救いを受けたというはっきりした思いだ。自分が何者かであることを示す矜持でもある。自分がどんな方法で救われたのか?自分にどんな代価が払われたのか?救われた自分はどんな価値があったのか?自分は今もそれを覚えているだろうか?救いの兜は今も誇り高く我が頭上に美しく輝いているであろうか?時々自分で愕然としてしまうときがある。十字架を自分がどこかに忘れて生きている時があることを。あんな自分を許してくださったのに!あんな自分を愛してくださったのに!常在戦場は戦士の生き様身には前垂れを纏うとも、心には兜をつけよだ。決して解いてはいけない兜の緒狡猾な悪魔はいつもその瞬間を狙っている。十字架を思い浮かべて胸が熱くならないようなまるで兜もかぶらず戦場をほっつき歩く戦士にはなりたくない。神様、神様どうか私を哀れんで、私の思いにいつも十字架を啓示してください。一人でも多くの魂を勝ち取るために戦うならば、この兜もなしに戦うことなど決して出来はしないのですから。
2007年10月01日
千葉テレビをみてたら~なんとっ なつかしい「ガンバの大冒険」が再放送!早速一話からコンピューターで録画して、仕事から家に帰ると毎週見ている。なんと懐かしいこのアニメにはたくさんの思い出が詰まっている。今でも一緒に歌えるガンバ、ガンバで始まるオープニング、それに、子供の頃見てトラウマになっちゃった、真っ赤な目の白いたち「のろい」「のろい」が両手を挙げて「シャァーーー」と立ち上がる瞬間!真っ赤な目の顔が冷酷な笑みを浮かべて、刃物のようにとがった爪でネズミたちを嬲り殺していく姿!小学校に上がる前の俺はガンバを見た後、昼間でもびびってトイレにいけなくなったものである。この物語の第1話をみていたら、ガンバが不思議な台詞を何度も言っていた。「なんかいいね。尻尾にジーンと来ちゃうな」「お前それでも尻尾のあるねずみかよ! 尻尾に恥ずかしくないのかよ!」このほかにも、全力で彼らが奮い立つときに叫ぶ言葉は、「尻尾を立てろー!」だ。この物語の世界のねずみ達にとって、きっと尻尾は誇りであり、自分自身が誰かを示す物なのだ。だからこのねずみ達は、愛も、友情も、正義も、勇気もみんな尻尾で感じる。そして、彼らは全力で生きる・・・尻尾に恥じないように!圧倒的な困難や、強大な敵、自分自身に鋭い爪が振り下ろされそうになる瞬間に、尻尾を丸めるのはねずみの恥。自分の何十倍の大きさの、悪魔のような白いたちの喉笛に、自分の歯を突き立ててやるって信念たとえ死んでも、絶対に負けねーっていう覚悟その力の源はピンと立った尻尾から来る。けっ、かっこいいじゃねーか!俺たちクリスチャンにちょっと似ているぜ。圧倒的な困難や、強大な敵を前にして、俺たちは救いのかぶとをかぶる。俺たちは生きる・・・十字架に恥じないように!逆境にぶつかって信仰が萎えてるようじゃクリスチャンの恥!あらゆる障害に「神の言葉」って刃を突き立てて、俺たちは死んでも死なねぇーんだって叫ぶ。この力の源は燃える信仰から来る。十字架を見つめるとき俺たちの背筋はピンとはり、胸には熱い思いと、救霊の情熱が湧き上がる。これを読んで胸に炎を感じたら、君は僕の仲間。俺の兄弟たち!十字架の旗をたてろー
2007年08月31日
君の名は「キリストの輝き」結婚してもう3年になろうとしている。あっという間だった。失敗ばかりの僕を、まだ喜んで愛してくれている可愛らしい妻に感謝だね。結婚してからずっと妻は子供が欲しかったらしい。僕は子供が欲しいなって思っても、僕の親友は9年も子供が無かった。だからその位は普通に我慢するって思ってた。大切な友達の痛みの10分の1も体験しなかったけど、とうとう僕にも子供が生まれる。神様ありがとう、ありがとう。大切にするよ。ちなみに俺は男の子が生まれるとずっと信じていた。だから、子供の名前は男の子の名前を考えていたんだ。結婚するなり妻にピシャリとこういった。「僕は男の子の名前を考えたから・・・変更は無理。」「万が一女の子が生まれたら、君が考えてもいいよ」しかし、おなかの中にいる子供の映像には・・・・「写っていない・・・」信じていたんだ・・・男の子が生まれるって・・・「ご・・ごめんなさい~、僕にも名前を付ける権利をお与えください~」結局はなんとか漢字一文字だけ考える権利を何とか奪取した。結局付けた名前は「キリストの輝き」この子の人生に神の栄光が現れるように。ひざまずいて神様に祈ろう。神様、この子に十字架の啓示をはっきりと示してください。自分の罪を知り、あなたの限りない愛を知りますように。この子の人生を通して、たくさんの神の臨在が現れ、たくさんの神の霊に満たされ、たくさんの神様と深い交わりがあり、キリストの似姿にされ、キリストと同じ心を持ち、キリストと同じ思いを持ち、キリストの様な業を行いますように。この子の人生を通して、たくさんの人々(数千万人以上)が神様と出会い、たくさんの人々の神様との関係が強められ、たくさんの人々の必要が満たされ、たくさんの人々の愛や希望が溢れますように。この子の人生にたくさんの神様の恩寵がありますように。イエス様を命を懸けて、自分の全てで愛しますように。全ての人々を心から愛しますように。神と人(全員)とに愛されますように。愛に溢れ、心の正しい人になりますように。清らかな心が与えられますように。罪を憎む心が与えられますように。感謝と喜びの心が与えられますように。謙遜さと穏やかな心が与えられますように。努力を惜しまない勤勉な心が与えられますように。困難の中でも正しい選択をする心が与えられますように。たくさんの好奇心と使命感が与えられますように。優れた能力と情熱が与えられますように。聡明な頭脳が与えられますように。機敏さと優れた運動神経、みなぎる体力が与えられますように。美しい容姿が与えられますように。健康が与えられますように。人々からの尊敬と信頼と協力を勝ち得ますように。働きに必要な経済が潤沢に備えられますように。この子が祈るとき、その祈りが聞かれますように。どうか、どうか、この祈りを必ずお聞きとどけくださいませ。十字架の購い主、主イエスキリストの御名によってお祈りします。
2007年03月03日
会社の有給はもう2月に取得積み、3日取ったら10連休になった!会社の営業予定表に定規を当ててぶっとい赤ペンで線を引っ張った・・・かっ、快感・・・(くれぐれも薬師丸ひろこ調)思わずセーラー服で機関銃を構えたくなってしまう~w幸い自分以外の営業の3人は部長、課長も含めて関西出張~NR今日は定時でかっとび直帰だぁ。シアトルには大切な人がいる。僕の命の恩人だ。生まれて初めて僕に愛を教えてくれた人だ。けものみたいに生きていた僕に生きる意味をおしえてくれた。ごみみたいだった僕を宝石みたいに大切にしてくれた。いまでも思うだけで胸が熱くなる。いまその人が艱難の中にいる。何故だかわからないけど、そんな気がする。はっきりと確信めいてそれを感じる。いかなきゃ・・・シアトル海も山も越えて、風になって飛んでいこう。まってろよぉだいじょおぶ俺が行くから俺がいるから
2006年04月27日
原点回帰(道端にでて叫んじゃえ!)なんか、お義母さんに背中を押された。「今日は川口で路傍伝道でもしましょうか?」みんなでTLオズボーン先生の集会にでた時に、一人でも多くの人が伝道集会に来ることが出来るようにとお義父さんが言い出した。久しぶりに道にでた。キーボードにアンプ、ギターを背負って川口の駅前に立った。お義父さんに、お義母さん。妻に親友のSちゃん。俺とTさんの6人だった。わくわくしたけど、長い間サボっていると感が鈍くなる。正直「昔みたいにできるかなぁ?」って不安もいっぱいだった。情熱と喜び!これがいつも僕の中にはあった。胸のそこから言葉が湧き上がって、考えてしゃべる必要すらなかった。愛がとまらない。神様が喜んでいてくださる。そして神様がこの人たちを愛している。いつの間にか道行く人たちのすべてが愛おしくなる。はじめてしまえば何時もその喜びに満たされた。何回もそれを体験したけど、それでも始めるまでは「今度も大丈夫かなぁ?」って思うんだよね。妻と親友のSちゃん、そしてお義母さんが賛美を始める。みんな綺麗にハモるから、この美女軍団の歌声にみんなの視線が簡単に集まっちゃう。すかさずお義父さんがメッセージを始める。Tさん続いて叫ぶ。謙遜な僕は、お父さんの邪魔をしてはと、トラクト配布に専念していた。お義母さんがお義父さんの袖をつかみ、僕の背中をおして、「エクレシアさん、さあいってらっしゃい」ええ、そうですとも。私はお義母さんの僕でございます。大好きなお義母さんの命令ならば信号機に登り、水のないプールにも飛び込むのだ!目的は「オズボーン先生の伝道集会に人々が集まること」のみ。俺は思いっきり宣伝を始めた!「えー本日川口リリアにおいて世界最大の伝道師TLオズボーンを招いてのキリスト教の大会が開かれます。入場無料ですのでぜひお越しください!」やっぱでも、これだけだとつまんないよね!やっぱ伝道しちゃった!だって黙ってられっかよぉ!立ち止まる人たちに伝道した。4人に個人伝道が出来た。「おとうさん、早くいこうよ!」という女性に、「まてよ、俺この人のはなし聞きたいんだよ」というおじさん。「聖書よんだことある?」「家にあるよ。」「おじさん知ってる?イエス様は今も生きていて、おじさんを愛しているんだよ。」「へー神様ってどれも同じじゃないのかね。」っていうおじさん。いろいろいたけど、結局は俺が熱くなった!情熱がよみがえる。喜びが湧き上がる。愛が鮮明になる。これを教会にもって帰らなくっちゃ。胸の中に燃える炎が小さくならないように両手を胸に当てた。
2005年10月11日
偉大な働きをした牧師先生が天に召された。その牧師先生を知るすべての人たちの心と裏腹に、まるで先生が天に帰る日を天使達が祝福したように綺麗な青空だった。偉大な働きをした先生だったが、その働きよりも彼の情熱の方が今も僕の心に強く残っている。先生の息子たちと僕は神学校の同級生だった。偉大な牧師を父に持つのはどんな気分だったのだろう。告別式に向かう途中で、二人に会ったときに言う言葉を考えていた。うん!やっぱりそうだ。「君にバトンが手渡されたんだよ」これしかない。久しぶりの仲間との対面だが、尊敬する先生の告別式では笑顔で肩を叩き合う訳にはいかない。浜松の教会につくと既に大混雑だった。階段を登ると田中先生の息子である同級生のS君にあった。「来てくれてありがとぉ。」僕の両手をとってS君は明るく迎えてくれた。「天に召されたけど、僕は確かにバトンを受け取ったから…」S君がそういった。僕は用意していた言葉を先に言われて、「アーメン」としか言い様がなかった。瀧元先生が挨拶して言っておられた。「今頃、田中先生のことですから、イエス様にお会いしているでしょう。そして彼は大胆な性格でしたから、イエス様にお会いするなりイエス様におすがりして、『イエス様、日本のリバイバルがまだ起こっていませんが、いつ起こしていただけるのでしょう?』とおねだりしていることでしょう。」みんなリアルにそれを思い浮かべた。大川先生が挨拶して言っておられた。「わたしは今朝、幻を見ました。数え切れないほどの天使たちの群集が大歓声を上げながら田中先生をラッパの音とともに迎え入れ、イエス様が両手を挙げて田中先生を迎えていました。」感動で涙が出そうでした。田中先生の油そそぎをSとKは引き継いだ。二人の持っていた油注ぎに加えて、2倍の油注ぎになるに違いない。浜松教会の人々にもそれは引き継がれたに違いない。でも、実際はもっと!田中先生の情熱に感動した、すべての人が・・・あの告別式に参加して、その偉大な働きをなした先生の生涯に感動したすべての人が・・・先生の油そそぎを受け取ってもいいのだ。だから僕も受け取ろう。先生の働きを継承しよう。あの告別式にいることが出来たことを、心から名誉におもう。
2005年09月21日
久しぶりに、十字架の喜びを思い出した。なさけない・・・こんな気持ちは何年ぶりだろう。内側から情熱かとまらないのは・・・うれしさが込み上げて、じっとしてられなくなるのは・・・こんな自分が愛されてしまった・・・こんな風に涙を流すのは・・・こんな自分が許されてしまった・・・こんな風に感謝が湧き上がるのが・・・どんな困難がやってきても、全部やっつけちゃえるような高揚感は・・・前につんのめって、走り出したくなるような力が漲る。イエス様の為なら嬉楽しく命なんて捨ててやる!でも今生きているのがうれしくって叫びたい。もう走っちゃえ!もう止まらない。この喜びをすべての人に伝えなきゃ!もう決して離さない。この愛と情熱・・・
2005年08月19日
神学校の懐かしい友達を訪ねた・・・僕たちの仲間の中でも元気満点!最高に素敵な女性だった。Mちゃんが神学校の卒業式の時に、机に飛び乗って「私は一生結婚はしないっ~、伝道者、女パウロだぁ~。」と叫んでいたのはもはや我々第一期生の伝説だ・・・しかもその2ヵ月後に結婚が決まったのも伝説だ。神様ってすばらしい…このすばらしい御業を通してMちゃんは益々謙遜にされたのだ…そんな神様の素敵さに僕ら神学生は目頭が熱くなる。Mちゃんは結婚式をひっそりと挙げた。あとで文句をつけたら、「ぜったい呼べるわけないよぉ~」といわれた。それもそうかなと思ったが、日にちや場所の詳細さえ事前に判っていたら絶対に奇襲をかけて結婚式に乗り込んだのに。そして猿のぬいぐるみをまとって食事を食べまくって大暴れしてやる…まあ何はともあれ、Mちゃんとは恋愛結婚して、子供も生まれ、あっという間に数年たってやっと再開したのである。積もる話もたくさんあるが、やっぱり話すのは神様のことや、自分の夢や情熱…「まけるもんかぁ~、まだまだこれからだぁ~。」ってお互いに励ましあってきた。でもふっとMちゃんの顔が寂しそうになっていっていた。「でもさぁ~、最近うちの旦那にさぁ、昔みたいにお化粧やおしゃれもしてくれないっていわれてさぁ。」「でも子育ても忙しいもん!二人っきりの時みたいにできないよぉ。」しかし、男の味方エクレシアはやっぱり旦那さんの肩を持っちまう。「自分の恋女房にはいつだって綺麗でいてほしいもんだよぉ!自分の嫁さんはいつだって一番だって男は皆なおもいたいんだからさぁ。無理は言えないけどがんばってやってあげなよぉ」彼女は「うん、これから少しはやってみる」といっていた。しかしダチのMちゃんの肩を持つならば…旦那さん!ほれた女に綺麗でいてほしかったら、お小遣いを貯めてでも綺麗な服をプレゼントするのじゃぁ。安物なんてだめだぁ。一生懸命働いて、最高のものをプレゼントするのじゃ。お姫様は、お姫様のようにエスコートする男によって作られる・・・・BY エクレシア
2005年06月12日
さいこーの一日でした・・・皆さんごめんなさい。プリンスホテルで結婚式を挙げると、菊華会の会員となる。友達をプリンスホテルのウェディングプランを紹介したので、なんと2万円分の商品券が送られてきた。これを今年の結婚一周年に充てるのだ!そうすれば宿泊が可能な上に、ディナーが奮発できるではないか!部屋のキーをフロントで受け取り、いざ43階へ・・・去年と同じ部屋は、本当にそのままで、記憶がよみがえります。入り口開けた瞬間にアドレナリン上昇でテッペンいっちゃいました。夕暮れの美しさ、そして海の美しさを堪能しようか・・・いえいえ、やっぱこれからディーナーでしょう。ホテルの屋上から夜景を見ながらビフテキを食べるのだぁ~おっと、その前に忘れちゃいかん。結婚式の時にお世話になった担当の方にご挨拶、ご挨拶・・・こういうことをおろそかにすると、どうもお尻が痒くなる。「おひさしぶりです・・・とうとう一年たちました。 結婚式の時は本当にお世話になりました。 ありがとうございます。」出てきてくださったご担当者に挨拶すると、すでに僕らが泊まるのが、予約を入れた時点で報告されていたよう。。。ご担当者のご配慮によって、なっ、なんとお~、最上階レストランに通されて、一人7000円のコースをごっつぁんになりました。挨拶しに行っただけなのに・・・・最高のお料理にシャンパーンがついて、最高にきれいな夜景を眺め、二人は、それはそれは、あまい、あまい夜を過ごしましたとさ・・・めでたし、めでたし。
2005年05月16日
お久しぶりの皆様!一年ぶりの更新です。結婚した日を思い出し、一年間の楽しかった日々を神様に感謝!!この素晴らしい人生を彼女と二人で楽しみつくすのだ…日曜日は一年ぶりに結婚式を挙げた幕張プリンスホテルに予約を取った。もちろん結婚して、初めて二人の夜をすごしたお部屋を予約。あの日のことがどんどん明確に思い出されて、うふふにまにまです。夕食をちょっと奮発したら、彼女に怒られるかな?いいえ、文句は言わせません!お姫様に相応しい最高の夜にするのが僕の使命。日本の男は「黙って俺について来い」だぁ!
2005年05月14日
披露宴の会場の幕張プリンスホテルに宿泊し、目が覚めたら新婚旅行目を閉じればパラオの青い海と潮風の香り・・・チェックアウトを済ませば、ホテルの前からバスにのって、目指すは成田空港。飛行機に乗ること6時間。あっという間にパラオについた。空港では向かえの車が俺たちを歓迎ホテルにそのまま直行だぁ!吹き抜けになっているホテルの自然光を取り入れたフロントはそのままビーチと繋がっていた。早速パラオ パシフィック リゾートにチェックイン!予約した部屋は始めの4日はガーデンビュー最後の2日はちょいと値の張るデラックスオーシャンビューしかしそれがどうした新婚旅行である・・・彼女との時間を最大限ロマンチックに演出しなければアホである。最後の2日は最高の眺めの部屋で彼女と夕日を眺めながらロマンチックはクライマックスを迎えるのだ!はちきれんばかりの「うふふにまにま」が想像だけで込みあげてくる。しかし、ここで事件発覚!初日からデラックスオーシャンビューに案内されてしまった。なっ、なにぃ~いさすがPPR 新婚夫婦に優しすぎるぜこの熱い心意気に俺は胸を打たれた・・・計画は臨機応変に変更された・・・最後の二日で迎えるロマンチックのクライマックスは、初日からトップギアで最高潮のロマンチックに突入する計画に変更されたのである。まさしく「恋する暴走戦車」のふたつ名を持つエクレシアにふさわしい幕開けである。このとき俺は確信した!「勝負は相手と向かい合ったときから決まっている」とある囲碁の名人が言っていた。そうだ、俺は命がけで新婚旅行の計画をたて、命がけで結婚式を向かえ、命がけで彼女を幸せにすると神様に誓い命がけで朝目覚め、命がけで新婚旅行に踏み出したのだ!はっきり言って、この新婚旅行は俺のものだ!人生の全ての祝福を手に入れた王様となるのだ!イエス様、YOU ARE SO SWEET!だぜ。
2004年06月23日
ハネムーンの語源は、古代ゲルマン民族の慣わしから来るらしい。古代のゲルマン人達は結婚後の子育てなどに備えて一ヶ月の期間蜂蜜酒を飲んで元気をつけていたらしい。結婚後一ヶ月間のあまーいあまーい新婚生活が、蜂蜜(酒)の甘さと相まって"Honey Moon (蜜月)"と呼ばれたわけなのさ。その響きからして甘いっ、甘すぎるっ・・・人生に一度のハネムーンである・・・これを楽しみ尽くさねば一生くいが残る・・・新婚でハネムーンが楽しくなかった夫婦という一生の烙印が押されてしまうのである。これはいかん・・・人生の左右する大切な問題だ!だからハネムーンを楽しく遊びつくすために綿密な計画を建てる必要が出来てきた訳・・・こうして「血反吐はくまでハネムーンを楽しみつくそうプロジェクト」が始まった。ハネムーンの計画をたてるにあたって、柱となるテーマを3つ立てた。1.大自然に囲まれて神様の御業を心行くまで楽しむ。2.イルカと一緒に泳ぎ、彼女の夢を叶えてあげる3.ダイビングのライセンスを二人で取得し、まだ見ぬ海の世界を最高に満喫する。そう・・・この3つの条件を確保することが出来る場所は、世界広しと云えど只一つ・・・パラオしかない!パラオ♪パラオ♪ぱ・ら・お♪「イルカと泳げるね、これで君の夢がひとつ叶うね」「もう死んでもいい~」・・・・・何をおっしゃる・・・・旅行会社を選ぶためにあちらこちらを調べ、プログラムの内容と、価格を確認。一番よさそうな旅行会社を選んだらパスポートも更新し、チケットの予約・・・泊まるホテルは「パラオパシフィックリゾート」パラオ唯一のリゾートホテルだ。宿泊費はちょいと血が出たが、それがどうした新婚旅行である。新婚旅行を楽しみつくすためならどんなことでもかんばるのである。こうして最大限楽しむための計画は着々と進められていった。
2004年06月21日
たっくさんの友達が参加してくれた・・・世界中の大好きを集めてもみんなに伝えたい思いに足りない!昔から大好きだったけど・・・今日って言う日にはもっと大好きだって伝えたい。大阪から、神戸から、静岡から、ハワイから、栃木から、愛知から、遠くの友達も近くの友達懐かしい友達もありがとう、ありがとう。祝ってくれてありがとう。幸せを祈ってくれてありがとう。160人も集まってくれた!来られなかった人たちも、電報で、手紙で・・・両手で抱えきれない心を送ってくれた俺たちの為に踊ってくれた教会の友達俺たちの為に歌ってくれた神学校のみんな俺も一緒に踊っていたよ、俺も一緒に歌っていたよ。俺たちの結婚式の最中に、新しいカップルも誕生!神様は僕のこんな願いまで叶えてくださった ハ~レルヤ♪ずっと一緒に歩んでいこうね。僕の大切な友達!!
2004年06月04日
結婚した。エクレシアは戻ってきました!幸せの鐘と共に!幸せの虹を背中にまとい、天使の歌と共に!背中に翼を生やして飛んで行きたい。夢にまで見た結婚式!とうとう自分の結婚式!友達のみんなの結婚式を見るたびに結婚って素晴らしいなと思った。友達の新婚家庭を見るたびに、自分も結婚しようと心に決めた。どいつも、こいつもおいしい顔しやがって!!こんどは俺がおいしい顔だぁ~!俺と彼女はクリスチャンで、友達の多くもクリスチャンだ!いわゆる業界人ってやつだね・・・だから結婚式もキリスト教式な訳だけど、一般的なウエディングチャペルでする結婚式と同じじゃない。俺たちの結婚式は一つ一つに意味があるんだ。俺たちクリスチャンの男が女を愛するとき・・・キリストが教会を愛するようでなければならない。それは命を懸けて愛すること。たった一人を愛すること。永遠に愛すること。すべてを与え、すべてを受け入れ、汗を流して仕える。クリスチャンの女が男を愛するとき・・・教会がキリストを愛するようでなければならない。それは人生をかけて仕えること自分を捨てて、二人が一人になること。一緒に歩むこと同じ目的を持ち、同じ夢をみて、どんな場所にもともに行く。その良いときも、悪いときも、その病むときも、健やかなるときもその富めるときも、貧しきときも・・・神様が僕たちを愛しているように・・・僕たちが神様に仕えるように・・・一緒に時をすごそう。永遠に、永遠に!一緒に神様を愛し、一緒に神様に仕える。一緒に神様の為に生きていこう。結婚式の最後は花嫁を抱えての退場彼女を両手に抱えて勇み足!みんな立ち上がって拍手喝采!やんや、やんやで、盛り上がって、盛り上がってもう最高!
2004年06月02日
こんなにコメントが出来ない映画は他にない。終わったあと、椅子に座ったまま、最後まで動けなかった。映画を見てる間も涙がとまらなかった。この方に従って生きるのがクリスチャンなんだ・・・って思ったら、「自分はなんと中途半端な生き方をしているんだろう」って思った。「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」マタイ 16: 24この言葉が何度も浮かんできた。情けなくって叫びだしたくなった。あの鞭を2回も受けたら、俺には十字架に向かおうなんて思えないと思った。3回も受けて、死を願っても与えられず、耳元で信仰を捨てるようにささやかれたら、自分の心は次の鞭を受ける事が出来るだろうか・・・なんか、自分の中途半端さをひたすら泣きながら神様に悔い改めた。「キリストを十字架に架けたのは自分の罪のためだ」と告白する前に・・・力の限り鞭を振るう手は、主を十字架に釘打つ手は、自分の手であったと知っていただろうか?ローマ兵のあざけりながら鞭を打つ醜い顔は、自分の顔であるのを知っているだろうか?あの鞭を受けるのは、本当は自分でなくてはならないんだと知っていただろうか?キリストの情熱が叫んでいたような気がした。愛してるよって・・・お返しすることなんて出来ない。愛してるなんていうのもおこがましい・・・だから・・・ せめて ありったけで生きよう。自分の持てる、ありったけをこの方にささげたい。「パッション」を見て罪深さを感じ、過去に犯した殺人を告白するため警察に自首してきた男性がいた。イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 ルカ 23: 43きっと彼の心には、イエス様が十字架の上で、強盗に語ったこの言葉が今も響いているんだろう。今も自分が許されている平安と、自分の犯した罪に立ち向かう勇気が心に燃えているんだろう。すばらしい!すばらしい!イエス様のパッションは愛!その情熱が熱く熱く叫んでいる!
2004年05月10日
はいはい、もうわかってます。友だちのGoodNewsに更新まだかぁ~と突っつかれ・・・こんなに更新サボると言い訳する気にもなりません。とりあえずいってみよぉ~びょー読み開始・・・といった感じです。結婚一週間鉢巻いりますよ、まったくもう・・招待状から席次表まで全部手作りでつくりましたよぉパスポートの新規取得、新居探し、家具探し結婚式の出席者の管理プログラムの作成曲目の選択新婚旅行の準備ぃ~引越しに片付けぇ~役所に通って、連休関係なく毎晩てっぺんまで行っちゃったよぉしかもぉ、結婚指輪かいわすれてたじぇ「お客さん・・・最低一ヶ月前じゃないとね~」「第3希望くらいまで聞いておきますから・・・一応。」「どれか一つくらいはあたりますよ」突き刺さる言葉の集中砲火・・・・他にも数え切れないほどたくさんの準備・・・あー 楽しかった!(^v^;)/信じられないくらいたくさんの人が助けてくれて、信じられないくらいたくさんの人が祝福してくれて、信じられないくらい神様の恵みが溢れてた・・・ありがとう、ありがとう今まで一度も喧嘩したこともなくわきあいあいで、のほほん、のほほんとすごしてきた我々二人・・・ここまできたら一生仲良しで行こおっと・・・
2004年05月06日
それは過酷である。女の子を誘うのにも正直びびるのが人情である。だいたい「デートに誘うんだったら、もちろん結婚考えてるんだろうなっ」てくらいいまどき珍しいお堅い業界なのである・・・日本の教会って場所は・・・。もちろんこれはこれで良いことでもある。おかげで男も女も半端なことは出来ない。これを踏み外してあちらこちらと相手を変える奴はだらしがないと言われて健全なクリスチャンの独身男女達からは敬遠される。つまりこのクリスチャン業界では男が少ないのに託けて、適当に遊んであれもこれも言うような奴は、いざ結婚と言うときにいい口はないのである。本当は世間でもこうあったほうが良いのではないかと俺は思う。女を泣かせて平気な奴らが最後までへらへら笑っている世では、太平などは望めない!日本の男供、女を守るために立ち上がるのじゃ~。
2004年01月19日
あれはシアトルからスティーブ・カーペンター氏が来た、大変ハッスルした聖会だった・・・・みんな最高に喜んでて、楽しくって、みんなが「神様ってすばらしいっ!」って言ってた。とにかく良かった・・・、壊れた家族が回復したり、いなかった人が戻ってきたり、落ち込んでいた人が、希望を見つけて立ち上がったり・・・奇跡満載の3日間だったのだ!もちろん俺も最高の気分に浸っていたとき、聖会最大の祝福を俺は見つけた・・・・賛美の途中で会堂を見渡して、後ろを振り向いたとたんに視界に入ってきたのだ・・・可愛い子ちゃん発見!!!それは以前一緒に学校で学んでいたクラスメートだった。あの頃はまだ幼さが残っていて、女性として意識したことは一度も無かったけれど・・・5年の時は人を変えるのに十分!う~ん、もうめっさ可愛ええ~!!!!!!俺の心臓は16ビートを刻みだし、アドレナリンが急上昇・・・俺はスナイパーの様にクールに、しかし獲物を目にした野獣のようにアニマルと化した。ターゲットロックオン!!!!!!心の中のBGMはゴスペルからサンダーバードのテーマソングに変更。鼻の穴をバカでっかく広げて、聖会が終わった瞬間にかっ飛んでいった。おっ姫さま~!!!!!!俺は紳士の毛皮を何重にも被った狼と化し、さぞ懐かしそうに近づいて、俺は電話番号を聞きだすのに成功したのであった。事情をしった教会の仲間たちに聖会でナンパしやがって!!!と散々に言われ続けたのは言うまでもない・・・
2004年01月14日
1月11日日曜日・・・とうとうしました・・・・えへっ苦節33年・・・思えば長い下積みだった・・・うふふ、うふ、えへへっ・・と、もう顔緩みっぱなし・・・うれしーよぉおおおおおおおおおお~あおっ~っと狼男のように叫ぶ・・・惚れた女と一緒になれるんだ!惚れた女がそばにいるんだ!こんなにうれしいことはねぇよぉ~。婚約だぁ~、婚約だぁ~もうめっさうれしぃーーっ。
2004年01月13日
今日は僕のお客さんの製糖会社に訪問。砂糖工場に入ると甘いにおいがして、それだけで楽しくなる。日本のお砂糖の何分の一かはここから出荷されていく。ケーキに和菓子、チョコレートにキャンディ、角砂糖に白砂糖、ジュースやお料理!そしてたっぷりのガムシロップ!甘いものが大好きな人の夢の工場だね。インドネシアやオーストラリアから原糖がタンカーで運ばれ、ベルトコンベアーで海の横にある倉庫に流し込まれる。倉庫の天井から滝のようにお砂糖が降り注ぐ・・・雨の日はしないんだよ・・・砂糖が溶けちゃうから。倉庫は広くってとっても大きい。野球のグラウンドくらいの広さで、6階建てのビルくらいの高さかな?そこに原糖がたっぷりと山積みになる。トレビア~ン、砂糖って素晴らしい!
2003年10月02日
百年に一人の天才バレリーナ。ナマでみて圧倒された。彼女のバレエは情熱。可憐でやわらかさに包まれていながら、無駄の無い全身の筋肉が体のすべての動きを形作る。端正な顔立ち、しなやかなボディ格の違いを見せ付ける美しい表現もし機会があったらバレエのファンでなくても彼女を見に行ったらいい。百年に一人の天才プリマはきっと感動を与えてくれるはず。神様は人間をこんなに美しく造っている・・・そんな風に感じた。
2003年09月19日
アランドロンの「さらば友よ」を久々に見返した。親友を誤って殺した男が、親友の名の為にいのちを懸ける「バラン」。奇妙な男との出会い、そして徐々に生まれる友情。この二人の信頼関係を崩すためにあらゆる手を使う警部。しかし二人は離れていてもまるで相手の心が分かるかのように顔色一つ変えず、信じることをやめず、何の得にもならないことの為に意地を張り続ける。俺にもそんな友達がいる。俺と付き合うのをやめろと言われても、俺の信じられないような悪口を聞かされても、必死に耐えて友達であることを選び取ってくれた。すべてを失うかもしれなかったのにも関わらず・・・だからこの映画のラストシーンを見ると最高の気分になる。バランが相棒のタバコに火をつけるシーン ここに男のすべてがあるよな。
2003年09月17日
今から13年前、アメリカの片隅…小さな教会で僕は確かに神様とであった。孤独と自己中心、憎しみと怒りがいつも僕を満たしていた。でも僕が受けるはずの罪の罰を十字架の上で変わって受けてくださった方に出会ったときに、心に革命が起こった。こんな自分が許されてしまった。こんな自分が愛されてしまった。こんなに汚れていたのに。こんなに罪深かったのに。偽りだらけだったのに。いいとこなんて無かったのに。こんなに神様を憎んでいたのに。許されてしまったから、すべてのことを許してしまおう。受け入れられてしまったから、すべてを受け入れてしまおう。我慢してくれたから、すべてを耐えてしまおう。それでもなお愛してくれたから、僕もすべてを愛してしまおう。僕を憎み、苦しめようとするすべての人たちも・・・これが僕の新しい戦い。命をかけて、誇りをかけて、信念をかけて、自分の存在をかけて戦う相手は自分自身。血を流してでも戦うべき、自分自身の内側にある巨大な罪の力。それは悪魔に誘惑に陥らないための、この世にあって終わりのない戦い。最弱とも見えるこの力の一撃一撃こそが最強の敵を土台から打ち崩す力。水滴によって岩に穴を穿つような!ああ、なんて激しい戦い。なんて険しい戦い。なんて困難で、なんて大きな戦い。自分は昔よりも気が遠くなるほど大きなものと戦っている。でも不思議だ・・・ なんでこんなに幸せなんだろう。
2003年09月16日
静岡にある友達の教会のキャンプに参加する。メッセンジャーは僕の教会の牧師!「よっ、日本一!」と言いたくなるくらい素敵なメッセンジャー牧師が言うには、「僕のメッセージを聞いて、あの牧師のメッセージは最高のメッセージだった・・・と言われるより、キリストは最高だ!と言われたいんだそうな。そんな牧師が大好きだ。静岡の友達と日が暮れるまで時間を過ごし、神様の素晴らしさを共に喜ぼうっと。
2003年08月13日
ものには裏と表がある・・・わしは確かに会社にだした履歴書にはアメリカのカレッジの卒業資格を謡ってはある・・・そして面接でもさぞ賢そうな顔で入社。だがしかしそれはスーパーマンを意味はしないのだ。はっきり言って何処其処の研究論文を気軽に渡されて、これ英語に訳してみて・・といわれても、ぱっとできるわけでもない・日本語でわかんない言葉が、英語で分かるかぁ~!見たことも無い実験器具をどうやって表現するんだぁ~。わざと難しい言葉で書いた書類の山を前にただ祈るのみだぁ。
2003年08月12日
天国の庭を神様が散歩されていました。すると美しい緑一色で豊かに葉をつけた竹が神様の目を捉えました。その見事な美しい竹を、満足そうに見つめたあと、神様は竹さんに言いました。「竹さん、竹さん・・・わたしは君をわたしの計画のためにもちいるよ・・」竹さんは喜びました。「私が神様の素晴らしいご計画のために用いていただけるなんて」その時から竹さんはその肌の緑のつやはまぶしいばかりになり、枝を見事につけ、もっと深く根をおろしました。「神様のご計画のために供えなくては…」しばらく時が流れて、神様が再び竹さんのもとに訪れました。その時、神様は竹さんにいいました。「竹さん、竹さん・・・君をわたしがもちいるために、君を切り倒したいのだが・・」竹さんは悲しみました。「しかし神様、もし私を切り倒してしまえば、わたしがあなたのために備えたすべては無駄になってしまいます。」すると神様は悲しそうな顔をしていいました。「もし切り倒さなければ、私は君をもちいる事ができません。」すると竹さんは言いました。「あなたに用いて頂く時の為だけに私は生きてきました。あなたの思う通りにしてください。」そして神様は竹さんを切り倒しました。神様は再び竹さんに言いました。「竹さん、竹さん・・・君をわたしがもちいるために、枝をすべて切り落としたいのだが・・」竹さんはもっと深く悲しみました。「私はあなたを信頼しています。どうぞ思うとおりにしてください。」そして神様は竹さんの枝をすべて切り落としました。神様は再び竹さんに言いました。「竹さん、竹さん・・・君をわたしがもちいるために、君を真っ二つに切り開き、中身をすべて取り出したいのだが・・」竹さんは叫ぶように言いました。「私はあなたのもので、あなたを愛しています。どうぞ思うとおりにしてください。」そして神様は竹さんを真っ二つに切り開き、中身をすべて取り出しました。神様は再び竹さんにいました。「竹さん、竹さん・・・君をわたしがもちいるために、君を炎のなかを通して、君の肌を焼きたいのだが・・」竹さんはとうとう絶望してつぶやきました。「神様どうして私にこんな事が起こったのでしょう。もうあなたのお好きなようにしてください。」そして神様は竹さんを火の中に通し、その緑の肌を茶色に焼きました。そして神様は竹さんを満足そうに見つめ、竹さんの片方を天国にある尽きることのない泉に、もう片方をこの世の砂漠に置きました。竹さんは天国の水を乾いた砂漠に流しだす為にもちいられました。竹さんを通して流れる水は砂漠を豊かな場所に変えました。けれど誰も竹さんのことを人々は気がつきませんでした。
2003年08月11日
愛は素晴らしい。愛は勇気をくれる。希望も力も幸せも生きる意味もみんな愛からくる。でも人間の愛は壊れるときがくる。僕達は生きていると悲しみに出会う。誤解失敗裏切り侮辱あきらめ失望傷ついた愛ほころびた愛冷たくなった愛があるでも人は苦しみもだえ、綻びを繕い冷え切った心を暖め、慟哭をこらえ顔をのけぞらせこれ以上前に進めなくなり、必死にこらえて愛を取り返す。それも愛なんだ。愛が壊れるとき、その人を昔以上に愛するしかない。たったそれだけが残された道・・・
2003年08月09日
友達は神様に仕えていた神学生で、本当に愛と情熱、そして静かな謙遜さをもった素敵な神学生だ。そのときちょうど俺の友達は、圧倒的に苦しんでいたんだ。ある人が友達を毎日のようにいじめていたんだって・・・信じられない様な理不尽な要求重箱の隅をつつくような言葉わざと人を傷つけるような厳しい言葉まるで従順な友達の心を利用し、紙コップのように使い捨てるような扱い・・・友達は本当に傷つききって、もう涙も出なくって、心が砂漠みたいになっちゃって、夜に自分の部屋で、神様につぶやいたって・・・「神様、あなたは愛の神様です。あなたが私の為に十字架にかかってくださったことを私は知っています。あなたが世界で一人の神様であることを信じていますが、私はあの人が許せません。どうしても許さなくてはならないと、あなたが言われるなら・・・私はクリスチャンになれなかったのです。残念ですけどクリスチャンを辞めます。」そのまま友達は疲れ切って眠ってしまったようです。その夜、友達は夢を見ました。夢の中に十字架のイエス様が出てこられました。でも疲れ切った友達は心の中で「どうせあいつの為にも私は十字架に架かったんだから、お前も許しなさいって言うんだ。」っと思ったそうです。でもね・・イエス様はそうじゃなかったんだ・・・「わたしを苦しめていいから・・・わたしをののしってもいいから・・・わたしを叩いても、槍で突き刺してもかまわないから、お願いだからあいつを許してやってくれないか?」友達は泣いて悔い改めたって・・・ごめんなさい、ごめんなさいそんなことを言わないでください、どうして私があなたを苦しめることが出来るでしょうか、許せない私を、それであなたを苦しめた私を許してください・・・その時から友達は新しく造り変えられた。前よりも強く、そして美しかった。愛する僕の友達に捧ぐ・・・
2003年08月07日
ミレーはプロバンスの美しい田園風景を書き続けた人だ。その絵はどれも光と影が交差している。絵を見ているだけでミレーがどれだけこの風景を愛していたかが分かる。最初はほんの数日滞在するつもりが、結局死を迎えるまでの27年間をこの村で暮らした。ミレーの目はいつもプロバンスの自然の中に、また、人の営みの中に神を感じていた。だからミレーの描く田園風景は、どれも透明感があって清らかさを感じる。イコンのように、宗教そのものを題材にしたものは少ないけれど、ミレーの描く絵画には、どれもプロバンスの農村で働く人々の姿に聖書の風景が重なって見える。ルツとボアズ種をまくひと晩鐘落穂ひろい痩せた土地に厳しい気候の北国。そこでの生活は決して楽ではなかった。結婚した女性は病弱で、売れない画家との生活で、わずか二年後に亡くなる。自分の夢を支えてくれた祖母と母が死んだときにも、ミレーには帰る旅費すら無かった。しかし大地に根付いた人々の美しさを感じるままに描いたミレー。働く者たちへの賛歌。いのちを与える神への感謝。しかし厳しい自然に立ち向かいながら働く人々の絵は都会の人には受け入れられなかった。後にミレーは語っています。『額に汗して生計を立てている人を見て、心に浮かんでくる着想をただ素直に認めることがどうしてできないのか?実際私はそこに魅力をはるかに上回る、つきることのない偉大さを見出しているのだ』60歳に近づく頃、ミレーの命は燃え尽きかけていました。夢に生涯を懸けて、多くの素晴らしい作品を残してきたミレーが語っています。「人生は短すぎる。やっと自然や芸術が判りかけてきたのに」僕の会社の机には、ミレーの「落穂拾い」が飾ってある。働く意味を見失うときも、この絵を見てまたがんばる。きっと自分が苦しくって惨めに感じるときも、一生懸命働いている自分の姿は美しいのだ。そして最後に自分も言えるようになりたい。「神様の愛を語るには人生は短すぎる」って。
2003年08月05日
今日は教会の若いものたちで海にバーベキュー!千葉で行われる花火大会も一緒に見ちまおうってんだから、贅沢この上ないったらありゃしない。○○ゅ○の嫁のS美ちゃんが下ごしらえっ!ん~うまい!いい嫁じゃ・・・みんなでお腹一杯たべて大満足!さあ7:30にカウントダウン!花火大会の本番でぇ。・・・・・あら、花火見えないし音きこえない?「あっ、あそこあそこ!」海の向こうのビルの隙間から、小さな半分隠れた花火が静かに、謙虚に・・・「・・・たまや」さあ帰ろっか?
2003年08月02日
今から11年前、僕は自由を知った。体をぐるぐる巻きにしていた鎖が、全てジャラリとほどけて落ちた。激しい愛が僕の心に流れ込んだとき、全ての暗闇から解き放たれたんだ。こんな自分が愛されてしまった。こんな自分が許されてしまった。自分に起こったことが信じられなくって、思いっきり泣いた。思いっきり泣いてたらいつのまにか思いっきり笑ってた。一晩中笑いつづけてた。おなかがよじれた。だって愛されてしまった。そのときからだ。思いっきり怒り、思いっきり泣き、思い切り笑えるようになったのは…。全力で走ってみた。(ほんと馬鹿だけど)屋根の上によじ登った。思いっきり叫んでみた。思いっきり歌った。思いっきり跳んでみた。どんなに自分が幸せかを人に伝えて回った。(本気で全部やった) 楽しくって楽しくってしょうがなかった。生きてて良かったって本当に思った。そうなんだ。自由って幸せのことだったんだ。どんなに馬鹿にされても、どんなに苦しいときでも、どんなに困難でも、心に幸せが満ちるとき、僕たちは解き放たれる。全ての鎖をひきちぎって、全ての暗闇を足の下に踏みつけて、力の限り歌うことができる。愛は僕の心を解き放った。囚われた心を解き放った。愛は生きることの意味を教えてくれた。僕は神様の憐れみを信じている。神様の愛が全ての人を救うことが出来ることを。その愛が絶えることがない事を。
2003年07月31日
市川雷蔵主演の「忍びの者」シリーズ・・・とうとう買ってしまいました。DVDの店でいつも眺めていたのに。主よ!お許しください。我慢できませんでしたぁ~。でも市川雷蔵ファンの僕としては、ほおをすりすりしちゃうくらいうれしい!あ~高かったけどしあわせだぁ!
2003年07月29日
北アルプスの一角、立山に登った!天気もよくって、景色もサイコ~!なんだか最高にいい気分だった。山頂はまだまだ雪が積もってる。紫外線の乱反射で、顔と腕がやけど状態。しっしかも、軍手をはめていた所為で手だけが白いっ。おっ俺の手がぁぁぁぁ。でも気にするものか。ノリにノった俺はみんなの荷物をもって上がって、絶好調!今日は俺がヒーローだぜぃ!イエーイ。
2003年07月22日
友達に会いに長岡へ向かう。共に温泉に入り、友情サウナのひと時を・・・一緒に時間を過ごし、幸せな時間。しかしダイエット中の彼は、俺に夕食を振舞うのみで殆ど何にも食べなかった・・・PIYOちゃんありがとう。
2003年07月20日
人の残り物の弁当を、もったいないからって言われてもらってくった・・・その夜・・・恐怖は襲ってきた。ぴーごろごろごろごろ~眠れないほどの連続的な波・・・まるでサーフィンのように自由自在に腸内を駆け巡る。しんだ・・・
2003年07月19日
フィンセント・ファン・ゴッホは1853年、オランダの貧しい田舎町にプロテスタント教会の牧師の息子として生まれました。両親はその子に、「勝利者」という意味の名前をつける。彼はいつしか神様への愛に目覚めます。その心を激しく燃やして牧師を目指します。しかし彼の余りにも激しすぎる性格に、伝道師養成学校の監視官たちは、不適格の烙印を捺すのです。伝道師になって神様の愛にこたえることが出来ないと思ったゴッホ。「・・・私はもはや神に必要とされてはいないのだ・・・」神に仕えることに命を懸けたゴッホは生きる目的を見失います。挫折したゴッホに残されていたのは、絵を描くという才能だけでした。ゴッホは、そのやり場のない情熱と悲しみを筆にとって変えて絵画を描き始めます。しかし自分の全生活費を支給してくれていた弟のテオはいま自分が全てに苦しい状態にあり、これ以上サポートを続けることが無理であることを訴えました。妻子を持ち、オランダに暮らす母親の面倒を見、そしてゴッホへも仕送りを送り続けている経済的負担が、彼を追いつめていたのです。ゴッホは返す言葉がありませんでした。アルルの黄色い家で共に暮らしたゴーギャンはゴッホについてこういいました。「最も不幸な男が一人いる。その男は黄色い家に住み、理想ばかりを唱え、生活感がまるでない。」これからの生活費は・・・一生の友になろうと思った男は自分を侮辱し、卑しめ、自分の元から去っていった。数日後、ゴッホが「どうにもならない!」と叫びながら、オーヴェールの麦畑を彷徨っている姿が目撃されています。何かが崩れかけていました。それから二十日後。彼は自らを撃ちました。ゴッホはピストル自殺を図りましたが、数時間して目を覚ましました。銃弾が心臓をはずれ、死にきれなかったのです。仕方なく彼は、朦朧とした意識の中、宿にしていた場所を目指しました。彼は辿り着いた下宿屋のベッドの上で、一晩苦しみぬきました。翌日、パリから駆けつけてきたテオに、ゴッホはこう言ったのです。「またしくじったよ・・・。泣かないでくれ、みんなのためを思ってしたことなんだ」そして7月29日になった午前一時過ぎ、ゴッホは息を引き取りました。ゴッホは妹にこんな手紙を書いています。「僕は村の教会のうんと大きな絵を描いた。簡明な深い青、澄み通ったコバルトの空に教会の建物が紫がかり、ステンドグラスの窓がウルトラマリンの青い斑点のように見え、屋根はスミレ色でところどころオレンジ色をしている。そういう感じだ。前景には花の咲いた緑と草が少しあり、日の当たったばら色の砂がある・・・」ゴッホが生涯を通して、教会をこれほど真正面から明るく捉えた作品は他にありません。むしろ教会を描く事を避けてさえいた感じさえします。きっとゴッホにとって教会は、自分の家庭であり、自分の夢であり、自分のたった一つの命を懸けた、彼の愛する場所だったのだ。自分に失望し、追いかけていた夢に裏切られたような思いになった人、教会に失望し、神様からの愛は自分に注がれないと思った人に、今日の日記を捧げたい。自分の最も愛するものを自分から遠ざけて決して生きないで!ゴッホと同じような体験をした僕は、こころから君にお願いするよ!夢を捨てないで!君を思う神様のねたむほどの愛をもう一度思い出して・・・
2003年07月18日
僕は南プロバンス地方が大好き!大自然の中に豊かな農村地帯が広がり、水はこんこんと流れ、風は草原を渡り、夕日は豊かに実った穀物を黄金色に染める。想像するだけでお腹があったかくなるくらい、遠い昔に自分がそこにいた気がするような景色だ!プロバンスには「木を植えた男」と言う伝説がある。見捨てられた土地に、たった一人で住んでいる男がいた。名はエルゼアール・ブヒエ。彼はその荒れ地で羊を飼っていた。ブヒエはただの羊飼いではなかった。彼は一日に100個のドングリを植えていた。荒れた土地を少しずつ緑の森へと変えるためにたった一人で。彼は毎日100個のドングリを植え続け、三年の間で約10万個植える。その中で成木にまで育ったものは一万本。彼は誰からも頼まれず、また誰の力も借りず、孤独の中で一万本のカシワの木を育てた。 最初の訪問から5年経ったブヒエの森はさらに拡大し、カシワ、ブナ、カバの木々がかつては地肌をさらしていた山を緑のヴェールで覆っていた。 この驚くべき変化は、しかしゆっくりと行われたので、誰もこれがブヒエという一人の人間の手によるものだとは気が付かなかった。森が生まれると土地そのものが変化した。枯れていた地下水が湧き、鳥のさえずりが戻り、かつての廃虚の村には都会から越してきた人々が、豊かな自然に囲まれた生活を送るようになった。そして、ブヒエは87歳で息を引き取るまでの30年間、人々から賞賛を浴びる事なく、その偉業をほとんど知られる事もなく、ただ黙々と一人で木を植え続けた。信仰は偉大な勝利をもたらす。そんなことを教えてくれる話だ!
2003年07月17日
宝石を選ぶときは、輝きをしっかりと見極めよう。優れた美しい宝石は暗い場所でも輝くことが出来る。プロが宝石を調べるときに注意する、少し暗い所でも光る石を選ぶときの条件は1.色が濃過ぎない事2.カットが適切である事3.傷が少ない事等が考えられているようです。宝石の色については、プロは濃い色が良いと言います。でもね、それは有る意味では正しいんだけれど、必ずしもそうとは限らないんだ。例えばルビーは、プロは濃くて冴えの有る方が良いと考えます。そんな石をピジョンブラッド・・・ はとの血潮と呼ぶのだが、あまり濃すぎると枠にセットした時黒っぽく見える事が多く、作品として見栄えがしないのだ。つまり、ルース(裸)で見ている時と、セットした時の見栄えが違う。カットはブリリアンカットダイヤモンドでは細かいカットのグレードが決められている。宝石店に行けばスコープでカットがいかに正確になされているか実演して見せてくれる。でもね、本当の職人は石の微妙な層などで、少しカットを歪めた方が光る場合があることをしっているのだ。傷が有るからと言ってすぐにダメだとは簡単に決めない方が良い。石の表にざっくりと肉眼で見える不愉快な傷はダメとして裏側とか端のほうに有る傷で気になら程度の傷であれば光には影響ないんだよ。あとは値段との折り合いだね!そういう石は宝石業界で「化け石」って呼ばれる。他の石と、マニュアル道理に比べれば価値の少ない石がある。でもひとたび熟練した職人の手にかかるとその石に魔法がかかる。神様は傑作品を作り出す職人のようだ!人が見向きもしない、だめのレッテルを押された石を拾って見事な宝飾に変える。神様!あなたの手がどんなものも作り変えることが出来るなら・・・あなたは私を変えることが出来るはず。僕の心を作りかえて、あなたの愛を輝かせてください。
2003年07月16日
綺麗なものなら何でもすき。だから宝石も大好きだ。宝石屋さんには、なかなか男一人で入り辛いけど、本当はいつまでも見ていたくなる位、宝石がすき!大好きなぶんだけこだわりも人一倍!!本当に綺麗な宝石をじっくりと選ぶのがまたなんとも言えないのだ。同じ値段で同じ大きさの宝石を買うのにも、輝きが違う場合が多いのだ。だから負けるもんかと一生懸命選ぶ。女性のみんなはどうやって選んでる?宝石を選ぶ時に一番気をつけなければならないのは光だよ!どんな光にせよ光が当たって始めて宝石が輝くから・・・殆どの宝石屋はハロゲンランプを使っている。ハロゲンランプの下ではほとんどの宝石はきらきらと良く光るから。でもね宝石は日常生活の中で輝かなければならない。曇りの日にも、朝の柔らかい太陽の光でも、昼の強い光でも、部屋の中の蛍光灯の光でも・・・美しく輝かない宝石に価値は無いから。宝石のプロがよく言うのは、宝石を見るのに一番敵する光は午前中の北の窓の光だそうです。特にダイヤモンドや真珠を選ぶにはこの光が一番なんだって。神様が僕を見るときは、僕は輝いてるんだろうかってふと思った。人前や、教会にいるときだけじゃなくって・・・だれも見ていない場所で、職場で、電車の中で、家庭で、道を歩いていても・・・ハロゲンランプのようなスポットライトがあたらない場所で、暗い光の中でも輝けるんだろうか?だから神様!僕を照らしてください。あなたの光に照らされて、僕は輝きたい。だって一億円の宝石だって光が無ければ輝かないのだから・・・
2003年07月15日
僕は教会が大好きだ。そこにはお寺や神社と違うところがある。それは愛を知らなかった人が愛を知り、希望を体験したことが無かった人が希望を体験し、その生き方がわからなかった人がその生き方をしる所だからだ。人の人生がそこで変えられて行く・・・こんなドラマチックなことはない。僕の教会では多くの人の人生が変えられて行く。憎しみ、悲しみ、怒り、たくさんの傷つきゆがめられた心・・・。僕の教会にはたくさんの人がくる。そこには幸せな人も、不幸な人も、被害者も加害者も、白人も、黒人も、日本人も。もしも・・・もしもだよ。これらの全ての人たちが、自分の立場や自分を取り巻く全てのものを忘れて、自分をどんなときにも愛してくれる神様に向かって一緒に祈るとき、何が起こると思う?何が起こるか知っている?俺たちはひとつになれるんだ。本当なんだぜ。そしてその中で愛し合う。だってそうだろう。たったそれだけで人が許し合えるなら、いったい誰が何を惜しむんだろう。それが教会なんだ。教会が神の国だ。教会が神の家だ。教会は神の宮なんだ。だから僕たちは愛の力を信じてる。それは神様の御国が、僕たちの只中にあると言う証拠なんだ。最近よく思う。一番大切なことはたいていシンプルで、わかりやすい。そんでもって一番大切なことは、いっつも当たり前で、小さな子供たちでも知っている。そして多くの人々が、道端の石ころのように一番大切なものを目に留めつつ通り過ぎてしまう。愛ってそんなものだと思う。まるで石ころのように、人々がその上を通り過ぎていく・・・。誰も立ち止まって眺める人はいない。誰もそれを拾い上げて、それを磨いてみようとする人はいない。でも、それを拾って磨きあげた人には、それは永遠の輝きを放つ宝石なんだ。自分も何度も拾いなおす。簡単に落としてしまうから。こんなにシンプルなのに、こんなに単純なのに・・・。どうしてこんなに簡単に落としてしまうのだろう。でも落とすたんびに、慌てて探すんだ。僕には無くてはならないものだから。愛は美しい、愛って素晴らしい。生きることの素晴らしさをいつも僕に教えてくれる。だから愛の素晴らしさをどんな場所でも叫ぶんだ。
2003年07月14日
久しぶりに皆と会った。楽しかった。あんなことも、こんなことも話した。夢も語った。苦しかった事も語った。そして一緒に笑った。懐かしい友達に出会ったら、時間があっという間に過ぎちゃった。愛してるぜMY Friends!
2003年07月13日
昔俺は母さんの真珠を割っちまったことがある。「本物だったのに~!!」母さんは激怒したが、俺は真珠の中身がどうなってるのか見ることが出来て、怒られてたのに、割れた真珠の中身をまじまじとみてこんな風なんだと関心していた時がある。よく真珠の指輪をしながら洗物をしたら、ホワイトバールがピンクに変わったなんてよく見る。しばらく使ってたら真珠が剥げちゃったとか・・割れた真珠を見ながら、「なるほどね・・・こりゃしょうがねーや!」と思った。だって真珠の面は果物で言うなら「りんごの皮」くらい。大きな核に真珠の皮が薄くついている。当然真珠は傷つきやすい。偽物と本物の真珠の見分け方は、真珠同士を軽くこすり合わせて見ることだ!偽物はつるつるだが、本物はざらざらしている。表面の輝きが変わらなくても、本物は自然に出来たものなのだ。逆にいうなら偽物はつるつるでピカピカ!ひかりゃいいんだと思っても、だんだ偽物に満足できなくなる。美しくても、本物にはたくさんの傷がある。それでいいじゃないか!聖書の中では天国の門は真珠で出来ている!真珠は貝の体の中に異物が埋め込まれるストレスが体液を分泌させ、美しい真珠の膜で異物が覆われて行く。意味するのは忍耐!!本物の美しさは苦しみを通して生まれてくる。やっと出来た美しさにも傷がつく。でも真珠は美しい。悲しみの中から、人も美しさを生み出すことが出来る。真珠のように・・・心からそう思う。
2003年07月12日
今日は営業会議のための会議が行われる。6時間はヘッチャラで行われる。営業会議ではなく、営業会議のための会議で6時間~8時間はかかるのである。この世になんでこんなものがあるのだろう。時間の激しい無駄である。この世からなくしてしまいたい。
2003年07月11日
昨日は社員会!高田馬場のBIGBOXでボーリング大会だった。本社の部課のチーム対抗戦で、みんなで「負けてなるものか!」と白熱した。特に営業一課と二課の戦いはすさまじい。ライバル意識むき出しで、主任が自分の課長を叱咤激励する始末。当然俺も吼えた!そうだ、俺は崖を這い登り、いつかは戦場に向かう男だ!ストライクは必ず出せる!!(なんのこっちゃ?)・・・・・ありゃ、二本しか倒れない。神よ!高慢な我が心を許したまえ・・・どうかストライクを与えたまえ!おぉぉぉぉぉおぉ! すとーらいく~!俺の1課は、2課に団体戦で負けたが、個人戦では調子に乗ってなんと優勝。やったぜ、戦に強い主、力ある神、万軍の主。もちろん優勝のコメントは「神の奇跡です!」これで大受け・・・わっははっ!なぜかカラオケで一曲歌うことになって南の島のカメハメハで盛り上げまくって、昨日は会社のヒーロー。やったぜ。
2003年07月10日
僕達は礼拝を捧げる。それは本当の神様の前に出たときの最も自然な態度それはたくさんの楽器で、すばらしい曲を奏でる以上のもの!日曜日に教会に集い、そこでするすべてのプログラムや活動以上のもの!心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、私達の神である主を愛すること!それは隣人を自分自身のように愛すること!最も大切なことにすべてを注ぎ、他のすべてをやめること!本当の礼拝はイエス様を見出し、隣人との愛を見出すこと・・・僕達を取り巻く壊れた状況の中から扉を開いて歩みだすこと!主の臨在と、主の目的の中に入れられること!だから臨在の中に大胆に恥ずかしがらないで入って行きその中でイエス様と父なる神の愛に包まれその中で喜んで私達に与えられる恵みと憐れみを受けるすべての人々が主を呼び求め、聖い手をあげる怒りもなくあざけりもなく疑いもなく恥らうことなく主を愛し、人々を愛し、主の臨在を愛し、主の目的を愛することこれが本当の礼拝。僕達は毎日、人生のすべてで、恥らうことなく礼拝する。
2003年07月09日

えっ円谷プロダクションに出てくる怪獣?いえいえ違いまっす!アガパンサスは今がちょうど旬の花なんだ!アガパンサスという名前は、神様の愛という意味をもつagpeとanthos(花)というギリシア語からできているんだよ。つまり、神様の愛の花ってことだよね。青い色には誠実な愛という意味もあるらしい。 今日のために信仰の土を耕し、明日のために希望の種をまき、永遠の喜びの為に愛の花が咲きますように。
2003年07月08日
教会で牧師がこんなことを言っていたよ。神様のあなたに対する計画は、すでに神様の本に記されています。きょうあなたが家に帰ってベットにはいったら、あなたは自分の将来起こることについて、あなたの考えられるだけ大きく、素晴らしく、エキサイティングな出来事を想像してみなさい!それですら神様のあなたに対するご計画のほんの一部でしかないのです。それは今の現実のあなたの状況に関係ありません。神様の見た夢は必ずその通りになるからです。僕はその日、ベットの中で想像しはじめた。これから起こるであろう、たくさんの奇跡を・・・注がれるたくさんの恵を・・満ち溢れる希望を・・・たくさんの幸運、そして分け与えてもまだ有り余る幸せ!これから出会うたくさんの愛!!夢を追いかけている君に、夢に傷ついた君に、夢を探している君に、夢をあきらめてしまった君に、このことを知って欲しい。神様は君の味方だよ!君を幸せにすることを喜びとしているんだ。だから全力で夢を追いかけよう。草原をかける風のように!
2003年07月07日
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