1
いよう ぼくだよ出てきたよえぼがえるだよぼくだよびつくりしなくてもいいよ光がこんなに流れたり崩れたりするのはぼくがぐるぐる見まはしてゐるせゐではないだろやりきれんなまつ青だな匂ひがキンキンするなホッ 雲だなびつくりしなくつてもいいよぐらぐらしなくつてもいいよぼくだよいつものえぼだよ==============================詩を知る方ならお馴染み草野心平さん「蛙シリーズ」の中のある1フレーズです。春の陽気に誘われて冬眠から覚めたえぼガエルくんの登場を冒頭部分だけ写してみました。今日みたいな良い陽気のときに必ず紹介しようと思っていた詩です。===================================カエルといえばお池ですがわたしの実家には父が作ったお池があります。温かくなるとどこからともなく何百匹もの蛙がいっせいに池に集まってきてゲルゲルゲコゲコ大騒ぎです。小さいときは母が農作業でいないうちに家から大きなお鍋を持ち出して(もちろん、現役で煮炊きをしている代物で バレたら大目玉です!)「よおしっ! ようい、どん」で捕獲した数を兄弟で争ったことがありました。賭けるものは大事に使わないでとってある宝物のにおいけしごむやきらきらひかるシャープペンで思わず真剣が 度を超してそれぞれ半分 けんかごしでとにかく素手で池に落ちようがお構いなしでカエルとりをしたものです。あんなに身近だった蛙ですがいつからかすっかり苦手になって今はもう 触れるかどうかが怪しいくらいになりました。このテンプレートを作る際にも画像フリーで蛙を探してあちこち見て歩くだけでなんだか背筋がゾクゾクッとしてしまいました。なんだい、ずいぶんつまらない女になつたぢやないかとカエルくんにイナされそうです。============================さてこの詩にはもちろん続きがあります。冬眠から覚めたこのえぼガエルくんはもう一足先に出てきている他のえぼガエル達のなきごえに気づきます。やつちよるなといいます。思わず読んでいて笑みがこぼれます。そうしてえぼガエルくんは講釈まがいなことをはじめます。自分達が一番で その後を追って青カエルや赤カエルや雨カエルが這い出してくるだろといいます。自分達は一番血の気がおおくてはねっとばす精神の持ち主だと自慢します。そうして 春にいつもの「えぼ」が這い出たことを告げるのです。ああ詩人の目線とはなんと低いものだろう とわたしはいつも感嘆します。ときに幼いこどもよりも低くそれはもうこの草野心平さんみたいにカエルそのものだったりします。こういう精神をわたしも忘れないように持ち合わせているのですがわたしのような凡人にはかなりの用心が必要です。わたしがカエルになりきっていたらたっちゃんはどんな顔をするかしら?だからこっそりたあさんの前だけにしておくのが私自身の大切なやくそくなのですがさてこれでは面白くなりません。40歳を越えた今ひとかわむけていままで何も知らなかった相方にどこまでの分量のへんてこりんを小出しにして少しづつ麻痺させていくか? はなかなか腕のみせどころです。難しいものです。夫婦はお互いの知らぬところをまだまだたくさん持っているのですから。リンクフリーご利用は計画的に
Mar 10, 2009
閲覧総数 1421