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2022.02.08
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私が会社に入ってから、毎月一度、研修生一人一人と個人面接を行うことになった。内容は仕事について。うちの会社には、顕微鏡検査(山東と四川)と、装置によるチップの合否検査(四川人)の2つの工程で中国人研修生が働いている。顕微鏡検査での面接内容は、今月は不良品の見逃しがいくつ、確認ミスがいくつ、検査スピードなどなど。「先月は見逃しが10個、今月は見逃しが2個に減ったね。来月は0を目指して頑張ろう!」「裏面検査に、今は120秒かかってるから、来月は90秒目指して頑張ろう!」など、工程のリーダー、研修生と私の3人で面接を行っているのだ。時には「頑張ってるけど、なかなか目標の数字に届かない。」と泣き出す子もいて。そんな時は私たちの言う”目標”の意味をもう一度話したりしている。最後は元気に「目標を達成できるよう頑張りマス!!」と涙目の笑顔で去っていくのだ。それと打って変わって、チップ検査に携っている研修生たちは・・・ヒドイ。「今は4ブロック見てて少し余裕があるから、来月からは5ブロック見よう!」と言うと、「給料上がるの?」と。何か目標を持たせようとしたり、要求を出すと「給料は上がるの?」と言う。先日の面接でもこんな事があった。四川から日本に来て1年半くらいになるヨウさんの面接。「先月の目標”作業ルールを守る”だけど、守れた?」――「いいえ」 この子たちは、標準作業すら守れていないのだ。 それに対して強く言わない日本人。「何が守れなかった?」――「分かりません」 さっきまでは下がってた私の目じりが上がった。 なめてる。 でも、ここで怒っちゃいけない。「・・・じゃあさ。何が守れたかなぁ?」――「分かりません」 ブチっ優しいお姉さんでいてくれ、と上司らに頼まれたばかりだ怒っちゃいけない工程のリーダーさんに「どうしましょうか。」と聞くが、苦笑いするだけ。+++++++++++++++++++++++このヨウさんは、先週から足が痛いと言い出し、病院へ行きレントゲンなどを撮ったりしている。運動不足?か何かが原因で、筋肉か筋かを傷めたのだろうと思い、太い痛み止めを2本ほど打ってもらったのだが、また痛みだしたそうで、脊椎ヘルニアかもしれないという事で、整体へ連れて行った。普通、急な手術が必要でないような場合、彼女達は、中国に送り返されて手術を行う。残酷な言い方をすれば、「仕事の出来ない研修生は必要ない」からだ。低賃金で雇える研修生たちを雇う日本の中小企業に、そこまでの余裕はないだろう。日本で大きな病院へ連れていけば、手術となる。でも、ヨウさんだって、まだ日本で働きたいはずだ。だから、整体で治るなら、と整体に連れて行ってるのだが。「こんな小さい所にしか連れていかない。もっと大きい病院に連れて行って」と、整体中も全く協力的ではなかったそうだ。+++++++++++++++++++++++そんな事があったので、私はヨウさんに「足のことが心配で頭がいっぱい?」と聞いた。ヨウさんは「いいえ。」と。・・・もう、バッチーーーんと引っぱたいて「帰れぇ、あが!!」と怒鳴りたかった。工程のリーダーさんも苦笑い。何とか言ってくれよ。「ヨウ、じゃあね、品質を落とすようなこと自分はしていないと思う?」との私の質問に「はい。言われたことは全部やっています」と。『テメェ、さっき作業ルール守ってないって言ってただろうが』で、私が半分キレかかった状態で、作業ルールは品質を保つためにあるもので、品質に関係ない無駄な作業ルールなんてないのよ、と話した。ヨウの反応はいつもと同じ。笑みをたたえたまま無表情で、じっと相手を見る。『バカにしてる』『他人事だと思ってる』私、優しいお姉さんを演じきれず「ヨウ、あんたみたいに作業ルールも守れない作業者はね、会社はいらないの。この面接時間だって無駄よ。無駄。」と言ってしまった。ヨウ、笑みをたたえて無表情。工程のリーダーさんに「何かないですか。作業に関しての要求とか」と聞いた。私が言うよりも説得力があるし、反省もするはずだ!と思った。リーダーさん曰く「いや、特に何もないっすね」どかーーーん「わかりました。じゃ、面接は終わり」で終わりました。そのリーダーさんはまだ若く、まだ人を指導する事に関わっていないのだそう。このリーダーさんの上司らに言いたい。『テメェら、何でそんな奴を遣したんだ。テメェらが腐ってるから研修生も腐るんだ』この工程の人たちが「作業ルール守れていなくてもいいよ。」と言うのなら、こんな面接するだけ無駄だ!ばかやろー!ばかやろーーーばかやろーーーうわーーーん
2009.11.01
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友達や家族から離れて海外に来てつらいのは分かる。 先進国で、稼げて、綺麗で、礼儀を重んじる、憧れの日本で、理想と現実の間で悩むのも分かる。 でも、せめて標準作業を守って仕事をしてほしい。 見つからなければ何してもいいと、他の人の目を盗んで怠けたり、音楽聴いたり、辞書持ち込んで勉強したり、昨日こそ注意された事を守らなかったり。 本当になめている。 甘えてる。 バカにしてる。 皆が皆、そうではないけれど。 特に四川の研修生は、それが目立つ。 自分を何だと思ってるのか。 やっぱり四川人が大嫌い。 To: ??????@hotmail.com Subject: 29日の日記 From: Date: Thu, 29 Oct 2009 10:36:46 +0900
2009.10.29
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母の一言で「何のために」を気づくことができた自分。まぁ、言われなくても分かれよ、との声も出てきそうだが。気が付いたので良かったかな。と思う。地元の食品加工会社に勤めたい理由は、実家から車で10分の距離だから。ただ、それだけ。朝はゆっくり出来るし、起きたらご飯があるし、疲れて帰って来てもご飯洗濯掃除などなど色々しなくてもいいし。とにかく、一人暮らしだと全て自分でやらなければいけないものが、実家で暮らせることによって、それが軽減される!それだけが魅力だった。でも、そんな泡のような妄想は捨てることにした。四川のかわいい研修生たちが、日本社会という中で大変な思いをしているのではないか!!自分の家事が軽減されることよりも、彼女たちの心の負担を軽減してあげなければ・・・何のために中国まで行って頑張ってきたのだーーーということで、実家から車で一時間ほどの距離にある半導体会社に勤めることを決めた。では、食品会社はどうなったかというと。。。半導体会社で働くことを決めたその3~4時間後に、食品会社の安藤さんから電話が来て「面接結果のほう大変お待たせして申し訳ありませんでした。採用、ということでよろしくお願いします。」と。安藤さんには断りの返事をしたが、それから一週間は頭の中がボーーとしていた。何だか、一種の失恋感でもあった。自分で決めてだした答えなので、後悔は全くない。でも、「あー、、もう違うところに決めちゃったよぅ」という、心に穴が開いたような感覚。でも、こんな感覚も一週間後には消えていた。半月後から実家から一時間ほどの杵築という町で仕事をしなければならない。常務さんは私が杵築に引っ越してくることを望んでいた。私も、通勤で1時間も時間を使うようなことはしたくない。それで、引越しやら何やらの準備に追われることになったのだ。時間のあるうちに出来ることをやっておこう!と、また忙しい日々が始まった。
2009.09.27
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四川の派遣会社で仕事をしていた時のお客さんで、地元の半導体企業の常務さんから電話があった。 この常務さんは、直に定年を迎えられる、パワーあふれた、にこにこスマイルのおじいちゃん。 「どうして辞めちゃったの」と電話越しに言っていた。 この企業は、研修生の事をとても大事にしている素晴らしい企業ではあるが、私にとって“取引先=派遣会社関係”で、できれば関わりたくない部分でもあった。 「この前中国に行ってきた」や「研修生がどうのこうので大変」など、数回ほど電話がかかってきたのだが、ある日、「研修生をサポートする役目としてうちに来てほしい」という電話があった。 私にとって、自分がその企業で働くことは、やっと離れられた中国の会社に舞い戻ることとしか思えなかった。 でも常務さんの人柄は尊敬していたので、どうもはっきり断ることが出来ず、会社に顔を出すことになってしまった。 常務さんが言うには、「若い研修生たちが異国に来て働いていて辛い事も多々あるだろうに、言葉の違いか文化の違いか、日本人に話してくれない。伝えたいことがあっても、複雑な言葉ではなかなか伝えることが出来ず、どうしても簡単で表面的な意味に受け取られてしまう」と。 その常務さんの言う事も分かる。 が、私はそれ以上に、四川の派遣会社から離れたかった。 「ありがとうございます、考えさせてください」と言いつつ、心では「地元の企業からの採用通知を待とう」と思っていた。 地元企業の面接から一週間して電話が入った。 「出張の件に関して、この一週間で考えはまとまったか」との内容。 「お、これまでの一週間はそれを考える時間だったのか‥‥」と思ったが、即答で問題ないですと伝えた。 すると安藤さんは「分かりました、ではこれから採用の検討に入らせてもらいます」と。 採用までは、まだまだ待たなければいけなさそうだった。 半導体企業に行ってから、数回ほど常務さんから電話がきたのだが、その度に「うう~ん、、」と遠回しに断っていた。 こんな不景気の状況下で企業から来てくれと言われるのは、とても嬉しい。でも、ここで働きたくない。 私は「お母さん、この常務さん私のためにここまでしてくれてるよ」と母に言った。すると母は「あんたのためじゃなくて研修生のためやろ」と。 ここで気が付いた。 “何のために”という自分の出発点。 自分のため? 人のため? To: ??????@hotmail.com Subject: 20日の日記 From: Date: Sun, 20 Sep 2009 10:43:27 +0900
2009.09.20
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日本に帰ってきて、特に何をするでもなく過ごしていた。 朝は両親が出掛けて行く時間に起き上がり朝食をゆっくりととり、茶碗を洗い洗濯をして、そうこうしている間にお昼が近づき、昼食の準備をして母の帰りを待つ。 母が帰って来たら一緒に食事をして、午後はゆったりとして、晩ご飯の買い物へ行く。 履歴書を送った会社には、帰国後1週間ほどしてから連絡をした。 気持ち焦りながら。 海外事業部の安藤さんは私の帰国報告を聞くなり「実は昨日中国の携帯に電話したんですよ」と。そして「でも繋がらなくて……あ、その時はもう日本ですね…」と。 求人の面接なのに実に丁寧で。 「6月中に帰ってくると言ってて帰って来たらすぐに連絡くれると聞いてたけど、7月になっても連絡来ないから、フラれてしまったのかと思いました」と言ってもらえて、嬉しくもとても恐縮だった。 それから、面接の日にちなどを決めたりするのに数日ほど待ったのだが、連絡が来て「面接に来てほしいんですが、まだ大丈夫でしょうか」と。 私にとってはこの企業一本と決めていたので、何とも嬉しい言葉だった。 面接に行くと、小柄でぽっちゃりした同年代くらいの男性が現れた。 この男性が安藤さんだった。 いろいろと話しをしたのだが、会社としては、私という人材を会社の奥に座らせて事務をしてもらうよりは、購買、管理という第一線で頑張ってもらいたいそうだ。 内心「また中国か、、」というものがあった。 でも、自分が一生働く会社に就職したいという気持ちがあったため、そこはきちんと伝えた。「できれば中国には行きたくない」と。 その理由を話したり、するであろう仕事の内容を聞いたり。 聞けば、出張も月に一度3~4日ほどだそうだ。これなら、「仕事ついでに食材の調達も…」と思える頻度。なのかな? 面接の結果は一週間後。 帰り道は、「毎朝この道を通って、帰りはこの道でもいいなぁ、早く帰れたらご飯を作ってあげよう。。。」などと、日本での社会生活を妄想していた。 To: ??????@hotmail.com Subject: 16日の日記 From: Date: Wed, 16 Sep 2009 10:35:51 +0900
2009.09.16
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7月2日暮れ。 上海行きの飛行機に搭乗するため、成都の空港へ向かう。 バスが到着し、重い重いスーツケースを下ろそうとしてたら、誰かの手が私の荷物に伸びる。見れば友人だった。 この友人とは先日知り合ったばかりだったのだが、見送りが誰もいないのは寂しいでしょうとの理由で、わざわざ来てくれたのだ。 彼にとって私は初めての外国人であり、初めての日本人。 親切心なのか他の心もあるのかは横に置いておいて。 ものすごく情熱にあふれた人だった。 その情熱をもって、私と成都との別れを見届けてくれたのだ。 上海には夜遅くに到着。 市街地まで出てホテルを探す気にもなれず、空港内にいたホテルの客引きに一晩の値段を聞き、着いていった。 空港から15分、送迎付きで360元。 高い。 でも、中国とは明日でお別れ……ということで、値引きもせずに決めたのだ。 ある意味、とても贅沢なのではなかろうか。 翌日、上海市街地にある寧波同郷会へ行った。 以前、母方祖母の足跡をたどりに寧波まで行ったことを四川大学の石老師に話したところ、石老師がアドバイスをくれたのだ。 寧波同郷会というのは昔の名称で、現在では浙寧会館、上海寧波同郷連合会という名称に変わっている。 上海の街中にある南京西路と北京西路の間にある、想像に描く上海の一角にそのビルはあった。 いざや! と勇気を出してドアを開けると、受付にはおじいちゃんが一人。 ちょうどお昼の時間だったのだが、私の話しを聞いてくれ、上の階に行ってもっと詳しい人を探しに行ってくれた。 でも、その人はお昼に出たので、午後また出直して来てくれということになった。 午後。 受付のおじいちゃんと同じくらいのおじいちゃんの前に通された。 そこで、この会の歴史や日本にも組織があることなど様々な話しを聞かせてもらった。 私が14時には空港へ向かわなければいけなかったので、話した時間は短かったが、祖母に触れたようで嬉しかった。 必要な連絡先を交換し、記念にと「寧波人在上海」という書籍を頂いた。 これが、中国での最後の仕事。 このために中国語を勉強したのか、な。 いや、私という人間は、もっともっと世界のために頑張らなくてはいけない。 そのために、たくさんの人の夢や希望に触れて、助けや勇気をもらったんだから。 今からが正念場! 微力ですが頑張ります。 To: ??????@hotmail.com Subject: 14日の日記 From: Date: Mon, 14 Sep 2009 10:37:00 +0900
2009.09.14
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三年半の四川大学での留学生活も終え、七ヶ月の成都での会社員生活も終えて。09年、夏。私の新たな人生が始まりました。夢は、大分県で中国と日本の友好の懸け橋を支える一員になる!4月末。ハローワーク.comで求人情報を見ていた私。偶然か運命か…実家から車で10分のところにある企業が求人を出していました。貿易事務の募集で、条件は「中国語のできる人」。給料は20~25万円。中国にいたため、ハローワークに行くことはできません。どうして良いか分からなかったので、とりあえずハローワークに電話しました。すると、「何やらかんやら出来なくなるけど、直接企業に連絡してみない」との事。で、5月末に連絡してみたら、「とりあえず履歴書を送ってくり」と。書類を送って2週間くらい(かな?)してから、その企業から電話が来ました。「いつでも良いので、帰って来たときにでも面接に来てください」と。私は嬉しくて「今の会社は辞めるつもりで、6月中には日本に帰るので、帰ったらすぐに連絡します!」と言い放ちました。電話をくれた安藤さん「いえ…採用できるかどうかまだわからないので、面接のために帰って来たりしないでください」と。「ぐふぅっ」とパンチをもらった感じではありましたが。6月中には連絡しますと言い、電話を切りました。そして、6月初頭にイロハ派遣を辞め、帰る準備などをして、7月4日に九州に戻ってきたのです。充電期間は終わりです。これからは、自分の目標に向かい、前進前進また前進。ずっとサボっていた黄金の掛け橋ブログではありますが。たくさんの挑戦を書き留めて行きたいと思います!Date: Thu, 10 Sep 2009 13:21:06 +0900To: ??????@hotmail.comSubject: 10日の日記From:
2009.09.10
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中国にいる四年間半、ずっと海外旅行保険に入っていました。最初の三年半はJIで、残りの一年は損保ジャパン。提携病院があり、事前に連絡すると、キャッシュレスで病気を見てもらえます。しかも、医師か看護婦が付き添ってくれて、何から何まで対応してくれるので、とてもありがたいのです。その提携病院が成都第一人民医院。この病院は三環路にあり、市内からタクシーでも最低30分はかかります。内容も金額もどちらも同じようなものです。損保ジャパンのほうが提携病院が多いと思いきや……キャッシュレスなのは、第一医院のみです。ちょっとした風邪のために、わざわざタクシー乗って郊外の病院に行ってたらタクシーの運転手にアホ扱いされたので、マンションの下にある薬局で買った薬で済ましていたのですが。日本に帰ってきて薬代の請求をしたら、損保ジャパンのお姉さんは「医師の診断書がないものは保険が利きません」と一言。なーーーにーーーをーーーーー!!!!!薬局にいた漢方の先生に診てもらって出してもらった薬が一部あるんですが?と聞いたら「病院にいる先生じゃないので、それもダメです」だと。ムキーーーー!!!!!JIなら、薬局で買った薬でも保険利いたのです。普通に中国の病院に行くと、まず無視されます。日本の病院のように、診察室の脇に座って並んでおくと、まず日が暮れます。他人が診察してる真横に立って、自分の番を待たなければならないのです。診察番号を購入しても、次はどこに行けばいいのか、誰も教えてくれません。やっと、親切な看護婦さんをつかまえても「二階よ」と。「ありがとう!」と二階に行ったら、左右前方に長い廊下が続いています。そこで誰かに聞いても「あっち」と指さされるだけです。「あっちのどこですか?」と言ったら無視されます。採血でもそうです。窓口に立ってても誰も来ません。大声で呼ばないと血さえも採ってくれません。採血の結果が出ても、誰も呼んでくれません。だから、薬局で風邪薬買ったのに、「だめ」っち。損保ジャパン、ひどい。まぁ、自分がよく見てなかったのも悪いんやろうけど。言ってくれん方がもっと悪い!漢方のお医者さんを医者と認めんのはもっと悪い!損保ジャパンはもう使いません。使い勝手が悪いです。
2009.07.15
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さて、会社を退職して、日本への帰国を目前に控えています。会社の経理が、国外の銀行に給料を振り込むことはできないから、という理由で、成都にも支店のあるcitibankの口座に振り込むようにお願いしたら「天府広場まではちょっと遠いわね……」と。バスで10分、タクシーでも5分あればつくであろうに。しかも経理、車で来てるくせに。・・・遠いと。というわけで、今週の火曜か水曜に給料をくれるという約束だったのですが。退職手続きをやってないだろうな、ということで、水曜に会社へ顔を出してみましたら「あなたの退職手続きの書類、どこにあるの?」と。「手続きがいつ終わるか分からないので、帰りのチケットも買っていません」と言ったのに。今日も音沙汰がなかったです。こちらが何も言わなければ、給料は「保留」となるでしょう。「国外の銀行には振り込めない」という理由と「天府広場までは遠い」という理由で。さて、日本に帰るのに、今は準備に追われている感じです。なんとなく。先日、友達へのお土産として、中国の民芸品を買いに行ってきました。一番(自分が)欲しかったのは布老虎(ぶぅらおふぅ) とてもキュートある。これは針山。人形の表情がたまらないアルね。次は双頭馬と・・・何だろう、虎かしら。 最後に、干支の民芸品です。見えるかな。他にもいろいろ可愛いのがあると思います。でも、成都ではなかなか見かけることはありません。民俗文化を謳っている観光地に行けばあるとは思いますが、種類も多くないし、外国人しか買わないようなので高いです。もうひとつ、狙っているのは濾州の唐傘です。数十元のものから、二百元くらいするものもあるそうです。大きいので買わないかな。
2009.06.12
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さて、最近は時間の流れが速いような遅いような感覚であります。実は、5月6日付けでイロハ派遣を退職しました。いまは毎朝9時ごろに起きて午前中はゆーっくり準備して、午後から行動しています。行動といっても、1~2時間あれば住むような用事を半日かけて済ませるのですが。先日、四川大学の先生から電話が来て「去年の卒業論文が賞をとったわよ」と。留学が終わっても成都に残っていて、ちょっとだけ後悔してはいたのですが。成都に残ってて良かった~~と思える出来事でした。教育スーパーの隣の文化活動中心で表彰式があるとのことだったので、先生と4時に教育センターの前で待ち合わせをしました。ワッキーには”私の晴れ舞台撮影係り”をお願いして。うきうきドキドキで学校へ向かう56番のバスに乗っていたら電話が。先生「今日の表彰式は取り消しになったから。直接、教育学院まで来てちょうだいな」がーーーんがーーーーーーんせっかくの晴れ舞台が……で、学院まで取りに行ってきました。表彰証を。表彰証と一緒に、折りたたみ式の防水リュックも。学院は、19日に控えている卒業論文の発表の準備で忙しそうでした。嬉しい!三等賞といっても、私一人だけではなく他に大勢いるそうなのですが、嬉しいです。先生達も「外国人が頑張って書いたんだから」と何とか形として残してくれたそうです。嬉しいです。協力してくれたみなさん、ありがとう。
2009.06.12
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昨年の11月の話ですが。イロハ派遣の新工場が完成しました!場所は、四川省成都市の北にある新都工業開発区。工場は2階建てで、1フロア7000平米、そのほか、敷地内には運動場と生活区として600人ほど入れる寮があります。ここに縫製工場を入れるはずだったのですが、一緒にやってた日本の方が「不景気で、、ごめん」ということで、空いたままになっています。去年の11月、工場が完成したということで、受け取り前の検査へ社員全員で行ってきました。私は、ヨーロッパ・アジア部の余霞と二人で窓とドアの点検です。まずは、一階の小部屋から点検していきました。小さな部屋が合計20個ほど。各部屋に窓は8枚ほどあります。空けては閉め、空けては閉め・・・余霞は左から、私は右から・・・小部屋が終わったら、今度は工場の窓の点検です。窓がずらーーーっとあります。それを、空けては閉め、空けては閉め、鍵が壊れてないか、きちんと閉まるかなどを一つ一つ点検していきました。一階の工場の窓点検が終わったら、次は二階です。一回と同じ大きさの工場があり、窓の数もやはり同じです。ばーーーっと点検して、「やっと終わったわ」なんて顔を見合わせて外に出たらきゃあぁぁぁああぁぁあぁあ~~~ながーーい ながーーーーい 廊下に小部屋が葡萄のように連なっていましたこれで最後だ!!と力を振りしぼって点検していきました。で、ふらふらになって外に出たら・・・もっとぎゃあぁああぁぁ寮も点検しなければいけないそうです。この日の夜、余霞と私の二人は、夢の中でも窓を開けたり閉めたりしていました。
2009.05.22
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中国人に愛されているQQ。MSNやYAHOOメッセンジャーのようなチャットツールで、とても多機能。たぶん、どこかのサイトでQQの紹介をしてるところがあるんじゃないかな。日本語版も有ると聞いたことがあるけど。そこで、やり取りされる画像の中に、面白いものがあったので、ここで紹介させてもらいます。しかも、『シリーズ』で!!ちょっと息抜きに...
2009.05.22
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世界を恐怖に陥れているインフルエンザですが、ここ中国でもニュースで各国の状況が放送されています。5月1日から5月3日まで、中国はMayDayで連休でした。連休前の4月30日にうちの会社の職員みなで龍泉のビワ谷へビワを食べに行ったのですが、この話題が出てもすぐ消えて。誰も何も言わない……連休明けの今日、会社で誰も話題にしてない。話題になったのは、ビルのエレベーター三機のうち、真ん中のが2階から地下2階にずどーーんと落ちてしまったこと。ここ四川では、周りを山に囲まれてるため、そういった菌も入ってこないのかもしれません。もちろんマスクをしている人もみかけません。
2009.05.04
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前にも鳥インフルエンザのときに書いた記憶がありますが。 12月23日の日記です。あぶないです。 フェーズ4がでました。 重慶大使館から来たメールを貼り付けます。 海外にいる皆様、きちんと在外登録をして、自分の身は自分で守りましょう。 ―――――――――――――― 重慶市、四川、雲南、貴州省の在留邦人の皆様へ メキシコ、アメリカ、カナダで流行していた豚インフルエンザが新型インフルエンザであるとして、日本時間28日朝、世界保健機関(WHO)は「フェ-ズ4」を発令しましたが、現時点では、インフルエンザ発生国への渡航禁止や、発生国に対して国境を閉ざすことは勧告していません。 日本政府は、麻生総理大臣を本部長とする。「新型インフルエンザ対策本部」を設置しました。 引き続き、当館、在中国日本国大使館、外務省ホームページ等からの情報収集につとめて下さい。 平成21年4月28日 在重慶日本国総領事館
2009.04.28
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何か最近…高校卒業して勤めたのがNEC。製造だったけど、工業高校卒業ということで、いろんな事を勉強させてもらった。とても感謝しております。大企業なので、管理はものすごくしっかりしている。もちろん、中小企業にあると言われるような面白みはないだろうけど。辞職して中国四川へ留学に来た。今、四川の中国企業で働いてます。従業員数は35名らしい。何か…中小企業ってこんなものなのか。中国だからこんなものなのか。この会社だからこんなものなのか。よく分かりませんが、何か最近……この年になって家族家族というのもなんですが、やっぱり家族は大切です。ワタシのプレゼントしたベビー服を着た様子です。
2009.04.20
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mixiに書いた日記からまるまる持ってきたけど……ちょっと加工して転載します。最近興奮した事をふたーつ。 一つは、アイドルについて。 高校の時に大好きなアーティストはいたけど、あれ以来、そんなに大好きで「きゃァ~~~」と思う人なんていない。 光GENJIの誰が好きとか、勝大周とか、男子バレーの中垣内とか、いろいろアイドルがいたけど、アイドルには対して興味なかった私ですが。 最近見た香港ドラマ「私の野蛮なお母さん~古代版(我的野蛮婆婆)」面白かったし、何よりいいのが主人公の旦那さん役の黄宗澤。ドラマの中でお面をかぶって正義のヒーローとして登場するのですが、名前が「不留名」。 ダサい。 でもかっこいい。 かっこよすぎる。で、谷歌(中国語のgoogle)で調べてみたら…… でるわでるわ 色んな角度の黄宗澤 どの角度も全部が全部かっこいいいいい!!! この自然な笑顔がとてもいいです。 英語の名前がBoscoだと。 ということで、わたくし、少しでも黄宗澤に近づきたくて、あの人と似たような英語名を自分に付けてみました。 候補1:Bosko なんだかパクリです。 候補2:boss子 ちょっと強そうです。 候補3:スボ子 うん、日本人らしくてぴったり来る感じ。 一緒にドラマ演じた胡杏児と結婚したそうです。 この女優さんもきれいでかわいくて大好きです。 最近、時間有るときにドラマを見るのですが、DVD売りの子が「面白い」と薦めてくれるのが、全部香港ドラマです。 何本か見た感想としては、何かあればスープを飲み、警察がよく出てきて、すぐ裁判になり、浮気相手が出現し、仲が悪いけど恋人だったり、夫婦になったり。 あ、興奮したこと、二つ目。 今日、家の向かい側の広場で何かイベントをやってた。 うるさいなーと思っていたのだが、とっても聞き覚えのある曲が流れてきた…… 変臉だ!!! 北京に京劇があるように、四川には川劇があります。 変臉とは、川劇の目玉のようなもので、かぶってるお面が手を振った一瞬の間に変わるのです。 で、「さすが四川だなー、あんな所でも変臉やるんだ」なんて思いながら部屋から見ていました。本当は下に下りようかと思ったのですが、下に下りるまでに終わっちゃうだろうと思って部屋の中から眺めてたのですが。 けっこう長くやっていて、しかも、舞台から降りてきてたんです!! あの人が!!! 30名ほどの通りすがりだけの観客を目の前にお面を変えてるんです!! あの人が!!! それを見て部屋で一人「きゃ~、降りてきた!きゃ~、あんなに近い!きゃ~、いいな!いいな!!いいな!!!」と。 変臉を見たら、わたしがこれほど興奮する理由が分かるでしょう。 またやらないかなーーー 目の前でみたいです。 ボス子よりも興奮してしまいました。
2009.04.12
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さて……いつの頃だったでしょうか。おととしかな。調べ物をしていたときに、たまたま「昭化がリニューアルした」というニュースを見つけました。たいそうなホームページも出来て、昭化の歌まで出来ていました。それで、いつか行かねば行かねばと思っていて、ずっと行ってなかった新・昭化古城。だいぶ前になりますが、今年の正月に行ってきました。まず広元からバスに乗って行ったのですが、切符を購入するときに「昭化まで」と言ったら「新昭化かそれとも老昭化か」と言われました。どちらか分からなくて「昭化古城だよ」と言うと「お、老昭化か」とのこと。昭化古城がリニューアルされたので”新昭化”になったのかと思いきや。では、新昭化はどこかと言うと、老昭化いわゆる昭化古城から10kmほど離れた宝輪だそうです。何回も来てるからか。バスに乗っても街を歩いてても、誰かしらに「あれ、日本人じゃない?また来たのね」といわれたりしました。毎回感じるのだけど、ここの人は、接しててとても嫌気を感じない。何も変わることなく、自然に接することができる。こんな印象を与えてくれる昭化の人たち。昭化の街がリニューアルされて、城壁の上に楼が出来て、いろんなところが門票制になっても、古めかしい雰囲気が薄れても、昭化の人は変わっていなかった。今回は、写真で昭化の紹介をします。まずは、昭化の玄関だった城壁。今では、バスの着く駐車場が正面入り口になっていて、ここは中にある広場みたいな感じになっています。付近にあった店や家は跡形もなく壊されて、新しい店が並んでいました。お次は費イ墓。道端に建てられてて、周りが草だらけになっており、墓石が確認できても後に土盛りがあることが分からなかった。いつか、何かの拍子に農民が耕してしまうんじゃないかと心配してたけど、今ではきちんと廟の中にしっかりと保護されています。牛頭山へ登るのも、チケットが必要になっているそうです。標識も出来ました。城壁のある広場に大きな石に”戦勝ハ”と書かれていたので、この写真のものがなくなったと思ったのですが、まだ残っていました。まだ倒れたまま。昭化の街中です。地元民も「変得不古老(古っぽくなくなった)」と言ってました。こんな感じです。その他写真は、MSNスペースにいろいろ貼ってます。http://sichuandaoyou.spaces.live.com/09年の1月「昭化古城・明月峡」を見てみてください。
2009.04.10
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4月4日は清明節でした。中国では、清明節の前に墓参りをしてお花などを上げなければ「あの家は誰も線香を上げる人がいない」と言われるそうです。なので、会社の同僚の中でも、木曜日に家に帰って墓掃除をした人もいます。清明節に、私とツァイズは地震の震源地・ブン川にある姜維城へ行こうと計画しました。孔明に才能があると手塩にかけられた姜維。三国志の人物の中で一番かっこいいじゃないか!なんて思ってましたが、成都に来て4年間、剣門関さえも行ってないです。朝9時過ぎ、士気高々と茶店子バスセンターへ着きました。切符を買おうとしたら「ない!」ですと。今月は、奇数日が山に入る日で、偶数日が山から出てくる日だそうです。なので、明日にならないと、成都からバスは出なくて、行けても都江堰までです。で、朝早くからここまで出てきたんだから今日は青城山でも行って、明日ブン川へ行くこととなりました。青城山、空気がきれいでした。仕事のストレスも飛んでいった感じです。一日中歩いて歩いて、くたびれてバスセンターの近くの宿に泊まりました。翌日は朝6時からバスセンターに行って切符を買うので、夜8時半ころには寝ました。朝。私はやっぱりもたもたして、6時半ころにバスセンターへ着いたのですが。20人ほどの行列が出来ていました。聞くところによると、この列はなにやら、ブン川行きのバスを待ってる列だそうです。「バスがないから切符を売ってくれない。」と。で、ずーーーっとずーーっと待って待って、一時間ほどして列が動きました。バスが来たので切符の販売が始まったのです。「おぅ姜維!」なんて思ってたら、手前10人くらいのところで売り切れ。黒タクシーにブン川に行くか聞いてみました。一人50元。バスより20元高い。チャーターすると300元だと。でも、車をチャーターしても、その日には戻ることが出来ないそうです。奇数日に入って偶数日に出るというのは、どんな車でも守らなければいけないようです。と、いうわけで、成都行きのバスに乗ってピューーんと帰りました。こんな清明節。こんな姜維城への出陣劇。
2009.04.07
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2009年のスタートは三国志遺跡からでした。またまた昭化古城へ行きました。剣門関にはまだ行ってないのに。姜維城などにも行ってないのに。四川大学の現役留学生である三国お宅(マニア?)のツァイズが鮑三娘墓に行きたいと言ってきました。私はこれまでに数度も広元昭化に行っているのですが、その近くにある蜀の桟橋”明月峡”には行ったことがなかったので、この二つを目指して出陣しました。午後の列車に乗って広元へ行き、広元から昭化行きの小型バスに乗って昭化へ。昭化に着いたときは夜8時くらいだったでしょうか。おととしくらいに観光化された昭化の街には、提灯が赤々と灯っていました。宿泊先の怡合園に行くと、もう宿はやっていないと。おばちゃんとおじいちゃんが私のことを覚えててくれて「また来たのか」って言ってくれたのがうれしかったです。そして、おばちゃんが近くに新しく開いた現代版の宿に安値で泊めてくれました。近所の風呂屋(シャワー屋)のおじちゃんも覚えててくれてた気がする・・・妄想だろうか。次の日、新しく生まれ変わった昭化を見てまわりました。観光化されて、昭化の落ち着きがなくなった感じもあったけど、やっぱりのんびりしてていい街。お店とか色々出来てて、観光客もちらほら見かけます。街のお店やってる人に商売どうですかいと訪ねれば、「お客さんは以前より増えたけど、自分の車で来てるから、見て何も買わずにすぐ帰っちゃう。」と。ツアー客もいるそうですが「ツアー客の食べるもの、泊まるところは決まってるから、こんな小さい店はもうからない」と。良しも悪しもあるのだなぁと思いました。昭化の事はこのくらいにして。今回、昭化と明月峡を回ったのですが、明月峡が色々ありました。二日目の午後、小型バスに乗って広元へ。広元の南河バスセンターそばにある橋を渡ってすぐ右側にある”88酒店”に一泊しました。ここは一部屋90元、建物全体に空調がついてるのか、エアコン入れてなくてもポカポカ。空調の空気孔などないのにとてもぽかぽか。大好きです。で、三日目の朝、朝天行きのバスに乗って街まで行きました。朝天のバスの停まる大きな較差点からちょっと坂を上り、右に下る坂を下っていくと明月峡に着くそうです。距離にすると5キロほどとか。しかし、四川地震後の復興がまだ及んでおらず、がけ崩れしたままだと。明月峡に行くには、高速を通ってトンネルを抜けていかなければならないと。そのトンネルというのは来る時に通ったトンネルなのですが、すごく長いし、排気ガスがすごい・・・あれを歩いて通るのは嫌だ!でも、三輪車で行くと片道20元だなんていわれる。5キロほどの道に片道20元は高すぎる。歩いて行けるとか行けないとか、地元民の意見に左右され、結局、三輪車でトンネルを抜けて行くことにした。片道15元に値切って。三輪車が走り出し、トンネルを抜けて少し走ったところで右折した。右手には大規模な工事が行われていて、大型ダンプなどが何台も入っては出て行く。三輪車、その工事中の砂利のなかを走り出した。10分くらいだったかな。ダンプのタイヤの跡で出来た道を通って、たくさんの水溜りを越えて、砂利が石ころになって、ダンプも入ってきてない雑草だらけのところを走り、三輪車が停まった。明月峡を謳った大きな看板が目に入る。その下には、雑草が伸びきっている駐車場がある。目の前には、小さな建物があり、その奥には柵が見える。久しく人の往来がなかったのだろう、とても静まり返っていた。でも、こんなところに来ても、歩いてかえるのは大変・・・往復で40元出すから帰りもよろしくということにしてもらおうと思って三輪車を降りた。そしたら、おじちゃんも三輪車のエンジンを切り背伸びをして「あっちに行ってみよう」と。地震後、がけが崩れて街から明月峡へくる道が寸断されたため、ここは営業一時停止となっていた。遠回りして、あんなにガタガタされてまで明月峡に行きたいと言う人もそんなにいないだろう。蜀の桟橋は柵の中にある。2メートルほどの高さのある石垣を乗り越えれば中に入れる。ここは、地震後、桟橋のチェックや岩のチェックをしていないため、中に入るのはとても危険。危険です。色々写真を撮ったりしてちょっと遊んで帰った。おじちゃんには、やっぱり申し訳ないので、往復で40元だした。ずっと夢見てた蜀の桟橋。いけてよかった。やっぱり孔明はすごいです。あ、そうそう。費イの墓ですが、廟が出来てて、しっかり保護されていました。なくなることもありません。ただ、入場料として昭化の観光パスポート20元(学生10元)が必要です。これさえあれば、7箇所くらい入れます。まぁ、なんてことない八卦井戸も有料になってましたが。
2009.04.03
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先週の28、29日に成都市の東郊外にある龍泉で国際桃花節が開催されました。桃の花はもう終わりかけていて、新緑の葉が山に春をもたらしていました。と同時に、枇杷が出てきていました。まだちょっと酸っぱいですが、大きなものがなっていました。さて、この国際桃花節29日のイベントに日本と韓国の伝統的な成人式紹介がありました。本来ならば、桃の花の節句を紹介するはずだったのですが、お父さんお母さん子供が見つからず。お父さんと娘二人という設定で成人式を紹介することになりました。もちろん観客には「日本と韓国のある一家に参加していただきます」と伝えていた。リハーサルは26日の午後。舞台のある龍泉まで行って練習してきました。韓国組は準備が出来てて、一回のみでOKサインが出た。日本組はリハーサル前の練習をまったくしてなかったためか。「ここは正座したほうがいいね」とか「酒は飲まずに神棚にささげるよね」とか女の子に帽子とかかぶらないよね」とかとかで、、、「じゃあ、正座するとここで礼が出来ないね」とか「神棚にお神酒をささげるのに台がいるね」とか「帽子かぶせないからここのセリフ変えないとね」とかで、何度も何度もやり直しでした。日本人、ダメダメや。で、土曜日。朝が早くなるので、夜のうちに龍泉のホテルへ行くという予定だったのだが、それが『前夜リハ』になった。最近、気温がぐっと下がっており、この日は特に寒かった。そんな中、リハが終わったのが夜の11時だった。まぁ・・・日本組の段取りがどうも上手くいかなくて何回もNG出された、という原因もあったのだが。最後は、私と同じくらい背の高いモデルさんたちとのプレゼント交換のやり方なども練習した。この練習が大変で。はじめは、モデルさんが中央の1人に手渡して、その人が隣の二人に手渡す、その二人が舞台下まで降りて観客に配る、という形式だったのだが、一度やってみて変更になる。その手渡す方式が何度も変わり、最後は、モデルさんがプレゼントを一人に渡して、皆で礼して下がる。という形式になった。この日、宿泊した招待所は新しく出来たもので、部屋全体も暖かくて布団もふかふか、気持ちよかった。翌朝、短い着物に着替えて7時半にホテルを出て会場へ向かった。順繰りにお化粧をしてもらい、写真など撮って楽しんだ。お化粧をしてくれた大学2年生の可愛い男の子がとても女っぽくて、アイライナー、マスカラ、カラコンしてた。仕草も女の子っぽく、美容関係の専門でなかったら、とても気持ち悪い男の子だ。そんなこんなで、本番を迎えた。はじめはちょっと緊張したけど、旅の恥はかき捨て。緊張することもなく演技をした。演技終了後、舞台の外に出たら、イベント役員の女の子や地元民にかこまれ、写真撮影をお願いされた。ふふふ・・・けっこう嬉しいものではないか。明星気分で写真を撮った。昼は皆でご飯を食べたり写真撮ったり。日本にいると、ボランティアか何かに所属してないと、このような機会はなかなかない。中国にいる日本人というだけなんだけど、日本では体験できないことを体験できるので、とてもありがたい。楽しい思い出になりました。短いテロテロの着物を着た写真、MSNスペースに入れてます。
2009.03.31
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はーーるがきぃたあはーーるがきいたあーどーこーにーーーきたぁーーー成都に来ぃた成都に来ぃた成都に来たーーーーーーと歌いたくなるような日々が続く成都です。QQの天気予報では、今日8℃~24℃霧;明日8℃~25℃曇り時々晴れ;明後日9℃~26℃曇り時々晴れ。やっぱり曇りなのですが。18階のオフィスの窓を開けてると、心地よく風が入ってきて、仕事を忘れてしまいそうです。実を言うと、というわけでもないのですが、私の母方の祖母は浙江省の人なんです。去年の正月に、浙江省の寧波である祖母の故郷へ行ってきました。たしか、ブログにも書いたと思います。そこで知り合った呂おじいちゃんと手紙を数回にわたりやりとりしていました。今回、呂おじいちゃんが友人を頼って新聞記者に連絡をしてくれ、私が祖母の親戚を探してることが東南商報ネット版の新聞記事になりました。『日本の娘が中国の親戚を探す』というようなタイトルです。掲載されてから数日経ってますが、連絡が一つあっただけで、何の音沙汰もありませんそうで。やはり、情報が少なすぎたのかしら。情報をくれた人は82歳のおばあちゃんで、そのおばあちゃんの妹さんが日本人に嫁いだそうです。が、うちのばあちゃん一人っ子だそうで、妹はいないため人違いです。うん、こんなドラマが自分の人生にあろうとは。ばあちゃんを知ってる人が見つかればいいけど、見つからなくても、それはそれでいいのですが。記者に「ばあちゃんには年の近い弟がいた」と言って、それが記事にもなっているのですが。実は一人っ子だったなんて・・・言えないです。
2009.03.18
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わが社では、国慶節や春節などの連休に入る前に、全社員の交流と慰労を含めてイベントを行うようです。中国は1月26日に新年を迎えたのですが、この連休前に慰労会が開催されました。当初、成都に成都に出来たばかりの歓楽谷(香港にもあるテーマパーク)へ行こうと意見が出てすぐに没になり、成都近郊の洛帯と金龍長城に行く方向で決まったのですが、前日に変更になってしまいました。結局何をしたかというと、龍泉の三聖郷にある農家楽(一般客に開放されている農家)へ行きました。まず、朝の9時半に現地集合。集まった人からバドミントンや卓球を始める。だいたい人が集まって来だして、特に何の挨拶もせずに、各自それぞれ卓球やバドミントン、バスケで遊ぶ。それに飽きた女の子数人がカラオケ部屋で大音量で歌い出す。「遊ぶのやめー、会議よ~」という号令がかかり、椅子の並べられた部屋に集まり、社長の話を聞く。話があまりにも長いため、種をバリバリ食べながら社長の話を聞く人が増える。スタッフのおばちゃんが、窓から顔を出して「ご飯の準備が出来たわよ、冷めちゃうから早く食べなさい」と言ってくれたが、社長の話はまだまだ終わらず。今後の指針1~6を話したあとで、また別の指針1~6が出てくる。社長が会社の指針を話してるけど、誰もメモを取らない。やっと終わったかと思うと、今度は優秀社員の表彰。そして社長の話。食事の開始も、特に乾杯の音頭というのがなく、各テーブルごと勝手に乾杯してご飯を頂いた。乾杯の嵐に備えてお腹に物を入れてるのか・・・わいわい騒ぐことなく黙々と食べる社員たち。20分ほどして、ある部門の社員3人が社長のところへ乾杯に立ち上がった。そこから、乾杯の嵐が始まった。各部門ごとに、社長や幹部、全部門へ新年の挨拶を述べ乾杯をする。私のところにも、全部門の人が来てくれた。『これは日本人も行かなくては!!!』なんて思って、わが部門の主任を探したが・・・いない。仕方ないので、主任抜きで社長や各テーブル、各部門に乾杯にまわった。主任、どこに行ったやら・・・昼食後は自由行動。帰っても良い。そんなこんなで、シメも何もなかったわが社の慰労会。四川式慰労会。場所やお菓子の準備だけで、ほかには大して負担になるようなことはなくていいのかもしれない。が、もちっと有意義な慰労・懇親会に出来ただろうに。本当にうだうだして終わりでした。
2009.03.08
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鳥フル対策の一環として、部屋の掃除をしました。成都の人は感染病などに対しては警戒心が弱く、周りの人でも、意識して予防しているような感じもありません。今朝、エレベーターで一緒になった女性がゴホゴホ咳をしてたので、ちょっと離れて手で口を押さえました。明日からは、マスクをつけて外出しようかしら、なんて考えています。以前はこんなに敏感ではなかったのですが。今、心から『中国で死にたくない!!!』と思います。故郷を思うあまり、心が中国から離れていっています。昨日、黒いマスクをつけている少年を見ました。この人も病気予防かしら。なんて思ってたのですが。友人が教えてくれました。最近、成都の若い人の間で、マスクをつけるのが流行ってると。しかも、絵やら柄やらが入ってて見てられないと。去年の冬チベットに行った時、街中マスクをつけた人ばかりでした。病気予防というか、これは防寒・防乾なんでしょうが。成都の若者と、チベットの人は鳥フルに感染する人は少ないかもしれません。白いマスクをつけてると、すれ違った95%の人に3秒以上見られます。でも、健康第一。マスクをつけて外出します。
2008.12.29
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新型のインフルエンザに注意しましょう。先日、手続きのために、重慶領事館の成都出張所へ行ってきました。そのときに領事館の方から、新型インフルエンザについての資料をいただきました。H5N1型という鳥インフルエンザが人から人に感染する菌に突然変異したのが新型インフルエンザ。この新型インフルエンザに感染した人は、70%の確立で死に至るとのことです。数年前に騒ぎになったSARSでも10%の死亡率でしたから、この死亡率は相当なものです。1912年(かな?)のスペイン風邪が流行ったときは、日本に伝わるまでに半年かかったそうです。もし今日アフリカで鳥インフルエンザが人に感染する新型インフルエンザに変異した場合、この菌が日本に伝わるのは今日かもしれません。世界保健機構WHO(かな?)は、この鳥インフルエンザの流行状況をレベルで表しています。フェーズ3、フェーズ4、パンデミック(だったかな?)というレベル分けです。地球のどこか一箇所で変異したとしても、このレベルは世界的に通用するものだそうです。フェーズ4は、人に感染する新型インフルエンザに変異したときで、この段階で食い止めなければすぐに世界中に広がってしまいます。フェーズ4になった場合の具体的な対策は日本は出してないそうですが、そうなれば、海外にいる人は早めに日本に帰るなり考えておかなければいけません。日本政府としても、感染しているかもしれない人や物を日本に入れるわけにはいかないでしょう。また、感染を防ぐために、物資の運送なども止めることも考えられます。最悪の事態を考慮して、食品などの備蓄をしておくのも方法だと言われました。今、世界はフェーズ3だそうです。いつフェーズ4になるか。どうなるか分かりませんが、しっかり予防してニュースをチェックしましょう。中国江蘇省で人が死亡したなんてニュースもあります。最悪の事態を考えて準備しておくのも良いと思います。
2008.12.23
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ここ数日、寒さの厳しくない成都です。先週から天気予報では晴れマークが続いています。気温も「8℃~13℃」と予報されているので、薄着をして会社へ行ったりします。会社でエアコンを入れているのもあり、薄着をしたりしていますが。先月のように、厚手のスパッツを履かなくても大丈夫なくらいの気温です。そんなこんなでずっと太陽の出るのを楽しみにしているのですが。成都はやはり成都なわけで。裏切られました。先週と今週、会社から見える景色はずっとこんなです。50m先にあるビルの屋上が霞んで見えません。先週の土曜日は午後から太陽が出たのですが、太陽が出ればコートを着なくてもいいくらい暑いのです。でも、成都に太陽があると成都から離れたくなるので、やはり成都はこの天気が似合っています。人を堕落の彼方へと誘い込む成都。太陽なんて似合いません。
2008.12.16
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成都で仕事を始めて一ヶ月半になります。私が進めているプロジェクトは、中国人の日本への就業(IT以外の技術者)、介護師の派遣、留学支援です。わが社には、他に2名の日本人スタッフがおり、一人はIT人材の派遣や開拓、もう一人は研修生の派遣や開拓をしております。その二人が営業の電話をかけ電話を切るたびに「うちのホームページ見せてくれて・・・重要な部分文字化けしてるし、あんなの見せられないよ」と嘆いております。私の進めているプロジェクトは私が来てから始まったので、開拓の電話などはこれからとなります。なので、今はサイトをもっと見やすく作り直し、日本の就業状況・需要などもっと理解してから動かなければ・・・なんて考えていたのですが。先日、日報の会議に参加した際に、部長からしかられました。「相手の要求も知らないのに、何の資料を作るんだ!」と。なるほど。相手のに電話していく中で、足りないことを付け足して作り上げていけばいいのか。。。実際、こういう仕事はしたことがないので、日本人だからといって日本のやり方なんて分かりません。ビジネスマナーを学んだり、仕事する中で学んでいかなければいけないのでしょう。でも、中国の人材派遣会社というだけでも毛嫌いされるのに、その上、会社の名刺でもあるホームページが文字化けしてたら。電話掛ける前にやらなきゃいけないことがあるんじゃないかな、なんて思ってしまいます。よく分かりません。そんな時期に入っています。いえ、そんなわけでもないのですが。面接やらお客さんの接待やら職場のちょい日本化やらなんやら、主担当以外の仕事が多い気がします。今も、アルバムの作成のために会社で一人。残業つかないのにーーーだから、エアコンをつけて音楽聴きながら仕事しています。
2008.12.04
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やばーーーーーーーーいいうちの会社、ほんのかけらも日系企業ではありません。が!中国語力が落ちています。わが社イロハ派遣には私のほかに日本人が2名、同じ職場で働いています。中国人スタッフとの会話は当然中国語なのですが、ちょっとした疑問質問するのに、どうしても目の前にいる日本人に日本語で聞いてしまいます。といっても、日本に関することなので、彼らに聞くしかないのですが。扱う資料は中国語が多いのですが、情報収集ではほぼ日本語のサイトを参考にしており、中国語を読む時間が激減しています。しかも、日本語の出来る中国人スタッフもいるので、日本語文章の中国語への翻訳は彼女たちが担当です。私たち日本人の書いた中国語より断然上手ですし、時間もかかりません。逆の場合は私たち日本人がやりますが、日本語を書くことが主になります。そんな訳で中国語力が落ちています。ちょっとした文章を書いて確認したら動詞が抜けていたりとか。単語がすぐに思い出せなくなっています。昨晩なんて、大好きな香菜xiangcaiを香草xiangcaoと言っていました。でも、頭には染み付いてるらしく、香菜の声調で香草と発音していて、「あれ、草は3声なのに、なんで4声なイメージがあるんだろう」なんて考えながら。何とか時間を作って、中国語を使って行きたいと思います。
2008.11.25
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九寨溝から帰ってきて、明日の予定を立てることにした。バスに乗っていくか、高いけど車をチャーターするか。台湾組は出来るだけ旅費を安くしたため、バスで行きたいと。日本人、韓国人は、バスの値段と時間を調べたうえで決めようということになった。で、台湾組と韓国人がバスの時間を聞きに行き、私達は宿の運転手に黄龍までのプランと値段を聞いた。バスだと片道20元で、黄龍からの最終は15時ごろ(だったかな?)。でもはっきりした情報がなく、直接黄龍まで行くとか、川主寺で乗り換えしなきゃいけないとか。宿の車だと、4人集まれば一人80元、黄龍まで直接連れて行ってくれ、途中景色のいいところで止まってくれ、黄龍で遊んで松藩まで送ってくれるそうだ。台湾人はもう一日九寨溝を見たいとかでそのまま残り、韓国人、中国人、日本人の4人で黄龍へ行くことにした。8月7日朝、7時に出発。少し走ったところで運転手が車を停めてくれた。甘海だそうだ。ここも名所なんだろう。『朝靄わけて光射すとき大地が割れ砕け もえつきた灰の中から よみがえる命』て歌詞の歌を、中学のときに合唱したのを思い出します。そこからまた少し行ったところに、とても趣きのある石で作られた家屋が見えて来た。チャン族の建築様式に似ているが、この地域のチベット族の伝統的建築だそう。人が住んでいるもの、住んでいないものがあった。この隣に「九寨天堂」という五つ星ホテルがある。この建築様式で造ったのだが、かなり現代というか漢族風になってて、特に魅力的ではなかった。地震後で客足が遠のいていたため、普段は2000元ほどする部屋が、今(当時)は650元で泊まれると運転手が言っていた。他には、都江堰に流れ込む岷江の源、ヤク肉販売店などを見た。九寨溝を出て1時間40分ほどで川主寺に着いた。ここで食料を調達し、黄龍へ向かった。ここから黄龍へ行くには、4000m超えをしなければならない。高度が高くなるにつれ気温が下がっていく。途中、すごく景色の良いところで車が停まった。運転手いわく、ここが写真を撮れる一番高い場所だそう。まだ3700mくらいだったのだが、これ以上登ると、霧が濃くて写真が撮れないそうだ。一番高い所の標高は4007m、雪山梁という。黄龍をあまく見ていたのか。七分袖の服しか持っていなかったのだが、寒くて寒くて外に出れないほどだった。ここを過ぎて10時ちょうどに黄龍に着いた。黄龍に着いた時は、霧はなくなり、さきほどまでも寒くなかった。とは言っても寒く、他の人のストールなどを体に巻きつけて中へ入った。黄龍の入場料は200元、学生だと150元(だったかな)。中国人の友達はガイド資格を持ってるので、ガイド証を見せればた無料になる。のに、持って来てなかった。中へ入ると、舗装された道が続く。山道を登っていくのかと思いきや、木で造られた遊歩道がずっと続いていて、ハイヒールでも観光できるようになっている。さすが中国。どこでも普段着で行けるようになってて、本来の味が感じられにくい。黄龍の一番奥にある五彩池。3時ころ、運転手から電話が来ました。私達はちょうど五彩池を見終えて帰りながら写真も撮ったりしていたので「今帰ってるところよ。」と伝えたのだが。それから下まで降りるのに、急ぎ足でも1時間かかってしまって、その間、運転手から何度も電話が来た。運転手は5時半までに九寨溝に戻り、客引きをしなければいけなかったよう。途中、川主寺で運転者の知り合いのタクシードライバーの車に乗り換た。運転手はタクシーの運転手に20元で私達を松藩まで送るように頼んでいた。ずっとずっと走って、松藩に着いた。ここは、昔の趣が残っている気がしてならない。松藩のシンボルでもある城壁。ソンツェンガンポと文成姫。ここの宿は九寨溝とは違い、標準間40元。「九寨溝より高い」とねばって何軒も聞いてみたが、どこも変わらず。何とか35元にまけてもらい、痩せた女性店長の宿に落ち着くことにした。ご飯を食べる前に街の散策をした。良い感じに小さい街で、街の中央にある城壁が歴史ある街なんだなと感じさせてくれる。それからさらに整備された通りを抜けていくと、街の端っこに来た。とても大きな城壁があり、上に上れるようになっている。城門の外では野菜や果物を売りに来ている人たちが並んでいた。その後ろには、大きくはないが、手の加えられていない城壁がかろうじて残っていた。最近作られたのだろう、城壁の上は太極拳ができるほど広くなっており、中央に立てば、街が一望できる。その場所に、街の少年が5~6人座って何か話していた。自分の街を見ながら、友達と話すっていいな、と思いながらご飯を食べに行った。翌日、朝6時半のバスで成都へ向かった。山々に間から立ち上る霧、後ろに座ってたチベット族が自分の携帯にダウンロードしてるチベット音楽を大音量で流してたので、とても幻想的な雰囲気のなか山を越えることができた。
2008.11.16
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うちに大きな栗がごろごろあったので、ネットで栗の渋皮煮の作り方を検索し、栗の渋皮煮を作った。栗の渋皮の渋煮が出来上がった。どうしたら甘煮が出来るのだろう。重曹を使わずにベーキングパウダーを使ったのが良くなかったのか・・・な。中国行きの13日を前に、先月頭から地元のホームセンターセブンでアルバイトをしております。レジ打ちしてて、私は出来るだけレジ袋を使わずにシールだけでいいか聞いたりするのですが。やはり日本人のエコ意識はまだ低く、マイバッグを持ってくるお客さんは1日に1~2人程度。この数字は店によって違うのだろうけど。田舎だからかな。レジ袋はもらって当たり前、という感覚でいるお客さんが多い。それはサービスではあるのだけれど、サービスを受ける事よりも、もう少し地球のことを考えてもらいたいと願うようになった。あとは、家のゴミ箱に使うゴミ袋代節約のためだろうか。もし自分で買えばゴミ袋を大切に使うだろうし、平気な汚れくらいであれば使いまわすだろうし、数百円でエコが出来る。店もポイントカードを工夫するなどして、レジ袋の減量に挑戦すればいいと思う。大勢の意識を変えるのは簡単なことではないので、やはり店側が率先して対策していかなければいけないことなのかもしれない。そうすれば、経費削減にもつながる。こうなったら、日本も中国のように、レジ袋強制有料化してしまえば・・・中国では、買い物をして会計を済ませると、買ったものは隣に積んだまま知らん振り。店員は次のお客さんのレジを打つ。初めのころは知らなくて、『え、袋は?どうやって持って帰れと言うの?』と思ってた。明らかに財布しか持っていなくても「袋はどういたしますか?」なんて聞いてくれもしない。なので、自分から言うしかないのだけれど。レジ袋に関しては、日本もこのくらい強制的でもいいんじゃないかな、なんて思うのは、私が中華思想に傾いているからだろうか。洗濯洗剤や食器用洗剤をお菓子など食品と一緒に入れると嫌な顔をして『においが移るから分けてください。』というお客さんがいる。まぁその通りなんだけど。でも、さっきまで、買い物かごの中で一緒に入ってた物なのに。殺虫剤とペットボトルがかごの中で一緒に並んでたのに。農薬の上に袋菓子を置いて買い物をしてるお客さんもいた。歯磨き粉とラー油を分けてくれというお客さんもいた。人によって分ける分けない感覚は違うのだけど、でもやっぱり地球環境のこと、もう少し考えてもらいたいと強く願う。
2008.10.08
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8月6日たぶん朝8時。私と中国人の友達と、バスの中で知り合った日本人ユリカさんと3人で九寨溝風景区へ向かう。成都飯店専属のドライバーのおじさんが高級めセダンで入り口まで送ってくれた。九寨溝の住居のある所からは歩いても10分ほどだ。入ってすぐのところで何かイベントが行われていた。何だと思って見に行くと『九寨溝風景区全面開放記念イベント』だ。ギラギラ光った民族衣装を纏ったチベット族が後ろで出番を待っている。とてもきれい。面白そうだったので見て行きたかったのだけれど、それで時間が削られては・・・と思い、先を急いだ。チケットは学生割引で150元くらいだったかな。それと、エコバス代90元が必要。留学生でも中国の大学院生でも割引できるのが嬉しい。中国の地方都市にしかないらしいDICOSというファーストフード店を見つけ、帰りにカレーを食べることを心に決めて風景区へ入って行った。バスに乗って最終地点を目指す。一番上まで一気に行き、少しずつ下に降りていく計画だ。30分ほど走っただろうか。エコバスは最終地点に着いた。降りて少し行ったところで、民族衣装の貸し出しをやっていた。新疆旅行以来、民族衣装が大好きになってしまったので、すぐに衣装を借りて写真を撮った。一衣装10元だと書いた看板があるのに、おばちゃんたちは「10元は平民の衣装、貴族の衣装は30元よ」と言ってくる。とりあえず、10元の平民を来た。一番最初に見たのは原始森林。ものすごく大きな木が茂っており、まさに原始だった。なんと表現していいのか分からないけど、テレビでしかみたことのない、マリスミゼルが出てきそうな森林で、ものすごく気持ち良い。その後バスに乗り、次のバス停で降りる。水の色がとてもきれい。大木が湖に沈んでいるのだけど、それが全て透き通って見えるので、すごく神秘的。湖の底まで見えました。下まで見えない沈んだ木もあったけど、真っ青の水の中に木が生えているようで、湖の深さが感じられる。この中に落ちたら別世界に連れて行かれそうで怖い。水の色が青すぎて下まで見えない、と言ったほうが適切だろうか。そんな深い湖もあったが、すごく浅い幼稚園にあったプールのような湖もある。天候は決して良いとは言えなかったけど、緑と青がとても美しく共存していた。下に降りるまでに、貸衣装のおばちゃんが4箇所くらいいた。「さっき平民着たしなー」と思い、5元で貴族を着せてくれないか交渉したら、それでもいいと。きっと、地震以来ずっとお客さんがいなかったから、少しでも稼ぎたいとの心だろう。私は貴族を着て、ユリカさんは平民を着て写真を撮った。ユリカさんも貴族を着たかったらしいのだけど、「貴族と平民がつりあいが取れていいじゃないか」というおばちゃんに押され、平民を着ざるを得なくなった。ゆっくり見ながら降りていたら、時間が足りないことに気が付いた。入り口にはレストランなどがあるのだけれど、そこまでバスで行ってご飯食べて、また見学していたら時間がなくなってしまうため、持って来ていた食料で食べつないだ。というよりも、リュックの中に入ってる重い食料を早く減らしたかったのだ。一番下まで降りてくると、チベット族の民族村があった。一番大きなところはお土産売り場となっており、チベットアクセサリーなどが安く手に入る。私はヤクの角で作った櫛を母と妹と自分にお土産として、ブルーの石の埋め込まれたチベット銀の指輪も買った。ここの人は日本人にはとてもフレンドリーで、よく「日本語とチベット語は似てるんだよ」と言われる。ある人が「11、12、13、14・・・」と現地のチベット語で数えてくれたが、パッと聞いた感じ、日本語の「11、12、13、14・・・」と似ている。以前、少数民族であるイ族の友達も言ってた。「日本語とイ族語は似てるんだ」と。イ族語を話してるのを聞いたけど、ものすごく韓国語に似てた。でも、日本民族をとても尊敬しているので、『日本語じゃなくて韓国語に似てるわ』なんていわないほうがいいかもしれない。
2008.09.15
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日本への帰国を目前にやっと行った九寨溝と黄龍。成都に住んで3年半『まだ行ったことがないの』なんて言われた事もありましたが。行ってきました。ツアーで行こうと考えてたので、旅行社に電話して聞いてみたのですが、今は地震の影響で、バスツアーはなく、飛行機ツアーしかないと。でも、9日以降ならバスが出ると。飛行機だと旅費がバスの2倍くらいするし、どうせならゆっくり過ごしたかったので、個人でバスに乗って行くことにした。バスセンターに九寨溝行きのバスはあるか問い合わせたら「ある」とのこと。バッチリ準備して出掛けた8月4日、朝7時半。新南門バスセンターからは、隔日しか出ていないそうで、この日はバスがなかった。急いで茶店子バスセンターに電話したが、地震の影響で本数が減り、8時が最終だと。というわけでそのまま帰宅し、次の日、九寨溝へ行った。8月5日成都中心部に近い新南門バスセンターから約11時間、武県(だったかな)経由で九寨溝へ。バス代130元くらい。途中、たくさんの震災の傷跡を見た。ガードレールはぐにゃぐにゃに曲がり、瓦と屋根が落ちたままの家屋、道路わきに並ぶテント。田舎のほうになると、修復の手も伸びるのが遅いようです。道路はきれいに舗装されていて、車酔いするような道ではありませんでした。夜は九寨溝県の成都飯店に泊まった。本来は青年旅行社に泊まろうと思っていた。一緒にバスに乗っていた台湾人と韓国人も同じ考えを持っていて、でも、客引きに負けそうになっていた。客引きは標準間30元だという。青年旅行社だと、標準間50元だという。とりあえず客引きの部屋を見てから決めようということになった。部屋を見てみると、特に文句はない普通の部屋。標準間で30元ならものすごく安い。成都郊外でも60元はする。ということで、台湾人、韓国人、中国人、日本人の合計7人、それぞれに分かれて泊まることになった。この日の夜、あるチベット族一家の経営するレストランへ行った。地元のチベット族の歌が聞け、踊りが見れ、風習など教わり、キャンプを囲み一緒に踊ったりしたけど。もっと大舞台かと思ってた。写真は、客とチベットの少女が恋歌を歌うとこ。さぁ、明日は九寨溝だ。
2008.09.14
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久々の更新で、いきなり留学生活の終了ということになります。3年半の四川大学への留学を終え、目指すべく所は、地元九州で中国語を使った仕事だ!と思っていたのですが。もう歳も若くないので、あまり遠いところへはいきたくなくなりました。九州は中国語を話せる人材が多くないと聞いていたので、九州で探せばすぐに見つかると思っていましたが、日本に帰ってくる前に決めてきました。『中国・成都の人材派遣会社で10月から働きます。』と、社長さんと口約束を交わしました。どんな経緯かというと。以前から知り合いの人材派遣会社の社長さんから連絡があり、うちで働いてほしいと。福岡に支社があり、そこで働いてほしいのだけど、福岡の人は成都の状況を(色んな面で)分かっていないそうです。なので、私が先に一年だけ成都で働いて、その後、福岡出勤でどうだろうと。2週間ほど悩みました。あと一年も成都にいると、結婚が遅くなるではないか。日本帰還。↓日本での生活と仕事に慣れるのに、恋愛どころじゃない。↓やっと落ち着いて、恋愛相手を探す。↓結婚相手でなかったら、またゼロからスタート。↓素敵な人を見つける。↓結婚のことを真剣に考える。↓結婚した。↓子供が出来た。ここまでを、どうにかして32歳までに達成するのは、きわめて難しい。それなら、一年でも早く九州に帰って生活し、適当に仕事を探したほうが、近道ではなかろうか。なんて考えたりもしたんですが。その会社は中国人を日本、主に九州に派遣して働かせているのですが、中日の間で問題が多々あるそうです。それをスムーズに、両者にとって利益になるように進めていく仕事をしてほしいそうです。これは、すごく意義のある仕事。悩んで悩んだ結果、腹が決まりました。意義ある人生を遅らせてもらおうではないか!結婚とかその他は、自分の進む道の上に築いていきたい。ということになりました。なので、10月にまた成都に戻ります。1年してから福岡に戻れるそうですが、またその時にならないと分かりませんが、成都には絶対に一年以上残りません。今は、実家でバイトしながら日々を過ごしています。暇なときに、ちょこちょこ中国のこと書いていきたいなと思います。
2008.09.09
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中国最後の夏はカシュガルを目指すのだ!と、漠然に考えていたのですが。冷静になって現実を見てみると、今、中国西部の治安は不安定で怖いです。『新疆で爆弾、銃などを大量に押収』というニュースが数ヶ月前から出てきています。オリンピック前に、独立を叫んでいる新疆が、独立できる状態にある(経済的に発展要素があるので)新疆が、何も言わないはずが・・・ないのではなかろうか。と思っています。中国で孔子や儒教思想などを勉強しました。親孝行というものは、とても大切です。なので、両親の心配する新疆旅行は行かないことにしました。最近、中国のあちこちで事件が発生しています。それは、人民が警察に対する怒りだったり。今日見た読売のニュースでは、数件の爆発事故はウイグルの組織の犯行だと書かれています。カシュガル行きを断念し、九塞溝・黄龍へ行こうと考えていたのですが、地震の影響でツアー参加者がいなく、どこの旅行社もツアーを出してないと。個人で行くか・・・雲南も行ってないな、と思っていたのだけれど。上記の事件で、何か不安を感じてしまうし。西安の兵馬俑も行ってない。けど、なんか興味が持てなくて。それに、地震後の公開はされているのだろうか。興味が高くない分、調べるのも億くう。三国遺跡の論文を書いたくせに、有名所の剣門関にも行ってない。こちらの地震後の影響は・・・開放されてない率が兵馬俑よりも高い気がする。あーーーどこに行こう。
2008.07.26
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一昨年の夏に、同い年のミサが始めた歯の矯正がすごく羨ましくて、私も一緒に始めた矯正。中国で歯の矯正は、安いところだと3000元、高い所だといくらだろう。私の行ってる亜非牙科(ヤーフェイ歯科)は、設備が整っていて、とてもきれい。たくさんの韓国人奥様も子供をここに連れてくると聞いている。ここの先生たちは、ほとんど華西大学卒業の先生です。華西大学というのは、歯科部門では、中国一位、アジア一位とも言われているようで、日本からもお客さんが来るそうです。私の担当してくれた先生は、28歳の女性で、伊東美咲がもっと痩せこけて、優しさを引いた感じの先生。とりあえず、美人でした。若い男性先生に指導とかもしていました。矯正器具は2年ほど付けて、今は、透明の歯の形をしたカバーをつけています。これを後、2~3年つけていなければいけません。それが過ぎたら、2年ほど夜のみつければ完成だそうです。地球が動いてるように、歯もまだまだ動いています。テレビ見ながらピーナッツとか食べる時に透明の歯カバーを外しているのですが、それから寄るご飯を食べて、歯を磨いて歯カバーをつけると、ちょっと圧迫感があります。前歯を使って肉を噛み切ったり、果物にかぶりついたりはまだ出来ないですが、でも、嬉しい。歯がきれいになったよーーー
2008.07.26
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2005年の2月に成都に来てから、約3年半の月日が流れました。本来は2年の留学の計画だったのですが、漢語本科生というものを知り、初級1班で半年勉強した後、漢語本科の2年生へ編入して、今月、やっと卒業しました。2ヶ月ほど日記の更新をしていませんでしたが、書きたいことは山ほどあります。でも忘れたので書きません。覚えてるのだけ、面倒くさくなければ書きます。まず、論文。論文のテーマは『成都人の成都城区の三国遺跡に対する意識の調査と研究』です。アンケートも取材に分類されるため、勝手に外国人が取材することを許されていない中国ではアンケートも思ったように出来ませんでした。学校側の条件は”校内なら大丈夫”とのことだったので、四川大学内のみでアンケートを行いました。実はこれがすごくありがたかったのです。大学内には小学校や幼稚園があり、子供を迎えに来た親がいたり、退職した老人がいたり、食堂でご飯を作ってるおばさんがいたり、ゴミの回収をしているおじさんがいたり、週末には一般人が学内の運動場でサッカーをしていたり。学内だけで、様々な年齢、学歴、職業の人からアンケートをとることができました。しかも、論文の審査の時は私の状況を把握してくれてる先生方が「法律で学内しか出来なかったのよ」と、留学生がこれだけ頑張ったと評価していただけたので、すごく良かった。嬉しいことに、韓国人のおじさんと私の論文の点数が一番だったようです。そして、各学院から良い論文を四川大学の優秀論文に申請するのですが、申請論文には私のものが選ばれました。へへ。でも、そのために4000字程度の論文の縮小版を書かなければならず、それ以外にもやらなければいけないことがたくさんあり、目の回りそうな日々を送っていました。写真は卒業式の時のものです。帽子投げました。
2008.07.18
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中国人の知っている日本語で代表的なものといえば。『さよなら』これは、≪再別康橋≫を書いたことで有名な中国現代(1919.5.4~1949.10.1)の詩人、徐志摩が書いた詩≪沙揚娜拉(shayangnala)≫の題名にもなっています。『ばかやろう』どこの放送局も被災地の様子を伝えていた中、一局だけ抗日ドラマ≪亮剣≫をやっていたことから分かるように、何があっても人民の見る番組。そのなかでよく使われる言葉。『はい』これは広東語が語源だと聞きました。が、人民はよく私に「おれは一言だけ日本語が言える。『はいっ!!!』」と、私に向かって胸を張り、元気よく返事をする。これも抗日ドラマの影響だろう。『よし』これも抗日ドラマの影響かな。あまりテレビを見ないので分かりませんが。人民はよく「よーし」と伸ばすのが好きみたいです。「『よし』なんて使わないよね。」と友達と言っていた私ですが、トランプして勝ったときに「よ~っし!!」と連発で叫んでいました。『みしみし』これは、昔の日本ドラマで男性がご飯を食べる時に「めし、めし」と言っていたのが語源だそうで、その後、発音がちょっと変わったものだと中国人の日本語学習者に聞いたことがあります。若い人からも言われることがあります。先日、普段からお世話になっている地熱学者のゴンチーさんが一時帰国する&『水井坊で水井坊を飲もう会』の人たちとで、水井坊街でシャオカオを食べました。水井坊街といえば、まだまだ老成都が残っている場所で、平屋の並ぶ雰囲気のある通りです。ここに住んでいる人はたぶんものすごく低級層です。この通りでは、麺や水餃子が2両3.5元で食べられます。果物だって、形の悪いものや傷んだものが低価で売られています。一座席2元お茶付きで映画も見れます。家の中にトイレがある家庭が少ないようで、人々が蓋付きの桶を持って公衆トイレへ通う光景も見られます。そんな低級層の中にある、ハエまみれのシャオカオ屋で雇われてる50歳くらいのおじさん。私たちに笑顔で色々話しかけてきます。ものすごく低級層に違いない!!!と思っていたのですが。話を聞いてると、日本料理を食べたことがあると。韓国料理も西洋料理も食べたことがあると。で、感想は「日本のわさびは辛い!」でした。店長が焼いたシャオカオをおじさんが運んできてくれました。おじさん笑顔で「慢慢ミシミシ」。ものすごく友好的で、私たちが話しているのにも関わらず色々話しかけてきて、おじさんの嬉しさが伝わってきました。こういうのがとても嬉しいです。で、店の奥で休憩していたおじさん、抗日ドラマ≪亮剣≫を見ていました。
2008.05.30
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さっき、中国時間22時半ごろ、友人の携帯が鳴った。友人のお父さんからで「1~2日以内に震度6~7の余震が来る!荷物を片付けておくから今すぐ帰って来い!!」と。友人は私も一緒に避難するように言ったが、私は「明日学校あるし・・・本震より大きい余震はないって言ったじゃん。外で寝るのは疲れるから、私は家で寝るよ。もし何かあった時のため、服を着て、食料をベッドの下に置いて寝るよ。」と言って、友人を早く帰らせた。その直後、外が突然騒がしくなった。地震の発生した日の夜、大きな余震が来たくらいの騒がしさだ。「今夜、大きな余震が来るらしいわね。」と、ルームメイトの中国人の女の子達は、折り畳みベッドを持って外へ出た。「私たち外で寝るからね!気をつけてよ!」と。階段で誰かが「震度7が来るぞー!」と。情報が30分のうちで変わってる。主任の先生からもメールが来た。「公表された6~7級の地震が近日の夜にくる可能性は高いです。気をつけてください。」近晩(jin4 wan3)が今晩(jin1 wan3)と変化したのだろうか。中国政府が余震の予測を明確に公表しています。それを見ると「地震大国日本でさえ地震の予測は出来ないのに・・・もしかして、日本政府はパニックを防ぐために『今の技術では予測不可能』と言ってるのではないか。」なんて考えてしまう。あんなに明確に公表するから!ただ、あんなに騒いでる人民を見ると、こっちも不安になってしまいます。
2008.05.19
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バス会社に勤める友人が、昨日はバスの貸し出しなどで都江堰へ行ってきたそうです。 そこで、たくさんの一般ボランティアをバスに乗せて行ったそうです。 友人は主に写真を撮る係りなので、現地での写真などを見せてもらったんですが、そのバスに乗ったボランティアの大学生くらいの男の子はカメラに向かって笑顔でVサインをしていました。友人はそれを見て「遠足に行くとでも勘違いしてるのか・・・」と嘆いていました。 現地では足手まといになっていたと聞きました。 報道されてる通り、たくさんの死者が出ています。 成都では昨日から『蚊には刺されないようにしろ。生水は飲むな。』と、伝染病の注意を呼びかけるメールが出回っています。 二次災害を防ぐため、身元を確認できずに焼却してしまわなければならない状況になっているそうです。家族に見送られる場合は一体だけで焼却するそうですが、身元不明の遺体は3~4体いっしょに焼却されていくそうです。 それをカメラに収めた韓国のカメラマンが、中国人にカメラを取り上げられたそうです。 もし自分の家族や友達がまとめて遺体処理されたら・・・見送ることも出来なくて申し訳ないと思います。きっと、私の家族もそう思うでしょう。「自己責任」だけじゃ片付けられない。安全を選ぶことって大切なんだと思った。 私の友人が地震の起きた日の夜から3日、彭州で救援活動をしていたそうですが、救援者の食べ物や水、牛乳などは食べ放題、飲み放題だったそうです。 今も、物資が全然足りていないところがある一方、物資が余って救援者がたらふく食べている場所もあるそうです。 物資隊というものがあって、物資の不足地域や余剰地域など、救援物資を把握する部隊があったら、免れるのではないか・・・とも思った。 被災地に行った車両や人が、しっかりと消毒をして現地を去ってくれればいいけど・・・ そうでないと、伝染病が全国各地に流れて・・・ 7つ目の8が来るかも。
2008.05.17
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昨日は友人宅で寄るご飯を頂いたのですが、野菜が出回っていなかったようで、白菜のスープと外で買って来た鴨肉だけでした。 今日は自分で野菜を買いに行ったのですが、普段と変わらずたくさん出回っていました。野菜屋のおばちゃんも「今日になってたくさん入ってきた」と言っていました。 今日は、動いていたら感じることが出来ない余震が数回きました。 その瞬間、ガヤガヤと数人の声と階段を下りていく足音が聞こえてきました。私のルームメイトは気が付かなかったらしく、逃げることもなく台所で何かしていました。 避難所にはまだまだテントが張られており、たくさんの人がそこで過ごしていました。 今夜もここで過ごすのでしょう。 今も、座っていてやっと感じることのできる余震がありました。 日本語を教えていた生徒とチャットでお話をしました。 彼女の家は小学校の中にある職員専用アパートで、地震後に戻ってみたら、棚は倒れ、本は全部下に落ちて、電話もパソコンも向きが変わっていたそうです。飼っていた猫までちょっとアホになってしまったそうです。 彼女が教えてくれたのですが、中国ではこんな話が広まっているそうです。 今年の8月8日は中国オリンピック開幕の日。 1月25日:雪の被害------1+2+5=8 3月14日:チベット事件----3+1+4=8 5月12日:四川地震------5+1+2=8 08年8月8日 だそうです。 中国で”8”はとても縁起の良い数字。 オリンピックを朝8時開幕、夜8閉幕としてたら、あと2回ほど”8”が来ることになりますね。
2008.05.15
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昨日の午後。雨も止み、明るい空の下を成都市民は自宅へと帰って行っていました。人々は手にダウンジャケットやジャンパーを持ち、背にはリュックを背負い、手には袋一杯の食料品を持ち、疲れた表情で帰途についていました。私は友達の家へ向かっていたのですが、バスから降りると、スーパーに行列が出来ていました。成都には小さいスーパーがたくさんあり、そこだけでなく、個人商店の前にも人だかりが出来ていました。皆、水を買っています。ペットボトルをケースごと。そういえば、私のルームメイトも、ありとあらゆる洗面器に水を蓄えてたなぁ。というわけで、水が止まるとか、ガスが止まるとか、色々言われていたそうです。水が止まったかは知りませんが、水の勢いが半減していました。マンション中の皆が一斉に水をためてたからかな。ガスは「点検のためにガスが一時止まるかもしれません」「地震によるガス漏れなどはありませんか?」などの張り紙がありました。市民が水を買いに走っていたのは、水の汚染やらで水の価格が暴騰するなどの噂が流れたからだそですね。私の友人が12日夜に都江堰へ救援活動に行き、それからすぐに彭州へ行って救援活動をして14日の夕方に帰ってきたのですが、とても悲惨だったと嘆いていました。銀厂溝という場所は夏の避暑地になっており、真ん中に河が流れており、別荘などが立っているそうです。そこの両側の山が崩れて、下にある物が全て下敷きになっていたと話してくれました。そこからやっと這い出してきた負傷した人が、近くに止まっていた車に「病院まで連れて行って」と頼んだら「200元で車に乗せてやる」と。その人は200元を払って病院まで連れて行ってもらったそうです。でも、病院に着いたときにそのことが周囲の人に知られ、お金を請求した車の持ち主は周りの人に相当な非難を受けていたそうです。以前習った諺に「人の困難に付け入って儲けをする」というものがあります。忘れましたが。まだ確認できていない被害もたくさんあるでしょう。昨夜と今朝も余震がありました。12時半くらいにもありました。「お、揺れてるな」と思うくらいです。でも、家がミシっと言うので、それが怖いですね。中国人に「ミシミシ」言われるのには慣れたけど。
2008.05.15
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月曜日の午後。昼ごはんを食べ、いい天気のなか家へ帰って論文を書こうと思っていた。家までたどり着いた時に、鍵を毛虫に渡したままだったのに気がついた。今、以前四川大学で留学してた毛虫が、現在の留学先の武漢から遊びに来てるのだ。毛虫は13日の宜賓行きの切符を買いに四川大学の北門附近へ。私も自転車でピューと切符売り場へ向かった。毛虫は切符を買ったあと、他の友達とメイド喫茶へ行く約束をしてたのだ。その友達と合流する所まで毛虫と一緒に歩いてた。私は自転車を押してたのだけど、何か自転車の進みが悪い。何か引っかかったかなーと思って、アレ、立ちくら・・・地震だ!立ちくらみかなと思った瞬間、目の前のビクトリアから人々がワーーーーーーと出てきた。殺虫剤をかけられた虫が巣から一斉に出てくるように、ワーーーーーーーーーーーーーと。で、次の瞬間こんなことを考えた。「地下鉄工事の失敗の爆発による揺れか?」と思い、耳を澄まして爆発音を確認してたのだけど、音はなし。「四川だと地震が起こらないって聞いたのに」と思いながら、毛虫に「カメラカメラ!」と叫んだ。写真を撮る毛虫。「ムービームービー!」そんなで、高い建物から離れ、電線の下からも離れ、待機してた。窓ガラスがバリバリ揺れ、道路標識がグラグラ揺れ、大地がゆらゆら揺れ、車も停車し、人々は道路の分離帯や歩道へ集まっていた。揺れはだいたい3~5分ほど続いたのだろうか。実は建設中の地下鉄工事場で何かが爆発して、音は聞こえなくても地下鉄の道を伝って揺れが起こってるのではないか。そうなれば、地割れが・・・!!!なんて考えながら地面を見て。この揺れに成都の建築物は耐えられないだろうと、上を見上げ。でも、特に何も起こらなかった。ただ、近所にいた学生など、宿舎で休んでいたのだろう、短パンのみで出てきたりしてる人も少なくなかった。その後、友人と合流し、メイド喫茶へは行かずにその場所から動かずにおしゃべりをしてた。その友人は、按摩店から出てきた超ミニスカートをはいた小姐を見かけたり、パンツ一枚で走って出てきた学生を見かけたり。私たちは、点滴袋をぶら下げた看護婦と患者を見かけたり、手術服を着てマスクを着けた医者を見かけたり。スーツに裸足なんて男性もいました。街は崩れも何もしてない。ガラスが割れているところがあったり、瓦が数枚だけ落ちてたり、コンクリートの一部が剥がれ落ちたり。家の近所で、後ろから自転車を引っ張られた。びっくりして振り返ると、いつも野菜を買ってるおじちゃん。「5時にまた大きな地震が来るから家には入るな」と。中国は地震の予測がこんなにも正確なのか・・・私の家の天井の壁も剥がれ落ちていました。小さなコンクリート片がいくつか落ちていました。もちろん、本や小物などなど、床に散らばっていて、余震の恐怖の中、片づけをしました。友達がいたから、心強かったです。もし一人だったら不安で不安で・・・誰かの家に行っていたのではないでしょうか。余震は、じっとしていてやっと分かるものが頻繁に、座って話していて「お、揺れてる」と思うものが時々来てます。強めの余震は、昨夜の8時ころ、13日の朝4時ころ、朝7時ころ、昼3時ころ、だいたいこんな具合だったかな。この強めの余震、震度2ほどのものが来る度に、中国人がワーーーーと外に駆け出します。昨夜も「22時~0時の間に大きな地震がくる」という噂が流れており、家の近所の人は隣にある空き地を利用した仮設避難所で夜を過ごしていたようです。そして、夜も遅くなり、疲れや眠気もピークに達したのでしょう。3時過ぎにガヤガヤと皆が自分の家へと帰ってきていました。その直後。グラグラっと揺れたものだから、皆、一斉に階段を駆け下りて行きました。外でガヤガヤしていました。もし日本で同じレベルの地震が起こったなら、「あ、揺れてる・・・治まるかな、大きくなるかな・・・」と寝た状態で考えてる程度の地震です。しかし、中国の建築物の耐震性は悪いです。これほどの地震でも崩れる可能性は無きにしも非ず・・・ベッドの下に隠れることが賢明だと思います。そんなを繰り返し、13日の朝はメールも問題なく遅れるようになり、午後には外からの電話も簡単につながるようになったそうです。成都市内は本当に守られています。被害の大きい地域から遠くもないのに、ご飯屋も営業しているところがあるし、商店も営業しており品揃えも豊富です。ただ、これは場所によるみたいですね。私の行動範囲では、お腹を空かせることはありません。タクシーの台数は減っていますが、普通に走っていますし、バスも普通どおりに運行しています。電車は成都―宝鶏線以外は通常通り運行されています。まだ色々ありますが、今回の地震を簡単に説明してみました。日本の報道は間違っていません。成都市の範囲は広いです。都江堰も成都市の管轄です。成都市区は一番人口の多い中心地を指し、目立った被害は特にありませんが、都江堰を”成都市”と呼ぶ報道を見たら、皆、驚くでしょう。今後とも注目していきたいと思います。
2008.05.13
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論文のためのアンケートも、まぁまぁ無事に終わり。パソコン入力も無事に終わり。SPSSというソフトを使って分析の段階へ入りました。このSPSSというソフト、アンケート調査・集計・解析をするものなのですが、使いこなせるか・・・という問題があります。手元に本がありますが、自分のアンケート結果からどんなことが導き出せるのかが分からないし、どの方法が適切なのかも分からないので、何だか宝の持ち腐れだと感じています。まぁ単純に使っていこうと思います。中国でのアンケートについて。外国人は中国でアンケートしちゃいけないと言われました。でも、中国人の行ったアンケート結果を使うのは問題ないそうです。友人に「中国人が作ったアンケートということにして、お前は手伝ってるだけといえ!」なんて事も言われました。色んなところへ行ってアンケートしてきました。留学生仲間3人を連れて、夕飯どきの食堂へ。1時間ほどで80枚ほど集まりました。ほとんどが20~30代の学生です。皆、食事中にも関わらず、快くやってくれました。夕方、中国人の友達と小学校の前へ。中国では3年生以下の子供は、家の人が迎えに来なければいけないそうです。なので、小学校の下校時間になると、学校の門の前は迎えに来た人でいっぱい。「目が悪いから字が見えない」「遺跡なんて分からない」「子供がもう出てくる」などと、断られたり、引き受けてくれたり。あるおじいちゃんは「字が見えないから俺の代わりに読め」と、こうしてまで協力してくれました。1時間ほどで30枚、ここで各年代の人のアンケートが集まりました。昼下がり、一人で蓮の池へ。池の周囲にはベンチが置いてあり、皆、思い思いに過ごしています。ベンチをひとつひとつ回り、アンケートに協力してもらいました。おしゃべりしてる中年夫婦にしてもらおうとしたら、奥さんは拒否、旦那さんは引き受けてくれました。で、旦那さんが「これはどういう意味だ?」と考えながら書いてると、奥さんはそれを取り上げ、自分で書こうとしています。二人の引っ張りあいこが始まりました。で、旦那さん「お前もやればいいじゃないか」と。結局、奥さんも一枚やってもらえました。親切な老夫婦もいました。旦那さんは快く引き受けてくれ、奥さんは拒否。でも粘って「書いて書いて」言ったら書いてくれました。書き終わった後で奥さん「私、こんなのするのは初めてなのよ!誰に頼まれてもこんなことしないわ!でもあんたが一生懸命で可愛いから書いてあげたのよ!」と。嬉しかったです。おばあちゃんを連れてる中年の女性にも頼みました。アンケートを5分ほど見て「こういうのは、ここに座ってる人に聞いても誰も分からないわよ。あっちに歴史科があるから、そこにいる人にやってもらいなさい。ここで一人一人聞いて回って、時間と労力の無駄だわ」などなど・・・説明したんですが分かってもらえませんでした。東西南北の門も回りました。警備員は快く引き受けてくれ「ここは交代制で8人が勤務してるから8枚おいてけ」と、嬉しい言葉もいただきました。昼食後の食堂も回りました。若い人、年取った人など「俺にはこんなの出来ねぇ」など言いながら、やってくれました。アンケートが油まみれになりました。学生寮の管理人のところにも行きました。電話カードや新聞、果物を売ってる人のところにも行きました。60代ほどのおばあちゃんに頼んだら「これを私にやれっていうの?こんなの自分で適当にすればいいじゃない。私が書いたって何の証拠もないんだから。」なんて言われて。悲しくなりました。週末は日本人友達を一人連れて、運動場へ行き、サッカーしてる人や応援してる人に書いてもらいました。皆、快くひきうけてくれました。友達も一人できました。中国人の友達と一緒に校内を回りました。「はい、これ書いて」だけで書き始める人もいて、やっぱり中国人パワーだなと思いました。色々ありましたが、アンケートは一週間ほどで400枚くらい集まりました。大変だったけど、ものすごく達成感があります。留学生活のいい思い出になりました。
2008.05.07
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以前、四川大学で勉強していた向井さんが、先日から成都に遊びに来ています。で、その友達は家に泊まってるのですが、今日はその向井と一緒にチャイナドレスを作りに行ってきました。場所は公安局の南側あたりに数件並んでいる呉服屋さん。適当に選んで店に入りました。青にピンクの小さな花柄。服と小バッグで330元。10日に出来上がるそうなので、そのときにでも写真をアップしてみようと思います。で、12日の向井の誕生日には、二人でそれを着て行く予定です。
2008.05.04
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卒業論文の発表を2ヵ月後に控え、今になってやっとアンケート調査を開始した。始めの原稿を5月頭には出したい。と言うことは。10日ちょいで、アンケート配りと回収をしながら原稿6000字を書き上げる。むりだーーーーという感じで、焦りつつも確実に時間を使っているつもり。今日、不安をかかえつつアンケートのコピーに行った。大学内ではコピー1枚が8分(0.08元)でできる。大きい紙だと4角(0.4元)になるのだが、場所によっては3角でコピーしてくれたりする。『本当にこのアンケートで論文を十分に書けるか・・・』とのプレッシャーを跳ね除け、今日は200枚ほどコピーしてきた。先日、張おばあちゃん先生に「居住区委員会ってところに行って、その人たちに手伝ってもらいなさい。その前に学校に証明書を発行してもらえ。」といわれたので学院に行った。すると、事務所の先生たちが「私が手伝ってあげるわよ」と、50枚ももらってくれた。もう一人の先生は「2枚、あ、いや10枚、あ、じゃあ50枚ちょうだい」と。何だか申し訳くなく思って30枚ほど頼んだ。でも、「アンケート協力の証明書は留学生事務所に行かなければいけないわ」といわれ、そっちのほうまで自転車を飛ばした。この証明書さえあれば、土日はだいぶ自由に動ける。そう思って。留学生事務所に着き、先生に一通りのことを話した。すると「外国人は中国でアンケート調査などやってはいけない法律になってるの。しかも”文革のときに壊された”なんて敏感なことは書いたらいけないわ!あなた日本人だし訴えられるかもしれないわよ。」と。ぅぇーーーーーーーーーん「もしやるなら学校内で。」「敏感な問題は書いてはいけない。」だそうです。大学生は知識があるので成都人の代表にならない・・・私が書きたいのは”成都人”なのに・・・と思って、かなりかなりかなりかーなり落ち込んで学院に戻って、先生の手元にあるアンケート用紙を回収しに行きました。すると先生。「学内なら出来るんじゃない。学内にもたくさん一般の人はいるわよ。医者だっているんだから」と。力強い言葉をもらうと共に、「アンケート用紙もう100枚くらい私にまかせて。」と、協力までしてくれた。今日刷った200枚、もう手元から離れた。「感謝」を何度言っても足りないくらい。論文、絶対にいい物に書き上げる!うえーーーーん
2008.04.17
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四川大学の周辺には、数軒の新疆ウイグル料理屋さんがあります。私がお気に入りで行ってるのは、東門側の好望角の並びにあるところです。店によって特色が違いますが、簡単に紹介すると:南門:漢族に対しても外国人に対しても態度が最悪。料理がどんなに美味しかったとしても行ってはいけない店。老板はいい人そう。丸いパンがおいしい。北門:漢族には態度が悪い。外国人にはとてもいい態度。女性もたくさんいて、家族のような感じ。先日久々に行くと、私を怒鳴りつけた人がコックさん帽子をかぶっていた。料理運びの役なのに。ここのほとんどの客が抓飯を注文しているので、きっとおいしいはず。料理も豊富ですごく嬉しい。東門:漢族に対しても外国人に対しても態度が普通。最近は店員さんの表情が豊かになった。15歳くらいに見える18歳の若くてかわいい男の子が2人もいる。ハゲててセクシーな28歳もいる。ここのラグメン(拌面)が一番おいしくて見た目がきれいだと思う。最近料理のレシピが増えた。紅瓦寺:回族の、ムスリンの帽子をかぶった看板おじいちゃんがいる。お昼時に行くと、座る場所を指定される。おじいちゃんの態度はとてもいい。耳が遠いのか、時々無視される。ここの大pan鶏は一番おいしい。だが、22日にしか鶏を仕入れないので、なかなか食べることができない。ここのhui面(湯面片)はすごくおいしい。だが、どの料理にも、もれなく髪の毛が入っている。一言でまとめるならば”新疆屋さんの老板の顔は、どこの店でも同じ”ということ。今日の夜、久しぶりに東門の新疆へ行った。客足はなかなかだ。炒面片か丁丁炒面を食べようと思ってメニューを見てたら、可愛い男の子1が炒面片を指差して「これを食べろ!メンペルソメ」と言って来た。ウイグル語で話してくれたのが嬉しくて「メンペルソメ、一個!」と注文した。それから、何個かウイグル語を教えてもらった。湯面:スクァッシ抓飯:ポロォ大pan鶏:コルタ羊肉串:カヴァブ一個:ビー二個:シィキッ好多銭:イッドゥグイいろんな文化に触れることが出来て、友達にもなれる。中国のこんなところが大好き。
2008.04.16
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最近ブログの更新が多くなったのは、ある大事なことに気がついたから。去年の夏に2週間ほどかけて青海省、甘粛省、新疆ウイグル地区を旅行した。そのときに日記という形で何も残していなかった。そして、11月くらいにパソコンのハードが壊れてしまい、中にあった写真など全部が全部が消えてしまった・・・中国語の授業の資料なども全部全部全部!!!で、ここに書いているものは消えずに残っており、当時は衝撃を受けたことなんてのも今はすっかり忘れてしまい、中国にいることが当たり前のようになっていた。でも。私は中国を去るのだ!だから、色んな事を発信して、いろんな事を思い出として残しておきたい!最近ずっとmixiのほうに色々書いていたのですが、浮気せずにやっぱりこっちに書き込みます。成都は夏に入りました。「春だねー」なんて言ってたら雨が降り、冬に戻り、晴れたと思ったら気温が一気に上がって初夏を思わせ、また雨が降って気温を下げ、また太陽が出てきて夏になり、今はまた雨が気温をグッと下げました。この雨が終わると、成都に夏が来るかな。そして、夕立の季節が終わると、本格的な夏になります。とにかく蒸し蒸しするので、覚悟が必要です。今日、以前日本語を教えていた生徒の一人が”籟好momo”を届けにわざわざ大学まで来てくれました。これは籟好という草で作った餅のようなもので、見た目は荒いヨモギ餅、中にはそぼろ肉が入っています。おばあちゃんが採ってきた草で作ったそうなのですが、両手一杯の草で1個しか作れないそうで、とても貴重なものを頂きました。餅ほど歯に引っ付かず、でもヨモギ餅のようでおいしかったです。この草は、清明節のときに採ったものではないかなと思っています。清明節の日、中国の伝統では山などに行って食用の草を摘んで料理して食べる習慣があるそうです。清明節は二十四節気のなかで唯一残っている祭日です。他に、春分、夏至、立冬などありますが、お墓参りをしたりするのは、二十四節気のなかでは清明節だけだそうです。今年から中国は、清明節を国家の祝日と定め、3日間の公休としました。こうすることで、清明節の由来、伝統を守っていくそうです。
2008.04.12
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地図を見ていたら、成都の郊外に”諸葛祠”という地名を見つけたのが始まり。興奮して自転車にまたがって、二度の出陣をしました。一回目 http://plaza.rakuten.co.jp/huangqiaoliang/diary/200601210000二回目 http://plaza.rakuten.co.jp/huangqiaoliang/diary/200802200001二度とも敗走して帰ってきたのですが。今回は強い味方がいました。その名も中国の地図以前見ていた地図は、なぜか開けなくなっているので、違う地図を使いました。それには具体的な諸葛祠の位置が書かれていました。この日は、朝からクラスの皆で塔子山公園へ自転車で行ってバーベキューをしました。私たちの班数名と、ある初級班の数名、合計20名ほどでした。皆で料理を持ち寄り、肉係り、野菜係り、飲み物係りなど分けてのピクニック。アメリカ人は大量の食パンとジャム、ピーナツバターを持ってきて大量のサンドイッチを作ってくれました。韓国人は、キムパはもちろんのこと、(韓国人以外にとっては)大量のキムチ、チャプチェ、トッポギ、その他などなど赤いものばかり持ってきていました。日本人は散らし寿司、コロッケなど。海外の人は以外にしらないものだったようです。その他ワイン、ビールなど、テーブルの上にはものすごい食品が盛られていました。フリスビーしたり、凧揚げしたり、中国人と綱引きしたり、楽しいひと時を過ごすことができました。諸葛祠には、その帰りに寄りました。今回は、ピンポイントで場所が確定されているので、探す必要がありません。地図の示すところに行くと、そこは高さ2mほどのレンガで囲まれています。「これは・・・来たかも」と思いながら入り口へ行きました。鉄格子の門の中には草木が茂っており、100平米ほどあります。外から覗いていると、中からおじいちゃんとおばあちゃんが「何をしてるんだ!」と出てきました。私は目を光らせながら「ここに諸葛祠があると聞いたんですが、何か残っていますか?」と聞きました。おじいちゃんは「そんなのない!」と。おばあちゃんも「ここには何もない!」と。色々話して理解してもらえたのですが、「そんなのは聞いたことがないよ。祝国寺の間違いだろ」と。中にいた犬は、壁にある5cmほどの穴から私を覗いていました。そこを去り、裏へ回りました。おばあちゃんが屎尿肥料を撒いていて臭いです。「ばあちゃん!ここら辺に諸葛祠があると聞いたんやけど。」と聞いてみたのですが、ばあちゃんは「ここが祝国寺だよ。」と。通じていなかったようなので、一つ一つ説明しました。でも知らないようで、私に寺の行き方を丁寧に教えてくれました。そこを去り、反対側から攻めました。ソファー工場の裏には、まだ民家がたくさん残っています。各家庭の脇には大きな肥溜めがあり、その横を通らなくてはいけないのですが、落ちそうで怖かったです。民家の中を歩いていると、大きな廃屋がありました。で、年寄りがいる家を探して聞いてみました。が・・・ずーーーーーっとここに住んでるばあちゃんも「祝国寺のことじゃないのか?」と。もう、ここは、諸葛祠ではなく祝国寺だ、ということにします。
2008.04.11
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料理も方言も地形も人も天気も(火鍋を除いて)四川は大好きだけど3年以上いるものではない。最近、強くこう思う。ちょうど3年経ったくらいで帰るそうすると十分に四川を楽しめる。とても名残惜しい。 ここにいる期間が3年を超えるとここが嫌いなわけではないが帰りたくて帰りたくてここが憎く感じる。九州に帰りたーーーーーーい
2008.04.08
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成都の西にある崇州の道明鎮に孔明読書台があると知った。崇州で泊まった旅社の女将さんに聞いたら「あ、読書台ね。あるわよ。」と。こんなところまで読書台の名は広がっているのか!と感動して出発。中心バスセンターから、バスに乗って西門バスセンターまで行く。そこから道明鎮行きの軽ワゴン(2.5元)に乗った。30分ほどで目的地に着いただろうか。満席のはずなのに行く先で客を拾っている。後ろは6人しか乗れないのに8人も乗っていた。道明鎮に着いたので、読書台の場所を聞いた。すると皆、口をそろえて「読書台は東関だ!」という。ここから東関に行くには、車をチャーターするしかない。崇州に戻って(2.5元)東関に行き(3.5元)、そこからバイクタクシーに乗っても値段的には変わらない。ということで、ここで降りて車を包った。15分ほど走ったところで降ろされた。ここを登ると読書台だ、と。そこには小さな売店があるだけだった。珍しく車が来たと、見物しに来た地元民に「ここは本当に読書台か?」と聞くと「そうだ」と言う。「諸葛亮が本を読んだところか?」と聞くと「諸葛亮がこんなとこまで来て本を読むか!」と言われた。おぉ・・・それもそうだ。とりあえず山道を登って行った。麓に住む人さえも知らないということは、孔明とは関係がなさそうだ。のどかな山道をテクテク登っていくと、山の向こうに立派な廟が見えた。ここは道教の寺院で、孔明とは全く持って関係なかった。中にはおばあちゃん導師がわんさかいた。友人は「休んでけ、茶飲んでけ、ご飯食べてけ」と、手を引っ張られて奥の院へ消えていった。まぁ実際、何を言ってたのかよく分からなかったのだけど、時間もなかったので何も分からないふりをして早々に帰途に着いた。写真は廟内にあった、作りかけの像。ちょっと男前。と、日記を書いてて気がついたのだが、資料には『丘陵の上に廟があって・・・』と書かれている。山な時点で、ここは全くの無関係なものだと分かったではないか。敗戦!!!
2008.04.05
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