41番札所・龍光寺
龍光寺(りゅうこうじ)
807年(大同2年)、弘法大師が三間平野で出会った、稲を背負った白髪の老人が五穀豊穣(じょう)をつかさどる神の化身と考え、稲荷大明神像を刻んで本尊とした。明治初期に本堂を稲荷神社として、一段下に寺の本堂が建てられ、寺の本尊は十一面観世音菩薩(ぼさつ)となった。
JR予土線宮野下駅北西約1キロ。愛媛県三間町戸雁(とがり)441。
42番札所・仏木寺
仏木寺(ぶつもくじ)
807年(大同2)、弘法大師が、牛を引いていた人に勧められて牛の背に乗り、クスの大樹に宝珠が掛かっているのを見つけ、このクスで大日如来像を刻み、建立したと伝えられる。境内には本堂、不動堂、新大師堂などが並び、かやぶき屋根の鐘楼がある。牛馬など家畜の守り仏として知られ、本尊が大日如来であることから「大日さん」とも呼ばれる。
宇和島市中心部から車で約30分。最寄りの駅はJR伊予宮野下駅で、駅から約4キロ。三間町則(すなはち)。
43番札所・明石寺
明石寺(めいせきじ)
その昔、若い乙女に化身した千手観音菩薩が、大石をいただいて山にこもり、霊場となったと伝わる。この時、石を山に上げたことから上げ石の名がつき、明石(あげいし)に転化したとされる。5世紀の前半、欽明天皇の勅願によって行者が開創し、734年には別の行者が紀州より熊野権現を勧請して山岳信仰の道場となる。822年、弘法大師が四国巡礼の際、とどまって再興に貢献したとされる。中世には国主の西園寺家、江戸時代からは伊達家祈願寺として栄える。
国道56号線から県道29号線に入り、すぐに同237号線へ左折して約3分。JR予讃線卯之町駅から徒歩約30分。同駅から田野中方面行きのバスに乗って新開橋下車、徒歩約10分。宇和町明石201。
44番札所・大宝寺
大宝寺(たいほうじ)
文武天皇の勅願により701年(大宝元年)に建立され、年号にちなんで名付けられた。用明天皇の在位当時(585―587年)、安芸国(広島県)から来た狩人が十一面観音像を見つけ、手持ちの蓑(みの)や笠(かさ)で草庵(そうあん)を作りまつった。菅生寺と呼ばれて民間信仰の対象となっていたが、大宝寺が建てられると本尊とされた。
JR松山駅から高知または久万行きのバスで「久万高原やまなみ」下車、徒歩約20分。久万町菅生1173。
45番札所・岩屋寺
岩屋寺(いわやじ)
空を自由に飛び、神通力を持つ女人の法華仙人は、815年に入山した弘法大師に山を献上、大往生を遂げた。大師は木と石の不動明王を刻み、木像は本堂に、石像は洞くつに封じ込めて山全体を本尊とした。境内には、大師の行場「迫割禅定(せりわりぜんじょう)」、大師が掘るとわき出た「独鈷(とっこ)の霊水」がある。
JR松山駅から高知、久万方面行きバスに乗り、久万で面河行きに乗り換え、岩屋下車。徒歩30分。美川村七鳥1468。
46番札所・浄瑠璃寺
浄瑠璃寺(じょうるりじ)
708年(和銅元年)、行基が奈良・東大寺の大仏開眼に先立って訪れ、薬師如来を安置し開基。812年(弘仁3年)、弘法大師が薬師瑠璃光如来にちなんで浄瑠璃寺と名付けた。参道の石段を上ると、正面に本堂、右に大師堂、左に弁財天がある。本堂前の「仏足石」に自分の足を合わせると健脚、交通安全にご利益があるとされる。
伊予鉄道松山市駅から、伊予鉄バス久谷行きで浄瑠璃寺下車、徒歩1分。松山市浄瑠璃町327。
47番札所・八坂寺
八坂寺(やさかじ)
行者・役小角(おづぬ)が開基し、伊予国司の越智玉興が文武天皇の勅願寺として701年(大宝元年)に創建した。伽藍(がらん)を建立するため、8つの坂を切り開いたことから寺号がついた。荒廃したが、弘法大師が長く滞在して再興したと伝わる。
本尊は秘仏の阿弥陀如来。平安時代の僧、恵心僧都(えしんそうず)の作といわれ、県指定文化財。50年に1度しか開帳せず、次回の開帳は2034年。
松山市駅から「丹波」行き伊予鉄バスで「八坂寺前」下車。徒歩約5分。松山市浄瑠璃町八坂773。
48番札所・西林寺
西林寺(さいりんじ)
741年(天平13年)、聖武天皇の勅願により行基が建立。807年(大同2年)、弘法大師は現在地へ移して再興したと伝わる。本尊は十一面観世音菩薩。
近くには、干ばつに苦しむ民を救うため、弘法大師がつえを突き立てると清水がわき出たとされる「杖ノ淵(じょうのふち)」があり、「名水100選」にも選ばれ、池には刺し身のつまに用いられる水藻のテイレギが自生する。
伊予鉄道松山市駅から横河原線・鷹ノ子駅下車、徒歩で約30分。松山市高井町1007。
49番札所・浄土寺
浄土寺(じょうどじ)
天平年間(729―749)に、孝謙天皇の勅願により、恵明上人が創建。本尊の釈迦如来は行基の作と伝えられる。
天徳年間(957―961)に、空也が訪れ、3年間、滞在した。自分で彫ったといわれる重要文化財の「空也上人立像」がある。寄せ木造りで、かねをたたきながら「南無阿弥陀仏」を唱え、遍歴する姿で、口からは六字の名号が仏となって現れている。
松山市中心部から旧国道11号線を南東へ約5キロ。伊予鉄横河原線久米駅から徒歩5分。松山市鷹子町1198。
50番札所・繁多寺
繁多寺(はんたじ)
天平勝宝年間(749―757年)に孝謙天皇の勅願で行基が開設。薬師如来が本尊。各地を行脚した時宗の開祖で松山出身の一遍上人(1239―1289)も一時滞在した。江戸時代には徳川家の帰依を得て、本堂の左側の聖天堂には四代将軍家綱の念持仏の一体、歓喜天がまつられている。盛時には末寺が120もあったと伝わる。
伊予鉄道横河原線久米駅下車、徒歩20分。松山市畑寺町32。


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